弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2008年4月22日

冤罪司法の砦、ある医師の挑戦

著者:石田文之祐、出版社:現代人文社
 贈収賄事件で有罪となった医師が司法制度を激しく弾劾した本です。
 日本の裁判は、とても裁判といえるものではない。少なくとも、欧米諸国がとっくの昔に到達した近代司法に遠く及ばない。これが著者の結論です。
 事件は、国立大学の医局を主宰する教授に対して著者の営む民間病院への医師派遣を要請し、その見返りに月10万円を医局に寄付したことが教授個人への贈収賄とされたというものです。教授は公務員であり、お金が動いたことには争いがありません。
 民間病院の理事長である著者は、あくまでも医局への寄付だったという認識(主張)です。最高裁は、法令上は根拠のない、医局に属する医師を派遣する行為は職務密接関連行為と認定して贈賄性ありとし、有罪にしました。これは、ロッキード事件で首相の行為を職務密接関連行為と認定したのと同じ論法です。
 これについて、医局医師の派遣行為にまで拡大することは、処罰範囲をいたずらに拡大するもので、罪刑法定主義に反する。土屋公献元日弁連会長はこのように批判しています。
 司法の世界は、まさに惨状であり、信じられない怠惰・蒙昧・不正義の世界だ。
 被告人が法廷でしゃべったことを裁判官は信用できない、虚偽だという。しかし、取調中の供述調書には、被告人の署名があるとはいえ、それはあくまでも検察官の作文であり、文責は検察官にある。もちろん、供述調書作成の共同作業者としての責任が被告人にもある。しかし、妥協や迎合も当然考えられてよい。しかも、長い勾留という異常な抑圧状態のもとで、まったく虚偽だと意識しつつも、署名捺印せざるをえないときもある。つまり、供述調書には、被疑者の供述がそのまま記述されてはいない。ところが、裁判官は、取調中の検察官作成の供述調書は信用できても、法廷での被告人本人の発言は信用できないという。なぜか?
 勾留42日間の中でとられた検察官調書を全面的に評価し、5年間、1人の被告人が誠実に、できる限り正確に、と心がけて公判で話したことを信用できないという裁判官とは、一体どんな人種だろう。彼らも日本人なのか?
 外国に比べてはるかに長い勾留は、日本の司法が人質司法と呼ばれる所以の一つだ。これは、適性手続に対する検察と裁判所の無知と無理解、法令無視か歪曲の結果であり、専門職としての責任感と使命感の欠如、すなわち堕落が原因だ。
 判決文を読めば分かるとおり、被告人が公判廷で述べることに裁判官は聞く耳をもたない。もっぱら供述調書に依存する。法令を守る頭脳と精神がない。
 著者は、取り調べを受けているとき、検察官に対して黙秘権はあるのかと質した。それに対する検察官の答えは、黙秘権はあるが、捜査に協力しないということになって、取り調べが長引くだけだ。というものだった。
 このような黙秘権を否定する検察官の発言を弁護人は無視した。裁判官も重大な憲法違反だと認識しなかった。この点、法曹三者は、みな一蓮托生のなれないだ。日本の司法は生きていない。
 検察と裁判所は、市民の厄介者でしかない。有罪と冤罪とのふり分けができないのであれば、厄介者以外の何者だというのか。市民の名誉を汚し、ウソを並べ立てて正義を台なしにし、市民の人生を破壊し、場合によっては汚名を着せて生命さえ奪っている。彼らを早く撲滅しなければならない。彼らこそ、人の世の悪の極みである。
 ここまで言われると、35年間、司法の世界で生きてきた私は身の縮む思いがします。なるほど、大いに反省すべきなのですが・・・。
 1日15分だけ認められる接見のとき、弁護人は、できるだけ本当のことをしゃべってくださいと言うのみだった。被疑者はできるだけ真実を言いたいが、検察官の思いこみと期待は、逆である。供述調書の作成作業は、まさに検察官と被疑者との闘いでもある。
 裁判官の有罪主義は、眼に見えないもっとも難儀な心の問題である。検察官に不利益な決定をすることは、一般的にいって、裁判官にかなりの勇気を必要とする。
 日本は、検察にとって、天国とも楽園とも言われる所以である。
 うむむ、法曹三者に対する厳しい指弾のオンパレードです。これで裁判員裁判になったら、どうなるのだろうかと、ちょっと論点はずれますが、つい心配になりました。
(2007年12月刊。1600円+税)

2008年4月 4日

新司法試験合格者から学ぶ勉強法

著者:19年度合格者16人、出版社:法学書院
 新司法試験は、全4日(休憩日を入れると5日)の長丁場である。肉体的・精神的な疲労はかなりのもの。そこで、まずは長丁場の試験に耐えうるだけの体力、精神力が必要となる。
 新司法試験は苛酷な試験である。すべての試験が終わったとき、精魂尽き果てて、しばらくは席から立ち上がることもできなかった。この本試験に向けて、知力だけでなく、気力・体力が充実するよう、しっかり自己管理をしなければいけない。
 新司法試験は、4日間のうちに22.5時間もの長時間の着席を強いられる。
 新司法試験は、大変苛酷な試験である。毎日、長時間、問題を解かなくてはいけない。本当にきつい。新司法試験は、精神力も点数にかなり影響する試験である。試験前からストレスをためすぎたり、試験中に緊張しすぎたりして力を発揮できないということは避けなくてはいけない。ストレス解消法は重要だ。直前期は、異常なストレス状態になるし、試験当日のストレスと緊張具合は尋常ではない。
 うむむ、これはやはり大変な試験ですよね。
 新司法試験は、基本判例の事案をしっかりおさえたうえで、どのような事実に着目してその結果を導いたか、ということを勉強することが今まで以上に強く求められている。答案のスタイルとしては、このような基本判例があるが、その事案と比べて本件事案とは、ここが違う。もしくは同じである。また、このような特殊性もある。したがって、基本判例と違う結論、もしくは同じ結論になるという形で書けるのがベストである。なーるほど、ですね。
 新司法試験は、正しい方向で、一定量の努力を積み重ねた人が、高い確率で受かる試験だ。旧試験のときは、択一の点数がもちこされないこと、論文の総合点が低いことから、最後は、運の要素が強く、いわゆる合格順番待ちと言われる人が相当数存在した。新司法試験が択一の点数がもちこされ、論文の総合点も素点で800点と幅が大きく増えたので、旧司法試験に比べて、結果が順当な実力を反映する試験になった。
 法科大学院の授業では、法的な思考過程が訓練された。大量の判例を読むことは、問題点を素早く的確に理解することに役立った。期末試験は、論文試験の格好の訓練の場だった。
 私が35年前に受けた司法試験のときと同じく、我妻栄の教科書を基本書としてあげた受験生がいるのを知って、驚きました。さすがに『ダットサン』ではありませんでしたが・・・。私は『ダットサン』を6回読んで合格しました。また団藤の『刑法綱要』を一日で読み切れるようになったとき、合格しました。これと同じようなことを書いている合格者がいました。試験問題は変わっても、受験勉強のすすめ方のポイントは昔も今も変わらないという気がしてなりません。それは一言でいうと集中力です。集中して問題文に没頭し、基本的な定義をふまえたうえで、論点をおさえた文章を展開するということです。
 新司法試験合格者の質を心配する人は多いのですが、やる気さえあれば(他人とまじわるのが不得手だと困りますが)、弁護士として役に立つ存在になれると私は体験を通じて確信しています。
(2008年2月刊。1200円+税)

2008年3月12日

公認会計士VS特捜検察

著者:細野祐二、出版社:日経BP社
 粉飾決算したとして無罪を主張しながら一審も二審も有罪となった公認会計士が、いまの司法制度を厳しく弾劾した本です。検察と裁判所だけでなく、弁護士までもが鋭く指弾されています。経理処理のあり方については分からないことだらけですが、著者の憤慨ぶりはよく伝わってくる本です。
 日本の司法は激しい制度疲労を起こしている。制度疲労は、検察官だけでなく、裁判所にも、そして弁護士にもある。
 報道記者は、なぜ真実を報道しないのか。司法記者クラブの存在、そして、99.9%の起訴有罪率のなかで、報道機関自身が本来の健全な批判精神を忘れ、逮捕すなわち有罪という予定調和に安住しているのではないか?
 検察官は取調の冒頭でこう言った。
 あなたには黙秘権がある。しかし、行使するな。黙秘権を行使することは、あなたのためにならない。今日の(任意の)取り調べについては、弁護士にも話してはならない。ところで、テープレコーダーなどを持ち込んでいないだろうな?
 否認すると・・・。
 いい加減にしろ。すべて分かっているのだ。いつまで、ふざけた態度をとっているのだ。検事の声は怒りに震えている。立ったまま大声を出し、足を踏み鳴らしながら、机の上から身を乗り出すようにして、まくし立てる。自分の大声で興奮し、その興奮で、また怒りが加速される。
 著者は高血圧のため常に水分を補給しなければ血液の循環障害が出るので、医師からはこまめに水分を補給するよう注意されているのに、飲むことが許されない。ところが、取り調べにあたった検察官は、大きな湯飲み茶碗でお茶を飲みながら取り調べをした。
 検察官は、こう言った。
 検察官面前調書は、被疑者の言うことをそのまま書くものではない。被疑者と検察官の合作なのだ。したがって、調書には検察官も署名する。
 特捜検察は時流に乗った事件の立案を求める。公認会計士の責任がマスコミをにぎわしているので、本件は立件された・・・。
 著者の勾留期間中の取り調べは、21日間、合計95.5時間にわたって行われた。190日後に、やっと保釈された。逮捕の翌日から最初の日曜日までの6日間は、徹底した脅迫で痛めつける。その後は、罵声や恫喝による脅迫は止む。その後の10日間は、シナリオにあわせた論詰に変わる。最後は、昼に自白調書への署名を説得し、夜になると強要するというパターンだ。
 21日間の勾留期間中の取り調べで、何度も、「もうダメだ。署名するしかない」と観念した。それを踏みとどまったのは、弁護士の励ましがあったから。
 判決は、検察官の論告をそのまま認め、求刑どおりの懲役2年、執行猶予4年だった。即日、控訴した。
 弁護人は、アリバイ証明のための証拠請求をしてくれなかった。
 どうせ、請求しても、検察官が開示するかどうか分からない。裁判官が証拠開示命令を出してくれるかどうかも疑問だ。弁護人は、こう言った。
 でも、やってみないと分からないではないか。著者は、こう批判します。もっともです。でも、私も、ときどき同じようなことを言うことがあります。
 日本の弁護士は、どうせ有罪に決まっているという日本の司法の予定調和のなかで、多かれ少なかれ検察官となれあい、裁判官に対する執行猶予おねだり型の弁護活動しか行わない。容疑を全面否認して検察官と全面対立する被告人の弁護においても、弁護人は裁判所の心証を良くするなどと非論理的な理屈を言い立てて、やはり無罪判決おねだり型の弁護活動を行ってしまう。これでは、検察官も裁判官も、弁護士なんか怖くない。だから弁護士は、検察官からも裁判所からも軽んじられる。なぜ法の正義と被告人の人権を全面に打ち立てた弁護活動をしないのか?
 検察官は、証人尋問の前にリハーサル(証人テストという)をやる。そして、証言が終わると、検察官の部屋で反省をする。これは、前もって証言のあと検察官の部屋に来るよう証人はクギを刺されることによる。検事の手直しを受けたうえ、丸暗記させられた。 40回ものリハーサルをやらせられた。
 要するに、この事件は、著者が捜査段階で公認会計士としての守秘義務を理由に供述調書への署名を拒否したことから、捜査当局が不当な私憤を抱き、その私憤の上に強制捜査を行ったところ、たまたま机の引き出しから100万円の現金が発見されたことから、証拠にもとづかないで逮捕したことによる免罪事件だ、と主張しています。
 著者の怒りが迫力をもって伝わってくる本です。裁判員裁判を批判する人が少なくありませんが、私は今の職業裁判官による裁判に任せていいとは思えませんので、裁判員裁判を地道にすすめていき、少しでもより良いものに改善していったほうが良いと考えています。
(2007年11月刊。1800円+税)

2008年2月29日

私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか

著者:島村英紀、出版社:講談社文庫
 64歳で逮捕された教授(地震学者)の書いた本です。2006年2月から7月まで、なんと171日間も札幌拘置所暮らしを余儀なくされました。その拘置所での日常生活が、ことこまかく紹介されています。
 札幌拘置所には暖房器具はない。建て替え前は、暖房もなかった。今は廊下に暖房がある。そうなんですね。だから警察の留置場(代用監獄)のほうがいいという被疑者もいるのです。悪いことをした人間にエアコンなんてぜいたくだという「素朴な」国民感情がある限り、冷暖房は難しいでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか・・・?
 拘置所の廊下を歩くときには、真ん中を、まっすぐ前を向いて歩くことが要求される。決して拘置所に収容されている人と目を合わせてはいけない。
 昼食は午前11時すぎに配られる。昼食後は昼寝してもいい。平日だと12時半から1時間。土日と休日は、12時半から2時間。これ以外の時間は横になってはいけない。
 就床は曜日にかかわらず18時。フトンを敷いて横になってもいい時間だ。就寝は、曜日にかかわらず21時。これは、寝なければいけない時間。これ以降、起きていてはいけない。
 食事は歯ごたえのあるものは、ほとんどなく、柔らかいものがほとんど。長期収容者に歯の悪い人が多いせいだろう。比較的に低脂肪で、魚タンパク、練り製品が多い。野菜は煮たものが多い。ワカメ、昆布、ヒジキなど海草類は多い。
 塩分は多すぎで、デザートや果物が意外に多い。麦が1割ほど混じった米飯は、想像していたより悪くはない。よくかむと甘い。巨大なコッペパンも出る。焼き魚は、焦げていることが少なく、うまい。
 本は合計して98冊を借りて読んだ。
 著者は詐欺罪で起訴されました。ところが、被害者とされた北欧(ノルウェー)の大学の代表者が法廷で詐欺にはあっていないと証言したにもかかわらず、有罪(懲役3年、執行猶予4年)となりました。研究費を私的流用したという点を検察官は立証できなかったのに・・・。
 ところが、著者は控訴しなかったのです。控訴してもムダだと判断したわけです。
 その理由の一つに、札幌高裁には、有罪を乱発するので有名な裁判官がいて、その裁判官が担当する可能性が高いということがあげられています。なるほど、たしかに、そういうことも、現実には考慮されていることです。控訴したあげく執行猶予どころではなく、実刑になっては大変ですからね。だけど、司法って、そんなにあてにならないものであっていいのでしょうか・・・。
 そして、真実追究とか名誉回復とか悔しいという気持ちより、残された人生を本来やりたいことにつかったほうがよほどいいと判断したというのです。
 なるほど、それも一つの決断だと弁護士生活35年の私も思いました。私の体験でも、司法は、それほど、あてになる存在ではありません。勇気のない裁判官(もっとも、本人はあまりそのような自覚はありません)が、それほど多いのです。
(2007年10月刊。533円+税)

2008年2月22日

山と花

著者:福山孔市良、出版社:清風堂書店
 「弁護士の散歩道」シリーズの第4巻です。たいしたものですね。海外そして国内の旅行記を中心として書き続けている大阪の弁護士による旅行エッセイです。
 実は私も、海外旅行に行くようになって、いくつもの旅行記を自費出版しています。一番初めは今から22年前のアメリカのクレジット会社の視察旅行です。「カード社会の光と影」というタイトルで出版しました。次はヨーロッパの環境調査です。ドイツのシュヴルツ・バルト(黒い森)も調査に行きました。フランスのボーヌで初めてキールを飲み、その美味しさに感激したことを今もはっきり覚えています。ブルゴーニュのワイン街道を走りましたので、「ワイン片手にヨーロッパかけ巡り」(1987年)を刊行しました。
 旅行記といえば、このほかにもフィリピン・レイテ島に行って「レイテ島だより」(1990年)を出し、1990年夏にフランス(エクサンプロヴァンス)に40日間、家族をほっぽらかしで独身気取り語学研修に出かけ「南フランス紀行」を刊行しました。これらは本というか冊子というものでしたが、それでは旅行記として固苦しいという印象を与えることを反省し、その次からは写真集のようなものにしました。スイス(ルツェルン)に1週間ほど滞在した旅日記を「スイスでバカンスを」(1999年)にまとめ、中国のシルクロードに10泊したのを「北京・西安そしてシルクロード」(2004年)、そして、ボルドー(サンテミリオン)に出かけた10日ほどの旅を「サンテミリオンの風に吹かれて」(2005年)として刊行しました。いずれも写真を主体としたもので、読みやすい冊子にしたと自負しています。
 以上、ついつい長々と自慢話をしてしまって申し訳ありません。著者の旅日記は私の旅行範囲をはるかに超えています。ヨーロッパは山歩きです。「花を求めて一万里」という印象すら受けます。写真の腕前もなかなか見事なものです。私も、花は好きなのですが、写真をとる技術がもうひとつ未熟というだけでなく、花の名前がよく識別できません。
 著者は、ドイツの山、イタリアの山、そしてギリシャやアイルランドにまで足をのばします。いえいえ、中国にも奥地まで歩いていくのですから、たいしたものです。
 私も中国の黄山にまで行ったことがありますが、中国は、本当に底知れぬ大きな国だと実感したことです。
 そして、日本国内の旅行記もちょっぴりつけ足されています。私も、自慢じゃありませんが、日本全国47都道府県、すべて行くことができました。でもでも、まだ島にはいくつも行っていないところがあります。
 私よりちょうど10歳年長の著者に対して、これからも健康に留意されて元気に山歩きにがんばられますよう、エールを送らせていただきます。
(2008年2月刊。1429円+税)

2008年1月18日

気のむくまま 思うままに

著者:鈴木康隆、出版社:清風堂書店
 1967年(昭和42年)に弁護士になった大阪の先輩弁護士の随想記です。1967年と言えば、私が上京して東京の大学に入った年です。あれから、もう40年以上がたってしまいました。当時、私は田舎の因循姑息に耐えられないと思い、ひたすら東京に憧れていました。そこには、きっと自由の新天地があり、素晴らしい女性にも出会えると期待したのです。でもでも、東京はあまりにも広大無辺でした。人が多すぎるのです。私のような田舎者にとって、方言を気にすることからハンディがありました。生まれてこのかた「野蛮な」九州弁しか話したことのない私は、寮のなかはともかくとして、家庭教師先の「上流」家庭に行くと、話すだけでドギマギしてしまうのでした・・・。今でも、そのときに感じた胸の痛みをはっきり覚えています。40年という月日は遠い過去のようで、ひとたび思い出すと、つい昨日のことになってしまいます。脳の働きの不思議の一つです。
 第一章は「旅をする」です。著者はヨーロッパ旅行を何回もしています。フランスにもスペインにも行っています。スペインが他のヨーロッパの国々と異なっているもっとも大きな原因は、中世において800年もイスラムに支配される国だったとあるのを読んで、なるほど、と思いました。そして、サンチャゴというのは、キリストの12人の弟子の一人であるヤコブのスペイン名だということも知りました。
 私は40歳になったとき、毎年1回は外国へ行くことを決めました。それ以来、年に2回、外国へ行ったことはありますが、まったく海外へ行かない年はありません。やはり、Think globaly,act localy を実践するには、自分の身体を年に1回は外国に置いてみるのが一番です。
 第二章は本との出会いです。そのなかに大川真郎さんの本(『豊島(てしま)産業廃棄物不法投棄事件』)が紹介されています。世間一般には弁護団長だった中坊公平元弁護士の活躍の方が有名ですが、実は大川真郎弁護士の働きが、この取り組みを実質的に支えていたことがよく分かる本です。そして、いつも控えめな大川弁護士がNHKの「列島スペシャル」という45分のドキュメンタリー番組で2回も放映されたということを、この本を読んで初めて知りました。大川弁護士の、日弁連事務総長として、謙虚でありながらもきわめて戦闘的な言動を身近に体験した私としては、なるほど、なるほどと賛嘆した次第です。
 また、福山孔市郎弁護士が、「労働弁護士は闘う商人である」と喝破したというので、驚きました。そして、ある長老弁護士が、毎年、正月に神社に参拝するとき、「世間騒動、家内安全と祈念している」という言葉が紹介されています。それがウソかホントかはともかくとして、なるほどそうだなと私も思います。なにしろ、弁護士というのは他人(ひと)のもめごとをエサにしてメシを食っている人種であることだけはたしかなのです。ですから、モメゴトがなくなってしまうと生きていけません。でもでも、もめごとがこの世からなくなるっていうことは、今のヒト族のおごり高ぶりを見たら、ありえないとしか思えません。そうではありませんか・・・。
 楽しく、かつ、戦後日本社会をふり返ることのできるタメになる本でした。
 正月休み中に恒例の人間ドッグ(1泊)に入りました。今はホテルに泊まります。夕食はバイキングでした。家族連れで一杯でしたが、受付にいた係員の男性が流暢な韓国語を話しはじめ、韓国人の客の存在に気がつきました。ホテルは日本語のほか韓国語と中国語の表示があちこちにあります。
(2007年11月刊。1429円+税)

2008年1月11日

キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る

著者:木村晋介、出版社:筑摩書房
 『マークスの山』(高村薫)を1週間かけて精読し、公判調書を読みくだく要領で 70枚ものフセンを貼りつけ、登場人物の相関図を作成しながら読破したというのです。すごーい。それだけで感嘆しました。『マークスの山』は、私は旧版と新版と2度よみましたが、そのたびに感銘を深めるだけで、そこに矛盾があるなどと感じたこともありませんでした。ただ、実は、気がついたことが一つだけありました。登場人物が、なんと私と同世代だったということです。それを考えると、たとえ権力の上層部にいたとしても、そう簡単に事件をもみ消したり、シロをクロと言いくるめるような「権力」の行使なんて無理だよな、ということです。
 横山秀夫の『半落ち』にも挑戦しています。なぜ、被疑者は空白の2日間について真相を語らなかったのか。それを話しても誰も不利益を受けないのに・・・、という指摘は、私も漠然とした疑問を抱いていたところでした。そして、弁護士が被疑者と会うには弁護人選任届が提出されていることが要件ではない。それを著者は知らなかったのではないか、という指摘には、なるほど、そうですね、とうなずいてしまいました。
 そして、夏樹静子の『量刑』にも果敢に挑戦するのです。これには驚きました。『量刑』は、私がとても感心したミステリー小説だったからです。ところが、さすがはキムラ弁護士です。『量刑』のアラをたちまち見破ってしまいました。業務上過失致死傷罪を構成するのを落としているというのです。これは、すごいことです。
 ほかにも、いろんな本が取りあげられ、キムラ弁護士の教養の深さに感じいりながら読みすすめていきました。こんなミステリー小説の読み方もあるのですね。すごいですよね、すごいです。キムラ弁護士の眼力に比べると、私って、まだまだ弁護士力がかなり不足しているようです。でも、これで弁護士35年目に入っているのですけど・・・。少しばかり自信をなくしてしまいました。シュン・・・。
 お正月休みに庭の手入れをして、今はかなりすっきりしています。黄色い小さな花をたくさんつけたロウバイが盛りです。ほんとうにロウのような色をしています。匂いロウバイと言いますが、実は、あまり匂いは感じません。私の鼻が悪いのかもしれません。
(2007年11月刊。1400円+税)

2008年1月10日

ロッキード秘録

著者:坂上 遼、出版社:講談社
 吉永祐介と47人の特捜検事たち、というサブ・タイトルがついています。そうです。田中角栄が首相在位当時の5億円ものワイロをアメリカのロッキード社からもらって逮捕され、有罪となった、あのロッキード事件について、検察官たちの動きを刻明に再現した本です。
 ここに登場する検事のうち3人は、私が司法修習生のときに指導を受けました。横浜修習のときの指導担当だったのが松田昇、吉川壽純の両検事です。もちろん、いずれも悪い人柄ではありませんでしたが、それほど冴えているという印象はありませんでした。どちらかと言うと、田舎の人の好いおじさんタイプの検察官だという印象を受けていました(松田検事)。村田恒検事は前期・後期のクラスで検察教官でした。いかにも熱血検事で、村田検事にあこがれ、私のクラスでは大勢の修習生が検事志望になりました。でも、理論的な深みはなく、ただひたすら一直線に突きすすむという印象を受けました。まあ、どちらにしても、若くて生意気盛りの私の印象ですから、たいした根拠があるわけではありません。私の不遜な印象にもかかわらず、みなさん、その後、ロッキード事件で大手柄を立てて、大出世していったのは周知のとおりです。
 事件は1972年(昭和47年)8月のこと。ロッキード社のトライスター(Lー1011)を全日空(ANA)に購入させようと、丸紅の社長は田中角栄の目白台の自宅に訪ね、お礼に5億円を払うと申し込み、田中角栄はこれを承知した。田中角栄の働きかけで、全日空はトライスター機を購入することになった。半年たっても5億円の支払いがなかったので、1973年6月ころ田中角栄の榎本秘書が催促した。そこで、ロッキード社は丸紅を通じて5億円を4回に分けて渡した。イギリス大使館近くの路上で1億円、公衆電話ボックスそばで1億5千万円、ホテルオークラ駐車場で1億2500万円、丸紅社長室宅で1億2500万円、いずれも現金が段ボール箱に入れられており、車のトランクに積み込まれた。
 いったい、この5億円は何に使われたのか?1974年の七夕参議院選挙につかわれた。議員28人に対して1人2000万円が田中角栄から手渡された。1973年11月から74年6月にかけてのことである。さらに、田中番をはじめとするマスコミ関係者に対してもお金が渡っている。
 田中角栄は5億円をフトコロに入れたのではなく、自民党のためにつかった。そして一部はマスコミ抱きこみ工作資金になったというのです。
 この本には、検察庁内部の合意形成過程と指揮権発動の状況が刻明に再現されています。なるほど、そういうことだったのかと思い知らされます。
 そして、検察庁と警察庁とのサヤあても紹介されます。検察庁は警察をまるで信用していません。警察を捜査にかませたら、秘密の保持なんてまるでできないのです。警視総監経験者が何人も自民党議員になっていますし、警察の体質がズブズブなのです。
 いま神奈川県警の現職警備課長がインチキ宗教の霊感商法の主宰者側だったということが発覚して大問題になっています。警察庁の警備局にも出向していたというノン・キャリアのエリートの不祥事です。恐らく共産党対策では成績をあげていたのでしょうが、まことにお粗末な警察です。内部チェック・システムがまるでなっていないのでしょう。
 警察の捜査能力には、技量、もっているアメリカからの資料、捜査意欲、守秘の点で問題がある。このように検察庁の側は考えていました。
 警察のことを検察の幹部が考える必要はないし、警察の顔を立てすぎる。
 ところが、検察庁のトップは警察との協調を重視し、第一線の検察官は保秘できない警察との共同捜査を嫌がったという場面が何回も登場します。
 30年以上前に起きた事件ではありますが、検察庁の果たすべき役割を考えるうえでも思い起こすに足りる事件だと思います。
(2007年8月刊。1700円+税)

2007年12月28日

マチベンのリーガルアイ

著者:河田英正、出版社:文藝春秋
 私と同じ団塊世代の弁護士です。岡山で弁護士会長をつとめ、法科大学(ロースクール)で教え、消費者問題に取り組み、オウム真理教と果敢にたたかいました。還暦を機に、そのブログを本にしたものです。毎日のエネルギッシュで地道な活動に触れ、頭の下がる思いです。
 刑事事件で、裁判官に対して「寛大な処分をお願いする」と言ってしまったことを後悔します。いつもは言わない言葉だというのです。ええーっ、私は、よく使いますが・・・。
 判決は裁判官にお願いして出してもらうものではない。法の見地から適正妥当な判決がなされるべきものであり、弁護人はその判決はどうあるべきか、被告人側からみた意見を主張すべきなのである。「裁判長さま」とか「判決をたまわりたい」など、卑屈な言い方はやめよう。これには私もまったく同感です。
 「上申書」という書面もおかしいですよね。「お上」に恐る恐るモノ申すということでしょう。冗談に「お上(かみ)」と言うのは許せますが、本気で言ってはいけません。国民が主権者であり、主人公なのです。裁判官も公務員の一人として、公僕にすぎません。
 天衣無縫とは天女の羽衣のように純粋に自然な流れのこと。私は知りませんでした。
 あちこちの裁判所を駆けめぐるため、昼食はコンビニでおむすびを買って運転しながらほおばることもある。もう少し時間があるときは、回転寿司やセルフのうどん店に立ち寄る。えっ、セルフのうどん店って、何のことですか?いずれも待ち時間ゼロで、すぐ食べられるからです。私は、最近ダイエットにはげんでいますので、昼食を抜いたこともあります。お茶で我慢しました。昼はおかずだけにしています。パンもパスタもやめています。
 クレサラ事件、つまり、たくさんの借金をかかえた人の相談に乗るのは疲れる。このように書かれています。実際そのとおりです。この本を読むと、弁護士の仕事って気苦労が多く、疲れてしまうものだということがよく分かります。著者は夜7時から示談交渉したり、土曜も日曜も相談に乗ったりして、気の休まる暇がないようです。私は夜に人と会うのはしていませんし、土・日は完全に事務所を閉めて休み、示談交渉もお断りしています。
 2歳ほどの子どもを連れてやって来た借金の相談。終わったとき、その子どもは「どうもすみません」とはっきり言って頭を下げた。親のいつもの仕草をまねたのだ。このくだりを読んで、悲しい思いをしました。子どもが、いつのまにかサラ金の取り立てに対して親の言う言葉と態度を覚えてしまったのです。
 坂本弁護士一家がオウム真理教(現アーレフ)に殺される3日前、著者の前に上祐史浩と青山弁護士がやって来た。著者が「オウムはカルトである」とコメントしたことの撤回を求めてのこと。1989年11月1日、上祐は著者に対して「おれは優秀だ。優秀なおれが洗脳なんかされるはずがない」と言い切ったとのこと。なんと傲慢なモノ言いでしょう。オウム真理教は坂本弁護士一家を殺害しておいて、ずっと否認していたのですから、許せません。
 いかにも誠実な著者の人柄がにじみ出ている本でした。読み終わって爽やかな気分に浸ることができました。ただ、表紙の絵がちょっと厳しすぎる表情なのには違和感があります。私の知る著者はもっと柔和な印象なのですが・・・。
(2007年12月刊。1429円+税)

2007年12月21日

乗っ取り弁護士

著者:内田雅敏、出版社:ちくま文庫
 実は、この本は、ここで取りあげて紹介したくない本なのです。でも、著者からぜひ取りあげてほしいと頼まれていますので、思いきって紹介することにしました。
 なぜ私が紹介したくないかというと、著者の書いた内容が面白くないからではありません。いえ、逆なのです。でも、ということは、とんでもない悪徳弁護士がいるということなのです。こんなにひどいことを弁護士はするのかと世間の人に思われてしまったら、弁護士全体の大きなイメージダウンになってしまう。私なりに、それを恐れたというわけです。
 いえいえ、もちろん悪徳弁護士に対して果敢にたたかいを挑んだ勇気ある弁護士がいて、ついに逆転勝利を勝ちとるわけです。その顛末がことこまかに描かれていますので、読みものとしても手に汗にぎるほどの面白さがあります。著者がとった法的手続きについては、弁護士としてもいろいろ参考になるところがあり、勉強になる本でもあります。
 でも、悪知恵の働く弁護士が資産家の依頼者を言いくるめて、身ぐるみはいでしまうって構図が、不思議なほど起きるんですよね。実は、私の身近にもそんな弁護士がいました。私と同じ団塊世代の弁護士でした。今は弁護士会の懲戒処分を受けて弁護士の仕事をしていません。見かけはまったくの紳士です。物腰も丁寧です。ところが、まともに仕事をせず、ぼったくるのです。私も、はじめ話を聞いたときには信じられませんでした。でも、何度も同じような話を聞かされ、信じざるをえませんでした。
 この本に出てくる悪徳弁護士も最後には弁護士会の懲戒処分を受け、超豪華な邸宅からも出ていかざるをえなくなりました。
 それにしても、弁護士会の調査委委員会にかけられたときに、弁護士会の担当事務職員まで買収したという話には、腰が抜けるほど驚いてしまいました。関東地方のある弁護士会で、会長の信頼していた事務職員が懲戒案件をずっと握りつぶしていたのが発覚したということもありました。
 この本で紹介される悪徳弁護士のくいつぶした金額は30億円は下まわらないというのですから、私にとっては天文学的数字としか言いようがありません。なにしろ資産が  100億円あった会社をその弁護士がダメにしたというのです。なんともはや、スケールが大きいというか、呆れた話です。頼んだ方も頼んだ方だという気もしますが・・・。
 この本には、グリコ・森永事件で「キツネ目の男」として有名になった宮崎学も実名で登場します。友人として登場しながら、友情を裏切ったり、また復活したりと、忙しい関係です。さらに、正義感あふれる裁判官たちが登場してくるのも花を添えてくれます。
 全体としては、法曹界にも悪い人ばっかりではないと実感してもらえることを念じるばかりです。
(2005年7月刊。800円+税)

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