弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年1月11日

菅生事件第一審裁判記録


著者  菅生事件60周年記念事業実行委員会 、 出版  同

 菅生事件が起きたのは昭和27年(1952年)6月2日午前0時すぎのころのことでした。大分県竹田市菅生村の巡査駐在所が爆破されたという事件です。この事件が何より怪しいのは、事件の前に、この駐在所の周辺には、大分県警の警察官が何十人も周囲に潜んでいて、同じように新聞記者もじっと待機していたということです。
 しかも、駐在所に住む警察官はいつでも出勤できるように長靴をはいていて、その妻も今夜、駐在所が爆破されるというのを知らされていたということです。
 これでは犯人として捕まった二人は、まるで「まな板のコイ」です。現場に三人いたはずの「犯人」のうちの一人は警察に「連行」されたあと、行方不明になってしまいました。
 そうなんです。その一人こそ、現職の警察官であった戸高公徳でした。「市木春秋」と名乗って現地の共産党に接近して、共産党員を現地の駐在所におびき寄せたスパイだったのです。
 この戸高公徳は、事件のあと東京に潜伏しているところを、共同通信の記者に摘発され、裁判にかけられます。ところが、戸高公徳は、警察では、その後は格別に優遇され、警察大学校の教官になったり、警察共済組合の幹部にまで昇進したのです。
この裁判記録は、そんな菅生事件の苦難のたたかいを改めて掘り起こしたものです。ガリ版ずりの一審の記録を大分地方検察庁の記録を閲覧して、活字にして、読みやすくしたのです。大変な苦労があったことと思いますが、たしかに活字にしないと忘れ去られてしまう記録でしかありません。
 昭和27年(1952年)4月の起訴状から菅生事件の前史の裁判は始まります。そして、昭和27年8月13日の公判から清源(きよもと)敏孝弁護士の無罪を目ざす弁論が始まるのです。
 はじめのうちは「市木春秋」が何者か分からなかったから大変です。事件直後から姿を消したのは怪しい。そして、反共の有力者宅に寝泊まりしていたけど、誰も、その素性を知らないのでした。こんなハンディを背負って、現場近くで駐在所爆破の現行犯人として二人の共産党員が捕まり、裁判が進行していくのです。
 この背景には、当時の日本共産党が中国にならって暴力革命路線をとっていて、「中核自衛隊」という軍事組織をもっていたことがあります。北の「白鳥事件」は「ぬれぎぬ」とは言い難いものがありましたが、この菅生事件は、まさしく典型的なぬれぎぬ事件でした。裁判では、大勢の警察官や新聞記者が、なぜ爆破された駐在所の周囲に待機していた(させられていた)のかということが問題となります。
 その真相は、大分県警がスパイ戸高公徳に命じて、二人の共産党員を駐在所付近へ招き寄せていたということです。駐在所の爆破それ自体も警察官がやったものでした。
 外から投げ込まれた爆弾が爆発したのではないこと。駐在所夫人の身の安全に危害を及ぼさない程度の爆発であること。こんな条件をみたした爆発事件だったのです。
 被告弁護側は、何度も裁判官に対して忌避中立をします。まさしく予断と偏見をもった裁判の進行がありました。こんな事件で有罪判決が下されるなんて、まるで信じられませんが、昭和30年7月2日の大分地裁の判決は有罪でした。懲役10年ないし8年です。
 もちろん、被告弁護側は直ちに控訴します。福岡高裁は昭和37年6月13日、無罪判決を下しますが、それは、スパイ・戸高公徳が東京で発見され、ついに法廷で証言せざるをえなかったことによります。
 「小雨の中を2時間も駐在所前に張り込み、犯人の来るのを待ち受けていた」
 「事件当時、既に鑑識課員が現地に派遣されていた」
 これらは、被告人の有罪を肯定する証拠がないことになる、としたのです。弁護人は、駐在所内の爆発状況を再現実験していますが、この実験結果も、被告人らの無罪の根拠とされています。
 私は40年前の弁護士なりたてのころ、被告人の一人であった坂本久夫氏と何回か話したことがあります。神奈川県で国民救援会の仕事をしておられました。とても小柄な男性です。
 駐在所内の再現実現のとき、背が低いので電燈のソケットに届かないという写真がありましたが、なるほどと本人を見て思いました。
 当時の共産党が山村において「中核自衛隊」という無謀な行動をしていたことはともかくとして、警察が共産党弾圧のためにスパイを使ってまったくのぬれぎぬ事件を創り上げたことを、そして、その無罪を明らかにするためには大変な苦労が必要だったことを、よくよく思い出させる貴重な裁判記録です。復刊の努力をされた実行委員会に対して、心より敬意を表します。
 年末年始に読みふけってしまいました。
(2014年10月刊。4000円+税)

2015年1月 9日

日本は戦争をするのか


著者  半田 滋  、 出版  岩波書店

 今年、1月1日の新聞に天皇の感想全文が載りました。私は以前より、今の天皇の行動と言葉について心から尊敬しています。いま安倍政権のすすめている施策について、天皇が大変な危機感を持っていることが、強くにじみ出ている言葉だと思います。以下、後半の部分を紹介します。
 「本年は、終戦から70年という節目の年に当ります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まる、この戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
 天皇が過去の歴史に学べと言っているときに、安倍首相は過去を美化し、侵略戦争なんてなかったとうそぶいているのです。
 国民の疑問に丁寧にこたえ、不安を解消していくのが政治家の務めのはずだが、安倍首相は違う。国内においては、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」と繰り返して国民の不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張りあげる。
 安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」によってあらわれるのは、「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」でしかない。
アメリカが「靖国参拝は見送るべきだ」と明言していたのに、安倍首相は、それを無視して靖国神社への参拝を強行した(2013年12月)。
さすがに、昨年(2014年)12月には参拝を強行することは出来ませんでしたが...。
 そんな安倍首相をアメリカがこころよく思うはずがありません。「大変失望した」というコメントを出したり、オバマ大統領との会談がごく短時間の形式的なものですまされてしまったりしました。
 日中交流は、これまで年間30回から40回はあっていたのが、第二次安倍政権になってから、ゼロになってしまった。
これは、ひどいですよね。政府間の交流がなくなっても民間交流のほうは続いていますし、中国からの訪日客が日本にとっての大きなビジネスチャンスになっているのに、安倍政権は「中国脅威論」をあおるだけなのです。怖くて仕方がありません。こんな人物に日本の政治を安心してまかせるわけにはいきません。
 日本の自衛隊は、たしかに相当の武器をもって海外へ出て行った。しかし、自衛隊が海外で高い評価を得たのは、武力行使をすることなく、地元(現地)の復興に役立つ「国づくり」「人助け」に徹してきたから。アメリカのように戦争しに行ったからではない。
 ある自衛隊幹部は、「尖閣諸島をめぐる日中の対立から、自衛隊が駐在する沖縄本島・宮古島が占領される恐れがある。これを奪回するのが水陸両用部隊の役割になる」と言った。中国による沖縄侵略に備えているという。しかし、日本人が住んでいる島を中国が侵略すれば国連憲章違反になるし、そんな事態は現実には考えられない。そして、もし沖縄の諸島が中国軍に占領されたとすれば、日本政府が「抑止力」と説明している沖縄の海兵隊には意味がないことになる。いずれにしても、明らかに矛盾している。
私も、本当にそうだと思います。ここにあるのは、現実的なシナリオではなく、あくまで根拠のない危機あおりだけなのです。
 北朝鮮が怖いぞ、怖いぞと安倍政権は強調する。しかし、日本を「守る」ためのPAC3は
1000基以上が必要なはずなのに、実際には32基しかない。
 日本には使用済み核燃料棒を保管する原発とその関連する施設が55ケ所もある。通常弾頭でも、それが命中すれば未曾有の量の放射線に汚染されてしまい、日本列島は廃墟と化してしまう。
 そうなんですよね。日本列島に50ケ所以上もある原発を日本の自衛隊がテロ攻撃から守りきることは不可能なのです。つまり、日本はすでに大切な我が子を人質にとられているようなものなのです。戦争なんて、口にすることすら出来ないのが今の日本なのです。
 安倍首相は、それなのに軽々しく他国の脅威をあおりたてているわけです。まったく日本人を守るべき日本の首相とは認められません。
 日本の置かれている状況を真正面から考えるのに役立つ新書として、ぜひご一読ください。
(2014年7月刊。740円+税)

2015年1月 8日

オウム真理教事件・完全解説


著者  竹岡 俊樹 、 出版  勉誠出版

 オウム真理教が横浜の坂本弁護士一家を殺害したのは、1989年11月4日のこと。そのころ、オウム真理教の信者は5千人足らず。
 私は、坂本弁護士一家の遺体が発見される前、まだオウム真理教が殺害犯だと判明していないときに、殺害現場のアパートを見に行ったことがあります。つましい、どこにでもあるような2階建ての木造アパートでした。どうやら、たまたま出入り口のカギがかかっていなかったようなのです(本当でしょうか・・・)。
 オウム真理教の発展を邪魔する存在だという麻原の指示によって、一家三人とも殺害されてしまったのでした。こんなものが宗教の名に価するはずがありません。にもかかわらず、この殺人教団が今も名を変えて日本に存続していることに、鳥肌が立つと同時に、世の中が信じられません。この本は、そんなオウム真理教に深く立ち入って分析しています。今から15年前の本ですが、大変勉強になりました。
 著者の結論を先に紹介します。
 オウム真理教事件は、戦後の日本社会がたどりついた負の極点、最大の汚点であった。
 オウム真理教は、我々が非論理的、非科学的として葬ってきたことをかき集めて再構築している。
恐ろしいのは言語化できない肉体、感性的な事象である。それが論理によって組みあわされ、意味づけられてしまえば、当人がその是非を判断することなど不可能になってしまう。信者たちは、修行によって得られる甘美な肉体感覚によって麻原の虚偽の深みへとはまり、いつの間にかサリンを撒くようになる。オウム真理教という特異なシステムの中に入ったら、誰だってサリンを撒く可能性が十分にあるのだ。
 ひえーっ、これって、とても恐ろしいことですよね。また、これが本当だからこそ、オウム真理教事件が単なる過去のことではなく、現代日本に今なお尾を引いているのでしょうね。だからこそ、15年前に刊行されたこの本を読む意義は、今も大いにあるというわけです。
 オウム真理教が発足したのは、1987年。このときの信者数はわずか6人。そして8年後の1995年には1万人の信者を擁した。信じられないほどの急成長です。
 1995年、オウム真理教の出家修行者は女性が6割近い661人、男性が41%の459人だった。信者の最終学歴は、大学院2%、大学卒38%、短大7%、専門学校17%、高卒
25%、中卒2%だった。
 吉本隆明は、オウム真理教を高く評価していた。なんということでしょうか・・・・。
 信者には、オウムの教えが心の奥底まで浸透し、潜在意識の中にまで入り込んでいる。本人が、ほとんど無意識の状態の中で、教えを叩きこまれている。
 オウム真理教は、1990年にボツリヌス菌の培養、波野村(熊本県)でホスゲンの生成プラントを建設した。そして、1992年には炭疽菌の培養をはじめ、1994年にサリンの生成に成功した。LSDも同年、その生成に成功した。
麻原は、本人が「絶対者」となって人々の上に君臨したいという強い欲求をもっていた。また、麻原の神格化は、麻原自身と側近たちがともに推進した。麻原の神格化の表れが巨大な椅子である。
麻原に気に入られようとする打算的な人間が少なくなかった。子羊のように従順で、純朴な人たちが多かった。幹部たちは麻原にゴマをすった。みんな、地位や権力に執着していた。
 教団は、麻原を信者とが一対一で結ばれている、奇妙な集団だった。信者同士の横のつながりというのはほとんどなかった。信者同士の横のつながりを麻原がひどく嫌っていた。
 ステージとホーリーネームは、麻原による教団支配のための格好の道具であった。
 みんな、教祖である麻原に気に入られたい、かわいがられたい、認められたい、その一心で、競いあっていた。そのためには、手段を選ばない風潮ができあがっていた。本当に恐ろしい、特殊な世界ですよね。
 教団は、麻原を絶対的な頂点とした権力組織へと変わっていた。麻原自身は家族とも切れていなかった。麻原一家の住む部屋は、すごくデラックスで、食事も信者とは別の者だった。
 麻原が否定したのは、憎しみの対象である現実社会そのものだけで、自分自身ではなかった。麻原は、自らにエゴやプライドを温存し、巨大化し、それを正当化した。
宗教を道具として利用し、信者たちを兵器へと仕立てあげていった麻原は宗教者ではない。この日本社会を滅ぼしにやって来た悪魔であるとしか言いようがない。
 本当に怖い「えせ宗教」です。そんな「エセ宗教」が名前を変えて今も生き続けていることに改めて恐ろしさを感じます。
(2009年11月刊。900円+税)
 明けましておめでとうございます。
年末年始は、娘たちが帰ってきてくれて、にぎやかに楽しいお正月を過ごすことができました。そして、例年どおり、庭仕事に精を出しました。
 いま、ロウバイの花が真っ盛りです。黄色い丸い粒々の花です。黄色というか、ハチミツの固まりのような花で、甘い香りが漂います。
 暮れにチューリップを植え終わりましたので、地上部分の枯れた球根類を掘り起こして植え替えします。すると、チキチキというよりタキタキという音がします。頭を上げると、すぐ目の前にジョウギビタキがいます。
 「何してんの?」と言わんばかりに、わざわざ近寄ってきて、私の作業を眺めるのです。
 ぷっくらしたお腹で、黒を黄色に、少しだけ白い部分があります。尻尾をチョンチョント振って挨拶してくれます。人を恐れず愛敬たっぷりのジョウビタキとともに庭仕事を続けます。
夕方、薄暗くなったら早々に風呂に入って身体を温めます。極楽、極楽という心地に浸ります。

2014年12月31日

データで読む平成期の家族問題


著者  湯沢 雍彦 、 出版  朝日選書

 日本の家族に関する面白いデータが満載の本です。
平成22年(2010年)時点では、男の80%、女の90%は50歳までに一度は結婚している。
 児童虐待は小さなものまで含めると最近は急増し、年に6万件が報告されている。格差が拡大し、低所得家族での親子関係は悪化している。
 夫婦として暮らしている者(内縁を含む)は3200万組あり、年間の離婚件数23万件は微々たるものにすぎない。したがって、制度としての婚姻は健在であり、夫婦と親子の大部分は安定していると言える。
 出生の実数は、平成2年に122万人、平成12年に119万人、平成23年は105万人と減少を続けている。
 婚姻件数は、昭和47年に史上最高の110万件、婚姻率10.4%。その後、急速に下降し、昭和62年に69万件、婚姻率5.7%、平成25年には66万件、婚姻率5.2となっている。このように婚姻志向は明らかに低下している。
 結婚式の費用は、平成23年344万円。ご祝儀226万円を除いて、120万円の負担。招待客の平均は74人で、やや減少しつつある。
 この25年間で目立つのは、再婚の増加。再婚における女性のためらいは、非常に低くなってきた感じである。
 「妻の氏」を称する再婚が、妻再婚の場合に6.6%、夫再婚の場合に4.7%、そして再婚同士の場合には9.0%。この最大の理由は、子連れで再婚する妻とこのために、その姓を変えないようにしたいという思いやりが強まったことによる。
平成1年の離婚件数は15万8000件、平成14年には29万件となった。ところが、平成15年から減少していて、平成23年には23万6000件となった。日本は離婚が多い国とは言えない。先進国の中では、イタリアを除いて、最も低い。100組に1組の夫婦も離婚していない。
 日本では、養子縁組が年間8~10万件ある。日本は世界有数の養子大国である。ところが、特別養子縁組は、この10年間に年間400件未満しか成立していない。
 葬儀費用は平均231万円。高額なのは東北で283万円、低額なのは四国で150万円。
 樹木葬墓地は、供養代を含めて50万円ほど。
成年後見の申立は平成12年に7451件、平成23年は2万6000件で、4倍近くも増えた。禁治産の申立件数の10倍にもなる。認定されたものの累計は21万人。
 しかし、ドイツは、人口が日本の3分の2でしかないのに、年120万人が利用している。日本も120万人が利用して当然なのだが・・・。
これらのデータは、日本の家族問題を考えるうえで、また家族をめぐる事件に対処するとき、必須不可欠の基本的知識と言えます。
(2014年10月刊。1400円+税)

2014年12月25日

僕たちの国の自衛隊に21の質問


著者  半田 滋 、 出版  講談社

 集団的自衛権についての解釈変更が閣議決定され、いよいよ日本の自衛隊が海外に出かけていって、アメリカ軍と一緒になって戦争をする事態が現実のものになろうとしています。憲法改正することもなく、そんなことをするなんて、まさに無茶苦茶ですが、自公政権そして安倍首相の暴走が止まりません。
 この本は、将来、戦場に行かされる君たちへ・・・、と題するものです。そんなの関係ない、なんて言って、のほほんと構えているわけにはいきません。いつ「赤紙」が来ないとも限らないのですから・・・。
 著者は、20年以上も、防衛省や自衛隊を取材してきた新聞記者です。海外にも、サマーワ(イラク)やアフリカなどの自衛隊の派遣先にも、現地へ足を運んで取材しています。
自衛隊員は22万5千人。陸上14万人、海上4万人、航空4万人。
 日本は、潜水艦を16隻もち、戦闘機は260機を保有している。
 日本の自衛隊は、護衛艦、戦闘機、戦車などの主要な武器が新しくて性能が良く、十分な訓練を積んでいて、自衛官の質と士気が高いことから、世界有数の軍事力をもつと考えて良い。
日本の防衛費は5兆円ほど。人件費・糧食費が44%を占めており、武器を購入する物件費は削られている。
 イージス護衛艦は1隻1400億円、潜水艦は500億円、F35戦闘機は1機100億円する。10式(ヒトマル)戦車は1両10億円。
日本に駐留するアメリカ軍の経費の8割近くを日本が負担している。これは1700億円を超す。
 アメリカの将兵の住む住居の水道・水光熱費までが日本が負担している。もちろん、私たちの税金が使われている。
 日本にいるアメリカ軍は、日本を守るためにいるのではない。日本安保条約によって、アメリカ軍はただ同然で日本にいるが、それでも、自分の都合のよいときに戻ってきてくれるはずだが、本当に戻ってきてくれるという保証はまったくない。なぜなら、自分の都合で、いつだって自分に米軍基地を離れて行動することを認めるという密約があるから。
 イラクのサマーワにいった自衛隊員は、アメリカ軍と一緒になって戦争しに行ったのではなく、あくまでも人道的見地からの復興支援活動だった。だから、自衛隊の装甲車には、大きな日の丸がついていて、漢字まで書かれていた。そして、個々の自衛隊員は、砂漠なのに緑色の服を着て、頭・肩・胸・背中の4カ所に大きな日の丸のワッペンを縫いつけていた。自衛隊員はアメリカの兵士とは違って、戦争に着た分けではないとアピールしたわけである。これは、憲法9条によって交戦権がないことによる制約。しかし、このことによって、イラクへ出かけた自衛隊員は一人の戦死者も出さなかった。それでも、過酷な戦場体験にさらされた自衛隊員の中には日本へ帰国したあと、合計28人もの自殺者を出した。
 集団的自衛権とは、結局、アメリカ軍と一緒になって、中近東などの戦場へ出かけること。
 そこでは、日本の青年が殺し、殺されることになる。戦死者が一人でも出たとき、日本の世論がどう反応するかは怖い。それが国防軍の機能強化に結びつかないという保障はない。
 12月14日の投票日当日、午後から久留米市で、著者を招いて講演会が開催されました。70人ほどの参加者があり、とても充実した内容でした。早ければ、2018年にも憲法改正のスケジュールが具体化される見込みだという話でした。
 その前に、こんな危険な安倍内閣を一刻も早く退陣させる必要がありますよね・・・。
20歳前後の若者向けの本として、とても分かりやすい内容です。ぜひ、お読みいただき、周囲の若者へ、一読をおすすめください。
(2014年10月刊。1300円+税)

2014年12月24日

自民党政治の変容


著者  中北 浩爾 、 出版  NHK出版

 今回の衆議院選挙では、自民党は、投票数も得票率も、そして議席すら減らしたのに、「圧勝」したという報道がなされています。これは、明らかにマスコミによる意図的な世論誘導でしょう。マスコミは、これまで「政治改革」、「郵政選挙」、小選挙区制、「二大政党制」を大きく唱導してきました。今になってみれば、どれもこれも日本の政治をいい方向に変えたものはなく、悪い方へ、悪い方へとひっぱっていったものばかりではないでしょうか・・・。ところが、今でも、「道半ば」とか言って、小選挙区制が民意を反映しない最悪のシステムだということに目をつむっています。私は許せません。
 本書は、戦後60年の日本政治を、1955年に結党した自民党に着目して分析しています。この本では「保守派」という言葉は使わず、「右派」と「リベラル派」といいます。「タカ派」とか「ハト派」とも言いません。
 押しつけ憲法論にもとづく「自主憲法の制定」という自民党の党是に肯定的なのを右派と呼ぶ。これは、日本国憲法に体現される戦後的価値、安倍の言う「戦後レジーム」からの脱却を目ざすのが右派である。そして、反対に、それを擁護するのがリベラル派である。
 自民党において、リベラル派から右派への主導権の移行、それにともなう政策的な変化を「右派」と定義する。
自民党は結党以来の60年間で非自民八党派の細川護煕(もりひろ)内閣と羽田孜(つとむ)内閣の8ヵ月、民主党の鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3年3ヵ月を除いて、政権を担当してきた。
 1994年の政治改革で小選挙区比例代表並立制が実現した。自民党は組織的に変容し、「選挙の顔」となる総裁のもと、次第に集権化が進んだ。
河野洋平総裁の率いる自民党は、小沢一郎らの新政党、新進党に対抗して、社会党や新党さきがけと連立を組み、理念的にはリベラル派が優位に立った。
 1998年に、自社さの枠組みが崩れ、二大政党の一角として民主党が台頭するなか、自民党は右傾化していった。
 2001年に自民党総裁・首相に就任した小泉純一郎は、小選挙区制のもとで、鍵を握る無党派層からの支持を求めて、新自由主義的改革を推し進め、利益誘導政治を本格的に解体していった。党員や支持団体は減少を続け、自民党は選挙プロフェッショナル政党に近づいた。しかし、自民党の支持基盤は脆弱化してしまった。それでも、かつてのような利益誘導政治には回帰できない。
そこで、憲法改正を掲げて「草の根保守」動員を目ざす安倍晋三の時代が訪れた。
 戦後の保守合同の最大の立役者は岸信介であった。岸はA級戦犯容疑者として逮捕され、1953年4月の総選挙で政界に本格的に復帰したばかりだった。岸は、政界への復帰にあたって、一度は右派社会党に入党を打診したほど、親近感をもっていた。
 これには驚きました。信じられませんね・・・。
 1966年の自民党の党員は190万人というのが公式発表だった。しかし、党費を納入するのは、そのうち5万人のみ。議員を除くと、4万人。しかし、その大半は支部の役員。残る185万人は、党費を納めず、党員としての自覚のない、名目的な党員にすぎなかった。
高度経済成長は、利益誘導政治を可能にし、一面では自民党の支持基盤を強固にしたが、もう一面では、それを大きく掘り崩した。1967年1月の総選挙での自民党の得票率は49.2%と、五割を下まわっていた。
 社会党が低迷し、公明党と共産党が台頭して、野党が全体として得票率を伸ばし、自民党にとって脅威となった。それは都市部で顕著であり、1967年4月の東京都知事選挙では、社会・共産両党の支持する美濃部亮吉が当選した。
 革新都政とともに、私の大学生活は始まったのでした。青いシンボルマークがなつかしい・・・。
 1972年11月の総選挙は、田中角栄首相の下、社会党は28増の118議席、共産党は26増の40議席へと躍進した。自民党は16減の284議席だった。
 1980年1月の時点で、自民党の党員・党友は321万人をこえた。総裁予備選挙のおかげである。派閥抗争は、ますます泥沼化した。
 2001年、「古い自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎が自民党総裁に選出されると、実際に自民党の党組織が大きく変容していった。新自由主義的改革を断行し、利益誘導政治の解体を進めた。
 自民党の候補者は、派閥よりも党への依存を強め、個人後援会を培養する必要性が低下し、利益誘導政治が後退した。
 自民党の党員は1991年に544万人だったのが、2006年には119万人にまで落ち込んだ。そして、後援会が衰退した。
 自民党は、全体として国家財政から支出される政党交付金への依存を深め、その配分権を握る党執行部の統制力が強まった。
 自民党の党員は1999年から200万人を下回り、2009年に87万人、2012年には62万人にまで低下した。自民党の掲げる右派的な理念は世論との間に、大きなずれがある。自民党を支持する有権者と比べてみても、自民党の国会議員は相対として右派的であり、政策的なずれがある。右派的な理念は自民党を結束させる機能を低下させるだろう。
戦後の自民党について分かりやすく明快に分析した本です。250頁ほどですので、ぜひ手にとってご一読してみてください。
(2014年5月刊。1400円+税)
 日曜日に庭の手入れをしていると、いるものジョウビタキが何度も、すぐ近くまでやって来て、「何してんの?」という顔で、こちらを見ています。尻尾をチョンチョンと動かし、可愛らしい声をあげる。ひょうきんな小鳥です。スズメより少し大きくて、茶色の小鳥です。
 今年のよんだ本は590冊ほどになりました。全部、私の読書ノートにつけています、そのうち365冊を紹介しています。目下、司法研修所を舞台にした小説に挑戦中です。どうぞ新年も引き続き、ご愛読ください。

2014年12月14日

推定脅威


著者  未須本 有生 、 出版  文芸春秋

 松本清張賞の受賞作です。日本海の上空を領空侵犯してきた不審機に自衛隊機がスクランブル発進して接近する。ところが、あまりに低速飛行してしまったため、失速して、海面に激突してしまった。
 いったい何が原因で起きた事故なのか・・・。
 自衛隊のジェット戦闘機TF-1は、防衛省技術研究本部が開発し、航空自衛隊が運用する。開発にあたっては、四星工業が主契約社となって設計・製造している。
 ジェット戦闘機の構造を詳しく知っていないと書けない展開です。そして、構造・性能を一般的に知っているだけではストーリー展開ができません。犯人は飛行機の弱点を知りつくしていて、そこを狙って仕掛けてくるのです。
 こんなメカニズムの取材は大変だろうなと思って、最後に著者の経歴を知って、そうだったのかと納得してしまいました。著者は、何と東大工学部航空学科を卒業して、大手メーカーで航空機の設計に長く従事していたのです。そのとき、自衛隊のメカニズムとか、その問題点も十分に認識したのでしょうね。
 そして、自衛隊と民間企業との交流の実態も実体験して十分に把握していたからこそ、ストーリーが無理なく展開できたのです。
 推理小説なので、これ以上はもう書きません。「航空機についての知識に圧倒される」というコメントには、まったくそのとおりだと私も思いました。
 ところで、特定秘密保護法が施行されて動き出したとき、このような自衛隊機の問題点を探ったりするのは、まさしく「秘密」そのものに該当しますよね。そうすると、今は推理小説として楽しく読めますが、小説の素材にもしにくくなることでしょうね。
 まったく、国民の知る権利に逆行する法律です。弁護士会は、日弁連を先頭に特定秘密保護法は廃止すべきだと声を上げています。
(2014年8月刊。1350円+税)

2014年12月10日

平和と命こそ


著者  日野原 重明・宝田 明・澤地 久枝 、 出版  新日本出版社

 憲法九条は世界の宝だ。
 こんなサブタイトルのついた、読めば元気の出てくる本です。
 医師、俳優、作家の三人が自分の体験をふり返りながら、平和の大切さ、そして憲法九条への思いを熱く語ってくれます。
 初めは澤地久枝さんです。
 私は、バカな戦争中の軍国少女であったことを自覚して以来、戦争はやってはならないと思ってきた。原発はやめたい、核兵器のすべてをなくしたいと思って生きてきた。
 自分の収入とか地位とかが脅かされるということで逃げたか?
 私は一度も逃げたことはない。
私は、日本の敗戦を中国東北部(満州)の吉林で迎えた。
14歳だった。そのときから国というものを信用していない。
自衛隊は憲法違反だから、あれをなくして、それに代わるものとして災害派遣隊を税金でつくったらいい。
 憲法は、すごい危機の下にある。九条を吹っ飛ばし、96条も骨なしにして、日本がアメリカの同盟国として、いつ終わるとも分からない戦闘状態に入っていく、その前夜に私たちはいる。
 私は、権力に対して非常に警戒的で、闘争的かもしれない。でも、権力は、放っておけば悪いことをする。
 私のことを「アカ」と言う人がある。権力に対してハッキリものを言うのが「アカ」ならば、日本中みんなが「アカ」になればいい。そうしたら、政治は確実に変わる。せかっく、この時代に生まれてきて、やられっぱなしでは悔しいではないか。一人一人の力は小さくて弱くても、少しずつ少しずつ広がっていったら、確実に世の中を変える力になる。
 二番手は、俳優の宝田明さん。1934年4月に、朝鮮の清津(チョンジン)で生まれた。
 敗戦のとき、ハルビンにいて、小学5年生だった。
 8月16日、ソ連の85トンの重戦車が何十台もハルビンの中心部へ進入してきた。
 戦後、日本に帰ってきて、俳優になることができました。1954年(昭和29年)11月、映画『ゴジラ』は、961万人という観客を動員した。宝田さんはその主役に抜てきされたのです。
私をこれまで支えているのは、日本へ引き揚げてきたときの辛い体験だ。
日本を守るというのなら、武力とは違った方法で守ったらいい。どこかの国に加担したり、どこかの国におんぶしてもらう必要など全然ない。戦争が起こる前に行動するのが、外交そして政治というもの。
 間違っても、あのような戦争を二度と起こすまい。日本は世界に冠たる憲法九条をもっている国だと言うことを、声を大にして強く発していくときだと思う。
 憲法九条は、世界の宝だ。日本に軍事力はいらない、軍隊もいらないと宣言したのだから、世界の誰に恥じることなく、もっと堂々としていたらいい。
 最後の三人目の日野原さんは、100歳をこえて、今なお現役の医師です。
 敗戦のとし、1945年3月10日未明の東京大空襲のとき、聖路加国際病院で内科医長をつとめていた。アメリカ軍は、日本を占領したとき、この聖路加国際病院を接収してアメリカ軍の野戦病院とするつもりだったので、あえて爆撃はしなかった。
 人は創(はじ)めることさえ忘れなければ、いつまでも若い。いい言葉ですよね、これって。
 私は、人を殺す戦争というのは、基本的によくないから、自衛隊が国防軍になるようなこと、アメリカやその他の国の兵隊と一緒に任務につくようなことはやめて、沖縄その他の基地をできるだけ縮小して、そして10年後には、日本からアメリカの軍事基地をなくしたい。
 今のままでは、自衛隊が国防軍になり、空軍や陸軍、海軍が必ずできるだろう。これは、たいへんなこと。せっかく憲法九条で戦争を放棄したのだから、放棄した時点にもう一度戻り、世界の平和のために、大きな志のもとに団結しようではないか。
 勇気ある行動を起こすためには、まず自分を変えなければいけない。
 よき友をもとう。未来に向かって勇気をもって、ともに前進しよう。これは世界平和のためなのだから・・・。
 100歳をこえる日野原先生の熱い呼びかけに私たちも応えないわけにはきませんよね。
(2014年7月刊。1200円+税)

2014年12月 9日

自分で考える集団的自衛権


著者  柳澤 協二 、 出版  青灯社

 40年ものあいだ防衛官僚だった著者の問題提起ですから、いかにもずっしりと重たいものがあります。
 安倍首相は、「同盟というのは、もともと血の同盟なのである。アメリカの青年が血を流すのなら、日本もアメリカのために血を流さなければいけない」と言う。そして、若い人のなかには「自衛隊員は、そのために給料をもらっているのでしょう」と言う人がいる。しかし、自らは血を流すつもりがないし、そのような立場にもいない人が、他人の流す血について軽々しくしゃべるのには同意できない。それは、人として大切なことを見失った議論ではないだろうか。
 自分の息子が自衛隊にいて、「尖閣を守れ」「上陸作戦に行け」と言われたとき、あなたは親として大喜びで万歳三唱で息子を戦地へ送れますか。
 一人の人間としての当然の苦悩もなしに「血の同盟」などという言葉を軽々しく使うのは、本当に許せないことだと思う。
 橋下徹・大阪市長は、従軍慰安婦の問題について、そのようなものはあって当然だと発言した。では、「橋下さんには6人も子どもがいるのですから、お嬢さんを出しますか?」と問いかけたい。
 わたしにも娘が二人いますけれど絶対に嫌です。あんなひどいことを許すなんていう発想の人は、人間として、まともではないと私は思います。政治家として失格という前の問題です。
 安倍首相も橋下市長も、著者の問いかけにまともに答えるべきだと私は考えます。
 ポピュリズムの特徴は、理屈や論理ではなく、国民の耳に一番心地よいキーワードを語ること。安倍首相も、小泉元首相と同じくワンフレーズに近い手法ですすめている。
 今の集団的自衛権の議論について、外務官僚の多くは賛成しているが、防衛省のなかでは必ずしももろ手を挙げての賛成ではない。かりに犠牲が出たら、責任を負うのは防衛省ということになるから・・・。
 日本は「二流国」でいいのだ。人を殺さない、殺されない国でいい。強気一辺倒では、かえって相手を強硬にし、しなくてもよい戦争の危機を招くことになりかねない。
 自分は一流でなくてもいいのだと考えれば、やたら尖らずに、妥協するところは妥協し、もっと自由に、自分らしい生き方を追求することもができる。
 安倍首相は、集団的自衛権を容認しても「他国の戦争に巻き込まれるというのは誤解です」と言うけれど、巻き込まれるどころか、初めから意を決して日本がアメリカの戦争に参加することになる。
 集団的自衛権というのは、日本を「自衛」するものではなく、アメリカと一緒になって海外へ戦争しに出かけていくこと。
日本だって、いつ戦場になるか分からないのです。実質的な憲法改正でもあります。
 著者の体験に裏付けられた話は、何回聞いても、とても論理的で、かつ説得的です。毎回、うんうんと深くうなずきながら聞いています。そんな話を聞いているように、すっと胸に落ちてくる本です。ぜひ、ご一読ください。
(2013年10月刊。1400円+税)
 日曜日に期日前投票してきました。投票所はガラガラでした。新聞によると、前回比で3割減だということです。国のあり方が問われている大切な選挙なのです。投票率が5割ほどで安倍政権が信任を受けたとして、選挙のあと集団的自衛権行使のための法改正を断行するなんて、考えただけでもぞっとします。
 夕方、曇天の下、少しだけ畑仕事をしました。そこへいつものジョウビタキがやってきて挨拶してくれます。10月にロシアから渡ってくる鳥だということです。その愛らしい仕草に、寒さのなか、心がほっこり癒されます。
 チューリップを少しばかり植えました。あと100個ほど球根を植えるつもりです

2014年11月27日

スマホ・チルドレン対応マニュアル


著者  竹内 和雄 、 出版  中公新書ラクレ

 今や、子どもたちからケータイやスマホを取りあげることは出来なくなってしまいました。歩きながら、片手でスマホを操作している子どもたちを見ていると、私なんかハラハラしてしまいます。私は相変わらず、ガラケーですし、片手入力はおろか、両手入力するのも覚束ないのです。ですから、私が入力することはありません(したことはありますが、あまりに時間がかかるので、やめました)。
 中学3年生では、男女とも8割がスマホかガラケーを持っている。男子が小6で急増するのに対して、女子は小5から既に高い比率で所持している。高校生は100%がケータイをもっているが、その8割はスマホである。
スマホ・チルドレンは睡眠不足になっている。スマホをやりながら寝てしまうことを、「寝落ち」という。
スマホがあると、勉強はとても便利。分からない宿題は、ラインとかですぐに訊けるし、みんなで教えあう。ノートで書き忘れたところがあると、カメラでその部分をとって送ってもらえる・・・。
 今の大学生は新聞を読まないし、テレビすら見ないものが多い。情報はもっぱらスマホなどを経由して得ている。それは必然的に、自分の興味のある分野に限られていく。今の若者の常識を形作っているものの多くは、個人の好みによって、かなり偏ったものになってしまっている。
 子どもがケータイを使っていい時間帯を決めておく。これはもっとも重要なルールだ。たとえば、夜8時になったら電源を切って、居間の充電機に差し込むことを我が家の基本ルールにする。そして、塾のある日は、特別に30分とか1時間の延長を認めるようにしたらいい。
 スマホを使う場所も居間に限定する。子ども部屋では使わせない。
頭からスマホの使用を禁止してもムダだし、逆効果だと私も思います。それにしても大変な世の中になってきました。家庭の固定電話(黒電話)がなくても、ケータイ(スマホ)さえあれば十分に生きていける世の中です。そして、そのなかでスマホという大海に急に放り出された子どもたちがアップアップしているのです。
 スマホについては、その利便性とあわせて「なりすまし」その他の危険性を早いうちから子どもたちに十分に教育することが必要です。もってはいけないと言えば問題が解決するような時代ではありませんので・・・。
(2014年5月刊。800円+税)

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