弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年10月31日

すごいぞ「しんかい6500」

(霧山昴)
著者 山本 省三   出版 くもん出版 
「しんかい6500」の建造にあたって、まず課題となったのは、操縦室。6500メートルの深海の水圧は、601気圧以上。それだけの水圧に耐えられる素材は、チタン合金しかありえない。
操縦室の直径は2メートル。そこに3人の乗員が座る。スペースがとれないので、トイレなし。携帯トイレを持参する。女性には辛い。
暖房設備はない。理由は二つ。すべてのエネルギーをリチウムイオン電池にたよっているので、できる限り電力を節約しなければならない。また、船内で呼吸するため、酸素を使用している。酸素が濃くなると、自然に土がついたりするので、熱を出すものは危険。6500メートルの深海の水温は1度か2度。それが操縦室の中にまで伝わってきて寒い。だから、上下がつかなかった。燃えにくい布でできた潜航服を着用する。その下には、真夏でもセーターを着る。
沈むスピードは1分間に40メートル。深さが300メートルをこすと、太陽の光がしだいに届かなくなり、窓の外は夕暮れのように暗くなっていく。
母船とは、声でやりとりする。水の中では電波が弱まるので、音波を使う。音波が水中を6500メートルすすむのに4秒かかるので、海上で聞くのは4秒前の声。
6500メートルの海底に着くまでに、潜航開始から2時間半かかる。海底にいられるのは4時間ほど。
マリンスター。船体に触れたショックで、ぱっと光を放つ発光生物。しかし、写真やビデオにはこの光がうつらない。深海にもぐった人だけが見られる光景。
浮かび上がるときにも、行きと同じ速さで浮かんでいくので、海面まで2時間半かかる。合計すると、8時間の船旅だ。こんな潜航調査を4月から12月にかけて60回おこなう。残りの4ヶ月は、部品の分解やそうじ、修理にかける。
なぜ日本に地震が多発するのか。それは、日本列島が沈んでいくプレートに直面しているからです。
「しんかい6500」は、地上の私たちの暮らしの安全を支える調査の一つを実行しているとも言えるわけです。
写真がたくさんあって、とても分かりやすく、楽しい本でした。

(2012年4月刊。1600円+税)
 

2015年10月30日

融氷の旅・日中秘話

(霧山昴)
著者 浅野 勝人  、 出版 青灯社

 南京大虐殺が世界記憶遺産に登録されることになったことについて、日本政府が抗議したという報道が流れました。とんでもない「抗議」です。「南京大虐殺場は幻だった」という妄説を日本政府がとっているということでしょう。この点でも、安倍政権の暴挙を許すことができません。
この本は、NHKの政治記者から自民党の国会議員になったという経歴の著者によるものです。私と意見が一致しているわけではありませんが、南京大虐殺について、著者が次のように述べている点は、まったく共感できます。
南京大虐殺では、軍人だけでなく、戦闘と何らかかわりのない女性や子ども、お年寄りをふくめて殺害された人数が問題になっている。たしかに人数は重要な要素だが、30万人も殺してはいけないが、3000人ならいいのか、300人なら民間人を殺しても許されるのか。人数が問題なのではなくて、非戦闘員を殺したら虐殺だ。大事なことは、被害者が何人だったかについて論争を繰り返すことではない。南京大虐殺を教訓に二度と民間人の虐殺を伴うような武力紛争を起こさせない誓い、平和を死守する強固な意思が大切だ。
 本当に、そのとおりだと思います。30万人も虐殺しているはずがないから、南京大虐殺なんてウソだ。そんなデタラメは許されません。これは論理の飛躍をこえています。
日本軍が南京大虐殺を実行したことは、いろんな資料によって歴史的に証明されていることです。それなのに、「30万人」でなかったから、「虐殺」事態をなかったかのように話をすりかえてはいけません。安倍政権は安保法制法の制定過程でも、たくさんのウソとペテンで国民をだまそうとしましたが、同じように騙されてはいけません。
もう一つ、この本は小選挙区制は日本の政治風土になじまないとしています。この点も同感です。わずか4分の1程度でしかない自民党の支持率なのに、自民・公明で3分の2の議席を占めるなんて、ペテンそのものです。
 選挙制度の是正は喫緊の政治課題です。
 国会の構成はより民意を反映させるものに直ちに変える必要があります。そうすれば、安保法制法は実施される前に廃止できるのです。
 NHKと安倍政権の醜い癒着が問題になっていますが、著者も、その先駆けの存在なのでしょう。それでも、保守のなかにもまだ良心をもっている人がいることを知って、少しは救われる思いがしました。

(2015年9月刊。1600円+税)

2015年10月28日

勁草


(霧山昴)
著者  黒川博行 、 出版  徳間書店

 「オレオレ詐欺」、「振り込め詐欺」、最近は、特殊被害詐欺として一般化されています。振り込めではなく、現金を授受したり、郵パックで現金を送らせる手口が主流になっているからです。
 この本は、その欺す側の内情を暴いています。警察の捜査能力の上を行くような悪賢さです。しかし、悪は滅びるものなのです。欺しとった大金をめぐって仲間割れが起こり、犯罪の連鎖を止めることができません。
 タイトルからは本の内容を予測できません。表紙裏の解説によると、人のしぶとさ、したたかさを表したとのことです。この本を読むと、欺す側のしたたかさを描いたのかな、と思えます。
 老人を騙してお金をとる。そこに罪悪感はないのか?
 まったくない。これはゲームだ。いまの日本で何百万、何千万円とお金を貯めこんでいる老人は勝ち組であり、勝ち組からお金を掠(かす)めとるのは、ある意味で正当な権利だ。
 プロの詐欺グループがいて、そのグループを束ねる「番頭」がいる。番頭はグループが稼いだお金を金主に上納し、金主はケツ持ちのヤクザに守り料を渡す。何段階ものピラミッドになった複雑な系図は、下っ端にはまるで分らない。
 振り込ませた金融機関から現金を引き出すのか、出し子。被害者に接触してお金を受けとるのか、受け子。掛け子を管理しているのが、番頭。出し子と受け子がお金を持って逃走するのを防止するための見張り。出し子と受け子をスカウトするのが、リクルーター。
 闇の携帯電話や架空口座を売るのが、道具屋。多重債務者や株取引経験者、大手企業退職者といった名簿を売るのが、名簿屋。
 つかった携帯電は一回きりの使い捨て。5万円以上で売買される。
 特殊詐欺の検挙率は、きわめて低い。9か月の認知件数8500件、被害総額338億円というのに対して、検挙率は20%未満。それも、検挙されるのはATMやお金の受け渡し現場にあらわれる出し子と受け子が大半。騙し役の掛け子や掛け子をまとめている番頭に捜査の手が及ぶことはほとんどない。
 振り込め詐欺は激減した。それはATMの送金限度額が1回10万円になったことによる。
受け子になっているのは、多重債務者、ネットカフェ住民、ホームレス、生活保護受給者などの社会的弱者。
ある統計によると、7割の老人が非通知であっても電話をとる。老人は寂しいのだ。
 騙しのターゲットを標的(マト)と言い、金持ちの標的を金的(キンテキ)と言う。
 名簿屋は、証券会社員や介護施設の職員などに成りすまして、マト(金的)の下見をする。家族構成やら資産状況を聞き出しておくのだ。つまり、特殊詐欺は、その前に、資産調査に知らないうちに応じている人が被害にあっているのです。その根は深いわけです。
 これをひとつの名簿にまとめてグループに提供する。それは譲渡ではなく、成功報酬を10%とする歩合制だ。
 特殊詐欺は、このようにきわめて高度に分業体制が確立していますので、なかなか金主の摘発までたどり着けないようになっています。この本は、その仕組み、カラクリを実に手際よく、分りやすく目の前で展開していきます。
 現代日本社会の病癖を端的に示した本でもあると思いました。
 欺された奴が悪い、自己責任だと、もし、あなたが考えていたのなら、それが間違いだったことを思い至らせる本だと思います。ぜひ、ご一読ください。

(2015年6月刊。1800円+税)

2015年10月27日

安倍首相の「歴史観」を問う

(霧山昴)
著者  保阪 正康 、 出版  講談社

 安倍首相の国会における答弁は本当に国民をバカにしています。野党の質問に対してまともに答えようとしません。聞いていて、気が滅入ってしまいます。そのくせ、汚い野次を飛ばすのです。安倍首相をはじめ、政権与党の政治家って、どうして、こんなにウソを平気でつけるのかと呆れてしまいます。
 ところが、安倍首相は学校での子どもたちへの道徳教育には異常なほど熱心です。
 自らは国会で堂々と、平気でウソをつきながら、学校では子どもたちに、大人を敬い、国を愛して行動せよという倫理を押しつけようとするのですから、この日本がおかしくなるのは必至です。
 安倍首相は、相手方の質問に真正面から答えるのではなく、相手の言葉尻をとらえて開き直り、その一方で、「問題を整理すると」とか、「一般に」と言って、論議そのものを避けているのが特徴だ。相手に丁寧に説明しようとする姿勢がまったくない。
 安倍法制法案の国会審議のとき、安倍首相は二つの論理で答弁していった。その一つは、「国民の生命と財産を守るのが首相である私の役目」、もうひとつが、「国家の安全を揺るがす事態か否かは首相の判断」。この二つは、いずれも「私が中心」という発想である。首相が中心になることにより、行政府の責任者が統帥権を自在にふるうことが出来るといった錯誤がここにある。
 安倍首相の答弁は、戦前の日本の軍事指導者たちの体質と類似している。軍服を着たと想像して安倍首相を見たとき、「わが軍は・・・」という言い方は決しておかしくないし、正直な言辞である。
安倍首相が強行した集団的自衛権とは何か。つまりは、日本人が兵隊として戦場へ行くということ。そのとき、戦って死ぬのは誰か。安倍首相とその仲間たちの息子が戦場に行くことはない。そういうシステムをつくりあげる。戦争政策を決める最上位の軍事指導者の子弟は死なない。徴兵制の例外をいくつもつくるからだ。
  戦前の日本では皇族を最前線に行かせることは許されなかった。それを認めると、自分たちの子弟まで前線に行かなければならなくなるから・・・。
  なんということでしょう。そんなシステムがあったのですね・・・。
戦前の日本には、軍事があって政治がある。つまり、政治など、まったくなかった。だから、死ぬまで戦うことになった。軍事を政治の上にのせてはいけない。軍事を先行して戦争を行ってはならない。
旧軍人は、日本人だから天皇のために生命を捨てるのは当たり前だと高言していた。ところが、表向き正論を言いながら、裏ではひどく腐敗したことを平然としていた。昔も今も、軍人とは、汚いことを平気でするものなのですね、、、。
  安倍政権の危険なウソを野放しにして垂れ流し、その危険さを見破ろうとしない大マスコミが存在するなかで、著者は大いに頑張っています。軍事に詳しいだけに、黙っていられないという心境なのでしょうね・・・。

(2015年7月刊。1600円+税)

2015年10月23日

生きる。劉 連仁の物語

(霧山昴)
著者 森越 智子   出版 童心社
 
日本人って本当に悪知恵に長けているのですね、、、。アベ内閣のごまかし工作に憤慨した夏でしたが、戦前の日本政府もひどいごまかしで中国人を日本へ無理矢理に連行して、日本各地の炭鉱で働かせていたのです。九州にも、そして北海道にも。
日本へ「移入」する中国人労働者は、実際には強制的な労働力の「移動」であるにもかかわらず、表向きは「募集または斡旋」により自分の意思で労働契約を結んだ労働者、または訓練した捕虜や帰順兵としていた。実際には農民として働いていたのに、ただの「遊民」と扱われた。
軍服に着換えさせられ、一人ずつ写真を撮られ、顔写真の貼られた手帳に指紋を押させられた。この軍服も写真も指紋も、「人狩り」によって無差別に拉致されたのではなく、あくまで日本軍が捕えた中国の捕虜兵であり、かつ雇われた労工であることを証明するための偽装工作だった。
日本人って、こんなに細かな偽装工作までして強行連行を「合理化」したのです。恐れいりますね。そして、これが、戦後の日本で、政府答弁に「生きて」くるのです。強制連行でなかった証拠として、、、。ひどいものです。
194年から45年までの3年間に、4万人もの中国人が日本へ連行された。日本政府の政策であり、国内の労働力不足を補うためのものだった。「労工狩り作戦」「うさぎ狩り作戦」とも呼ばれた。
日本行きの貨物船に乗せられた中国人4万人のうち、最年少は11歳、最高齢は78歳。日本全国135ヶ所の事業所に到着する前に812人が亡くなった(船中の死亡564人)。疲労と飢えと寒さ、そして暴力によって命を落とした。
劉連仁は、北海道の炭鉱で働かされるようになったのです。苛酷な労働環境から逃れるため、ついに収容所を脱走します。便所の便槽にもぐり込んでの脱走でした。同じように脱走した仲間と5人で山中での生活に入ります。
北海道の雪深い冬をどうやって過ごしたのでしょうか、、、。よくぞ生きのびたものです。
仲間は次々に発見され、劉連仁は一人になって、北海道の山中を転々とします。31歳から45歳になるまでの14年間を、北海道の山中で一人で生きのびたのです。
雪山で発見されたときの劉連仁の顔は、絶望の表情しかなかった。それほど日本人は恐ろしい存在だった。
旭川市の近くの炭鉱を終戦直後の1945年7月に脱走し、稚内の方へ行き、網走へ、釧路へ行き、帯広から再び旭川の方へ戻り、札幌、小樽を通って当別町付近の山で発見された。この脱走経路は1400キロもの道のりになる。
ところが、日本政府は、劉連仁について、不法入国者、不法残留の疑いがあるとした。
そして、日本政府に対して損害賠償を求めた裁判で、東京地裁こそ劉連仁の請求を認めたものの、結局、東京高裁も最高裁も国の責任は問えない、なんていう訳の分からない理屈で請求を認めませんでした。ひどいものです。日本の司法も本当に間違っています。
劉連仁は、2000年9月、87歳で亡くなった。
日本政府が国策で中国人を強制連行してきて、日本全国で無理に働かせていたことは歴史的な事実です。その責任を認め、日本が国として正当な賠償をするのは当然のことだと思いませんか、、、。

(2015年7月刊。1600円+税)
 

2015年10月22日

集団的自衛権はなぜ違憲なのか


(霧山昴)
著者  木村 草太 、 出版  晶文社

 テレビにもよく登場している若手の憲法学者です。その爽やかな語り口が人気を呼んでいるのでしょう。
安保法制法が自民・公明の安倍政権のものでゴリ押し成立しました。委員会採決など、あっていないのにあったとするゴマカシは見るに耐えないものがあります。日本の民主主義を根本から損なってしまった国会議員は落選させるしかありません。
法の成立は、もちろん大きな出来事だ。しかし、法律は実際に適用されなければ、ただの言葉に過ぎない。憲法違反の法律ができたからといって、政府が直ちに憲法違反の行動をするわけではない。これから大切なのは、国民がしっかりと政府の監視を続けることだ。
政府が憲法に反する自衛隊の活動を実現しようとしたときには、「それは憲法違反ですよ」と政府に毅然と突きつけること、それが立憲主義である。
違憲な法律は無効であって、それにもとづく行動は許されない。
これから安倍政権は、巨大な訴訟リスクを抱え込むことになるだろう。もちろん、判決が出るまでには時間がかかる。しかし、だからといって、タイムラグを利用して、違憲違法な行為をやっていいということにはならない。国内政治は明らかに不安定になるだろう。
自衛隊員のなかにも疑念が生じ、自衛隊の活動の正当性への疑念が高まる。自衛隊の規律は乱れ、関係国にも自衛隊員にも計り知れない迷惑をかけることになるだろう。
そして、憲法も世論も無視して独断で活動する日本政府に対して、国際社会は疑念を生じるはずだ。私も、本当に、そう思いますし、それを心配します。
憲法とは、一言でいえば、国家権力を統制するための法典である。
憲法を燃やすことは、国家を燃やすことである。
立憲主義というのは、結局のところ、まったく異なる価値観・考え方をする人たちが、互いに排除することなく、共存するための工夫である。
今回の解釈改憲を通じて見えてくるのは、単に、「とにかく変えたいんだ」という欲望だけ。改憲が自己目的化している。何かのために改憲するのではない。今の憲法に憎悪のような感情を抱いている。
安保法制法はまだ実施、発動されていません。今のうちに、一刻も早く廃止させましょう。そのためには国会の構成を変えるしかありません。そして、今の小選挙区制という、民意を反映しないイビツな制度をとりあえず元の中選挙区制に戻しましょう。

(2015年9月刊。1300円+税)

2015年10月20日

勝者なき戦争

(霧山昴)
著者 イアン・J・ビッカートン   出版 大月書店
アベ内閣がすすめているのは、日本を再び戦争する国へつくり変えること。戦前の軍国主義ニッポンを美しい国だなどとごまかし、日本の若者を大義なき戦場へ駆り出そうとしています。この本は、戦争とはどういうものなのかを冷静に考えるうえで参考になる実例をたくさん提供しています。
戦争を始めることは、その目的達成を不可能にしてしまう、リスクの髙い行為である。
戦争における勝利は、それに見合った好ましい結果をうむことはなく、戦争の犠牲はあまりにも大きすぎる。
現実には、戦争による犠牲は、過去にも現在も、払うに見合う価値はない。戦争は、降伏式典や紙吹雪が舞うパレードによって終わることは決してない。
戦争とは、すべてが曖昧な混乱のなかで終わるものであり、獲得したものよりも失われたものを認めるほうが、はるかに容易だ。
戦争における勝利の笑顔は、偽りであり、それは仮面にほかならない。勝利の顔は、結局敗北の顔と同じく「死に顔」であり続ける。
陸軍大将、海軍提督そして空軍司令官は明らかに戦争での勝利から恩恵を受けてきた。名誉と称賛を得て、感謝する大衆や国民によって政治家としての道が開かれる。しかし、一般兵士のほうは、恥や不名誉を感じることはあったとしても、報酬を受けることはめったにない。
戦争は国家を破綻させるか、あるいは経済的苦境を生み出し、大部分の人々を悲惨な状況に追いやる。
戦場での勝利が、持続的な恒久的な平和に導くことはない。戦場での勝利は、戦闘の短期的停止という、わずかな政治的機会を勝利者に与えるにすぎない。戦場で勝敗を決した戦争は、これまで存在していない。
戦争においては、「純粋に」軍事的な勝利という結果は存在しない。
戦争のもたらす結果とは、殺戮と破壊にほかならない。戦時においては、何千、何万、何百万もの人々が、戦闘員か非戦闘員であるかを問わず、殺害され、傷つかられ、暴行される。無数の家々や村、町、都市が破壊され、農業や産業基盤が大損害を受ける。戦勝が卑しむべく独裁者を排除するために戦われることは、まったくない。
戦争は、より一般的には領土的、経済的膨脹という欲望を偽装するイデオロギー上の理由のために戦われる。
戦争は、指導層の少数集団によって計画的な計画的になされた決定による結果である。恐怖、名誉、利害という三つの要素に駆り立てられた結果である。すべての戦争は、地位、栄誉、称賛の計算を含んでいる。
戦争は、想像力の欠如であり、戦うために召集された人々の生命を恐ろしいくらいに軽視する。
戦争をヒロヒト個人の責任にしてしまえば、あまりにも単純化してしまう。
戦争を個人の責任に帰すると、戦争を過度に単純化することになる。
戦争によって失われた生命は、ほとんど省みられることはない。
勝敗にかかわらず、戦争は戦争当事国の社会に十分な民主主義的な経験を提供しない。
庶民にとって戦争はまったく割りの合わないものだと言うことが分かりやすく解明されています。

(2015年5月刊。3600円+税)

2015年10月16日

新・自衛隊論


(霧山昴)
著者  自衛隊を活かす会 、 出版  講談社現代新書

 自公政権のゴリ押しで安保法制法が「成立」しました。憲法違反の法律は無効なわけですが、アベ政権は来年にもアフリカ(スーダン)へ自衛隊を派遣しそうです。
政府があるのか分からないような国、コトバも通じない国へ、アメリカの言いなりになって自衛隊を派遣したら、しかも今度は民生支援ではありませんから、「戦死者」が続出するのは必至です。
「日本の平和のための抑止力」なんて、とんでもありません。アベ首相の嘘によって日本人が殺される(現地の人を殺す)なんて、本当にとんでもない事態が生まれようとしています。
 この本は、11人の元幹部自衛官と安全保障論の専門家が日本の国を本当に守るためにはどうしたらよいのかを論じています。説得力があります。
いま守るべきなのは、ながく大切に守ってきた「非戦のブランド」だという点には、私もまったく同感です。
今のアメリカと中国の関係は、最大の貿易相手国、投資の対象国、国債保有国というものです。
 今朝(9月23日)の新聞には、アメリカのカリフォルニア州の高層ビルや豪邸を、中国人が次々に買収し、建築しているという記事がありました。豪邸のほうは平均1億円、それを中国人が即金(現金)で買うというのです。恐るべき状況です。
 ですから、アメリカも中国も、お互いに戦争するなんてことはまったく考えていないし、ありえないのです。日本人だけが、アベ政権のあおりたてる「中国脅威論」を素直に信じ込まされてます。
 日本の安全には、アメリカだけでなく中国の関与が欠かせない。中国の安全にも、日本やアメリカの関与が欠かせない。国の安全は、政治体制の違いを超えて、一国だけで成り立つものではなくなっている。
 北朝鮮は、たしかに危険だ。たいした力は持っていないが、追い詰めると何をするか分からない。追い詰められたときに怖いのは、核ミサイルと十何万人の特殊部隊。日本の原発が特殊部隊のテロ攻撃・自爆攻撃にやっれてしまったら、日本はもの破滅です。それは防ぎようのないことです。
日本が北朝鮮の敵基地を攻撃するなんて、口で言うのは簡単だけど、実際には不可能。そもそも敵の基地がどこにあるのか、日本の自衛隊はまったく把握していない。敵の基地は動きまわるし、地下にあるから把握しようがない。
海外で抑留された日本人の救出作業を自衛隊がするといっても不可能なこと。アメリカ軍のスペシャルフォールに出来ないことが、日本の自衛隊に出来るはずがない。アメリカ軍の救出作戦はこれまで一度も成功したことがない。日本の自衛隊には情報がなく、情報収集手段がなく、訓練もしていない。訓練していないことが出来るはずはない。
 中国の指導部にとっては、国内社会が不安定化することこそ、もっとも恐ろしいこと。
 中国には空母が一隻しかないが、それはロシアから購入した中古船であり、動いているのが奇跡というような艦船。発着艦訓練もできておらず、まったく実戦用ではない。
 日本の陸上自衛隊は、用意周到動脈硬化。海上自衛隊は、伝統墨守唯我独尊。
 航空自衛隊は、勇猛果敢支離滅裂。
 日本は国土全体を守るのがとても困難であり、また長期にわたる消耗戦にはまったく向かない地政学的特徴がある。だから、日本にとって大切なことは、紛争を未然に防ぎ、万一、紛争が起きたときには、それをできるだけ局地的なものに限定しつつ、早期に収拾すること。
 日本と世界の平和を武力によって守ろうとか、抑止力を強めて日本を守るなどというのが、まったくの夢物語であり、危険なものだということがよく分かる本です。
 ぜひ、あなたもご一読ください。

(2015年6月刊。900円+税)

2015年10月 5日

英語の害毒

(霧山昴)
著者  永井 忠孝 、 出版  新潮新書

 私は、自慢するつもりはまったくありませんが、英語は話せません。読むほうなら、少しは読めますが、話すほうはまるでダメです。英語ではなく、フランス語のほうなら、やさしい日常会話程度ならなんとかなります。フランスに行ったら、駅でもホテルでも、ちゃんと用を立せる自信があります。なにしろ、弁護士になって以来、40年以上もNHKラジオのフランス語講座を聞いています。目下、挑戦しているのは、フランス語のラジオ放送についての聞きとり、書きとりです。
 小学校4年生から塾に通って英語を学びはじめました。大学受験のときは、文系ですし、英語が不得意というわけにはいきませんでした。分厚い英語の辞書を、全前、頁まっ赤になるまで読み尽くしました。おかげで英文は怖くなくなりました。それでも英語は話せません。
 ところが、ユニクロとか楽天などで、社内公用語を英語としているというのです。私にとっては地獄のような話です。だから、幼児英語教室が流行るのです。でも、本当にそれでいいのでしょうか・・・。
 そんな私の疑問に答えてくれるのが、この新書です。
 語学学者である著者は、英語万能視はよくない、話すのはニホン英語で十分だと強調しています。我が意を得たり、です。
 英語には、植民地支配の道具という傾向がある。日本の学校での英語教室は、植民地教育ではないのか・・・。英語は、中国語、スペイン語に次いで世界第三位のコトバにすぎない、母語話者の人数です。
機械翻訳は、実用的につかえるものにまでなっている。
 中途半端に小学生に英語教育をはじめると、日本語も英語も、最低水準に達しなくなる危険がある。
 小学校で英語を教えると、算数や理科などの教科の比重が低くなり、国力をそれだけ低下させる危険がある。
 考える力を身につけるためには、日本人にとって日本語で考えることをもっと大切にすべきだと私も痛感しています。

(2015年6月刊。720円+税)

2015年10月 3日

スープを売りたければパンを売れ

(霧山昴)
著者 山田 まさる   出版 ディスカバー
 
品川区の戸越(とごし)銀座には、東京一長いことで有名な商店街があるそうです。もちろん、シャッター通り商店街ではなく、買物客で活気あふれる地元の商店街です。
そこにある鮮魚店(「魚慶」)は、毎週土曜日に、店内で「お刺身バイキング」を開催しています。
店内に並べてある刺身は20種類以上。客は、順番が来たら、好きなものを好きなだけ注文できる。3点で1000円、4点で1350円(消費税別)。
店は、客から注文を受けてから魚をさばいていきます。それがガラス越しに見えます。作り置きしないのは、鮮度のいい魚を提供し、集客効果を狙ってのことです。客は商品を受けとると、出口付近のレジで代金を支払います。
この「刺身バイキング」を目がけて客が列をつくるというのです。すごい魚屋さんですね、、、。
塩の専門店もあります。日本内外の塩39種類が売られています。デリカテッセンコーナーでは、おにぎりやコロッケなどが売られていて、買った塩で味つけして楽しめるのです。
味の素のクノールスープは、購買量を伸ばすために、「つけパン」「ひたパン」キャンペーンを展開した。スープを主役でなく脇役にし、パンを主役としてスーパーの購買アップを狙ったのでした。大当たりです。この本のタイトルどおりの結果が出たのでした。
子どものためと思われたぬり絵が、今や大人のためになっているのですね。知りませんでした。累計で430万部も売れているそうです。
大人のぬり絵は、色を選び、指先を使うワークが脳の活性化につながり、家族や友人との会話も弾む。創作意欲を刺激し、自己表現を実感できる楽しさがある。
モノを売る現場で、いかに売るかだけでなく、いかにして買った人から喜ばれるようになるか。そのヒントが満載の本でした。
(2015年6月刊。1500円+税)
 

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