弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2007年7月25日
思い出すまま
著者:石川義夫、出版社:れんが書房新社
著者は、30数年前、私が司法研修所にいたころの民事裁判の教官の一人です。私は直接教えられたことはありませんので、写真を見ても、ああ、こんな教官がいたような気がするな、という感じです。でも、その名前は有名でしたので、覚えがあります。高裁長官の職をけって退官したということですので、それなりに気骨のある裁判官だったようです。
矢口洪一元最高裁長官を次のように痛烈に批判しています。ちなみに、初稿は矢口元長官が存命中に書かれたものだそうです。
矢口洪一人事局長は、裁判所の諸悪の根源は、歴代事務総長が最高裁判事に栄進することにあると繰り返し断言した。事務総長に練達の裁判官をさしおいて最高裁判事となることは、裁判に専心している裁判官たちの間に不満を醸成し、事務総局と現場の裁判官との間に抜きがたい不信感を生んでいる。だから、事務総長には総局メンバー以外の者を充てるか、いったん事務総長となった者は、最高裁入りをあきらめるかにすべきである。矢口氏の言葉をきわめて説得力のある正しい考え方であると受けとった。
ところが、矢口氏は、その舌の根も乾かぬうちに、事務次長、事務総長を経て、最高裁判事となり、ついには最高裁長官の席を冒すに至った。矢口氏の事務総長就任までの裁判所在職37年のうち、裁判実務経験は合計してもわずか6年あまりにすぎない。
いやあ、そうなんですかー・・・。ひどい話ですよね、これって。
矢口氏は、常に大げさな表現を口にするのが癖であったが、裁判実務オンリーの裁判官たちのことを、「度し難い愚か者ども」と嘲っていた。
いやいや、これにはあきれてしまいました。「度し難い愚か者ども」の親玉にすわって、いい気分を味わっていたようです。
矢口人事局長は青法協つぶしの先頭に立っていました。著者は、裁判所当局が良心的で勤勉な若手裁判官まで含めて青法協会員を目の敵にし、冷遇するのが気に入らず、夜間に矢口人事局長と電話で1時間以上、もっと平和的なやり方もあるのではないか、このようなやり方は将来の裁判所に禍根を残すのではないかと議論を重ねた。それ以来、著者と矢口元長官との緊密な信頼関係は急速に冷えていった。
矢口人事局長は司法研修所の田宮上席教官に対して、「研修所教官の方で、疑わしい連中の試験の成績を悪くしておいてくれれば、問題は解決するじゃないか。何とか考えてくれ」と言った。要するに、青法協所属の修習生の任官を人事局の責任で拒否することにしたくないので、研修所教官の責任で拒否しようというのである。著者は、この件について、矢口氏の名誉を慮って、今日まで他言しなかったが、目的のためには手段を選ばない矢口氏の手法を思うと、こんなことがあった、ともっと早い時期に公にすべきであったかと後悔している。
そうですよね。もっと早く言ってほしかったですね。でも、そうすると、任官拒否にあったI修習生が「成績不良」のため任官できなかったのはやむをえないという著者の主張も怪しくなると思うのですが・・・。
私のころ、少なくともクラスの3分の1ほどが青法協の会員でした。声が大きく、元気のいい修習生が多くて、若くて世間知らずの私も大きな顔をしていました。当時も私はモノカキでしたから、前期修習のときには日刊クラス新聞(「アゴラ」と名づけていました)を発刊していました。独身だったし、暇だったのです。最高裁による青法協つぶしの禍根は今も残っていると私は思います。裁判所内では自由闊達な議論が十分にできていないように思います。もちろん学説・判例の議論はしているのでしょうが・・・。といっても、当の裁判官に言わせると、裁判所ほど自由にモノが言えるところはないと自信をもって断言します。いやあ、本当でしょうか、私には疑問があります。
現在の最高裁の正面玄関は長官とそのほかの裁判官の出入時以外は常時閉鎖され、ガードマンが厳重に警備していて、一般人には近寄りがたい印象を与えているが、はなはだしい違和感を覚える。問題は建物の設計にあるのではなく、むしろ日常その管理にあたる官僚たちの思想にあるのではないか。最高裁がこの点に早く気がつき、明るく開放的で親しみやすい裁判所の姿が実現する日が来るように期待する。
私も、この点はまったく同感です。まるで石の棺のように死んだ建物をイメージさせます。単に近寄りがたいというのではありません。近寄るのを峻拒するという感じです。国民の司法参加をモットーとする裁判員裁判を始めようとするとき、そんなことではダメでしょう。
著者の主張に全面的に賛同するということはできませんが、共感を覚えるところも多々ある本でした。
2007年6月21日
刑務所改革
著者:菊田幸一、出版社:日本評論社
日本の刑務所の現状と問題点について多角的に検討した本です。とても勉強になりました。
最近、山口県で民営刑務所がオープンしました。PFI方式というそうです。法律が改正されないままに、このような刑務所民営化がすすむことに重大な疑問が投げかけられています。なるほど、そうですよね。その最大の問題は電子監視システムによって、職員と被収容者との対話によって処遇するという理念に反すること、人と人との信頼感を前提とするのではなく、警備的発想にもとづくシステムでいいのか、ということです。
PFI方式と民営化とで異なるのは、PFI方式は、あくまで管理者は公共部門だということです。アメリカなどで、このPFI方式による刑務所が先行していますが、そこでは、企業の営利追求のあまり、民間職員が十分な装備も訓練も受けず、矯正に関してまったくの素人であり、ひたすら被収容者が満員であり続けることしか願っていないため、逃走事件までひき起こしているということです。それは職員全体の処遇を悪化させ、職員のやる気を失っていく心配があります。営利本位と矯正教育との両立は難しいのではないでしょうか。もっとも、フランスではうまくいっているという報告もあります。
海外視察をした人が日本の刑務所を見ると、次のような感想を述べるそうです。
日本の受刑者には表情がまったくない。つまり、暗い。能面のような顔をしている。外国の刑務所では、受刑者の表情が非常に豊かだ。訪問者に対して「こんにちわ」と挨拶もする。日本では考えられもしない。日本の収容者は、刑務所内ではまるでロボットだ。一列に並ばされ、軍隊式の行進を強制している。
アメリカの多くの刑務所は、食事の場所こそ異なるが、受刑者の調理した同じものを職員も受刑者も食する。受刑者の大きな関心事である食事から人権尊重の姿勢を示そうということ。アメリカでは、受刑者が自分で調理しているという本も読みました。
フランスでは収容者は私服を着ている。イギリスは制服だが、ジャケットをはおることができる。スイスは官給であっても、当局がいろんな服を買い集めて、支給している。
日本では、刑務所内で作業しても、一人平均月4050円にしかならない。これは、就業に対する対価ではなく、恩恵として支給するものである。
刑務所に入っているあいだ選挙権を奪うという現行法についての疑問も提起されています。自由を奪うだけでいいではないか、あくまで主権者の一人ではないか、ということです。アメリカやヨーロッパでは、受刑者にも選挙権が認められていて、不在者投票できるそうです。知りませんでした。
刑務所内にいると、住民票がとれなくなることの不合理さの指摘もなるほど、と思いました。出所後、住民票がないことから生活保護が受けられず、ホームレスになるしかなくなるからです。このところ、無銭飲食事件を国選弁護人として担当することが何件もあります。前科者というレッテルを貼られると、社会内での更生はなかなか難しい現実があります。収容者はいずれ社会復帰するのだという視点から、刑務所内の処遇を考え直す必要があると、私はつくづく思います。だって、あなたの隣人になるかもしれないのです。社会全体がもっと温かく受け入れる姿勢を示さないと、報復と憎悪にみちみちたままかもしれないのですから・・・。
2007年6月 5日
陪審法廷
著者:楡 周平、出版社:講談社
いよいよ日本の裁判員裁判が実施される日も近づいてきました。5月25日、東京で開かれた日弁連総会のとき、国民の8割が参加したくないと言っている裁判員裁判なんて廃止すべきだという意見を述べている弁護士がいました。私はそうは思いません。職業裁判官に今のまま刑事裁判をまかせていいとはとても思えないからです。
最近まで筑後地方にいた裁判官は、法廷に弁護人なんかいないという判決を繰り返していました。まるで法廷に検察官が二人いるような、むなしさを何度も感じたものです。裁判員裁判が万能だとか、手放しで絶賛するつもりはありません。でも刑事司法が今のままであってよいはずはない、国民参加によって良い方向に大きく変わることが期待できる、こう考えています。
ところで、この本はアメリカの陪審裁判について分かりやすく解説してくれる内容となっています。アメリカの陪審裁判と日本の裁判員裁判とは、もちろん大きく異なっていますが、国民が有罪か無罪かを決める評決に関わるという点では共通しています。
陪審員候補として召還される。それが、この国で暮らす者の義務だというのは誰しも知っている。しかし、それをすべての人間が真剣かつ厳粛に受けとめているかというと、答えは否だ。陪審員候補として召還されるのは、ある意味で召集令状を受けとるのと似ている。ある日突然、一通の手紙が一方的に送付されて来て、当事者の事情など一切考慮することなく、出頭を命じられる。その違いは、召集令状には身体検査があって、一定の基準をみたしていなければ兵役から逃れられること。そして、すすんでその任につこうとする人の意向は100%反映される。
ところが、陪審員の選定においては、積極的に裁判に関わろうとする人間は、むしろ排除される傾向がある。陪審員に選ばれるのは、事件をしょせんは他人事と考えている人物だ。そんな人間にとって、見ず知らずの人間の裁きの渦中に身を投じて、有罪か無罪かを論議して決める。まして一日20ドルの報酬で貴重な時間を費やすなんて面倒以外の何者でもない。だから、検察・弁護の双方からの質問に対して、わざと偏向した答えを返して、陪審員にえらばれないようにする輩が後を絶たない。
うむむ、日本も同じようなことになりかねませんよね。心配です。
アメリカでは、裁判は検察と弁護人によるゲーム、いやショーと言ってよい。
陪審員を選ぶにしても、質問しながら、その人がどちらに有利な見解をもっているか、あるいは自分の敵になりそうか、全神経を傾けて探っている。つまり、陪審員に選ばれたということは、決して中立であることを意味するものではない。その時点で、双方から自分の意に沿う結論を出すと見込まれた人間だということ。
ふむふむ、なるほど。そのようにも言えるのですね。
朝一番から始まった陪審員の選定は、思いのほか難航した。陪審員を選ぶのに、一時間の昼食時間をはさみ、午後だけでも4時間かかった。そうかも知れません。大変ですね。
そもそも陪審員は、法の専門家でも何でもない、感情をもった人間である。
無作為に抽出した人間のなかに、極端な人権論者、死刑廃止論者などが紛れこむことはありうる。そうなると、審議は紛糾する。そして、特定の思想をもった人間は弁が立つ。正体を隠し、きわめて中立的な立場をとる演技にたけている。
裁判官のなかにも感情が先に立つ人も少なくないのが現実です。そんな裁判官とは議論が議論にならないのです。これが残念ながら日本の現実として存在します。
陪審員に求められるのは、被告が有罪か無罪か。二つの選択肢の中から一つを選ぶだけでしかない。情状酌量を裁判長に求める権利もなければ、何かしらのアドバイスを与えることも、ましてや有罪か無罪に至った理由を述べることすらできない。まさに一刀両断の判断を下さなければならない。だけど、有罪としたら、その量刑はどうなるのか、どうしても考えてしまう。
裁判員裁判では、この点が違います。裁判員は、有罪だとしたときの量刑まで決めることになります。この本には次のようなことがかかれています。
なぜ法律知識のない一般市民を陪審員として法廷に呼び、有罪無罪の判断を求めるのか。そこに人間がもちあわせる「情」が加味されることが期待されているのではないか。もし、陪審員が判事の言葉に従って、人間としての感情を排して結論を出せというなら、なぜ、陪審員が法廷に提出する結論が有罪か無罪かだけでいいのか。評決に至った経緯や理由はなぜ問われないのか。
事実と法にもとづいて、と言っている一方で、人間として、一市民として許せる罪なのか、そうでないのかを実は法廷は求めているのかもしれない。法の上では犯罪とされる行為でも、状況如何によっては、それも人間として仕方のない行為だったと認定されるときだってある。法という人間の感情を排した代物に、人間の感情を吹き込む。それが陪審という制度なんだ。
うむむ、これはどうなんでしょうか。裁判員裁判で、実際にどうなるのかはともかくとして、文字面で、このような言い方を肯定していいのか、私には若干のためらいがあります。この本は推理小説仕立てですから、筋書きの紹介も結末も紹介することはできません。ご了承ください。
庭のアマリリスが濃い赤色の花を咲かせています。朱色の百合の花の隣に肥後菖蒲が紫色の上品な花を咲かせています。ヒマワリが群生し、ヒマワリ畑になるのも間近です。昨年暮れにもらった鉢植えのシクラメンが3度目のピンクの花を咲かせてくれました。初めてのことです。水やりに工夫をしたのが良かったのでしょう。水をやるのは3日か4日に一度、やるときは思い切りやるのです。
2007年5月29日
誤判を生まない裁判員制度への課題
著者:伊藤和子、出版社:現代人文社
1973年から2005年までの32年間にアメリカ全土で122人の死刑囚が無実と判明して釈放された。1993年以降、死刑台からの生還者は年間平均5人、2003年には1年間になんと12人もの死刑囚が死刑台から生還した。
なんという恐るべき数字でしょう。日本もひどいけど、アメリカの刑事司法って、そんなにひどかったのか、と驚きました。いや、待てよ。アメリカは陪審裁判がやられているじゃないか。悪いのは陪審裁判だったのか。ふと、そんな疑問が頭の中をかすめます。でも、決してそうじゃないことが、この本を読みすすめると分かります。
有名なシカゴをかかえるイリノイ州では、死刑制度が再導入されてから死刑執行されたのは12人。ところが、死刑台から生還した人は、それを1人上まわる13人だった。そこで、イリノイ州知事は、死刑執行の停止(モラトリアム)を宣言した。そのうえで、死刑諮問委員会を発足させた。その委員の一人に、かの高名なスコット・トゥロー弁護士(『推定無罪』や『囮弁護士』の著者)も加わった。この委員会は、死刑冤罪事件に共通する特色は、警察が過度に強制的に自白を引き出していること、自白が被告人と犯行とを結びつける決定的な証拠となっていることにあると指摘した。
ビデオ録画された自白も真実ではないことがあった。つまり、ミランダ原則の告知と自白した部分だけのビデオ録画では、虚偽自白を防ぐのには十分でない。そこで、結論として、殺人事件の全取り調べ過程はビデオ録画されなければならない。単に調書の作成過程だけでなく、すべての手続きのビデオ録画が必要だとした。
虚偽自白した体験者は次のように語っています。この人は、両親が殺されて混乱しているときに警察から厳しく追求されているうちに、いつのまにか自分が親を殺してしまったのだと思いこんでしまったのです。
私の経験から、人を洗脳して、「自分が犯罪をおかした」と思いこませるには、3〜4時間あれば足りる。警察は暴力をふるったわけではない。単に私を取調べ、非常に感情的に怒鳴っていただけ。だけど、私は追い詰められた。両親を殺され、精神的に非常に弱い立場にあったし、警察を信じていた。
次に、学者は、なぜ、人はやってもいない重大事件について自白するのか、次のように説明しています。
重罪事件ほど、被疑者に対して自白を求める多数のプレッシャーがかかる。このとき、警察は攻撃的な取調べによって、被疑者を心理的に追い詰め自白に追い込むというテクニックをつかう。虚偽自白の要素は、捜査側の攻撃的な取調べと、被疑者側の脆弱(ぜいじゃく)性のコンビネーションによって生まれる。
取調べの録音・録画を導入したアメリカの警察署は、ほとんど一致して、「もう録音・録画のない時代には戻れないし、戻りたくない」と言っている。
この本では、もう一つ、不適切弁護の問題も指摘しています。次のように紹介されるアラバマ州の実情は信じがたいほど悲惨です。
アラバマ州には2004年当時、190人の死刑囚がいた。人口あたりの死刑囚の比率はアメリカ第一位。アラバマ州における黒人の人口比率は33〜47%だが、1975年以降に死刑執行された人の70%は黒人。殺人被害者の65%は黒人だが、死刑囚の80%は白人の殺害に関わるもの。
黒人死刑囚の35%は全員白人からなる陪審員に死刑宣告された。黒人死刑囚の90%が、陪審員のなかには黒人が1人か2人しかいない状況で死刑判決を受けた。
そしてアラバマ州には、公設弁護人制度が存在しない。弁護人に支払われる費用は、裁判外活動で1時間20ドル、法廷活動は1時間40ドル。裁判外活動の費用の上限は 1000ドル。ここから、多くの弁護人が必要な調査をせず、必要な証人を呼ばないまま、きわめて不十分な活動のもとで、弁論を終了させた。
安かろう、悪かろう、というわけです。日本もアメリカみたいにならないよう弁護士として、大いに自覚しなければいけないと思います。大変勉強になる本でした。
日曜日の夜、歩いて5分ほどのところにある小川に蛍を見に出かけました。今年はまだ乱舞するほどではありませんでしたが、蛍の優雅な明滅飛行を鑑賞しました。いつ見ても蛍はいいものです。つい心がなごみます。
2007年5月21日
裁判官の爆笑お言葉集
著者:長嶺超輝 出版社:幻冬舎新書 ISBN:9784344980303
読むのは1日も要りません。ちなみにわたくしは1時間の立ち読みで済ませてしまいました。
が資料として保存するつもりのある人は買ってください。
さだまさしの償いを引用した一工夫ある説示もあれば、タクシー乗務員は雲助まがいだとか、暴走族はリサイクルのできない産業廃棄物以下だとか、いま振り返ってみれば、結構裁判官も法廷に私見を持ち込んでたんですね。
タイトルに「爆笑」と書いてありますが、一つ一つの事件にど真面目に裁判官が取り組んだ痕跡が窺える代物です。
ほんのクツワムシ
2007年4月23日
お父さんはやってない
著者:矢田部孝司、出版社:太田出版
映画「それでもボクはやってない」のいわば原作ともいうべき本です。あの映画は弁護士の私からしてもとてもリアリティーがありましたが、興行的には「Shall we・ダンス」のようにはいかず、パッとしなかったようですね。残念です。
今の裁判の実情がよく理解できる、しかも身につまされながら楽しめる面白い映画ですので、一人でも多くの人にみてほしいと思います。幸い福岡では再上映がはじまっています。ぜひぜひ、お見逃しなく。
実際の事件のほうは映画と違って、妻と子ども2人をかかえるサラリーマンです。フリーターではありません。ですから、ますます深刻です。あやうく一家無理心中になってしまいそうなほどの極限状態に追いこまれてしまうのです。弁護士としても、理解できる状況です。やってもいない痴漢事件で刑務所行きだなんて、世の中信じられませんよね。
デザイナーが本業だというだけあって、留置場の房内の生活や電車内の再現図などはよく出来ています。さすがはプロの絵です。
まず初めにやって来た当番弁護士は、本人が否認していることを知ると、励まし、家族にちゃんと連絡をとってくれます。ところが、2番目に私選弁護人となろうとした弁護士は日本の刑事裁判で有罪率が高いという現実をふまえて、被害者との示談をすすめる口ぶりです。三番目の弁護士は複数体制で否認する本人を支えます。
前科のないフツーのサラリーマンがぬれぎぬで捕まり、留置場に入れられて2ヶ月も生活させられると、どうなるか。背中に入れ墨を入れ小指を詰めたヤクザな男が怖がるほど、顔から一切の感情が消えて無表情だった。
なーるほど、ですね。絶望感にうちひしがれていたわけです。
起訴されたあと、妻は日本国民救援会のアドバイスを受けて夫の知人や大学の同級生たちに応援を求めた。夫はそれを知って怒った。知られたくないことを知られてしまった。プライドがズタズタにされた。ふむふむ、その気持ちも分かりますよね。
接見禁止がついていないので、友人たちが次々に留置場に面会にかけつけてくれた。
逮捕されて3ヶ月以上たって、ようやく保釈が認められた。保証金は250万円。つとめていた会社のほうは既に自己都合退職ということで辞めさせられていた。
友人たちの力も借りて、ラッシュアワーの電車内を再現し、被害者の供述のとおりでは被告人が痴漢行為をするのは客観的に不可能だということをビデオテープにとった。
ところが、本人が釈然としない思いがつのった。裁判所は信用できないところだという。それなら、そんな裁判なんか早く終わらせて人生を再建することが先決ではないのか。
なーるほど、被告人とされた本人の心の揺れ動きもよく分かります。
被害者の供述どおりでは痴漢行為は客観的に不可能だという点を立証するためには、被害者の供述調書を多くの人に読んでもらう必要がある。しかし、それは法律上問題があるということで、裁判官が弁護士に注意をしてきた。被害者の名前などを消して、その特定はできないように配慮しているのに、プライバシー保護をタテにとった「注意」だ。うむむ、難しいところだ。
被告人にされた本人の友人たちは、キミの幸せを取り戻すことに協力してるんだ。無罪を勝ちとるために生活そのものが無茶苦茶になったらしようがないよな。
なるほど、なるほど、そうなんですよね。実によく分かった人たちですね。
東京地裁の法廷には傍聴オタク族がいるようです。それも、わいせつ事件だけを傍聴するオタク族が。被告人は、つい切れて文句を言ってしまいます。
おまえは本当はやったんだろう。そんな罵声も浴びせられてしまいます。被告人が「もう生きていたって仕方がない」と何度も言っていたのを、ある朝、妻が起き上がれず同じセリフを口にすると、被告人が本当に子どもの首をしめはじめた。
「死ぬのなら一家で死なないと、私が死んだら残された子どもたちはどうなる」
妻は「やめて」と叫んで、夫を子どもから引き離した。大変な状況です。それほど追いこまれるのです。このくだりは弁護人の想像をこえるものです。
がんばってがんばってようやくたどり着いた判決。なんと、懲役1年2ヶ月の実刑判決。うーん、重い。実刑判決を言い渡した裁判官(秋葉康弘)は、証人として出廷した被告人の妻とは一度も目線をあわせなかった。
控訴審に向けて弁護団が大きく拡充された。元裁判官が3人も入った。弁護士というのはデザイナー以上にプライドが高く個人主義的なところがあり、被告はハラハラさせられた。9人も集まって、まとまらずに分裂してしまうのではないかと心配した。
元裁判官の一言がいいですね。
裁判官を飽きさせずに読ませる控訴趣意書をつくらなければ裁判は負ける。
なーるほど、ですね。これから注意します。
被害者が狂言ではなく、真犯人が別にいて、大人のオモチャでからかった。それを被告人がしたと間違って思いこんだ。そんな可能性が示唆されています。
被告人が無罪を主張したとき、その無罪を立証するのがいかに大変なことなのか。被告人とされた家庭の苦労とあわせて、よくよく語られています。弁護士にも必読の本だと思いました。
2007年4月 5日
その記者会見、間違ってます
著者:中島 茂、出版社:日本経済新聞出版社
記者会見のすすめ方を具体的に手ほどきする実践的な本です。経営者や税務担当そして弁護士も読んで役に立つ内容になっています。
危機管理広報において世間に仕えるべきポイントは三つ。謝罪と原因究明と再発防止。このなかで原因究明がもっとも大切。
危機管理広報で最大の注意を要するのが、ウソをつかないこと。
間違った報道をされたときには、間違った記事を書いた記者に対してきちんとした説明を尽くすこと。
取材には極力応じること。記者も人の子、広報担当者が汗だくで必死に説明している姿には心打たれる。どのような状況でも、人間の誠実さは伝わるもの。
訴訟が起こされたとき、訴えられた会社が「訴状をまだ見ていないのでコメントできない」というのはよくない。「訴状はまだ受けとっていないが、法に従って管理してきたものと考えており、そうした点をご理解いただくために誠実にお話し合いを続けてまいりました。それだけに今回の提訴に至ったことは残念です。今後は、以上のような当社の立場を法廷で主張してまいりたいと考えています」こんなコメントが望ましい。
うむむ、なるほど、このようにしたらいいんですね・・・。
記者会見には企業のトップが出るのが原則。弁護士は記者会見に同席すべきではない。早くも法的責任が問題になっているように誤解される恐れがある。
記者会見の前にはリハーサルをする。練習に勝る不安解消策はない。想定問答集をつくる。記者が一番ききたいのは何かを考えて問いをつくること。
記者会見の場所はゆったりと余裕のあるスペースとする。狭いところでは、緊迫した精神状態になりやすい。会場には記者と別の出入り口をもうけておく。
答弁するとき、メモは最小限とし、Q&A、想定問答集がカメラでとられないようにする。説明するテーブルにはテーブルクロスをかけて足元は隠す。
記者会見では見てくれが成否を決める。入場する前に身だしなみをチェックしておくこと。ダーク・スーツ、落ち着いた柄のネクタイ、スーツのボタンはかけておく。高級腕時計はしない。
記者会見の模様は会社もVTRでとっておく。記者団を軽く見てはいけない。
謝罪するときは、お辞儀した姿勢で5秒間は静止する。会見場に3人で出るときには、一斉に頭を下げる。101、102、103、104、105と100をつけて心の中で数えると、5秒間になる。お辞儀の最後で笑わない。最後まで緊張感をもつ。
複数の会見者がいるときには、質疑のなかで、絶対にお互いの顔を見合わせない。万一、確認したいことがあっても、堂々と正面を向いたままいう。
机の上でいろいろ手を動かさない。低い声でゆっくり話す。会見者は、どんな窮地に立たされても、いやな質問を出されても、誠実な話し方を崩してはいけない。自分たちの都合で、記者会見を途中で打ち切ってはいけない。
私も弁護士会の責任ある立場にいたとき、記者クラブに一人で出かけて謝罪のための記者会見をしたことがあります。日頃、顔なじみの記者もいましたが、うって変わって厳しい質問が相次ぎました。私なりに精一杯こたえるようにしましたが、詳しい事情が私には分からないことも多く、そういうときには、すみません、その点は分かりませんとはっきり言いました。なかなか記者は解放してくれませんでしたが、私のほうから席を立つことだけはしまいと思い、幹事社の記者が終わりましたと言ってくれるまで、じっとカメラのライトに照らされて坐っていました。2回とも一人で45分も集中砲火をあび、終わったときにはさすがにぐったり疲れました。
2007年4月 3日
プロ弁護士の思考術
著者:矢部正秋、出版社:PHP新書
一度もお会いしたことはありませんが、国際弁護士として活躍中の著者の本は、いつも大変学ばされる内容であり、感服しています。
考えることは戦いである。自主独立の気概があれば、難問も必ず解決できる。自分で考えるためには、どんな場合でも、まず事実を確認し、根拠を吟味することが大切である。
ときに近くを見て、ときに遠くを見る考える遠近法こそが、自由自在に考えるために必要である。うーん、なかなか鋭い指摘ですよね。
すべての契約には個性がある。契約は一回的である。依頼者の立場、売主か買主か、貸主か借主か、ライセンサーかライセンシーかなどを考慮し、依頼者に有利なように契約をつくりあげるのが弁護士の役目。契約は、しばしば書類のたたかいと言われる。
インターネットでサンプル契約を集め、適当に取捨選択して契約をつくる若手弁護士が多い。これでは自分の考えがない。検索上手だが、考え下手の弁護士が増えている。ビジネスとオフビジネスのメリハリをつけた生活をすると、仕事のストレス感は減るし、簡単に気分転換ができるようになる。何よりも、オフ・ビジネスの楽しみがあると、仕事中も忙しいと感ずることが少なくなる。
ビジネスの世界は利害打算を基本とする。いわば灰色一色のモノ・トーンの空間である。一日中、仕事に密着していては、伸びきったゴムのようにもろくなり、切れてしまう。
弁護士の重要な資質のトップとして、オプションの提案力があげられる。オプションの有無は仕事の品質に決定的影響を与える。日本の弁護士は伝統的に一つの正解を依頼者に提示してきた。しかし、外国の依頼者は、そのような考えを嫌う。弁護士は最低三つのオプションを提示すべきだ。弁護士はあくまで選択肢を提供し、経営者はその是非を検討して方針を決める。
オプションが多いほどビジネス交渉では強い立場に立つことができる。選択の自由があるとき、人は最大の自由を得ることができる。自由はオプションの中にしか存在しない。オプションは自由を意味する。うむむ、これにはまいりました。私も伝統的なやり方でやってきました。考え直さなければいけないようです。
常識的なオプションだけでは、ほとんど役に立たない。必ず極論も考えることが必要。極論は、大胆な発想をするための突破口となる。極論を考えるのは、現実から一歩身を引き、現実を冷静に観察するよい方法である。極論を考えられないというのは、権威や権力に迎合し、伝統・因習・常識に毒されているからだ。これらは、思考を暗黙のうちに束縛している。
多くのものにあたって失敗し、その中からよいものを見つける。試して失敗したときは、失敗の原因を考え、あとに役立てる。日々の生活のなかで小さな実験と小さな失敗をくり返し、成功への法則性を見いだす。失敗から学ぶ習慣を身につけると、失敗を恐れなくなるという大きな副産物を得ることができる。
法律家は、新人から中堅、ベテランになるにしたがって、権威や常識に対して健全な懐疑心をもつようになる。権威や常識を疑うかどうかが、法律家の成熟度を示す目安だ。疑うときに疑わず、疑うべきときに疑うのが若手に共通する欠点だ。
天の邪鬼は小うるさく扱いにくいが、みずからの目で時代を分析する創造性と可能性をはらんでいる。異質の意見こそ社会にとって貴重だ。
そうなんですよね。まあ、私自身も天の邪鬼だと周囲からは思われているのでしょうね。テレビは見ないし、ゴルフもカラオケもしないし、芸能界ともスポーツ界とも、とんと無縁の生活を送っていますからね。でも、本人は、いたってまともな人間のつもりなんですが・・・。
上申書とは、上級の官庁や上役に意見を申し述べること。弁護士と裁判官は上下関係にないから、おかしなタイトルだ。私も、ずいぶん前から上申書というタイトルはつけないようにしています。
まじめな弁護士は紛争の解決がたいてい下手。法律家は、美徳の中に悪徳を見い出し、悪徳の中にも美徳を見い出す複眼が必要だ。
ふむふむ。なーるほど。大いに勉強になりました。
2007年3月28日
少年審判制度が変わる
著者:福岡県弁護士会子どもの権利委員会、出版社:商事法務
全件付添人制度の実証的研究というサブ・タイトルのついた本です。福岡県弁護士会が全国に先駆けて発足させた全件付添人制度の意義を、諸外国との対比もふまえて明らかにした画期的な労作です。
この全件付添人制度がスタートしたのは2001年2月、春山九州男会長のときでした。春山会長の積極果敢な働きがなければ実現出来なかった偉業です。
制度発足前の議論の焦点は二つありました。担当弁護士が確保できるのか、収支見通しは大丈夫なのか、という点です。いずれも深刻な議論となりました。
福岡県弁護士会は国選弁護人の登録率が83%、当番弁護士の登録率も65%と全国的にみて大変高い率を誇っています。そのベースの上に当番付添人の登録率は51%となっています。全国水準をはるかに上まわる高率を誇っています。最近新規に入会してくる会員は全員登録するのが当然という状況です。
付添人として出動した弁護士には10万円が支払われますが、これは少年の負担はありません(扶助付添人が適用されたとき)。この10万円は、法律扶助協会本部から3万円、日弁連の当番弁護士財政基金から3万円、扶助協会福岡県支部から4万円という負担となっています。県支部4万円は、福岡県弁護士会の基金から支出されていますが、そのため当会の会員は月5000円が会費に上乗せされています。
この制度によって、2003年度に福岡県内で1296人の少年に観護措置決定がされたが、そのうち780人に弁護士付添人がついた。福岡家裁本庁では534人の少年のうち410人に弁護士付添人がついた(77%)。
付添人の活動によって、家裁に送致されてから審判までの間に少年の要保護性が減少し、少年院送致はなく、社会内処遇が選択される比率が高まっている。
多くの審判官や調査官が少年の更生のために熱心に職務を遂行していることは認めるが、外部チェックのない組織は独善に陥る危険性もあり、健全に発展するのが難しいことは社会の常識でもある。
弁護士が付添人として少年審判に関与し、裁判所が恣意的判断に陥らないようチェックし、処分の決定基準そのものに付添人の意見が繁栄されることには大きな意義がある。
福岡県弁護士会では、付添人活動のレベルアップのための研修会もひんぱんに行われている。月報にも、その苦労話が毎回のように紹介されています。必ずしも成功談ばかりではなく、頭の下がるような話のオンパレードです。
審判書を少年本人や保護者に読んでもらうことは、たいていの場合、大きな意味がある。付添人はその点にも留意して活動している。
470頁、4400円と、ズシリと重たい本ですが、少年事件の適正手続の実現と少年の更生に向けた環境づくりのために福岡県弁護士会の先進的な取り組みを詳細に分析・評価している貴重な本として、広く読まれることを願っています。
2007年2月 6日
司法改革
著者:大川真郎、出版社:朝日新聞社
日弁連の長く困難なたたかい。こんなサブ・タイトルがついています。読むと、なるほど司法改革とは日弁連にとって長く困難なたたかいであったことが、ひしひしと伝わってきます。
著者は元日弁連事務総長です。その交渉能力は卓越しています。一癖も二癖もあり、それぞれ一家言をもつ副会長によって激論となり、難行することもしばしばの日弁連正副会長会を見事に取り仕切り、理事会や日弁連総会で熱弁をふるって全国の弁護士を何度も黙らせ(いえ、心服させ)ました。稀代の名事務総長と言えるでしょう。
近年のわが国の改革は、政治改革(見事に欺されてしまいました。小選挙区制になって日本の政治は決定的に質が落ちてしまいました)、行政改革(省庁再編って、何の意味があったのでしょうか)、税制改革(たしかに、大企業と金持ち優遇税制に大きく変わりましたね)など、すべて政府がすすめた改革であった。しかし、司法改革だけは、日弁連が初めに提唱し、行動に立ち上がった改革だった。
それは、「2割司法」とまで言われるほどの国民の司法離れを直視することにはじまった。裁判件数が減っていた。
ところが、福岡県弁護士会が大分県弁護士会とほとんど一緒の時期に始めた当番弁護士制度が弁護士会の体質を変えた。それは国民のほうに弁護士会が一歩足を近づける取り組みだった。やがて、この当番弁護士制度には、裁判所・検察庁そして警察も協力するようになっていった。
日弁連では、正副会長会、理事会、総会などにおける民主的討議を経て、合意が形成される。そして、その前提として、ほとんど、専門の委員会で調査・研究・討議されてできあがった案が日弁連正副会長会に出され、そこで承認されると、理事会にかけられる。理事は単位会の会長を兼ねることも多く、その出身会での議論をふまえて意見を述べ、裁決のとき賛否を表明する。このように日弁連は官僚組織と異なり、下からの討議を積み上げて合意を形成していくのを基本とする。毎月の理事会は2日がかり、正副会長会のほうは毎週のように開催され、徹底的に議論します。これは私も一年間ほとんど東京に常駐して体験しました。膨大な資料の山と格闘しながらの討議です。もちろん、議題によっては関係する委員会の担当者にも議論に参加してもらいます。
この本には、福岡選出の日弁連副会長が何人も登場します。西山陽雄、森竹彦、国武格、前田豊副会長です。なぜか荒木邦一副会長の名前が抜けていて、惜しまれます。
司法修習生の修習期間を短縮するのを認めるのかどうか、日弁連で大激論となりました。私は今でも2年修習が本来必要だと考えていますが、時の流れが短縮化にむかっていました。司法予算を増やさないなかで司法試験合格者を増やすというのですから、必然的に修習期間を短縮せざるをえません。
司法制度改革審議会が設置されたのは1999年(平成11年)7月。小渕内閣のとき。このような審議会をつくるのを決めたのは橋本龍太郎内閣のときのことだった。日弁連から、中坊公平元会長が委員として加わった。事務局にも2人の弁護士が入った。日弁連が内閣の審議会の運営にかかわったのは前例のないことだった。
2002年2月、合格者を年間3000人とする中坊レポートが発表され、弁護士会内に激震が走った。なにしろ、当時は、年間1500人増を認めるかどうかで激しい議論をしていたのだから、その2倍の3000人なんて、とんでもないという雰囲気だった。
久保井会長は、日弁連にとって重い数字であるが、反対するわけにはいかないと述べた。 日弁連は、このころ司法改革を求める100万人署名運動に取り組んでいた。結果的には、なんと260万人の署名を集めることができた。
2000年(平成12年)11月1日に開かれた日弁連臨時総会は荒れた。午後1時から始まり、夜10時までかかった。執行部案に反対する会員が議長の解任決議を求め、壇上にかけあがって議事の進行を阻止しようとまでした。このときの裁決は賛成7437、反対3425で執行部案が承認された。
ここに、法曹人口は法曹三者が決めるのではなく、社会の要請にしたがって決めるという新しい枠組みがつくられた(確認された)。そして、ロースクール(法科大学院)についても前向きにとらえることになった。
最終意見書が発表されると、その具体化のために11の検討会が設置された。これにも日弁連は積極的に関わった。
司法改革は今、一応の制度設計を終わり、実行段階に入っています。いろんな分野で一斉になされるため、まだまだ細かいところが決まっていないというところもあります。たとえば、裁判員裁判です。
それにしても、この本を通読すると、日弁連が会内で激しい議論を重ねながら、まさしく紆余曲折を経ながらも、国民のための司法をめざしてがんばってきたことが分かります。
あえて難を言えば、著者の主観が極力排除されているため、エピソードが少なく、あまりにも淡々としているきらいがあります。あくまで冷静に冷静に、激動の司法改革の流れを振り返った書物なのです。
多くの国民、とりわけ若手弁護士に読まれることを心から願っています。