弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2015年3月31日
集団的自衛権で日本を滅ぼしていいのか
著者 半田 滋・川口 創 、 出版 合同出版
安倍政権の憲法改正に向けた第一弾は、教育基本法の改正だった。これは2006年12月のことです。子どもたちに「愛国心」を強制して、お国のために命を捧げよというのです。そして、教科書統制を一層強化しました。
第二弾は、防衛庁を防衛省に昇格させたこと。戦前の日本のようなカラ威張りする軍人がふんぞりかえる世の中なんて、サイテーですよね。
そして、第三弾として憲法改正のための国民投票が定められました。
航空自衛隊は、イラクでアメリカ軍の兵員と物資を輸送する活動をしていた。しかも、こっそり隠したというだけでなく、嘘までついて国民を欺した。
航空自衛隊が運んだのは、国連職員が2800人、陸上自衛隊員が1万人。ところが、アメリカ兵は2万人以上だった。そして、アメリカ軍の物資は、ほとんど運んでいない。人道支援と称しながら、人道支援物資は運んでいない。
この実態は、裁判のなかでようやく明らかにされたが、情報公開請求に対して黒塗り文書のみの公開だった。特定秘密保護法が制定された今日、このような事実は公表されないだろう。
安倍政権には、人間の判断は誤ることがあるという事への警戒心や謙虚さがまったくない。日本は、ロシアと北朝鮮・中国の軍事通信はかなり正確に傍受している。北朝鮮の通信を傍受して、ミサイル搭載のやりとりまで把握している。しかし、中東について日本はまったく手がかりすらなく、すべてアメリカから情報をもらうしかない。
官僚とって都合の悪い情報、判断に迷うものは秘密にされる。
秘密保護法は官僚を肥大化させてしまう。
日本の官僚は、能力の高いオレたちが国の舵取りをするので、国民は言うことを聞けばよいと考えている。お上(かみ)意識、命令する立場にいたいという意識でこり固まっている。
安倍首相の元気の源は、フェイスブック。37万人のフォロワー、ネット右翼(ネトウヨ)がほめたたえるので、自分はエライと錯覚し、ますます過激なほうへ行く。
これまで集団的自衛権が行使されてきた例をみると、ベトナムもアフガニスタンも、惨敗している。良いことは何ひとつなかった。
アメリカは、アフガニスタンとイラク侵略作戦のために150~500兆円もつかった。この膨大な軍事費の支出が、もとからあった貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に拍車をかけた。その結果、オバマ政権は福祉や教育、医療という国内分野さらに外交政策で有効な手が打てないことにつながった。
アメリカが現在、国際社会でリーダーシップを失いつつあるのは、このアフガニスタン、イラク戦争の負の遺産である。
日本の自衛隊は、攻撃的な分野は弱いけれど、防御的にみると世界一強い。
日本は決して「丸腰」ではない。相手になかなか攻め落とせないという脅威を与えるに足りる軍事力をもっている。
テロとのたたかいは、相手が軍隊ではなく、特定できないために、必然的に無差別殺戮となり、憎しみが憎しみを生み、終わりがない。
際限なき憎悪が生み出され、際限なき戦争になってしまう。そのような泥沼の戦争に日本がまき込まれてしまいそうだ・・・。
もともと、尖閣諸島の上は米軍機や自衛隊機のP-3Cが飛んでおり、今もまったく変わらない。安倍首相の一連の言動こそ、日中韓の関係を悪化させている。
アメリカの戦争戦略は大きく変わっている。かつては若いアメリカ兵を犠牲にしても軍事的介入を優先する方針だった。今や、イギリス、日本そして韓国の衛星国に兵士を出させ、死ぬのは、アメリカ以外の国というシステムに変えようとしている。
日本がアメリカ言いなりに行動していて、何もいいことはない。そのことを実感させる本でもありました。大変歯切れよく、問題の危険な本質を対談のなかで明らかにしてくれる本です。
(2015年2月刊。1600円+税)
2015年3月28日
瞽女 キクイとハル
著者 川野 楠己 、 出版 みやざき文庫(鉱脈社)
なぜか宮崎の出版社から出た本ですが、テーマは新潟県で活動していた盲目の女性芸人集団・瞽女(ごぜ)の生きざまです。
生まれつき、あるいは病気によって失明してしまった女性が何を願ったか・・・。
次の世に生まれ変わるときには、たとえ虫になっても明るい目をもらいたい。虫になってもいいから、明るい眼がほしいと百歳のときに語ったハル。そこには視覚障害者なるが故に体験しなければならなかった苦難の数々が、いかに耐えがたいものとして、ハルにのしかかっていたかを物語っている。
鼓の下に目と女を書いて、瞽女・ごぜと読ませる。これは貴人の御前(ごぜん)で鼓を打って曽我物語を語るなどに携わっていたことからくる。元禄時代に三味線が普及してから、彼女たちも鼓を放して三味線を持った。
旅の途中でも、5月13日の妙音講には必ず出席するために帰宅する。瞽女たちにとっては年に一度の祭典である。髪を整え、似合った着物を着て集まり、仲間と健在をよろこびあう。
農村では、季節ごとに訪ねてくる瞽女を待っていた。ラジオがやっと始まったことのこと。娯楽としては、瞽女や浪曲語りが回ってくるのを待つ以外に、何もなかった。だから、瞽女の来訪は、村にとって「ハレの日」になる。
宿は「瞽女宿」と呼んだ無償で泊めてくれる大きな農家があった。その家では代々瞽女の世話を引き受けていた。
組ごとに決まった旅をもち、一つの村にいくつかの組が時期をずらして訪れていた。高田瞽女は、上越全体に100件もの宿をもっていたようだ。
瞽女の旅は、通常3人か4人が一組になって歩く。一行のなかで、弱いながらも視力のあるものが先頭に立つ。
農家の間口の戸を開けて、「ごめんなんしょ」と奥に声をかけて三味線を弾きだし、3分ほどの「門付け唄(かどつけうた)」をうたう。この門付(かどつけ)は、瞽女の一行がこの村に北ことを知らせる役割がある。
宿の家では、間仕切りの襖を外し、表座敷を開放して臨時の会場をつくる。
瞽女たちは、口説(くどき)、民謡、段物を次々にうたい続ける。終わるのは、夜10時、11時になることがある。演目は、驚くほど広い。
ストーリーのある八百屋お七、佐倉宗五郎、小栗判官(おぐりはんがん)、照手姫(てるてひめ)、葛の葉子別れなどの古浄瑠璃を中心として、段物(だんもの)と呼ばれる「瞽女松坂」地震・災害・心中事件などのニュース性のある話題を歌い込んだ口説(くどき)清元、端唄、新内から、民謡や流行りうたなど、あらゆる分野にまたがっている。
そして、瞽女が途中の村々で仕入れた情報も伝えられる。瞽女は、芸能と情という文化を村人に伝える存在なのだ。
瞽女社会には、男の肌に触れることは、能動的であろうと、受動的であろうと許されないという厳しい掟(おきて)がある。瞽女には、結婚は許されない。結婚すると瞽女仲間から離脱し、二度と戻ることは出来ない。
文字ではなく、すべて聞いた音で覚え、三味線を弾いて語り、うたうという瞽女の声をぜひ聞いてみたいと思い、この本に紹介してあるのを早速注文してみました。なるほど、80歳とか90歳とは思えない張りのある声でした。
(2014年10月刊。2000円+税)
2015年3月27日
「カジノで地域経済再生」の幻想
著者 桜田 照雄 、 出版 自治体研究社
カジノに頼る経済なんて、そもそも発想が間違っています。
そして、この本は、カジノに頼って地域経済が再生するなんて、嘘っぱちだと実証しています。アベとかハシモトのインチキ宣伝に乗せられてはいけません。
「IR型カジノ」の基本的な考え方は、エンターテインメントやショッピングなど、魅力ある「楽しみ」を提供する施設を組み合わせた複合施設を集めることで、観光客の大幅な増加を図ろうとしているもの。そのなかで、カジノ施設が、今までにない「楽しみ」を人々に提供する集客施設として位置づけられている。
コンベンションを誘致する「切り札」としてカジノが考えられている。
九州では、カジノに頼ることを北九州、佐世保(ハウステンボス)、別府、宮崎(シーガイア)、沖縄が名乗りをあげている。
おぞましい、恐るべき事態です。
賭博はコントロールできるか?現実には、人間の脳への刺激に起因する依存症の発症をコントロールすることは出来ない。
カジノは、既存のビジネスを共喰い(カニバライズ)する。大阪のUSJの経済波小効果は5900億円だったが、地元の商店街は潤っていたという事実はない。
カジノのもうけは、「客の負け分」にほかならない。大阪にカジノがオープンしたとしても、すでに飽和状態にある商業施設のなかで、多くの競争相手を向こうにまわしてカジノが生きのびるという保障はまったくない。
かつて30兆円産業といわれた日本のパチンコ産業も、今では20兆円を大きく下まわっている。4割近く落ち込んだ。パチンコへの参加人口も、1790万人(2004年)から970万人(2014年)へと、半減している。
そのなかで、マルハンとダイナムの2社で、半分の売上げを占めている。カジノと両立できるパチンコ店というのは考えられない。
アメリカでは、IR型カジノが次々に閉鎖に追い込まれている。
カジノは、バクチです。人の心を荒廃させ、まわりに不幸を持ち込むものです。そんなものにたよる社会は不健康ですし、長続きするはずもありません。
大阪の橋下市長も、安倍首相も狂っているとしか言いようがありません。ところが、そんな彼らが、子どもに道徳教育を強制しようとするのです。世の中は、本当にわけが分かりませんよね。どうなっているのでしょうか。有権者は、一刻も早く目を覚ますべきだと思います。
(2015年1月刊。1100円+税)
2015年3月23日
うつの医療人類学
著者 北中 淳子 、 出版 日本評論社
過労が続き、心身に過重なストレスがかかって「うつ」になると、自分の責任じゃない、この会社を辞めたらいいと普通に考える余裕を失い、自分が悪いとか、苦しみはずっと続くという心理的な視野狭窄の状態に陥ってしまうことがある。
真面目で、責任感の強い人がうつ病になりやすいという性格論は、日本とドイツの一部を除いてはほとんど聞かれない。しかし、臨床の現場では、圧倒的な説得力をもって長く支持されてきた。
自殺とは、自らの意思にもとづいて死を求め、自己の生命を絶つ目的をもった行動である。精神障害による自殺では「意思」そのものが病に侵され、自分の行為のもたらす結果を十分に理解できないとされるため、厳密な意味では、「病死」(過誤死・疑似自殺)として理解される。
WHO報告は、自殺者の9割は、何らかの精神障害を病んでいるとする。
精神科医が治療対象とみなすのは、自殺一般ではなく、あくまでも「精神障害」による「病的絶望」なのである。
精神科医は、初診患者と会うとき、部屋に入ってくる瞬間から、その姿勢、表情、声のボリューム、挨拶の仕方、椅子の腰かけ方、話し方を仔細に観察し、根底に何らかの病理が潜んでいるのかを読みとろうとする。
睡眠、食欲、体重の変調と気分の変化という、うつ病の主症状に関して質問する。精神科医にもっとも根本的な問題を突きつけるのは、慢性の精神病患者が、みずからの病に絶望しておこなう「覚悟の自殺」である。
「精神療法は」は、15分しても1時間しても、保険診療で支払われる報酬は同額。だから、医師が精神療法的なかかわりに時間をさきたくても、より早くより確実な効果の期待できる薬物治療に専念し、診察できる患者数を増やさないことには、病院の経営が成りたたない困難な状況が続いている。
医師の自殺率は高いが、そのなかでも精神科医の自殺率は圧倒的なトップを占める。実際に起こってしまった患者の自殺ほど、医師に深いダメージを与える経験はない。
現在、世界規模で進行中の、うつの医療化の特徴は、うつ病が仕事や生産性という「公的領域」でとらえ直されている。また、うつ病への懸念が男女平等に向けられている。
うつ病をストレスの病とする考え方が広く流布する契機となったのは、1990年代以降の過労うつ病、過労自殺裁判である。これらの判決によって、うつ病は「誰でもなる病気」だということが立証された。
うつ病について、アメリカでも学んだ著者による日米比較もふくむ、興味深い人類学の学者による本です。
(2014年9月刊。2400円+税)
2015年3月20日
紛争解決人
著者 森 功 、 出版 幻冬舎
東京外国語大学の伊勢崎賢治教授の活動を紹介する本です。本当に勇気ある日本人だと思います。心から敬意を表します。
日本国憲法、戦争放棄の平和憲法を海外の戦争の現場で実践してきた人ですから、安倍首相のいう集団的自衛権の危険性を説く話には、まことに説得力があります。
伊勢崎賢治は平和構築の研究者。世界じゅうの紛争地を飛びまわり、テロリストやゲリラと対峙し、紛争当事者の兵士たちと交わってきた。まさしく、たたかう紛争解決人だ。
アフガニスタンには、もう一人、中村哲さんというペシャワール会の医師(福岡県人)も活躍しています。武力・軍事力に頼らない紛争解決と予防に日本人が貢献していること、その活動の背景には日本の平和憲法があることに、私たち日本人はもっともっと確信をもつべきだと痛感します。
この本を読むと、強大な軍事力をもつアメリカが、どうしようもない間違いを重ねてきたことがよく分かります。軍事力に頼って平和が実現できるはずはないのです。
伊勢崎賢治は、早稲田大学の建築科を卒業してインドに渡り、スラム街に活動するようになった。
これまたすごい行動力です。とても真似できません。インドの公安当局から目をつけられ、ついには国外追放ということになるのですから、その実績たるや、すごいものです。
オルグは思想によって組織をまとめるものではない。それは人間の必要性から成就するものであり、それを貫くことが大切。平和の思想をいくら持ち出しても、戦争や紛争は終わらない。このまま紛争を続けていても終わりがなく、暮らしていけなくなると人間が感じはじめたときに初めて和平が成り立つ。その必要性が、生存に直結すればするほど、人間は真剣になる。そこで、人間は団結する。
伊勢崎賢治は、アフリカのシエラレオネに派遣され、NGOのディレクターになった。シエラレオネの国家予算90億円のうち、実際に使えるのは30億円ほど。これに対して、このNGOは年間3~5億円をつかって、学校や道路などのインフラを整備していった。そして、2年目(1990年)、伊勢崎賢治は、大統領の指名によって、市議会議員になった。
シエラレオネの伊勢崎邸は高い塀に囲まれた一軒家で、門番が3人も立つ。
しかし、ここでは、雇った警備員が強盗に変身するケースが珍しくない。
そして、コブラがそこらじゅうにいる。だから、冷蔵庫にはコブラ用の血清を保管している。ところが、停電ばかりの国。血清の保管も大変だ。うひゃあ・・・、と思いました。こんなところに幼い子どもを連れて生活していたのです・・・。
次は、ケニア。さらに、エチオピアに派遣される。そして、東ティモールに派遣され、県知事になるのでした。1500人の国連平和維持軍のリーダーです。
すごい日本人がいるものですよね。軍人ではないのに、多くの軍人を指揮・命令していくのです。
そして、再びアフリカのシエラレオネに戻ってきました。そこで武装解除に従事します。50人の部隊を率いる司令官がなんと14歳だというのです。
伊勢崎賢治がたてた小学校出身の少年兵が、いつのまにか司令官にのぼりつめた。貫禄がある。
集団的自衛権を行使するとしたら、もっとも大きな国際課題はテロとのたたかいである。
アフリカ軍やNATO軍に火力、つまり戦力が不足しているということはない。だから、日本が自衛隊をそこに送っても、たいした働きはできない。戦力以外のところで日本はがんばるしかない。
テロの温床となっている地域において、日本ほど評判がいい国はない。それは日本には平和憲法があり、この70年間、戦争をしたことがないからだ。
現場の国際貢献という意味では、憲法9条はまだまだ使える。というか、いまここで踏ん張らないと、最大の国際的課題であるテロとのたたかいに光が見えなくなるように思える。
肚のすわった日本人男性が世界の紛争現場で活躍していること、そして、彼を背後から支えているのは日本国憲法、とりわけ9条であることを知って、大いに励まされました。
伊勢崎さん、これからも、身体の健康と安全に、くれぐれも気をつけて紛争解決のためにがんばってください。
(2015年2月刊。1400円+税)
2015年3月18日
日本人は、いつから働きすぎになったのか
著者 礫川 全次 、 出版 平凡社新書
日本人は勤勉すぎるように思います。といっても、私もその一人であることには間違いありません。だって、この毎日一冊の書評を、誰もお金をくれるわけでもないのに、なんと10年以上も続けているのですから。いったい、どれだけ読まれているのでしょうか?
まあ、好きでやっていることなので、読まれなくても文句を言うつもりではありません。
それにしても、二宮尊徳の実際を知って驚きました。薪(たきぎ)を背負う二宮尊徳の像は、全国各地の学校にありました。しかし、それは、二宮尊徳が死んで35年もたって、あらたに創り出されたものだった。ええーっ、なんということでしょう。すっかり、だまされていました。
二宮尊徳は、人々を思想的、宗教的に教化するカリスマ的な思想家、宗教家ではなかった。むしろ、「勤勉にして謙虚な農民」を「権力」によって育成しようとする官僚的な実践家、教育者だった。
二宮尊徳の試みた改革に対して、村内の各層から根強い抵抗・非協力が起きた。
それは、江戸後期の日本には、断固として「勤勉」になることを拒む農民たちが存在していたという厳然たる事実を証明している。
江戸時代の農民は、必ずしも勤勉とは言えなかった。多くの農民が「勤勉」になるのは、明治30年代に入ってからのこと。
福沢諭吉は、たしかに勤勉家だった。しかし、福沢諭吉は、「武士」というよりは、「商工」に近いメンタリティをもっていた人物だった。
第二次大戦に敗れて、日本人は多くのものを失った。しかし、決して意気消沈することなく、ただちに復興に向かって動きはじめた。そのとき、日本人にとって最大の武器となったのが、その勤勉性だった。敗戦という衝撃によっても勤勉性という価値を日本人は疑うことがなかった。
しかしながら、日本人の勤勉性は、わずか「数百年間の特徴」でしかない。前述したとおり、二宮尊徳の指導に対して、断固として「勤勉」になることを拒否した村民がいた。明治30年代までは、江戸時代以来から伝わる「多めの休日」を楽しんでいた農民たちがいた。
報酬の多いことより、労働の少ない方を選ぼう。怠ける勇気をもとう。怠けの哲学をもとう。
日本人とは何かを考えさせてくれる本でもありました。
(2014年8月刊。820円+税)
2015年3月12日
失職女子
著者 大和 彩 、 出版 WAVE出版
親から突き放され、一人で生きていかなければならない若い女性が、やっと就職した会社でリストラにあい、ついには病気もかかえるなかで生活保護を受給して、生計を立てていくという大変な状況をユーモアを忘れずに描き出しています。ブログから本になったようですが、独身女性の娘をもつ親として身につまされます。
家賃が支払えない。どうすればいいの? と絶望している、そのこあなた!すべての失職女子、貧困女子にこの本を捧げる。
著者にとって実家とは、心の安まる場所ではなかった。母の金切り声と父のタバコの煙にまぎれて、どうにか自分の存在を消し、日々をやり過ごす場所でしかなかった。
家庭とは、ずっと批判や嘲笑、怒鳴り声、そして暴力にさらされる場所だった。両親は幼児並みに感情が不安定な人たち。母は衝動的で、娘の嫌がることを、わざと執拗にくり返す。
実の子どもなのに、家庭で両親からいじめに遭っていただなんて、たまりませんね・・・。
著者が生まれ育った家庭は、常に息詰まる雰囲気の場所だった。記憶に残っている父親は、「おとうさん」と呼びかけても、返事どころか、娘を見ようともしない。その反面、突然に「キレた」状態になり、意味不明な理由で怒鳴り、子どもたちにも暴力を振るった。
こんな両親のもとで育っても、こんなにまともに冷静に文章が書けるのですから、人間には復元力が本当にあるのですよね。きっと親が反面教師の役割を果たしていたのでしょう。
著者は採用面接にこぎつけても、ことごとく落ちています。そのあげくに、激しいストレスから、なんと体重が100キロ近くにまで太ってしまいます。これはヤバいです。そして生活に疲れているな~っていう感じを与えてしまうのです。
面接で、ことごとく不採用になるのは、心のなかで面接官に毒づいたり、戦災孤児に変身して面接官に不穏な視線を送っていたから。今では、それが分かる。
かの湯浅誠は、こう言った。たとえお金がなくて「貧乏」でも、周りに励ましてくれる人たちがいて、自分でも「がんばろう」と思えるのなら、それは貧困ではない。それが「貧乏」と「貧困」の違いだ。なーるほど、という感じですね・・・。
やっと見つかったパートに出るときの著者の格好は、次のようなものです。
眼鏡とマスクを常に装着して、ライトな変装で自分を守る。マスクのいいところは、アイメイクさえすれば、ちゃんと化粧しているかのようにごまかしが効くこと。辛いときには、それに眼鏡をプラスする。
いよいよ経済的に行きづまったときには、福祉事務所に行って生活保護の相談をすることをおすすめしたい。消費者金融(サラ金)から借金するより、そっちがよほど健全。
今では、弁護士会も生活保護の相談やら、生活保護申請のときに同行するということもしているのです。ぜひとも、早目にご相談ください。
憲法25条はすべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、と定めている。生きて、最低限度の生活を営んでいいんだ・・・!
そのことを生々しく実感させる体験記です。ひき続き、元気に生きていってくださいね。そして、体重は早く半減してくださいな。そのとき、きっと新しい人生がスタートしますよ・・・。
(2014年12月刊。1400円+税)
2015年3月11日
国際リユースと発展途上国
著者 小島 道一 、 出版 IDE・JETRO、アジア経済研究所
私にとってアフガニスタンというと中村哲医師を思い出しますし、パシュトン人とかハザラ人が次に来ます。でも、遠い国というイメージです。
ところが、そのパシュトン人とかハザラ人が日本で中古自動車の輸出入に関わっているというのです。驚きました。
日本製中古車貿易においては、パキスタン人移民企業家が市場を牽引してきた。
2004年6月時点で、日本の中古車輸出業者は全国に800業者いて、そのうちパキスタン業者が350業者、バングラデシュ人が100業者、スリランカ人が100業者だった。2006年12月時点では、パキスタン人業者は500~600業者へ増加した。
パキスタン人というのはパシュトン人のことであり、千葉県ではアフガニスタン人のほとんどはハザラ人である。ハザラ人は、アフガニスタン内戦が激しくなった1994年ころ日本に来て、中古部品業に従事した。
2000年以降、アフガニスタン内戦が一時収束すると、多くのパシュトン人が中古部品業界に参入してきた。
日本の中古車のうち登録抹消された自動車の28%が輸出されている。ロシア、ニュージーランド、アラブ首長国連邦が主たる輸出先である。アラブ首長国連邦のドバイは、アフリカ、中東向けの中古自動車貿易の中枢地になっている。
日本の中古テレビの主要な輸出先はフィリピンである。2008年から2012年にかけて、合計258万台に達している。
ロシアへの日本車の輸出は、経済成長と日本車への根強い需要を背景として、長期的な増加傾向を示し、2008年には年間50万台もの輸出があった。そして、高額な関税を免れるため、自動車部品として輸入するようになった。
ロシアへは軽自動車が増えている。セカンドカーとしての需要である。道路の路面状況が悪いため、車高の高いジムニー(スズキ)、パジェロミニ(三菱)、テリオスキッド(ダイハツ)が好まれている。
在日韓国・朝鮮人は金属リサイクル業、在日ベトナム人は中古家電の貿易、在日パキスタン人は中古車貿易業と、すみ分けている。
日本の中古製品が海外へどのように輸出されているのかを実証的に研究した本として、知らなかったことだらけで、大いに勉強になりました。
(2014年12月刊。3600円+税)
2015年3月 7日
成長国家から成熟社会へ
著者 碓井 敏正・大西 広 、 出版 花伝社
政党の固定的支配層は減少し、政治的課題によって離合する傾向が強まっている。各政党の党員は半減している。政党と選挙民の関係は一枚岩ではなく、屈折し、重層化している。
アベノミクスのインフレ政策、円安政策は即刻やめさせなければならない。同時に、ムダな公共投資の復活や大企業減税の停止もなされなければならない。
大企業は、円高による国民利益を通じた消費、つまり内需拡大こそ利益とする体質に自らを転換しなければならない。
日本は、今や、アメリカに次ぐ貧困大国になりつつある。格差問題で特に重視されるべきは、教育格差である。なぜなら、教育格差は、各種格差の始点となっているから、また世代にわたって継承されるから。
今の日本は、世界に例をみない高学費によって、高等教育への進学率は、先進国のなかでも中位以下にまで後退している。
小中学生の全国学力テストでは、秋田や福井、石川のような社会的絆(社会関係資本の強い)日本海側の地域が上位を占めている。
日本は、安心して離婚を選べる社会とはほど遠い。家族ケアの受けられない一人暮らしの高齢者が増加している。
日本の公務員は大幅に減少している。19494年に比べて国家公務員は3分の1へ激減した。地方公務員のほうは53万人も減った。
国家公務員の労働組合は連合と全労連で勢力を二分している。労働組合については、組合員数の減少だけでなく、労働組合の単位組織自体が減っている。この30年間に2万の組織が消滅してしまった。
ゼロ成長経済下で求められるのは、国家に依存しない「社会」内部の諸力の成熟だという主張でつらぬかれた本です。私にとって、やや難しすぎる論調ではありました。
(2014年10月刊。1700円+税)
2015年3月 6日
ヘイトスピーチに抗する人びと
著者 神原 元 、 出版 新日本出版社
横浜の弁護士による、ヘイト・スピーチとたたかう勇気ある人びとを紹介する本です。
本屋の店頭で、また本の広告で、親しくつきあうべき隣国である韓国や中国をバカにした本が山積みにされ、大々的に宣伝されるのを見るにつけ、日本人の劣化、心の狭さに小さい胸を痛めてきました。
この本を読むと、気狂いじみたヘイト・スピーチに対して、勇気をもって声を出し、声を上げている日本人が少なくないことを知り、大いに励まされました。
この本は、ヘイト・スピーチに関する理論的研究書というより、ヘイト・スピーチの現場で、それとたたかう人びとの元気な生き方を紹介するものです。日本人も、まだまだ捨てたものじゃないと思わせてくれる本として、一読をおすすめします。
毎日のように安倍首相の馬鹿ばかしい、ご高説をたれ流すだけのマスコミ(とりわけNHK)に腹を立てているなかで、かなり日本人に対するガッカリ感があったのですが、この本を読んで少しばかり元気をとり戻すことができました。
「在特会」というのは、ヘイト・スピーチを唱道する団体の一つであり、首都圏屈指のコリアンタウン、新大久保に狙いを定めて活動を開始した。
「朝鮮人を皆殺しにしろ」
「日本人なら、朝鮮人の店で買い物なんかするな」
と叫びながら、韓流料理店の外で店の営業を妨害してまわる。
信じられませんね、こんなバカバカしいことをやる狂気の日本人集団がいるなんて・・・。みっともないこと、このうえありません。
誰が、そんなことをやっているのか・・・。30代くらいが多いけれど、若者もいて、年寄りもいる。
決して、失業者集団ではありません。それなりに学歴のある人びと、そして地方公務員や国家公務員もいるのです・・・。そして、警察は、ヘイト・スピーチのデモを取り締まるどころか保護するばかり。
ヘイト・スピーチのデモ隊を圧倒するカウンターの隊列が包囲し、「帰れ」を唱和して圧倒した。本当に、この情景はすごいですね。
日本人も、まだまだ捨てたものではありませんよね。野蛮なヘイト・スピーチを身体をはって阻止しようとする人々が少なからずいるのです。
2013年9月、ヘイト・スピーチに反対する東京大行進は大成功をおさめた。
たいしたものです。すごいです。まさしく良心の勝利です。
そして、この本は、そのカウンターの内実を少しだけ紹介しています。
「しばき隊」は、差別に反対し、日本社会の公正さを守ることを、その任務とした。そのメンバーの大部分は日本人であり、在日の人々を守るという立場をとらなかった。うんうん、それでいいのです・・・。
ヘイト・スピーチに抗してたちあがったカウンターは、最後まで厳密な意味での組織やリーダーをもたなかった。
カウンターは、差別デモの広がりを防ぎ、萎縮させ、縮小させる効果を生んだ。
「帰れ」の罵声を浴びながら、デモに参加するのは、勇気のいることだ。
ヘイト・スピーチは、マイノリティー集団を、その属性ゆえに社会から排除する意図または効果をもっているところが大きい。
ヘイト・スピーチは、ターゲットされた人々を「平手打ち」にし、徹底的に打ちのめし、反論の気力を失わせる。これは、「沈黙効果」と言われる。
対象となった在日コリアンを打ちのめし、排除し、人としての尊厳や存在そのものを根底から否定するとともに、すべての人が平等に共存する公正な社会を根本的に破壊し、隣人に対する憎悪、さらに暴力やジェノサイドをも煽動する。
ネット右翼の勢力は、あなどれない。1週に2回以上アクセスし、合計15分以上「楽しんでいる」ユーザーが50万人ほどいる。月に1回だと、2倍の110万人になる。
ヘイト・スピーチに対する法的規制は必要であり、憲法21条に照らしても、それを法的に規制することは許される。しかし、法規制の効果には限界がある。法規制より教育や啓蒙が大切である。
そして、なによりヘイト・スピーチを誘発する政治家の発言や、政治の差別政策を是正することが重要だ。この指摘に、私も全面的に賛同します.差別を推進するばかりの安倍政権の下ではヘイト・スピーチの混絶は残念ながらありえません。一刻も早く、政権の交代が必要です。もっともっと、民族、宗教その他で平和共存を目ざしたいものです。
とても分かりやすい、実践的な本ですので、ご一読をおすすめします。
(2014年12月刊。1600円+税)