弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2025年3月18日

当山法律事務所40周年記念誌

(霧山昴)
著者 弁護士法人当山法律事務所 、 出版 非売品

 沖縄で活躍している当山(とうやま)尚幸弁護士は私と同じ団塊世代です。40周年記念誌が送られてきましたので、早速、法廷を待つあいだ、市民相談の隙間時間に読んでみました。それがまた、とても面白くて、区切りのよいところまで読み上げたいと、少しばかり相談者を待たせてしまいました。ゴメンナサイ!
 当山法律事務所の入っているテミスビル(自社ビルです)には私も行ったことがありますが、小高い丘に威風堂々としていて、当山弁護士そっくりの偉容です。
 当山法律事務所は、県庁前、リーガルプラザ、松尾公園テミスビルと返遷し、2021年に法人化した。当山弁護士は弁護士になったとき33歳、独立創業時は36歳だったが、昨年9月、喜寿を迎えた。奥様(恵子様)は、もと裁判所書記官であり、当山弁護士と結婚してから税理士そして司法書士の資格を取得した。
 当山弁護士の活動歴の紹介のなかで圧倒されたもの、私がとても真似できないと思ったものに、後進の養成法曹人材育成をライフワークとし、物心両面で支えてきたし、今も支えているということです。受験生に月10万円を半年間にわたって送り続け、琉球大学に当山フェローシップ(給付型奨学金)というシステムをつくって支給している。これは当山弁護士自身が沖縄から東京に出て苦しい受験生活を過ごしたという原体験にもとづいています。養鶏業をしていて楽ではない両親から月3万円の仕送りを受けていたのです。下宿の家賃は月7千円でした。
 当山法律研究室(虎の穴)の紹介も落とせません。当山法律事務所にいて朝9時から夜9時まで1日12時間勉強することを条件として月に10万円を支給するというものです。神戸で活躍している韓国出身の自承豪弁護士も出身者の一人で、北九州で弁護士をしていた我那覇東子さんも出身者です。
 さらに、当山法律事務所にかつて在籍していた弁護士、また弁護修習した弁護士や裁判官たち全員からメッセージが寄せられているのにも驚かされます。私の場合は双方にとって不本意な退所者が2人いて、その後は、まったく没交渉です。
当山弁護士は沖縄県の選管委員長ですが、これは本人自身が選挙に出る可能性がないことにもよります。父親の選挙での「悲惨な」体験があるのです。
その前に県の収用委員会の会長もつとめています。沖縄県の土地収用問題となると、米軍そして日本の防衛施設局が関係し、地権者は基地反対運動に組織化されているので、収用委員会は政治的に大きく注目される存在。会長は過激派から狙われ襲われる危険もあるというので、自宅の南北の側に、24時間立哨の警官が1ヶ月のあいだ配置されたとのこと。これは大変です。そして、公開審理では、「野次怒号のない円滑な審理」にすべく、関係者に協議を申し入れて実現。たいしたものです。
有村産業という負債300億円の会社更生法の保全管理人としての活動にも刮目(かつもく)しました。税務署が滞納金の差押をしてきた。これを解除しないと清算手続がすすまない。いったん決裂しかけたとき、考え直して、滞納金の10回分割支払いを提案し、税務署に承諾させた。これまたすごいです。粘り勝ちですね...。
 当山弁護士は2001年4月から1年間、沖縄弁護士会の会長をつとめた。私も同じころ福岡で役員をつとめていましたので、それ以来、当山弁護士とはお互いよく知っている関係なのです。
当山弁護士の反対尋問は、相手(敵性証人)に9割も言わせておいて、いい気になったところで不利な証拠をつきつけ、そこからそれまでの証言との矛盾を次々に指摘して、信用性を一枚一枚はいでいって、裁判所の相手の信用を完全にぶち壊してしまう。その迫力は聞いている味方もトラウマになるほどの強烈さがある。身近にいて震えるほどの鋭さでした。
 イソ弁が裁判の期日を間違っても、すぐにフォローして楽天的な方向にもっていき、カバーする。弁護士は間違えても、それを学んでいけばいいという楽観主義に徹している。
 当山弁護士はアメリカの弁護士倫理を翻訳しています。60歳のとき英語研修でハワイに2週間いて、満点で卒業したそうです。私はフランス語をずっとずっと勉強していますが、ちっとも上達せず、翻訳するなんて考えたこともありません。
 当山法律事務所にも税務調査が来ました。税務訴訟で全面勝訴したことの報復だろうとしています。ありうることです。そして、「おみやげ」なしで終わらせたそうです。えらいです。
 当山弁護士は、ゴルフ大好き人間ですが、「ゴルフなんて亡国の遊びを自分はしない」と言っていたことがあるそうです。人間は変わるものです。
この記念誌のハイライトは、本人抜きで率直に語りつくした座談会。ところが、当山弁護士の悪口がちっとも出てこないのは、やはり人徳ですね。「大里の赤マムシ」と恐れられる男性事務員(近藤哲司さん)の発言が出色です。
 最後に、当山弁護士の人柄について紹介します。
 お節介だ。不言実行の人。カラオケ大好き、裕次郎大好き。奥様メロメロの愛妻家。人望の人。公聴心を持ちつつ、経済的にも成功をおさめている稀有(けう)な弁護士。
 いやあ、こんな楽しく、実に豊かな内容の40周年記念誌(260頁)を読んで、なんだか心がほっこりしてきて、心も軽く、浮き浮きしてきます。沖縄タイムス社が編集協力しているとのことで、レイアウトも見事です。ありがとうございました。
(2024年7月刊。非売品)

2025年3月 4日

再審弁護人のベレー帽日記


(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 創出版

 小柄な身体は闘志の魂(かたまり)のようです。私も何回か著者の話を聞きましたが、情熱がほとばしり出てくる、速射砲の展開に、心を射すくめられました。
 この本は雑誌『創』の2021年6月号から3年間のコラムをもとにしています。この3年間に、日本の再審と刑事司法をめぐって大きな動きがありました。こうやって振り返ってみると、まさに激動した時代だとひしひしと実感させられます。
 それにしても、2019年6月25日の最高裁判所の決定はひどい、ひどすぎます。せっかく大崎事件について地裁と高裁が認めた再審開始決定をとんでもない「事実」を認定して取り消したのです。許せません。
 著者は、この5人の裁判官を忘れてはいけないとして、実名をあげ、国民審査で罷免しようと呼びかけました。まったく同感です。小池裕、池上政幸、木澤克之、山口厚、深山卓也の5人です。しょうもない連中だと言うほかありません。被告人とされた3人が自白しているんだから有罪で間違いないという捜査機関と同じ思い込みから、科学的な鑑定を無視し、はねつけたのです。ひどいものです。
 そして、その後の再審請求について、ひどい最高裁決定をそのまま踏襲したような地裁決定が出されました。まさしくヒラメ裁判官です。勇気をもって自分の頭で考えようとしない裁判官が、いかに多いことか...。残念です。
 再審事件の審理について、いつも納得できないことは、検察官が手持ち証拠を全部出さないこと、隠していること、あるいは袴田再審事件のように証拠を警察が偽造しているのに、それを容認して平然としていることです。大崎事件でも、検察官は、もう未開示証拠はないと断言したのに、鹿児島地裁の冨田敦史裁判長が証拠開示を勧告したら、18本ものネガフィルムが新たに開示されたそうです。検察官は嘘をついたわけです。
 証拠は検察官の私物ではありません。公益の代表者として法廷で行動しているはずの検察官が自分に不利だと思った証拠を隠しもって提出しないということが許されていいはずはありません。
 再審法は改正されるべきです。証拠開示手続の明文化、そして再審開始決定に検察官は不服申立(抗告)が出来ないようにすべきです。
 著者はアーティストでもあります。ライブコンサートでピアノを弾き、歌っています。福岡で八尋光秀弁護士と一緒に、そして見事に再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんと共演しています。すごいものです。再審法改正の実現まで、どうぞ健康に留意されて、引き続きのご奮闘を心より祈念しています。
 ここまで書いたあと、大崎事件でまたもや最高裁が再審しないと決定したことを知りました。本当にひどいです。学者出身の宇賀克也裁判官ひとり再審を認めるべきとしています。それだけが唯一の救いです。
(2025年1月刊。1870円)

2025年2月28日

企業法務弁護士入門


(霧山昴)
著者 松尾 剛行 、 出版 有斐閣

 今や企業法務が若い人に圧倒的な人気です。先日聞いた話では、東大ロースクール生は、40人のクラスで35人が企業法務を志望していて、五大事務所に内定しているそうです。もちろん私は企業法務を否定しませんし、日本社会に大いに必要だと考えています。それでも、企業法務以外に選択肢がないかのような昨今の風潮は残念でなりません。弁護士の仕事は地域的にも、仕事のうえでも、もっと多様なんです。それぞれ自分の人生をかけていきていて、弁護士をしている。そのことを法曹をこれから目ざそうとしている若い人に知ってほしいと切に願っています。
 そんな私が、なぜこの本を読んだのかというと、最近の企業法務の業務の実情を知りたかったからです。私の要望にしっかりこたえてくれる内容の本でした。
 企業法務弁護士になりたいという学生のもっているイメージは...。
 〇キラキラした仕事ができる
 〇一般民事を扱うより、仕事が楽そう
 〇感情論の比重の強い一般民事より合理的でロジックにもとづいて仕事ができる
 〇裁判所に行かず事務所で仕事ができる
 〇親族相続法や刑事法は扱わない
 これについて、企業法務を扱うべきベテラン弁護士である著者は誤解と過大評価があるとしています。
 キラキラ...仕事の実際は地味。
 楽な仕事...大きなプレッシャーを受ける
 合理的・ロジック...法務担当者の悩みを聞き、精神的なケアも必要
 事務所で仕事...面談しての仕事は欠かせない
 親族・相続、刑事を扱わない...社長の家族関係は扱うし、企業をめぐる犯罪を扱えなかったら困る
 著者の以上の回答は、いちいちうなづけるものばかりです。
 では、企業法務の特徴は何か...法務部門が行うリスク管理の過程に貢献し、組織としての意思決定に支援するところだと著者は考えている。
 なるほど、そうなのでしょう。
 企業法務であろうとなかろうと、弁護士実務は、正解のない問題に取り組むという特徴がある。誤りはあっても、唯一の正解というのはないのです。
 新人弁護士に欠けているものは、失敗の経験。なるほど、これは言いえて妙です。まったくそのとおりです。私も数々の恥ずかしい失敗を重ねてきました。
 弁護士業務ではバランスが重要、これまた、そのとおりです。仕事をすすめるうえでのバランス、利益衡量のバランス、仕事と家庭のバランス。いろんな面のバランスをうまくとっていかないと決して長続きしない。どこかに正解があるということはないので、自分なりに精一杯考え、必要なコミュニケーションをとり、周囲の人を巻き込んで正解をつくり上げていく。
 企業法務の弁護士であっても、私のような地方の一般民事・家事を扱う弁護士であっても、目の前には生身(なまみ)の人間がいることを忘れずに取り組むのです。
 弁護士にとって重要なものの一つに、人当たりの良いことがある。いつも明るく前向きにアドバイスすることで、法務担当者にとって相談したい弁護士になるべき。
 これは法務担当者には限りません。相談者が帰るときには明るい、晴れやかな顔をしているのが理想です。
 たとえば、「贈賄(ぞうわい)のリスクがあるから、やめなさい」と回答して終わってしまったら、法務担当者は次から相談に来ない。では、どうしたらリスクを回避できるか、一緒に悩みを共有して、打開策を探っていくべきなのです。
企業法務と刑事弁護は縁がないように見えるが、実はそうではないと著者は強調しています。著者自身が刑事弁護人として現役とのこと。私も、弁護士である限り、刑事弁護人の仕事は続けるつもりです。そのほとんどが国選弁護人ですけれど、やむをえません。
 従業員の横領、性犯罪そして取締役の背任・横領など、企業内外をめぐる刑事犯罪の発生は必至です。そのとき、私は刑事弁護はやってない、分からないという対処はもちろんありえます。しかし、企業にからむ捜査対応では刑事弁護人の経験を生かすことができるものです。もちろん、本格的な刑事弁護はその道のプロに依頼したほうがいいことは多いでしょうが、それでも刑事弁護人の経験の有無は大きな意味をもってくると私も思うのです。
 さすがの内容がぎっしり詰まっている本でした。
 最後にもう一回。弁護士の仕事は企業法務だけではありません。若い人たちに、地方で困っている人はたくさんいますし、いろんな新しい分野にぜひ進出していって開拓していってほしいと呼びかけたいと考えています。
(2023年11月刊。2300円+税)

2025年2月24日

弁護士の日々記


(霧山昴)
著者 前田 豊 、 出版 石風社

 福岡の弁護士である著者が20年前に弁護士会の役職にあったときの随想、そして最近の世相に思うことをまとめた本です。
 私は、白寿(99歳)を祝った著者の父親の被爆体験を初めて識りました。長崎で19歳のとき被爆したのです。三菱造船稲佐製材工場で働いていました。
 突然、空気中が溶接ガスの火花の色みたいになって爆風に飛ばされた。もう、これで死ぬのだと思った。何にも分からず、十数分くらいたったと思う。
 三菱長崎製鋼所のあたりでは、市民や学徒動員の負傷者でいっぱいだった。まさに、この世の地獄だった。大橋から下の浦上川を見ると、そこも傷を負った人たちでいっぱいだった。死体もごろごろしていた。
 救援列車に乗った。いったん乗って、降りて、戻ってくるのを待つと、超満員で汽車が戻ってきた。重傷者は、血止めの方法を教えれくれとか、殺してくれとか、苦しんでいる人が多くいた。車内はまさに地獄状態だった。やっとこさで乗り、列車の連結のところに立ちずくめで諫早駅まで行った。
 焼けたふんどしに裸足(はだし)姿で駅から2キロ歩いて、家に着いた。畳に腹ばいになったあとは、何にも分からない。翌日、体全体が痛む。頭の毛が燃えた悪いにおいがする。昼間はハエがたかる。夜は蚊が刺す。弟たちがウチワであおいでくれる。火傷(ヤケド)にはイノシシや穴熊の油を父が塗ってくれる。背が自分の死を待っている状態で過ごす。8ヶ月後、ようやく歩けるようになった。
そんな状態にあったのに、99歳まで長生きしているとは、まことに人生とは分からないものです。
 さて、随想のほうは20年前の司法をめぐる話題が豊富に提供されています。読んで、そうか20年前というと、裁判員裁判が始まったころなんだなと自覚させられました。
 そして、法テラスもこのころ(2006年10月)スタートしたのでした。いろいろ批判もあるのですが、それまでの法律扶助制度に比べたら、格段の前進であることは間違いありません。
 現在、天神中央公園にある貴賓(きひん)館に福岡控訴院(福岡高等裁判所の前身)があったことを初めて知りました。その後、赤坂近くの城内に移り、今は六本松にあります。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
 それにしても、今の仙人姿は、どうなんでしょう...。相談に来た人に近寄りがたいという印象を与えていませんか。それとも奥様のお好みによるものなのでしょうか。
(2025年2月刊。1760円)

2025年2月20日

刑務所ごはん


(霧山昴)
著者 汪楠、ほんにかえるプロジェクト、 出版 K&Bパブリッシャーズ

 私は福岡刑務所の食事を2回、大牟田拘置支所の食事も2回、食べたことがあります。どちらも出来たてのもので、大変美味しくいただきました。前者は弁護士会としての見学。後者は挨拶に行ったら、偶々、支所長が味見するという時間でしたので、支所長の分を少し分けてもらったのです。
 福岡刑務所では、刑務官から、受刑者の楽しみは食べることくらいですので、乏しい食材費の制約のなか一生けん命に美味しいものをつくるように努力していますとの説明があり、納得したものでした。食材費の安さを多人数でなんとかカバーしているとのことでした。いずれも20年以上も前の話です。
 ところが、今はまったく事情が異なるようです。先日、久しぶりに被告人国選を受任して拘置所で面会したとき、食事の話になりました。すると、なんと今はコンビニ弁当になっていて、しかも2種類を繰り返すだけだというのです。収容者が減ったことからのようですが、2種類しかないというのでは、本当に辛いと思います。留置場も同じようです。コンビニ弁当が繰り返されると聞きました。
 著者は、受刑者の更生を支援する目的のボランティア団体であり、個人のほうの汪楠(わんなん)は中国残留孤児2世で、13年もの受刑生活のあと、出所して2015年に設立した団体。会員は全国30ヶ所の刑務所にいる200人の受刑者で、うち女性は4人のみ。無期懲役の人が多い。
 この本によると、「犯罪白書」に、受刑者1人あたりの食費は543.21円(主食97.09円、副食446.12円)。10年前(2013年)と比べると10.38円の増額(2%増)とのこと。食材が20%以上も値上がりしているので、食事の質の低下を招いている。また、受刑者の高齢化を反映して、減塩化がすすんでいるそうです。
 20年前の食事は味付けもしっかりしていて、量も多く、料理のバリエーションも豊富で、満足感が味わえた。しかし、今ではそれが失われた。今では生の野菜や果物を食べることがない。夕食は夕方5時前に食べ、その後の夜は長く、空腹感に襲われる。
 主食は「麦(ばく)しゃり」と呼ばれる。米7麦3の割合のもの。米といっても保存期間の過ぎた備蓄米。受刑者に好評なのはカレー。味があるから。ただし、肉の塊(かたまり)が出てくることはなく、小さな肉片のみ。昼に麺が出てくるけど、のびていて、汁も冷めている。アツアツのラーメンを、フーフーしながら食べたいと受刑者は願っている。
 刑務所の食事は健康的で、糖尿病になる心配はない。クリスマスや大みそか、そして正月は特別な料理が出てくる。市販のお菓子も添えられる。受刑者にとって、お菓子が食べられるのは、とてもうれしいこと。
更生に必要なのは、社会との和解。反省は一人でも出来るが、更生は一人では出来ない。まったくそのとおりだと思います。人間らしく扱われない限り、その人は社会に恨みを抱いたままでしょう。
会員から寄せられた声をもとにして食事の再現写真があり、イメージを具体的につかむことができました。そうか、刑務所の食事は、まずくなってしまったのか...。世の中は変わった(悪いほうに...)と思いました。
(2024年11月刊。1980円)

2025年2月14日

武器としての国際人権


(霧山昴)
著者 藤田 早苗 、 出版 集英社新書

 2月7日(金)夜、福岡県弁護士会館で著者の講演会があり、その会場で買い求めました。大変刺激的な内容で、とても勉強になりました。
 イギリスのスーパーではレジ係は座って客と応対しているのに、日本では依然として立ったまま。スーパーのレジ係の賃金(時給)は、イギリスでは2500円なのに、日本では1000円。すぐにでも1500円に引き上げるべきです。
インバウンドが急増しているのは、日本が「安い国」になっているから。
「日本での旅行や買い物が安くなったからインバウンドが急増している。だから、外国人観光客の急増は、本当は日本にとって恥ずかしいことだし、悲しいこと」(野口悠紀雄、一橋大学名誉教授)
 イギリスでは外食は高い。でも、食材自体は日本と変わらないくらい安い。人の手が加わると高くなる。つまり、労働の対価である賃金・報酬がきちんと守られている。
イギリスを含めてヨーロッパでは賃上げを求めるストライキが頻発している。それによって賃上げが実現している。イギリスではストライキについて、不便だけど、大事な仕事をしている人だから、もっときちんと支払われるべきだと考える人が一般的。ところが、日本では「迷惑」「わがまま」だといってストライキを毛嫌いし、禁忌(タブー)になっている。それでは賃上げすることは出来ない。
 日本の賃金があまりに低いため、優秀な人材は海外に仕事を求めて出ていく(頭脳流出)。そして、外国人労働者も日本を選ばなくなっている。
 個人的な怒りではなく、公的な怒りを表明するのは大切。不条理なことに対する「正当な怒り」のないところに社会変革はない。
 今の日本のメディアはだらしがないと、内心でつぶやくだけではダメ。「編集局長さま」と宛名を書いてメディアに送ることから始めよう。
 日本の学校の人権教育は、他人への「思いやり」が人権だと錯覚させている。しかし、「思いやり」と「人権とは全然、別のもの。
司法試験を受けるとき、国際公法を選択する人は少ない。なので、弁護士も裁判官も世界人権宣言を学んでいない。人権の実現には、政府が義務を遂行する必要がある。
ヨーロッパの子どもたちは、義務教育の中で自分たちの権利について学んでいる。そのため、若者がデモ行進をして権利を主張することは当たりまえのこと。日本では、そうはなっていない。
 女性に参政権が認められたのは1918年のこと。一定の条件を満たす30歳以上の女性に限定。それにしても、既に100年以上たっているのに、日本の国会議員の女性比率は2割でしかない。
日本軍の従軍慰安婦について、かつては教科書にきちんと紹介されて問題だとされていたのに、今では教科書から消え去ってしまっている。
 タイトルにあるように、多くの弁護士が国際人権宣言を武器としてつかいこなせるようになることが、まずは私たちの当面する課題だと痛感しました。
(2024年7月刊。1100円)

2025年2月 5日

獄中日記


(霧山昴)
著者 河井 克行 、 出版 飛鳥新社

 日本史上初めて、法務大臣が刑務所に入って3年あまりを刑務所の中で過ごしました。
 その体験記というので、早速、読んでみました。この本のもとになったのは右翼の月刊誌に連載されていたものです。なので、今なお手放しの安倍礼賛が満載で、嫌になってしまいます。日本社会の底辺の現実に目を向けようとしない姿勢は刑務所に入っても変わらないようです。残念です。刑務所に入っている人々からじっくり話を聞く機会があったら少しは変わったと思いますが、刑務所のなかでは収容所同士の「交談」(雑談)は一切禁止されているのです。
 たとえば、昼、工場内で作業中にトイレに行きたくなったとき、どうしたらよいか...。右手を耳にくっつけてまっすぐに上げ、「担当前、願います」と言って移動の許可を得てから刑務官の前に行き、脱帽、礼をして自分の番号と氏名(苗字)を言ったあと「用便に行っていいですか?」と訊く。全身を触って検査を受けたあと、「移動願います」と言って、「よし」と言われてから歩き出す。途中を省略し、「用便終わりました」と言うと身体検査を受け、「移動願います」と発して「よし」と言われて自席に戻る。トイレに行って帰るまで、17回も挙手し、大声で許可を求めなければいけない。
 同じ工場内の収容者と仕事上に必要な会話をするにしても手を上げて刑務官から「河井、用件は?」と声がかかるまで待ち、「○○さんと交談願います」と言う。相手も同じく、「よし」と言われないと会話は始められない。そこまでの必要があるんでしょうかね...。
 著者が従事していたのは図書計算工場での図書係と報奨金の計算係。
平成20年に出所した受刑者のうち、5年以内に再び塀の中に入った人(再犯率)は4割近い。平成29年も37.2%と、ほとんど減っていない。10年以内の再犯率だと平成20年には40%なので、半数近い。なぜか...。懲らしめただけで反省する人はいない。人間らしく、尊厳をもって扱われたときに初めて人は更生しようという意欲を抱く。
 著者は、刑務官の処遇改善も訴えていますが、まったく同感です。受刑者いじめという、あってはならないことが横行したのは、やはり刑務官の待遇が劣悪なことも大いに影響していると思います。
著者は2021年10月21日から、2023年11月29日まで、3年2ヶ月間、「塀の中」で生活しました。判決では未決勾留日数408日間が、1日も刑期に算入させていません。懲役3年の実刑で、控訴したものの取り下げ、服役したのです。
 入ったのは喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センターという名前の刑務所。ここは民間委託もしていたようですが、今は国営直轄に戻っています。私の知人(大学同期)の元弁護士(故人)も、ここにしばらく入っていました。
著者は1億5000万円の使途について、あくまで広報・宣伝費だと強弁し、選挙運動の買収費ではないと主張しつつ、被買収側が処罰されていないのは不公平だ、だから検察の起訴は公訴権の乱用だと主張しています。
 福岡で諌山博弁護士(故人)と一緒に私も公訴権乱用だと裁判で主張したことがあります。演説会告知ビラを柳川市内の商店街に配布したのが戸別訪問にあたるとして起訴されたのでした(松石事件)。一審の柳川支部(平湯真人裁判官、故人)は公選法こそ憲法違反だとして無罪判決を出してくれました。
 国会議員しかも法務大臣の経験者が刑務所に入って、その問題点を具体的に指摘することによって、少しでも刑務所内の処遇が人道的見地から改善されることを私も願っています。
(2024年10月刊。1727円+税)

2025年1月21日

服罪


(霧山昴)
著者 木原 育子 、 出版 論創社

 人を殺して無期懲役の判決を受け、刑務所生活35年余を経て仮釈放で社会に出てきたとき、何が起き、どう思うのか...。
 私も少し前のことですが、刑務所で20年ほど過ごして出所してきた人から話を聞いたことがあります。バスに乗れなかったそうです。まだバスに車掌さんがいて、切符を売ってくれた時代に事件を起こしたのです。ところが、出所したらワンマンカーしか走っていない。どうやって料金を払うのか分からず、いい大人が、今さら料金の支払い方も訊けず、困ったというのです。今なら、何でもスマホの時代ですから、もっと「今、浦島」の世界になってしまうでしょう。
 さて、無期懲役の判決を受けたらどうなるのか...。
 刑務所に入所するとき、新人訓練を受ける。このとき、多くの時間が「無断」ということへの取り決めにさかれた。無断で行動すること、無断でおしゃべりすること、自席を立つことを含めて、何をするにも許可が必要。自分の意思で行動することは、ほぼ皆無。社会と隔絶された刑務所のなかという別世界では、これまでと真逆といえるほどの厳格なルールがあり、そこに疑問を抱かず順応していくことが求められる。服役するということは、まずこの環境に慣れなければならない。
 たとえば、風呂。冬は週に2回、夏でも週に3回。夏の3日間のうち、2日間は15分間で、1日は10分のみ。ひげそりを含めて10~15分でやって湯舟につかり、身体もしっかり洗うのは、大変なこと。電気カミソリを買うためには、工場で働いた労賃を貯える必要がある。
 工場の作業で優秀な成績を上げて、支給された大福餅の甘さは、この世の幸せが体現されたもののように感じるほど美味しかった。
 刑務所内でもいじめがある。決してあからさまにはやらない。いじめなのか、いじめではないのか、スレスレのレベルで行われるといった巧妙なものが多い。無期懲役の受刑者はいじめのターゲットになる。懲罰の対象になれば仮釈放の機会が遠のいてしまう。なので、無期懲役の受刑者は、ひたすら耐え忍ぶ。
 刑務所の中は、誰かが評価されることが無性に気に入らない。一人だけ、この地獄から抜け出すことは絶対に許さない。巧妙に足を引っぱりあう世界だ。
 刑務所は人間社会の縮図。縛られた生活であるため、人間の醜い部分が、行き場所もなく露骨に出てくる。一般社会だと逃げられるか、刑務所では逃げ場がない。
刑務作業のなかでは、炊事班は最高峰の役務。炊事班には30人ほどいて、朝と昼、夜とローテーションを組む。もちろん包丁や火も扱う。
 仮釈放の前には釈然教育を受ける。35年間の刑務所生活のあとなので、雑居房を出て一軒家のような部屋に入る。
35年間の刑務作業で得た労賃は150万円。年にすると4万5千円。
出所して保護司と一緒にファミリーレストランに入って、ステーキを食べる。ドリンクバーも利用する。何杯でも飲んでいいというシステムが驚きだった。刑務所では、食べる時間も決められていたから、ゆっくり食べていいというのが不思議な感覚...。そうなんですね、あたり前があたり前ではないわけです。
 過去を消したいということにこだわっていくのではなく、過去を生かしていく。そうすることが、被害者への謝罪にもつながるはず...。過去のことは消えないけれど、それでも自分は生きている。生きる自由を手にできている。被害者には、それができない。それが出来る自分との明確な違いがある。
 出所して、仕事が出来ず、ふさぎこんでいた1年余の空白の日々が、自分自身をこえていく時間となり、更生するとはどういうことかを考える時間を与えてくれた。自分の意思をもって実践すると生まれ変わった。
 言葉ってタネだ。植物のタネを地面に埋めるように、せっせと人の心に埋める。それが、それぞれに荷を出して、花を咲かせていく。それでいい。前を向いて生きていく人だ。そう思ったときとか、過去を受け入れ、過去を乗りこえた瞬間だった。これって、なんとなく分かります。
 無期懲役の受刑者が仮釈放されるのは1%にもみたない。無期刑の受刑者は全国で1700人いないが、その平均在所期間は34年ほどだったが、2022年には45年になった。80歳以上が131人、50年以上も刑務所にいる人が10人いる。この10年のうちに受刑者の中の死亡者が260人いる。
 社会復帰するというのが、いかに大変なことかが実感できる本でした。
(2024年10月刊。1980円)

2024年12月25日

近現代日本の警察と国家・地域


(霧山昴)
著者 大日方 純夫 、 出版 日本評論社

 今も被疑者弁護人として毎日のように警察署に行く身なので、警察の歴史とその実情については昔から強い関心があります。
 江戸時代の町には番人小屋がありました。その番人は、大坂では非人があたっていたが、江戸の番人は非人ではなかった。
 明治になって首都ポリスが誕生した。1871年10月、東京に邏卒(らそつ)という名称で「ポリス」が設置された。それは3千人で、うち2千人は鹿児島から連れてきた。
 1973年10月、征韓派の参議が辞職するという政変があり、大久保利通が警察の実権を握った。11月10日に内務省が設置された。
 川路利良はヨーロッパ視察のあと、日本では「予防」を課題とする行政警察を中心に警察力を形成していった。しかし、実際には、反乱・一揆の続発という時期にあって、不安定な社会情勢に規定されて、「軍事的」な性格を強めざるをえなかった。1877年1月には西南戦争に警察力を投入した。
 日本の近代警察は、川路のもと、フランスをモデルとして成立していった。1874年末の警察官の35%が東京に集中していた。
 1884年2月、山県有朋が内務卿としてドイツから警察官を招聘(しょうへい)して、フランス式からプロシア式へ転換した。
 1920年、ヨーロッパでは警察は民衆のサーバントになっているところもあるが、日本の警察官はサーバントではなく、国家の官吏である。なので、警察官がストライキするなど、もってのほかのこと。
 東京に警視庁が設置されたのは1874年1月。戸口調査(戸口審査)は重要なものとして活用された。戸口査察は警察実務の基礎である。
 特高警察は選ばれたエリートへの道だった。内務省の若い役人は特高になりたがった。優秀だとされている人は、非常に特高になりたがった。一般警察官の多くは、特高係に抜擢(ばってき)されることを希望した。特高係は、あこがれの的だった。
 日本敗戦後、特高警察だった者は、その経歴を隠して戦後を生きのびていった。
 特高は、戦後の公安警察にそのまま横すべりした。ある県では、14人の警察署長のうち半分の7人が戦時中は特高関係者だった。
 警察官だった人が重要な内部書類を焼却しないで個人宅に持ち帰って保存していたものもあり、それをもとにして警察官のナマの姿が紹介されている本でもあります。
(2024年9月刊。2800円+税)

2024年11月24日

医療過誤弁護士・銀子


(霧山昴)
著者 富永 愛 、 出版 経営書院

 元外科医で、今は弁護士。しかも、珍しいことに医療側ではなく、患者側で事件を扱う弁護士だそうです。
 久留米にも、現役の医師であり、弁護士でもあるという人がいます。週末は病院の勤務医として働きながら、平日は弁護士をしています。すごいですね...。
 この小説の主人公・銀子は、45歳のバツイチ子持ちの元外科医、今は、ほぼ弁護士、という設定です。患者側に立つと、かつての医師仲間からは「裏切者」のような白い眼で見られるのだそうです。やはり、どこでも同業者という眼はありますからね...。
 一般的に、病院やクリニックでは医療関係者の患者は喜ばれない。医療に詳しいだけに、一歩間違えばクレーマーになるモンスター予備軍だから...。
患者が医療ミスだと騒ぎだすと、医師たちは、たいてい慌てふためく。日ごろ、ありがとうと言われ慣れている医者たちは、責められることに免疫がなく、冷静に落ち着いた対処ができなくなる。たいていの医者は、逃げるか、キレる。トラブルになったときこそ、その医者の人間性があぶり出される。
患者(遺族)側からのカルテ開示も証拠保全も、予想していれば恐れることはない。日ごろから記録を整理し、開示してもよいように備えておくことが基本だ。
手術の状況などは、さすがに元外科医だけあって、とても臨場感があります。
 そして、医療過程裁判の証人尋問です。手術に立会した看護師が証人として法廷で証言することになりました。もちろん病院側です。弁護士から、このとおりに回答するようにと言って問答が記載されたペーパーを渡されます。予行演習を繰り返し、ペーパーを見ないで答える練習を3時間かけて何度も繰り返した。
 これは現実にやられていることだと思います。しかし、案外、「鉄壁の守り」のはずが、ちょっとしたことからボロボロ崩れることもあります。それが反対尋問の妙味です。ところが、肝心の裁判官が、その逆転本塁打をまるで見逃してしまうところがあるのです。それが裁判の怖いところです。
 「遺族のかわりに医師を法廷でやっつけてあげるのも、私ら(患者側弁護士)の仕事やんか。命をかけてやらんと伝わらんこともあるからね」
 同じような気持ちで証人尋問にのぞんだことは何度もあります。聴いている依頼者から、「おかげで気持ちがすっきりしました」とお礼を言われます。それが勝訴に結びつかなくても、それで良しとすることがあるのも裁判なのです。
 裁判では、敵は相手方というより裁判官だ。彼らが判決を書けるところまで証拠をそろえてやり、根気よく説得するしかない。
 これまで何度も裁判官から、ひどい煮え湯を飲まされました。あっという奇想天外な負け判決をもらったことは決して1回なんてものではありません。裁判官を軽々と信用してはいけないのです。
保険会社に医師を守ろうという視点はない。病院側の代理人は、実際には保険会社の代弁者。できるだけ、1円でもお金を支払わない方向での主張をするのが仕事だ。いやまったく、そのとおりです。1円でも支払い額を減らす。その精神が貫かれているからこそ、駅(ターミナル)周辺のビルを損保、生保の保険会社が占めているのです。
 とてもよく出来た医療裁判小説だと思いました。ところが、高裁での控訴審の判決言い渡しの場面なのに、「ひこくは...」と書いてあったのに腰を抜かしてしまいました。とんでもない間違いです。校正もれです。ぜひ訂正してください。
(2024年10月刊。1760円)

 つい先日、熊本の裁判所でひどい裁判官(道場康介、62期)にあたりました。証人尋問が終わったとたん、道場判事は「弁論を終結します」と宣言したのです。ええっ、もう一人、証人申請しているのに、却下することもなく弁論終結するって、どういうことなの...。前回の裁判期日のとき、この道場判事は、別の証人の採否は証人尋問を聞いてから決めますと言っていたのです(それは証人採用なんか考えていないというニュアンスではありましたが...)。
 証人尋問申請を却下したら、私はその理由を裁判官に問いただすつもりでした。それで証人を採用しない理由は何かと訊くと、それは判決のなかで明らかにすると道場判事は言うだけでした。
 そこで次に、本日の証人尋問を踏まえて最終準備書面を提出したいと言うと、審理は終結しましたと繰り返し、とりあいません。ひどいものです。
 そこで、私は翌日、異議申立書を提出しました。
 当事者双方の主張に十分耳を傾け、書証も人証も踏まえて判決するのが裁判官のつとめです。それなのに、この道場判事は人証を調べる前から請求棄却の結論を早々に出し、当事者の主張をまったく聴く耳をもたず、判決を急いだのです。それなのに、判決の言い渡しは、2週間後ではなく、なんと2ヶ月後なのでした。これにも驚きました。
 道場判事の偏った心証にもとづいて判決を書くのなら2週間もかかるはずがありません。
 私が、こんなひどい裁判官にあたったと憤懣(ふんまん)を訴えると、聞いた弁護士の多くは、いるんだよね、そんなひどい裁判官が...と、あまり驚きません。
 こんなことで、国民の司法に対する信頼がますます遠ざかってしまうことを、私は本気で心配しています。

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