弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2013年12月10日

集団的自衛権の深層


著者  松竹 伸幸 、 出版  平凡社新書

集団的自衛権に賛成か反対かという角度だけでみていては、深い理解に達することはできない。この本は、そのことがよく分かる内容になっています。
 冷戦期には問題にもならなかった集団的自衛権を、冷戦が終了した今になって、なぜ行使できるようにしなければならないのか?
 自衛隊の実力は、集団的自衛権を行使できるまでに高まっている.昔は軍事力がなかったが、今は備えたから、集団的自衛権を行使するということ。並大抵の軍事能力では行使できるというものではない集団的自衛権の行使を求めるのは、世界の環境が変わったからではなく、日本の軍事能力が変わったから。なーるほど、そうだったんですね・・・。
 ミサイル迎撃は不可能。それは、ピストルを撃たれたとき、こちらもピストルを取り出して発射し、自分に向かって飛んでくる弾にあてるのと同じようなものだから。
 アメリカ本土に向かうミサイルを打ち落とすというのは、コトバは勇ましいが不可能なこと。そして、軍事戦略上も無意味なこと。私も、これは本当に、そうだと思います。
 政府は集団的自衛権と集団安全保障をわざと混同させようとしている。
集団的自衛権にどう制約をかけるのかが国際社会の努力の中心に座ってきた。
 集団的自衛権とは、あくまで実力、武力の行使なのである。国連憲章の重要な特徴は、自衛権(集団的自衛権もふくめて)の発動要件をきびしく制限したことにある。
 武力行使は原則として「いかなる」ものも禁止されている。そこに二つの例外がある。国連が制裁を加えるとき、そして、国連が乗り出すまでの間の自衛権の発動。
集団的自衛権をかかげておこなわれた世界で最初の軍事行動はハンガリーへのソ連軍の進入。それは「自衛」とは何の関係もない、干渉行為でしかなかった。
 アメリカのベトナム侵略も同じこと。実際に集団的自衛権を行使したのは、米英仏ソという世界のなかの超軍事大国4カ国のみ。集団的自衛権とは、きわめて少数の、しかも超軍事大国だけが行使してきた権利なのだ。別にどの国も「武力攻撃」を受けた訳ではないのに、アメリカやソ連などのほうが攻撃をしかけている。
 そして、集団的自衛権とは「同盟国」を助けるものだったはずなのに、その「同盟国」が武力攻撃の対象になっている。
 というのも、国連憲章51条が、そのはじめから本音と建前が交錯してつくられたものであるから。集団的自衛権を「固有の」権利とみるには無理がある。むしろ国連憲章によって創設された権利というのが自然。
 何が侵略かというのは、「学会的にも国際的にも」明確になっている。安倍首相は真っ赤なウソを高言しているのです。
 とても分かりやすい新書本でした。一読を強くおすすめします。
(2013年9月刊。740円+税)

2013年12月 8日

「首相官邸前抗議」


著者  ミサオ・レッドウルフ 、 出版  クレヨンハウス

毎週金曜日夜の首相官邸前抗議は今も続いています。私も一度は参加したいと思うのですが、残念ながら、まだそのチャンスに恵まれません。
 夜6時から8時までの2時間の行動です。そのあいだは、チラシ(フライヤー)をまくのも禁止されます。
スピーチは1人1分。反原発・脱原発に関係のないテーマはダメ。政党や団体のアピールもダメ。あくまでコインとしてのアピールのみ。非暴力の直接抗議行動です。
 それは、抗議に参加することへの敷居を下げるため。そのためにすべてを安全にやっていく。
 規模が重要。規模が大きいことが目に見えるようにして、相手にプレッシャーをかける。
300人から始まり、ピーク時には20万人規模となった。それを、マスコミがピーク時に比べてこんなに減ったという記事を書いたりする。
 ネットには一定の効果があるけれど、日本ではまだまだテレビの影響は強い。
警備をする警察官のなかにも、「応援している」という人がいて、警察といっても決して一枚岩ではない。
 著者はイラストレーターです。どうやって食べているのでしょうね。彼女の尽きることのないエネルギーが日本の国を大きく動かしていると感じています。
わずか60頁ほどの薄いブックレットですが、首相官邸米抗議行動の熱気がちょっぴり伝わってきました。
 それにしても、脱原発の声をさらに盛り上げたいものです。「原発輸出」なんて、とんでもありません。
(2013年10月刊。500円+税)

2013年12月 7日

祈りの幕が下りる時


著者  東野 圭吾 、 出版  講談社

うむむ、うまいですね。いつものことながら、ストーリー展開が実に見事なので、終わりまで次の頁をめくるのがもどかしくなるほど、息を継がせない面白さです。伏線が次々にはられていきます。いったい、この話とあの話は、どうやって結びつくのだろうか、それとも両者は結びつかない話なのだろうか。そんな疑問を抱かせ、いろんなストーリーが順次展開していきます。
推理小説なのでネタ晴らしはルール違反となるので、やめておきます。と言いつつ、少しだけ・・・。
子どもが転校するとき、親が事件を起こしたあとだったら、当然、同じクラスだった人間には、何らかの記憶が残るものだ。
 ふむふむ、なるほど、そうなんですよね。
 ところが、いつのまにかその子は転校していったという。そして、誰も事件のことを覚えていない。むむむ、なにかおかしいぞ。
 こんな仕掛けがあります。言われてみれば、なるほど、そのとおりです。ナゾ解きというのは、いかにもあり得るものでないと納得できませんよね。
 もう一つ。実は、この話には原発労働者のことが登場します。福島第一原発事故について、安倍首相は「終息宣言」を撤回するどころか、「完全にコントロールできている」なんて、真っ赤な大嘘を高言して国会を放り出して、トルコまで原発を売り出しに行ってきました。その無責任さもきわまれり、です。しかも、武器の製造・開発まで一緒にしようというのですから許せません。
 原発労働の実態については、私も実際に働いていた人から話を聞いたことがありますが、完全装備で雑巾がけをしているようなものなんですね。そして、完全防備で苦しいから、いい加減に扱っていたり、線量計を貸し借りしたり・・・。実に前近代的な労働現場のようです。ですから、そこで働いている人々には早死にする人が多いということです。
 話が脇道にそれてしまいましたが、緊迫したストーリーです。読んでいるうちに、松本清張の『砂の器』を思い出してしまいました。
(2013年9月刊。1700円+税)

2013年12月 1日

藤沢周平伝


著者  笹沢 信 、 出版  白水社

山形新聞社で文化欄を長く担当していた著者が藤沢周平を語った本です。読んでいて、とっても心が温まってくる本でした。藤沢周平の本は、それなりに読んでいたつもりでしたが、いやいや、ほんの序の口でしかなかったことを痛感させられました。
私は40年前の司法修習生のころ、いま仙台で活動している同期の庄司捷彦弁護士のすすめで山本周五郎の小説を読みふけっていました。
藤沢周平は、弁護士になってまもなくから読みはじめたと思います。とりわけ山田洋次監督の映画、「たそがれ清兵衛」などを見て、ますます読みすすめていきました。
 藤沢周平の小説の最大の特徴は情景描写がこまやかで、何の抵抗もなく、すっと小説に描かれた場面に入っていけることにあると思います。
 周平は、教員生活をしていた23歳のとき、肺結核が見つかり、29歳まで6年あまり東京で闘病生活を余儀なくされました。このときの挫折感が、社会と自然に対する観察眼を深め、想像力とあわせて書く力をつけたのでしょうね。若い20歳台のときの6年間というのは、恐らく永遠に感じられるほど長かったと思います。
 東京の療養所で、周平は失語症にかかったといいます。東北弁でしか話せず、東京弁ではなおさら話せなかったのです。ただ、そこで俳句、ギター、囲碁、花札を覚えたとのこと。
療養所は周平にとって、一種の大学だった。
 そして、退院したあと、周平は業界新聞の記者として働くようになりました。
 やがて、短編小説コンクールに応募するようになったのです。やはり、満たされない思いがあったのでしょうね。
 周平は、作家になったあと、友人(同級生)である共産党の候補者の応援演説までしています。世捨て人ではなかったのです。
 周平は「君が代」について、次のように書かれている。
 「私は『君が代』をうたいながら、誰かにだまされていたのだという気が抜けない」
 周平の仕事部屋は、とてもつましいものだったようです。自宅とは別にマンションの一室を借りるという作家もいますが、そういうことはしていません。
 夜11時に寝て、規則正しい生活をしながら、執筆活動に没頭したようです。
周平は慢性肝炎、自律神経失調症、閉所恐怖症だった。だから、地下鉄に乗れなかった。バス・電車も苦手だった。ところが、タクシーやエレベーターは平気だった。
 自宅を出て、電車に乗って都心に出かけるのは月3、4回。このときには家族が同行した。
 そんな身体の持ち主だからこそ、作品の登場人物に気のやさしい人が多いのでしょうか。もう一度、藤沢周平の本を読んでみようという気になりました。ありがとうございます。いい本でした。
(2013年10月刊。3000円+税)

2013年11月29日

メルトダウン・連鎖の真相


著者  NHKスペシャル取材班 、 出版  講談社

NHKテレビで放映された三本の番組を再構成した大型本です.写真がたっぷりあって、迫真力があります。
 すでに亡くなられた吉田昌郎所長(福島第一原発)は、何度も、死ぬだろうと思ったと振り振っています。
 1号機の爆発、3号機の爆発、そして2号機の原子炉に注水するとき、なかなか水が入らず、最悪の場合メルトダウンが進んで、コントロールが不能になって、これで終わりかなと感じた。これで終わりということは、東京をふくむ250キロ圏内に人間が住めなくなるということです。すなわち、日本の終わりを意味していました.幸いにして、そうはならなかったわけですが、今なお、その危険は続いていることを、つい忘れがちです。4号機の使用済み核燃料の取りだし、移動に1本でも失敗したら、同じ状況が生まれるのです。それは、いまからの作業なのです。
 そして、そこを狙ったテロ活動をどうやって防ぐというのでしょうか.秘密保護法で防止することも出来ません。本当に、原発は人類のコントロールできない怖い存在なのです。
小泉純一郎元首相が、しきりに脱原発しろと叫んでいるのに、私は心から賛同します。
 この本には、在日アメリカ大使館の高官が福島第一原発をこっそり訪問して、一人一人、全員に握手してお礼の言葉を述べたことが紹介されています。それほど福島第一原発事故が大惨事にならなかったことをアメリカ当局は喜んでいるのです。とりわけアメリカ側が恐れたのは4号機のプール内にあった大量の使用済み核燃料の行方でした。
 アメリカ大使館の高官は、免震棟にいる一人残らず全員と握手したまわり、事故対応にあたった健闘をたたえた。これに対比すると、わが菅首相は、緊急時対策室で作業に当たっていた人たちの労をねぎらう言葉をかけることもなく帰っていったのでした。これは、人間性の遠いというより、大所高所からの視野の広狭の違いではないかと思いました。
 今回の事故は、日本での使用済み核燃料の危機対策が無防備きわまりないことをあらわにした。もし、むき出しのプールから直接大量の放射性物質が放出されることになったら・・・。
原発は直ちに廃止する。そして、脱原発の作業をじっくり進めていくべきだとつくづく思ったことでした。大型本の割には安価ですし、一読されることを強くおすすめします。
(2013年6月刊。1900円+税)

2013年11月28日

戦後歴程


著者  品川 正治 、 出版  岩波書店

何回か著者の話を聞きました。戦中体験にもとづいて憲法9条の大切さを諄々と説き明かす話でした。そのたびに、深い感動を覚えました。中国戦線に駆り出され、最前線で爆風とともに意識を失い、危うく生命をとりとめたのです。身近なところで、戦友が死んでいくのを見守るだけでした。
 そして、なぜ著者が中国大陸の最前線へ行くことになったのか。それは、京都の第三高等学校の生徒総代をととめていたときの事件に原因がありました。
 ある生徒が軍人勅諭を暗誦しはじめたのです。
 「我国の天皇は世々軍隊の統率したまうところにぞある」・・・・
 天皇と軍隊を入れかえて、まったく逆の意味にしたのでした。
 それに気がついた軍人に対して、その生徒は「天皇に名をかりて、軍はいったい、この国をどこに連れていこうとしているのですか?」と逆に問いかけたのです。いやはや、すごいことです。戦時中に、こんなことを軍人に向かって正面きって言った学生がいたなんて・・・。
 上海から復員船に乗って著者が日本に帰ってきたのは。1946年4月のこと。
 船中で日本国憲法草案を読んだのです。
 読み終えると、全員が泣いた。陸海空軍はもたない。国の交戦権は認めない。よくぞここまで書いてくれた。これなら、亡くなった戦友も浮かばれるに違いない。読みながら、突き上げるような感情に震えた。
 いま、憲法9条という旗は、解釈改憲の歴史のなかでボロボロになっている。だが、それでもなお、その旗竿を国民はしっかり握って離さないでいる。
 うん、うん。まったくそのとおりですよね。握って離すものですか・・・。アベノミクス、もとい、アホノミクスになんか負けはしませんよ。
 東大法学部の卒業試験を無事に切り抜けた話は、まさしく神業(かみわざ)でした。すごいです。
 卒業後は保険会社に入り、労働運動の世界へ。これまた、労働学校に一生徒として夫婦そろって入学して勉強したというのですから、生半可な気持ちでは出来ません。
 60年安保闘争のときには労組委員長も3年間つとめています。そして、次は損保会社の経営の中枢に入ったのでした。社長そして、会長です。国際的な活動も展開しています。
 ともかく話のスケールの大きい人です。惜しくも先ごろ亡くなられました。その志を私も少しは継ぎたいと考えています。
(2013年9月刊。1800円+税)

2013年11月27日

生活保護リアル

著者  みわ よしこ 、 出版  日本評論社

先日、私の住むまちで、市役所の保護課に市民課に市民からの通報(告発)がありました。生活保護を受けている隣人がうどん屋でうどんを食べているのを見かけた。国から保護を受けているくせに、外食などしてうどんを食べるなんて、けしからん、というものです。
 それを聞いて、本当にびっくりしました。これまで、生活保護を受けている人がパチンコ店に出入りしているのを見かけるが、とんでもない、けしからんという叫び声を聞いたことはありましたが、まさか、うどん屋でうどんを食べていてもぜいたくだ、いけないなんて、信じられない「告発」です。「告発」した隣人は、恐らく外食もせず、せいぜいコンビニ弁当で我慢しているのでしょうね。
 そこには、恐るべき妬み心を認めることができます。
 生活保護を受けている障害者は、嫌がらせにあいやすい。
 生活保護は、あくまで申請主義である。福祉事務所は基本的に生活保護の申請を拒むことはできない。
 だから、「水際作戦」と称して申請自体がないようにしていた北九州市のような自治体があったわけです。
 生活保護は世帯単位で申請する。生活保護受給者の11%は15歳未満の子どもたち。
 生活保護の不正受給はしばしば問題とされるのに対して、必要とする人が保護を受けられない(漏給)ほうは問題とされることがない。日本の相対的貧困率は、16.0%(2009年)。1920万人が生活保護水準より低い生活を強いられている。つまり、日本の生活保護は、必要とする人の20%しか対象としていない。これをさらに減らそうというのがいまの安倍内閣が進めている福祉切り捨て政策である。
 生活保護を受けると、世論に攻められ、遊び半分でネタにされる。しかし、好きで生活保護を受けているわけではない・・・。
生活保護たたきに走る人には、生活の苦しい人が多い。本来なら生活保護を受けられるような人が、受けずにがんばっている人。恥の意識が強くて、自己責任を内面化している。自分は必死でがんばっているから、生活保護を受けている人に対して、「なぜ、あいつは」と思ってしまう。でも、結局、生活保護たたきをしている人は自分の首を締めているだけ。そのことを自覚していない。
 弱いもの同士が「いじめ」あう変な世の中です。その一方で、スーパーリッチは高見の見物をしているわけです。それに乗っかって弱者切り捨ての政治をすすめているアベノミクスって、絶対に許せませんよね。
(2013年7月刊。1400円+税)

2013年11月21日

自衛隊にオンブズマンを


著者  三浦 耕喜 、 出版  作品社

現代の日本社会で自殺率の高い組織の一つが自衛隊だ。その数は年100人近くに達する。
 自衛隊は、その発足以来、戦場で誰も殺さなかった。また、隊員から誰ひとり戦死者を出さなかった。そのことは、世界の誇りをすべきことだ。ところが、その陰では、いく人もの自衛官がいじめやストレスの中で自死に追い込まれている。
 日本の防衛省は、省内に自殺対策の組織(防衛省「自殺事故防止対策本部」)を設けている。
 自衛隊の自殺率は33.3で、一般国家公務員の21.7より10ポイント以上も高い。これに対して、ドイツの連邦軍兵士の自殺率は7.5で、一般国民の11.5よりも低い。ちなみに、アメリカの兵士の自殺率は20.2。
 インド洋やイラクなどへの海外任務に就いた、のべ2万人近い自衛隊のうち、16人が在職中に自殺していた。
 このような自衛官の不幸を少しでも減らし、自衛官としての務めを憂いなく果たすことを促すため、「軍事オンブズマン」制度を日本に導入すべきである。これが著者の主張です。
 著者は前に『ヒトラーの特攻隊』(作品社)を書いています。この欄でも紹介しました。
ドイツでは軍事オンブズマンが兵士の悩みに寄り添っている。兵士自身も団結し、自分たちの思いを声にしている。さらに、軍の幹部自らが兵士に対し、自信の良心にもとづき、自分で考えることのできる人間であれと指導している。
 ドイツの軍事オンブズマンは、ドイツ連邦議会が任命する。
 ドイツ連邦軍の全施設に事前通告なしで立ち入ることができる。50人の専属スタッフが働いている。ドイツでは、兵士は、「制服を着た市民」と考えられている。
 軍事オンブズマンのもとへ、年間6000件もの苦情が兵士から寄せられる。
 軍隊は議会がコントロールするもの。議会による軍のコントロールこそ、軍事オンブズマンの要となっている。ドイツは国民男子に兵役義務を課している。
 ドイツには、兵士による団体「連邦軍協会」がある。会員は21万人。ストライキこそしないが、デモはやっている。
 日本の自衛隊とドイツの連邦軍は、どちらも25万人。ドイツ軍は、現在、世界11の地域に合計7000人の兵士を出している。アフガニスタンでは、これまで30人以上の犠牲者を出している。
 そう言えば、ドイツではありませんが、デンマークだったかと思いますが、アフガニスタンに兵士を派遣している状況が映画になっていました。『アルマジロ』というタイトルで、戦場の悲惨さが国内に伝わり、反戦気運が一挙に盛りあがったということでした。
 25万人の隊員をかかえる自衛隊について、もっとドイツのように民主化し、風通しの良い組織に変えていく必要があること、そして、それは必要だし、可能なことを教えてくれる貴重な本です。
(2010年7月刊。1800円+税)

2013年11月20日

内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ

著者  保阪 正康・東郷 和彦ほか 、 出版  角川ワンテーマ21新書

とても共感できる、大切な指摘がたくさん書かれている本です。とりわけ若い人に読んでほしいと思いました。
 国民が戦争を待望する心理を持つ状態になると、戦争好きな、そして自らの政策の失敗を隠そうとする政治指導者は、これ幸いに国民のそんな感情を厚かましく利用する。
 政治指導者が「戦争」という手段を選択したとき、それは、政治家として、国民の生命と安全を守るという基本原則を踏み外したわけで、失敗したということである。
 戦争は、ある日突然に起こるのではなく、社会的空気や雰囲気が次第に「平時」の持つバランスを欠く事態になり、軍事指導者は、それらを巧みに利用しながら、戦争へ導いていく。
 戦争とは、要は「敵国将兵」や「敵国民」の大量殺害を目的とする。しかし、敵国の人々を殺傷するということは、「敵国」から私たちも殺傷されるということ。お互いに殺傷をくり返し、その被害が大きい側、あるいは被害を通り越して壊滅状態に追い込まれた側が「敗戦」したことになる。
 戦争に進む道を歩んでいるときは、威勢のいい意見や声高に愛国心を説く者が、あたかもヒーローであるかのように見える。
 軍事的衝突を前提としない国づくり進めてきた国には、それに伴う国際社会での信頼と安心を与えてきたという事実がある。
 中国が気にくわないからといって、いたずらに互いの国民感情を挑発しあう言動をくり返すのは、戦争への意見の皮膚感覚を失った「右からの平和ボケ」以外のなにものでもない。
 いま、「愛国心」を叫ぶ人には愛はない。他人を非難し、攻撃するためだけに「愛国心」が使われている。
 日の丸・君が代を学校現場で強制するのでは、日の丸・君が代が汚れてしまう。
日本のマス・メディアは権力の愛玩犬(プードル)になりさがっている。本来の機能である監視犬の割合を果たしていない。
 前にも紹介しましたが、デンマークの映画『アルマジロ』がとりあげられています。アフガニスタンに派遣されたデンマーク軍の実情を従軍して取材した映画です。この映画をみたデンマーク国民の多くが、たちまちアフガニスタンへの軍の派遣に反対するようになったのでした。何しろ、「文明国デンマーク」の若者が、粗暴で残虐で野蛮な兵士になってアフガニスタンで人を殺している現実があるのです。そして、市民生活を悪い方向に追いやっているのです。これでは、反戦になるのも当然です。
 とても時宜にかなった本です。200頁たらずの本ですので、ぜひご一読ください。
(2013年6月刊。781円+税)

2013年11月17日

どっこい大田の工匠たち

著者  小関 智弘 、 出版  現代書館

日本のモノづくりも、まだまだ捨てたものではない。そう実感させてくれる心温まる本です。
 著者自身が大田の町工場で永く旋盤工として働いてきましたので、匠(たくみ)たちを見る目にはとても温かいものがあります。著者の本はかなり読みましたが、最新作のこれもおすすめです。
 大田区には自転車でひとまわりすれば、たいていの仕事ができるほど多様な技術をもった町工場がある。そこで、自転車ネットワークとか、路地裏ネットワークと呼ばれるネットワークが可能な町である。
たとえば、安久工機は従業員6人の町工場。ここで、視覚障がい者が指先でさわって「見る」ことができる絵を描ける触図筆ペンをつくって売り出している。
 全盲の子どもたちに、絵を描かせたり、絵のタッチを理解させることのできるペンだ。当初20万円したが、今では10万円で市販されている。すごいですね。かなり苦労したようですが、不可能を可能にする人間の知恵がうまく生きています。
 大田区の町工場がつくった「下町ボブスレー」は無償でつくりあげたものだが、全日本選手権試合(女子二人乗り)で、優勝した。
 大田区の町工場には、「菓子折りつきの仕事」というものがある。なんとか頼みますよと、菓子折りをつけて頼み込む。だから、技術的には難しいが、工賃は高い。そして、町工場は、時のたつのも忘れて仕事にのめり込んでしまう。
町工場の工場主(おやじ)さんたちのあいだには、「息子が後を継いでくれて良かった」派と、「息子に後を継がせなくて良かった」派の二つがある。そうなんでしょうね。みんながみんな生き残れるほど、きっと世の中は甘くないでしょうから・・・。
 町工場の技術は、ちょっと見学したりビデオで見たからといって、すぐに真似られるものではない。だから見学も、ビデオ撮影もOKという町工場があるそうです。驚きました。
町工場を生きるということは、理不尽を生きるということでもある。
いいですよね・・・。ここに登場する職人さんたちの話を聞いていると、なるほど努力と工夫で人間(ひと)は生き延びていけるものだと痛感します。
(2013年10月刊。2000円+税)

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