弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年6月18日

清張映画にかけた男たち

                               (霧山昴)
著者  西村 雄一郎 、 出版  新潮社

 面白い本でした。というか、映画好きな人には、たまらない魅力あふれる本です。そして、九州は佐賀に少しでも関わりがあれば、読みはじめたら止まらない本なのです。
 たとえば、私の幼いころの映画館での記憶です。「クラマ天狗」の映画です。シューサク少年が危機に陥ったとき、「クラマ天狗」のおじさんが白馬に乗って街道を走って少年を助けようと駆けていく場面になると、映画館にいる人々が総立ちになります。走れ、走れ、がんばれー・・・。そのあふれる熱気は、今も忘れることが出来ません。画面上の人々と映画館内の人々は一体だったのです。
ですから、私が弁護士になってまもなくのとき、東京の銀座で、映画「男はつらいよ」を静かな雰囲気で観て、ええっ、違うんじゃないの、これはっ・・・と、すごい違和感がありました。
 それはともかく、この本は松本清張原作の「張り込み」を佐賀でロケしたときのことが中心に書かれています。なにしろ、佐賀ロケを観ようとして、3万人もの人々が佐賀市内に押し寄せたというのです。
 私より少しだけ年齢(とし)下の著者ですが、私も、そのころの時代雰囲気はよく分かります。テレビなんてありませんから、映画をみるというのは最高のぜいたくです。その映画をとる現場が観れるというのであれば、みんなが観に行くのも当然です。
 著者は、その佐賀ロケのときに映画スタッフが泊まった旅館の子どもだったのです。
 松本清張の妻の実家は、佐賀県の吉野ヶ里に近い神崎(かんざき)駅の近くにあった。
 このあたりの情景をよく知っているから、清張は「張り込み」の情景描写につかった。
「張り込み」の女優は、あの有名な高峰秀子なんですね。「24の瞳」の高峰秀子が、「張り込み」にも主演していたとは、知りませんでした。
 この映画「張り込み」の監督は、野村芳太郎。当時38歳。「絶対に妥協しない」と高言して撮りはじめた。撮影期間は3ヶ月のはずだったのに、なんと7ヶ月も遅れた。その間、撮影「中止」に2回もなっている。
 「張り込み」のときには、山田洋次も、フォース助監督だった。
 野村芳太郎は、早撮りの監督と思われていた。ところが、この「張り込み」では、まったく違った。
 映画の「張り込み」の撮影にあたっては、佐賀県と佐賀市が全面的に協力した。
 佐賀警察署の場面を撮るシーンではクレーンが使われた。このとき、それを観ようとやってきた野次馬は、なんと1万人。観光バスを仕立ててやってきた。おかげで、佐賀市内は臨時に商品が大いに売れた。
 野村芳太郎監督は酒はダメ。甘いものもダメ。タバコとコーヒー党。
 山田洋次監督も、師匠の野村監督と同じで酒を飲まず、コーヒー党。
 九州ロケは、当初は、わずか10日間のはずだった。それが1ヶ月半をこえていた。佐賀だけでなく、熊本の温泉にまで足を延ばしていた。
 映画人の映画にかけている愛情の深さがよく分かる本です。
 それにしても、佐賀市内のロケ現場に1万人とか3万人の見物人が集まっていたなんて、今では想像もできませんよね・・・。
 映画好きな人、清張の本なら一通り読んだという人には欠かせない本だと思います。
(2015年11月刊。2000円+税)

2015年6月 7日

スギナの島留学日記

                             (霧山昴)
著者  渡邊 杉菜 、 出版  岩波ジュニア新書

 高校生活というのは人格形成にとって、とても大切な時期だと思います。受験にだけ追われるのではなくて、自然と社会の双方に目を開けることが大切です。
 この本は、私がまだ行ったことのない隠岐(おき)にある島前(どうぜん)高校で学んだ、兵庫県出身の女子高生の体験記です。わー、うらやましいな、そう思いました。
 島根県立高校です。そして、寄宿舎があるのです。女子寮に40人、男子寮に25人います。なぜ、男子より女子が多いのでしょう・・・?
 食堂は男女共同です。私も大学に入ってから3年間ほど寮生活を送りました。うち2年間は、6人部屋でした。楽しい日々です。今ふり返っても、天国のような日々を過ごしました。いじめなんて、もちろんありません。みんな、上も下もなく、仲間です。マンガ週刊誌をまわし読みし、夜食を食べに夜遅く寮の外へ出かけていきました。大学生ですから、門限なんて、もちろんありません。20歳前でしたけど、アルコールも制限なし、です。
 高校生の寮だと、そういうわけにはいきません。勉強時間も決まっています。でも、写真を見ると、本当にみんな楽しそうです。
 この高校では、国語、英語、数学の授業は習熟度でクラス分けされていて、一人ひとりに応じた授業を受けられる。先生は、生徒一人ひとりが、どういう状況にあるのか、しっかり把握している。すばらしいですね。こんな高校で勉強したいですよね。なにしろ、先生1人、生徒4人という授業もあるというのですから・・・。
 1学年50人、全学年2クラス。1年生は、実質3クラス、2年生は4クラス。こりゃあ、たまりません。県立高校で、これほど手厚い授業を受けられる生徒は、幸せです。
 休日も充実しています。島の人々との交流も盛んです。人々との深いつながりを実感できるのです。まさに夢のような高校生活を過ごすことができます。
 私も、もっと早く知っていたら、こんな高校に我が子を入学させたかったと思いました。
(2014年12月刊。800円+税)

2015年6月 3日

「わたしの日本語修行」

                             (霧山昴)
著者  ドナルド・キーン 、 出版  白水社

 ニューヨークで生まれて、ニューヨークで育った著者が、今は日本に住み、日本語ペラペラなのです。
 あまりにも成績優秀なので、著者は大学には16歳で入りました。信じられませんね。高校生が、そのまま大学に入ったというようなものですね・・・。
 著者は、徹底した反戦主義者です。にもかかわらず、海軍の日本語学校に入学します。でも、平和主義者であることと海軍へ入ることに著者は矛盾を感じませんでした。日本語を勉強するために日本語学校に入ったというだけなのです。軍隊については、何も学びませんでした。
 わずか11ヶ月で、日本語の新聞を読み、手紙を書き日本語で会話できるようになりました。すごいですよね、日本語をマスターするのに1年もかからなかったというのです。とんでもない速さです。
 海軍の日本語学校では、日曜日を除いて毎日4時間の授業があった。2時間は読解、1時間は会話、そして残る1時間は書き取り。一番むずかしかったのは、書き取り。
 そして、ハワイに派遣されて、日本兵の日記の解読に従事した。
 日本人の日記に感銘を受けた。日本兵は、新年ごとに日記を支給され、日記を書くことが、むしろつとめとされていた。外国人が日本兵の日記を読むことへの警戒心はなかった。
 兵士は、自分の本当の気持ちを書いたので、夢中になって読んだ。兵士のなかには、自分の死を覚悟し、これがアメリカ兵によって発見されることを見こして、最後の頁には英語で伝言が記されていた。
日本語を勉強するときには、はじめから漢字と一緒に覚えたほうがいい。はじめはローマ字のテキストを使うというのには反対だ。
 すごいアメリカ人がいたものですね。これでは、日本はアメリカに勝てるわけがありませんよね・・・。
(2014年11月刊。1800円+税)

 日曜日の午後、庭のジャガイモを掘りあげました。2月に植え、早過ぎてダメかと心配しました。地上部分の葉と茎が枯れたので、梅雨に入る前に掘りあげることにしたのです。立派なジャガイモがたくさんできていました。感動します。メークインとキタアカリです。さっそくオーブンで焼いて、バターをのせていただきました。昔、札幌の街頭で食べたジャガバタを思い出し、あつあつを美味しく食べました。至福のひとときです。
 暗くなってホタルを見に行ったのですが、途中の道路工事現場で足をすべらせ、地面に顔面を激突させてしまい、せっかくの美顔が台無しです。
 とっさに手を出して顔をかばえなかったのは、やはり反応が鈍くなったせいでしょう・・・。クスン。

2015年6月 2日

「働くこと」を問い直す

                                  (霧山昴)
著者  山崎 憲 、 出版  岩波新書

 フォード・システムは、アメリカにおいて自動車の大量生産として確立した。
 一人の労働者が一つの工程でになう作業にかかる時間をタクトタイムと呼ぶ。現代で、もっとも生産性が高いとされる自動車工場のタクトタイムは50秒ほど。その作業を、人間が一日中、数百回くり返す。私には、とても耐えられません。
 アメリカで一般的なフォード生産方式では、職務が一人ひとりに固定され、重なりあうことはない。そこに労働組合も便乗していた。経営側にとって効率がよいだけでなく、労働組合にとっては、労働条件を引きあげる基準としても、都合が良かった。
 不良品は最終工程で取り除き、ベルトコンベアーの速度を上げて生産性を高めるという方法をとっていた。すべての工程に品質をチェックする機能をつけ加えようとするならば、一人ひとりの働き方を根本的に変えなければならない。それには、大きな痛みをともなう。
 日本的労使関係システムは、生産性運動、高度経済成長、春闘の三つを必要条件としたが故に、そのどれかが欠けたときには崩れてしまう弱さを内包していた。
 日本のホンダがアメリカに工場を作ったとき、すべての従業員を平等に扱う、役員と従業員の賃金格差を大きくしない、作業の業績が悪くなっても簡単に解雇はしない、労働組合はつくらせない、などなどだった。
 そのため、職務の範囲を広くして、従業員同士や部門同士の仕事を重なりあうようにする。チームワークを高めるため、教育訓練をする。そして、定期的に配置転換する。
 日本の自動車メーカーの成功の要因は、価格が安いというだけではなかった。燃費の良さ、価格の安さ、品質の良さが、日本の自動車メーカーの本当の競争力の源泉だった。価格の安さや品質の良さは、偶然の産物ではない。
 品質を高めることに全社を挙げて努力し、不良品の出る割合を下げることで、日本企業はコスト削減につなげてきた。
日本企業の強さは、働く一人ひとりが惜しみなく自分の能力を企業経営のために提供することにある。そのことを前提として、一人ひとりの仕事を他人とつなぎ合わせる。個の能力を高めるとともに、組織としても効率的に、かつ有機的に機能させるためだ。
 弁護士も多くは高給取りにはいりますが、その大半は夜遅くまで働いています。首都圏の弁護士について言うと、帰りは決まって終電車という人も少なくないのです。
 それはともかく、何のために、そんなにアクセク毎日、働いているのかを考え直させる本でもありました。
(2014年11月刊。780円+税)
 東京・銀座の映画館でイギリス映画「パレードへようこそ」をみました。
たまに、いい映画をみると、本当に生きていて良かったなと思います。人間同士の心の触れあいによる温かさを感じると、よーし、明日もがんばろうと思えるからです。
 舞台はサッチャー政権下のイギリスです(1984年)。炭鉱労働者がサッチャー政権の炭鉱閉鎖に反対してストライキを続けるのですが、4ヶ月目に入って展望を見出せません。そのとき、ロンドンのゲイの若者たちが、炭鉱労働者と連帯しようと考え、そして行動に立ち上がったのです。募金を届けようとすると、炭鉱の街の方でゲイへの抵抗が強く、なかなか受けとってもらえません。ついに、ひょんなことから連帯行動が始まります。
 実話にもとづく展開なので、痛快な場面があり、また挫折もさせられます。
 でも、最後には、大同団結を勝ちとることができるのです。
 権力に屈せずたたかう炭鉱労働者と、同じように権力に抗して自分たちの生きる権利を主張して行動するゲイとレズの人々が、一致点で街頭パレードをするラストシーンは、思わず涙があふれ出してくるほど、感動的でした。

2015年5月29日

政党助成金に群がる政治家たち

                             (霧山昴)
著者  小松 公生 、 出版  新日本出版社

 政党って、同じ目的をもった有志の集まりのはずなのですから、自前でお金を集めて維持するのが当然でしょう。それを支持してもいない国民の税金で維持するなんて、そもそも考えが間違っています。堕落のはじまりです。
 しかも、企業献金を禁止するので税金で補助するという話だったのが、今や企業献金は堂々と復活しています。だったら、政党助成金は即刻廃止すべきです。
 そのうえ、この政党助成金の使い方はまるでデタラメです。こんなことを許している政権党が、子どもに対して学校での道徳教育に熱心だというのですから、アベコベとしか言いようがありません。だから「アベ」コベと言うのですね・・・。
国会議員が一人しかいない「政党」に2年も3年も、1億円以上もの税金が投入されている。理不尽としか言いようがない。
 助成金をもらって消えたサギ政党、「年末新党」というのは、政党助成金を受けとるためだけに結成され、最大の「使命」であり、「任務」であり、「目的」である助成金の受け取りさえ終われば、雲のごとく霧のごとく消えてしまった「党」のこと。
 政党助成金をもらうために、とにかく5人以上の国会議員が寄り集まる。5人の政党を立ち上げるだけで、議員一人あたり数千万円の政党助成金を労せずして手にすることができる。国会議員の年間の給与(議員歳費)は2000万円。その2~3倍ものお金がもらえるのだ。
 1994年以来、42もの政党が誕生し、そのうち33党が解党あるいは消滅した。これらの政党の平均寿命は、なんと2年。
 政党助成金が党収入の半分以上を占めるのは、民主主義や政党活動の原点に照らして正しくない。自民党も、当初は、そのように明言していた。
 政党助成金の最大の支出項目は、宣伝事業費。これはメディアのピンチを救っている。メディアの収入全体に占める広告費の割合は、新聞で半減、テレビは32%が30%へと減っている。それを埋めているのが政党助成金による宣伝広告費。メディアにとって、政党助成金を原資とする広告費が干天の慈雨になっている。
 政党助成金の使い方はデタラメだ。議員たちの飲み食いに使われ、また選挙の供託金としても使われている。
 麻生太郎は、六本木の会員制サロンバーで、1回100万円、1年間で800万円も政治活動費として使っていた。うひゃあ、これって許せませんよね・・・。
 これまでに消滅した政党に配分された助成金のトータルは745億円。自民党の収入の3分の2が、この政党助成金。
典型的な税金のムダづかいが、この政党助成金です。1995年から、2014年までの累計6311億円もの税金が、意味もなく、不合理に費消されてしまいました。すぐに廃止しましょう。私は怒っています。こんな不合理は許せません。今日の生活に困っている国民がいるというのに、こんなムダづかいが横行しているなんて、日本の政治は狂っているとしか言いようがありません。
(2015年4月刊。1400円+税)

2015年5月28日

「女、東大卒、異国で失業。50代半ばから生き直し」

                                (霧山昴)
著者  栗崎 由子 、 出版  パド・ウィメンズ・オフィス

 50代の海外で一人暮らしの女性が、突然リストラにあって失業したとき、どうやって明日から生きていくのか・・・。現在進行形のブログが本になっていますので、臨場感たっぷりです。
 東大教養学部を卒業してNTTに就職し、カナダに渡って、フランス、スイスと移り住んで働いていたのです。すると、突然、リストラに遭って失業してしまいました。そこから、苦難の就活が始まるのです。
 ジュネーブの日本寿司店でレジ係のアルバイトをしていたこともあるようです、なるほど、中年の日本人女性がスシ店でレジ係にいたら、客は安心しますよね・・・。
 といっても、私はせっかく海外へ旅行するときには、日本食は食べないように心がけています。現地の食事を楽しみたいからです。日本のカップラーメン持参なんて、とんでもありません。
 人間、無視されるほどの心のエネルギーを奪われることはない。就活のための履歴書を200通ほども送ったのに、まったく反応がなかったときの著者の総括です。
 ある日、友人から、仕事とは、他の人があなたにしてほしいことだ、そう言われた。なるほど、そうだったのか・・・。それまで、仕事とは、自分の得意なことを他の人にオファーする、指図することだと思っていた。ここで価値観が逆転した。
 別の友人は、こう言った。せっかく失業したんだから、その体験記をブログに書くのよ。それで、「失業してスイスに暮らす」というブログのタイトルが決まった。
 家庭教師の給料の値段決めの交渉は、初回が最後と思え。仕切り直しは不可能。
スイスのジュネーブの寿司店で、
 「マクドナルドは、どこに店を出せばもうかるのか、お金をかけてちゃんと調査している。だから、その近くに店を出せばいい」
 なーるほど、私も初めて認識しました。そう言われたら、そうでしょうね・・・。
 応募書類を送ったあと、1週間たっても面接の連絡がないときには、きっぱりあきらめ、次を探すこと。
学んだら、すぐに行動に移せ、初めてのことは、必ず失敗する。失敗をくり返せ。できるまでチャレンジせよ。できるまで覚悟があるかどうかだ。
仕事が見つかったとき、楽しいというより、安心できることがありがたい。それが本心だった。
 どんな仕事にも、それを必要としている人がいる。どんなに単純で、誰にでもできそうに思える仕事でも、簡単なものは何ひとつない。すべて、経験と熟練が必要なのだ。
日本で仕事をしていたときは、上司や同僚から、あなたはモノをはっきり言いすぎると言われた。ところが、ヨーロッパに来て20数年たっても、もっとはっきりモノをいいなさい、ヨーロッパの友人には、このように言われ続けている。
 人は言わなければ、分かりあえない。そして、人はいつも相手の耳に心地よいことばかり言って生きていくことは出来ない。
 そういうとき、自分を、自分の考えをどうやって相手に伝えるか、相手の心の壁を低くできるか、そこが生きる力の腕試しというものではないか・・・。伝わると、うれしい。
 舌に油を塗る。舌に油を塗って、日本語で、安心して、洗いざらい、心の中をコトバにして外に出してしまう。これが、最高の心のクスリであり、最高の娯楽であり、最高のバカンスだ。それは日本語でないといけない。他の言葉では、自分の心をここまでトコトン語りきれない。これを半年に1回しないと、どうにもいけない。こうやって、頭と心を整理し、心の垢落としをする。
 ここのところは、なんとなく、私にも分かります。やっぱり母国語というのがあるのですよね。
今では、しっかり働き、そして50代女性の求職支援ワークショップまでしているそうです。たいした女性です。ひとまわり年下の元気な女性です。一度、お会いしたいものです。
(2014年7月刊。2500円+税)

2015年5月24日

世界でいちばん石器時代に近い国

                               (霧山昴)
著者  山口 由美 、 出版  幻冬舎新書

 パプアニューギニアの素顔を紹介した面白い本です。
 パプアニューギニアは、世界で2番目に大きな島である、ニューギニア島の東半分などからなる国。日本からは6時間半かかるが、これはハワイと同じ飛行時間で行けるということ。
 パプアニューギニアという国の面白さは、ついにこの前まで石器時代だったことにある。
 内陸部のジャングル地帯には、マラリアなどの病気のため、ヨーロッパ人は入り込むことができず、昔のままの姿が残っていた。
 パプアニューギニアには鉄道がない、道路がない。だから自動車を目にすることもない。だけど、奥地には滑走路があり、飛行機の離発着はできる。宣教師たるもの、飛行機の操縦は不可欠なのだ。そして。飛行機の整備も、燃料の補給も、セルフサービスである。
パプアニューギニアでは、親しくなった人から騙されるということはない。
 パプアニューギニアでは、800以上の言語が話されている。世界に6000ある言語のうち、なんと1000もの言語がニューギニアに集中している。もっとも小さいものは数十人、多いものでも30万人ほどの言語だ。だから、公用語は英語であり、ピジン語が共通語として広く話されている。
 パプアニューギニアでは戸籍や住民票が存在しない。だから、自分の誕生日や年齢を知らないという人は多い。
 パプアニューギニアの人々は、ブアイを好む。ビートルナッツ、檳榔子(びんろうじ)、少量の石灰とマスタードと一緒に、口の中でくちゃくちゃと嚙む。このとき吐くつばは真っ赤になる。決しておいしいものではない。じわじわと口の中でしびれてくる。軽い酩酊感のような、ふわふわするような感覚。慣れてくると、これが癖になる。
 5年に一度、国民全員が熱狂し、大騒ぎになるイベント。それが選挙だ。投票率は100%をこえる。一人で何度も投票する人が後を絶たないことによる。
 パプアニューギニアでは贈収賄が犯罪にならない。そして候補者の公約違反は、裁判で訴えられることがある。
 『ゲゲゲの鬼太郎』で知られるマンガ家の水木しげるは、ニューギニアのラバウルに行き、そこで、現地のトーライ族と親しくなった。
 日常の買い物で「貝」を使うことはないが、公立学校の授業料や魚市場での支払はシェルマネーでもOK。冠婚葬祭では、むしろ現金は失礼で、シェルマネーを用意するのが礼儀である。
 パプアニューギニアの食生活の基本は味がないこと。主食は、イモかサゴヤシ。味はなく、スープに灰で味をつけて食べる。
 パプアニューギニアは、結婚の結納金として豚が重要なものとされているが、豚と並んでトヨタのランドクルーザーが交渉事の金額の基準にされている。未舗装の道を走るのは、トヨタのランクルだけ、ということ。パプアニューギニアでは、日本製品に対す信頼がいまだに絶大なのである。
 こんな不思議な国が世の中には存在するのですね・・・。
(2014年11月刊。780円+税)

2015年5月23日

やきとりと日本人

                               (霧山昴)
著者  土田 美登世 、 出版  光文社新書

 たまには美味しい焼き鳥を食べたいですよね。そして、この本を読むと、焼き鳥の世界も奥深いものがあることを思い知らされます。
 東京・銀座にある有名な焼き鳥店で食べたことがあります。さすがに、いつも食べているような焼き鳥とは格別の違いがありました。なんといっても素材が違います。
 キジは、日本のジビエ史におけるグルメ素材の一つ。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と、上流階級におけるとり料理の主役はキジだった。鶏も七面鳥も、キジの仲間である。
 江戸時代には、それ以前から人気のあったキジに加えて、カモもよく食べられるようになった。ただ、格があるとりと言えばツルで、将軍や大名の膳に用いられていた。
 フランスのブレス産の鶏は、自由放飼、飼料などに細かい規制がある。出荷されるのは空腹にして1500グラム以上のもので、日齢でいうと120日以上のもの。
1980年代のパリで、すでに本格的な日本の焼き鳥はウケていた。
 今は、店で鶏をさばくには食鳥処理の免許が必要で、それをもつ店はごくまれ。ほとんどの店は、さばかれた肉と内臓部分を別々に買って、それを店のサイズに切り、串にさしている。
 日本の「七大やきとり」は、北海道の美唄、室蘭、東北の福島、埼玉の東松山、愛媛の今治、山口の長門、そして福岡の久留米。
 鶏肉は朝絞めがいい。鶏肉に鮮度は大切だ。
 熟成に必要とされる期間が、牛や豚のそれよりもはるかに短く、参加されやすい不飽和脂肪酸を多く含んでいる。つまり、脂肪が酸化する前に食べてしまわなければならないのだ。ブロイラーは、日齢40~50日ほどで出荷される。地鶏の日齢は最長で150日。両者には100日間も差がある。
 1本を1分間で食べ終わる世界だが、たいていの名店では、6時間以上かけて何百本と仕込みをし、いつも同じ焼き手が、炭火に集中しながらチャンチャン焼いていく。
 この世界は、串打ち3年、焼き一生といわれる。二つの技術、とりを炭のうえに安定して置いて均一に焼けるように串を刺す技術と、それを焼きあげる技術が必要とされる。
 やきとりの魅力のひとつは、甘いたれが焦げたときの香ばしい香りである。
 たかがやきとり、されどやきとり、ですね。さあ、美味しいやきとりを食べに行きましょう・・・。
(2014年12月刊。780円+税)

2015年5月19日

NHK-危機に立つ公共放送

(霧山昴)
著者  松田 浩 、 出版  岩波新書

 私はテレビを見ませんので、NHKを利用しているのは、毎朝のラジオ・フランス語講座と日曜日の「ダーウィンが来た」(録画しておき、寝る前に見ます)だけです。
 昔々は、朝の連続テレビ小説の「おはなはん」(樫山文枝の主演)を楽しみにしていました。その後は、「Nスペ」などの真面目な番組を見ることもありません。映像よりも活字の世界で生きていたほうが、私の要求を満たしてくれると思っているからです。
 それにしても、いまの籾井(もみい)という会長はお粗末すぎます。恥を知らない日本人という典型ではないでしょうか。いくら安倍首相のお気に入りといっても、これほど愚劣な人物が日本を代表する天下のNHKの会長とは信じられません。自分に、資格がないことの自覚がないのは安倍首相と同じで、救いようがありません。
 三井物産出身ということですが、その会社も大したことがないと言うしかありませんよね。だって、こんな大会社の副社長が、こんなつまらない男でもつとまるというのですから・・・。いやはや、日本の大会社のレベルも地に墜ちたものです。
 NHKの元総合企画室局長が、「NHKは、創設以来、過去最大の危機に直面している」と言うのに、同感するばかりです。
 公共放送にとって大切なことは、政治家を監督すること。「籾井発言」の問題の本質は、公共放送にとって生命である「自主・自立」が根底から脅かされているということにある。
 NHKには、公権力に対峙して、国民の「知る権利」や言論・表現の自由を守るためにたたかったという実績はない。常に永田町(自民党)の動向にばかり気をつかい、政府による政治介入に対して妥協と譲歩を重ね、自主規制に終始してきた。したがって、「権力監視」の意識はNHKでは育ちようがない。なんだか、そこまで言われると、悲しくなってきます。
 戦争に反対し、抗議デモをしている人々について、全国的そして国際的な現実の一部として報道すべきなのだ。
 私も、本当にそうだと思います。いまのNHKは、本当に不甲斐ないとしかいいようがありません。
 公共放送の「自主・自立」を守るためにたたかわない、そしてたたかってこなかったNHKの不甲斐なさに問題がある。
 まったく同感です。あまりにも安倍政権の言いなりになりすぎです。
 NHKのなかにも、リベラルな人材や見識を持った幹部がいないわけではない。しかし、そんな良識派が多数派になり、主流派になることができない権力構造がある。組織として権力とたたかってでも自主・独立を守ろうという伝統はない。
 これって、本当に残念ですよね。そこが、イギリスのBBC放送とNHKの最大の違いではないでしょうか・・・。困りました。
(2014年11月刊。840円+税)

2015年5月15日

日本はなぜ基地と原発を止められないのか

                                (霧山昴)
著者  矢部 宏治 、 出版  集英社

 憲法論のところでは、疑問も感じましたが、本書の指摘は日ごろの私の実感によくあっていましたので、つい、うんうんと大きくうなずきながら、どんどん読みすすめていきました。
 まずは沖縄です。安倍首相が、沖縄県民が選んだ翁長知事を無視しているのは、とんでもないことです。
 アメリカ軍の飛行機は、日本の上空をどんな高さで飛んでもよい。日本政府は、そのことについて文句は言えない。
 もちろん、私たち国民は文句が言えるわけですが・・・。
 アメリカ軍の飛行機は、アメリカの棲んでいる住宅の上空では、絶対に低空飛行訓練はしない。なぜか? それは、危険だから。では、それ以外の土地で低空飛行しているのはなぜか? 日本人は、アメリカ人ではないから。つまり、日本人は保護する必要がないからなのです。
 アメリカ軍の飛行機は、沖縄という同じ島のなかで、アメリカ人の家は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上は平気で低空飛行する。ところが、アメリカ本土ではアメリカ軍がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは、厳重に規制されている。これは当然のことです。要するに、日本人の生命がアメリカ人とは比較にならないほど軽んじられているのです。
 アメリカべったりの右翼・保守陣営は、このような現実を見ようとはしません。アメリカにタテつくなどということは、恐ろしくて出来ないのです。そのくせ、愛国心を、ことさら強調するのですから、矛盾過ぎますよね・・・。
 鳩山由紀夫首相(当時)が、アメリカに独自姿勢を示そうとしたとき、外務防衛官僚は、真正面から堂々と鳩山首相に反旗をひるがえした。日本の高級官僚はアメリカべったりの思考にこり固まっているからです。
 沖縄のアメリカ軍基地には、最大で1300発もの核兵器が貯蔵されていた。そして、日本からソ連や中国を核攻撃できるようになっていた。三沢基地では、連日、すごい訓練が実施されていたようです。
日米合同委員会のなかで、日本側は、アメリカの言いなりになるのだが、その日本側の委員はみな各省庁で大出世していった。
 次に、福島原発事故について取りあげています。
 私は前にも書きましたが、東電の当時の会長や社長たちが刑事訴追されることなく、のうのうとしていることを許すことができません。彼らこそ、日本をダメにした元凶です。少なくとも有罪を宣告され、無期懲役刑が相当だと思います。なにしろ、15万人もの日本人の住む家を奪ったのです。その罪責は途方もなく大きいと思います。許せません。
 先日の鹿児島地裁における原発差止仮処分の却下決定は、3.11福島第一原発事故の教訓をまったく学んでいない裁判官による、とんでもなく勇気の欠如したものでした。残念です。東大工学部出身の裁判官だということですが、人間としての勇気がないと、目まで曇ってしまうのですね・・・。困ったものです。
(2014年11月刊。840円+税)

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