弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2018年9月 4日

権力の背信

(霧山昴)
著者 朝日新聞取材班 、 出版  朝日新聞出版

森友・加計学園問題で朝日新聞はよくよく健闘していると思います。そのスクープの現場が実況中継されている本です。
 それにしても、これだけ明らかに一国の首相が国会で平然とウソをつき、そして高級官僚の多くがそのウソを必死でカバーするという構図がまがり通る日本って、これから一体どうなるのでしょうか・・・。
私は、何より日本人の投票率の低さがウソつき首相の開き直りを許している最大の原因だと考えます。政治家不信、バカバカしいと、棄権してしまったら、それこそアベ首相と取り巻き連中の思うツボなんですが、現実には投票所に足を運ぶのは、有権者の半分ほどでしかありません。でも、決してあきらめてはいけないのです。
モリ・カケ騒動で野党の追及が甘いという人がいます。だけど、決してそうではありません。アベ・チルドレンとそのお仲間たちが国会の議席を多数占めているため、国会でまっとうな正論が無視されているだけなのです。
モリトモ学園は、アベ首相と思想を同じくするカゴイケ夫妻が「安倍晋三記念小学校」を設立しようとしていたのでした。
「大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史教科書でうそを教えないよう、お願いいたします。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制、国会通過よかったです」
これが幼稚園の運動会で代表の園児4人が声をそろえて叫んだセリフです。涙が出てくるほど、私は悲しいです。
カゴイケ理事長は、自分の幼稚園について、「日本国を良くしようとする教育機関」と言ったそうです。驚き、かつ呆れてしまいます。子どもたちの豊かな人間性をはぐくむというのではなく、国に奉仕する人材育成のための幼稚園だったのです・・・。信じられません。
モリトモ学園は表面上は8億円の実損(税金)のようです(本当は、もっと高額でしょうが・・・)。それに対して、カケ学園はケタ違いです。アベ首相のアメリカ留学仲間のコータローのためにありえないことが起きたのです。100億円ではすみません。「総理案件」ということで、「特例」に次ぐ「特例」。このことが愛媛県庁の職員の報告文書で明らかになっているのに、アベ首相は今なおシラを切り、コータローは国会で証人喚問もされません。
アベ首相から今やバッサリ切られたカゴイケ氏は拘置所に長く閉じ込められたのに、コータローは「文春砲」をふくめて、マスコミの突撃取材もないまま、もうウンザリ、人の噂も49日・・・、を待っているようです。許せません。
この本を読んで、日本の民主主義を守るためには、私たちはもっと怒り、もっと声を上げ続けなければいけないと改めて強く思いました。
(2018年6月刊。1500円+税)

2018年8月30日

社長争奪

(霧山昴)
著者 有森 隆 、 出版  さくら舎

幸か不幸か、私は会社づとめをしたことがありませんので、サラリーマンの悲哀なるものを実感していません。この本を読むと、およそサラリーマンとは上司ともども失意の日々を過ごさざるをえないことが大いにありうる存在なのだなと、ついつい同情してしまいます。自分の能力とか努力・実績とは無関係なところで、いつのまにか自分の処遇が決まっていくのだとしたら、本当に嫌ですよね・・・。
会社というものは、やっかいなものである。つねに派閥が存在し、経営トップをだれにするかで揉める。社長派、反社長派の不満がたまって、いつ爆発するか分からない活火山みたいなものなのだ。ときどき噴火し、内紛、お家騒動、権力闘争として世間の耳目を集める。
会社には必ず派閥ができる。社員が3人いれば、2つの派閥ができるのが常だ。会社における派閥は、フォーマル(公的)なものと、インフォーマル(非公式)のものに大別できる。
フォーマルとは、会社の組織を単位とした派閥。大企業では、経営企画室が巣窟となるケースがある。経営企画室長は社長の側近で、経営トップの登竜門となっている。営業部門対総務部門。そして製造部門でも商品別に派閥ができる。デパートでは紳士服部門より婦人服部門のほうが集客・売上高が上まわって、力が強い。また、労働組合は絆(きずな)が強い。
インフォーマルな派閥は出身大学などの学閥、地縁閥、ゴルフなどの趣味閥、プライベートな人脈による派閥もある。
経営首脳の対立は、起きると派閥の出番となる。親亀こけると、子亀も孫亀も、みなこけてしまうからだ。なので、ボスのために体を張る社員が出てくる。
社内で、秘密警察さながら社員の動向を探る。怪文書が飛び交う。相手が倒れるまで戦いは止まない。勝てば官軍、負ければ賊軍。粛清人事と論功行賞人事が同時並行的におこなわれる。
大塚家具の父と娘が激突したときには、プロキシ―ファイト(委任状争奪戦)があった。これは、株主総会で自らの株主提案を可決するために、他の株主の委任状を、経営側と争奪する多数派工作のこと。
このとき、社員取締役の弁護士が「軍師」として活躍することがある。東京丸の内法律事務所の長沢美智子弁護士は「女軍師」と呼ばれた。娘側に立って次々に先手を打ち、父親を敗退させて名をあげました。
ただし、問題は、その先にあります。勝った側が会社を支配したのにかかわらず、会社の業績をひどく低下させてしまったのでは、本当に「勝った」ことになれるのか・・・、そんな疑問が湧いてきます。まさしく今の大塚家具の浮沈は瀬戸際にあります。そして、このとき弁護士として、いかに関わるかが問われます。そこが難しいところです。
野村証券の元会長の古賀信行は大牟田出身。ラ・サール高校から東大法学部に進み、野村証券では大蔵省の接待担当(MOF担)をつとめた。MOF担は、各金融機関のトップへの登竜門だった。悪名高い、ノーパン・シャブシャブ接待をしたのが、このMOF担です。
この本で古賀信行は、みるべき実績をあげることのできなかった無能な社長・会長だったと酷評されています。たしかに学校の成績が良ければ会社の成績も上げられるというものではないでしょう。営業を知らないエリート官僚タイプの社長が野村を決定的にダメにした。ここまで断言されています。気の毒なほどです。
同時に、この本は野村証券の闇の勢力との結びつきも明らかにしています。
総会屋に便宜を図っていたこと、銀行から270億円ものお金が貸し付けられていたこと、そして、第一勧銀の元頭取は自宅で首吊り自殺をしたことも明らかにされています。
ノルマ証券という別名をもつ悪名高い野村証券も、先行見通しは明るくないようです。
会社は、社長で決まる。結局、会社は社長はすべて。会社が存続できるか、つぶれるかは、9割以上は社長の力量で決まる。新任の社長は、社長として未熟なのに、すぐに結果を出すことが求められる。それが社長の現実である。
パナソニック(松下電器)の歴代社長の決して表に出せない、しかし最大の経営課題は、松下家の世襲をいかに阻止するか、だった。ええっ、これって会社が私物化されているっていうことの裏返しの話ですよね。信じられません。
経営の神様とも呼ばれた松下幸之助の最大の誤りは、自分の後継者に無能な娘婿(むすめむこ)の松下正治を選んだことにある。無能といっても正治は東京大法学部を卒業し、家柄も良く、スポーツマン。それでも、会社経営では無能だったということ。
経営トップの交代がうまくいく会社は栄える。それかうまくいかない会社、後継争いでゴタゴタする会社や無能な人をトップに選んだところは衰退に向かう。
無能な経営者ほど、寝首をかかれることを怖れ、自分より器の小さな人間を後継者に選ぶ。
会社経営の難しさがなんとなく伝わってきます。果たして弁護士は、そこまで気を配ることが出来るでしょうか・・・。
(2018年7月刊。1800円+税)

2018年8月26日

「日本の伝統」の正体

(霧山昴)
著者 藤井 青銅 、 出版  柏書房

いやあ、本当に思い込みというか、私たちは「伝統」なるものにひどく騙されていることを、よくよく自覚させられる本です。
「初詣」(はつもうで)は、明治30年代に、鉄道会社と新聞社の宣伝・営業努力によって始まったもの。
正月のおせち料理を重箱に詰めるようになったのは、幕末から明治にかけてのことだが、実は、完全に定着したのは戦後のこと。デパートの販売戦略による。
七五三は、関東ローカルな風習だった。一般的になったのは明治30年代に入ってから。
お中元・お歳暮・七五三は、全国のデパートが盛り上げて一般的になった。
ウナギは冬のほうが栄養があり、夏は味が落ちる。夏は暑いのでウナギが売れないので、販売促進策として出来たのが、「土用の丑(うし)の日」という宣伝文句。
神前結婚式は、明治33年の大正天皇の結婚式に始まる。明治25年に最初の仏前結婚式があった。
明治9年の太政官指令は、夫婦別性。明治31年の旧民法ではじめて「夫婦同姓」となった。
卵かけご飯は江戸時代にはない。昭和30年代以降に卵かけご飯が一般的になった。江戸時代には卵を生食しない。当時のニワトリは5日か6日に1個しか卵を産まないので、卵は高級品だった。
一般の日本人が正坐するようになったのは江戸時代の中期以降のこと。その前は、あぐら(胡坐)か立膝だった。韓国と同じですよね。
日本人の喪服は昔から白だった。7世紀は白だと『日本書紀』にある。奈良時代は白だったが、平安時代は黒になった。ところが室町時代に再び白となった。黒い喪服は染料が必要で手間がかかるから。江戸時代は、ずっと喪服は白で、明治に入ってからも変わらなかった。ところが、大正の明治天皇が死んだときから黒になったが、庶民は白だった。昭和にかけて、一般庶民にも黒い喪服が定着していった。
日本の元号はずっと続いているのではない。大化(645年)のころは32年間も空白期間があった。変号は、単純平均すると、1元号で5.5年。最短は鎌倉時代の2ヶ月、そして奈良時代の3ヶ月。
いやはや世の中、知らないことだらけです。勉強になりました。
(2018年2月刊。1500円+税)

2018年8月21日

前川喜平「官」を語る

(霧山昴)
著者 前川 喜平・山田 厚史 、 出版  宝島社

文科省の前事務次官だったわけですが、なぜ在職中からモノを言わなかったのかと詰問されることがあるそうです。これに対して、著者は率直に申し訳なかったと謝ります。でも、たった一人では何事も出来なかっただろうと、付け足しをつぶやくのです。まったくそのとおりです。いま、勇気ある発言をしている人に対して、ないものねだりをしてはいけないと私は思います。
なぜ在職中に、官邸と戦わなかったのかという批判がある。それは、まったくそのとおりで、私はその批判を受け止めなければならないと考えている。ただ、もし戦いを挑んだとしても、官邸の強大な権力に対して、一役人に過ぎない者にできることはほとんどなかっただろう。
退官していろいろ話しているので勇気があると言ってくれる人もいるけれど、自分は勇者でも何でもない。
官僚は、政治の力に100%屈するのではなく、折り合いをつけながら何とか前へ進んでいく。それしかない。「右へ行け!」と言われて、明らかにおかしいと思ったら、90度ではなく、60度くらいの角度で右に進む。また、風向きが変わったときに60度くらい左に進む。ジグザグに進みながら、何とか形を守る。それが多くの官僚の生き方だろう。
不本意な状況に甘んじるしかない自分がいたとしても、必ずいつかは挽回するんだという気持ちを持つか持たないかで、長い年月のあいだ仕事をすれば、ずいぶん大きな違いが出てくると思う。
安倍首相のウソは明らか。それは、野球にたとえたら、10対0の大差がついている試合なのに、負けている側が、「そろそろ時間もないし、続けても意味がないから、ここで引き分けにしよう」と言っているようなもの。これでは、とても引き分けにはならない。
安倍首相は、「これまでの答弁は、すべてウソでした」と言えないので、新しい証拠が出てくるたびに虚偽の答弁を重ねるしかない。
安倍政権は、それらしき言葉を作るのがうまい。でも、みんな虚構。
安倍首相は、詭弁を正当化するために、「前川前事務次官ですら、そう言っている」なんて、言うのは本当にやめてほしい。本当にそうですよね。
いまの状況は政治主導でもなんでもない。事実でないことを平然と強弁して物事を進めてしまっているだけで、政治と行政を私物化している。明らかに歪んでいる。
こんな気骨のある官僚がいたからこそ、日本という国はもってきたのですね。政治と行政を私物化していると指弾されている安倍首相には、そのコトバどおり、首相だけでなく、議員もすぐにやめてほしいです。
福岡の本屋で平積みされているのを見つけて、そのまま喫茶店ですぐに読了しました。
(2018年7月刊。1380円+税)

2018年8月17日

権力と新聞の大問題


(霧山昴)
著者 望月 衣塑子 ・ マーティン・ファクラー 、 出版  集英社新書

日本のマスコミは本当に大丈夫なのかと、ときとして不安にかられます。とくにテレビ、そしてNHKです。
そんななかで、大いに気を吐いているのが我らがモチヅキ記者です。なにしろ、あの鉄面皮のスガ官房長官に対して「分からないので訊いています」と何回も鋭い質問を浴びせ、タジタジさせたという猛者(つわもの)です。それにしても、質問力を喪った記者って、ジャーナリズム失格ですよね・・・。
そして、我らが「エナーシュカ」(フランス語読みです)は、どうなってるんでしょう。大量死刑執行前夜に万歳する法務大臣、豪雨災害で警報が発令しているのに飲んだくれている国土交通大臣と防衛大臣、そしてそれを統括するアベ首相は、災害初動の遅れは他人事(ひとごと)ですまします。いやはや、「天下泰平」(ではありません)の日本のデージンたちです。
Jアラートが鳴る前、不思議なことにアベ首相は珍しく首相官邸に泊まりこんだ。それを追及すると、スガ官房長官は、目を吊り上げて、「あなた北朝鮮の肩をもつんですか?」と逆襲した。とんでもない権力者です。
アベ政権は北朝鮮へ圧力(制裁)一本槍の政策できた。ところが、トランプ大統領が金正恩委員長と米朝会談を成功させると、さすがアメリカと絶賛するものの、日本のマスコミは金正恩への警戒一色に染めあげる。「金正恩に騙されるな」と・・・。
では、いったい、日本の平和と安全をどうやって守るというのでしょうか。朝鮮半島で戦争を終結させることのどこが悪いというのでしょうか・・・。
日本のマスコミのトップはアベ首相との食事会に喜々として参加し、その模様を報道することはない。この食事会の源資は、例の月1億円のつかい放題の内閣官房機密費に決まっています。
美味しいものを腹いっぱい食べさせられ、手土産もってハイヤーで自宅へ帰ったら、アベ首相の提灯もちの記事の一つでも書きたい気になることでしょう。でも、その裏には、自然災害で泣いている多くの被災者がいて、日本の民主主義がダメになっていくのを許せないと思っている市民がいるのです。
アベ首相、あんまり日本の市民を舐めすぎたらいかんぜよ。
そう叫びたくなる日本ジャーナリストの対談集です。
(2018年6月刊。860円+税)

2018年8月15日

コンビニ外国人


(霧山昴)
著者 芹澤 健介 、 出版  新潮新書

日本全国に5万5000店舗あるコンビニには、外国人が4万人以上つとめている。コンビニで働くスタッフ20人に1人は外国人。
コンビニで働いている留学生のほとんどは、多額の借金をかかえて来日している。
日本にいる27万人の外国人留学生のうち、アルバイトをしているのは26万人。
日本は今、600校以上の日本語学校がある。授業料は60万円から80万円。このほか、入学金や教科書代が加算される。日本語学校の授業は、午前中だけ、あるいは午後だけというところが多い。
在日韓国・朝鮮人は48万人で、この20年間で20万人も減っている。中国人は71万人。いま急増しているのがベトナム人23万人、ネパール人7万人。
外国人技能実習生は25万人。在留期間は最長5年。
高度専門職ビザで在留している外国人は、わずか5000人。
労働力を呼んだら、来たのは人間だった・・・。
日本政府は、「移民」は断じて認めないが、外国人が日本に住んで働くのはOK。むしろ積極的に人手不足を補いたい、というもの。
JR新大久保駅の周辺には外国人の比率が4割を占める地区がある。
日本のコンビニを支えているのが外国人留学生であり、ベトナム、ネパール、ミャンマーなどの学生が多いという現実を知ることが出来ました。
(2018年16月刊。760円+税)

2018年8月 2日

面従腹背

(霧山昴)
著者 前川 喜平 、 出版  毎日新聞出版

いま、一人でも多くの人に読まれるべき本だと思いました。
財務省がスキャンダルまみれになっても、その責任を誰もとらないまま、財務省の新体制が「組織温存」優先で決まりました。ひどい話です。ところが、今度は文科省のキャリア官僚が狙い撃ちにされているかのように東京地検特捜部が動いています。医科大学の裏口入学の話は昔からありましたが、文科省の局長クラスが自分の子どものために入学の便宜を供与させたという容疑は、それが本当だとしたら、今どき信じられません。ところが、次の業者接待は、どこの官庁でも、昔も今も、これからもやられるものですよね(もちろん、それが許されることだと考えているわけではありません)。なんで、いま文科省のキャリアだけ集中的に狙われるのか、という問題意識です。
この本で著者は文科省に入ったとき、連日のように麻雀し、タダで飲みに行っていたこと、出張旅費を浮かせた裏金づくりが日常的だったことを明らかにしています。これは警察・検察庁で問題となり、裁判所でも同じようなことがやられていました。
それはともかく、肝心なことはタイトルの面従腹背です。重い言葉です。
政治家が理に合わないことをせよと言う場合には、面従腹背も必要なときがある。後輩の官僚諸君には、そういう粘り強さや強靭さをもっていてほしい。
いまの著者の座右の銘は面従腹背ではなく、眼横鼻直(がんのうびちょく)。眼は横に、鼻は縦についている、という道元禅師の言葉。つまり、真実をありのままに見て、ありのままを受けとめる。そうすれば自他に騙されることもなくなるだろうという意味。
著者は、権力に従う点では、忖度(そんたく)と面従腹背は同じだが、忖度のほうは、この人はこうしてほしいだろうと考えて、言われなくても動こうとする、能動的な受動性がある。これに対して、面従腹背は、言われたことに従いながら、機を見て別な方向に舵(かじ)を切ろうとする。両者には微妙な違いがある。なるほど、そうなんですか・・・。
著者は読売新聞が「出会い系バー」に通っているというスキャンダル記事を書いたことで、吹っ切れたとしています。これでもう、官邸に義理立てする必要がなくなったし、官邸に忖度する必要はしなくていいと踏み切ったといいます。それまでは、世話になった人たちに迷惑をかけたくないと考えていた。しかし、このあとは、自分から出て行って話そうと思い、2017年5月25日の記者会見につながった。
すごい決断です。また、読売新聞の「スクープ記事」のひどさに改めて怒りを覚えました。
著者は、加計(かけ)学園獣医学部は、国家戦略特区で特例が認められるような代物(しろもの)ではなかったと断言します。
本来、認可すべきでなかったものを認可してしまったことの責任は重い。大学設置の認可権限というのは、国民の代表者がつくった法律にもとづいて政府が国民から預かっている神聖なものなので、決して私的に濫用されてはならない。ところが、加計学園のケースでは、それが私的利益のために使われてしまった。すべてが加計学園ありきだった。何らかの約束が安倍首相と加計理事長のあいだにあったと推測できる。そして、教育者の質が低下し、医療の質も低下してしまう。
著者は、面従腹背で、心ならずもやらざるをえなかった実例をいくつか紹介していますが、全国学力テスト、教員免許更新制、国旗・国歌、教育基本法の改正など、あげられているものは、いずれも今後の日本にとって大切なものばかりです。
著者が、名古屋市の中学校で講演したことを自民党のタカ派議員(安倍チルドレン)が問題としましたが、このとき著者が生徒に言ったのは次のことです。
自分の頭で考えることが大事で、自分で自分を変えることはできる、大きな宇宙の生命を感じること。
これは、何も問題ないどころか、本当に大切なことを子どもたちに真剣に伝えようとしていることがよく分かります。
著者は文科省の事務次官をやめたあと、現在は、自主夜間中学のスタッフとしてボランティア活動を続けています。そして、九州各地でも講演しています。宮崎、北九州で既に講演会があり、12月には福岡で予定されています。
著者が「7年先輩の河野愛さん」のことを本の冒頭に触れていて、私は大変うれしく思いました。河野さんは、私と同じ学年のセツラー(セツルメント活動をする学生をセツラーと呼びます)でした。セツラーネームはアイちゃんです(ちなみに私はイガグリです。大学生になるまで坊主頭だったからです)。
「河野さんは本当にまっすぐな人だった。一本気なだけに上司と衝突することもあった。河野さんも『青臭い』人だった」
残念なことに、アイちゃんは47歳の若さで病死しまいました。
著者は、「河野さんと寺脇さん、この二人の先輩のおかげで、私は組織に埋没することなく、組織から脱出することなく、違和感を覚えながらも自己を保ち、組織の中に棲み続けることができたのだと思う」としています。
安保法制法が成立する前、文科省の事務次官になる直前に、著者は国会前の集会に参加し、シールズと一緒に安保法制に反対するシュプレヒコールを叫んだといいます。そして、その前に発信していたツイッターが紹介されていますが、すごい内容です。拍手です。
「愛国心は、ならず者の最後の拠り所」
ぜひ、あなたも235頁、1300円の本書を手にとって読んでみてください。明日を生きる元気が湧いてきます。
(2018年7月刊。1300円+税)

2018年7月29日

旅する江戸前鮨

(霧山昴)
著者 一志 治夫 、 出版  文芸春秋

この本を読むと無性に江戸前鮨が食べたくなります。江戸前鮨と海鮮寿司とは違うものだというのを初めて知りました。海鮮寿司はナマモノだけど、江戸前鮨は煮たり焼いたりして手を加えているので、食中毒の危険がない。
この違いを世間が知らないうちに食中毒で誰かが死んだりしたら、生レバー刺しがたちまち禁止されたように、寿司店でも「ナマ禁止、手袋着用」となるだろう。
カウンターに座って、目の前の寿司職人が手袋をしていたら、やはり興冷めですよね。
私は回転寿司なるものを一度も食べたことはありません。寿司にしても、娘たちが帰ってきたときに「特上にぎり」を奮発するくらいですので、年に2回あるかないか、です。それでも、一度は銀座でおまかせコース2万円というのを食べてみたいという夢はもっています。そんな店は予約が半年先まで埋まっているそうなので、無理な話でしょうか・・・。
これからの鮨屋にとって一番大切なのに、人間を仕込むとか、人間をつくることになってくる。鮨を売るというよりも、自分を売る。人間力がカギ。
江戸前鮨の真骨頂として、コハダの握りがある。コハダはシンコ、コハダ、ナカスミ、コノシロと名前の変わっていく出世魚。塩と酢の加減、締め方、身の硬さ柔らかさ、酢と飯の一体感、そして姿の美しさ・・・。
江戸前鮨とは、シャリに合うように魚を手当すること。魚に塩をあて、昆布じめにしたり、漬けにしたり、煮付けにしたりする。ときに火も通す。これに対して海鮮寿司は、単に酢飯の上に新鮮な魚をのせるだけ。
鮨屋は、いまや、あらゆる職業のなかで最後に残った「理不尽の砦」だ。労働基準法を守れば鮨屋は成りたたないとはよく言われる。職人の拘束時間は長く、技術を習得するまでの修業は辛い。上下関係も厳しい。
鮨屋は、人間力が問われる場であり、客も職人も勘違いしやすいところでもある。
「すし匠」では、入ってきた見習いが飯場にすぐに立つことはない。早くて数年の歳月が必要。
「無駄な時期というのは大切。無駄な時期をいかに与えるか、無駄な時期を無駄と思わせないでやらせることも大切。人間って、無駄がないとダメなんだ」
東京・四ツ谷で超有名な鮨店を営んでいた著者は50歳にしてハワイへ旅立ち、そこで今では評判高い鮨店を営業しています。この店の食材は基本的にハワイ原産のもの。日本の魚よりハワイの魚は味がすべて薄いので、塩や昆布を日本より強めにする。
すごいですね。ハワイ原産の魚を素材として江戸前鮨をハワイの客に出しているのです。「すし匠ワイキキ」は、ひとり300ドル。つまり3万円ほど、ですね。
私はハワイには行ったことがありません。フランス語を勉強している私は、やっぱりニュー・カレドニアのほうがいいんですよ・・・。
(2018年4月刊。1300円+税)

2018年7月27日

風は西から

(霧山昴)
著者 村山 由佳 、 出版  幻冬舎

巻末の参考文献の一つに『検証ワタミ過労自殺』(岩波書店)があげられていますので、ワタミが経営する居酒屋の店長が過労自殺をしたことをモデルとした小説だと推察しました。
それにしても、過労自殺する人の心理描写はすごいです。驚嘆してしまいました。
なるほど、責任感の強い真面目な若者が、こうやって自分を追い込んでいくんだろうな、辛かっただろうな・・・と、その心理状況は涙なくしては読めませんでした。
でも、この本に救いがあるのは、彼の両親と彼女が全国的に有名な居酒屋チェーンに立ち向かい、苦労して過労自殺に至る経過を少しずつ明らかにしていき、労災認定を勝ちとり、ついには社長に謝罪させ、相応の賠償金も得た経緯も同時に明らかにされていることです。そして、その勝利には我らが弁護士も大いに貢献しているのでした。世の中には、苦労しても報われないことも多いのが現実ですが、苦労は、やはり報われてほしいものです。
辞めていった店員を店長が率先して悪く言う。完全な人格否定だ。なぜ、そうするか。必要だからやる。辞めていった奴を、今いる人間にうらやましいとか賢いと思わせたら終わり。みんな、後に続いて辞めていき、使える奴なんて誰もいなくなってしまう。だから、残ってる奴に、辞めることは無責任で、はた迷惑で、最低最悪の選択だってことをとことん刷り込んでおく。そして、たまに、おごってやって誰かの悪口を言わせると、いい具合のガス抜きにもなるし・・・。なーるほど、そういうことなんですね。
テンプク。店長が全体のコントロールを誤って赤字を出してしまうこと。
ドッグ。毎週土曜日の本社での定例役員会議に店長が呼び出されること。役員の前で、なぜテンプクしたのか報告する。中身は、吊るし上げ。言葉のリンチ。どれだけ説明しても、まともに聞き届けてもらえない。何を言っても、店長としての自覚や努力が足りないことにされてしまう。揚げ足をとられたり、あからさまに挑発されたり・・・。
土曜日の朝のドッグ入り。土・日は忙しい。下準備が必要。少しでも寝ていたい。それが分かって呼びつける。こんなに不名誉で、面倒で、体力的にもとことんきつい日に二度とあいたくなければ、自分の無様なテンプクぶりを反省しろってこと。つまりは、見せしめ。
「正確なデータもなしに、なんでもいいから成績を上げろなどという無茶は言っていない。常識的なラインに、あと少しの挑戦や努力があれば達成できる範囲のプラスアルファを加味して、無理なく設定された売上目標・・・。要するに、会社が店長に望むのは、ある程度の強固な意志さえあれば、今後実現可能な目標を、毎日、着実にクリアすることだけ。じつに簡単なことだ」
このように理詰めで言われるのです。店長は売上が良くないときには、人件費を減らすため、パートを早く帰らせ、自分のタイムカードを早く帰ったようにして、実際には店に泊まりこんでしまうのです。
安倍政権の「働きかた改革」というのは、結局のところ、このような過労自殺を助長するだけだという批判はあたっているとしか言いようがありません。
「カローシ」が世界で通用するなんて、不名誉なこと、恥だと日本人は自覚しなくてはいけません。
(2018年3月刊。1600円+税)

2018年7月 7日

松本零士、無限創造軌道

(霧山昴)
著者  松本 零士  、 出版  小学館

私にとって、松本零士といえば、あのスリーナイン(999)の銀河鉄道より、男おいどんの四畳半の世界を描いたマンガのほうが強烈な印象を残しています。なにしろ、四畳半の押し入れには汚れたサルマタ(パンツ)の山が押し込まれていて、そこにサルマタケというきのこが生えてきて、それを食べるのです。それもゲテモノ喰いというのではなく、お金がなくて食べるものがないので、仕方なく生きのびるために食べるという生活を送っているのです。
この本を読むと、著者とほぼ同年齢のちばてつや(この人も私の大好きなマンガ家の一人です)に、そのきのこを食べさせたといい、実話にもとづいているのです。驚きました。
このきのこの正式名称はマグソタケといって、食べられないわけではない、毒性はないきのこだというのです。しかし、もちろん著者もこのきのこを食べていて、いい味だったなんて、信じられません・・・。
そんな「男おいどん」の世界を描くかと思うと、ヌード姿の美女を妖艶に描きあげるのですから、そのペン先の魔法には魅入られるばかりです。
そして、「銀河鉄道999(スリーナイン)」です。その底知れぬ発想力を絵に結実させる力をもつ恐るべき異才の人だと改めて感服しました。
手塚治虫もすごかったし、先日、境港まで行って見てきた水木しげるも恐ろしい才能をもつ人でしたが、著者の絵もまた負けず劣らずすごい、と思います。
永久保存版と銘打つだけの価値のある大判の本です。少し値が張りますので、ぜひ、あなたも、せめて図書館で手にとって眺めてください。
(2018年3月刊。2500円+税)

前の10件 39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー