弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2013年3月 6日
建設業者
著者 建設知識編集部 、 出版 エクスナレッジ
建設現場の実際について、大変勉強になる本でした。知らなかったことがたくさんあり、大いに目を開かされました。
鉄骨鳶(トビ)は、一日の仕事を終えて現場から帰るときは、自分の足跡を一つ残らずホウキで掃いて消してから帰る。そこまでやらないと、本当にいい仕事をしたとは言えない。そこまで思いやれるようになって初めて、その人間は現場から信頼される職人になる。
たとえば、20年やっている職人と5年しかやっていない職人が一緒に仕事をするときは、必ず20年目の職人が5年目の職人のレベルに合わせてやる。そうすると、下の職人も自然に下の職人に思いやりを持つようになる。常日頃から、こういうコミュニケーションが大切。
現場の職人が互いに思いやりを持って仕事ができなくなったら、とたんに転落や打撲やら、事故が絶えなくなる。 思いやりをもったコミュニケーションこそが最高の安全対策になる。
クレーンオペレーターは相手の言うとおりにしていたら事故につながるかもしれないと思えば、たとえケンカになってでも、その頼みは断る。そういう意味での決断力を常に意識しておかないといけない仕事だ。
職人の腕の良し悪しは、すべて段取りに出る。段取りの悪さは致命的だ。子どもに見せられる仕事はいいものだ。
2階以上の深さのある地下なら、たいていどこか下から地下水が染み出してくるもの。コンクリートを打ち継いだ目地やコールドジョイント(接着不良)の部分からジワーっと・・・。
そこで、防水工の仕事は、まず水が染みている部分のコンクリートをはつって(削り取って)、その出所を突きとめる。次に水に反応して膨張する発泡ウレタンをその出所に注入する。あとは、その上に止水セメントを盛って塗布防水剤を塗れば完了である。
優秀な職人というのは必ず2つの共通点をもっている。一つは段取りがいいこと。親方から言われたとおりにやる人はダメ。臨機応変、その場に応じた発想ができる人でないと現場はまかせられない。もう一つは、下地をきっちり作れること。うまい人は、仕事に対する欲がある。もっとよくしたい、もっと仕事について知りたいという探求心がある。
現場には、自然にできあがった職人のランクみたいなものがある。大工がいて、左官がいて、それから鉄筋工、型枠工がいて、設備はずっと下。下の方から数えた方が早い。
屋根まわりの板金なら、基本的には水が流れたいように流れさせてやることが大切。屋根でも庇でも、水が自然に流れない設計は、いつか必ず漏水を起こす。
ウレタンを壁に均一に吹きつけるには、その日の気温、現場の階数(高さ)、延ばしたホースの長さ、吹きつけるスピードなど、ありとあらゆる要素をふまえて発泡期の状態を調整しないとできないこと。ウレタンって、非常にデリケートな材料なのである。
階上解体。建物の上の階から解体機で解体しながら一階ずつ地上まで降りてくる工法のこと。鉄筋がしっかり入っていない建物は、解体機を床の上に安心して載せられない。いわゆる手抜き工事が発覚すると、この仕事は難しくなりそうだと覚悟する。頑丈つくってあれば、私たちも安心して壊すことができる。
やはり、職人芸には学ぶところがたくさんありますね。
(2013年1月刊。1400円+税)
2013年3月 3日
会えて、よかった
著者 黒田 清 、 出版 三五館
奈良で活躍していた、私と同じ団塊の世代の高野嘉雄弁護士(故人)が、依頼者となった少年たちに読むようにすすめていた本です。私も読んでみました。
25人の生いたちが語られ、紹介されていますが、いずれも心を打つ話でした。
著者も亡くなられましたが、はしがきの言葉も素晴らしい。
書きながら、深い感動に包まれて涙があふれてくるときもあった。書き手がそうなのだから、おそらく読まれるあなたも、どこかで耐えきれなくなり、涙でほほを濡らされるに違いない。だから、この本はできることなら電車のなかなどで読まず、一人いるところで心静かに読んでほしい。人間はどんなにすばらしいものなのか。人間は、どんなに悲しいものなのか。私たちは、そのことを繰り返し感じるべきなのである。
今の世の中には、いわゆるシラケ状況が満ちていて、感動したり、涙を流したりするのは恥ずかしいことのように思われがちだが、もちろん、そんなに思うことのほうが浅薄なのである。
ここには、いろんな人がいて、それぞれに人生のうたをうたっている。それは勇気のうたであり、母のうたである。平和のうたであり、生命のうたであり、別れのうたである。
心から感動せずして、涙を流さずして、すばらしいこの世を生きたというなかれ。感動と涙で心を洗われたあなたは、そのあと一生をそれまでと違った価値観で生きていけるようになるだろう。
すべて実話というのがいいですね。単なる想像上の話ではなく、現実に生きている人の話だと思うと、よけいに勇気、生きる元気が湧いてきます。
いい本をありがとうございました。素直に頭が下がります。
(2005年8月刊。1165円+税)
2013年2月28日
原発難民
著者 鳥賀陽 弘道 、 出版 PHP新書
この本を読んで驚き、かつ、呆れたことは次のくだりです。なーんだ、政府(菅首相以下)も東電も法律に反していたことは明らかじゃないか。改めて怒りを覚えました。
原子力災害対策特別措置法15条に定められたとおり、福島第一原発が政府に「緊急事態」の通報を3月11日午後4時45分にした時点で、放射能格納容器が壊れることを想定し、住民非難を指示しなければいけなかった。すなわち、放射性物質が外に漏れ出すことを考えて、住民を避難させなければならなかった。
安定ヨウ素剤を子どもにのませるのは、被曝から24時間以内でないと効果が急激に下がる。格納容器が壊れてから飲んでも意味がない。「壊れそうだ」という時点で飲ませなければいけない。
メルトダウンがあったのか、なかったのかという論争は、住民避難の観点からは、枝葉末節でしかない。寺板信昭・原子力安全・保安院長は、15条通通報が出たのだから、ただちに緊急事態を宣言し、住民避難を開始してくださいと菅首相に進言すべきだった。15条通報の段階では、原子力のなかでどうなっているのか、メルトダウンしているかどうかは分からない。分からなくても、15条通報があったら、住民の避難を開始すべきだった。
このとき、東電は事態をまだ楽観視していて、廃炉になるとは思っていない。菅首相などの政府首脳も、それは同じこと。だから、ずっとずっと後手後手にまわってしまい、犠牲者を増やしてしまった。
東電、原子力安全・保安委員そして政府(菅首相)は、なんとかして廃炉になるのを避けたいと思っていた。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。
巨大な資産だった原発が、一気に価値ゼロの廃棄物になるため、バランスシートが急激に悪化する。
1号機を廃炉にする決断を早くしていれば2,3号機は助かったかもしれない。
1号機の水素爆発によって、放射能レベルが高くなったため、2,3号機に近づけなくなり、3月14日と15日に、メルトダウンを起こした。
全電源喪失や炉心溶融は、地震や津波と関係なく起きる現象である。格納容器は壊れないことにしてしまう。
日本の原発は、テロ、ミサイル攻撃そして誤操作などに対して十分に対策がとられているとは思えませんよね。恐ろしいことです。
(2012年11月刊。760円+税)
2013年2月26日
ルポ・子どもの貧困連鎖
著者 保坂渉・池谷孝司 、 出版 光文社
日本の子どもたちが、今、大切にされていないことが明らかにされています。安倍政権は教育改革と言っていますが、ここにこそ光をあてるべきだと思います。でも、やっていること、やろうとしていることは差別の拡大です。残念です。
文科省によると、高校の奨学金受給者は2007年度に15万2000人だったのが、2009年度は予算ベースで17万2000人に増えた。
不況で大都市圏を中心に定時制受験者が急増し、多数の不合格者が出ている。希望すれば入れるのが定時制だったのに、学校が統廃合で減った。定員を増やし、門戸を開いてほしい。学びの最後のセーフティーネットがほろび始めている。
文科省によると、定時制高校は1997年度に907校だったのが、2009年度は732校に減った。ところが、不況とともに新卒の志願者は増え、1997年度の2万367人から2009年度は3万989人になった。
この数年、不況の深刻化で全日制の公立高校を落ちても経済的な事情で私立高に進めず、定時制の公立高を志望する生徒が激増している。定員を増やしても受験で不合格者が出て問題化するほどになった。
困窮している高校生のなかには定期代や教科書にも事欠く子が大勢いる。公立高の授業料が無償になったとはいえ、私費負担はまだ大きい。途中でやめる子も多い。高校の実質的な無償化が必要である。
教員がなぜこんなに疲れているかというと、ありとあらゆることが指導の対象だから。日本では、「○○指導」と言えば、何でも教員の守備範囲とみなされる。清掃指導、給食指導、下校指導、校外指導、みな教員がやらなければならない。それが、一番根幹のはずの授業に割ける時間、エネルギーを奪っている。担い過ぎているものを代わりに担当する人を付けていく必要がある。部活の指導者や図書館司書もちゃんと手配する細かい対処が必要である。しかし、政府は、手厚い公教育の提供をサボってきた。
もっと国が教育に費用を投入する必要がある。所得税の累進制を大きくしたり、相続税を大幅にアップしたりして、富裕層からの再分配を拡充すべきだ。
1955年に廃止された失業対策事業をリニューアルして、もう一度やるべきだ。仕事を探しても全然ないとき、高い賃金ではないけれど、ここに来たら当座の働き口はあるという場を公的につくる必要がある。
これについては、私も大賛成です。働ける人は、みんな働きたいのです。
問題のある子どもや家庭を支援していく教育ケア会議の対象となる子どもの6割が生活保護世帯、一人親家庭も入れると7割になる。
虐待ケースでは身体的な虐待にいく前のネグレクトで発見できる比率が高い。野宿している若者は、母子家庭と虐待が多い。母子家庭で生活保護を受けていて帰れないとか、暴力がひどくて家には死んでも帰れないと言う。親を頼れない若者が、どんどん貧困、野宿になっている。
一人親家族や非正規雇用の家庭・虐待家庭が増えていることに学校も苦労している。そうした子どもたちの多くは、社会のスタートラインから不利な立場に置かれる。学校の保健室は子どもたちの駆け込み寺のような存在だ。
学校によっては、7割の子が虫歯で4割は死力が低下している。お金がないので歯医者に行けず、眼鏡を買えないという家庭が少なくない。
保健室を利用する小学生は2006年度には一校あたり1日41人で、これは2001年度より5人も増えている。相談内容のうち、心の悩みが41%にのぼる(9%増)。うつ病やそううつ病など、「気分障害」の患者は1999年に44万人だったが、2008年には104万人、2.4倍に急増した。
一時保護は、児童相談所が虐待や非行などで緊急に収容の必要のある子どもや、養育者のいない子どもを保護する制度。対象は18歳未満で、全国に125ヶ所ある一時保護所に2ヵ月内をめどに入所させる。2008年度の受付件数は2万件ほど。
かつては日本の子どもほど親に愛され、大切にされている子どもはいない、このように絶賛されていましたが、今では悲惨な状況に置かれているのですね。
安倍首相の教育改革は、こんな実情に目をふさいで、国のいいなりになる強い子どもを育成しようというものです。とんでもない改革ですよね。
(2012年8月刊。1600円+税)
2013年2月21日
検証・尖閣問題
著者 孫崎 享 、 出版 岩波書店
無責任なマスコミと評論家が日本と中国が今戦争したらどちらが勝つか、などの特集を組んだりして放言しています。そして、日本の自衛隊が勝つと断言する人までいて、呆れてモノが言えません。
日本と中国が戦争するなんて、大変なことです。本当に戦争になれば島をめぐっての局地戦ですむはずもありませんし、日本が勝てるなんて、ありうるわけではないでしょう。アメリカが日本を応援してくれるはずだという幻想に浸っている人が多いのにも困ります。
アメリカは「日中戦争」をある意味でけしかけ、また、「仲裁」には乗り出すでしょうが、それはあくまでアメリカの国益にそった行動でしかありえません。アメリカが日本を無条件に応援するというのは、まるで考えられないことです。
多くの日本人は中国軍が弱体だと思っている。しかし、戦闘機とミサイルをかけあわせたとき、日本側が中国に勝つというシナリオはない。同じく、在日アメリカ軍も中国と戦争して勝てるという状況ではない。現時点で軍事費は日本1対中国3くらいの差がある。
戦闘が起これば、海軍対海軍では終わらない。空軍が出る。ミサイル部隊が出てくる。そのとき、日本の勝ち目はない。
まったく、そのとおりでしょう。なにしろ、物量に圧倒的な差があるのです。日本が尖閣諸島周辺で軍事行動をとれば、中国は必ずそれに呼応する。軍事力勝負で日本が長期的に勝てるというシナリオはない。
こちらが軍備を増せば、相手国は当然増す。今日の国際政治では、紛争を避けることに多くの国は利益を見出している。国連憲章には集団的自衛権の規定がある。しかし、自民党の提起する集団的自衛権はそれとは異質なものだ。
集団的自衛権を推進・主張する人は、国連で認められた権利であり、これを行使できないのはおかしいと主張する。しかし、これは間違いだ。
国連憲章は、武力行使を相手国が軍事的攻撃をしたときに限定しようとしている。
自民党などの主張する集団的自衛権は、先制攻撃の一部なのである。両者はまったく違うもの。
尖閣諸島をめぐる領土紛争は棚上げすべきだと著者は強調しています。
棚上げは、双方が主権を主張するなか、互いの主権主張を認めつつ、軍事紛争への発展を阻止するために、両国では現状を凍結することを目ざしている。
尖閣諸島を棚上げするのは、日本に有利である。
まず第一に武力紛争を避けられる。日本の実効支配を中国が認めることになる。この実効支配が長期化すれば、国際法下で、日本の領有権が確定する。
著者は尖閣諸島が日本固有の領土と見ることができるのか、懐疑的です。それには、ポツダム宣言と、カイロ宣言を抜きには考えられないという意見です。
無主の地であったこと、そして先占の法理が成り立つという主張にも疑問を投げかけています。いずれにせよ、領土紛争が武力紛争に発展しないような知恵と工夫が今求められていると思います。大変タイムリーな本です。
3月1日(金)夜6時から、福岡・天神の都久志会館で著者を招いた弁護士会主催の講演会が開かれます。ぜひ、ご参加ください。
(2012年12月刊。1600円+税)
2013年2月19日
金曜、官邸前抗議
著者 野間 易通 、 出版 河出書房新社
残念ながら、私はまだ金曜日夜の首相官邸前の抗議行動に参加したことはありません。霞ヶ関と日比谷公園には毎月行っているのですが・・・。
そして、金曜夜の官邸前抗議行動をテレビも新聞もほとんど取りあげず、報道しないという真実に怒っています。芸能人の動きを一面トップで紹介する一方で、日本の将来を左右する原発反対の国民的大運動を無視するなんて、「社会の公器」が泣いてしまいますよね。
この本は、金曜夜の官邸前抗議を主催する首都圏反原発連合の主要スタッフによる内側からの苦労話です。なるほど、ケガ人も逮捕者も出さずに、毎週、何万人もの人々の行動を「統制」するって、大変なんだろうなと思ったことでした。
あまり参加人数が多すぎて危険な状態になったときには、警察の指揮官車のマイクとスピーカーを使った。もちろん、反原発メンバーが、です。とても考えられない事態です。
それを警察権力との馴れあいすぎだと批判する人もいますが・・・。
この官邸前行動を報道するのは東京新聞と赤旗しんぶんだけ。なんということでしょうか・・・。テレビは、ずっとずっと無視するばかりでした。
一番最初は300人しか集まらなかった(2012年3月29日)。いや、それだって、300人も集まったというべきだった。
官邸前抗議は、公安条例にもとづく「デモ」ではない。デモ申請を出さず、歩道上で行われる。歩道には、必ず人が通れるスペースを残しておくのが「許可条件」。
官邸に向けての抗議の声を上げる場であって、参加者に向けて語りかける集会の場ではない。話は1分以内。テーマは反原発のみ。
参加者の半数は、ツイッターとフェイスブックを見て来る。しかし、団体から来る人も少なくない。そして、団体旗は、労組の旗をふくめて遠慮してもらう。これが軋轢も生んだ。個人参加を原則としているので、当然なのだが・・・。
それでは、日の丸を掲げて参加するのは、どうなのか?
いつまでも、日の丸をお上の象徴として忌避し続けるだけでは、自分たちの手で民主主義を実現するのは難しいのではないか。社会運動が日本の大衆の心情と乖離
しないように心がける必要があるのではないのか・・・。うむむ、なるほどと思わせる指摘ですね。
警察はなぜ抗議運動を弾圧しないのか。子どもをふくんだ家族連れの参加者が多く、これを弾圧するのは得策ではないという判断が働いているのだろう。
この人数じゃあ、機動隊は負ける。抑えきれない。
ある刑事がホンネを語った。恐らく、そういうことだろう。
見守り弁護団も40名をこえた。そして、ついに首都圏反原発連合の主要スタッフは野田首相と官邸内で会って、直接抗議の声を伝えた。私もこれは、とても大きな意義があるものだと思います。
デモも世の中を動かすのです。従来の左翼的な大衆行動とは別の国民的なうねりを感じる新しい行動を見る思いがしました。これとは別に、労働組合が反原発運動は生存権に関わる課題として集会し、デモをし、さらにはストライキをしてもいい国民的課題だと思うのですが、いま残念ながら労働組合にその力がありませんね。
ぜひ、一度この官邸前行動に参加したいものです。
(2012年12月刊。1700円+税)
2013年2月16日
外国人実習生
著者 指宿昭一・遠藤隆久ほか 、 出版 学習の友社
縫製工場に働く中国人技能実習生を取り巻く事件を現に扱っていますので、勉強のために読んでみました。チープ・レイバーとして、とんでもない人権侵害が日本各地で横行している現実を知りました。
縫製工場に働く中国人技能実習生は、その大半が20歳前後の若い女性です。彼女らは、日本の縫製技術の習得とあわせて、お金を稼ぎに日本に来日します。ところが、時給200円とか300円という条件で働かせる企業が多いというのです。そして、日本並みの賃金を求めようなら、斉列させられて、ビンタを見舞われます。ビンタするのは、日本人女性(事務)という話も紹介されています。そして、メイド・イン・ジャパンの縫製といっても、実はメイド・イン・チャイニーズというのが実態だというのです。うひゃあ、ちっとも知りませんでした。
1992年から2010年までに日本で死亡した研修生・実習生が265人いる。そのうち30%は脳・心臓疾患。ほとんどが過労死ではないか。
名古屋のトヨタの四次元下請けで働くベトナム人実習生は、トイレに行った回数を書きこむ表が張り出してある。1回トイレに行ったら1分間で70円の罰金という。ええーっ、そ、それはないでしょう・・・。
実習生・研修生が、日本全国に17万5000人いる(2011年)。東北6県だけでも1万人いた。2007年には、日本に7万人ほどだった中国の送り出し機関は一人あたり60~90万円の経費をとっている。
大分で働いていた中国人労働者は、時給300円、1ヵ月250時間の残業、月の基本給は5万5000円。そして、月に4万円が強制貯金されていた。年間休日は15日間。パスポートも貯金通帳も取りあげられ、携帯電話の所持も禁止され、自由に外部へ連絡することもできなかった。
こんなひどい労働現場は許せませんよね。
(2013年1月刊。1429円+税)
2013年2月15日
4つの「原発事故調」を比較・検証する
著者 日本科学技術ジャーナリスト会議 、 出版 水曜社
3.11から2年がたち、原発の恐ろしさが風化しつつあることに身震いする思いです。
今なお福島第一原発の核燃料がどこに、どういう状態で存在しているのか分からないうえ、大量の放射能がまき散らされているというのに、人間(日本人)って、本当に忘れっぽい存在なんですね・・・。
でも、忘れてはいけないことは忘れてはいけないのです。それは戦争体験を絶対に忘れてはいけないのと同じです。この本は、4つの原発事故調が発表した報告書を比較・検討したものです。
4つの報告書に共通するのは、原因の究明がはっきりしていないこと。誰が自己の責任をとるべきなのか、責任の追及が一切なされていないこと。どの事故調も、責任の追及をしていない。
私自身は、東電の社長たちの刑事責任が問われていないようでは日本の刑事司法は死んでいるのも同然だという考えです。いくら町の万引事件を摘発したところで、巨悪が栄えたたままでは、この日本社会は救われません。東電の会長や社長が実刑(終身刑)にならないようでは、日本の司法は正義の実現なんて言う資格はないと私は本気で考えています。
東電の事故調は、その責任者が東電副社長というだけであって、責任転嫁の羅列で一貫し、まったく期待はずれ。
国会事故調は10人の委員とスタッフが15億円の予算を使って167人にヒアリングし、640頁の報告書をまとめた。政府の事故調は、10人の委員と40人のスタッフを使って4億円の予算で800頁の報告書をまとめた。
放出した放射能はチェルノブイリ原発事故に及ばないが、福島第一原発はチェルノブイリとは違って、同時多発的に事故が起き、しかもチェルノブイリでは10日ほどで事態は収束したが、福島第一原発では長いあいだ放射能が放出され、収束の見通しが立たない状態が続いた。
大量の放射性物質が2号機から放出されたのは3月15日の午前7時から11時と午前1時から午後3時までの2回だった。とくに2回目の放出では、ガス状の放射性物質などが固まった放射性雲(放射性プルーム)が西方向から次第に北西方向へ流れていった。
原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長は、菅直人首相(当時)の福島第一原発視察(3月12日)に同行したとき「水素爆発は起きない」と説明した。あとで、斑目氏は、「ここまで悪化するとは思っていなかった。不明を恥じる」という反省の弁を述べた。
まさしく、デタラメな人物ですね。
今回の事故で前面に出た首相官邸は右往左往が目立った。それにもかかわらず、自民党は憲法を改正して、緊急事態には人権擁護規定を一時停止して、威厳令のように首相に権限を集中させて「乗り切ろう」というのです。まったくのごまかしですよね。
電力業界への官僚の天下りが原子力ムラの存在を強固なものにする。電力会社と当局のもたれあいが安全規制をゆがめ、エネルギーや原子力政策を偏った方向にもっていく、一部の政治家と電力会社とのつながりも深い。さらに、学者も原子力ムラの有力な構成員だ。
先日、九州電力の顧問3人の年間報酬が8900万円で、その取締役は35%カットで平均年収3500万円だと報道されていました。電気料金が高いのは、こんな超高額の取締役報酬のせいでもあるんですよね。生活保護の10%カットをやめて、こんな超高給取りの報酬なんて90%カットをすぐに断行したらどうでしょうか。
国会事故調は、東電に対して、「官邸の過剰介入を責めることが許される立場にない。東電こそ混乱を招いた張本人」だとして、反省を迫った。当然の指摘ですよね。
東電が3.11事故直後に「全員撤退」を考えたのかどうかについて、本書は考えていたに違いないとしています。私も、そう思います。「官邸の勘違い」などとは、とても思えません。
(2013年1月刊。1600円+税)
2013年2月 7日
危機のなかの教育
著者 佐貫 浩 、 出版 新日本出版社
子どもたちが取り組んでいる学習は、競争に生き残る訓練のための苦役と化している。そこで知識は、現実を批判的に吟味し、新たな社会のありようを探求する知恵や方法として働いていない。しかし、原発の「安全神話」をはじめ、生存権の剥奪や地球環境の破壊などに対する批判の目を子どものなかに育てることなしには、この時代閉塞を打ち破ることが出来ない。
新自由主義とは、単なる市場主義イデオロギーの自己運動でも、規制緩和という「自由化」が本質でもなく、巨大化した多国籍資本による国家権力の再掌握のもとで、国家政策と社会のしくみが、この支配者の意図にそって、強権的に組み替えられるその手法、しくみ、制度、理念の総体である。
日本の新自由主義のきわめて大きな特徴は、国民の生命と生活、日本の自然を、資本がただ自己の利益のための「鉱山」と「市場」として搾取、乱開発するだけで、その後に巨大な空洞、格差・貧困と環境破壊が出現してもお構いなしという姿勢であり、政府が企業集団にのっとられ、国家装置を動員してそういう新自由主義を一途に推進してはばからないという異常さにある。
新自由主義国家が、人権切り下げや国家主義の強制を進めるためには、この教育の現場に働いている人権意識や教育の自由についての感覚、そこから起こってくる新自由主義的教育政策への抵抗を突破しなければならない。その「抵抗勢力」を沈黙させる教員の服従態勢が必要となり、東京の石原都政はその露払いとして「君が代・日の丸」強制を行ったとみることができる。そして、学校教育の達成目標を国家や自治体が決定し、それをどれだけ達成したかを学校評価、学力テスト、教師の成果主義的な人事考課制度と給与への反映などによって、国家と行政が管理するという教育内容と教育価値達成への強力・緻密な評価制度をつくり出した。
今日の学校には、恐ろしいほどの非教育的で非人間的な、現代社会の論理を反映した、そしてまた学校に特有の隠れたカリキュラムが無数に組み込まれている。具体的には、競争に勝たないと人間らしく生きられない、学力・能力が低いのは本人や家庭の自己責任だ、人間の値打ちは学力で決まる、能力の低い人間は給料が低くても仕方がない、能力のないものはワーキングプアとしてしか生きられない。
これらは、能力がない→勉強ができない→自己責任→希望・誇りの喪失という自己否定を強要する意識回路をつくり出し、学力底辺に押しやられるものの人間としての誇りや希望を根底から打ち砕いてしまう。その恐怖が、また子どもたちを過酷な生き残りゲームへ送り込んでいく。どれほど多くの子どもたちがこの過酷なメッセージのなかで、自身を奪われ、未来への希望を喪失し、教室空間を死ぬほど嫌な場として耐え忍び、学校の時間を苦しみやあきらめをもって生きていることだろう。
新自由主義は、学校教育を競争的に再編するだけではなく、教室空間に浸透する「自己責任」と競争のメッセージとして、日々子どもたちに襲いかかってくる。
新自由主義は、つながりを奪い、セーフティー・ネットを破壊する。
いま学校に子どもを通わせている親たちは、1980年から2000年ころ学校に通っていた。その親たちの学校体験からすると、学力競争に勝ち抜いてきた階層は、学校を自己責任でサバイバルすべき競走場ととらえ、多くの挫折を経験してきた階層の親は、冷たく差別的な視線にさらされた場ととらえているのではないか。そして、その体験に、人間としての尊厳や学習権の実現を温かく支えてくれた学校や教師の記憶を求めることは難しくなっているのではないか。
いま教師が子どもに対する教育力を発揮できず、困難に直面している背景には、教師が人間として全力で生きられていないということがあるのではないか。教師は多くの場合、競争をあおり、未来への希望を奪いかねない自己責任社会を押しつける壁として、自分の弱さに悩んでいる子どもの悲しみを踏みつぶしていく社会の強者として、子どもたちの前に立ち現れているのではないか。
危機を危機として人間の感覚で受けとめる感受性を失った日本の大人が行動が、子どもをいじめや絶望や時には自殺にも追い込んできたのではないか。
教師の責務は、困難を抱えた者にたいしても希望を保障することであり、そのために子ども・若者の思いに寄りそって生きることである。
日本の教育をとりまく実情に鋭い考察を加え、対処法を示している本です。大変深い感銘を受けました。
(2012年8月刊。2200円+税)
2013年1月29日
暴走する地方自治
著者 田村 秀 、 出版 ちくま新書
先の衆議院総選挙において、市長や知事が本来の仕事を放り出して国政選挙に奔走し、それをマスコミも当然視していました。本当に問題ないのでしょうか・・・?
ほとんど市長としての仕事をしないのに給料は全額もらっていたようです(少なくとも返上したというニュースは私の知る限りありませんでした)。部下の市職員に対しては口やかましく職務専念義務を強調していたのに、まったく矛盾しているとしか思えません。こんな口先だけの政治家って、いやですよね。
暴走する首長たちがいる。東京・名古屋・大阪。そして、かつては鹿児島、阿久根市にも・・・。彼らは、国や地方議会、公務員などを抵抗勢力に位置づけ、単身、地方自治体の本丸に乗り込んで改革を進めているように演出する。そして有権者からの拍手喝采を受ける。こんな地方政治の劇場化は、いったい住民に何をもたらすのか、よくよく考えてみる必要がある。まことに同感な指摘です。
大阪の抱えている問題は、果たして地方自治体の構造をいじったくらいで、大阪経済が再生の道に向かうのか、根本的な疑問がある。大阪都市構想は、大阪を一つにすると言いながら、その中身は、大阪を解体することにある。もし道州制が導入されたら、大阪都構想は大阪を破壊するための単なる一里塚でしかない。これでは、「するする詐欺」ではないか。関西州が誕生したとき、神戸市や京都市はあっても、大阪都はなく、大阪は人口30万人から50万人に分割・再編され、大阪を代表する自治体は存在しなくなる。大阪そのものの解体である。いやはや、とんだことですよね。まるで詐欺商法でしょう。
名古屋市の減税プランによると、所得の低い層40万人には減税の恩恵はない。恩恵を受けるのは高所得の人のみ。
改革派首長は、たびたびマスコミに登場している。マスコミの側が積極的に取りあげている。視聴率を上げるためだ。抵抗勢力を明確にして対決姿勢を強めることは、マスコミに恰好のネタを提供することになる。
そして、彼らは外部からの人材登用に積極的である。ところが、政治的任用を乱発すると、組織のなかで軋轢を招きやすい。
テレビ局がワイドショーなどで好意的に扱ってきたのを改める必要がある。
ポピュリズムは、地方を、そして日本という国を滅ぼす。
東京大学工学部を卒業してキャリア官僚になり、いまでは新潟大学の教授になっている著者の話には説得力があると思いました。
(2012年5月刊。780円+税)