弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2010年7月29日

最高裁調査官報告書~松川裁判における心証の軌跡


著者:大塚一男  出版社:筑摩書房(昭和61年)


 昭和24年、福島県の国鉄松川駅で、レールが外れ、蒸気機関車が脱線転覆し、多数の死傷者が発生する事件が起きた。折しも、共産主義の防波堤として大量解雇を進めていたGHQと、これに反対する日本共産党が対立し、騒然たる社会情勢であった。捜査機関は、日本共産党の指導のもとに東芝労組と国鉄労組が企図した思想事件と見立てて、組合員20名を逮捕・起訴した。その後、死刑を宣告された被告らは上告と差戻しの波間に翻弄されたが、最終的に全員無罪となったことは、周知のとおりである。


 本書は、松川弁護団に所属していた著者が、無罪判決確定後にたまたま最高裁調査官の報告書を入手し、そこに現れた調査官と裁判官のそれぞれの心証の変化を実体験に基づいて克明に描写した作品である。


 報告書を作成した調査官は言う。「私は最高裁調査官として約100冊にわたる訴訟記録と20数冊に及ぶ上告趣意書を検討するのに2年近くを費やし、私なりの結論に到達した。大衆動員による不当な世論の形成にブレーキをかけると共に、この裁判に対する国民の抱く不安をできる限り取り除くことが、公正な立場で記録を精読した者の義務である。」


 報告書は、このような視点と方向性から書かれている。しかし、結局、無罪になった。最高裁の裁判官が調査官の報告書をどのように利用し、どのように評議を行い、どのように結論に到達したのか、その道筋が、15人の裁判官の人間像も加味して描かれている。そしてまた、そのような裁判所の仕組の深奥を知らぬまま、無罪を勝ち取るまで14年間の長い法廷闘争を続けた松川弁護団の苦悩が描かれている。私ども弁護士がその一端を担っている司法の職責の重さに思いを致さざるを得ない。


 今年に入って仕事が減った。周りの弁護士も同じことを言う。不況の影響がこの業界にも及んできたのであろう。したがって時間があり、勉強のためと称して本をよく読む。さて、今度は何を読もうか。

ブラック・トライアングル

著者:谷 清司、出版社:幻冬舎

 新聞に大きな広告がのっていました。交通事故の被害者が保険会社、国、そして裁判所から切り捨てられている衝撃の告発。そんなショッキングなタイトルの本です。それでは、早速、読まねばなるまい。そう思って読みはじめたのです。
 タイトルの衝撃度に反して、しごくもっともな主張で貫かれています。少なくとも、交通事故の被害者代理人として損保会社と毎日のように交渉し、今も裁判を担当する弁護士として、まったく同感だというところが多々ありました。損保会社は、交通事故被害者を泣かせて不当にもうけているというのが私の実感です。
 ところが、残念ながら、交通事故の被害者・遺族は弁護士に依頼せず、ましてや裁判なんてとんでもないという人がほとんどだというのが悲しき現実です。弁護士に頼んだらいくらかかるか分からず不安だ。裁判なんて、何年もかかるので耐えられないと思い込んでしまうのです。著者も、ここらあたりをなんとかしようと頑張っています。
 現在、日本では1年間に80万件の交通事故が発生している。死亡者も、ひところよりは減ったとはいえ、5千人に近い。交通事故の被害者にとって、保険会社、自賠責システムを担う国、そして裁判所の三つが中心の担い手となる。しかし、これらが本当に被害者の保護・救済にあたっているかというと、残念ながら、そうとは言えない。
 保険会社は被害者の入院している病院に対して電話攻勢をかけ、早々と退院せざるをえないように仕向ける。これは交通事故の二次被害というしかない。医師は保険会社からいろいろ言われると、面倒くさくなって、いわれるがままに症状固定の判断をしがちである。
 保険会社は被害者から、症状照会の同意書をとる。これが保険会社にとって、被害者の治療に介入する「免罪符」になっている。
 ある裁判官が、「痛みをこらえて頑張って働く誠実な被害者」という言い方をしていた。これは、裏を返すと、「痛みに耐えきれずに休んで働かないのは不誠実な被害者だ」という認識だということである。うへーっ、それはないでしょう・・・。
 後遺障害の等級認定にあたる損害保険料率算出機構の理事には、民間の損保会社の社長がずらりと顔をそろえている。むむむ、そうなんですか。ちょっと考えものですよね。
 ムチ打ち症については、医学的に統一された確固とした診断名は今もって存在しない。その定義と治療法は、いずれも決定的なものはない。
 裁判所は、保険会社の方を向き、保険会社との調整を図っているのではないかとさえ疑われる。裁判所は、いつも保険会社と同じ論法で被害者に対する。
 この本には、裁判所でそのまま通用する青本や赤本というものがあって、保険会社の呈示する金額はそれらの本で示されている水準の良くて7割、悪くて5割というレベルであることの紹介がありません。その点は、残念でした。それはともかくとして、交通事故による損害賠償請求の交渉と裁判について、基本的な問題点が分かり易く、よくまとめられていると思いました。
(2010年5月刊。1200円+税)

2010年7月28日

わが心の旅路

著者:団藤重光、 出版社:有斐閣 昭和61年

 高名な刑事法の研究者である著者が最高裁判事を退官するに当たり、その生い立ちから、大学での研究、最高裁での公務に至るまでの日々を振り返り、その時々の師友との関わりを回想したもの。もう何度も読んだ馴染みの随筆集であるが、刑事法制の動きが急展開しているこの時期に感じるものがあるかと思い、改めて読み直してみた。

 著者の先輩であり、著者と同じように大学から最高裁に転身した穂積重遠博士の言葉として、次のような一節が紹介されている。
「孝ハ百行ノ基、であることは新憲法下においても不変であるが、かのナポレオン法典のごとく、または問題の刑法諸条のごとく、殺親罪重罰の特別規定によって親孝行を強制せんとするがごときは、道徳に対する法律の限界を越境する法律万能思想であって、かえって孝行の美徳の神聖を害するものと言ってよかろう。本裁判官が殺親罪規定を非難するのは、孝を軽しとするのではなく、孝を法律の手のとどかぬほど重いものとするのである。」
いうまでもなく、尊属殺重罰規定の合憲性が争われた事件における穂積博士の違憲の意見である。著者は穂積博士に共感し、この意見の中に法の役割を考える上での普遍の価値を見出している。

 また、著者はある人物を語るにあたり、何度も「親愛なる井上君」と呼びかけている。著者の最後の門弟である井上正仁教授のことである。なるほど、著者と井上教授が共に自転車に乗り軽井沢を駈けている写真を見ると、親子のような睦まじさである。井上教授は後に、司法制度改革審議会の主力委員として裁判員裁判の導入など現在に通じる司法制度改革を主導した。さすがの著者も愛弟子がこれほどの大改革を実現するとは予想していなかったであろう。

 著者は、旧刑事訴訟法の研究者として出発し、戦後、公職を追放された小野清一郎教授に代わって新憲法の立案と並行して新刑事訴訟法を立案し、そして現在の司法制度改革を生み出した種を育てた。まさに刑事訴訟法の歴史を体現した大学者である。

 私は大学で、なぜ刑事訴訟法が大陸法に由来する要素と英米法に由来する要素を両有しているのか、その理由を学生に教えるときに、この本から汲み取られる団藤重光が果たした歴史的な役割を紹介している。しかし、学生は田口、白鳥は知っていても、もはや団藤、平野の名を知らない。これも歴史の流れかなと思うのである。

2010年6月21日

検察との闘い

 著者 三井 環 、創出版 
  
  元大阪高検公安部長が飲食代などの32万円の贈賄等の容疑で逮捕され、裁判にかけられて有罪(実刑判決)となり、1年あまり刑務所に入ってから自分の検察官人生を振り返った本です。
著者は、福岡高検の検事長にもなった加納駿亮氏を一生許せないと厳しく糾弾しています。現在は弁護士になっている加納氏を検察庁の諸悪の根源の一つだと言いたいようです。加納氏は福岡にもなじみのある人ですから、一度、加納氏の反論も聞いてみたいと思いました。
 著者は、自分が刑事事件となったのは、検察庁の裏金問題をマスコミに内部告発しようとしたからだと主張します。
 1999年に7億円あった検察庁の裏金(調査活動費)が、内部告発があって問題とされた翌2000年に5億円となり、今では7000万円台になっている。ところが、法務省全体の調査活動費は減っていない。つまり、検察庁のほうが減った分を公安調査庁など法務省の組織内で消化されているというわけです。
著者は懲戒免職処分され、もらえたはずの退職金7000円も受けとれず、弁護士資格もなく被選挙権さえ5年間ありません。
 たしかに、裏金問題を告発しようとしていたテレビ出演の3時間前に逮捕されたというのは、告発者の口封じのためとしか考えられませんよね。警察の裏金問題も、かなりあいまいな決着でしたが、検察庁の裏金については大問題になる前に幕引きとなった感があります。
 検事として、著者はかなりアクの強い、スゴ腕だったようです。こんな豪腕検事と法廷でぶつかりあわなくて良かったなと正直いって思いました。それはともかくとして、検察庁や警察の裏金問題の解明のために、引き続きがんばってほしいと思います。
(2010年5月刊。1400円+税)

2010年6月19日

検察との闘い

 著者 三井 環 、創出版 
  
  元大阪高検公安部長が飲食代などの32万円の贈賄等の容疑で逮捕され、裁判にかけられて有罪(実刑判決)となり、1年あまり刑務所に入ってから自分の検察官人生を振り返った本です。
著者は、福岡高検の検事長にもなった加納駿亮氏を一生許せないと厳しく糾弾しています。現在は弁護士になっている加納氏を検察庁の諸悪の根源の一つだと言いたいようです。加納氏は福岡にもなじみのある人ですから、一度、加納氏の反論も聞いてみたいと思いました。
 著者は、自分が刑事事件となったのは、検察庁の裏金問題をマスコミに内部告発しようとしたからだと主張します。
 1999年に7億円あった検察庁の裏金(調査活動費)が、内部告発があって問題とされた翌2000年に5億円となり、今では7000万円台になっている。ところが、法務省全体の調査活動費は減っていない。つまり、検察庁のほうが減った分を公安調査庁など法務省の組織内で消化されているというわけです。
著者は懲戒免職処分され、もらえたはずの退職金7000円も受けとれず、弁護士資格もなく被選挙権さえ5年間ありません。
 たしかに、裏金問題を告発しようとしていたテレビ出演の3時間前に逮捕されたというのは、告発者の口封じのためとしか考えられませんよね。警察の裏金問題も、かなりあいまいな決着でしたが、検察庁の裏金については大問題になる前に幕引きとなった感があります。
 検事として、著者はかなりアクの強い、スゴ腕だったようです。こんな豪腕検事と法廷でぶつかりあわなくて良かったなと正直いって思いました。それはともかくとして、検察庁や警察の裏金問題の解明のために、引き続きがんばってほしいと思います。
(2010年5月刊。1400円+税)

2010年6月15日

後藤田正晴と矢口洪一の統率力

 著者 御厨 貴 、朝日新聞出版 

 カミソリ後藤田。そして、ミスター司法行政。団塊世代の私にとって、この二人は、「敵」陣営のカリスマ的ご本尊でした。でも、今の若い人には、どれだけ知られているのでしょうか・・・・? 
 後藤田正晴は、東大法学部を出て警察庁長官になり、その後は内閣官房副長官となったうえ政治家となって、内閣官房長官から副総理まで歴任した。
 矢口洪一は京大法学部を出て、裁判所に入ったものの、裁判所の中では「裁判をしない裁判官」として司法行政一筋に歩んだ。最高裁判所事務総長から最高裁判所長官になり、ミスター司法行政と呼ばれるほどのプロになった。
矢口は、裁判の本質は精緻な判決を書くことにあるわけではない、と言う。
 後藤田は、常識さえあれば勤まるのが警察だ。秀才はいらない。秀才はかえって邪魔になる。性格が偏っているやつも邪魔だ、と言った。警察は、軍隊のような先手必勝ではない。後手(ごて)で、先(せん)を取るところ。後手で必勝は情報だ。
 矢口はこう断言する。
 今までの日本は、法律にのっとって物事をやってはいなかった。だから、裁判所が軽い存在なのは当然のこと。
 矢口は、最高裁事務総局に20年間もいた。ミスター司法行政と呼ばれる所以です。
 警察での中での出世のカギは会計課長と人事課長である。この二つをつとめた者が官房長になる。会計課長が政治家との関係が深くなる。このとき、後藤田は田中角栄との関係が深くなった。
 裁判官には、まともな人や普通の人はならない。少し偏屈な、そういう人間が裁判官になる。あれは、会社員とか行政官は、ちょっと無理だな、そんな人がなる。これが矢口の考えである。まことに、そのとおりだと私は思います。これは36年間の弁護士生活の体験にもとづいて断言できます。
 後藤田正晴と矢口洪一は同世代の人間として、私的にも家族ぐるみで交際していた。そして、裁判官に対するいろいろな行政上の問題について、矢口洪一は、いちいち後藤田正晴の了解をとっていたというのです。これには、驚きましたね。ええっ、なんと言うことでしょうか・・・・。司法の独立なんて、これっぽっちも矢口洪一の頭の中にはなかったのでしょうね。
それにしてもオーラル・ヒストリーというのは大切な手法だと思いました。元気なうちに内幕話を聞いておきたい人って、たくさんいますよね。そのうちに・・・・、なんて言ってると、相手が亡くなったり、こちらが忙しくて問題意識がなくなったりします。思いついたときにやるのが一番なのです。そうは言っても、ままならないのが世の中の常ではあります・・・・。
(2010年3月刊。2200円+税)

2010年6月11日

政策形成訴訟

 中国「残留孤児」国賠訴訟弁護団全国連絡会
 
本のタイトルだけでは何のことやらさっぱり分かりません。400頁もあり、大変勉強になる本なのですが、タイトルで損をしていて、惜しまれます。本はタイトルで売られ、読まれるという逆を行く本なのです・・・・。
 せっかくいただいたので拾い読みでもしようかと思って読みはじめましたが、意外にも面白く、本当にとても参考になりました。原告団とそれを支えた全国の弁護団に対して心より敬意を表します。
 日本の敗戦時、中国東北部(満州)に少なくとも27万人の日本人開拓団民がいた。うち8万人の婦女子が戦闘に巻き込まれたり、凍死・餓死などで亡くなり、1万人の残留婦人と3000人の残留孤児を生み出した。男性がいないのは、1945年6月に関東軍が「根こそぎ動員」によって17歳以上の男子を現地招集したため、開拓団には老人と婦女子しか残されていなかったからである。
 日本に永住帰国した中国残留孤児2500人は、敗戦当時は0歳から13歳前後だった。当時の満州に取り残され、現地の中国人養父母に養育されて中国人として育った日本人である。
 中国残留孤児の帰国者数がピークとなったのは、敗戦から40年以上たった1980年代のこと。このとき、既に50歳代を過ぎていた。50歳を過ぎて帰ってきた人々は中国での教育・職歴を問わず、日本語の習得に大変な苦労を強いられた。孤児世帯の生活保護受給率は70%という高率だった。
中国にいた日本人は、1950年代頃までに集団引き上げで100万人とか3万人とか日本に帰国していた。1959年の未帰還者に関する特別措置法によって、1万3000人の中国残留邦人が死亡宣告され、その戸籍が抹消された。
  2500人の残留孤児のうち2000人もの圧倒的多数が国を訴える裁判の原告となったのは、なぜか?
 2005年7月の大阪地裁の判決を皮切りに、全国8地裁で判決がでた。2006年12月の神戸地裁の勝訴判決以降、政治的解決の機運が盛りあがり、2007年11月に自立支援法が成立し、裁判はすべて取り下げられた。まさしく、裁判は政策形成訴訟となったのです・・・・。この苦難のたたかいが、400頁の本によくぞコンパクトにまとめられています。
2006年12月の神戸地裁判決(橋詰均裁判長)は画期的でした。
 戦闘員でない一般の在満邦人を無防備な状態においた政策は自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であった。戦後の政府としては可能な限り、無慈悲な政策によってもたらされた自国民の被害を救済すべき高度の政治的責任を負う。
 日本政府は条理上の義務として、日本社会で自立して生活するために必要な支援策を実施すべき法的な義務を負っていた。
 すごい判決ですね。すっきり目の開かれる思いがします。
 日本の地で、日本人として、人間らしく生きる権利が裁判規範たりうることを明らかにした裁判でもあります。
2007年1月、安部首相(当時)は、原告代表者と首相官邸で面談し、「夏までに新たな支援策を策定する」と約束し、国会で「日本人として尊厳をもてる生活という視点から検討する」と明言した。
このように、裁判が立法につながるという画期的成果を目に見える形で展開してくれた裁判だったのです。関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。いい本を作っていただいてありがとうございます。
(2009年11月刊。3000円+税)

2010年5月18日

裁判百年史ものがたり

著者 夏樹 静子、 出版 文芸春秋

 日本という国を知るうえで、裁判の現実を知ることは必須だとつくづく思わせる本です。
 福岡在の高名な推理小説作家が、裁判史上著名な事件を改めて読みやすく紹介してくれました。なるほど、そういうことがあったのかと、ついつい膝を叩き、ぐいぐい文中の世界に引きずり込まれました。さすが推理小説を得意とする筆力です。
 大津事件では、時の権力が裁判官たちに直接、露骨に圧力をかけます。日本の国を救うため、法を曲げろと迫ったのです。そして、それを逆に大審院長が担当裁判官たちに権力におもねるな、法を守れと直談判したというのです。
 ともに、裁判の独立という考えが確立していなかったように思いました。といっても、現代日本の裁判官のなかには、時の権力が露骨に圧力をかけなくても、それこそアウンの呼吸で権力に迎合する判決を書いているんじゃないか、と思える判決が少なくありません。長らく住民訴訟をやってきて、残念ながら一度も勝利判決を手にしたことのない私には、そう思えてなりません。
 大津事件で命拾いしたロシア皇帝(事件当時は皇太子)は、27年後、ロシア革命のさなか、レーニンのソビエト政府によって、ひそかに家族全員とともに銃殺されたのでした。50歳の時です。
 明治天皇を暗殺しようと考えたひとがいたことは確かのようです。そして、そのための爆裂弾もつくりました。しかし、それだけのことなのです。ところが、社会主義思想をもっていた人々を一網打尽にして、多くの人をあっというまに死刑執行したのが大逆事件です。
裁判は証人尋問もないまま、公判開始から19日で結審し、死刑を宣告します。そして、判決の6日後には幸徳秋水以下、11人の死刑が執行されたのでした。恐るべき暗黒裁判です。というか、これでは裁判ではありません。政府という権力者による私刑(リンチ)であり、法服を着た私刑官でしかありません。ひどいものです。
戦前の日本に陪審裁判があっていたことは、私ももちろん知っていました。しかし、なんと陪審裁判の日本第一号が、大分地裁で始まったということは知りませんでした。昭和3年10月23日のことでした。当番弁護士制度を日本でいち早く始めたのが大分県弁護士会ですから、偶然のことでしょうが、大分にはそんな地盤があるのかなと思ってしまいました。
戦前の日本実施された陪審裁判は昭和3年から17年までの15年間で、484件。うち無罪になったのは81件。16.7%だった。
『真昼の暗黒』という映画があります。今井正監督の作品です。八海事件をテーマとしている映画です。一審の裁判長をつとめて死刑判決を書いた藤崎峻という裁判官が『八海事件―裁判官の弁明』という本を出したのだそうです。そこでは、判決で認定した時間を10分ほどずらして、それを「絶対動かないところ」と書いていたところ、なんと第二の本では「何時何分かははっきりしていない」と再訂正したというのです。自分の書いた判決文を著作で二度も訂正するなんて、酷いものです。信じられません。
ところが、その後、広島高裁で担当した河相格治裁判長は、犯行時間についてなんと秒刻みの認定をしたのです。こ、これにはさすがの私も驚きましたね。実は、まったくの間違いなのです。それを秒単位で、まことしやかに認定する高裁の裁判官がいるというのですから、世の中、いよいよもって信じられません。裁判官も間違うことがあると、軽くは見過ごせないでしょう。
こんな人は裁判官として明らかに不適格だと思います。思い込みが激しすぎる人が裁判官に少なくないのは現実ですが、そんな人は速やかに排除したいものです。そのためのシステムも一応はあるのですが、残念ながら十分に活用されているとは言えません。
裁判所がそんなシステムの存在を国民に知られないように努力し続けているからでもあります。
ともあれ、面白い本でした。
(2010年3月刊。1900円+税)

 今年初めてのホタルを見てきました。毎年、五月の連休があけるとまもなくホタル探偵団からホタル発見の知らせが地元紙に掲載されます。
 16日(日)の夜、8時過ぎに歩いて近くの小川に行くと、フワフワっと明滅するホタルの群れに出会いました。草むらにいるホタルに手を差し伸べると、黙って手のひらに移ってきて、じっとしています。懐中電灯で照らすと、体長1センチほどのホタルでした。ふっと息をふきかけて小川に戻してやりましたが、間もなく別のホタルが衣服に着地してしまいました。
 とても細い三日月の上に、近世でしょうか、すごく明るい星が輝いています。翌朝の新聞を読んで、やはり宵の明星(金星)だと知りました。風のない五月の夜はホタルの出る季節です。ホタルは、何回見てもいいものです。

2010年5月14日

弁護士・布施辰治

著者:大石 進、出版社:西田書店

 布施辰治弁護士の孫であり、日本評論社の社長・会長であった著者が等身大の布施辰治の姿を明らかにした力作です。
 布施辰治は2004年12月、大韓民国から建国勲章を授与され、孫である著者が代わって受けとった。なぜか?
布施辰治は明治13年(1880年)に現在の石巻市で生まれた。布施は一般に「社会派」の弁護士と理解されている。しかし、はじめから「社会派」弁護士だったはずはない。   1920年の「自己革命の告白」以前の布施は、熟達の刑事弁護士として花形的存在だったし、「告白」以後も、布施の意識は、生涯を通じて刑事弁護士だった。
 すべての人間は、逮捕された瞬間に社会的弱者になるというのが布施の認識だった。
 「人生まれて刑事被告となるなかれ」というのは布施の警句である。
 刑事弁護人というのは、ボランティアとしては成り立っても、職業としては成り立たない。それを布施辰治は可能ならしめた。他の弁護士の3倍、いや5倍もの仕事をした。そして、その3分の1、5分の1のエネルギーを自分の良心に反しない限りでの民事事件にあてた。つまり、布施辰治はエネルギーの3分の1は、5分の1は食べるために、残りは世のため、人のために使った。
 被告人は判決が心配で、よほど親切な弁護をされても不満を感じる。そういう被告をも満足させるのが本当の弁論だ。弁論が情理を尽くして被告の立場を理解したものであれば、被告は有罪で服役しても、その弁論に心を支えられ、自暴自棄にならずにすむ。
 これは、布施が刑事弁護人として歩み始めたころに訓育を受けた刑務所長の言葉である。
 うむむ、なるほど、そうなんです・・・。
 布施辰治は政府からにらまれ、逮捕・起訴されて2度も下獄しています。
1回目は、1933年に3ヶ月の実刑。新聞紙法違反、郵便法違反。なんと、獄中の依頼人へ手紙を渡したことが郵便法に違反するというのです。信じられません。
 2度目は1939年です。3.15事件の弁護にあたった日本労農弁護士団が一網打尽にされてしまいました。
 治安維持法というのは、弁護人が被告人を弁護しただけで犯罪になり、実刑を科されるというのですから、つくづく恐ろしい法律です。
 布施辰治は、1926年に朴烈・金子文子大逆事件の法廷に立って弁論した。同年、朝鮮に渡り、各地で演説会を開き、また、たたかう朝鮮の人々と交流した。
 治安維持法では、日本人には一人も死刑判決が出ていないが、朝鮮人の処刑者は50人をこえている。この法律の重罰化は、もっぱら植民地対策だった。
 布施辰治は、虎狼の職とされる判事・検事・警官にも、同じ人間としての惻隠の情、あるいは良心というものがあって、それを呼び起こすことができると信じていた。判事や検事の人間性を信じ得ぬものが、どうして被告人の人間性を信じ得ようか。
 そのような性善説なしでは、弁護士の職は、あまりにもむなしい。判事・検事説得の可能性を信じること、この思いが彼の活動を、長い力のこもった弁論を支えたのだ。
 うむむ、なるほど、なるほど、よく分かります。見習いたい、身につけたい指摘です。
(2010年3月刊。2300円+税)

2010年5月13日

犬として育てられた少年

著者:ブルース・D・ペリー、出版社:紀伊國屋書店

 アメリカの子どもの40%は18歳までにトラウマになりうる経験を一度はする。
 2004年、アメリカ政府の児童保護機関に児童虐待あるいはネグレクトが300万件報告された。そのうち90万件近くが事実だと確認されている。17歳未満の子どもの8人に1人が過去1年内に大人からなんらかの深刻な虐待を受けていて、27%の女性、 16%の男性が子ども時代に大人から性的虐待を受けている。
 アメリカでは、1000万人の子どもが家庭内暴力のある環境にいて、毎年15歳未満の子どもの4%が親を亡くしている。毎年80万人の子どもが里親のもとで暮らしている。虐待を受けた子どもの3分の1は、それが原因で明らかな精神的な問題を抱えている。
 人間は学ばなければ人間的にはなれない。すべての人間が人間的な心を持っているわけではない。
 彼女は、とても幼い時期に性的虐待を受けたせいで、脳のシナプスが非常に不幸な形につながりを作ってしまった。彼女のごく幼いときに関わった男性たちと、加害者の少年が、男性とはどういうものかという概念と、異性への対処法を決めてしまった。幼いころ周囲にいた人々によって、人間の世界観は形づくられてしまう。
 男が自宅に入ってきて母親を強姦殺人し、そばにいた3歳の女の子まで殺そうとしたが、奇跡的に子どもは助かった。その子はいったいどうなるのか・・・。
 ノドを切り裂かれた3歳の子どもは、泣きながら手足をしばられ冷たくなっている血まみれの母親の死体を元気づけようとし、自分も慰めを得ようとしていた。どれほど心細く混乱し、恐ろしかったことだろう。だから、医師の質問を無視したり、隠れたり、特定のものを怖がったりするという症状は、トラウマを寄せつけないために彼女の脳が築き上げた防衛手段なのである。このような子どもを治療するには、この防衛手段を理解することがとても重要だ。
 呼び鈴、そう呼び鈴からすべてが始まった。呼び鈴の音が殺人者の到着を告げたのだ。日常的にありふれたものが、彼女を終わることのない恐怖に陥れる記憶を呼び起こす合図に変わってしまった・・・。
 脳は、おびただしい量の情報を処理するため、世の中がどういうものかを予期するため、パターンに頼らざるを得ないのだ。
 脳は、いつも、現在はいってくるパターンを、過去に貯蔵されたひな型やつながりと比較している。この比較のプロセスは、最初、脳の最下部のもっとも単純な部分、危険に反応する神経系の始まりの部分で行われる。情報が処理の最初の段階から上がっていくとき、脳は、このデータをもう一度見直し、より複合的に検討と統合を行う。けれど、最初に脳が知りたいのは、今入ってきているこのデータには危険の可能性があるのか、ということだけだ。その経験が安全だと分かっているなじみのあるものだったら、脳のストレスシステムは活性化しない。しかし、入ってきた情報がとりあえずなじみがなく、初めてあるいはよく知らない体験だったとき、脳はすぐにストレス反応を始める。このストレスシステムがどこまで活性化するかは、その状況がどれだけ危険に見えるかによる。重要なことは、何もない状態では受け入れるのではなく、疑うのが基本だということだ。少なくとも、新しい、未知のパターンの活性に直面したときには、さらに警戒する。この時点での脳の目的は、より多くの情報を得て、状況を検討し、どれだけ危険かを判断することだけ。人間が出会う、もっとも危険な動物は常に人間なので、声や表情や身ぶりなど言葉以外の部分に悪意が感じられないかをじっと観察する。
 落ち着いた状態なら、人は脳の皮質部分だけで楽々と生きていける。脳の最高の能力をつかって、抽象的なことを考えたり、計画を立てたり、将来の夢を考えたり、読書したりできる。しかし、何かに注意をひかれ、思考を破られたとき、人間は警戒し、現実的になり、脳の活動の中心を大脳皮質より下の領域に移し、危険を察知するために知覚を鋭敏にしようとする。刺激に反応しつづけ、やがて恐怖を感じるようになると、脳の下部のもっとすばやい反応をする領域に頼らざるを得なくなる。たとえば、完全なパニック状態になっているときに起こる反応は反射的なものであり、事実上、意識ではコントロールできない。恐怖は、文字どおり、人間の頭を鈍らせる。これは、短いあいだ、すばやく反応し、その場を生きのびるための性質だ。
 幼い脳には適応力があり、愛情や言葉をすばやく学ぶことができるが、不幸なことに、そのせいでネガティブな経験の影響も受けやすい。3歳児までの、脳の重要な社会的回路が発達する時期にネグレクトされていたので、誰かを喜ばせたり、ほめられたりすることの喜びが本当には理解できない。教師や友だちを怒らせて、拒否されても、それが辛いという気持ちにならなかった。正常な発達をしておらず、人間関係を喜びに感じることができないので、他人の思いどおりにしなければならないという必要性を感じなかったし、人々を喜ばせてもうれしくなかったし、他人が傷つこうと傷つくまいと気にならなかった。
 社会病質者が他人に共感できないのは、他者の感情を感じとれないのと同時に、他者への同情心がない。つまり、他人の気持ちがまったく分からないというだけでなく、他人を傷つけても気にしない、あるいは、積極的に傷つけたいと思うのだ。
 虐待やネグレクトでトラウマを受けた子どもに対して何かを強制したり、威圧したりするのは逆効果で、さらにトラウマを与えるだけ。
 いやはや、とんでもないケースが世の中にはあるものですよね。子どもたちの心の闇が、大きくなって手のつけられないほど肥大化して社会に対して復讐する。そんなことにならないよう、温かい目で子どもたちをしっかり受けとめ、抱きしめてやりたいものだと、つくづく思いました。とても勉強になる本なのですが、こんな残酷な現実があるなんて信じられない、信じたくないという気になったのも事実です。でも、とりわけ弁護士にとって必読の本だと思います。
(2010年2月刊。1800円+税)

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