弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2016年7月16日

平成28年・熊本地震

(霧山昴)
著者  熊本日日新聞社 、 出版  熊日出版

 震度7の前震(4月14日)と本震(4月16日)は、本当に恐ろしいものでした。前震を本震と考え、あとは余震があるだけだろう・・・なんて「常識」を見事に覆した地震は、まさしく大災害です。
 そして、その日以来、今日まで震度1以上の地震が1800回をこえています。つい先日(6月29日)にも震度4の地震がありました。震度4でも怖いものですが、今では、妙になれたところがあり、それがかえって不気味です。
 この写真集は、その熊本地震による被害状況をくっきりうつし出しています。ドローンを使った空撮もありますので、被害のすさまじさが手にとるように伝わってきます。
 なんといっても、阿蘇大橋が完全に消失してしまった状況をとらえた写真には息を呑みます。私も何度も通ったことのある大橋がまったく姿を消してしまったのです。近くの山肌には巨大な土石流のあとを認めることができます。
 そして熊本城です。天守閣の屋根に瓦がほとんどありません。痛々しいまでの丸裸です。そして、櫓は今にも崩れ落ちてしまいそうです。市内中心部に堂々とそびえていたお城に威厳を感じられません。残念です。
 益城(ましき)町は、民家がボロボロです。これでは住めません。
 大自然の脅威のなか、住民がボランティアの力も借りながらお互いを支えあって生活している様子の写真で少し救われます。自衛隊の災害救助活動は必要だと思いますが、地震にかこつけて憲法を停止させる緊急事態条項が必要だなんて主張する与党の政治家には腹が立ちます。
 子どもたちの笑顔も紹介されています。本当は、みんな怖いんだよね。でも、みんなで支えあって乗り切るしかないんだよね。
熊本で被災した皆さんが、無理なく、がんばってほしいと願わずにはおれません。
(2016年6月刊。926円+税)

2016年7月14日

フジテレビは、なぜ凋落したのか

(霧山昴)
著者  吉野 嘉高 、 出版  新潮新書

 私はテレビを見ません。時間がもったいないからです。ニュース番組だって、NHKのアベやモミイにおもねる視点での解説なんて聞きたくもありません。そして、殺人事件など三面記事に出てくる殺伐とした画像で自分の目を曇らせたくはありません。ですから、フジテレビがどんな番組を放映しているのか、前と比べて今はどうなのかというのは、まったく実感のない世界です。でも、この本に紹介されている状況は分かるし、納得できますので、紹介します。
かつての王者だったころのフジテレビは、チャレンジ精神が旺盛だったようです。
1980年代にブレイクしたフジテレビは長らく放送業界のリーディング・カンパニーとして時代を先導してきた。
 ところが、今や、フジテレビは見る影もない。視聴率も営業成績も、ともに、かつてないほどの惨敗を喫し、社内の雰囲気もギスギスしている。かつてのフジテレビは、仲間意識は強いけれど、同調圧力が強いわけではなく、異才や鬼才がのびのびと能力を発揮できる雰囲気があった。ところが、「70年改革」によって、編成というテレビ局の「頭脳」と、制作という「身体」が分断され、その間に深い溝ができ、社内はギクシャクとして暗い雰囲気になった。仲間意識が希薄になり、現場の意欲が大きく減退していった。
 社長が労組を敵対視していたことから、会社全体のコミュニケーション不全が問題化していった。そして、番組制作が守りに入った。経済合理性に主眼を置いた組織改革は失敗した。視聴者に楽しんでもらうためには、制作者が自ら楽しまなければならない。つくる側が楽しんで入れば、自然にその楽しさが視聴者にも伝わっていく。
フジテレビは1997年、お台場に社屋を移転した。旧社屋にあって、新社屋にないもの。その一つが「大部屋」。熱エネルギーの発生源であり、関係者に一体感をもたらしていた「大部屋」がなくなった。
そして、成果主義の社員評価がとりいれられると、同僚が助けあう「仲間」から、争って負けるわけにはいかない「敵」に変わってしまう。社員が「勝ち組」と「負け組」にはっきり色分けされてしまった。番組制作上の上司の裁量が大きくなるのに反比例して、若手の自由度は低下していった。
このように分析されると、なんとなく分かりますよね。成果主義によって、目の前の視聴率で競争させられたりしたら、バカバカしくなってしまいます。自由にのびのびと、たまに経営者ともケンカできる。そんな雰囲気の職場こそ、良い番組がつくれるんだろうと門外漢の私も思ったことでした。
(2016年4月刊。740円+税)

2016年7月 9日

日本会議の研究

(霧山昴)
著者  菅野 完 、 出版  扶桑社新書

 安倍首相を支えている一群の人々がなんと改憲どころか反憲そして明治憲法の復活を目ざしているというのです。呆れてしまいました。
自民党の改憲草案は天賦人権説をとらないとしています(解説書)。これは基本的人権の尊重は法律の範囲内とするということです。つまり、基本的人権は権力の命じるところによっていくらでも制限できるとします。
 「最終的な目標は明治憲法の復元にある。しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」
「保守革命」は、歴史認識、夫婦別姓反対、従軍慰安婦、反ジェンダーフリーの4点に課題を集中している。
安倍政権は日本会議によって支えられている。日本会議と日本青年協議会は目黒区にあるオフィスビルの同じフロアーに本部を構えている。両者は間仕切りもない。日本青年協議会の会長である椛島有三は、日本会議の事務総長をつとめている。
 元最高裁長官(三好達)が日本会議の代表でしたよね。恥ずかし限りです。この本には、現在の寺田逸郎長官も退官したら日本会議の代表に就任するのだろうか・・・と、心配しています。万一そんなことになったら、とんでもないことです。やめてほしいです。
 椛島有三は、「生長の家」の信者として長崎大学を右翼的に「正常化」した実績をもとに中央で活躍するようになりました。そして、現在、日本会議の実務を取り仕切っている人物には、「生長の家」出身者が多いようです。
 もっとも、現在、「生長の家」は、こうした右翼的活動を一切停止し、むしろ先日、安倍政権に反対し、野党を支持するという声明を公表しています。敬意を表します。
 日本会議の実体とその人脈を探り出した貴重な新書です。
(2016年6月刊。800円+税)

2016年7月 5日

吉野家で経済入門

(霧山昴)
著者 安部修仁・伊藤元重  出版 日本経済新聞出版社  

吉野家の牛丼は、若いころにはときどき食べていました。早い、安い、うまいという点で、文句はありませんでした。最近は食べていません。
牛丼を構成しているのは、牛肉、米、玉ねぎ、たれの4品種。
牛肉はアメリカ産のショートプレート。はじめは国産牛肉だった。スライサーできる牛肉の厚さは1.3ミリというのを、ずっと変えていない。季節によって牛肉の質が変わるので、そのつど0.1ミリ単位で食感テストをやっている。煮上がったとき、どの厚さがもっとも食べやすいかを常に研究している。大事にしているのは食感。
国産のショートプレートではバラつきが大きく、味をはじめ標準化に無理があった。質の安定は大きな問題。脂身とまろやかさにショートプレートが最適。アメリカ産のショートプレートはジャパンスペックという品名で呼ばれる。このジャパンスペックは歩留料が99%になる。
吉野家としては、牛丼が永遠に主力商品であるという認識には立っていない。
熟成肉は、中心温度をマイナス1.7度にして、2週間保管する。熟成肉は、うまみがあって柔らかい。
松屋はチルド牛肉。部分牛肉を一度も凍結させず、冷蔵で回している。2ヶ月日持ちしないのが難点。
牛丼の原価は40%をこえる。牛丼380円のうち、材料費が150円。お米は北海道のきらら397。丼の上からつゆをかけるので、それがうまく染み込んでくれるのがベスト。粒張りとか固さとか、水分含有率など、いろいろ研究した。
吉野家に適した玉ねぎは、今は中国産。はじめは台湾産で、次はアメリカ産だった。
生姜は、ずっとタイがメイン。たれは、毎日、全国の店に配達している。各店の在庫量は、最大で1.5日分。朝に到着したら、翌朝までに使い切る。たれには、輸入物の白ワインを入れている。
アメリカ産の牛肉が入ってこなかったのは2003年12月から2006年7月までの2年半。牛丼を止めたのは、アメリカ産牛肉以外では、吉野家の味が出ないから。外の穀物肥育以外の牛肉を使うと、それを加熱したときに出るジュースが違う。だから、たれの構成成分も変えなくてはいけない。別の牛丼になってしまう。期待を裏切らないというのは、最優先の必須条件だ。
中国に吉野家は350店ある。人口500~600万以上の都市が50店以上の規模を想定できる地域。つまり、少なくとも数十店舗が出店できる地域(マーケット)じゃないと進出できない。
吉野家の店舗は日本に1200店、海外に650店ある。人材は、どんどん現地化している。牛肉はアメリカから、その他は、お米も含めてすべて現地調達。経済は現地で回す。海外で日本人が経営している子会社は、一つもない。
丼に肉盛りするまで、半年はかかる。離職率をできるだけ低くする取り組みをしている。人材を確保して、定着性を高めることを目指している。
現実にそうなっているのか知りませんが、ブラックバイトをなくすという目標をかかげているというのには共感しました。
味は三つある。先味、中味、後味。先味はうまそうだな、食べたい。中味は、これは本当においしい。後味は、ああ、うまかった、また食べたい、というもの。このなかで後味がもっとも大切だ。
たかが牛丼、されど牛丼なんですね・・・。

(2016年2月刊。1300円+税)

2016年6月21日

ブラックバイト

(霧山昴)
著者 今野 晴貴 、 出版 岩波新書 

学生を「使い潰す」アルバイトをブラックバイトと呼ぶ。
アルバイトに過重労働が広がったことによって、もっとも重大な被害をこうむっているのが高校生そして大学生だ。学校のテストや授業よりも、アルバイトを優先するように強制され、「単位が取れない」「留年してしまった」「進学をあきらめてしまった」という問題が全国で一斉に吹き出している。
問題の背後には、産業界の変化、学生の貧困の拡大、教育の変化などさまざまな要因がある。
ブラックバイトで問題になっている業種の多数は、全国規模のチェーン店として展開している。
店の側は、アルバイトをやめようとする学生をこうやって脅す。
「本当に辞めるのなら、懲戒解雇にする。懲戒解雇になったら、就職できなくなるよ」
ええっ、これはひどいセリフです。もちろん、まったくの嘘八百のセリフですが、この脅し文句を真に受けてしまう学生は少なくないことでしょう・・・。
「おまえ、どうやって責任とるんだ。死んで責任をとるしかないぞ」と脅されたアルバイトもいる。なんてひどいセリフでしょうか・・・。いえ、もっとひどい脅しのセリフもあります。
「今から家に行くからな。ぶっ殺してやる」
うひゃあ、す、すごーい・・・。こんな物騒なセリフを吐く店長も相当に追い詰められているのでしょうね。でも、言われた当の本人は、ついに不安障害、うつ状態と診断されてしまいました。
ブラックバイト・ユニオンという団体(労組)まで結成されているそうです。一抹の光明ですね・・・。
個別指導を売りものにする塾では、担当生徒を3人以上も退会させたら解雇されるという規定がある。
牛丼チェーン店の「ワンオペ」。ワンオペとは、何から何まで、すべてを一人でやらなくてはいけないという状態をさす。休憩をとることが不可能になる。
24時間、仕事に拘束されたうえ、さらに大変なのは、クレームへの対処。
ブラックバイトは、学生であることを尊重しない。 
この点が、私たちの時代の学生アルバイトとは決定的に異なります。少し前まで、試験が近づくとアルバイトが休みをとるのは当然でした。ところが、今は違うのです。今やアルバイトは過剰なまでに戦力として期待されています。
ブラックバイトの三つの特徴。
一つは、学生の戦力化。
二つは、安くて従順な労働力。
三つは、一度はいると、辞められない。
今の学生の置かれている非常に深刻な状況が嫌やというほどよく分かります。どうやって打開したらいいのでしょうか・・・。みんながよく状況を認識し、おかしいという怒りの声をあげていくところから始めるしかありませんよね。
(2016年4月刊。820円+税)

2016年6月15日

コンビニ店長の残酷日記

(霧山昴)
著者 三宮 貞雄 、 出版 小学館新書 

 私はなるべくコンビニは利用しないようにしています。でも、他に商店がなければ仕方ありません。コンビニがなければ生きていくのが難しい世の中になってしまいました。
私の住むまちは、駅の周辺に喫茶店がありません。もちろん、以前はあったのです。
この本はコンビニの店主が自分の体験を語っています。店主って、コンビニ本部の言いなりに働かされている、現代版奴隷のような存在だと、つくづく思います。もちろん鎖なんかありません。でも、見えない鎖で、がんじがらめにからめとられ、ほとんど自由のない生活を24時間、過ごさざるをえないのです。
コンビニの仕事でもっとも重要なのは、売上を大きく左右する発注だ。発注は納品の2日前、端末からする。発注の権限といっても、本部が推奨する範囲で選ぶ権限でしかない。
建前上は「独立した経営」とされながら、「売りたいものを売る自由」はない。
コンビニで、たばこは粗利率こそ低いけれど、売上の2割を占めるので、重要な商品だ。
「自爆」というのは、営業ノルマをクリアするため、自社商品を従業員が自分で買うこと。暗黙の了解によって買わされる。
毎日、食品だけで10キロ前後の廃棄が出る。廃棄が増えれば増えるほど店の利益が減る。食品系のごみの多さはコンビニという業態の特徴。
廃棄を大量に出し、それをオーナー、家族そしてアルバイトがせっせと食べる。
廃棄分はコンビニでは売上原価にふくまれない。廃棄分は売上原価ではなく、営業費に分類され、加盟店が負担する。廃棄を食べると気になるのが添加物。
養豚業者に廃棄した弁当をまわしていたら、豚に異常が多発し、売り物にならなくなったという話がある。ええっ、本当でしょうか・・・。恐ろしいですね。本部は、自らの取り分を増やすために、廃棄ロスを原価に含めず、営業に含めて見かけ上の粗利を膨らませている。
日本全体では食品廃棄物中のまだ食べられる部分が年間500~800万トンにのぼる。世界全体の食糧援助が400万トンというから、それよりはるかに多い。
これは消費期限や賞味期限より早く「販売期限」を設定していて、販売期限を過ぎた商品は棚から排除しているため。
「機会ロス理論」はコンビニ店だけに押しつけられ、スーパーマーケットには適用されていない。
コンビニの仕事として、毎日の送金がある。売上の金額を本部に毎日、送金しなければならない。
コンビニのアルバイトを募集しても、最近は人が集まらない。時給1000円近くにしても確保できない。
コンビニ1店に10~20人のアルバイトを雇っていて、1年で半分は入れ替わる。日本全国のコンビニ従業員は70万人に及ぶ。
コンビニの平均客単価は600円弱。トラック運転手は1000円~2000円と高い。
全国にコンビニが5万3千店以上あり、年間売上高は10兆2千億円ほど。年間167億人の客が来るので、日本人は1年のうちに130回はコンビニに行っている計算になる。
ATM、公共料金の支払いがコンビニで出来るというのは大きいですね。そして、100円コーヒーもあります。私も缶コーヒーより何となく良さそうなので、よく利用します。
便利さのかげに、日本は大きな良いものを失いつつある気がしてなりません。
(2016年4月刊。740円+税)

2016年6月13日

灘・東大理Ⅲの3兄弟の母、知っておきたい130

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版 ポプラ社 

 読者からの質問に答える形で役に立つ勉強法が紹介されています。全部がやれなくても、その考え方には役に立つところが多いと思います。
著者は、子どもが18歳までは親(とりわけ母親)が子どものそばにいて、思いっきり手を差し伸べてあげることが大切だと強調しています。
親は勉強を教えることだけがサポートではない。情報を集め、子どもと一緒に取り組みながら、やりながら考えていく。親子が互いに信頼しあいながら、成果を出しながら進んでいく。それが受験だ。
子どもの集中力を高めるには、親がそばにいるだけでも効果がある。
子どもの成績を、絶対に同級生や兄弟姉妹と比べない。これは大切なこと。
子どもが3歳までに絵本を1万冊よんであげる。1日10冊。同じく童謡も、3歳までに1万曲。こ、これは、すごい、すごーい・・・。
早いうちから、たくさんの絵本を読み聞かせ、文字を何度も目にすることは、とてもいいことだ。幼いころから英語を習わせるより、美しい日本語を使える日本人として育てたい。
日本語の習得のほうに力をいれた。東大受験のときには、英検準一級はとるのが不可欠。
小学生のときには、親が教材を音読してやるのも効果がある。
中学受験で必要なのは計算力をきたえておくこと。
試験(模試)のときに緊張するのは、勉強が足りない証拠。十分な準備をしていれば、自信をもって試験にのぞむことができる。
実力を伸ばすためには、自分の出来ないところを、いかにつぶすかが勝負。
全教科にふり分ける力が100あったとしたら、そのうち50は算数にあてる。算数は放っておくと鈍りやすい。定期的に量をこなしておくことが大切。
勉強そして受験は、結局のところ、他人との争いではなく、自分との争いだ。孤独と向きあい、うち勝って、前に進む力を身につけるしかない。
子どもに勉強部屋は与えない。親と一緒に学習できる。どんな形でも学習してよい。これで、勉強部屋はリビングになった。
子どもに対して、感情的に叱っても、何にもならない。
このように、とても合理的かつ実践的な答えがあり、これなら私だってやれそうだと思えてくる130の問いと答えです。これで4冊目になりますが、本当にたいした母親です。なかなか、ここまではやれませんね・・・。
私自身は、親の援助を受けず、塾にも高校生のときには行かず、通信教育(Z会)と全国(旺文社)模試を受けただけでした。あとは自己管理と執念でしたね・・・。そして、3歳上の長兄が東大合格したのも大きかったです。身近にそんな兄がいるのは自信を与えてくれます。
(2016年4月刊。1400円+税)

2016年6月 4日

不明解・日本語辞典

(霧山昴)
著者  高橋 秀実 、 出版 新潮社 

日本語って、ホント、意外に難しいのですよね。この本を読んで、つくづくそう思いました。
しあわせ・・・「しあはす」の名詞形、めぐりあわせ、運命、良い場合にも悪い場合にもいう。ええっ、幸福のことじゃないんですか・・・。
すみません・・・御礼の言葉が進化したもの。あなたに、このようなことをしていただいては、私の心が安らかではありませんというもの。
ごめんなさいは、御免なさい。つまり、免じてください。許してくださいと、はっきり相手に許しを請う。すみません、あやまる、おわびは、あくまで自分の問題であって、いうなれば、ひとりよがりにすぎない。
秘密とは、隠すためのものではなく、広めるための知恵。秘密にしたほうが話は広まりやすいということ。秘は俗字で、実は誤字。正しくは、「秘」と書く。神を表わす「示」と「閉じる」の意符である「必」を組み合わせたコトバ。
バカを「馬鹿」と書くのは、単なる当て字。「バカ」は梵語(サンスクリット語)から直接きたものではない。梵語の愚者の意の語を漢字で表意的に表記したものを、日本で、ボカ・マカラ・バッカラカなどと読み、これを略意したりしてバカの語が生まれた。もともとは僧侶が隠語としてもちいていたコトバ。
日本という漢字も実は意味がよく分かっていない。「日本」とは「倭」の枕詞を「日本(ひのもと)」と言い、やがて「日本」を「倭」と同じく「やまと」とよんだが、外国人には「倭」を「やまと」とよませ難いから、「倭」のかわりに「日本」と書いて、ニッポンまたはニホンと読ませた。
世の中には知らないことが、まだまだ実にたくさんあることを思い知らされた本でもありました。
(2015年11月刊。1400円+税)

2016年5月28日

日本の食文化史

(霧山昴)
著者  石毛 直道 、 出版  岩波書店

 私が小学生のころ(昭和30年代前半)、わが家の食事は丸いチャブ台に家族全員が向かってとるものでした。イスに座って、ではありません。畳に座って、です。
 チャブ台の語源は定説がないそうです。明治の初めころ、横浜の開港場では、「横浜英語」が話されていた。恐らくピジン・イングリッシュの類でしょうね。そこでは、食事をとることを「ちゃぶちゃぶ」と言った。そして、食堂を「ちゃぶちゃぶや」と表現した。それから、外国人相手の食堂を「チャブ屋」と呼んだ。チャブ屋で使用するダイニング・テーブルをチャブ台と言い、これが、畳の上の食卓をさすことになった。
 うひゃあー、こんな歴史があったのですか・・・。
 いま、我が家はテーブルとイスです。やっぱりイスは便利です。足がしびれることがありません。最近は小料理屋に行くと座席でも堀ごたつ式で、足が伸ばせますよね。畳だと足を投げ出さなくてはいけないので、困ります。
日本料理の盛りつけの美しさは、世界でも知られている。立体的な盛り付け。左右対象形ではなく、食べる者から見て、左が高く、右が低い不等辺三角形の構図とする。
和洋折衷の食器をそろえた日本の台所は、世界で一番食器の種類の多い家庭の台所となっている。
 日本の箸は、中国のそれとは異なり、先端が細く作られているので、ちいさな食物もつまむことができる。日本人の食卓作法で、いちばん重視されるのが、この箸の使い方。食卓における箸の使い方には、さまざまな規則がある。食事作法は「箸にはじまって、箸におわる」とまで言われている。
 弁護士のなかにも、箸をちゃんと使えない人が意外に多くて、驚かされます。これは親の責任ですよね。私は三人の子にしっかり教え込みました。小さいころに何回も訓練させたら、すぐに身につくものです。
 日本には、全国に72万軒の飲食店がある(2006年)。日本は、世界のなかでも高密度に飲食店が分布する国である。そして、全世界に日本食レストランが普及している。
 1980年代のフランスには、日本食レストランは50店。ところが、2011年には1500店。
2006年に、ロシア全土に日本食レストランが500店だった。2010年には、モスクワ市内だけで600店ある。
 マンガ、アニメ、自動車、オートバイ、電気製品とならんで、日本食が「クールジャパン」の一翼を担ってる。
日本の食糧自給率はわずか39%。ところが米だけは95%の自給率。食パンは1%、中華めんは3%、うどん62%、そば11%となっている。
お米はカロリー源、そしてタンパク質の補給源。だから、かつて日本の農民は1日1.5キロの米を食べていた。
 紀元前後の日本の総人口は60万人。それでも、縄文時代の人口の2倍。それが弥生時代に入って、西日本では縄文時代の20倍に増えた。そして、日本人の人口は、明治5年(1872年)に3500万人、大正8年に5500万人になった。
江戸時代には、飲食ガイドブックが発行されていた。1000軒のウナギ料理屋があり、そのうち9軒がおすすめの店として紹介されている。
 いまの私は、肥満気味なので、「糖質制限」をモットーとして、自宅でお米やパンを食べることはありません。もっぱら、おかずのみです。それでも十分に満足しています。
                     (2016年2月刊。3200円+税)

2016年5月27日

コーランの読み方


(霧山昴)
著者  ブルース・ローレンス 、 出版  ポプラ新書

イスラム教は、ばらばらの項目を暗記するようなものではなく、力強い論理的体系の中に信者を押さえ込む。その論理を把握することが重要だ。
イスラム教は、あくまでも人間の側がどのように感じるかどうかとは無関係に、絶対の力をもつ神が人間に命令するもの。人間は、それを信じて生きていく以外に選択肢はない。他に選択肢はないということを知ることで、永遠に確かなものを得たと信者は感じ、安心する。
コーランは、寛容性と攻撃性を同時に備えている。なぜなら、人間と人間社会がそれらを併せもっているからである。コーランは、人間性の相反する側面を包摂するがゆえに説得力をもつ。コーランは、人間の弱さを認めたうえで、神に人間を帰依(きえ)させるという目的に合わせて制御し、方向づけようとする。その意味で、テロがイスラム教と無関係であるとのみ主張するのは、ある意味で神を冒瀆するものだろう。
コーランは、最初から最後まで一度に読むようには出来ていない。
コーランは、人間の力ですべて理解できたと思わせるようには書かれていない。
コーランは、人間の手で書かれたという形式をとっていない。コーランをその口で語ったムハンマドは、信仰者の立場からは、神による啓示を預かって人間世界に伝えた「預言者」であって、コーランを著した人間ではないとされる。
コーランは、他の書物と違って、口承の書である。黙読するよりも、誦みあげられたほうが響く。コーランの読誦を聞くことで、ムスリムは魂への洞察と道徳の導きを得る。
コーランは、純粋な形式によるメッセージなのである。この形式は驚くべき純粋さとともに迫真の力を備えている。
ムハンマドは、一介の商人だった。ムハンマドの出自は平凡である。父親はムハンマドの出生前に死亡し、幼いうちに祖父も亡くした。
ムハンマドは歩くコーランだった。ムハンマドの行動とは、コーランが実践に移されたものである。
女性の権利はイスラム教の精神を規定する中心的なもの。アーイシャ(ムハンマドの妻)が示した範によって、ムスリム女性は勇気づけられ続け、ムスリム男性の敬意を引き出している。
アッラー以外に神はなしと神ご自身が証された。全能にして全知の彼以外に神はなし。神において真の宗教とは、イスラム。
ムハンマドは神の預言者なり。ムハンマドに神の祝福あれ、アッラー以外に神はなし。彼こそは一者にして、並ぶものなし。ムハンマドは神の預言者なり。
ムハンマドは僕(しもべ)であったが、主の姿をどこまでも映すことで完全な人間となった。ムハンマドは、「神の光」を伝えるかがり火であった。
コーランには何が書かれているのか、ほんのちょっぴりのぞき見した気のする新書でした。
(2016年2月刊。820円+税)

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