弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年4月 5日

女たちの審判

著者  紺野 仲右工門 、 出版  日本経済新聞出版社

 死刑囚を収容するのは刑務所ではなく拘置所。拘置所の職員が死刑執行を担当する。死刑を宣告される被告人だから何も本人に言い分がないかというと、そうとは限らない。そして、確定した死刑囚となったとしても、親兄弟そして妻や子などの関係者はいる。
 この本は、刑務所・拘置所の現場を知った人(元職員)によるものだけに、臨場感にあふれています。
 それにしても、熊本や福岡が舞台になっているのには、驚かされました。
 たしかに、熊本県北部を舞台として凶悪な殺人事件が起きたことがあり、犯人は死刑が宣告されて確定したと思います。
 そして、大牟田市が登場し、福岡拘置所が舞台となるのです。博多拘置所として登場します。
 大牟田弁、博多弁が出て来ますので、私にはとてもなじみやすい本でもありました。福岡県南部の暴力団抗争事件も背景事情として描かれていますが、実際、少なくとも十数人が抗争によって殺されたと思います。
 拘置所や刑務所の職員の派閥抗争も問題となってますし、名古屋であったような刑務官による被収容者(囚人)暴行事件も登場します。
 そして、職員が被収容者の秘密通信を手伝う行為があることも描かれています。このハト行為は、結局、発覚してしまうのですが・・・。
 私も20年以上も前、福岡刑務所内で銃の密造事件が発覚したとき、刑務所内でひそかにタバコを吸っていたことがあるという体験を聞かされ、驚いたことがあります。
 ともかく、とりわけ弁護士には読んでほしい本だと思いました。
(2015年2月刊。1600円+税)

2015年4月 4日

日本語の科学が世界を変える

著者  松尾 義之 、 出版  筑摩選書

 私をふくめて、英文は読めても英語で話すことはできないという日本人がなんと多いことでしょう。もちろん、みんな漢字かなまじりの日本語のほうは縦横無尽に使っているわけなんですが・・・。
 幼児から英語を話せるようにすべきだ。大学での授業はオール英語にしよう、なんて言われると、英語を話せない私にとっては、とんでもなく怖い話にしか思えません。そんなに英会話ができる必要があるのでしょうか・・・。
 ノーベル賞を受賞した益川さんは、授賞式のスピーチで英語は話せませんと宣言して、日本語で話したのでした。英会話のできない科学者でもノーベル賞をもらっているという事実を、どう考えたらいいのでしょうか・・・。
 本書は、そのことについて大胆に答えています。日ごろの私の実感にもぴったり来る主張です。ぜひ、幼児英語教室万歳の人に考え直してほしいと思います。
 日本人科学者の英語の話し下手は、広く知られている。しかし、その理解力には定評があるし、超一流の英語論文を書く。
 日本人は英語ではなく、日本語で科学や技術の研究成果を展開している。
 日本人のつかう日本語には、科学を自由自在に理解し、創造するための用語、概念、知識、思考法まで、十二分に用意されている。
なぜ日本人は日本語で科学するのか。それは英語で科学する必要がないからだ。日本語で最先端のところまで勉強できる。自国語で深く考えることができる。実は、これって、すごいことなのである。
 母国語が日本語の人で、きちんと日本語で文章表現できない人が、英語できちんと科学を表現できるはずはない。日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられない。
 日本人科学者は、英語によるつまらない論文書きを、1割りでも2割でも減らしたほうがいい。
明治になる前、日本語には科学も技術も、そんな言葉は存在しなかった。
日本語が正確に使えないことには、日本文化の構成員とはなりえない。だから、英語よりも国語(日本語)教育を充実させることが大切(必須)なのだ。
 中身がないのに、英語だけぺらぺらなんていうのは、使いものにならない。
英語がうまく話せない科学者でも、立派な英語の論文を書けるし、ノーベル賞までもらえることを多角的に実証した本です。
 ノーベル賞なんかは無縁の私ですが、いつだって、英語で話せなくても世渡りはできると叫んでいます。還暦をとっくに過ぎ、日本語はそれなりに使えるようになったと自負している私の主張を大いに励ましてくれる本でした。
(2015年1月刊。1500円+税)

2015年4月 2日

徹底解剖・国家戦略特区


著者  浜 矩子・郭 洋春 、 出版  コモンズ

 安倍政権のやっていることは富めるものはますます豊かにし、貧しい者は生存を保障しないというものでしかありません。すべては国民の自己責任だというのであれば、もはや政治ではありません。単に山賊の親分と同じです。
 いま言われている新自由主義は新新自由主義という表現のほうが正確。なぜなら、人々の自由な展開をむしろ阻害する側面をもって広がっているから。
 新新自由主義が求めているのは、強き者の自由であり、富む者の自由であり、大なる者の自由である。強いものがより強くなる自由、大きい者がより大きくなる自由、豊かな者がより豊になる自由を徹底的に追及する。
 小泉純一郎には何の思想性もないけれど、「時の風」を読んで、新自由主義をもち込んだところ、どんどんウケてしまった。
 アベノミクスとは、経済のことが何も分かっていない政策だから、何のミクスでもないというのが、もっとも本質的な評価だ。強兵路線を支える富国を実現するための政策パッケージであるという説明に尽きる。
 アベノミクスは「取り戻したがり病」にかかっている。そのためには、弱き者、切り捨てられていく者のことなどに構っている余裕はない。弱者を助けるどころか、弱者がいるという現実そのものを見ない。
国家戦略と名づけられた「特区法」は、法治国家の基本的な手続を形骸化している。特区における減税や免税を法律上の手続を簡略化して容認するならば、日本の統治機構は崩壊する。
規制一般が、政府やマスコミによって悪いものというレッテルが貼られている。しかし、本当にそうなのか・・・。すべてが無駄で不要な規制とは言えない。たとえば、医療規制は適切な負担で安心して医療を受けられる医療保険制度を支え、労働規制は安定した雇用と適正な賃金を守っている。
 安倍首相が激しく攻撃してやまない「既得権者」とは、実は大金持ちとか有力者ではなく、ごくごく善良な市民、つまり多くの働く国民なのである。
 いま、安倍政権はTPP交渉を妥結させるのに必死になっていますが、これが実現してしまえば、日本の農業が畜産業界は大打撃を受けることが必至です。
 マスコミ、とりわけテレビはNHKを先頭として、「与党協議」なるものしか報道せず、集団的自衛権のもつ本質的な怖さについて、ちっとも報道してくれません。
 日本社会の現状に激しく警世の音を乱打している本です。
(2014年11月刊。1400円+税)

2015年3月31日

集団的自衛権で日本を滅ぼしていいのか


著者  半田 滋・川口 創 、 出版  合同出版

 安倍政権の憲法改正に向けた第一弾は、教育基本法の改正だった。これは2006年12月のことです。子どもたちに「愛国心」を強制して、お国のために命を捧げよというのです。そして、教科書統制を一層強化しました。
 第二弾は、防衛庁を防衛省に昇格させたこと。戦前の日本のようなカラ威張りする軍人がふんぞりかえる世の中なんて、サイテーですよね。
 そして、第三弾として憲法改正のための国民投票が定められました。
 航空自衛隊は、イラクでアメリカ軍の兵員と物資を輸送する活動をしていた。しかも、こっそり隠したというだけでなく、嘘までついて国民を欺した。
 航空自衛隊が運んだのは、国連職員が2800人、陸上自衛隊員が1万人。ところが、アメリカ兵は2万人以上だった。そして、アメリカ軍の物資は、ほとんど運んでいない。人道支援と称しながら、人道支援物資は運んでいない。
 この実態は、裁判のなかでようやく明らかにされたが、情報公開請求に対して黒塗り文書のみの公開だった。特定秘密保護法が制定された今日、このような事実は公表されないだろう。
 安倍政権には、人間の判断は誤ることがあるという事への警戒心や謙虚さがまったくない。日本は、ロシアと北朝鮮・中国の軍事通信はかなり正確に傍受している。北朝鮮の通信を傍受して、ミサイル搭載のやりとりまで把握している。しかし、中東について日本はまったく手がかりすらなく、すべてアメリカから情報をもらうしかない。
 官僚とって都合の悪い情報、判断に迷うものは秘密にされる。
 秘密保護法は官僚を肥大化させてしまう。
 日本の官僚は、能力の高いオレたちが国の舵取りをするので、国民は言うことを聞けばよいと考えている。お上(かみ)意識、命令する立場にいたいという意識でこり固まっている。
 安倍首相の元気の源は、フェイスブック。37万人のフォロワー、ネット右翼(ネトウヨ)がほめたたえるので、自分はエライと錯覚し、ますます過激なほうへ行く。
これまで集団的自衛権が行使されてきた例をみると、ベトナムもアフガニスタンも、惨敗している。良いことは何ひとつなかった。
 アメリカは、アフガニスタンとイラク侵略作戦のために150~500兆円もつかった。この膨大な軍事費の支出が、もとからあった貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に拍車をかけた。その結果、オバマ政権は福祉や教育、医療という国内分野さらに外交政策で有効な手が打てないことにつながった。
 アメリカが現在、国際社会でリーダーシップを失いつつあるのは、このアフガニスタン、イラク戦争の負の遺産である。
日本の自衛隊は、攻撃的な分野は弱いけれど、防御的にみると世界一強い。
 日本は決して「丸腰」ではない。相手になかなか攻め落とせないという脅威を与えるに足りる軍事力をもっている。
テロとのたたかいは、相手が軍隊ではなく、特定できないために、必然的に無差別殺戮となり、憎しみが憎しみを生み、終わりがない。
 際限なき憎悪が生み出され、際限なき戦争になってしまう。そのような泥沼の戦争に日本がまき込まれてしまいそうだ・・・。
 もともと、尖閣諸島の上は米軍機や自衛隊機のP-3Cが飛んでおり、今もまったく変わらない。安倍首相の一連の言動こそ、日中韓の関係を悪化させている。
 アメリカの戦争戦略は大きく変わっている。かつては若いアメリカ兵を犠牲にしても軍事的介入を優先する方針だった。今や、イギリス、日本そして韓国の衛星国に兵士を出させ、死ぬのは、アメリカ以外の国というシステムに変えようとしている。
 日本がアメリカ言いなりに行動していて、何もいいことはない。そのことを実感させる本でもありました。大変歯切れよく、問題の危険な本質を対談のなかで明らかにしてくれる本です。
(2015年2月刊。1600円+税)

2015年3月28日

瞽女 キクイとハル

著者  川野 楠己 、 出版  みやざき文庫(鉱脈社)

 なぜか宮崎の出版社から出た本ですが、テーマは新潟県で活動していた盲目の女性芸人集団・瞽女(ごぜ)の生きざまです。
 生まれつき、あるいは病気によって失明してしまった女性が何を願ったか・・・。
 次の世に生まれ変わるときには、たとえ虫になっても明るい目をもらいたい。虫になってもいいから、明るい眼がほしいと百歳のときに語ったハル。そこには視覚障害者なるが故に体験しなければならなかった苦難の数々が、いかに耐えがたいものとして、ハルにのしかかっていたかを物語っている。
 鼓の下に目と女を書いて、瞽女・ごぜと読ませる。これは貴人の御前(ごぜん)で鼓を打って曽我物語を語るなどに携わっていたことからくる。元禄時代に三味線が普及してから、彼女たちも鼓を放して三味線を持った。
 旅の途中でも、5月13日の妙音講には必ず出席するために帰宅する。瞽女たちにとっては年に一度の祭典である。髪を整え、似合った着物を着て集まり、仲間と健在をよろこびあう。
 農村では、季節ごとに訪ねてくる瞽女を待っていた。ラジオがやっと始まったことのこと。娯楽としては、瞽女や浪曲語りが回ってくるのを待つ以外に、何もなかった。だから、瞽女の来訪は、村にとって「ハレの日」になる。
 宿は「瞽女宿」と呼んだ無償で泊めてくれる大きな農家があった。その家では代々瞽女の世話を引き受けていた。
 組ごとに決まった旅をもち、一つの村にいくつかの組が時期をずらして訪れていた。高田瞽女は、上越全体に100件もの宿をもっていたようだ。
 瞽女の旅は、通常3人か4人が一組になって歩く。一行のなかで、弱いながらも視力のあるものが先頭に立つ。
 農家の間口の戸を開けて、「ごめんなんしょ」と奥に声をかけて三味線を弾きだし、3分ほどの「門付け唄(かどつけうた)」をうたう。この門付(かどつけ)は、瞽女の一行がこの村に北ことを知らせる役割がある。
 宿の家では、間仕切りの襖を外し、表座敷を開放して臨時の会場をつくる。
 瞽女たちは、口説(くどき)、民謡、段物を次々にうたい続ける。終わるのは、夜10時、11時になることがある。演目は、驚くほど広い。
 ストーリーのある八百屋お七、佐倉宗五郎、小栗判官(おぐりはんがん)、照手姫(てるてひめ)、葛の葉子別れなどの古浄瑠璃を中心として、段物(だんもの)と呼ばれる「瞽女松坂」地震・災害・心中事件などのニュース性のある話題を歌い込んだ口説(くどき)清元、端唄、新内から、民謡や流行りうたなど、あらゆる分野にまたがっている。
 そして、瞽女が途中の村々で仕入れた情報も伝えられる。瞽女は、芸能と情という文化を村人に伝える存在なのだ。
瞽女社会には、男の肌に触れることは、能動的であろうと、受動的であろうと許されないという厳しい掟(おきて)がある。瞽女には、結婚は許されない。結婚すると瞽女仲間から離脱し、二度と戻ることは出来ない。
 文字ではなく、すべて聞いた音で覚え、三味線を弾いて語り、うたうという瞽女の声をぜひ聞いてみたいと思い、この本に紹介してあるのを早速注文してみました。なるほど、80歳とか90歳とは思えない張りのある声でした。

(2014年10月刊。2000円+税)

2015年3月27日

「カジノで地域経済再生」の幻想


著者  桜田 照雄 、 出版  自治体研究社

 カジノに頼る経済なんて、そもそも発想が間違っています。
 そして、この本は、カジノに頼って地域経済が再生するなんて、嘘っぱちだと実証しています。アベとかハシモトのインチキ宣伝に乗せられてはいけません。
 「IR型カジノ」の基本的な考え方は、エンターテインメントやショッピングなど、魅力ある「楽しみ」を提供する施設を組み合わせた複合施設を集めることで、観光客の大幅な増加を図ろうとしているもの。そのなかで、カジノ施設が、今までにない「楽しみ」を人々に提供する集客施設として位置づけられている。
 コンベンションを誘致する「切り札」としてカジノが考えられている。
 九州では、カジノに頼ることを北九州、佐世保(ハウステンボス)、別府、宮崎(シーガイア)、沖縄が名乗りをあげている。
 おぞましい、恐るべき事態です。
 賭博はコントロールできるか?現実には、人間の脳への刺激に起因する依存症の発症をコントロールすることは出来ない。
 カジノは、既存のビジネスを共喰い(カニバライズ)する。大阪のUSJの経済波小効果は5900億円だったが、地元の商店街は潤っていたという事実はない。
 カジノのもうけは、「客の負け分」にほかならない。大阪にカジノがオープンしたとしても、すでに飽和状態にある商業施設のなかで、多くの競争相手を向こうにまわしてカジノが生きのびるという保障はまったくない。
 かつて30兆円産業といわれた日本のパチンコ産業も、今では20兆円を大きく下まわっている。4割近く落ち込んだ。パチンコへの参加人口も、1790万人(2004年)から970万人(2014年)へと、半減している。
 そのなかで、マルハンとダイナムの2社で、半分の売上げを占めている。カジノと両立できるパチンコ店というのは考えられない。
 アメリカでは、IR型カジノが次々に閉鎖に追い込まれている。
 カジノは、バクチです。人の心を荒廃させ、まわりに不幸を持ち込むものです。そんなものにたよる社会は不健康ですし、長続きするはずもありません。
 大阪の橋下市長も、安倍首相も狂っているとしか言いようがありません。ところが、そんな彼らが、子どもに道徳教育を強制しようとするのです。世の中は、本当にわけが分かりませんよね。どうなっているのでしょうか。有権者は、一刻も早く目を覚ますべきだと思います。
(2015年1月刊。1100円+税)

2015年3月23日

うつの医療人類学


著者  北中 淳子 、 出版  日本評論社

 過労が続き、心身に過重なストレスがかかって「うつ」になると、自分の責任じゃない、この会社を辞めたらいいと普通に考える余裕を失い、自分が悪いとか、苦しみはずっと続くという心理的な視野狭窄の状態に陥ってしまうことがある。
 真面目で、責任感の強い人がうつ病になりやすいという性格論は、日本とドイツの一部を除いてはほとんど聞かれない。しかし、臨床の現場では、圧倒的な説得力をもって長く支持されてきた。
 自殺とは、自らの意思にもとづいて死を求め、自己の生命を絶つ目的をもった行動である。精神障害による自殺では「意思」そのものが病に侵され、自分の行為のもたらす結果を十分に理解できないとされるため、厳密な意味では、「病死」(過誤死・疑似自殺)として理解される。
 WHO報告は、自殺者の9割は、何らかの精神障害を病んでいるとする。
精神科医が治療対象とみなすのは、自殺一般ではなく、あくまでも「精神障害」による「病的絶望」なのである。
精神科医は、初診患者と会うとき、部屋に入ってくる瞬間から、その姿勢、表情、声のボリューム、挨拶の仕方、椅子の腰かけ方、話し方を仔細に観察し、根底に何らかの病理が潜んでいるのかを読みとろうとする。
 睡眠、食欲、体重の変調と気分の変化という、うつ病の主症状に関して質問する。精神科医にもっとも根本的な問題を突きつけるのは、慢性の精神病患者が、みずからの病に絶望しておこなう「覚悟の自殺」である。
 「精神療法は」は、15分しても1時間しても、保険診療で支払われる報酬は同額。だから、医師が精神療法的なかかわりに時間をさきたくても、より早くより確実な効果の期待できる薬物治療に専念し、診察できる患者数を増やさないことには、病院の経営が成りたたない困難な状況が続いている。
 医師の自殺率は高いが、そのなかでも精神科医の自殺率は圧倒的なトップを占める。実際に起こってしまった患者の自殺ほど、医師に深いダメージを与える経験はない。
 現在、世界規模で進行中の、うつの医療化の特徴は、うつ病が仕事や生産性という「公的領域」でとらえ直されている。また、うつ病への懸念が男女平等に向けられている。
 うつ病をストレスの病とする考え方が広く流布する契機となったのは、1990年代以降の過労うつ病、過労自殺裁判である。これらの判決によって、うつ病は「誰でもなる病気」だということが立証された。
 うつ病について、アメリカでも学んだ著者による日米比較もふくむ、興味深い人類学の学者による本です。
(2014年9月刊。2400円+税)

2015年3月20日

紛争解決人


著者  森 功 、 出版  幻冬舎

 東京外国語大学の伊勢崎賢治教授の活動を紹介する本です。本当に勇気ある日本人だと思います。心から敬意を表します。
 日本国憲法、戦争放棄の平和憲法を海外の戦争の現場で実践してきた人ですから、安倍首相のいう集団的自衛権の危険性を説く話には、まことに説得力があります。
 伊勢崎賢治は平和構築の研究者。世界じゅうの紛争地を飛びまわり、テロリストやゲリラと対峙し、紛争当事者の兵士たちと交わってきた。まさしく、たたかう紛争解決人だ。
 アフガニスタンには、もう一人、中村哲さんというペシャワール会の医師(福岡県人)も活躍しています。武力・軍事力に頼らない紛争解決と予防に日本人が貢献していること、その活動の背景には日本の平和憲法があることに、私たち日本人はもっともっと確信をもつべきだと痛感します。
 この本を読むと、強大な軍事力をもつアメリカが、どうしようもない間違いを重ねてきたことがよく分かります。軍事力に頼って平和が実現できるはずはないのです。
 伊勢崎賢治は、早稲田大学の建築科を卒業してインドに渡り、スラム街に活動するようになった。
 これまたすごい行動力です。とても真似できません。インドの公安当局から目をつけられ、ついには国外追放ということになるのですから、その実績たるや、すごいものです。
 オルグは思想によって組織をまとめるものではない。それは人間の必要性から成就するものであり、それを貫くことが大切。平和の思想をいくら持ち出しても、戦争や紛争は終わらない。このまま紛争を続けていても終わりがなく、暮らしていけなくなると人間が感じはじめたときに初めて和平が成り立つ。その必要性が、生存に直結すればするほど、人間は真剣になる。そこで、人間は団結する。
 伊勢崎賢治は、アフリカのシエラレオネに派遣され、NGOのディレクターになった。シエラレオネの国家予算90億円のうち、実際に使えるのは30億円ほど。これに対して、このNGOは年間3~5億円をつかって、学校や道路などのインフラを整備していった。そして、2年目(1990年)、伊勢崎賢治は、大統領の指名によって、市議会議員になった。
 シエラレオネの伊勢崎邸は高い塀に囲まれた一軒家で、門番が3人も立つ。
 しかし、ここでは、雇った警備員が強盗に変身するケースが珍しくない。
 そして、コブラがそこらじゅうにいる。だから、冷蔵庫にはコブラ用の血清を保管している。ところが、停電ばかりの国。血清の保管も大変だ。うひゃあ・・・、と思いました。こんなところに幼い子どもを連れて生活していたのです・・・。
 次は、ケニア。さらに、エチオピアに派遣される。そして、東ティモールに派遣され、県知事になるのでした。1500人の国連平和維持軍のリーダーです。
 すごい日本人がいるものですよね。軍人ではないのに、多くの軍人を指揮・命令していくのです。
 そして、再びアフリカのシエラレオネに戻ってきました。そこで武装解除に従事します。50人の部隊を率いる司令官がなんと14歳だというのです。
 伊勢崎賢治がたてた小学校出身の少年兵が、いつのまにか司令官にのぼりつめた。貫禄がある。
 集団的自衛権を行使するとしたら、もっとも大きな国際課題はテロとのたたかいである。
 アフリカ軍やNATO軍に火力、つまり戦力が不足しているということはない。だから、日本が自衛隊をそこに送っても、たいした働きはできない。戦力以外のところで日本はがんばるしかない。
 テロの温床となっている地域において、日本ほど評判がいい国はない。それは日本には平和憲法があり、この70年間、戦争をしたことがないからだ。
 現場の国際貢献という意味では、憲法9条はまだまだ使える。というか、いまここで踏ん張らないと、最大の国際的課題であるテロとのたたかいに光が見えなくなるように思える。
 肚のすわった日本人男性が世界の紛争現場で活躍していること、そして、彼を背後から支えているのは日本国憲法、とりわけ9条であることを知って、大いに励まされました。
 伊勢崎さん、これからも、身体の健康と安全に、くれぐれも気をつけて紛争解決のためにがんばってください。
(2015年2月刊。1400円+税)

2015年3月18日

日本人は、いつから働きすぎになったのか


著者  礫川 全次 、 出版  平凡社新書

 日本人は勤勉すぎるように思います。といっても、私もその一人であることには間違いありません。だって、この毎日一冊の書評を、誰もお金をくれるわけでもないのに、なんと10年以上も続けているのですから。いったい、どれだけ読まれているのでしょうか?
 まあ、好きでやっていることなので、読まれなくても文句を言うつもりではありません。
 それにしても、二宮尊徳の実際を知って驚きました。薪(たきぎ)を背負う二宮尊徳の像は、全国各地の学校にありました。しかし、それは、二宮尊徳が死んで35年もたって、あらたに創り出されたものだった。ええーっ、なんということでしょう。すっかり、だまされていました。
 二宮尊徳は、人々を思想的、宗教的に教化するカリスマ的な思想家、宗教家ではなかった。むしろ、「勤勉にして謙虚な農民」を「権力」によって育成しようとする官僚的な実践家、教育者だった。
 二宮尊徳の試みた改革に対して、村内の各層から根強い抵抗・非協力が起きた。
 それは、江戸後期の日本には、断固として「勤勉」になることを拒む農民たちが存在していたという厳然たる事実を証明している。
 江戸時代の農民は、必ずしも勤勉とは言えなかった。多くの農民が「勤勉」になるのは、明治30年代に入ってからのこと。
 福沢諭吉は、たしかに勤勉家だった。しかし、福沢諭吉は、「武士」というよりは、「商工」に近いメンタリティをもっていた人物だった。
 第二次大戦に敗れて、日本人は多くのものを失った。しかし、決して意気消沈することなく、ただちに復興に向かって動きはじめた。そのとき、日本人にとって最大の武器となったのが、その勤勉性だった。敗戦という衝撃によっても勤勉性という価値を日本人は疑うことがなかった。
 しかしながら、日本人の勤勉性は、わずか「数百年間の特徴」でしかない。前述したとおり、二宮尊徳の指導に対して、断固として「勤勉」になることを拒否した村民がいた。明治30年代までは、江戸時代以来から伝わる「多めの休日」を楽しんでいた農民たちがいた。
 報酬の多いことより、労働の少ない方を選ぼう。怠ける勇気をもとう。怠けの哲学をもとう。
 日本人とは何かを考えさせてくれる本でもありました。
(2014年8月刊。820円+税)

2015年3月12日

失職女子


著者  大和 彩 、 出版  WAVE出版

 親から突き放され、一人で生きていかなければならない若い女性が、やっと就職した会社でリストラにあい、ついには病気もかかえるなかで生活保護を受給して、生計を立てていくという大変な状況をユーモアを忘れずに描き出しています。ブログから本になったようですが、独身女性の娘をもつ親として身につまされます。
家賃が支払えない。どうすればいいの? と絶望している、そのこあなた!すべての失職女子、貧困女子にこの本を捧げる。
 著者にとって実家とは、心の安まる場所ではなかった。母の金切り声と父のタバコの煙にまぎれて、どうにか自分の存在を消し、日々をやり過ごす場所でしかなかった。
 家庭とは、ずっと批判や嘲笑、怒鳴り声、そして暴力にさらされる場所だった。両親は幼児並みに感情が不安定な人たち。母は衝動的で、娘の嫌がることを、わざと執拗にくり返す。
実の子どもなのに、家庭で両親からいじめに遭っていただなんて、たまりませんね・・・。
 著者が生まれ育った家庭は、常に息詰まる雰囲気の場所だった。記憶に残っている父親は、「おとうさん」と呼びかけても、返事どころか、娘を見ようともしない。その反面、突然に「キレた」状態になり、意味不明な理由で怒鳴り、子どもたちにも暴力を振るった。
 こんな両親のもとで育っても、こんなにまともに冷静に文章が書けるのですから、人間には復元力が本当にあるのですよね。きっと親が反面教師の役割を果たしていたのでしょう。
 著者は採用面接にこぎつけても、ことごとく落ちています。そのあげくに、激しいストレスから、なんと体重が100キロ近くにまで太ってしまいます。これはヤバいです。そして生活に疲れているな~っていう感じを与えてしまうのです。
 面接で、ことごとく不採用になるのは、心のなかで面接官に毒づいたり、戦災孤児に変身して面接官に不穏な視線を送っていたから。今では、それが分かる。
 かの湯浅誠は、こう言った。たとえお金がなくて「貧乏」でも、周りに励ましてくれる人たちがいて、自分でも「がんばろう」と思えるのなら、それは貧困ではない。それが「貧乏」と「貧困」の違いだ。なーるほど、という感じですね・・・。
 やっと見つかったパートに出るときの著者の格好は、次のようなものです。
 眼鏡とマスクを常に装着して、ライトな変装で自分を守る。マスクのいいところは、アイメイクさえすれば、ちゃんと化粧しているかのようにごまかしが効くこと。辛いときには、それに眼鏡をプラスする。
 いよいよ経済的に行きづまったときには、福祉事務所に行って生活保護の相談をすることをおすすめしたい。消費者金融(サラ金)から借金するより、そっちがよほど健全。
 今では、弁護士会も生活保護の相談やら、生活保護申請のときに同行するということもしているのです。ぜひとも、早目にご相談ください。
憲法25条はすべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、と定めている。生きて、最低限度の生活を営んでいいんだ・・・!
 そのことを生々しく実感させる体験記です。ひき続き、元気に生きていってくださいね。そして、体重は早く半減してくださいな。そのとき、きっと新しい人生がスタートしますよ・・・。
(2014年12月刊。1400円+税)

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