弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2013年7月15日

植田正治の写真と生活

著者  増谷 和子 、 出版  平凡社

戦前から写真家として有名だった父親の姿を愛娘カコちゃんが親しみを込めて紹介しています。ほのぼのとした情景が目に浮かんできて、読んでいるうちに、じわりと心が和みます。どこかしら憎めない雰囲気の、ほのぼのとした写真が、また実にいいのですね。本当に写真が好きで好きで、たまらない、そんな気分がよく伝わってきます。
 鳥取県は西の端、境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるで有名ですが、同じ境港に生まれ育った写真家です。
祖父の家は履物屋、年末になると、お正月におろす新しい下駄を買いに客が押し寄せ、朝6時から店の前に行列をつくる。
 12月29日は、お正月の準備は何もしてはいけない日である。
 写真館は、正月は忙しい。家族写真をとろうという人が詰めかける。
 いまの境港はひっそりしているが、戦前までは大いに栄えていた。美保関とあわせて、北前(きたまえ)船の寄港地であり、朝鮮半島を窓口にした大陸貿易の拠点でもあった。だから、新しいものや珍しいものがどんどん集まった。
 父・植田正治は新しいもの好きだった。境港で初物を買って、自慢にしていた。祖父は父が東京の美術学校へ行くのを阻止した。代わりに舶来カメラを買ってやる。それでも、東京の写真学校に入学した。1932年のこと。5.15のあった年ですね。
 そして、19歳で境港に「植田写真場」の看板を揚げて開業したのです。とびきりハイカラな西洋風の写真館でした。日曜日になると、3軒先まで写真を撮ってもらおうという人々の行列ができた。予科練があり、訓練生(水兵)たちがよく来ていた。
徴兵検査で2度も不合格となって命びろいをしました。背が高くて貧弱な身体をしていたためです。不幸が幸いするのですね。終戦になって、ますます元気に写真をとりはじめました。
鳥取・大山(だいせん)の麓に植田正治写真美術館があるそうです。個人名のついた写真美術館は日本初だったそうです。ぜひ行きたいと思いました。なつかしい日本の風景を撮った写真が堪能できそうです。
(2013年3月刊。1800円+税)

2013年7月14日

改憲と国防

著者  柳澤協二・半田滋ほか、 出版  旬報社

日本の防衛政策について語るときに必ず登場するアメリカ人として、アーミテージがいます。この本では、次のように指摘されています。
 マーミテージ元アメリカ国務副長官はもう過去の人物だ。そうかもしれませんが、それにしては日本の大手マスコミは依然としてもてはやしていますよね・・・。
 2006年12月の自衛隊法改正によって、海外活動が国防に準じる本来任務に格上げされた。
海外派遣の司令部である「中央即応集団」が2007年3月に誕生した。国際活動教育隊はその支配下にある。
自衛隊の海外活動は国際緊急援助隊を含めると28回、のべ4万人の隊員を派遣した。
 現在、自衛隊の海外活動は、アフリカ大陸の二つの活動のみ。南スーダンに陸上自衛隊、ジブチに拠点を設けて海上自衛隊はソマリア沖の海賊対処に取り組んでいる。
 日米同盟をベースにした自衛隊の任務の拡大は先が見えなくなっている。何のために自衛隊を出すのか、非常に混迷した状況にある。
 アメリカの海兵隊が沖縄に駐留することの利点は、思いやり予算による安上がりの経費にある。海兵隊は機動性にすぐれた即応部隊であり、いざとなればアメリカ本国から世界のどこへでも展開する体制になっている。
 海兵隊は、沖縄にいて日本を守るための存在ではなく、アメリカのアジア戦略にもとづく活動を沖縄から展開している。
 日本がアメリカにいつまでも頼っていていいのか、疑問を深めることができる本です。
(2013年7月刊。1400円+税)

2013年7月 9日

国防軍とは何か

著者  石破茂、森本敏、西修  、 出版 幻冬舎ルネッサンス

北東アジアは、今日、深刻な核の脅威にさらされている。朝鮮半島問題は、中国問題である。もっとも深刻なリスクは、中国の軍事力を背景とする勢力拡大や北朝鮮の核・ミサイル開発である。
日本の同盟協力・領域防衛・邦人保護などの面で、防衛力の活動が限界に直面している。
日本の自衛隊は、国際社会では軍隊として扱われていながらも、国内では軍隊ではないという状況が60年以上も続いている。これを速やかに脱却して、国家防衛のための軍隊である国防軍を保有し、軍隊としての態様を整え、軍隊としての権限を与えるべきだ。
これが著者たちの主張です。私には、危機をあおって、ともかくフツーに海外に出かけて人殺しのできる軍隊にしようという呼びかけだとしか思えませんでした。なぜ、そんな人殺しを本務とする軍隊にしなくてはいけないのか、説得的とは思えないのです。
原子力発電所(原発)がテロリストに狙われたらどうするか、という指摘もなされています。私も、その点は真剣に心配すべきことだと思います。ところが、その対策は具体的に何も示されません。テロリストが、9.11のようにジャンボ・ジェット機を乗っとって原発に突っ込んだら、日本列島はアウトです。これは原発が休止中であっても、その危険性には変わらないのに、まともな核シェルターがないということだけが取りあげられ、問題の本質をそらしています。
石破議員(自民)は、橋下徹・大阪市長(維新の会代表)の従軍慰安婦に関する発言を厳しく批判しています。
「このとんでもない発言は、政治的にはリカバリー不可能だ」
「あの発言で、日米同盟のために尽力している人が、どれだけ大変な目にあったか。国家にとって、本当に大きなマイナスを与えた」
「政治家として発言する以上、周辺諸国やその国民がどう受けとめるかについて、外交上政治上の配慮があって然るべきだろう」
「日本だけがフェアに扱われていないという橋下の弁明は、いくら繰り返したところで、日本が過去にやったことを正当化できるものではないし、免罪もできない」
「橋下発言があってから、アメリカには、この時期に日本が憲法改正をやることは、東アジアの緊張をさらに高めることになるから反対だという考えの人が増えている」
いまの自衛隊が、本当に軍隊として機能するのかと問われたら、ノーと言うほかはない。今の自衛隊は、実は、大きな警察なのである。国際的な標準からみると、自衛隊は軍隊ではない。「自衛隊」という日本語には、自分たちの国を守るだけで他国を攻撃する組織ではないという意味をもたせてきた。自衛隊は、その出自からして、見た目は軍隊、中味は警察だった。自衛隊は、軍事力をもつ実力組織と言いながら、実際には主として、国内の治安と安定を維持するための組織として育てられてきた。
国民のほうも、自衛隊に対して、災害救助などの役割を強く求めているのが実際だ。災害派遣や国外での災害救援・国際平和維持活動に盛んに従事し、その実績を見て自衛隊を判断し、また、そういう面に国民は期待している。
自衛隊は、できる法で定められていること以外ではできない。現在の自衛隊は、自衛隊法などで、がんじがらめの状態になっていて、これで本当に戦闘力を発揮できるのか。
自衛隊の装備と能力はどんどん向上して、どこからみても「軍隊ではない」とは言えない。自衛隊はイラクのサマーワに行っていたとき、その基地をイギリス軍とオーストラリア軍に守ってもらっていた。
国防軍をつくるというのは、単なる名称の変更ではない。自衛隊が、軍隊になりきっていない、それがいま、現実の前で行き詰まっている。
果たして、本当にそう言えるのでしょうか・・・。
戦後、戦死者ゼロを自衛隊は強調しているが、集団的自衛権を行使することによって、他国の軍隊と同じリスクに直面することになる。真の軍隊というのは、そういうものだ。覚悟しなければならない。
今の自衛隊には、いわゆる軍法も、軍事法廷も、軍事裁判もなく、捕虜収容所もない。これでは真の意味での軍事活動はできない。
自衛隊が「国防軍」に変わるというのは、単なる名称変更ではないということがそれなりに分かる本です。批判的に熟読すべき本です。ご一読ください。
(2013年6月刊。857円+税)

2013年7月 4日

教える力

著者  井村 雅代 、 出版  新潮社

思わず息を呑む迫力、そのすごさにたちまち圧倒されました。
 私と同じ団塊世代の「鬼」コーチの女性の話には、いちいち、なるほどなるほどと深くうなずくばかりです。
たとえ世間的に高名であっても、実力が低いと出場メンバーから外してしまう。そして、問われると、本人に「あなたが下手だったからよ」と率直に告げる。スポーツは結果がすべて。そのことを肝に銘じた40年間のコーチ人生が語り尽くされています。
 私も弁護生活が40年になります。ここまで言い切れるほどの自信はありませんが、それでも、言わなければいけないことは言っているつもりです。
私はテレビを見ませんし、オリンピックも見たことがありません(見るスポーツは私の関心外なのです)。だから、水泳のシンクロナイズド・スイミングも見たことがありません。
 著者は、そのコーチになって40年。選手たちをただシゴくのではなく、選手を目的地に連れて行って、そこで最高の演技をさせることのみを考えている。
だから著者は、あの橋下徹を痛烈に批判しています。橋下のパフォーマンスによって子どもたちが傷つけられるのは許せないし、現場無視はひどいと弾劾します。まったく同感です。マスコミの前に出ると、橋下徹はコロッと豹変するのです。
 選手をのばすためなら、叱ることも怒鳴ることも、日常茶飯にやっている。しかし、どんなに大声で怒鳴っているときでも、常に頭のどこかで冷静に選手の状態を観察している。
 著者は、日本代表コーチとして6回、中国のヘッドコーチとして2回、連続8回、すべてのオリンピックで、メダルを獲得した。これはすごいことです。すごすぎて声も出ません・・・。
中国のヘッドコーチになるときには、日本側から、「裏切り者」とののしられたとのこと。困ったことですね。これって、心の狭い人の言う文句でしかありません。
 シンクロ選手に走らせてはダメ。シンクロの基本は水中の無重力のなかで自分の軸をつくることなのだから、思い筋肉をつけたらダメ。そうではなくインナー・マッスルをつける。そのため、マット運動とマシンのトレーニングを徹底してやる。マシンで早歩きして、脂肪を落とす。そして、ウエイト・トレーニング。
選手の心をとらえるには、ただ上から命令しているだけではダメ。ときには自分も選手のところまでおりていって一緒に努力する。自らが身をもって示すことで、言葉による厳しい要求も説得力を増す。朝の8時半から、夕方7時半まで、お昼ごはんを入れても、一日9時間の練習をする。
 中国の選手は、省同士の争いがきつい。「オール中国」の意識をもたせるのは大変だった。
選手と向きあうときに一番大切なのは国の違いなんか関係なく、心がつうじあうこと。そして、心が通じ合うためには、自分が嫌われることを怖れてはダメ。嫌われることを怖れず、分かりやすい指導者になることを目ざす。
 選手から絶対的な信用を得るためには、ここぞと思うときに「鬼」になれなくてはダメ。選手から試されなくなるまでが、コーチのたたかいだ。
選手を信用させるのには、なんといっても指導者(コーチ)の情熱だ。かといって、熱心さのあまり、がんじがらめに追いつめて、選手をダメにしてしまったら、元も子もない。コーチの難しさは、そこにある。この選手には、いま逃げ道が必要だと思ったら、ぱっと救いの手を差し伸べてやる。
気の弱い選手がいる。大きな試合では致命的な短所になる。それを克服するためには、いろんな試合に出させて、勝たせる経験が必要だ。選手の心に芽生えた恐怖心を取り除いてやる必要がある。
試合の直前、必要なのは体力の温存よりも自信。何ものをも怖れない、攻める気持ち。そのためには、徹底して練習する。何か心配事があるときには、一人にしてはダメ。誰かと一緒にいると、気が紛れる。プレッシャーとか緊張は、とことん味わって、そこを突き抜けるしかない。
 他人(ひと)を感動させるためには、まず自分ができる人にならなければダメ。
競争の原理のない集団と、リーダーに目的とする具体的な策のない集団は、必ずダメになる。結局、選手に一番大切なのは、「心」だ。心の才能が必要。心の才能がなかったら、選手はうまくならない。緊張しなければダメ。大きな試合の前の「心地よい緊張」は絶対に必要だ。
 著者、井村雅代は圧倒的な、信念の人である。
 ところが、小学生のころは、大人しく真面目な性格で、運動も鈍(どん)くさかったという。人は変われば変わるものなんですね。
あなたに一読を強くおすすめします。元気が出てくる本です。
(2013年4月刊。1200円+税)

2013年7月 2日

秘録・核スクープの裏側

著者  太田 明克 、 出版  講談社

外務省トップの事務次官・駐米大使を歴任した村田良平は回顧録のなかで、アメリカ軍の核搭載艦船の通過・寄港を日米事前地議の対象外とする日米間の「秘密の了解」つまり密約があることを明言した。さらに、「事前地議」のない限り核の持ち込みはない」としてきた歴代・自民党政府の国会答弁は「虚偽」だったと告白した。
 1963年3月。ケネディ大統領に対して、海軍ナンバー2は次のように報告した。
 「1950年初期から日本に寄港した航空母艦にはいつも核兵器が搭載されている。太平洋に展開する空母機動部隊を構成する駆遂艦や巡洋艦も同様に核装備している」
 核が日本の港や領海に持ち込まれていたのは明らか。なのに、自民党の歴代政権は「事前地議の申し出がアメリカ側からない限り、いかなる核の持ち込みもない」とのウソをつき続けた。
 安保条約が改正される前の旧日米安保条約の下では、アメリカが日本に核兵器を持ち込むことに何の制約もなかった。アメリカ軍の核搭載空母オリスカニが1953年秋に初めて横須賀に寄港したのを初めとして、1950~1960年代にかけて核搭載艦船の日本寄港は常態化していた。
 この核密約は、まぎれもなく官僚主導で管理・継承されてきた。外務省が信頼して真相を報告していた首相・外務相は限られていた。橋本龍太郎・小渕恵三は報告を受けていた。
核巡航トマホークは、あまり信頼性のおける兵器ではなかった。トマホークの複雑な誘導システムには問題があったが、GPSを使ったトマホークもいくつか軌道をはずれた。
 アメリカは敵国のジャミング(通信妨害)を恐れて、核攻撃時にはGPS機能を使わないことにしている。だから、太平洋や日本海に展開するアメリカの攻撃型潜水艦から核巡航トマホークが発射されたとき、いくつかが日本や韓国に間違って打ち込まれる事態もありうる。これは笑い話ではない。
 2013年3月時点で、アメリカが保有する作戦に作用可能な核弾頭5000発のうち、長距離型の戦略核は1737発。短距離型の戦術核200発と配備されていない予備用がある。ロシアの方は1492発の戦略核と、2000発の戦術核を保有している。中国の核戦力は240発。
沖縄に初めて核兵器が搬入されたのは1954年末から1955年初頭にかけて。沖縄に貯蔵された核兵器は多種多様だった。18種類もの核兵器が1972年の本土復帰まで配備されていた。
 1967年段階で、アジア太平洋地域にアメリカは3200発もの核兵器を陸上で貯蔵していた。沖縄には、その3分の11300発があった。韓国に900発、グアムに500発だった。
日本の歴代政治指導者とそれを支える官僚組織は、みずからの核保有オプションをあきらめ、その代わりに同盟の盟主であるアメリカの核戦力に国防の根幹を委ねる国策をとり、「核の傘」を、しぶしぶと言うよりは、能動的かつ主体的に受け入れてきた。
 核密約問題の底流には、核兵器の所有者はあくまでアメリカだが、世界唯一の戦争被爆体験をもつ日本が、盟主の「核パワー」と核抑止力論を前提とした国防政策にどっぷり漬かり続けてきた。日米は軍事的な意味あいにおいて、まずまぎれもない「核の同盟」なのである。
 共同通信記者として長年にわたって取材してきた執念を感じることができました。
(2013年4月刊。1700円+税)

2013年6月30日

建築家、走る

著者  隈 研吾 、 出版  新潮社

この忙しさは半端ではありません。世界をまたにかけて飛びまわる毎日です。よくぞ、これで身体がもつ、と本を読みながら不思議な思いに駆られました。
 設計のプロセスは悩みと迷いの連続である。しかし、プレゼンテーションの場では、悩みや迷いは一切見せない。いつでもストレートに言い切って、相手を安心させる。
 建築家は、設計競技(コンペティション。コンペ)への参加の依頼を受ける。その戦いに参加して選ばれないと仕事は始まらない。今では一年中、そういうレースに駆り出されている。いってみれば、毎週レースに出なければいけない競走馬みたいなもの。今、建築家は、そんな状況に耐えられる精神力、体力がないとやっていけない職業になっている。
 レースに引っぱり出されなかったら仕事がない。仕事がなかったら、事務所も自分もつぶれる。つぶれないために、休みもなしに走り続ける。そういう過酷な場に引き出されている。いやはや、大変な職業ですね。
中国政府が景観デザインに厳しくチェックするのは、政府によるバブルの延命策そのもの。中国で一番もうかるのは、それはデベロッパーが大規模な開発をして、不動産価格を上昇させること。ただし、不動産価格があまりにも急激に上昇してバブルになると、民衆の不満がたまって政情自体が不安定になる。中国政府はバブルを破滅させるわけにはいかないし、かといって野放しにするわけにもいかない。そこで、不動産業界に一定の規制をかけて、バブルをスローダウンさせながら維持するという微妙なコントロールが必要になる。
 いまの中国政府の最大課題は、バブルを柔らかくコントロールする方法である。さすがに官僚国家を何千年もやっているだけに、中国の役人は自分たちへの利益誘導が巧みだ。利益誘導といっても、露骨で分かりやすい方法はとらない。量から質へという転換のプロセスの中に官僚の利権も隠れていることを自覚している。世界がテーマとしていることが、結局は、利権獲得の最短の道筋だと理解している。うひゃあ。そんな見方ができるわけですね・・・。
 中国には、そもそも客観的基準というものがない。それぞれのプロジェクトごとに政府に申請し、担当の役人とネゴする。ネゴをベースにすると、そのネゴから役人の利権が無限に生じる。そのネゴのプロセスを通過してはじめて建築を実現できる。タフでハードボイルドな世界がある。めんどくささ、屈辱にめげず、ニコニコし続けていないと、」中国では通用しない。
 中国は、あらゆる民間企業がオーナーカンパニーである。これに対して、日本はサラリーマン機構であって、リスク回避システムとなっている。中国では、酔わなければいけないけれど、崩れてはダメ。その微妙なバランスが一番大事。中国は飲酒が打ち上げではなく、ゲート。この面接試験をうまくパスしない限り、前に進めない。中国は基本的に私情よりも論理を大切にする。
 アメリカの建築界はユダヤ人が掌握している。国際レースの仕掛け人は、ほとんどユダヤ人。ニューヨークでは、金融界と同時に、メディア界もユダヤ人が押さえている。これは実は法曹界についても言えることです。有力(有名)な弁護士の多くがユダヤ人です。
 これからもっとも注目すべきは韓国だ。このところ、韓国は世界のプロジェクトで連戦連勝している。日本人は、のどかな田舎の村で、こたつに入ってぬくぬくしているようなものだ。著者は、歌舞伎座改築に関わりました。まだ見ていませんが、ぜひ見てみたいものです。
 著者は大手の設計会社、そしてゼネコンにそれぞれ3年ずつサラリーマンとして働いています。そのあと、アメリカに渡って勉強しました。
ディベート教育で建築を教えている限り、アメリカに将来はないと直観した。
 著者が世界を飛びまわっているのは、現場を見てみたいから。ナマのもの、ナマの人、ナマの場所に出会いたい。旅行しないと絶対にナマの声には出会えない。
 2泊3日でフランスに行って、日本にいったん戻った翌日にまたフランス入り。翌日からイタリア、そしてクロアチアでそれぞれ2泊して帰国。その次の週はチリ、アメリカ、カナダのあと、アルバニアとマケドニアに1泊ずつで移動して、早朝に関空着で帰国。昼は奈良の現場を見て、大阪で打合せをして、夜は京都で講演会、最終の新幹線で東京に帰り、翌早朝に中国へ出発。なんという超過密スケジュールでしょうか。人間わざとは思えません。
 著者はパソコンをもたない。パソコンをもたないからこそ、自分を保てている。出先にもっていくのは、お財布とiPodとガラケー(スマホではない)。
 スタッフは、報告しない人はダメだが、報告が長すぎる人もダメ。
圧倒されてしまいます。私より6歳も年下ですが、その行動力に息を呑みました。
(2013年5月刊。1400円+税)

2013年6月21日

卒業式の歴史学

著者  有本 真紀 、 出版  講談社選書メチエ

卒業式のとき、起立して君が代を斉唱させることを義務づけ、教師や生徒が本当に歌っているか口元チェックするなんて、まるでバカバカしいマンガですよね。それを言い出した石原慎太郎や橋下徹って、まるで軍人養成所の教官でしかありません。そんなことをしていたら、日本はお先まっ暗だと思います。ここは、みんな違って、みんないい、という金子みすず方式いくべきではないでしょうか。教育に一律全員強制はなじみません。
 この本は、日本の卒業式が、かつては地域の人々の集まるお祭でもあったこと、伸び伸びと生徒本位でやられていたことを明らかにしています。
 学校は、原則として泣くことを禁じられた空間である。そして、学校の中で泣くことが望ましいとされる場面、みんなで泣く場面を代表するのは卒業式をおいて他にない。
 義務教育段階の卒業式にあたって特別なセレモニーのない国は多い。日本の卒業式には特有の学校文化がある。
 日本では、卒業式は社会的な期待にそって心をこめるべき事態であるという規範と、その規範に従う方法が、あらかじめ繰り返し教えられる。式の参加者が感動を共有することを目ざして児童への働きかけが行われ、式当日には演出と練習の結果が観客の前で演じられる。
 天皇の存在は、明治10年代前半と明治20年代以降では同一ではない。憲法、教育勅語などによって他の権威の追随を許さない絶対的イメージを付与され、神格化される前は、天皇は巡奉し、写真や肖像だけでなく、実際の姿をみせることによって、自ら権威を獲得していく途上にあった。明治初年まで、国民にとって天皇は見えない存在であった。だから、臣下を可視するだけでなく、天皇も一度は見える存在になる必要があった。
 明治14年の東京大学の卒業式は夜7時からだった。まばゆいばかりの光のなかで行われた。卒業式は、大学という場所を学外者に示す機会でもあった。
 現代のように、新入生がそろって式に臨む形の入学式が行われるようになったのは、明治30年前後のことだった。それまでは個人的な儀礼でしかなかった。学年をいくつかの期に区分して始業式、終業式としたのは明治30年代半ば以降だった。卒業式は卒業証書授与式というように、もともとは、卒業証書授与のためにはじまった行事である。
 公立小学校の卒業式として記録されている初めは、明治13年(1880年)7月20日の東京(京橋区、下谷区)の小学校の卒業式である。式手順まで記録されているのは明治19年(1886年)12月の開智学校の卒業式である。明治10年代来から20年にかけての卒業証書授与式は、運動会と並んで、地域の参観者を集める二大学校行事であった。
 さまざまな教育内容の公開を含んだ卒業式は、住民にとって、学校にとっても重要なイベントだった。娯楽と啓蒙の要素を備えた盛大な卒業式は、人々が心待ちにするような行事であった。
明治25年(1892年)から小学校は、全国的に4月1日始まりと統一された。
 明治20年代前半には、どの小学校でも卒業式は自校での単独開催となっていた。卒業式には教育幻灯会がつきものだった。
 明治20年代半ばをすぎると、卒業式の多様性は急速に失われ、娯楽と啓蒙の要素は排除された。そして、式は短くなった。明治30年代前後には全国的に式次第が定型化した。
 明治末(1910年ころ)には、生徒が主体とした卒業式もあった。生徒を式場の真中に並べた。
生徒を主体とする卒業式が当然だと思いますし、実際にも、ずっとやられてきました。ところが、最近では卒業生は単なる客体でしかない儀式に化しています。こんなのおかしいと私は思います。もっと自由にのびのびやりましょうよ。自由なパーティー形式でいいではありませんか。お祝いなんですから・・・。
(2013年3月刊。1600円+税)

2013年6月14日

安倍政権と日本政治の新段階

著者  渡辺 治 、 出版  旬報社

2012年12月の総選挙で自民党が圧勝し、それによって誕生した安倍政権への支持率は7割近いという高い支持率を誇っています。しかし、この本は、その自民党「圧勝」は実は「幻」でしかないことを明らかにしています。「落日」の前に「栄華」に過ぎないというわけです。いやはや、政治という奈落の舞台の奥深さを垣間見た思いのする本です。
 たしかに自民党は議席では圧勝したが、その政治的基盤はきわめて脆弱(ぜいじゃく)だ。自民党は得票率こそ0.89ポイント増やしたが、得票数では219万票も減らした(比例代表選挙)。2009年の総選挙で自民党は歴史的大敗をこうむり、119議席に落ちこんだ。それから1ポイント弱しか獲得票は増えていないのに、議席は175議席も増やし、「勝った」のだ。これは、もっぱら小選挙区での勝利による。
自民党が大勝したのは、民主投票が歴史的に激減したことによる。民主党の得票数は、なんと2021万票も減った。その獲得票は42%から16%へと実に26%も減らしている。民主党票の激減は地方でも大都市でも、同じように生じている。民主党への「左」からの支持層も「右」からの支持層も相次いで離反した。この結果、自民党はただ黙って座っているだけで、民主党が落ちたために「大勝」したのだ。
 このように、自民党は議席で「圧勝」したけれど、政治基盤は脆弱なまま。保守二大政党の機能麻痺が起きて、保守多党制の時代に入った。
 保守二大政党制は、当の政権にとって、その喪失は悪夢であるが、保守支配層にとってみたら、すこぶる安定した体制なのである。
うむむ、さすがは政治学者ですね。どっちに転んでも、なるほど大差はありませんよね。ライスカレーとカレーライスほどの違いもありません。
 例の維新の会は、相次ぐ橋下代表の暴言によって、このところ一気に支持率を著しく低めてしまいました。
維新の会が「躍進」したのは、民主党政権に期待して、裏切られた大量の票が自民党に帰らず、かといって「左」の共産党にも行かず、「第三極」の新しい政治を求めたことにある。
ここでは、「左」の責任というより、マスコミの責任が大きいように私は思います。マスコミは、あまりに「第三極」「橋下」「維新」を持ちあげすぎですよ。
 維新の会は、政治対立軸を大きく右にずらす役割を担っている。構造改革と軍事大国化の双方を急進的に主張する政党に脱皮している。
このところ革新政党の退潮が著しい。なぜなのか?それは、小選挙区制によって、悪しき「常識」が定着したことによる。選挙区で革新政党に投票しても議席に結びつかない「常識」が定着してしまった。そのうえ、マスコミは少数政党の政策を報道せず、無視するようになった。その結果、浮動票の減少、獲得票の固定化の傾向が著しい。
現代のマスコミは、大政翼賛会の時代のマスコミより悪い役割を果たしている。現代のマスコミは、決して権力的な統制下にあるわけではない。しかし、支配階級の意を受けた方向に「善導」する役割を果たしている。そして、マスコミは小選挙区制下での少数政党の停滞を自らの少数意見無視の姿勢の正当化の材料として使っている。
 そこには、マスメディアも企業であるという論理がある。つまり、お金もうけのためには、何をしても許されるということです。そこに「社会の公器」という視点はありません。
 たとえば、来年から消費税の税率が5%から8%に上がろうとしています。新聞協会は新聞についてだけは消費税率を上げしないように政府に強力に働きかけています。一方で「増税賛成」と大声で叫びながら、実は自分だけは「増税」しないように陳情しているというのです。まさに二枚舌の典型です。許せませんね。
 アジアのなかの日本を考えるとき、アメリカは今や日本より中国を重視している現実をみなければならないアメリカのアジア戦略にとって、中国は欠かせない存在である。中国が一番警戒しているのは、日本の軍事大国化である。
 日本政府は3.11の福島第一原発事故の原因の究明も尽くさないうちに、日本の「原発」を世界各地に輸出する話が進んでいます。安倍首相がトップセールスに駆けめぐっているのは見苦しい限りです。「原発輸出」って死の商人のすることではないでしょうか・・・。それよりむしろ日本の技術力とあわせて、平和憲法の前文と9条を世界に普及しましょう。日本の政治のあり方をさわやかな切り口で考えさせてくれるブックレットです。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2013年5月刊。1200円+税)

2013年6月12日

ドアの向こうのカルト

著者  佐藤 典雅 、 出版  河出書房新社

この本でカルト教団とされているのは、日本でも全国各地で今日なお活発に布教活動している「エホバの証人」です。9歳から25年間のカルト生活を振り返った、壮絶な書物です。エホバの証人についてのコメントは、すべて著者によるものです。私のコメントではありません。念のために申し添えておきます。
 エホバの証人には、さまざまな抑圧の決まりごとがある。誕生日、クリスマス、正月など全ての行動はご法度。学校では体育の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず、校歌をうたうのも禁止。タバコはもちろんダメで、乾杯するのも禁止。信者以外の人と友達になるのも注意の対象となる。だから、多くの女性信者は独身を余儀なくされる。
 エホバは、この世はすべてサタンの配下にあると教える。世の終わりであるハルマゲドンは今にでもやってくると信者は信じている。だから、エホバの証人の子どもは、教団と親のいいつけを守らないと神によって滅ぼされると洗脳される。そして、一度、洗脳されたら信者は洗脳されたことに自覚のないまま自分の感覚を抑圧して生きていくことになる。そのため、うつ病、慢性疲労症候群、原因不明の病気に悩まされる信者が多い。
 エホバの証人は、春の記念式以外は、一切祝わない。
 エホバの証人は政治に一切関わらないので、選挙で投票はしない。
 エホバの証人は親は子どもを叩くのがあたりまえだ。
 エホバの証人は、宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」の一般名称である。ものみの塔はエホバの名前を擁護する唯一の真のキリスト教団体だという。
 エホバの証人は、死んだら霊魂はないと信じている。
 エホバの証人は、日本に22万人いる。
 証人の伝道は月90時間、毎日3時間、奉仕に出ると達成できる。
 エホバの証人の女性は、日よけのツバの出ている帽子をかぶり、日傘をもち、伝道カバンをもって、地味な色気のない長いスカートをはいている。
 この本には書いてありませんが必ず、数人からなるグループに、リーダーの男性がいるのも特徴の一つです。
 有名人にもエホバの証人は多い。マイケル・ジャクソン、ケビン・コスナーの妻、ジョージ・ベンソン、ラリー・グラハム。プリンス。矢野顕子。白井儀人(クレヨンしんちゃん)。
エホバの証人は霊魂不滅は信じていないが、地上の楽園は信じている。そして、14万4000人だけが特別に選ばれて、天国で永遠に生きている。
 この本には書かれていませんが、この14万4000人は、既にアメリカ人だけで満杯になっていて、日本人は入れるはずがないといいます。このように大いなる矛盾をかかえた「宗教」です。
 エホバの証人は世界中に750万人いて、日本に22万人弱の信者がいる。
どうやって、14万4000人を選抜するのでしょうか・・・。
 エホバの証人は、自分の本当の人生は楽園で始まると考えている。そして、自分をこの世においては死んだものとしている。
 まったく、わけの分からない教えです・・・。カルト宗教の怖さが伝わってくる体験記になっています。
(2013年1月刊。1800円+税)
 日曜日の午後、サボテンの世話をしました。親サボテンにくっついている子サボテンを火ばさみではさんでねじり切って、地面におろしてやります。
 こうやってサボテンは次々に代を重ねていきます。
 ふっくらした小さなサボテンの世話をすると心がなごみます。トゲにだけは注意しています。

2013年6月 4日

タックス・ヘイブン

著者  志賀 櫻 、 出版  岩波新書

読んでいるうちに大いに腹の立つ本です。いえ、著者に対する怒りではありません。こんなデタラメな税制を許している国家とそれをうまく利用している超大企業とスーパーリッチたちに対して、です。日本には年間所得が1億円をこえる人が、確か10万人以上いたと思います。そんな人たちにとって、日本は本当に「いい国」です。所得税の税率が1億円をこえると低下していくからです。
 1億円の税率28.3%をピークとして、低下していき、100億円だと、なんと13.5%でしかない。思わず、目を疑う低率です。
  40億円以上の純資産をもつ富裕層は、1位がアメリカで3万8000人、2位は中国で4700人、3位はドイツで4000人、4位は日本で3400人。
 うひゃあ、40億円以上の資産をもつスーパーリッチ層が日本に3400人もいるんですね・・・・。
タックス・ヘイブンとは、税金がほとんどない国のこと。ケイマン諸島、バハマ、バミューダ、ブリティッシュ・バージン・アイランドなど。
 タックス・ヘイブン退治の先頭に立つはずの先進国が、実は最大のタックス・ヘイブンでもある。その筆頭がロンドンのシティだ。また、アメリカのデラウェア州のウィルミントンである。
 強い経済の背景には必ず部厚い中間所得層が存在する。貧富の差が激しく、二極分化した社会には、強い経済は望めない。
 世界中の金融システムは複雑かつ密接につながっている。誰がどのようなリスクを保有しているかは分からないが、誰かが破綻すれば、連鎖破綻が起きて、その影響は瞬時に国境を越えて世界に拡がる。世界が保有しているリスクは、むしろ増大している。今や世界は一つにつながっている。文字どおりグローバル・エコノミーである。
 ヘッジ・ファンドは世界経済にダメージを与える存在であり、有害である。ヘッジ・ファンドに危険なマネー・ゲームをさせるべきではない。
 ヘッジ・ファンドがしていることは、マネー・ゲームに狂奔して巨額の資金を動かし、世界経済に深刻な危機をもたらすこと。ヘッジ・ファンドのもたらす害悪は圧倒的に大きい。
 ヘッジ・ファンドに活動の場を与えるタックス・ヘイブンの罪もまた大きい。
 マネー・ゲームという悪事に加担している点からすれば、ロンドンとニューヨークの方が、よほどたちが悪い。
 いまの日本には、アベノミクスとやらに踊らされて株を買っている人が続出しています。しかし、やがて、ドンと株価は低迷するでしょう。そのとき泣くのは、騙された一般投資家のみ。
投機マネーは規制すべきだと著者は強調しています。本当にそのとおりです。
 アベノミクスなんかに騙されないようにしましょうよ。私と同じ団塊世代の著者による勇気ある警世の書です。
(2013年3月刊。760円+税)

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