弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年2月25日

21世紀の資本


著者  トマ・ ピケティ 、 出版  みすず書房

 いま、全世界で話題になっている本です。小さな活字で600頁もの大作ですが、私は東京への出張の途上の5時間で、「読了」しました。もちろん、理解できたなんて言いません。
 なにしろ私はマルクスの「資本論」も、大学のとき、そして弁護士になってから何回も(すくなくとも3回)読んだのですが、ほとんど理解できませんでした。個々の文章は理解できるのですが、経済理論としては、さっぱりでした。今回のピケティ氏の本も同じです。数式を使った経済理論のところは飛ばし読みするしかありません。
マルクスが「資本論」第1部を刊行したのは1867年のこと。これは、私が大学に入った年より100年前になります。もう150年近くも前になるのですね・・・。
 当時のもっとも衝撃的な事実は、工業プロレタリアートの悲惨だった。1840年代には、資本が栄えて工業利潤は増えたが、労働所得は停滞した。マルクスの分析は、いまもいくつかの点では有意義だ。
アメリカでは、1913年から1948年にかけて、所得格差は急激に下がっていた。これは、大恐慌と第二次世界大戦が引き起こした複数のショックによって生じた。
 1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。とくに、それはアメリカで顕著だった。アメリカでは、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ったというが、それを上回っている。
 フランスの相続記録が長期的にみて世界中でもっとも豊富なのは、フランス革命のおかげだ。
フランス革命のころの人口は3000万人。今は6000万人。アメリカは、独立宣言のころの人口は300万人だった。それが1900年に1億人、今では3億人になっている。人口が100倍も増えた国と、2倍になっただけの国とでは、格差の力学と構造は、まったく違ったものになる。
 資本をめぐる格差というのは、国際的な問題であるよりは、はるかに国内問題である。世界の富裕国の国民所得は、2010年には年間1人あたり3万ユーロほど。富裕国の市民は、3万ユーロを稼ぎ、18万ユーロの資本を保有している。そのうちの半分の9万ユーロは株式、債権、貯蓄、その他の投資だ。
 世界の格差は、下は一人あたり所得が月150~250ユーロの地域(サブサハラ、アフリカ、インド)から、上は2500~3000ユーロの地域(西欧、北米、日本)までの開きがある。つまり、最高は最低の10~20倍高い。世界平均は中国の平均とほぼ同じで、月600~800ユーロだ。
貧困国が富裕国と追いつくのは、それが同水準の技術ノウハウや技能や教育を実現するからであって、富裕国の持ち物になることで追いつくのではない。知識の普及は、天から降ってくる恩恵とはちがう。
 知識の普及は、その国が制度と資金繰りを動員し、人々の教育や訓練への大規模投資を奨励して、各種の経済アクターがあてにできるような、安定した法的枠組みを保証できるかどうかにかかっている。だからこれは、正当性のある効率よい政府が実現できるかどうかと密接に関連している。
 経済成長が長期的に生活水準の大幅な向上をもたらしたのは間違いない。世界の一人あたりの所得は1700年から2012年にかけて、10倍以上も増えている。
 第二次世界大戦の終わりころにもっていた公的負債を富裕国が始末できたのは、基本的にはインフレである。インフレは、また、21世紀を通じて社会集団間での各種再分配をもたらした。資産構造に関しては、18世紀の資本と21世紀の資本とでは全然ちがっている。
 農地は、だんだんと建物、企業資本、企業や行政機関に投資された金融資本にとって代わられつつある。
 イギリスとフランスの一人あたりの国民所得は年3万ユーロ。国民資本は国民所得の6倍、1人あたり18万ユーロ。イギリス、フランスともに農地は今や無価値に等しい。国民資本は二つに区分できる。住居が9万ユーロ、他の国内資本が9万ユーロだ。
 1970年から2010年のあいだでもっとも壮大なバブルは、まちがいなく1990年の日本のバブルだった。
 19世紀のフランス、さらに20世紀初頭になってからのフランスでも、労働と勤勉さだけでは、相続財産とそこから生まれる所得による快適さの水準を達成することはできない。
 資本の格差が、労働所得格差よりも常に大きい。
労働所得の格差は通常は穏やかで、ほとんど妥当とさえ言える。これに比べて資本に関する格差は常に極端だ。
 世代間闘争が階級闘争にとって代わったということはない。
労働所得がかなり均等に分配されている1970年から1990年のスカンジナビア諸国のような国々では、所得のトップ10%が総賃金の20%を受けとり、最下層50%が35%を受取っていた。
 これに対して、2010年代のアメリカのようなもっとも不平等な国では、トップ10分位が総額の35%を手に入れるのに、最下層50%はわずか25%しか受け取っていない。アメリカではすべての富の72%を所有し、最下層50%は、わずか2%しか所有していない。
 トップ十分位のほとんど全員が持ち家だが、不動産の重要性は富の再送を上がると激減する。トップ百分位では、金融・事業資産が不動産を凌駕する。とくに最大級の財産だと、株式やパートナーシップによる持分がほとんどすべてとなる。
 住宅は中流階級と小金持ちに人気の投資だが、本当の富は常に金融・事業資産が主体だ。
世襲中流階級の出現を決して過小評価してはならない。それが国富の3分の1を所有している。バカにした量ではない。
 1990年のフランスに驚くべき新現象があらわれた。トップ層の給与、とくに最大大手企業と金融会社の重役に与えられる報酬パッケージが、驚くような高額に達した。
 20世紀はじめから現在にかけてのアメリカは、当初はフランスより平等だったのに、やがて著しく格差が拡大した。
 1960年代のアメリカは、フランスよりもずっと平等な社会だった。少なくとも白人にとって。しかし、1980年以降、アメリカの所得格差は急上昇した。アメリカの格差拡大の原因は大企業の重役たちが、すさまじい高額の報酬を受けとるようになったせいが大きい。
 アメリカにスーパー経営者が出現した。スーパー経営者とは、大企業重役で、自分の仕事の対価として、非常に高額の歴史的にみても前例のない報酬を得る人々のこと。
 長い目で見れば、労働に関する格差を減らす最良の方法は、教育への投資である。教育と技術が賃金水準のきわめて重要な決定要因である。超高所得の激増はこれまでのところ、大陸ヨーロッパと日本では、それほど顕著ではない。増え方はすさまじいが、その人数があまりにも少ないため、アメリカ並みの強烈なインパクトを持つに至ってはいない。
 アメリカは、多くの人が今日考えているのとは逆に、昔からヨーロッパよりも不平等だったわけではない。まったく違う。
 日本にさえ、20世紀初めには同じくらい高水準の格差が存在した。
 インフレの主な影響は、資本の平均収益を減らすことではなく、それを再配分することなのだ。そして、インフレが招く再配分は、主としてもっとも裕福でない人には不利益に、もっとも裕福な人には利益になる。
 インフレは、レントを排除しない。それどころか、おそらく資本の分配の格差をさらに拡大するのに一役買うだろう。
いま広まっている中国に所有されつつあるという恐怖は、まったく幻想にすぎない。富裕国は自分で思っているより、実際はるかに裕福なのだ。
 ヨーロッパの世帯が所有する不動産と金融資差の債務差し引き後の総価値は、およそ70兆ユーロに相当する。これに対して、中国のさまざまなソヴリン・ウェルス・ファンドの総資産と、中国銀行の準備金は合わせて3兆ユーロ。ヨーロッパの70兆ユーロの20分の1にもみたない。富裕国は貧困国に買い占められようとはしていないのだ。
公的医療保険は、イギリスをふくむヨーロッパのほとんどの国では皆保険だ。しかし、アメリカでは、これは貧困者と高齢者だけのものである。そのくせ、ずいぶん高価だ。
 アメリカの最高エリート大学に入るためには、きわめて高い学費を払わなければならない。ハーバード大学の学生の両親の平均所得は45万ドル(4500万円)と推計される。しかし、高等教育さえ無料にすれば問題は万事解決と思うのは甘い。
累進税制は、社会国家の発達と20世紀の格差構造変化にも中心的な役割を果たしたし、将来にわたって社会国家の存続を確保するためにも重要であり続ける。ところが、累進課税は、今日、知的にも深刻な脅威にさらされ。政治的にも脅かされている。
 アメリカでは、戦前94%にまでなった。1960年代まで最高税率は90%台で安定していたが、1980年代に70%に下がった。1932年から1980年までの半世紀にわたり、アメリカの最高税率は平均81%だった。そして、アメリカの相続税率の最高は1930年代から8年代にかけては70~80%だった。
オバマ大統領の第二期にアメリカの最高所得税率が40%に引き上げられるのか、はっきりしない。アメリカの政治プロセスは1%にひきずられているようだ。富の階層トップでは実効税率は極度に低い。これは問題だ。
 不等式、r>gは、過去に蓄積された富が産出や賃金より急成長するということだ。この富の分配の格差拡大は世界的な規模で起こっている。
 正しい解決策は、資本に対する年次累進税だ。累進資本税は、高度な国際協力と地域的な政治統合を必要とする。
 なかなか真の解決策の見えにくい現代社会ですが、格差がより一層拡大するのは健全な人間社会の崩壊につながることは明らかだと思います。そこをスーパーリッチ層とリッチ層志願予備軍は自覚すべきなのではないでしょうか。
(2015年1月刊。5500円+税)

2015年2月23日

障害児3兄弟と父さんと母さんの幸せな20年


著者  佐々木志穂美 、 出版  角川文庫

 私はまだ読んでいませんが、著者は『さんさんさん―障害児3人子育て奮闘記』(新潮文庫)という本を前に刊行しているとのこと。その後編にあたる話だと思います。
我が子が生まれる前、親はいつだって五体満足に生まれてほしいと願うのは、いわば当然のことです。ところが、なんと生まれた子が三人そろって障害児だったのです。へこみますよね・・・。
それなのに、著者の筆力は、その暗さを感じさせません。さすがは母親の底力ですね。女は強し。母は、さらに一段と強い。そのことを実感させる本です。
 三人の子は、いずれも先天性の障害があった。高機能自閉症。しかし次男は、私立高校の普通科進学コースに進み、企業に就職した。三男は、さらに重度の自閉症児だった。
 自閉症児には、生活において配慮が必要である。長男が重度心身障害、二男が高機能自閉症、三男は知的な遅れもともなう自閉症。洋平は、長男気質で、とことん優しい。動けない。しゃべれない。次男は、愛情の受け方が不器用。三男は、天真爛漫だ。
 自閉症というのは、発達障害の一種であり、特定のこだわりがあったり、社会性やコミュニケーション能力が弱かったりする。知的な遅れのほとんどない自閉症を高機能自閉症とい
う。うっかり否定語・禁止語を言うと大変なことになる。たとえば、「ジュース、買って」と言われてとき、「いま、ダメよ」と言ってはいけない。「あと一時間たったら買おうね」と言わなければならない。「困った子」は、その本人こそが「困っている子」なのだ。
 次男は小学校の運動会のとき、ピストル型のスターターの音がダメなので、笛か電子音にしてもらっていた。それでも、中学校のときは、耳栓をしてがんばれた。高校では、耳栓もいらなかった。
 私は、障害児の親になれて良かった。正確には、障害をもっていても、この子たちが我が子で良かった。この子たちの親になれて、うれしい。障害というものを通して、人が見ていない景色も見ている。うむむ、この境地には、なかなか達することができませんよね・・・。
 障害者を障がい者と書くことが多い。「がい」は「碍」と書く。しかし、「害」の字は、この子たちの生きにくさを実感させる。だから、あえて、「がい」ではなく、「害」と書く。
この子たちを障害なく産んでやりたかった。でも、しょうがないじゃん。悩んで解決のつかないことは悩まない。
 本当にそうなんですよね。私も下の娘が、突然、弱視になってしまい、進路の大幅変更を迫られてしまいました。まさしく、しょうがないじゃんです。本人のせいでも、親のせいでもないことは明らかなのですから・・・。ありのままを受け容れるしかありません。あとは、本人のがんばりと、親としてそれを支えるのみなのです。
家族、そして母と子を考えさせてくれる本でもありました。いじめにあったりもしますが、周囲にあたたかく見守る人が大勢いて、その心の熱さに、読んでいてうれしくなることも多い本です。
 180頁ほどの文庫ですが、目を開かせてくれる思いがしました。
(2014年10月刊。480円+税)

2015年2月21日

東京ブラックアウト


著者  若杉 冽 、 出版  講談社

 私も、世の中の仕組みをまったく知らなかった高校生のころ、漠然とキャリア官僚になるのもいいかなと思っていたことがあります。世のため、人のため、国の政治を少しでも良くしたいという思いがあったのです。官僚って、世の中のことを少しでも良くしたいと考えている人たちの集団とばかり考えていたのです。ところが、現役キャリア官僚の書いたこの本によると、まるで違った存在だというのです。悲しくなってしまいます。日本一のエリート頭脳集団が、国民を守るというより財界・大企業の利権、そして、それにくっついて自己の保身を図るばかりだなんて・・・。信じたくない現実、目をそむけたくなる真実が情容赦なく暴露されています。その典型例が原発です。ひとたび事故を起こしたら、人間の力ではどうにも抑えることができません。この本でも、ありうべからざる原発事故が起きて、ついに東京首都圏に人間が住めなくなる状況が描かれています。
 3.11の福島原発事故も、その寸前まで行きました。今では多くの人が忘れ、目をふさいで「原発再稼働」もありかな、なんて脳天気に考えています。私には、とても信じられません・・・。今では、間違ってキャリア官僚なんかにならず、本当に良かったと心底思っています。といっても、良心的なキャリア官僚が少なからず存在するのを否定するつもりはありません。人をけ落として出世していく主流が問題なのです。
役人がもっとも忌み嫌うのは、自分に責任がかぶせられることだ。霞ヶ関では、他人の意見に同意して相手に好感を持たれるよりも、相手の意見に反対して恨みを買うことのマイナスの影響のほうが大きい。人をほめて引っ張り上げるよりも、悪口を言って足を引っ張るほうが、はるかに楽しいからである。
上からのトップダウンではなく、下からのボトムアップを通例とする日本の官僚制での意思決定では、コンセンサスがとれたもののみが成案となる。結局、恥を知らず、最後まで寝転がった者が勝ちなのだ。
 官庁では、公開の場では、実質的な議論はなされない。
国家公務員上級職試験に受かった連中(キャリア官僚)と、地方公務員試験に受かった連中とでは、試験合格に必要な知的能力の差も、就職後のきたえられ方も、月とスッポンほど違う。
 原発からの住民の避難計画は、住民の安全のためになるかどうかというところにその本質があるのではなく、原発を再稼働させるため住民との関係でどのように納得感を醸成するのか、そこに本質がある。
 キャリア官僚たちは、国益だと口先では言い続けながら、経産省の利益を拡大するためにひたすら汗を流す。その流した汗の量で出世が決まり、利権の分配も決まる。
 そんな国益と私益の二重構造に役所の仕組みがなっていることに、本省の課長たちはとっくに気が付いている。気が付いていないとしたら、よほどのバカである。そんなバカは、ろくな仕事もできないので、ぐるぐる衛星のように外郭図体を回されて、国益と私益の二重構造に気が付かないまま、退官させられる。
 そこまでバカでない者は、国益と私益の二重構造にうすうす気がつきながら、目の前のお金の誘惑に負け、再就職先を官房長からあてがってもらう。退職後の天下り先での給料は、いわば口止め料なのだ。
 政府が原発再稼働を急いでいる本当の理由は、発送電の分離を阻止することにある。原発事故が起きて、メルトダウンが進行しはじめると、住民の避難が遅いことが被害拡大の原因だとされてしまう。
 電子力会社や国にとって、住民の安全というのは、原発再稼働のためのお題目にすぎない。メルトダウンが起きてしまえば、事故の極小化が優先であり、周辺住民は単なる足手まといになるだけ・・・。
 覆面している現役のキャリア官僚ですが、ここまでバラしていいのかと思わせるほど、官庁内部のやりとりが克明に紹介されています。さもありなんと、ついつい思ってしまいました。
(2014年12月刊。1600円+税)

2015年2月20日

亡命者、白鳥警部射殺事件の闇


著者  後藤 篤志 、 出版  筑摩書房

 白鳥事件とは、1952年1月21日、札幌で公安警察官の白鳥(しらとり)一雄警部が自転車に乗って帰宅途中、同じく自転車に乗った男からピストルで射殺されたというもの。
この事件については、殺人事件の逮捕状が60年以上たつのに今なお更新され続けている。容疑者二人が海外逃亡により時効が停止しているため。しかし、その二人は既に中国で死亡している。
 白鳥事件というと、村上国治(くにじ)氏が無実を主張した冤罪事件として定評がありました。白鳥事件を担当した安倍治夫検察官は、のちにユーザーユニオンで活躍した弁護士です。松本清張の冤罪説と真っ向から対立しています。
 白鳥警部(36歳)は札幌市警察本部の警備課長。スパイの元締めもしていた。米軍のCICとも情報交換していたようだ。白鳥警部の警察手帳には、白鳥警部の行動記録が書かれているためか、警察は裁判所へ証拠として提出されなかった。また、自転車は2台とも証拠として提出されていない。
そして、幌見峠で発見されたという弾丸は、とても雪の下で埋もれていたものとは思えないものだった。冤罪説は、この弾丸を最大の根拠としている。
 このころ、日本共産党は中国共産党にならって、軍事武装闘争をすすめていた。軍事部門として、中核自衛隊が存在した。この中核自衛隊は軍事組織として、純粋に組織に対して忠誠を近い、命をかけて仮想敵とたたかった。
 同じ年(1952年)4月、吉田内閣は破壊活動防止法案(破防法)の制定を提案した。
 また、同年6月には、大分県竹田の菅生村で駐在所が爆破される事件が起きた。警察の自作自演の「爆破」だったことが、裁判になって判明した。
 10月1日は衆議院選挙の投票日。共産党は前回の35議席が一挙にゼロになった。
 白鳥警部を実際に射殺した実行犯も、支援グループも中国へ密航して渡った。そして、前述のとおり、中国で実行犯は病死したのです。
 当時の社会情勢を抜きにして白鳥事件を語ることは出来ません。この本は、その点がよく描かれていて、説得力があります。
 要するに、ニセ弾丸はあるものの、村上国治が命令して起きた警察官射殺事件だったのです。今では考えられないことですが、戦後まもなくの殺伐とした世相では、ありえたのです・・・。
 白鳥事件についての最新の到達点が明らかにされています。
(2013年9月刊。2200円+税)

2015年2月17日

東アジア共同体と沖縄の未来


著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社

 今日、世界の生産物、モノの取引の7割はアジアの諸国を通じて行われている。
 今や中国などのアジア諸国は、かつての安価で大量の労働力による「世界の工場」から、分厚い中間層による「世界の市場」へと変貌している。
 かつてはアメリカやヨーロッパ諸国が、世界の生産と貿易と市場の中心だった。しかし、今、その中心がアジアへと移動し続けている。物流の担い手は、いまでは巨大コンテナ船だが、そのコンテナ船に積まれて運ばれる物流の3分の2は、アジアの港湾を中心に運送され、荷揚げされ、消費地へと運ばれている。しかも、アジアの港湾で荷揚げされる物流の半分、世界総量の40%は、アジア域内同士の交易が占めている。
 このように、物流の中心は今や欧米世界からアジア世界へと転移している。
 1980年の港湾ランキングで上位に港湾のうちアジアの港はわずか4港しかなかった。
 今では(2012年)、上位に主要港湾のうちロッテルダムが10位に入っているだけで、ドバイ含めると、11港すべてが広域アジアに属している。
 ところが、日本はトップの東京湾が世界24位、神戸が49位で日本の港は衰退している。
 中国の漁民に変装した特殊部隊が島に上陸するとか、架空の話をふくませて、脅威をあおる。ほら北朝鮮が強いぞ、ほら中国は怖いぞ、尖閣が危ないぞ、だからアメリカ軍の基地はそのままでいいし、自衛隊の増強が必要なんだと言っている。
 自民党は今までの反共イデオロギーの代替物として、これをフルに活用し、親米と反米の矛盾を露呈せずに体面を保ってきた。かつて、ソ連軍が北海道に攻めてくると言って置かれていた海上自衛隊がやることなくなって、その失業対策として西南諸島対策の必要性が言われているだけのこと。
 今の天皇は、きわめて強い思いを沖縄に寄せ、しばしば沖縄を訪れ、そのたびに、「沖縄県民の苦労を日本人全体でわかちあわなければならない」という談話を発表している。
 そして、琉歌を独学で学んで詠んで、毎年、発表している。琉歌を読むヤマトンチューというのは、聞いたことがない。
 今の天皇は一昨年(2013年)12月23日の80歳の誕生日を迎えたときのコトバのうち、NHKは大事なところをわざと隠して報道した。
 天皇は何と言ったか・・・。
 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくり、さまざまな改革を行って今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ改善していくために、当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」
 いまの安倍政権が平和を、そして民主主義を壊す可能性があるという危機感から出てきた言葉である。だからこそ、NHKは、「平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくった」という部分をカットして、そこは報道しなかった。
 これは本当にひどい話です。安倍・籾井ラインのなせる悪行もきわまれりと思います。
 味わい深い、価値のあるブックレットです。
(2014年10月刊。800円+税)
  庭仕事をしていると、近所の奥さんが、昨日、そこにタヌキがいましたよ、と話しかけてきました。やっぱり先日、庭の生ゴミをほじくり返した犯人はタヌキだったのです・・・。
 いつものようにジョウビタキが、すぐそばまでやって来て、私に挨拶します。掘り返した土のなかにいたミミズを放り投げると、おいしそうに食べていました。かといって、私がエサを与えるのを期待して近づいてきているとは思えません。
 ジョウビタキは縄張りがあると紹介されています。縄張りのなかで土を起こしているのを監視しているのかもしれません。
 ずい分と日が長くなりました。今では夕方6時まで庭仕事が出来ます。

2015年2月10日

アベノミクスと日本資本主義


著者  友寄 英隆 、 出版  新日本出版社

 めったにテレビを見ないのですが、たまたまホテルに泊まったとき、NHKがトリクルダウンを図解しているのを見ました。大企業と金持ちを優遇したら、そのうち下々の庶民もおこぼれにあずかれるだろうという絵があり、そのように解説されていました。
 だけど、これは、まるで宝くじにあたるようなものです。たしかに、たまにはあたる人もいるわけですが、大半の人は、「そのうちあたるだろう」という期待を抱かされるだけで、いつまでたっても恩恵を受けることは出来ません。アベノミクスのトリクルダウンって、庶民だましのものでしかありません。この本は、その点を分かりやすく解説しています。
 安倍政権の経済政策は、マスメディアがアベノミクスなどともてはやすほどの、独自の新しい経済理論に裏付けられたものではない。
 アベノミクスの「新しさ」は日銀の国債買い入れなどによる「異次元の金融緩和」政策である。しかし、これは、一種のモルヒネのような、「禁じ手」すれすれの政策であり、長期的にみれば、日本経済を取り返しのつかない危険にさらすことになる。
日本の株価に上昇傾向が続いてきたことは、輸出大企業や金融・証券関連の企業、そして金融資産をもつ富裕層には、法外な利益をもたらした。
 たしかに、飛行機に乗ると、福岡から東京へ行くだけでもファーストクラスを利用する人々で満席になってしまいますので、日本の一部に好景気の恩恵を受けている人がいることを実感させています。それも、案外、20代とか30代という若い人たちが利用しているのですから、たまりません。
 トリクルダウンというのは、経済理論というより、一種の政治思想だ。経済学者で「トリクルダウン理論」なるものを発表した学術論文はない。
 日本経済の現実において、トリクルダウン的な経済の「好循環」は働いていない。いま、「メイド・イン・ジャパン」ではなく、「メイド・バイ・ジャパン」なっている。「メイド・イン・ジャパン」とは、日本国内で日本企業が生産して製品を輸出すること。「メイド・バイ・ジャパン」は、海外への投資を促進しながら、グローバル企業の活動を支援しようとしている。
 トヨタ自動車の総売上高は、1996年には、日本農業の総産出額と同じだった。しかし、その後の20年で大幅に格差が広がり、最近では、トヨタ一社の売上高は、日本全体の農業総産出額の2.5倍にもなっている。
 全世界で、富と貧困の格差が拡大しており、1%の富裕層が世界の富の半分を独占している。
消費税の税率が8%になってから、深刻な不況は一段とすさまじいものになっています。総選挙が終わって、ますます物価は上がり、福祉は削減される一方です。消費税が8%にアップし、さらに10%へアップするというのですから、たまりません。アベノミクスなんていう言葉に、私は絶対にごまかされたくありません。安倍首相の一刻も早い退陣をひたすら待ち望んでいます。これも、世のため、人のためですよね・・・。
(2014年6月刊。1600円+税)
 日曜日は急に寒の戻りがありましたが、庭の紅梅が咲いています。白梅のほうは、まだつぼみでしかありません。
 昨年はたくさんの梅の実がなくなりましたが、それは白梅のほうでした。今年は紅梅も実をつけてくれるのでしょうか・・・。
 冷たい風の吹くなかで球根の植え替えをしていると、いつものようにジョウビタキが近寄ってきます。遊びましょ、と声をかけてくるという感じです。図鑑によると、オスのようです。黒っぽい頭とノド、そして茶色のぷっくりしたお腹、羽に白い斑点があります。本当に愛嬌たっぷり、可愛らしい小鳥です。手のひらにのせて頭をなでてやりたくなります。
 チューリップのつぼみがどんどん頭を出しています。春は、もうすぐです。

2015年2月 7日

美しすぎる数学


著者  桜井進・大橋製作所 、 出版  中公新書ラクレ

 数学の大好きな知人からすすめられて読んだ本です。
 数式を形にあらわしてみたらどうなるのか・・・。こんなに美しい物体になるとは驚きです。
 数学は芸術である。数学は美しい。数学とは物語である。数学とは言葉である。数学とは道具である。世界は数学でできている。数学ほど役に立つ者はない。数学は人類がつくり出した最高の芸術作品である。
 これまでは、黒板や教科書、液晶モニターを通して、離れたところから眺めて想像するしかなかった数学。それが、数楽アートを手に取とり、その重さを感じながら、見事な技術でカッティングされた直線や曲線を指で触ることができる。
 数楽アートという製品は、もともと存在しなかった。数学で用いられる「2変数関数」を、金属加工技術を使って立体グラフ化した。世界で初めてのステンレス製アート・オブジェ。
数楽アートの一番のポイントは、光。表面に光沢を有するステンレス鋼材を格子状に組み上げているため、幾何学構造が織りなす「光のハーモニー」を楽しむことができる。それによって、立体の構造を把握することができる。数楽アートは、3次元の立体を表現している。
 数楽アートは、光沢を有するステンレス鋼材を用いているため、光をよく反射する。
 数楽アートは、その軌跡をNCデータというレーザー加工機を動かすためのプログラムに変換することで再現している。
 光沢のある鋼材の表面に、傷をいっさい付けることなく切断する。そのために開発された専門技術。
五感を研ぎすまし、ときに呼吸を止めながら、全神経を「数式」の一片一片に集中させる。
数楽アートの実際がいくつか紹介されていますが、いずれも、思わず息を吞む形と美しさです。数学は美しいという言葉を素直に受け入れることができます。
 放物線、円錐、半球、それぞれが、きらきら輝くステンレス板からなる物体として目に見え、手でさわることができるのです。
 従業員100人、売上高30億円という規模の中小企業が果たした偉大な成果です。池井戸潤の小説『下町ロケット』の本を、つい思い出してしまいました。
(2014年9月刊。1000円+税)

2015年2月 6日

日本政治とメディア


著者  逢坂 厳 、 出版  中公新書

 敗戦直後のNHKには、「出獄者に聴く」という番組があった。1945年10月のこと。徳田球一などの共産党の大物をはじめ、敗戦で解放された思想犯、反戦主義者を次々にラジオに主演させた。特高警察の拷問や刑務所内での虐待、そして自らの信念を自由にしゃべらせ、多くの日本人にショックを与えた。
 1945年12月に始まった番組、「真相はかうだ」は、戦時中の日本軍の残虐行為の実態を描き出し、日本人の再教育と非軍国主義化を狙った。このシリーズは、自衛のための戦争だと信じこまされていた日本人に、それが軍部のたくらんだ侵略だったことを、順を追って解説していった。
 今となっては、NHKがそんなことをしていたなんて、信じられませんよね。今や、NHKは、籾井会長以下、安倍政権の御用達放送と化しつつあります・・・。残念ですね。
 1960年の安保報道について、新聞が抑制的だったのは、そもそも安保改定を是認していたからだ。うむむ、そうだったのですか・・・。
 池田勇人は、大蔵大臣当時、「貧乏人は麦を食え」と失言するなど、高圧的で「荒武者」のような人物と思われていた。官僚出の、性格の激しい池田に対して周囲が心配して、池田は側近と議論を重ねたあげく、「寛容と忍耐」、「話し合いの政治」をモットーとし、「低姿勢」が採用された。
 「庶民になりきる」ため、池田勇人はゴルフと料亭への出入りを止めた。荒武者・高姿勢から、ニコニコ・低姿勢にキャラクターを変更したのだ。
 佐藤栄作は、新聞記者を嫌っており、生真面目な性格で、口も堅く近寄り難い雰囲気の佐藤を記者も嫌っていた。
 「テレビ・カメラはどこかね。テレビ、どこにいるかと聞いているんだ。テレビにサービスしようというんだ。新聞記者の諸君とは話しないことにしているんだ」
 「偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接。国民に話したい」
 田中角栄のスキャンダルについて。外国メディアが報道するまでは、日本のマスコミは報道しなかった。それは、新聞やテレビなどが田中となれあい、「身内意識」があったからではないか・・・。
 1976年7月27日午前、東京地検は田中角栄を逮捕した。私は、この日、偶然にも東京の裁判所に行っていて、騒然とした雰囲気を身近に体験しました。
このころ、NHK経営陣には、政治、とりわけ田中派への配慮が目立った。
NHKの会長職は、法律的には経営委員会で任命することになっているが、実質的には首相ないしその意を体した人物が決めるのが慣例になっている。
 竹下登内閣のとき、15代のNHK会長になった島桂次(シマゲジ)は、大平や田中、鈴木善幸について、「心のそこからの友人」と自称し、晩年の池田勇人に宏池会の今後を託され、「派閥の一員として活動するように」なったと自ら語る大平派の派閥記者だった。
自民党と社会党の「野合」からなる村山政権は、「野合」への嫌悪感から、3割という低い支持率からスタートした。理念なき「野合」は政党そのものへの信頼を奪い去った。
 山田洋次監督は、「政治の裏切りは、人間の心の奥底に染み込んでいき、退廃的な気持ちにしていく」と指摘した。
 1998年の参院選の敗北は、自民党にショックと困惑を与えた。
 自民党は、団体・組織に加入していない一般の国民にとって縁遠い存在になっている。
 小泉純一郎のメディア対策については、第一に、派閥というコミュニケーション・ルートを攻撃して弱体化させ、総理としてのコミュニケーション・ルートを開いて世論に対峙した。第二に、ワイドショーやスポーツ紙、週刊誌などの「軟派メディア」を盛んに活用した。
無党派層が増えたのは、自民党が社会党と「野合」したためだった。無党派へのアプローチを限定的にしたのも自民党だった。というのも、戸別訪問を解禁しようとしたのをつぶしたのは自民党だった。だから、「空中戦」、つまり、テレビに頼らざるを得なかった。
 政権とメディアは、基本的に対抗関係にある。
 いえ、メディアが対抗関係になかったら、単なる政府広報でしかありません。独自の存在価値はないのです。
戦後の日本政治とメディアの対抗そして共同関係の実情を掘りおこした労作だと思いました。
(2014年9月刊。920円+税)

2015年2月 5日

集団的自衛権容認の深層


著者  纐纈  厚 、 出版  日本評論社

2014年7月1日は、後世に長らく記憶される日となった。安倍内閣が集団的自衛権の容認を閣議決定した日だ。
 力には力で対抗するという旧態依然とした力の論理や、抑止の論理が今なお幅をきかしている。しかし、武力による対応は、しょせん緊急避難的な措置にすぎず、恒久的な対策にはなりえない。それは、かえって戦争を呼びこみかねない危険な選択だ。いま必要なのは、長期的な視点に立った戦略的平和論の構築である。私たちは、武力に依存しない平和社会を築きあげていく知恵をしぼり出す必要がある。
 歴史の事実からすれば、力を背景とした外交とは、本来の意味の外交ではなく、戦争を誘引する罠が潜んだものである。
 安倍晋三のすすめる政治潮流は、赤裸々な国家権力による社会統合路線であり、民衆動員路線である。
 そして、安倍首相の自主国防路線の延長上には、核武装国家構想が存在している。
 日本の防衛費には、軍人恩給が含まれていない。遺族年金は軍人恩給の一種である。日本は欧米諸国と異なり、これらが防衛費として扱われていない。軍人恩給は年間1兆円に達しており、これを防衛費に取り込むと、日本の軍事予算は、フランスと同等以上となり、世界6位となる。
 いま、陸上自衛隊は、戦車を1300両も保有している。1両11億円(1990年度)もする。なぜ、この狭い国土に1300両もの戦車がいるのか。それは、軍事的意味というより、陸上自衛隊の存在(プレゼンス)と防衛(軍需)産業との癒着関係から生まれたものとしか考えられない。ホント、そうですよね。戦争でもうかる嫌な人々がいるのですね・・・。
 そして、海上自衛隊は、136隻の艦船と300機近い航空機を保有している。イージス艦も10隻を保有しようとしている。
 日本は、世界有数の武器輸入大国である。それは、アメリカの軍需産業を支えている。
 自衛隊は、アメリカとの同盟関係に便乗しながら、もう一方ではアメリカ軍への従属性を希薄化させ、自立した国防軍への変貌の機械をうかがっている。
 2009年6月、防衛参事官が廃止された。これは、防衛参事官(文官)が制服組(武官)を統制する文官統制のシステムを廃止したことを意味している。
 統合幕僚会議から統合幕僚監部への組織再編にともなう、統合幕僚部議長の三自衛隊に対する統合運用権の付与は、文民統制をその根本から破壊し、最終的には同議長が軍政と軍令を一元的に掌握するための第一歩である。
 防衛省は、2009年8月、防衛大臣直属の自衛隊情報保全隊を新設した。三自衛隊の統合部隊として防諜を任務とする防諜組織である。1967年の発足時に60人だったのが、2003年には調査隊から保全隊になったときには900人の部員を擁した。
 保全隊とは、要するに現代における「憲兵組織」なのである。平時にあって国民を監視し、有形無形のレベルで国民への規制を加え、言論や活動の自由を束縛する行為を常態化する。そして、戦時においては、国民の戦争への動員を円滑化させる役割を担う組織なのである。
 日本の自衛隊が「国防軍」を目ざしていること、そのとき、アメリカ軍から相対的に自立することも目指しているのではないかという鋭い指摘がなされています。
(2014年11月刊。1800円+税)

2015年2月 3日

ワタミの初任給はなぜ日銀より高い?


著者  渡辺 輝人 、 出版  旬報社

 えっ、天下の日銀、銀行の銀行である日本銀行より、かの有名なブラック企業であるワタミのほうが初任給が高いだなんて、そんなのウソ、ウソでしょ・・・。
 ところが、HPによるとワタミの大卒初任給は24万円超なんです。それに対して、日銀の大卒、初任給は20万円超でしかありません・・・。トホホ・・・、です。これは、おかしい。何かのカラクリがあるに違いない。本書は、そのインチキなカラクリを解説していきます。
ワタミの月収には、月平均所定労働時間数に対応する賃金に加えて、残業や深夜早朝の労働を前提にして、労働基準法で定められた時間外割増賃金、深夜早朝割増賃金があらかじめ織り込まれている。つまり、ワタミの賃金は、いわば水増しされている。
 賃金水増しの求人広告が禁止されていない。これは問題だ。
 割増賃金の未払いは犯罪である。労働基準法違反は、6ヵ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科せられる。そして、同額の付加金が課される。
 サービス残業は、経営責任を負っているものの甘えであり、経営リスクそのものである。サービス残業を放置しておくと、企業の投資家や債権者に対する背信行為ともなる。
 ワタミでは、1日8時間労働のうえに2時間の法定時間外労働が課され、労働時間全体のうち6時間程度は、深夜早朝の時間帯であり、休日は完全週休2日が必ずしも保障されない。このような職場では、いかに20代の若者でも、なかなかハードなのではないか。
 残業代は固定残業代として支払い済みになるため、ワタミでは月収24万円以外には、一円の残業代も支払われない。
 「年俸400万円」というように、年額を大まかな数字で提示する事業所も要注意。これも固定残業代などが「込み込み」になっている可能性がある。
 また、やたらと「楽しさ」「やりがい」などの精神論を強調する企業も注意すべき。
固定残業代が支払われていても、それに対応する時間をこえる時間外労働がある場合には、会社は残業代の計算をして、別に支給しなければならない。だから、本来、会社にとって固定残業代のメリットはあまりない。それでも、見かけの賃金を高くすることによって、労働者を誘引するなどの効果はある。
 残業命令は明示である必要はなく、黙示の指示があればよい。
 記録がないなら、自分で記録すればよい。そうなんです。自分が書いたメモでも、十分にたたかえるのです。はじめから、手元に証拠がないといって、簡単に残業代の請求をあきらめてはいけません。
 ただし、残業代は2年で消滅時効にかかってしまう。
京都の若手弁護士による、とても実践的な残業代の請求の手引書です。サービス残業地獄からの突破法というサブタイトルがぴったりくる本でした。ぜひとも、みなさん大いに活用してください。
(2015年1月刊。1500円+税)
 日曜日の朝は風もなく、を思わせる温かい陽差しでした。春の近さを実感しました。
 午後から庭に出て球根の植え替えをしました。いつものようにジョウビタキがやってきて、近くで畑仕事を眺めています。
 いま、黄水仙が咲きはじめ、クロッカスの黄色い小さな花も咲いています。チューリップの芽もどんどん出ています。
 日が長くなり、気がついたら、もう夕方の6時でした。空に月が輝いています。
 さあ、風呂に入りましょう。身体を温めて、疲れをとります。蚊も虫もいない今は、畑仕事が一番やりやすい季節です。

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