弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2014年7月21日

藤子・F・不二雄の発想術


著者  藤子・F・不二雄  、 出版  小学館新書

 オバケのQ太郎、そしてドラエモンときたら、日本人で知らない人はいないと思います。そんな国民的マンガのキャラクターを生み出したマンガ家のコトバですから、とても重みがあります。読んでいて、つい、うんうんとうなずいてしまいました。
 小学校のころは、ひどく人見知りする子だった。カケッコもできず、教室の前に立って話すことができない。そのうえ、なんと、絵が嫌いだった。いじめられっ子だった。
ところが、手塚治虫のマンガに出会って、大きなショックを受けたのです。そのため、マンガを卒業できなかった。ファンレターを書いたところ、手塚治虫から返事が来た。
 昭和27年に高校の電気科を卒業して会社に就職した。ところが、マンガを書きつづけたい。そこへ、手塚先生から、「君たち、上京してきなさい。二人でも十分やっていけるから」という手紙が飛び込んできた。
なんということでしょう。おどろきの手紙ですよね。それほど、才能を見込まれたということでしょうね。
 母親は、息子から上京すると告げられたとき、「そうけ」と平然として答えた。これまた、大した母親ですね。今どき、考えられませんよね。よほど、息子を信頼していたのですね。
 初めは、両国の2畳一間の下宿。押入れもない。半年たって、トキワ壮に移った。4畳半。敷金3万円は不要だった。2年後に、手塚先生に返した。
 マンガを描く意欲をずっと持ち続けられたのは、仲間がいたこと。気が多いというか、好奇心は旺盛だった。
 「オバケのQ太郎」を連載していたときには、それほど人気がなかった。ところが、やめたら抗議のハガキが来た。それで、再開することになった。
 なんとなくわかりますよね。その時時代に生きていた私としては・・・・。
 若いころは、絵もアイデアも早くて、3時間もあれば13頁分を考えついていた。
「キミたちの絵は古い。こんな丸い線は、もうはやらない」
 新人のとき、古くてダメだと言われた。だから、もうこれ以上古くなりようがない。それで、強くなった。
 独創力のための条件は、第一に、数多くの断片をもつこと、第二に、その断片を組み合わせる能力をもつこと。
 人間は本当に複雑ないきものだから、マンガ家は、キャラクターを枠にはめてしまうのではなく、柔軟な目をもってキャラクターの個性を生かし、ある程度自由に行動できるゆとりを持たせていくべきだ。
 思いついたときに、手帳にすぐメモしておく。このとき、タネをふくらませずに書いておくことが大切。自分のスタイルに絶えず挑戦していくことが重要な課題となる。
 結局、自分自身を自作に登場させている。遠い少年の日の記憶を呼び起こし、体験したこと、考えたこと、喜び悲しみ悩みなど・・・。それを核とし、肉づけし、外見だけを現代風によそわせて登場人物にしている。
なーるほど、なるほど、と納得のいく本でした。それにしても、すごいマンガ家です。

(2014年2月刊。700円+税)

2014年7月19日

ちばてつやが語る「ちばてつや」


著者  ちば てつや 、 出版  集英社新書

 「ちばてつや」というと、『あしたのジョー』です。「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは、私が東京に出て1年たとうとした1968年1月のことです。6人部屋の大学の寮に入って楽しい日々を過ごしていました。誰かが買ってくる週刊誌を、みんなでまわし読みしていたのです。矢吹丈と力石徹のリング上の決戦に夢中になっていました。毎週の発売日が待ち遠しかったものです。
 私は、「ちばてつや」の絵が大好きです。登場人物の顔が丸顔で、なんだか、ほのぼのしているところがいいのです。
「ちばてつや」は、実は、終戦時に6歳で、生命からがら満州から引き揚げてきたという体験の持ち主です。ですから、筋金入りの反戦・平和主義者なのです。それを知って、私は、「ちばてつや」がますます好きになりました。だから、私は戦争大好き人間の安倍首相にとりいる百田尚樹が大嫌いです。
 子どもの読む戦記ものマンガでは、どれも主人公が格好いいヒーロー漫画になっている。それが少し心配だ。こんな描き方をしたら、読んだ子どもが「戦争は格好いい」と思い込んでしまうのではないか。戦争をスポーツのように描いていいものだろうか・・・。
 私のなかには、戦争で無残に死んでいった若者たちへの追悼の思いが深くあった。そんな戦争とは一体何なのかと、リアルに問いかけたかった。戦争というものは、絶対にやってはいけないと少しでも伝えたくて、体験記を描いた。そう言う気持ちを忘れてはいけないと、私は、今でも毎朝、水を一杯コップに入れて追悼している。
 著者が『あしたのジョー』を描きはじめたのは28歳のとき。私が読みはじめたのは18歳ですから、なんと、10歳しか年齢は違わなかったのですね。そして、5年間の連載が終わったとき、著者は34歳になっていた。
 プロの漫画家になるには、読む人をワクワク、ドキドキさせるにはどうしたらよいか、そこで苦労しなくてはいけない。とても苦しい作業だが、それこそが漫画家という仕事なのだ。
読者をワクワクドキドキさせるためには、何が一番重要か。まず、描く人が「根」を張ること。「根」というのは、漫画という花を咲かせるために必要な感性やアイデア、知識、教養のこと。その根を自分という土壌の中にいかに、張りめぐらせるか。それが創作の根幹である。
 いろいろな本を読み、映画をみ、伝記や資料を調べて読み解く。それからドラマを見つけ、人生や哲学を感じとる心を養うこと。文学も美術も音楽も、ときに思いもよらない創作のヒントを与えてくれる。
 詩情あふれる、さまざまな名曲を聴いて感動する気持ちが持てなければ、漫画においても情景描写はできない。あるいは好きな詩の一節に思いを馳せ、心に残る名画をイメージしてみる。そうした作者の心の軌跡が、漫画の線の一本一本を生き生きとさせ、読者の心にも響いていく。
 こんなことは漫画とは関係ないとは思わずに、好奇心のままにいろんな分野に耽溺(たんでき)してみることだ。
 味わい深いコトバが満載の、すばらしい「ちばてつや」の本です。
(2014年5月刊。760円+税)

2014年7月18日

いま、ほんとうの教育を求めて


著者  三上 満 、 出版  新日本出版社

 東京の下町で熱血・中学校教師として活躍した著者の体験にもとづく教育論ですから、読んでいるだけで心打たれるものがあります。さすが、です。
教育とは、希望をはぐくむ営みにほかならない。この座標軸から離れて、他の何かを別のことを軸にするようになると、教育は必ず歪む。
 希望とは、三つのものへの信頼から生まれる。一つは、人間に対する信頼。人間って、いいものだ。ああいう人に、私もなりたい。そう思わせる人が、子どもの周りにいなくてはいけない。教師こそ、そんな魅力ある人でなければならない。
 その二は、自分に対する信頼。子どもが自分のいいところをたくさん見つけ、それが回りから認められ、自分を好きになっていく共同体。それが学校だ。
 その三は、明日に対する信頼。平和や人権が輝く、明日への信頼が育まれる心に、希望は生まれる。
 教育とは、希望の糧となる、この三つのものへの信頼を、子ども、教職員、父母、地域一体となってはぐくむ営みなのだ。
学力世界一のフィンランドでは、基礎教育(7~16歳の9年間)では、いっさいの競争そしてランク付けがない。
日本では、教育の政治支配をすすめようとするものには、もはや教育委員会さえ邪魔者になっている。
 子どもたちが、「ヤッター」という声をあげるのは、自分を乗りこえられたとき、新しい自分と出会えたとき。それは、人の上に立てたときとか、人を出し抜いたときなんかではない。
 人間は弱さを支えあい、辛さを分かちあって生きるもの。だから、互いに優しさを必要とする。教室とは、間違えることによって、いっそう賢くなるという不思議なことが起こるところ。
ある中学校の修学旅行に向けての話し合いのとき。みんなで、ガイドさんを泣かせようという目標を立てた。困らせて泣かせようというのではない。それなら簡単だけど、楽しいことでもない。そうではなくて、別れのときに別れを惜しんでガイドさんを泣かせようというもの。
 いやあ、これはすごい目標です。ガイドさんの説明をよく聞き、親しみ、楽しい旅にしなければいけない。そのうえで、もうひとつ何かが必要です。
この目標をやり切ったクラスは、とてつもない達成感があったことでしょう。すばらしいことですね。なによりの修学旅行の思い出となったことでしょう。
 しばし、学生のころに戻った気分に浸ることができました。みんなに読んでほしい、いい本です。
(2014年4月刊。1600円+税)

2014年7月16日

風がおしえる未来予想図


著者  原発なくそう・風船プロジェクト実行委員会 、 出版  花伝社

 海外へ原発を輸出しようとしている安倍首相は、それだからこそ一刻も早く原発を再稼働させようとしています。とんでもないことです。
 だって、いまでも福島第一原発の周囲に人が住むことは出来ず、15万人もの人々が狭くて不自由きわまりない仮設住宅に住まされているのです。
 使用済み核燃料がどうなっているのか、3年たった今も皆目わからず、放射能に汚染された水や空気が拡散し続けているのです。
 東京電力の無神経さは今に始まったことではありませんが、九州電力だってまったく同じです。いずれも経済団体を牛耳ってきました。そして、彼らは教育に注文をつけ、教科書を思うように書き替えてきました。要するに、疑うことを知らない子ども、そして大人になることを求めています。そうなったら、まるで会社いいなりのロボット人間ではありませんか・・・。
九州にある玄海と川内(せんだい)の二つの原発を絶対に再稼働させてはなりません。
 原発はクリーンなエネルギーだと言っていましたが、3.11のあとは、とんでもない大嘘だということが誰の目にも明らかになりました。
 この風船プロジェクトは、玄海原発の近くから風船を飛ばしたら、いつ、どこへ落ちるだろうか、それを調べようというものです。もちろん、前例があります。2012年3月に福井県にある美浜原発から1000個の風船を飛ばしたのでした。100個が発見され、うち83個が岐阜県内で発見されたのでした。
玄海原発の周辺から風船を飛ばしたのは4回です。2012年12月8日が第1回目で4回目は2013年10月27日でした。
 ヘリウムガスを風船につめて飛ばしました。ゴム風船ですが、環境負荷(影響)の少ないものに工夫しています。
風船と放射性微粒子の動きは、水平方向では似たような飛行軌跡を示した。
 風船は捨てられたら環境から除外する。放射性物質は違う。地上に降り積もった放射性微粒子は、自然環境や生活環境中にとどまり続け、晴れて乾燥した日や、風が強い日などには、再び大気中に浮遊し、風などに乗って拡散する。この半減期は長く、30年であり、何十年も生き続ける。
 風船プロジェクトは楽しい企画でした。一杯100円の豚汁、コーヒー1杯100円だなんて、まさしく困ったときの神頼みですよね。
 100頁あまりの手頃なブックレットです。ぜひ、あなたもお読み下さい。読みやすく、ためになる面白い本です。
(2014年6月刊。1000円+税)

2014年7月12日

アトミックス・ボックス

著者  池澤 夏樹 、 出版  毎日新聞社

 推理小説なので、ネタバレをするわけにはいきませんが、日本の「核開発」をめぐる怖い話です。
 原子力発電といい、核開発といい、アメリカの強力な統制下ですすめられてきたことは間違いありません。
 そして、そのなかで原発については「安全神話」が形成されてきました。他方、「核開発」のほうは、依然としてヤブの中にあって、不明なままです。
瀬戸内海の小島に逃げてきて、漁師になり切った科学者。その死後、娘が動き出し、島内で監視していた男が島を脱出した娘のあとを追います。その東京で追跡劇が見事に描写されています。
しかし、ハラハラドキドキの逃亡手法と追跡者のからみあいに目を奪われていると、話の本筋を見失ってしまいます。
 要するに、アメリカの支配からの脱却を目ざした「核開発」をアメリカが探知し、その圧力によって頓挫させられ、研究者は四散させられるのです。
なるほど、そうなるだろうなと思わせるだけの確かな筆力によってぐいぐいと本のなかに引きずりこまれていきます。
 戦後日本の「核開発」が、どこまで実際にすすんでいたのか知りたくなります。
 それにしても、いまの安倍首相のような無定見で、口先だけの男に、日本の運命をゆだねたくはないと思ったことでした。
(2014年2月刊。1900円+税)

2014年7月11日

自爆営業


著者  樫田 秀樹 、 出版  ポプラ新書

 カローシするまで働かせるブラック企業は許せませんが、ノルマ達成のため自腹を切らせる企業も許すわけにはいきません。
 ところが、ここでまず登場するのは、なんと、あの郵便局なのです。ええーっ、郵便局員が「自爆営業」しているのか・・・。
 郵政公社になってから、年賀状のノルマが厳しくなった。正社員なら1万枚、非正規社員でも1000~3000枚。売上げの少ない「恥ずかしい社員」は、数百人の社員のそろう朝礼のとき、「お立ち台」に立たされ、「申し訳ありません」と謝罪させられる。
 ノルマを達成しない社員は昇進できない。そこで、金券ショップに駆け込んで買ってもらう。管理職だと自腹を切る金額は数十万円になる。
 郵政公社がスタートした2003年に、精神疾患による休職者は400人だったのか、4年後の2007年度には800人近くへ倍増した。自殺者も、毎年30~50人出ている。
 ひえーっ、これって怖い数字ですよね。小泉「郵政改革」の結末の一つがこれなんですね。ひどいものです。
日本郵便の社員は正社員が10万人で、非正規社員が15万人。非正規社員が6割を占めている。そして、非正規社員の6割以上が年収200万円以下。
日本郵便は、20011年、2012年と赤字を出していたが、2013年の決算では黒字となった。それは、非正規社員の大量解雇によって500億円もの人件費を削減したことによる。
現場には、正社員がほとんどいない。非正規社員の時給は720円で、手取りは付き11万円台。
 日本郵便の社員の起こす交通事故の割合は、一般社会の4~5倍と高い。叱責と罵倒の毎日は、労働者を確実に委縮させ、気持ちを急がせ、作業から安全性と確実性を奪う。
 定時の前に出勤し、昼休みに昼食を食べず、午後と夕方の休憩時も働く。
残念なことに、こんなひどい自爆営業は、ひとり「郵便局」だけではありません。他の業種にも、今では広く認められます。そこには、労働基準法も労働組合も存在しないかのようです。でも、権利はたたかわなければ、自分のものになりません。ぜひぜひ、みんなで、少しずつ声をあげていきたいものです。
 ひどいことは許さないという声をあげるのは、自分のためであり、世の中のためなのですから・・・。
(2014年5月刊。780円+税)

2014年7月 6日

作家の決断


著者  阿刀田 高 、 出版  文春新書

 いずれも名の売れた、ベテラン作家19人が大学生たちのインタビューにこたえたものが本になっています。モノカキを自称する私には、とても参考になり、かつ刺激的な内容が満載でした。
作家を名乗るものはとにかく書き続けなければレースから外される。駄作でも何でも、書き続けていけば、充電される。そして駄作がどうかを決めるのは、本人ではなく読者なのだ。森村誠一。
 たくさん読んで、たくさん書く。とにかく書くこと。佐木隆三。
 やっぱり書くこと。いろいろ表現しているうちに、自分の内側の一番辛いことが、コンプレックスみたいなことが、そういうものがあれば、それをテーマに書き始めると、大勢の人に訴える。 結局、過去をふり返ったときの自分の胸の痛み。これが小説だ。津本陽。
 なんでも、とにかく思いついたことは、短くしていいから書いておく。断片があれば、思い出すことができる。断片がないと、何を思いついたのか、あとでたどるのはほとんど不可能。思い出せないと、いいことを思いついたのにと、すごく悔しい気がする。阿刀田高。
 ミステリー、推理小説は、モチーフ、つまり小説を通して読者に訴えたいメッセージを必要としないもの。阿刀田高。
 いろんな人の書いたものを読んでそこから外していく。そして、自分の世界がないものは、まったくダメ。読み直す。何度も読み直す。そして、たくさん読むこと。読んだことによって、他人が書いていないもので自分が書けるものが何かあるって気がつくはずだから、それを書くこと。そして、読み直すこと。最低でも3回は読み直す。大沢在昌。
 モノを書く人が、「知りたい」っていう気持ちをなくしたらダメ、田辺聖子。
 新人は、とくに読者なんか意識してはダメ。小池真理子。
 若いころは、自意識過剰だ。その自意識がないとダメなんだけど、自意識だけでもダメ。小説家は、計算ができて、ナンボだ。藤田宣永。
 小説化には、二つの才能が必要。一つは、文章をつくる才能。もう一つは、ストーリーをつくる才能。面白いストーリーをつくるというのは、努力では、いかんともしがたい。文章については、数を読み、数を書けば誰でもうまくなる。しかし、ストーリーを造る才能のほうは、嘘つきの才能だし、想像力がどれだけ豊かなのかということなので、天賦の才だ。そして、小説化するのに必要なのは、体力。浅田次郎。
 高名な作家のうち、少なくない人が原稿を手書きしているのを知って、同じく手書き派の私は大いに安心しました。漢字変換の、あの一瞬が思考を中断させてしまうのです。
 モノ書き志向の私にとって、大いに役立つ実践的な本でした。
(2014年3月刊。850円+税)

2014年6月28日

有次と庖丁


著者  江 弘毅 、 出版  新潮社

 私は料理ができませんし、しませんので、庖丁のありがたみがさっぱり分からないのですが、プロの料理人は、それこそ庖丁一本というように庖丁を大切にするようです。
 この本は、その庖丁を扱う京都の老舗の周辺を丹念に取材しています。なるほど、そうだったのかと思わずうなずいてしまいました。「有次」は、ありつぐと読みます。創業は元禄3年、1560年という超老舗です。禁裏(きんり)御用鍛治にさかのぼる店で、現在の当主は、なんと18代目。
 京都市中庸区錦小路通御幸町西入ル。錦天満宮の鳥居がある寺町通りから錦小路を西筋一本の御幸(ごこ)町通りをこえて三軒目。鍛治町219番地だ。
 京都の老舗の、あらゆる業態の店では、必ず「有次」印の道具が使われている。ウナギ専用の京サキ庖丁、フグ専門店の出刃包丁、鶏肉店の相出刃庖丁、漬けもの店で大きな赤かぶらを切る両刃庖丁、スシ店の柳刃刺身包丁、カマボコ屋の練り物や天ぷらのすり身をつくる付庖丁。
 「有次」の多種多様な料理道具は、料理人たちの技とこだわりに応えた本物のプロ仕様だ。
 創業が永禄3年(1560年)というと、戦国時代のまっただ中、桶狭間の合戦があった年。関ヶ原の戦いはもっと後の1600年だ。
 さすがによく切れる。だから、おしゃべりしながらつかう庖丁ではない。そんなことをしていたら、自分の手をスパッと切ってしまう・・・。
 良い庖丁というのは、よく切れるうえに、切れ味が長く持つのが一番。切れ味を決定するのは研ぎ。その前に、毎日のお世話が大切だ。「有次」の扱う庖丁は鉄。だから、さびないように、毎日、使い終わったらクレンザーをつかって磨く。
 庖丁をまな板の上にきっちり置いて、刃の方向へ汚れを落としてやる。そして、乾いたタオルで、しっかり拭いてあげる。食器乾燥機を使うと、刃が傷む。自然乾燥で片付けること。
 使い終わって片付けるときには、「ありがとう」と言って、庖丁をみがく。
 「有次」で庖丁が主力商品になるのは、明治から大正にかけてのこと。それまでは、庖丁ではなく、小刀をつくっていた。
 「有次」の店員は、毎日のように、ユーザーの店をまわり、料理人から要望を直接きき、注文をとって修理やメンテナンスをする。これこそ、すぐれた庖丁を京料理界に普及させ、さらによりすぐれたものに昇華させる原動力だ。
 「有次」の和庖丁は、メイドイン堺だ。料亭などのプロは、9割が堺でつくられた刃物・庖丁を使っている。
 毎日、つかった庖丁をきちんと手入れするというのは、信じられませんが、それほど、使い勝手のいい庖丁なんだと思いました。日本のプロ職人は健在なんですね。
(2014年3月刊。1600円+税)

2014年6月27日

食品の裏側2


著者  安部 司 、 出版  東洋経済新報社

 私の法律事務所の隣にもコンビニがあります。もとはガソリンスタンドでしたが、倒産して久しく空き地になっていたところ、その周囲の家屋も追い出して広大な駐車場付きのコンビニになってしまいました。
 私は滅多に利用しませんが、所員は昼食の弁当買いなど、頻繁に利用しています。
 そのコンビニで売られているハンバーグ弁当のハンバーグが、実は、牛肉ではないというのです。衝撃的な内容です。
見た目には、デミグラスソースのかかったハンバーグ。しかし、本物のデミグラスソースはおろか、ふつうのソースもケチャップも使われていない。肉も牛肉ではなく、鶏肉と豚肉に牛脂を加えたもの。牛脂を加えるのは、柔らかさを出すためと、牛肉らしい風味を出すため。
 ハンバーグの赤茶色の美味しそうな色をつけるのは、ベニコウジカビから抽出された赤色の天然着色料。カラメル色素とあわせて使われている。
 ナポリタンにも、ケチャップではなく、トマトパウダーと酸味料などの添加物で色と味をつけている。ポテトサラダのマヨネーズは本物ではなく、添加物でつくったマヨネーズ風ドレッシング。
 ハンバーグに添えられているキャベツは、千切りにカットしたあと、次亜塩素酸ソーダで、何度も洗浄し、殺菌している。風味はなくなり、ビタミンCも壊れてしまうが、黒ずんだり、しなびたりするのを防ぐ。
 白ご飯にも添加物が使われている。古米が使われているときは、さすが「新米シール」は貼られていない。古米はぱさぱさして、美味しくないので油や添加物によって味やつやを補っている。ご飯につやを与えるために植物油を入れる。この油には乳化剤が配合されていて、炊飯油とも呼ぶ。
 さらにショッキングな事例が紹介されています。
 福岡県内の養豚農家で、コンビニの廃棄弁当をエサとして与えるようになったところ、死産が続いた。結局、250頭もの子豚を亡くしてしまった。養豚農家はあわてて元通りのエサにしたところ、お産は以前と同じに戻った。
 うひゃあ、こ、これって怖いことですよね。
私たちの生活を与える食品化学物質のうち、もっとも「わかりやすく、防ぎやすい」もの、それが食品添加物だ。食品添加物こそは自分の努力次第で自分たちに入ってくる前の段階のもの、だから玄関で食い止めることができる。そこが、他の原発やPM2.5・・・、のように容易に逃げられないものとは違う。
 この本を読んで、食品添加物の怖さを久しぶりに自覚しました。
(2014年5月刊。1400円+税)

2014年6月26日

震える・・・許さない!カジノ賭博の合法化


著者  全国カジノ賭博反対連絡会 、 出版  全国カジノ賭博反対連絡会

 自民党がカジノ解禁推進法案の成立を目ざしています。そのため、安倍首相はわざわざシンガポールのカジノを視察して、その実現に向けて世論を誘導しようとしています。
 推進派は規制緩和と経済成長のためと言いますが、要するに、そのホンネは金もうけです。ギャンブルで金もうけしようというのは、戦争のための兵器を売って金もうけしようというのと同じことです。どちらも、弱者を踏み台にして、金持ちがますます金持ちになろうという仕掛けです。
 そんな弱者切り捨て、金持ち礼讃の安倍政権が、片や道徳教育の推進に本腰を入れているのですから、世の中は間違っています。弱者の切り捨ての道徳教育というのは、あきらめを押しつけ、反抗心を奪って従順な羊になれということでしょう。とんでもない「教育」です。これは教育ではなく「訓育」でしょう。
 厚労省によれば、日本の成人男性の1割近く、成人女性の2%近くがギャンブル依存症。ということは、500万人もの日本人がギャンブル依存症の患者だということになる。
 これは諸外国に比べても異常な現象だ。というのも、日本にはパチンコ店が1万軒以上あり、そこに1000万人以上もの人々が出入りしている現実があることによる。
 既に日本は、世界に冠たるギャンブル大国なのだ。そして、そのギャンブル依存症の人々による深刻な事件や犯罪が日々、全国で生起している。
 ギャンブル依存症患者の周囲の人々は、本人の依存行動によって、大変な被害を受けている。家族は、本人の借金の尻拭いをしたりして経済的負担も大きい。家族が良かれと思ってした返済が、本人にとっては、ギャンブル再開の環境が整ったことを意味し、結果として本人の依存行動を助長する。
 この冊子には、ギャンブル依存症の本人と家族、30人の手記が載っています。その始まりがビギナーズ・ラックだったという人が何人もいます。ある日、大勝ちをし、十数万円もの大金を手にして、有頂天になったのです。そして、喧騒の中、たまに大当たりが出ると、その快感を思い出し、忘れることが出来ない。
そして、もうしないと誓っても、ついつい再開してしまう。これをスリップという。
GA(ギャンブラーズ・アノニマス)に参加して、脱ギャンブル1年を無事に迎えると、バスデーを仲間から祝ってもらう。
 ギャンブル依存症は、慢性、進行性の疾患であり、完治することは難しい。
 カジノ賭博場の設置は、窃盗、強盗、殺人、放火などの犯罪の多発をもたらす。
 日本でカジノの合法化を決して許してはいけない。このように痛感させられるタイムリーな小冊子(70頁)です。
(2014年4月刊。1000円+税)

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