弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2019年1月 4日
つたえるエッセイ
(霧山昴)
著者 重里 徹也、助川 幸逸郎 、 出版 新泉社
心にとどく文章の書き方というサブタイトルがついた本ですので、早速、手にとって読んでみました。というのも、私の敬愛する先輩から、もう少し味わい深い文章を書くことに挑戦したらどうかと最近、苦言というか助言を受けたからです。
私は小学生のころから日記をつけていましたし、中学校で作文がうまいわねと担任の教師から賞賛されたことに自信をもったあとからは文章を書くのは苦になりませんし、早く、分かりやすく書けます。ところが、そこに味つけをしろというアドバイスを受けたのです。私の課題となりました。
何のために書くか・・・。答えは二つ。一つは、他人に伝えるため。もう一つは自分自身で自分の思想や感情を知るためだ。この二つのことが同時にできるのが、文章を書くことの醍醐味なのだ。
タイトルのつけ方で文章は決まる。タイトルを本気でつけるのが、レポート改善の特効薬。
私は小見出しが大事で、小見出しなしの文章は読みづらいし、しまりがないと考えています。小見出しを先につけて、それにあわせて文章を書くことはよくあります。
最初に自分が何を書きたいのか、はっきりさせる。その点を意識すると、最後まで滞りなく仕上げることができる。
ディテール(細部)が大事。それが文章にみずみずしさ、新鮮さをもたらす。
センテンス(一文)を短くすると、読みすすめるうえでの抵抗感が減る。
一文の長さを切りつめると、一気に文章の完成度があがる。
文章は、他人分かってもらうことを目ざして書く。
他人に伝わる文章を書くためには、自己を相対化することが必須で、そのためには寝かせることがもっとも有効。寝かせるというのは、何日か放っておいて、しばらくしてから読み直してみるということです。
締め切りよりも早く原稿を送るのが売れないライターの心得。たくさん書いて、あとから削る。さいしょは2.3割よけいに書いて、あとから規程の量まで減らすと、密度の濃い文章ができあがる。
文章は、自分が望む反応を相手から引きだすために書く。
私は、一文は短く、分かりやすく、そして速く書き上げることをモットーとしています。そのうえで、味つけを考えないといけません。さあ、どうしましょ・・・。
とても役に立つ文章の書き方が満載の本でした。
(2018年10月刊。1600円+税)
2019年1月 3日
居酒屋チェーン戦国史
(霧山昴)
著者 中村 芳平 、 出版 イースト新書
居酒屋の盛衰史を知ることができて、最後まで興味深く読み通しました。
酎ハイとサワーは同じもの、男性向けに酎ハイと呼び、女性向けにはサワーと呼ぶ。そんなことも知りました。そして、酎ハイは、居酒屋の稼ぎ頭なんですね、驚きました。
酎ハイの原価は、わずか数十円。それが280円とか300円で飛ぶように売れ、酎ハイほどけた外れに売れる商材はなかった。そして、女性受けするように、まったく同じものを「レモンサワー」と名づけて売り出した。酎ハイを開発したのは「村さ来」。しかし、どこの居酒屋もすぐ真似した。
居酒屋は、リスクは高いが一発あたれば大もうけができる。固定客に恵まれると、居酒屋ほどもうかる商売はない。ファミリーレストランの客単価が850円であるのに対して、居酒屋だと客単価は3000円から3500円。
居酒屋では「コバンザメ商法」が流行している。知名度や集客力、資本力で劣る店が自店にまさる店の近くに出店して、おこぼれをちょうだいしようとする戦略だ。これなら、立地の選定やマーケティング調査などに時間や費用をかける必要がない。
居酒屋業界では、「二番手商法」が大手を振ってまかり通る。要するに模倣が通用するのだ。真似ても文句を言われない。
「サイゼリヤ」は包丁なしで調理できるシステムを開発した。串打ちされた冷凍焼き鳥を乗せたら自動的に焼き上がる「串ロボット」、ジョッキを乗せると15秒ほどで自動的にビールを注げるサーバー。肉・魚・パン・ピザをジェット噴射で素早く調理するジェット・オーブン。
「ハイテク居酒屋」では、5人で150席の店舗を切り盛りできる。これで人件費比率を30%から25%へ引き下げた。
居酒屋チェーンの第一世代は「養老乃瀧」、「村さ来」、「つぼ八」。第二世代は「モンテローザ」、「ワタミ」、「コロワイド」。第三世代は「鳥貴族」、「串カツ田中」、「立吞み晩杯屋」。居酒屋チェーンは、常に新旧交代劇が繰り返されてきた。
いま、居酒屋離れ、居酒屋チェーン離れが加速している。人手不足から来る人件費の高騰、原材料調達コストの上昇。
消費者の節約志向は根強く、宅飲み、家飲みの風潮が広まり、イート・イン・コーナーを利用したコンビニ飲みが流行している。
そして、「ちょい飲み」が吉野家やガスト・サイゼリヤなどの外食チェーンで広がり居酒屋チェーンに脅威をもたらしている。
私も、もちろん居酒屋に入ったことはありますが、出張先で一人のときには本を読みながら食事のできる小さな小料理屋かイタリアンにしています。あまりに騒々しいのは本に集中できません。そして、本が読める明るさがほしいのです。
(2018年10月刊。861円+税)
2019年1月 1日
もう一つの『バルス』
(霧山昴)
著者 木原 浩勝 、 出版 講談社文庫
宮崎駿(はやお)の映画『天空の城ラピュタ』がどうやってつくられていったか、その舞台裏が熱く語られています。
『風の谷のナウシカ』は91万5千人がみて、興行収入14億8千万円、配給収入7億4千万円。『ラピュタ』は、77万4千人。決して成功とは言えないが、かといって失敗とも言えない微妙な成績だった。
それでも、1986年(昭和61年)の映画ベストテンの1位に選ばれた。そして、30年たった今でも、繰り返しテレビで放送されていて、ネット上では、『バルス祭』が毎回盛り上がる。
当時26歳だった著者は、青春まっただなか、そして、この『ラピュタ』の完成にすべてを懸けていた。著者はスタジオジブリに入社して、製作進行担当として、完成までの10ヶ月間を宮崎駿監督の下で、製作チームのスタッフとともに、文字どおり寝食をともにした。
「この作品は失敗できないんですよ」。宮崎監督は著者に声をかけた。
失敗したらスタジオの明日はない。
そして、完成したのは、公開のわずか10日前。
完成披露試写のとき、『天空の城ラピュタ』を観たあと、著者は声も無く泣いた。そして、宮崎監督が著者の背中をポンと叩いて言った。
「二人で『トトロ』を始めます」
そうなんですか、その次は、『となりのトトロ』だったんですか・・・。
映画のプロローグとは、物語が始まってオープニングタイトルが出るまでの小さなドラマのこと。2時間の映画のなかに、最初のわずか3分50秒たらずのドラマ。この短い時間のなかで、すべての観客の心をしっかりとつかまなければならない。それができなければ、あとに続く2時間もの物語にその心をつきあわせることは、難しい。
宮崎駿監督はこのプロローグをどう展開して、どうオープニングにつなげるか、最初の作業から苦しんだ。試行錯誤が繰り返された。いかにムダな時間やカットを使わないで事件性を高くし、スリルあふれる冒険活劇が始まることを観客に印象づけるか、襲撃方法から服装に至るまで宮崎監督は苦心惨憺した。
宮崎監督の毎日は、判で押したように決まっていた。
朝は10時に自分の椅子に座ると、深夜1時か2時近くまで、そのままずっと絵コンテを描いている。席を立つのはトイレに行くときと、お茶を汲むときだけ。
休憩は、お昼ご飯の弁当を新聞の朝刊を読みながら食べるとき、その後、30分ほど仮眠をとる。夕方、晩ご飯を食べに外に出る。それだけ。いつも自分の机で背中を丸めて鉛筆を走らせている。まるでお地蔵さんみたいに・・・。
座る椅子は折り畳み式のパイプ椅子。
宮崎監督は絵コンテの天才だ。アニメを制作するにあたって、絵コンテがないと、すべてが始まらない。絵コンテは、いわば作品全体の設計図にあたり、それぞれのカットの芝居・演出や台詞(セリフ)・タイムなどを示す。
若い血汐の湧きたつ思いが沸沸と伝わってくる本でした。
(2018年9月刊。700円+税)
2018年12月27日
「身体を売る彼女たち」の事情
(霧山昴)
著者 坂爪 真吾 、 出版 ちくま新書
JKビジネスは東京都内では条例によって禁止された。
JKビジネスとは、現役のJKつまり女子高生らが男性客相手に添い寝やマッサージ、散歩の相手を行うサービスの総称。
本書は、JKビジネスの業態の一つである「派遣型リフレ」を主な対象としています。店舗は存在せず、女性が直接に客の待つホテルの部屋を訪問してサービスを提供する仕組み。一般的な性風俗店とは異なり、リフレに決まったサービスメニューはない。どのような内容のサービス(オプション)をいくらで行うかは、女性と客との交渉で決まる。オプションで得られた料金はすべて女性の取り分になるため、いかに客を引き付ける魅力的なオプションを提供できるかどうかが、派遣型リフレで稼げるか否かの分かれ目になる。
最終的には手や口で射精に導くこともあり、性風俗との境界線は、かなり曖昧だ。
JKビジネスの現場にいるのは、「JK風」の女の子たち。現実の女子高生ではなく、専門学校生や大学生、そしてフリーターだ。
彼女らは、JKビジネスの危険性を知らないでやっているのではない。JKビジネスで働くリスクとリターンを冷静に計算したうえで、期限付きの自らの若さと肉体の商品価値を最大評価で換金することを目ざして、あえてこの世界に巻き込まれている。
派遣型リフレは、必ずしも貧困ではない少女たちが、積極的かつ自覚的に自らの性をきめ細かく商品化して、荒稼ぎしている世界だ。彼女たちは、全員が貧困少女でもないし、必ずしも救いや関係性を求めているわけではなく、学費や趣味のために淡々と働いている。
派遣型リフレは大きく分けて三つのリスクがある。一つは、身体的リスク。本番強要などの性暴力被害、性感染症、盗撮・ストーカー。その二は、メンタル面のリスク。単独行動中に嫌な目にあっても、自分ひとりでかかえこむしかない。友人にも話せない。三つは、20歳の壁。リフレで破格の売上を手にできるのは、せいぜい20歳前後まで。
風テラスという、性風俗で働く女性を対象にした無料の生活・法律相談事業があります。弁護士とソーシャルワーカーがチームをつくっていろんな相談に対応しているのです。そのなかには、九州の法テラスで活躍していた浦崎泰弁護士もいます。
生活保護は嫌です。
車が使えなくなると、困るんです。
家族に役所から連絡が行くのが嫌なんです。
生活保護よりもデリヘルで働くことを彼女らは選ぶ。
扶養照会や資力調査、ケースワーカーの訪問といった「社会的な恥」に耐えながら、不自由な暮らしのなかで、生活を立て直す道を選ぶか。それともホテルの密室で、初対面の男性の前で全裸になるという「個人的な恥」に耐えながら、デリヘルで働いて自由な暮らしをする道を選ぶのか。
デリヘルは、月10日出勤するだけで15万円は稼げる。無料低額宿泊所よりも、性風俗店の待機部屋のほうが「自由に過ごせる」、「居心地がいい」と感じる女性が確実に存在する。
待機部屋には、事情をかかえた女性たちがやむにやまれず身体を売っているといった悲壮感は一切感じられない。
安易に脱ぎや本番に走ると、結果的に稼げなくなる。デリヘルの世界は、本番をするだけで稼げるほど甘い世界ではない。本番嬢は長続きしない。
女性が性風俗で働く理由の大半は、マクロな視点で見たら、「自分のせい」ではなく、「社会のせい」だ。ところが、女性自身は現在自分の置かれている状況をすべて「自分のせい」だと考えている。
現代社会で何が起きているのか、よくよく考えさせられました。
私が現在かかえている案件のうちの二つで、夫(男性)側の主張として、妻(女性)は風俗で働いていたことを問題としています。本当にデリヘルは身近な問題なのだと実感して読みました。
(2018年10月刊。1600円+税)
2018年12月25日
井上ひさし全選評
(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 白水社
驚嘆・感嘆・慨嘆の本です。1974年(昭和49年)から2009年(平成21年)まで35年間にわたって、著者が各賞の審査員となり、選評を執筆したものを集めた本です。なんと772頁もありますので、私は読了するのに2ヶ月ほどかかりました。日曜日のお昼に、ランチタイムのおともとして読みふけったのです。
いやはや、著者はとんでもない量の本を読んでいますよね・・・信じられません。
そして選評の言葉が実に温かいのです。作家を目ざすなら、もっと言葉そして文章を大切にしてほしいという苦言も呈せられることがありますが、それも温かい励ましとしか思えないタッチなのです。
文章に微妙なズレがあるのが気になる。それをなくすためには、古書店から日本文学全集を一山買い込み、古今の名作をうんと読んでことばの感覚を養えば、きっといい作品が書けるはず。
うひゃあ、日本文学全集を読破しないと、いい作品は書けないんですか・・・。まいりました。
「文章は活(い)きがいいものの、ところどころに小学校高学年クラスの、それも手垢のついた表現が現われて、これは損である」
なんとなんと、「小学校高学年クラス」と評されてしまっては、やはりみじめですよね。
「頻繁な行替えや体言止めは、文章をハッタリの多い、いわば香具師(やし)の口上のようにしてしまうから危険な要素なのだ」
なるほど、そんな点も気をつけるのですよね・・・。
作品とは、読み手がそれを読み終えた瞬間に、はじめて完結する。
エッセイとは、つまるところ自慢話をどう語るかにある。もとより、読者は、一般に明けすけな自慢話は好まない。そこで書き手は自慢話を別のなにものかに化けさせ、ついには文学にまで昇華させなくてはならない。では、何をもって昇華作用を起さしめるのか・・・。
エッセイが自慢話であることを、どう隠すかが勝負の要(かなめ)。その一点にエッセイの巧みさ下手が現われる。
日本語は、世界のコトバのなかで、とりわけ「音」の数が少ない。英語が4000、中国語(北京語)が400の音でできているのに、日本語は、「アイウエ・・・ン」の45音、それに拗音と濁音、半濁音を加えても100ちょっとしか音がない。100とちょっとの音で森羅万象を現さなければいけないから、どうしても同音異義語がたくさんできてしまう。
小説は、言葉と物語とか読者の胸にしっかりと届いて、そのとき初めて完結する。
「本文は、文章も物語も華麗すぎて、とりとめがなくなり、読む者をいらいらさせる。本能の見せびらかしすぎです。思いついた比喩やギャグを全部並べたててはいけない」
これは、かなり手きびしい評価です。それだけ著者は作者の才能を買っているということなんでしょうね。
小説とは、書き手が読み手に何か祈りのようなものを分かち与える行為なのだ。
「むやみに難しく書いて、『文学している』と錯覚する、いわゆる文学青年病にかかっていないのがよろしい」
すべて作品は読者の胸にしっかりと収まってはじめて完結へ向かうもの。
中島博行(横浜の弁護士です)の『違法弁護』について、ヒロインに艶や照りを欠いている、会話に洒落っ気や諧謔味が乏しいのは残念という選評です。私も自戒しましょう。
着想や手法も大事だが、文章はもっと大事。神経の行き届いた文章で、もう一度、挑戦してみてください。
出来そうで出来ないのは、「人間」を書くこと。さらに、「人間」と「人間」との関係を書くことは実にむずかしい。このあたりは、勉強や努力の域をはるかに超えて、その書き手が神様からどれだけ才能をもらって生まれてきたかにかかっていると言ってよい。
ええーっ、そ、そうなんですか・・・。では、私はダメなんでしょうか・・・。トホホ、です。
「文章の快い速度感があって、そこに豊かな才能を感じはするものの、あまりの作意のなさと自己批判の乏しさに半ば呆然とせざるを得ない」
うむむ、これまた、かなり手厳しい選評ですね。
そんなわけで、モノカキを自称する私としては、作家になるには、まだまだハードルはあまりにも高いと自覚せざるをえませんでした。
何のために私たちは小説を読むのか。それはひまつぶしのためだ。だけど、良い小説は、私たちの、その「ヒマ」を生涯にそう何度もないような、宝石よりも光り輝く「瞬間」に変えてしまう。しなやかで的確な文章の列が、おもしろい表現や挿話のかずかずが、巧みにしつらえられた物語の起伏が、そして、それを書いている作者の精神の躍動が、私たちの平凡な「ヒマ」を貴い時間に変えてくれるのである。
いやあ、なんと心に迫る文章でしょうか。さすがは井上ひさしです。こんな文章に出会っただけでも、この部厚い本をひもといた成果がありました。
ひまつぶしに最適の本としておすすめします。たくさんの本が紹介されていて、おもしろそうな本に出会う手引書にもなります。
(2010年3月刊。5800円+税)
2018年12月21日
オウム真理教事件とは何だったのか?
(霧山昴)
著者 一橋 文哉 、 出版 PHP新書
先日、民放テレビが「坂本弁護士殺害事件の真相」を描いた特集番組を放映していました。いつもテレビは見ませんので、録画してもらったのを見ました。久しぶりに坂本弁護士の笑顔に接することができました。そして、妻の都子(さと子)さんと3歳の長男(龍也君だったかな)と親子三人で楽しそうに公園で遊んでいる映像も流れました。
何の罪もない弁護士一家を、オウムは活動の邪魔になるといって殺したのです。しかも、弁護士だけでなく、妻と3歳の子どもまで・・・。オウムの男たち6人で就寝中の一家3人に襲いかかって殺害しました。途中、都子さんは子どもだけは助けて、殺さないでと叫んだというのですが、男たちは一家3人をその場で殺し、なんと3人の遺体はバラバラにあちこちの山林に埋めてしまったのでした。本当にむごいことをするものです。
そんな殺人教団に、今も信者が2千人はいるというのには驚かされます。信じられません。
この本の後半では、1995年3月30日の朝に起きた国松孝次・警察庁長官狙撃事件の犯人が今なお捕まっていないことを問題としています。
21メートル離れたところから動いている人間に3発の銃弾を命中させるというのはスナイパーとしてきわめて優秀でなければありえない。犯人として疑われた男たちにそんな能力があるとは思えない。オウム信者だった元巡査長の自供は客観的に疑わしいのに、なぜビジネスホテルに監禁して取調したのか。そもそも国松長官が、長官になる前に億ションとも呼ばれる超高級マンションを即金で買えたのは例の裏金(または餞別金)の成果なのではありませんか・・・。いろいろ疑わしいことだらけのまま、結局、迷宮入りしてしまいました。世界一優秀なはずの日本警察の親分(トップ)が狙撃されて瀕死の重傷を負ったというのに、その犯人を捕まえることができず、今もって犯人像すら不明というのでは、「優秀」だという看板が泣きます。
この本の前半には、教祖の麻原がオウム真理教をたち上げるに際して、3人の男の力を借りていることを紹介しています。「神爺」と呼ばれる70代の老詐欺師、阿含(あごん)宗のときから行動をともにしてきた「長老」、そして、インド系宗教団体にいた「坊さん」の3人が、麻原とともにオウム真理教の基礎を築いた。
なるほど、麻原は弁舌さわやかに人をたぶらかすことに長(た)けていたようですが、それは老詐欺師によって磨きをかけられていたということのようです。
私はオウム真理教事件を絶対に風化させてはいけないと考えています。まして、今なお殺人教団の教えを「真面目に」実践している信者が2千人もいるというのですから、彼らの「教え」の本質が詐欺であり殺人教団であったことを、事実でもって明らかにしていく必要があります。
その意味で、今回の死刑執行は間違いだった、少なくとも早すぎたと私は考えています。
今でもたくさんの解明すべき疑問点があるのです。時がたてば分かってくることもありうるのです。彼らを死刑執行するのではなく、生かして、もっと事実を語らせるべきだったと思います。それは裁判が有罪で確定したから不要だということにはならないのです。
いろんなことを考えさせてくれるタイムリーな本でした。
(2018年8月刊。920円+税)
2018年12月20日
憲法について、いま私が考えること
(霧山昴)
著者 日本ペンクラブ 、 出版 角川書店
日本ペンクラブが憲法について語る本は、これが2冊目。1冊目は、1997年に井上ひさし選で『憲法を考える』(光文社)でした。
それから21年たって、今や日本国憲法の運命は大変な危機に直面しています。
アベ流のごまかし改憲が現実化する心配が強まっているなかで、ペンクラブの面々が、思い思いに憲法を語っているこの本は、大きな意義が認められます。
それにしても、アベ流改憲を狙っている人々は、そろいもそろって根っからの対米従属、対米屈従の人たち。歴代自民党政権の背後には、常にアメリカの指図があり、その世界戦略に都合のよいように自衛隊を位置づけ、そして日本という国のありようも変えようというのです。
ほれぼれするように立派で美しい憲法である。でも、この憲法には脆弱性がつきまとってきた。違憲であるものに常に足蹴(あしげ)にされてきた。この平和憲法を守るのは簡単でありながら、大変至難に思える(志茂田景樹)。
私たちは、すこぶる滑稽な時代を生きている。だって、そうではないか。大臣や高級官僚が、明らかに嘘とわかる大嘘を、平気で堂々と述べるのである。肝心なことは記憶にない、の一言ですますのである。嘘つきと健忘症たちが、国政をになっている(出久根達郎)。
私にとって、家庭とは父親がいないものだった。明治生れの父は外に女をつくり、家にはめったり寄りつかなかった。父の横暴と、ただ泣くしかなかった母の記憶は、私の世界観の基本である。力で人を従わせる人間への嫌悪。弱者を思いやる気持のない政治への怒り(赤川次郎)。
2017年の10~20代の行方不明者は3万3000人。ここ数年、10~20代の自殺者は毎年3000人。15~29歳の引きこもりは38万人(2015年)。
金子みすずと入選順位を競った詩人の島田忠夫は、戦時中は軍国詩人になったにもかかわらず、疎開先で文学をしていて地元民からスパイと疑われて警察に密告され、官憲から拷問を受け、終戦の一週間前に若くして急死した(松本侑子)。
安倍晋三や麻生太郎ならぬ阿呆太郎をふくめて、壊憲派(改憲派)は山口組の組長以下の歴史認識しかもっていない。侵略戦争をしたことへの痛烈な反省から9条は生まれているのに、それが分からないから、9条を壊して、また侵略戦争をしようとしている(佐高信)。
かつて「家族」とは、「戸主」が扶養すべき人々のことであって、戸主本人は家族の一員ではなかった(中島京子)。
「梅雨(つゆ)空に 九条守れの 女性デモ」
これが公民館だよりへの掲載が拒否された俳句です。ここまでアベ流改憲が押し寄せてきているかと思うと、暗然とします。それでも、日本ペンクラブって、がんばっているんですね。励まされました。
(2018年9月刊。1700円+税)
帰宅したら、先日の仏検の結果を知らせるハガキが届いていました。どうせダメだったんだよな、暗い気持ちで開いてみると、意外にも合格していました。120点満点で62点とっていて、基準点60点をクリアーしていたのです。自己採点では61点でした。これまでは80点前後をとっていましたから20点も下まわって不合格したと思っていたのです。要するに、問題のレベルがいつもより難しかったということでしょう。
1月末に口頭試問を受けます。気を取りなおして、毎朝のフランス語学習にこれまで以上に力をいれるつもりです。
2018年12月12日
アマゾン
(霧山昴)
著者 成毛 眞 、 出版 ダイヤモンド社
私にとってアマゾンは、急に本を求めるときに利用するところでしかありません。ところが、この本を読んで、アマゾンは、今や世界制覇を狙っている企業なのではない、そんな恐れの気持ちすら抱いてしまいました。
アマゾンが営業を開始したのは1995年。今から、わずか23年前のことです。ところが今では、とんでもない世界的巨人企業になっています。
アマゾンの株価は、上場したときより125倍に上昇した。といっても、配当はしていない。
長いあいだ、アマゾンは利益を計上せず、ほとんど設備投資にばかりまわしている。アマゾンは、毎年、数千億円も費やして、超大型の物流倉庫や小売店を次々に建設している。
アマゾンの本当の強さは個人向けに本を売るところではなく、企業向けサービスにある。アマゾンウェブサービス(AWS)の営業利益は43億ドル。これは、アマゾンのどの事業よりも高い。
フルフィルメント・バイ・アマゾン(FBA)の仕組みがあるため、マーケットプレイスで扱われる商品数は全世界で2億品目をこえる。アマゾンのマーケットプレイスには全世界で200万社が利用している。アメリカのネット通販市場ではアマゾンのシェアは4割をこえ、その取扱い高は20兆円に達している。
アマゾンの最強の物流システムでは1ヶ所の倉庫から毎日160万個の商品を出荷できる。
アマゾンの時価総額は78兆円(7777億ドル)。これは、日本の上位5社、トヨタ自動車、NTT、ドコモ、三菱UFJフィナンシャル・グループ、ソフトバンクをすべて足しても及ばない。
アメリカの低所得層、つまりフード・スタンプの受給者はウォルマートを頻繁に利用している。アマゾンは、そこを狙った。
アマゾンには、ダッシュボタンがある。定期おトク便だ。よく購入する商品を、あらかじめ設定しておくと割引価格で定期的に商品が届くシステム。これがうまくいくと、その企業にとって消費者は競争相手の商品を買わず、広告費を大幅に抑えられる。
AWSはアメリカのCIAも利用している。そのセキュリティーの高さが証明されたようなものなので、全世界で利用が広がった。
アマゾンのプライム会員になると、映画やドラマが見放題で、音楽も100万曲が聴け、写真も保存し放題。日本では、本や食品が当日配達される。
これらは、AWSのもうけがつぎ込まれるため可能となっている。
世界中のデータセンターのうち、アマゾンのシェアは4割。
日本のアマゾンプライム会員は600万人。アメリカは8500万人。年会費は前払い。プライム会員の年会費はアメリカで1万2千円なのに、日本では3900円でしかない。しかも、月400円もある。
アマゾンの配送費は1兆円をこえている。売上高に対する配送費の割合は10%をこえている。
アマゾンは、日本で4億個を配送するが、その65%の2億5千個をヤマトが請負っている。ヤマトの15%に相当する。
アマゾン、まさしく恐るべしを実感させる本でした。
(2018年10月刊。1700円+税)
2018年12月 9日
懲戒解雇
(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版 文春文庫
今から40年も前の小説ですが、まったく色あせしていません。企業小説のベスト・オブ・ベストとオビに書かれていますが、オーバーではありません。山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んだときにも思いましたが、大企業の内部での人事抗争の激しさは想像を絶しますね。つくづく民間企業に入らなくて良かったと思いました。
モデルがいる企業小説で、あとがきでは、その後の人生展開も紹介されています。
技術系の課長職にあるエリート社員が懲戒解雇されそうになり、逆に会社を相手として地位保全の仮処分申請をするという前代未聞の出来事が起きたのでした。丹念に取材して、うまく小説に構成されていますので、感情移入できて歯がみする思いで読みふけることができます。
社内には、次か、次の次には自分が社長だと自信満々の野心家がいるものです。そして、目的のためには手段を選ばないところから、社内で反発を買い、結局のところ、野心に駆られて強行した懲戒解雇に失敗するどころか、社長になる前に寂しく去らざるをえなくなります。そして、問題のエリート社員は会社を去らざるをえなくなりましたが、インドネシアで大活躍したのでした。
会社のなかでも筋を通す人はいるし、そんな人にエールを送る人も少なくはないのですね。文科省の元事務次官だった前川喜平氏をつい建想しました。近く福岡にも佐賀にも来て講演されるようです。憲法と教育の関係など、いま考えるべき課題をはっきり示していただけそうです。聞き逃さないようにしましょう。
(2018年6月刊。800円+税)
2018年12月 7日
金融危機と恐慌
(霧山昴)
著者 関野 秀明、 出版 新日本出版社
去る11月に天神の講演会で著者の話を聞きました。たくさんの統計データを駆使して、とても分かりやすい話で感銘を受けました。
質問する機会がありましたので、私は二つだけ問いかけました。その一は、軍事予算が5兆円を超して増大しているけれど、これを削って福祉にまわしたらいいと経済学者が主張しないのはなぜなのか、です。
これに対しては、イージス・アショアだとか航空母艦だとか、明らかに専守防衛を超えていたり、無意味なものを削るべきだと考えているとの答えが返ってきて安心しました。今度、アメリカの最新鋭戦闘機F35を日本は100機も購入するといいます。トランプ大統領に押しつけられたのでしょう。1機100億円するのを100機ですから、総額1兆円です。とんでもありません。
その二は、日本の大企業は労働者の賃金を引き上げて労働意欲と購買力を上げて、生産性向上と消費増大を考えていないようだけど、それはなぜなのか、です。
著者は、これに対しては、日本の大企業は今や日本国内の市場には目が向いておらず、海外でいかにもうけるかしか考えていない。アフリカなどへ進出するとき、それを守ってくれる日本の軍隊(自衛隊)を求めているということなのだという答えでした。さびしい話です。この本には、それに関するデータが満載ですから説得力があります。
日本の雇用の非正規化がすすむなかで、労働者間の競争が激化し、正社員として雇う代わりに死ぬほど働けというブラック企業を繁殖させる土壌となっている。この労働者間競争を人間性を使いつぶすレベルまで利用するのがブラック企業の虐待型管理だ。
ワタミの渡辺社長は、今は自民党の国会議員になっていますが、典型的な虐待型管理のため、ワタミの若い女性社員が自殺に追い込まれてしまったのでした。
固定残業代制度は、払われる残業代をはるかに超過する違法残業を隠蔽し、労働者を使いつぶす仕組みになっている。ブラック企業は、辞めさせる技術を駆使して、労働者の選別を進めている。
日本では生活保護を受けられるのに受けている人は世界的にみて少ない。捕捉率は平均18%でしかない。フランス92%、ドイツ65%だから、圧倒的に少ない。
生活保護を受けている人を叩いても、公務員を叩いても、その場限りのうっぷん晴らしにはなっても何の解決にもならない。ワーキングプア(働く貧困層)が、それで報われることはない。ところが、目先のうっぷん晴らしにいそしむ人が少なくないのが残念です。
日本の公務員人件費は、先進諸国のなかで最下位の水準でしかなった。
日本経済は、政府・大企業の赤字を家計の黒字で賄い、さらに海外に351兆円の純貸越をもつ「世界一のカネ余り国」(2位はドイツで195兆円。3位は中国で192兆円)。
日本政府は、高齢化のために毎年3兆円の社会保障の給付増を抑制しないと、財政・社会保障制度そのものが持続不能になると言って私たち国民を脅している。しかし、上位0.2%の大企業金融資産300兆円、また、上位2.3%の富裕層の金融資産272兆円のわずか1%以下を政府が吸いとったら、それだけで消費税の値上げや社会保障費の削減をしなくてすむ。
アベ首相の顔を見たくないという人が増えています。平然とウソを言い、国会答弁では話をそらして自分の言いたいことだけを言う。そんな首相が子どもたちに道徳教育を押しつけようとしているのですから、日本も世の末です。
まあ、そうは言っても、こんな的確な分析のできる「若手」の学者がいたなんて、うれしいですよね。マルクス『資本論』を引用しながらの解説は、正直なところ私には難くて読み飛ばしました。
(2018年1月刊。1600円+税)