弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2019年10月18日
真夜中の陽だまり
(霧山昴)
著者 三宅 玲子 、 出版 文芸春秋
福岡・中州にある夜間保育園の実情が紹介されています。
夜間保育園は増えていない。夜間保育園は81園のみ(2017年)。夜間保育は、昼間の保育より人件費の持ち出しが多くなるからだ。そして、夜間保育園の新設予定はない。夜間保育のニーズが数字としては現れないからだ。
これに対して、ベビーホテルは、この40年で約3倍ふえて、1749施設に3万2500人の子どもが預けられている。実際には、無届出のベビーホテルがあるため、この数倍あると推測されている。
ベビーホテルは預けるのが簡単。子どもを連れていったら、その日から1時間いくらで預かってくれる。紙おむつOK、決まりごとなし。夜も、お金さえ払えば、何時まででも預けられる。親にとっては楽。だけど、子どものためには良くない。ベビーホテルには保育士はいない。
この本で紹介されているどろんこ保育園には、ひとクラスに4人も保育士がいる。保育士の給料は20万円をこえていて、有給休暇もとれる。
夜間保育園に子どもを預ける保護者の25%は単親家庭。多い園では43,5%にもなる。
2016年の1年間で、ベビーホテルから認可保育園へ移行した園は全国で49園あった。しかし、ベビーホテルから夜間保育園に移行した施設はきわめて少ない。
ゼロ歳保育も延長保育も、今ではあたり前の保育制度として社会に定着している。しかし、夜間保育所だけでは、今なお社会から受け入れられていない。
シングルで子どもを育てている中州の女性がすくなくとも400人はいる。しかし、日本社会には、子育ての責任は母親にあるとする「母性神話」が依然として根強い。
日本社会のニーズにこたえている夜間保育園の実情を預けている母親にも取材して、温かい目で紹介している貴重な本です。
福岡の宇都宮英人弁護士よりいただいた本です。いい本をありがとうございました。
(2019年9月刊。1500円+税)
2019年10月17日
日本社会のヘイトスピーチ
(霧山昴)
著者 金 竜介・姜 文江 、 出版 明石書店
在日コリアン弁護士たちが怒りをこめて日本社会の現状を告白しています。私もヘイトスピーチに接すると背筋が冷たくなりますし、悲しい思いです。
ヘイトスピーチ解消法が2016年5月24日に成立しているのに、なかなか実効性が上がっていない。
現場では、ヘイトスピーチをがなりたてるデモ行進が行政当局により許可され、現場の警察官はヘイトデモを守るようにして、「トラブル防止のため」と称して、ヘイトへのカウンター抗議行動のほうを規制している。これでは公務の適正な執行にあたらない。
在日コリアン弁護士たちに対して大量の懲戒請求がなされた。
これは、福岡でもあり、在日コリアンを支持していると決めつけられた日本の弁護士と弁護士会の役員に対する懲戒請求がなされました。もちろん、そんな請求が認められるわけではありませんが、弁護士会に無用な事務処理の手間と費用をとらせました。
在日コリアン弁護士たちは、根拠のない懲戒請求をした人に対して謝罪を求め、応じない人に対しては慰謝料を請求する裁判を起こしました。そして、東京地裁も東京高裁も、明確に人種差別であると認定して、被告(懲戒請求した人)に慰謝料を支払うよう命じました。
この懲戒請求した人の実像は、ごくありふれた中高年でした。ネットのヘイトスピーチをうのみにした、思慮の足りない人なのです。
ヘイトスピーチは、単なる悪口ではなく、人種差別の一種である。
在日コリアンの永住権を「特権」であるかのように見て言いたてる人は、日本が過去にした侵略・植民地支配に対する反省が欠けている。その歴史認識をきちんと身につけていると、「特権」とは考えられなくなる。
日本政府は日本国内にある外国人向け学校に対して補助金を交付している。しかし、朝鮮学校に対する補助金を日本政府は打ち切ってしまいました。とんでもない差別です。このような安倍内閣の偏った姿勢こそがヘイトスピーチを助長し、後押ししている。そして、これを司法が情けないことに追認している。本当に残念です。
この点でも、勇気ある裁判官が求められています。
こんな本を今の日本社会に広く普及させなければ、いけないというのは、本当に残念無念です。でもでも、それだからこそ、ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2019年10月刊。2200円+税)
2019年10月16日
東大闘争から50年、歴史の証言
(霧山昴)
著者 東大闘争・確認書50年編集委員会 、 出版 花伝社
今から50年前に東京大学で何か起きていたのか、それは何を目ざしていたものだったのか、そして、そのとき関わった東大生たちは、その後をどう生きてきたのか、討論集会(1月10日に東大山上会館で開催)での発言と、34人の寄稿による貴重な証言集です。
ここに集まったのは、全共闘と対峙しながら東大を変革しようとした人たちで、東大闘争を安田講堂攻防戦と直結させて考える、俗世間にある間違った見方を否定します。
東大闘争は、そのとき東大に在学していた東大生(院生もふくむ)が空前の規模で参加したものです。一部に暴力行為・衝突がたしかにありましたが、それでもメインはクラス討論やサークルでの討論が生きていました。リコールが成立したり、代議員大会が成功していたのは、きちんと東大生たちが議論していたということでもあります。決して「民青」が東大を暴力的に支配したというものではありません。
そして、安田講堂前の広場を学生を埋め尽くしたのと同じように、秩父宮ラグビー場での画期的な大衆団交によって確認書が結ばれました。この確認書は、大学の自治は教授会の自治だという古い考え方を改めて、学生をふくめた全構成員による新しい大学自治のあり方が示されたものとして、画期的な意義をもっています。
今では国立大学まで私立大学と同じように採算本位でモノを考えるようになり、学生の大学運営への参加が弱まっていますが、確認書の原点にぜひ戻ってほしいものです。
そして、闘争を経た東大生たちが、その後の人生をどう生きていったのかにも注目したいところです。医師として地域医療の現場で担い、支えていった人、社会科教師として民主主義や暴力の問題について生徒たちと一緒に考える教育実践を続けた人・・・。文部官僚になって活躍していた途中で病気で亡くなったけれど、前川喜平氏に「河野学校」の卒業生だと名乗らせるほど影響力を与えた人もいます。
この本を読んで、東大闘争とは東大全共闘が担っていたものという間違った思い込みをぜひ捨て去ってほしいものです。
350頁、2500円と分厚くて、少し高い本ですが、全国的な学園紛争の「頂点」と位置づけられることの多い東大闘争の多面的な様相を知ることのできる本として、強く一読をおすすめします。少なくとも、全国の公共図書館と大学図書館に1冊常備してほしいものです。
(2019年10月刊。2500円+税)
2019年10月11日
自衛隊の変貌と平和憲法
(霧山昴)
著者 飯島 滋明、寺井 一弘ほか 、 出版 現代人文社
憲法尊重擁護義務のある首相や国会議員が、多くの国民が求めてもいないのに、憲法改正を声高に叫んでいる現状はあまりにも異常です。ところが、マスコミは何の問題もないかのように「政府発表」をたれ流すばかりです。それで、いつのまにか国民は安倍首相が何かというと憲法改正を唱えることに慣れて(慣らされて)しまいました。本当に危険な状況です。
しかも、憲法のどこか具体的に問題なのか明確にせず、自衛隊員が可哀想だからとか、憲法学者が自衛隊の存在を違憲だというから改正する必要があるなどと、心情論に訴えたり、責任転嫁したりして、まさしくずるい(こすからい)手法を使うばかりなのには呆れてしまいます。
どこにどんな問題点があるから、こう変える必要があるという点は、いつまでたっても具体的に明らかにはしないのです。まさしく国民だましの改憲あおりの手法です。
私が、この本でもっとも目を見張らせられたのは、宮古島などの沖縄・南西諸島への自衛隊配置が「日本防衛」のためではなく、アメリカの軍事戦略「エアシーバトル構想」の一環であり、「対中国封じ込め作戦」の一端をアメリカ軍の代わりに自衛隊が引き受けるものだという指摘でした。
自衛隊は、石垣島をめぐる攻防戦をシュミレートしている。石垣島に「敵」4500人が攻めてきたとき、自衛隊2000人のうち残存率30%まで戦闘を続け、奪還作戦部隊1800人が追加されると、自衛隊員は3800人のうち2901人が戦死するものの、奪還できるという。そして、「敵」は上陸してきた4500人のうち3801人が戦死する。
では、このとき。一般市民はどうなっているのか・・・。島は「捨て石」となり、住民の多くは犠牲になるだろう。まあ、それにしても「敵」が4500人だなんて、ありえないでしょう。
アメリカ軍は沖縄にも本土にも核ミサイル基地をつくる計画があると報道されました。辺野古の新基地も、そのためのアメリカ軍の拠点となるようです。日本がアメリカの「下駄の雪」のように、捨てられるまでどこまでもついていくという安倍政権の構想は絶対に許せません」。
安倍首相の率いる自民・公明連立政権は、アメリカの下でひたすら戦争への道を突っ走しているようで、心配です。
日本の現状、とりわけアメリカ軍と日本の自衛隊、そして日米安保条約とアメリカ軍基地の存在、そして安保法制について考えるときの具体的材料が満載のブックレットです。
ぜひ、あなたも手にとってご一読ください。
(2019年9月刊。1800円+税)
2019年10月10日
教育と愛国
(霧山昴)
著者 斉加 尚代・毎日放送取材班 、 出版 岩波書店
若者たちの投票率が3割とか4割しかないというのは、現代日本において文科省の統制下にある学校教育の「成果」なのではないでしょうか。いえ、「成果」というのは、アベ首相の思う教育「改革」が効を奏しているという意味であって、子どもたちの自主性が押し殺されてしまっている、ひどい状況の結果だということです。子どもたちの自主的なの伸びのびとした動きを上から抑えつけているのは、身近な教員集団ですが、その教員集団が上からの指示・強制によって自由に伸びのびと子どもたちに接することができない弊害が、子どもたちの政治的無関心を助長しているのだと思います。残念でなりません。
政治的圧力に対する教職員の反応は、4:4:2。政治的公平性・中立性からみておかしいと正面から唱える人は2割しかいない。4割は、首長や議員の意向を忖度(そんたく)し、こびる。残る4割は、自分の持ち場に逃げ込んで問題に関わらないようにする。
小学2年生の「道徳」教科書。
①「おはようございます」と言いながら、おじぎをする。
②「おはようございます」と言ったあとで、おじぎをする。
③おじぎのあとで、「おはようございます」と言う。
この3問のうち、正解は②。
ええっ、ウ、ウソでしょ。こんなことを小学生に学校で教えるなんて、バカみたいでしょ・・・。信じられません。
「学び舎」の歴史教科書は、考える歴史に挑戦し、全国各地の灘や麻布といった難関進学校で教科書として選択された。すると、「反日教育」やめろという抗議ハガキが何百枚も殺到した。これに対して、かの有名な灘中・高の和田校長が冷静に反論した。
学校教育に対して有形無罪の圧力がかかっている。多様性を否定し、一つの考え方しか許されないという閉塞感の強い社会に現代日本はなってしまっているのか・・・。
それにしても、大阪の橋下徹、そして吉村洋文という2人の弁護士の言動はひどすぎます。この2人が司法試験で憲法の問題をクリアーしたというのは、まったく信じられません。
次の日本をになう子どもたちが伸びのび自由に、自分の頭で考えている環境をつくることこそ市長(知事)以下の行政の責任だと思いますが、この弁護士たちは子どもを自分の思うどおりに操れるロボットにしたて上げたいようです。政治家としても、人間としても失格ではないでしょうか・・・。
(2019年5月刊。1700円+税)
2019年10月 8日
ケーキの切れない非行少年たち
(霧山昴)
著者 宮口 幸治 、 出版 新潮新書
非行少年のなかには、小学2年生くらいから勉強についていけなくなったという子どもが少なくない。彼らは簡単な足し算や引き算ができず、漢字が読めない。自己洞察が必要だといっても、そもそも、その力がない。反省以前の問題がある。非行化を防ぐためには、勉強への支援がとても大切だ。「ほめる」だけでは問題は解決しない。
朝の会で1日5分をつかってさまざまなトレーニングをすれば、子どもたちは十分に変わっていく可能性がある。非行少年たちは学ぶことに飢えている。認められることに飢えている。
今の社会では、対人スキルがトレーニングできる機会が確実に減っている。SNSの普及によって、直接、会話や電話をしなくても、指の動きだけで、瞬時に相手とコンタクトがとれる。
知的障害はIQが70未満とされているが、これは1970年代以降のもの。IQ70~84の、境界知能の子どもたちも少なくない。つまり、クラスで下から5人ほどは、かつての定義では知的障害に相当していた可能性がある。
知的障害をもつ人は、後先(あとさき)のことを考えて行動するのが苦手。これをやったらどうなるのか、あれをやったらどうなるのか、と想像するのが苦手なのだ。
ところが、知的ハンディをもった人たちは、ふだん生活している限りでは、ほとんど健常者と見分けがつかない。違いが出るのは、何か困ったことが生じた場合。
刑務所の新しい受刑者1万9363人のうち、3879人は知能指数に相当する能力検査(CAPAS)が69以下だった。つまり20%の受刑者は知的障害者の受け入れなくなり、故郷でホームレスの生活をしている。
著者は、児童精神神経科の医師。画用紙に丸いケーキを描いて3等分するよう非行少年たちに頼むと、公平な3等分とはかけはなれたものを描いた。その絵をうつした写真が紹介されていますが、本当に驚くべき事実です。
口先だけで非行少年に反省の言葉を言わせたり、反省文を書かせても意味はないのです。
(2019年9月刊・6刷。720円+税)
2019年9月26日
神主と村の民俗誌
(霧山昴)
著者 神崎 宣武 、 出版 講談社学術文庫
村のなかで神主が村人とどんな関わりをもっている(いた)のか、とても興味深く読んでいきました。途中で、これって、最近のことではないよね、いつのことだろうと疑問に思いました。
すると、この文庫本はごく最近(19年7月)に出たばかりなのですが、実は30年近くも前の1991年(平成3年)に出た復刻版でした。なるほど、30年前なら少しは分かる気がしました。
今では村の絶対人数が減って、神輿(みこし)かきをするだけの人数を確保できない。イノシシが出没して、農作物やタケノコ・クリなどの被害が増えている。
それでも、村祭りを復活させるところもあって、一路、消滅をたどっているわけではない。
平成の大合併は中央集権化をもたらし、葬祭場が出来て、葬儀や法要そして家祈祷までが個人の家から離れてしまった。
では、30年前はどうだったのか・・・。それが、ことこまかに嫌になるほど詳しく再現されているのが本書です。
著者は終戦直前の1944年生まれで、実家は代々、神主業を世襲してきて、著者も父親にたのまれて承継しました。東京から、新幹線で郷里・岡山の美星町まで通ったのです。
そこは、古くから自給自足の生活が営まれていて、集落の自治も古くから安定していた。
神主が太鼓を叩く技術は、一朝一夕に習得できるものではない。30歳になって習いはじめても難しい。幼いときから聞き慣れていて、若いときに叩きはじめないと、音に説得力が出てこない。
なーるほど、そういうものでしょうねえ・・・。分かる気がします。
世の中が好景気のときには、お神楽(祈祷料)が増大傾向にあり、また不景気のときには、神だのみから信心が盛んになる傾向がある。
仏教と神道は、日本では昔から両立してきた。神道と仏教は、その基本的な思想が似ている。基本的な思想としては、祖霊信仰である。
神道でも仏教でも、そのときどきに崇める神仏はその基本的な思想が似ている。
一神教ではなく、多神教であり、その中心に祖霊がある。
祭りとは、祖霊と現世とが交流する場でもある。
「神様、仏様、ご先祖様」とは、まさにいいえて妙である。現代日本人の信仰の形態は、果たして信仰といって良いのかどうなのか・・・。そもそも、日本人の信仰の形態は、はたして宗教といってよいのかどうか。
面白い本です。ほんの少し前までの村の生活がイメージできます。図書館で注文して読んでみてください。
(2019年7月刊。1070円+税)
2019年9月11日
大量廃棄社会
(霧山昴)
著者 中村 和代、藤田 さつき 、 出版 光文社新書
現代日本社会は衣料も食料も、まだ使えるのに、まだ食べられるのに、惜し気もなく捨てているのですね・・・。呆れるというより、寒気がしてきました。
バングラデシュの8階建てのビルが崩壊して、1000人をこす縫製工場の労働者が生命を落とした。日本の安い衣料を縫製しているのはバングラデシュの低賃金労働者なのだ。
ユニクロ・GAPなど、低価格の衣料品ブランドがバングラデシュに生産拠点を置いている。
1年間に10億枚の新品の服が一度も客の手に渡ることないまま捨てられている。日本で供給されている服の4枚に1枚は、新品のまま捨てられている計算だ。
ブランド品のタグを外して定価の1割で買って、17%ほどで売る企業も存在する。
待ってまで買ってもらえる商品は、そう多くない。だから、やっぱり多目につくるしかない。
高級ブランドの商品だと、安売りはせず、処分費用がかかっても、すべて破砕して焼却する。証拠写真をとって、確実に処分する。そうやってブランド価値を守る。
洋服の需要調整は難しい。どんな商品をつくるか企画して、発注から販売まで半年から1年はかかる。その間に、トレンドが変わってしまうことがある。需給ギャップは、ふたを開けてみないと分からない。
日本で1年間に発生する食品ロスは646万トン。1人あたり茶碗1杯のご飯を毎日捨てている計算になる。節分当日、全国のコンビニでは売れ残った恵方巻きが大量に捨てられた。
この本では、食品ロスをなくすパン屋さん、手づくり衣料品をつくる試みも紹介されています。何でも安ければいいという発想を変えたいものです。値段は、それをつくる人たちの生活を支えているわけなのですから・・・。
現代日本社会の悲しい現実を知ると同時に、怒りを覚え、また、ほんのちょっぴりだけ希望をもてる内容の新書でした。やっぱり、コンビニとかファーストファッション店ばかりになってしまってはいけないと改めて思います。
(2019年4月刊。880円+税)
2019年9月 6日
福島の記憶
(霧山昴)
著者 飛田 晋秀 、 出版 旬報社
3.11で止まった町。こんなサブタイトルのついた写真集です。
まずは、大津波の恐ろしさに圧倒されます。
大きな船が陸に打ち上げられ、無残な船体をさらけ出しています。そして、建物はスッポンポン、もぬけのカラです。
駅があり、電車が停車したまま。
地震で火災も起き、津波に流されて火災が広がった。久之浜町では、家の今に車が突っ込んだまま。
3.11の恐ろしさは津波の被害だけではなく、放射能汚染にある。
楢葉町(ならはまち)では、津波の被害があったところが広大な空き地となり、そこに除染土壌を入れたフレコンバックが置かれている。
川内(かわうち)村は、原発事故のため中心地は無人。人の姿は見えない。至るところにフレコンバックが置かれている。
都路(みやこじ)町では、放射能被害が影響したのか、元気だった中年の女性が6年後に亡くなった。
葛尾(かつらお)村は、地震の影響は少なかったが、原発事故のため、全村避難した。村の風景を写真にとると、ありふれたフツーの田舎の光景だ。しかし、どこにも人がいない。牛も鳥もそして犬や猫の姿も見かけない。村全体で3000頭の牛を飼育していたのが、今や、雑草に家がのみこまれている。
富岡町の目抜き通りに桜が見事に咲いた。しかし、この桜も放射能に汚染されている。
除染作業をしたあとでも、1.62とか1.67マイクロシーベルトという高い線量だ。
町なかでもイノシシが出てきて徘徊している。除染したあとでも3.15マイクロシーベルトを示しているのを見ると、除染作業って本当に有効なのか疑問をもってしまう。
大熊町では放置された家の玄関先がなんと24.2マイクロシーベルト。かつてはにぎわった商店街は、今や完全な無人街。不気味だ。
双葉町(ふたばまち)には、有名な「原子力、明るい未来のエネルギー」という大看板があった。原発の「安全神話」は、今なおなくなってはいない。日本経団連は、幸いにも実現しなかったが、これほど危険な原発をベトナムやトルコなどの海外へ輸出しようとしていた。正気の沙汰ではない。
無人の商店街のキャプション(説明書)は、「地震被害だけなら復興が進んでいたはず」と書かれている。
抜けるような青空の下に広々とした草原が延々と続いています。いやはや東北地方も狭い平野ばかりではないのです。アベ首相の「アンダーコントロール」宣言をせせら笑うかのようにフレコンバックがあちこちに広がっています。
よく出来た写真集です。全国の図書館には必携ですね。
(2019年2月刊。1800円+税)
2019年9月 1日
物流危機は終わらない
(霧山昴)
著者 首藤 若菜 、 出版 岩波新書
日本のトラック業界には、200万人が働いている。
私も宅急便には大変お世話になっています。東京への出張は日帰りせず、必ず一泊出張とし、最低でも6冊は読み上げることにしています。そして、行きはなるべくかさばる本を読み、読み終わったら宅急便で自宅へ送ります。1回1500円もかかりませんので、私にとっては安くて便利なものです。東京の弁護士会館の地下にある本屋で、読むべき本、必要な本を仕入れますが、これはいくら重くても持ち帰るしかありません。ともかく、便利な宅急便は私にとって必須不可欠で、いかに地球環境を破壊していると言われても、やめられないのです。
佐川急便は、2013年にアマゾンジャパンの運送をとりやめた。
ヤマト運輸は、2006年から2016年の10年間で、取扱個数が1.54倍、6億700万個も増えた。そして、いま日本を流れる宅配便の半数を握っていて、「ヤマト一人勝ち」の状況にある。
トラック運転手には、労働時間の短縮より、収入の増加を求める声が少なくない。
「ドライバーズ・ダイレクト」は、ドライバーの労働条件を悪化させる要因の一つ。
ヤマト運輸は、グループ全体で20万人の従業員をかかえる巨大企業だ。
ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便の3社でシェアの9割以上を占める。
高速道路料金は、荷主から支払われない。
深夜の運転は睡魔とのたたかい。ドライバーたちは、常に時間に追われている。
パレットを使うと、積載効率が下がる。
長距離ドライバーの労働現場では、連続運転時間も、拘束時間も、休息時間も、国の基準がことごとく守られていないという現実がある、ドライバーは、1週間で10時間、1ヶ月で40時間、年間で460時間も長く働いている。つまり、1週間あたり、平均より1日も多く働いている。
トラック業界は、一手に非効率を引き受けてきた。現代社会は、無駄に車両を走らせる物流を基礎として、便利で効率的な仕事や暮らしを獲得していった。
日本郵便は本業(中核)である郵便事業について、赤字が続いている。
働く人々の高学歴化は、ドライバーのなり手不足に拍車をかけた。
かつては、トラック運転手は、「きついけど、稼げる」仕事だった。ところが、今ではきついうえに、稼げない仕事になってしまっています。
ネット通販が急激に拡大するなかで日本の物流が危機的状況にあることがひしひしと伝わってくる新書でした。
(2018年12月刊。820円+税)