弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2009年1月29日

プロが語る企業再生ドラマ

著者:清水 直、 発行:銀行研修社

 多くの倒産企業の再建を手がけた超ベテラン弁護士の本ですので、大変味わい深いものがある本です。なるほどなあ・・・と、何度も感心させられたことでした。
 オーナー型経営者は、おしなべて自信過剰であり、猜疑心も強く、まわりの者の意見を素直に聞かない。七転び八起きしながら、一代で企業を創業し、発展させて来ただけに、「まだ、やれる」「なんとかなる」と思い込み、差押、競売などの窮迫な状態に追い込まれても、なお、自分の企業は自分のものだと執着し、容易に企業再生ないし清算などの法的手段をとることを決断しない。
 企業再建事件の処理にあたっては、法律論を振りかざす弁護士は有害無益である。
 会社が立派な本社ビルを建てたとき、社長が豪華な自宅を建てたときは要注意である。なぜなら、本社も自宅もお金を生まない代物だから。財を創出しない本社や自宅は、急いで建てるものではない。ところが、経営者は、ちょっと調子がよくなると、本社をきれいにしたがる。
 ペット同居型マンションをつくった経営者は、利用申込者の面接にペットの同伴も義務づけている。そのオーナーは次のように語った。
「人間を見てもダメ。ペットを見なければいけない。ペットと二言、三言、話すと、そのペットが日頃どんなしつけを受けているか、たちどころに分かる。面接してこれはしつけがダメだと分かれば断る」
 なーるほど、そうですよね。人間の子どもを見たら、親も分かりますからね。
 企業の再生を担う者は、法律家としての倫理観と法的知識を有することが最低の必要条件である。いかにして企業を再生するかについて経営的、会計的教養も必要とされるが、何より大切なことは、企業再生に対する熱意と創意工夫する姿勢。そして関係者を喜んで協力させるシステムをいかに構築するかについて、人間味をもって日々考えることである。
 再建途上の会社は、ともすれば、暗い雰囲気になりがちだ。そこで、管理人補佐には40代後半から50代後半のおおらかな明るい性格の方が適任である。
マスコミの報道が、再生手段にプラスの方向で作用してくれることは、まずない。だから、企業再生にあたっては、できるだけ「そっとしておいてくれ」と言いたくなる。
 倒産事件は、どんなに小さな事件でも、関係者の忿懣を真摯に受けとめ、その人々のはけ口を見出すべきだ。
 債務者に関する情報は可能な限り開示する、債権者には「知らしむべし」、「寄らしむべし」である。
 企業再生と弁護士の果たすべき役割について、大いに役に立つ本です。
 先週の土曜日の午後、はげしく雪の降るなか、司法修習生の就職面接を担当しました。弁護士過疎解消のための弁護士会の取り組みに共鳴した人たちのなかから選定するための面接です。応募してきた人たちは、いずれも熱意あふれていて、面接の受け答えも素晴らしいもので、どうやってしぼるか悩まされました。ちなみに面接方法は集団面接で、一度に4人の人に対して質問し、こたえてもらうやり方をとりました。法律知識のテストではなく、人柄を知るためのものです。
 山田洋次監督のスーパー歌舞伎(映画)を見ました。中村勘三郎など、役者の熱演をアップで見ることができ、感嘆感激してしまいました。フランス語の口頭試問のあまりの不出来に気落ちしていた気分を『らくだ』のみごとなカンカン踊りに爆笑して吹き飛ばし、すっきりした気分で家路に着くことができたのです。いやあ、映画って最高ですよね。
(2008年10月刊。3000円+税)

2008年12月29日

40年のあゆみ


きづかわ共同法律事務所

 大判の絵本スタイルです。表紙の絵は下町の人情味たっぷりの風情をよく描いていて親しみを持たせます。それほど厚くはない(160頁)し、手に取ったら、中をちょっとのぞいてみようかな、という気にさせます。
 そうなんです。本は、表紙、タイトル、それがとても大事なんです。この本はそこでまず優れています。
 さあ、ページを開いてみました。見開き2頁に一つのテーマが基本です。いわば読み切りスタイルです。しかも、写真があり、親しめる大きなマンガカットがあったり、事件関係者の一口コメントがあったり、いろんな工夫がされていて、とても読みやすくなっています。
 おっと、形式ばかりほめていてはお粗末な内容をカバーしているのかという、あらぬ誤解を招きかねません。いえいえ、決してそんなことはありません。読み切りの内容がまた素晴らしいのです。ともかく、弁護士たちの活動分野が実にバラエティーに富んでいるのです。感嘆してしまいました。
 今から20年も前に、少年事件の取り調べに弁護士たちが交代で立ち会ったというのには驚いてしまいました。そんなこと聞いたこともありませんでした(20年前に聞いたのかもしれませんが、すっかり忘れていました)。なりたての弁護士7人が毎日、午前と午後、交替で少年2人の取り調べに立ち会ったというのです。すごいですね。
 労働事件で、解雇通告を受けた労働者が相談に行ったときに弁護士から言われた言葉は……。
「私たちに何をしてほしいのですか。骨を拾えというのではあれば拾います」
 うひゃあ、す、すごいですね。この言葉を聞いて、その労働者は「えらいことに足を踏み入れた」と腹を固めたそうです。
 大阪事件で「肥後もっこす」という言葉が出てくるとは思いませんでした。集団就職で熊本から大阪に出て行って、整理解雇された組合員10人が、解雇無効・地位保全を求めて裁判を起こしたのです。正義感が強く、一度決めたらテコでも動かない。そんな熊本県民気質を反映して、地道な活動を展開していったといいます。お隣の県民がほめられると、私までなんだかいい気分になります。
 大阪の法律事務所なのに、なぜか東京地裁を舞台とした裁判にも果敢に取り組み、大きな成果をあげているそうです。たとえば、株主の信頼を裏切った西武鉄道に対して、株主としての損害賠償請求事件です。アメリカ航路の船長の過労死事件も、東京地裁、高裁の事件です。そして、株主オンブズマン訴訟にも取り組んでいます。すごいですね。
 この法律事務所は、正森成二代議士の出身母体でもありました。田中角栄と国会で堂々と論戦する共産党の正森代議士の歯切れ良い大阪弁の追及は、胸のすく思いがしたものです。540回も国会で質問したとのことですが、本当に惜しい人を亡くしてしまったものです。大変勉強になる冊子でした。

(2008年11月刊。非売品)

2008年12月11日

人が壊れてゆく職場

著者:笹山 尚人、 発行:光文社新書

若者に安定した雇用を保障しないでおいて、「今時の若者には我慢が足らない」なんて言う資格はありません。とりわけ、日本経団連の御手洗会長なんて、まったくもって許し難い存在です。自己保身と自分の取り巻き、そして大株主の利益を守っていたらいいなんていう発想の人物に、日本の将来を語る資格なんてあろうはずがありません。トヨタや日産、そしてイスズなどの自動車産業もそうですよね。
 たしかに、アメリカの金融危機に発した深刻な不況のなかで自動車産業がピンチになっているのは理解できます。それでも、若者の首切りをする前にやるべき企業努力というのがあるのではありませんか。なにより、これまでの貯め込み資産を吐き出し、雇用存続を前提としての知恵と工夫を働かすべきではないでしょうか。
 この本は、若手の労働弁護士の手になる奮闘記ですが、大変、今の若者に役立つ、実践的な内容となっています。
 「管理監督者」とは、経営者に近い立場の実体を有する労働者を指すのであって、「科長」とか「マネージャー」という名前で決まるものではない。「管理職」に祭り上げることによって残業代を払わなくてもよいという会社の取り扱いは、実のところ、残業代を払わないための偽装にすぎない。就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。
 要するに、就業規則の水準に満たない合意は無効なのである。
 裁判は生き物であるから、当初は想定しなかった事情が出現して成り行きが変わっていくことも当然ある。だから、労働者から「不当に解雇されました」と訴えられても、「そうですね。不当ですね」とはうっかり口にすることはできない。慎重に回答せざるを得ない。
 この点は、本当にそうなんです。思わぬ反論が出てくることがあるのが裁判です。
 労働審判は、弁護士にとっても大変使い勝手が良い。
 7割の事件は、申立から3ヶ月以内に話し合い(調停)で事件全体が解決している。
 この本には、労働審判でうまく決着のついた事件が紹介されていて、参考になります。
 録音テープが有効なのか、とくに隠し撮りテープは証拠として使えるか、ということにも触れられています。私も、この本にあるとおり、たとえ相手方の同意のない録音であっても、内容がよれば基本的に証拠としてつかうべきだし、裁判所も採用する(させるべきもの)と考えています。
 著者は、若者たちの非正規雇用をめぐる事件で、弁護士費用がいくらかかるのか、それをどうしたのかについても触れています。たとえば、着手金は実費程度とし、報酬は上げた成果の1割とする、という具合です。
 本当に助けを必要としている労働者を、弁護士の側で拒否することがあってはならない。まったく同感です。
非正規雇用に関わる弁護士の仕事は、実に気持ちがいい。本当に助けを必要としている人の役に立てたという実感があるからだ。そこに非正規雇用の権利問題に取り組む醍醐味がある。
 いやあ、実にそのとおりです。著者には引き続き、大いにがんばってほしいと思います。といっても、先日の相談のとき、まずは自分でやれることをやってから来て下さい、と言ってお引き取り願ったことはありました。なんでも弁護士に任せてしまえば安心だという姿勢でも困るのです。弁護士と一緒になって取り組み、なんとかいい方向で解決を図りたい。そんな若者であれば、私も協力を惜しみません。
 先週、日比谷公園を歩きました。大きな銀杏の木が黄色く輝いていて、つい見とれてしまいました。ところが、あいにくの強風で、黄金の葉が舞い上がります。桐一葉、落ちて天下の秋を知る。ではありませんが、銀杏の木の葉が風で舞うのを見て、秋の終わりを実感しました。銀杏の木のなかに一本だけ緑の濃い葉をつけたものがあり、銀杏でも種類が違うのかなと友人と話したことでした。絵を描いている友人は銀杏の黄色をカンバスに描き出すのはとても難しいという話をしてくれました。それでも、静かに絵を描く時間を持つと、とても心が休まるだろうと思いました。
 翌朝、福岡に帰ると雪が降っていました。いよいよ冬突入です。
(2008年9月刊。760円+税)

2008年12月 7日

なぜ弁護士はウラを即座に見抜けるのか?

著者:佐伯 照道、 発行:経済界アステ新書

 とても刺激的なタイトルのついた本です。大阪の佐伯弁護士は、柔和な見かけによらず、かなりの豪傑です。なにしろ、事務所に押しかけて来た2人組がフトコロにピストルを隠し持っているのに気がついても、ひるまず柔らかい会話を30分間し続けて、2人組の戦意を喪失させ、早々と退散させてしまいました。帰る途中で、2人組はピストルを試射して前を行く通行人をケガさせ、たまたま目の前にあった警察署によって現行犯逮捕されたというのです。これは並みの弁護士には、とても真似のできない話です。
 佐伯弁護士は、妥当な解決、あるべき姿、望ましい結果とは何かを考え、そこから「では、どうするか」を発想する。観念上の理想は追わないが、現実的な理想は希求するのだ。
 相手が大声で威嚇するときに、自分も負けじと声を荒げたりするのは得策ではない。挑発するような言葉や態度は慎む。怒らせないように、暴れさせないように、静かに、ぼそぼそと、言うべきことを言い、主張する。それで十分なのだ。うむむ、なーるほど、ですね。
 暴力団の事務所へも佐伯弁護士は一人で出かけました。私も、30年も前のことになりますが、地元の暴力団組長宅に行ったことがあります。怖いものですから、先輩弁護士に頼んで同行してもらうことにして、二人で行きました。玄関には虎の剥製が置いてあり、見るからにヤクザという若者が応対してくれました。お茶を運んできた女性は、いかにもアネゴ肌で、いやあヤクザ映画そのままなんだと感心してしまったことでした。その人は今やれっきとした市会議員で、公共事業を裏で取り仕切っていて、影の土木部長と呼ばれています。
 脅そうとして、まったく通用しなかった佐伯弁護士に対して、暴力団の組員は内心は強い敗北感を持っていた。夜、自宅前で二人組の男が嫌がらせのために張り番をしている。そこに帰って来ると、佐伯弁護士は「御苦労さん」と声をかけたというのです。
 ぼそぼそと言う。決して挑発するようなことは言わない。絶対に大きな声は出さない。帰ってくれ、とも言わない。何をしてくれ、とも言わない。ともかく淡々と、「お互いの不利益になることはしないようにしよう」と呼びかける。
破産管財人となって在庫一掃セールをやったとき、2億2000万円もの現金を紙袋に入れ、両手にぶらさげて帰って来た。22キロの重さだった。うひょう、私も一度は持ってみたいものです。
 弁護士のスキル・アップに大変役に立つ、しかも面白い本です。ありがとうございました。ぜひ、引き続きご活躍いただき、ご指導いただきますよう、お願いします。

(2008年12月刊。800円+税)

2008年11月23日

気骨の判決

著者:清永 聡、 発行:新潮新書

 いやあ、恥ずかしながら、ちっとも知りませんでした。年間500冊の単行本を読んで、それなりに物識りを自負している私ですが、私のまったく知らないことを私より2回りも若い著者に発掘されてしまうと、なんとしたうぬぼれを抱いていたことかと、耳の先まで赤く恥ずかしくなってしまいます。
 東条英機の恫喝にもめげず、大政翼賛会一色に塗りつぶそうとした選挙の無効を宣言する判決を大審院が下していたのです。すごいことですよね。軍部や右翼の暴力と圧力を跳ね返して鹿児島での現地審理を実現し、200人近い証人を調べ、直後に警視総監となった県知事まで証人喚問して追及したというのです。よほどの信念ある裁判官でなければできませんよね。しかも、選挙無効にする条文は、極めて形式的条項しかなかったのに、その趣旨に照らして無効としたのですからね。偉いものです。
 昭和17年4月に衆議院の総選挙が実施された。立候補者1079人は普通選挙が始まって以来、もっとも多かった。大政翼賛会の推薦する候補者が、そのうち466人。残る6割613人は非推薦だった。非推薦の政治家には、片山哲、鳩山一郎、芦田均、三木武夫という4人の戦後の総理(首相)が含まれている。ほかにも、尾崎行雄、中野正剛、赤尾敏、笹川良一、一松定吉、西尾末広、犬養健など多士済々だ。特定のイデオロギーを持つ人物ということではなく、政府に反発し、議会を活性化しかねない人間が排除された。
 そして、推薦候補には、国庫(臨時軍事費)から1人あたり5000円の選挙費用が支給された。非推薦候補者は、対立候補と戦うというより、政府によって組織された妨害を受けて困難な選挙戦をすすめざるをえなかった。露骨な演説会の妨害、投票妨害があった。投票率は83%で、前回より10%増。推薦候補の当選率は8割。非推薦候補も85人が当選した。多くの非推薦候補が落選させられた。
 そこで、鹿児島2区から立候補して落選した冨吉栄二は東京の弁護士を代理人に立てて大審院に対して選挙無効の裁判を起こした。事件は大審院の第3民事部に係属した。部長は当時57歳だった吉田久判事。苦労して中央大学を卒業して判事になった経歴を持つ。
吉田部長は部下である4人の裁判官を引き連れて鹿児島まで出向いて、出張尋問を実施した。このとき、吉田判事は、わたしは、死んでもいいという覚悟を決め、遺書まで書いていた。鹿児島で証人200人を調べたなかには官選知事であった鹿児島県知事もふくまれている。
このころ東条英機首相は、首相官邸で全国の裁判官を前に恫喝する大演説をぶった。
 戦争勝利なくて司法権の独立もあり得ない。戦争遂行上に大きな支障を与えるようなことがあれば、緊急措置を講じざるを得ない。
 大審院長も同じような考えであった。そんななかで、昭和20年3月1日、吉田久裁判長は、選挙無効の判決を下した。いやあ、これってすごいですよね。終戦の年の3月ですよ。最近になって、アメリカ軍の空襲のために焼失したと思われていた判決原本が今も現存することが判明したとのことです。このような気骨ある裁判官がいたことを知ると、日本の司法もまだまだ捨てたものじゃないと思わされます。
 いい本でした。著者はNHK記者とのことですが、今後の活躍を大いに期待します。
(2008年8月刊。680円+税)

2008年11月16日

少年院のかたち

著者:毛利 甚八、 発行:現代人文社

 マンガ『家栽の人』は本当によくできています。これが裁判官を取材せずに、まったく想像でつくられた本だなんて、驚きの一語に尽きます。
 僕は小説を書くために雑誌の世界に入った。大学(日大芸術学部文芸科)時代に数編の小説を書いた経緯から、取材する力がなければ職業として数多くの小説を書くことはできないと考えた。
 『家栽の人』は、『家裁少年審判部』(全司法労働組合。大月書店)と少年法を頼りに、前15巻のうちの最初の3巻は、まったく想像によって書いた。僕は主人公の桑田判事に「家族が大切」「子どもの気持ちが大事」という、ひどく古臭いメッセージを、さまざまな言葉に変奏して語らせ続けた。いま振り返ってみると、裁判所を何も知らない人間が描いたにしては、意外によくできていると思う。そして、現実の裁判官などに会って話を聞くと、自分が描いているような裁判官など、どこにも存在しないことがわかった。
 いやあ、そうでもないんじゃないでしょうか・・・。そして、著者は大分の少年院の篤志面接委員になったのです。ウクレレを教えたりしているそうです。すごいですね。
 少年院にいる子どもは、総じて成功体験が少ない。挑戦して失敗するところを他人(ひと)に見られるのが恐ろしい。少年院に来る子どもは隠し事をしてきた。こっそり悪いことをしているので、嘘をつくことから始まる。そこで、この業界の人間は、その点の嗅覚は発達している。
子どもたちは、もともと甘えたいという気持ちが蓄積されている。誰に対しても甘えが出てくる子どもがいる。
 この本の後半は、小説『法務教官・深瀬幸介の件』というものです。財団法人・矯正協会の『刑政』に連載されたそうですが、なかなか良くできています。法務教官の悩み、失敗、そして生き甲斐が語られ、ホロリとし、また考えさせられます。
亡くなった義父は久里浜少年院につとめていました。特別少年院だったので、大変だったようです。事務畑ですが、とても真面目な人でした。そんなこともあって、私は、法務教官とか矯正現場の人たちの日頃の大変な労苦に思わず親近感を覚えます。
 なんでも処罰してしまえばいいという風潮が日本で強まっていますが、本当に困ったことです。もっと社会が温かい心をもって犯罪に走った人に接しないと、日本はますますギスギスした国になってしまいます。
 先日、見知らぬ男性とたまたま路上で論争する機会がありました。その男性は、今の子どもたちはなっとらん。道徳教育が必要だと盛んに息巻いていました。これに対して、私は、子どもは大人社会の反映なんです。もっと大人がゆとりを持って、ゆっくり子どもと接することができるようにならないとダメでしょう。年寄りを差別したり、若者に不安定雇用を押しつけて人生の展望を奪っておきながら、子どもばかりに道徳教育なんかしたって意味はないと反論しました。その男性は、まず大人を変えないといけないということですか……と絶句し、なるほど、そうかもしれないと言って、首をかしげながら帰って行きました。はじめは会話が成り立つか不安でしたが、なんとか成り立ちました。路上といえども、やっぱり話し込むのは大切なんだと実感したことでした。
(2008年7月刊。1700円+税)

2008年11月 8日

ヤメ検

著者:森 功、 発行:新潮社

 ヤメ検という言葉は、「正義の味方」が、「悪の擁護者」へと転落・腐敗したというイメージを伴って語られることが多いのです。いえ、元検察官で今は弁護士として素晴らしい活躍している人が私の身近に何人もいます。ただ、悪徳ヤメ検がごく一部でも生まれると、悪いイメージが拡大再生産して、独り歩きしてしまうのです。
 つい先日も、ヤメ検の弁護士が国選弁護人としての被告人への面会回数を水増ししたということが大きく報道されていました。たかだか数万円から20万円ほどの悪さを働いたわけですが、弁護士全体の社会的評価を著しく下落させてしまいました。 
 ヤメ検弁護士とは、文字通り検事をやめた検察官OBの弁護士の俗称である。昨今話題になった大事件では、必ず大物のヤメ検弁護士が被告人に寄り添い、後ろ盾になっている。
 緒方重威は、仙台と広島の高等検察庁の検事長をつとめた元エリート検事である。公安調査庁の長官もつとめた。その父親は、満州国最高検の検事であった。緒方は、若いころ、法務省の営繕課長をつとめた。このポストは目立たないが、全国に影響力がある。
 防衛庁汚職の山田洋行の法律顧問は豊島秀直弁護士。同じく、高松と福岡の高検検事長をつとめた。
 東京高検の検事長をつとめていた則定衛は、検事総長まちがいなしとされていた。ところが、女性スキャンダルを朝日新聞が一面トップで報道したため、辞職せざるを得なかった。そして、この則定弁護士は、サラ金「武富士」の弁護士をし、JALの顧問弁護士として活躍している。
 大物ヤメ検弁護士の報酬は高い。8000万円から1億円するのも珍しくない。
 大阪の加納駿亮弁護士は、大阪府の裏金調査委員会のメンバーとなったが、本人は検察庁の裏金事件の当事者でもあった。最近まで福岡高検の検事長をしていたので、福岡の弁護士にも顔が知られている人です。
 刑事事件専門のヤメ検弁護士は、用心棒のようなもの。
 検察庁をやめたばかりの無名の弁護士が、先輩のヤメ検弁護士から仕事を紹介してもらうことは多い。先輩にしても、山ほどの依頼が来るから、こなしきれない。それを振り分ける。やがて、ヤメ検弁護士が系列化していく。細かい刑事弁護は、若手に任せてしまう。
 この本の主人公の一人、田中森一について、次のように書かれています。
 もはや田中に司法エリートとしての自信は、みじんも感じられない。転落の最大の要因は、他のヤメ検弁護士と同じく、かつて対峙してきた不正との同化だろう。
不正と対決してきたはずの検察庁のトップが、弁護士になったとたんに、その不正の新玉の弁護人として、マスコミに華々しく登場するというのは、やはり異常なように思いますが、いかがでしょうか。
 この本には、そんな異常事態がゴロゴロしていることが、厭になるほど紹介されています。
(2008年9月刊。1500円+税)

2008年11月 6日

加害者は変われるか?

著者:信田さよ子、 発行:筑摩書房

 過去に例を見ない貧困層の発生、不況脱出の掛け声とはうらはらな格差社会の進行。増え続ける子どもの虐待は、そこを行き続ける若者の希望のなさを知らないと、理解不能だ。
 なーるほど、ですね。これって鋭い指摘だと私は思います。でも、日本経団連も、自民・公明の政権も、それでよしとするのです。格差があって何が悪い。格差の存在こそ、社会発展のバネだというのです。先日、新聞を読んでいましたら、アメリカのAIGグループが行き詰まったけれど、その社長の月給は、なんと1億円だったというのです。従業員がどうなろうと知ったことじゃない。社長が毎月1億円もらって何が悪いと開き直っているそうです。ひどい経営者です。でも、今の御手洗・日本経団連は、まさにアメリカ式高給優遇の経営者を目ざしています。許せません。労働者を首切って、食うや食わずの状況に追いやっていながら、自分さえ良ければ、というわけです。アメリカも昔はもう少しましでした。経営者が超高給取りになったのは、この20年ほどの現象なのです。
 言葉も持たず、大切にされた経験もなく、ただただ年齢だけ大人になった人々。お金もなく、暴力以外に人に関わるスキルもなく、親から保護を受けた記憶もない。将来、豊かに暮らせる見通しもなく、目先の消費と快楽しか存在しない。
 子どもの虐待は、これまで、世代間で連鎖すると考えられた。しかし、今では虐待は多くの研究から必ずしも連鎖するわけではないことが明らかになっている。世代連鎖が必ず起きるという強迫観念にとらわれることはない。だから、世代連鎖という言葉は慎重に用いるべきだ、と著者は提唱しています。
 もっとも危険な親は、当事者性を持たない、つまり、虐待しているという自覚のない親たちである。子どもを栄養失調で餓死させた虐待事件の親は、口をそろえて「しつけだった」と弁解する。
子どもを殴っているとき、私を見つめる怯えた目の中に、不意に幼い頃の自分の姿を見てしまうことがある。
これは子どもを虐待していた母親がグループ学習のときに発表した言葉。
悪い夫は、良き父親にはなれない。
DV被害者の妻は、夫を許すものかという怒りと、DV被害者と呼ばないでほしいという。私が夫の被害者だなんて、そんなことは認めたくありません。だって、夫に負けたことになるでしょ。このように主張するのだそうです。
 あまりに暴力がひどいので、110番通報した妻が驚くのは、警察官が駆けつけると「妻はいま精神的に不安定でして、ご迷惑をおかけしました」と穏やかな口調で語る夫の姿だ。このようなDV夫に共通して欠けているものは、妻に対する共感と想像力である。
 痴漢常習者は、スイッチが入ってから、計画し遂行するまでのプロセス自体が快楽なのである。それは決して一瞬の気の迷いなどという刹那的とか一時的なものではない。彼らは電車に乗り込むときから、すでにスイッチが入っている。痴漢常習者は、決して対象のほうを見ていない。指と性器に神経を集中させながら、目は吊広告を見たり、電車の窓外の景色を何気なく見るふりをしている。
 うむむ、なるほど、そうなんですか・・・・・・。
(2008年3月刊。1500円+税)

2008年11月 5日

障害者の権利と法的諸問題

著者:大分県弁護士会、 発行:現代人文社

 10月下旬、別府で開かれたシンポジウムで報告された内容がまとまっている本です。大分県弁護士会はシンポジウムを開いた後に本にするのではなく、その前に本にまとめてシンポジウム当日に発表するのをよき伝統としています。たいしたものです。ただ、シンポジウムでの議論も取り入れたら、もっと素晴らしい本になると私は思います。
 私はシンポジウムの会場でこの本を読みながら、報告とパネリストの発言を聞いていました。障害者自立支援法って、本当にひどい悪法だということをしみじみ実感しました。
 というのも、気持の上でこそ、まだ青年法律家なのですが、現実には還暦を迎えるのもあと1か月あまりに迫ってきているからです。60歳なんて、立派な老人じゃありませんか。
 老人ホームにおいて養護されることは、老人に与えられた権利ではなく、反射的利益にすぎないという判決を今から16年も前に東京高裁の裁判官が出したそうです。その裁判長も、今や、きっと後期高齢者になっているでしょうから、自分の出した判決の誤りを深く反省していることでしょう。誰だって、明日は我が身なのですから。
 憲法25条は、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。ところが、障害者自立支援法は、応益負担制度をとっている。これによると、障害の重い人ほど必要なサービスの量は多くなるので、障害の重い人ほど負担がより大きくなる。
 この法律は、福祉サービスを利用することを「受益」「私益」ととらえ、その利用に対して対価を課している。受益者負担の意味するところは、障害者の自己責任論であって、障害者に対する「差別」にほかならない。障害を持つことを「自己責任」とみなしてしまう。
 そして、応益負担制度は、サービス需要を抑制する有効な装置として機能している。
 「受益者負担」の理論は、本来、社会保障の分野への適用の余地はない。
 この本は、障がい者をめぐる逸失利益についての判例の動向もまとめており、その点も大変に参考となります。
 人間一人の生命の価値を金額ではかるには、障がい者作業所における収入をもって基礎とするのでは、あまりに人間一人(障がい児であろうが、健康児であろうが)の生命の価値をはかる基礎としては低い水準の基礎となり、適切ではない。換言すれば、不法行為によって生命を失われても、その時点で働く能力のない重度の障がい児や重病人であれば、その者の生命の価値をまったく無価値と評価されてしまうことになりかねない。
 施設などのサービスが不足している現状で契約自由の原則を貫徹すると、施設の側が利用者を逆に選択するという心配がある。
 障がい福祉サービス事業全般について、国と地方自治体に整備責任があることを法に明記すべきである。
 応益負担を廃止して、10割給付を実現しなければいけない。今の制度では食べていけるかもしれないけれど、人間らしく生きていくことはできない。たとえば、冠婚葬祭の支出を出す余裕がない。そうすると、交際ができないことになる。それは社会的な孤立化をもたらす。現代日本で餓死者を生み出している原因の一つがこれである。
 自由基底的理論という、私にとっては初めて見る言葉が登場しています。社会保障全般の制度を設計するうえでの根本理念を提供するものだということですが、正直言って、よく分かりませんでした。
 いずれにせよ、障がいのある人々を差別する制度は75歳以上のお年寄りを後期高齢者と勝手に名付けて一くくりにし、保険料を年金から天引きしていくという悪法と同じ発想です。こんなことでは、日本人の老後は安心できません。保険会社に頼るのではなく、国と地方自治体の責任で対処すべき問題です。そのための政治ではありませんか。私は、この本を読んで、ますます今の自公政権の冷たい福祉政策に怒りがわいてきました。プンプンプン。
 連休中にチューリップの球根を植えました。これで400個ほどは植えたと思います。庭のあちこちを掘り返して、整備しなければと思っていますが、一度にはできません。いま、エンゼルストランペットの黄色い花が満艦飾です。これが今年最後の花でしょう。霜が降りると幹から枯れてしまいます。
(2008年11月刊。3200円+税)

2008年10月29日

弁護士を生きる

著者:福岡県弁護士会、 発行:民事法研究会

 新人弁護士へのメッセージというサブタイトルがついています。たしかに、一人でも多くの若手弁護士に読んでほしい内容です。
 まず、オビの文句を紹介します。これは、出版社が作ったキャッチコピーです。
 弁護士とは何なのか!どう生きるべきなのか!多様な生き様から真実の姿が見える。水俣病、ハンセン病、薬害エイズなど、歴史的な事件に弁護士はどう向き合い、涙し、闘ってきたのか!社会の中で、地域の中で、弁護士は市民とどのように向き合い役割を果たすべきか!求められる資質とは!
 ここで語られている内容は、実は5年前に「明日の弁護士を語る」という卓話会でのものです。したがって、数字などが少し古くなっていますし、法科大学院がスタートする前でしたので、少し現実と食い違うところもあります。しかし、そうは言っても、弁護士の仕事そのものがそんなに大きく変わることはありません。いったい弁護士とは何か、どんな仕事をしているのか、そこで何を悩み、考えているのか、仕事上の工夫としてはどんなことが試みられているのか、などなどについて、実に豊富な経験が率直に語られていて、大変勉強になります。
 木梨吉茂弁護士の話によると、今は大変風通しのよいといわれている福岡県弁護士会も、ご多聞にもれず、かつては長老の支配する窮屈なところだったようです。「三元老、五奉行」なるものがいて、どこかで会長以下の役員は決まっていたというのです。最近は、正々堂々と公正な選挙で役員は決まっています。もっとも、日弁連副会長選挙について最近も激烈なものがありました。といっても県弁副会長のほうは、その年代の弁護士に懇願して就任してもらっているという実情があります。
 刑事専門と自他ともに認めてきた徳永賢一弁護士(惜しくも本年6月に亡くなられました)は、なんと27件もの無罪判決を獲得したとのことです。これはすごいです。私は35年で2件のみです。
 いま、九弁連理事長をつとめている大分の徳田靖之弁護士の話は、感動的、の一語に尽きます。
 弁護士の原点は、コソ泥やシャブ中、常習的な覚せい剤使用者などの弁護人だと考えている。正義とか社会的な常識で弁護人が被告人(被疑者)を見たら、およそ彼らは浮かばれない。わずかに残っている、もがきながらも本当は真っ当に生きたいという気持ちの行きどころはない。弁護人こそ、社会の「ゴミ」と言われることの多いこそ泥やシャブ中の最後の付添人であるべきだ。
 徳田弁護士は薬害エイズ裁判を担当して、患者の家を1軒1軒、全部訪問してまわった。そしてハンセン病裁判では、被害救済ではなく、被害回復を求めた。裁判は、原告本人が主人公であるようなものにしなければならない。この提唱は、口で言うのは簡単ですが、実際にやってみると、大変な困難を伴うものです。嘘だと思ったら、ぜひ、やってみてください。
 馬奈木昭雄弁護士はマスコミの活用について、なるほどと思わせることを次のように提唱しています。
 テレビカメラがどこに向くかを予め考えて、その場所にいるようにしている。マスコミに弁護士はもっと出るべきだ。世論に訴えようというときにはマスコミに正しく報道してもらう必要がある。だから、報道してもらえるときにその場を設定するのは、弁護士にとって義務なのである。なーるほど、ですね。
 上田國廣弁護士は、裁判は法廷だけが戦場ではない。法廷外こそ主戦場であると考えて、厚労省前で一生懸命にビラを配ったりした。たすきを掛け、演説もした。そして、被疑者との接見交通権を確立するために、自らが原告となり、多くの弁護士に支えられながら裁判闘争に取り組んで、画期的な勝訴判決を得た。
 春山九州男弁護士は、市民の中での法律相談センターの展開の意義をじゅんじゅんと語ります。今では、天神センターがすっかり定着し、発展しているわけですが、その創設にあたっての苦労については、前田豊弁護士も語っています。
 法律事務所の10倍活性化する法について語っているのは永尾廣久弁護士です。どうやって弁護士は新鮮なやる気を持続させているのか、その工夫の数々が紹介されています。
 同じ工夫という点では、裁判所周辺ではなく、郊外の二日市に事務所を構えた稲村晴夫弁護士の話も大変興味深いものがあります。一人事務所から、今や弁護士7人の大事務所に発展しているのですから、本当にたいしたものです。弱小辺境事務所交流会というのが紹介されています。30年来続いている小さな法律事務所の弁護士と事務員の交流会です。今では参加者は100人をこえていますので、あまり弱小でもありません。今年は筑豊で開かれ、嘉穂劇場での全国座長大会を観劇しました。
 10月に発刊されたばかりのこの本を大分で開かれた九弁連大会で販売しました。幸いにも131冊を売ることができました。本を売るには、マスコミの力を借りるか、自分で現物を持ってまわるしかありません。このときには「キャッチセールスではないか」という非難を浴びながら、春山九州男・前田豊・野田部哲也、そして永尾廣久弁護士たちが福岡県弁護士会の女性職員二人(池尻さんと河野さん)の協力を得て販売につとめたのでした。押し売りと感じた方には、お詫びします。といっても、大会の最中に読了したという弁護士が何人もいて、「面白かったよ」と声をかけていただきました。いえ、本当に誰が読んでも面白いし、新人弁護士ならずとも役に立つ本なのです。ぜひ、あなたも読んでみてください、福岡県弁護士会に直接注文すると、特価1500円で買えるはずです。 
(2008年10月刊。1700円+税)

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