弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2014年9月11日
カジノ狂騒曲
著者 竹腰 将弘 ・ 小松公生 、 出版 新日本出版社
この日本にカジノを作ろうなんて気狂いじみています。カジノを推進しようとする安倍首相こそ、なにより道徳教育の基本をたたきこむべき対象人物ではないでしょうか・・・・。
安倍首相は、国会で次のように答弁した。
「カジノについては、産業振興をもたらし、そして活性化にもつながると考えている」(2014年2月28日)
カジノが日本の産業を振興し、活性化させるというのは、まったくの間違いです。もうかるのは、一部のカジノ資本です。それは、日本資本というより、外国資本であり、それに寄生しようという日本資本です。アメリカ(ラスベガス)のサンズ、MGM,(シカゴの)ラッシュ・ストリート、マカオのメルコ・クランなど。そして、日本のゼネコン・商社・不動産業者・大手パチンコ業者など・・・・。
彼らは日本にカジノが開設されたら、1000億円から1兆円を投資するという。
カジノの売り上げ世界一は、アメリカのラスベガスではなく、マカオの年2兆6000億円。しかし、日本のパチンコの売上は年19兆円。
2011年に世界で稼働しているギャンブル・マシンは701万台。そのうち日本には421万台がある。全体の6割を占めている。
日本のパチンコ業界の粗利は3兆9000億円。中央競馬などを加えると、日本人は1年間に5兆5500億円も賭博で負けて、お金をなくしている。
ギャンブル依存症は、精神疾患(病気)である。それは、賭博の強い刺激を受け続けることで、脳内に物質的な変化が起こり(ドーパミンの過剰な分泌など)、依存の回路を刻みつけてしまう病気である。
日本人のギャンブル依存症患者は560万人。日本人の成年男性の9.6%、女性の1.6%にギャンブル依存症の傾向がある。
ギャンブル依存症の患者と家族は四つの不幸を背負う。
第一に、パチンコ・スロットがギャンブルとみなされていない欺瞞的な現状、第二にマスメディアの自己規制、第三に行政の無理解、第四に精神医学界の無関心。
日本は、世界でも最悪のギャンブル依存症大国である。カジノ誘致に名乗りをあげている地方自治体は19ある。
東京の石原元都知事はともかく、大阪の橋下市長、そして、沖縄の仲井真知事、北海道の高橋はるみ知事、千葉の森田健作知事、横浜の林文子市長などです。これらの人の頭のバランス感覚を疑ってしまいます。
なかでも、最悪・最低なのは橋下徹・大阪市長の発言です。
「ここにカジノをもって来て、どんどんバクチ打ちを集めたらいい」(2009年)
「日本は、ギャンブルを遠ざけるがため、坊ちゃん、嬢ちゃんの国になっている。強い国になるためにカジノ法案を通してください」
「ちっちゃいころから勝負を積み重ねて勝負師になれとないと、世界に勝てない」(2010年10月28日)
私は、長崎・佐世保のハウステンボスに、ひところ毎年のようにチューリップを見に行っていましたが、社長がカジノを誘致しているのを知ってからは行くのを止めました。東京へカジノを誘致するのには反対し、佐世保(ハウステンボス)なら、「地方の活性化」になるというのです。とんでもありません。
さらに、宮崎のシーガイアも、カジノ誘致を狙っているとのこと。これまた許せません。
鉄火場(てっかば)とは、賭け事に熱中し興奮するあまり、我を忘れ、鉄火のような形相になることから、あてられた表現。
カジノ資本は、ヨーロッパでは失敗した。シンガポールやラスベガスのようなカジノをEU域内で営業できるように工作したが、EUは認めなかった。そこで、日本を最後の巨大市場とみている。日本での目あては、日本の小金もち。
日本にカジノはいりません。これ以上、日本にギャンブル依存症の人を増やしてはいけません。
(2014年7月刊。1400円+税)
2014年9月 5日
靖国参拝の何が問題か
著者 内田 雅敏 、 出版 平凡社新書
今年の夏、8月15日には靖国神社への道が大混雑したそうです。
国民の少なくない人が二代の天皇が靖国神社を参拝しない理由を知らないように思います。この本は、その理由をふくめて、靖国神社と靖国参拝の問題点を縦横に、そして明快かつ分かりやすく語り明かしています。
安倍首相が去年12月末に靖国神社を参拝したとき、アメリカ政府は「失望した」と公式に表明した。アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、次のように指摘した。
「安倍首相の靖国参拝は、日本の軍国主義復活という幻影を自国の軍事力拡張の口実に使ってきた中国指導部への贈り物だ」
そうなんですよね。安倍首相の言動こそが、東アジアの緊張関係をひたすら悪化させている主な要因なのです。
ワシントン・ポストは安倍首相の歴史認識を次のように批判した。
「安倍首相は歴史を直視することができない。中国や韓国の怒りは理解できる」
また、アメリカの連邦議会調査局は、安倍首相の歴史認識をめぐる言動について、「地域の関係を破壊し、アメリカの利益を損なう恐れがある」と指摘した。
靖国神社は、先の戦争を「聖戦」とし肯定し、戦死者を「護国の英雄」として顕彰している。
韓国や中国が靖国神社参拝を批判するのは、靖国神社が、公式に表明されてきた日本政府の歴史認識とまったく相反する歴史認識を主張しているからである。
靖国神社は、先の大東亜戦争について正しい戦争だったという聖戦史観に立ち、A級戦犯を合祀しているだけでなく、そもそも戦死者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設である点に、その本質がある。
靖国神社は、英霊の顕彰の目的で設立された沿革を有する。天皇の兵士の戦死者を「護国の英霊」として顕彰するためには、戦死した戦争は不義のものであってはならない。したがって、南京大虐殺もなかったし、軍の強制による「従軍慰安婦」も存在していなかったということにされる。
昭和天皇は、A級戦犯の合祀が明らかになった1975年を最後に、靖国神社への参拝をやめた。
厚生省がA級戦犯12名の氏名を記載した「祭人名票」を靖国神社に届けたのは、1966年2月。当時の宮司は預かったままとした。ところが、次の松永宮司が1978年10月の例大祭で合祀した。
靖国神社は、今は一宗教法人であるが、いずれは戦前と同じように国家施設になることを目論んでいる。だから、それができる前に国立追悼施設ができてしまうと「戦死者」の魂を独占することが出来なくなると考え、国立追悼施設の建立に反対している。
著者は、今からでも遅くないから、すべての戦没者を追悼する無宗教の国立追悼施設をつくるべきだと提唱しています。私も大賛成です。
著者は、私の敬愛する弁護士です。中国人の強制連行事件など、平和問題に広く活躍してきました。これからも、ますます元気にがんばってください。贈呈ありがとうございました。
(2014年8月刊。740円+税)
2014年9月 4日
セブン・イレブンの足跡
著者 田村 正紀 、 出版 千倉書房
私がコンビニに足を踏み入れるのは出張のときに限られます。スーパーに入るのには抵抗がありませんが、コンビニは強い心理的抵抗感があります。明るすぎる店内の照明をふくめて、あまりにも人工的すぎて、店に入ったとたん、いかにも管理された人間になってしまう気分に襲われ、それが嫌なのです。
コンビニの店員がかけてくる声も形にはまったマニュアル本どおりで、心が通いません。
コンビニではないフツーの店があると、そこに入って、ほっとします。
それにしても、コンビニの躍進ぶりはすごいですよね。今や、すっかり日本の有力な成長産業になってしまいました。いえ、海外にまで出かけているのですよね。
1990年ころまでは、コンビニは都市圏に対応した業態だった。1990年以降、各地の中小小売商が地滑り的に衰退していった。地方都市の商店街、町村部の零細商店が衰退し、周辺住民のなかに買い物難民が生まれていった。コンビニは、それらの人々の救世主となった。
1990年代の不況下で、セブン・イレブンの点あたりの粗利益率は、1980年代に比べ20%台から30%へと飛躍的に上昇した。
粗利益を高める方法の第一は、一店あたりの売上高を大きくすること。一日の売上高を日割りした日販をコンビニ業界は重視する。セブン・イレブンは日販の圧倒的格差を長年にわたって維持してきた。
1990年度に、セブン・イレブンの日販100に対して、ローソンとファミリーマートは63と75だった。2012年には、ローソンは77に、ファミリーマートは78と、差を縮めた。それでも依然として格差は大きい。その秘訣は、いち早くPOSを全店に導入したこと、それによって、回転率の低い「死に筋商品」を見つけ、売り場から排除した。さらに、新製品の導入も大きい。
フランチャイズ・システムによるコンビニにも当然ながら問題があります。本部と加盟店とのあいだの利害衝突です。
粗利益を分配するとき、この粗利益をいかに算出するかが争いになった。そして、ロスチャージ問題がある。廃棄商品を加盟店に負担させるのは、本部の横暴だと裁判に訴えられた。セブン・イレブンは裁判にこそ勝ったけれど、コンビニに対する社会的イメージは低下した。この裁判を通じて、コンビニ店経営は必ずしも楽な商売ではないというイメージが広がった。
私も親しい人がコンビニ経営を始めようとしたら止めますね。現代の奴隷みたいな存在だからです。とても独立自営業者だとは思えません。身内に不幸があっても、店を閉めたらいけないだなんて、あまりにも非人間的ではありませんか・・・。
セブン・イレブンの持続的成長について、もっとも驚くべきことは、その経営利益が持続成長していること。
セブン・イレブン1号店のオープンは1974年5月。創業して6年目の1979年に東証二部に上場し、その2年後の1981年には東証一部に上場した。上場までの期間は、当時、史上最短だった。
大型店紛争の嵐を避けるため、小売店としてのコンビニに鈴木敏文は着目した。ただし、これは鈴木だけではない。
コンビニは、全国どこへ行っても、100㎡前後の店舗面積3000品目の品ぞろえ。そして、24時間営業。
24時間営業にすると、来店数は1日700人が1200人に、売上げは36万円が54万円に増えた。売上げが50%以上のびただけでなく、粗利益率も向上した。夜間の客は粗利の大きいファーストフードを求めたから。
セブン・イレブン本部は加盟店の粗利益の43%をロイヤルティとして吸い上げる。ロイヤルティ率は、ローソンやファミリーマートが30%程度なのに、セブン・イレブンは40%をこえる。
セブン・イレブンは3ヵ月前の予約仕入れである。セブン・イレブンが年間に投入する新製品は4000分目ほど。セブン・イレブンの店頭に並ぶかどうかで、全国市場に展開できるか分かれる品目が増えた。
いかにも近代的商法の下で客は管理されているのですよね。私は、これが嫌なのです。
そして、「経営者」には自由がない。休むのも、商品の仕入れについても・・・。
このまま、世の中がコンビニだけになったら、日本社会はうるおいのない、一見すると明るい、しかし、内実はまっ暗な世の中になってしまわないか、私は大いに心配しています。
(2014年5月刊。760円+税)
2014年8月31日
スクリプターは、ストリッパーではありません
著者 白鳥 あかね 、 出版 国書刊行会
私のような、映画好きの人には、たまらない本です。私も、この本を3時間かけてじっくり読んだあと、映画館に駆け込みました。
日活の創成期から、その全盛期、そしてロマン・ポルノ、純愛路線、暴力団抗争映画・・・。映画製作の現場を記録し続けた女性への聞き書き集です。
スクリプターという職業を、私は初めてしっかり認識しました。といっても、デジタル映画ではスクリプターはあまり必要がないとのことです。
スクリプターとは、スクリプト・スーパーバイザーのこと。洋の東西を問わず、映画制作スタッフの一員として欠くことの出来ない重要存在。1933年に、トーキー(同時録音)が現場に導入され、撮影済みのフィルムと録音された音を合わせる編集作業が大変複雑になった。そのため、撮影現場では克明なメモをとるようになった。このメモをスクリプトと呼ぶ。そして、記録を取る人をスクリプターと呼んだ。
前のカットからつながるように指示を与えるのはスクリプターの役目で、演技だけでなく、服装や持ち物に至るまで細かくチェックする。撮影中は、常時、シナリオ全体の流れを念頭に置いて、前後のシーンの流れとマッチしない演技や台詞について、監督に対して適切にアドバイスする。
完成試写を見終わっても、スクリプターは撮影中に変更した芝居の内容やセリフをすべてあらたに書き直して完成台本を作成する。
著者は、昭和27年に破防法反対のデモをしているときに警察に捕まったのですが、その直後の写真があります。珍しい写真です。
早稲田大学文学部仏文科を卒業して、やがて日活に入社します。若き森繁久彌と一緒に仕事するなど、有名なスターとともに映画製作の現場でがんばるのです。映画づくりの裏話が満載ですから、本当に面白いです。
今の天皇を主人公とした映画(『孤独の人』)がつくられたなんて、ウソのような話です。主人公の皇太子は絶対にうつしていけなかったとのこと。見てみたいですね。DVDで手に入るのでしょうか・・・。
映画って、どこか抜けているほうがいい。そのほうが、みる側にとってはアラ探しができるし、アラが見えるくらいのほうが楽しい。
なーるほど、完璧な映画というのでは、ダメなんですね・・・。
著者の結婚式は、公民館で公費200円の会費制結婚式。それも、なんと二組同時に。そして、「ケーキ入刀!」と叫ぶと、スクリーンに大きなウエディング・ケーキがうつり、それに入刀。本物のケーキは買えなかったのです。この合同結婚式の司会が、なんとフランキー堺と小沢昭一。すごい司会者です。
小林旭の「渡り鳥」シリーズを制作する話が続きます。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎という豪華スターが活躍する時代です。
吉永小百合主演の映画「愛と死をみつめて」は残念ながら、みた記憶がありません。その制作現場のスタッフが全員泣いていたというのは感動的です。
小百合の眼に光をあてている証明部の助手が、その演技に感動して手がふるえて光が揺れ始めた。撮影する人も泣いていてキャメラの商店があっているのかどうか、ラッシュを見るまで不安でしょうがなかった。スタッフ全員が泣いていた。もう一回とは絶対に言えないカットだった。
ここまで書かれると、みないわけにはいきませんよね。吉永小百合と浜田光夫の映画です。
日本の映画史を知るうえでは欠かせない貴重な本だと思いました。いやはや、映画も本当に奥が深いですね。最後に、この本のタイトルは意味深・・・でした。人生、何が起きるか分からないものです。
(2014年4月刊。2800円+税)
2014年8月24日
テキヤはどこからやってくるのか?
著者 厚 香苗 、 出版 光文社新書
私の幼いころ、夏に農村部にある親戚の家に泊まりがけで遊びに行くと、「ヨド」という夜祭りがあっていました。アセチレンランプの鼻に来る臭いとともに、焼きイカを売ったり、キンギョすくいなどの夜店が並んで、狭い寺の境内が付近の集落の人々でにぎわっていました。「ヨド」って、何なのでしょうか・・・。
縁日や祭りのときにやってくる露天商、あるいは露天商の人々をテキヤと呼ぶ。映画「男はつらいよ」の主人公の寅さんもテキヤだ。
露天商は、テキヤのほか、香具師(やし)とも言う。
静岡のあたりで、日本の電圧が東西で変わるのと同じように、露天商いをめぐる慣行も静岡を境として、東と西とでは異なっている。露天商いをめぐる諸慣行は、北海道、東日本、西日本、沖縄という三つのエリアに分かれる。
全国どこでも、地元の露天商が多数派を占め、地域の実情をふまえて祝祭空間を取り仕切っている。
テキヤの信仰する神農は、正式には神農黄帝という。神農と黄帝は別の帝王とされることが多いが、それをあわせて一つの神のように考えるのがテキヤの神農信仰の特徴である。
東京のテキヤは、一人前になることをダイメ(代目。代目披露)という通過儀礼を経て一人前と認められる。ダイメは、テキヤ社会ではとても重要な儀礼である。
テキヤ集団の正規の構成員になれるのは男性のみ。女性は、親分子分関係にとりこまれることはない。
カセギコミ(稼ぎ込み)、イッポン(一本)、ジッシブン(実子分)、イッカナノリ(一家名乗り)、ダイメ(代目)と出世していくプロセスがある。
カセギコミとイッポンは、ワカイシュウ(若い衆)と言われる未熟な段階である。イッカナノリとダイメはオヤブン(親分)で、イチニンマエ(一人前)、シンノウサン(神農さん)とも言われる。
東京の下町のテキヤの間にはアイニワ(合庭)という慣行があって、複数の集団のなばりが重なりあっているのが普通である。
なわばりの外に行く人を、テキヤの間ではタビニン(旅人)という。
場所を割り当ててもらうためには、テキヤ社会で無形の営業許可証のようになっている名乗り名(なのりな)を相手に告げなければならない。
口上を受ける側は、口上の文言、声の調子、姿勢などから、香具師、テキヤの社会のフォーマット通りのきちんとした挨拶であるかを判断した。そして仲間と認めると、挨拶で告げられた「身元」にふさわしい商いの場所を提供する決まりになっていた。この口上を過不足なく述べなければ、一人前とは認められなかった。自己紹介の挨拶として、自分と自分の所属する集団で目上にあたる人物を紹介することが重要なのである。
大ジメ、コロビ、サンズン、コミセ、タカモノ、ナシオトバイ、ショバワリなどの隠語も紹介されています。
露天商の中のヤクザ者は、せいぜい3割程度。
露天商の世界をのぞいてみた気分になる本でした。
(2014年4月刊。760円+税)
2014年8月23日
女のきっぷ
著者 森まゆみ 、 出版 岩波新書
弁護士として40年すごしてきた私の実感は、日本の女性は実にしぶとく、たくましいというものです。もちろん、か弱い女性もたくさん見てきました。しかし、おしなべて、日本の女性は地に根をはって、たおやかに生きていると思います。
たとえば、男性の不貞行為が問題となったとき、その相手は例外なく女性です。女性側の不倫とセットになっているのです。そして、女性のほうが、なかなか不倫を認めたがらないことが多いように思います。
「女のきっぷ」というとき、「きっぷ」とは気風と書き、「きっぷがいい」とは、思い切りよく、さっぱりした気性のことをさす。江戸前の女の気風だった。その反対語は、ケチ。
この本では明治の女性である樋口一葉にはじまり、反骨ブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子までを紹介しています(最後に国際女優である谷洋子が紹介されていますが、私の知らないひとです)。
樋口一葉の家を訪れた作家が何人もいたのですね。幸田露伴、泉鏡花、島崎藤村などです。すごいお友だちメンバーです。
与謝野晶子は関西の生まれだったんですね。堺は菓子屋の娘でした。13人もの子を産んだというのにも驚きます。大逆事件では、反逆人の側を思ってうたをよんでいます。
宇野千代は、とんでる女性の代表のような気がします。
宇野千代は作家という前に恋愛家といった方がいい。一生のうちに何人の男に恋をして、何人の男と理無い(わりない)仲になったか知れない・・・。
相当の発展家だったようです。ですが、その自分の体験を売れる小説にしたのです。すごいです。若いころは、「貞操観念のない女」だったのです。それでも男に喰われなかったのですから、たいしたものです。
74歳の農婦(吉野せい)の小説が世間から高く評価された。
うひゃあ、そんなことって、あるのですね・・・。
林芙美子は、天性の嘘つきだった。うむむ、そう言い切っていいものなのでしょうか・・・。
北九州から初恋の男を追って上京したが、家柄がつりあわないということで捨てられた。
カフェの女給、銭湯の番台、新聞社の帯封書き、セルロイド工場の女工、株屋の店員など、数々の職を転々としながら詩人を目ざした。
『放浪記』は初版本と有名な作家になってからの改訂版とでは、大きく表現が異なっている。優等生的に変わってしまっているのです。なるほど、だったら初版本を何とかして手に入れて読まなくてはいけませんね。
NHKラジオ講座の話がもとになっているので、大変読みやすい本です。
(2014年5月刊。1900円+税)
2014年8月20日
転換期の日本へ
著者 ジョン・W・ダワー/ガバン・マコーマック 、 出版 NHK出版新書
日本は、アメリカへの従属を続けるのか、それともアジア中心の新たな安全保障体制を構築するのか、その選択が迫られている。まことに、そのとおりだと私は思います。
日本にアメリカ軍基地が置かれている理由の一つに、万一、日本が再び自立的に軍国主義的な道に進もうとしたときに備えて、日本に対する管理を確実にすることがある。
憲法は、自衛隊の持てる兵器と参加できる任務の双方を制限するうえで、十分な影響力を保ち続けている。
日本の再軍備に対する制限を取り除くために改憲を支持する人々は、改憲すれば、日本は国連が後押しする平和維持活動に参加する「あたりまえの国」になることができ、自国を防衛する自立的な能力を高めることができる、と論じる。だが、実際のところ、日本は再軍備すればするほど、アメリカの戦闘活動に実質的な貢献をしなければならなくなるという、逆らい難い圧力の下に置かれることになる。
サンフランシスコ講和は、中国と韓国という、もっとも謝罪と償いを受けるべき国々を排除したばかりでなく、無理やり歴史を前に進め、忘却を促した。
アメリカは、少なくとも3回、中国に対して核兵器を使用することを真剣に検討した。1度目は1954年9月の第一次台湾海峡危機、2度目は1958年8月の第二次台湾海峡危機、そして3度目は1962年10月のキューバ・ミサイル危機である。
1972年に施政権が日本に返還されるまで、沖縄には19の型の核兵器が貯蔵されていた。その大半は嘉手納基地にあり、1000発近い核兵器が常置されていた。これらの核兵器は沖縄返還時に撤去された。
それでも、その後も現在に至るまで、いつでも核兵器をアメリカは持ち込めるというのが、例の有名な「密約」です。
米・中・日の三角形は、不均衡である。米・中という二つの自立した国家に対して、三番目の国・日本が今もって真の自立を欠いたままになっているからだ。これこそ、サンフランシスコ体制のもっとも厄介な遺産である。
日本はアメリカの属国としての地位にあり、先見性がなく、逆効果を抱くことも多いアメリカの外交政策に対して、ほぼ無制限といってよい支持を与えてきた。
2008年、中国は日本を除いて、外国としては最大のアメリカ国債保有国となり、世界最大の債権国となった。中国の国内総生産(GDP)は2010年に日本を追い抜き、「国家資本主義」の下の中国経済はアメリカに次ぐ世界第二位の規模となった。
日米中すべてが強力な機能障害に陥っている。中国に透明性が欠けていることは明らかだが、秘密性や説明責任の欠落は中国に特有のものではない。堕落、腐敗、妄想、希望的観測といったものは、すべて日米中の三国すべてに存在する。
日米同盟と言うが、「同盟とは名ばかりで、実態はない」、「現実にはアメリカが一方的に決定する」だけのもの。その建前は、日本を守るためだが、それはアメリカの防衛と国益拡大のためだと解釈したほうが正しい。
アメリカが同盟国としての日本を失えば、超大国として世界の指導的地位にはとどまることは出来ない。
アメリカは、毎年、詳細な年次要望書を日本に送り、アメリカの利益にとって「障害」なるものを取り除くように支持する。そのようなことは日本以外の国との関係では考えられない。
日本の政官界における属国性が、あまりにも深く強靱であるため、自主性と独立を回復する機会が訪れるたびに、それとは逆のコースと選ぶ傾向が見られる。
およそ1300年以上ものあいだ、日本は大国の従属国となることに抵抗してきたが、この60~70年ほどのあいだに、海の彼方のアメリカに対して喜んで「属国」の割合を担うようになったのは、なんという歴史の皮肉だろうか。
政策遂行のために暴力や戦争に訴えようとする強い傾向があるのは、アメリカに他ならない。
アメリカは、中国に対してきわめて両義的に振る舞っている。一方で、中国を最重要の仮想敵とし、もう一方で、緊密なパートナーのように接している。
内向きの愛国主義は大局的には日本にとって有害になる。それは国際社会で尊敬されないどころか、不信や増悪さえ買うことになる。
日本はアメリカに従属すべきだと主張する人々がナショナリストを名乗り、他方で日本の利益をアメリカのそれよりも優先させる人が「反日」ではないかと疑われるという倒錯がある。
私も、日本を愛し、未来を憂うからこそ、日本を壊してしまおうとする安倍首相を許せないと考えるのです。
(2014年4月刊。860円+税)
2014年8月19日
過労自殺(第二版)
著者 川人 博 、 出版 岩波新書
初版は1998年4月に出ています。今回は全面的に内容が改訂されています。
過労自殺とは、仕事による過労・ストレスが原因となって自殺に至ることを意味する。過労自殺は、過労死の一種である。
新しい産業として注目を集め、多くの若者が働いているIT関連業界で、若い技術者、とくにシステムエンジニア(SE)が過労の末に死亡するケースが増えている。
SEは、実はスレイブ・エンジニア(奴隷技術者)なのではないか。労務管理が変化し、多くの若者に過度のプレッシャーを与え、精神疾患の増加と過労自殺の原因となっている。
一年目から過度の成果をあげることを性急に求められる。このような目先の成果を追い求めようとする経営姿勢は、職場のゆとりを奪い、労働者の健康を損なうことによって、従業員の労働能力を減退させ、企業の社会的評価を低下させ、結局のところ経営自体の発展を阻害している。若者に対する労務対策は早急に改善されなければならない。
私もそうだと思います。非正規労働者として使い捨てにし、死ぬまで働かせるなんて、とんでもない労働環境です。
この是正のためには、労働組合も強くなければいけません。「連合」って、いったい何をやっているのでしょうか・・・。かつての総評と違って、残念なことに、まるで存在感がありません。
パワハラに似たものとして、部下からの執拗な嫌がらせ、脅迫にあって、ついに自死してしまった中間管理職の話が出てきます。そういうことも大いにありうると、弁護士である私も自らの体験をふまえて思います。何しろ、弁護士に対してすら、横柄な口のきき方しか出来ない人がいるのです。いえ、別に弁護士を上にもちあげろというのではありません。人間として対等であり、平等のパートナーであるのに、そう思うことのできない人が皆無ではないどころか、少なくないということを言いたいのです。
過労自殺者は年間2000人以上にのぼると思われる。20歳前後から60歳以上まで、広範に広がっている。若い世代の割合が多い。
過労自殺者は、程度の差こそあれ、事前に体調不良を訴え、一般内科で受診していることが多い。残念なことに、多くの人がこの初診の段階でうつ病などの精神障害の診断を受けずに、精神科での適切な受診の機会を逸している。
多くの企業は、労働条件や労務管理の問題をタナにあげ、自殺を労働者個人の責任としてとらえる傾向が強い。
そして遺族に対して、「会社に迷惑をかけた」として高圧的な態度をとり、遺族は、「申し訳ない」とお詫びする立場に立たされる。自殺の基本的原因をつくった加害者側が、遺族=被害者側をしかりつけるという、まことに本末転倒な事態がおきている。さらに、企業を監督すべき立場にある労働行政が十分に機能していないことも多く、その結果、過労自殺が発生しても、企業側に真摯な総括がなされず、職場の問題点がそのまま放置されてしまうことも多い。
カローシは国際語になったようですが、その一種としての過労自殺の実情と問題点、さらには対策と予防法について、この問題を長く専門としてきた弁護士が明快に解説している好著です。
大学生のときから敬愛する著者(私の方が一学年だけ上です)から贈呈していただきました。ありがとうございます。今後とも一層のご活躍を祈念します。
(2014年7月刊。820円+税)
2014年8月18日
南極観測隊のしごと
著者 国立極地研究所南極観察センター 、 出版 成山堂書店
日本の南極観察も50年の歴史を刻んできた。
タロ・ジロの冬の南極基地置き去り事件も、久しい昔の話となりました。今も一年中、日本人が南極にいて観測を続けているのです。たとえば、その一つが南極で隕石を発見し、回収する仕事です。これまで、4万個が見つかっていますが、うち日本は1万7000個の隕石を保有しています。しかも、隕石は月からだけでなく、火星からのものもあるのです。これには驚きました。よく、その違いが分かるものですよね。
南極や北極は、地球規模の大気循環を駆動させるエンジンとして作用している。氷におおわれている南極大陸では、大気が冷やされて大陸斜面を加工するカタバ風が、1年を通じて吹き続ける。このカタバ風を補うように、大気が南極大陸の中央上空に収れんする。
南極周辺部の海水は冷やされ、表層から深層へと沈みこみ、南極底層水を形成し、地球規模の海洋大循環駆動エンジンの役割を果たしている。
観測隊は、観測系と設営系で形成される。また、夏隊と越冬隊に分かれる。
1987年の第29次隊から、女性隊員が参加している。39次隊では、女性越冬隊員が2名参加した。2006年の48次隊には、7名もの女性隊員が加わった。
隊員は、感情の起状をうまく収めて仲間と協調できることが必要だ。高度の専門的能力だけではなく、想定外の問題が発生したときにも、迅速かつ柔軟に対応できる資質が求められる。型にとらわれない、自由な発想で対処すべし、ということ。
基地での最大の楽しみは「食」。公募に応じた人のなかから、2人がコックとして選ばれている。基地では、モヤシ30キロ、カイワレダイコン20キロを生産している。レタス20キロの水耕栽培にも成功した。
南極でのフリーズドライ食料が成功したので、宇宙食にも採用された。
これまでの事故で亡くなった隊員は一人のみ。猛烈なブリザードのなか、自分のいる場所が分からなくなる「ロストポジション」と呼ばれる状況に陥った。その隊員の遺体は7年後、行方不明の地点から4キロ離れた場所で発見された。
コウテイペンギンの雄たちが集団でブリザードに耐えて、必死に子どもを守っている状況を連想してしまいました。
行ってみたいけれど、とてもいけそうもない南極の基地の様子を知ることが出来ました。
(2014年3月刊。2400円+税)
2014年8月12日
官房長官、側近の政治学
著者 星 浩、出版 朝日新聞出版
内閣総理大臣(首相)が「主任」であるのが内閣官房であり、その内閣官房の「事務を統轄する」のが官房長官である。
官房長官は、首相の「補佐役」「女房役」といわれる。
首相という強大な権力を支え、時には利用していくのが、官房長官の役割であり、力の源だ。
では、なぜ首相は強いのか?
第一に解散権をもっている。衆議院を解散する権限を有している。
第二に、多くの人事権をもっている。大臣、最高裁長官、日銀総裁、東電会長、NHK会長も首相が決定する。
第三に、予算編成権をもつ。
官房長官は、明治憲法下では「内閣書記官長」と呼ばれていた。
現憲法下では、はじめは天皇の認証の対象ではなかった。1963年の池田内閣から認証官となった。それまでは大臣よりも格下のポストだったが、大臣待遇となった。
官房長官の仕事は、三つある。
第一に、記者会見。実質的に権力の中枢にいて、実際の政策決定にも関与している政府首脳が、定例で記者会見しているところが、諸外国とは異なる。
第二に、霞が関全体の調整役という役割を果たしている。そして、いわゆる危機管理の中心になる。
第三に、政権与党との調整をしている。
子分型の官房長官は、大先輩である首相から宰相学を学び、その経験をステップにして幹事長などの実力者を目指す。
毎日、首相を近くから見ていて、「俺もいつかは首相に」「このくらいの首相なら、俺にだってつとまる」と考えるようになる。
しかし、首相と官房長官との間には目に見える距離からは考えもつかない「大きな距離」がある。
官房機密費というものがある。領収書なしで内閣が支出できる14億円もの予算だ。正式には、「内閣官房報償費」という。この官房機密費の支出は、官房長官の専権事項だ。
かつては、外務省分の20億円とあわせて、総額30億円もの官房機密費があった。毎月1億円が野党などへの国会対策費につかわれている。要するに、野党を買収・接待する費用だ。もちろん、税金である。
もう一つ政権中枢に対する批判的コメントが欲しいところだと思いました。
(2014年7月刊。1200円+税)