弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ヨーロッパ
2017年1月20日
ゾロアスター教3500年の歴史
(霧山昴)
著者 メアリー・ボイス 、 出版 講談社学術文庫
ゾロアスター教というと、拝火教として、火を崇拝する宗教だと連想してしまいます。松本清張の本もありましたよね・・・。
ゾロアスター教は、イラン人であるゾロアスターが説いた宗教である。イラン人は、今でこそ、ほとんど全部がイスラム教徒だが、その前はゾロアスター教徒だった。
ゾロアスターは、善の原理の正しさとその究極的な勝利に深い確信をもったので、生命あるうちに善を選択してアフラの戦いに尽力した人間は、死後に裁判を受けて天国に行くことができるが、逆に邪悪に従った者には地獄の苦しみがあることを初めて説いた。信者たちの日々の悪との戦いを助けて善の勝利を招来すべく、未来には救世主が現われるという希望を与え信者たちの支えとした。
このようなゾロアスターの独創的な思想は、世界の宗教史上、画期的なものだった。世界の三大宗教たるキリスト教、イスラム教、仏教に大きな影響を与えた。
ゾロアスター教は、啓示によって開かれた世界宗教の最古のものである。
イラン人であるゾロアスターが生きていたのは紀元前1400年から1200年の間であった。
ゾロアスターによれば、人が死ぬと、その魂は、現世で善という大義を助けるために何をしたかについての審判を受ける。男も女も主人も召使いも楽土に行ける希望がある。このようにゾロアスターは教えた。橋を渡れるのは、それぞれの霊が生存中にもっていた権力や、豊富な供物をしたか否かではなく、倫理的な実績による。
ゾロアスターは、個々の審判、天国と地獄、肉体のよみがえり、最後の大審判、再結合された魂と肉体の永遠の生というのを、初めて説いた。
すべてのゾロアスター教徒は、男でも女でも紐を腰紐として身につけ、三度、腰のまわりをまわしたあと、前と後で結び目をつくる。入信式は15歳で行われ、その後は生きている限り毎日くり返して、信者は祈りのときに紐を解いて結び直さなければならない。一日に五度祈る義務は、すべてのゾロアスター教徒を拘束した。
人間は死んだ瞬間から死体は高い伝染性をもつかのように扱われ、職業的な葬儀人や死体運び人以外は近づけない。
葬儀は穢れた肉をすみやかに破壊すること、霊を自由にしてそれが天に昇るのを保障することを目的とする。
ゾロアスター教は、教義をもち、改宗をすすめた世界宗教の最古のものであるが、いろいろな力関係のもとで伝道活動が制限されたため、実質的にイランの民族宗教となってしまった。ただ、そのため、ヘレニズムの多神教とも平和的に共存することができた。
ゾロアスター教徒を苦しめる一つの方法は犬をいじめること。現在、ムスリムは犬を不潔な動物として敵意を示す。しかし、ゾロアスター教徒は、並々ならず犬を敬う。
1900年ころ、イランには1万人のゾロアスター教徒がヤズドとその周辺に住んでいた。
1976年には、総数12万9千人で、そのうち8万2千人がインドに、5千人がパキスタンに、そしてイランには2万5千人(テヘランに1万9千人)が住んでいた。
日本人にはあまりなじみのないゾロアスター教について、深く解説のなされている本だと思いました。
(2015年4月刊。1300円+税)
2017年1月 3日
僕とおばあさんとイリコとイラリオン
(霧山昴)
著者 ノダル・ドゥンバゼ 、 出版 未知谷
不思議なストーリー展開の本です。
今はジョージアと呼ばれていますが、少し前までグルジアと呼んでいた国で、少年が大人になっていく過程がつづられています。
ソ連時代のグルジア共和国ですので、ナチス・ドイツがソ連に攻めてきたころのことから物語は始まります。そして、ソ連ではスターリン圧政の下で粛清の嵐が吹き荒れていて、少年の父親も、その犠牲になりました。だから、少年は父方の祖母(おばあちゃんです)のもとで暮らすのです。
グルジアの歴史が訳者によって紹介されています。
グルジアの最盛期は12世紀から13世紀にかけて。タマル女王の治世下です。そのあとモンゴルが来襲し、さらにチムール帝国がやってきて、グルジアは壊滅的な打撃を受けた。西グルジアはオママン帝国に、東グルジアはペルシアによって分割して支配された。グルジアはソ連邦を構成する一共和国だったが、1991年に独立して、現在に至っている。
大人たちは、何かというとすぐウォッカを飲みます。
変てこな大人たちばかりのなかで、少年は、ひょうひょうと生きていきます。
こんな会話が出てきます(70~71頁)。
「ドイツは、モスクワのそばで身動きできないんだ」
「第二戦線はどうなってる?」
「大した変化はないな。それにしても、イギリスはとんでもなく卑怯な奴らだぜ。ソヴィエトは放っておいて、俺たちは手を貸してくれって、アメリカに頼むんだ」
「で、アメリカは何て言ってる?」
「それは、おまえの仕事じゃないだろうって」
・ ・・
「じゃあ、日本は?」
「日本はドイツが尻を叩いているんだよ。じっとしていないで、早くおっぱじめろよって。すると、日本が答えるんだ。そっちがモスクワのそばでじっとしてるってのに、オレたちはいったいどっちに行ったらいいんだよ、ってな」
「それでドイツは何て言ってるの?」
「ラジオで二回言ってた。我々はスターリングラードを征服したって・・・それで日本をだまし
通せるとでも思ってやがる」
「ドイツは、もう終わったな」
日本の参戦はドイツ軍のスターリングラードでの敗北のあとだったようです。
独特のグルジア語らしきものが本の表紙に飾られています。私はまったく初めての文字で
した。グルジア(ジョージア)文学って、こういうものなのかと、初めての体験に戸惑ったというのが正直なところです。
(2004年3月刊。2500円+税)
2016年12月31日
シェイクスピア
(霧山昴)
著者 河合 祥一郎 、 出版 中公新書
ヒトゴロシの芝居をイロイロ書いた。シェイクスピアが生まれたのは、1564年4月23日ころ、亡くなったのは1616年4月23日。52歳で死んだことになる。1616年は、徳川家康が死んだ年でもある。
シェイクスピアは、生涯にわたって王族のカリスマ性に圧倒され、それを舞台でも表現しようとした。
シェイクスピアは、20歳の若さで三児の父親だった。当時のイギリスでは、劇の作者が誰なのかは、あまり問題にされなかった。それは江戸時代初期の歌舞伎の狂言作者と同じだった。そして、当時の台本は、何人かの書き手が共同で一冊の台本を書き上げることが日常茶飯事だった。
世の中の大きな流れにくみせず、少数派の見方も否定しないのがシェイクスピアの書き方。『ヴェニスの商人』には、当時蔑視されていたユダヤ人の視点も取り入れ、キリスト教徒たちの偽善性が暴かれている。
シェイクスピアは1604年、薬屋を35シリング10ペンスの不払いと10シリングの賠償金を求めて裁判に訴えた。シェイクスピアは、金銭に細かい人物だった。そして、当時のイギリスは、こんなことでも裁判沙汰にするほど訴訟が日常茶飯事だった。
シェイクスピアは1616年4月23日に亡くなったが、死の3ヶ月前に遺書を書いている。したがって、病死したと考えるのが自然だ。
シェイクスピアの演劇に幕は必要なかった。大掛かりな舞台装置は使われず、いわゆる場面転換もなかったからである。
張り出し舞台で、平土間には客席がない。つまり、客は立って観劇していた。
シェイクスピアの舞台は狂言と同じで、幕のない張り出し舞台で、女優も登場しない。女役は少年俳優が演じた。
シェイクスピアの劇をはじめ、エリザベス朝の演劇では、変装が頻繁に用いられた。76%もの劇で変装が用いられている。ただし、変装は基本的に喜劇的な手法であるため、悲劇では、あまり用いられない。
日常生活ではロゴス(理性)に支配されることが多いが、演劇は理性と対立する感性の世界においてその力を発揮する、そして、そこでもっとも重要となるのは想像力だろう。それは、ときに新たな現実そのものをも生み出す力さえ持っている。
さまざまな人々の生きざまを描いてきたシェイクスピアが最後に到達したのは、「信じる力」の大切さだった。いかに生きるか、それが問題だ。
久しぶりにシェイクスピアを読んでみたくなりました。
(2016年6月刊。820円+税)
2016年12月14日
イスラーム国の黒旗のもとに
(霧山昴)
著者 サーミー・ムバイヤド 、 出版 青土社
2014年夏、ISISがシリアとイラクの広大な領土を制圧したとき、大半の人はこれが短期的な現象で、そのうち消え去ると考えた。しかし、このテロリスト集団は支配を強化し、2014年9月以来のアメリカ主導の大規模な空爆作戦下で生きのびている。
ISISは、裁判制度や機能的な警察部隊、強い軍隊、洗練された諜報機関、国歌そしてアルカイダの黒い幕を基にした国旗といった、国家としての象徴をもうけることで政府を完成させた。石油収入により国庫を満たし、一国家にふさわしい機能を完成させている。
ワッハーブ主義の存在なしにサウジアラビアは誕生しなかったし、ISISが今日、シリアの町ラッカを支配することもなかった。
「サウジアラビアは、依然として、アルカイダや他のテロリスト集団にとって決定的な財政援助の拠点である」(2009年12月、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官)
2014年半ばにアブー・バクル・バグダーディーが一躍有名になった背景には、そもそもアラブ世界のスンニー派共同体に傑出した指導者がいないことによる。スンニー派の世界には、自分たちが弱体化し、リーダーもおらず、犠牲となり、見放されたのだという雰囲気がある。
今日、シリアで活動しているジハード主義のグループは、決して新興の勢力などではない。彼らの思想的なルーツは、1940年代半ばに設立されたムスリム同胞国シリア支部にさかのぼることができる。
2011年に戦争が始まったとき、反体制運動を起こした若者の多くは、1982年に犠牲となった人々の子どもや孫たちである。
シリア政府としては、アメリカ軍を標的とする限りにおいて、ジハード主義者がイラクに渡航することにやぶさかではなく、むしろこれを奨励した。このとき、シリア政府は、フセイン政権の崩壊10年後に、ジハード戦士たちが自国を戦場にして戻ってくるとは想像していなかった。
ヌスラ戦線が兵士に支払っていた給料は最大で月400米ドル。これに対してISISは800ドルを支給した。2013年半ばまでに、ヌスラ戦線の兵士の7割がISISに移った。
ISISは、2015年半ば、シリアとイラクに3万5千人から5万人の兵士をかかえ、9万平方キロの領土と600万人を支配している。これはイギリスと同等の領土の所有、フィンランドやデンマークの人口よりも多い。
2010年5月、バグダーディーは、39歳にしてイスラーム国の新しい元首となった。
2011年初めまでに、旧バース党出身者は、バグダーディーの勢力の上位25人の司令官のうち3分の1を占めた。旧バース党の将校は、戦争、コミュニケーション、規律の点で経験を積んだ兵士であった。
ISISが支配する領土では、ヌスラ戦線以上に苛酷だった。
ISISの戦略は、テロリストの戦略と正規軍の歩兵作戦とを結合させた、高度に多角化したものだった。
キリスト教の文化と違って、ISISにとって黒は死や喪服ではない。黒は日常の色である。
ISISの警察の重要な職務は、パン屋が十分に営業し、日々の小麦を供給されているか、ということを確かめることにある。そして、DVDはISISにより厳しく禁止されている。公共の場での刑罰と斬首はISISの領土では一般的である。
ISISの旗の下に、シリアの戦場へ来た外国人は2万5千人前後。外国人戦闘員の平均年齢は25歳。60%が到着時には独身だった。生活基盤ができてから、地元社会の者と結婚する。ヨーロッパ人戦闘員は、シリアのジハードに多数参加している。1万6千人と見積もられている。ISISに参加する若者が週平均5人はいる。
ISISには女性もやって来る。全員がジハードを経験するために、戦うために来たのではない。その多くは、だまされて、やって来ている。多くは、結婚して子どもをうむために来た。
これらの人々がISISに参加した理由は、単にお金のためや、アブー・バクル・バグダーディーの長い剣の脅しのためではなかった。以前の社会がバラバラになって、彼らを振るい落し、腐敗した貧困と無知になかに放置しておいたために参加した。
ISIS(イスラーム国)の実態に迫った本です。とても参考になりました。著者はシリア人です。
(2016年10月刊。2600円+税)
2016年12月12日
テレジン収容所の小さな画家・詩人たち
(霧山昴)
著者 野村 路子 、 出版 ルック
アウシュヴィッツに消えた1万5000人の小さな生命(いのち)というサブタイトルのついた絵本です。
アウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所で殺された子どもは1万5000人どころか、150万人といわれている。そんな子どもたちの怒り、悲しみ、夢、祈り、そして、生きたいという叫び・・・。生命のメッセージが伝わってくる。
ユダヤ人の子どもたちは、学校へ行くことを禁じられ、遊園地やプールからも締め出された。もちろん、これはヒトラーが叫び、権力を握って推進した政策ですが、それを支援したドイツ人大衆がいたわけです。いまの日本で、ヘイトスピーチをし、それに沈黙して、実は手を貸しているという人たちが少なくないことを考えると、おかしいことを権力者がしていると思ったら、すぐに抗議の声を上げないと大変なことになるということです。
いまの日本のアベ首相の手口はあまりにも恐ろしいと私は思うのですが、不思議なことに、年金を切り下げられている年寄りに支持する人がいて、非正規でしか働けず、明日への希望を失っている人が解雇の自由を促進しているアベ政権を支持しています。まさしく矛盾です。
収容所の食事。朝はコーヒーと呼ばれる茶色い水が1杯だけ。昼はピンポン球くらいの大きさの小麦粉の団子の入った、うすい塩味のスープ。夜は、同じスープと小さな腐りかけのジャガイモが一つか、かたいパンが1かけ。それが子どもたちの食事だった。
テレジン収容所の「子どもの家」にいた10歳から15歳までの子どもたち1万5000人のうち、戦後まで生き残っていたのは、わずか100人だけだった。
12歳の男の子の描いた絵があります。首を吊られた男性が描かれています。その男性の胸にはユダヤ人の印であるダビデの星が色濃く描かれています。
どうしてなのか、幼い彼にはその理由は理解できなかった。でも、胸にこの黄色い星のマークをつけさせられた日から、辛いこと、悲しいことが多くなったことだけは分かっていた。
この絵は、少年の大好きな父親が処刑される場面だったのかもしれない・・・。
テレジン収容所が1945年5月8日に解放されたとき、ドイツ軍が自分たちの蛮行を証明する書類を焼却していった焼け残りの書類の下に、子どもたちの絵があった。それを見つけた人が、トランク2つに詰めてプラハへ持ち帰った。子どもたちの絵が4000枚、詩が数十編・・・。それは、子どもたちがこの世に生きていた証だ。
今も、プラハの博物館に残されているそうです。ぜひ、現物をじっくり見てみたいと思いました。年齢(とし)とって涙もろくなった私は、涙なしには絵を見ることも、詩を読むことも出来ませんでした。私たちみんな、この事実を忘れてはいけないと何度も思ったのです。ヘイトスピーチなんて、許せません。
(1997年6月刊。2200円+税)
土曜日は午前中のフランス語教室を終えて、午後から天神の映画館でフランス映画『アルジェの戦い』をみました。「アタンシオン、アタンシオン」(注意して下さい、注意)という有名なフランス語のセリフが流れてきます。アルジェリアが戦後、フランスから独立するまでにおきたテロや暴動、そしてフランス軍による拷問、弾圧を生々しく再現した映画です。
実は、私は1967年(昭和42年)4月、渋谷の大きな映画館でこの映画をみたのです。大学に入ってすぐのことです。それまで九州の片田舎に住んでいて大東京に出て、何もかも目新しい生活を始めたとき、世界ではこんなことが起きているのかと、目を大きく見開かされました。
この映画は前年(1966年)にベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのですが、「反仏映画」だという批判も受けました。フランス軍による活動家への拷問シーンはたしかに凄惨です。
そして、昨年のパリ同時多発テロを思い出させる映画でもあります。相次ぐ爆弾テロ、車から連射して路上の罪なき市民を倒していくシーンなど、50年前の出来事が今よみがえってきます。
暴力に暴力で対処してはダメなんだと独立運動の指導者の一人が語ります。革命を始めるより、続けることが難しいし、成功したあとが、さらに難しいともいます。アルジェリアは独立後、実際にそのような経過をたどります。
一見に値する貴重な映画です。ぜひ、時間の都合がつけば、ご覧ください。
2016年12月 7日
ブラックアース(下)
(霧山昴)
著者 ティモシー・スナイダー 、 出版 慶應義塾大学出版会
ユダヤ人へのホロコーストの実情が刻明に掘り起こされています。
ユダヤ人の大量殺戮は、何万ものドイツ軍が3年にわたって何百という死の穴のうえで何百万というユダヤ人を射殺していた東方では、ほとんどの者は何が起きているのかを知っていた。何十万ものドイツ人が殺戮を実際に目のあたりにしたし、東部戦線の何百万ものドイツ人将兵は、それを知っていた。
戦時中、妻や子どもたちまでが殺戮現場を訪れていたし、兵士や警察官はもとより、ドイツはときに写真付きで家族に詳細を書いた手紙を送った。
ドイツの家庭は、殺害されたユダヤ人からの略奪品で豊かになった。それは何百万というケースではなかった。略奪品は郵便で送られたり、休暇で帰省する兵士や警察官によって持ち帰られた。
1940年6月にソ連に占領されたエストニアでは、1941年7月にドイツ軍がやってきたときに居住していたユダヤ人の実に99%が殺害された。これに対してデンマークでは、市民権をもつユダヤ人の99%が生きのびた。エストニアでは国家が破壊されたが、デンマーク国家は一度も破壊されなかった。ドイツの占領は、明らかにデンマークの主権をもとにして進められていた。デンマーク当局は、ユダヤ人市民をドイツに引き渡すのは、デンマークの主権を損なうことになると理解していた。
デンマーク人は、自国のユダヤ人をドイツではなく、スウェーデンに送り届けるために小型船隊を組んだ。ドイツ警察は、この企てを知ったが、留はしなかったし、ドイツ海軍も、眺めるだけだった。デンマーク市民は、同胞の市民を自分たちの国で救うのは犯罪ではないので、ほとんど身に危険を感じず、やってのけた。ドイツ警察が10月2日に急襲したときにも、デンマーク市民権をもった5000人のユダヤ人のうち481人だけしか捕まらなかった。
ドイツ当局は、収容所におけるユダヤ人の外見上は良好な状態を見せるプロパガンダ映画を製作するのに、デンマークからのユダヤ人を利用した。
なるほど、国家体制が残るっていうのは、こんな効果もあるのですね・・・。
国家が破壊された場所では、誰も市民ではなかったし、予想できるいかなる形の国家の保護も享受していなかった。ドイツの官僚制度はドイツのユダヤ人を殺害することはできなかった。ドイツのユダヤ人は、戦前からのドイツの地においては、ごくごく少数の例外を除いては、殺害されることはなかった。
市民権、官僚制度、外交政策が、ヨーロッパのユダヤ人全員を殺害せよというナチスの衝動を妨げた。
伝統的にルーマニアは、フランスの従属国であり、ルーマニアのエリート層はフランス文化に自己を重ねあわせていたし、フランス語が広く話されていた。
ヒトラーは、ルーマニア陸軍を重要視していた。ポーランドの崩壊後、赤軍に対抗するのに使える東ヨーロッパにおける唯一のまとまった数の軍隊だった。
ルーマニアは、1944年、ドイツに抗しながら終戦を迎えた。ルーマニアのユダヤ人の3分の2が生きのびていた。
ハンガリーでは、1944年になっても、80万人がハンガリー領内で生きのびていた。ブルガリアの支配の及んだ地域に住んでいたユダヤ人の4分の3が生きのびた。
イタリアは、反ユダヤなどの人種立法を通過させたが、ムッソリーニは、イタリアのユダヤ人を死の施設に移送することに何の関心も示さなかった。イタリアにいたユダヤ人の5分の4は生きのびた。
これに対して、領有者がかわった地域のユダヤ人は、たいてい殺されてしまった。
フランスのユダヤ人は4分の3が生き残り、オランダとギリシャのユダヤ人は4分の3が殺害された。オランダは、国家のない状態に近かった。国の元首はいなくなったし、政府は亡命してしまった。
生きのびたユダヤ人は、ほぼ全員が非ユダヤ人から、何らかの援助を受けていた。ドイツ人は、ある状況では救助者となり、別の状況では殺人者となった。
ホロコーストの実際が、とても詳細に分析されていて、大変勉強になりました。
この本を読みながら、つくづく歴史を学ぶ意義は大きいと痛感しました。
(2016年7月刊。3000円+税)
2016年11月22日
戦地からのラブレター
(霧山昴)
著者 ジャン・ピエール・ゲノ 、 出版 亜紀書房
第一世界大戦の最前線で死んでいった兵士が家族に宛てた手紙が集められた本です。涙なくして読めませんでした。まことに戦争とはむごいものだとつくづく思いました。まだ10代、20代、せいぜい30代と若いのに、むなしく無惨に殺されてしまうのです。
そして、前線の兵士たちは、国の指導者、そして戦争をあおり美化するマスコミ・ジャーナリストを呪います。本当に、その気持ちがよく分かります。
戦争は4年も続いたが、全戦死者の実に6分の1が最初の2ヶ月で死んでいった。夏のわずか5日間で14万人もの死者。なかでも、熾烈を極めた一日、1914年8月22日だけで、なんと2万7千人が戦死した。
最初の夏(1914年)、まだ皆、甘く考えていた。激戦は長く続かないだろう。ウィルヘルム二世(ドイツ帝国皇帝)は、早々に兵を引くに違いないと思っていた。激しいプロパガンダ合戦は始まっていたが、ほとんど人たちは、そんなものに関わっていなかったし、兵士たちは、この先に何が起こるのか分からず、ただ不安を抱えたまま、家族や職場に別れを告げた。
兵営や塹壕の腐臭が、僕らの抵抗が、僕らの苦痛が正義や幸福をつくるとは思えない。
名誉とか軍の義務とか、犠牲とか、そんなものは見かけ倒しにすぎず、戦争というのは、結局、なかに隠された骸骨のことではないのか。
戦争という娼婦は、その戦争を支える多くの連中の快楽によって出来ている。
「隠そうとしても無駄だから言っておく。今ぼくらは危険な状態にあり、惨劇が予想される。でも、落ち込んだりしないでくれよ。どうせ、皆、いつかは死ぬんだ」
わずか5ヶ月間で100万人のフランス兵が死んだ。当初の召集兵の4分の1だ。
「ぼくらは、まるで一人の人間のように一丸となって進む。そう、ぼくらは、このとき、殺すこと、皆殺しにすることだけしか考えないけだものになっていた」
「人は知るべきだ。この酷すぎる事実を知るべきだと思う。神の力って、どんなものなんだろう・・・」
「わが軍と敵軍、どちらの歩兵部隊も疲弊しており、最初に仕掛けたほうが、先に死ぬのは目に見えている。実際、皆、重機で倒されているのだ。もはや、人と人との戦闘ではなく、人が機械に挑んでいる」
「新聞に書かれているような快進撃なんて、ありはしない。新聞は国民を奮い立たせようと嘘を書くペテン師だ。あんな記事を信じてはいけない。兵士を消耗させるだけなのが戦争だ。戦争はペテンだらけだ。ぼくらはあらゆる業種からかき集められた労働者で、上の奴らは安全な後方で爆弾をつくっている。上の奴らだけが大金を手にし、ぼくらの受けとる俸給はごくわずか。ぼくらはお人好しだな。要するに馬鹿なんだ」
「軍隊に規律なんてない。まるで囚人や奴隷のような扱いだ。若い将校は出世のことしか考えていない。攻撃で手柄を立てるが、陣地を護ることで手柄を立てるが、それしか考えていない。どっちみち、下っ端の兵士が犠牲になる。将校には計画性がない」
そして、映画にもなっていますが、最前線にいたドイツ軍とフランス軍がクリスマス休戦をしたのです。お互いの塹壕を訪問しあい、煙草や葉巻を交換しあった。
「こっちも泥だらけなら、向こうも泥だらけ。ぞっとするほど汚くて、ああ、あいつらもきっともう嫌になっているんだなと思った」
「敵兵もフランス兵もひきつった死に顔は同じだ。はぎとられ、暴かれ、まざりあい、風が吹きつける戦場に散らばっている。弔ってくれる新しい者も聖職者もいない。朽ち果てていく死体には敵も味方もいない」
「戦争が2年も続いているうちに、人々が徐々に利己的になり、戦争に無関心になってきたのを感じる。ぼくたち兵隊のことなど忘れてしまったかのようだ。故郷に帰っても、まるで無関心の人がいる。おまえ、まだ生きていたのかと驚かれる」
「ドイツ兵捕虜の手紙を読んだ。彼らの手紙はぼくらの手紙と同じだった。みじめな生活。和平を心待ちにする思い。あらゆる行為の馬鹿馬鹿しさ。つらい思いは、みな同じだ。あいつらも、ぼくたちと同じ人間なんだ。不幸せな人間であることに変わりはない」
「新聞は腐りきった財界人と政治家の言いなりだ。戦争支持者と残酷な勇者を讃えるばかり」
「ぼくらは獣によりさがっている。まわりの兵を見ていて、そう思うし、自分についてもそう感じる」
『聞け、わだつみの声』を思い出しましたし、第二次大戦で生き残った日本兵の手記を読んでいる思いがしました。
そして、いま、日本の自衛隊が遠いアフリカまで出かけていって、ついに「戦死」者を出そうとしています。とんでもない事態です。愚かな財界人と政治家たちの金もうけのためにアフリカの地で、日本の平和とは関係なく「戦死」させられる若者の生命がいとおしくてなりません。今に生きる貴重な本だと思います。
(2016年10月刊。1900円+税)
2016年11月11日
水危機を乗り越える
(霧山昴)
著者 セス・M・シーゲル 、 出版 草思社
イスラエルが砂漠の国であること、そこで海水の淡水化をふくめて真水確保で大きな成果をあげていることを知りました。
イスラエルの学校では、最少の水で歯みがきする方法が教え込まれている。それだけ水の大切さが繰り返し教えられている。
パレスチナには1200万人がいて、イスラエルに800万人、ヨルダン川西岸とガザ地区に400万人が住んでいる。
1948年にイスラエルが独立を宣言したとき、国の人口は80万6千人だった。
ネゲブ砂漠を通る国営水輸送網が完成して、1200億ガロン(4億5千万立方メートル)の送水能力を得て、南部の荒涼たる土地でも、種類を選ばずに作物を育てられるほどに大量の水が利用できるようになった。そのため、イスラエルにたどり着いた移民はネゲブ砂漠に入植して農民として生計を立てていくことになった。
イスラエルで点滴灌漑の手法が開発され、実用化された。一滴ずつ灌漑すれば、水分の蒸発はおさえられ、作物の必要とする水を直接その根に届けてやることができる。節水効果はばつぐんで、蒸発や不必要な土壌への浸潤で減少する水はわずか4%にすぎない。
点滴灌漑農法によると、湛水灌漑やスプリンクラー灌漑を上回る収穫を必ずといってよいほど達成できる。現在では、2倍以上の収穫が標準だ。40%の用水を節約しながら、湛水灌漑より550%の生産量をあげている。
もちろん、点滴灌漑の装置は、降雨に比べると、はるかに高額だ。
この灌漑法では、水と溶解性の肥料の混合液が作物にたびたび投与される。これが養液点滴灌漑である。
イスラエルでは、点滴灌漑が標準農法で、灌漑されている耕作地の75%の地下もしくは地上部分に滴下装置を認めることができる。残る25%はスプリンクラー灌漑である。
この点滴灌漑農法がもっとも劇的に増加しているのは、中国とインドである。
今日、イスラエルでは排水の95%が処理され、利用されている。残る5%は汚水処理タンク方式で処置されている。
海水の淡水化にもイスラエルは取り組んでいる。ソレクに建造された施設は世界最大にして最新で、一日に62万立方メートル(1億6500万ガロン)の淡水を生産している。
海水淡水化はイスラエルの水事情を根底から変え、その影響はこの国の社会の隅々に至るまで感じられる。
海水淡水化とは、他人をあてにしなくてもよいということ。これがあるから、我々は自らの運命をコントロールできる。イスラエルの農家にとって、再生水は、今や貴重な水源で、処理して際しようするために国の廃水の85%が集められている。
イスラエルは水問題の解決法においてたくさんの発明をうみ出し、世界の水のあり方を変えてきた。
世界で「水戦争」が深刻化しているという本を読んだことがありますが、こうやって解決する方向で実践している国があるのですね・・・。日本は、その点、どうなっているのでしょうか。
この本の解説に日本がバーチャルウォーター(仮想水)を輸入していると書かれていますが、よく分からない文章でした。残念です。ともあれ、イスラエルという国を見直しました。世界の平和に少しは貢献しているのですね。
(2016年6月刊。2800円+税)
2016年10月28日
パナマ文書
(霧山昴)
著者 バスティアン・オーバーマイヤー 、 出版 KADOKAWA
パナマ文書は、世界のスーパーリッチたちが税金のがれためのインチキをしていることを暴露したものです。パナマの法律事務所の極秘文書が外部へ漏出したのです。
この本を読んで大変もどかしかったのは、日本人のスーパーリッチもいるはずなのに、本文では全然ふれてなく、解説にもありません。ぜひ日本人の関わりを明らかにしてほしいです。
国際金融の世界はオフシェア業界のおかげで潤っている。
世界中が一致団結してタックスヘイブンに向かって攻撃を仕掛けたら、さすがのオフシェア業界も存続の危機になるだろう。
銀行口座の情報が世界中で自動的にやりとり出来るようにすれば、オフシェア対策に有効だ。EUだけでも、毎年1兆ユーロが脱税と節税のために失われている。
スーパーリッチとは、自由に使える資産が50万ドル以上もっている人。ウルトラ富裕層というのは、少なくとも3000万ドル以上をすぐに投資に回せる人のこと。
たとえば、スペインで家を買うと、10%の不動産取得税がかかる。だけど、家ではなく、その家を所有する会社の株を買ったら、その税金はかからない。
富豪やスーパーリッチが暮らすもう一つの世界では、いくつもの大陸や国をさまたいで口座や株、家屋敷、プレジャーボート、その他の資産の一部をオフショアの仕組みを使って保有するのが当たり前になっている。ペーパーカンパニーを所有すること自体は、まったく合法だ。
世界中で社会が二つの階級に分かれている。ひとつは普通に税金を支払う階級で、もうひとつは、いつ、どのように税金を払うかを、あるいは払うか払わないかさえも自分で決め、そうするための手段も持っている階級だ。
このパナマの法律事務所は世界中のいかがわしい人物、といっても、その国の大統領や首相だったりするのですが、その裏金を預かる仕事をしていたようです。そのデータが、内部告発で外部へ流出したというわけです。CIA文書を流したスノーデン氏のような勇気ある人がいたのです。
おかしな世の中です。本当は拝金主義のくせに外部に向かっては愛国心を語るなんて許せませんよね。腹の立つばかりの本ではありました。決して、世の中、お金がすべてではない。みんなで叫んで、行動に移したいものです。
(2016年8月刊。1800円+税)
2016年10月27日
アウシュヴィッツの図書係
(霧山昴)
著者 アントニオ・G・イトウルベ 、 出版 集英社
アウシュヴィッツの絶滅収容所には珍しいことに一棟だけ家族収容所があり、ユダヤ人の子どもたち500人が生活していた。そこでは、大人が子どもたちに勉強を教え、本を読んでやり、話を聞かせていた。
そして、この家族収容所には貴重な本を扱う図書係の少女がいた。ナチスに見つかれば本の没収どころか、即、処刑される危険な係だ。しかし、そうでなくても絶滅収容所は毎日毎日が死と隣あわせの生活を余儀なくされていた。
図書係を担っていた少女はドイツの敗戦時まで生きのび、戦後も80歳まで長生きしたのでした。この本は実話をもとにした小説です。私は一日中、一心に読みふけってしまいました。電車のなかでは一切のアナウンスが耳に入らず、昼食のサンドイッチを食べるときも本から目を離さず、裁判所の廊下でも待ち時間ずっと読み続け、ついに読み終えたときには、もっと読んでいたかったと思いました。
アウシュヴィッツという世にも稀なる苛酷な状況のなかで13歳の少女が使命感に燃えて本を隠し、また本を読みふけるのです。それは悪臭にみちたトイレの片隅でもありました。
頁をめくる手がもどかしくなるほどスリリングな展開です。
アウシュヴィッツで固く禁じられているもの。それは銃でも、剣でも、刃物でも、鈍器でもない。それは、ただの本だ。しかも表紙がなくなってバラバラになり、ところどころのページが欠けている読み古された本。
小さいころのことはあまりよく覚えていない。いつも記憶によみがえるのは、平和な毎日には、金曜日に一晩コトコト煮込んだ、こってりしたチキンスープの香りがしたこと。そして、ロースト・ラムの味や卵とくるみのパスタの味もよく覚えている。なかなか終わらない学校、おぼろげにしか覚えていないクラスの同級生たちと、石けりやかくれんぼをして遊んだ午後・・・。そのすべてが消えてしまった。変化はいきなりではなく、徐々に始まった。しかし、子ども時代は、ある日、突然に終わった。
アウシュヴィッツで古株の囚人が新参者にきまって与える第一の教訓は、「生きのびることだけを目ざせ」ということ。大きな計画は決して立てない。大きな目標はもたない。ただ、一瞬、一瞬を生きのびる。
図書館をやっていくには勇敢な人が必要だ。勇気のある人間と恐れを知らない人間は違う。恐れを知らない人間は軽率だ。結果を考えずに危険に飛び込む。危険を自覚しない人間はまわりを危ない目にあわせる可能性がある。そういう人間はいらない。必要とするのは、震えても一歩も引かない人間だ。何を危険にさらしているか自覚しながら、それでも前に進む人間だ。勇気がある人間というのは、恐怖を克服できる人間だ。
これを13歳の少女がしっかり受けとめて、活動するのです。身体が震えます。
図書係の仕事は、どの先生にどの本を貸し出したかを覚えていて、授業が終わったら本を回収し、一日の終わりには本を隠し場所に戻すこと。
本は8冊しかない。ずいぶんと傷んだ本もある。でも、本は本だった。
アウシュヴィッツ収容所では、本はまるで磁石だ。みな本に目を引き寄せられ、イスから立ち上がって本を触りに行く子も大勢いる。本は、テストや勉強、面倒な宿題を連想させるが、同時に鉄条網も恐怖もない暮らしの象徴でもある。怒られないと本を開かなかった子どもたちが、今では本を仲間だと認識している。ナチスが禁止するなら、本は子どもの味方なのだ。本を手にとると、子どもたちは普段の生活に一歩近づく。
普通の生活は、みんなの夢だ。何かに夢中になることは、とても大事だ。夢中にならないと、前へ進めない。
絶滅収容所に家族収容所があることまでは知っていました。そこで男の子が生きのびた話が本になっていて、このコーナーでも紹介しました。でも、そこで図書係がいて本の貸出しをしていたなんて、知りませんでした。人間にとって希望を失わないことの意味はとても大きいことなのですね。一日中よんでいて、胸が熱くなりました。
ぜひ、あなたもご一読ください。
(2016年10月刊。2200円+税)