弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2016年3月16日

この国の冷たさの正体

(霧山昴)
著者  和田 秀樹 、 出版  朝日新書

 衝撃的な内容の本です。でも、ホント、そうなんだよね、いつの間に日本はこんなに冷たい国になってしまったのか・・・と思いました。
 著者は、それは小泉元首相のときに始まったと言います。そして、テレビが冷たさを増幅させた共犯だと厳しく糾弾しています。テレビを見ない私ですが、まったく同感です。
 「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と38%もの日本人が、そう考える。アメリカ人は28%。でも、ほとんどの先進国では10%でしかない。うへーっ、そ、そんなに日本人って弱者に冷たいんですか・・・。これで、日本を愛せよ、なんて無理な注文ですよね。それにしても、あのアメリカより日本が冷たい国になっているだなんて、これまた大ショックでした。
 この15年間で、日本社会は一変した。企業では年功序列や終身雇用がなくなり、大型店が繁栄する裏で個人商店がバタバタとつぶれていった。そして、働く人の非正規雇用が4割をこえる。弱者が増える一方で、何億円という資産をもつ富裕層は日本でも続々と生まれている。
 そして、その仲立ちをしているのがテレビ。テレビは、弱者とは関わりたくないという感情の増幅装置になっている。
 弱者が、自分より弱い立場の人間を攻撃することで、自分の不安を解消している。
 安倍首相の言う「一億総活躍社会」というのは、「働かない人間を許さない」という社会のこと。これは戦時中の日本を想起せざるをえない。
 テレビは常に画一化された情報をたれ流し、視聴者の認知的成熟度を低下させている。
 ヨーロッパの消費税率はたしかに高い。しかし、それは医療費が無料、大学までの教育費もタダといった手厚い福祉を支えるためのもの。だから、国民は納得している。ところが、日本では福祉予算が切り捨てられ、軍事予算が増大しているなかで、消費税率のみ上げられている。とんでもないことです・・・。
 高い消費税はヨーロッパ並み、お粗末な福祉はアメリカ並み。これでは困ります。
弱者である国民が、日本では「自己責任、自己責任」と言いつのる。この自己責任という言葉は、強者の責任のがれにすぎない。自己責任をもち出すことで大きなメリットを得ているのは強者である。自己責任を真面目に守っているのは、弱者だけ。自己責任論でものを考えたり、行動したりすることから決別する必要がある。そうでなければ、人生を強者のいいようにされてしまう。
 日本人は、世界から奇異な民族だと見られている点が二つある。その一つは、借金が返せないから自殺すること。もう一つは、借金を返すために強盗すること。強盗したお金で借金を返すなんて、世界中の人はありえないと考える。
 弱者を叩いて、一時的に「正義の味方」になるというのは、百害あって一利なし。強者と一緒になって弱者を叩くと、結局のところ、自分にはね返ってくる。
日本人は、世界一、自分を責めがちな国民だ。
 テレビは、日本人の単純化思考に拍車をかけている。テレビは、思考のパターンを単純化させる装置だ。テレビは、エビデンス(証拠)にもとづく議論をする場ではなく、大多数の視聴者の感情に迎合するのが大前提のメディアなのだ。
 50代の精神科医の指摘には、いちいちもっともだとうなずくばかりでした。
(2016年3月刊。720円+税)

2016年3月15日

牛肉資本主義

(霧山昴)
著者  井上恭介 、 出版  プレジデント社

  日本人が「吉野家」で安い牛丼を食べられなくなる日が近づいているようです。
  この本を読んで私が一番すごいと思ったのは、日本でも野放しにして飼育した「野生牛」がいること、そして、完全放牧酪農があるということです。アメリカ流の成長ホルモン漬けの牛肉だけでは困ると思います。「野生牛」というのは、エサは牛が食べるのにまかせるというものです。ですから、肉は今より少し固めになります。それでも、かめばかむほど味わい深いものがあります(あるそうです。私は残念ながら、まだ食べたことはありません)。あまりにも、薬(成長促進ホルモン剤など)に頼った牛肉は、いずれ良くない結果を人間にもたらすこと必至だと思うからです。
  この本を読んで認識したのは、牛肉争奪戦が世界的規模で始まっているということです。その主役は、言わずと知れた中国です。なにしろ、スケールが違います。いま、私たち日本人は「爆買い」の恩恵をいささか受けています(私の住む町までは、まわってきていません)が、よくよく考えると、それは、私たちの食生活を根本から脅かしかねないレベルの話なのです。なにしろ、ケタ違いの数量なのですから・・・。
  いま、中国人のビジネスマンは、牛肉がもうかりそうだというので、投資の対象としている。日本の牛丼屋は、アメリカ産バラ肉に頼ってきた。安く手に入り、味も触感もいい。それがショートプレートだ。ショープレと呼んでいる。
  中国では、これまで「肉」と言えば、豚か鶏だった。しかし、今では、牛がそれらより先に来る。昔の硬い牛肉ではなく、輸入された柔らかい牛肉だ。中国では、いま空前の牛肉ブームが起きている。だから2013年に、牛肉輸入量は、中国が日本を追い越した。
  そして、それは豚でも同じ。世界の半分を中国が食べるという豚肉でも同じで、2013年にアメリカ最大の豚肉加工業者を中国企業が47億ドルで買収した。
  日本は牛肉をショートプレートしか買わないが、中国は、牛を丸ごと買うので、売り手は日本より中国を好む。
中国で「牛肉いため」は800円するのに、日本では牛丼は300円代でしかない。
札幌のジンギスカンは羊肉だが、その羊肉のニュージーランドからの仕入れ価格が3割も上がった。ニュージーランドの農家からすると、同じ面積なら、羊より牛を飼ったほうが、5倍以上も利益が違ってくる。
  何でも安ければいいという発想を変える必要があります。そして、食料の自給率の向上とあわせて、食の安全というのにもっと私たちは気を使う必要があると思いました。

(2015年12月刊。1500円+税)

2016年3月12日

仕事のエッセンス

(霧山昴)
著者  西 きょうじ 、 出版  毎日新聞出版

著者は予備校(「東進ハイスクール」)のカリスマ教師のようですね。
人にとって働くことって何なのか、仕事するってどんな意味があるのかを根本に立ち帰って考えてみた好著です。いろんな仕事があることを改めて思い知らされます。
スペインでは、生活苦から卵子を売る女性が増えている。1回10万円もらえるけれど、大量に薬を飲んで、全身麻酔で手術をうけるなど、時間がかかり、苦痛をともない、身体面のリスクがある。
日本人にも、タイや韓国に渡って卵子を提供するドナーが100人以上もいて、1回60~70万円の謝礼をもらっている(2011年)。
タイで、代理母による男女産み分けを利用する日本人夫婦が年間100組以上いる。
介護士は、賃金の低さと仕事量の多さ、きつさから、離職率が他よりも高い。
同じ作業であっても、自分のしていることに意味を見出せるかどうか、大きな心理的違いを生む。
東北新幹線の車内販売員は平均して7~8万円の売り上げなのに、なんと片道で54万円を売った人がいる。そして、別の販売員は、全400席の乗客に187個の弁当を売った。弁当の注文を受けたとき、彼女は「お土産でしょうか?」と尋ねる。すると、客は弁当を土産にできることに気がついて弁当を買い求める。こんなわけです。
お客様の視点に立つ。自分のしてほしいことを相手にしてあげる。客の心を読み、その行動を予測する。なーるほど、ですね。たいしたものです・・・。
私は幸いにもしたことがありませんが、「宮仕えは辛いもの」です。ところが、フリーランスになったら、よりひどい隷属状態になることもありうるわけです。ですから、軽々しく会社を辞めるべきではないと著者は強調しています。これだけブラック企業があって、若者をとりまく雇用環境が悪化しているのだから、学校教育のなかで、身を守るすべや働くリスクまで教えるべきだ。そのとおりです。 
好きで、個人がワーカホリックになっていくのではない。職場にそれを生み出すからくりが幾重にも埋め込まれている。そのシステムに踊らされながら、人は、それを自分が選んでいるという錯覚に陥っている。
英語力の習得とグローバル化というのは、ほぼ無関係だ。私もまったく同感です。英語が話せるかよりも、人間力のほうが大切だと思います。
諸外国では大学卒業の平均年齢は25歳なのに、日本だけが22歳。高校を卒業したらすぐに大学、そして大学を卒業したら、すぐに就職するというのは日本だけ。日本はとても不自由な国。しかも、日本では大学に100人が入学したとして、12人が中退し、13人が留年し(私も1年だけ留年しました)、残る75人のうち就職できるのは45人で、3年続くのは31。 
新卒で正社員として入社し、できる限り長く勤めあげるのが正しい人生なのだ。それができない者は落伍者だ。これは、昭和の幻想的な教訓であって、そんなものに今どき縛りつけられる必要はない。
就活自殺が、2007年から2013年までの7年間で218人にのぼる。これは、いかにも悲惨な事態である。
仕事すなわち自己実現という等式は捨ててしまったほうがいい。仕事を続けるうちに、それが自分のしたいことと一致し、周囲にも認知されるようになることで自分も満足感を得、環境もより良くなっていく、そういうこと地味に続けることで人に必要とされ役に立っているという喜び、幸福感を高めていく。
仕事とは、自分と社会を持続的に接続するものであり、積極的に選択できるもの。仕事から「はたらく」(「はた」を楽にする)喜びを得られるようになると、「はたらく」ことで自他ともに幸福感を与えられる。そうして、自分が安心して生活できるコミュニティを形成し、維持することにつながる手段となりうる。
著者は、日々、苦労と工夫をしながら生き、そして考えている人なんだろうな、そう共感しながら読了しました。

(2015年11月刊。1350円+税)

2016年3月 9日

日本はなぜ米軍をもてなすのか


(霧山昴)
著者  渡辺 豪 、 出版  旬報社

  著者は『沖縄タイムス』の記者を17年間つとめていました。
  沖縄にいたら見えるもの。それは、日本が戦争に負けた国であるということ。沖縄では、敗戦と占領の残滓が日常にあふれ、日本がアメリカに従属している現実と否応なしに向き合わされる。
  日本の政府中枢そして中央官僚は、アメリカの意向を忖度(そんたく)して自発的に隷従するという、信仰にも似た強固な意識や価値概念に支えられている。彼らには、アメリカの威光を背景として、既得権益の保持や権力の強化を図る意図が働いているのでは・・・。
  日本の敗戦後、GHQの間接占領によって温存されたのは、天皇制であるとともに、官僚機構である。
日本は、憲法76条によって軍事会議を設置することができない。世界中で、軍法会議をもたない唯一の軍隊が自衛隊である。
  政権中枢と防衛省サイドには、辺野古で甘やかすと、次は嘉手納基地の返還を求めてくるだろうから、辺野古で譲歩するわけにはいかないと本気で考えているようだ。
  うひゃあ、お、おぞましい発想ですね。まさしくアメリカの奴隷の発想です。独立国日本の官僚ではありえません。恥を知れ、そう言いたくなります。
  アメリカ軍への思いやり予算が始まったのは1978年度で、このときは62億円だった。それが、2015年度は、なんと年1899億円にも達している。このほかにも、年に5000~6000億円ものお金をアメリカ軍基地を維持するために使っている。
  これではアメリカにとって、こんなにおいしい日本の基地を手放すはずがありません。
巨額の「思いやり予算」による恩恵を在日米軍に付与してもなお、アメリカへの従属的な対応から脱しきれていないのが、日本の実情だ。しかし、この「思いやり」の強要が、あたかも自発的意思にもとづくかのように、ならされているのは、日本政府だけではない。それは日本国民についても言えること・・・。
  大半の日本人は、アメリカ軍の基地があるという、意識することが不快な事実から目をそむけている。
  対米コンプレックスよりも、多くの日本人には対中国コンプレックスがある。他国の軍隊が長期間にわたって駐留し続けることから生じる、独立国家としての理念や制度の崩壊、そのことで生じる国民の犠牲や痛み、屈辱といった精神性の毀損をすべて、「カネでかたのつく問題」に転換して処理してきたのが、戦後日本の統治システムの本質だった。
  たしかに沖縄から日本本土を見ると、日本という国の本質が良く見えるのですね・・・。それにしても寒々とした光景です。


  
(2015年10月刊。1500円+税)

2016年3月 3日

おひとりさまの最期

(霧山昴)
著者  上野 千鶴子 、 出版  朝日新聞出版

 著者は私と同じ団塊世代です。団塊世代の私たちにも、いよいよ死が身近なものとなってきました。といっても、20代、そして50代のうちに亡くなった知人も一人や二人ではありません。老後をいかに過ごすのか、どうやって死を迎えるのかは、それぞれ重大な課題になっています。
 おひとり様の数は増え、2013年には、高齢者世帯の4世帯に1世帯が単身世帯である。それに夫婦世帯が3割。両方を合わせると、5割以上。いまや、子と同居している世帯は3割台でしかない。
著者は、本当のことを言えば、死んだあとのことなんて、気にしちゃいないと書いています。私も同じです。宇宙のチリの一つにしかならないし、いずれみんなそうやって宇宙を漂っていく存在なのです。だから、宇宙に本当に果てがあるのかどうか、今から気になるのです・・・。
 おひとり様人口は、これからも増えるし、これから先は、病院でも施設でも死ねなくなる「死に場所難民」が増える。
日本人の最新の平均寿命は、女性は86.83歳、男性が80.50歳。6歳も違うのですよね。それでも、男性も80歳を超えたのですね・・・。仕事人間、社会人間ばかりではなくなった、ということでしょうか・・・。
日本人の死に場所として、病院が80%、在宅が13%、そして施設が5%。
末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフィンが出て、モルヒネと同じ作用をする。だから、苦しくはない。これが老衰のときの大往生。その自然死の過程に、医療は余計な介入をしないほうがいい。
病院では、死は敗北。しかし、高齢者施設ではゴールであり、達成。
住宅をただのハコとは考えるべきではない。記憶や経験が詰まった、暮らしの場。身体の延長のような装置系。
在宅医療には、病院にはない不思議な力がある。在宅では、医療職の想定をこえた「奇跡」がいくつも起きている。なんでもない日常が、家族にとって、かけがえのない時間となる。
本人が強い意志を持たない限り、周囲が意思決定して終末期は病院に送られてしまう。
 日々の暮らしとは、口から食べて、お尻から排泄して、清潔を保つことの日々の積み重ね。食事介護、排泄介護、入浴介護というのが三大介護。
生きるとは、迷惑をかけあうこと。親子の間ならとめどもなく迷惑をかけてもかまわないと共依存する代わりに、ちょっとの迷惑を他人同士、じょうずにかけあう仕組みをつくりたいもの。
そうなんですね。もつべきは相互に支えあう人間関係なんですよね・・・。老後を真剣に考えされられる本でした。
(2016年2月刊。1400円+税)

2016年3月 2日

ふしぎな君が代

(霧山昴)
著者  辻田 真佐憲 、 出版  幻冬舎新書

  私は、君が代をまともに歌ったことなんて、一度もありません。歌詞も嫌ですが、なにより、あの暗さがたまりません。晴れの儀式に暗い、心を沈ませるような歌を強制するなんて、付きあっておれません。君が代は法律で国歌と定められましたが、どれだけの日本人が愛着をもっているでしょうか・・・。
  学校での強制は、とんでもないとしか言いようがありませんが、会社でも実社会でも、こんな歌を斉唱するなんて、ないのではありませんか・・・。
  この本を読んで、君が代について、いくつも新発見をしました。君が代という歌を日本人が広く国歌として歌っているのは、戦前も末ころのことなんですね・・・。そして、国歌斉唱を義務付ける国なんて、ごくごく例外なのですね。
  日本政府は、戦前、君が代を国歌だと明らかに宣言したことはなかった。君が代が日本全国に行きわたるには、かなり長い時間がかかった。
  君が代は暗いという批判は既に明治34年には出ていた。君が代の歌い方は、昭和になってようやく統一された。君が代が神聖不可侵のシンボルとなったのは、昭和12年(1937年)の国定教科書以降のこと。つまり、全国の教育現場で、君が代が明確に位置づけられたのは1937年以降でしかない。これって終戦(敗戦)まで、あとわずか8年しかありませんよ・・・。
  今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と明言しています。素晴らしい明言です。まったく同感です。
  サッカー選手の中田英寿が、「国歌、ダサイですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前にうたう歌じゃない」と言ったそうですが、私も同感です。やめてよ、という感じです。
  欧米の先進国で国歌斉唱が義務づけられている国はない。例外なのは、中国と韓国。だから日本は、中国や韓国にならっているだけ・・・。
  古歌「君が代」はおめでたい歌として、日本文化に根付いていた。そして、この「君」は天皇に限らず、「将軍家」でもありえた。
  君が代の作曲者は、日本人の奥好義を原作曲者としつつ、フェントン、林広李、エッケルトなどの合作だった。フェントンはイギリスの軍楽隊長だった。エッケルトはドイツ人。
  君が代って、英独のセンスが入った歌なんですね・・・・
  ともかく、子どもたちに学校で君が代の斉唱を強制するなんて、愛国心を育てるどころではない愚行そのものだと思います。

                (2015年7月刊。860円+税)

2016年3月 1日

無戸籍の日本人

(霧山昴)
著者  井戸 まさえ 、 出版  集英社

 現代日本社会で戸籍がなく、住民票もなかったら、人が生きていくのは大変です。
 私は弁護士として、住民票がなくて生活している人には何回も出会いました。たとえば、夫のDVがひどくて逃げている人、サラ金の取立に脅えて住民票はそのままにして夜逃げした人などです。子どもの学校は住民票がなくても転入できるようになっています。もう30年ほど前から、そうだと思います。
 ところが、そもそも戸籍がないという人がいるのです。中国残留孤児の話ではありません。日本で生まれ育ているのに、学校にも行かず、大きくなった日本人がいるというのです。私は、弁護士として、そんな人に出会ったことはありませんし、そんな人がいるとは夢にも思っていませんでした。この本は、日本人として生まれながら戸籍のない子どもが生まれる過程(からくり)を明らかにしています。いかにも残酷な現実を知ることができました。
 著者は、県会議員や国会議員(民主党)になったこともある女性です。
 ノンフィクションですが、物語風になっていますので、問題の所在がよく分ります。著者がこの問題にかかわるようになったのは、離婚したことから自分の産んだ子どもが無戸籍になったことによります。
 戸籍がなければ住民票がつくれない。すると、生活するときに致命的な困難をもたらす。義務教育を受けるのが難しい。健康保険証がないため、病気のとき、全額が自己負担となる。選挙権はないし、銀行口座もつくれず、正式に就労することができない。生きていくうえでの、ありとあらゆる不都合や不安に直面せざるをえない。
 無戸籍の日本人は法務省の調査で680人。しかし、1万人はいるのではないか・・・。
 これは、大変な人数です。社会問題とすべき人数ですよね。
 成人の無戸籍者が働ける場は、水商売、ラブホテル、パチンコ業、風俗業など、限られている。親が不明のときには、就籍という手続きがある。かえって、簡単だ。
 民法772条によって無戸籍の子どもが生まれる。しかし、決してそれだけではない・・・。
 無戸籍の人が戸籍をもとうとするとき、役所は疑ってかかる。たとえば、指紋を求める。そこで、ひっかかる人が出てくる。犯罪もしていないのに、なぜ指紋を取られるのか・・・。
 そんなことするくらいなら、もう戸籍なんていらない、と考える人がいる。
 なんとなく、その気分は分かります。でも、ないと不便なのですから、ちょっとガマンできませんか、と思ってしまいます。
 そして、身勝手な親や性同一障害の人たちの話となると、涙なくしては読めない辛い人生の歩みとなります。日本の壁のあつさを感じさせる本でもありました。

(2016年1月刊。1700円+税)

2016年2月26日

貧困大国ニッポンの課題

(霧山昴)
著者  橘 木  俊 詔 、 出版  人文書院

 アベノミクスだとか、一億総活躍社会だとか、上のほう(首相官邸)では浮かれたように言いつのる人たちがいます。でも、現実には、子ども食堂が、日本各地に必要になっています。子どもたちが、朝から満足に食事が出来ない、甘いお菓子で空きっ腹をごまかすなんて、苛酷な現実です。
 この本は、日本もアメリカと同じで、福祉国家なんて、とても言えない。貧困大国ニッポンという現実があり、貧富の格差はますます拡大しつつあることを実証しています。
 ただ、その解決策として消費税の増税に頼るという提言は素直にうなずけません。軍事優先の国家体制をそのままにしておいて消費税の税率をアップさせても、福祉にお金がまわってくるはずがないからです。
 日本は、アメリカと並んで非福祉国家とみなしてよい。
 二つの選択肢がある。一つは個人の自助を中心としたアメリカ流の自立主義。もう一つは国家が担い手としての役割を果たすヨーロッパ流の福祉国家。
 私は、もちろんヨーロッパ流が断然よいと思うのですが、日本人は、経営者層、指導者層、富裕層を先頭として一般市民においても自立主義を好む人が多い。うむむ、たしかにそうなんですよね。客観的には生活保護を受けたほうがいいレベルの人が保護を受けずに、保護を受けている人々を口汚く攻撃するという現実があります。
日本は、韓国と同じく、児童家族関係の給付が極端に低い。
 ヨーロッパで出生率が増加したのは、子ども手当としてかなりの額が支給されているから。日本でも、ぜひ実現したいものです。
 日本の貧困率は、ここ30年のあいだに12%から16%に増加している。貧困者が増えている。日本の相対的貧困率はアメリカに次いで高く、ヨーロッパやオーストラリアに比べて、かなり高い。65歳を過ぎた高齢者において、女性の貧困率が男性より5~10ポイントも高くなっている。母子世帯の60%が貧困家庭。
 生活保護を必要とする人に適切な支給がなされていないのが現実。受けるべき人の20%しか受けていない。
貧困で苦しむ地方や中小企業で働く人には、アベノミクスの恩恵は及んでいない。
フランスやイギリスの最低賃金は1200円ほどになっている。日本では、最低賃金の額でフルタイムで働いても、1ヶ月の生活費をまかなえるだけの月収にはならない。日本の最低賃金は低すぎる。これって、ホント、おかしいですよね・・・。
若者が結婚できないのは、若年層の低所得に大きな原因がある。
アメリカは特異な国である。公的な医療保険制度がなく、公的年金制度も発展していない。アメリカの貧困階級は病気になっても満足に医療を受けられないので、早死にしている。 
 日本がこれからも安定して生活できる国であるためには、まず教育にお金をかけ、教育費を無料にし、さらに医療・福祉にお金をつかうべきです。反対に、自衛隊などの軍事予算やアメリカ軍への「思いやり」支出をバッサリ削減すべきだと思います。
 「国を守る」だなんて言っても、なにより守るべきは国民生活なのです。

(2015年12月刊。1700円+税)

2016年2月24日

奇跡の村

(霧山昴)
著者 相川 俊英 、 出版  集英社新書

 「限界集落」が必ずしも自然消滅するわけではないということを再確認させられる新書でした。知恵と工夫によって、若者を呼び込んで、それなりに復活することがあるのです。だって、人間は、目標さえ具体的で確であれば、80歳をこえても楽しく働いていけるし、それが村(町)おこしにもなっていくのですから・・・。
 この新書では、全国いくつかの実例を紹介していて、大変参考になります。
 長野県の南端にある下條村は人口4千人足らず。ところが、子育て支援が効を奏し、全国有数の高い出生率を誇っている。この村は若者定住促進住宅を建設している。マンション風の村営集合住宅が村内に10棟(124戸)建てられている。家賃は2LDKで3万4千円ほど、これには車2台分の駐車スペースが付いている。ただし、二つの入居条件が付いている。一つは、子どもがいるか、これから結婚する若者であること。二つは、祭りなど、村の行事への参加と消防団への加入。この住宅は家賃の安さと暮らしやすさから絶えず満室状態。
 医療費は高校卒業まで無料。給食費は半額補助。保育料も半減。第三子は無料。出産祝い金は、第二子に5万円、第三子以上に20万円。入学祝金は小学生に3万円、中学生に6万円。ただ、悩みも大きい。その悩みは、村内に高校が一つもないこと。下條村は、「平成の大合併」を拒否して、自律した村として独自の歩みを続けてきたのでした。
 群馬県南牧村は人口2千人あまり。ここでは、小学校の運動会は村民参加型となった。小学生が少なくなり、また村民が高齢化して村民体育祭ができなくなったことから、一緒にしたのだ。ここでは古民家バンクという取り組みが進んでいる。人が住まなくなった古い民家を1ヶ月3万円で貸し出す。その結果、3年間で14世帯26人が村に転入してきた。ここでも二つの条件がある。きちんと近所づきあいをすること。地域の伝統行事に必ず参加すること。移住者は地元の人と一緒になって花を栽培して出荷している。
 いずれ地方は消滅すると単純に決めつけていはいけませんね。かの大東京にしても、いつ大震災で破滅するか分りませんし、あの3.11のときには危機に直面したわけです。やはり、日本が生き残るためには地方を守り育てておく必要があると改めて思いました。

                           (2015年10月刊。740円+税)

2016年2月21日

泣くのはいやだ、笑っちゃおう

(霧山昴)
著者 武 井  博 、 出版  アルテスパブリッシング

 昔なつかしいHHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」について、担当ディレクターだった著者が裏話をたっぷりふくめて書いています。
 『ひょうたん島』が始まったのは1964年4月のこと。私が高校に入学した年です。それから5年間続いて1969年4月に最終回をむかえました。私がまだ大学2年生、本当は3年生に進級するはずでしたが、例の安田講堂攻防戦が1月にあり、ほぼ1年ぶりに授業が再開されましたので、4月進級はありませんでした。
 高校生のときですから『ひょうたん島』をじっくり見た記憶はありません。でも、そのパンチのきいた人形劇はとても印象に残っています。
 博士、ダンディ、ガバチョ、トラヒゲ、サンデー先生という個性的な人形と声優、そしてセリフがすごく印象に残っています。
 毎年1回、かつての弁護士会役員仲間が奥様同伴で全国を旅行してまわっていますが、そのグループの名前が『ひょうたん島』なのです。そして、博士とガバチョがメンバーにいます。私は、そこではモノカキと称しています。
『ひょうたん島』は東京オリンピックそして東海道新幹線と同じ年にスタートしたのだそうです。ええっ、そうだったっけか・・・。
 テーマソングを歌ったのは、なんと当時はまだ中学1年生だった前川陽子。これはすごいですね。そして、テーマソングの歌詞をつくる生みの苦しみが紹介されています。丸2日間、なんのアイデアも出ずに苦しみ、ついにNHKへ戻っていく列車の中で、井上ひさしが、「まるい地球の水平線」という言葉を思いついた。「丸くて水平」。実に非凡な夢ふくらむ発想だった。そして、列車のなかで歌詞が完成したのです。
 泣くのはいやだ。笑っちゃおう。井上ひさしにとっても、これはこれからも生きていくうえでの、人生のモットーだった。
 5年間の番組の脚本を書いたのは井上ひさしと山元護久。どちらも同時はまだ20代。二人がケンカすることなく共同執筆を続けたというのも、すごいです。遅筆堂で有名な井上ひさしですが、5年間、一度も空白をつくらなかったというのもすごいですね。井上ひさしは、実は大変な速読ができたようです。私も本を読むのは早いほうですが、はるかに上回る量と内容です。とてもかないません。
 そして、この二人には、どちらもカトリック施設育ちという共通項があったのでした。
 二人は、人形劇に対する不信感から、その限界を乗りこえようと、「せりふ」で勝負した。
 NHKで、この50年間でもっとも良かった番組の人気投票をしたら、『ひょうたん島』は『おしん』に次いで堂々の第二位だった。これまた、すごいですね。それほど、私たちの心に残っているのです。
 惜しむらくは、その放送がほとんど残っていないことです。当時はテープが高価だったため、上書きされていて保存されていないのです。本当に残念なことです。この本は、その良さを再確認する手がかりとなっています。


                           (2015年12月刊。1800円+税)

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