弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2012年6月 6日
記憶する技術
著者 伊藤 真 、 出版 サンマーク出版
としをとってもやれるものはたくさんある。いつのまにか還暦をすぎてしまった私のようなもの(決して老人なんて呼ばせません)を大いに励ましてくれる本です。
記憶するために必要なのは、頭のよさでもなければましてや気合いでもない。「記憶する技術」をもっているかどうかである。情報にあふれた現代において、たくさんの引き出しがあるだけではなく、それを適宜引き出せるということが大事だ。整理された引き出しが多ければ多いほど、アウトプットしやすい。そうすれば、それは生きた知識になる。同じことを何度も飽きずにくり返すことができること。あたりまえのことかもしれないが、これこそ記憶する技術の極意だ。つまり、対象に強い興味をもち、意識のポイントを変えることによって、何度となく学びを得ることができる。
人は、自ら欲した情報しか得ることができない。
著者は教えている塾生、1年に300人を大体覚えているそうです。しかも、15年分です。すごいですね。
対象に対して、強く興味や関心があると、記憶しやすい。だから、記憶するには、以下に対象に興味をもてるかに尽きる。
いつまでも若々しい感性をもち、喜怒哀楽のはっきりしている人は記憶力もよい。喜怒哀楽の感情と結びつけて覚えると、あたかもそれを経験したかのような経験記憶となって、忘れにくくなる。
記憶のゴールデンタイムは「1時間以内」と「寝る前5分」。講義が終わったあと、席を立つ前に、その場でそのまま復習する。そして、毎日5分。それも寝る前の5分がいい。ポイントは、それまですべてをざっと復習すること。
部屋の整理ができず、整理が苦手だという人は、記憶力も弱い。ど忘れというのは、脳の前頭葉からの情報が求められているのに、側頭葉から答えが出ない状態をいう。
過去の記憶にどんな意味を与え、これからどんな記憶をインプットしていくのか。その技術こそが、生き方そのものだ。記憶とは量ではない、生き方なのだ。そして、忘れる力は、いわば生きる力なのだ。情報を消すこと、記憶を忘れることこそが命であり、生きている証拠だ。変化すること、忘れること、それこそが生きるためには不可欠なのだ。
生命にとっては、変化そのものが情報であり、変化の幅こそが次の反応をひきおこす手がかりになる。
記憶力に自信がない人はいろいろ工夫するので、ゴールに到達しやすい。実際、早く合格する傾向がある。考える前提として、基礎的な知識は記憶していなければならない。つまり、記憶とは考えること。記憶を定着させるには、何度もくり返し、刺激を与えることが大切だ。
考えるのをやめるというのは、つまり決断するということ。決断する訓練をしておかないと、試験に受からないし、実務家としても使いものにならない。技術が使いこなせない。
記憶することは、人間が知的に感情豊かに生きるためにきわめて大切なことだ。
いい本でした。自らをふり返ってみるうえで大切なことがたくさん書かれている本です。若さを保とうとするあなたもぜひお読みください。
(2012年4月1300円+税)
2012年6月 3日
刑務所なう。ホリエモンの獄中日記
著者 堀江 貴文 、 出版 文芸春秋
いま長野刑務所に入っているホリエモンの刑務所体験記です。もちろん自由を奪われた生活なのですから、実際にはなにかと大変な苦労を味わっているのでしょうが、この本を読むと、開き直って楽しんでいるような印象さえ受けます。
ともかく、よく書いています。もとから作家志望で、書くことは苦にならないようです。その点は、私とよく似ています。ともかくなんでも書いて、書きまくってしまうのです。そして、刑務所のなかでも新聞を読み、よく本を読んでいます。
刑務所の臭いメシとよく言われますが、本当はとても美味しいようです。一人あたりの食費は安くても大量につくったら案外おいしいものができます。
なにしろ、日頃の収容生活で最大の楽しみは食べることなのです。これがまずかったら、暴動が起きてしまうでしょう。
ホリエモンは長野刑務所は全国屈指の美味しさだと誇っています。なかでもメンチカツは本当に美味しいようです。
私も福岡刑務所を見学したとき、昼食を食べさせてもらいましたが、文句なしに美味しいと思いました。当初、それは見学者用だから美味しいのかと疑いましたが、そうではないようです。
刑務所のなかの生活が、ときに実録マンガでも紹介されていて、500頁もある本ですが、飛ばし読みして1時間足らずで一気に読了しました。ホリエモンはこりることなく、意気軒高でした。ここらあたりは、人によって好き嫌いがあるところでしょうね。
(2012年3月刊。1000円+税)
2012年6月 2日
「司法試験流」勉強のセオリー
著者 伊藤 真 、 出版 NHK出版新書
司法試験受験界のカリスマ塾長と最近、親しく話させていただいています。近くに寄っても遠くから見たときとまったく同じで、とても誠実、真摯なお人柄です。すぐに心をうちとけて話すことができました。
実感では、弁護士としての実務の中で法律の知識が占める割合は2割ほど。残りの8割はそれ以外のコミュニケーション能力であったり、共感力、イマジネーション能力、まさに人間力とも言えるものが必要で、実は、そうした能力が弁護士としての勝敗を分ける。その分野の特定の専門知識のいわゆる教養や雑学、経験などがあって初めて、現場で活躍できるのだ。
これは、私もまったく同感です。まったくの初対面の人とわずか30分ほどで、弁護士は相談の要点をつかみ、それなりに的確に回答し、この人と一緒に解決に踏み出そうという共感する関係を築き上げなければなりません。
記憶するためには、自分にとって本当に必要なことだと脳に思い込みをさせることが必要だ。人間は忘れる動物なのだから、忘れることを前提に記憶する作業をすればいい。そのためには、まずは忘れることを怖がらないことが大切だ。記憶の基本は、やはり、「繰り返し」の作業である。記憶する力というのは、あきらめずに続ける力なのだ。
若い人たちの想像力の衰退化の最大の原因は、本を読まなくなったことにある。本を読むということは、実は想像力を鍛える訓練になる。本を読むと、それが実はプレゼン能力の基礎力を鍛えていくことにつながる。
わずか200頁の新書版ですが、若者にとって大切なことが盛りだくさんの貴重な本だと思いました。
(2012年4月刊。740円+税)
2012年5月12日
過労死・過労自殺、労災認定マニュアル
著者 川人 博 ・平本 紋子 、 出版 旬報社
身内が亡くなったことを前提として相談を受けているときに、それって過労死じゃなかったの・・・・?と思うことがあります。でも、遺族はなかなか問題にしようとはしません。生前、故人が世話になった会社に弓を引くわけにはいかないという気持ちからです。
そんな人たちに気軽にすすめることのできるのが、この本です。マニュアル本として、とても実践的な内容です。本文100頁のQ&A方式で実践的かつ明快です。
「もう疲れました」「悪いのは自分です」という遺書があっても労災と認めなられる。かつては、遺書があれば「故意」による覚悟の自殺だとして業務外とされることが多かった。現在では、遺書にみられる心身の状況や業務に関連する記述が本人の精神障害の症状や業務上の心理的負荷を証明するものとして積極的に評価されることがある。
労災申請書を出そうとして会社が証明書を書いてくれなかったときには、そのことを書いた証明文をつけて監督署に提出すればいい。
ひどい長時間労働しながら、タイムレコーダーがそうなっていないときには、会社に残ったパソコンで稼働状況を証明する。そのための裁判所の証拠保全手続のときには、パソコンの専門家であるシステムエンジニアを同行して確実に保存する。
電子的な記録がないときには、同僚から聞き取って報告書をつくる。
つぶれかかっている会社のようなときには、代表取締役個人に対する侵害賠償請求も考える。
会社と示談するときには、労災保険とは別のものであること、慰謝料であることを明記しておく。慰謝料には所得税がかからない。
著者は私と同じころに大学生でした。今では過労死問題の第一人者です。そのうえ、東大駒場で有名な「川人ゼミ」を1992年から続けています。たいしたものです。引き続きがんばってください。
著者より贈呈していただきましたので、感謝の気持ちをこめて紹介させていただきました。
(2012年5月刊。1200円+税)
2012年4月29日
夢をかなえる読書術
著者 間川 清 、 出版 フォレスト出版
本を読むと売り上げが伸びるという、まさかを語る弁護士の本です。
私よりも30歳も若い埼玉の弁護士ですが、なんと弁護士13人、事務職員11人という法律事務所のボスだというのです。信じられません。よほど経営の才覚(マネジメント能力)があるのでしょうね。
本を読むと売り上げが伸びるかどうかはともかくとして、「夢」をかなえてくれるというのは、そう信じたい気分をふくめて同感です。
ライバルが本を読まないのは、とてもチャンスなのだ。読んだ人は、それだけで読んでいない多くの人に差をつけることができる。
読書嫌いの人を見て、なぜ本を読まないのかと気に病む必要はない。それよりどんどん本を読んで、最大の成功を手に入れ、周りの人を置き去りにしたらよい。
人は本を読まない現実があり、本を読んだ人は成功する事実がある。これは、歴史が証明している。
私が「成功した」といえるかどうかはともかくとして、たくさんの本を読んで、日々充実した生活を送っていると確信を持って言うことは出来ます。
人は本を読まない。そして、読んだとしても、その内容を実行に移さない。
年収の高い人ほど、書籍や雑誌の購入費が高い。本や雑誌を読む人ほど、年収が高い。本を読む量とその人の年収は比例する関係にある。
はてさて、これは本当でしょうか・・・。あまり信用できませんよ。
本は全ページをめくって、一応は目を通して読んだことにして、自分を納得させる。自分にとって本当に役に立つことが書いていれば、1秒見るだけでも目にとまるので、情報の取りこぼしがなくなる。
これは、私も実行しているやり方です。脳が自動的に読み分けてくれるのです。
人間の脳は、自分にとって重要なこと、探し求めていることについて、自動的に意識を集中させ、うまくその情報を収集することができるという優れた機能をもっている。
脳の性能は、自分が思っているより、はるかに素晴らしいので、自分にとって明確化された重要な情報をシャットアウトすることのほうが難しい。本は読みとばしていいということに気がつくと、読書量が一気に増える。
ここに書かれていることはまさしく、そのとおりです。読みとばしていても、自然に目の動きがゆっくりになるところが出てくるのです。
著者は1日1冊の本を読むということです。私は年間500冊、そして、1日1冊の書評をかくのを10年以上にわたって続けています。それが楽しいからです。これは自己表現であり、充実した一瞬だからです。
(2012年3月刊。1400円+税)
2012年4月21日
法律相談のための英語ノート
著者 宇都宮 英人 、 出版 林田印刷
すごいです。本職は弁護士なのに、子どもたちに空手を教え、さらには英語にも中国語にも堪能なのです。3年前に『法律相談のための中国語ノート』を刊行していますが、今回は英語ノートです。昨年、『空手と護身の英語ノート』を出していますので、英語ノートとしては第2弾になります。
子どもたちに英語を教えるほうでも、その成果が本にまとまっています。8年前の『体と心を鍛える日の里空手スクールの実践から』(海鳥社)と、3年前に出たそのパートⅡです。
著者の空手は、さすがに京大空手部の主将だったというだけに、何も分からない素人の私が見ても、いかにもぴしっと型が決まっています。決して一朝一夕にはできない体型です。
この英語ノートは、とても実践的な内容です。弁護士が法律相談を受けて直面するだろうという質問を英語で回答するとこうなるというものです。
たとえば、近所にいる80歳の一人暮らしのお年寄りが訪問販売からいろいろ物を買わされているようだが、という質問があります。民生委員を利用するとか成年後見申立をするというのがその回答になっています。まったくシステムの異なる国から日本に来て働いている人にとって、日本のシステムはとても複雑で分かりにくいと思います。
解雇など労働契約が解除されたときにともなう質問に対しては、労働審判制度が説明されています。
具体的な質疑応答のほか、ボキャブラリーということで司法の専門用語についての英訳もあります。これで助かる人も多いと思います。
著者の引き続きのご活躍を期待します。
(2012年3月刊。1600円+税)
2012年4月19日
全盲の僕が弁護士になった理由
著者 大胡田 誠、 出版 日経BP社
先天性の緑内障のため、12歳のときに両目の視力を完全に失い、全盲となったにもかかわらず、日本で3人目に司法試験に合格し、今、東京で弁護士として元気に活躍している人の体験記です。読むと元気が出てきます。
サブタイトルは、あきらめない心の鍛え方となっていますが、まさにぴったりです。
見えない目で、しっかり相手の目を見て、とことん話を聞く。それが信頼関係を築く第一歩だ。なるほど、です。すごいですよね。見えない目で、しっかり相手の目を見るなんて・・・・。
そして、奥さんも全盲です。こちらは未熟児網膜症のため、生まれたときから目が見えません。そんな夫婦ですが、1歳の子ども(娘)さんがいます。子育てにも夫婦でがんばっているのです。
弁護士の仕事は、相手の心を知るところから始まる。口は目ほどにものを言う。声は正直なもの。言葉は選べても、息づかいや抑揚、間のとり方まで装うのは意外に難しい。
衣ずれや足音や、声以外の音も重要な手がかりとなる、不安やいら立ちが表れる。匂いもその人を物語る。
見えないことはハンディだけれど、だからこそできる仕事もある。見えなくても、きちんと相手の目を見ているつもりで顔を向けて、低く落ち着いたトーンでゆっくりと話す。
証人尋問では、見えないからこそ有利な面もある。相手の方の証人が、弁護士に言わされているのではなく、自分の意思で自信をもって証言しているかどうか、注意深く観察する。法廷での声の響き方によって、うつむきがちで発言しているか、左右をキョロキョロうかがいながら話しているかも分かる。
ところで、全国に30万人いる視覚障がい者のうち、点字を満足に読み書きできるのは、1割。大人になってから視力を失った中途視覚障がい者には、点字をまったく読めない人も多い。何歳から点字を覚え始めたかで、読める速さはまったく異なる。
なーるほど、それはそうでしょうね。
そして、点字を読むのが遅い著者は司法試験を耳で受験したのでした。それにしても、4日間、トータルで36時間30分という長丁場の受験に耐え抜いて合格したなんて、すごいですね。
試験会場には著者1人に、試験管3人が監督していたというのでした。
すごいな、すごいなと思いつつ、自然に元気の湧いてくる本です。
(2012年3月刊。1500円+税)
2012年4月11日
法廷弁護士
著者 徏木 信 、 出版 日本評論社
いい本でした。なにより、弁護士にとって大切なことが盛りだくさんで、弁護士になって
40年近い私も、必死で読みすすめました。著者は私よりひとまわり年下の大阪生まれの弁護士です。初めて小説に挑戦したようですが、その割には、本当によく描けていました。
弁護士の苦労もさることながら、少年(ここでは少女のことを指します)の立ち直りがいかに至難なものであるか、実感をもって描かれていて、さもありなん、そうだよね、と思いながら読みすすめていきました。
手間を惜しんではいけない。手間をかければかけるほど、事件の理解は深くなる。事件の理解が深まれば深まるほど、仕事のモチベーションは高まり、さらに事件の理解が深まる。事実の理解の深さは、そのまま事件の成果の大小に直結する。
これまで司法試験の受験生として解いてきた問題は、すべて正解のあるものだろう。でも、実務は違う。実務は正解のない世界なんだ。だから、自分の考える答えが正解であると、相手方、裁判所を説得する仕事が弁護士の仕事なんだ。借り物ではなく、自分の価値判断と論理構成を信じること、それが正しいと分かってもらうために努力することなんだ。
顧問先をもたないことの意義は何か。いったん顧問契約を結んでしまえば、弁護士はもはやクライアント(依頼者)から自由・独立の立場でいることは難しくなる。しかし、事件を受任するかしないかの自由を、そのつど留保しておきたい。
依頼者にも、事件を誰に委任するかしないの自由が、そのつど保障されるべきだ。いつでも、どちらからでも関係をつくることも、関係を切ることもできる。そんな緊張感が、ぼくとクライアントの健全な関係を形成する。
安定が手にはいってしまうと、努力しなくなる。依頼者がワラにもすがる思いで事件を依頼しているのに、弁護士の方はぬくぬくと安全なところにいるのでは、その温度差が大きすぎる。不労所得で食べていこうとする保守的な姿勢で、人のケンカを引き受けて勝てるのか。不安定な状況におかれた方がすっと努力するし、その分成長する。太った家畜でいるより、腹をすかせたライオンでいる方を選ぶ。
うむむ、これは、なかなか難しい指摘です。
私自身は狭い地域で弁護士活動をしていますので、商売上、顧問先を断ることにしています。この断る理由には、かなりの違いがあります。
もともと感動的な事件があるというわけではない。どんな事件でも、その事件を扱う弁護士によってつまらなくもなり、感動的なものにもなる。だから、どうすれば感動的な事件になるのか、それを常に考えて事件に取り組むべきだ。
即時起案。よほど難しい書面でない限り、相談中に書面を起案する。依頼者の面前で即時に書面を起案するほうが、きちんと確認しながら完成させられる。そして、書面は正確かつ臨場感あふれたものになる。目の前で自分の思いが文書化されていく。このことは、自分の考えや気持ちを依頼者が整理するのに役立つ。頼んだ弁護士が自分の話をきちんと受け止めてくれている。このことを実感できる。即時起案の過程は、胸のつかえが溶けていく。加えて、即時起案は依頼者が紛争解決過程に積極的に参加する過程でもある。この過程をたどることで、紛争解決のときの依頼者の達成感や満足感は、より大きくなる。弁護士の力をかりながらも、自分自身の力で、紛争を解決したという実感を味わうことが新たなスタートを切るうえで、大きなエネルギー源となる。
タイミングは、とても大切なんだ。直ちに、その場で仕事を終えること。それを心がけるようにしないと、どんどんしなければいけないことが積み重なってしまう。
弁護士も、もっとも必要とされる能力は勝つ能力だ。弁護士は勝たなければならない。勝つことが求められている。依頼者は勝つことに期待して高額な弁護士報酬を支払っている。負けることは許されない。依頼者は、自分では戦っても勝てない相手だったので、自分の代わりに相手とたたかって勝ってほしいとお金を支払って頼んだ。
説得力、交渉能力、書面作成、能力、事務処理能力、そして尋問能力は、すべて戦いに勝つという最終目標に至る手段としての技術であって、それ自体が目的ではない。手段としての技術レベルがたとえ高くても、目的である勝利が得られなければ、無意味・無駄ということになる。
ええっ、これって、私には大きな違和感が残りました。なんでも依頼者が勝てばいいというものじゃありませんよね。
正義・公平・原理原則・良心。こちらの主張が、これらの要件をみたしていることが交渉に勝つために必要なこと。そして、交渉には真実性が伴わなければならない。小手先だけの姑息な手段には一切頼らず、正攻法で真正面から突破することだ。
依頼者の希望・要望を実現することが、その基本的な人権を擁護することになるのか、そして社会正義を実現することになるのか、それを判断することが弁護士には求められている。
弁護士は借りものではない自分の体験から、豊かに相手方と裁判所の良心に訴えかけることができる。
わずか186頁という薄っぺらな本ですが、私にとってはずっしり重たい本でした。若手弁護士にとっては必読の書だと思います。それだけでなく、司法界に関心ある人には、強く一読をおすすめします。
(2012年3月刊。1500円+税)
2012年4月 6日
3.11と憲法
著者 森 秀樹・白藤 博行ほか 、 出版 日本評論社
3.11を契機に、改憲派は、「このような緊急事態・非常事態に対応できない日本国憲法は改正しなければならない」と主張しはじめています。こんな火事場泥棒のような主張がサンケイ新聞の社説(3月22日)にあらわれていて驚くばかりです。
3.11のあと、福島県民の気持ちは複雑に揺れ動いている。
放射能の危険については、もう聞きたくないという人々がいる。いつまでも放射能の危険性を口にする人は、神経質な人、うとましい人となっている。それも、政府が大丈夫だと言っているからだ。子どもの疎開についても、もうそんなことは言ってくれるなと耳をふさいでしまう人もいる。ここらあたりは本当に悩ましい現実ですよね。
大災害の発生を奇貨として非常事態規定の欠如をあげつらい、憲法改正を声高に主張する国会議員がいる。彼らは国民の権利を制限することを狙っている。
「自衛隊は軍隊ではない」という建前(政府解釈)は、結果的に「国民を守る」という面をより前に押し出している。自衛隊では国民に銃を向ける治安出動訓練はほとんどなくなり、災害への日常的態勢が強化されている。
ところが、「軍」の本質は国家を守ることにあり、個々の国民を守ることではない。自衛隊は、「軍」となるのか、「軍隊ではない」という方向にすすむのか、今、大きな岐路に立たされているように私も思います。
原発をめぐる裁判について、原発差止を認容する判決を書いたことのある元裁判官の次のような指摘は貴重です。
裁判所が判断するのは、その原発において過酷事態が発生する具体的危険があるか否かであって、原発の存置いかんという政策の相当性について判断するわけではない。差止判決は、十分な安全対策をとらないで原発を運転することを禁止しているのであって、およそその原発を運転することを禁止しているのではない。まるで、裁判官が一国の重要な政策を決するかのような言い方をして裁判官に不必要な精神的負担を与えるべきではない。なーるほど、そうなんですか。でも、ある程度は言わざるをえませんよね、どうしても・・・。
憲法学の学者を中心とした論稿で、大変勉強になりました。
(2012年3月刊。1800円+税)
2012年3月28日
検事失格
著者 市川 寛 、 出版 毎日新聞社
勇気ある告白本です。
弁護士だけでなく、司法関係者は全員必読の文献ではないかと思いながら読みすすめて行きました。検察庁の体質そして検察官の思考方法がよく描かれていると思います。
今の検察トップは私の同期生なのですが、検察トップの皆さんにもぜひ読んでもらいたいものです。
初めに著者が検察官を志望したころのことが書かれています。初心って大切なことですよね。
ダイバージョンに大変な魅力を感じ、これを実践できるのは検察官だけだと思って検事を志望した。ダイバージョンとは、迂回という意味。検事や裁判官が判断に迷ったとき、犯罪者が世間からできるだけ烙印を押されないような手続を選ぶことで、その社会復帰を助け、再犯を防ごうという一連の制度をいう。
学生のころ、検事は不偏不党で公正であるというイメージをもち、そんな検事になりたいと思った。どうでしょうか、現実の検察は必ずしも公正とは言いがたい気がします。
司法修習生のときから、「できるだけ有罪にする」訓練を積まされているから、刑事裁判官が無罪判決を出すのには度胸がいることの下地がつくられているのではないかと思う。
検察庁は建前と本意が違いすぎる。たとえば、検察教官は、「実務に教唆なし」と言い切る。すべて共同正犯として起訴してしまう。教唆犯という起訴状を見たことがない。
被疑者を取り調べるときは、被疑者が有罪だと確信して取り調べるようにと指導される。そこには、無罪の推定は働かない。
検察庁では、被疑者を呼び捨てにする。
やくざと外国人に人権はない。これが検察庁のモットーだというのです。恐ろしいです。
千枚通しを目の前に突きつけて、徹底的に罵倒してやる。ええーっ、今どきこんなことをしているのですね。
無罪判決が出ると検事に傷がつく。誰もが責任をとりたくないから、上は下に無理難題を命じるし、下は、その無理難題を拒むことができない。このとき、検事の心理の根底にあるのは保身だ。責められたくない。責任をかぶせられたくない。
自白調書のとり方の奥の手。被疑者が座るなり、お前は聞いていろとだけ言って、すぐに○○の点を認める内容を立会事務官に口授して調書を取らせる。被疑者に言わせる必要なんかない。事務官が調書をとり終わったら、被疑者に見せて「署名しろ」と言うんだ。もちろん、被疑者は署名しないだろう。そのときは、こう言うんだ。これは、お前の調書じゃない。俺の調書だ!とな。オレの調書だから、お前に文句を言う資格はない。さっさと署名しろ。
控訴審議の大半は主任リンチでしかない。問題判決を受けた主任がただでさえ気を落としているのに、後知恵で質問している検事たちの気が知れない。主任がじわじわと追いつめられ、押し黙ることがほとんどだった控訴審議を見ていると、控訴審議はいじめの場だとしか思えなくなる。こんな審議を毎日のようにやっていたら、前向きなやる気よりも、問題判決を受けたら、ひどい目に遭う。問題判決はごめんだという後ろ向きの気持ちが大きくなっていく。こうして、検事は、ただ問題判決を避けるためだけに、法廷でわけの分からない立証活動をしたり、判決を引き延ばすような悪あがきをするようになる。これは知りませんでした。
年末に問題判決が出ると正月休みに、年度末に出ると検事の移動時期に控訴審議をやらなければならない。だから、検察庁は年末と年度末に問題判決が出ることは徹底的に避けようとする。
公判検事は、何も用がなくても毎日の法廷が終わったら必ず裁判官室に行って挨拶するように。このように指示される。これを法廷外活動と呼ぶ。
私も司法修習生のとき、検事が何の用もないのに裁判官室に頻繁に出入りするのを見て、すごい違和感がありました。
検察が不起訴にすると、警察の担当者が検事の部屋に文字どおり怒鳴り込んでくる。「検事さん、今日は勉強させてもらいに来ました。どういうわけで、あの事件を不起訴にしたんですか!」と、ヤクザ顔負けの太い声ですごまれたことがある。
偽証しているのは、検察が請求した証人が圧倒的多数だ、というのが実情である。
「事件がかわいい」という意味は、事件に身も心も捧げてのめり込み、疑問点を全部洗い出す捜査をして証拠を集める気概があること。
「狂犬の血」が騒いだ。心底から頭にきて、「ふざけんな、この野郎、ぶっ殺すぞ、おまえ」、と無実の組合長を怒鳴りつけた。組合長が屈服したのは理詰めの質問によるものではなく、その前の暴言だとしか言いようがない。このときから、組合長は検事の言いなりになった。
2日間は取り調べをせず、「自白調書」をパソコンでつくった。組合長の発言をつなぎあわせて「作文」していた。組合長は、何の文句も言わずに、すべての「自白調書」に署名した。一度も冷静沈着な精神状態で組合長の取り調べにのぞんだことはなかった。
怒りは日一日どころか、刻一刻と増すばかりだった。
こんな暴言を吐くに至った、当時の佐賀地検の態勢の問題点も紹介されています。こちらも本当にひどい嘆かわしい状況です。
この本の救いは、実名と顔写真を出していて、自分の間違いを告白していること、亡くなった組合長の霊前でお詫びをし、その遺族から一応の許しを得ていることです。
それにしても、検察庁というところは想像以上にすさんだ職場ですね。恐ろしいです。
(2012年3月刊。1600円+税)