弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2012年8月25日
教育の豊かさ、学校のチカラ
著者 瀬川 正仁 、 出版 岩波書店
橋下「教育改革」は、要するにエリート教育を重視しようというものです。グローバル化社会に勝ち抜く人材を養成しようというのですが、早くから差別と選別を教育分野に取り入れていいことは何ひとつないと私は思います。
文部省の「日の丸」・「君が代」による教員統制は、子どもの学力を全体として伸ばそうというものではなく、国家にとって必要な人材を確保するために、教師を画一化し、強力に有無を言わさず統制しようとするものです。
でも、現実の子どもたちは大半がそんなエリート養成教育からはみ出しています。そして、そのはみ出した子どもたちと格闘している教師集団がこの本で紹介されています。
まずは静岡県の南伊豆町にある「健康学園」です。ここは、東京都中央区立の上東小学校の分校です。全校児童31名が、寮生活をしながら学んでいる。生徒は中央区に住民票のある小学3年生から6年生まで。教員は6名。ここでは心身の健康の回復を第一にしているため、学力を身につけることは期待されていない。だから、授業は伸び伸びした学びの場になっている。好奇心旺盛な小学生時代に、生きた知識や興味をどのように伝えるかに苦心がある。
教師は一人ひとりに目配りできるし、しないわけにはいかない。
寮にテレビは一台のみ。そして、1時間だけ。テレビゲームもなし。公衆電話はなく、ケータイは禁止。だから手紙を書くしかない。寮生活を支えるのは、保育士の資格をもつ16人というスタッフ。中には発達障害児もいる。そして、この学園で自己肯定感を育てて子どもたちは伸びていく。
児童自立支援施設、そして海外にある日本人学校の様子も紹介されています。世界各地にある日本学校は88校。
福島県三春町の学校も登場します。3.11の前のことです。
沖縄には70代生徒の通う夜間中学校があります。そう言えば、山田洋次監督の映画『学校』は東京の夜間中学を舞台とする感動的な映画でしたね。
さらに、長野県松本市にある刑務所のなかの中学校(桐分校)の今も紹介されています。いまでは、在日中国人が生徒の大半を占めるというのです。また、中学校を出ていても学力のないものを聴講生として受け入れているとのこと。世相の移り変わりを知りました。
『世界』で連載されていたものが本になりました。エリート偏重教育では決して日本は良くならないということを痛感させられる本でもありました。
(2012年7月刊。1700円+税)
2012年8月14日
橋下徹の金と黒い人脈
著者 一ノ宮 美成+グループK21、 出版 宝島社
どうして、こんなデタラメな男をマスコミが大々的にもてはやすのか、信じられません。
この本は、橋下徹の実像を鋭くあぶり出しています。広く読まれたらいいなと思いました。
橋下市長は当初、原発再稼働に華々しく反対していたのに、いつのまにか再稼働容認に変身してしまった。そして、その変身直後の2週間、ツイッターを2週間も休止した。たたくのは得意であっても、たたかれるのは弱いからだ。
弱いものいじめが橋下徹の身上なんです。これって、いやな性格ですよね。
自分が批判される立場になると、すぐさま雲隠れしてしまう卑怯な人間なのだ。
メディアが本来果たさなければならない、権力監視が不十分だからである。橋下の言い分をマスコミはたれ流している。
大阪市民の支持率は、7割近くを誇った府知事時代から54%にまで下がった。
「大阪市民はぜいたく」だと言い放って、市民サービスの予算を3年間で488億円も削減する。ところが、橋下のブレーンを特別顧問・参与として、合計50名に対して総額680万円も支払った。
維新の会は、全国で300人候補者に出すという。合計30億円をどうやって工面しようというのか。実は、候補者本人が選挙資金を自分で出せるかどうかが選考の基準になっている。
橋下徹と維新の会を応援する財界は財界アウトサイダーである。紳士服のアオキ、ドトール、家具のニトリ、人材派遣のパソナなど・・・。
橋下市長は、原発再稼働容認をうち出す前、ひそかに関西経済団体のトップと会食した。これで財界から取りこまれてしまったようです・・・。
橋下市長は、サラ金特区そしてカジノ(ギャンブル)特区を提唱しています。ひどいものです。もっと実体をあばいてほしい、マスコミもきちんと正確な実情を伝えてほしいと思ったことでした。
(2012年7月刊。993円+税)
2012年8月13日
ガリ版ものがたり
著者 志村 章子 、 出版 大修館書店
ガリ版というと、私にとっては大学生時代に切っても切れない関係にありました。高校生のときには、日本史の教師から手作りの日本史の流れの早わかりをもらって重宝していました。大学生になると、自らカッティングしなければいけなくなりました。自分の考えを他人に知ってもらうためには、どんなに下手でも自らカッティングするしかありません。鉄筆を握って、ヤスリ版の上においたロウ厚紙に一字一字ていねいに字をカッティングしていくのです。一字は四角います目に納めるような方眼紙になっていますから、私の字も次第に読みやすい、丸っこい字になっていくのでした。これって、ちょうど、今の学生にとってパソコン入力できなければ何も意思表示できないのと同じ状況です。世の中、現象的には変わっても、本質的には変わらないものだと、つい思ってしまったことでした。
ガリ版の魅力は、その仕事にたちまち自らの魂が乗り移ってしまうことにある。これは、活字その他の版式の遠く及ばないガリ版の独壇場である。
1930年代の日本。ガリ版印刷がこなせなかったら小学校教員の資格はない。謄写技術の習得は絶対に必要とされた。
映画『二十四の瞳』には、検挙された綴方教師の文集が教頭によってあわてて焼き印される場面がありました。戦前の教師はガリ版で学級通信をつくったりして、子ども、そして親たちとの交流を密にしていました。そのことで国民的に評価された女教師が、あとになってアカという烙印を押されてしまうといった悲しい悲劇も発生したのです。このガリ版印刷なんていっても、今どきの若者には理解できないものでしょうね。
先のとがった鋼鉄製の鉄筆ロウ厚紙に字を書き、孔をうがちます。ロウ厚紙は、極薄葉和紙(雁皮100%の手抄き)にパラフィン加工したもの。有名なのは四国厚紙です。
2011年現在、新品を入手できるのは、鉄筆とローラー分野だけ。ロウ厚紙を書くのを、厚紙を切る(カッティング)、「刻む」と表現した。
第一次世界大戦、ドイツの捕虜を収容した日本各地の収容所で、ドイツ人は有料ガリ版ニュースを発行した。2年間で55万枚を印刷したというから、すごいですね。最大発行部数は300部だった。
なつかしい、学生時代とは切っても切れないガリ版を思い出させる本でした。
(2012年3月刊。2400円+税)
2012年8月 8日
ひさし伝
著者 笹沢 信 、 出版 新潮社
井上ひさしは、私のもっとも尊敬する作家の一人です。憲法9条を守れという九条の会の呼びかけ人であったのもすごいと思いますし、「ひょっこりひょうたん島」には、今なおお世話になっています。というのも、弁護士会の役員を一緒にやった仲間の集いは「ひょうたん島」グループと命名されているのです。博士もガバチョも、そして村長もいます。
この本を読むと、その「ひょうたん島」が実は、死んだ子どもたちの新しい世界が舞台になっているという、実に衝撃的な裏話が紹介されているのです。ええーっ、ま、まさか、とのけぞりそうになりました。
人形劇「ひょうたん島」がNHKで放映されたのは、昭和39年(1964年)4月から。昭和44年(1969年)まで、5年間続いた。私が高校生のときから大学2年生までのことです。夕方に15分間だけでしたが、この人形劇は本当によく出来ていました。「ひょうたん島」について、食糧問題を考えていないと非難した人に対する弁明として、井上ひさしは平成12年に次のように弁明したのでした。
「あの登場人物は、みな死んだ人たち、死んだ子どもたちなのだ。死んでいるからこそどこにでも自由に行ける。死んだけれど、死にきれないでさ迷っている人たち。いわば、お化け集団なのだ。だから、ひょうたん島には食料問題はない。あの番組のなかで親たちの生き方を根本から批判して、新しい時代の人間関係をつくるというルールを考えていた。議論はするけれど、ケンカはしないのが、これからの時代だ。意見が合わなくても、一つの目標が共通なら、一緒になれるんじゃないかというのが『ひょうたん島』のテーマだ。
『ひょうたん島』の明るさは、実のところ、絶望の果ての明るさ、死後の明るさなのだ」
ええーっ、そ、そんなバカな・・・と私は思いました。底抜けの明るさの背景には、こんな絶望があったんですね。ここにも著者の非凡な発想と才能がみちあふれているのでした。
『吉里吉里人』(新潮社)は、昼寝の枕代わりになるとも言われた分厚い本です。東北の一地方が独立国家をつくるという、奇想天外のストーリーです。東京オリンピック開催のころ(1964年)、NHKラジオで放送されたところ、「冗談にしてもひどすぎる」と批判された。このあとNHK芸能部から声がかからなくなったというのですから、冗談話ではなかったのでした。
井上ひさしは、東北地方の孤児院に弟とともに3年ほどいたのでした。父親が早く死に、母親も苦労していたからです。この孤児院の神父たちは自ら汗を流して子どもたちを励ましていたようで、偉いものです。これが、後に上智大学に入って出会った神父たちの「墜落」になじめなかった原因をつくり出したのでした。
一家離散の悲しくも厳しい生活を思春期にしたことが井上ひさしの作品の原点になったようです。希望や愛を語るひさしではなく、絶望を語るひさしがいる。
ひさしは、4年のあいだ住み込みの倉庫番をしながら、脚本懸賞に応募していた。145回の応募のうち、入選18回、佳作39回。3割9分3厘の打率。獲得した賞金は34万6千円。これを上回ったのが藤本義一だった。うひゃあ、上には上がいるのですね。
井上ひさしの難は、とにかく原稿が遅いこと。並の遅さとはわけが違う。ギリギリまで出来あがらない。むろん、原稿の出来は、ディレクターの思惑をこえて、いつも及第点だった。井上ひさしは、可能な限り資料を渋猟し、資料の表裏を徹底的に分析してからの執筆だから、遅筆は避けられなかった。井上ひさしの考証は徹底している。
なかなかマネできませんね。ともかく、神田の古書店から関係図書がごっそりなくなってしまうほど買い漁るのです。
井上ひさしのユーモアは、過剰なまでの言葉選びによっている。笑いは娯楽であると同時に人々を救うものであるというのが、井上ひさしの思想である。
井上ひさしは努力の人でもあったのですね。まだまだ読んでいない作品がたくさんあることを思い知りました。さあ、読みましょう。あなたも、いかがですか?
(2012年4月刊。3000円+税)
地域ぐるみの子育て
稚内そして宗谷というと、今までは南中ソーラン節で全国に有名です、非行に荒れる中学校をたて直していったという背景があります。
私が稚内に行ったのは、稚内をふくむ宗谷が、地域ぐるみの子育てに取り組んでいることを知ったからです。学校と教育委員会と地域が、文字どおり一丸となって子育てに取り組んでいるのを知って、感動的でした。
たとえば、小学校の学校だよりが全戸配布されています。サマーフェスタは地域のお祭り。子どもたちも主体的に参加。小中一貫教育もすすんでいます。いえ、施設一体というのではなく、相互に授業内容を公開しあうのです。
子どもが気軽に校長室に顔を出します。学年だより、学級通信も2日に一度。クラスには市費負担の教員がおかれたり、支援委員というおばあちゃんたちがクラスの「問題児」の対応にあたります。手厚く人が配置されているのです。教育はやっぱり人ですね。そして、それを支えるお金が必要になります。
教育委員会に子ども課
タテ割り行政で相互連携するというのではなく、子どもに必要なことはなんでもやれる子ども課があります。
子どもが家を出て帰ってこない、何日もごはんを食べていない。そんな情報が寄せられると、子ども課の出番です。学校よりも機動性があり、保護の必要なときには、すぐ手が打てる。
大変気骨のある教育長さんの話を聞いて、教育行政の原点を知った思いでした。
2012年7月25日
学校改革の哲学
著者 佐藤 学 、 出版 東京大学出版会
現在、マスメディアとは無縁なところで、公立学校の革命的変化が進行している。「学びの共同体」づくりを標榜する学校改革に挑戦している学校は、小学校で1500校、中学校で2000校というように、公立学校の1割に達している。
「学びの共同体」としての学校は、ひとまとまりの「活動システム」によって組織されている。どの授業においても、①男女混合4人グループによる協同的な学びを組織すること、②教えあう関係ではなく、学びあう関係を築くこと、③ジャンプのある学びを組織すること、この三つが求められる。
教師においては、授業を子どもの学びへの応答関係によって組織し、①「聴く」「つなぐ」「もどす」の三つの活動を貫くこと、②声のテンションを落とし、話す言葉を精選すること、③即興的対応によって創造的な授業を追求することが求められる。
教室において子ども一人ひとりの学びの権利を実現する責任は、学級や教科の担任教師が一人で負うのではなく、その教室の子どもたち全員、学年ごとの教師集団、そして校長と保護者が共有する。
「学びの共同体」づくりを推進した学校では、どんなに荒れた学校でも、1年後には教師と生徒のあいだのトラブルや生徒間の暴力は皆無か皆無に近い状態となり、生徒たちが一人残らず積極的に学びに参加する状態へと変わっている。そして、改革を始めて2年後には、不登校の生徒が3割から1割に激減する。さらに、「学びの共同体」づくりを推進した学校のほとんどにおいて2年後には成績の低い生徒の学力が大幅に向上し、3年後には成績上位者の学力も向上して、市内トップもしくはトップクラスの学校へと再生する。
新自由主義のイデオロギーと政策において、もっとも深刻な問題の一つは、教師の仕事を責任からサービスへと転換したこと。しかし、教師と親との関係は、サービスの提供者とサービスの享受者なのか。そうではないだろう。教育はサービスではなく、子どもに対する大人の責任である。子どもの教育を中心において、教師と親とが責任を共有することなしには、教師と親との間の信頼と連帯は形成しようがない。教育が責任からサービスへと転換することによって、教師の尊厳と教職の専門性は危機を迎えている。教師の仕事は「誰にでもつとまる仕事」と見なされ、教師に対する信頼も尊敬も崩壊しつつある。深刻なのは、教師の尊厳が傷つけられていることである。
「数値目標による経営と評価」は、評価を受ける組織の目標が単一であり、単純である場合には積極的な効果をもたらすが、評価を受ける組織の目標が多元的で複雑な場合には否定的な効果しかもたらさない。教育委員会が「数値目標による評価」を学校に導入したことから、教師の仕事は「学力向上」や「いじめ」「不登校」の解決、「進学実績の向上」という単純で目に見えるものに限定され、その達成の証明と評価の資料作成に多大な労力を注ぐ状況に陥っている。
一般に、人々は学校の改革を安易に考えすぎている。学校は頑固で頑迷な組織である。決して容易に改革しうるものではない。学校改革は容易な事業ではないし、学校改革を行うことが決して教育の質を改善し、教師のモラール(士気)を高めるものでもない。むしろ、逆の効果をもたらすことが多いのが現実である。学校改革は、数年の単位で遂行するような安易な事業ではなく、また、部分的な改革によって達成される事業でもないし、一部の人々によって達成される事業でもない。
学校改革は、少なくとも10年単位で緩やかに遂行される長い革命であり、部分的改革ではなく、全体的構造的改革でなければならない。短期間の急激な改革や部分的局所的な改革は、その副作用や反作用によって否定的効果をもたらす危険のほうが大きい。
不公平で非民主的な学校を改革するためには、学校の構成員一人ひとりが主人公として対等に参加し交流する組織へと学校内のコミュニケーションの構造それ自体を変革しなければならない。一人残らず子どもの学びの権利を実現することは、校長の責任の中核といってよい。この責任を自覚した校長は、職務の大半を教室の観察と教師の支援と研修の活性化に充てるはずである。
教師の仕事は高度の教養を基礎として成り立つ知性的な仕事であり、豊かな市民的教養と高度の専門的知識と実践的な見識を必要とされる複雑な仕事である。「学びの共同体」における教師は、「教える専門家」であると同時に、「学びの専門家」として再定義されている。
人が人と交わるというのは、実は危険な行為なのである。交わりの基盤には、他者を信頼して身体をさらして預けるという危険な関わりがある。
日本の学校を特徴づけている教師の集団的自治の様式は、職員会議における協同の討議による意思決定と、一校あたり30以上に分業化された校務分掌と学年会あるいは教科会という小集団の自治単位によって運営されており、諸外国には見られない「日本型システム」を形成している。
「学級王国」においては、教師が「天皇」として君臨し、子どもの自主性と主体性を「集団自治」によってリモート・コントロールすることによって成立していた。「学級崩壊」が「学級王国」の崩壊であるとするならば、その現象は必然的であり、むしろ好ましい現象である。問題は、崩壊が新しい学校と教室の装置の新生を準備していない点にある。
人称関係を剥奪された「集団」から固有名と顔をそなえた「個人」に立ち戻ること、そして個性と共同性を相互媒介的に追求すること、交わり響きあう学びの身体の流れを活性化して空間と関係のすべてを編み直すことが、この窒息し閉塞した状況を組み替える出発点となるだろう。
とても格調高い教育論であり、心がふるえるほどの感動を久方ぶりに覚えました。
(2012年3月刊。3000円+税)
2012年7月19日
新採教師の死が遺したもの
著者 久冨 善之・佐藤 博之 、 出版 高文研
2004年9月、静岡県で小学校の新任教師となって半年後、24歳の女性教師が自らの命を絶った。9月29日、秋雨の降る早朝、車中で灯油を全身にかぶっての焼身自殺。
本来、教育は子どもたちの人生を左右する。その全人格にかかわるすばらしい仕事。児童教育は知・情・意、とくに心を育てていく大切なもの。教室は人の心の価値基準をつくる大切な場所。にもかかわらず、それに携わっている教師たちが必要以上のストレスを抱え、孤立させられ、追い込まれている。
それは、子どもや保護者は言いたい放題、同僚の無関心、成果主義に日々追われている上司。さまざまなキャラクターのモンスターが登場する学校というリングに新規採用の教師が一人、セコンドなしに闘う状況と似通っている。
新採教師の大変さは理解できる。支援してあげるべきだけど、学校にその余力はない。自分が支援しようとすると、今度は自分のほうがつぶれてしまう。
これは女性教師の自殺を知って寄せられた教師の声です。なんという悲しい悲鳴でしょうか・・・。
教頭は「同じ教室にいて、なんで子どものチャンバラを止められないんだ。おまえは問題ばかりおこしやがって」と怒鳴り、先輩教師は、「おまえの授業が悪いから生徒が暴れる。アルバイトじゃないんだぞ。しっかり働け」と叱りつけた。
いずれも当の本人たちは争っていますが、このように言われたとしたら、新採教師の心は相当傷つきますよね。たまりませんね。
現代の教師の苦しさは、まず、対象である子どもの抱える困難であり、子どもとの関係である。子どもは誰しもが素直に真っ直ぐに成長するものではないし、けっして教師の思い通りにならない存在である。それぞれに生育と生活の重さを背負い、発達の困難を抱えて学校に来ている。だから経験を積んでも教師はつねに難しい仕事である。
学校は、この自死した新採教師に対して、「思い込み激しい。つまらぬプライド強し」として、教師に向いていないと判断していたようです。夏休みに気分転換しようとして企画した外国旅行も、学年主任から「教えてもらっている身だからよくない」と言われて取りやめました。教師って、休みも自由にとれないんですね。
8月下旬の日記には、「他の先生の協力をあおぐことに疲れた。私の心が傷つき、さらに疲弊してきた。生きているのが、つらい」と書かれていた。
両親は、娘の死が労災(公務災害)にあたるとして、不支給決定の取り消しを求めて裁判を起こした。そして、2011年12月15日、裁判所は公務災害にあたるという判決を下した。
「学級運営に関する困難な問題に対して、反省と工夫を繰り返し、懸命に対処しようとしていたものであり、結果的には、児童らによる問題行動の内容やその頻度、新規採用教員としての経験の乏しさから事態が改善するに至らなかったという経緯等を踏まえると、クラスの運営については、もはや一人では対処しきれない状況に陥っていたというべきである。そして、このことは学校側においても十分把握することが可能であったし、指導困難に直面するなかで、教師が疲弊し続けていたことは十分察知できたはずである。
このような事態の深刻性にかんがみれば、少なくとも管理職や指導を行う立場の教員をはじめ、周囲の教員全体においてクラス運営の状況を正確に把握し、問題の深刻度合いに応じて、その原因を根本的に解決するための適切な支援が行われるべきであった」
「新規採用教員の指導能力ないし対応能力を著しく逸脱した過重なものであったことに比して、十分な支援が行われていたとはとうてい認められない」
「そうすると、公務と精神障害の発症及び自殺との間に相当因果関係を肯定することができる」
このような認定がなされたというのは、日本の教育現場の現実を反映した正当なものであるだけに、悲しいことです。もっとゆとりをもって、相互に暖かく助けあえる教師集団であってほしいものです。そうであってこそ子どもたちは学校で伸びのび育っていくことができます。
ところでこのクラスには被虐待児がいたようです。虐待されて育った子どもは、周囲そして自分自身、つまりは人間に対する基本的な信頼感がないため、自らの感情をコントロールできず、激しい攻撃傾向があるようです。そのまま大きくなったら、人格異常と呼べる大人になるのでしょうか・・・。
いやはや、教育の現場の大変さがよく分かりました。
私の修習同期で親しい仲間である浜松の塩沢忠和弁護士も裁判に関わっています。控訴されたようですので、引き続きがんばってくださいね。
(2012年4月刊。1500円+税)
2012年7月16日
ラーメン・うどん・そば店の教科書
著者 藤井 薫 、 出版 秀和システム
不況でも繁盛する麺類の店の秘訣が図解されている楽しい本です。
著者は私と同世代。もともとは飛行機などの設計をしていた人です。それが、讃岐うどんの本場を地元としていたため麺の機械づくりに従事するようになり、そのうちに麺の販売さらには麺類の店を展開し、学校まで開設するに至りました。
麺ビジネスに一生懸命やれるか、熱い情熱をかけられるか、それがカギだ。
なるほど、情熱が一番なのですね。
短期間でプロになり、その後もずっと進化し続けて、プロであり続けることが重要だ。プロであり続けることは、日々進化し続ける努力が必要なことを覚悟しなければならない。
なーるほど、私も若手弁護士に対して、口を酸っぱくしてプロを目ざせ、中途半端な仕事をするなと言い続けています。
うどんとラーメンとでは、小麦粉に求められる品質が異なる。うどんは、たんぱく質含有量が8~9%の中力粉が適している。ラーメン用の小麦粉に比べると硬さは低く、でんぷんの粘り強い小麦粉が必要だ。国内産で粘り強いもの、オーストラリアのASWという品種の小麦粉がお勧め。北米でとれる小麦粉はうどん用には適さない。
ラーメン用は、うどん用よりたんぱく質含有量の高い小麦粉を使う。麺線が細いほど、たんぱく質含有率の高い(13~14%)準強力粉か強力粉を使う。11~12%の準強力粉を勧める。ただ、ラーメンも太い麺になるほど、うどんに近い、たんぱく質含有率8~9%の粘り強い小麦粉が必要になる。
ふむふむ、こんな違いがあるのですね。知りませんでした。
毎年、1日10店が開業し、同じく10店が閉店する。閉店する店の多くは、開業して1年未満の新店である。
たしかに、私の知る国道沿いのうどん店もオープンして1年あまりで閉店してしまい、ついに私は店に立ち寄る機会がないままでした。
繁盛している店ほど、食べ物を売っていない。夜に繁盛している店のほとんどは、昼も大変繁盛している。繁盛している店ほど、メニュー数は少ない。
お店にとって、同じようなライフスタイルをもった人たちが同じ店の中にいるほうが、よほど心地よい。
外食の飲食店は、「非日常空間」が演出できることが重要だ。いくらきれいでも、普通の民家のような造りになってしまってはいけない。
手造り感を出すのも一つの方法だ。きれいで整っている店より、下手な大工が作ったような手造り感のある店の方が、味があって評価されやすい。
夜の営業では、店の外壁の照明が明るいことも重要だ。店の外壁が暗いと、営業していないように見えてしまう。
最近の客は相席を嫌がる人が多いので、ラーメン店ではカウンター9席、うどん・そば店ではカウンター席18席がもっとも効率良い。
カウンター9席しかないラーメン店が厨房内の2人で1時間に5回転、10時間営業で450人の客をさばいている。
とても実践的な本です。もちろん、麺類の店にはお客として行くだけの私ですが、とても分かりやすく、プロ志向の弁護士である私にも勉強になりました。
(2011年12月刊。1400円+税)
2012年7月14日
いま開国の時、ニッポンの教育
著者 尾木 直樹 ・ リヒテルズ直子、 出版 ほんの木
2008年11月の対談が本になっています。オランダの教育の日本は学ぶところが大きいと感じました。
日本の教育で一番問題なのは、政治がダイレクトに教育に口を出してくること。まことにそのとおりです。石原慎太郎にはじまり、今では橋下徹。どちらも、大量得票をバックとして偉そうなことを言って教育統制に乗り出しています。
7・5・3現象といわれるものがある。小学生は7割しか学校の勉強についていけない。中学生は5割、高校生になると3割しか習う内容を理解していない。
国はビジョンだけで示せばよくて、あとの実践は現場の創意工夫に任せるべきだ。
日本社会の全体が子どもの成長や発達について考えられないばかりか、若者を排除する社会的な虐待をしている。子どもは黙ってついてこい、従えという考え方がある。
日本社会全体に、大人もふくめて他の人を「肯定」しようという態度が薄い。他者を肯定するつもりがなくて、自己肯定なんてありえない。幸福感が低いうえ、自立心も育てられないので、自分の感情を言葉で表現できない子どもが多い。
今のヨーロッパの教育は、人間性の総合的な発達、多面的な能力のバランスのとれた発達を重視する方向に動いている。オランダでは、学校は、子どもたちが「学ぶことを学ぶ」ところだと考えられている。
学力一本で測るのではなく、個の中の多様性をいかに引き出し伸ばすのかが重要。
日本では学校の役割が、学力だけでラベリングし、格差をより差別化するための「選別工場」の役割を果たしている。
今の日本では、校長の権限をいかに強化するかという管理強化だけに意識が向いている。命令に素直に従うように長年にわたって徐々に教育委員会が「仕立て上げた人材」である。民主主義を教えるはずの学校が、この自由主義社会において、今や完全に全体主義に陥ってしまっている。
日本をダメにした、教育を破壊したのは日教組だと、見事に世論を操作してきた。叩くべき敵をつくって、一気に全体主義的な教育支配を貫徹しようとしてきた。
今や教師は、がんじがらめ。生きのびさえすればと、教師は卑屈になっている。評価される項目ばかりに目が向き、子どもの方に目が向かない。あまりに締めつけているから、優秀な人材が教員になりたがらなくなっている。
日本の教育をオランダとの比較で考え直してみる格好の材料となる本です。
(2009年5月刊。1600円+税)
2012年7月10日
みんな悩んで、教師になる!
著者 佐藤 博・山崎 隆夫 、 出版 かもがわ出版
教育という仕事の喜びややりがいを奪うものが、今日の社会と学校にあふれ、教師たちを追いつめているのではないか。教師を生きることの困難は、若い教師たちだけの問題ではない。
公立学校教師の病気休職者は、2009年度に8500人、その6割の5400人が精神性疾患による休職。この神経疾患による休職者は、1993年ころから2.5倍へと急増している。そして病気休職者全体の増加分のほとんどが、「精神性疾患による」休職者となっている。
ベテラン教師であっても生きづらい日々を重ねながら命を削るようにして毎日を送っている。私のよく知る同世代の教師も定年前に退職してしまいました。教師には喜びもあるけれど、無用かつ大変なストレスがかかっているのです。
初任者研修が、助けあうものではなくなっている。お互いに足をひっぱりあい、批判しあうものになっている。自分の学級がいかにうまくいっているのかアピールする人がいて、自分が指導主事や教育委員会にいかに目立つことができるかを誇示する場になっている。
管理職や指導教官による「不当な圧力」ともいえる「指導」があり、「対応のしかた」がある。これが新任教師を苦しめ、教師という仕事から夢を奪い、教師を続けることをためらわせている。そして、保護者からの「クレーム」の問題もある。
もっとも強く若い教師を苦しめているのは、失敗や試行錯誤を含めた一人ひとりの教師の、瑞々(みずみず)しい個性的な実践を暖かく見つめる視点がないこと、それらが支えられていないこと。あるいは、不十分ではあっても、さまざまな困難に打ち勝ちながら、子どもと友に成長していく教師への「しなやか」で「ゆるやか」で「人間的な」まなざしが、教育の現場や社会に欠けていること。
人間的完成を呼び覚まし励ましてくれるような会話の流れる関係や言葉が、職員室の中心にあったら、どれだけ若い教師を大きく励ましてくれることだろうか。
教師と子どもを競争で追い立て、支配し、学校を人間が育ち生きる場にしていない今日の状況を変えることがいま切実に求められている。
いま、国家が全力をあげて教師を蔑んでいる。国が蔑んでいるものを国民が信用するはずがない。だから、うまくいくものもうまくいかない。そして、それをどんどん責め立てて追いつめていく。だから、誰がやってもうまくいかないようなシステムにされてしまっている。この構造そのものが、教師の直面する困難の基本にある。教師はいま、上・下・横・内から責め立てられている、上は教育委員会、校長、副校、主幹。下は肝心の子ども自身からの反抗で、なかなか言うことを聞いてもらえず、さまざまな問題行動が起こり、秩序が乱れて収まらない。そのため、今度は横から、つまり保護者から、いろいろな批判や苦情を言われる。信頼されない。連絡ノートにびっしり要求を書いてくる。「先生、辞めたら」とまで言われる。ついには職員室の内側まで競争にさらされ、同僚からも指導力を問われたり、非難されたり、陰口を言われたりする。
教師を大いに励まし、横の連携を強めてもらってこそ、子どもたちは安心して教師と一緒に生活できるし、学びあいができます。今の日本の教育は、本当に心配な状況にありますよね。
(2012年3月刊。1500円+税)
2012年7月 6日
核兵器と日米関係
著者 黒崎 輝 、 出版 有志舎
日本の「非核」政策なるものの実質を追及した本です。主として1960年から1976年までの日米関係が対象となっています。
非核三原則が「国是」として広く国民から支持され、日本の核武装を論じることは長くタブー視されてきた。ところが、このところそのタブーも過去のものとなった感がある。核武装すべきだと公言する国会議員が出てきたのです。そして、マスコミがそのままたれ流しします。
北朝鮮の核兵器とミサイルの脅威に対抗するためには、日本も核兵器を持つべきだという声もかまびすしい。しかし、日本が核武装するかどうかを決めるとき、アメリカの意向は無視できないという認識が広く存在する。
日本政府が「非核三原則」を掲げる一方、日米安全保障条約を日本の安全保障・防衛政策基軸と位置づけ、核の脅威に対してはアメリカが提供する核抑止力、いわゆる「核の傘」に日本の安全を依存してきたという厳然たる事実(認識?)がある。
日本は1970年2月にNPTに署名し、1976年6月に同条約を批准した。これによって、日本は非核兵器政策を一方的に宣言するだけでなく、核兵器を製造・保有しない義務を国際社会に対して負うことになった。中国は1964年10月に最初の原爆実験を成功させた。これは日本の宇宙開発関係者にとって大きな衝撃だった。
1961年10月の国連総会において日本は西側諸国として唯一、核兵器使用禁止決議に賛成した。これは唯一の事例である。この決議は核兵器の使用は、国連憲章に反し、人類に対する犯罪であると宣言している。
1966年2月、日本政府は統一見解を発表した。
「現在の国際情勢のもとにおいて米国の持っている核報復力が全面戦争の発生を抑止する極めて大きい要素をなしている。日本も、このような一般的な意味における核のカサの下にあることを否定することはできない」
米国の核抑止力への依存政策は、日米安保条約により日本の安全を確保するという政府見解によって覆い隠され続けてきた。
佐藤栄作首相が非核三原則を表明したのは1967年末のこと。
佐藤栄作首相は、当初、国会で非核の三原則を表明するつもりはなかった。当初の演説原稿には、「持ち込みも許さない」という言葉は入っていなかった。ところが、非核三原則の表明は、予想以上に大反響を呼び、やがて事態は佐藤の思いもよらない展開となった。
1971年に起きた二度のニクソン・ショックは、日本の指導者たちを驚かし、米国に対して不信感を増強する原因となった。日本政府内では、米国離れの自立志向まで芽生えていた。
日本政府の「非核三原則」なるものが、いかに内実のないインチキのものであったかが明らかにされています。ところが、日本国民がそれを圧倒的に支持している以上、そこから日本政府は大きくはずれることも出来なかったのです。世の中の弁証法的帰結ということでしょうか。
250頁に歴史の内実がぎっしり詰まっていて、理解するのは容易ではありませんでした。
(2006年3月刊。4800円+税)