弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2016年3月 8日

ヒトラーに抵抗した人々

(霧山昴)
著者 對馬達雄 、 出版  中公新書

 ヒトラー・ナチスに抵抗したドイツ人は決して少なくはありませんでした。何千人ものユダヤ人を生命がけで隠し通したドイツがたくさんいたのも事実です。
 でも、大多数のドイツ人がヒトラー・ナチスのユダヤ人大虐殺の尻馬に乗り、なかにはその財産略奪によって利を得ていたというのも事実でした。これは、自民・公明を与党とするアベ政権がマスコミを強力に操作しつつある日本でも深刻な教訓として生かす必要があります。その意味で、この本は、今の日本人にとって大いに読まれるべきものだと思います。
 ヒトラー独裁は、ドイツ国民に指示された体制だった。ナチ支配には、目先の実利によって国民大衆の支持を獲得しながら、青少年にナチ思想を徹底させるという二面性があった。
 反ナチの行動の前に立ちはだかっていたのは、むしろ隣人住民、そして総統にヒトラーを熱狂的に信奉する青少年だった。彼らからすると、ナチ体制を否定する者は、生活と世界を脅かす存在であり、戦時下では自国の敗北をたくらむ反逆者であった。
 ダッハウなどの強制収容所に1933年の1年間で、共産党や社民党の国会議員をはじめとする活動家が10万人も拘禁された。
のちに反ナチ運動に身を投じたインテリ層も、ワイマール共和国末期には、反共和政的な立場をとり、ヒトラー政権の初期に登用された。政治経済エリートの大半がヒトラー、ナチ政権の誕生を肯定していた。
ヒトラーが支持されたのは、大量失業問題を早急に解決したから。失業不安と見通しのない生活の解決が最大の関心事だった。誰もが社会的な転落と窮乏の不安をかかえていた。
 ヒトラー政権発足時のドイツの人口は6500万人。ユダヤ人は50万人、混血のユダヤ系ドイツ75万人を加えても、総人口の2%でしかない。しかし、経済的影響力は絶大だった。
 戦争中のドイツ国内で、地下に潜ったユダヤ人が1万5000人いた。そのうち7000人近くがベルリンに身を潜めていた。1人のユダヤ人につき平均50人ものドイツ人が救援活動していた。生きのびたユダヤ人は、ベルリンで1400人以上、ドイツ全土で5000人いた。ユダヤ人を援護したドイツ人の3分の2は女性だった。
 ユダヤ人の家族が三人いたとして、三人は別々になって一人ひとりが生きのびるチャンスを得たようにさとされた。なるほど、と思いますね。三人全部が捕まるより、一人ずつ別々に暮らしていたほうが、リスクは少なくなるというわけです。
 ヒトラー暗殺計画は、「ワルキューレ作戦」(1944年7月20日)の前にも何回もあり、失敗していた・・・。ヒトラーって、悪運が強かったようですね。ヒトラー暗殺計画の概要が紹介されています。ヒトラーの演説会場を爆破しょうとしたドイツ人については、先ごろ映画にもなりました。ごく最近、その意義が見直されてます。
 ドイツ国民大衆の大部分は、ヒトラーから離反できないままに終戦を迎えた。ドイツ国民7500万人のうち、ナチ党員は、1939年5月以降に激増し、1933年末に390万人だったのが、1945年には850万人超にまで上昇した。
ヒトラー・ナチスと生命をかけて戦った勇気のある人々が少なからずいたこと、それを支えた家族がいたことを知ると、救われる思いがします。
  
          (2015年11月刊。880円+税)

2016年3月 6日

「ミレニアム4」(上)

(霧山昴)
著者  グヴィッド・ラーゲルクランツ 、 出版  早川書房

  スウェーデン発の「ミルニアム」を初めて読んだとき、その迫力に圧倒されました。ところが、著者のスティーグ・ラーソンが三部作を出したあと心臓発作で急死してしまったのです。ですから、当然、第四部はないはずなのに、版元が新しい著者を確保して、四部作を発表したというのです。
 私も、恐る恐る読みはじめましたが、なかなかどうして、第一作を読んだときと同じほどの迫力がありました。読ませます。私は、実は映画はみていないのですが、この第四部もハリウッドで映画化されるとのことです。
 インターネット世界の最新の状況が詳しく紹介されます。匿名で誰かを批判していると、なんと、敵対的なコメントを書きこんだ連中が、みな匿名ではなくなった。氏名、住所、職業、年齢が、いきなり表示されてしまった。
 私も、こんな仕掛けがあったらいいなと思います。無責任なヘイトスピーチのようなものを書き込めないようにするため、これは絶対的効果があると思います。
他人のアイデアを盗んで大もうけするようになったら、もう犯罪者への一線を越えてしまったことになる。あとは堕落していくだけだ。
 優秀な法律の専門家を身につければ、安心して何でも盗める。弁護士は、現代のギャングだ。うひゃあ、そ、そんなことはありませんよ。弁護士がギャングだなんて、絶対に違いますよ・・・。
 超絶したインターネット技術を駆使するリスベットの活躍から目を離せません・・・。
  
(2016年1月刊。1500円+税)

2016年2月19日

チェルノブイリの祈り

(霧山昴)
著者 スベトラーナ・アレクシェービッチ 、 出版  岩波現代文庫

 著者は私と同世代のロシアの作家です。2015年のノーベル文学賞を受賞しています。著者による『戦争は女の顔をしていない』(群像社)は、このコーナーでも紹介しましたが、涙を流さずには読めない傑作です。まだ読んでいない人には強く一読をおすすめします。
 チェルノブイリの事故のあと、その収拾作業にあたった消防士はまもなく大半の人が亡くなっています。その遺体は特別扱いです。遺体は放射能が強いので、特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬される。亜鉛の棺に納め、ハンダづけをし、上にコンクリート板がのせられる。放射線症病棟に14日。14日で人は死んでしまう。生まれた赤ちゃんは肝硬変。肝臓に28レントゲン。それに、先天性の心臓欠陥もあった。
 チェルノブイリは、戦争に輪をかけた戦争だ。人には、どこにも救いがない。大地のうえにも、水のなかにも、空の上にも・・・。
 牛乳を飲んじゃだめ。豆もだめ。キノコもベリーも禁止されちまった。肉は3時間、水に漬けておく。ジャガイモは2度、湯でこぼせ。ここの水も飲んだらダメ。
 ぼくらは口外しないという念書をとられた。だから沈黙を守った。大量の放射線をあびた。バケツで黒鉛を引きずった。1万レントゲン。普通のコップで黒鉛をかき集めた。友だちは死ぬとき、むくんで腫れた。石炭のように真っ黒になり、やせこけて子どものように小さくなって死んだ。
 赤ちゃんが生まれた。でも、身体の穴という穴はみなふさがっていて、開いているのは両目だけ。多数の複合以上あり。肛門無形性。女児なのに膣無形成、左腎無形性。おしっこも、うんちも出るところがなく、腎臓は1個だけ。それでも、この子は、生後2日目、にっこりほほ笑んだ。生命力のすごさを感じますが、本当に悲惨ですね。言葉もありません。
 事故処理作業に投入されたのは、全部で210部隊、およそ34万人。屋上を片づけた連中は地獄を味わうことになった。鉛のエプロンが支給されていたが、放射線は下から来た。下は防護されていなかった。
 チェルノブイリ原発(原子力発電所)で事故が起きたのは今から25年以上も前の1986年4月26日。人口1000万人の小国ベラルーシにとって、事故は国民的な惨禍となった。チェルノブイリのあと、485の村や町を失った。うち70の村や町は永久に土のなかに埋められた。今日、ベラルーシの5人に1人が汚染された地域に住んでいる。その210万人のうち70万人が子どもだ。
 福島第一原発事故は今も収拾のメドがまったくたっていないのに、安倍政権は強引に原発再稼働をすすめています。そして、海外へ原発を輸出しようとすらしています。無責任きわまりありません。いったい事故が起きたとき、誰がどうやって責任をとるというのでしょうか。政権党である自民党・公明党の政治家にとって、今さえよければ、それも目先の今さえ利権が得られたら、すべて良しということのようです。残念です。子や孫そして、ずっとずっとこの日本列島に住んでいくはずの人々のことなんか、どうでもいいというのです。恐ろしい人たちです。それこそ神罰があたるのではないでしょうか・・・。
 チェルノブイリ事故は、日本人の私たちにとって決して対岸の火事ではありません。


                           (2016年1月刊。1040円+税)

2016年2月15日

アリスの奇跡

(霧山昴)
著者 キャロライン・ステシンジャ― 、 出版  悠書館

 ホロコーストを生き抜いたピアニストというサブタイトルのついた本です。
 まさしく奇跡としか言いようがない女性ピアニストの一生です。ナチス・ドイツの強制収容所に入れられたユダヤ人なのですが、絶滅収容所ではなく、「見せ物」収容所だったのです。そして、収容所でもピアノを弾き続け、幼い息子ともども生き延びました。
 それには、彼女のピアノ演奏を聞いて感動したナチス将兵の援助もあったようです。そして、戦後はピアノ教師として生き続け、なんと110歳で大往生を遂げました。しかも、死ぬ日数前までピアノを弾いていたというのですから、まさしく奇跡の連続としか言いようがありません。
 強制収容所に入れられたとき既に30代でした。はっとする美人です。素晴らしいピアノ演奏ができる女性ピアニストでしたから、さすがのナチも殺すに忍びなかったのでしょう・・・。
 そんな体験をもつ彼女の言葉ですから、干釣の重みがあります。ともかく楽天的なのです。
 娘が胃ガンだという女性に対して言った言葉。娘さんに出来ることは、生きること。それしかない。あなたは、それを伝えるようにしなくてはいけない。今、書いている本を仕上げ、演奏会を開き、仕事を続け、常に微笑みを絶やさず、あなたが恐れている姿を決して娘さんに見せてはいけない。娘さんの回復をあなたが確信していることが、娘さんによってなによりの励ましになる。だから、泣いてはいけない。ぜったいに涙を見せてはいけない。
テレジェンシュタット強制収容所に何年も収容され、ナチによって母、夫、友人たちを殺されたが、アリスは誇り高く、したたかに生き残った。
アリスは、自分を抑圧した者たちへの憎しみや怒りや、家族を殺戮されたことへの苦しみに暮れている時間など持たない。増悪は、憎まれる者よりと、憎む本人の心をむしばむことを知っているからだ。
テレジェンシュタットに収容された15万6000人のユダヤ人のうち、生き残ったのは、わずか1万7500人だった
 アリスは、収容所内で100回以上もピアノを演奏し、ひそかに子どもたちにピアノを教えていた。
 アリスは、ドイツ語、チェコ語、そして英語、フランス語、ヘブライ語まで使いこなせた。
80歳台のアリスは時間と健康を確保するため、毎日同じものだけを食べることにした。健康的なシンプルなものを食べる。カフェインは体に良くないので、紅茶もコーヒーもやめた。ワインやアルコールもなしにし、お湯を飲むだけ。朝食は、チーズをのせたトースト1枚と、バナナ半分かりんごひとつ。そして、一杯のお湯。昼食と夕食はチキンスープ。
テレジェンシュタット収容所に入れられたのは、チェコ、オーストリア、オランダ、デンマークの才能豊かな人々や知識階級だった。ナチは、この収容所を宣伝材料とした。
テレジェンシュタットで開かれたコンサートは、敵をむかえ撃つ道徳の勝利だった。音楽家たちのもらした素晴らしい文化の力は、多くの囚人の絶望を押し返す楯となった。音楽を通して、演奏家たちは自分たちの存在感を再認識し、聴衆は音楽を聞いて時空を超え、演奏の間だけでも、自分たちの人生を肯定する穏やかな気持ちになれた。
音楽は私たちの食べ物だった。精神的な支えがあれば、普通の食べ物はいらないかもしれない。音楽は命なのだ。収容所では、涙も禁物だった。笑いこそが唯一の薬だった。
 世界は理解しがたいものではあるが、受け入れることはできるものだ。個人個人を存在者として受け入れることによって・・・。
 戦争は戦争を生む。それ以外にない。人は神の名において人を殺す。
 時間は貴重。過ぎ去った時間は永遠に戻らない。
 本を読めばよむほど、考えれば考えるほど、人と話せば話すほど、自分の幸せをかみしめることが出来る。
 強制収容所で6歳の息子に、こう話した。いま、私たちは劇場で劇をしているところだと想像してごらん。悪い悪女に、間違った汽車に乗せられて、ここへ連れてこられたけれど、いい兵隊がやってくるのを待っているところなんだ。そう言って母の笑顔を見せた。
 うむむ、なんとなんと、すごいですね。映画で同じようなものがありましたね。強制収容所に入れられた父親が息子にピエロのように笑わせていました。明日への希望を失わないことが大切だと思い知らせてくれる本です。ちょっぴり疲れたなと感じているあなたにおすすめします。

                           (2015年8月刊。2200円+税)

2016年2月 6日

水車小屋攻撃

(霧山昴)
著者  エミール・ゾラ 、 出版  岩波文庫

 岩波文庫でフランス文学の古典が出たので、読んでみました。
 大学生以来フランス語を勉強しているわけですので、50年近くにもなることからフランス文学を原典で読めたら、どんなにいいことでしょう・・。
 でも、現実は原典を読むどころか、覚束ない会話力がサビてしまわないように維持するのがやっとなのです。トホホ...。
 この文庫本はゾラの短編集です。ゾラというと、「ジェルミナール」などの長編小説を思い出しますよね。
 普仏戦争(プロシア=ドイツとフランスの戦争)の現実を批判的な立場から描いた「水車小屋攻撃」など、読ませます。
 訳者の解説によると、ゾラの作品は戦争一般の残酷さと愚劣さを、のどかな田園風景のなかで展開する牧歌的な恋と対比することによって浮き彫りにしようとしている。
 戦争というものは、勝とうが負けようが、平和な市民生活を破壊するものでしかない。このことを、じっくり味わうことができる。かのアベ首相に読ませたいものです。
 フランス全体が愛国的な、好戦的な雰囲気に包まれるなかで、ゾラは反戦を訴える勇気を示した。
 今の日本にもなんとなくそんな雰囲気がありますよね。それを根本であおっているのがアベ首相を先頭とする自民・公明の与党です。口先では「平和を守るために必要だ」なんて聞こえのいいことを言って、日本の青年を平気で死地に追いやる安保法制法を「成立」させた責任は重大です。
 ゾラの小説を読みながら、今年も、安保法制法の廃止を目ざしてがんばる決意を固めました。

(2015年10月刊。860円+税)

2016年2月 5日

ヴィクトリア女王の王室

(霧山昴)
著者  ケイト・ハバード 、 出版  原書房

19世紀イギリスのヴィクトリア女王の宮廷の実情が女王付きの女官の生活を通じて明らかにされている本です。
宮廷というのは、とんでもなく退屈な空間だったことがよく分かります。私なんか、とても耐えられそうにありません。
空想以外には何の退屈しのぎもなく、何時間もただひたすらじっと待機しているだけの状態が続く。「命令」を待つだけの終わりのない待機。頭ごなしの命令を受け入れるしかなく、義務にがんじがらめにされるだけ。宮廷は、毎日が同じことの繰り返しで、それが毎年続いていく。ウィンザー城の生活は、おだやかな退屈とともに進んでいった。
ヴィクトリア女王は、誰がどの部屋に泊まるのか、誰が馬に乗って、誰が馬車に乗るのか、さらには食堂に入るときにつくる列の順番まで決めていた。つまり、訪れる者たちのあらゆる行動を管理していた。
王室というのは息苦しい閉鎖空間だ。少人数で、互いを思いやる必要がそれほどなく、暇をもてあまし気味で、しかも家族や友人といった外の世界とは切り離されている。そこでは、ほんのわずかなゴシップの種にも飛びつき、むさぼる者が大多数だった。
ヴィクトリア女王は独立心の権化とも言える存在だった。女王が下す判断は本能的かつ断定的で、自分が愛する人々に対しては熱狂的に、ときには盲信的なまでに忠実だった。他方、自分が気に入らなかったり、それ以下の感情を抱いた相手に対しては、徹頭徹尾、冷ややかに接した。
女王に近づいたり離れたりする際の決まりがあった。ドレスの裾をどうやって持ちあげるかについても規則があった。離婚した女性は夕食には同席できなかった。
ヴィクトリア女王にとって、子どもたちは、人生にとってもっとも大きな喜びである夫・アルバートとの人生における障害物だという意識を捨てることができなかった。
エリザベス一世の時代、女官たちは、上から寝室付きの女官、私室付きの女官、女官、未婚の女官と、4つの階級に分かれていた。ヴィクトリア女王の女官は大部分が下流貴族の妻や未亡人や娘たちだった。
宮廷では、自由な意思と自主性は捨てる必要があった。そこでは、辛抱と自制心、そして寛容の精神が求められた。
イギリスの女王の宮廷生活の一端を知り、その恐ろしい退屈さを知って、身が震えてしまいました。可哀想な人生としか私には思えません。創意や工夫が許されない生活だなんて・・・。人間らしさが感じられません。

(2014年11月刊。2800円+税)

2016年2月 2日

クルスクの戦い.1943

(霧山昴)
著者  デニス・ショウォルター 、 出版  白水社

 独ソ「史上最大の戦車戦」の実相というのがサブ・タイトルです。1943年の7月から8月にかけて、独ソ両軍あわせて将兵200万人以上、戦車と突撃砲が6000両以上、航空機も4000機以上が激突していますから、史上最大の戦車戦というのは誇大でもなんでもありません。そして、この本では、そのうちの狭義の「クルスクの戦い」を主として扱っています。7月5日から12日までの「プロポフカの戦い」です。このとき、ドイツ軍は兵員7万、戦車・突撃砲300両で攻め、守るソ連軍は兵員13万、戦車・突撃砲600両でした。
 ヒトラー・ドイツ軍はその前の1943年2月までにスターリングラードでソ連軍によって壊滅的敗北を喫しています。ですから、一挙にドイツ軍が敗退していくかというと、そうではありません。高度に発達した戦車(パンター、ティーグル)や飛行機そして、練度と士気の高い軍人集団だったのです。
 ドイツ軍はスターリングラード敗戦の雪辱と失地回復を狙って乾坤一擲のツィタデレ作戦を展開します。クルスク突出部にいるソ連軍をドイツ軍が北と南の二方向から攻めて包囲殲滅しようとしたのです。結局、このドイツ軍の作戦は失敗し、ドイツ軍は退却していきます。ソ連軍は冬だけでなく、夏でもドイツ軍に勝てることを証明したのでした。
 でも、そのために払ったソ連軍の犠牲は、ドイツ軍のそれをはるかに上回っていました。
 クルスク戦における損害は、ドイツ軍が戦車などの装甲戦闘車両250両、兵員5万5000に対して、ソ連軍の犠牲は装甲戦闘車両2000両、兵員32万となっている。数字だけをみればドイツ軍が戦術的には勝っていた。しかし、敵の6倍の人的損害、8倍の装甲戦闘車両の損害を出しても変わることのなかったソ連軍の数量的優勢がクルスクの戦いの帰趨を決定した。
 これほどの犠牲を出してまでも、ソ連軍は戦い続けることができた。それはなぜなのか・・・。これは今もまだ完全に解明しつくされたとは言えない問題である。
 この本は、この狭義の「クルスクの戦い」の状況を、詳細に語り尽くしていて、その疑問を解明しようと試みています。
 ソ連では、戦争中に40万人もの戦車兵が養成された。そのうち30万人以上が戦闘で死んだ。これは、ナチのUボート乗組員の戦死率に匹敵する。しかし、その数は10倍も多い。
ソ連軍の戦車兵は「どうせ死ぬなら、なるだけ多くのヒトラー主義者を道連れにしてやろう」と決意していた。
ソ連軍は戦争をサイエンス(科学)として見たが、ドイツ軍はそれをアート(技芸)として解釈した。
 1942年に、ドイツ軍は東部戦線だけで、毎月平均10万以上の戦死者を出していた。そして、戦車5500両、火砲8000両、25万両の自動車を失った。さらに損失処理された2万機の航空機の3分の2はソ連で失われた。
 ドイツ軍の戦車設計は、防護と加力と対照的に機動性と信頼性を重視していた。ソ連軍のT-34戦車は、ドイツ軍の戦車のできることは何でもできるうえに、装甲が優れ、さらに強力な76ミリ砲を搭載していた。これに対して、ドイツ軍のパンター戦車は、納入台数250両と少ないうえに、重量45トンを支えるエンジンに問題があった。
 ティーガー戦車は航続距離が200キロ、時速32キロでしかなかった。しかも、ツィタデレ作戦の開始時には128両しか配備されていない。
 ドイツ軍の戦闘機訓練生は飛行時間の70時間で現場の部隊に配属された。それに対してソ連軍はわずか18時間にすぎなかった。
 ヒトラー以下のドイツ軍首脳部において、ツィタデレ作戦は、ギャンブルだという認識で一致していた。
 ティーガー戦車をやっつけるには、洗練された技能が必要だった。射程の近くに引き寄せて、その車体ではなく無限軌道に砲火を集中する、冷静な頭と確実に狙いを定めることが決め手となる。ソ連軍は、その両方を兼ね備えていた。
 ドイツ軍は戦闘開始初日の7月5日に装甲戦闘車両を500両以上も投入したが、その半数がその日の終わりまでに動けなくなっていた。
 クルスク戦のソ連軍戦車兵のなかには女性兵士も少なくなかった。T-34戦車の窮屈な操縦室に比較的らくに収まり、そしてそこから出るのも容易だった。操縦手だけでなく、車長や砲手にも女性兵士がいた。ソ連のT-34戦車の34両のうち、26両が撃破された。ドイツ軍は、ツィタデレ作戦の過程で38人の連隊長と252人の大隊長を失った。
 いやはや、実にすさまじい凄惨きわまりない戦場の実相が詳細に発掘・紹介されています。
 クルスク戦車戦に関心のある人には必読の本だと思いました。


(2015年5月刊。3900円+税)

2016年1月29日

第二次世界大戦 1939-45(中)

(霧山昴)
著者  アントニー・ビーヴァ― 、 出版  白水社

 第二次世界大戦が進行していくなかで、ヨーロッパ戦線と日本を取り巻く太平洋戦線とが結びついていて、独ソ戦と独英戦も連結していたことを改めて認識しました。
よくぞここまで調べあげたものだと驚嘆するばかりです。世界大戦の激戦が、双方の陣営の動きに細かく目配りされていますので、総合的な視野でとらえることが出来ます。
1940年夏に起きた中国の百団大戦は、日本軍を震えあがらせた。それまで中共軍を見くびっていた日本軍は考えを改めされられた。
ところが、この百団大戦について、毛沢東は心中ひそかに恨んでいたというのです。日本側の支配する鉄道や鉱山に相当の打撃を与えたけれど、共産党側にも多大の犠牲を強いた作戦であり、結局、国民党に漁夫の利を得させたから。
スターリンは、毛沢東とは、日本軍という眼前の敵と戦うことより、国民党から支配する地域への蚕食にむしろ関心を示す男だと悟った。
そして毛沢東は、党内に残るソ連の影響の残滓を払拭するのに努めていた。
共産党は阿片の製造・販売に手を染めていた。1943年にソ連は、中国共産党がアヘン販売した量は4万5千キロ、6000万ドルに達するとみた。
1939年8月のノモンハン事件におけるソ連軍の勝利は、日本に「南進」政策への転換をうながし、結果的にアメリカを捲き込むうえで、一定の役割を果たしただけでなく、スターリンが在シベリアの各師団を西方に移動させ、モスクワ攻略というヒトラーの企図を挫くことにもつながった。
 独ソ不可侵条約の締結は、日本に激震を走らせ、その戦略観に多大の影響を及ぼした。日独間の相互連絡は欠如していた。日本は、ヒトラーがソ連侵攻を開始するわずか2ヶ月間に、当のスターリンと日ソ中立条約を結んだのである。
 日本は1941年12月の真珠湾攻撃を事前にドイツに伝えてはいなかった。ゲッペルス宣伝相によれば晴天の霹靂であった。ところが、この知らせを受けたヒトラーは至福の歓喜に包まれた。アメリカが日本軍の対応に忙殺されたら、太平洋戦争のせいでソ連とイギリスに送られるべき軍需物資が先細りなると期待したからだ。
 しかし、米英軍のトップは、「ジャーマン・ファースト」(まずはドイツを叩く)方針が合意されていた。これをヒトラーは知らなかった。
 1941年12月11日、ヒトラーはアメリカに宣戦布告した。ただし、ドイツ国民の多くは、宣戦布告したのはアメリカであって、ドイツではないと考えていた。ヒトラーのアメリカに対する宣戦布告は、ドイツ国防軍のトップに何ら助言を求めることなくヒトラーの独断でなされた。
 しかし、当時、ヒトラー・ドイツ軍はモスクワを目前にしながら一時的撤退を余儀なくされていた。この時期にあえてアメリカ相手の戦争を始めるというヒトラーの判断は、軽率のそしりを免れない。アメリカの工業力の凄みを一顧だにしない総統閣下に、ドイツの将軍たちはみな狼狽した。
ヒトラーはいきなり対米戦争を決断した。おかげでドイツ海軍は、いくら攻撃をしたくても、肝心のUボートが当該海域に一隻もいないという状況に陥った。
ヒトラーの反ユダヤ主義は、もはや強迫観念の域に達していた。ヒトラーは、真珠湾攻撃がアメリカの国民感情に与えた衝撃の大きさを見誤った。
アメリカで自動車を大量生産していたフォードは、1920年以降、極端な反ユダヤ主義を信奉し、ヒトラーは、フォードに勲章を贈りその肖像画を飾っていた。
ユダヤ人がガス室で流れ作業のように陸続と殺されているなんて話をドイツ市民の大半は当初信じなかった。しかし、いわゆる「最終的解決」のさまざまな局面において、多くのドイツ人が関与し、また産業界や住宅供給面で、ユダヤ人資産の没収の役得にあずかった人々があまりにも多かったため、ドイツ国民の半数には至らぬまでも、かなりの数のドイツ人が実際には今、何か進行しているのか、相当正確に把握していたことは確かである。
 衣服に必ず黄色い星印のワッペンを付けることが義務化されたときには、ユダヤ人に対してかなりの同情が寄せられた。ところが、ひとたび強制収容が始まると、ユダヤ人たちは、仲間であるはずの市民から、人間と見なされなくなっていく。ドイツ人たちは、ユダヤ人の運命をくよくよ考えなくなった。これは単に目をつぶるというより、事実の否定によほど近い行為だった。
 ドイツ人の医師たちが、ユダヤ人の死体に加工処理を施して、石鹼や皮革に再生させようとした。身の毛もよだつ真実でも、それを語るのは作家の義務である。そして、それを学ぶのは、市民たる読者の義務なのだ。
日本軍がインドネシアを占領すると、オランダ人とジャワ人の女性は日本軍のつくった慰安所に無理やり放り込まれた。慰安所での一日あたりのノルマは午前が兵士20人、午後が下土官2人、そして夜は上級将校の相手をさせられた。そうした行為を無理強いされた若い慰安婦が脱出を測ったり、非協力的だったりすると、当人はもとより両親や家族にも累が及んだ。
日本軍が強制的に性奴隷とした少女や若い女性は10万人に達すると推計されている。
 占領国の女性を日本軍将兵のための資源とする政策には、日本政府の最上層部の明確な承認があったはずである。
アメリカ陸軍は、ヨーロッパ本土でドイツ国防軍を相手として、いきなり頂上決戦にのぞむ前に、どこかで実戦経験を積んでおく必要があった。連合軍総体としても、海峡越えの侵攻をいきなり試みる前に、敵前強襲上陸作戦にどのような危険がともなうか、アフリカで具体的に学べてよかった。
 1942年11月のガダルカナル島の戦いで日本軍がアメリカ軍に惨敗した。気象条件は天と地ほども違うが、ちょうどスターリングラードの戦いと同時期だった。日本軍の無敗神話につい終焉が訪れた。太平洋戦争に心理的転換点をもたらした。
 スターリングラードの戦いにおいて勇敢なソ連軍兵士のなかでも、もっとも勇敢だったのは、若き女性のパイロットたちも若い女性兵士たちだった。彼女らは夜の魔女と呼ばれた。そして、狙撃兵にも女性兵士が活躍した。
 第二次大戦の実際を知るには必読の本だと思いながら、520頁もの大部の本を読み進めました。

(2015年7月刊。3300円+税)

2015年12月29日

ムシェ、小さな英雄の物語

(霧山昴)
著者  キルメン・ウリベ 、 出版  白水社

 1937年、スペインのバスクから2万人の子どもたちが海路、フランス、ソ連、イギリスそしてベルギーへ旅だった。スペイン内戦からの疎開だ。この2万人のバスクの疎開児童は、その後、どうなったのか・・・。
 この本は、バスクの少女・カルメンチュのベルギーにおける里親となったロベール・ムシェの人生を追跡しています。
 ロベールは、より良い世界のためにすべてを捧げた。当時は、そういう人間が必要とされた。戦争のなかで、もっとも人格に優れた人たち、心優しい人たちが命を落とした。
 ところが、英雄であることは、裏の、陰の側面をもっている。それは、後に残された者の苦しみ。夫と父親を亡くした苦しみを、生き残った人々に残した。そして、その後の社会の担い手になるのは、その生き残った人々なのである。
 ロベールはレジスタンス活動をしていくなかで、ついにナチスに捕まり強制収容所に入れられた。そして、強制収容所のなかで、ロベールは若い弁護士と知りあった。収容所内でもレジスタンス活動はあり、政治犯たちは囚人たちを目立たないようにして保護していた。
ロベールの収容所での役割は、希望を広めること。この地獄も終わりが近いことを伝えることだった。
ナチスの目的は、囚人たちに死の脅威のほかには何も考えられなくなるように仕向けること、苦悶と屈辱を味わわせることだった。それに対して、レジスタンス運動のグループは、言葉を用いて、口伝えで情報を広め、士気を高め、希望をよみがえらせることでナチスと闘った。言葉こそがささやかな武器のなかで、もっとも強力なものだった。この秘密裡の活動を通じて、ロベールは生き返った。人々に勇気を与える役目をこなしながら、愛する妻子のもとに帰れると知ったことで、生きる喜びがふたたび湧きあがってきた。
 ロベールには、人生で何より大切なことが二つあった。それは、愛と正義。この二つの目標を持つことで、ロベールはその長く厳しい冬を耐え抜いた。
 著者は1970年にバスクで生まれています。親の世代に何がバスクで起きたのかを調べて小説風の読み物に仕立てたのです。
 バスクを旅だった2万人の子どもたちの多くが再びバスクに戻ることはなかったようです。
 有名なゲルニカの虐殺が起きたころのスペイン内戦にからんだ話でした。まったく知らなかった話です。
(2015年10月刊。2300円+税)

今年は国際的にも、日本でも大変な年でした。フランス大好きな私にとって、パリの同時多発テロはショックでした。空爆でISを「退治」できるはずがありません。暴力の連鎖がひどくなるばかりです。アベ首相の安保法によって自衛隊が海外へ戦争しに出かけることが可能となり、日本の平和が危なくなってしまいました。安保法を運用させない、その廃止を目ざして新年もがんばります。
今年よんだ本は540冊になりました。そして、40年前の修習生活をようやく小説化することができました。春までの出版を目ざしています。私がこの本で訴えたいことは、裁判官にもっと勇気をもってもらいたいということです。夫婦別姓の最高裁判決は自民党への気がねのしすぎです。福井地裁の原発容認は電力会社に屈服してしまっています。残念です。
新年もどうぞ、ご愛読ください。

2015年12月15日

FIFA、腐敗の全内幕


(霧山昴)
著者  アンドリュー・ジェニングス 、 出版  文芸春秋

  71歳の調査報道記者が世界サッカーを統括する国際サッカー連盟(FIFA)を食い物にする、汚いヤミ取引の内幕を暴露しています。
  スイス警察がFIFAの最高幹部7人を逮捕した。その容疑は、1億5000万ドルの横領。
  著者のジェニングスは、1980年代には汚職警察、タイの麻薬取引そして、イタリアのマフィアを調べ上げた。そして、ここ15年は、国際サッカー連盟(FIFA)に焦点を絞っていた。
  FIFAをマフィアと呼ぶのは冗談ではない。FIFAを牛耳るブラッター会長のグループは、組織犯罪シンジケートを共通する要素をすべてそなえている。強くて冷酷なリーダー、序列、メンバーに対する厳しい掟、権力と金という目標、入り組んだ違法で不道徳な活動内容。
ブラッター会長は6つのサッカー連盟を支配している。
ブラッター会長は、ワールドカップが稼ぎ出す何十億ドルもの大金を背景に、巨大な権力を握っている。その権力をつかって209の国と地域を買収する。そして、相手は彼が権力の座を確保できるように喜んで投票する。潤滑油となっているのは、ほとんど無審査の「開発育成交付金」であり、現金で売られる莫大な数のワールドカップ・チケットだ。
  チケットは闇マーケットに流れ、表に出ない無税の利益になる。ブラッターが見返りに求めるのは、投票場での忠誠と会議での沈黙だけ。
  連盟や協会の多くの代表にとって、ブラッター会長は自分たちのお金で買うことのできる最高の会長だ。そんなブラッターを交代させる手はない。ブラッターよ。永遠なれ!
  こんな巨大な国際組織の中で反対意見はめったに聞こえてこない。FIFAは本質的に反民主主義の組織なのである。
  FIFAは2010年に2018年と2022年の開催地を同時投票で決定した。大会の開催地を一度に2回分決めたことは、かつてないこと。10年先のスポンサー権やテレビ放送権の価値を正確に予測することは誰もできないのに・・・。
  ブラッター会長の世界では、「沈黙の掟」を破ることこそ、組織犯罪で最大の罪である。
  この「掟」を破った理事は永久追放される。
ブラッター会長は、役員会の内容をすべて規則によって「極秘」とした。それによって、FIFAのお金を自由に使える。最高級のホテルで贅沢三昧をし、チャーター機で王様のような旅をした。給料、ボーナス、必要経費、車、住宅手当など、あらゆる項目で、自分と家族そして愛人のためにFIFAからお金を絞りとった。
  ブラッター会長は、ほかの役員の同意を要せず、自由に小切手を切ることができた。
  そして、FIFAのお金を、どんな相手にも渡せた。FIFAの規約では、ブラッター会長は、世界のいかなる国の法律の制約も受けないと定められている。
  この本を読むと、サッカー試合って、まるで汚物まみれにしか見えなくなります。スポーツによって健全な精神が養われ、育つどころではありません。早くなんとかしてほしいものです。

(2015年10月刊。1600円+税)

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