弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年2月20日

亡命者、白鳥警部射殺事件の闇


著者  後藤 篤志 、 出版  筑摩書房

 白鳥事件とは、1952年1月21日、札幌で公安警察官の白鳥(しらとり)一雄警部が自転車に乗って帰宅途中、同じく自転車に乗った男からピストルで射殺されたというもの。
この事件については、殺人事件の逮捕状が60年以上たつのに今なお更新され続けている。容疑者二人が海外逃亡により時効が停止しているため。しかし、その二人は既に中国で死亡している。
 白鳥事件というと、村上国治(くにじ)氏が無実を主張した冤罪事件として定評がありました。白鳥事件を担当した安倍治夫検察官は、のちにユーザーユニオンで活躍した弁護士です。松本清張の冤罪説と真っ向から対立しています。
 白鳥警部(36歳)は札幌市警察本部の警備課長。スパイの元締めもしていた。米軍のCICとも情報交換していたようだ。白鳥警部の警察手帳には、白鳥警部の行動記録が書かれているためか、警察は裁判所へ証拠として提出されなかった。また、自転車は2台とも証拠として提出されていない。
そして、幌見峠で発見されたという弾丸は、とても雪の下で埋もれていたものとは思えないものだった。冤罪説は、この弾丸を最大の根拠としている。
 このころ、日本共産党は中国共産党にならって、軍事武装闘争をすすめていた。軍事部門として、中核自衛隊が存在した。この中核自衛隊は軍事組織として、純粋に組織に対して忠誠を近い、命をかけて仮想敵とたたかった。
 同じ年(1952年)4月、吉田内閣は破壊活動防止法案(破防法)の制定を提案した。
 また、同年6月には、大分県竹田の菅生村で駐在所が爆破される事件が起きた。警察の自作自演の「爆破」だったことが、裁判になって判明した。
 10月1日は衆議院選挙の投票日。共産党は前回の35議席が一挙にゼロになった。
 白鳥警部を実際に射殺した実行犯も、支援グループも中国へ密航して渡った。そして、前述のとおり、中国で実行犯は病死したのです。
 当時の社会情勢を抜きにして白鳥事件を語ることは出来ません。この本は、その点がよく描かれていて、説得力があります。
 要するに、ニセ弾丸はあるものの、村上国治が命令して起きた警察官射殺事件だったのです。今では考えられないことですが、戦後まもなくの殺伐とした世相では、ありえたのです・・・。
 白鳥事件についての最新の到達点が明らかにされています。
(2013年9月刊。2200円+税)

2015年2月17日

東アジア共同体と沖縄の未来


著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社

 今日、世界の生産物、モノの取引の7割はアジアの諸国を通じて行われている。
 今や中国などのアジア諸国は、かつての安価で大量の労働力による「世界の工場」から、分厚い中間層による「世界の市場」へと変貌している。
 かつてはアメリカやヨーロッパ諸国が、世界の生産と貿易と市場の中心だった。しかし、今、その中心がアジアへと移動し続けている。物流の担い手は、いまでは巨大コンテナ船だが、そのコンテナ船に積まれて運ばれる物流の3分の2は、アジアの港湾を中心に運送され、荷揚げされ、消費地へと運ばれている。しかも、アジアの港湾で荷揚げされる物流の半分、世界総量の40%は、アジア域内同士の交易が占めている。
 このように、物流の中心は今や欧米世界からアジア世界へと転移している。
 1980年の港湾ランキングで上位に港湾のうちアジアの港はわずか4港しかなかった。
 今では(2012年)、上位に主要港湾のうちロッテルダムが10位に入っているだけで、ドバイ含めると、11港すべてが広域アジアに属している。
 ところが、日本はトップの東京湾が世界24位、神戸が49位で日本の港は衰退している。
 中国の漁民に変装した特殊部隊が島に上陸するとか、架空の話をふくませて、脅威をあおる。ほら北朝鮮が強いぞ、ほら中国は怖いぞ、尖閣が危ないぞ、だからアメリカ軍の基地はそのままでいいし、自衛隊の増強が必要なんだと言っている。
 自民党は今までの反共イデオロギーの代替物として、これをフルに活用し、親米と反米の矛盾を露呈せずに体面を保ってきた。かつて、ソ連軍が北海道に攻めてくると言って置かれていた海上自衛隊がやることなくなって、その失業対策として西南諸島対策の必要性が言われているだけのこと。
 今の天皇は、きわめて強い思いを沖縄に寄せ、しばしば沖縄を訪れ、そのたびに、「沖縄県民の苦労を日本人全体でわかちあわなければならない」という談話を発表している。
 そして、琉歌を独学で学んで詠んで、毎年、発表している。琉歌を読むヤマトンチューというのは、聞いたことがない。
 今の天皇は一昨年(2013年)12月23日の80歳の誕生日を迎えたときのコトバのうち、NHKは大事なところをわざと隠して報道した。
 天皇は何と言ったか・・・。
 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくり、さまざまな改革を行って今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ改善していくために、当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」
 いまの安倍政権が平和を、そして民主主義を壊す可能性があるという危機感から出てきた言葉である。だからこそ、NHKは、「平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくった」という部分をカットして、そこは報道しなかった。
 これは本当にひどい話です。安倍・籾井ラインのなせる悪行もきわまれりと思います。
 味わい深い、価値のあるブックレットです。
(2014年10月刊。800円+税)
  庭仕事をしていると、近所の奥さんが、昨日、そこにタヌキがいましたよ、と話しかけてきました。やっぱり先日、庭の生ゴミをほじくり返した犯人はタヌキだったのです・・・。
 いつものようにジョウビタキが、すぐそばまでやって来て、私に挨拶します。掘り返した土のなかにいたミミズを放り投げると、おいしそうに食べていました。かといって、私がエサを与えるのを期待して近づいてきているとは思えません。
 ジョウビタキは縄張りがあると紹介されています。縄張りのなかで土を起こしているのを監視しているのかもしれません。
 ずい分と日が長くなりました。今では夕方6時まで庭仕事が出来ます。

2015年2月10日

アベノミクスと日本資本主義


著者  友寄 英隆 、 出版  新日本出版社

 めったにテレビを見ないのですが、たまたまホテルに泊まったとき、NHKがトリクルダウンを図解しているのを見ました。大企業と金持ちを優遇したら、そのうち下々の庶民もおこぼれにあずかれるだろうという絵があり、そのように解説されていました。
 だけど、これは、まるで宝くじにあたるようなものです。たしかに、たまにはあたる人もいるわけですが、大半の人は、「そのうちあたるだろう」という期待を抱かされるだけで、いつまでたっても恩恵を受けることは出来ません。アベノミクスのトリクルダウンって、庶民だましのものでしかありません。この本は、その点を分かりやすく解説しています。
 安倍政権の経済政策は、マスメディアがアベノミクスなどともてはやすほどの、独自の新しい経済理論に裏付けられたものではない。
 アベノミクスの「新しさ」は日銀の国債買い入れなどによる「異次元の金融緩和」政策である。しかし、これは、一種のモルヒネのような、「禁じ手」すれすれの政策であり、長期的にみれば、日本経済を取り返しのつかない危険にさらすことになる。
日本の株価に上昇傾向が続いてきたことは、輸出大企業や金融・証券関連の企業、そして金融資産をもつ富裕層には、法外な利益をもたらした。
 たしかに、飛行機に乗ると、福岡から東京へ行くだけでもファーストクラスを利用する人々で満席になってしまいますので、日本の一部に好景気の恩恵を受けている人がいることを実感させています。それも、案外、20代とか30代という若い人たちが利用しているのですから、たまりません。
 トリクルダウンというのは、経済理論というより、一種の政治思想だ。経済学者で「トリクルダウン理論」なるものを発表した学術論文はない。
 日本経済の現実において、トリクルダウン的な経済の「好循環」は働いていない。いま、「メイド・イン・ジャパン」ではなく、「メイド・バイ・ジャパン」なっている。「メイド・イン・ジャパン」とは、日本国内で日本企業が生産して製品を輸出すること。「メイド・バイ・ジャパン」は、海外への投資を促進しながら、グローバル企業の活動を支援しようとしている。
 トヨタ自動車の総売上高は、1996年には、日本農業の総産出額と同じだった。しかし、その後の20年で大幅に格差が広がり、最近では、トヨタ一社の売上高は、日本全体の農業総産出額の2.5倍にもなっている。
 全世界で、富と貧困の格差が拡大しており、1%の富裕層が世界の富の半分を独占している。
消費税の税率が8%になってから、深刻な不況は一段とすさまじいものになっています。総選挙が終わって、ますます物価は上がり、福祉は削減される一方です。消費税が8%にアップし、さらに10%へアップするというのですから、たまりません。アベノミクスなんていう言葉に、私は絶対にごまかされたくありません。安倍首相の一刻も早い退陣をひたすら待ち望んでいます。これも、世のため、人のためですよね・・・。
(2014年6月刊。1600円+税)
 日曜日は急に寒の戻りがありましたが、庭の紅梅が咲いています。白梅のほうは、まだつぼみでしかありません。
 昨年はたくさんの梅の実がなくなりましたが、それは白梅のほうでした。今年は紅梅も実をつけてくれるのでしょうか・・・。
 冷たい風の吹くなかで球根の植え替えをしていると、いつものようにジョウビタキが近寄ってきます。遊びましょ、と声をかけてくるという感じです。図鑑によると、オスのようです。黒っぽい頭とノド、そして茶色のぷっくりしたお腹、羽に白い斑点があります。本当に愛嬌たっぷり、可愛らしい小鳥です。手のひらにのせて頭をなでてやりたくなります。
 チューリップのつぼみがどんどん頭を出しています。春は、もうすぐです。

2015年2月 7日

美しすぎる数学


著者  桜井進・大橋製作所 、 出版  中公新書ラクレ

 数学の大好きな知人からすすめられて読んだ本です。
 数式を形にあらわしてみたらどうなるのか・・・。こんなに美しい物体になるとは驚きです。
 数学は芸術である。数学は美しい。数学とは物語である。数学とは言葉である。数学とは道具である。世界は数学でできている。数学ほど役に立つ者はない。数学は人類がつくり出した最高の芸術作品である。
 これまでは、黒板や教科書、液晶モニターを通して、離れたところから眺めて想像するしかなかった数学。それが、数楽アートを手に取とり、その重さを感じながら、見事な技術でカッティングされた直線や曲線を指で触ることができる。
 数楽アートという製品は、もともと存在しなかった。数学で用いられる「2変数関数」を、金属加工技術を使って立体グラフ化した。世界で初めてのステンレス製アート・オブジェ。
数楽アートの一番のポイントは、光。表面に光沢を有するステンレス鋼材を格子状に組み上げているため、幾何学構造が織りなす「光のハーモニー」を楽しむことができる。それによって、立体の構造を把握することができる。数楽アートは、3次元の立体を表現している。
 数楽アートは、光沢を有するステンレス鋼材を用いているため、光をよく反射する。
 数楽アートは、その軌跡をNCデータというレーザー加工機を動かすためのプログラムに変換することで再現している。
 光沢のある鋼材の表面に、傷をいっさい付けることなく切断する。そのために開発された専門技術。
五感を研ぎすまし、ときに呼吸を止めながら、全神経を「数式」の一片一片に集中させる。
数楽アートの実際がいくつか紹介されていますが、いずれも、思わず息を吞む形と美しさです。数学は美しいという言葉を素直に受け入れることができます。
 放物線、円錐、半球、それぞれが、きらきら輝くステンレス板からなる物体として目に見え、手でさわることができるのです。
 従業員100人、売上高30億円という規模の中小企業が果たした偉大な成果です。池井戸潤の小説『下町ロケット』の本を、つい思い出してしまいました。
(2014年9月刊。1000円+税)

2015年2月 6日

日本政治とメディア


著者  逢坂 厳 、 出版  中公新書

 敗戦直後のNHKには、「出獄者に聴く」という番組があった。1945年10月のこと。徳田球一などの共産党の大物をはじめ、敗戦で解放された思想犯、反戦主義者を次々にラジオに主演させた。特高警察の拷問や刑務所内での虐待、そして自らの信念を自由にしゃべらせ、多くの日本人にショックを与えた。
 1945年12月に始まった番組、「真相はかうだ」は、戦時中の日本軍の残虐行為の実態を描き出し、日本人の再教育と非軍国主義化を狙った。このシリーズは、自衛のための戦争だと信じこまされていた日本人に、それが軍部のたくらんだ侵略だったことを、順を追って解説していった。
 今となっては、NHKがそんなことをしていたなんて、信じられませんよね。今や、NHKは、籾井会長以下、安倍政権の御用達放送と化しつつあります・・・。残念ですね。
 1960年の安保報道について、新聞が抑制的だったのは、そもそも安保改定を是認していたからだ。うむむ、そうだったのですか・・・。
 池田勇人は、大蔵大臣当時、「貧乏人は麦を食え」と失言するなど、高圧的で「荒武者」のような人物と思われていた。官僚出の、性格の激しい池田に対して周囲が心配して、池田は側近と議論を重ねたあげく、「寛容と忍耐」、「話し合いの政治」をモットーとし、「低姿勢」が採用された。
 「庶民になりきる」ため、池田勇人はゴルフと料亭への出入りを止めた。荒武者・高姿勢から、ニコニコ・低姿勢にキャラクターを変更したのだ。
 佐藤栄作は、新聞記者を嫌っており、生真面目な性格で、口も堅く近寄り難い雰囲気の佐藤を記者も嫌っていた。
 「テレビ・カメラはどこかね。テレビ、どこにいるかと聞いているんだ。テレビにサービスしようというんだ。新聞記者の諸君とは話しないことにしているんだ」
 「偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接。国民に話したい」
 田中角栄のスキャンダルについて。外国メディアが報道するまでは、日本のマスコミは報道しなかった。それは、新聞やテレビなどが田中となれあい、「身内意識」があったからではないか・・・。
 1976年7月27日午前、東京地検は田中角栄を逮捕した。私は、この日、偶然にも東京の裁判所に行っていて、騒然とした雰囲気を身近に体験しました。
このころ、NHK経営陣には、政治、とりわけ田中派への配慮が目立った。
NHKの会長職は、法律的には経営委員会で任命することになっているが、実質的には首相ないしその意を体した人物が決めるのが慣例になっている。
 竹下登内閣のとき、15代のNHK会長になった島桂次(シマゲジ)は、大平や田中、鈴木善幸について、「心のそこからの友人」と自称し、晩年の池田勇人に宏池会の今後を託され、「派閥の一員として活動するように」なったと自ら語る大平派の派閥記者だった。
自民党と社会党の「野合」からなる村山政権は、「野合」への嫌悪感から、3割という低い支持率からスタートした。理念なき「野合」は政党そのものへの信頼を奪い去った。
 山田洋次監督は、「政治の裏切りは、人間の心の奥底に染み込んでいき、退廃的な気持ちにしていく」と指摘した。
 1998年の参院選の敗北は、自民党にショックと困惑を与えた。
 自民党は、団体・組織に加入していない一般の国民にとって縁遠い存在になっている。
 小泉純一郎のメディア対策については、第一に、派閥というコミュニケーション・ルートを攻撃して弱体化させ、総理としてのコミュニケーション・ルートを開いて世論に対峙した。第二に、ワイドショーやスポーツ紙、週刊誌などの「軟派メディア」を盛んに活用した。
無党派層が増えたのは、自民党が社会党と「野合」したためだった。無党派へのアプローチを限定的にしたのも自民党だった。というのも、戸別訪問を解禁しようとしたのをつぶしたのは自民党だった。だから、「空中戦」、つまり、テレビに頼らざるを得なかった。
 政権とメディアは、基本的に対抗関係にある。
 いえ、メディアが対抗関係になかったら、単なる政府広報でしかありません。独自の存在価値はないのです。
戦後の日本政治とメディアの対抗そして共同関係の実情を掘りおこした労作だと思いました。
(2014年9月刊。920円+税)

2015年2月 5日

集団的自衛権容認の深層


著者  纐纈  厚 、 出版  日本評論社

2014年7月1日は、後世に長らく記憶される日となった。安倍内閣が集団的自衛権の容認を閣議決定した日だ。
 力には力で対抗するという旧態依然とした力の論理や、抑止の論理が今なお幅をきかしている。しかし、武力による対応は、しょせん緊急避難的な措置にすぎず、恒久的な対策にはなりえない。それは、かえって戦争を呼びこみかねない危険な選択だ。いま必要なのは、長期的な視点に立った戦略的平和論の構築である。私たちは、武力に依存しない平和社会を築きあげていく知恵をしぼり出す必要がある。
 歴史の事実からすれば、力を背景とした外交とは、本来の意味の外交ではなく、戦争を誘引する罠が潜んだものである。
 安倍晋三のすすめる政治潮流は、赤裸々な国家権力による社会統合路線であり、民衆動員路線である。
 そして、安倍首相の自主国防路線の延長上には、核武装国家構想が存在している。
 日本の防衛費には、軍人恩給が含まれていない。遺族年金は軍人恩給の一種である。日本は欧米諸国と異なり、これらが防衛費として扱われていない。軍人恩給は年間1兆円に達しており、これを防衛費に取り込むと、日本の軍事予算は、フランスと同等以上となり、世界6位となる。
 いま、陸上自衛隊は、戦車を1300両も保有している。1両11億円(1990年度)もする。なぜ、この狭い国土に1300両もの戦車がいるのか。それは、軍事的意味というより、陸上自衛隊の存在(プレゼンス)と防衛(軍需)産業との癒着関係から生まれたものとしか考えられない。ホント、そうですよね。戦争でもうかる嫌な人々がいるのですね・・・。
 そして、海上自衛隊は、136隻の艦船と300機近い航空機を保有している。イージス艦も10隻を保有しようとしている。
 日本は、世界有数の武器輸入大国である。それは、アメリカの軍需産業を支えている。
 自衛隊は、アメリカとの同盟関係に便乗しながら、もう一方ではアメリカ軍への従属性を希薄化させ、自立した国防軍への変貌の機械をうかがっている。
 2009年6月、防衛参事官が廃止された。これは、防衛参事官(文官)が制服組(武官)を統制する文官統制のシステムを廃止したことを意味している。
 統合幕僚会議から統合幕僚監部への組織再編にともなう、統合幕僚部議長の三自衛隊に対する統合運用権の付与は、文民統制をその根本から破壊し、最終的には同議長が軍政と軍令を一元的に掌握するための第一歩である。
 防衛省は、2009年8月、防衛大臣直属の自衛隊情報保全隊を新設した。三自衛隊の統合部隊として防諜を任務とする防諜組織である。1967年の発足時に60人だったのが、2003年には調査隊から保全隊になったときには900人の部員を擁した。
 保全隊とは、要するに現代における「憲兵組織」なのである。平時にあって国民を監視し、有形無形のレベルで国民への規制を加え、言論や活動の自由を束縛する行為を常態化する。そして、戦時においては、国民の戦争への動員を円滑化させる役割を担う組織なのである。
 日本の自衛隊が「国防軍」を目ざしていること、そのとき、アメリカ軍から相対的に自立することも目指しているのではないかという鋭い指摘がなされています。
(2014年11月刊。1800円+税)

2015年2月 3日

ワタミの初任給はなぜ日銀より高い?


著者  渡辺 輝人 、 出版  旬報社

 えっ、天下の日銀、銀行の銀行である日本銀行より、かの有名なブラック企業であるワタミのほうが初任給が高いだなんて、そんなのウソ、ウソでしょ・・・。
 ところが、HPによるとワタミの大卒初任給は24万円超なんです。それに対して、日銀の大卒、初任給は20万円超でしかありません・・・。トホホ・・・、です。これは、おかしい。何かのカラクリがあるに違いない。本書は、そのインチキなカラクリを解説していきます。
ワタミの月収には、月平均所定労働時間数に対応する賃金に加えて、残業や深夜早朝の労働を前提にして、労働基準法で定められた時間外割増賃金、深夜早朝割増賃金があらかじめ織り込まれている。つまり、ワタミの賃金は、いわば水増しされている。
 賃金水増しの求人広告が禁止されていない。これは問題だ。
 割増賃金の未払いは犯罪である。労働基準法違反は、6ヵ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科せられる。そして、同額の付加金が課される。
 サービス残業は、経営責任を負っているものの甘えであり、経営リスクそのものである。サービス残業を放置しておくと、企業の投資家や債権者に対する背信行為ともなる。
 ワタミでは、1日8時間労働のうえに2時間の法定時間外労働が課され、労働時間全体のうち6時間程度は、深夜早朝の時間帯であり、休日は完全週休2日が必ずしも保障されない。このような職場では、いかに20代の若者でも、なかなかハードなのではないか。
 残業代は固定残業代として支払い済みになるため、ワタミでは月収24万円以外には、一円の残業代も支払われない。
 「年俸400万円」というように、年額を大まかな数字で提示する事業所も要注意。これも固定残業代などが「込み込み」になっている可能性がある。
 また、やたらと「楽しさ」「やりがい」などの精神論を強調する企業も注意すべき。
固定残業代が支払われていても、それに対応する時間をこえる時間外労働がある場合には、会社は残業代の計算をして、別に支給しなければならない。だから、本来、会社にとって固定残業代のメリットはあまりない。それでも、見かけの賃金を高くすることによって、労働者を誘引するなどの効果はある。
 残業命令は明示である必要はなく、黙示の指示があればよい。
 記録がないなら、自分で記録すればよい。そうなんです。自分が書いたメモでも、十分にたたかえるのです。はじめから、手元に証拠がないといって、簡単に残業代の請求をあきらめてはいけません。
 ただし、残業代は2年で消滅時効にかかってしまう。
京都の若手弁護士による、とても実践的な残業代の請求の手引書です。サービス残業地獄からの突破法というサブタイトルがぴったりくる本でした。ぜひとも、みなさん大いに活用してください。
(2015年1月刊。1500円+税)
 日曜日の朝は風もなく、を思わせる温かい陽差しでした。春の近さを実感しました。
 午後から庭に出て球根の植え替えをしました。いつものようにジョウビタキがやってきて、近くで畑仕事を眺めています。
 いま、黄水仙が咲きはじめ、クロッカスの黄色い小さな花も咲いています。チューリップの芽もどんどん出ています。
 日が長くなり、気がついたら、もう夕方の6時でした。空に月が輝いています。
 さあ、風呂に入りましょう。身体を温めて、疲れをとります。蚊も虫もいない今は、畑仕事が一番やりやすい季節です。

2015年2月 1日

火薬のはなし


著者  松永 猛裕 、 出版  講談社ブルー・バックス

 火薬研究者の著者のいちばんの悩みは後継者がいないこと。今や大学に火薬を教える講座がなくなってしまった。
 火薬とは、空気中の酸素を使わなくても燃えたり、爆発したりするもの。多くの火薬は、原料の中に酸素を含んでいる。
 火薬の話で興味深いのは、なんといっても花火。そして、ロケットと車のエアバックです。
 まずは、花火。中国では16世紀の明代に花火がさまざまに打ち上げられていた。日本には、徳川家康が明人がイギリス人を静岡(駿府)に案内してきて花火を披露したという。それから30年後には、むやみに花火を町なかで打ち上げるなという触書が出ている。
 有名な玉屋は、天保14年(1843年)に火事を出して、江戸払いとなってしまった。鍵屋のほうは、今も15代として続いている。
花火が真ん丸く開くようになったのは、明治7年(1874年)から。さまざまな色が出せるようになったのは、明治10年(1877年)から。
 世界で一番大きな打ち上げ花火は、「片貝まつり」のもので、重さ420キロ、直径120センチもあり、800メートルの高さまで上げられる。
花火の良さは、座り、盆、肩のはり、消え口の4つの要素で評価する。
 花火にまつわる事故は、今も日本でも世界でも起きている。自然発火による事故も少なくない。
 次に、ロケット。スペースシャトルの打ち上げにも火薬が使われていた。ロケットブースター1基あたり500トン。日本の「はやぶさ」をのせたロケットで120トン。イプシロン・ロケットで80トン。
そして、車のエアバッグ。エアバッグは、火薬を使っている。エアバッグは、衝突したことを感知するが、それは時速20キロ以上の衝撃のこと。自動車が衝突したとセンサーが感知すると、点火信号が送られてガス発生剤が瞬時に燃焼する。すると、気体が急激に発生し、ハンドルの真ん中が割れて、袋(バッグ)が風船のようにふくらむ。こうして衝突から人間を保護する。
 怖い火薬について、いろんなことを学ぶことのできる本です。
(2014年8月刊。980円+税)

2015年1月31日

今、あらためて八鹿高校事件の真実を世に問う


著者  兵庫人権問題研究所 、 出版  同

 今から40年前ですから、ちょうど私が弁護士になったとき(1974年)の秋(9月から11月にかけて)に起きた八鹿(ようか)高校事件について、40周年を記念して振り返った本です。
県立高校で教職員が集団で監禁され、暴行・障害を受けたという大変な事件です。
加害者たちは、全員が有罪となりましたし、民事上の賠償責任も認められました。また、事件を放置した兵庫県の責任も認められ、和解が成立しています。
私自身はまったく関わっていないのですが、現代日本で、こんな無法なことが起きることに大変な衝撃を受けたことを、今もはっきり覚えています。そして、なにより驚くべきことに、日本の警察は、目の前で監禁・暴行・傷害事件が進行しているのに、何の助けにもならない、まったく動かないのです。さらに、マスコミは、タブーとして報道しない(できない)のです。これでは、日本の民主主義は、あまりにも根が浅いとしか言いようがありません。
でも、救いがありました。教職員集団は、みな暴行・障害に耐えるしかなかったのですが、八鹿高校の生徒たちは立ち上がったのです。広い河原に1000人もの生徒たちが集まり、町なかへデモ行進しようとしました。
それを見て、泣き寝入りするかと思われた町民が立ち上がり、ついには、事件直後におこなわれた町長選挙で暴力反対派が勝利したのです。
暴力に屈せずたたかえば、やはり、いつかは世の中から認めてもらえるということを、身をもって証明した貴重な記録集です。高校生たちの激しい怒りと、集会を成功させた力を改めて見聞きして、昔も今も、日本の若者は捨てたものではないと思いました。
もう40年もたってしまったのかという思いとともに、40年たって、良く変わったところと、今なお変わらない悪い面と、日本の現実を知った思いです。
当時、八鹿高校に在学していた高校生も、すでに定年間近になっていますよね。皆さん、元気なのでしょうね・・・。こんな大事件に遭遇して、その後の人生に、どんな影響を与えたのか、その点も知りたいところでした。

(2014年10月刊。3500円+税)

2015年1月30日

日米〈核〉同盟


著者   太田 昌克 、 出版  岩波新書

 核兵器と原子力発電所が、根っこで共通した問題のあることを明らかにした本です。
 そして、西山記者が暴いた「核密約」が今も生きていて、私たち日本人の生命、安全を脅かしていることも明らかにしています。
 2011年3月15日は、日米同盟の盟主である米国が驚愕し、菅政権と東京電力に、その当事者能力に見切りをつけた「運命の日」である。
 海兵隊の特殊専門部隊CBIRF(シーバーフ)は、1995年の地下鉄サリン事件を機にアメリカ軍内に設置された専門集団で、部隊は二つしかない。うち一つは常時、アメリカの国家機能の中枢である首都ワシントンでの有事に備えて即応体制をとっている。そんなアメリカ有数の資産であるCBIRF(隊員50人)がアメリカ本土から遠く離れた外国(日本)に派遣されたことの政治的意味は格別に重い。
 日本側の「当事者能力」喪失を疑ったアメリカは、「複合的人災」と呼べる福島の原発事故の初期対応に能動的に関わった。
 核超大国であるアメリカは、冷戦時代から今日に至るまで、「核の傘」という「核のパワー」に依拠した軍事的手段を日本に供与し続けると同時に、原子力という民生用の「核のパワー」を「平和利用」の名の下に被爆国ニッポンに担保し続けてきた。
 核搭載艦船の日本への通過・寄港を無条件で可能にする「核持ち込みに関する密約」が必要だった。1954年5月、アメリカの国防総省は、国務省に対して、日本に原爆を持ち込み貯蔵したい、在日米軍基地から核攻撃できるよう、日本政府から事前の許可をとってほしいと要求した。
 アメリカ軍は、1945年末から1955年初めに沖縄への配備を断行した。そして、1955年春に西ドイツ、57年にフィリピン、58年に韓国、台湾へと、順次、核の前線配備をすすめ、「核の脅し」を具現化していった。
 核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人に、いずれ核配備を受け入れさせるためにしたのが、「原子力の平和利用」による「核ならし」という、日本国内世論のマインドコントロールだった。
 「平和利用」と「軍事利用」とは、コインの裏表の関係をなすものである。アメリカのCMRT(被害管理対応チーム)は、核事故の特殊専門チームであり、ホワイトハウスは、3.11の原発事故から3日たった時点で、福島の現場に投入することを決めた。
 CMRTは、二つのチームに編成されており、一つは西部ネバダ州のネリス空軍基地に、もう一つは首都ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地に常駐している。
 CMRTのメンバー33人が3月16日に横田基地に到着し、アメリカ軍機に乗り、福島の上空700メートルから放射線の空間線量を測定した。CMRTが海外における核危機の現場に投入されたのは、福島での原発事故が初めてだった。
 ところで、このCMRTから日本政府に届けられた初期の重要データを日本側が有効活用していない疑いが強い。
 村田良平・元外務事務次官(1987~89年)は、回想録のなかで、「核密約」の存在を認め、歴代自民党政権は国民に虚偽の答弁をしていたと書いた。
 外務省の事務方中枢は、長続きしそうで、「立派な」(口の軽くない)外相だけに「核密約」のことを教えていた。
 冷戦終結を受けて、アメリカ政府は核搭載した艦船を日本に寄港させなくなった。このアメリカ軍の戦略の変化を反映して、「日米核同盟」の象徴的存在だった核密約の政策的な重要性が低下した。
 日本は2013年の時点で、使用ずみ核燃料を再処理して抽出した45トンのプルトニウムを保有している。45トンのプルトニウムから製造できる核爆弾は5000発以上になる計算だ。
 いま、全世界にある核兵器は1万7000発ほど。うちアメリカが7400発(そのうち2700発は解体待ち)、ロシアが8000発(うち3500発が解体待ち)。アメリカに次ぐ原子力大国のフランスは57.5トンの民生用プルトニウムを保有する。ロシアは50トンのストックをもつ。イギリスは91トン、中国は20キロにみたない。ドイツは6トン。すなわち、日本の45トン、5000発分のプルトニウムは、とてつもない量なのである。
 日本を取り巻く核兵器と原発の危険性を改めて認識しました。広く読まれてほしい新書です。
(2014年8月刊。800円+税)

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