弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2018年12月 5日
「右翼」の戦後史
(霧山昴)
著者 安田 浩一 、 出版 講談社現代新書
日本の右翼って、今では反天皇であり、アメリカべったりなのではありませんか。靖国神社の前宮司は今の天皇を憎悪しているらしいですね、信じられません。
天皇なんて、黙って利用されていたらいいんだという考えのようです。
そして、財界べったりは戦前からの右翼の伝統なんでしょうが、今では反米どころか親米というより従属(隷属かな)ですよね。日本人の良さを売りにするのは、一体どうなってしまったのでしょうか・・・。
右翼は国家権力の手足として振る舞うだけでよいのか、そんな思いをかかえながら著者は本書を書いたといいます。
右翼とは、単に「反左翼」「アンチ隣国」の運動にとどまっていないのか。「愛国心」を自称しながら、あまりに不平等な日米地位協定を無条件に受け入れているのは、矛盾もはなはだしい。ときのアベ政権を批判しただけで「売国奴」と罵られ、在日外国人であることをもって「出ていけ」と脅迫される時代を見過ごしていいものなのか・・・。
いま外国人労働者を大量に日本へ呼び込もうとしているのは右翼の大好きなアベ政権で、そのためには、まずは労働条件を適正にするのが必要なのではないかと、「左翼」だけでなく世の中一般が批判しているのを、右翼はどうみているのでしょうか・・・。
昔は、日韓の裏社会は太いパイプで結ばれていたので、在日コリアンが暴力団のトップとなり、日本の右翼を支援していた。韓国が民主化されたことで、右翼と韓国のパイプは消滅した。
ネトウヨと右翼の一体化についても指摘されています。右翼がいまの天皇を悪しざまにののしっていることが世間に広く知れわたってしまったら、右翼の威信は(果たして、そんなものがあるのかどうか知りませんが・・・)、たちまち失墜するのではないでしょうか。
日本の右翼の過去と現在を紹介した新書です。
(2018年7月刊。840円+税)
2018年11月28日
「検証。自衛隊、南スーダンPKO」
(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 岩波書店
福岡県弁護士会は去る11月半ばに著者を招いて天神で講演会を開催しました。
著者の話は自らの現地取材を踏まえていますし、防衛省・自衛隊トップから直接話を聞いていますので、大変詳しく、かつ説得力があります。上から目線の話ではなく、実感がこもった平易な語り口に、ときに軽いジョークも入って、耳にすっと入ってきます。といっても、その話は実はとても怖いことだらけなのです。
著者は2012年にアフリカの南スーダンとジブチに現地取材しています。
ジブチには自衛隊の拠点基地があり、拡張されています。初めは、アデン湾に出没する海賊対処が任務でした。ところが、実は海賊が出なくなって久しいのです。でも、自衛隊は撤退しない。それどころか基地を拡張している。なぜか・・・。
いま、アフリカ大陸にアメリカ軍は存在しない。ソマリアでの大失敗にこりてアメリカ軍はアフリカに派兵できない。そこを狙って、中国がアフリカに続々と入りこんでいる。一帯一路の政策で、人もカネもアフリカにつぎ込んでいる。中国はアフリカに対して、貿易・投資・ODAの三本柱で貢献し、援助額の9割を占めている。アフリカ全体で100万人の中国人がいるという。日本は、そんな中国に対して、アメリカの先兵としてアフリカで活動することが期待されている。だから、ジブチから日本の自衛隊は撤退することができない。
2016年10月、稲田朋美防衛大臣が南スーダンを視察した。実は、このとき、現地の南スーダンに稲田大臣がいたのは正味7時間のみ。現地で武力衝突が起きた地域を見事に回避して行動した。そして、稲田大臣は日本に帰国して、現地の情勢は比較的落ち着いていると発表した。ところが、国連の専門家たちは、3ヶ月の調査結果、スーダンの治安悪化は著しいと判断した。
なぜ、こんなにまでして自衛隊のスーダン派遣に安倍政権がこだわるのか・・・。
それは、安保法制下の実績づくりだった。なにがなんでも安保法制を有名無実の法としないため、安倍政権は現地の情勢などおかまいなしに自衛隊を南スーダンに派遣したのだった。
だから、日報を「戦闘」から「衝突」に書き換えるのに、防衛省のトップには抵抗がなかった。
自衛隊員の士気をあげるため、安倍首相は憲法に自衛隊を明記したいと言います。大規模災害のときに重機を駆使する自衛隊員の姿を見て拍手している国民が多いと思います。もちろん、私もその一人です。でもでも、自衛隊員がアフリカや中近東で戦争に巻き込まれ、殺し、殺されるのを見たい人は誰もいないと思います。
著者は自衛隊を憲法に明記したら、日本は完全な軍事優先国家になり、人権も自由も尊重されなくなると訴えています。まったく同感です。
タイムリーな本です。ぜひとも多くの人に読んでほしいものです。
(2018年8月刊。1900円+税)
2018年11月21日
コモリくん、ニホン語に出会う
(霧山昴)
著者 小森 陽一 、 出版 角川文庫
著者は、小学校低学年のときに、チェコのプラハに移り住み、プラハにあるソ連大使館付属のロシア語学校で学ぶようになりました。その体験にもとづく日本語の面白い話です。
クラスの生徒たちのあいだには、当然のことながら、学校特有の序列が微細なところまでつけられていた。子どもは、そうと気づかず、冷酷であり、差別的であり、政治的であり、権力的でもある。
著者は、学校の論理に順応しながら、ロシア語の能力を上げていき、集団内の序列を一段一段上にあがっていくことに快感を覚えるようになった。
家の近所ではチェコ語、親とは日本語、学校ではロシア語という生活が1年半ほど続くと、頭の中で考える言語はロシア語となった。やはり、学校教育の中で使われる言語がもっとも強い支配力をもつのだろう。この状態が日本に戻ってきてからもしばらく続いたために、当初は耳から聞いた日本語を、いったんロシア語に翻訳して理解していた。ところが、日本に帰って半年くらいたったある日、朝目が覚めてみると、頭の中が日本語になっていて、なんとも不愉快な気持ちになった。
ソウルに住む私の3歳の孫は、保育園では韓国語、父親とも同じで、母親(つまり私の娘)とは日本語で、私の家に来たときにも、もちろん日本語で話します。その切り換えは見事なものです。
小学6年生のとき日本に戻ってきて、学校に通うようになったとき、著者の話す日本語が友だちから大笑いされるという衝撃を受けます。つまり、著者の話す日本語は、文章語としての日本語だったのです。
話しことばとしての日本語は、文章語としての日本語とは、およそ異質なことばだということに毎日毎日気づかされていった。 日本語は、決して言文一致体ではなかった、教科書に記されたウソに身をもって気づかされたのです。
ところが、小学校のときに話して友だちから笑われた文章語が、高校に入って生徒総会という政治的な立場での発言としては通用する、多くの聴衆に向かってなら文章語で語って許されるのです。ええっ、そ、そうでしたっけ・・・。
自己とは、語る行為と語りの場、そして聴き手とのあいだで、瞬時に編成されていく現象だ。こともたちが英語を習いはじめると、文章というものは、「私は・・・」から始めなければならないものだという幻想を抱くようになる。
なるほど、そうなんですよね。私も、かつてはそうでした。主語のない文章を書いてはいけないというのは当然の至上命題でした。ところが、日本語の特質は、まさに主語を省いて書くところにあります。述語などから主語を推量していく、させるのが日本語なのです。
日本語の苦手な子どもが、今や大学で国語(日本語)の教師として学生を教えているのです。すごいですね。比較するというのは、まさしく物事の本質をつかむことなのだということがよく分かる文庫本でもありました。
(2018年6月刊。720円+税)
2018年11月20日
子どもの英語にどう向き合うか
(霧山昴)
著者 鳥飼 玖美子、 出版 NHK出版新書
小学校から英語を学校で教えるだなんて、とんでもないことです。それより国語力を充実させるのが先決でしょう。そして大学入試に聞き取りを取り入れ、TOEICなどを利用するといいますが、これまた、とんでもありません。
英語を話せる能力より、英語を読めて書ける能力こそ、もっと重視すべきだと思います。
私はフランス語を50年以上も勉強していて、いまもってペラペラ話すことが出来ません。よほど語学の才能がないのでしょう。それでも、あきらめずに脳のボケ防止のためにも続けています。フランス語検定試験も30年来、毎年2回うけています。語学力の低下を心配してのことです。毎朝、NHKラジオのフランス語を聞き、CDで聞き取りをしています。残念なことに、日々新たなりで、単語も文法もすぐに忘却の彼方へ飛んでいき、引き戻すのに毎日苦労するばかりです。
著者は、「子ども英語」は大人の英語とはレベルが違うと力説します。子どもが英語を勉強するとき、肝心なことは英語嫌いにならないようにすることだというのです。なるほど、と思いました。
日本の子ども英語を学ばせてみても、それほどの効果は期待できない。早いうちから英語を教えればペラペラになるというのは幻想でしかない。ネイティブに近いと日本人が思う発音で、ちょっと何かをしゃべる程度では、使える英語とは言えない。
内容をともなった、意味のある英語を相手にわかるように話すには、読み書きを通して必要な語彙を学び、論理的な組み立てを習得する必要がある。これは、お子さま英語では間に合わない。
幼児期から成人するまで、十数年間も、親がガミガミ言って英語をやらせることはない。子どもが英語を学ぶとき、親としては、間違った英語を学ばないように注意すること、英語嫌いにならないよう配慮すること、これが大切。
小学校で習った英語だけでは社会人になって使える英語にはならないので、中学・高校で読み書きを土台にしっかり学習する必要がある。「みんなやってるから」などと、周囲の空気に同調して流されないこと。
小学生にとって大切なことは、まずは英語の土台をつくること。そのためには、母語である日本語の学びが不可欠。
英語塾に通っていた子も、海外で過ごした子も、英語を習わないまま中学に入った子も、英語の試験では差が出なかった。
自宅での学習習慣のない子どもは、学年が上がるほど、英語だけでなく、他の教科でもどんどん成績が下がっていく。
子どもが興味をもって英語を勉強しはじめたら、英語力は伸びていく。そのためには、親子のふれあいを大切にし、子どもと楽しい経験を共有すること。
小学校での英語教育が始まった今、多くの大人に読んでほしい本だと思いました。表紙にある著者の笑顔がステキです。
(2018年9月刊。820円+税)
日曜日、仏検(フランス語検定試験)準1級のペーパーテストを受け、暗い気分で帰宅しました。今回は文章問題が出来ませんでした。よく意味が理解できず、後半の聞き取り試験で挽回できなかったのです。なんとか書けたのは書き取り試験だけでした。明らかにフランス語力が低下していました。がっかりです。ずっと毎朝NHK・CDの書き取りをしていますし、過去20年間の過去問も3回ほど繰り返し復習したのでしたが・・・。準1級は既に5回は合格していますが、今回は自己採点で5割(120点満点の61点)でしたので、2月の口頭試問は受験できそうもありません(6割が合格基準です)。トホホ・・・、涙が出そうになりました。
夜、寝る前に山田洋次監督が寅さん映画の新作(第50作)をつくる過程の番組を録画していたのをみました。87歳の監督が、亡くなった渥美清を主人公とした映画をつくるだなんて、奇跡のような映画づくりです。いやあ、がんばっているね・・・と、みているうちに元気を取り戻しました。
朝、起きたとき、そうだ、初心にかえってフランス語を続けよう、そんな気分でした。そんなわけで、これからもフランス語もがんばります。
2018年11月16日
内閣官房長官の裏金
(霧山昴)
著者 上脇 博之 、 出版 日本機関紙出版センター
内閣は月1億円という大金を自由に使えます。領収書は不要だし、会計検査院のチェックもなく、まさしく使途不明金です。権力を握った「うま味」なのでしょう。
たとえば、沖縄県知事選挙で与党側の候補を応援・テコ入れするための「実弾」、野党議員を丸めこんで荒れる国会を演じながら乗り切る。そして、マスコミ幹部との高級料亭での豪華お食事会・・・。そんなことで使われる黒いお金です。
そこに敢然とメスを入れようと著者たちが裁判を提起し、ほんの少しだけ秘密に閉ざされた扉をこじ開けるのに成功したのでした。
月1億円ですから年間12億円。もちろん、私たちの血税です。許せませんよね・・・。
この機密費には三つあるとのこと。政策推進費、調査情報対策費、活動関係。いやはや、どれもこれもあいまいな名称ですね。
日航機のハイジャック事件(1977年)の身代金600万ドル、ペルー日本大使公邸人質事件(1996年)、アフガニスタンの反ソ、ゲリラ組織への武器購入資金数万ドル・・・。
沖縄県知事選挙(1998年)のときに7千万円。そして、退任する日銀総裁、検事総長、会計検査委員長へ百万円単位。政治評論家やメディア幹部への付け届け。
マスコミが「内閣官房報償費」という裏金について報道したがらないのは、自らのトップにもこの黒い大金が渡っているから・・・。何ということでしょうか。
首相が退陣するときは、残ったお金を「山分け」して、金庫を空にするのが「礼儀」だった。ひえー、空前の税金のムダづかいですよね、これって・・・。
このような権力の裏金とは、つまるところ暗黒政治の産物にほかならない。
情報公開訴訟で裏金の一端が明るみに出たわけですが、裁判官の大半は、権力の報復を恐れてか、公開を是とする判決を出そうとしない現実があります。困ったことです。
国政の闇に光をたあてた画期的なブックレットだと思います。
(2018年10月刊。1600円+税)
2018年11月15日
財は友なり
(霧山昴)
著者 髙岡 正美 、 出版 浪速社
現代日本では残念なことに労働組合というものの存在がほとんど見えない状況です。過労死・過労自殺そしてブラック企業の横行、さらにはパワハラ・セクハラが止まない職場・・・。いったい、労働基準法・労働組合法はどこにいってしまったんだろうかと心配します。
この本を読むと、労働組合は労働者の生活と権利のために欠かせないものなんだということを改めて教えてくれます。そして、労働者の生活を守るためには、労働組合が会社経営に関与することもあるし、労働組合の幹部が会社の取締役になることだってあるのだと著者は力説するのです。
これは単純な労使協調路線ではありません。資本に労組のダラ幹が抱き込まれ、懐柔されるとは少しばかり違うのです。だって、目の前には工場閉鎖・企業倒産が迫ってくるときの話なのですから・・・。
もちろん、お金をもらえるだけもらって、そんな会社とは見切りをつけてさっさと辞めてしまうほうがいい場合もあるでしょう。でも、他に職を探すのも容易ではありませんし、少しでも会社再建の可能性があるなら、それに賭けてみようという気にもなりますよね。
この本のなかでは、著者が関わったものとして、無責任な旧経営陣を退陣させて、労組が会社を管理し、新しい社長には労組幹部が就任したり、既に引退していた有能な元社長をひっぱってきて社長にすわってもらって見事に企業を再建した例も紹介されています。たいしたものです。
著者のたたかいは、なによりも企業を存続させて労働者の雇用を確保しようとするものだった。そのため、企業を敵視せず、企業再建のためには、労使が一緒になって取り組むことを著者は求めた。これは、使用者言いなりの「労使協調路線」ではなく、労働組合が自ら方針を立て、主体的に経営にかかわり、合意に達しなければ、裁判闘争・労働委員会闘争などの法的手続をとることも辞さない。
著者は、頭の良さに加えて、持って生まれたエネルギーの量と負けん気、手を抜かない自己に厳しい姿勢と努力でこのような力を身につけ、難局にあたってきた。
著者は紙パルプ労連の中央執行委員をつとめ、各地の労働争議に関わってきました。
労働組合のなかには、組合費を基本給の3%にしているところもあるそうです。その高さに驚かされます。3%の組合費を払うだけのメリットがあると一般組合員が受けとめているからこそ続いているのでしょうが、すごいことです。実に素晴らしいです。別のところでは、1人月1万8千円という高い組合費のところもあるとのこと、信じられません。
著者は大阪府地労委の労働者委員となり、4年間に審査事件84件、調査事件50件を担当しました。相手にした企業は91 社。結果は命令交付が25件、和解等で解決したのが23件、訴訟になったのが18件だった。いやはや、大変だったでしょうね。
大商社の伊藤忠を相手にした大阪工作所事件では、残った組合員はわずか18人。ところが、まいたビラは1日4万枚、トータルで100万枚をこえ、2千人からの労働者による抗議行動が御堂筋で展開するという華々しい活動を展開した。その成果として、労組が億単位の解決金に加えて、土地や技術を譲り受け、会社の経営権を握って見事に再建することができた。今も、この会社は存続しているというのです。たまげましたね・・・。
読んでいるうちに、そうか労働組合って、こんなことも出来るのか、やれば出来るんだねと勇気が湧いてきて、心がぽっぽと温まってくる本です。大阪の大川真郎弁護士より贈っていただきました。いい本を紹介していただいてあつく、お礼を申し上げます。
(2018年10月刊。1667円+税)
2018年11月13日
憲法が生きる市民社会へ
(霧山昴)
著者 内田 樹 ・ 石川 康宏 ・ 冨田 宏治 、 出版 日本機関紙出版センター
いまの日本社会をどう考えたらよいのか、アベ流改憲の恐ろしさの本質はどこにあるのか、深く思い至ることのできるブックレットでした。80頁あまりの薄さで、値段も800円です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
カナダはGDPが日本の3分の1、兵力で日本の4分の1だけど、国際社会から敬意と共感を得ている点は、日本を圧倒している。
まことに、そのとおりです。日本なんて、アメリカの属国だと国際社会ではみられていると思います。日本国内のいたるところにアメリカ軍の基地があり、治外法権みたいな状況で、莫大なお金を貢いでいる残念な現実がそれを裏付けています。
自民党には、今では1800万票しか票が入らない。投票所に足を運ばない人が2000万人もいる。
どうせ選挙に行ってもムダだ、変わらないと考えている人が自民党政権を支えているわけです。
いまの日本の政治が劣化した最大の原因は「語るべきビジョンがない」ことにある。アベ首相たちが語る「戦前回帰」、軍事力信仰、そして「日本はすごい」キャンペーンは、日本の未来に見るべき希望がなくなった人たちが過去の栄光を妄想的につくり出して、それを崇拝するという、苦しまぎれのソリューションだ。つまり、未来に何も期待できないので、妄想的に「美しい過去」を脳のなかで構成して、そこに回帰しようとしている。彼らは、20年後、30年後の日本について語ることが出来ない。
そうなんですよね、戦前の日本は良かっただなんて、とんでもないことです。
いまの天皇が護憲派であることはアベ首相もよく分かっている。なので、天皇の退位宣言以降、天皇に対する激しい嫌がらせをしている。アベ首相が集めた「有識者」会議には、天皇を平然と罵倒する人物もいた。「天皇は黙って祈っていればいいんだ」と彼らは言う。天皇崇敬の念は彼らに感じられない。現実の天皇が何を考え、何を願っているか、なんて彼らは何の興味もない。
でも、私たちは希望を捨てることなく、新しい日本の姿を展望しつつ、一歩一歩たしかに前進していきたいものです。沖縄の県知事選挙、那覇市長選挙の勝利は、それが可能だということを証明しているのですから・・・。
(2018年5月刊。800円+税)
2018年11月11日
「資本論」
(霧山昴)
著者 マルクス 、 出版 講談社
講談社が、まんが学術文庫なるものを創刊したのですね、知りませんでした。
マルクス『資本論』には、少なくとも3度は挑戦しています。学生時代に1度、弁護士になってから1度。それぞれ分からないながらも、なんとか読み通したつもりです。そして、もう1回、時期は忘れましたが、挑戦したように思います。
『資本論』は、部分的には分かるところもありましたが、全体としての経済理論は、ついによく理解できないままでした。大学1年のときには、有名なサムエルソンの『経済学』も読みましたが、こちらも、さっぱり訳が分かりませんでした。要するに、この人は何が言いたいんだろうか・・・、そんな疑問が私をとらえて離しませんでした。経済学って難しいというか、まるでピンと来ませんでした。それより、法理論のほうが、よほど私の性分にもあい、理解できました。
そこでマンガで『資本論』を語ると、どんな展開になるのか・・・。ストーリーがあります。『資本論』の記述の説明マンガではありません。
19世紀イギリスの現実社会のなかでもがく若者たちが、パン屋から起業してスーパーを展開し、土地を所有して地代を稼ぐ地主階級を没落させていくというストーリーです。なかでは労働者階級の悲惨な状況も描かれていて、なかなか読ませ、考えさせる展開になっています。
ははーん、こうやって労働者を搾取する支配階級がつくられていくんだな・・・。マンガですから、当然、視覚的な分かりやすい展開です。
しっかり『資本論』を勉強した気分になるのは、さすがです。
(2018年4月刊。680円+税)
2018年11月 4日
おじいちゃんのノート
(霧山昴)
著者 中村 輝雄 、 出版 セブン&アイ出版
開くと真っ平になるノートが付録として付いている本です。いわば奇跡のノートですよね、これって・・・。
「このノートは、書きやすくコピーやスキャンも影が出ない、画期的な水平開き製本の新時代ノートです。左右ページ単独に、または両面をワイドに使用!テーマに合わせて使い方いろいろです」
なるほど、どのページもたしかに水平開きになるノートです。
そこで、問題は、誰が、どうやってこんなノートを開発したのか、です。
誰が・・・。零細そのものの「中村印刷所」という会社です。80歳になる製本職人と70歳の社長の二人して2年がかりで完成させたのです。すごい執念です。2012年に始めて、2014年に完成しました。
どうやって・・・、というと、製本職人と社長が二人で、試行錯誤を繰り返したということに尽きるようです。でも、零細な町工場が画期的なノートをつくったからといって、一挙に市場で注目され、売れるものではありません。
そこに、SNS(ここではツィッター)が登場します。
「うちのおじいちゃん、ノートの特許をとってた・・・。宣伝費用がないからできないみたい。どのページを開いても見開き1ページになる方眼ノートです」
このツィッターがたちまち拡散して、半日たたずに2万件をこえた。やがて、10万をこえるアクセスがあり、テレビ局や週刊誌から取材したいと電話がかかってきた。
在庫はたちまちなくなり、引き戸を閉め、カーテンを引いて、部屋の電気も消して居留守を使った・・・。
いきなり、大騒動になったのです。ツィッターの威力って、すごいんですね、見直しました。
すでに10万冊以上の水平開きノートが販売されたそうです。おめでとうございます。
きっかけは、印刷所が不景気になって、仕事がなくなったことにあります。そこで、なんとか売れる商品をつくろうとがんばって世に送り出したのが、水平開きノートだったのです。
「ノドが膨らまないノート」です。ノドとは、見開いた本の真ん中、ページを閉じた部分のこと。水平開きノート開発のカギは、接着剤にある。
いやあ、いい話ですね。苦労が報われる社会というのはいいものですよね。
(2016年8月刊。1500円+税)
2018年10月25日
前川喜平が語る、考える
(霧山昴)
著者 前川 喜平 ・ 山田 洋次 ・ 堀尾 輝久ほか 、 出版 本の泉社
世の中のことを、真面目に深く考えている人がこんなにたくさんいることを知ると、思わず私の身体も底から熱くなってきます。
山田洋次監督が夜間中学を舞台とした映画『学校』をつくりましたよね。本当にいい映画でした。
昼間の生徒たちは勉強するのがうれしくない。でも、夜の教室に行くと、みんなうれしくてしょうがないという顔をして勉強している。そして教員室も明るい。ちょうど劇団の事務所みたいに、生き生きとしている。
夜間中学では、生活基本漢字381文字を重点として教える。とりあえず大人の日常生活に必要な漢字を身につけさせる。
寅さん映画を見て厚労省に勤める人が山田洋次監督に次のような手紙を書いた。
「寅さんは、どうして健康保険に入ってないんですか。寅さんでも入れます。住所不定なら、さくらさんの住所にすればいいんです。私たちの仕事は一人残らず健康保険に入ってもらう。これが国民皆保険の思想ですから、ぜひ寅さんも入れてやってください」
この手紙は厚労省の本当に心ある公務員は、日本に暮らす人々の暮らしをちゃんと守りたいという気持ちを、強く持っていることを示している。
うむむ、なかなか感動的な手紙ですよね、これって・・・。
同じように、日本の法曹界にしても、まだまだあきらめてはいけない。前川さんのような人が、まだいるかもしれない。だめな人もいっぱいいるのかもしれないけれども、ちゃんと話の分かる人が、これじゃあ良くないと思いながら、悩んでいる人たちもたくさんいるんじゃないか、そう思った・・・。そうであってほしいと、私も切に願います。
教育学の堀尾輝久名誉教授の授業を前川さんは法学部でありながら、教育学部で「もぐり」で受講していたとのこと。私も教養課程のとき聴いた覚えがありますが、人間性を大切にする教育の真髄を教えられ、ズシンと来るものがありました。
いまの教員は忙しすぎて、子どものことを考えられない。マニュアルにしたがってやれば楽だし、文句も言われない。多くの教師が流されていて、労働組合も弱体化している。
右翼が「日教組、撲滅」と叫ぶほどに日教組の力は強くないというのは世間で公知の事実ではないでしょうか・・・。
前川さんも、私と同じようにテレビ『ひょっこりひょうたん島』をみていたそうです。私の旅行仲間の愛称が「ひょうたん島」です。
そこで勉強の歌がうたわれる。
子どもたちが、「勉強なさい、勉強なさい、大人は子どもに命令するよ、そんなの聞きあきた」と歌う。これに対して、先生が「いいえ、いい大人になるためよ。人間らしい人間、そうよ人間になるために、さあ勉強なさい」と歌う。
小学5年生の前川さんは、それで、「そうか人間になるために勉強するのか」、そう思ったとのこと。
学習することが、すべての人間らしい生き方のベースなんだ。人間にとって学ぶことの意味、自分らしく生きることの大切さ、個人の尊厳を大切にする多様性のある社会の必要性、そしてそれらを圧殺しようとする権力の危険性、これをずっと一貫して考えてきた・・・。
教育とは何か、その本質に迫る対談集でした。
大変勉強になると同時に、元気の出る本です。ぜひ、ご一読ください。
(2018年9月刊。1500円+税)