弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2013年11月21日

自衛隊にオンブズマンを


著者  三浦 耕喜 、 出版  作品社

現代の日本社会で自殺率の高い組織の一つが自衛隊だ。その数は年100人近くに達する。
 自衛隊は、その発足以来、戦場で誰も殺さなかった。また、隊員から誰ひとり戦死者を出さなかった。そのことは、世界の誇りをすべきことだ。ところが、その陰では、いく人もの自衛官がいじめやストレスの中で自死に追い込まれている。
 日本の防衛省は、省内に自殺対策の組織(防衛省「自殺事故防止対策本部」)を設けている。
 自衛隊の自殺率は33.3で、一般国家公務員の21.7より10ポイント以上も高い。これに対して、ドイツの連邦軍兵士の自殺率は7.5で、一般国民の11.5よりも低い。ちなみに、アメリカの兵士の自殺率は20.2。
 インド洋やイラクなどへの海外任務に就いた、のべ2万人近い自衛隊のうち、16人が在職中に自殺していた。
 このような自衛官の不幸を少しでも減らし、自衛官としての務めを憂いなく果たすことを促すため、「軍事オンブズマン」制度を日本に導入すべきである。これが著者の主張です。
 著者は前に『ヒトラーの特攻隊』(作品社)を書いています。この欄でも紹介しました。
ドイツでは軍事オンブズマンが兵士の悩みに寄り添っている。兵士自身も団結し、自分たちの思いを声にしている。さらに、軍の幹部自らが兵士に対し、自信の良心にもとづき、自分で考えることのできる人間であれと指導している。
 ドイツの軍事オンブズマンは、ドイツ連邦議会が任命する。
 ドイツ連邦軍の全施設に事前通告なしで立ち入ることができる。50人の専属スタッフが働いている。ドイツでは、兵士は、「制服を着た市民」と考えられている。
 軍事オンブズマンのもとへ、年間6000件もの苦情が兵士から寄せられる。
 軍隊は議会がコントロールするもの。議会による軍のコントロールこそ、軍事オンブズマンの要となっている。ドイツは国民男子に兵役義務を課している。
 ドイツには、兵士による団体「連邦軍協会」がある。会員は21万人。ストライキこそしないが、デモはやっている。
 日本の自衛隊とドイツの連邦軍は、どちらも25万人。ドイツ軍は、現在、世界11の地域に合計7000人の兵士を出している。アフガニスタンでは、これまで30人以上の犠牲者を出している。
 そう言えば、ドイツではありませんが、デンマークだったかと思いますが、アフガニスタンに兵士を派遣している状況が映画になっていました。『アルマジロ』というタイトルで、戦場の悲惨さが国内に伝わり、反戦気運が一挙に盛りあがったということでした。
 25万人の隊員をかかえる自衛隊について、もっとドイツのように民主化し、風通しの良い組織に変えていく必要があること、そして、それは必要だし、可能なことを教えてくれる貴重な本です。
(2010年7月刊。1800円+税)

2013年11月20日

内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ

著者  保阪 正康・東郷 和彦ほか 、 出版  角川ワンテーマ21新書

とても共感できる、大切な指摘がたくさん書かれている本です。とりわけ若い人に読んでほしいと思いました。
 国民が戦争を待望する心理を持つ状態になると、戦争好きな、そして自らの政策の失敗を隠そうとする政治指導者は、これ幸いに国民のそんな感情を厚かましく利用する。
 政治指導者が「戦争」という手段を選択したとき、それは、政治家として、国民の生命と安全を守るという基本原則を踏み外したわけで、失敗したということである。
 戦争は、ある日突然に起こるのではなく、社会的空気や雰囲気が次第に「平時」の持つバランスを欠く事態になり、軍事指導者は、それらを巧みに利用しながら、戦争へ導いていく。
 戦争とは、要は「敵国将兵」や「敵国民」の大量殺害を目的とする。しかし、敵国の人々を殺傷するということは、「敵国」から私たちも殺傷されるということ。お互いに殺傷をくり返し、その被害が大きい側、あるいは被害を通り越して壊滅状態に追い込まれた側が「敗戦」したことになる。
 戦争に進む道を歩んでいるときは、威勢のいい意見や声高に愛国心を説く者が、あたかもヒーローであるかのように見える。
 軍事的衝突を前提としない国づくり進めてきた国には、それに伴う国際社会での信頼と安心を与えてきたという事実がある。
 中国が気にくわないからといって、いたずらに互いの国民感情を挑発しあう言動をくり返すのは、戦争への意見の皮膚感覚を失った「右からの平和ボケ」以外のなにものでもない。
 いま、「愛国心」を叫ぶ人には愛はない。他人を非難し、攻撃するためだけに「愛国心」が使われている。
 日の丸・君が代を学校現場で強制するのでは、日の丸・君が代が汚れてしまう。
日本のマス・メディアは権力の愛玩犬(プードル)になりさがっている。本来の機能である監視犬の割合を果たしていない。
 前にも紹介しましたが、デンマークの映画『アルマジロ』がとりあげられています。アフガニスタンに派遣されたデンマーク軍の実情を従軍して取材した映画です。この映画をみたデンマーク国民の多くが、たちまちアフガニスタンへの軍の派遣に反対するようになったのでした。何しろ、「文明国デンマーク」の若者が、粗暴で残虐で野蛮な兵士になってアフガニスタンで人を殺している現実があるのです。そして、市民生活を悪い方向に追いやっているのです。これでは、反戦になるのも当然です。
 とても時宜にかなった本です。200頁たらずの本ですので、ぜひご一読ください。
(2013年6月刊。781円+税)

2013年11月17日

どっこい大田の工匠たち

著者  小関 智弘 、 出版  現代書館

日本のモノづくりも、まだまだ捨てたものではない。そう実感させてくれる心温まる本です。
 著者自身が大田の町工場で永く旋盤工として働いてきましたので、匠(たくみ)たちを見る目にはとても温かいものがあります。著者の本はかなり読みましたが、最新作のこれもおすすめです。
 大田区には自転車でひとまわりすれば、たいていの仕事ができるほど多様な技術をもった町工場がある。そこで、自転車ネットワークとか、路地裏ネットワークと呼ばれるネットワークが可能な町である。
たとえば、安久工機は従業員6人の町工場。ここで、視覚障がい者が指先でさわって「見る」ことができる絵を描ける触図筆ペンをつくって売り出している。
 全盲の子どもたちに、絵を描かせたり、絵のタッチを理解させることのできるペンだ。当初20万円したが、今では10万円で市販されている。すごいですね。かなり苦労したようですが、不可能を可能にする人間の知恵がうまく生きています。
 大田区の町工場がつくった「下町ボブスレー」は無償でつくりあげたものだが、全日本選手権試合(女子二人乗り)で、優勝した。
 大田区の町工場には、「菓子折りつきの仕事」というものがある。なんとか頼みますよと、菓子折りをつけて頼み込む。だから、技術的には難しいが、工賃は高い。そして、町工場は、時のたつのも忘れて仕事にのめり込んでしまう。
町工場の工場主(おやじ)さんたちのあいだには、「息子が後を継いでくれて良かった」派と、「息子に後を継がせなくて良かった」派の二つがある。そうなんでしょうね。みんながみんな生き残れるほど、きっと世の中は甘くないでしょうから・・・。
 町工場の技術は、ちょっと見学したりビデオで見たからといって、すぐに真似られるものではない。だから見学も、ビデオ撮影もOKという町工場があるそうです。驚きました。
町工場を生きるということは、理不尽を生きるということでもある。
いいですよね・・・。ここに登場する職人さんたちの話を聞いていると、なるほど努力と工夫で人間(ひと)は生き延びていけるものだと痛感します。
(2013年10月刊。2000円+税)

2013年11月15日

保守論壇亡国論


著者  山崎 行太郎 、 出版  K&Kプレス

私と同じく団塊の世代の著者は自称するところ強固な保守派です。その保守派からして、今の保守論壇の「思想的劣化」と「思想的退廃」は許せないと、厳しく弾劾しています。
 いまや多数派を形成しているのは「保守」であり、「右翼」である。かつては多数派は「左翼」であり、「革新」勢力だったが、今や変わった。
 昨今の保守思想家たちには、「作品」と呼べるような仕事、つまり業績がない。
 安倍晋三の政治家としての限界と悲劇は明らかである。あまりにも政治的言動が軽すぎる。その根本原因は、安倍晋三が妄信し、影響を受けている保守論壇や保守思想家たちにある。
 保守のイデオロギー化、理論化をすすめたのは、左翼から保守への転向組である。つまり、「遅れてやってきた保守」である。西部邁、小林よしのり、藤岡信勝など。彼らは左翼仕込みの手法をつかって、保守論壇の「左翼化」を推進した。その結果、保守の定義を題目のように唱和するだけで、保守として振る舞えるようになった。
 左翼論壇の思想的劣化と知的退廃という現実があったからこそ、保守論壇の思想的劣化と知的退廃は始まった。小林よしのりというギャグ漫画家が保守論壇をリードしてきたという事実が、まさしく、保守論壇の思想的な貧しさを象徴している。
 桜井よし子には、オリジナルな議論・主張は見られない。桜井は、保守論壇の多数意見、「偏狭なナショナリズム」を代弁しているだけにすぎない。桜井は福島みずほとの架空対談まで捏造した。これはジャーナリストとしての品格の問題である。流行の話題があるとすぐに飛びつき、専門家気どりの発言を繰り返すところに桜井の特徴がある。
 桜井には、はじめから現実や真実を見ようとする姿勢が欠けている。
 小林よしのりを、一時的にせよ、保守論壇のスターにしたのは西部邁だ。転向保守ほど、過激な保守思想に走る。西部にも、これが認められる。そして、西部邁には、代表作と呼べる作品がない。
 渡部昇一の書くものは、学問や学問的能力とは無縁のものだ。渡部昇一の昭和史は、受動史観である。受動史観とは、悪いことは、すべて他人の責任とするもの。中国が悪い。ロシアが悪い。アメリカが悪い。このように言いつつ、日本は悪くない。自分は悪くないと言いはる。
思考力の劣化とは、深く考えること、粘り強く考えることを嫌い、わかりやすさと単純明快な答えを求める。そこから、存在の喪失が始まる。
 抜粋して紹介しましたが、なるほどと思うところがたくさんありました。それにしても保守派論退の退廃はひどいものだと私も思います。
(2013年9月刊。1400円+税)

2013年11月13日

原発、ホワイトアウト

著者  若杉 冽 、 出版  講談社

現役キャリア官僚によるリアル告発小説と、オビにあります。
原発再稼働をめぐって、官僚と政治家たち、そして電力会社がどのように画策しているのか、目に見える形で日本の暗黒面をえぐり出しています。
 大衆は、原始人よりも粗野で愚かで、短絡的だ。
 原子力の値段には、廃炉の費用や交通事故対応のコスト、それから放射性廃棄物の処分コストが含まれていない。とはいっても、そうしたコストが現実に発生するのは遠い先のこと。将来どんなに費用がかかるといっても、それを現在価値に割り戻せば、たいしたことはない。
 大衆はきれいごとに賛同しても、おカネはこれっぽっちも出さない。
 国会周辺の反原発デモに集まっている連中の実態は、定職のない若者や定年後の高齢者が、やり場のない怒りをぶつけるステージに近いもの。
うむむ、官側には、このように見えているのですか・・・。
 マスコミは、社会の木鐸(ぼくたく)として、社会正義のために働く職業だと世の中からは認識されている。しかし実際には、社会正義の実現よりも、他者を出し抜く、あるいは広告をとって利益をあげることが優先されることが多い。組織の建前と本音は一致しない。
 「ホテルで秘書官らと夕食」と首相動静に書かれているとき、首相はホテルを抜け出して、報道されたくない会合に参加していることが多い。
 これを、自民党の某女性議員(大臣経験者でしたよね・・・)が首相の動静を書くなんてけしからん、守るべき国家秘密だと先日わめいていました。とても信じられない感覚です。
 メタル・フレームの眼鏡をかけた検事総長は、もともと神経質そうに見える小男だが、首相の前でさらに緊張して小さく縮こまっている。
今の検事総長は、私もよく知っている人物です。たしかに小柄ではありますが、なかなか肝のすわった人物だと私は見ています。
 優れた政治家というのは、頭が切れる必要はない。よく官僚に説明させて、それを正しく理解し、しばらくのあいだ記憶が保持できる。それだけでいい。日本国の総理大臣とは、その程度のもの。
残念ながら、その程度の首相の思い込みに今の日本は振りまわされています。
 原発の電気は、発電時には安いと称しているが、あとの放射性廃棄物の処分がいくらかかるか分からないという不都合な真実を、総理独自の情報源で入手し、官僚の説明と付きあわせて自分の頭で勉強するようなことはしない。
 安倍首相が自分の頭で深く考えるような人間でないことは、よく分かりますよね。言葉があまりにも薄っぺらなのです。
 電力会社は経費が政府によって非常に甘く査定されているので、経費が通常より2割高になっている。だから、取引先にとっては、非常にありがたいお得意様になる。そこで、この2割のうちの5分をまき上げて電力会社が自由に使えるお金とした。年間2兆円もの発注額なので、800億円という大金を電力会社は自由に使える。このお金で政治家を買収し、フリージャーナリストを雇う。そして、そのお金を使えば、電力会社にタテつくような人気のある県知事だってスキャンダルに巻き込むことも容易である。
 実際に、その大胆な手口が紹介されています。
 原発再稼働に向けて政官財の策動が激しくなっているなか、その実態をいわば内部告発した本として一気に読みすすめました。
 歴史は繰り返される。しかし、二度目は喜劇として。
 これは、久しぶりに出会ったカール・マルクスの言葉です。本書の冒頭にあり、びっくりしてしまいました。でも、本当にそのとおりですよね。現役のキャリア官僚が書いたということですが、この人の将来はどうなるのでしょうか。その決意のほども知りたいと思いました。
(2013年10月刊。1600円+税)

2013年11月 8日

赤い追跡者

著者  今井 彰 、 出版  新潮社

うまいです。おもわず、本の世界にぐいぐいと引きずり込まれてしまいます。
 エイズ患者の売血がアメリカから輸入された血液製剤に混入していた。それを知りながら原生省は見逃し、学者たちも見逃しに加担する。それを全日本テレビ取材班が駆け付けるのです。
 強奪、脅迫、色仕掛け・・・。取材のためなら手段を選ばないディレクターは、死んでいった罪のないエイズ患者の無念を晴らすため、厚生官僚、医学部教授、製薬会社がひた隠す秘密を暴いていく。
 ええーっ、これって、いま問題の特定秘密保護法案が成立したら、全部、違法行為として処罰の対象になるものではありませんか・・・。取材の自由とか報道の自由なんて、あくまでもイチジクの葉っぱで、何の役にも立ちません。警察が動いてしまったら、もう報道されず、記事にもならないでしょう。あとで、真実が明らかになっても、もっとも真実が明らかになる保障もありませんが、遅いのです。
 この本は、1994年にNKHスペシャルで放映された「埋もれたエイズ報告」が出来あがるまでを小説として再現したものです。どこまで事実に忠実なのかは分かりませんが、アメリカ発の汚染された血液製剤が日本に輸入され、血友病患者に患者を続出させた事実は重いと思います。
 それを官僚と御用学者そして製薬会社が共謀して知らぬ顔をきめこんでいたのですから、悪質です。それにしても、よくぞ取材班は真相を究明できたものです。ところどころに、良心のある人、罪の呵責に悩む人がいて助けられたこともあるようです。みんながみんな、自分のことしか考えているわけではないのですね。
 ちなみに、菅元首相が厚生大臣のとき、隠されたエイズ関連資料を厚生省から探し出したと発表して、一躍、時の人として脚光を浴び、さらに、裁判所の和解勧告を受け入れました。この人気をもとに、一気に菅は大臣から首相への道を手にしたのでした。あからさまなパフォーマンスでしたが、それでも和解を成立させたことは評価すべきなのでしょうね。
 どうやってマル秘資料を発掘していったのかが、この本の読みどころです。それこそ、脅迫、強奪、色仕掛けの数々が紹介されています。これでは、特定秘密保護法案の許す「相当な方法」とはとても言えません。きっと厳重処罰の対象になることでしょう。
 エイズ問題は、すっかり小さな話題になってしまいました。不治の病といわれていたのが、特効薬によって治る病気になったのも大きいですよね。
 NHKの番組として放映されるかどうかも、ドラマになっています。放映禁止の仮処分が申請され、NHK内部にも難局を回避して、放映の先送り論が出てきたのです。
 「きみは日本人を知らないね。日本人ほど、パニックになりやすい人種はいないんだ」
 「日本人は気質的に、パニック民族なのだよ。ことに自分たちが被害を受けるとなると、もう冷静さはなくなる。そうした国民を導いてやるのが、官僚や政治家の役目なのだよ」
 官僚と政治家は、私たち日本人をこのように見ているというわけです。まさしく、上から目線の、国民を馬鹿にした言い草です。とんでもありません。今、いちばん馬鹿げたことを言うのは国会議員に多いように思います。
 婚外子の相続分差別を意見とした最高裁判決について、これでは家族制度が守れないから無視しろという声が自民党内部に強いということです。おかしな話です。そんな低いレベルの人たちに日本の政治を任せておくわけにはいきませんよね。
著者は元NHKのプロデューサーです。前に『ガラスの巨人』(幻冬舎)という傑作を書いています
(2013年6月刊。1700円+税)

2013年11月 5日

ペンギンが空を飛んだ日

著者  椎橋 章夫 、 出版  交通新聞社新書

生き物のペンギンの話ではありません。電車・バス・地下鉄・モノレール、どこでも使えるようになった便利なIC乗車券が誕生するまでの苦労話です。
私にとっては、今でも不思議でなりません。なぜ、接触させることもなく、機械に近づける(かざす)だけで瞬時に見分けることができるのか、そして、いろんな路線を利用しても、きちんと清算できるのか。ナゾだらけのカードです。この本を読んで、読みとりには短波を使っていることが分かりました。
自動改札機の読みとり装置が電波を出し、ICカードが反射して通信するパッシブ方式。でも、ICカードが反応するには、何らかの電源が必要なのではないでしょうか・・・。
 そこで、電力を内蔵せず、通信ごとに電波で電力を供給する方式にする。すなわち、非接触式で、バッテリーレス。
 カードを読みとり機に少しでも「かざす」時間を長くするために考えられたのが「タッチ・アンド・ゴー」。つまり、カードを触れさせることによってカードの軌跡はV字を描く。直線的な動きより、本の少しだけ時間がのびる。このわずかな傾斜によって、歩行速度が減速して改札機を通過する。これはこれは、偉大なる発明ですよね・・・。
 技術的に解決するのが困難な課題を、「運用」で解決した。
電池を内蔵しないICカードは電波を使った電磁誘導で電力を供給するために、その電力は不安定になる。そのため、データの書き込み途中でチップが止まって書き込みができなくなったり、データ破壊が起こりやすくなる。
スイカ・カードにID機能は不要だという意見もあった。しかし、ID機能をつけたおかげで、その利用可能性は飛躍的に高まった。
2007年3月、スイカ・カードがJR、私鉄、地下鉄、バスで使えるようになった。スイカの運用開始は2001年11月。サービス開始から1年たたないうちに500万枚、2004年10月には1000万枚の利用となった。
 今では、スイカ・カードで買い物までできるのですよね。典型的にへそ曲がりの私は絶対使いませんが、自動販売機やコインロッカーを利用するとき、小銭のないときには便利ですね。でも、コンビニまで・・・・。
 今では、全国の列車、私鉄に通用するのですから、恐ろしいことです。スイカキャラクターはペンギン。飛べないはずのペンギンが空を飛んだ・・・。
(2013年8月刊。800円+税)

2013年11月 1日

ジェラシーが支配する国

著者  小谷 敏 、 出版  高文研

ついつい、なるほど、なるほど、と何度も頭を大きく上下させてしまいました。日本型バッシングの研究。こんなサブ・タイトルのついた本です。
 小泉純一郎や橋下徹のような政治家が熱狂的な人気を博してきた。彼らを英雄に仕立て上げたのは、安定した身分と収入と保障された公務員へのジェラシーである。だから、近年の日本を「ジェラシーが支配する国」と呼ぶ。
他人の不幸は蜜の味。人間は悪口を言うのが大好きな生き物である。悪口を言い合っているときには、強力な連帯感が生じる。
ところで、諸外国でバッシングの標的となるのは、政治家や経済人、「セレブ」と呼ばれる各界の著名人。ところが日本では、権力とマスコミメディア一体となって普通の公務員や生活保護受給者のような弱者を叩く構図がみられる。強者が弱者を叩くのが「日本型バッシング」の特徴である。子どもの世界に蔓延している「いじめ」は、大人の模倣である。
 1990年代以降の日本では、人々の所得は減少する一方。労働運動も市民運動も低調で、自分たちの力で社会を変えることはできないという諦観(あきらめ)に人々はつかれている。自分たちの生活を良くすることができないのなら、自分たちより少しでも恵まれた者を叩いて憂さを晴らすしかない。
 そして、為政者たちのあいだにも、スケープゴート(犠牲になる羊)を提供して人気とりに専心する「ポピュリスト」がはびこった。
 日本型バッシングの主役はテレビだ。テレビの世界から政界に躍り出た橋下徹は「巨大な凡庸」を地で行く人間だ。公務員たたきも、競争中心の教育改革も反原発もベーシックインカムも、俗耳に受けそうなことは何でも自らの政策として橋下は取りあげていく。インターネットは、テレビ的な凡庸さを増幅する役割を果たしている。
 日本人は「世間」から後ろ指をさされ、つまはじきにされることを何より恐れている。
 「週刊新潮」は、日本文化の特異性を象徴する存在である。
オレオレ詐欺がこれほど現代日本に多いのは、「自分の夫や子どもが、いつ間違いを犯しても不思議ではない」という「存在論的不安」を多くの人たちが抱えているからに他ならない。
 「存在論的不安」につかれた人々は、「諸悪の根源」となっている悪魔のような存在を探し求め、それを叩くことに熱中する。「悪魔」として名指しされた人たちを叩くのは、面白くもないことが続く日常のなかでの恰好の憂さ晴らしになるし、「諸悪の根源」を叩くことによって自分が正義の側に立っていることが確認できる。このようにして、バッシングに加わることで、フラストレーションだけでなく、「存在論的不安」も解消される。
ネット上の右翼的言辞の多くは、まじめな政治的信念にもとづくものというよりは、盛りあがるための「ネタ」であり、ネット右翼を特徴づけるのは、狂信的なナショナリズムではなく、理想をあざわらうシニシズム(冷笑主義)である。
自分自身が苦痛を味わっている人間は、他人の苦しみをみることを渇望している。なぜなら、他人の苦しみをみることによって、自らの苦しみを忘れることができるからである。
他人が苦しむのを見ることは快適である。他人を苦しませることは、さらに一層快適である。これは、一つの冷酷な命題だ。しかも、一つの古い、力強い、人間的な、あまりに人間的な命題だ。
 公務員に対する人々の激しい敵意が目立つようになったのは、民間の給与が下がり続け、人々の雇用が不安定になった「失われた10年」(1990年代)以降の傾向である。
 小泉純一郎を支持したのは、若者ではなく、中高年だった。そして、若者たちの中でも小泉を支持したのは高学歴層だった。「勝ち組」となることに希望をつなぐ層が小泉に投票した可能性が高い。同じように、橋本支持の中核を成しているのは、新自由主義的競争と経済のグローバル化の受益となりうると考えている人たちである。
橋下徹の言動には、驚くほど独創性がない。橋下は、「創造の人」ではなく、「模倣の人」なのである。その政策も「凡庸」という印象が強い。
 大変に歯切れの良い日本社会の分析です。読んでいて、胸がすっきりしてきます。ぜひ、あなたもお読みください。
(2013年4月刊。1900円+税)

2013年10月29日

ウェブ社会のゆくえ

著者  鈴木 謙介 、 出版  NHKブックス

彼女(彼)とのデート中に、別の人物とのネットに夢中になるという話が出ています。
 二人で食事をしているときに、テーブルのうえに携帯電話を置くことすらマナー違反だ。二人でいるのに、他の人とも「つながりうる」状態が維持され、それが自分の前に提示されていることが不愉快なのだ。もちろん、そうですよね・・・。
 私の若いころにはありえなかった話です。学生のころ、下宿先の電話はかかってきたら大家さんが呼んでくれるのです。つまり、一家に一台しか電話はなく、間借り人は大家さんから呼ばれて初めて電話に出て会話が出来るのです。ともかく、会って話すことが何より欠かせませんでした。
 ところが今では、人との対面接触はテクノロジーを介したつながりに取って代わられ、生身の人間に対する興味が失われつつあります。
 現実の多孔化(たこうか)。現実空間に情報の出入りする穴がいくつも開いている状態のこと。生理的な距離の近さと親しさの関係が不明瞭になると、ある空間に生きる人々が、ある「社会」の中に生きているという感覚もまた、確かさを欠くものになるのではないか・・・。
 「セカイカメラ」は、画面にうつし出された場所に関する情報(エアタグ)をふわふわと中に浮いているかのように表示するアプリだ。
 テレビ、新聞、雑誌、そしてラジオという、いわゆる「四大媒体」の広告費は、軒並み右肩下がりである。これに対して、インターネット広告費だけが右肩上がりの成長を続け、今では新聞を抜き去る勢いである。
 我々は、ソーシャルメディアを利用させてもらう代わりに、個人情報を売り渡している。
 我々が直面しているのは、我々自身に関する「データ」が監視される社会である。
高級料理店で食事をとるとき、食べる前に写真をとって、それを自分のブログにのせることが流行している。でも、これもマナー違反として、高級料理店では禁止されている。
 ええっ、ちっとも知りませんでした。私の知人で、それをして好評なブログがあるのですが・・・。
 生身の人間同士のぶつかりあいの体験に乏しいと、現実の日本社会において生きていくのはとても難しいことです。それが分からないまま(実感できないまま)、実社会に出ている若者が増えている気がします。恐ろしいことです。
(2013年8月刊。1000円+税)

2013年10月25日

里山資本主義

著者  藻谷 浩介・NHK広島取材班 、 出版  角川ワンテーマ新書

タイトルを見ただけでは何のことか分かりませんが、要は日本の山林を見直せば、原発にたよらなくても日本はやっていけるという話です。なるほど、と思いました。
 浜矩子・同志社大学教授は、グローバル時代は強いものしか生き残れない時代だという考えは誤りだと指摘する。グローバル社会をジャングルと見て、そこでは弱肉強食の生存社会しかないという固定観念は、実は成り立たないもの。ジャングルには強いものだけがいるのではない。百獣の王のライオンから小動物たち、草木、果てはバクテリアまでいる。強いものは強いものなりに、弱いものは弱いものなりに、多様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代なのだ。
なーるほど、よく考えれば、そうですよね・・・。
新しい集成材、CLT。直角に張りあわせた板。通常の集成材は、板は繊維方向が平行になるように張りあわせているが、このCLTでは、板の繊維の方向が直角に交わるように互い違いに重ねあわせられている。これによって、建築材料としての強度が飛躍的に高まる。いま、オーストリアでは、このCLTによる木造高層ビルが建てられている。
 CLTで壁をつくり、ビルにしたところ、鉄筋コンクリートに匹敵する強度が出せることが判明し、2000年に法改正があって、今ではオーストリアでは9階建までCLTで建設することが認められている。
 オーストリアだけでなく、イギリスのロンドンにも9階建てのCLTビルがある。耐火性機能も十分で、CLT建築の一室で人為的に火災を発生させたところ、60分たっても炎は隣の部屋に燃え広がらないどころか、少し室温上がったかなという程度だった。
日本でも、このCLT建築に光があてられようとしている。
 日本の里山にある木くずをペレットにして、そこから発電してエネルギーをまかなう試みがすすんでいる。コストパフォーマンスはすこぶるよく、灯油と同じコストで同じ熱量が得られる。そして、エコストーブが普及しつつある。
 憲法に「脱原発」を明記して原発を全廃したオーストリアでは、今や木材資源がフルに活用されている。
 木材ペレットを個人宅あてに供給するタンクローリーまである。そして、オーストリアでは木材の管理を徹底させ、むしろ木材面積がどんどん増えている。
 これは、日本でも学び、行かすべき方向ですよね。
 「限界集落」というコトバが流行している日本ですが、このように山里の可能性を見直す取り組みが始まっているのを知り、少しばかり安心しました。
(2013年9月刊。781円+税)

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