弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2015年1月21日
「3.11フクシマ」から原発のない社会を!
著者 「原発と人権」全国交流集会 、 出版 花伝社
二回目の全国交流集会の報告集です。反原連の代表が次のように発言しています。
2012年3月が初めて。初回は300人で、トラメガとマイクだけ。首相官邸前は、静穏保持法や東京都条例によって、デモは出来ないことになっている。そこで、抗議行動と呼んでいる。8時までに終了する。警察との協力が不可欠。警察官も協力してくれている。
2012年6月29日には20万人近くの人々が集まった。とかく共産党系と見られがちだけど、まったくの無党派で、シングルイシュー。つまり原発だけ。活動資金はカンパ。1回で200万円ほど集まったこともある。
原発輸出のセールスをスムーズに行うためには、日本国内でも原発を再稼働させなければならないというベクトルが働く。原発が必要であろうが、必要でなかろうが、とにかく何が何でも動かす。そこで、とりあえず元気に生きている国民を見せ物にするのが目的だ。ショールームとしての日本列島。つまり、日本人は、日本に住んでいるというだけで、いつの間にか原発メーカーや電力会社、そして政府のための命知らずの原発セールスパーソンに仕立てられている。補償がなかなか進まないのも、そのため。
昨年(2014年)5月21日の福井地裁の判決文は、何回よんでも心に残る名判決です。まさに「司法は生きていた」ことを久方ぶりに実感させてくれました。以下、少しだけ紹介します。このブックレットの末尾に載っています。
「使用済み核燃料は、本件原発の稼働によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったり起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っていると言わざるをえない」
「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発にかかる安全技術および設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというのにとどまらず、むしろ確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ちうる脆弱なものであると認めざるをえない」
「被告(関西電力)は、本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等と並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
また、被告(関西電力)は、原子力発電所の稼働がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国はじまって以来、最大の公害・環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは、甚だしい筋違いである」
いま、私は判決文を書き写しながら、何度となく、うんうん、そうだよねと深くうなずいてしまったのでした。この樋口英明裁判長は熊本地裁玉名支部の裁判官だったことがあり、私も出会ったことのある裁判官です。
そして、この判決は結論として、次のように断言しています。
「大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求(原発の運転差止)を認容すべきである」
いまの安倍内閣のすすめている川内原発の再稼働を目ざす動き、そして海外へ原発を輸出しようとする動きは、直ちにストップさせなければいけません。
みんなで声を上げましょう。原発なくして、安全・平和な日本に!
(2014年9月刊。1200円+税)
2015年1月16日
「灘→東大理Ⅲ」の3兄弟を育てた母の・・・
著者 佐藤 亮子 、 出版 角川書店
正月休み明けの事務所、私の机の上にびっくりするようなタイトルで、カラフルな本が載っています。あれえ、こんな本、注文した覚えはないんだけどなあ・・・。
本を手にととってみると、なかに手紙が入っています。私の敬愛する奈良の佐藤真理(まさみち)弁護士からの贈呈本です。何、なに・・・。
「突然ですが、妻の本を贈らせてもらいます。・・・」
ええーっ、佐藤弁護士のつれあいが書いた本なんだ。そして、佐藤さんに息子が三人いて、みんな灘からそろって東大理Ⅲ(医学部)に合格したんだって。信じられません・・・。
翌日、本は一気に読了しました。とても明快、かつ合理的な子育てです。誰もができることではないと思いますが、母親として確固たる人生観をもち、信念を貫く生き方に支えられた子育てですので、大切なところはどこの家庭でも取り入れることができるように思いました。
その意味で、とっくに子育てを卒業してしまった私などは、大いに反省させられました。やっぱり子育ては楽しいものでなくてはいけないのです。そして、そのための工夫を尽くせば、楽しい子育てができるのです。
この本を読んで、とても真似できないと思うところは後半部分に多々ありますが、男3兄弟と妹の4人を、全員平等に、しかも楽しく、のびのびと育てていった状況は、読んでいてほほえましくもあり、うらやましくもありました。
私の家庭でも、それなりに三人の子どもを伸び伸びと楽しく育てたつもりではいるのですが・・・。初めての長男については、「かくあらねばならない」という親の押しつけが行き過ぎたと、今は大いに反省しています。まさしく若気の至りです。
子どもが高校を卒業して親元を離れる18歳までは、すべて親の責任だし、親の仕事だ。子どもを早く大人にしようとは思わず、できることはしてあげる。やるべきことをシンプルにあげることが、子どもを伸ばすコツ。
自立とは、子どもが誰かに助けてほしいときに、きちんと声をあげられるようになること。
親の自立は、子どもが離れていくときに、精神的に足をひっぱらないこと。
子どもが、より一層前を向いてがんばれるように、ほめ倒す。そのためには、継続した観察が必要。そして愛情いっぱいに、本心からほめる。ほめて、背中を押してあげる。感情的に起こるのではなく、具体的に伝えること。
子どもが話しかけてきたとき、「ちょっと待ってね」とは言わず、その場で子どもにきちんと向きあう。
母親の知的好奇心は、子どもにいい影響を与える。
DNAのせいにするのは、子どもの存在を否定するようなもの。
「朝だよ、朝だよ」と笑顔で楽しそうな声で起こす。朝は、子どもに絶対に怒らない。何はともあれ、朝は、ニコニコ過ごす。感情をコントロールして、子どもたちが笑顔で学校に向かうようにする。
食事は、おいしく食べる。食事は楽しい場だと子どもが感じるのが一番。
カップラーメンは普段は一切食べない。しかし、具合の悪いとき、そしてテストの前にはカップラーメンを食べさせ、楽しさと元気をとり戻させる。
4人の子どもたちに、食べ物は徹底的に平等にする。
子どもたちがおもちゃで遊んだとき、片付けるのは親の仕事。子どもは楽しく遊ぶのに集中する。子どもにお手伝いもさせない。
子どもの「楽しい」をいかに増やしてあげるかが親のつとめだ。
テレビを見ない、見せないという点は、私の家でもそうでした。私は今でも、テレビは一切みません。たまに録画したものをみることはありますが・・・、
子どもに水泳とバイオリンの習い事をさせた。
よその子と比較して親が焦るのは、いちばんしてはいけないこと。
子どもの部屋はない。勉強中も、周りは雑音だらけ。勉強する環境なんて、整っていないのが当たり前。受験は、本当は自分とのたたかい。
これは、私も司法試験を受験しているときに、改めて、そう思いました。40年以上も前のことです。当時、2万3千人の受験生のうち500人ほどの合格者でした。他人を蹴落とすという気持ちでは合格できるものではありません。あくまで、自分の努力が肝心なのです。自分が理解したことを、文章にして表現する。それがどれだけ他人に分かってもらえるのか・・・。そのために勉強するのです。
きわめて合理的な生き方、学び方が満載の、とても実践的な本です。
私も、運動会の騎馬戦のときに、ケガ人に備えて救急車が待機しているという「灘」校に入ってみたいと思いました・・・。といっても、私自身は市立中学、県立高校そして東京大学というコースで、今も良かったと思ってはいるのです。47歳で脱サラして小さな小売の酒屋を営んでいた両親と一緒に18歳まで生活していて良かったと考えています。おかげで、父についても、母についても、それなりに調べて伝記を書くことができました。親の生き方を書くなかで、戦前戦後の日本史を自分のルーツとして学ぶことができたことが成果です。
子育ての終わった人にも、これから子育てしようという人にもおすすめの本です。
佐藤真理さん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。奥様によろしくお伝えください。一度、子どもさんたちと話させてください。楽しそうな息子さんたちのようですから・・・。
(2014年12月刊。1400円+税)
2015年1月14日
日本はなぜ原発を輸出するのか
著者 鈴木 真奈美 、 出版 平凡社新書
「世界一安全な原子力発電の技術を提供できる」
これは安倍首相がサウジアラビアの大学で講演した(2013年5月)ときの言葉です。こんな真っ赤な嘘を日本に首相が海外で堂々と言い切るなんて、私は絶対に許せません。
嘘つきはドロボーの始まりです。道徳教育を強引にすすめようとする安倍首相の二枚舌は酷すぎます。
福島の原発事故は依然として「収束」の目途はたっていない。4号炉の使用済み燃料棒の取り出しこそ完了したものの、1号炉も2号炉も、そして3号炉も、核燃料棒の所在も何もかも判明していない。原因の究明さえ終わっていないのに、安倍首相が外遊先で「安全」を安請けあいするのは見識を欠く。反省したはずの「安全神話」を輸出するようなものではないか・・・・。
原子力のプラント輸出は、「国」が長期にわたって法的・財政的な「保証人」になることが求められる特殊な国際商取引である。「国」は、日本側の保証人として、そのプロジェクトが続くあいだ、融資をふくめ、さまざまな側面から支援するだけでなく、原子炉の製造ラインと技術・人材を確保するための政策を保持することになる。
原子力プラントの受注契約を先行させ、そのうえで自国の今後の原子力施策と中長期計画を検討するというのは、原子力産業を維持するために、原子力発電を継続するという逆転をもたらすことになる。
このように、原子力輸出は、他のエネルギー技術の輸出にはない、特殊なリスクを内包している。なぜなら、一度でも大量の放射能放出事故が発生したときには、その賠償は巨額かつ長期にわたることは自明のことだから。
原子力産業を立ち上げるのは「国」であり、この産業は「国」が定めた施策の枠組みをこえて活動することは基本的にありえない。国の法的・財政的な補償を必要とする海外展開の場合は、なおさらである。
かつて世界の原子炉や濃縮ウラン燃料の供給をソ連と二分し、自由主義陣営への供給では圧倒的な占有率を誇っていたアメリカは、いまや輸入する側になった。いまでは、日本はアメリカの原子力産業の再建を技術面・資金面で支援し、日米は共同で原子力輸出をすすめている。
世界の原子力産業界は、ライバルであると同時に、その根底では一蓮托生なのである。
「室蘭が止まれば、世界の原発建設が止まる」
世界の原子力業界では、室蘭にある日本製鋼所の室蘭製作所が、つとに有名である。そこで大型原子力用部材において突出した鋳鍛(ちゅうたん)技術をもっているため、世界のシェアの8割を占めている。
地球は、もともと放射性を出すあまたの元素の塊だった。これらの天然の放射性元素のほとんどは、長い時間を経てエネルギーを出し切り、安定元素となった。この安定元素に囲まれた環境の下で人類は誕生した。ところが、この50年ほどのあいだに、本来なら地球上には存在しなくなったはずの放射性元素を核爆発や原子力発電によって大量につくり出してしまった。
人間の管理能力をはるかに超える人工の放射性元素(核のゴミ)を、これからも増やし続けるか否かが、今、私たち人類に問われている。
安倍政権による無責任な「原発」輸出策の危険性を改めて強く認識させてくれる新書です。読みやすい本です。ぜひ、あなたも手にとって一読してください。
(2014年8月刊。800円+税)
2015年1月12日
「非正規大国」日本の雇用と労働
著者 伍賀一道 、 出版 新日本出版社
現代日本における非正規雇用の横行がもたらしている問題点をよくよく理解できる本です。
日雇い派遣の細切れ的雇用は、最低限の所得や住まいの確保を不可能にしている。健康ランドやネットカフェ、マクドナルドを転々とし、コンビニ弁当で空腹を満たすことが、生活コストを高め、予備の蓄えを難しくしている。細切れ的雇用と貧困の悪循環である。
ことあるごとに繰り返される「自己責任論」は、働き口を得ることの出来ない人に対して、意欲の欠如や能力不足を指弾し、リストラされた労働者に対しては本人の落ち度を見つけ出そうとする。これによって、企業の責任や政策の失敗は免罪される。
失業と貧困は、資本主義の経済システムに加えて、今日の新自由主義的施策によって絶えずつくられるものである。
学校にも派遣教師がいるのですね。私は知りませんでした。
いま、「即戦力や利便性」を求めて間接的雇用の派遣講師が私立高校で広がっている。派遣会社には1コマ(50分授業)4000円、そして派遣教員に渡るのは2200円。非常勤講師を雇うと2600円なので、学校にとっては1400円も高いが、雇用調整の容易さが上まわるメリットをもたらす。教員派遣最大手のエディケーショナルネットワークには、2007年に1万8000人が登録していたが、2013年には2万6000人に増えた。
大学生のアルバイトが劣悪な労働条件で働く正社員に接して、正社員とは、あのような働き方を受け入れることだと覚悟してしまう。もし、高校生や大学生がアルバイトに精を出さなくても学校に通えるだけの給付制奨学金や授業料無償化が実現したら、日本の産業構造は、今とは相当異なるだろう。
教育政策の貧困は、若者を使い捨てにする産業の隆盛の有力な基盤となっている。学生たちが、不当な扱いをあいまいにしない気概をもつことを願わずにはいられない。本当に、そうですよね・・・。
この間の労働者の増加のほとんどを非正規雇用が占めている。正規労働者が540万人減少する一方、非正規雇用は780万人増加した。これによって、過労死・過労自殺の多発がもたらされた。
半失業者のプールを拡大することで失業者を隠蔽し、失業率を圧縮するような手法が新自由主義の特徴である。したがって、失業率が高いか、低いかだけで失業問題の深刻さの程度を即断することは出来ない。
この10年間に非正規雇用は416万人増加したが、その65%が年間所得200万円未満層である。2012年時点で、この低所得層は、非正規雇用の4分の3を占めている。
1982年当時、男性では9割以上、女性は7割弱が正規職についていた。
若者が非正規労働者として職業人生を出発し、企業が正規雇用の縮小を継続しているもとでは、非正規雇用のまま中年に達する人が次第に増えている。これが生涯、単身化の増加と深く関わっている。
民間大企業の労働組合が労使協調的労働組合になって以降、企業の成果の分け前を取得する道を選択した。社外工に対する労働行政の対応も批判的姿勢から黙認へと転換した。
今日の雇用の劣化と働き方の貧困をもたらした要因の一つとして、労働組合が本来、果たすべき役割を担っていないことがあげられる。労働力浪費型雇用の進行に事実上黙認してきた点で、とりわけ民間大企業の労働組合の責任は大きい。
今日の日本社会では、「連合」の政策が話題にのぼることなど、まずありません。いつも企業べったりの労働組合なんて、まるで存在意義がないからです。本当に残念な状況です。
現代日本がいかなる社会であるかをよくよく映し出している貴重な労作だと思いました。
360頁、2700円というハードカバーの本ですが、広く読まれるべきものとして、ご一読をおすすめします。
(2014年12月刊。2700円+税)
2015年1月11日
菅生事件第一審裁判記録
著者 菅生事件60周年記念事業実行委員会 、 出版 同
菅生事件が起きたのは昭和27年(1952年)6月2日午前0時すぎのころのことでした。大分県竹田市菅生村の巡査駐在所が爆破されたという事件です。この事件が何より怪しいのは、事件の前に、この駐在所の周辺には、大分県警の警察官が何十人も周囲に潜んでいて、同じように新聞記者もじっと待機していたということです。
しかも、駐在所に住む警察官はいつでも出勤できるように長靴をはいていて、その妻も今夜、駐在所が爆破されるというのを知らされていたということです。
これでは犯人として捕まった二人は、まるで「まな板のコイ」です。現場に三人いたはずの「犯人」のうちの一人は警察に「連行」されたあと、行方不明になってしまいました。
そうなんです。その一人こそ、現職の警察官であった戸高公徳でした。「市木春秋」と名乗って現地の共産党に接近して、共産党員を現地の駐在所におびき寄せたスパイだったのです。
この戸高公徳は、事件のあと東京に潜伏しているところを、共同通信の記者に摘発され、裁判にかけられます。ところが、戸高公徳は、警察では、その後は格別に優遇され、警察大学校の教官になったり、警察共済組合の幹部にまで昇進したのです。
この裁判記録は、そんな菅生事件の苦難のたたかいを改めて掘り起こしたものです。ガリ版ずりの一審の記録を大分地方検察庁の記録を閲覧して、活字にして、読みやすくしたのです。大変な苦労があったことと思いますが、たしかに活字にしないと忘れ去られてしまう記録でしかありません。
昭和27年(1952年)4月の起訴状から菅生事件の前史の裁判は始まります。そして、昭和27年8月13日の公判から清源(きよもと)敏孝弁護士の無罪を目ざす弁論が始まるのです。
はじめのうちは「市木春秋」が何者か分からなかったから大変です。事件直後から姿を消したのは怪しい。そして、反共の有力者宅に寝泊まりしていたけど、誰も、その素性を知らないのでした。こんなハンディを背負って、現場近くで駐在所爆破の現行犯人として二人の共産党員が捕まり、裁判が進行していくのです。
この背景には、当時の日本共産党が中国にならって暴力革命路線をとっていて、「中核自衛隊」という軍事組織をもっていたことがあります。北の「白鳥事件」は「ぬれぎぬ」とは言い難いものがありましたが、この菅生事件は、まさしく典型的なぬれぎぬ事件でした。裁判では、大勢の警察官や新聞記者が、なぜ爆破された駐在所の周囲に待機していた(させられていた)のかということが問題となります。
その真相は、大分県警がスパイ戸高公徳に命じて、二人の共産党員を駐在所付近へ招き寄せていたということです。駐在所の爆破それ自体も警察官がやったものでした。
外から投げ込まれた爆弾が爆発したのではないこと。駐在所夫人の身の安全に危害を及ぼさない程度の爆発であること。こんな条件をみたした爆発事件だったのです。
被告弁護側は、何度も裁判官に対して忌避中立をします。まさしく予断と偏見をもった裁判の進行がありました。こんな事件で有罪判決が下されるなんて、まるで信じられませんが、昭和30年7月2日の大分地裁の判決は有罪でした。懲役10年ないし8年です。
もちろん、被告弁護側は直ちに控訴します。福岡高裁は昭和37年6月13日、無罪判決を下しますが、それは、スパイ・戸高公徳が東京で発見され、ついに法廷で証言せざるをえなかったことによります。
「小雨の中を2時間も駐在所前に張り込み、犯人の来るのを待ち受けていた」
「事件当時、既に鑑識課員が現地に派遣されていた」
これらは、被告人の有罪を肯定する証拠がないことになる、としたのです。弁護人は、駐在所内の爆発状況を再現実験していますが、この実験結果も、被告人らの無罪の根拠とされています。
私は40年前の弁護士なりたてのころ、被告人の一人であった坂本久夫氏と何回か話したことがあります。神奈川県で国民救援会の仕事をしておられました。とても小柄な男性です。
駐在所内の再現実現のとき、背が低いので電燈のソケットに届かないという写真がありましたが、なるほどと本人を見て思いました。
当時の共産党が山村において「中核自衛隊」という無謀な行動をしていたことはともかくとして、警察が共産党弾圧のためにスパイを使ってまったくのぬれぎぬ事件を創り上げたことを、そして、その無罪を明らかにするためには大変な苦労が必要だったことを、よくよく思い出させる貴重な裁判記録です。復刊の努力をされた実行委員会に対して、心より敬意を表します。
年末年始に読みふけってしまいました。
(2014年10月刊。4000円+税)
2015年1月 9日
日本は戦争をするのか
著者 半田 滋 、 出版 岩波書店
今年、1月1日の新聞に天皇の感想全文が載りました。私は以前より、今の天皇の行動と言葉について心から尊敬しています。いま安倍政権のすすめている施策について、天皇が大変な危機感を持っていることが、強くにじみ出ている言葉だと思います。以下、後半の部分を紹介します。
「本年は、終戦から70年という節目の年に当ります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まる、この戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
天皇が過去の歴史に学べと言っているときに、安倍首相は過去を美化し、侵略戦争なんてなかったとうそぶいているのです。
国民の疑問に丁寧にこたえ、不安を解消していくのが政治家の務めのはずだが、安倍首相は違う。国内においては、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」と繰り返して国民の不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張りあげる。
安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」によってあらわれるのは、「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」でしかない。
アメリカが「靖国参拝は見送るべきだ」と明言していたのに、安倍首相は、それを無視して靖国神社への参拝を強行した(2013年12月)。
さすがに、昨年(2014年)12月には参拝を強行することは出来ませんでしたが...。
そんな安倍首相をアメリカがこころよく思うはずがありません。「大変失望した」というコメントを出したり、オバマ大統領との会談がごく短時間の形式的なものですまされてしまったりしました。
日中交流は、これまで年間30回から40回はあっていたのが、第二次安倍政権になってから、ゼロになってしまった。
これは、ひどいですよね。政府間の交流がなくなっても民間交流のほうは続いていますし、中国からの訪日客が日本にとっての大きなビジネスチャンスになっているのに、安倍政権は「中国脅威論」をあおるだけなのです。怖くて仕方がありません。こんな人物に日本の政治を安心してまかせるわけにはいきません。
日本の自衛隊は、たしかに相当の武器をもって海外へ出て行った。しかし、自衛隊が海外で高い評価を得たのは、武力行使をすることなく、地元(現地)の復興に役立つ「国づくり」「人助け」に徹してきたから。アメリカのように戦争しに行ったからではない。
ある自衛隊幹部は、「尖閣諸島をめぐる日中の対立から、自衛隊が駐在する沖縄本島・宮古島が占領される恐れがある。これを奪回するのが水陸両用部隊の役割になる」と言った。中国による沖縄侵略に備えているという。しかし、日本人が住んでいる島を中国が侵略すれば国連憲章違反になるし、そんな事態は現実には考えられない。そして、もし沖縄の諸島が中国軍に占領されたとすれば、日本政府が「抑止力」と説明している沖縄の海兵隊には意味がないことになる。いずれにしても、明らかに矛盾している。
私も、本当にそうだと思います。ここにあるのは、現実的なシナリオではなく、あくまで根拠のない危機あおりだけなのです。
北朝鮮が怖いぞ、怖いぞと安倍政権は強調する。しかし、日本を「守る」ためのPAC3は
1000基以上が必要なはずなのに、実際には32基しかない。
日本には使用済み核燃料棒を保管する原発とその関連する施設が55ケ所もある。通常弾頭でも、それが命中すれば未曾有の量の放射線に汚染されてしまい、日本列島は廃墟と化してしまう。
そうなんですよね。日本列島に50ケ所以上もある原発を日本の自衛隊がテロ攻撃から守りきることは不可能なのです。つまり、日本はすでに大切な我が子を人質にとられているようなものなのです。戦争なんて、口にすることすら出来ないのが今の日本なのです。
安倍首相は、それなのに軽々しく他国の脅威をあおりたてているわけです。まったく日本人を守るべき日本の首相とは認められません。
日本の置かれている状況を真正面から考えるのに役立つ新書として、ぜひご一読ください。
(2014年7月刊。740円+税)
2015年1月 8日
オウム真理教事件・完全解説
著者 竹岡 俊樹 、 出版 勉誠出版
オウム真理教が横浜の坂本弁護士一家を殺害したのは、1989年11月4日のこと。そのころ、オウム真理教の信者は5千人足らず。
私は、坂本弁護士一家の遺体が発見される前、まだオウム真理教が殺害犯だと判明していないときに、殺害現場のアパートを見に行ったことがあります。つましい、どこにでもあるような2階建ての木造アパートでした。どうやら、たまたま出入り口のカギがかかっていなかったようなのです(本当でしょうか・・・)。
オウム真理教の発展を邪魔する存在だという麻原の指示によって、一家三人とも殺害されてしまったのでした。こんなものが宗教の名に価するはずがありません。にもかかわらず、この殺人教団が今も名を変えて日本に存続していることに、鳥肌が立つと同時に、世の中が信じられません。この本は、そんなオウム真理教に深く立ち入って分析しています。今から15年前の本ですが、大変勉強になりました。
著者の結論を先に紹介します。
オウム真理教事件は、戦後の日本社会がたどりついた負の極点、最大の汚点であった。
オウム真理教は、我々が非論理的、非科学的として葬ってきたことをかき集めて再構築している。
恐ろしいのは言語化できない肉体、感性的な事象である。それが論理によって組みあわされ、意味づけられてしまえば、当人がその是非を判断することなど不可能になってしまう。信者たちは、修行によって得られる甘美な肉体感覚によって麻原の虚偽の深みへとはまり、いつの間にかサリンを撒くようになる。オウム真理教という特異なシステムの中に入ったら、誰だってサリンを撒く可能性が十分にあるのだ。
ひえーっ、これって、とても恐ろしいことですよね。また、これが本当だからこそ、オウム真理教事件が単なる過去のことではなく、現代日本に今なお尾を引いているのでしょうね。だからこそ、15年前に刊行されたこの本を読む意義は、今も大いにあるというわけです。
オウム真理教が発足したのは、1987年。このときの信者数はわずか6人。そして8年後の1995年には1万人の信者を擁した。信じられないほどの急成長です。
1995年、オウム真理教の出家修行者は女性が6割近い661人、男性が41%の459人だった。信者の最終学歴は、大学院2%、大学卒38%、短大7%、専門学校17%、高卒
25%、中卒2%だった。
吉本隆明は、オウム真理教を高く評価していた。なんということでしょうか・・・・。
信者には、オウムの教えが心の奥底まで浸透し、潜在意識の中にまで入り込んでいる。本人が、ほとんど無意識の状態の中で、教えを叩きこまれている。
オウム真理教は、1990年にボツリヌス菌の培養、波野村(熊本県)でホスゲンの生成プラントを建設した。そして、1992年には炭疽菌の培養をはじめ、1994年にサリンの生成に成功した。LSDも同年、その生成に成功した。
麻原は、本人が「絶対者」となって人々の上に君臨したいという強い欲求をもっていた。また、麻原の神格化は、麻原自身と側近たちがともに推進した。麻原の神格化の表れが巨大な椅子である。
麻原に気に入られようとする打算的な人間が少なくなかった。子羊のように従順で、純朴な人たちが多かった。幹部たちは麻原にゴマをすった。みんな、地位や権力に執着していた。
教団は、麻原を信者とが一対一で結ばれている、奇妙な集団だった。信者同士の横のつながりというのはほとんどなかった。信者同士の横のつながりを麻原がひどく嫌っていた。
ステージとホーリーネームは、麻原による教団支配のための格好の道具であった。
みんな、教祖である麻原に気に入られたい、かわいがられたい、認められたい、その一心で、競いあっていた。そのためには、手段を選ばない風潮ができあがっていた。本当に恐ろしい、特殊な世界ですよね。
教団は、麻原を絶対的な頂点とした権力組織へと変わっていた。麻原自身は家族とも切れていなかった。麻原一家の住む部屋は、すごくデラックスで、食事も信者とは別の者だった。
麻原が否定したのは、憎しみの対象である現実社会そのものだけで、自分自身ではなかった。麻原は、自らにエゴやプライドを温存し、巨大化し、それを正当化した。
宗教を道具として利用し、信者たちを兵器へと仕立てあげていった麻原は宗教者ではない。この日本社会を滅ぼしにやって来た悪魔であるとしか言いようがない。
本当に怖い「えせ宗教」です。そんな「エセ宗教」が名前を変えて今も生き続けていることに改めて恐ろしさを感じます。
(2009年11月刊。900円+税)
明けましておめでとうございます。
年末年始は、娘たちが帰ってきてくれて、にぎやかに楽しいお正月を過ごすことができました。そして、例年どおり、庭仕事に精を出しました。
いま、ロウバイの花が真っ盛りです。黄色い丸い粒々の花です。黄色というか、ハチミツの固まりのような花で、甘い香りが漂います。
暮れにチューリップを植え終わりましたので、地上部分の枯れた球根類を掘り起こして植え替えします。すると、チキチキというよりタキタキという音がします。頭を上げると、すぐ目の前にジョウギビタキがいます。
「何してんの?」と言わんばかりに、わざわざ近寄ってきて、私の作業を眺めるのです。
ぷっくらしたお腹で、黒を黄色に、少しだけ白い部分があります。尻尾をチョンチョント振って挨拶してくれます。人を恐れず愛敬たっぷりのジョウビタキとともに庭仕事を続けます。
夕方、薄暗くなったら早々に風呂に入って身体を温めます。極楽、極楽という心地に浸ります。
2014年12月31日
データで読む平成期の家族問題
著者 湯沢 雍彦 、 出版 朝日選書
日本の家族に関する面白いデータが満載の本です。
平成22年(2010年)時点では、男の80%、女の90%は50歳までに一度は結婚している。
児童虐待は小さなものまで含めると最近は急増し、年に6万件が報告されている。格差が拡大し、低所得家族での親子関係は悪化している。
夫婦として暮らしている者(内縁を含む)は3200万組あり、年間の離婚件数23万件は微々たるものにすぎない。したがって、制度としての婚姻は健在であり、夫婦と親子の大部分は安定していると言える。
出生の実数は、平成2年に122万人、平成12年に119万人、平成23年は105万人と減少を続けている。
婚姻件数は、昭和47年に史上最高の110万件、婚姻率10.4%。その後、急速に下降し、昭和62年に69万件、婚姻率5.7%、平成25年には66万件、婚姻率5.2となっている。このように婚姻志向は明らかに低下している。
結婚式の費用は、平成23年344万円。ご祝儀226万円を除いて、120万円の負担。招待客の平均は74人で、やや減少しつつある。
この25年間で目立つのは、再婚の増加。再婚における女性のためらいは、非常に低くなってきた感じである。
「妻の氏」を称する再婚が、妻再婚の場合に6.6%、夫再婚の場合に4.7%、そして再婚同士の場合には9.0%。この最大の理由は、子連れで再婚する妻とこのために、その姓を変えないようにしたいという思いやりが強まったことによる。
平成1年の離婚件数は15万8000件、平成14年には29万件となった。ところが、平成15年から減少していて、平成23年には23万6000件となった。日本は離婚が多い国とは言えない。先進国の中では、イタリアを除いて、最も低い。100組に1組の夫婦も離婚していない。
日本では、養子縁組が年間8~10万件ある。日本は世界有数の養子大国である。ところが、特別養子縁組は、この10年間に年間400件未満しか成立していない。
葬儀費用は平均231万円。高額なのは東北で283万円、低額なのは四国で150万円。
樹木葬墓地は、供養代を含めて50万円ほど。
成年後見の申立は平成12年に7451件、平成23年は2万6000件で、4倍近くも増えた。禁治産の申立件数の10倍にもなる。認定されたものの累計は21万人。
しかし、ドイツは、人口が日本の3分の2でしかないのに、年120万人が利用している。日本も120万人が利用して当然なのだが・・・。
これらのデータは、日本の家族問題を考えるうえで、また家族をめぐる事件に対処するとき、必須不可欠の基本的知識と言えます。
(2014年10月刊。1400円+税)
2014年12月25日
僕たちの国の自衛隊に21の質問
著者 半田 滋 、 出版 講談社
集団的自衛権についての解釈変更が閣議決定され、いよいよ日本の自衛隊が海外に出かけていって、アメリカ軍と一緒になって戦争をする事態が現実のものになろうとしています。憲法改正することもなく、そんなことをするなんて、まさに無茶苦茶ですが、自公政権そして安倍首相の暴走が止まりません。
この本は、将来、戦場に行かされる君たちへ・・・、と題するものです。そんなの関係ない、なんて言って、のほほんと構えているわけにはいきません。いつ「赤紙」が来ないとも限らないのですから・・・。
著者は、20年以上も、防衛省や自衛隊を取材してきた新聞記者です。海外にも、サマーワ(イラク)やアフリカなどの自衛隊の派遣先にも、現地へ足を運んで取材しています。
自衛隊員は22万5千人。陸上14万人、海上4万人、航空4万人。
日本は、潜水艦を16隻もち、戦闘機は260機を保有している。
日本の自衛隊は、護衛艦、戦闘機、戦車などの主要な武器が新しくて性能が良く、十分な訓練を積んでいて、自衛官の質と士気が高いことから、世界有数の軍事力をもつと考えて良い。
日本の防衛費は5兆円ほど。人件費・糧食費が44%を占めており、武器を購入する物件費は削られている。
イージス護衛艦は1隻1400億円、潜水艦は500億円、F35戦闘機は1機100億円する。10式(ヒトマル)戦車は1両10億円。
日本に駐留するアメリカ軍の経費の8割近くを日本が負担している。これは1700億円を超す。
アメリカの将兵の住む住居の水道・水光熱費までが日本が負担している。もちろん、私たちの税金が使われている。
日本にいるアメリカ軍は、日本を守るためにいるのではない。日本安保条約によって、アメリカ軍はただ同然で日本にいるが、それでも、自分の都合のよいときに戻ってきてくれるはずだが、本当に戻ってきてくれるという保証はまったくない。なぜなら、自分の都合で、いつだって自分に米軍基地を離れて行動することを認めるという密約があるから。
イラクのサマーワにいった自衛隊員は、アメリカ軍と一緒になって戦争しに行ったのではなく、あくまでも人道的見地からの復興支援活動だった。だから、自衛隊の装甲車には、大きな日の丸がついていて、漢字まで書かれていた。そして、個々の自衛隊員は、砂漠なのに緑色の服を着て、頭・肩・胸・背中の4カ所に大きな日の丸のワッペンを縫いつけていた。自衛隊員はアメリカの兵士とは違って、戦争に着た分けではないとアピールしたわけである。これは、憲法9条によって交戦権がないことによる制約。しかし、このことによって、イラクへ出かけた自衛隊員は一人の戦死者も出さなかった。それでも、過酷な戦場体験にさらされた自衛隊員の中には日本へ帰国したあと、合計28人もの自殺者を出した。
集団的自衛権とは、結局、アメリカ軍と一緒になって、中近東などの戦場へ出かけること。
そこでは、日本の青年が殺し、殺されることになる。戦死者が一人でも出たとき、日本の世論がどう反応するかは怖い。それが国防軍の機能強化に結びつかないという保障はない。
12月14日の投票日当日、午後から久留米市で、著者を招いて講演会が開催されました。70人ほどの参加者があり、とても充実した内容でした。早ければ、2018年にも憲法改正のスケジュールが具体化される見込みだという話でした。
その前に、こんな危険な安倍内閣を一刻も早く退陣させる必要がありますよね・・・。
20歳前後の若者向けの本として、とても分かりやすい内容です。ぜひ、お読みいただき、周囲の若者へ、一読をおすすめください。
(2014年10月刊。1300円+税)
2014年12月24日
自民党政治の変容
著者 中北 浩爾 、 出版 NHK出版
今回の衆議院選挙では、自民党は、投票数も得票率も、そして議席すら減らしたのに、「圧勝」したという報道がなされています。これは、明らかにマスコミによる意図的な世論誘導でしょう。マスコミは、これまで「政治改革」、「郵政選挙」、小選挙区制、「二大政党制」を大きく唱導してきました。今になってみれば、どれもこれも日本の政治をいい方向に変えたものはなく、悪い方へ、悪い方へとひっぱっていったものばかりではないでしょうか・・・。ところが、今でも、「道半ば」とか言って、小選挙区制が民意を反映しない最悪のシステムだということに目をつむっています。私は許せません。
本書は、戦後60年の日本政治を、1955年に結党した自民党に着目して分析しています。この本では「保守派」という言葉は使わず、「右派」と「リベラル派」といいます。「タカ派」とか「ハト派」とも言いません。
押しつけ憲法論にもとづく「自主憲法の制定」という自民党の党是に肯定的なのを右派と呼ぶ。これは、日本国憲法に体現される戦後的価値、安倍の言う「戦後レジーム」からの脱却を目ざすのが右派である。そして、反対に、それを擁護するのがリベラル派である。
自民党において、リベラル派から右派への主導権の移行、それにともなう政策的な変化を「右派」と定義する。
自民党は結党以来の60年間で非自民八党派の細川護煕(もりひろ)内閣と羽田孜(つとむ)内閣の8ヵ月、民主党の鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3年3ヵ月を除いて、政権を担当してきた。
1994年の政治改革で小選挙区比例代表並立制が実現した。自民党は組織的に変容し、「選挙の顔」となる総裁のもと、次第に集権化が進んだ。
河野洋平総裁の率いる自民党は、小沢一郎らの新政党、新進党に対抗して、社会党や新党さきがけと連立を組み、理念的にはリベラル派が優位に立った。
1998年に、自社さの枠組みが崩れ、二大政党の一角として民主党が台頭するなか、自民党は右傾化していった。
2001年に自民党総裁・首相に就任した小泉純一郎は、小選挙区制のもとで、鍵を握る無党派層からの支持を求めて、新自由主義的改革を推し進め、利益誘導政治を本格的に解体していった。党員や支持団体は減少を続け、自民党は選挙プロフェッショナル政党に近づいた。しかし、自民党の支持基盤は脆弱化してしまった。それでも、かつてのような利益誘導政治には回帰できない。
そこで、憲法改正を掲げて「草の根保守」動員を目ざす安倍晋三の時代が訪れた。
戦後の保守合同の最大の立役者は岸信介であった。岸はA級戦犯容疑者として逮捕され、1953年4月の総選挙で政界に本格的に復帰したばかりだった。岸は、政界への復帰にあたって、一度は右派社会党に入党を打診したほど、親近感をもっていた。
これには驚きました。信じられませんね・・・。
1966年の自民党の党員は190万人というのが公式発表だった。しかし、党費を納入するのは、そのうち5万人のみ。議員を除くと、4万人。しかし、その大半は支部の役員。残る185万人は、党費を納めず、党員としての自覚のない、名目的な党員にすぎなかった。
高度経済成長は、利益誘導政治を可能にし、一面では自民党の支持基盤を強固にしたが、もう一面では、それを大きく掘り崩した。1967年1月の総選挙での自民党の得票率は49.2%と、五割を下まわっていた。
社会党が低迷し、公明党と共産党が台頭して、野党が全体として得票率を伸ばし、自民党にとって脅威となった。それは都市部で顕著であり、1967年4月の東京都知事選挙では、社会・共産両党の支持する美濃部亮吉が当選した。
革新都政とともに、私の大学生活は始まったのでした。青いシンボルマークがなつかしい・・・。
1972年11月の総選挙は、田中角栄首相の下、社会党は28増の118議席、共産党は26増の40議席へと躍進した。自民党は16減の284議席だった。
1980年1月の時点で、自民党の党員・党友は321万人をこえた。総裁予備選挙のおかげである。派閥抗争は、ますます泥沼化した。
2001年、「古い自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎が自民党総裁に選出されると、実際に自民党の党組織が大きく変容していった。新自由主義的改革を断行し、利益誘導政治の解体を進めた。
自民党の候補者は、派閥よりも党への依存を強め、個人後援会を培養する必要性が低下し、利益誘導政治が後退した。
自民党の党員は1991年に544万人だったのが、2006年には119万人にまで落ち込んだ。そして、後援会が衰退した。
自民党は、全体として国家財政から支出される政党交付金への依存を深め、その配分権を握る党執行部の統制力が強まった。
自民党の党員は1999年から200万人を下回り、2009年に87万人、2012年には62万人にまで低下した。自民党の掲げる右派的な理念は世論との間に、大きなずれがある。自民党を支持する有権者と比べてみても、自民党の国会議員は相対として右派的であり、政策的なずれがある。右派的な理念は自民党を結束させる機能を低下させるだろう。
戦後の自民党について分かりやすく明快に分析した本です。250頁ほどですので、ぜひ手にとってご一読してみてください。
(2014年5月刊。1400円+税)
日曜日に庭の手入れをしていると、いるものジョウビタキが何度も、すぐ近くまでやって来て、「何してんの?」という顔で、こちらを見ています。尻尾をチョンチョンと動かし、可愛らしい声をあげる。ひょうきんな小鳥です。スズメより少し大きくて、茶色の小鳥です。
今年のよんだ本は590冊ほどになりました。全部、私の読書ノートにつけています、そのうち365冊を紹介しています。目下、司法研修所を舞台にした小説に挑戦中です。どうぞ新年も引き続き、ご愛読ください。