弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2016年5月22日

「ギリシア人の物語」Ⅰ

(霧山昴)
著者  塩野 七生 、 出版  新潮社

 ギリシアに始まった民主政治の原点、その実態を知りたくて読みました。
 オリンピックに参加するのは男だけ。選手はすべて裸体での参加と決まっていた。女性の観戦は認められていなかった。観客席には、ギリシア人以外の外国人も、奴隷でさえも座れた。男女同権ではなかったのですね。
 ギリシア人とは、ギリシア語を話す人々、ギリシアの神々を信仰する人々であること。
 オリンピックとは、古くから戦いばかりしていた古代のギリシア人から生まれた、人間性に深くもとづいた「知恵」だった。きのうまで戦場で敵と味方に分かれて戦っていても、この1ヶ月間だけは戦いが凍結された。
勝者が頭上にするのは、ギリシアならどこにでもある月桂樹の枝葉を編んでつくった冠でしかない。
 393年に、ローマ皇帝テオドシウスがオリンピックの終わりを命じた。キリスト教徒として、ゼウスに捧げるオリンピックなど認めるわけにはいかなかった。そして、裸体も競争も嫌った。
 スパルタの男性は、20歳から60歳まで「現役」として、集団生活を過ごす。30歳になったら、寄宿舎の外に家をもち、妻子との家庭生活も認められるが、それでも夜には寄宿舎に戻って眠らねばならなかった。
 スパルタは、私有財産をまったく認めなかった。アテネでは、著名人の多くは海外に資産をもっていた。アテネも、市民皆兵という点では、スパルタと同じで、18歳になったら、アテネの若者は自分の「デモ」に出向いて、兵隊の訓練期間に入る届出をしなければならなかった。
 アテネは、重装歩兵を常にスパルタの2倍は維持できた。マラトンの平原での戦闘においてアテネは、9千の重装歩兵を投入した。
 アテネでは、紀元前508年ころ、人類史上はじめて、一般の市民までが積極的に国政に参加できる政体が誕生した。つまり、国政の最高決定機関は20歳以上の成年男子の全員が投票権をもつ「市民集会」となった。都市国家アテネの市民は、4万人から6万人と推定されている。
陶片(オストラコン)追放は、最低6000人の参加する投票で、過半数をこえる人は10年間の国外追放とされる。ただし、10年すぎれば堂々と帰国できるし、10年たたなくても帰国できることもある。資産が没収されることはなく、家族もアテナ内に自由に住んでいてよい。
 陶片追放は、気にくわない政敵を排除する手際になっていた。制定から85年後に廃止された。まあ、実効性がなかったということでしょうね・・・。
軽装歩兵と重装歩兵のちがいは、武器の優劣にあるというより、かぶと、胸甲、脚甲、盾という。兵士の一人ひとりを敵の攻撃から守る防御用の武軍の優劣にあった。
ペルシア兵の槍の長さは2メートル。アテネ兵の槍はその2倍はあった。パルシア兵の剣の長さは40センチであるのに対して、その2倍近い長さがある。
マラトンの戦いでギリシア軍のほうが勝ったことの歴史は意義は大きい。なぜなら、無敵とされてきたペルシアが無敗だといえないということが実証された。
 紀元前480年の「サラミスの海戦」において、ペルシア軍は500隻も繰り出していたのに、アテネ等の連合国軍の135隻から完膚なきまで敗北させられた。
 重装歩兵にとっての最強の武器はなんといっても槍。身長の2倍以上もの長さがある。これほどもの長さの槍を自在に操る能力がギリシアの都市国家の重装歩兵には約束させられた。
 ギリシアという、遠くて近い不思議な国についての本でした。
(2015年12月刊。2800円+税)

2016年5月15日

シベリア最深紀行

(霧山昴)
著者  中村 逸郎 、 出版  岩波書店

 この本を読むと、ロシアという国は、とてつもなく奥の深い国だということがよく分ります。
 シベリアの奥地には、プーチン大統領もモスクワも、まったく及びではないという人々が住んでいるのです。なにより、シベリアという土地が広大すぎて、まるでつかみどころがありません。
 帝政時代に抑圧されたシベリアに住む少数民族にソ連政府が政治的に配慮することはあったが、ほとんど形式上の見せかけにすぎなかった。15世紀、そして16世紀の西シベリアは、まだロシア領ではなく、タタール人の領地だった。チュルク語系民族が15世紀半ばにシベリア・ハーン国を建設した。そして、16世紀になってロシア人の部隊が進出してきて、戦闘の舞台となった。
 土着のタタール人の家系であり、イスラム教徒でありながら、修道院でも祈りをささげている。西シベリアのイスラム教徒は、フルシチョフ政権下の1960年代に状況が急変し、迫害を受けるようになった。
北極海に近い地方ではトナカイを飼育し、トナカイに頼った生活をしている。遊牧民は800頭から1000頭のトナカイを飼っている。トナカイの肉は遊牧民のネネツ人にとっては主食であり、たんぱく質の供給源として貴重だ。トナカイの主食は良質なコケ。人工飼料はまったく口にしないので、トナカイの肉はとても繊細で美味しい。とりわけトナカイの心臓は高級肉で高い。
人々が一定の距離をもって暮らすのは、トナカイの食料となるコケを確保するため。たくさんのトナカイを飼っていても、一頭ごとに体の模様が異なり、顔つきにも性質にも個性があるので、家族の一人ひとりが自分のトナカイをもっていて、瞬時に見分けることができる。
 都会には住めない。騒音のため頭痛がして、平衡感覚がなくなり、調子が狂ってくる。車の排気ガスの臭いが鼻について、まともに呼吸できない。
チュームには、カレンダーも時計もない。家族全員の誕生日が不明であり、正確な年齢も分からない。まったく時間に拘束されない生活を過ごしている。
 このような先住民の正確な人数をロシア政府は把握していない。出生届がなされても死亡届が出るというのは、とてもレアケースだ。
シベリアを一つの言葉でくくることは出来ない。シベリアの中心地がどこにあるのか、誰も答えることが出来ない。すべてが隣りあわせに存在するのだから、中心がないのも当然のこと・・・。
 不思議で、つかみどころのないシベリアのことを、なんとなく少しだけわかった気がしてきました。そうすると、戦後、多くの日本人がシベリアに抑留されたとき、その所在と責任があいまいになっていったのに関係するのかもしれません。
 世界は広いということを大いに「実感」させられる本でもありました。

(2016年2月刊。2400円+税)

2016年5月14日

イタリア現代史

(霧山昴)
著者  伊藤 武 、 出版  中公新書

 私は、イタリアにはミラノに行ったことがあるくらいで、ローマにもポンペイにも行ったことがありません。イタリアといったら、なんといってもスパゲッティとピザですよね。
 イタリアの政治と言えば、現在の政党の名前は、みんな新しいものばかりなんですね、不思議です。日本では共産党が戦後ずっと同じ名前ですし、イタリア共産党と言えば、強大な党でしたよね。ところが、今は存在していません。そして、イタリアといったら、かのマフィアの存在も忘れることができませんね。裁判官も検察官も次々に暗殺されてしまいました。マフィアと政治家との結びつきの強さは、日本でいうと大型公共土木工事をめぐる自民党政治家(一部でしょうが・・・)と暴力団との結びつきと同じことなのでしょうね・・・。
 日本以上に変転きわまりない(と思える)戦後イタリアの政治史をたどっている本です。
 1930年代、ムッソリーニの独裁は安定していた。そのファシズム独裁は、ファシスト党の独裁というより、ムッソリーニ個人を頂点とする国家の支配だった。ムッソリーニは、党よりも国家官僚機構を重視し、政府の長として集権的統治を目ざした。
1945年4月、スイス国境へ逃れようとしていたムッソリーニは捕えられ、裁判を経て処刑された。
武装パルチザン活動をふくめたレジスタンスが北部の自力解放に結びついたことは、その後に「レジスタンス神話」を生み出す。レジスタンス神話の浸透は、戦に多くのイタリア国民がファシズム独裁の歴史的問題の清算はすんだととらえる副産物をもたらした。
ファシズム時代、アフリカ侵攻におけるガス使用、ホロコーストへの協力など、神話と相いれない歴史的記憶は深層に潜り込んでしまった。
レジスタンス側も、暴力の責任から無縁とは言えない。
1946年6月、共産党のトリアッティ法相は、ファシズム関係者のパージの幕引きを図った。
1946年6月、イタリア史上はじめて女性に選挙権が認められた。そして、国民投票で君主制の廃止が決まった(54%の賛成と46%の反対)。選挙では、キリスト教民主党35%、プロレタリア統一社会党21%、共産党19%で、三大政党が全有権者の4分の3を獲得した。
共産党は、知識人のなかに改革の党として強い影響力をもった。統一社会党は、内部の激しい派閥抗争などから、やがて左翼第一党の座を共産党にまもなく明け渡した。
アメリカは、イタリア政権に左翼と決別するよう、強い圧力をかけた。
1960年8月、ローマでオリンピックが開催された。
大学生は、1950年に2万人だったのが、1962年には30万人、1968年には45万人へと急増した。
1968年1月、大学占拠の波がイタリア全土に広がった。日本でもフランスでも同じようなことが起きました。私が大学1,2年生のころです。
若者の抗議、新左翼運動の勃興、共産党の勢力拡大はイタリアの社会に新たな緊張をもたらした。
1970年から73年は、極右勢力が盛り返し、「右翼の3年」と呼ばれた。黒いテロリズムが勢いずき、多数の死傷者を出した。そして、「赤いテロリズム」を呼び起こした。
1970年12月、離婚を合法化する法律が制定された。
1976年の総選挙では、キリスト教民主党が38.7%、共産党が34,4%を獲得した。
1978年3月、アルド・モーロが「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。事件の真相は、今なお闇の中にある。
1981年5月、P2事件が発覚した。フリーメイソンの支部の名簿が公表された。
1983年、共産党は大きく支持を減らした。ソ連共産党との関係を清算しきれず、そのことがマイナスに動いた。
1987年の総選挙で、共産党は26.6%しかとれず、敗退した。「正直者の党」の共産党による権力監視の機能が衰えた1980年代は、政党や行政機関、財界を巻き込み、利益誘導と政治腐敗は悪化していった。腐敗の拡大と表裏一体で進行したのが、マフィアの全国的進出だった。シチリアのマフィア、カンパニーニャのカモッラ、カラブリアのンドラゲタなどの犯罪者集団が我が物顔で横行した。
日本の政治も、いびつな小選挙区制度をやめて比例代表制にしたら、国民の意思がよりよく反映されて、すっきり風通しのいい政治になると思います。
(2016年1月刊。900円+税)

2016年5月 8日

古代ユダヤ戦争史

(霧山昴)
著者  モルデハイ・ギボン、ハイム・ヘルツォーク 、 出版  悠書館

 旧約聖書におけるユダヤ人の戦いを現地の地勢に照らして、考古学的知見をふまえ、図解しながら再現している本です。なるほど、そういうことなのかと驚嘆しながら読みすすめていきました。もちろん、私は旧約聖書をきちんと読んだことは一度もありません。ただ、いくつかの戦いの名前だけは知っているという程度でしかありません。
 パレスチナは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸とを結ぶ唯一の「陸橋」である。パレスチナの陸橋に、前12世紀から1200もの長きにわたって続いてた民族国家を形成したのは、ひとりユダヤの民だけだった。この長い期間、ユダヤの民は、しばしば数的劣勢を精神と献身でもって補うことを強いられた。
古代イスラエルで戦闘にかかわる者は、高い山岳地帯での戦いから、砂漠での戦いまで、極端なあらゆる場面での戦闘に精神していなければならなかった。
12世紀の戦いで、十字軍は飲み水に欠乏して憔悴していたのに対して、他方のサラセン軍は88キロ離れた山の斜面からラクダを使って次々に運ばせた氷で冷やした飲み物で喉をうるおしていた。
ユダヤ社会において「民」は、直接的であれ間接的であれ、常に国家に対して影響力をもつ存在だった。
 イスラエルの軍隊は、武装した一般民衆を中核として構成されていたが、イスラエルの民は、いつでも武器をとって戦う気がまえができていた。
 イスラエルの兵は、ほとんど全員が歩兵だった。イスラエルは諜報機関を大切にしていた。軍司令官は、自分の情報収集期間に対し、情報のたしかさを証明する証拠をできるだけ多く収集することの重要さを教え、その周知徹底につとめていた。
 宿屋は、いつの時代も、情報収集に非常に適した場所である。泊まり客たちの軽率なおしゃべりと、宿屋の主人の鋭い聴力が一つにあわさると、熱望された情報源となる。
訳者による解説が出色です。
優秀な指揮官であるかどうかの重要な決め手は、見えない「丘の向う側」の敵軍の動きを読みながら、あるいは想定外も考慮に入れつつ、迅速にして的確な対応ができるか否かである。そのためには、指揮下の偵察や諜報機関による情報収集が求めらえるだけでなく、報告された情報が果たして本当に正しいか、自分の責任において見極めなけれならない。
 そして「サウルのジレンマ」というのがあります。つまり、全軍の長たる父王の許可なしに配下の部下だけで敵の陣地を攻撃する単独行動をとったとき、そのために戦いに勝ったという場合に、「命令違反」として死刑に処していいのか・・・。というものです。勝ったんだから許せるとしたら、いつだって命令違反をしていいということになりかねません。難しいところですよね。よくぞ調べてあると驚嘆しました。
 

(2014年6月刊。4800円+税)

2016年5月 7日

戦場の性

(霧山昴)
著者  レギーナ・ミュールホイザー 、 出版  岩波書店

 「独ソ戦下のドイツ兵と女性たち」というサブタイトルのついた本です。凄惨な性暴力から「合意の関係」まで、丹念に資料を掘り起こした労作です。
 ソ連軍兵士は、1944年から45年にかけて、ナチズムとその同盟政権を支持した女性に対してだけではなく、ファシズムに敵対した女性や抵抗運動の女性闘士、さらには強制収容所の解放のさいに遭遇した女性囚人に対しても、大々的に性暴力を行使した。
 首都ベルリン攻防戦のときにも、ソ連軍兵士は11万人あまりの女性をレイプした。50万人が犠牲になったと考える研究者もいる。抑留されていた男性が帰国してくると、女性は口をつぐんでしまった。
 ソ連の解放軍兵士が加害者で、ナチズムを信奉していたドイツ人女性が被害者であるという構図は戦後のドイツで、政治的に問題をはらんでいた。たしかに難しい状況ではあります。
ドイツでは当時、カメラを所有するのは珍しいことではなく、兵士もカメラを持参し、たくさんの写真をとっていた。ですから、写真がたくさん残っているのです。
ドイツ国防軍の兵士たちはソ連に侵攻したとき、都市の占領直後の数日間の混乱した状況を利用して、個人の住居に侵入して女性たちを、ユダヤ人女性を含めてレイプしていた。
 単独ではレイプなどしない兵士も、共同の犯行には加わっていた可能性がある。集団レイプのさいには同調圧力が大きな役割りを果たし、加えて、それを行うことで、しばしば部隊への忠誠心が強まった。
 パルチザン部隊と赤軍には、あわせて10万人の女性がいた。そのうち半数が武装していた。ドイツ国防軍は、一般的に女性パルチザンも女性赤軍兵士も通常の戦争捕虜とは見なしていなかった。ドイツ国防軍指導部は、これらの女性戦闘員を特別な脅威と見なしていた。兵士が女性を真っ正直に信用してしまい、スパイや武装した戦士であることを理解しないことが懸念されていた。
ドイツ人男性は、赤軍とパルチザン部隊の女性兵士に対して特異な妄想と敵意をつのらせた。パルチザン掃討はドイツ人男性にとって現地女性に対して性暴力を行う口実になった。
ドイツ国防軍当局は、兵士たちが軍の備蓄品で性的取引を行っていることをつかんでいた。交換取引と「同情による施し」によって需要備蓄品の大半が敵の手に渡り、そのためドイツ軍の作戦行動に影響が出るかもしれないと心配した。
 1942年9月、ドイツ国防軍のトップは、「東部地域」で毎年150万人もの兵士の子どもが生まれるだろうと見込んだ。ソ連の占領地域には、500万人ものドイツ兵が駐留していた。その半数は現地女性と性的関係をもつとされ、その半数が妊娠出産に至るだろうとみられた。
 戦後、ほとんどの男性が戦争中の性的な体験について沈黙した。実際、多くの男性が戦場から戻ってきて、うつ病、インポテンツその他の性的問題に悩んでいた。
 戦争は、男性にとっても女性にとっても、人間らしく生きることが出来なくなることがよく分かる本でもありました。
(2015年12月刊。3800円+税)

2016年4月19日

(霧山昴)
著者  エリ・ヴィーゼル 、 出版  みすず書房

 過去は拭い消され、忘却へ送り去られた。
 日本が戦争中にしたことはすべて忘却すべしというのが自虐史観です。現実から目をそらせというのです。そんな人と国に未来はありません。
ドイツや反ユダヤ主義者のうちには、殺害された600万人ものユダヤ人の物語というのは、すっかり伝説にすぎないと語っている者がいる。そして、世界は、愚かにも、今日すぐにとは言われないが、明日か明後日になったら、そのことを本気にするだろう。昨日黙った人たちは、明日も黙るだろう。
証人であろうと願う生き残りにとって、その義務は死者たちのためにも、同じく生存者たちのためにも、そして、とりわけ未来の諸世代のためにも語ることなのである。
過去は共通の記憶に属しているから、私たちには未来世代から過去を奪い去る権利はない。忘れようものなら、危険と侮辱とを意味することとなろう。死者たちを忘れようものなら、彼らを二度重ねて殺すこととなろう。彼らの最初の死に責任はなくても、第二の死については責任がある。
15歳のとき、ユダヤ人少年として父と一緒にナチスの強制収容所に入れられ、奇跡的に助かった著者の手記です。
ユダヤ人虐殺が始まったというのに、そこから幸運に逃れてきた人の話に誰も耳を貸そうとはしなかった。
「あの男ときたら、私たちに自分の境遇を哀れがらせようとしているのだ。なんという想像力だろう・・・」
人々は重い現実には目を向けたくないのです。
ハンガリーにユダヤ人を収容するゲットーが出来た。このとき、戦争が終わるまで、赤軍が到着するまで、ゲットー内に留まることになる。そのあとは何もかも元に戻るだろう・・・。そんな幻想が支配していた。
アウシュヴィッツでは「特別作業班」(ゾンダー・コマンド)に入れられた。先日の映画『サウルの息子』の主人公と同じです。
入れられたら、数秒間のうちに人間であることをやめていた。もはや、日々の一皿のスープ、一きれの饐えたパン以外は関心を向けなくなっていた。パンとスープ、これが生活のすべてだった。一個の肉体だった。一個の飢えた胃だった。ただ、胃だけが、時がたつのを感じていた。看守は次のように言った。
「おまえたちはアウシュヴィッツは予後療養所ではない。強制収容所だ。ここでは働かないといかん。さもないと、まっすぐ煙突行きになる。焼却所へ行くか、働くか。その選択しかない」
何度か絞首刑を見た。死刑囚のたったひとりでも涙を流すことはない。枯れきった肉体は、とうに涙の味わいを忘れていた。
強制収容所では、めいめいが自分自身のためにたたかわなくてはいけない。他人のことを考えてはならない。自分の父親のことさえも。ここでは、父親のことだって構ってはおれない。兄弟だって、友人だって。めいめいが、生きるのも死んでいくのも自分ひとりのためだけなんだ・・・。
強制収容所に送られたハンガリーのユダヤ人は47万5000人。事前にパレスチナなど逃げられたのは、わずか1684人にすぎない。ユダヤ人名士がアイヒマンなどに協力したため、これだけ大勢の犠牲者が出た。
15歳の少年は、戦後、アメリカに渡り、新聞記者として活躍したようです。
絶望的な状況のなかで、よくも生きのびたものだと驚嘆します。
(2010年2月刊。2800円+税)

2016年4月10日

フランスの美しい村を歩く


(霧山昴)
著者  寺田 直子 、 出版  東海教育研究所

見るだけでも楽しい、フランスの美しい村を紹介する写真集です。
フランスには「もっとも美しい村」協会に加盟する155の村があります。
そこへ、旅行作家の著者が訪問して、写真と文章で生き生きと紹介しています。ながくフランス語を勉強していますので、現地で困らない程度に会話は出来ますから、私もぜひ「美しい村」には行きたいと思っていました。前にもこのコーナーで紹介しましたが、この本に紹介されている「美しい村」で私が行ったのは、唯一、フラヴィニー・シュル・オズランがあります。
ここは、百年戦争、あのジャンヌ・ダルクが登場する14世紀の世界です。このとき、イギリスに占領されたのだそうです。ブルゴーニュにある小さな村です。私は、ディジョンからタクシーで行きました。映画『ショコラ』の舞台ともなった古い教会があります。人口300人という、ごくごく小さな村です。それでもレストランがあり、カフェーがあります。美味しい昼食をとり、カフェーで赤ワインを一杯やって、しばし休憩しました。
フランスの美しい村には、日本のようなコンビニがないのはもちろんのこと、昔ながらの建物が少なくとも外観はそっくりそのまま残っています。近代的なビルとか、どこの国の建物なのか惑わせるような建築様式のものは一切ありません。14世紀の村にタイムスリップしたと思わせてくれるのです。
それは、南仏のエズ村でもそうでした。ノルマンディーのオン・フルールでも、外観は昔ながらで、内装は近代的というホテルに泊まりました。そうやって昔のままの外観が観光客を呼び込んでいるのです。
ゆったりした時間の流れる「美しい村」に、またぜひ行ってみたいと思います。
(2016年2月刊。1850円+税)

2016年3月30日

フランス人の新しい孤独

(霧山昴)
著者  マリー・フランス・イリゴエン 、 出版  縁風出版

 山田洋次監督の映画『家族はつらいよ』を見ました。天神の映画館は、ほぼ満員で、笑いが絶えませんでした。でも、テーマはシリアスです。だって、老後になって妻から「離婚したい」と告げられるのですから・・・。
 1999年、フランスの一人暮らしは720万人で、全世帯の30%。これは10年前より25%も増えている。5人に1人は、日常的に話す相手がいない。友人がいない、一番身近な人を失ったため、病気のため・・・。2004年には830万人、全人口の14%が一人住まいをしている。 フランスでは、出会いを求める5行広告と結婚相談が増加している。今日では、出会い系サイトが主流を占める。多くの出会いがウェブ上でなされているが、それは幻想を与えるための餌にすぎない。つまり、存在的孤独をごまかすための仮面にすぎない。
 離婚申出は女性からのものが増えていて、今や70%近くが女性によるものとなっている。保護される必要のない強い女性の前に、男性は動揺する。
 僕は何のためにあるのか・・・。女にとって、ベッドで男を求めるというのは、最悪の生活を覚悟しなくてはいけない。経済的な面で拘束されるばかりか、自由そのものがなくなってしまう。だったら、セックスなしのほうが、よほどまし・・・。
 今日、男であることは、そう簡単なことではない。男らしさという基準が変化したからだ。人類学者によれば、女性は妊娠し、子どもを産めるという特権を持っているのに対し、男性は女性のお腹を支配し、子どもを占有するために常に女性を従属させておく必要があるという。性的快楽と出産が別のものになることによって、女性の性的自立が可能になったのに対して、多くの男性は自分の男らしさに確信をもてなくなっている。多くの男性は、愛情と独占力を混同している。今日の女性は、もはや男性に従属したくはない。
 離婚は日常茶飯事になっている。そして、離婚は、前よりも早くやってくる。
 今では、ウェブは、巨大なセックスショップになっている。しかし、バーチャルは誰かと関係をもてる幻想を与えるけれど、実際には孤立化を深めるだけのこと。
人間にとって、セックスというものは大切なものです。でも、それを上回るものがあるというのも事実です。それは各人によって異なるものなのでしょう・・・。
 考えさせる分析の多い、フランス人の生活でした。

(2015年12月刊。2200円+税)

2016年3月23日

スウェーデン・モデル

(霧山昴)
著者  岡澤 憲芙・斉藤弥生 、 出版  彩流社

 今の日本人がスウェーデンを見習うべき最大のものは、なんといってもスウェーデンの投票率の高さです。なんと、86%近くもあります。そして、国会議員の選挙は完全比例代表制です。なので、死票が出ません。それで、一党独裁はなく、多党連立政権があたりまえなのです。日本のように国民のなかでの支持率は3分の1しかないのに、3分の2をはるかに超える国会議員がいて、政権与党の暴走を誰も止められない、なんていうことはありません。
 風通しのよい社会だと、投票所に行こうという気にさせますよね。選挙はお祭りのように楽しく、にぎやかなもののようです。戸別訪問を禁止して、萎縮させるということはありません。
 日本は、こんなところから変えなくてはいけません。
そして、国会議員も大臣も若い。20代の国会議員は珍しくないし、女性の大臣の比率も高いのです。住みやすい国だと思います。
 スウェーデンは、かつてヨーロッパでもっとも貧しい農業国家だった。それが短期間に世界でもっとも豊かな福祉・工業国家へ変身した。
 スウェーデンが生みだした「世界で最初」は、テトラパック、シートベルト、レーザーメス、ペースメーカー、コンピューターのマウス、イケア、H&M・・・。
 スウェーデンは、1814年以来、この200年間戦争していない、平和の伝統がある。
スウェーデンの政治は、この100年間、ほとんどが相対多数の単独政権か、2~4党の連合政権だった。
国会議員の45%は女性であり、大臣も2人に1人は女性。男も女も働いて、自分の財布をもった消費者になり、納税者になる。そして、男も女も出産・育児・家事に参加する。
スウェーデンは、2013年に5万人、2014年に8万人の難民を受け入れた。
スウェーデン語教育は無料で受けられる。
 パルメ首相は家族で映画をみた帰りに地下鉄の駅付近で暗殺された。首相も大臣も国王も気楽に街を歩き、地下鉄に乗っている。
 スウェーデンという国に学ぶべきとこおrは大きいと思ったことでした。
(2016年1月刊。2200円+税)

2016年3月19日

古代ギリシャのリアル

(霧山昴)
著者  藤村 シシン 、 出版  実業之日本社

 古代ギリシャって、こんなにも自由奔放な、極彩色なところだったのですね・・・。真っ白な、どっしりと落ち着いた神殿のある国とばかり思い込んでいました。
 古代ギリシャに関する現代日本人の勝手な思い込みを軽く一掃してしまう画期的な本です。ギリシャに少しでも関心のある人には必読の本だと思いました。
 ギリシャには昔から白亜のパルテノン神殿があるなんて、とんでもない幻想だ。古代ギリシャの神殿は極彩色で彩色されていた。
 中国・西安に埋もれていた兵馬俑もそうなんですよね。極彩色なんです。これには大英博物館のスキャンダル(1939年)がからんでいたとのことです。うへーっ、知りませんでした・・・。
 古代ギリシャ人は、いちど完全に滅んでいるため、現代ギリシャ人とは血のつながりとか歴史のつながりはない。
 古代ギリシャ人は、古代ローマの中に吸収されてしまった。古代ギリシャ人は、もともとは海を知らない地方に住んでいた民族だった。
パルテノン神殿は紀元前5世紀に建てられているが、つくられた当初は、百足(ヘカトンペドス)と呼ばれていた。神殿の内部にあり、100歩(30メートル)で歩けるから・・・。
 パルテノン神殿は、もしものときに備えて金を備蓄するための倉庫だった。だから、祭壇がない。そして、パルテノン神殿は聖母マリア教会となり、イスラム教のモスクとなり、オスマン帝国は要塞化して、弾薬貯蔵庫とした。そのため、17世紀に爆発炎上してしまった・・・。
 この本が面白いのは、ギリシャ神話をじっくり解説しているところです。なあんだ、そういうことだったのか、と驚嘆してしまいました。
 有名なテミストウレス将軍は、ギリシャで一番強いのは俺様ではなくて、カミさんだ。いや、そのカミさんだって息子のいいなりなんだから、息子が全ギリシャで最強なんだ。そう言ったそうです。本当の話なんでしょうか・・・。出来すぎています。
 古代ギリシャの神々がいかにも浮気者ぞろいということもよく分かりました。これって、日本も同じようなものですよね・・・。40年以上も日本で弁護士をしていて、日本人の女性が昔から弱いなんて、ご冗談でしょうと思いますし、江戸時代の「女大学」なんて、実態にあわないものを押しつけようとしたもの、つまりウソ八百だと実感しています。日本は古代ギリシャ人と同じで、昔から性の解放はすすんでいたのです。
 ギリシャという国に少しでも関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2016年2月刊。1500円+税)

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