弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2016年5月12日
安倍晋三「迷言」録
(霧山昴)
著者 徳山 喜雄 、 出版 平凡社新書
「貼られたレッテルを(国会の)審議期間の中だけでは取り去ることができなかった。結果を出していくことでレッテルをはがしていきたい」
「(戦争法だなんて)デマゴーグ(扇動)だということを国民に説明していきたい」
いずれも、安倍首相が安保法制に反対する国民の声に弁明・反論して言ったものです。このような紋切り型で攻撃的な言葉を羅列し、反対意見には耳を貸そうとしない。これが安倍首相の一貫した姿勢である。
集団的自衛権について、憲法上は権利があるのに行使できないということは、禁治産者は財産に対して権利があっても行使できないというのと同じ。つまり、内閣法制局の理屈からすると、日本はいわば禁治産者なのか・・・?
安倍流の言葉には3つのパターンがある。一つは断定口調。「戦争に巻き込まれることは絶対にない」「徴兵制は、まったくありえない。今後もない」。
もう一つは、「私は」というコトバをつかわずに間接話法を用いる。
最後は、突然キレてしまう「感情語」。
「われわれが提出する法律についての説明は、まったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」
総理大臣が言うことが「まったく正しい」というのなら、それはまぎれもない「独裁政権」である。
安保法案について、安倍首相は「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」と断言した。しかし、現実に制定・施行された安保法制は、アメリカの戦争に加担することを許している。すると、「巻き込まれる」かどうかというのは、単なる形式的な「主体性」の問題にすぎない。要するに、ごまかしということ。
安倍首相は、2015年9月の採決強行のあと、「国民に丁寧に、分りやすく説明していきたい」と述べた。しかし、本来あるべき説明とは、決める前に合意形成のためになされるものではないでしょうか・・・。
安倍は、日本の戦後史上に国民の意見を聞かず、熊本大震災のあとも原発の稼働中止を命じなかった首長として有名になるのでしょうか。そんなの嫌ですよね。
(2016年1月刊。780円+税)
2016年5月10日
現代史の中の安倍政権
(霧山昴)
著者 渡辺 治 、 出版 かもがわ出版
安倍首相のやっていることを時代錯誤的な個人的な思いつきと考えるのは、まったくの誤りだ。安倍政権には二つの顔があり、その二つをセットとして実行している。
その一つは、新自由主義改革の本格的な再稼働。
もう一つは、アメリカや日本の保守支配層も眉をひそめる侵略戦争肯定論。
安倍首相の目ざしているのは、復古的な大国ではない。 安倍政権は、国民動員の見地から、植民地支配と侵略戦争の歴史を否定したいという強い衝動をもっている。
アメリカや日本の財界も、安倍政権の評価をめぐって動揺していた。しかし、2013年ころから、割り切って安倍政権を支持するようになった。というのも、これほど野蛮な情熱をもっていなければ、軍事大国化、そして「構造改革」を再建することはできないという判断をしたから・・・。いわば、安倍政権は、現在の支配階級の最大の切り札になっている。
安倍首相に対しては、従来の政権以上に官僚機構が全面的に支援している。
アメリカの世界戦略は変化した。イラク・アフガニスタンへの派兵そして戦争は、二つの結果をアメリカにもらした。一つは未曽有の財政赤字。二つには、国民の反戦・厭戦意識の高まり。
オバマ政権の対中政策には、二面性がある。一つは、中国をアジアにおけるパートナーとして位置づける。もう一つは、中国を軍事的・政治的に抑え込もうという路線である。
安倍政権の描いたシナリオに誤算が生じたのは、国民運動の高揚である。
安倍首相が歴史の修正と改ざんの執念を燃やしている最大の要因は、戦後のドイツとは異なって、「戦後」を肯定化する延長線上では、安倍の軍事大国は正当化できないということにある。
安保法制は、国民の側からすると、戦後70年にわって堅持してきた、海外で戦争しないという国是を壊す大転換でもある。
安保法制を施行させない、若い自衛隊員をたとえばアフリカの戦場へ送らないようにする必要があります。
安倍首相の確信犯的な恐ろしさは、このところまさに倍加しています。ひどいものです。にもかかわらず、安倍首相への支持率が4割をこえているなんて、おかし過ぎです。
(2016年1月刊。1800円+税)
2016年5月 9日
文化庁国語課の勘違いしやすい日本語
(霧山昴)
著者 文化庁国語課 、 出版 幻冬舎
文化庁というと文科省かなと思ってしまいましたが、どうやら違うようです。文科省って言ったら、教科書検定でかたよった意見を押しつけ、教育統制の強化につながる全国学力テストなど、まったく悪いイメージしかありません。
文化庁は、文化財、美術館などを担当している役所で、そのなかに国語の改善と普及を担当している国語課というのがあるそうです。
言葉は、年月とともに変化していく。かつては規範的であった言葉の形や意味が、現代では通用しなくなったり、使い方が変わってしまう例は少なくない。言葉の正誤を軽々しく決めることは出来ない。
それを前置きとして、私も「間違った」使い方をしている表現にいくつもぶつかりました。「弁護士さんって、敷居が高いんですよね・・・」これは、「高級寿司店は、ちょっと、僕には敷居が高いかなぁ・・・」というのと同じ使い方です。ところが、本来の「敷居が高い」というのは、不義理したり、面目の立たないことがあって、その人の家に行きにくいという意味の言葉。単に入りにくいとか近寄りがたいというものではなかったのに、今ではそのように使われることが多くなっている。ふーん、そうだったのか・・・。
流れに掉(さお)さす。これは、本来は、流れのままに棹を操って船を進めるように、物事を時流に乗せて順調に進行させること。ところが、最近では、時流に逆らって反対意見を言うようなものとして使われることが多い。ホント、私も、そんな使い方をしてきましたよ、トホホ・・・。
枯れ木も山のにぎわい。本来は、つまらないものでも、ないよりある方がましの意味。ところが、人が集まれば、にぎやかになって良いという意味で使われることがある。
「キミは本当に破天荒な人間だな・・・」これって、ホメ言葉なのか、けなしているのか、どちらでしょうか・・・?本当は、誰も出来なかったことを初めて成し遂げることというホメ言葉です。ところが、豪快で大胆な様子をさす意味で使われることが多くなっています。
「さわりだけ聞かせてよ・・・」。さわりの本来の意味は、聞かせどころ、聞きどころです。ところが、話の最初の部分だけ聞かせてよ、という意味につかわれることも少なくありません。
憮然(ぶぜん)としている・・・。これは失望、落胆、ぼんやり、呆然の意味です。ところが、最近では、腹を立てている様子という意味で使う人が多くなっている。
「議論が煮詰まってきた・・・」。本来は、議論して、考えが出尽くして結論が出せる段階になった状況をさします。ところが、議論がこれ以上は発展せず、行き詰った状況をさす言葉としても使われるようになっています。
割愛する・・・。本来は、仏教用語で、愛着の気持ちを断ち切ること。つまり、惜しいと思っているものを、思い切って捨てたり、省略したりすることを言います。ところが、最近は、単に省略するという意味で使われることが多くなっています。
うひゃぁ、知らないことって、こんなにたくさんあるんですね・・・。しかも、言葉の本来の使い方が誤用されていくうちに、変化していって、誤用が誤用じゃなくなるんですね。言葉って・・・。まさにコトバは生きています。そのことを実感させてくれる本でした。
(2015年12月刊。1000円+税)
2016年5月 6日
安倍政権にひれ伏す日本のメディア
(霧山昴)
著者 マーティン・ファクラー 、 出版 双葉社
ニューヨーク・タイムズ前東京支局長が、日本のメディアはジャーナリズムの精神を失っていると激しく怒ってます。この本に書かれていることのほとんどに、私も、まったく同感です。
権力の与党であることを売りものにしているかのようなヨミウリ・サンケイって、まともなジャーナリストなんでしょうか・・・。たまには権力から嫌がられるような「正論」を記事にしてほしいものです。
メディアが政府から完全にコントロールされている現在の日本のジャーナリズムは、およそ健全ではない。
アメリカ人の記者から、ここまで断言されているのですから、日本人ジャーナリストも、少しは奮起してほしいですよね・・・。
健全な民主主義が機能するうえで重要な権力のチェック機能を果たすはずのメディアが、第二次安倍政権が生まれてから、腰砕け状態に陥ってしまっている。組織防衛を優先させ、ジャーナリズムを放棄している。そんな信じられない現実が、日本の新聞やテレビといった大手メディアの内部で雪崩(なだれ)のように起きている。
安倍首相のいる官邸はテレビや新聞を毎日こまかくチェックし、官邸にとって気に入らない報道があれば、担当者に電話をかけ、直接クギを刺す。
同じメディア内部で、政治部の記者は他の部門にこんな圧力をかけている。「官邸を怒らせないでほしい、取材できなくなるから」。なんということでしょうか・・・。これでは、単なる権力の僕(しもべ)ではありませんか。
日本のメディアのトップたちは、安倍首相と頻繁に一緒に食事をしている。それも高級料亭やフレンチ・レストランなど・・・。
安倍首相は、ニューヨーク・タイムズの取材をあからさまに避け続けている。安倍首相は、ぶら下がり会見が少ないし、そもそも記者会見の回数がとても少ない。
朝日新聞を攻撃した読売新聞は部数を大きく減らした。その減り方は朝日より読売のほうが大きかった。朝日を叩いて拡販しようという戦略は完全に裏目に出た。むしろ、新聞全体への不信感が強まっただけだった。
朝日がこんな「ヘマ」を犯したとき、ヨミウリ・サンケイは権力と同じく朝日をたたきに狂弄した。なぜ、権力と対峙して朝日を擁護しようとしないのか・・・。
安倍政権の言うとおりに報道していればコトは簡単です。ところが、少しでも批判しようとすると、記者の心身の安全がはかられません。ロシアでは既に何人もの優秀な記者が消されてしまっています。それでもがんばっているメディアがあるといいます。
日本のメディアは、安倍政権のやろうとしていることの恐ろしさを国民にもっとはっきり伝えてほしいものです。
(2016年4月刊。1000円+税)
子どもの日(5月5日)、例年のように近くの小山にのぼりました。山の中の少し開けたところで養蜂家が巣箱を開いて作業しているのを見かけ、日本ミツバチにもがんばってもらいたいと思ったことでした。
かなり急斜面をのぼりますが、大きな岩がごろごろむき出しです。こんなときに地震にあって、岩がころがり出したら、もう逃げようがありません。というのも、出かける30分前に余震が2度もあったのです。熊本では震度3とか4でした。早くおさまることを願うばかりです。
山頂に着くと、子どもたちが大勢いて、そのにぎやかな歓声がひびいていました。保育園児と親たちの遠足のようです。こんな子どもたちの声を騒音だといいつのる大人の気がしれません。
ゆっくり見晴らしのいいところで、おむすび二つをいただき、英気を養いました。生命の洗濯です。
帰りにはミカンの木に丸粒のような白い花がびっしりでした。3時間あまりで、1万5427歩を記録して、いい運動になりました。
2016年5月 5日
ザ・町工場
(霧山昴)
著者 諏訪 貴子 、 出版 日経BP社
読んで元気の出る、町工場の話です。まだ若い女性社長の下で、若手から70歳すぎまで働いている精密加工業の中小企業での奮闘努力の過程が惜しみなく公開されています。なにより表紙の写真がいいですね。みんな目が生き生きしています。
社員34人のうち20代が11人、30代が10人、40代が6人、50代以上が7人。ところが、この会社では定年が70歳。65歳になったら給料は20%減だが、70歳までは同額、そして70歳を過ぎても本人が希望するなら働き続けられるといいます。現に70歳すぎの人が3人も働いているというのです。これは驚きましたし、敬服します。前に、アメリカの小さな会社に、そんなところがあったのをこの欄で紹介しましたが、日本でも同じようなことを実践している会社があるのですね・・・。
それにしても若者が入社して、定着率もいい。そのなかで会社がつぶれることもなく業績を伸ばしているなんて、すごいことです。そこには、どんな秘訣があるのでしょうか・・・。
未経験者をゼロから育てる。求職者は3か月間、お試し期間として働いてもらい、ハードルを下げる。採用面接は社長がする。そのとき重視するのは、ヒューマンスキルの高さ。誰とでも親しく接することのできるコミュニケーション能力、素直さ、謙虚さ、向上心。このニューマンスキルがあれば、早くから周囲に溶け込み、技術も知識も短期間で習得できる。学歴は一切関係ない。
自分の短所が答えられない人は採用に至らないことが多い。ネガティブに答える人もバツ。後ろ向きの発想では何事も良い方向には進まない。
誰が見ても優秀な人材は、すぐには採用しない。他社を見たうえで、自らの決断で入社した社員は決してすぐには辞めない。
未経験の新人にも、いきなり本物の製品の加工をさせる。練習では緊張感がないし、集中しないので、一向に上達しない。
入社して1ヶ月間、社長と大学ノートで交換日記をつける。それで毎日の様子を見る。
職場を楽しい雰囲気、居心地のいい空間にする。2年に1回は社員旅行に出かける。
法律事務の活性化にも大いに役立つような内容の本でもありました。
日本の中小企業の底力を確信させてくれる本でもあります。引き続き、がんばってくださいね。
(2015年6月刊。1000円+税)
2016年5月 2日
自衛隊の転機
(霧山昴)
著者 柳澤 協二 、 出版 NHK出版新書
先日、著者には福岡でも講演していただきました。防衛官僚のトップ近くにいた体験にもとづき、自衛隊の海外派兵の危険性を力説されました。もちろん、安保法制にも反対です。
自衛隊員の生命を軽々しくもてあそんではいけない、国民の人権を踏みにじってはいけないという信念は強固なものがあり、とても分かりやすい話でした。聞いていて、胸にストンと落ちました。
著者は1970年に防衛庁に入って退官するまで40年間、防衛官僚として仕事をしてきました。2004年から2009年まで、内閣官房副長官補として首相官邸で働きました。
自衛隊の海外派遣は、三つの矛盾をかかえている。その一は、国内で戦うことを前提としているため、補給などの後方支援部隊の規模を小さくしていること。第二に、隊員の心構え。自衛隊員の多くは、人助けのために入ったというもの。第三、憲法との整合性。武器の使用を考えてこなかった自衛隊員が海外で「交戦」など出来るはずもない。
海外警備活動は、これまで3回しか発動されたことはない。これは、あくまで警察行動であるから、自衛隊員が出ていっても、海外公船に対する実力行使はできない。
イラク派遣のときには、アメリカへの付きあいなのだから、危険をおかすまでもないというのが当時の政権の認識であり、これを反映していた。
当時は、自衛官が撃たれることばかりを心配していた。
武器使用は、自衛官個人の権限として想定されているものなので、自衛官個人が一義的に責任を負うことになる。
安保法制ができて、自衛隊のリスクは格段に高まった。軍法のない自衛隊は使えない。
アメリカは、陸戦(陸上戦闘行為)には、ほとほと嫌気がさしている。
日本の自衛隊は、冷戦時代の防衛力に比べて一回り小さい規模になっている。「陸」は18万人から16万人弱へ、「海」は60隻から54隻へ、「空」は430機から340機へとそれぞれ減っている。
現場感覚にもとづき、自衛隊のあり方とその実態について議論がたたかわされた本でもあります。 (2015年9月刊。780円+税)
2016年4月29日
戦場中毒
(霧山昴)
著者 横田 徹 、 出版 文芸春秋
戦場カメラマンの体験記です。
私には、こんな勇気はとてもありません。危険な、戦場の最前線に出かけて写真をとるのです。まさしく命がけの仕事です。
弁護士も変な人たちから狙われ襲われて命を落とすこともありますが、それは、幸いにしてごくごく例外的なケースです。ところが、戦場カメラマンは、戦場に出かけること時代が命がけです。そして、案内し、安全に誘導してくるはずの現地人に裏切られてしまったら、もうどうしようもありません。
戦場カメラマンになるには・・・。動きまわってばかりでは、集中力が切れ、身の安全も確保できない。めったやたらと動き回らず、まずは周囲の状況を確認する。それから、目の前で起きていることだけを落ち着いて撮る。そんな写真がモノになる。
インターネットとスマートフォンが普及したため、放送・出版業界は根本的な苦境に立たされた。まるで想定外の出来事である。
アメリカにとって、アフガニスタン戦争は、戦死した兵士よりも自殺した兵士のほうが多い。人間の精神は、場所が変わったからといって、電気スイッチのように簡単に切り替えることはできない。
1997年のカンボジア内戦のとき以来、戦場の実情を写真にとってきました。いやはや、まさに日々、生命をかけて写真をとってきたことがよく分かります。私には絶対にできませんが、著者のような人たちがいるおかげで、世間の一断面が居ながらにしてつかめます。ありがたいことです。
(2015年10月刊。1500円+税)
2016年4月27日
民主主義
(霧山昴)
著者 文部省 、 出版 幻冬舎新書
戦後まもなく、中学と高校でつかわれていた社会科の教科書で、民主主義は次のように説明されていました。安倍首相以下、自民・公明政権の大臣に教えてやりたい内容です。
民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは間違いである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべて人間を個人として尊厳な価値をもつものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。
民主主義は、きわめて幅の広い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されていかなければならないものである。
民主主義は、議員を選挙したり、多数決で事を決めたりする政治のやり方よりも、ずっと大きいものである。
独裁政治になるのを打ち破る方法はただ一つ。それは、国民のみんなが政治的に賢明になること。民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。
国会議員の選挙は、なんといっても最も大切である。国会議員の選挙権は、民主国家の国民の有する尊厳な権利であり、これを良心的に行使することは、またその神聖な責務である。同じ人間が長いこと大きな権力を握っていると、必ず腐敗が起きたり、墜落が生じる。権力が少数の人々に集中しているため、それが薬にならず、毒となって作用する。
多数の意見だから、その方が常に少数の意見よりも正しいということは、決して言いえない。多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。多数決の方法にともなう弊害を防ぐためには、何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るためであり、安全弁である。
たいせつな政治を、人まかせではなく、自分たちの仕事として行うという気持ちこそ、民主国家の国民の第一の心構えでなければならない。日本人の間には、封建時代からのしきたりで、政治は自分たちの仕事ではないという考えがいまだに残っている。
しかし、国民は政治を知らなければならない。政治に深い関心をもたなければならない。全体主義は、すべての国々の主権と安全を等しく尊重するのではなくて、「わが国」だけが世界で一番すぐれた、一番尊い国家であると考える。ほかの国々はどうなっても、自分の国さえ強大になればよいと思う。そこから、自分の国を強くするためには手段を択ばないと言う国家的な利己主義が出てくる。外国を武力でおどしたり、力ずくで隣国の領土を奪ったりする侵略主義である。全体主義は戦争の危険を招きやすい。
およそ、悲観と絶望との中からは、何もうまれてはこない。困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかを工夫し、努力することによってのみ、創造と建設とが行われる。国民こぞっての努力に、筋道と組織とを与えるものが民主主義なのである。
まことに現代日本の状況にふさわしい「民主主義」を語る教科書です。1948年10月に刊行されたとはとても思えない新しさです。法哲学者の尾高朝雄や大河内一男などが執筆したと聞くと、さもありなんと合点がいきます。
250頁ほどの新書ですが、ずっしり重たい、感動的な内容です。ぜひ、手にとってお読みください。
(2016年1月刊。800円+税)
2016年4月15日
ルポ 塾歴社会
(霧山昴)
著者 おおた としまさ 、 出版 幻冬舎新書
私も小学4年生から塾に通いました。英語を勉強しはじめたのです。寺子屋のような小さな教室でした。英才教育なんていうものではありません。講師によるゼロ戦の話しか記憶に残っていません。同じころ珠算教室にも少しだけ通っていました。そして、中学生になると3年間、それなりの塾でした。高校の現職教師が講師でした。高校に入ってからは通信教育(Z会)のみでした。塾に行かなくても自分なりの勉強法が身についていたのです。
この本は、中学受験塾として一人勝ち状態にあるサピックスと東大合格請負塾として有名な鉄録会に焦点をあてて、その実際を紹介しています。
中学受験では、昔から有名な四谷大塚日能研を押しのけて、サピックスが圧倒的な存在感を示している。開成中学の定員300人に対して、サピックスからの合格者は245人。8割を占める。関西の灘中学については、募集定員180人に対して、浜学園が93人で、2位の日能研49人のダブルスコアとなっている。灘高の生徒4分の1は、鉄緑会大阪校に在籍している。
東大理Ⅲ(医学部)の合格者の6割以上が、鉄緑会出身者で占められている。
鉄緑会では、6年間かけて、ギリギリ合格ではなく、上位半分の位置で余裕をもって東大に合格できる労力を身につけさせる。
サピックスにも鉄緑会にも、受験勉強の達人みたいな生徒がいて、まわりからも一目置かれていた。ところが、30歳を過ぎた今、彼らにかつての輝きが感じられない。意外にパッとしない。これは私の実感でもあります。全国の受験の上位ランクで名前だけ知っている同期生が、まったく冴えず、久し振りに名前を目にしたら「自由と正義」の懲戒欄だったということも体験しています。
小学校に入る前からとか小学校低学年から「公文」に入って、処理能力を身につけている子が多いようです。でも、処理能力だけで物事に対処してきて、深い思考ができていなかった。司法試験では処理能力の高さだけでなく、深い理解が求められている。
大学に入るまで塾に頼り切る生き方は、もしかしたら、何かを深く思考する能力を奪ったのかもしれない。
せっかく東大法学部に入ったのであれば、「町の弁護士」ではなくて、大企業の法務を請け負うような仕事をしないと「負け」だと考える東大出身の弁護士がいる。私は、これって、可哀想な、発想の貧困さを本当に残念に思います。大勢の人々のなかで、生き、草の根から民主主義を盛り立てていく仕事こそやり甲斐があると、私は心から確信しています。
天下の灘や筑駒の出身者に限って、大人になってからは意外に普通の仕事に就いている人が多い。
てっとり早く「正解」を得ようとしたがる。正解らしきものを得ると、安心して思考停止に陥る。サピックスは、簡単な問題で原理原則に気づかせたうえで、類題演習をくり返し、徐々に問題のレベルをあげ、複雑な問題の中にも同じ原理原則が活用できることを体感させる。
灘関校ほど単純な計算問題や知識量を問う問題は出題しない。単なる知識の詰め込みでは太刀打ちできないようになっている。
サピックスで出される大量のプリントを整理するのは親の役割。スケジュール管理も親の役割だ。
親子の会話が豊富で、親と一緒に物事を考える習慣のついている子が求められる。受け身になる癖がついている子は、ついていくのが難しい。
サピックスは、討論型の受領と復習主義。予習をさせずに復習に重点を置く。それは授業に集中して、授業の中でできるだけ吸収してほしいから。復習主義のほうが学習効率はいい。
学力の高い子にはいいけれど、そうでない子がサピックスに通ったときには、弊害も大きい。
鉄緑会の講師は全員が鉄緑会出身者。東大や灘関医学部の卒業生。鉄緑会はベネッセグループの子会社。
板書したものをノートに書き写す。このひと手間が数学においては絶対に必要。解説プリントを読むだけではダメ。自分の手を動かすこと。
鉄緑会に入ると、目の前に東大医学部の学生を何人も見る。誰だって合格できると言う成功体験が空気のように漂っている。この空気を毎週吸い込めることこそ、鉄緑会に通う最大のメリット。
鉄緑会に向いているのは、処理能力が高く、量をこなせる子、要領よく手を抜いて、帳尻を合わせるのが得意な子。処理能力が低いのに、手を抜くことが出来ない子が鉄緑会に入ると、学校の勉強までうまくいかなくなり、自信を喪失してしまう心配がある。
なるほど、なるほど、そうなのかと得心のいくところが多い本でもありました。かなり経済的に余裕ある家庭でないと東大には入れないということでもありますね。
(2016年2月刊。800円+税)
2016年4月 8日
ドキュメント銀行
(霧山昴)
著者 前田 裕之 、 出版 ディスカヴァ―・トゥエンティワン
日銀がマイナス金利を発表したあとに起きた三つの出来事。その一つは、家庭用金庫が急に売れ出して、在庫のないホームセンターが続出したこと。その二は、金貨が売りきれて店頭から姿を消してしまったこと。その三は、デパートの会員券が飛ぶように売れていること。月1万円ずつ支払っていると、1年たったら12万円ではなくて13万円の商品券がもらえるのです。こんな高い金利なんて、今どき考えられません。多くの人が飛びつくのも当然です。ただし、そのデパートでしか買い物できません。したがって、デパート買い物族というレベルの家庭でしか通用しません。
銀行が次々に合併して名前を変えてしまったので、何が何やらわからなくなってしまいました。この本は、銀行の最近の変遷を追って、いったい銀行とは何者なのかを追求しています。庶民にとっての銀行の存在意義は何なのかという視点が弱いように感じましたが、それも日経新聞の記者(編集委員)だから仕方のないことなのでしょうか・・・。
大和銀行ニューヨーク支店で起きた1100億円という、とてつもない巨額な損失事件。これが、たった一人の銀行員がやったことだというのです。私が驚いたのは、それほどの損失を出しても大和銀行は倒産しなかったという事実です。しかも、アメリカ政府から360億円もの罰金が課せられて、すぐに全額を一括で支払ったというのです。いやはや、銀行の超巨額資産には声も出ません。このとき、銀行経営者の責任が法的に追及されたこともないようです。まことに不可思議な銀行世界の闇です。
借主に「誠実で優しい銀行」だという評判は、銀行にとって必ずしもほめ言葉ではない。
多くの国民は、自分は銀行に対する債権者であるという意識をもたず、銀行は現金の保管場所であるという感覚だ。
融資ほどおいしい商売はない。貸出金利と預金金利の利ざやか決まっていれば土日に銀行が休んでいても、安定した金利収入が入ってくる。
銀行(支店)に来て、公共料金の振込をする人は、銀行に収益をもたらす顧客ではない。ATMコーナーを利用するだけの顧客も同じ。顧客の待ち時間をゼロにしても、銀行の評判を良くするかもしれないが、それで銀行の収益が向上するわけではない。かえって余分なコストが発生するかもしれない。
銀行は、妙にプライドの高い人たちの集団である。
かつて日本には大手の信託銀行が7行あった。
金融機関にとって、投資銀行業務は、使いこなすのが難しい危険な武器だ。
銀行同士の合併は、昔から日常茶飯事である。銀行の歴史は、合併の歴史だ。
日本には1901年(明治34年)に2258もの銀行があった。それが、昭和初期(1939年代)には、1500行になった。地方銀行は1945年に53行、戦後それが64行になって、現在も64行のまま。旧相互銀行からの第2地銀は1989年に68行あったのが、現在は41行。
銀行の本質は金融仲介業であり、仲介業務には巨額な利益は必要ない。
相続は地域外への資産の移動を伴うことがある。親が地方、子どもが首都圏に住んでいると、相続資産は地方から首都圏へ移転する可能性が高い。今後10年間で地方の相続資産238兆円のうち、21%の50兆円は、子どもの住む3大都市圏へ移転する。首都圏だけでも10年間に36兆円が流入する。これは、毎年丸ごと1行の地銀が首都圏にやってくるようなものだ。
既存の銀行では、ATMの維持費が手数料収入を上回り、完全な持ち出しになっているところがほとんど。セブン銀行は、ATM業務を進化させ、人件費や物件費をできる限り抑えて運営しているので、収益を確保している。
ゆうちょ銀行の総資産は208兆円(2015年3月末)。総貯金残高は177兆円。貯金残高はピーク時の260兆円に比べると減っている。それでも、ゆうちょ銀行の貯金残高は、3メガバンクそれぞれの預金残高をはるかに上回っている。ゆうちょ銀行は、この巨額資産を有価証券を中心に運用している。その大半が国債だ。
顧客が一番相談してはいけないのが、銀行の窓口だ。というのも、銀行が熱心に販売している投資信託や保険は、銀行に入る販売手数料が大きく、必ずしも顧客の将来の資産形成を真剣に考えているわけではないからだ。
銀行の窓口に相談するのは危険だというのは、税務署と同じですね。いずれにしても、自分のことしか考えていませんから、とんだ火にいる夏の虫ということになりかねません。
日本の銀行の最近の歩み・変遷についての概説本です。勉強になりました。
(2016年2月刊。2400円+税)
庭にアイリスの花が咲きはじめました。黄色と白の気品のある花です。チューリップは雨と風がひどくて、かなり散ってしまいました。でも、まだこれから咲こうというチューリップもいます。
雨が降ったおかげでしょうか、アスパラガスが3本のびていました。店頭に並べて遜色のない太さのもあります。春の味が楽しめます。
先日、家の前の道路をキジが歩いていました。鮮やかな色をしていましたので、オスでしょう。初めてのことで驚きました。