弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2025年4月 2日
たたかいの論理
(霧山昴)
著者 土肥 動嗣 、 出版 花伝社
馬奈木昭雄弁護士オーラル・ヒストリーというサブタイトルの本です。
久留米に事務所を構えている馬奈木弁護士は公害・環境問題で長く先頭に立って闘い、法理論の分野でも先進的な判例を次々に勝ち取り、日本社会を大きく揺り動かしてきました。
この本は2019年から2023年までの4年間に20回ものインタビューをテープ起こしして、「久留米大学法学」に9回連載したものを加除修正して出来あがっています。なので、馬奈木弁護士が話しているのを直に聴いている気がしてきます。私自身は、何回も馬奈木弁護士本人から、いろんな場で話を聴いていますので、目新しい話はそんなにありませんが、このように順序立ててまとめられると、改めて大いに勉強になります。
国には初めから国民の安全保護義務がある。人格権の一番の中核をなすのは、もちろん生命身体の安全だけれど、それは人として尊厳を保ちながら法的権利主体として生活できるということ。「最低限の生活でいい」と考えるのは間違い。尊厳を保たない最低限度の生活なんてありえない。
環境権をわざわざ法律に規定しないといけないという主張はバカバカしい。なんで憲法に書かないといけないのか。すでに憲法にきちんと書いてある。今さら書かないといけないというのは、憲法をよく分かっていない人。人格権は憲法に書いてあるに決まっている。
差止訴訟で勝つ要件は二つだけ。一つは、生命身体健康に被害が及ぶことを立証すること。もう一つは、現地で実際に止めていること。今まで勝った事件は、みんな、この二つの要件を満たしている。逆に、この要件を満たさない訴訟は勝てない。
反対運動の質問会では、司会を獲得する。司会を業者にやらせてはいけない。司会を獲得するテクニックはマイクを握って離さないこと。会場は住民の用意する公会堂。施設は住民が分かっている、マイクを絶対に渡さない。全部、住民がもっておく。
馬奈木弁護士が産業廃棄物問題に取り組んでいたことは私も知っていましたが、次の言葉には驚きました。
廃棄物をやっていた1990年代は、私が一番生き生きして取り組んでいた時代。2000年に入って、諫早干拓の開門裁判をやりだした。諫早も楽しかったけれど、諫早の楽しさはまた違うもの。廃棄物をやっていたときが、弁護士としての取り組みでは一番面白かった時代。危険性とは何かを正面から問いかけ、裁判所は曲がりなりにも答える。そんな時代だった。
法律論としては、諫早での物権的請求権、権利とは何かというのが面白い。廃棄物では事実問題、危ないという事実とは何かを正面から向きあうことができた。私たちは、原発差止裁判では、それをつくりきっていない。
筑後大堰(おおぜき)建設差止裁判も紹介されています。これは私も馬奈木弁護士に誘われて原告側弁護団の一員になりました。
筑後川の平面流量は毎秒70トンから80トンある。この下流域の観光水利権を淡水(あお)取水という。筑後川と有明海の天然条件は干満の差が6~7メートルある。国は福岡都市圏の都市用水と工業用水として筑後川の水を取りたいと考えた。筑後大堰は、淡水取水を退治するための農業用の合口堰という位置づけ。毎秒60トンから70トンあった慣行水利権を左岸と右岸の両方あわせて23トンにまで抑え込んだ。これによって、新しく取水可能な水量が生み出された。つまり、筑後大堰が建設されたのは、農民から水利権を取り上げるため。
ところで、筑後川には江戸時代に生きた「五庄屋物語」がある。これは筑後川の豊富な水量を周囲の田圃に変えようとした感動的な話。
水俣病にも、馬奈木弁護士はかかわっています。
戦前、チッソは漁民とのあいだで補償協定を結んでいる。この協定の一番のポイントは、被害の発生を防止することが目的ではなく、今後も被害を出し続けることを漁民に認めさせる目的であるということ。
水俣病にとって、安全とは何かという議論がある。それを国の基準を守ることとする。いやあ、これっておかしいでしょ。だって国の安全を定める基準というのは企業の存続優先であって、国民の生命・安全の優先など、まるで考慮していません。チッソの工場から廃液が海にたれ流されていて、それによって漁民をはじめ周辺住民に被害を及ぼしているのであったのに、廃液のなかの毒物が特定されないかぎり排水は原因ではない。というのは詭弁そのもの。基準を守ったらいいというけれど、現実に被害は出ている。
技術論争で被害者が勝てるわけがない。私たちが勝った裁判は裁判所が乗ってきた事件。
私は予防原則は主張としても言葉でも言わない。日本の裁判所は予防原則という言葉を聞いた瞬間、即座に思考停止する。そんなのは日本の法制度にはない。問答無用。聞く耳をもたない。
裁判所に聞く耳をもたないと言わせるアラジンの魔法のランプの言葉は、予防原則と環境権。ちなみに、予防原則とは、一定の危険があるものについては、安全性の証明を会社、開発者がやれ、というもの。
イタイイタイ病で激烈な病状を示したのは、全員が経産婦。これはカドミウムとカルシウムの構造が似ている。だから、骨のなかからカルシウムが抜けて、代わりにカドミウムが入ると、カルシウムの強さがないので、骨がボキボキ折れる。痛い痛いと泣き叫ぶ。寝返りをうっただけで骨が折れてしまう。カドミウムがカルシウムに一番多量に取ってかれる現象が出産。胎児に自分のカルシウムを与えると、不足する。カルシウムがなくなったところにカドミウムがどっと入ってくる。すると、骨の強さがないから、骨がボキボキ折れる。
私たちは駅弁論争を展開した。駅弁で食中毒が出た。何が原因かは分からない。でも、駅弁の会社は分かっている。このとき、食品行政は、その会社の駅弁の全部を販売停止する、弁当のどのおかずか、どの菌が入っているか特定しなければ販売をしてよい、とはならない。おかずのなかのどの菌かを特定しなければ販売を許すなんて、バカなことはしない。
水俣病を防ぐためには、排水規制をしておけばよかった。原因物質を特定せよという議論は犯罪的。
裁判を結審させ、判決をとるというのは、確実に勝つと社会的に明らかになっていて、マスコミも勝つと言っている、かつ、運動がもっとも充実したとき。判決で勝てると思っても、運動が充実していなければ、結審して判決をとってはいけない。
国を絶対に勝たせるという確信をもって裁判に臨んでいる。裁判官に対して、そういう判決は書けないように、いかに取り組むのか...。それが弁護士にとっての課題。
勝った判決を思い返してみると、裁判官と心と心が触れ合った瞬間がある。裁判官に清水の舞台から飛び降りるだけの決意をさせる。どうしたら、その飛躍させることができるのか、どうやったらそんな場面をつくり出すことができるのか、それが弁護団の課題。
私たちは、裁判で負けたときの心配はしない。勝ったときの心配はしている。どうやって、勝ったときに追い打ちをかけることができ、一気に推し進めることができるのか...、と。
裁判官が事実をごまかすようになった。これまでは、裁判官は正しい指摘には応じてきた。ところが、原告住民の指摘と証拠を無視し、国のごまかしにそのまま飛び乗ってしまう裁判官が出てきた。恐ろしいとしか言いようがない。
御用学者は、いつも、直ちに被害は出ないとごまかす。10年後、20年後のことは決して問題としない。
裁判の目的は、責任の所在と、大きな被害の全体像を明らかにすること。
裁判に何が何でも勝つために、とんでもないことを平気で主張し、実行するのが国の代理人。弁護士なら恥ずかしくて出来ないことを国の代理人が平然としてやる。そして、それが裁判官。自民党が代表している利益集団の利益を国の代理人(裁判官)が恥ずかしげもなく代表して主張する。
弁護士は、演劇でいうと、脚本家であり、プロデューサーでもあり、ディレクターでもあり、場合によっては自分が舞台に立つ必要もある。出演者の1人として演出もしないといけない。ただ、1人で出来るわけではない。みんなの協働作業。そのためには、弁護団に加入して、大勢の仲間と議論し、集団で取り組む活動を続けていくことが大切。
馬奈木弁護士が縦横に語っている本です。ただ、聴き手の学者による補足や解説がないと理解しにくいところが少なくないと思いました。そこが少し残念でした。330頁もの大著ですが、弁護士として学ぶべきところの多い本として、一読をおすすめします。
(2024年10月刊。2800円+税)
2025年3月27日
裁判官、当職もっと本音が知りたいのです
(霧山昴)
著者 岡口基一・中村真ほか 、 出版 学陽書房
九弁連主催の研修会で著者たちが語ったものが第一部となり、第二部として追加の座談会がもたれ、そこでの問答が紹介されています。とても実践的な内容で、すぐ今日から役に立ちますので、本書が発刊後たちまち増刷されたというのも納得です。
裁判官には二つのタイプがあること、高裁(控訴審)の1回結審を前提として、控訴理由書をどう書くか、裁判官はどのように事件を処理しているのか、まさしく弁護士なら誰でも知りたいことが明らかにされています。
私は長らく裁判官評価アンケートに関わっています。この回収率は単位会によってひどいアンバランスがあります。宮崎の9割、熊本の8割が突出していますが、福岡や北九州では2割に達しません(筑後部会だけは5割)。回答率が低い理由の一つに、担当裁判官の氏名を知らないので、アンケートに回答できないということがあげられます。自分の裁判を担当する裁判官の氏名を知らないということは、裁判官のタイプそして傾向も知らないということです。でも、裁判官の性向を知らず、自分の言いたいことを言ったら、あとは裁判官にすべておまかせというのはプロフェッショナルの弁護士としてあるまじきことなのです。ぜひ、裁判官評価アンケートにも協力してください。
裁判官には、相対的真実派と実体的真実派の二つのタイプがある。これを見分けるには、日頃から裁判官について情報を共有すること。そうなんです。裁判官をよく見きわめる必要があるのです。「敵」を知らずして勝てるはずはありません。
主張は要件事実でいき、立証はストーリーでいく。
準備書面にアンダーラインを引いておく必要はない。普通の文章を普通の感じで書くのが一番。読み慣れている書式が一番。といいつつ、この本は大事なところは、ゴシック(太字)になっています。
攻撃的な表現の書面は裁判官は迷惑に感じるだけ。
書面は短いにこしたことはない。意味もなく長いのは時間のムダ。
裁判官は1週間前に提出されると1回目はざっと見て、期日の前日にちゃんと読む。1週間前に提出されると、裁判官は考える時間が確保できる。期日の直前に提出する弁護士が今なお少なくありません。当日の朝に提出されることも珍しくはありません。私は1週間前の提出励行を心がけています。
裁判官は証拠はあまり見ないが、証拠説明書はしっかり見ている。
裁判官は訴状でファーストインプレッションを持つ。そして、しばらくその心証に拘束される。
とはいえ、証人尋問によって裁判官が心証を変えることはよくある。本人の顔を見て人柄を見抜く。尋問で、裁判官は自分の心証に間違いないかを検証している。
陳述書で裁判官の心証をとり、尋問には頼らない。陳述書が始まったときは、私も大いに懐疑的でした。でも、今は活用しています。やはり、なんといっても便利なのです。
裁判官にとって、当初の心証が変わらない事件は多い。
控訴審裁判官は、起案マシンのように毎日起案を強いられているので、基本的に控訴棄却、原判決維持で書きたいもの。
最終準備書面は、証拠評価であれば、裁判官は参考にする。新しい主張であれば時機に遅れたものとして、問題にもされない。
裁判官は録音は聞かないが、短い動画なら見る。
控訴審において、原判決の心証をいかに崩していくかも語られていて、いくつかのパターンが紹介されています。大変勉強になりました。
この本の作成にあたっては佐賀の半田望弁護士が大活躍しています。
(2025年3月刊。3300円)
2025年3月26日
日本弁護士総史
(霧山昴)
著者 安岡 崇志 、 出版 勁草書房
江戸時代に公事師(くじし)がいて、公事宿(くじやど)があったことは小説にも描かれていて、今ではかなり知られていると思います。ところが、この公事師を幕府は禁止していたとか、不当に軽く低く評価する人がいます。私は、いろいろの文献を読んで江戸時代の裁判手続において、公事師・公事宿の果たした役割は決して軽視すべきものではないと考えています。この本も、私と考えが共通しているようで、安心しました。
「公事宿・公事師は長い間、法制史・近世史の研究から打ち捨てられていた」
しかし、今では、「江戸時代の公事師や公事宿があまねく存在し影響を及ぼしたことにより、19世紀最後の四半世紀に劇的な法の変化への道が開かれた」として、積極的に評価されるようになっているのです。そして、明治以降の日本の法制度は、江戸時代の法制度と明らかに連続面をもっているとまで指摘されています。日本人の心性が明治ご一新の前後で、まったく異なったなど言えるはずはないのです。
そして、明治になって、初代の司法卿(法務大臣)になった江藤新平(佐賀戦争で敗れて大久保利通によって刑死)が民事訴訟に関する手続きを整備し、代言人に関する規則を定めました。
明治の初めに代言人となった人々は、江戸時代の公事宿・公事師の流れをくむ人だったと考えられる。つまり、訴訟代理の実態は、江戸から明治への「地続き」でした。
代言人が誕生して3年半後の1876年2月、司法省は代言人規則を制定した。
1876年に代言人の免許をとったのは、わずか174人。しかし、この当時民事訴訟(新受件数)は32万件もあった。つまり、無免許の代言人がほとんど代人として訴訟を請け負った。1880年7月、東京に代言人組合が誕生した。
1890年7月の第1回衆議院議員選挙のとき、300人の当選者のうち25~31人が代言者だった。
1893年5月、弁護士法が施行され、代言人は弁護士登録し、弁護士会を設立した。
代言人は、フランスの訴訟代理人の訳語として福沢諭吉が考え出したとされる造語。弁護士は、漢籍にもある古い「弁護」と「士」を組み合わせた半造語。
「三百代言」は下賤(げせん)な代言人を「三百」として、「安物」と見下したコトバ。
1896年6月に結成された日本弁護士協会は任意団体だったが、職能団体として時代に先駆けた功績をいくつもあげている。あとになって、弁護士法施行後の明治期を「黄金時代」だったとされた。(島田武夫・1958年度日弁連会長)。
1918年7月、富山県で半騒動が勃発したとき、日本弁護士協会は全国調査に乗り出し、総会で決議を採択した。
1933年当時の弁護士について、「弁護士には家主が家を貸さない。米屋からも酒屋からも鼻つまみにされる。既に人心を失った」とされた。「三百追放」は実現したが、弁護士層全般が下り坂になってしまった。
1929年、弁護士が背任、横領詐欺などで20人も逮捕された。1930年、日本弁護士協会が弁護士の経済状況をアンケート調査した。それによると、収入平均額は年2700円で、検事の平均俸給の8割程度だった。弁護士の6割近くが「弁護士純収入だけでは生活費をまかなえない」と回答した。金融恐慌の影響だとみられる。同時に、弁護士人口の過剰。毎年250人から350人増えていて、訴訟事件が減少していた。過当競争があり、非弁護士が暗躍していた。非弁取締の法律が1936年4月から施行された。
明治から終戦まで、弁護士がもっとも多かったのは1934年の7082人。翌1935年もほぼ同数の7075人。ところが、1936年に5976人に急減する。1937年から1938年にかけても945人減って、4866人になった。このように会員が減少したのは、①戦時の進行で国民の権利主張が圧迫され、弁護士の活動範囲が狭くなった。②満州国へ転出していった。③応召によって軍務についたほか、司政官となったなどがあげられる。
江戸時代の公事師、明治になってからの代言人、そして戦前の弁護士の実情がよく分かります。
(2024年12月刊。4400円)
一気に春めいてきました。団地の桜も気がつくと3分咲きです。日曜日の朝、庭に出るとチューリップ1号が咲いています。午後に帰って庭に出ると、至るところにチューリップが咲いていました。一気に開花したようです。今年は地植えのヒヤシンスが見事に咲いてくれました。紅、ピンク、黄色の花が華麗に咲きほこっています。
庭にジョウビタキがやってきました。そろそろお別れです。旅に出る挨拶に来てくれたようです。春はいいのですが、花粉症に悩まされ、目が痛く、鼻水したたるいい男なので、辛いです。
2025年3月18日
当山法律事務所40周年記念誌
(霧山昴)
著者 弁護士法人当山法律事務所 、 出版 非売品
沖縄で活躍している当山(とうやま)尚幸弁護士は私と同じ団塊世代です。40周年記念誌が送られてきましたので、早速、法廷を待つあいだ、市民相談の隙間時間に読んでみました。それがまた、とても面白くて、区切りのよいところまで読み上げたいと、少しばかり相談者を待たせてしまいました。ゴメンナサイ!
当山法律事務所の入っているテミスビル(自社ビルです)には私も行ったことがありますが、小高い丘に威風堂々としていて、当山弁護士そっくりの偉容です。
当山法律事務所は、県庁前、リーガルプラザ、松尾公園テミスビルと返遷し、2021年に法人化した。当山弁護士は弁護士になったとき33歳、独立創業時は36歳だったが、昨年9月、喜寿を迎えた。奥様(恵子様)は、もと裁判所書記官であり、当山弁護士と結婚してから税理士そして司法書士の資格を取得した。
当山弁護士の活動歴の紹介のなかで圧倒されたもの、私がとても真似できないと思ったものに、後進の養成法曹人材育成をライフワークとし、物心両面で支えてきたし、今も支えているということです。受験生に月10万円を半年間にわたって送り続け、琉球大学に当山フェローシップ(給付型奨学金)というシステムをつくって支給している。これは当山弁護士自身が沖縄から東京に出て苦しい受験生活を過ごしたという原体験にもとづいています。養鶏業をしていて楽ではない両親から月3万円の仕送りを受けていたのです。下宿の家賃は月7千円でした。
当山法律研究室(虎の穴)の紹介も落とせません。当山法律事務所にいて朝9時から夜9時まで1日12時間勉強することを条件として月に10万円を支給するというものです。神戸で活躍している韓国出身の自承豪弁護士も出身者の一人で、北九州で弁護士をしていた我那覇東子さんも出身者です。
さらに、当山法律事務所にかつて在籍していた弁護士、また弁護修習した弁護士や裁判官たち全員からメッセージが寄せられているのにも驚かされます。私の場合は双方にとって不本意な退所者が2人いて、その後は、まったく没交渉です。
当山弁護士は沖縄県の選管委員長ですが、これは本人自身が選挙に出る可能性がないことにもよります。父親の選挙での「悲惨な」体験があるのです。
その前に県の収用委員会の会長もつとめています。沖縄県の土地収用問題となると、米軍そして日本の防衛施設局が関係し、地権者は基地反対運動に組織化されているので、収用委員会は政治的に大きく注目される存在。会長は過激派から狙われ襲われる危険もあるというので、自宅の南北の側に、24時間立哨の警官が1ヶ月のあいだ配置されたとのこと。これは大変です。そして、公開審理では、「野次怒号のない円滑な審理」にすべく、関係者に協議を申し入れて実現。たいしたものです。
有村産業という負債300億円の会社更生法の保全管理人としての活動にも刮目(かつもく)しました。税務署が滞納金の差押をしてきた。これを解除しないと清算手続がすすまない。いったん決裂しかけたとき、考え直して、滞納金の10回分割支払いを提案し、税務署に承諾させた。これまたすごいです。粘り勝ちですね...。
当山弁護士は2001年4月から1年間、沖縄弁護士会の会長をつとめた。私も同じころ福岡で役員をつとめていましたので、それ以来、当山弁護士とはお互いよく知っている関係なのです。
当山弁護士の反対尋問は、相手(敵性証人)に9割も言わせておいて、いい気になったところで不利な証拠をつきつけ、そこからそれまでの証言との矛盾を次々に指摘して、信用性を一枚一枚はいでいって、裁判所の相手の信用を完全にぶち壊してしまう。その迫力は聞いている味方もトラウマになるほどの強烈さがある。身近にいて震えるほどの鋭さでした。
イソ弁が裁判の期日を間違っても、すぐにフォローして楽天的な方向にもっていき、カバーする。弁護士は間違えても、それを学んでいけばいいという楽観主義に徹している。
当山弁護士はアメリカの弁護士倫理を翻訳しています。60歳のとき英語研修でハワイに2週間いて、満点で卒業したそうです。私はフランス語をずっとずっと勉強していますが、ちっとも上達せず、翻訳するなんて考えたこともありません。
当山法律事務所にも税務調査が来ました。税務訴訟で全面勝訴したことの報復だろうとしています。ありうることです。そして、「おみやげ」なしで終わらせたそうです。えらいです。
当山弁護士は、ゴルフ大好き人間ですが、「ゴルフなんて亡国の遊びを自分はしない」と言っていたことがあるそうです。人間は変わるものです。
この記念誌のハイライトは、本人抜きで率直に語りつくした座談会。ところが、当山弁護士の悪口がちっとも出てこないのは、やはり人徳ですね。「大里の赤マムシ」と恐れられる男性事務員(近藤哲司さん)の発言が出色です。
最後に、当山弁護士の人柄について紹介します。
お節介だ。不言実行の人。カラオケ大好き、裕次郎大好き。奥様メロメロの愛妻家。人望の人。公聴心を持ちつつ、経済的にも成功をおさめている稀有(けう)な弁護士。
いやあ、こんな楽しく、実に豊かな内容の40周年記念誌(260頁)を読んで、なんだか心がほっこりしてきて、心も軽く、浮き浮きしてきます。沖縄タイムス社が編集協力しているとのことで、レイアウトも見事です。ありがとうございました。
(2024年7月刊。非売品)
2025年3月 4日
再審弁護人のベレー帽日記
(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 創出版
小柄な身体は闘志の魂(かたまり)のようです。私も何回か著者の話を聞きましたが、情熱がほとばしり出てくる、速射砲の展開に、心を射すくめられました。
この本は雑誌『創』の2021年6月号から3年間のコラムをもとにしています。この3年間に、日本の再審と刑事司法をめぐって大きな動きがありました。こうやって振り返ってみると、まさに激動した時代だとひしひしと実感させられます。
それにしても、2019年6月25日の最高裁判所の決定はひどい、ひどすぎます。せっかく大崎事件について地裁と高裁が認めた再審開始決定をとんでもない「事実」を認定して取り消したのです。許せません。
著者は、この5人の裁判官を忘れてはいけないとして、実名をあげ、国民審査で罷免しようと呼びかけました。まったく同感です。小池裕、池上政幸、木澤克之、山口厚、深山卓也の5人です。しょうもない連中だと言うほかありません。被告人とされた3人が自白しているんだから有罪で間違いないという捜査機関と同じ思い込みから、科学的な鑑定を無視し、はねつけたのです。ひどいものです。
そして、その後の再審請求について、ひどい最高裁決定をそのまま踏襲したような地裁決定が出されました。まさしくヒラメ裁判官です。勇気をもって自分の頭で考えようとしない裁判官が、いかに多いことか...。残念です。
再審事件の審理について、いつも納得できないことは、検察官が手持ち証拠を全部出さないこと、隠していること、あるいは袴田再審事件のように証拠を警察が偽造しているのに、それを容認して平然としていることです。大崎事件でも、検察官は、もう未開示証拠はないと断言したのに、鹿児島地裁の冨田敦史裁判長が証拠開示を勧告したら、18本ものネガフィルムが新たに開示されたそうです。検察官は嘘をついたわけです。
証拠は検察官の私物ではありません。公益の代表者として法廷で行動しているはずの検察官が自分に不利だと思った証拠を隠しもって提出しないということが許されていいはずはありません。
再審法は改正されるべきです。証拠開示手続の明文化、そして再審開始決定に検察官は不服申立(抗告)が出来ないようにすべきです。
著者はアーティストでもあります。ライブコンサートでピアノを弾き、歌っています。福岡で八尋光秀弁護士と一緒に、そして見事に再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんと共演しています。すごいものです。再審法改正の実現まで、どうぞ健康に留意されて、引き続きのご奮闘を心より祈念しています。
ここまで書いたあと、大崎事件でまたもや最高裁が再審しないと決定したことを知りました。本当にひどいです。学者出身の宇賀克也裁判官ひとり再審を認めるべきとしています。それだけが唯一の救いです。
(2025年1月刊。1870円)
2025年2月28日
企業法務弁護士入門
(霧山昴)
著者 松尾 剛行 、 出版 有斐閣
今や企業法務が若い人に圧倒的な人気です。先日聞いた話では、東大ロースクール生は、40人のクラスで35人が企業法務を志望していて、五大事務所に内定しているそうです。もちろん私は企業法務を否定しませんし、日本社会に大いに必要だと考えています。それでも、企業法務以外に選択肢がないかのような昨今の風潮は残念でなりません。弁護士の仕事は地域的にも、仕事のうえでも、もっと多様なんです。それぞれ自分の人生をかけていきていて、弁護士をしている。そのことを法曹をこれから目ざそうとしている若い人に知ってほしいと切に願っています。
そんな私が、なぜこの本を読んだのかというと、最近の企業法務の業務の実情を知りたかったからです。私の要望にしっかりこたえてくれる内容の本でした。
企業法務弁護士になりたいという学生のもっているイメージは...。
〇キラキラした仕事ができる
〇一般民事を扱うより、仕事が楽そう
〇感情論の比重の強い一般民事より合理的でロジックにもとづいて仕事ができる
〇裁判所に行かず事務所で仕事ができる
〇親族相続法や刑事法は扱わない
これについて、企業法務を扱うべきベテラン弁護士である著者は誤解と過大評価があるとしています。
キラキラ...仕事の実際は地味。
楽な仕事...大きなプレッシャーを受ける
合理的・ロジック...法務担当者の悩みを聞き、精神的なケアも必要
事務所で仕事...面談しての仕事は欠かせない
親族・相続、刑事を扱わない...社長の家族関係は扱うし、企業をめぐる犯罪を扱えなかったら困る
著者の以上の回答は、いちいちうなづけるものばかりです。
では、企業法務の特徴は何か...法務部門が行うリスク管理の過程に貢献し、組織としての意思決定に支援するところだと著者は考えている。
なるほど、そうなのでしょう。
企業法務であろうとなかろうと、弁護士実務は、正解のない問題に取り組むという特徴がある。誤りはあっても、唯一の正解というのはないのです。
新人弁護士に欠けているものは、失敗の経験。なるほど、これは言いえて妙です。まったくそのとおりです。私も数々の恥ずかしい失敗を重ねてきました。
弁護士業務ではバランスが重要、これまた、そのとおりです。仕事をすすめるうえでのバランス、利益衡量のバランス、仕事と家庭のバランス。いろんな面のバランスをうまくとっていかないと決して長続きしない。どこかに正解があるということはないので、自分なりに精一杯考え、必要なコミュニケーションをとり、周囲の人を巻き込んで正解をつくり上げていく。
企業法務の弁護士であっても、私のような地方の一般民事・家事を扱う弁護士であっても、目の前には生身(なまみ)の人間がいることを忘れずに取り組むのです。
弁護士にとって重要なものの一つに、人当たりの良いことがある。いつも明るく前向きにアドバイスすることで、法務担当者にとって相談したい弁護士になるべき。
これは法務担当者には限りません。相談者が帰るときには明るい、晴れやかな顔をしているのが理想です。
たとえば、「贈賄(ぞうわい)のリスクがあるから、やめなさい」と回答して終わってしまったら、法務担当者は次から相談に来ない。では、どうしたらリスクを回避できるか、一緒に悩みを共有して、打開策を探っていくべきなのです。
企業法務と刑事弁護は縁がないように見えるが、実はそうではないと著者は強調しています。著者自身が刑事弁護人として現役とのこと。私も、弁護士である限り、刑事弁護人の仕事は続けるつもりです。そのほとんどが国選弁護人ですけれど、やむをえません。
従業員の横領、性犯罪そして取締役の背任・横領など、企業内外をめぐる刑事犯罪の発生は必至です。そのとき、私は刑事弁護はやってない、分からないという対処はもちろんありえます。しかし、企業にからむ捜査対応では刑事弁護人の経験を生かすことができるものです。もちろん、本格的な刑事弁護はその道のプロに依頼したほうがいいことは多いでしょうが、それでも刑事弁護人の経験の有無は大きな意味をもってくると私も思うのです。
さすがの内容がぎっしり詰まっている本でした。
最後にもう一回。弁護士の仕事は企業法務だけではありません。若い人たちに、地方で困っている人はたくさんいますし、いろんな新しい分野にぜひ進出していって開拓していってほしいと呼びかけたいと考えています。
(2023年11月刊。2300円+税)
2025年2月24日
弁護士の日々記
(霧山昴)
著者 前田 豊 、 出版 石風社
福岡の弁護士である著者が20年前に弁護士会の役職にあったときの随想、そして最近の世相に思うことをまとめた本です。
私は、白寿(99歳)を祝った著者の父親の被爆体験を初めて識りました。長崎で19歳のとき被爆したのです。三菱造船稲佐製材工場で働いていました。
突然、空気中が溶接ガスの火花の色みたいになって爆風に飛ばされた。もう、これで死ぬのだと思った。何にも分からず、十数分くらいたったと思う。
三菱長崎製鋼所のあたりでは、市民や学徒動員の負傷者でいっぱいだった。まさに、この世の地獄だった。大橋から下の浦上川を見ると、そこも傷を負った人たちでいっぱいだった。死体もごろごろしていた。
救援列車に乗った。いったん乗って、降りて、戻ってくるのを待つと、超満員で汽車が戻ってきた。重傷者は、血止めの方法を教えれくれとか、殺してくれとか、苦しんでいる人が多くいた。車内はまさに地獄状態だった。やっとこさで乗り、列車の連結のところに立ちずくめで諫早駅まで行った。
焼けたふんどしに裸足(はだし)姿で駅から2キロ歩いて、家に着いた。畳に腹ばいになったあとは、何にも分からない。翌日、体全体が痛む。頭の毛が燃えた悪いにおいがする。昼間はハエがたかる。夜は蚊が刺す。弟たちがウチワであおいでくれる。火傷(ヤケド)にはイノシシや穴熊の油を父が塗ってくれる。背が自分の死を待っている状態で過ごす。8ヶ月後、ようやく歩けるようになった。
そんな状態にあったのに、99歳まで長生きしているとは、まことに人生とは分からないものです。
さて、随想のほうは20年前の司法をめぐる話題が豊富に提供されています。読んで、そうか20年前というと、裁判員裁判が始まったころなんだなと自覚させられました。
そして、法テラスもこのころ(2006年10月)スタートしたのでした。いろいろ批判もあるのですが、それまでの法律扶助制度に比べたら、格段の前進であることは間違いありません。
現在、天神中央公園にある貴賓(きひん)館に福岡控訴院(福岡高等裁判所の前身)があったことを初めて知りました。その後、赤坂近くの城内に移り、今は六本松にあります。
著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
それにしても、今の仙人姿は、どうなんでしょう...。相談に来た人に近寄りがたいという印象を与えていませんか。それとも奥様のお好みによるものなのでしょうか。
(2025年2月刊。1760円)
2025年2月20日
刑務所ごはん
(霧山昴)
著者 汪楠、ほんにかえるプロジェクト、 出版 K&Bパブリッシャーズ
私は福岡刑務所の食事を2回、大牟田拘置支所の食事も2回、食べたことがあります。どちらも出来たてのもので、大変美味しくいただきました。前者は弁護士会としての見学。後者は挨拶に行ったら、偶々、支所長が味見するという時間でしたので、支所長の分を少し分けてもらったのです。
福岡刑務所では、刑務官から、受刑者の楽しみは食べることくらいですので、乏しい食材費の制約のなか一生けん命に美味しいものをつくるように努力していますとの説明があり、納得したものでした。食材費の安さを多人数でなんとかカバーしているとのことでした。いずれも20年以上も前の話です。
ところが、今はまったく事情が異なるようです。先日、久しぶりに被告人国選を受任して拘置所で面会したとき、食事の話になりました。すると、なんと今はコンビニ弁当になっていて、しかも2種類を繰り返すだけだというのです。収容者が減ったことからのようですが、2種類しかないというのでは、本当に辛いと思います。留置場も同じようです。コンビニ弁当が繰り返されると聞きました。
著者は、受刑者の更生を支援する目的のボランティア団体であり、個人のほうの汪楠(わんなん)は中国残留孤児2世で、13年もの受刑生活のあと、出所して2015年に設立した団体。会員は全国30ヶ所の刑務所にいる200人の受刑者で、うち女性は4人のみ。無期懲役の人が多い。
この本によると、「犯罪白書」に、受刑者1人あたりの食費は543.21円(主食97.09円、副食446.12円)。10年前(2013年)と比べると10.38円の増額(2%増)とのこと。食材が20%以上も値上がりしているので、食事の質の低下を招いている。また、受刑者の高齢化を反映して、減塩化がすすんでいるそうです。
20年前の食事は味付けもしっかりしていて、量も多く、料理のバリエーションも豊富で、満足感が味わえた。しかし、今ではそれが失われた。今では生の野菜や果物を食べることがない。夕食は夕方5時前に食べ、その後の夜は長く、空腹感に襲われる。
主食は「麦(ばく)しゃり」と呼ばれる。米7麦3の割合のもの。米といっても保存期間の過ぎた備蓄米。受刑者に好評なのはカレー。味があるから。ただし、肉の塊(かたまり)が出てくることはなく、小さな肉片のみ。昼に麺が出てくるけど、のびていて、汁も冷めている。アツアツのラーメンを、フーフーしながら食べたいと受刑者は願っている。
刑務所の食事は健康的で、糖尿病になる心配はない。クリスマスや大みそか、そして正月は特別な料理が出てくる。市販のお菓子も添えられる。受刑者にとって、お菓子が食べられるのは、とてもうれしいこと。
更生に必要なのは、社会との和解。反省は一人でも出来るが、更生は一人では出来ない。まったくそのとおりだと思います。人間らしく扱われない限り、その人は社会に恨みを抱いたままでしょう。
会員から寄せられた声をもとにして食事の再現写真があり、イメージを具体的につかむことができました。そうか、刑務所の食事は、まずくなってしまったのか...。世の中は変わった(悪いほうに...)と思いました。
(2024年11月刊。1980円)
2025年2月14日
武器としての国際人権
(霧山昴)
著者 藤田 早苗 、 出版 集英社新書
2月7日(金)夜、福岡県弁護士会館で著者の講演会があり、その会場で買い求めました。大変刺激的な内容で、とても勉強になりました。
イギリスのスーパーではレジ係は座って客と応対しているのに、日本では依然として立ったまま。スーパーのレジ係の賃金(時給)は、イギリスでは2500円なのに、日本では1000円。すぐにでも1500円に引き上げるべきです。
インバウンドが急増しているのは、日本が「安い国」になっているから。
「日本での旅行や買い物が安くなったからインバウンドが急増している。だから、外国人観光客の急増は、本当は日本にとって恥ずかしいことだし、悲しいこと」(野口悠紀雄、一橋大学名誉教授)
イギリスでは外食は高い。でも、食材自体は日本と変わらないくらい安い。人の手が加わると高くなる。つまり、労働の対価である賃金・報酬がきちんと守られている。
イギリスを含めてヨーロッパでは賃上げを求めるストライキが頻発している。それによって賃上げが実現している。イギリスではストライキについて、不便だけど、大事な仕事をしている人だから、もっときちんと支払われるべきだと考える人が一般的。ところが、日本では「迷惑」「わがまま」だといってストライキを毛嫌いし、禁忌(タブー)になっている。それでは賃上げすることは出来ない。
日本の賃金があまりに低いため、優秀な人材は海外に仕事を求めて出ていく(頭脳流出)。そして、外国人労働者も日本を選ばなくなっている。
個人的な怒りではなく、公的な怒りを表明するのは大切。不条理なことに対する「正当な怒り」のないところに社会変革はない。
今の日本のメディアはだらしがないと、内心でつぶやくだけではダメ。「編集局長さま」と宛名を書いてメディアに送ることから始めよう。
日本の学校の人権教育は、他人への「思いやり」が人権だと錯覚させている。しかし、「思いやり」と「人権とは全然、別のもの。
司法試験を受けるとき、国際公法を選択する人は少ない。なので、弁護士も裁判官も世界人権宣言を学んでいない。人権の実現には、政府が義務を遂行する必要がある。
ヨーロッパの子どもたちは、義務教育の中で自分たちの権利について学んでいる。そのため、若者がデモ行進をして権利を主張することは当たりまえのこと。日本では、そうはなっていない。
女性に参政権が認められたのは1918年のこと。一定の条件を満たす30歳以上の女性に限定。それにしても、既に100年以上たっているのに、日本の国会議員の女性比率は2割でしかない。
日本軍の従軍慰安婦について、かつては教科書にきちんと紹介されて問題だとされていたのに、今では教科書から消え去ってしまっている。
タイトルにあるように、多くの弁護士が国際人権宣言を武器としてつかいこなせるようになることが、まずは私たちの当面する課題だと痛感しました。
(2024年7月刊。1100円)
2025年2月 5日
獄中日記
(霧山昴)
著者 河井 克行 、 出版 飛鳥新社
日本史上初めて、法務大臣が刑務所に入って3年あまりを刑務所の中で過ごしました。
その体験記というので、早速、読んでみました。この本のもとになったのは右翼の月刊誌に連載されていたものです。なので、今なお手放しの安倍礼賛が満載で、嫌になってしまいます。日本社会の底辺の現実に目を向けようとしない姿勢は刑務所に入っても変わらないようです。残念です。刑務所に入っている人々からじっくり話を聞く機会があったら少しは変わったと思いますが、刑務所のなかでは収容所同士の「交談」(雑談)は一切禁止されているのです。
たとえば、昼、工場内で作業中にトイレに行きたくなったとき、どうしたらよいか...。右手を耳にくっつけてまっすぐに上げ、「担当前、願います」と言って移動の許可を得てから刑務官の前に行き、脱帽、礼をして自分の番号と氏名(苗字)を言ったあと「用便に行っていいですか?」と訊く。全身を触って検査を受けたあと、「移動願います」と言って、「よし」と言われてから歩き出す。途中を省略し、「用便終わりました」と言うと身体検査を受け、「移動願います」と発して「よし」と言われて自席に戻る。トイレに行って帰るまで、17回も挙手し、大声で許可を求めなければいけない。
同じ工場内の収容者と仕事上に必要な会話をするにしても手を上げて刑務官から「河井、用件は?」と声がかかるまで待ち、「○○さんと交談願います」と言う。相手も同じく、「よし」と言われないと会話は始められない。そこまでの必要があるんでしょうかね...。
著者が従事していたのは図書計算工場での図書係と報奨金の計算係。
平成20年に出所した受刑者のうち、5年以内に再び塀の中に入った人(再犯率)は4割近い。平成29年も37.2%と、ほとんど減っていない。10年以内の再犯率だと平成20年には40%なので、半数近い。なぜか...。懲らしめただけで反省する人はいない。人間らしく、尊厳をもって扱われたときに初めて人は更生しようという意欲を抱く。
著者は、刑務官の処遇改善も訴えていますが、まったく同感です。受刑者いじめという、あってはならないことが横行したのは、やはり刑務官の待遇が劣悪なことも大いに影響していると思います。
著者は2021年10月21日から、2023年11月29日まで、3年2ヶ月間、「塀の中」で生活しました。判決では未決勾留日数408日間が、1日も刑期に算入させていません。懲役3年の実刑で、控訴したものの取り下げ、服役したのです。
入ったのは喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センターという名前の刑務所。ここは民間委託もしていたようですが、今は国営直轄に戻っています。私の知人(大学同期)の元弁護士(故人)も、ここにしばらく入っていました。
著者は1億5000万円の使途について、あくまで広報・宣伝費だと強弁し、選挙運動の買収費ではないと主張しつつ、被買収側が処罰されていないのは不公平だ、だから検察の起訴は公訴権の乱用だと主張しています。
福岡で諌山博弁護士(故人)と一緒に私も公訴権乱用だと裁判で主張したことがあります。演説会告知ビラを柳川市内の商店街に配布したのが戸別訪問にあたるとして起訴されたのでした(松石事件)。一審の柳川支部(平湯真人裁判官、故人)は公選法こそ憲法違反だとして無罪判決を出してくれました。
国会議員しかも法務大臣の経験者が刑務所に入って、その問題点を具体的に指摘することによって、少しでも刑務所内の処遇が人道的見地から改善されることを私も願っています。
(2024年10月刊。1727円+税)