弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2016年3月26日

夜中の電話

(霧山昴)
著者  井上 麻矢 、 出版  集英社

 私のもっとも尊敬する現代作家である井上ひさしの貴重な言葉が記録されています。娘(三女)に対するものです。
自分の不幸さえも幸せに転化させる術、「書くこと」を見つけた父。中年期以降は本来が明るい性格だったのだろう。とても楽天家だった。
 癌とたたかっていた父は、なるべく大好きな鎌倉の家に戻りたいと思っていた。なるほど、竹林を見ていると、心が落ち着く。
 父は死ぬのが怖いので、人はいかに死んでいくのかを戯曲に書いてきた。病院嫌いだし、そうとう怖かったと想像できる。父は、よくも悪くも真面目な人だ。
 父は元気になったら書く演目を決めており、それをいつから書き始めると計画を立てていて、強い意思をもっていた。
 父は、生真面目なので、新しい家庭ができると決まった日から、娘たち3人とは一線を引いた。この事実も、娘たちには、大きなショックとしてのしかかった。
 父にとっての幸せは作品を書くことだった。父とは行楽に行くこともなかった。父は眠る時間さえなかったのだから、子どもとの会話など、あろうはずもない。父は、忙しくて書斎にこもってばかり。机に向かって書いている父には、誰ひとり声をかけられなかった。
 立食パーティに行ったら、食べ物を食べないこと。どんなにお腹が空いていてもダメ。私も、いくら高い会費を払っても、立食パーティでは食べないようにしています。それは、どれだけ食べたのか分からない食べ方はしないようにしているという、ダイエットの一環であると同時に、話すべき相手をつかまえて談論することを優先させていることによります。それがうまくいったときには手にした赤ワインが2杯、3杯となって酔いを感じてしまうのです。やはり、空きっ腹にワインは良くありません。
まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと書く。
 井上ひさしの偉大さは、こんなにも分かりやすく課題を提起していることにもあります。
言葉は、お金と同じだ。一度だしたら元に戻せない。だから、慎重に、よく考えて使うこと。
 絶対に成功するという強い心をもつことは、逃げ道をつくらないで進む覚悟にも通じる。
 後ろ向きな言葉を言うときには、一日、置いてみる。仕事でも恋愛でも家族でも、決定的なことは最後まで口から出さない。
言葉は、自分が身につけられるものの中で、もっとも重要なもの。仕事場に行くとき、気分が落ち込む原因は、その場所で自分の立ち位置がよく分かっていないからだ。
 井上ひさしが作品を書くために膨大な資料を調べたのは、想像力をかきたてる下準備だ。調べてはじめて想像することが容易になる。
 プロというのは、自分で決めたことは、どんなことがあっても実行してしまう、強い魂の持ち主を言う。
 交渉時は、まず相手にしゃべらせること。仕事では、まず相手の話を聞くこと。人間は、自分の意見を聞いてくれた人には、割と素直になれる。
突然「こまつ座」を率いる立場になった井上ひさしの三女の話です。井上ひさしも偉いですが、三女である著者もすごい、すごいと感じながら読了しました。
(2015年12月刊。1200円+税)

2016年3月25日

東芝・不正会計

(霧山昴)
著者  今沢 真 、 出版  毎日新聞出版

 東芝といったら、経団連副会長の企業。いわば日本を代表する企業です。その東芝で最高トップ連中が醜い派閥抗争のあげく、違法な「利益」を操作していたというのです。許せません。そして、自らは手がうしろにまわるような犯罪行為をしているくせに、経団連は子どもたちに学校で道徳教育をもっとやるべきだと声高に叫びたてています。いったい誰を手本としろというのでしょうか。まさかアベ首相ではないでしょうね。「東芝の社長のような立派な人になれ」と子どもたちに言うのですか。とてもそんなこと言えませんよね・・・。
 不祥事を起こした大企業の株主総会のときには、役員はズボンの下に大人用のおむつをつけて壇上にあがる。今では、これが常識となっている。というのは、質問に答えるべき役員がトイレに行っていて答えられないというのでは困る。とくに議長をつとめる社長がトイレだといって退席したら、株主総会は中断してしまう。そして、中断した時に株主が帰ってしまって議決ができなくなったら大変なことになるからだ。
 うひゃあ、トイレ休憩もとれないのですか・・・。ちっとも知りませんでした。東芝なんて、自業自得ではあるのですが・・・。
 東芝では、トップ(社長)の指示のもとで、たった3日間で119億円もの利益操作が行われた。佐々木社長(当時。経団連副会長)は、4年間にパソコン部品の押し込み販売による利益水増し額が654億円に達した。
 ここから言えることが少なくとも二つあります。一つは、こんなインチキをしているといことは、まともに税金を支払っているはずもないということです。それなのに、アベ政権は法人税の減税を強引にすすめています。もう一つは、会計法人なんて無用の長物だということです。情けない存在です。
 東芝で利益水増しが組織的に行われていた背景には「上司に逆らえない企業風土」があると指摘されている。いやな企業社会ですね、これって・・・。
 結局、東芝は過去6年間に1500億円もの利益水増ししていた。そして、最終的には5500億円もの赤字をかかえる会社だと発表された。ここまでデタラメしても、東芝の元社長たちはのうのうとしています。刑事責任が厳しく追及されるべきではないでしょうか。
 私は、弁護人としてスーパーの万引き(常習)事件をよく担当します。わずか1000円とか2000円の被害で懲役1年というのが珍しくありません。それと対比させると、東芝の社長たちだったら、懲役20年とか30年が相当なのではないでしょうか。
そして、東芝はウェスチングハウスというアメリカの原発企業をかかえているのも問題です。日本政府が原発を海外へ輸出しようというのに東芝も乗っていますよね。これまたとんでもない無責任な行動です。日本国民を裏切るものです。
自分たちの金もうけのためなら、何でもやっていいという企業風土を根絶してほしいものです。

                              (2016年2月刊。1000円+税)
 

2016年3月21日

ペコロスの母の贈り物

(霧山昴)
著者  岡野 雄一 、 出版  朝日新聞出版

 『週刊朝日』に連載されたペコロスのマンガが本になっています。
 著者は長崎に戻ってタウン誌の編集長になってから、認知症になった母親のエピソードをマンガで紹介しはじめたのでした。
 父親は酒におぼれ、家庭内暴力がひどかったようです。それで、母親は若いころ裸足で家を飛び出して逃げたりしていたのです。
 そんな父親が、認知症になった母親の前にとてもいい感じのお爺ちゃんになって現われるのです。そして、それが息子である著者のトラウマを癒し、リハビリの時間になっていくのでした。
 母親の口癖がいいですね。「生きとかんば!」というのです。生きておきなさい、っていう言葉ですよね。
いろいろ大変なことがあっても、あきらめずに生きていこう。そしたら、いつかきっと、良いことがあるさ、という楽天的な言葉です。
 飲んだくれの暴力父は、実は、若いころにはアララギ派の短歌をよんでいたそうです。斉藤茂吉のあとの土屋文明にケンカを売っていたとのこと。
 著者のマンガは、そこはかとないペーソスを感じさせ、味わい深いものがあります。
(2016年1月刊。1200円+税)

2016年3月16日

この国の冷たさの正体

(霧山昴)
著者  和田 秀樹 、 出版  朝日新書

 衝撃的な内容の本です。でも、ホント、そうなんだよね、いつの間に日本はこんなに冷たい国になってしまったのか・・・と思いました。
 著者は、それは小泉元首相のときに始まったと言います。そして、テレビが冷たさを増幅させた共犯だと厳しく糾弾しています。テレビを見ない私ですが、まったく同感です。
 「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と38%もの日本人が、そう考える。アメリカ人は28%。でも、ほとんどの先進国では10%でしかない。うへーっ、そ、そんなに日本人って弱者に冷たいんですか・・・。これで、日本を愛せよ、なんて無理な注文ですよね。それにしても、あのアメリカより日本が冷たい国になっているだなんて、これまた大ショックでした。
 この15年間で、日本社会は一変した。企業では年功序列や終身雇用がなくなり、大型店が繁栄する裏で個人商店がバタバタとつぶれていった。そして、働く人の非正規雇用が4割をこえる。弱者が増える一方で、何億円という資産をもつ富裕層は日本でも続々と生まれている。
 そして、その仲立ちをしているのがテレビ。テレビは、弱者とは関わりたくないという感情の増幅装置になっている。
 弱者が、自分より弱い立場の人間を攻撃することで、自分の不安を解消している。
 安倍首相の言う「一億総活躍社会」というのは、「働かない人間を許さない」という社会のこと。これは戦時中の日本を想起せざるをえない。
 テレビは常に画一化された情報をたれ流し、視聴者の認知的成熟度を低下させている。
 ヨーロッパの消費税率はたしかに高い。しかし、それは医療費が無料、大学までの教育費もタダといった手厚い福祉を支えるためのもの。だから、国民は納得している。ところが、日本では福祉予算が切り捨てられ、軍事予算が増大しているなかで、消費税率のみ上げられている。とんでもないことです・・・。
 高い消費税はヨーロッパ並み、お粗末な福祉はアメリカ並み。これでは困ります。
弱者である国民が、日本では「自己責任、自己責任」と言いつのる。この自己責任という言葉は、強者の責任のがれにすぎない。自己責任をもち出すことで大きなメリットを得ているのは強者である。自己責任を真面目に守っているのは、弱者だけ。自己責任論でものを考えたり、行動したりすることから決別する必要がある。そうでなければ、人生を強者のいいようにされてしまう。
 日本人は、世界から奇異な民族だと見られている点が二つある。その一つは、借金が返せないから自殺すること。もう一つは、借金を返すために強盗すること。強盗したお金で借金を返すなんて、世界中の人はありえないと考える。
 弱者を叩いて、一時的に「正義の味方」になるというのは、百害あって一利なし。強者と一緒になって弱者を叩くと、結局のところ、自分にはね返ってくる。
日本人は、世界一、自分を責めがちな国民だ。
 テレビは、日本人の単純化思考に拍車をかけている。テレビは、思考のパターンを単純化させる装置だ。テレビは、エビデンス(証拠)にもとづく議論をする場ではなく、大多数の視聴者の感情に迎合するのが大前提のメディアなのだ。
 50代の精神科医の指摘には、いちいちもっともだとうなずくばかりでした。
(2016年3月刊。720円+税)

2016年3月15日

牛肉資本主義

(霧山昴)
著者  井上恭介 、 出版  プレジデント社

  日本人が「吉野家」で安い牛丼を食べられなくなる日が近づいているようです。
  この本を読んで私が一番すごいと思ったのは、日本でも野放しにして飼育した「野生牛」がいること、そして、完全放牧酪農があるということです。アメリカ流の成長ホルモン漬けの牛肉だけでは困ると思います。「野生牛」というのは、エサは牛が食べるのにまかせるというものです。ですから、肉は今より少し固めになります。それでも、かめばかむほど味わい深いものがあります(あるそうです。私は残念ながら、まだ食べたことはありません)。あまりにも、薬(成長促進ホルモン剤など)に頼った牛肉は、いずれ良くない結果を人間にもたらすこと必至だと思うからです。
  この本を読んで認識したのは、牛肉争奪戦が世界的規模で始まっているということです。その主役は、言わずと知れた中国です。なにしろ、スケールが違います。いま、私たち日本人は「爆買い」の恩恵をいささか受けています(私の住む町までは、まわってきていません)が、よくよく考えると、それは、私たちの食生活を根本から脅かしかねないレベルの話なのです。なにしろ、ケタ違いの数量なのですから・・・。
  いま、中国人のビジネスマンは、牛肉がもうかりそうだというので、投資の対象としている。日本の牛丼屋は、アメリカ産バラ肉に頼ってきた。安く手に入り、味も触感もいい。それがショートプレートだ。ショープレと呼んでいる。
  中国では、これまで「肉」と言えば、豚か鶏だった。しかし、今では、牛がそれらより先に来る。昔の硬い牛肉ではなく、輸入された柔らかい牛肉だ。中国では、いま空前の牛肉ブームが起きている。だから2013年に、牛肉輸入量は、中国が日本を追い越した。
  そして、それは豚でも同じ。世界の半分を中国が食べるという豚肉でも同じで、2013年にアメリカ最大の豚肉加工業者を中国企業が47億ドルで買収した。
  日本は牛肉をショートプレートしか買わないが、中国は、牛を丸ごと買うので、売り手は日本より中国を好む。
中国で「牛肉いため」は800円するのに、日本では牛丼は300円代でしかない。
札幌のジンギスカンは羊肉だが、その羊肉のニュージーランドからの仕入れ価格が3割も上がった。ニュージーランドの農家からすると、同じ面積なら、羊より牛を飼ったほうが、5倍以上も利益が違ってくる。
  何でも安ければいいという発想を変える必要があります。そして、食料の自給率の向上とあわせて、食の安全というのにもっと私たちは気を使う必要があると思いました。

(2015年12月刊。1500円+税)

2016年3月12日

仕事のエッセンス

(霧山昴)
著者  西 きょうじ 、 出版  毎日新聞出版

著者は予備校(「東進ハイスクール」)のカリスマ教師のようですね。
人にとって働くことって何なのか、仕事するってどんな意味があるのかを根本に立ち帰って考えてみた好著です。いろんな仕事があることを改めて思い知らされます。
スペインでは、生活苦から卵子を売る女性が増えている。1回10万円もらえるけれど、大量に薬を飲んで、全身麻酔で手術をうけるなど、時間がかかり、苦痛をともない、身体面のリスクがある。
日本人にも、タイや韓国に渡って卵子を提供するドナーが100人以上もいて、1回60~70万円の謝礼をもらっている(2011年)。
タイで、代理母による男女産み分けを利用する日本人夫婦が年間100組以上いる。
介護士は、賃金の低さと仕事量の多さ、きつさから、離職率が他よりも高い。
同じ作業であっても、自分のしていることに意味を見出せるかどうか、大きな心理的違いを生む。
東北新幹線の車内販売員は平均して7~8万円の売り上げなのに、なんと片道で54万円を売った人がいる。そして、別の販売員は、全400席の乗客に187個の弁当を売った。弁当の注文を受けたとき、彼女は「お土産でしょうか?」と尋ねる。すると、客は弁当を土産にできることに気がついて弁当を買い求める。こんなわけです。
お客様の視点に立つ。自分のしてほしいことを相手にしてあげる。客の心を読み、その行動を予測する。なーるほど、ですね。たいしたものです・・・。
私は幸いにもしたことがありませんが、「宮仕えは辛いもの」です。ところが、フリーランスになったら、よりひどい隷属状態になることもありうるわけです。ですから、軽々しく会社を辞めるべきではないと著者は強調しています。これだけブラック企業があって、若者をとりまく雇用環境が悪化しているのだから、学校教育のなかで、身を守るすべや働くリスクまで教えるべきだ。そのとおりです。 
好きで、個人がワーカホリックになっていくのではない。職場にそれを生み出すからくりが幾重にも埋め込まれている。そのシステムに踊らされながら、人は、それを自分が選んでいるという錯覚に陥っている。
英語力の習得とグローバル化というのは、ほぼ無関係だ。私もまったく同感です。英語が話せるかよりも、人間力のほうが大切だと思います。
諸外国では大学卒業の平均年齢は25歳なのに、日本だけが22歳。高校を卒業したらすぐに大学、そして大学を卒業したら、すぐに就職するというのは日本だけ。日本はとても不自由な国。しかも、日本では大学に100人が入学したとして、12人が中退し、13人が留年し(私も1年だけ留年しました)、残る75人のうち就職できるのは45人で、3年続くのは31。 
新卒で正社員として入社し、できる限り長く勤めあげるのが正しい人生なのだ。それができない者は落伍者だ。これは、昭和の幻想的な教訓であって、そんなものに今どき縛りつけられる必要はない。
就活自殺が、2007年から2013年までの7年間で218人にのぼる。これは、いかにも悲惨な事態である。
仕事すなわち自己実現という等式は捨ててしまったほうがいい。仕事を続けるうちに、それが自分のしたいことと一致し、周囲にも認知されるようになることで自分も満足感を得、環境もより良くなっていく、そういうこと地味に続けることで人に必要とされ役に立っているという喜び、幸福感を高めていく。
仕事とは、自分と社会を持続的に接続するものであり、積極的に選択できるもの。仕事から「はたらく」(「はた」を楽にする)喜びを得られるようになると、「はたらく」ことで自他ともに幸福感を与えられる。そうして、自分が安心して生活できるコミュニティを形成し、維持することにつながる手段となりうる。
著者は、日々、苦労と工夫をしながら生き、そして考えている人なんだろうな、そう共感しながら読了しました。

(2015年11月刊。1350円+税)

2016年3月 9日

日本はなぜ米軍をもてなすのか


(霧山昴)
著者  渡辺 豪 、 出版  旬報社

  著者は『沖縄タイムス』の記者を17年間つとめていました。
  沖縄にいたら見えるもの。それは、日本が戦争に負けた国であるということ。沖縄では、敗戦と占領の残滓が日常にあふれ、日本がアメリカに従属している現実と否応なしに向き合わされる。
  日本の政府中枢そして中央官僚は、アメリカの意向を忖度(そんたく)して自発的に隷従するという、信仰にも似た強固な意識や価値概念に支えられている。彼らには、アメリカの威光を背景として、既得権益の保持や権力の強化を図る意図が働いているのでは・・・。
  日本の敗戦後、GHQの間接占領によって温存されたのは、天皇制であるとともに、官僚機構である。
日本は、憲法76条によって軍事会議を設置することができない。世界中で、軍法会議をもたない唯一の軍隊が自衛隊である。
  政権中枢と防衛省サイドには、辺野古で甘やかすと、次は嘉手納基地の返還を求めてくるだろうから、辺野古で譲歩するわけにはいかないと本気で考えているようだ。
  うひゃあ、お、おぞましい発想ですね。まさしくアメリカの奴隷の発想です。独立国日本の官僚ではありえません。恥を知れ、そう言いたくなります。
  アメリカ軍への思いやり予算が始まったのは1978年度で、このときは62億円だった。それが、2015年度は、なんと年1899億円にも達している。このほかにも、年に5000~6000億円ものお金をアメリカ軍基地を維持するために使っている。
  これではアメリカにとって、こんなにおいしい日本の基地を手放すはずがありません。
巨額の「思いやり予算」による恩恵を在日米軍に付与してもなお、アメリカへの従属的な対応から脱しきれていないのが、日本の実情だ。しかし、この「思いやり」の強要が、あたかも自発的意思にもとづくかのように、ならされているのは、日本政府だけではない。それは日本国民についても言えること・・・。
  大半の日本人は、アメリカ軍の基地があるという、意識することが不快な事実から目をそむけている。
  対米コンプレックスよりも、多くの日本人には対中国コンプレックスがある。他国の軍隊が長期間にわたって駐留し続けることから生じる、独立国家としての理念や制度の崩壊、そのことで生じる国民の犠牲や痛み、屈辱といった精神性の毀損をすべて、「カネでかたのつく問題」に転換して処理してきたのが、戦後日本の統治システムの本質だった。
  たしかに沖縄から日本本土を見ると、日本という国の本質が良く見えるのですね・・・。それにしても寒々とした光景です。


  
(2015年10月刊。1500円+税)

2016年3月 3日

おひとりさまの最期

(霧山昴)
著者  上野 千鶴子 、 出版  朝日新聞出版

 著者は私と同じ団塊世代です。団塊世代の私たちにも、いよいよ死が身近なものとなってきました。といっても、20代、そして50代のうちに亡くなった知人も一人や二人ではありません。老後をいかに過ごすのか、どうやって死を迎えるのかは、それぞれ重大な課題になっています。
 おひとり様の数は増え、2013年には、高齢者世帯の4世帯に1世帯が単身世帯である。それに夫婦世帯が3割。両方を合わせると、5割以上。いまや、子と同居している世帯は3割台でしかない。
著者は、本当のことを言えば、死んだあとのことなんて、気にしちゃいないと書いています。私も同じです。宇宙のチリの一つにしかならないし、いずれみんなそうやって宇宙を漂っていく存在なのです。だから、宇宙に本当に果てがあるのかどうか、今から気になるのです・・・。
 おひとり様人口は、これからも増えるし、これから先は、病院でも施設でも死ねなくなる「死に場所難民」が増える。
日本人の最新の平均寿命は、女性は86.83歳、男性が80.50歳。6歳も違うのですよね。それでも、男性も80歳を超えたのですね・・・。仕事人間、社会人間ばかりではなくなった、ということでしょうか・・・。
日本人の死に場所として、病院が80%、在宅が13%、そして施設が5%。
末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフィンが出て、モルヒネと同じ作用をする。だから、苦しくはない。これが老衰のときの大往生。その自然死の過程に、医療は余計な介入をしないほうがいい。
病院では、死は敗北。しかし、高齢者施設ではゴールであり、達成。
住宅をただのハコとは考えるべきではない。記憶や経験が詰まった、暮らしの場。身体の延長のような装置系。
在宅医療には、病院にはない不思議な力がある。在宅では、医療職の想定をこえた「奇跡」がいくつも起きている。なんでもない日常が、家族にとって、かけがえのない時間となる。
本人が強い意志を持たない限り、周囲が意思決定して終末期は病院に送られてしまう。
 日々の暮らしとは、口から食べて、お尻から排泄して、清潔を保つことの日々の積み重ね。食事介護、排泄介護、入浴介護というのが三大介護。
生きるとは、迷惑をかけあうこと。親子の間ならとめどもなく迷惑をかけてもかまわないと共依存する代わりに、ちょっとの迷惑を他人同士、じょうずにかけあう仕組みをつくりたいもの。
そうなんですね。もつべきは相互に支えあう人間関係なんですよね・・・。老後を真剣に考えされられる本でした。
(2016年2月刊。1400円+税)

2016年3月 2日

ふしぎな君が代

(霧山昴)
著者  辻田 真佐憲 、 出版  幻冬舎新書

  私は、君が代をまともに歌ったことなんて、一度もありません。歌詞も嫌ですが、なにより、あの暗さがたまりません。晴れの儀式に暗い、心を沈ませるような歌を強制するなんて、付きあっておれません。君が代は法律で国歌と定められましたが、どれだけの日本人が愛着をもっているでしょうか・・・。
  学校での強制は、とんでもないとしか言いようがありませんが、会社でも実社会でも、こんな歌を斉唱するなんて、ないのではありませんか・・・。
  この本を読んで、君が代について、いくつも新発見をしました。君が代という歌を日本人が広く国歌として歌っているのは、戦前も末ころのことなんですね・・・。そして、国歌斉唱を義務付ける国なんて、ごくごく例外なのですね。
  日本政府は、戦前、君が代を国歌だと明らかに宣言したことはなかった。君が代が日本全国に行きわたるには、かなり長い時間がかかった。
  君が代は暗いという批判は既に明治34年には出ていた。君が代の歌い方は、昭和になってようやく統一された。君が代が神聖不可侵のシンボルとなったのは、昭和12年(1937年)の国定教科書以降のこと。つまり、全国の教育現場で、君が代が明確に位置づけられたのは1937年以降でしかない。これって終戦(敗戦)まで、あとわずか8年しかありませんよ・・・。
  今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と明言しています。素晴らしい明言です。まったく同感です。
  サッカー選手の中田英寿が、「国歌、ダサイですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前にうたう歌じゃない」と言ったそうですが、私も同感です。やめてよ、という感じです。
  欧米の先進国で国歌斉唱が義務づけられている国はない。例外なのは、中国と韓国。だから日本は、中国や韓国にならっているだけ・・・。
  古歌「君が代」はおめでたい歌として、日本文化に根付いていた。そして、この「君」は天皇に限らず、「将軍家」でもありえた。
  君が代の作曲者は、日本人の奥好義を原作曲者としつつ、フェントン、林広李、エッケルトなどの合作だった。フェントンはイギリスの軍楽隊長だった。エッケルトはドイツ人。
  君が代って、英独のセンスが入った歌なんですね・・・・
  ともかく、子どもたちに学校で君が代の斉唱を強制するなんて、愛国心を育てるどころではない愚行そのものだと思います。

                (2015年7月刊。860円+税)

2016年3月 1日

無戸籍の日本人

(霧山昴)
著者  井戸 まさえ 、 出版  集英社

 現代日本社会で戸籍がなく、住民票もなかったら、人が生きていくのは大変です。
 私は弁護士として、住民票がなくて生活している人には何回も出会いました。たとえば、夫のDVがひどくて逃げている人、サラ金の取立に脅えて住民票はそのままにして夜逃げした人などです。子どもの学校は住民票がなくても転入できるようになっています。もう30年ほど前から、そうだと思います。
 ところが、そもそも戸籍がないという人がいるのです。中国残留孤児の話ではありません。日本で生まれ育ているのに、学校にも行かず、大きくなった日本人がいるというのです。私は、弁護士として、そんな人に出会ったことはありませんし、そんな人がいるとは夢にも思っていませんでした。この本は、日本人として生まれながら戸籍のない子どもが生まれる過程(からくり)を明らかにしています。いかにも残酷な現実を知ることができました。
 著者は、県会議員や国会議員(民主党)になったこともある女性です。
 ノンフィクションですが、物語風になっていますので、問題の所在がよく分ります。著者がこの問題にかかわるようになったのは、離婚したことから自分の産んだ子どもが無戸籍になったことによります。
 戸籍がなければ住民票がつくれない。すると、生活するときに致命的な困難をもたらす。義務教育を受けるのが難しい。健康保険証がないため、病気のとき、全額が自己負担となる。選挙権はないし、銀行口座もつくれず、正式に就労することができない。生きていくうえでの、ありとあらゆる不都合や不安に直面せざるをえない。
 無戸籍の日本人は法務省の調査で680人。しかし、1万人はいるのではないか・・・。
 これは、大変な人数です。社会問題とすべき人数ですよね。
 成人の無戸籍者が働ける場は、水商売、ラブホテル、パチンコ業、風俗業など、限られている。親が不明のときには、就籍という手続きがある。かえって、簡単だ。
 民法772条によって無戸籍の子どもが生まれる。しかし、決してそれだけではない・・・。
 無戸籍の人が戸籍をもとうとするとき、役所は疑ってかかる。たとえば、指紋を求める。そこで、ひっかかる人が出てくる。犯罪もしていないのに、なぜ指紋を取られるのか・・・。
 そんなことするくらいなら、もう戸籍なんていらない、と考える人がいる。
 なんとなく、その気分は分かります。でも、ないと不便なのですから、ちょっとガマンできませんか、と思ってしまいます。
 そして、身勝手な親や性同一障害の人たちの話となると、涙なくしては読めない辛い人生の歩みとなります。日本の壁のあつさを感じさせる本でもありました。

(2016年1月刊。1700円+税)

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