弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2012年10月17日

地熱エネルギー

著者    江原 幸雄 、 出版    オーム社 

 この夏、電力不足で停電になると電力会社と政府・財界からさんざん脅されましたが、猛暑のなかでもなんとか停電もなく耐え抜きました。原子力発電所に頼らなくてもやっていけること、原子力発電所に頼ってはいけないことが次第に国民に浸透していることを実感します。
原発以外のエネルギーとして、地熱発電にもっと力を注ぎこむべきだと強調している本です。先日、同じことを伊藤千尋氏(朝日新聞)も言っていました。九州には、既に九重に大きな地熱発電所があります。それを大いに活用すればいいのです。
 地熱発電所の歴史は古く、いま世界各地で地熱発電も非常に熱心に進めている。世界最初の地熱発電は、1904年、イタリア北部のラルデレロに始まった。
現在、世界中30ヶ国で地熱発電がおこなわれ、2010年には世界の地熱発電所は1000万kwをこえた。2015年には1850万kwをこえる見込みである。
 日本では、1999年までに全国18ヶ所、54万kwの地熱発電国になったが、その後は原発推進のため、すすんでいない。日本の地熱資源ポテンシャルは2000万kwをこえると推定されている。
地球の中心は6000度Cと推定されており、偶然だが、太陽の表面温度と同じ。地球も堆積の99%は1000度C以上、100度C以下は0.1%にすぎない。したがって、地球は巨大な熱の塊と言うことができる。
 日本の地熱ポテンシャルが2000万kwというのは、アメリカ、インドネシアに次いで世界第3位。日本は世界に冠たる地熱資源大国なのである。ところが、現在、わずか2%、54万kwしか利用されていない。
安全で安いと言われてきた原発が、実のところ、人類がコントロールできないほど危険なものであり、その始末することが不可能なことを考えたら、コストは無限大のようなものだ。このことが明らかになってきた今、私たちは地熱エネルギーのコストが少しくらい割高でも、これを活用しない手はないと思います。
 とってもタイムリーな本でした。
(2012年3月刊。2800円+税)

2012年10月14日

舟を編む

著者    光浦 しをん 、 出版    光文社 

 辞書は、モノ書きを自称する私にとっては必須不可欠なものです。いまも本の最終校正の真最中ですが、辞書を引く手間を惜しまないようにしています。思い込みによる間違いも多々ありますし、何より同じ言葉を繰り返さず、異なった表現にするためには辞書を引いておかないと、とんだ恥さらしをしかねません。
 この本は、辞書づくの過程を面白く、ドキドキワクワクの世界に仕立て上げたものです。思わず応援したくなります。なんといっても、言葉との名義性には目を大きく見開かされます。
 めれんという言葉をはじめて知りました。慌てて私の愛用する角川国語辞典で探しましたが、幸いのっていませんでした。酩酊を意味する言葉です。「仮名手本忠臣蔵」に出てくる言葉のことです。
それにしても、声という言葉に、季節や時期が近づくけはいという意味があったなんて。信じられません。でも、たしかに「四十の声を聞く」という文章はありますよね・・・。
 辞書は、言葉の海を渡る舟だ。だから、海を渡るにふさわしい、舟を編む。
ここに、この本のタイトルは由来しています。
 辞書を作るのに、何年、いや10年以上かかるのは珍しくない。そして出来上がった辞書は出版社の誇りであり、財産だ。人々に信頼され愛される辞書をきちんと作れば、その出版社の屋台骨は20年は揺るがない。
山にのぼるとは言うが、山にあがるのが、まず言わない。天にものぼる気持ちといっても、天にもあがる気持ちとも言わない。なぜか?
 「こだわり」の本来の意味は、拘泥すること、難癖をつけていること。だから、いい意味で使ってはいけないのだ。そうだったんですか・・・。これまた、知りませんでした。
 辞書用の紙は特殊なもの。厚さは50ミクロン。重さも、1平方メートルあたり45グラム。そして裏写りはしない。問題は、ぬめり感。指に吸いつくようにページがめくれる。しかも、紙同士がくっついて複数のページが同時にめくれてしまうことがない。
 辞書づくりの人は用例採集カードを常時もって歩いている。何か目新しいコトバに出会うと、その場ですぐにカードに書きとめる。
 うむむ、辞書の作成にかかわる人々は、相当重症のオタクとみました。でも、そんなオタクの人々が、日本の文化を下支えしているのですね。とても面白い本でした。
(2012年2月刊。1500円+税)

2012年10月12日

テレビは原発事故をどう伝えたのか

著者   伊藤 守 、 出版   平凡社新書  

 ふだん、リアルタイムでテレビを見ることはまったくない私ですが、さすがに去年の3.11のときには、日本はこれからどうなるのかという不安とともにテレビを注視していました。
この本は、テレビが原発事故をきちんと国民に伝えていたのかどうか、それを検証しています。
 結論としては、ノーと言われざるをえません。「大本営発表」と同じで、心配ないと根拠なく繰り返した政府発表をなぞっただけでした。
 政府の「ただちに人体に影響のあるものではない」との発表をただ繰り返すだけのテレビ報道に対して、多くの人が不安や苛立ちをいだいた。
 NHKの解説は、政府の会見内容をより詳しく説明し、解説することに終始した。
だから、NHKって、本当に公共放送なのか、政府を唯一のスポンサーとする民法なのではないかと思ってしまうのです。
福島第一原発から飛散する放射性物質の量がはっきりしていないのに、放出される放射能は微量だと断定的に主張され、かつ、健康への被害はないと断定された。ところが、政府の中枢も、警察も、すでに放射能が飛散していることを承知していた。メディアは、その事実を把握できていなかった。
3月11日の15時30分に1号機が爆発した。日本テレビ系列の副島中央テレビのカメラがとらえていた。ところが、この映像が日本テレビ系列の全国ネットで放映されたのは、爆発から1時間14分も過ごした16時50分だった。
テレビは、政府や保安院の発表に依拠して、事態をむしろ楽観視する方向にリードしていった。政府発表にのみ依拠して、傍観者的に事態を説明するだけ。
 「即、人体に影響が出る値ではない」
 私たちは、3.11のあと、何度となくこのセリフを聞かされました。でも、本当でしょうか・・・???即死しなくても緩慢死というものがありますよね。本当に心配です。
(2012年6月刊。780円+税)

2012年10月10日

地方都市のホームレス

著者   垣田 裕介 、 出版    法律文化社 

 ホームレスの人々がいるのは、決して大都会である東京そして福岡市だけではありません。福岡県内の小都市にも少なからず存在しています。この本は大分市のホームレスの実情を聞きとりしつつ究明しています。
日本の野宿生活者は、1990年代に著しく増えた。2002年8月ホームレス自立支援法が制定、実施された。
 ホームレスのうち野宿生活をしていないものを、「野宿状態にないホームレス」と呼ぶ。厚生労働省によるホームレスの目視による概数調査の結果、全国には2003年に2万5千人、2007年に1万8千人、2008年に1万6千人を割るといった減少傾向にある。
野宿生活者は50~60代に集中している。野宿が5年以上の者が4割強。
 生活保護を野宿生活者が申請したとき、路上、公園のままでも開始決定するのは、自治体の2割にすぎない。
野宿生活者のなかで女性が1割を占める。
野宿生活の7割は収入のある仕事をしていて、その7割はアルミ缶などの廃品回収する都市雑業である。1割は建設日雇。仕事をしている者の平均月収は4万円。
年金を受給しながら野宿生活している人の年金月額は3万円、8万円、10万円そして14万円となっている。借金をかかえているため、その取立から逃れるため、野宿をしている。
 収入としては、自動販売機やコインパーキングのおつり拾いもある。食事としては、パン屋が廃棄する売れ残りのパンがある。コンビニの賞味期限切れ弁当は、以前と違って食べられなくなった。コンビニ側が食べられないようにしているから。
 野宿生活者の4分の1が、ひとり親世帯に生まれ育っている。
野宿生活者の最終学歴は、中学卒業が5割強、高校卒業(大学中退をふくむ)が4割強。
刑務所から出所した者が、野宿生活をすることも少なくない。
地方都市でもホームレスが増えているということは、それだけ家族の絆が弱まっているということですよね。人と人とのつながりをもっともっと強めたいものです。
(2011年6月刊。3000円+税)

2012年10月 5日

マインド・コントロール

著者   紅藤 正樹 、 出版    アスコム 

 今もオウム真理教の信者が全国に1500人もいるそうです。信じられない現実です。出家(専業)信者400人、存家信者1100人です。そして、あの死刑囚の麻原を今も教祖としてあがめているというのですから、世の中は一体どうなっているのかと、歯がゆい思いがつのります。これは、橋下現象なんていう浮ついたブームが起きるのと本質的に同じことなんでしょうね。当の本人たちは深く考えているつもりでも、実は肝心の足元をしっかり見ていなくて、流されるままだということでしょう。
 「依存心」は、マインド・コントロール状態に置かれた人の心理状態において、もっとも重要な要素の一つである。
 マインド・コントロールを施されると、以前にも増して活発になる場合の方がむしろ普通である。
 マインド・コントロールは強迫な手法なので、強迫に耐えきれなくなると、被害者がパニック障害を発症したり、うつ病を発症したりするケースがある。
 マインド・コントロールされた人を取り戻すとき、司法手続や警察に頼るだけではほとんど効果がない。脱会は心の問題なので、脱会カウンセラーの意見を聞くことと並行してすすめる必要がある。
中途半端な方法を親がやればやるほど、かえって親に対する憎悪心がふくらみ、親との断絶がすすんでしまう。
脱会後、精神的に急激に落ち込んだり自己嫌悪に陥ったりしてしまうことがある。精神的な高揚感そのものが、精神を強く抑圧するマインド・コントロールの後遺症なのだ。抜け出そうとして再び精神的な高揚感を求めて、新たな信教にはいることも珍しくはない。
だから、きちんと話しのできる人によるカウンセリングを受ける必要がある。
脱会させても、場所の次に心を引き離すプロセスが重要。戻ってきて、「もう大丈夫」と判断してカウンセラーや弁護士の世話になる必要もないと思うと、かえって失敗してしまうケースが少なくない。本当に立ち直るまで、最低でも1~2ヵ月、場合によっては何年もかかることがある。
日本は、カルトの世界的な穴場であり、カルトの世界的な吹きだまりになっている。日本は、カルトに対して、もっとも甘い。だから統一協会がもっとも繁栄することができた。
カルトにはまった子どもを前にして、親は子どもをほとんど説得できないものだ。自分がいちばん知っているという発想自体が、子どもに対する強引な押しつけなので、親との関係は悪化し、子どもは元のカルトに戻ってしまう。
マインド・コントロールは、ある日突然、パッと解けるもの。ただし、脱マインド・コントロールは、元の人格に戻すという変化をもたらすだけのこと。たとえば、優柔不断な性格の人は、元の優柔不断な性格に戻るだけ。だから、カルトから抜け出しても、社会に出ると、自分の努力が大切なのだ。
 フランスには、「無知・脆弱(ぜいじゃく)性不法利用罪」というものがあって、マインド・コントロールするものは3年の拘禁刑と37万5千ユーロの罰金に処せられる。
 統一協会は、その教祖(文鮮明)と本体の組織が日本で逮捕・処罰されたことがないそうです。驚きます。しかし、日本でも、フランスにらなった法律を検討すべきだという気がします。いかがでしょうか・・・?
(2012年6月刊。952円+税)

2012年9月30日

インバウンド

著者   阿川 大樹 、 出版    小学館 

 コールセンターの実際を知ることのできる面白い小説です。私の町にもコールセンターがあります。深夜に淋しい男どもが女性の声を聞きたくて、女性と話すだけを目あてに用もないのに電話をかけてくるとのことです。その電話を切るのが大変です。下手すると、すぐ上部にクレームをつけるからです。
 東京の人が通販カタログを見て注文しようと電話をかけると、それを受けるのは沖縄にあるコールセンターというのが実際にあります。同じことは、アメリカの市民がコールセンターにかけると、それを受けるのはインドにある会社だったりします。日本でも同じです。国内にかけているつもりなのに、電話を受けているのは中国の大連にあるコールセンターだというのは少し前からありました。大連には日本語学校がいくつあって、一度も日本に行ったことがないのに日本語ペラペラの学生がたくさんいるそうです・・・。
インバウンドとは、たとえば通販の申し込み受付のように、電話を受ける仕事のこと。アウトバウンドとは、コンピュータの画面で指示される番号に電話をかけて、世論調査をしたり、インターネットの光回線をセールスする仕事だったりするもの。
まずは話し方の研究を受ける。
アエイウ、エオアオ、カケキク、ケコカコ。
お綾や親にお謝り。お綾や親にお謝りとお言い。
話し方をアナウンサーみたいにするのには、理由が二つある。
その一は、電話の向こうの人が聞きやすいように。その二は、感情が相手に伝わらないようにするため。声の仮面、美しく優しい仮面をかぶるのだ。真心はいらない。
大切なことは、真心を込めて対応してもらったと客が感じることであって、本当の真心は必要ない。毎日毎日、仕事で接する何百人もの相手に真心をもつなんて、そもそもできないこと。不可能だ。真心の代わりに、完璧な技術で客に対応する。客が大切に扱ってもらったと感じるようにプロとしての演技をすることが求められる。
仕事をするときは、本名とは別に芸名を名乗ってする。職業上の名前で電話の対応をする。仕事についたら、本名の自分から芸名の職業人になりきる。
役をこなす俳優になって通販の営業窓口の役を演じるわけだ。
コールセンターでの仕事ぶりを別の会社がアトランダムにモニタリングをしている。不定期に回線をモニターして、日常業務のやりとりを第三者が聞いている。
営業成績を追いかけると、客への応対がぞんざいになったり、むりやり売上を伸ばそうと押し売りしたりして、応接の質が下がってしまう。客からみて、感じの悪いコールセンターになってしまうことがある。
小説としても、なかなかよく出来ていました。読んで、2つもトクした気分になりました。
(2012年7月刊。1300円+税)

2012年9月27日

「清冽の炎」(第6巻)それから(上)

著者   神水 理一郎 、 出版   花伝社  

 1968年6月に始まり、翌1969年3月まで続いた東大闘争にかかわった学生たち、そしてセツラーの35年後を明らかにしたノンフィックションのような小説の第6巻です。いよいよ完結編となり、その前半です。
2004年のある朝、銀座でコンサルタント業を営む青垣が警察に逮捕された。東大駒場で同窓だった久能は懇意の若手弁護士、聖徳一郎に青垣の弁護を依頼した。一郎が警察署に面会に行くと、青垣は無罪を主張する。
 事件は、ベンチャー企業への融資詐欺。青垣は、北町セツルメントが活動していた磯町出身のカズヤと組んで銀行にベンチャー企業へ5億円を融資させていた。このとき、やはり同窓の芳村の勤めるメーカーが買い付け証明書を発行していたが、芳村は取締役就任を目前にしながら成績が低迷していて焦っていた。
 果たしてベンチャー企業には、どれだけの実体があったのか、銀行が融資した五億円は、どこに消えていったのか。
 青垣の刑事裁判が東京地裁で始まった。担当裁判官は佐助と駒場寮で同室だった沼尾だ。沼尾はエリートコースを歩いている。果たして学生時代の信念を裏切ってしまったのか・・・。
 法廷に被害者のメーカーを代表して証言を求められた芳村は、青垣に騙された、無能な部下をもっていたためベンチャー企業の実態を見抜けなかったと言い放ち、被告人の青垣を厳しく弾劾して自己の非を認めなかった。そして、芳村の部下の一人は、追いつめられたあげく、ホームから転落して亡くなった。
 北町セルツメントで子ども会活動をしていたヒナコは、東京の下町で中学校の理科の教師としてスタートすることができた。生徒指導をふくめて忙しくも充実した教師生活ではあったが、生物学への探究心を抑えきれず高校教師への転身を図った。ヒナコは実直な会社員と結婚して一子をもうけ、教師生活を続けていった。
 一郎は青垣と話しているうちに、1968年に起きた東大闘争のとき、青垣が東大全共闘の活動家だったことを知る。そして、意外なことに母・美由紀も青垣の活動家仲間だったという。美由紀が駒場時代のことを一郎に語ろうとしないのはなぜなのか・・・。
 東大出身の起田たちは、同窓会を開いていた。そこには官僚たちも貴重な情報交換の場として顔を出していた。
団塊の世代が一斉に定年退職し、年金生活に入っています。ところが、年金は切り下げられ、介護保険料は値上げされる一方です。そのうえ、庶民のフトコロを直撃する消費税は税率アップが決まりました。
 なぜ、かつてあれほど反逆精神が旺盛だった団塊世代なのに、今ではこんなにもおとなしく政治の流れに身をまかせてしまっているのでしょうか。今こそ再び声を上げるときではないのでしょうか・・・。眠れる獅子である団塊世代に対して熱いエールを送る本として、いま強く一読をおすすめします。
(2012年9月刊。1800円+税)

2012年9月22日

超「集客力」革命

著者   蓑  豊 、 出版   角川ワンテーマ21  

 以前に金沢21世紀美術館の館長、そして現在は神所のある兵庫県立美術館の館長をしている著者の人集めの話です。
 私は、幸いにして美術館めぐりも趣味の一つとしています。福岡市の美術館もたまに行きますし、東京・上野にある西洋美術館にもときに行ってみます。もちろん、フランスに行ったときには、昼は美術館めぐりを主としています。美術館に美味しいレストランや小じゃれたカフェがあると最高ですよね。
美術館の楽しみ方。できるだけ白紙の状態で行くこと。予備知識なしのほうが雑念が入らないから。すべての絵をまじまじと見なくてもいい。美術品は、「分かる」必要はない。大切なのは「感じる」こと。疑問をもつのは作品に近づくこと。
美術館で最大の愚問は、「この作品は誰の作品ですか?」という問いだ。
美術館は感性を磨く学校のようなものである。美術館の館長として、出勤してから朝一番にやることは、前日の入場者数が何人かを確認すること。美術館の民営化は失敗している。指定管理者制度によって美術館の魅力が向上したというようになってはいない。民営化は経費をカットするようなマイナス思考へ向かう。営利目的になりがちな指定管理者制度の導入には反対だ。民間がやればすべてがうまく行くというのは単なるイメージ先行にすぎない。
一つの展覧会で有料入場者数が5万人になれば、とんとんになる。
日本では学芸員をキュレーターと呼ぶが、それは本来の意味からはずれている。欧米でキュレーターと名乗れるのは、美術館の部長クラスのみ。キュレーターとは、部門のトップであり、展覧会の企画から予算管理までを任されるプロデューサーを指す。研究員はテクニシャンと呼ばれる。
館長は明るいほうがいい。さまざまな人をつないでいける人。もてなしの心をもつことも大切だ。館長が情熱をもたないと、お客はやって来ない。
オークションの手数料は25%。売る人からも買う人からも同じ率でもらう。高額な手数料にもかかわらず、オークションにかけたい人は引きも切らない。
子どものころに美術館に行ったことがあると、大人になってから100%近い確率で子どもを連れて美術館に行くようになるという統計がある。なーるほどですね。
私は残念ながら、ロンドンの大英博物館にはまだ行ったことがありません。それでも、フランスのルーブル美術館には2度行きましたし、ニューヨークのメトロポリタンの美術館にも行ったことがあります。そして、金沢の21世紀美術館にも行きました。今度、長野にある「ちひろ美術館」とか無言館にもぜひ行ってみたいと思っています。やっぱり美術館っていいですよね。
(2012年4月刊。781円+税)
 東京で映画を日本みました。イラン映画とドイツ映画です。日本の映画をみたくないというより、外国人の生活そして、ものの見方に関心がありますので、つとめて外国映画をみるようにしています。
 イラン映画は、イラン料理をイラン人女性が家庭でつくっていく情景を紹介したものです。とくにストーリーはなく、いくつかの家庭で料理が出来あがっていく様子が紹介されています。女性はスカーフをかぶっていますが、それが料理をつくるときに邪魔になっているのが気になりました。そして、紹介された家庭の二つが、撮影のあとで離婚したと最後に明かされて驚いてしまいました。イスラム教のイラン女性も男性に忍従しているわけではないのです。
 ドイツ映画は、ドイツの学校でサッカーを子どもたちに教えていくとき、苦難の状況をいかに乗り越えていったかというスポーツものでした、いつの世にも大人の偏見があり、貧富の差が厳然とあることが打破すべき壁として提起されていました。
 そして、テレビで山田洋次監督の最新作『東京物語』の撮影進行過程を紹介する番組を偶然みました。80人ほどの山田組が、ワンカットワンカットすごく丁寧につくっていることを知りました。役者のそばで山田監督が、そのときのセリフの意味をじっくり話してきかせるのです。うわあ、こんなに丁寧に教えるのかと感動してしまいました。81歳の山田監督を79歳のフィルム編集者が支えているのにも驚きます。ぜひみにいこうと思いました。

2012年9月15日

雲の都(第4部)幸福の森

著者    加賀 乙彦、 出版    新潮社 

 精神科医であり、作家である著者の自伝的大河小説の第4弾です。
40代から50歳になるころまでの出来事が描かれていますが、三島由紀夫の防衛庁での切腹事件、連合赤軍・浅間山荘事件なども紹介されていて、著者がどんな時代を生きてきたのかもよく分かる小説になっています。
 とはいえ、自伝的小説となっていますので、不倫の話そして隠し子の存在など、どこまでが本当のことなのか、興味をかきたてられる叙述が多々あります。「自伝的」とあるからには、かなり近いことが起きていたのだろうと推察されてますが、そうすると、上流家庭というか政治家や芸術家を輩出した名門だと、そのことを精神的な重荷に感じた人も多かったような気もします。
 この本のなかに、著者が、私と同じくかつて学生セツル活動をしていたこと(私は川崎ですが、著者は亀有地区だったようです)が何回も触れられています。それで、私は勝手に先輩セツラーとして親しみを覚えてしまうのです。
 もう一つありました。皇居前で血のメーデー事件について、20年後に無罪判決が出たこと、そしてあのとき日米安保条約に反対して行動したことは間違っていなかった、今でもその思いは変わっていないことが強調されています。大変、意を強くしました。
 著者は40代になって新人賞をとり、作家として認められるわけですが、知人の作家は次のようにアドバイスしました。
 作家にとって大切なのは宣伝だ。テレビ、週刊誌、新聞、イベントに頻繁に名前を出してもらうように努めるのが、本を売る秘訣だ。
 なーるほど、そうかもしれませんね。いや、そうなんでしょう。でも、そうすると田舎にいる弁護士の書いた本って、必然的に名前が売れないため、本も売れないことになりますよね・・・。
 死刑囚と長く文通していた話が出てきます。そして、第三者との文通では意外な側面を見せていることを知り、精神科医としての分析に弱点があったことを自覚させられます。ところが、さらに、その死刑囚が処刑されたあと、つけていた日記を読む機会を得て、さらに違った精神世界の内面を知るのでした。それが小説として昇華されていく様子は、さすがだと感嘆してしまいます。
著者は私より20歳年長だったと思いますが、その細かい情景描写にも圧倒されつつ、一心に読みすすめていったことでした。
(2012年7月刊。2300円+税)

2012年9月11日

公教育の無償性を実現する

著者   世取山洋介・福祉国家構想研究会 、 出版   大月書店  

 1990年代中葉から推進された新自由主義改革により引き起こされた深刻な社会の危機に対処するため、福祉国家型対抗構想が求められている。政府は、子どもの人間としての成長発達に必要な現物給付を行い、かつ、現物給付をすべて公費でまかない、それを無償とすべきだ。このことが本書で主張されています。そんなことが本当に可能なのか、必要なのか、それをさまざまな角度からアプローチしています。
 大阪の橋下「教育改革」は、一方で、公立学校全体の規範を縮小しつつ、他方で「成長を支える基盤となる人材」「国際競争を勝ち抜くハイエンド人材」という二つの人材像を揚げ、後者の育成を目的として府立学校のなかから10校を「進学校指導重点校」に指定し、1億5000万円の追加的予算措置を行っている。
 ここでは、エリート人材とノンエリート人材を明確に区別し、「選択と集中」による予算配分によってエリート人材の育成をはかるという政策を実現しようとしている。
 大阪では、「学習者本位の教育への転換」と「競争原理」が実際のところ同義である。つまり、選択の機会の拡大と競争原理が教育の「質」を向上させるという論理である。
 2003年の東京を皮切りに、多くの都道府県で高校学区が撤廃もしくは拡大されている。現在、47都道府県のうち23都県が全国全県一学区制を導入している。かつて全国でみられた高校中学区制は兵庫と福岡に残るだけとなっている。
高校通学区域の拡大は、都市部の進学校や人気校への生徒の集中と競争の激化を生み出し、僻地などの周辺にある高校の生徒減と「適正規模」以下校の統廃合を導き出している。
 新自由主義教育改革とは、英米の教育改革をモデルとした国家が決定したスタンダードの達成率にもとづく、学校間・自治体間の競争の国家による組織を内容とし、エリートと非エリートの早期選別を目的として、徹底的な国家統制の試みと定義することができる。
 2006年度から、教職員給与のうち、国が負担する比率が2分の1から3分の1へ引き下げられた。教育公務員においては、労基法や給与法の適用除外があり、時間外勤務手当はしないという特殊な取り扱いだった。その代わり、偉給月額4%の「教職調整額」が支払われていた。
 東京では、1級が助教諭・講師、2級が教諭、3級が主任教諭、4級が主幹教諭、5級が副校長・教頭、6級が統括校長・校長となっている。
 この制度によって生涯給与額が745万円、1271万円、1439万円と差がつくようになっている。こんなに明確なさを見せつけられると、悲しいですよね・・・。2級の教諭が8割を占めるのに、主任・主幹教諭の導入によって一般の教諭の給与は引き下げられたのです。
 1970年代前半までに高校が社会標準化し、その費用も80年代以降、高額化し、90年代には専修学校をふくめた中等後教育への現役進学率が50%をこえ、2011年には70%にまで上昇した。ところが、高校以降の子どもの養育費と教育費は私費負担に任されたままになっている。
 学校外の補助学習が多くの子どもの必要とされている状況は異常だ。これが「子どもの貧困」の重要な要因となっている。公立中学生の通塾率は、7割になっている。
 国が教育機関へ公財政支出する額のGDPに対する比率は、OECD加盟国31ヶ国のうちで日本は31位、最低である。教員給与を除くと、学校運営費の80%が父母の私費負担に日本は依存している。これは異常である。
 公立の小中高校で30人以下学級と授業料・学修費を完全に無償化するために必要なのは、あわせて3兆3700億円。そして、私学助成のためには1兆2000億円の増額が必要になる。それを実現しても、OECD加盟国の平均にやっと届くくらいの金額でしかない。
 この3兆3700億円は港や新幹線のような不要不急の大型公共工事につかうよりも、よほど生きる「投資」(お金のつかいみち)だと思います。
 500頁近い大作で、少々むずかしい本でしたが、一日で必死に読み通しました。
(2012年8月刊。2900円+税)

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