弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2016年5月 5日

ザ・町工場

(霧山昴)
著者  諏訪 貴子 、 出版  日経BP社

 読んで元気の出る、町工場の話です。まだ若い女性社長の下で、若手から70歳すぎまで働いている精密加工業の中小企業での奮闘努力の過程が惜しみなく公開されています。なにより表紙の写真がいいですね。みんな目が生き生きしています。
 社員34人のうち20代が11人、30代が10人、40代が6人、50代以上が7人。ところが、この会社では定年が70歳。65歳になったら給料は20%減だが、70歳までは同額、そして70歳を過ぎても本人が希望するなら働き続けられるといいます。現に70歳すぎの人が3人も働いているというのです。これは驚きましたし、敬服します。前に、アメリカの小さな会社に、そんなところがあったのをこの欄で紹介しましたが、日本でも同じようなことを実践している会社があるのですね・・・。
 それにしても若者が入社して、定着率もいい。そのなかで会社がつぶれることもなく業績を伸ばしているなんて、すごいことです。そこには、どんな秘訣があるのでしょうか・・・。
 未経験者をゼロから育てる。求職者は3か月間、お試し期間として働いてもらい、ハードルを下げる。採用面接は社長がする。そのとき重視するのは、ヒューマンスキルの高さ。誰とでも親しく接することのできるコミュニケーション能力、素直さ、謙虚さ、向上心。このニューマンスキルがあれば、早くから周囲に溶け込み、技術も知識も短期間で習得できる。学歴は一切関係ない。
自分の短所が答えられない人は採用に至らないことが多い。ネガティブに答える人もバツ。後ろ向きの発想では何事も良い方向には進まない。
誰が見ても優秀な人材は、すぐには採用しない。他社を見たうえで、自らの決断で入社した社員は決してすぐには辞めない。
 未経験の新人にも、いきなり本物の製品の加工をさせる。練習では緊張感がないし、集中しないので、一向に上達しない。
入社して1ヶ月間、社長と大学ノートで交換日記をつける。それで毎日の様子を見る。
職場を楽しい雰囲気、居心地のいい空間にする。2年に1回は社員旅行に出かける。
法律事務の活性化にも大いに役立つような内容の本でもありました。
 日本の中小企業の底力を確信させてくれる本でもあります。引き続き、がんばってくださいね。
(2015年6月刊。1000円+税)

2016年5月 2日

自衛隊の転機

(霧山昴)
著者  柳澤 協二 、 出版  NHK出版新書

 先日、著者には福岡でも講演していただきました。防衛官僚のトップ近くにいた体験にもとづき、自衛隊の海外派兵の危険性を力説されました。もちろん、安保法制にも反対です。
自衛隊員の生命を軽々しくもてあそんではいけない、国民の人権を踏みにじってはいけないという信念は強固なものがあり、とても分かりやすい話でした。聞いていて、胸にストンと落ちました。
著者は1970年に防衛庁に入って退官するまで40年間、防衛官僚として仕事をしてきました。2004年から2009年まで、内閣官房副長官補として首相官邸で働きました。
自衛隊の海外派遣は、三つの矛盾をかかえている。その一は、国内で戦うことを前提としているため、補給などの後方支援部隊の規模を小さくしていること。第二に、隊員の心構え。自衛隊員の多くは、人助けのために入ったというもの。第三、憲法との整合性。武器の使用を考えてこなかった自衛隊員が海外で「交戦」など出来るはずもない。
海外警備活動は、これまで3回しか発動されたことはない。これは、あくまで警察行動であるから、自衛隊員が出ていっても、海外公船に対する実力行使はできない。
イラク派遣のときには、アメリカへの付きあいなのだから、危険をおかすまでもないというのが当時の政権の認識であり、これを反映していた。
当時は、自衛官が撃たれることばかりを心配していた。
武器使用は、自衛官個人の権限として想定されているものなので、自衛官個人が一義的に責任を負うことになる。
安保法制ができて、自衛隊のリスクは格段に高まった。軍法のない自衛隊は使えない。
アメリカは、陸戦(陸上戦闘行為)には、ほとほと嫌気がさしている。
日本の自衛隊は、冷戦時代の防衛力に比べて一回り小さい規模になっている。「陸」は18万人から16万人弱へ、「海」は60隻から54隻へ、「空」は430機から340機へとそれぞれ減っている。
現場感覚にもとづき、自衛隊のあり方とその実態について議論がたたかわされた本でもあります。                          (2015年9月刊。780円+税)

2016年4月29日

戦場中毒

(霧山昴)
著者  横田 徹 、 出版  文芸春秋

戦場カメラマンの体験記です。
私には、こんな勇気はとてもありません。危険な、戦場の最前線に出かけて写真をとるのです。まさしく命がけの仕事です。
弁護士も変な人たちから狙われ襲われて命を落とすこともありますが、それは、幸いにしてごくごく例外的なケースです。ところが、戦場カメラマンは、戦場に出かけること時代が命がけです。そして、案内し、安全に誘導してくるはずの現地人に裏切られてしまったら、もうどうしようもありません。
戦場カメラマンになるには・・・。動きまわってばかりでは、集中力が切れ、身の安全も確保できない。めったやたらと動き回らず、まずは周囲の状況を確認する。それから、目の前で起きていることだけを落ち着いて撮る。そんな写真がモノになる。
インターネットとスマートフォンが普及したため、放送・出版業界は根本的な苦境に立たされた。まるで想定外の出来事である。
アメリカにとって、アフガニスタン戦争は、戦死した兵士よりも自殺した兵士のほうが多い。人間の精神は、場所が変わったからといって、電気スイッチのように簡単に切り替えることはできない。
1997年のカンボジア内戦のとき以来、戦場の実情を写真にとってきました。いやはや、まさに日々、生命をかけて写真をとってきたことがよく分かります。私には絶対にできませんが、著者のような人たちがいるおかげで、世間の一断面が居ながらにしてつかめます。ありがたいことです。
(2015年10月刊。1500円+税)

2016年4月27日

民主主義

(霧山昴)
著者  文部省 、 出版  幻冬舎新書

 戦後まもなく、中学と高校でつかわれていた社会科の教科書で、民主主義は次のように説明されていました。安倍首相以下、自民・公明政権の大臣に教えてやりたい内容です。
 民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは間違いである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべて人間を個人として尊厳な価値をもつものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。
 民主主義は、きわめて幅の広い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されていかなければならないものである。
 民主主義は、議員を選挙したり、多数決で事を決めたりする政治のやり方よりも、ずっと大きいものである。
独裁政治になるのを打ち破る方法はただ一つ。それは、国民のみんなが政治的に賢明になること。民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。
国会議員の選挙は、なんといっても最も大切である。国会議員の選挙権は、民主国家の国民の有する尊厳な権利であり、これを良心的に行使することは、またその神聖な責務である。同じ人間が長いこと大きな権力を握っていると、必ず腐敗が起きたり、墜落が生じる。権力が少数の人々に集中しているため、それが薬にならず、毒となって作用する。
 多数の意見だから、その方が常に少数の意見よりも正しいということは、決して言いえない。多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。多数決の方法にともなう弊害を防ぐためには、何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るためであり、安全弁である。
たいせつな政治を、人まかせではなく、自分たちの仕事として行うという気持ちこそ、民主国家の国民の第一の心構えでなければならない。日本人の間には、封建時代からのしきたりで、政治は自分たちの仕事ではないという考えがいまだに残っている。
 しかし、国民は政治を知らなければならない。政治に深い関心をもたなければならない。全体主義は、すべての国々の主権と安全を等しく尊重するのではなくて、「わが国」だけが世界で一番すぐれた、一番尊い国家であると考える。ほかの国々はどうなっても、自分の国さえ強大になればよいと思う。そこから、自分の国を強くするためには手段を択ばないと言う国家的な利己主義が出てくる。外国を武力でおどしたり、力ずくで隣国の領土を奪ったりする侵略主義である。全体主義は戦争の危険を招きやすい。
 およそ、悲観と絶望との中からは、何もうまれてはこない。困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかを工夫し、努力することによってのみ、創造と建設とが行われる。国民こぞっての努力に、筋道と組織とを与えるものが民主主義なのである。
 まことに現代日本の状況にふさわしい「民主主義」を語る教科書です。1948年10月に刊行されたとはとても思えない新しさです。法哲学者の尾高朝雄や大河内一男などが執筆したと聞くと、さもありなんと合点がいきます。
250頁ほどの新書ですが、ずっしり重たい、感動的な内容です。ぜひ、手にとってお読みください。
(2016年1月刊。800円+税)

2016年4月15日

ルポ 塾歴社会

(霧山昴)
著者  おおた としまさ 、 出版  幻冬舎新書

私も小学4年生から塾に通いました。英語を勉強しはじめたのです。寺子屋のような小さな教室でした。英才教育なんていうものではありません。講師によるゼロ戦の話しか記憶に残っていません。同じころ珠算教室にも少しだけ通っていました。そして、中学生になると3年間、それなりの塾でした。高校の現職教師が講師でした。高校に入ってからは通信教育(Z会)のみでした。塾に行かなくても自分なりの勉強法が身についていたのです。
この本は、中学受験塾として一人勝ち状態にあるサピックスと東大合格請負塾として有名な鉄録会に焦点をあてて、その実際を紹介しています。
中学受験では、昔から有名な四谷大塚日能研を押しのけて、サピックスが圧倒的な存在感を示している。開成中学の定員300人に対して、サピックスからの合格者は245人。8割を占める。関西の灘中学については、募集定員180人に対して、浜学園が93人で、2位の日能研49人のダブルスコアとなっている。灘高の生徒4分の1は、鉄緑会大阪校に在籍している。
東大理Ⅲ(医学部)の合格者の6割以上が、鉄緑会出身者で占められている。
鉄緑会では、6年間かけて、ギリギリ合格ではなく、上位半分の位置で余裕をもって東大に合格できる労力を身につけさせる。
サピックスにも鉄緑会にも、受験勉強の達人みたいな生徒がいて、まわりからも一目置かれていた。ところが、30歳を過ぎた今、彼らにかつての輝きが感じられない。意外にパッとしない。これは私の実感でもあります。全国の受験の上位ランクで名前だけ知っている同期生が、まったく冴えず、久し振りに名前を目にしたら「自由と正義」の懲戒欄だったということも体験しています。
小学校に入る前からとか小学校低学年から「公文」に入って、処理能力を身につけている子が多いようです。でも、処理能力だけで物事に対処してきて、深い思考ができていなかった。司法試験では処理能力の高さだけでなく、深い理解が求められている。
大学に入るまで塾に頼り切る生き方は、もしかしたら、何かを深く思考する能力を奪ったのかもしれない。
せっかく東大法学部に入ったのであれば、「町の弁護士」ではなくて、大企業の法務を請け負うような仕事をしないと「負け」だと考える東大出身の弁護士がいる。私は、これって、可哀想な、発想の貧困さを本当に残念に思います。大勢の人々のなかで、生き、草の根から民主主義を盛り立てていく仕事こそやり甲斐があると、私は心から確信しています。
天下の灘や筑駒の出身者に限って、大人になってからは意外に普通の仕事に就いている人が多い。
てっとり早く「正解」を得ようとしたがる。正解らしきものを得ると、安心して思考停止に陥る。サピックスは、簡単な問題で原理原則に気づかせたうえで、類題演習をくり返し、徐々に問題のレベルをあげ、複雑な問題の中にも同じ原理原則が活用できることを体感させる。
灘関校ほど単純な計算問題や知識量を問う問題は出題しない。単なる知識の詰め込みでは太刀打ちできないようになっている。
サピックスで出される大量のプリントを整理するのは親の役割。スケジュール管理も親の役割だ。
親子の会話が豊富で、親と一緒に物事を考える習慣のついている子が求められる。受け身になる癖がついている子は、ついていくのが難しい。
サピックスは、討論型の受領と復習主義。予習をさせずに復習に重点を置く。それは授業に集中して、授業の中でできるだけ吸収してほしいから。復習主義のほうが学習効率はいい。
学力の高い子にはいいけれど、そうでない子がサピックスに通ったときには、弊害も大きい。
鉄緑会の講師は全員が鉄緑会出身者。東大や灘関医学部の卒業生。鉄緑会はベネッセグループの子会社。
板書したものをノートに書き写す。このひと手間が数学においては絶対に必要。解説プリントを読むだけではダメ。自分の手を動かすこと。
鉄緑会に入ると、目の前に東大医学部の学生を何人も見る。誰だって合格できると言う成功体験が空気のように漂っている。この空気を毎週吸い込めることこそ、鉄緑会に通う最大のメリット。
鉄緑会に向いているのは、処理能力が高く、量をこなせる子、要領よく手を抜いて、帳尻を合わせるのが得意な子。処理能力が低いのに、手を抜くことが出来ない子が鉄緑会に入ると、学校の勉強までうまくいかなくなり、自信を喪失してしまう心配がある。
なるほど、なるほど、そうなのかと得心のいくところが多い本でもありました。かなり経済的に余裕ある家庭でないと東大には入れないということでもありますね。
(2016年2月刊。800円+税)

2016年4月 8日

ドキュメント銀行

(霧山昴)
著者  前田 裕之 、 出版  ディスカヴァ―・トゥエンティワン

日銀がマイナス金利を発表したあとに起きた三つの出来事。その一つは、家庭用金庫が急に売れ出して、在庫のないホームセンターが続出したこと。その二は、金貨が売りきれて店頭から姿を消してしまったこと。その三は、デパートの会員券が飛ぶように売れていること。月1万円ずつ支払っていると、1年たったら12万円ではなくて13万円の商品券がもらえるのです。こんな高い金利なんて、今どき考えられません。多くの人が飛びつくのも当然です。ただし、そのデパートでしか買い物できません。したがって、デパート買い物族というレベルの家庭でしか通用しません。
銀行が次々に合併して名前を変えてしまったので、何が何やらわからなくなってしまいました。この本は、銀行の最近の変遷を追って、いったい銀行とは何者なのかを追求しています。庶民にとっての銀行の存在意義は何なのかという視点が弱いように感じましたが、それも日経新聞の記者(編集委員)だから仕方のないことなのでしょうか・・・。
大和銀行ニューヨーク支店で起きた1100億円という、とてつもない巨額な損失事件。これが、たった一人の銀行員がやったことだというのです。私が驚いたのは、それほどの損失を出しても大和銀行は倒産しなかったという事実です。しかも、アメリカ政府から360億円もの罰金が課せられて、すぐに全額を一括で支払ったというのです。いやはや、銀行の超巨額資産には声も出ません。このとき、銀行経営者の責任が法的に追及されたこともないようです。まことに不可思議な銀行世界の闇です。
借主に「誠実で優しい銀行」だという評判は、銀行にとって必ずしもほめ言葉ではない。
多くの国民は、自分は銀行に対する債権者であるという意識をもたず、銀行は現金の保管場所であるという感覚だ。
融資ほどおいしい商売はない。貸出金利と預金金利の利ざやか決まっていれば土日に銀行が休んでいても、安定した金利収入が入ってくる。
銀行(支店)に来て、公共料金の振込をする人は、銀行に収益をもたらす顧客ではない。ATMコーナーを利用するだけの顧客も同じ。顧客の待ち時間をゼロにしても、銀行の評判を良くするかもしれないが、それで銀行の収益が向上するわけではない。かえって余分なコストが発生するかもしれない。
銀行は、妙にプライドの高い人たちの集団である。
かつて日本には大手の信託銀行が7行あった。
金融機関にとって、投資銀行業務は、使いこなすのが難しい危険な武器だ。
銀行同士の合併は、昔から日常茶飯事である。銀行の歴史は、合併の歴史だ。
日本には1901年(明治34年)に2258もの銀行があった。それが、昭和初期(1939年代)には、1500行になった。地方銀行は1945年に53行、戦後それが64行になって、現在も64行のまま。旧相互銀行からの第2地銀は1989年に68行あったのが、現在は41行。
銀行の本質は金融仲介業であり、仲介業務には巨額な利益は必要ない。
相続は地域外への資産の移動を伴うことがある。親が地方、子どもが首都圏に住んでいると、相続資産は地方から首都圏へ移転する可能性が高い。今後10年間で地方の相続資産238兆円のうち、21%の50兆円は、子どもの住む3大都市圏へ移転する。首都圏だけでも10年間に36兆円が流入する。これは、毎年丸ごと1行の地銀が首都圏にやってくるようなものだ。
既存の銀行では、ATMの維持費が手数料収入を上回り、完全な持ち出しになっているところがほとんど。セブン銀行は、ATM業務を進化させ、人件費や物件費をできる限り抑えて運営しているので、収益を確保している。
ゆうちょ銀行の総資産は208兆円(2015年3月末)。総貯金残高は177兆円。貯金残高はピーク時の260兆円に比べると減っている。それでも、ゆうちょ銀行の貯金残高は、3メガバンクそれぞれの預金残高をはるかに上回っている。ゆうちょ銀行は、この巨額資産を有価証券を中心に運用している。その大半が国債だ。
顧客が一番相談してはいけないのが、銀行の窓口だ。というのも、銀行が熱心に販売している投資信託や保険は、銀行に入る販売手数料が大きく、必ずしも顧客の将来の資産形成を真剣に考えているわけではないからだ。
銀行の窓口に相談するのは危険だというのは、税務署と同じですね。いずれにしても、自分のことしか考えていませんから、とんだ火にいる夏の虫ということになりかねません。
日本の銀行の最近の歩み・変遷についての概説本です。勉強になりました。

(2016年2月刊。2400円+税)
 庭にアイリスの花が咲きはじめました。黄色と白の気品のある花です。チューリップは雨と風がひどくて、かなり散ってしまいました。でも、まだこれから咲こうというチューリップもいます。
 雨が降ったおかげでしょうか、アスパラガスが3本のびていました。店頭に並べて遜色のない太さのもあります。春の味が楽しめます。
 先日、家の前の道路をキジが歩いていました。鮮やかな色をしていましたので、オスでしょう。初めてのことで驚きました。

2016年4月 6日

悲素

(霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  新潮社

和歌山カレー事件の解明に関わった医師を主人公とする小説です。
さすがに現役の医師が書いていますので、医学に関する所見や症状などは専門的です。ヒ素と青酸、タリウムそして食中毒との違いもよく分りました。
和歌山カレー事件が起きたのは1998年7月25日のことですから、もう20年近くも前のことになります。死刑判決が確定していますが、主犯の女性は再審請求しているようですので、判決に納得はしていないようです。
この本の主人公はヒ素を研究している九大医学部の教授です。地下鉄サリン事件にも関わったようです。
食中毒は、通常の食物の中に潜む病原菌が食品中や体内で繁殖して毒素を出し、病気をひき起こす。そのため、経口摂食から発症まで、時間を要する。吐き気に襲われ、腹痛と下痢が始まるのは、寝入る前か夜中。あるいは明け方だ。
これに対して青酸中毒は、吐き気やおう吐、腹痛といった生やさしい症状ではない。高濃度の青酸だったら、数秒以内に意識が消滅し、15秒以内に呼吸数が増し、30秒以内にけいれん発作に襲われる。いずれにしても、短時間で呼吸停止する。
ヒ素中毒事件として有名なのは、森永粉ミルク事件だ。製造過程にヒ素が混入していて、1万2千人をこえる子どもに被害を与え、死亡した子も130人にのぼった。もう一つは、宮崎県の土呂久(とろく)公害。
ヒ素そのものは、自然界に広く分布している。フローベールの『ボヴァリー夫人』には、ヒ素の急性中毒の症状が生々しく記述されている。フローベールは、父も兄も医師であり、少年時代を病院内で過ごした。タリウムの急性中毒の特徴は、なんといっても頭髪の脱毛。それこそ、ごっそり抜ける。
ヒ素、タリウム、アンチモンなどの中毒をしたときには、爪に「ミーズ」という名のついた白い線があらわれる。全部の爪の真ん中あたりに、ハシからハシまでつながっていて、真中あたりが少しふくらんでいる。
中世ヨーロッパでは、上流階級の奥方が夫を死に至らしめようとしたことがしばしば起きている。そのときに使われたのが、このヒ素。ヒ素の入った水を1日5,6滴ずつ夫に飲ませていくと、食欲がなくなり、全身懈怠感が出てくる。体重が減って、衰弱していく。数か月後、ろうそくの火が消えるようにして絶命する。
 当時、亜砒酸は容易に入手できた。なぜなら、化粧品として、脱毛剤として愛用されたから購入は簡単だった。
亜砒酸の特徴は、無味・無職・白色。すぐには症状があらわれない。ほんの耳かきいっぱいで、人を死に至らしめる。
ヒ素が含まれているのは、主として銅鉱石。銅を製錬する過程で、副産物としてヒ素が出てくる。
このカレー事件について、その動機は解明されていない。動機が明確にならないまま、死刑判決が出た。
動機をふくめて、なんとか全容を解明してほしいものです。540頁もの大作です。3月の休日に半日かけて一心に読みふけってしまいました。

(2015年7月刊。2000円+税)

2016年4月 2日

少年の名はジルベール

(霧山昴)
著者  竹宮 恵子 、 出版  小学館

 私より少しだけ年下のマンガ家による半世紀です。『地球(てら」へ・・・』とか『風の木の詩』で有名ですが、その内容に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。マンガって、馬鹿にできないと、つくづく思ったことでした。
 今ではマンガ家を卒業(?)して大学教授であり、学長です。すごいです。尊敬します。著者の良きライバルとして登場してくる萩尾望都は福岡県大牟田市出身として紹介されています(ちなみに、著者は四国・徳島出身で、徳島大学を中退)。前にもこのコーナーで紹介していますが、私の母が萩尾望都の母親と女学校(福岡女専)が同じで親しかったので、私は、その母親そっくりの萩尾望都の近影に驚いています。
 著者たちは、「大泉サロン」と呼ばれる古ぼけたアパートでマンガを描き続けたのです。20歳から22歳までのことです。「24年組」とも呼ばれています。1949年生まれということですね。1970年代少女漫画の基礎を築いたのでした。
中学2年生、14歳でマンガ家を目ざした。週刊誌の連載を目標とした。すごいですね。中学2年生のとき、人生の目標をもっていたなんて・・・。私なんか、いったい自分は将来、何になるのかな・・・。なんて、とんと見当もつきませんでした。もちろん、司法界とか弁護士なんて、考えたこともありません・・・。マンガは読んでいましたが、それこそ「イガグリ君」の世界です。中学時代に読んだ本と言えば、山岡壮八の『徳川家康』くらいしか思い出せません。それから、有名人・偉人の伝記は小学校以来、学校の図書室で借りて、よく読んでいました。
 萩尾望都が、親の反対を押し切って、上京してきたとき、マンガ道具と布団と当面の衣類だけだった。そりゃあ、親は反対するでしょうね。自分の娘がマンガ家になると言って、家を出ていくというのですから・・。
 著者も萩尾望都も、映画を1回みただけで、映像を、そのまま丸ごと視覚的に記憶できた。うひゃ~っ、こ、これはすごいですね。こんなこと、並みの人間には絶対に不可能なことです。やはり、常人にない才能をもっているのですね・・・。
 そんな著者にもスランプが訪れたのです。しかも、3年間。それを著者たちは45日間のヨーロッパの旅行を経て乗り越えたのです。まだ、22歳でした。
 私も初めて海外へ行ったのが30代前半だったと思います。それから、年に1回は海外へ出かけようと心に決めました。日本を深く知るためにはいったん身を海外に置いてみることが必要だと感じたからです。
ボーイズ・ラブの世界に挑戦した著者は少女漫画に新しい天地を切り拓きました。
 そして、担当の編集者とのバトルが生々しく紹介されています。このバトルも、著者を鍛えたもの一つだったのでしょうね。
 あらためて、著者の作品をみてみたくなりました。
(2016年2月刊。1400円+税)

2016年3月31日

安保法制の正体

(霧山昴)
著者  西日本新聞安保取材班 、 出版  明石書店

 西日本新聞で連載していた安保法制の問題点が一冊の本になりました。
 「安保法に反対と言うけど、国民はすぐに忘れるよ」
アベ政権の側は、そう思って期待しているようです。それが現実にならないよう、新聞人として「知らせる義務」に汗をかき続けたい。その思いで走りまわった成果が、この本に結実しています。ですから、一人でも多くの人が本書を手にして、記者の労苦にこたえ、さらに励ます必要があると思いました。
アフガニスタンで今もがんばっている中村哲医師(ペシャワール会)は、こう言っています。
 「平和には戦争以上の力があり、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要だ」
 ドイツはアフガニスタンへ国連の国際治安支援部隊(ISAF)として最大5000人を派兵した。それは、戦闘には直接かかわらない治安維持のはずだった。ところが現実には、何回となく戦闘に巻き込まれ、第二次世界大戦後はじめて本格的な地上戦を経験したドイツ兵となった。その結果、アフガンでのドイツ軍の殉職者は事故死や自殺をふくめて55人。戦死者も35人にのぼった。殺し殺される戦闘ストレスから帰還兵1600人がPTSD(トラウマ)を負った。
 ドイツ人の画家は、記者にこうこう語った。「日本が戦後、海外で一人も殺さず、殺されずにきたことを恥じる必要はありません。誇るべきなんです」 
 私も、本当にそう思います。平和な国・ニッポン。この平和ブランドを自民・公明の安倍政権が汚れた手で黒く塗りつぶそうとしています。とんでもありません・・・。
日本の自衛隊が、アメリカでアメリカ軍と一緒になって戦闘訓練をしている。カルフォルニアの砂漠地帯です。明らかに中東での戦闘を想定した訓練です。
そして、自衛隊は今度、アメリカ軍海兵隊のつかう水陸両用車「AAV7」を計52両、2015年度だけで30両も導入する。1両6億円。うひゃあ・・・。国立大学の授業は年間40万円とか、どんどん値上げして日本の若者を苦しめているのに、軍事予算のほうは気前よくアメリカの高価な兵器をどんどん買っているのです。
「AAV7」って、実は、日本では使い勝手がいかにもわるい。サンゴ礁や岩礁の多い島には向かない。水上では時速13キロなので、攻撃を受けやすい。船酔いがひどくて、上陸直後は戦えない。海でつかうたびにアメリカ本土へ持ち帰って分解整備が必要。
まるで役に立たないおもちゃ、みてくれだけのバカ高い代物ですね、これって・・・。
弾道ミサイルを迎撃して撃ち落とせるはずはありません。それは鉄砲のたまを鉄砲で撃ち落とすようなものなんです。できっこありません。それを、出来るかのように多くの国民をペテンにかけて導入したのが「PAC(パック)3」です。福岡県内に4隊あるというのですが、危険なおもちゃの類です。ところが、この役に立たないシステムになんと国は1兆円もかけています。つまるところ、軍需産業を喜ばせているだけです。そして、自衛隊高級幹部の天下り先の獲得には確実に役立っています。私たちの税金が、こんなにしてムダに使われているのかと思うと腹が立ちます。それより、もっと人を育てるほうに、福祉のほうに税金をつかってほしいものです。
 この本にも、中村哲医師の活躍ぶりが少しだけ紹介されています。砂漠と荒地に水を引いて、緑の農地に変えていくという苦難の取り組みです。なんで日本政府は、もっともっとこんな活動に力を入れないのか、援助しないのか不思議でなりません。中村哲医師のレポートを西日本新聞で読むたびに元気をもらう者として、この本にも紹介されていて、うれしく思いました。
日本が国際社会から求められているのは武力ではなく、この中村医師のような平和的貢献だと確信するのです。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。


(2016年2月刊。1600円+税)

2016年3月29日

病める社会、相談現場から

(霧山昴)
著者  ふくみつ 洋一 、 出版  くらしの相談センター

 横須賀市内で、くらしの相談センターを営んできた著者のすさまじい活動が活字になっています。今の日本社会のかかえている問題点を生々しく紹介した貴重な記録です。
 私は、本書を読みながら、北九州市小倉北区で同じような活動をしていた西辰雄さんを思い出しました。西さんも、著者とまったく変わらず、いろんな生活相談を受けていました。大変な苦労を伴う活動だと思うのですが、いつもひょうひょうとした物腰で、疲れを見せませんでした。
 「不況で勤め先が倒産。ハローワークに通っても求人はない。50歳を過ぎると、足を棒にして探しても就職先は見つからない。いま3人家族で、妻のパート給料の6万円で暮らしている。お先、真っ暗。どうにもならない」
 「下町で事業をしていたが、共同経営者は蒸発。膨大な借金をひとり背負って倒産。59歳だが、妻は半年前に心筋梗塞で死んで、家賃も半年分滞納している。追い出されたホームレスになってしまう・・・」
 「小学生2人をかかえた40代のシングルマザー。求人広告を頼りに面接に出かけても、子どもかかえた40代の女性は雇ってもらえない。今月中に支払わないと、電気・ガスも止められてしまう」
 「生活保護を受けようと思って保護課に行くと、病気で働けないという医師の診断書がなければ、と断られた。週3日、パートで働いている。もっとたくさん働ける仕事を探してから来るように言われた。そう言われても働く場所なんて見つからない」
 1ヶ月に100人ほどの相談を受けたことがあった。新規相談だけでも50人。平均して月30件の新規相談。土曜も日曜も休みなく、平日だって夜7時からスタートすることがある。一人の相談時間は平均して2時間。DVについて、親子をまじえて5時間かけたこともある。午前10時から夜8時すぎまで、びっしり。昼食が3時ころになったこともある。
 不誠実な人、利用するだけしようという人には突き放すこともある。しかし、ほとんどの人は、悩み、苦しみ、すがる思いでやって来る。なので、どんなに疲れていても、疲れた顔を見せれられた信頼関係が成り立たない。どの人とも対等平等に話し合う。
 事務所を維持するのに月30万円はかかる。すべてカンパに頼る。 
 「眠れなくなった。食欲もない。パートの仕事は出来なくなった。自殺も失敗した・・・」
 「ケータイ料金を支払えずに止められた。ケータイがないと仕事も見つからない。ケータイを買うお金がない」
 「ネットで知り合った男性と同棲するようになった。事業資金が足りないというので、親戚のおばさんを騙して借金して貸してやった。男性は、お金をもち逃げした。男に騙されていたことが分った・・・」
 本当に深刻な相談のオンパレードです。それを20年以上も受け止めてきたのです。偉いですね。ゆっくりおやすみください。
 横須賀の根岸義道弁護士から押し売りされた本です。いい内容なので紹介したくなりました。
(2015年10月刊。1500円+税)
 わが家の庭はすっかり春満開となりました。色とりどりのチューリップがたくさん咲いています。朝、雨戸を開けるのが楽しみです。朝のうちは、三角おむすびのような形をしていて、昼には花が開いています。ハナズオウの木が小豆(アズキ)のような豆粒の花をたくさんつけ、アスパラガスが採れはじめました。春の香りを口中に感じる楽しみは、まさしく春を満喫していると実感します。
 団地のソメイヨシノも満開です。
 ビックリグミの木にとまってウグイスが澄んだ声で高らかにホケキョと鳴いているそばで、メジロが一心に花の蜜を吸っています。春は本当にいい季節です。花粉症さえ出なければ、、、。

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