弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2024年6月12日

戦後憲法史と並走して


(霧山昴)
著者 樋口 陽一 、 出版 岩波書店

 憲法学をかじった人ならだれでも知っている著者が自らの来し方を語った本です。なので、とても読みやすくなっていて、堅苦しさがありません。
 東北大学を卒業し、東北大学で憲法学の教授をしていて、1980年に東京大学法学部に移りました。
 東大での樋口ゼミは人気があったので、ゼミ生20人を選ぶのに「優」をとっていることのほか、「仏独2ヶ国語」をとっているのが条件だったとのこと。これにはまいりました。私は「優」もありませんでしたが、「仏独2ヶ国語」だなんて、とんでもない高いハードルです。それでもきっと、毎年、そのレベルの人がいたのでしょうね。さすが東大、恐るべしです。
 ゼミは時間厳守。その心は、全員が学者になるわけじゃない。社会に出ていって必要なことは、自分の言いたい大事なことを、他人(ひと)の話を聞きながら頭に入れて、そして短い時間で人に伝えるということ。なので、時間が厳守すべきだ、ということです。なるほど、大事なことですね・・・。
 私は本郷で民法を星野英一と平井宜雄の2人から教わりました。といっても25番か31番か、大教室で必死でノートを取ったというだけです。著者は民法の星野英一が、安倍・自民党の改憲策動に危機意識をもって、動こうとしていたというのです。驚きました。これは、同じく民法学の我妻栄が憲法問題研究会に加わり声を上げていたことにならったものと評しています。てっきり、官側の「御用学者」みたいに思っていた星野英一ですが、すっかり見直しました。
 ちなみに、我妻栄は亡父が法政大学で講義を聴いていたと話していましたが、私自身もその「ダットサン」を6回読んで、民法をマスターしたつもりになりました。我妻栄は穂積重達とともに戦前の帝大セツルメントを最後まで支えた一人でもありました(私も戦後のセツラーの一人です)。
 樋口憲法学の学問的特質は、主権と人権の間を橋渡ししたということで、これは革新的だったとのこと。主権を権力の実体とみるか、それとも正当性の所在とみるかの対立があった。国民主権の貫徹というかたちで主張されてきたところの実践的要求は、権力に対抗する人権という観念によっておこなうべきではないかというもの。
 主権をもっぱら正当性の根拠に一元化した樋口説は、「国民主権の貫徹」という形で当時熱っぽく主張されていた実践的要求を引きとるべき受け皿として、ほかならぬ「人権」を選んだということ・・・。
 なんやら、深遠な議論のようで、ちょっと私には正直なところついていけません。
 井上ひさしと同級生だったというのも奇遇ですが、まだまだ元気でご活躍されることを心から祈念しています。
(2024年2月刊。2300円+税)

2024年5月31日

罪を犯した人々を支える


(霧山昴)
著者 藤原 正範 、 出版 岩波新書

 著者は、家裁の調査官を28年間つとめ、大学で教員もしてきた「少年非行の専門家」。
 そして、最近は、ひまを見つけて裁判所に出かけて法廷を傍聴しているのです。著者は、多くの人に刑事裁判の傍聴をすすめています。すすめている傍聴の対象は民事裁判ではありません。民事裁判だと、法廷での証人尋問はあまりありません。書類の交換の場と化している口頭弁論も、今ではインターネット上がほとんどですので、傍聴自体が出来ません。
 刑事裁判だと、公開の法廷で進行しますし、ほとんどの事件では傍聴券が発行されることもなく、自由に傍聴できます。
数多くの裁判を傍聴した著者の感想の一つは、「今の裁判は、関係者が寄ってたかって被告人に恥をかかせ、人格を貶(おとし)めているようにしか見えない」というもの。弁護人として活動することのある私には、少し意外な感想です。
高齢男性に性欲が動機になる犯罪が少なくない。性犯罪を犯した少年より高齢者のほうが「要保護性」が高いように思われる。この指摘は、そうかもしれないと、私も思います。
 刑事司法手続きの中に、人を大切にする気持ちを育(はぐく)む機能は内包されていない。したがって、更生とは、裁判の結果、送り込まれる刑事施設で自分を見つめ直し人間性を回復すること、というのはフィクションだ。この点は、私もまったく同じ考えです。
 刑務所に入ったら、かなりの人が(決してすべてではありません)、悪いことを覚えてしまう危険があります。自覚して人間性を回復するようなことは、現実にはあまり期待できないと私は考えています。なので、実刑より執行猶予の判決のほうが、よほど本人の更生に役に立つことが多いというのが私の考えです。
 「罪を犯す人」は、日本全国で1年間に600万人いる。ええっ、そんなにいるの...、と思ったら、なんと580万人は道路交通法違反です。一時停止違反とかスピード違反が含まれています。警察庁が起訴した人は年間8万人ほど。そして、裁判所で実刑判決を受けた人は1万6千人弱です。執行猶予の判決は3万人が受けています。
 受刑者の罪名は窃盗と詐欺(万引と無銭飲食など)、そして覚せい剤取締法違反の三つで、男性の7割、女性の9割を占めている。
刑務所に収容される人の高齢化が進んでいる。男性で8%、女性で14%を占める。なので、刑務所では介護や認知症への対応に追われている実情にある。
国選弁護人の比率は地裁で85%、簡裁で92%を占める。私は被告人国選弁護士を30年前は月1件ほど受けていましたが、今では年に1.2件です。ただし、被疑者国選は2.3ヶ月に1件の割合で受任しています(今も)。
 罰金が支払えないので、労役場(刑務所)に入る人が年間3千人近くいる。
 弁護士が社会福祉士と連携して、「犯罪を犯した人」の社会での再出発を援助する制度が始まっています。まだ私は体験していませんが、社会福祉士の役割は司法の場でもますます大きくなっていると、最近つくづく実感しています。
(2024年4月刊。920円+税)

2024年5月23日

回想録


(霧山昴)
著者 山本 庸幸 、 出版 弘文堂

 元内閣法制局長官で、最高裁判事もつとめた著者が、後任の長官に小松一郎元駐仏大使がなると聞かされたときの衝撃を赤裸々に描いています。
 著者は私より1学年だけ年下なのですが、1浪してしまったため、東大入試が中止となって、京大にまわったのでした。私も東大闘争(当事者の一人ですので、紛争とは呼びません)に関わったものとして、申し訳なく思いますが、決して私たちのせいではないと考えています。当時の政府の政治的判断なのです(実施しようと思えば実施できたと思います)。
 官房副長官から、「君には辞めてもらうことになっている」と申し渡されたのです。そこで、後任を尋ねると、「フランス大使の小松くんだ」と言われ、思わず「全身に鳥肌が立つような気がした」といいます。
 「官邸は、集団的自衛権を実現するために、この人事を考えたに違いない。かねてから最悪の事態として想定していた通り、いよいよ、来るものが来たということか・・・。ここが、まさに正念場だ」
 「私の交代劇は、大きな歴史の転換点となった」
 まさしく、そのとおりだったと私も考えています。
 「内閣法制局は、特に政界の左翼の人たちからは、とんでもない保守反動の右翼の権化のような組織と思われたもの」
 この点も、認識は一致しています。
 ところが、「内閣法制局は首尾一貫して同じ説明をしているにもかかわらず、いつの間にか、その立ち位置が、以前の右翼側から、気が付いてみると、真反対の左翼側へと動いてしまっていたのである。何という皮肉かと思った」
 これまた、認識は共通しています。
 「集団的自衛権は・・・要するに、他国から直接攻撃を受けなくとも、わが国の友好国を攻撃する国に対して、わが国が一方的に武力の行使をする、つまり戦争行為を行うことができることを意味する。これほどのことが、現行憲法九条の下で認められるとは、とても考えられないのである。どう理屈をこねても、憲法を改正しない限り、それはできないと言わざるをえない」
 いま、全国の裁判所で、安保法制が憲法違反であることを裁判所で認めてもらおうという裁判をすすめています。ところが、著者のこのような明確な認識は明らかに正しいにもかかわらず、裁判所はあれこれ言い逃れするばかりで真正面から憲法判断しません。本当にだらしない裁判官ばかりです。どこかに骨のある裁判官が一人くらいはいないものかと探し、待っているのですが、かなり絶望的です。
そんななかで、最高裁の裁判官就任の記者会見でも、著者は集団的自衛権は憲法に違反すると堂々と表明したというのです。偉いものです。こんな人がもう少し裁判所にいてほしいものです。
内閣法制局長官を経て最高裁判所の裁判官になってからも、それなりの筋を通したことがよく分かる回想録となっています。
(2024年2月刊。3400円+税)

2024年5月22日

「裁判官の良心」とはなにか


(霧山昴)
著者 竹内 浩史 、 出版 LABO

 弁護士を16年間したあと、2003年4月から今も裁判官をつとめている著者が裁判所の内情をつぶさに明らかにしている本です。
 16年間の弁護士生活のなかでは市民オンブズマン活動にいそしみ、情報公開請求も取り組みました。そして青法協(青年法律家協会)の会員であり、愛知県支部の事務局長を5年間つとめました。
 裁判官になってからは、実名を出して「弁護士任官どどいつ」というブログを20年間続けています。裁判官が実名でSNS発信しているのは先日、不当にも罷免された岡口基一元判事と2人だけでした。もう1人だけ匿名で発信している若い裁判官がいるそうです。「駆け出し裁判官nonの裁判取説」です。
 著者が大分地裁につとめていたとき、村上正敏所長に呼びつけられ、ブログをしていることについて「査問」されたとのことです。この村上所長は、著者が異論を述べると、あとで「君は僕に口答えをしたね」と非難したというのです。まさしく官僚そのものの発想ですね。この所長は、その後、順当に出世していったとのこと。
 著者は民事裁判官としての「良心」は、第1に正直、第2に誠実、第3に勤勉だとしています。だから、裁判はとにかく早ければいいというものではないとしています。まったく同感です。なので、AIには裁判官の代わりはできないし、させるべきではありません。
 著者が弁護士任官で裁判所に入って驚いたことの一つは、裁判官同士の親類縁者が実に多いことを知ったことだといいます。そのうち、裁判官を目ざすのは親が裁判官だからという「家業」になってしまうんじゃないかと皮肉っています。それほど、裁判官の世界が窮屈になっているということです。
裁判で最も重要なのは、判決が正当なものであり、当事者の納得を得ているかどうかのはず。だから、裁判所で統計をとるとしたら、上訴率と判決の変更率のはず。ところが、これらは統計の対象とはされていない。ただし、私は地裁所長の裁判官評価において、この点は重視しているのではないかとみています。つまり、一審の裁判官がひどいと、控訴率は高くなるし、高裁で原判決の破棄が増えてくるからです。
現状の最高裁のひどさは私も実感しています。これは、保守的で狭量とさえいえる政治的な任命人事の結果もあって、最高裁は昭和時代へ先祖返りをしている。そして、弁護士出身の最高裁判事が今や第一東京弁護士会の超大企業顧問弁護士ばかりがほとんど独占していて、いつだって自公政権言いなりの判断しかしていない、このひどさも目に余ります。
 現職裁判官の熱血あふれる内部告発の本です。大いに共鳴しながら、最後まで一気に読み通しました。あなたもぜひご一読ください。
(2024年5月刊。2300円+税)

2024年5月14日

続・農家の法律相談


(霧山昴)
著者 馬奈木 昭雄 、 出版 農文協

 私は読んだことがありませんが、『現代農業』という雑誌があるそうです。全国の農家を対象とする業界誌なのでしょう。
 そこで著者は、32年の長きにわたって農家から届くトラブル・悩み事に対し、誌上で回答しているのです。その長さに驚かされます。
 もっとも、私も民商(民主商工会)の全国機関紙である「全国商工新聞」に月1回の法律相談のコーナーを1989年7月から担当して35年になります。新聞のコーナーですから、短い文章で、いかに分かりやすく回答するか、いつもない知恵をふりしぼっています。
 この本は15年前に同旨の本を著者は刊行していますので、その続編になります。最近は民法も次々に改正されていますので、回答した時点では正しくても現在の出版時では間違いになったりもします。そこは若手の吉田星一弁護士がチェックしていますので、安心です。
 さて、内容です。さすがに農家からの質問ですから、農地、生育環境と農薬にかかわるもの、農事組合法人や土地改良区をめぐる問題など、農家をめぐる諸問題についての百科全書みたいに、かなり網羅的な内容になっていて助かります。
 手元に1冊置いておくと、農家の皆さんはきっと安心されることでしょう。
 私がまず関心をもったのは農薬です。自家消費の野菜のほうは無ないし低農薬にしているけれど、商品として出荷するものは、許される限度までふんだんに農薬を使用しているというのはよく聞く恐ろしい現実です。
 隣の農家がネオニコチノイド系の殺虫剤(スタークル)を散布したためミツバチが死んで、生物栽培に影響が出ているので損害賠償を請求したい...。当然に請求できるわけです。
 同じように、隣人が勝手に畑の法面(のりめん)に除草剤をまいたというのも違法行為として賠償請求できます。
 この本で厄介な問題だ、難しいという回答が多いのは、村落共同体の一員として今後も生活していかなければならないときです。馬奈木弁護士も「法的解決」では解決しないと回答しているのがあります。
 問題点を周囲の人に具体的に説明して、仲間を増やすという「努力を地道に続けるしかない、そんなことも世の中では多いと私も考えています。
土地改良地域内に農用地を所有していたら土地改良区は法律によって、強制的に加入させられる。うひょお...、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 農家には、専業か兼業かを問わず、役に立つ1冊であることを私が保証します。ぜひ買って読んでみてください。おすすめします。
(2024年2月刊。2200円)

2024年5月 9日

腐敗する「法の番人」


(霧山昴)
著者 鮎川 潤 、 出版 平凡社新書

 日頃、気になりながら、つい忘れかけていたことをいろいろ思い出させてくれる新書でした。
 まずは警察とマスコミの関係です。新聞・テレビを漫然とみていると、なんだか日本の社会は凶悪犯罪が次々に起こり、犯罪が増えて治安が悪くなっていると思わされます。
 ところが、実際には、以前は毎月1件以上は国選弁護事件を担当していましたが、このところ、年に1回あるかないか、です。被疑者弁護事件はときどき担当していますが、ともかく犯罪が圧倒的に激減しました。これは全国共通の現象です。
 殺人事件は戦後最低件数を更新しています。犯罪の認知件数はピーク時の3分の1にまで減っているのです。ところが、その事実を多くの国民が知ったら、警察の人員や予算を減らせという声が湧きおこりかねず、また、警察幹部の天下り先の確保が難しくなってしまいます。それで、「日本の治安はこんなに悪くなっている」と日本人に思わせるよう、警察はマスコミを操作しているのです。
 警察白書を発表するとき、警察は見出しの文句まで用意しておくそうです。いやはや、それをそのまま垂れ流すマスコミも、どうかと思ってしまいます...。
 今、高齢者の犯罪はたしかに増えています。それはスーパーやコンビニでの万引事件です。そこには病的な面もあるわけです。万引を繰り返していると、確実に実刑になります。コンビニで100円ほどのおにぎりを万引きして、常習累犯(るいはん)窃盗として、1年間も刑務所に入れておくことになるのが、珍しくありません。いったい、それにどれだけ意味があるでしょうか。なにしろ、1人を1年のあいだ刑務所に入れて国が面倒みると300万円もかかるのです。まるで費用対効果にあいません。
 刑務所の収容者は急速に高齢化しています。65歳以上の人が男性で1.4%(1990年)だったのが、13%(2020年)、女性は1.7%(1990年)だったのが、19%(2020年)に激増しているのです。そして、重罰化・長期刑化のなかで、刑務所の医療は、病気治療だけでなく、終末医療まで求められているといいます。だから、介護・福祉だけでなく、終末医療も必要というのです。驚くべき現実です。
 万引事件が増えたのは、防犯カメラの設置が増えたことにもよるといいます。コンピューター・システムの発達は「犯罪増加」にもつながっているのですね...。
 警察の裏金が大きな社会問題となりました。今ではまったくなくなったのでしょうか。とてもそうは思えません。勇気ある現職警察官による内部告発によって明るみに出たことでしたが、今もひそかにやられていないと果たして断言できるでしょうか...。
 ともかく、警察の裏金は図体がでかいために、ケタ違いでした。検察庁でも裁判所でも裏金づくりはやられていました。それはカラ出張によって旅費を浮かせているのが主流でした。しかし、公安警察ではスパイへの報償金という仕掛けがあります。スパイですから氏名を秘匿した人に支払うわけなので、それを担当刑事が着服していないか、誰もチェックできないのです。この手法を使えば、いくらでも裏金をつくり出すことができます。
 警察がスパイをつかっていないはずはなく、その報償金が明朗会計になっているはずもないのですから、今でも警察では裏金が公然と横行していると私は考えています。でも、よく考えてください。それって、業務上横領事件です。しかも、税金ですから、被害者は国民、つまり私たちなのですよ...。犯罪を取り締まるはずの役所が自ら犯罪しているとしたら、大問題です。
 検察、そして裁判所についても、その「腐敗」を鋭く暴いている真面目な新書でした。
(2024年2月刊。980円+税)

2024年4月 4日

大江戸トイレ事情


(霧山昴)
著者 根崎 光男 、 出版 同成社

 ヨーロッパでは畑の肥料として糞尿をまいたら、大根などの野菜を生(ナマ)で食べるなんて人々の衛生観念から考えられもしませんでした。ところが、日本では、同じように育てた大根を生でも食べているのを見て、ヨーロッパ人が驚いたということです。
 私の子どものころ、農村地帯に行けば、畑の一隅に肥料とするための糞尿ためがあちこちにありました。間違って、そこに足を突っ込んでしまうという悲劇も日常茶飯事に起きていました。私も経験したような気がします。表面は乾燥しているので、地面そのもので区別がつかないのです。
 江戸時代の初期には、町の糞尿は邪魔物でしかなかった。ところが、江戸中期以降、生鮮野菜を育てて江戸に供給する必要から、肥料として江戸の糞尿が注目されるようになった。つまり糞尿が下肥として商品価値を帯びるようになった。
 すると、糞尿を引き取りたい江戸周辺の農村ではお金を出して確保するようになった。でも、値段が上がるのは困る。そこで、農村側は下肥値段の値下げを運動として取り組んだ。そこに、一部の農民が抜け駆けをして、少しでも下肥を多く確保しようとする。なので、都市と農村側とでは、ずっとその交渉が続いた。
 その交渉のあいだに立ったのが町奉行所であり、関八州取締役だった。関八州取締役というのは、ヤクザを取締って治安を維持するという仕事だけではなく、下肥(糞尿)の取引にも介在していたのですね。
 昔は、百姓は「モノ言わない存在」というイメージでしたが、実のところ、どうしてどうして、町や奉行所に対して、自分たちの要求を通そうとして、いろいろ運動していたのです...。もちろん、そこでは、読み書きが出来ることが必須でしたが、そこは心配なかったのです。寺子屋はあるし、従来物と呼ばれるテキストを学ぶと、当局への嘆願書や訴状の見本があるのですから...。
 江戸時代、江戸には各所に公衆便所が設置されていました。朝鮮通信使が江戸に来たときには臨時の便所が設置されました。
 そして、この公衆便所には落書きもあれば、なんと広告まで貼られていたのでした。
 ちなみに、便所の周辺に赤い実をつける南天の木がよく植えられていますが、それは、「南天」が「難転」、つまり「難を転じる」から、火難よけになると信じられていたからだというのを初めて知りました。
 京阪では、人糞の売却代金は家主の収入で、小便のほうは借家人の収入とされた。
 ところが、長屋の共同便所を管理している江戸の家主は、その糞尿の売却代金の全部を自分の収入としていた。
 当時の江戸の人口は、町人が50万人、武家たちが50万人、合計100万人をこえていた。すると、糞尿(下肥)の代金総額は3万5千両を超えるものだった。たいした金額ですよね、驚きました。
 よくぞここまで調べあげたものだと感嘆しながら読みすすめました。
(2024年1月刊。2400円+税)

2024年3月 8日

自衛隊違憲論の原点


(霧山昴)
著者 内藤 功 、 出版 日本評論社

 戦争とは国家による人殺し。これは、ごく単純な真実。まったく同感です。ロシアによるウクライナへの侵攻が始まって2年がたち、残念なことに、まったく終息のきざしがありません。イスラエルによるガザ侵攻では既に3万人が亡くなったとのこと。胸がつぶれそうです。大勢の子どもたちが飢えに苦しみ、餓死しそうだというニュースに接して、涙が出てきそうになります。
 この本では、恵庭事件の裁判が語られています。1962年に起きた事件です。60年以上も前の事件、そんな古い裁判を今どき語ることに何の意味があるのか...。そう思う人が多いと思います。でも、読んでみると、大ありなのです。
当時、27歳と26歳の若い兄弟が、牧場を営んでいて、隣接する陸上自衛隊の演習場における大砲の実弾射撃の轟音(ごうおん)・騒音・振動に抗議して通信線をペンチで切断したのが、自衛隊法違反として起訴されました。その判決は無罪でしたが、とんでもないカラクリがあったのです。
 今の私にはまったくもって信じられませんが、判決前の論告・求刑公判において裁判官が検察側に対して、情状と求刑の削除を求めたのです。つまり、裁判所は無罪判決を書くから、余計なことは言うなと言ったというのです。言われた検察官が「なぜか」と訊くと、裁判長は、「検察官は分かっているはずだから、自分からは言えない」と答えたのでした。それでも納得できない検察官が異議申立すると、裁判官は却下しました。
 こんなやりとりは、まったく考えられないところです。つまり、法廷に出席している立会検察官より上の検察官と裁判官の上のほうで何らかの合意が秘密のうちに(少なくとも弁護人の関与しないところで)成立していたということです。
 「上のほう」というのは最高裁を指しているようです。では、誰がどのようにして、憲法に触れないで決着するようにと指示したのか...、これは明らかにされていません。
 でも、最高裁長官の田中耕太郎が裁判の一方当事者である駐日アメリカ大使と密接に連絡をとっていて、その指示を受けて判決を書いた砂川事件最高裁判に照らして、大いにありうることです。そこには、裁判官、そして司法の独立という理念はまったく没却されています。
 そして、もう一つ。この恵庭事件の裁判では次に紹介する三矢(みつや)研究の統裁官の証人尋問を延々35時間もやったというのです。私も一般刑事事件の公判で「被害者」尋問を延々3開廷もしたことがありますが、35時間とは恐れいります。もちろん、真相究明に必要だったということなんですが、今どきの裁判では、そんな長時間など、これまた、まったく考えられません。事変の真相究明のためにじっくり尋問しようというゆとり・姿勢が今の裁判所には全然ありません。残念です。
 この恵庭事件については最近、映画になっています。『憲法を武器にして』というドキュメンタリー映画です。そして、この映画の法廷場面は実際の法廷で正式に録音が認められていて、それをテープ起こしして、役者が再現したというのです。ぜひ一度みてみたい映画です。
 そして、次は三矢研究です。三矢研究は、1965(昭和40)年2月に国会で暴露された自衛隊の図上演習です。この図上演習は8日間、53人もの自衛隊幹部が集まって行われました。
 その結果は、極秘とされた5分冊、1419頁もの大作としてまとめられました。対ソ戦を想定し、核戦争に備えた演習となっています。今ではほとんど現実のものになっていて、マスコミも世論も慣れさせられている自衛隊はアメリカの指揮下に組み込まれることになっていました。当時はこれが大問題でした。自衛隊とアメリカ軍の合同演習も、今や見慣れた光景です。なので、自衛隊をアメリカ軍が指揮・命令するというのも当たり前という感覚になっていて、誰も驚きません。
 でも、よくよく考えてみればアメリカ軍の本来的使命はアメリカを守ることであって、日本を守るなんて、ハナから考えていません。アメリカ軍の基地を守るために自衛隊を直接に指揮・監督はアメリカ軍がするものだと思い込まされています。
 著者は1931年生まれといいますから、今93歳です。そんな高齢なのに本を刊行するなんて、実にすばらしいことです。ところで、著者は中学生のころから職業軍人にあこがれ、ついに親の反対を押し切って海軍経理学校に入りました。軍人であるのには変わりません。ところが、幸いなことに経理学校の生徒であるうちに日本敗戦となり、命拾いしたのです。
 安保三文書によって戦争のできる軍事国家を目ざして突っ走ろうとする日本を制止したいと願う人は、本書を読んで、ぜひ周囲の「眠れる人たち」に語り伝えてほしいと切に願います。
 著者から、サイン入りで贈呈していただきました。ありがとうございます。今後ともお元気にご活躍されますよう祈念します。
(2023年8月刊。2200円)

2024年2月21日

おろそかにされた死因究明


(霧山昴)
著者 出河 雅彦 、 出版 同時代社

 長野県にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で起きた「業務上過失致死」事件については、詳細かつ充実した総括冊子が出来ており、既にこのコーナーで取り上げ紹介しました。要するに、老人ホームで入所者が楽しみにしている「おやつ」(ドーナツ)を与えたところ、「監視不十分のため窒息死させた」として介護職員(准看護師)が起訴されて刑事裁判になったものの、一審の有罪判決(罰金刑)が東京高裁で逆転して無罪となり、そのまま確定したという「事件」です。
 この事件では、長野県警は入所者が死亡する前から捜査を始めていたにもかかわらず、遺体の解剖をしていません。信じられない「失態」です。
 警察が遺体解剖に積極的でないのは、法医学の専門医不足に原因がある。
 そして、検察側は、一審の審理過程で2回も起訴状の内容を変更(訴因変更)をしています。いやはや...。
 問題の入所者は80代で、アルツハイマー型認知症」の患者でもあった。
 窒息死なら通常、苦しがって声を出したり、もがいたりするけれど、本件では入所者は異変を知らせるサインを何ら発していない。これだけでも、「窒息死」ではないということになりそうです。
 そして、ドーナツを食べながら牛乳を飲んだ人が果たしてノドに詰まらせて息が出来なくなるものなのか...。実験してみると、ドーナツはお餅(もち)と違ってすぐにボロボロになってしまうし、牛乳を一緒に飲んでいるのなら、ましてや窒息するような状況は考えられないとのことです。ドーナツは付着性、粘着性そして弾性が低いため、簡単に崩れてしまう。つまり、ノドをつまらせるものとは言えない。
被告側弁護団は、死因を脳梗塞が原因となって突然・何の前触れもなく心停止するということがあると主張しました。
 脳の機能は血流が止まった瞬間に働かなくなる。そして、脳細胞が壊れるのには時間がかかる。
 病院は傷病者の治療をする場であって、それに対して特養ホームは介護を専門的に提供する場という違いがある。なるほど、この違いは大切ですよね。
検察官は介護職員に対して罰金20万円を求刑。
 ドーナツの凝集性は、嚥下困難者用食品許可基準を満たしている。ドーナツは、通常の食品であり、それによる窒息は考えられないので、簡単に「窒息」と診断できない。
 弁護側は、専門医の指摘にもとづいて、心肺停止の原因は突然の脳梗塞だと主張した。
しかし、控訴審の裁判官は死因には関心を示さず、別のところで監視義務の怠慢はなかったと認定して無罪判決を書いたのでした。
たしかに一般論として死因が問題にならないという状況は想定しにくいですよね。
本件では、結果が良かった(無罪)わけですが、死因についても裁判所は判断できたように思われます。
(2023年11月刊。1800円+税)

2024年2月14日

三淵嘉子と家庭裁判所


(霧山昴)
著者 清永 聡 、 出版 日本評論社

 この春にスタートする朝ドラの主人公は、なんと女性裁判官だそうです。
 日本に初めて女性弁護士が登場することになったのは1938(昭和13)年のこと。3人の女性が司法試験(高等文官司法科試験)に合格したのです。もちろんビッグニュースになりました。
 司法科試験に女性も受験できるようになったのは1936(昭和11)年のことで、19人が受験したものの合格者はなく、翌1937年には女性1人が筆記試験に合格したけれど口述試験で不合格になりました。
 1938年に合格した女性3人は、武藤(のちの三渕)嘉子、中田正子そして久米愛。
 そもそも、女性には戦前、参政権が認められていませんでした。そして、大学にも女性は入れず、東京では明治大学だけが1929(昭和4)年に女性の入学を認めた。ただし、定員300人のところ、実際には50人しか入学者がいなくて、それも卒業時には20人ほどに減っていた。それだけ厳しかったのでしょうね。
 嘉子は修習を終えて第二東京弁護士会に登録して弁護士生活を始めた。そして結婚し、長男を出産。ところが、夫は兵隊にとられ、中国に出征していたところ病気にかかって、日本に帰国したものの、長崎の病院で死亡してしまった。
 戦後、嘉子は裁判官になることを考え、司法省へ出向いて「裁判官採用願」を提出した。しかし、裁判官ではなく、司法省嘱託として採用され、民事局さらに家庭局で働いた。
 あるとき、最高裁長官を囲む座談会が開かれ、ときの田中耕太郎長官が次のように発言した。
 「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て家庭裁判所裁判官がふさわしい」
 嘉子は、直ちに反論した。
 「家裁の裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別で決められるものではない」
 まさにそのとおりです。この田中耕太郎という男は軽蔑するしかない奴ですから、私は絶対に呼び捨てします。なにしろ実質的な訴訟当事者であるアメリカの大使に最高裁での評議の秘密を漏らし、その指示を受けて動いていたのですから、最悪・最低の人間です。ところが、先日、東京地裁の裁判官が、それをたいした悪いことではないと免罪する判決を書きました。あまりに情なく、涙が出ます(これは砂川事件の最高裁判決の裏話です)。
 そして、嘉子は後輩の女性裁判官の悪しき先例にならないよう、あえて家裁ではなく、地裁の裁判官になりました。すごいことです。
 嘉子は、原爆裁判に関わりました。その判決文には、「原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当」とあります。原爆投下は国際法に反する違法なものと裁判所が明快に断罪したのです。1963(昭和38)年12月7日の判決です。
 嘉子は1972(昭和47)年6月、新潟家庭裁判所の所長に就任。日本で初の女性裁判所長。1979(昭和54)年11月に定年退官したときは横浜家庭裁判所の所長だった。
 嘉子が「女性初」という肩書をつけながらも、重責に負けることなく立派にその使命をまっとうしたことがよく分かりました。
 今では、日本の司法界における女性の比率はかなり向上しています。日弁連も、この4月には初めての女性会長が実現することになりそうです。最近では、JAL(日本航空)の社長、そして日本共産党の委員長も女性です。首相も早く女性首相になればいいと考えていますが...。
(2023年12月刊。1200円+税)

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー