弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2016年5月24日

安倍政治と言論統制

(霧山昴)
著者  「週刊金曜日」編 、 出版  金曜日

NHK、テレビ朝日、TBSという大手3社のそれぞれの看板番組のメインキャスターが同時に降板するという出来事は、決して偶然のことではなく、メディアを思うままに操ろうと目論む安倍政権と、それをむしろ歓迎するような社会の一部の風潮で引き起こされた。
NHKには籾井という独善的かつ強権的な特異なキャラクターをもつ会長がいることから、組織運営のルールから逸脱した意思決定が繰り返され、その結果、現場に混乱と疑心暗鬼を生みだして組織自体が崩壊しかねない危機的状況に陥っている。
NHKの内部では、誰も暴走する籾井会長を止めようとしないばかりか、自らの保身のために籾井会長に迎合したり、ひたすら頭を下げて沈黙し、嵐が過ぎ去るのを待つような幹部職員ばかりになってしまった。全国のNHK職員あいだに不安と不満が充満し、現場の土気は著しく低下して、自由で創造的な番組制作など、とても出来る雰囲気ではなくなった。
アメリカの駐日大使であるケネディは、従軍慰安婦問題での発言にみられる籾井のような人物が会長であるNHKのインタビューは受けたくないと言って断っていた。
NHK政治部の岩田明子記者は安倍首相のタイコ持ちのような存在のようです。残念ですね。権力への批判的な視点を欠いたジャーナリストなんて、存在価値がどれほどあるのでしょうか・・・。
官邸は、リアルタイムでテレビ番組をチェックし、即行で脅かしをかける。
菅官房長官は、昼も夜も、テレビに出るようなキャスター、コメンテーター、有識者と食事を共にしている。そして、彼らを持ち上げ、味方につけている。
安倍首相のほうは、もっと大々的にメディア幹部との会食を重ねている。毎日、朝日、日経、サンケイ、NHK、フジテレビなどの会長・社長・政治部長らが対象。まさしく、常連だ。
日本の今の政治は、政党交付金と小選挙区制によって完全に歪められていますよね。
この本によると、それらの制度をつくったのは小沢一郎であり、安倍首相は一番の思恵を蒙っているとのことです。
こんなひどい制度は、どちらもすぐに止めるべきだと思います。政党が国民の税金で支えられるなんておかしいです。そして、とりあえず以前のような中選挙区制に戻し、いずれ完全比例代表制にしたらいいと思います。
それにしても、今の籾井会長って、あまりにも下品で、知性がなさすぎて、恥ずかしい限りです。一刻も早く、こんな人間は更迭すべきです。といっても、次の会長が同じようなことを上品にやられても困るのですが・・・。
(2016年3月刊。1300円+税)
今年もホタルが飛びかう季節となりました。わが家から歩いて5分くらい先の小川でホタルを見ることができます。そっと手のひらに乗せてみます。ふわっふわっと飛びながら明滅するのが、なんとも言えません。
 地震お見舞いということで、北海道から見事なグリーン・アスパラガスをいただきました。実害こそありませんでしたが、本当に怖い思いをしました。まだ震度6級の余震がありそうだというので、恐れずおののいています。
 しょうぶの花が終わりましたので、せんていバサミで刈って庭をすっきりさせました。ピンクのアマリリスが今年はちゃんと咲いてくれました。そして、意外なところに紅いツバメ水仙が花を咲かせました。ほれぼれするほど見事な色と形です。

2016年5月23日

悩ましい国語辞典

(霧山昴)
著者  神永 暁 、 出版  時事通信社

 『舟を編む』(三浦しおん)は辞書編集作業の苦労話として、とてもよく分かる本でした。
 36年間、ほぼ辞書編集一筋に生きてきたという著者は、この『舟を編む』という本を高く評価しています。
 それにしても、20年かけて20万項目の辞典をたった一人で完成させようと計画する人が、この世の中にはいるのですね。いったい、どうやってその20年間、メシを食べていくのでしょうか・・・。不思議でなりません。辞書の編集をする人に、誰が高額(でなくても)の報酬を支払うのでしょうか、ついつい心配になってしまいます。
 20年かけて20万項目を執筆するということは、1日に33語について何か書かなくてはいけない計算です。有名な「オックスフォード辞書」も、1日30語ほど執筆したとのことです。ともかく、健康で長生きしなければ出来ないのが辞書編さんですよね。
 辞書編集者の主な仕事の一つは、時代とともに思いがけない形で変化していく言葉の諸相を観察していくこと。その変化し続ける言葉を、どの時点で切り取り、それをどう記述するのかが、まさしく辞書編集者の腕の見せどころだ。つまり、言葉の変化を観察していくのが辞書編集者の主な仕事の一つである。ところが、残念なことに、辞書では変化の結果だけしか記載できないことが多い。一番スリリングな変化の過程を記述することは難しい。
 その変化の面白さが本書で紹介されています。「あばよ」は、幼児語が元になって生まれ、いまだによく使われている。「あばよ」は江戸時代に使われ始めている。
 お母(かあ)さんは、江戸後期に上方(関西)で使われるようになって、明治36年の国定読本(教科書)で一気に全国に普及した。お父(とう)さんも同じ。
「おはよう」と同じような言葉として、「おひなりましたか」「おひんなりまいたか」というのがあるそうです。「おひる」とは、貴人が眠りから覚めること。おひる(お昼)なるは、お起きになるということ。「お夜(よる)」という貴人がお休みになるというコトバもある。
 体格のいい人のことを、「がたいがいい」というのは、比較的新しいコトバだ。
 同じように、「がっつり」というのも新しいコトバである。「ざっくり」というコトバは最近よく使われますね。これは、2008年から辞書にのっているコトバです。大ざっぱという意味のことばです。
 スコップとシャベルは、東日本と西日本とでは反対。東日本で大型のものをスコップ、小型のものがシャベルと言い、西日本では大型のものをシャベル、小型のものをスコップと言う。
 「すばらしい」というコトバは、江戸時代には、ひどいとかあきれるという意味で使われていた。
 「真逆(まぎゃく)」は、2004年の流行語大賞の候補になったほど新しいコトバ。
 「まじ」というのは、江戸時歳からあったコトバ。
 漢字のふりがなという意味のルビは英語だけど、英語にルビはない。あくまでも日本での呼び名でしかない。
 コトバが生きているということを、辞書編集者の立場から、実証的に解説していて、とても勉強になりました。
(2016年3月刊。1600円+税)

2016年5月21日

灘・東大理Ⅲの3兄弟の母が教える中学受験


(霧山昴)
著者  佐藤 亮子 、 出版  カドカワ

 私自身も、私の三人の子にも「中学お受験」なんて考えたことはありません。
 この本を読むと、楽しく勉強して子どもが伸びていく、そして勉強は楽しいと思える接し方があるんだなと実感させられます。著者をけなすネット社会での声もあるようですが、それは著者の本をきちんと読んでいないからではないのかなと、私は考えています。
 子どもと一緒に楽しい勉強を続ける秘訣が満載なので、読んで損をすることはありません。なにも著者のやったこと、言っていることを全部が全部、実践することはありません。自分でもやれそうだな、そう思ったところをやればいいんじゃないでしょうか・・・。
 受験は、ラクに楽しく、そして絶対に合格のがポイント。なるほど、なーるほど、そうですよね・・・。
 子どもたちの受験勉強の世界には一切登場しないパパは優しい性格です。私も同じ弁護士として、よく知っていますが、パパが中途半端に関わらないで、ママ(妻)をバックアップするのに徹したことが良かったのだと思いました。
 私も小学4年生から近所の塾に通いましたが、何のための塾なのか、よく分からないまま、続けました。著者の長男も同じです。著者は、初めにこう言いました。
 「うちは中学受験は考えていないから、いやだったら、すぐにやめていいわよ」
 ところが、長男は、塾からニコニコ顔で帰ってきたのです。「楽しい、楽しい。算数の問題が面白い」と言って・・・。私も小学生の算数のツルカメ算などを学び、それなりに面白いと思いましたが、塾はそれほどの刺激はありませんでした。
著者は、10年間にわたって、中学受験生の母の生活を続けたのです。偉いですね、タフですね。なにしろ、一日の睡眠時間が3~4時間というのでも、倒れることなく続けたのですから・・・。
 人間の価値は、その人の地位や職業とは関係ないと考えて生きてきた。ただ、その子のもっている能力を最大限に生かしてあげるように育てたいと考えた。
社会人としていい仕事をするには、基礎知識や思考力が不可欠だ。
 ちょっとずつ成績を上げていく戦法。惜しくも間違った問題を正解することで、ちょっと点をあげるようにする。
 子どもにとって、本当に頼れる道連れになるためには、点数が悪いときこそ、寄り添ってしっかり手をぎゅっと握ってやる。
他の子と比較するのではなく、我が子のできない部分を見直して、子どものレベルを上げるしかない。我が子のことだけを考えればいい・・・。
きれいすぎるノートは、ムダ。受験は効率が一番。
 元英語教師の著者は、早期の英語教育には意味がないという考えです。私も同感です。大事なのは英語力より国語力。論理展開する力を身につけること。この点は、私もまったく同じ意見です。英語はダメ、フランス語が少しばかり(フランスで旅行するのが、なんとかなる程度)話せる私ですが、なんといっても論理的展開力こそ必要なものだと痛感しています。
 今回も後輩の佐藤弁護士に贈呈(実は、強要しました)を受けて一読しました。あなたの子育てに役立つヒント満載の本として、おすすめします。
(2016年3月刊。1300円+税)

2016年5月19日

漫談で斬る、自民党改憲案

(霧山昴)
著者  小林 康二 、 出版  新日本出版社

 老後、定年退職したあと、何をするか、それが問題です。そして、そんなことは40代や50年代では考えられません。ましてや、30代のときなんて、発想の外でしかありません。
 ところが、時は等しく、あっというまに過ぎていきます。私も、はっと気がついたら、還暦なんて、とっくの昔のこと。今や、古稀が近づきつつあります。うひゃあ、お、おとろしい・・・。
 定年を楽しく過ごすための三条件。その一、健康でなければ自由は手に入らない。70代も後半の著者は週に3回もジムに通い、1時間半は汗をかいている。その二、じぶんのやりたいこと、課題・目標・夢を明確にして、その実行ノートを枕元に置く。大切なことは継続。その三。すこしばかりのお金を確保しておく。妻に退職金を全額渡してはいけない。
 私は、週一回のスイミング。30分間に自己流のクロールで1キロを泳ぎます。これで体調が分かります。その二、毎日の書評ノートを15年以上続けていますし、ときどき本にまとめています。その三、お金も少しばかり自由になるお金がありますので、出版したり、本の広告を出したりしています。
 著者は労働組合一筋で生きて31年間。55歳のときに組合専従を勇退し、笑作家として演芸の世界に入った。そから21年たつ。全国に励ますの笑いを届ける「笑工房」を設立してからも18年がたつ。この18年間、9人の作家で、100本以上の新作をつくってきた。売上はトータルで3000万円、かの吉本興行に、あと499億7000万円だけ足りない。「あと一息」というところ・・・。まあ、ものは言いようです。
 台本を書くときの注意は三つだけ。あまりに非実現的だと、客が引いてしまう。やたらギャグを連発すると、作品の質が低下する。メッセージを詰め込みすぎると、理屈くさくなって、面白みに欠けてしまう。
 戦後の日本国憲法になってから今日までの70年間に、日本は一度も戦争をしたことがない。ところが、明治憲法が制定されてから、第二次世界大戦が終了するまでの56年間に、日本は海外で8回、平均すると7年に1回の割合で戦争をしてきた。
 アメリカは、もっと好戦的で、1950年の朝鮮戦争以降、2013年までの63年間に、30回以上、平均すると2年に1回は戦争や紛争を起こしてきた。
 そして、日本に協力・加担するように求めてきたが、日本政府は9条を口実として断ってきた。
 国のやるべきことは、戦争になったらどうするか、なんていうことではなく、戦争にならないようにする、そして地方自治体への、きめこまやかなアフター・フォローではないでしょうか・・・。
 大阪の大川真郎弁護士からプレゼントしていただきました。笑いながらケンポーを学べる内容になっています。

(2016年4月刊。1200円+税)

 熊本に行ってきました。驚きました。JR熊本駅でタクシーに乗ろうとしたら、タクシーが1台もいないのです。結局、20分以上も待たされました。今、保険会社が損害(被害)査定のために1日2万5千円でタクシーを借り出しているこのあおりを受けて、まちを走るタクシーが不足しているのです。
 熊本城の周辺を走りましたが、見るも無惨に石垣や建物(塀)が崩れていました。
 そして、あちこちの民家に赤紙が貼られていました。それでも行くところがないので、なかに住んでいる人もいるとのことです。
 余震がまだ続いていますので、本当に熊本は大変だと思いました。少しでも復興の力になりたいと考えています。

2016年5月17日

ルポ・老人地獄

(霧山昴)
著者  朝日新聞経済部 、 出版  文春新書

有料老人ホームは高くて入れないために、無届け有料老人ホームが増えている。
2025年問題が迫りつつある。戦後生まれの団塊世代が2025年には75歳以上の後期高齢者となり、高齢者の医療や介護の問題が深刻になる。
最近、定員10人までの小規模デイサービスの事業者が、「お泊まりデイ」と呼ばれるサービスをすることが急増している。それは、単純計算で月々300万円が事業者の収入になるから。
厚労省によると、2013年度までの7年間に、通常のデイサービスが5千ヶ所ふえたのに、小規模は1万1000ヶ所も増えた。
特別養護老人ホーム(特養)には、なかなか入れない。全国に8000施設、定員50万人というが、入居待ちしている人も同じく50万人はいる。
特養や老健施設において、職員による「虐待」が2割弱で起きている。その背景には、人手不足と過重労働がある。そこからくるストレスが「虐待」につながっていくのです・・・。
サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)は、特養の不足などに対応するため、2011年に制度が始まった。1部屋あたり100万円。建設費の補助や税の軽減があるため、制度が始まってから全国で6000棟の19万戸に増えている。
東京では退院後の行き場がない高齢者が多くいる。都外は安く施設をつくれるので、所得の高くない高齢者を救うことができ、それがビジネスにもなる。つくば市が「サ高住」の入居者を調べてみたら、都内23区で生活保護を受けている人ばかりだった。
受け入れ先のない高齢者が増えている。とりわけ深刻なのは、認知症の高齢者だ。
65歳未満で認知症を発症する若年性認知症も3万8千人の患者がいる。
介護職は、深刻な人手不足にある。人手不足のため職場環境が悪化し、さらに人が減っていくという悪循環に陥っている。
介護の現場では、介護福祉士の資格が重視されているとは言い難い。
介護は人件費の割合が高いため、経営者としては人件費を下げたくなる。しかし、それは人を大切にしないことになるので、結局は人が集まらず、うまく回らなくなる。
介護の現場では、好景気とは裏腹に経営難と人材不足が深刻化している。
社会福祉法人の一部では理事長たちが高齢者を食いものにしている。ファミリー企業を通じて巧みに規制を逃れ、巨額の利益を手中にしている社会福祉法人の幹部たちがいる。
若者と同じように老人も大切にされる社会であってほしいものです。大企業本位、なんでも自己責任の社会では弱者が切り捨てられるばかりで、夢もチボー(希望)もありません。
(2016年2月刊。780円+税)

2016年5月13日

経済的徴兵制

(霧山昴)
著者  布施 祐仁 、 出版  集英社新書

 自衛隊の退職者も志願者も減っている。2014年度の自衛隊の総退職者数は1万2500人。2013年の1万1939人より500人以上も増えている。そして、2014年度は志願者も減った。2013年度の3万3534人から、2014年度は3万1361人と2000人以上の減少。
 これらの減少には、2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定が影響している。
 国立大学の学費は、1970年(昭和45年)には年1万2000円だった(月1000円)。それが、今や年50万円となっている。物価が3倍なのに、学費は45倍にもなっている。これは国の予算の使い方が完全に間違っています。人材育成にお金を使わず、ムダな軍需産業にテコ入れしているのです。お金がないのではなくて、お金のつかい方が間違っています。
 韓国、北朝鮮、台湾、ロシアは徴兵制をとっている。中国は実質的に志願制になっているが、制度としての徴兵制は残っている。
 ヨーロッパでは徴兵制を廃止ないし停止している。ベルギー、オランダ、フランス、スペイン、イタリア、ポーランド、スウェーデン、ドイツ。
 アメリカは、1973年に選抜徴兵制から完全志願制に切り替えた。ベトナム戦争で、アメリカ人青年190万人が徴兵された。拒否して起訴されたのは2万5000人。
アメリカ軍は黒人の比率が高い。陸軍では28%が黒人だ。アメリカ連邦議会の議員のうち、軍務についている子弟をもつ者は一人しかいない。
アメリカの若者が軍に志願する理由は、一に奨学金、二に医療保険。日本も、だんだんアメリカに状況が似てきましたよね、心配です。
 入隊して1年間に月100ドルを納めたら、2年以上の軍務経験で、最大6万ドルの奨学金がもらえる。うひゃぁ、これって大きいですよね・・・。
 アメリカでも陸軍の援用目標を達成できていない。そのため、新兵の質は著しく低下した。それは、ドイツでも同じこと。新兵募集に苦しんでいて、目標未達成が続いている。
 日本の自衛隊にも、経済的動機から志願する若者が少なくない。
もし戦争が起こったら、国のために戦うかという質問に対して、「はい」と答えたのは日本は15%のみで、世界78ヶ国のうちで、断トツで最下位だった。そりゃぁ、そうですよね。アベ首相のいう「美しい国・ニッポン」のため死んでこいと言われても、なぜ、どうして私が・・・と考え込んでしまいますよね。
 自衛隊に入る若者が多いところは、貧困率が高い地域だ。それは、青森、北海道、宮崎、熊本、鹿児島、長崎、大分、佐賀と続いている。九州各県は福岡を除いて多い。
「経済的徴兵制」の何が問題なのか・・・。それは、国土防衛ではなくて、富める者たちの利益のために行われる海外での戦争で、貧しき者たちの命が「消費」されることにある。それは、不正義というしかない。使い捨てにされてよい人間など、この世界には存在しない・・・。
徴兵制だってありうるのが、今のアベ政権ですよね。貧困のために軍隊に入って、殺し、殺され、戦場から無事に戻ってきてもPTSDなどのため廃人同様になる。考えただけでもゾゾっとします。
(2015年1月刊。760円+税)

2016年5月12日

安倍晋三「迷言」録

(霧山昴)
著者  徳山 喜雄 、 出版  平凡社新書

 「貼られたレッテルを(国会の)審議期間の中だけでは取り去ることができなかった。結果を出していくことでレッテルをはがしていきたい」
 「(戦争法だなんて)デマゴーグ(扇動)だということを国民に説明していきたい」
 いずれも、安倍首相が安保法制に反対する国民の声に弁明・反論して言ったものです。このような紋切り型で攻撃的な言葉を羅列し、反対意見には耳を貸そうとしない。これが安倍首相の一貫した姿勢である。
 集団的自衛権について、憲法上は権利があるのに行使できないということは、禁治産者は財産に対して権利があっても行使できないというのと同じ。つまり、内閣法制局の理屈からすると、日本はいわば禁治産者なのか・・・?
 安倍流の言葉には3つのパターンがある。一つは断定口調。「戦争に巻き込まれることは絶対にない」「徴兵制は、まったくありえない。今後もない」。
もう一つは、「私は」というコトバをつかわずに間接話法を用いる。
最後は、突然キレてしまう「感情語」。
「われわれが提出する法律についての説明は、まったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」
総理大臣が言うことが「まったく正しい」というのなら、それはまぎれもない「独裁政権」である。
安保法案について、安倍首相は「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」と断言した。しかし、現実に制定・施行された安保法制は、アメリカの戦争に加担することを許している。すると、「巻き込まれる」かどうかというのは、単なる形式的な「主体性」の問題にすぎない。要するに、ごまかしということ。
安倍首相は、2015年9月の採決強行のあと、「国民に丁寧に、分りやすく説明していきたい」と述べた。しかし、本来あるべき説明とは、決める前に合意形成のためになされるものではないでしょうか・・・。
安倍は、日本の戦後史上に国民の意見を聞かず、熊本大震災のあとも原発の稼働中止を命じなかった首長として有名になるのでしょうか。そんなの嫌ですよね。
(2016年1月刊。780円+税)

2016年5月10日

現代史の中の安倍政権

(霧山昴)
著者  渡辺 治 、 出版  かもがわ出版

 安倍首相のやっていることを時代錯誤的な個人的な思いつきと考えるのは、まったくの誤りだ。安倍政権には二つの顔があり、その二つをセットとして実行している。
 その一つは、新自由主義改革の本格的な再稼働。
 もう一つは、アメリカや日本の保守支配層も眉をひそめる侵略戦争肯定論。
 安倍首相の目ざしているのは、復古的な大国ではない。 安倍政権は、国民動員の見地から、植民地支配と侵略戦争の歴史を否定したいという強い衝動をもっている。
アメリカや日本の財界も、安倍政権の評価をめぐって動揺していた。しかし、2013年ころから、割り切って安倍政権を支持するようになった。というのも、これほど野蛮な情熱をもっていなければ、軍事大国化、そして「構造改革」を再建することはできないという判断をしたから・・・。いわば、安倍政権は、現在の支配階級の最大の切り札になっている。
安倍首相に対しては、従来の政権以上に官僚機構が全面的に支援している。
アメリカの世界戦略は変化した。イラク・アフガニスタンへの派兵そして戦争は、二つの結果をアメリカにもらした。一つは未曽有の財政赤字。二つには、国民の反戦・厭戦意識の高まり。
オバマ政権の対中政策には、二面性がある。一つは、中国をアジアにおけるパートナーとして位置づける。もう一つは、中国を軍事的・政治的に抑え込もうという路線である。
安倍政権の描いたシナリオに誤算が生じたのは、国民運動の高揚である。
安倍首相が歴史の修正と改ざんの執念を燃やしている最大の要因は、戦後のドイツとは異なって、「戦後」を肯定化する延長線上では、安倍の軍事大国は正当化できないということにある。
安保法制は、国民の側からすると、戦後70年にわって堅持してきた、海外で戦争しないという国是を壊す大転換でもある。
安保法制を施行させない、若い自衛隊員をたとえばアフリカの戦場へ送らないようにする必要があります。
安倍首相の確信犯的な恐ろしさは、このところまさに倍加しています。ひどいものです。にもかかわらず、安倍首相への支持率が4割をこえているなんて、おかし過ぎです。

(2016年1月刊。1800円+税)

2016年5月 9日

文化庁国語課の勘違いしやすい日本語

(霧山昴)
著者  文化庁国語課 、 出版  幻冬舎

 文化庁というと文科省かなと思ってしまいましたが、どうやら違うようです。文科省って言ったら、教科書検定でかたよった意見を押しつけ、教育統制の強化につながる全国学力テストなど、まったく悪いイメージしかありません。
文化庁は、文化財、美術館などを担当している役所で、そのなかに国語の改善と普及を担当している国語課というのがあるそうです。
 言葉は、年月とともに変化していく。かつては規範的であった言葉の形や意味が、現代では通用しなくなったり、使い方が変わってしまう例は少なくない。言葉の正誤を軽々しく決めることは出来ない。
それを前置きとして、私も「間違った」使い方をしている表現にいくつもぶつかりました。「弁護士さんって、敷居が高いんですよね・・・」これは、「高級寿司店は、ちょっと、僕には敷居が高いかなぁ・・・」というのと同じ使い方です。ところが、本来の「敷居が高い」というのは、不義理したり、面目の立たないことがあって、その人の家に行きにくいという意味の言葉。単に入りにくいとか近寄りがたいというものではなかったのに、今ではそのように使われることが多くなっている。ふーん、そうだったのか・・・。
流れに掉(さお)さす。これは、本来は、流れのままに棹を操って船を進めるように、物事を時流に乗せて順調に進行させること。ところが、最近では、時流に逆らって反対意見を言うようなものとして使われることが多い。ホント、私も、そんな使い方をしてきましたよ、トホホ・・・。
 枯れ木も山のにぎわい。本来は、つまらないものでも、ないよりある方がましの意味。ところが、人が集まれば、にぎやかになって良いという意味で使われることがある。
「キミは本当に破天荒な人間だな・・・」これって、ホメ言葉なのか、けなしているのか、どちらでしょうか・・・?本当は、誰も出来なかったことを初めて成し遂げることというホメ言葉です。ところが、豪快で大胆な様子をさす意味で使われることが多くなっています。
「さわりだけ聞かせてよ・・・」。さわりの本来の意味は、聞かせどころ、聞きどころです。ところが、話の最初の部分だけ聞かせてよ、という意味につかわれることも少なくありません。
憮然(ぶぜん)としている・・・。これは失望、落胆、ぼんやり、呆然の意味です。ところが、最近では、腹を立てている様子という意味で使う人が多くなっている。
「議論が煮詰まってきた・・・」。本来は、議論して、考えが出尽くして結論が出せる段階になった状況をさします。ところが、議論がこれ以上は発展せず、行き詰った状況をさす言葉としても使われるようになっています。
割愛する・・・。本来は、仏教用語で、愛着の気持ちを断ち切ること。つまり、惜しいと思っているものを、思い切って捨てたり、省略したりすることを言います。ところが、最近は、単に省略するという意味で使われることが多くなっています。
うひゃぁ、知らないことって、こんなにたくさんあるんですね・・・。しかも、言葉の本来の使い方が誤用されていくうちに、変化していって、誤用が誤用じゃなくなるんですね。言葉って・・・。まさにコトバは生きています。そのことを実感させてくれる本でした。
(2015年12月刊。1000円+税)

2016年5月 6日

安倍政権にひれ伏す日本のメディア

(霧山昴)
著者  マーティン・ファクラー 、 出版  双葉社

 ニューヨーク・タイムズ前東京支局長が、日本のメディアはジャーナリズムの精神を失っていると激しく怒ってます。この本に書かれていることのほとんどに、私も、まったく同感です。
権力の与党であることを売りものにしているかのようなヨミウリ・サンケイって、まともなジャーナリストなんでしょうか・・・。たまには権力から嫌がられるような「正論」を記事にしてほしいものです。
メディアが政府から完全にコントロールされている現在の日本のジャーナリズムは、およそ健全ではない。
アメリカ人の記者から、ここまで断言されているのですから、日本人ジャーナリストも、少しは奮起してほしいですよね・・・。
健全な民主主義が機能するうえで重要な権力のチェック機能を果たすはずのメディアが、第二次安倍政権が生まれてから、腰砕け状態に陥ってしまっている。組織防衛を優先させ、ジャーナリズムを放棄している。そんな信じられない現実が、日本の新聞やテレビといった大手メディアの内部で雪崩(なだれ)のように起きている。
 安倍首相のいる官邸はテレビや新聞を毎日こまかくチェックし、官邸にとって気に入らない報道があれば、担当者に電話をかけ、直接クギを刺す。
 同じメディア内部で、政治部の記者は他の部門にこんな圧力をかけている。「官邸を怒らせないでほしい、取材できなくなるから」。なんということでしょうか・・・。これでは、単なる権力の僕(しもべ)ではありませんか。
日本のメディアのトップたちは、安倍首相と頻繁に一緒に食事をしている。それも高級料亭やフレンチ・レストランなど・・・。
安倍首相は、ニューヨーク・タイムズの取材をあからさまに避け続けている。安倍首相は、ぶら下がり会見が少ないし、そもそも記者会見の回数がとても少ない。
朝日新聞を攻撃した読売新聞は部数を大きく減らした。その減り方は朝日より読売のほうが大きかった。朝日を叩いて拡販しようという戦略は完全に裏目に出た。むしろ、新聞全体への不信感が強まっただけだった。
朝日がこんな「ヘマ」を犯したとき、ヨミウリ・サンケイは権力と同じく朝日をたたきに狂弄した。なぜ、権力と対峙して朝日を擁護しようとしないのか・・・。
 安倍政権の言うとおりに報道していればコトは簡単です。ところが、少しでも批判しようとすると、記者の心身の安全がはかられません。ロシアでは既に何人もの優秀な記者が消されてしまっています。それでもがんばっているメディアがあるといいます。
 日本のメディアは、安倍政権のやろうとしていることの恐ろしさを国民にもっとはっきり伝えてほしいものです。
(2016年4月刊。1000円+税)
 子どもの日(5月5日)、例年のように近くの小山にのぼりました。山の中の少し開けたところで養蜂家が巣箱を開いて作業しているのを見かけ、日本ミツバチにもがんばってもらいたいと思ったことでした。
 かなり急斜面をのぼりますが、大きな岩がごろごろむき出しです。こんなときに地震にあって、岩がころがり出したら、もう逃げようがありません。というのも、出かける30分前に余震が2度もあったのです。熊本では震度3とか4でした。早くおさまることを願うばかりです。
 山頂に着くと、子どもたちが大勢いて、そのにぎやかな歓声がひびいていました。保育園児と親たちの遠足のようです。こんな子どもたちの声を騒音だといいつのる大人の気がしれません。
 ゆっくり見晴らしのいいところで、おむすび二つをいただき、英気を養いました。生命の洗濯です。
 帰りにはミカンの木に丸粒のような白い花がびっしりでした。3時間あまりで、1万5427歩を記録して、いい運動になりました。

前の10件 56  57  58  59  60  61  62  63  64  65  66

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー