弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2013年9月11日
原発を止めた裁判官
著者 神坂さんの任官拒否を考える会、 出版 現代人文社
3.11の前、画期的な原発運転差止め判決を書いた井戸謙一・元裁判官が講演した内容を本(ブックレット)にしたものです。
著者は私より5歳ほど若いのですが、大学時代には私と同じようにセツルメント活動をしていました。著者はいま彦根で弁護士です。65歳の定年退官前に弁護士生活をスタートするという人生計画を立てていたというのですから、司法当局ににらまれて裁判官を辞めたということではありません。32年間、ひたすら現場で裁判官をしてきた。出身が大阪(堺)なので、常に大阪地裁での仕事を希望してきたが、ついに勤務できなかった。神戸や京都、金沢そして大阪高裁で仕事することは出来たけれど・・・。ただし、金沢と京都では部総括(いわゆる部長)もしているので、決して冷遇されたわけでもない。
裁判官の世界が一番自由闊達だったのは1960年代の半ばくらい。
青法協(青年法律家協会)の裁判官部会には360人の裁判官が加入していた。これはすごい比率であり、人数です。そして、司法反動の嵐のなかで百数十人の裁判官が脱退していく。それでも200人の裁判官が青法協に残った。
全国裁判官懇話会というのが1971年に始まり、議論していた。それも、当初は210人あまりの参加があって、毎年のように開かれていたが、次第に参加者も減り、ついに2007年に解散した。
著者は修習31期。同期の裁判官の結束は固く、配偶者も「奥様同期会」をつくり、「風の便り」という同期会誌を発行していた。
これには驚きましたね。そんなに仲が良くて、交流できていた時代があったとは・・・。だからこそ裁判官懇話会への参加の呼びかけ人になったのが30人をこえたのでしょう・・・。それにしても、すごい人数です。感嘆するほかありません。
勾留請求について、1日1件は却下するくらいの心構えでのぞむべきだと高言していた大阪高裁の裁判官がいた。いやはや、驚くばかりです。
志賀原発2号機の差し止め判決を書いた著者は、福島第一原発事故を受けて、自分の考えが甘かったことを痛感させられた。
第一に、原発の集中立地の恐怖に思い至らなかった。
第二に、使用済み核燃料がこれほど怖いものがという点で、認識を新たにした。
第三に、国家というものは、こんなに国民を守らないのかということ。
裁判所は、これまで、原発裁判について、専門家の判断に異議を唱える決断ができなかった。
この点は、私のもよく分かります。国の判断にタテついたときの反動が、裁判官だって怖いのです。表面上はともかく、内心はヒヤヒヤしているのです。だから、そんな裁判官を励まし、安心させてやる必要がどうしてもあります。それが大衆的裁判闘争の狙うところです。
今では、裁判所内での露骨な人事差別はほとんどなくなった。しかし、それは差別的な人事をする必要がなくなっているということでもある。裁判官の自主的な集まりというものが、ほとんどなくなっている。
個性豊かな裁判官が裁判所のなかにいないし、いづらくなっている。
上司におべっかを使うような裁判官は実は出世しない。物腰が穏やかで、人当たりがよくて、発想はリベラル。若いころには裁判官懇話会にも参加したような人こそ出世していく。問題が生じたときに柔軟に対応できるだけの人柄の良さ、そして枠を踏み外さない。そんな人が出世していく。
たしかに、私の知る限りでも、そう言えると思います。
著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。今後とものご活躍を祈念します。
(2013年8月刊。900円+税)
2013年9月 8日
法服の王国(下)
著者 黒木 亮 、 出版 産経新聞出版
読みすすめているうちに、思わず背筋を伸ばしてしまいました。それほど緊張感にあふれる裁判所の内外の動きがつぶさに再現されています。最大の魅力は弓削晃太郎として登場する矢口洪一にあります。
青法協を目の敵にして血も涙もない司法反動の権化と思われていた(私も、もちろん、そう思っていました)矢口洪一が、実は最晩年に、青法協裁判官部会の後身にあたる裁判官懇話会に出席して講話したのでした。この内容は判例時報で紹介されました。
この本の末尾にある参考文献は、司法反動の実態、そして司法改革とは何だったのかを知るためには欠かせない本ばかりです。司法界と無縁だった(と思われる)著者がこれだけの本を読み込んで、小説に仕立て上げた筆力には驚嘆します。
裁判官の内情をさらけ出す小説として『お眠りの私の魂』(朔立木、光文社文庫)はショッキングでした。
もちろん日本裁判官ネットワークの本も紹介されています。
じん肺訴訟については、福岡の小宮学弁護士の『筑豊じん肺訴訟』(海鳥舎)が紹介されています。
しかし、なんといってもすごいのは、原発訴訟を一貫して取りあげているところです。この点については海渡雄一弁護士は実名で登場していますし、最新作である『原発と裁判官』(朝日新聞出版)も踏まえているところが、すごいと思いました。
つまり、裁判官も人の子。行政にタテつく判決を書くのは、とても勇気のいることなのです。これから出世できないのではないか・・・。夜も眠れないほど悩むのです。
実名と仮名で多くの裁判官が登場する、とても刺激的な本です。司法反動そして司法改革を知りたいあなたに、必読の本です。
(2013年7月刊。1800円+税)
2013年9月 6日
日本の最高裁を解剖する
著者 ディヴィッド・S・ロー 、 出版 現代人文社
日本の最高裁判所について、多くの裁判官は「サイコー」と呼びます。若いときの私は、それを聞くと、いつも心の中で「サイテーじゃないか」と、あざけっていました。
ところが、今では、高裁のほうがむしろ「サイテー」で、かえって最高裁のほうが積極判断を示すことがあるようになりました。司法反動のとき、裁判官統制がききすぎるようになって、「ヒラメ裁判官」(上ばかり見て、保身か立身出世しか考えない裁判官のこと)ばかりになってしまって、むしろ上に立つ裁判官のほうがやきもきして焦っているという構図が成立していると言われるようになりました。今や、その傾向はますます強くなっている気がします。たまに覇気のある元気な裁判官にあたると、ほっとします。
アメリカの学者が、日本の最高裁をインタビューもふくめて分析した本です。
日本は積極的に実現するに値する憲法に恵まれている。日本国民は世界で最古の部類に属するが、にもかかわらず、最先端の憲法を有している。
日本国憲法は、制定して66年になるが、ほとんど陳腐化していない。日本国憲法はそれが施行された当時、かなり先進的なものだったが、今でも世界に立憲主義の主流にしっかりとどまっている。
改憲を意図する保守派は、外国からの押しつけ憲法と特徴づけることで、その正当性を掘り崩そうとしてきた。しかし、反動的な政治家に憲法を押しつけることと、日本国民に憲法を押しつけることには重要な相違点がある。
アメリカ人の学者である著者は、このように日本国憲法を高く評価し、改憲派を厳しく批判しています。最高裁判所が1947年に発足してから、違憲無効として法令は、わずか8件のみ。ドイツの連邦憲法裁判所は600件以上の法律を違憲無効としている。
司法部は一群のエリートの幹部裁判官に牛耳られている。彼らは最高裁長官を含む重要な司法行政ポストに就き、強大な権限を行使して、自分たちの好む見解を司法部の隅々まで常に押し通すころができる。
彼らが統一性と継続性を達成するために用いる官僚機構は、保守的な政治のルールを保守的な司法部の行動へ常に忠実に翻訳してきた。
裁判官の再任審査を外部に対して透明化するために設置された下級裁判所裁判官指名諮問委員会は、任命過程をとりまく透明性を向上させることにはつながらなかった。委員会の議事要旨をみても、委員会の議論の中味はわからない。委員は政府のために働いている。
日弁連から選ばれた委員は、委員会にとっての厄介者だった。弁護士からの任官が目立って拒否されている。弁護士が司法部左派であるのは広く知られているので、弁護士任官に司法部が難色を示すのは、法廷のイデオロギー的バランスからみても当然のことかもしれない。
青法協から脱会した裁判官のなかには、その後、順調なキャリアを重ねた者も多くいる。そのなかの一人の町田顕は最高裁長官にまでのぼりつめた。
もっとも有力な司法官僚は最高裁人事局長である。事務総局は、より人気のある任地を特定の裁判官に割りあてている。人事局長ポストは、現役局長がたいてい自分の後継者を指名する。
日本の最高裁について、かなり踏み込んでインタビューし、分析している面白い本です。
(2013年6月刊。1900円+税)
炎暑の夏がようやく終わったようです。お盆過ぎから大雨が続いていたせいか蝉の鳴き声もぱったり止んでいましたが、ツクツクボースが鳴きはじめました。一気に秋の気配となりました。芙蓉のピンクの花が咲き、彼岸花も見かけます。車中にある温度計も19度を表示したり、8月の36度の表示が表示が嘘のようです。
季節の変わり目です。みなさん、風邪などひかないようにしましょう。
2013年9月 3日
憲法の創造力
著者 木村 草太 、 出版 NHK出版新書
憲法学会の若き俊英が世に問う、ラディカルで実践的な憲法入門書。これは本のオビにあるキャッチ・フレーズです。そうならば、手にとって読まざるをえません。
実りある憲法論のためには、何より想像力が重要である。
そうなんです。条文(案)に何と書いてあるか、それがどういう意味なのかを知るためには、想像力が重要なのです。
卒業式で、君が代を斉唱させ、日の丸掲揚を義務づけ、それに反する教員を処分する。これは、まさしく憲法問題である。
著者は、次のように指摘します。そもそも、校長が式典での所作について命令を出すというのは、いかにも強権的である。冷めた目で見てみれば、「歌をうたえ」という職務命令が出ること自体が滑稽ですらあろう。たとえば、教員に対し、「入学式では、ちゃんと『ビューティフル・サンデー』をうたえ」という職務命令を出したり、歌わない教員に戒告処分や減給処分を科したりする学校があったら、多くの人は「変な学校だなあ」と思うのではないか。「ビューティフル・サンデーを歌わなかったこと」を理由とした懲戒免職など、もはやコントの域である。
まったくもって、そのとおりです。学校を世界の常識が通用しない場にしてはいけません。それでは、何より子どもたちが可哀想です。
生存権の保障というのは「フツー」の人の支持を「自然に」集められる政策ではない。貧困とは縁のない(と思っている)人々は、国家財政は、救貧施策ではなく、もっと文化的なものや、景気を刺激する政策に使ってほしい、と考えるかもしれない。また、勤労の才能に恵まれた「フツー」の人から見れば、生活保護受給の中には、「怠けている」ように見える人もいるだろう。
しかし、個人の尊重という規範を貫くためには、生存権保障という「不自然」きわまる制度の意義を「フツー」の人々に十分に理解できるように説明できなくてはならない。
憲法25条1項は、制度の現状を調査し、そこで何が行われているかに想像力を働かせ、改善のための想像力を発揮することを求めている。
「最低限度」の生活に何が必要かを真剣に検討し、社会住宅の提供やコミュニティー形成への援助の重要性を憲法教育の現場で教えられていたら、政治や行政の現場も今とは違う状況になっていたかもしれない。
ちょっと冷静に考えてほしい。休日に政治的行為をする人は、仕事でも政治的に偏ったことをするはずだという信念は、不合理な偏見にすぎない。私も、全く同感です。
憲法9条は、日本国の非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求しているということである。
日本が非武装を選択できる世界の創造は、終わりがないと思えるほど途方もない仕事かもしれない。しかし、これは世代をこえて受け継がれなければならない仕事である。
まだ30代前半の若きケンポー学者の指摘には本当に鋭いものがありました。
多くの人に、とりわけ若い人に読んでほしい憲法の本です。
(2013年7月刊。780円+税)
2013年8月30日
弁護士の仕事術Ⅱ
著者 藤井 篤 、 出版 日本加除出版
弁護士が仕事をするにあたって必須のことが縦横無尽に語り尽くされています。著者よりは少しだけ先輩になる私にも大変役に立つ内容です。もちろん、若手・中堅弁護士には大いに活用・実践してほしいものばかりです。
忘れないうちに書いておきますと、私が早速とりいれようと思ったのは、交渉事件について、当初の委任契約書において、数ヶ月という期限を切っておくべきだという指摘です。これは本当にそうしたらよかったと思いました。
ヤミ金からの取り立て防止の案件、また消滅時効を主張する案件では、せいぜい1~2ヶ月がヤマで、あとはまず動きがありません。だから、3~6ヶ月で動きがなかったら、事件は終了したものとみなすという条項を付しておいたら、安心して既済事件として処理することができるのです。これまで、私はその条項がないばかりに、1年も2年もたって、みなし既済としていました。
この本は、東京二弁のフロンティア基金法律事務所の初代所長を8年もつとめた著者による、若手弁護士育成の経験をふまえたマニュアルを集大成したものですから、とにかく、明日と言わず今日からすぐ使える実践的な内容です。
「正義を分からせたい」と主張する請求は、よくない。
「とれたお金は全部、弁護士にやってよい。全額寄付する」という言葉を、額面どおりに受けとってはいけない。
本当に、そのとおりです。私も、何度、このようなセリフを聞かされたことでしょうか・・・。そんなことを言う人は、決して信用してはいけないことを何度も身にしみました。
自分がやれそうもなかったら、他の弁護士を紹介する。
そうなんです。私は、出張仕事は受けないことにしています。その地の弁護士を紹介するのです。同じように、私の活動する地域で起きた事件でしたら、全国各地の弁護士から紹介してもらっています。このようにして、弁護士からの紹介が3割あるという一般統計もあるくらいです。
必要もないのに依頼者の家や会社に出かけない。仕事の話は法律事務所でするのが基本。依頼者に弁護士を自宅や会社に呼びつけて何かやってもらう。この「悪習」を作らないのは大切なこと。対等の関係をあくまで維持する必要があります。安くみられてはいけません。
また、依頼者を電話で説得しようとするのもいけない。説得は、直接、面談してすべきもの。そして、それも1時間以内にとどめる。そのときに説得できなければ、しばらくあいだをあけて、次回に続行する。
裁判の報告はA4版ペーパーで1枚くらいで簡潔にする。電話ですまさない方がいい。私は、メールやFAXは使いません。なぜなら、郵便で依頼者に届くまでに、そして、その返事が来るまでに別の仕事ができるからです。メールやFAXだと、あまりに早く応答が来てしまい、他の仕事にとりかかれません。なんでも早ければいいというものではありません。時間を考えた優先順位というものがあるのです。
うんうん、そうだよね・・・と、何度もうなずきながら読みすすめていきました。
7冊シリーズの2冊目の本です。本になる前から、このマニュアルの存在を知っていました。多くの弁護士の共有財産にしたい内容が満載です。
(2013年7月刊。2200円+税)
2013年8月27日
原発と裁判官
著者 磯村健太郎・山口栄二 、 出版 朝日新聞出版
3.11原発事故について、東京電力の社長連中は不起訴で終わりそうです。とんでもないことではないでしょうか。東電の社長が未必の故意による殺人、少なくとも業務上過失致死傷で起訴されないというのでは、日本の検察庁も口ほどのこともない、大した能力のある組織ではないということです。2年以上たって、やおら不起訴を決めるという手法にも腹が立ちます。もう、みんな忘れているだろうということです。だって、今では原発再稼働どころか、日本の原発を海外へ輸出しようというのですからね。開いた口がふさがらないとはこのことです。
原発輸出を口にしている人には、家族ともども福島に、原発のすぐ近くに移住する気持ちがあるのですか、と問いただしたいと思います。今でも15万人もの人々が住み慣れた故郷に戻れず、仮設住宅に住まざるをえない現実をどう考えているのでしょうか・・・。
原発の危険さは、3.11の前には裁判所ではほとんど無視されてしまいました。でも、危ないと言った裁判所も二つだけはあったのですね。偉いものです。先見の明がありました。でも、そんな判決を書くのには、よほどの勇気が必要だったようです。
そして、原発の危険性を否定した裁判官は反省の弁を語ります。
私が原発訴訟を担当したとき、全電源の喪失はまったく頭になかった。裁判官時代の私には、原発への関心や認識に甘さがあったかと思う。国の審査指針は専門家が集まってつくったのだから、司法としては、見逃すことのできない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重する。
私が裁判長をしていたとき、なんで住民はそんなことを恐れているんだ、気にするのはおかしいだろうと思っていた。
原発事故ではヒューマンエラーが重なっていることが分かった。そんなことが起こるとは思っていなかった。
原発は、テロの攻撃対象にもなりうる。
東電の従業員の誠実さを信頼してよいと思った。しかし、会社ぐるみの不正が次々と明らかになった。原発のデータ隠しが露見したのを見て、実態はこんなにだめな組織だったのかと驚いた。
国家の意思にそぐわない判決を出すと、自分の処遇にどういうかたちで返ってくるだろうか。そのように考えるのは組織人として自然なこと。だから、無難な結論ですませておいたほうがいいかな、そう思うことが十分ありうる。
行政を負かせる判決は、ある程度のプレッシャーになる。
裁判官のホンネを知ることのできる本です。
(2013年3月刊。1300円+税)
2013年8月24日
自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!
著者 小林節・伊藤真 、 出版 合同出版
改憲派の小林節氏と護憲派の伊藤真氏。改憲には意見を異にする点もあるが、立憲主義を否定する自民党の改憲草案への批評では、意気投合!
このオビに欠かれた文章のとおり、不思議なほど、小林教授と伊藤弁護士は共鳴しあいます。まあ、それほど自民党の改憲草案はひどすぎるというわけです。
問題は、この自民党の改憲草案のひどさが国民全体のものにまだなっていないところにあります。では、どこが、どんなにひどいのか・・・。
自民党も、決して日本をダメにしようとか、悪い国にしようと思っているわけではないだろう。しかし、自分たちが考えているような、いい国をつくりたい。それに邪魔になるものは排除する。国民はそれに従わせようという感じがする。
民主主義というよりエリート支配。ところが、実はエリートでも何でもない人が自分たちはエリートだと思い込み、自分たちがうまくやるから、みんな黙っていろと言っている。そんな感じを受ける。
自民党の改憲草案の起草委員会のメンバーである片山さつきはツイッターで次のように言った。
「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論はやめよう。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて、国を維持するには自分に何ができるかを、みなで考えるような前文にした」
おそろしい発言だ(小林節)。別の自民党の議員は、日本の主権は国民ではなくて、歴史や伝統にあると言い切った。
自民党の改憲派の議員は教養がないから、ほんとに自由だ。恥というものを知らない。自分にも弱さがあるし、間違いも犯すという発想がまったくない。
自民党の改憲草案9条の2の第3項は、致命的にダメ。海外派兵の条件を法律(国会)にゆだねてしまっている。急ぐときには、国会の承認なしにも海外派兵するということ。
軍隊は間違うことがないから大丈夫。自分たちは間違えないから大丈夫だ、という発想が自民党改憲草案にはある。
人権は、誰かから与えられるものではなく、生まれながらにもっているもの。そして、国家権力と人権とは、どっちが上にあるか。人の権利が上にある。
自民党の改憲草案の全文が現行憲法との対比で最後に紹介されています。ぜひ、比較対照してお読みください。日本の政権党である自民党のレベルの低さ、そして傲慢さがよく分かります。こんな憲法改正は絶対に許してはなりません。
(2013年3月刊。1300円+税)
2013年8月22日
法服の王国(上)
著者 黒木 亮 、 出版 産経新聞出版
久し振りに司法改革の前夜の暗黒面を生々しく思い起こしました。
この本でははっきり書かれていませんが、私が司法修習生になったころ(40年前のことです)は、合格者の身辺を公安調査庁の調査官が聞き込みに動きました。前職のある人は、その勤め先、私のような学生上がりだと下宿先の大家さんをふくめて周辺を訊いて回るのです。狙いは、要するに思想チェックです。合格者は500人ほどでしたので、やろうと思えばやれたわけです。そして、その調査結果は研修所の裁判教官にそれとなく伝えられていたようなのです。任官をすすめるかどうかという点で教官の心覚えに欠かせない資料となっていました。この点は、私自身が体験したことです。任官志望など、考えてもいませんでしたから、差別されたなんて思いませんでしたが、ああ、ここまでやっているのかと思いました。私は、学生運動していたわけではありません(少なくとも、本人は・・・)。ただ、セツルメントという学生サークルに所属していたというだけです。それでも、当時、有名だった三菱樹脂事件の高野さんが大学生協の活動家だったことで採用拒否されたのと重ねあわせて考えていました。
この本では、そんな私より4年も前の修習22期生で裁判官になった人たちの人生が語られてスタートします。
青法協(青年法律家協会)の活動が盛んでしたから、元気なモノ言う修習生があふれるようにいた時代です。22期生だとクラスの過半数が青法協の会員だったと聞いています。私のときでも、3分の1は会員でした。ですから、活動はいつだって、おおっぴらにやっていました。クラス毎の新聞も日刊のように発行していました。まだガリ版印刷でした。私もガリ切りしていました。セツルメント活動で日常的にやっていましたので、日刊のクラス通信なんて、軽いものです。2年間、それなりの給料をもらって勉強だけしていればいいのですから、こんなに幸せな環境はありません。私が国選刑事弁護を今もいとわずにやっているのは、若いころに税金で勉強させてもらった恩返しと思っているからです。今のように貸与制だと、そうはいかないでしょうね。
立法府(国会)にケチくさい、自分のことしか考えない議員が増えたことによる重大な誤りが、ここにもあります。
主人公の一人、裁判官なる村木は、憲法の精神を護るという使命感に燃えて修習生になったから、すぐに青年法律家協会に加入し、勉強会などに積極的に参加した。
私も青法協の活動には積極的に参加しました。富士山の裾野に自衛隊の演習場があります。忍野(おしの)村です。逆さ富士でも有名な絶景の地です。そこで、自衛隊が実弾演習するというのです。先日、富士山は世界遺産に登録されましたが、その裾野では、日米両軍が実弾射撃を今もしています。そんなキナ臭い場所に使うなんて、即刻、辞めてほしいと思いますが、マスコミは口をつぐんで報道しません。
青法協主宰の勉強会といえば、四日市大気汚染公害判決が出たばかりでしたので、当時はまだ現職裁判官だった江田五月・元参議院議長を講師として招いたものもありました。
元気のいいモノ言う裁判官も多かったので、大阪地裁では裁判官会議が実質的な議論をしていて、いろんなことが裁決で決められていました。上意下達の場ではなかったのです。しかし、そこに弾圧の手が及んできます。それに反抗する裁判官は、人事異動で地方(支部)へはじき飛ばされてしまうのです。逆にいうと、支部に気骨のある裁判官がいるようになりました。
昭和40年(1971年)3月、宮本康昭裁判官(13期)が再任を拒否され、23期の阪口徳雄修習生が修習終了式を騒がしたとして罷免された。いずれも石田和外長官のときのこと。自民党タカ派の言いなりに最高裁は動いていました。
明るく、自由闊達な裁判所の雰囲気が暗転しました。配達証明つきで退会届を青法協に送ってくる裁判官が続出したのでした。少し前の町田顕・最高裁判官もその一人でした。
この本は、「小説・裁判官」となっていますので、主人公などは仮名ですが、もはや歴史上の人物は実名で登場しますので、その生々しさは言うことありません。下巻が楽しみです。
(2013年7月刊。1800円+税)
2013年8月20日
漫画裁判傍聴記
著者 岡本まーこ・にしかわたく 、 出版 かもがわ出版
法廷ライター、まーこは見た!
こんなサブ・タイトルのついたシリアスなマンガ本です。
いえいえ、マンガ本だからといってバカにはできません。写真撮影が禁止されている法廷の状況をリアルに再現してくれています。そして、実際に傍聴した裁判を通じて、この世(社会)の不条理さを著者の「まーこ」は痛感するのです。弁護士生活40年になる私も、まったく同感だと深々とうなずきました。裁判傍聴を始めて3年、この本が2冊目のようです。
悪逆非道のレイプ魔裁判を傍聴します。もちろん、強姦犯人なんて許せません。私も同じです。ところが、裁かれる被告人は、「どこにもいそうな、冴えない42歳」の男性。
レイプに興味をもったのは、「男らしくありたかったから」。男として、女性に対して性的に満足させる自信がもてなかった。それで、レイプというシチュエーションなら、「相手にどう思われるか」を気にせずすむんじゃないかと思ったという。被告人に対する判決は懲役13年。「妥当なところ」。
「男らしく」「女らしく」と「性」にとらわれる「男をこじらせた男」「女をこじらせた女」が少なくない。犯罪をおかす人間と、犯さない人間。その境界線は思いのほかあいまいなのではないか・・・。
そうなんです。私は、最後の一文にとても共感を覚えました。だから、悪いことをしたやつは死刑か社会から隔離すればいい、という短絡的としか思えない世間の反応にはすごく抵抗があります。
めったにありませんが、たまに状況証拠からみて有罪間違いなしなのに、被告人が否認し、弁護人にも否認の弁論を求める人がいます。そんなとき、弁護人として悩むのか・・・。
いえ、私はまったく悩みません。被告人の求めるとおり無罪弁論をします。検察官の主張する事実と論理に、どこか穴が開いていないか、記録を精査して弁論を組み立てます。そして、もちろん、そんなケースでは必ず有罪になります。私は、一審弁護人として最善を尽くし、次の二審弁護人に引き継ぐだけです。
弁護人は、被告人の「最良の友」として、その言いたいことを最大限に主張し、弁論するのが憲法上の役目なのです。ですから、場合によっては矛盾だらけの主張(弁論)をすることも当然あります。マスコミなどから、何も分かっていない弁護人だと叩かれても仕方がありません。弁護人が第二の検察官となって被告人を指弾するようなことがあってはならないのです。
オビにある次の文句に座布団一枚あげたい心境です。
芝居のようであり、格闘技のようであり、でも、どんな舞台よりもリアル。これが興奮しないわけがない。
さあ、あなたも一度裁判傍聴してみてください。きっと得られるものがありますよ。
(2013年7月刊。1600円+税)
日曜日の夕方、猛暑が少しやわらいだのをみはからって久しぶりに庭に出ました。
ブルーベリーの実がなっていました。早速、食後のデザートにいただきました。店頭に並んでいるのより少しだけ小粒ですが、味の方は負けません。
庭の伸び放題の草花を刈り取って、すっきりさっぱりさせました。今年はあまりの暑さにヒマワリ畑にはなりませんでした。
意外なことに、今ごろ赤いクレマチスの花が咲いて咲いていました。
もう少し暑さがやわらがないと、ガーデニングは無理ですよね。水分補給しながらの作業でした。
2013年8月11日
正義のセ(その1)
著者 阿川 佐和子 、 出版 角川書店
豆腐屋の娘、25歳・独身が検察官になった・・・。
あのアガワの小説です。しかも、独身女性検事が主人公とあっては、読まないわけにはいきません。
私はじつは、アガワのエッセイをいくつも読んでいますが、小説は初めてでした。「ウメ子」とか、いろいろ賞をとった小説があることも初めて知りました。
アガワのお父さんの本はいつも驚嘆しながら読んでいましたが、司法界に挑戦するアガワの小説はどれほどのものなのか、まずはお手並み拝見、というくらいの軽い気持ちで読みはじめたのでした。ところが、意外や意外(実は、小説だから当然のことです・・・)、とてもすんなり感情移入して読みやすいのです。またたくまに、主人公の独身女性検事に、「そんなことをしてはいけないだろう」というツッコミをいれながら、読みふけっている自分を発見してしまったのでした・・・。
検察官ですから、コロシもありますし、取調べにおける「犯人」(被疑者)との微妙な駆け引きも求められます。
ところが、デビュタン(初心者)は、ベテランにもがわれる(可愛がられる)のです。これはどこの世界でも同じですよね。
取調べのとき、被疑者にからかわれ、憤然として怒鳴りちらし、泣き叫んでしまう主人公に、つい同情してしまいます。実際のところは知りませんが、ありそうな展開です。
まだ1巻を読んだだけですが、次なる展開が待ち遠しい第一巻ではありました。
(2013年2月刊。1200円+税)