弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2014年3月15日

国家のシロアリ

著者  福場 ひとみ 、 出版  小学館

 『週刊ポスト』で連載した記事を本にしたもののようです。
 復興予算と称して、まったく3.11復興とは関係ない人件費や公共工事に莫大な公金が費消されている事実を暴露し、糾弾しています。
 国会議事堂の改修費にも復興予算が投入されている。照明のLED化に1億2000万円。耐震補強のために7億円。中央合同庁舎4号館の改修のために12億円。
 19兆円という莫大な復興予算の大半が被災地とは無関係の事業に使われている。
 復活した自民党政権は、民主党政権よりもさらに大々的に復興、防災を名目として公共事業を推進している。
 復興予算書のなかには、法務省の検察運営費2500万円も入っている。
これにも、私は驚きました・・・。
 会計検査院の調査によると、被災者や復興のために必要と思われる予算の執行率は低く、せいぜい6割くらいなのに対して、復興と関係の薄いほうは100%に近い執行率だった。
そして、新聞・テレビそして雑誌にまで、「政府公報予算」として復興特需が流れていた。
これでは、「復興予算」の「流用」をマスメディアが取りあげるはずもありませんね・・・。
 この復興予算の流用を主導した犯人は民主党政権だった。そして、それを強く推進したのが自民党と公明党であり、深く加担した。さらに、その背後には流用を先導した官僚がいた。
 復興予算の流用のひどさを知り、むらむらと怒りが沸きあがってきました。
(2013年12月刊。1300円+税)

2014年3月 9日

混浴と日本史


著者  下川 耿史 、 出版  筑摩書房

 日本では混浴風景は当たり前のことでした。いえ、戦前の話ではありません。少し前のことですが、二日市温泉で旅館の内湯に入ると、脱衣場こそ男女別でしたが、湯舟は区別がありませんでした。残念ながら、私たち以外は誰もいませんでした・・・。
 40年前、司法試験受験のあと東北一人旅をしたとき、山上の露天風呂に入っていると、隣に女子校のワンゲル部員がどやどやと入ってきたので、あわてて湯から上がった記憶もあります。
 もっと前、私が小学校低学年のとき、大川の農村部にある親戚宅に毎年行っていましたが、そこは部落の共同風呂があり、夕方になると入っていました。そこも男女共同でした。家には五右衛門風呂がありましたが、みんなでワイワイ楽しそうに世間話をしながら入っていました。
 この本は、日本人にとって混浴というのが戦後にいたるまで、なじんだ風景であったことを写真とともに明らかにしています。
 『伊豆の踊子』(川端康成)や『しろばんば』(井上靖)にもその情景が描かれているそうです。すっかり忘れていました。
 ところが、実は、昔から当局は混浴を禁止しようとしていたのでした。
奈良から平安時代にかけても混浴が流行していました。奈良の街には坊さんが1万5000人、尼さんが1万人もいた。当時の奈良の人口が10万人と推定されているので、4人に1人は僧尼が占めていた。そして、朝廷は大和守・藤原園人を検察使として奈良に派遣した。藤原園人は混浴禁止令を発した(797年)。
 鎌倉時代に入り、有馬温泉には「湯女」(ゆな)というサービスガールが登場した。そして、源頼朝は「1万人施浴」を実施した(1192年)。うひゃ、知りませんでした。
 江戸時代の銭湯は混浴だった。江戸の女性の多くは田舎から出てきていたが、田舎では混浴があたりまえだったから、江戸の街でも男性との混浴に抵抗がなかった。
 明治になって、外国人が日本の混浴風景に驚いているのを知り、あわてた日本政府は混浴禁止令を出した。
老若男女は、まるで市場や街角で出会うように気兼ねなく挨拶する。初めて目にする外国人は、この驚くべき素朴さにびっくり仰天だったのです。
今も全国には混浴温泉は、実のところ、少なからずあるようです。
(2013年7月刊。1900円+税)

2014年3月 7日

基地で働く


著者  沖縄タイムス編集部 、 出版  沖縄タイムス社

 沖縄にある米軍基地は、かつてアメリカのベトナム侵略戦争の前線基地でした。また、米軍基地には、かつての731部隊のような化学兵器を扱う部隊だけでなく、核攻撃の部隊も常駐していました。
 この本は、そんな米軍基地で働いていた日本人従業員に取材し、その実態を暴いています。大変な労作だと思いました。
 沖縄の米軍基地で働く従業員数のピークは6万7800人(1952年)。
 明らかな人種差別があった。上からアメリカ人、フィリピン人、ジャパニーズ。一番下が琉球人。トイレも、琉球人だけが別だった。
 アメリカ軍の高等弁務官6人のなかで、キャラウェーは強烈だった。ありとあらゆる面で琉球政府に口出しした。
 1969年、ベトナム戦争が泥沼化していたとき,米軍は沖縄の大型クダボートをベトナムに派遣しようとした。全軍労(全沖縄軍労働組合)は、戦地への派遣反対闘争に取り組んだ。しかし、24人の日本人労働者をこっそりベトナムへ連れていった。3ヵ月後、全員が無事に日本へ帰ってきた。良かったですね・・・。
 アメリカ軍は,北部訓練場内にベトナムの現地集落を再現し、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)兵の制圧を想定した訓練をした。そのとき、日本人住民が現地人役として訓練に呼ばれ、中学生まで参加した。ベトナム人の代役をすると、大人は1日1ドルの日当がもらえた。
 知花弾薬庫には、267化学中隊という部隊があった。69年に毒ガスが漏れる事故が起きた。ベトナム戦のまっただ中、弾薬庫は24時間フル稼働した。倉庫に弾が入りきらず、道の両脇に弾薬箱をずらっと並べて、ほろをかけた。あれだけの弾をつかっても、アメリカはベトナムに負けた。
 ベトナム戦争が始まったころは、アメリカ兵は「正義の戦争だ」と自信満々、意気揚々としていた。しかし、1970年ころには、兵隊の目が暗かった。ベトナムでは、子どもさえ信用できない、怖い、と兵隊が言っていた。
 基地で働く人々は、沖縄戦を生きのびたのに、またまた人殺しの手伝いをしていていいのかという意識にさいなまれるようになった。
 復帰直前まで、沖縄の基地には核兵器が大量に貯蔵されていた。1960年代後半には、千数百発にのぼった。1967年1月、核地雷の操作訓練中に放射性物質がもれ、アメリカ兵1人が被爆した。
 アメリカ兵がPXで万引きするのは、捕まって刑務所に入れば、ベトナムに行かずにすむから・・・。アメリカ兵にとって安心なのは、沖縄と海の上だけだった。アメリカ兵はベトナム戦争に行く前は紳士的だけど、帰ってくると、人が変わったように乱暴な言葉づかいになった。
 人を殺しているから、普通の精神状態ではなかったのだろう。ベトナム戦争へ出撃が決まったパイロットの壮行会は、明日は死ぬ身だから浴びるほど飲んでめちゃくちゃになる。
 その多くが二度と戻って来なかった。翌日は死出の旅路だから、ホンモノの送別会だった・・・。
ベトナム戦争と結びつきの深かった沖縄の米軍基地の実際を、改めて知ることのできる貴重な本です。
(2013年11月刊。1905円+税)

2014年3月 5日

世界を動かす海賊


著者  竹田 いさみ 、 出版  ちくま新書

 古くはマラッカ海峡、そして今はソマリア沖の日本関連の船舶を守ることは大切です。
 しかし、だからといって、自衛隊を軍隊にして重武装し、それらの海へ派遣すべきだということにはなりません。そんなことで守られるのなら、アメリカ海軍が世界中にいるわけですから海賊なんていないはずなのです。
 海賊行為とは、国際法にしたがえば「公海」において、「私的目的」のために行う「他の船舶」に対する「暴力行為」や「略奪行為」を示す用語として明確に定義されている。
インド洋を航行する船舶は1ヵ月に4000隻、1年では5万隻にのぼる。日本関係の商船は、そのうち1割の5000隻とみられる。
 また、スエズ運河とアデン湾を航行する船舶は1年間で2万隻、日本関係は1割の2000隻ほど。武装して海賊の出没する海域で、これだけの民間商船が危険に直面している。そのため、大半の民間商船は、武装した海賊グループから身を守るため、MSCHOAと
UKMTOという二つの海洋安保保障のネットワークに登録し、情報交換を緊密にしている。
 海賊の発生件数は1991年の107件が2012年には297件と、3倍に増加した。
 ソマリア海賊は、チーム制を導入し、母船と小型ボートを組み合わせている。一つのチームの基本単位は3隻からなる。司令塔となる母船が1隻と、小型ボート2隻の3隻だ。一つの海賊チームには、10~20人の海賊で編成される。ソマリア社会の基本単位である血縁集団(クラン民族)ごとに編成される。
 ソマリア海賊は、ロシア・モデルの自動小銃とロケット砲を標準装備している。いまでは、中国のGPSと衛星電話を所持している。小型ボートは、ヤマハ発電機の船外機を2機設置している。
ソマリア海賊が獲得した身代金は1年間に1億ドル、100億円ほどと推定されている。そして、身代金としては、2008年以降に印刷された新券の米国100ドル紙幣が指定される。これは、北朝鮮が密造する米国ドルの偽造紙幣をつかまされないための用心でもある。この身代金のおかげで、ソマリアの集落には、トヨタのラドクルーザーが走り、レンガとセメント造りの1戸建て住宅が建設ラッシュとなり、衛星放送を受信できるパラボラアンテナが林立している。
 身代金の大半は、ドバイやケニアなどのソマリア周辺国から英国や欧州に還されているとみられている。
このソマリア海賊は、ソマリアのクラン(民族)社会が独自に創設したコーストガード(沿岸警備隊)の出身者とみられている。コーストガードの人材研修プログラムは、米英欧の大手民間セキュリティー企業によって担われたが、それによって養成された人間が海賊に変身していった可能性がある。
日本は海上自衛隊の護衛艦をアデン湾に派遣している。そして、アフリカのジプチに活動拠点を設置し、活動を続けている。そして、2011年3月11日、日本の海上保安官8人がソマリア沖の海賊を逮捕し、日本へ護送した。
このソマリア海賊の裁判は東京地裁でおこなわれていましたが、通訳の確保は大変だったようです。何しろ、ソマリア語の話せる人が、日本にそんなにいるとは思われませんから・・・。
 この本は、海賊処理の難しさを現場取材を通じて明らかにしています。関心のある人には必読の書だと思いました。
(2013年5月刊。760円+税)

2014年3月 4日

「在日特権」の虚構


著者  野間 易通 、 出版  河出書房新社

 「ウソも十分に繰り返せば、人は信じる」
 これはナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスの言葉。
たしかにデマ宣伝も繰り返していると、なんとなくもっともらしくなり、特定集団に負のイメージを定着させ、それを前提として物事がすすんでいくことになります。ですから、「在日特権」なるものの嘘は、徹底的に、しかも何度となく繰り返し暴いてしまうことが大切です。なんとなく人々の身体に嘘が染みついてしまわないようにする必要があります。
 憎悪を煽動する側は、その憎悪煽動そのものが目的であり、ときには楽しい趣味ですらあったりする。
「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が問題としている「在日特権」とは、①特別永住資格、②朝鮮学校への補助金の交付、③生活保護の優遇、④通名制度、の四つ。
 宝島社と別冊宝島が、「在日特権」というコトバの流布に加担した責任は大きい。売らんかなで本をつくり、「在日特権」デマを利用して在日コリアン一般に対する憎悪を煽った主体である。うむむ、許せませんね、これって・・・。
 特別永住資格は、日本人より有利な権利をもつという意味ではない。日本人とほぼ変わらぬというだけのこと。
 終戦の時点で、在日朝鮮人や台湾人は日本国籍を有していた。なぜなら、朝鮮も台湾も「帝国日本」が領土として支配していたのだから。終戦によって、その資格や法的地位を他の外国人と同じに扱うことができるはずもない。このような歴史的経緯が立法に反映されるのも当然のこと。
 また、「在日」であっても犯罪をおかせば国外撤去になるし、その実例もあるのに、「在特会」は、「在日」は絶対に国外退去にならないなどという嘘を言いたてている。
 年金については、日本が国民年金に在日外国人を加えるようになったのは、1981年に難民条約を批准したことによる。1982年、国民年金から国籍条項が撤廃され、外国人も加入できるようになった。国民年金への加入が認められるまで、「在日」の多くは無年金で放置されていた。
 仮名口座の開設が違法になったのは、2003年に施行された口座の開設を禁じる本人確認法による。
 生活保護受給者のなかで外国人の占める割合は3%でしかない。そのうち「在日」は2%でしかない。
在日に「特権」があるかのように思い込んでいる人が残念ながら少ないようです。私たちは、きちんと事実を知り、デマを見抜く力を養わなければいけません。
 それにしても、「在特会」って、いじましい団体ですね。他人を蹴り落として何が楽しいのでしょうか・・・。本人たちが、きっと、現実の日本社会で大いなる疎外感を味わっているのでしょうね。そして、その本当の加害者を見抜くことなく、同じ「被害者」たる弱者同士でたたきあっているのです。本当に残念な状況です。
(2013年11月刊。1600円+税)

2014年3月 3日

ロング・グッバイのあとで

著者  瞳 みのる 、 出版  集英社

 ザ・タイガースは、私の青春時代と深く結びついています。
 4年間、ステージに立ってスポットライトを浴びていた著者が40年刊の沈黙を破って語った本です。読みながら、私の来し方も振り返ることのできた本でした。
 たくさん心に残ることが書かれていましたが、なんといっても、次のフレーズが最高です。
 自分たちの老化をあらゆる面で認めざるをえない年齢になって、なるほど僕らは団塊の世代なんだと思うようになった。
 同世代から元気をもらおう。そして、同世代に人に元気を返そう。そんな元気が僕らのなかにぐるぐると回り、それが上下の世代の刺激になって、もっと活気、元気、楽しみ、喜びにあふれた社会になれば、こんなに素晴らしいことはない。
 「団塊の世代と共に生きていくことが大事だよ。僕は団塊の世代から離れないよ」
 これはザ・フォーク・クルセイダーズの北山修の言葉です。本当に、そのとおりだと思います。
 私が大学生時代の学園闘争(東大闘争)の1年間を「小説」として再現した(『清冽の炎』1~7巻。花伝社)のも、そのつもりでした。とても残念なことに、ほとんど反響がなく、売れませんでした。でも、後悔はしていません。あの1968年当時の熱気をいつかは追体験してみたいと思う若者があらわれる。そのときには、私の本が必ず役に立つと確信しています。
著者は、ザ・タイガースの一員として脚光を浴びながら、さめた思いをしていたようです。だからこそ、きっぱり芸能界から足を洗ったわけです。
 僕はドラム演奏をしながら、青春の貴重な時間を売っているだけなのだと思うようになっていた。いつまでもアイドル路線を強いられ、いい年齢(とし)をして、いつまでも可愛い子路線の歌ばかりうたわされる。バラエティー番組にだされて、ふざけさせられる。だけど、やせても枯れてもミュージシャンなのだというほこりがあった。ベトナム戦争や時代や社会の流れに無関心ではいられなかった。
 著者は定時制高校生のとき、民青(日本共産党の青年組織のようなもの)に加入しています。ですから、社会に関心があったのも当然です。
 ザ・タイガースを解散し、芸能界を去る直前、1971年1月24日、有楽町のちゃんこ料理店で送別の宴が開かれ、著者も参加しています。私は、司法試験受験勉強の真最中です。当時の日記が残っていますが、1日中、私は勉強していました。
そして、著者は有楽町から京都へトラックで京都に戻っていたのです。1年間で貯めたお金1000万円を軍事資金として、大学受験勉強に打ち込むのでした。著者は見事に慶応大学に合格しています。えらいですね。
 当時の1000万円は、まさに大金です。私は、月3万円ほどで寮生活を過ごしていました。
 著者は、ザ・タイガース時代にフランス人の彼女がいたとのこと。フランス語が少し話せる私としては、かなわぬ夢を先に実現した著者を少しうらやましく思いました。
 とても赤裸々に自分を語っていて、ますます著者が好きになりました。本当に、いい本でした。ありがとうございます。
(2011年8月刊。1200円+税)
 きのうの日曜日、夜のうちに雨もやみ、朝からのやわらかい陽差しになってくれました。白梅にメジロが8羽、無心に花の蜜を吸っていました。愛敬たっぷりの小鳥です。
 庭のあちこちに黄水仙が咲いて、なんだか心が浮き浮きしてきます。チューリップもぐんぐん伸びています。もう少しで、ツボミになりそうです。
 花粉症さえなければ、春が一番好きな季節なのですが・・・。

2014年2月28日

天皇と葬儀


著者  井上 亮 、 出版  新潮選書

 今の天皇は、安倍首相とはまるで違って、本当に真剣に日本国憲法を忠実に実践しようとしています。その点について、私は深い感銘を受けています。ただし、だからといって、天皇制度なるものを私が支持しているわけではありません・・・・。
そして、自分が死んだら火葬にすると天皇が言ったのにも、好感がもてます。
 この本によると、過去の天皇に葬儀もさまざまなものがあったようです。
かつて天皇も火葬されていた。この400年間は土葬されていたが、それが復活するだけのこと。持統天皇から昭和天皇までの88人の天皇のうち、半数の44人は火葬されている。土葬が慣例となったのは江戸時代以降のこと。
天皇陵にしても、「墓はいらない」といって、陵をつくらせなかった天皇もいる。
天皇の葬儀については、中世から江戸時代末期までは、天皇家の菩提寺といえる泉涌寺(せんにゅうじ・京都市東山区)で、仏像が専業的に行っていた。
 昭和天皇の葬儀は、古代から連綿と続いてきた儀式でやられたというのはまったくの誤解である。それは、明治になって創られた儀式でしかない。
 日本の天皇が「万世一系」というのは、歴史的事実に反している。たとえば、継体天皇のとき、皇統は断絶し、新しい王朝がうちたてられたというのが定説。
今の天皇も、自分たちの先祖は朝鮮半島と近い関係にあったと言ったことがあります。たとえば、恒武天皇の生母(高野新笠)は、朝鮮半島からの渡来人でした。
 「日本書記」は、雄略天皇を「大悪天皇」としている。皇位継承のライバルである皇族や臣下などを残虐な方法で殺したから。
 火葬は仏教思想によもので、平安時代に始まる。淳和天皇は840年に55歳で亡くなったが、火葬のうえ、山中に散骨させた。これは、生前の本人の言葉に従ったもの。陵もつくられなかった。
 古代から日本の喪服は天皇をはじめとして白だった。ところが、白は神事の際に着用する神聖な色だったので、奈良時代から、天皇だけは墨色の喪服を着用するようになった。
 承久の乱(1221年)のとき、北条政子が檄を飛ばし、北条泰時を先頭とした鎌倉幕府軍が後鳥羽上皇側を圧倒した。「賊軍」が天皇に勝ったのは、この承久の乱ただ一度だけ。
 私は先ほど申し上げたように、天皇個人については大いに敬意を払っていますが、制度として存続させるかどうかについては消極的です。その最大の理由は、天皇を口実に政治を牛耳る勢力が昔も今も存在するからです。そのような人々にとって、天皇は操作すべき玉(ぎょく)でしかありません。上辺では天皇尊重と言いつつ、内心は天皇を自分の意に従わせようとする、邪(よこし)まな連中の存在(介入)を認めるわけにはいきません。
天皇制について、改めて考えさせられる好著です。

(2013年12月刊。1600円+税)

2014年2月25日

電鍵砦の一矢


著者  菊沢 長 、 出版  一葉社

 NTTに立ち向かった無線通信士たちの20年に及ぶ戦いが、大部の小説になって紹介されています。
NTTの民営化のなかで無理な合理化と人員削減が強行されていきます。刃向かう労働者には「異単長」の配点が命じられます。「異単長」という言葉を初めて知りました。異業種、単身赴任、長時間通勤の頭文字を並べた、リストラによって生まれた造語です。労働者を使い捨ての道具のように考えている資本の冷酷さをあらわす言葉ですね。
 労働組合がストライキを打たなくなって(打てなくなって)久しい日本では、労働組合の存在が本当に影の薄いものになってしまいました。労働者自身が労働組合について、自分たちを守ってくれる存在だと考えていないのではないでしょうか。第二人事部の役割を果たしているにすぎないとしか言いようがない組合が多すぎます。
今でこそ全電通は会社側の施策を周知し、一方的に了解を取りつけるだけの労務対策部的な機関に変貌しているが、かつては労働条件改善のために重要な役割を担っていた。
 そうですよね。総評を支える有力な単産でした。国労とか全逓とか・・・。
船舶通信士労働組合というものがあるそうです。全日本海員労働組合から独立した職業別の労働組合です。現役70人、退職者150人の構成。
海上にも人員削減の波が押し寄せている。衛星通信の普及、電子技術の進展によって専任の通信士を置かず、船長などが兼任している。そうすると、どうしても片手間仕事になって、わずらわしいからとスイッチが切られたりして、肝心な通信がお互いに届かなくなったりする。それが危険を招き、大惨事にいたることがあるのです。
遭難警報91.4%が誤報という報告がある。遭難通信の誤発射、誤操作が起きている。
 無線局廃止差止裁判をはじめ、いくつもの裁判をたたかいますが、司法は大資本を味方し、連戦連敗です。それでも、国際的な労働法に照らして、日本の労働条件の一方的に切り捨ては許されないと、スイスに出かけILDに訴えるのでした。
 ジュネーブでは、私のよく知る牛久保秀樹弁護士が活躍したようです。
 しかし、2002年から始まったNTTリストラ裁判では、全国各地の裁判所がNTTによる遠隔地は移転を断罪し、一人100万円の慰謝料を支払えといった判決を出していきました。NTTに「アリ」が勝ったのです。長年の苦労が少しだけ報われたわけです。
 それにしても、労働者無視の労働法改悪はひどいものです。
(2013年6月刊。2400円+税)

2014年2月22日

秘密保護法は何をねらうか

著者  清水雅彦・台宏士・半田滋 、 出版  高文研

 「何が秘密か?それは秘密です」
 特定秘密を漏えいしたら、最高10年の懲役刑に処せられる。現行法の1年以下(自衛隊員だと5年以下)にくらべて格段に重い。未遂だったときも処罰される。
特定秘密の内容が示されないまま、逮捕、起訴されて、裁判になったときにも有罪になる。
 こうなると、もう裁判ではありません。誰も、なぜ処罰されるのか説明できないというわけです。政府の思うままに処罰できる。これっで、まったく民主政治では、あるまじきことです。
公務員による内部告発も委縮してしまう。マスコミも足がすくみ、スクープ報道が期待できない。
 防衛省は秘密開示したことがない。これまでずっと廃棄してきたから。
 自衛隊員の給料は、一般の民間企業のサラリーマンより、はるかに高い、一佐(戦前の大佐)は、年収1200万円をこえる。そして56歳で定年を迎えても、天下りして週3日の勤務で現役のときの7~8割の年収が保障される。
 自衛官が「高給取り」だと叩かれないのは、国民が自衛官の高い年収を知らないから。
 これだけの高給取りなので日本の自衛官にとって、外国のスパイになるなんて、まったく割の合わないこと。
いま、弁護士会は、強行採決で成立した特定秘密保護法の施行(年末の12月が予定)までに廃案しようという署名運動に取り組んでいます。ご協力ください。
(2014年1月刊。1200円+税)

2014年2月21日

福島第一原発・収束作業日記


著者  ハッピー 、 出版  河出書房新社

 福島第一原発で今も働く現役作業員である著者が発信しているツイッターが本になりました。著者のフォロワーは7万人もいるとのこと。すごいですね。
 3.11のとき、著者は福島第一原発にいて、その後の収束作業にも自ら「志願」して参加しているとのことです。もっとも、親には言っていないそうです。著者名が仮名になっているのも、そのせいでしょうか・・・。
 それにしても、現場からの貴重な情報発信だと思います。今も続いているようです。
この本で明らかになったことは、
 第一に、福島第一原発事故は今も「収束」なんかしていないこと、政府の宣言は国民をだますものであること。
 第二に、原発事故の収束作業は今から何年どころか。何十年でもなく、何百年もかかるものであること。
 第三に、それにしては国が東電という私企業にまかせているのはおかしいこと。東電は予算を削ろうとしているが、国が全面的に責任をもってやるべきこと。
 第四に、そのためにも現場の作業員をきちんと確保しておく必要があるけれども、劣悪な環境で働かされる割にはペイがよくないし、海外へ原発を輸出したら、日本では技術者が足りなくなること。
 第五に、これがもっとも肝心なことだが、要するに原子力発電所というのはあまりに危険すぎて、とうてい人類の扱えるようなものではないこと。
 これらのことが、現場で働く実感をもって語られています。同感、共感させざるをえません。
 福島第一原発事故の収束作業に従事している人たちは、ごくごく普通の人が一生けん命にがんばって働いている。ただ、この現場は今でも特別な場所だし、事故は収束なんかしていない。
 現場で3時間も働くためには、移動時間をふくめて前後8時間以上がかかる。逆に言うと、拘束8時間であっても、そのうち3時間しか現場では働いていない。
現場付近でマスク外して、タバコを吸ったり、食事したりする作業員がいる。建設作業員には、放射線について知識のない人も多い。人手が足りないので、そんな人たちも集められている。
 使用済み燃料の取り出しが3年後から始まって、3年くらいかかるだろう。原子炉の燃料とり出しは10年後に始まるだろう。つまり、早くて20年後にすべての燃料の取り出しが終わるということ。
 原子炉建屋内は線量が高いので、作業員が被曝しながら「人海戦術」でやるしかない。
東京電力は解散して、送発電を分離して、国が先頭に立って予算も作業員の給料も面倒みなければダメ。今は、一流企業(私企業)のやり方で「収束」作業をしている。
 2011年12月の「収束宣言」のおかげで、現場での労賃が大幅に下がった。「収束」したのだから「危険手当」が少なくなってしまったのである。
 いまだに、毎時0.6億ベクレル以上の放射性物質が日本中に向けて拡散している。
 テロ対策の訓練をしているけれど、ガードマンが1時間もテロリストと対応しているという非現実的なマニュアルに頼っているのが現実。
 そうなんです。北朝鮮の「テポドン」の脅威を安倍・自公政権は強調しますが、原発へのテロ攻撃は現状では防ぎようがないものですよね。そのことについて、政府は知らんぷりです。本当に怖いことは国民に知らせません。それは、「国民がパニックになってしまうから」だというのです。それって、まるで国民をバカにした発想だと思いませんか・・・。
 著者の健康が心配になりますが、ぜひ引き続き内部の情報を発信してください。心より期待しています。
(2013年10月刊。1600円+税)

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