弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2020年6月 5日
国会をみよう
(霧山昴)
著者 上西 充子 、 出版 集英社
国会中継というのは、一般的にちっとも面白くありません。とくに時間的に多い与党質問とそれに対する安倍首相の答弁なんて、見るだけ時間のムダという気がしてきます。だって、ちっとも目新しい話は出て来ず、ひたすら安倍首相お得意の自画自賛のオンパレードなのですから、聞いているほうが気恥ずかしくなってくるだけですので...。
ところが、野党の質問に対する安倍首相や菅官房長官の答弁には、ときに面白いものがあります。もちろん、いつも木に棒をつぐような素っ気ない答弁の連続ではあるのですが、いかにも答えていない、話をそらしていることが見え見えだったり、ときとして答弁不能に陥って立ち往生し、沈黙の時間が続いたりするからです。
そこで、国会中継の、そんな面白い場面をそのまま街頭で再演してみたらどうか...。
思うだけならだれでもできますが、著者たちは、それを本当に実演したのです。すごいことです。本書では、その経過と苦労話が語られています。
国会パブリックビューイングの街頭上映は、夕方から始める。あたりが暗くならないと映像が見えにくいから。1時間ほどの街頭上映で、集まった人に「柿の種」を途中で配り、それをつまみながら参加してもらう。
著者は論点ずらしの答弁を「ご飯論法」と名づけたことでも有名です。福岡在住の紙谷高雪氏(先日の福岡市長選に立候補しました)と流行語大賞を共同受賞しています。「ご飯論法」とは...。
Q、朝ごはんは食べなかったんですか?
A、ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)。
要するに、話をそらしてごまかす答弁です。
スクリーンの横に腕章をつけた弁護士が立っていると、かえって道行く人の足を遠ざけてしまうという指摘があり、ハッとしました。そんなこともあるんですね...。
音はむやみに大きくしない。スクリーンの前で落ち着いて聞いていられる音量に調節する。スクリーンの横に主催者は立っていない。
5分間立ちどまって見てくれることを目ざす。5分間立ちどまった人は、10分、15分と見てくれることが多い。そんな人にはうしろから近づいて説明したり、リーフレットを手渡す。
与党が強行採決しようとして、野党が抵抗する場面は、むしろ嫌悪感を招かれてしまうので、街頭での上映は適しない。
渋谷のスクランブル交差点で上映したときには、あまりに通行人が多すぎて、立ちどまって見るのは難しかった。
切り貼り編集はせず、そのままの「やりとり」を上映する。これで印象操作だという批判はかわせる。
「野党は反対ばかりしている」
「野党はだらしがない」
「野党はパフォーマンスばかりしている」
よく言われるが、それは実際の国会審議を見ていない人が言っているもの、あるいは実際の国会審議に目を向けさせないために、あえて誤って印象を与えようとしているもの。
私は、まったくそのとおりだと思います。今の政府・与党がひどすぎるのを、「どっちもどっち」などと言って、政府・与党をカバーしようという論法でしかありません。
いまの安倍政権は、6月17日までの国会の会期を延長しないことにあらわれているとおり、問題が表明化しないよう、国会そのものをできるだけ回避し、批判の材料を与えないようにしている。予備費として10兆円を計上して、それを国会で審議しないなんて、とんでもないことです。
この上映は著しく通行の妨げとなるようなものではないので、デモ行進と車道を歩くのと違って、道路使用許可をとる必要がないので、許可はとっていない。なーるほど、ですね。
みんなが、もっと国会審議をみてほしいという願いから、地道に上映活動を続けている著者たちに心からエールを送りたいと思います。
私たち国民は、もっと怒らなくてはいけないし、それを投票所に足を運ぶことを含めて、行動で示さないといけないと強く思います。
(2020年2月刊。1600円+税)
2020年6月 4日
ゴーン・ショック
(霧山昴)
著者 朝日新聞取材班 、 出版 幻冬舎
カルロス・ゴーンとはいったい何者だったのか。日産(ニッサン)という自動車会社はどんな会社なのか、取材班が綿密な調査を遂げて明らかにしています。
ニッサンはトヨタと違って、モノづくりで突出したものはなく、またカンバン方式という独特のトヨタ生産方式もない会社だ。
少し前までニッサンは塩路一郎という労組委員長に会社全体が牛耳られていた。ニッサンの入社式で塩路は社長の次に挨拶し、社長をボロくそにけなした。塩路は恐怖によってニッサン労組そして会社を統治・支配した。カルロス・ゴーンも同じ手法をつかった。
カルロス・ゴーンは、1954年にアマゾンの奥地の町で生まれた。その父親は通貨偽造・神父殺害で逮捕されたらしい。
ゴーンは6歳のとき、父親から離れ、母・姉とともに母の生国のレバノンに移り住んだ。レバノンでフランス式の教育を受け、17歳で単身パリに渡った。そして、エリート養成のグランゼコルの一つに入学した。ここでは成績優秀で、卒業後、ミシュランに入社した。そして、ブラジルに派遣され現地の会社の再建に成功。その次は、アメリカでも、見事に会社を再建させた。そのあとミシュランからルノーに移った。
ゴーンがニッサンのCOOに就任したのは1999年6月のこと。
コスト・カッターの異名をとるゴーンの絶頂期は2006年ころまでのこと。倒産寸前だったニッサンが、ウソのように業績が好転し、2006年3月期決算まで、6期連続で過去最高益を更新した。
ところが、やがてゴーンの周辺から経営幹部たちが一人、二人と距離を置くようになった。
ゴーンが良かったのは2006年ころまでで、その後は、明らかに変な人事が増えていった。ゴーンのご機嫌とりの人間が重用されるようになり、かつて熱狂的に崇拝していた「神」への信仰が揺らぐのは意外に早かった。
2008年9月、リーマン・ブラザーズが破綻した。このとき、ゴーンも巨額の損失を出したようです。ニッサンの売上高は前年比で2兆円以上も減り、純損益は9年ぶりに赤字転落した。
2015年、ゴーンはリタ夫人と離婚し、翌16年に今のキャロル夫人と再婚した。この結婚披露宴がベルサイユ宮殿で開かれ、その費用をニッサンの負担にしたのです。
ゴーンの生活は非常に派手になり、「家庭中心、自分の財産中心」となった。
ゴーンは東京に来るのは1ヶ月のうち、せいぜい1週間ほどで、来日しても仕事を2日したら、あとはキャロル夫人と一緒に遊んでいた。
そして、ゴーンを脅かすような部下は放逐し、帝国の拡大を目ざした。
ゴーンはルノー本社の社長も兼ねていたが、ルノーはフランス政府が出資している会社でもある。そして、ゴーンは、フランスの若き大統領のマクロンと折りあいがもともと悪く、年収20億円のゴーンの強欲さをマクロンは苦々しく思っていた。
当初のゴーンの逮捕容疑は8年間の合計91億円もの巨額の報酬を有価証券報告書に記載せずに隠していたという金融商品取引法違反。そして、続いて、ニッサンのお金を私的に流用したという特別背任罪。こちらも50億円とか、信じられないほど巨額だ。
ゴーンが逮捕される前、2018年春ころから、ゴーンの不正についてニッサンの社内調査が始まっていて、10月にニッサン幹部と検察(特捜部)が協議を始め、やがて司法取引の合意が成立して、重要書類を検察が取得し、11月19日にゴーン逮捕に至ったという経過のようです。ニッサンの西川(さいかわ)社長はゴーン寄りと見られていたため、ゴーン逮捕の1ヶ月前に知らされました。
ゴーンが釈放されたあと、日本をプライベート・ジェット機で脱出したことが今ではルートをふくめて明らかになっていますが、そんな逃亡を助けるプロがいることも初めて知りました。
独裁者は永遠でないことを痛感しますが、その追放までの長い期間の犠牲者が受けた苦難をしのぶ必要もあると思いながら、読みすすめました。ニッサンの製造現場に働く人々、そしてニッサン車を販売し、保守点検・整備する人たちのことを考えたら、何十億円もの巨額のお金をマネーゲームにつぎ込み、その損を会社に埋めあわせさせようとするというのは許せないと思ったことでした(ゴーンさん、本当に無実なのですか...)。
400頁をこえる長編力作なので、私も勢いをつけて一日で読了しました。
(2020年5月刊。1800円+税)
2020年6月 2日
サル化する世界
(霧山昴)
著者 内田 樹 、 出版 文芸春秋
思想家であり武道家である著者が日本社会を鋭く切りつけています。
著者は団塊世代の最後の世代です(1950年生まれ)。東大仏文を卒業しています。フランス文学を専攻するというより、フランス語に書かれているものなら、何でも対象としていたとのこと。おおらかな時代だったようです。カミュも研究対象でした。今、コロナ・ウィルスのおかげで、カミュの『ベスト』が注目されています。私にはやはり『異邦人』です。
私は、弁護士になって以来、ずっとフランス語を勉強しています。ちっともうまく話せませんが、私には、フランス語を通して、世界へ門戸を開いておきたいという強い願望があります。それが、毎日毎朝、フランス語の書きとりにいそしむ根拠です。
安倍晋三は、日本の過去20年間の政治文化の劣化の「果実」だ。彼を見て、私たちは深く反省すべき。彼を生み出し、表舞台に押し上げたのは、私たちだ。彼を支持する人が今も4割もいる。そんな支持する人たちに「キミたちも、いろいろ辛いんだよね」と語りかけなければいけない。
彼らの言い分をきちんと聞き、自由な論議の場で、彼らの欲求を部分的にでも受け入れ、部分的にでも実現していく。そうしないと、これまでも今も安倍晋三やら維新を支持している市民たちの支持は得られない。非常に辛いことだし、うっとうしい。でも、これをやるしかない。「あんたら、頭おかしいよ」、なんて言っても何も始まらない。
アメリカ合衆国憲法は、そもそも常備軍の存在を認めていない。うひゃあ、ちっとも知りませんでした...。常備軍は、必ず為政者に従い、抵抗権をふるう市民に敵対することをアメリカ市民は経験的知っていたからだ。このように常備軍をもたないことを規定した憲法をもちながら、アメリカは世界最大の軍事力を誇っている。
フランスは、戦勝国として終戦を迎えてしまったため、敗戦を総括する義務を免除された代わりに、もっと始末におえないトラウマをかかえこんだ。
イタリアは、文化的には戦勝国であり、1945年7月に日本に宣戦布告したフランスはド・ゴールというカリスマがいたが、イタリアには、カリスマがいなかった。
凡庸(ぼんよう)な知性においては、常識や思い込みが論理の飛躍を妨害する。例外的知者の例外的である所以(ゆえん)はその跳躍力にある。
本当に大切なのは、「心と直感」ではなく、「心と直感にしたがう勇気」なのだ。そのとおりです。この「勇気」こそが、最後に求められるものなのです。
成熟するとは、変化すること。3日前とは別人になること。
いつもながらの鋭い指摘に出会うと、胸の奥深くまで短刀を突き刺されて、ハッとする気分を味わうことができます。
(2020年3月刊。1500円+税)
ジャガイモを掘りあげたあと、今度はサツマイモを植えようと思い、いったん深く掘り起こして、コンポストに入れていた枯れ葉や生ゴミを埋めました。クワとシャベルを使っての久しぶりの力仕事なので、腰が痛くなりました。今は午後7時まで明るいので、7時にやめて風呂場に直行しました。
庭のアスパラガスは、そろそろ終わりのようです。カンナの黄色い花が咲いて夏の訪れを実感しました。
2020年5月31日
興行師列伝
(霧山昴)
著者 笹山 敬輔 、 出版 新潮新書
「仏の嘘を方便といい、軍人の嘘を戦術といい、興行師の嘘を商いという」
これは松竹の創業者(大谷竹次郎)の言葉。なるほど、そういうことなんですか...。
興行の真髄は大衆の欲望を充たすことにあるから、興行師は、そのために巨額のおカネを動かし、複雑な人脈を操る。実体のないものをかたちにするという点で、興行の世界は、裏も表も、嘘が誠で、誠が嘘の世界だ...。
興行師は過大なリスクを背負い、ときに「悪役」をも引き受けなければならない。
これはハイリスク・ローリターンなのが現実で、決して割のよい商売とは言えない。それでも興行の魔力に一度ハマってしまうと、抜け出すことができなくなる。いったい何が興行へ駆り立てるのか...。
興行師には、あくどいところもあり、強欲なところもあるが、その反面、よほどのお人好し、この商売の好きな馬鹿でなければつとまらない、可哀想なところもある。
最近は、うさんくさいイメージのともなう興行師とは言わず、プロデューサーとかマネージャーと呼ぶ。
江戸時代から明治初期にかけての芝居小屋は、暗い、汚い、臭い、だった。だが、多くの観客が、その環境の中で芝居を楽しんでいた。観客は暗い空間で芝居を見ていた。色鮮やかな衣装は、暗くても分かりやすくするためだった。
興行の世界がきれいごとですむはずがない。ヤクザから身を守るためにヤクザを使うのは興行界の常識。松竹が勢力を拡大するのに、裏の世界と無関係ということはありえなかった。
松竹の創業者である大竹は1年を通して興行を行い、損益を1ヶ月単位ではなく、通年で計算した。これは、興行を博打(ばくち)から経営にしたということ。
吉本興業の会長だった林正之助は兵庫県警によると「山口組準構成員」とされていた。そして、吉本興業の『百五年史』には、正之助と山口組三代目、田岡一雄との交流が明記されている。
ヤクザと興行の関係は吉本に限らない。松竹や東宝にも結びつきはある。しかし、吉本とヤクザの関係は距離が近すぎたと言える。
永田ラッパで有名な永田雅一(まさいち)がヤクザ出身だということを初めて知りました。
永田は京都の千本組(せんぼんぐみ)に出入りしていたヤクザだった。永田は、親分子分の仁義を守り、思想信条よりも義理人情を重んじた。それでも、いざとなれば大胆に裏切る。永田は学歴がなく、インテリでもなかった。ヤクザから権力の中枢へ駆け上がった。永田は、いざというときには義理人情よりも野心を優先させる。それくらいでなければ大人物にはなれない。
永田雅一の復帰第一作の映画である『君よ憤怒の河を渡れ』は中国で8億人がみたという大ヒット作品。中国で文化大革命が終了した直後に、中国全土で大人気だったということです。私もテレビでみましたが、ええっ、こんな映画が...、と思いました。
宝塚大劇場(4000人収容)は小林一三による。小林が東宝を発展させた。
長谷川一夫がカミソリで左頬を斬られた事件が起きたのは昭和12年(1937年)11月12日。この事件の黒幕は永田雅一だった。長谷川一夫は死ぬまで、この事件のことを語らなかった。
戦前・戦後の日本の興行界の歩みを知ることのできる面白い新書でした。
(2020年1月刊。820円+税)
2020年5月28日
神さまとぼく、山下俊彦伝
(霧山昴)
著者 梅沢 正邦 、 出版 東洋経済新報社
松下電器産業といえば、子どものころテレビのコマーシャルで、「明るいナショナル、......なんでもナショナル」という軽快なソングを耳にタコができるほど聞かされ、親しみのもてる会社ナンバーワンでした。テレビだって洗濯機だって冷蔵庫だって、みんなナショナル製だといって不思議ではなく、その高い性能にすっかり安心して生活していました。
日曜日の朝、起きてくると、パンの焼けたいい香りが家中に広がって幸せな気分に浸ることができました。自動パン焼き器は我が家も購入しましたが、あれは本当にクリーンヒット製品でしたね。月に5万台も売れたとのこと。1987年ころのことです。
ところが、今やパナソニックという名前に変わって、かつての松下電器の威光(栄光)は、みるかげもありません。本当に残念です。永遠に続くかと思われた大企業の繁栄が、わずか20年ほど、ガタガタと崩れ去っていくのをこの目で見て、驚くばかりです。
そういえば、かつて三井鉱山といえば、天下の三井の中枢企業でしたが、今は存在しません。日本コークスと社名を変更し、日本製鉄が買収した、単なる弱小の一私企業でしかありません。銀行にしろ、三井銀行という名のものは今ではありません...。世の中、変わりました。
日本のエレクトロニクス産業の生産高がピークだったのは2000年で、26兆円だった。それが、2018年には半分以下の11.6兆円に転落している。ピーク時に1兆円をこえていた薄型テレビは、2018年に494億円になってしまった。ケータイ電話は2002年に1.4兆円だった生産額が17分の1の822億円にまで縮んでいる。ちなみに、韓国のサムスン電子は23兆円の売上高。
松下電器は、強大な「家電王国」だった。そして、「家電王国」から総合エレクトロニクス企業への脱皮・飛躍に失敗してしまった。
山下俊彦が松下電器の社長になったのは1977年(昭和52年)のこと。私がUターンで首都圏から福岡に戻っていた年のことです。私は28歳でした。
山下俊彦は、取締役会の序列は26人いるうち、下から2番目。工業高校を卒業して学閥もなく、松下家とは縁もゆかりもない。松下電器に入社して、いったん退社して再入社している。冷機(エアコン)事業部長から社長に抜擢されたとき、57歳。誰にとっても意外な人事だった。「山下跳び」とか「22人跳び」と呼ばれて世間の注目を集めた。
山下に決定的になかったのは、権力欲求。自己顕示欲も出世欲もなかった。
なぜ、山下俊彦が社長になれたのか、そして9年も社長を続けられたのか、また、その後、パナソニックが急速にダメな会社になっていったのか...。この本は山下俊彦社長誕生の経緯、そして在任中のこと、退陣後を追跡していて、読みごたえがありました。ゴールデンウィーク中に読んだ本のなかでもピカイチです。
要するに、いくら大きな会社であっても、昨日までの実績にあぐらをかいているだけでは、足元をすくわれてしまい、明日はないということです。
山下俊彦を見出したのは松下幸之助ではありません。でも、先の見えない危機感が面識のない、工業高校出身の事業部長を社長に大抜擢したのです。
そして、山下社長の体制でビデオは大当たりしました。1980年ころのことです。
山下俊彦は社内報に「奢(おご)り」を戒めるメッセージを社員宛に書いた。
「ほろびゆくものの最大の原因は奢り。過去の栄光におぼれ、新しいもの、あるいは困難なものに挑戦する気迫を失ったため。強さは、そのまま弱さに転化する。企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。いちどの守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」
山下社長退陣のあと、パナソニックは、残念ながら活力を失ってしまったようだ。
山下俊彦は努力の達人だ。その一つは、「忘れる」努力。
私も自慢じゃありませんが、「忘れる」ことにかけては、他人にひけをとりません。今となっては、認知症になって、すべてを忘れてしまうことになりはしないかと心配してしますが...。
長い弁護士生活のなかで、私もたくさん嫌な思いをさせられましたが、幸いにも読書習慣のおかげで、さっと忘れることができ、ストレスをためることがほとんどありません。この書評を書いているのも、私のストレス解消法のひとつなのです。読んだ本で感銘を受けたら、文字にして、それで安心して忘れることができます。人間にとって忘れられるというのは病気にならないためにも、大切な資質の一つだと実感しています。
山下俊彦は9年間の社長で、売り上げを3兆4241億円、営業利益1467億円とした。それぞれ2.6倍に伸ばしている。
松下幸之助は山下俊彦を直接は知らなかった。幸之助は「ツキ」が大事だと考えていた。そして、幸之助は山下にこう言った。
「キミはツイとる。ツイとるヤツを、ワシは見つけたんや」
社長になる前、事業部長の山下は定時退社を実践していた。机の上に余分な書類は一切置かない。引き出しのなかにもハンコが1個あるだけ。
部下が山下にあげる報告書は1枚が原則。指示が求められると、その場で即答する。保留するときも、自ら期限を切った。
リーダーの役割は、早い決断だ。ダメだったら、やり直せばいいだけのこと。
山下は、仕事とは主体的にするものだと考えた。自ら意欲をもち、自ら計画を立て、さまざまに工夫し、前進し、目標を達成する。それが仕事だ。
社長になった山下は午前8時少し前に出社する。午前9時までは誰も入れない。午前9時から30分刻みで予定を入れていく。それ以下はあっても、延びることは絶対ない。それで、飛び込みのアポが入ってきても、まかなってしまう。
山下の考えは、自己責任の原則のなかに人間の主体性が生かされるというもの。
山下は欲がない、ウソがない、虚飾がない、人に対して分け隔てがない。
山下は若い社員にこう問いかけた。
「みなさん、毎日が楽しいですか」
「みなさん、仕事は面白い?」
山下はノイローゼにならないため逃げ方の道具の一つとして健全な趣味をもつことが大切だと強調した。山下には読書のほか、登山はあった。そのため、早朝4時に起きてジョギングした。
山下の松下電器は、ビデオVHSが大当たりした。年間生産10万台が月間14万台となり、累計200万台となった。
日本が世界の半導体産業のなかトップを占め「天下」をとっていたのは、わずか6年間だけだった。アメリカに再逆転され、韓国・中国に追い抜かされた。
松下家を守り育てるなんていう発想があったら企業は伸びるはずもありませんよね...。と書いたとたんに、トヨタ自動車を思い出してしまいました。トヨタでは豊田家が依然として重用されているようですね。これまた信じられません。ニッサンもカルロス・ゴーン逮捕以降、パッとしませんが...。もっと会社は従業員を大切にしないといけませんよね。
この本の著者も、「あとがき」で、非正規雇用が日本で4割になっているが、本当にそれでいいのか、人間がただのコストであってよいのかと問いかけています。
もちろん、その答えは断じて「否!」です。
500頁近い大作です。コロナ禍の連休中に所内の大整理のあと必死に読み上げました。
(2020年3月刊。1800円+税)
2020年5月24日
リープ
(霧山昴)
著者 ハワード・ユー 、 出版 プレジデント社
優位性が揺るがないような、独自のポジショニングを追及しても、それは幻想にすぎない。どんな価値提案も、それにどれほど独自性があっても、脅かされないことはない。よいデザインや優れたアイデアも、それを企業秘密にしても、特許があっても、結局はまねされる。
こうした状況の下で、長期にわたって成功するための唯一の方法はリープ(跳躍)すること。先行企業は、それまでとは異なる知識分野に跳躍して、製品の製造やサービスの提供に関して、新たな知識を活用するか、創造しなければならない。そうした努力が行われなければ、後発企業が必ず追い付いてくる。
「模倣の国」と呼ばれたスイスでは、化学会社は自由に海外企業のまねができた。それどころか、模倣が推奨されていた。模倣は大成功し、チバは1900年にパリで開かれた万国博覧会で大賞を受賞している。
企業の経営者は、複雑で、変化する環境を相手にしている。数年前にうまくいったことが、永遠にうまくいくとは限らない。企業は、まだ時間があるうちにリープすればよい。
正しいシグナルに耳を傾けるためには、忍耐力と規律が必要だ。チャンスをつかむためには、必ずしも最初に動くのではなく、最初に正しく理解することが求められる。そのためには、勇気と決断力が必要だ。リープを成功させることとは、一見すると矛盾するこの二つの能力をマスターすることである。この待つための鍛錬と、飛び込むための決断力をバランスよく組み合わせることができれば、その見返りは大きい。
自らが置かれた状況を理解しようと頭を悩ませ続けられる能力こそが、知的なマシンの時代に人間がもち得る最大の強みだ。
大規模で複雑な企業の生活を脅かす最大のリスクは、内部の政治的な争いと、誰も率先して行動を起こさないこと。
企業の寿命は、1920年代には67年だった。今日ではわずか15年だ。アメリカの大企業のCEOの平均在籍期間も、この30年のあいだに短縮している。
いま、私たちは変化が加速している世界に生きている。
そうなんですよね...。でも、昨日と同じ今日があり、明日があると、ついつい思ってしまうのです。その点も大いに反省させられるビジネス書です。
(2019年12月刊。2200円+税)
2020年5月21日
大東建託の内幕
(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社
大東建託は1974年(昭和49年)に大東産業として多田勝美が創業し、以来、36年間にわたって企業オーナーとして君臨した。
多田会長の年収は2億5800万円(ストックオプション含む)。田園調布の高級住宅地の敷地500坪に地上2階建、地下1階、のべ床面積300坪という豪邸に住んでいる。
2010年の時点で、大東建託のアパートは全国に6万棟超。戸数は60万戸。2017年では累計で17万棟。管理戸数は100万戸超。実は、私の娘もそのアパートに住んでいます。年間の売上高は9548億円、経営利益739億円、従業員1万3000人、という巨大企業。
そして役員報酬は、常勤取締役10人の平均は1億2000万円。社外取締役7人の平均は1650万円(2017年3月期)。
ところが、従業員の自殺が相次いでいる。厳しいノルマに追い込まれるのだ。朝8時から深夜まで、毎日15時間以上の長時間の労働で疲れてしまう。
建築営業は「終日時間」という飛び込み営業をさせられる。大変な苦痛だ。そして夜8時半に支店で終礼をする。
ノルマには、「契約のノルマ」と「プロセスのノルマ」の二つがある。「契約のノルマ」は、毎月、アパート建築の契約をとれというもの。「プロセスのノルマ」には「八六四三」と称されるものがある。「立地審査」を月8本、「家賃審査」を月6本、「プラン提示」を月4本、「最終業績」を月3本とれというもの。
支店の数字を上げるため架空契約するのは、よくあること。「テンプラをあげる」という。親しいオーナーに頼んで、本当は建てる気がないのに、契約書だけつくってもらい、それを支店の成績として報告する。
埼玉県の中央支店では7人が解雇され、所沢支店では支店長以下14人がクビになった。
30年間の家賃保証というが、実は、これは試算であって、この金額を継続保証するものではないと、小さな文字で契約書には書かれている。10年たつと、この条項によって家賃を減額し、それに応じないと「一括借り上げ」を解消されてしまう。すると、たちまちアパート経営による利益なんかないどころか、大赤字をかかえてしまう。
なので、大東建託でアパートを建てることを考えているのなら、やめたほうがいい。
そうなんです。素人がアパート経営に手を出してうまくいくと考えるほうが甘すぎるのです。世の中、甘い話は怖い話でしかありません。
(2019年7月刊。1500円+税)
2020年5月20日
幸福の科学との訣別
(霧山昴)
著者 宏洋(ひろし) 、 出版 文芸春秋
幸福の科学の大川隆法の長男が父・隆法の実像を伝えています。まことに父と息子との関係は難しいものだという感想をもちました。
どうやら隆法一家は家庭的な落ち着きと親しみに貧しい雰囲気だったようです。
長男の著者は中学受験に失敗してから、隆法の後継者からドロップアウトしたとのこと。二男の裕太は麻布高校から東大法学部を卒業したのですが、離婚問題をおこしたので、一気に格下げされたとのこと。
今は、後継者として最有力なのは長女の咲也加。咲也加は2代目教祖を目ざしていて、名誉欲、権力欲、自己顕示欲の3つがとても強い。副理事長兼総裁室長。『娘から見た大川隆法』という本を書いている。咲也加は性格がきつく、内弁慶で、友達がいない。
著者は東大法学部に進んでほしいという父・隆法の期待を裏切り、青山学院大学法学部に進み、今は映画づくりにいそしんでいます。後継者候補からはずれたあとも、教団ナンバー3の理事長になったこともありました。3ヶ月でやめたあとは父親・教団のコネで、清水建設に入社しています。
著者は女優の清水富美加との結婚を父・隆法にすすめられ、断りました。清水富美加について、感情の浮き沈みが激しく、二面性がある人、幸福の科学の教義はほとんど読んでおらず、理解していない。しかし、非常にビジネスライクな人物なので、著者との結婚についても打算したのではないか...としています。
著者は大川隆法について、一度も神だと思ったことはないが、感謝の気持ちでいっぱいだとしつつ、自分にとっては、路傍の石の一つ、取るに足らないガラクタにすぎないと言い切っています。
大川隆法という人間は、自分だけよければいいという考えがすごく強い。自分の考えに異論をはさむ人間は徹底的に叩く。
大川隆法の妻・きょう子はずっと教団ナンバー2だった。きょう子本人は、自分のおかげで教団が大きくなったと主張しているが、組織が大きくなりすぎて、そのポジションをつとめることが能力的に難しくなり、隆法と夫婦ゲンカして教団から追い出された。
きょう子は、離婚するまで、警察に相談に行ったり、自宅保全の仮処分を申請したりしている。
隆法は妻きょう子とは実は離婚したくなかったのだと思う。
両親の離婚に際して5人の兄弟(姉妹)が集まり、「きょうだい会議」を開き、全員一致で父親につくことを決めた。稼いでいる父親につかないと、生活できなくなることが最大の理由だった。
きょう子はヒステリーがひどい人。これに対して、父・隆法の唯一良いところは、ブチ切れることがないこと。怒ったら、怒鳴りつけるのではなく、10分間も2時も、ネチネチ説教するタイプ。暴力は一切ふるわない。むしろ、母・きょう子は瞬間湯沸かし器みたいで、よくぶたれた。
幸福の科学の信者は、公称で1100万人というが、実数は1万3000人だと著者はみています。2019年の参議院選挙の得票は20万票だった。そして、信者の高齢化のため財政状況が悪化している。信者の平均年齢は65歳。これは64歳の大川隆法と同じということ。
2011年のお布施は300億円あった。このほか、本の売り上げや各種祈願の代金収入などがある。
大川隆法の話は、とにかく長い。聞いているうちに疲れてしまう。内容はたいしたことないけれど、何時間も聞かされると、「すり込み」効果があって、洗脳される。
著書は500冊をこえる。大川隆法の「霊言」は、台本もリハーサルもなく、全部アドリブで2時間は軽く話し続ける。
教団の信者は、自分の意思をもたず、自分では何も決めずに動くことができる。これがカルト宗教の一番の魅力だ。
教団から懲戒免職され、6265万円という巨額の損害賠償請求裁判の被告とされていることから、いくらか割引して受けとめるべきかもしれませんが、書いてあることのほとんどは、よく分かることばかりでした。あなたにも一読をおすすめします。
(2020年3月刊。1400円+税)
2020年5月15日
ふくしま原発・作業員日誌
(霧山昴)
著者 片山 夏子 、 出版 朝日新聞出版
東京新聞の記者が9年間にわたって福島第一原発の後始末処理にあたっている作業員に取材したものが一冊の本になっています。
作業員は大きなフィルターの付いた全面マスクをかぶらされるが、この全面マスクは毎回、返却し、アルコール消毒はされるものの、使い回しになるので、臭いがする。納豆、にんにく、アルコールなどの強烈な臭いがすると、気持ち悪くなるほど。うへっ、これは困りますよね...。
この全面マスクは慣れないうちは、かなり息苦しい。隙間から放射性物質が入ってくるのを恐れて、全面マスクをきつく締めすぎると、作業できないほど激しい頭痛に襲われる。緩くすると、外気でマスクが曇るだけでなく、放射性物質が入りこみ、内部被ばくする恐れがある。
防護服の素材はポリエチレンの不織布(ふしょくふ)で、放射性物質の付着は防ぐが、ほとんどの放射線を通してしまう。防護服といっても、完全に身を守ってくれるものではない。
原発の仕事の受任は複雑に入り組んでいる。
東電が、日立や東芝、大手ゼネコンなどの元請企業に仕事を発注し、元請企業の下に、第一次下請企業、さらに第二次下請企業と、いくつもの企業が重なる多重下請構造になっている。実際には、7次や8次下請までいるし、下請企業のあいただに、作業員を紹介して紹介料や仲介料をとる仲介業者が入っていることもあり、何次下請企業までぶら下がっているのか分からない場合もある。そして、なかには暴力団関係者がからんでいることがある。
下請企業同士で仕事のとりあいをすることもあり、そんなときには、元請や上の下請の幹部を接待することがある。
福島第一原発の復旧工事の現場では、作業員が次々に亡くなっている。ところが、病名が心筋梗塞だったり、急性白血病だったりして、会社は責任ないと逃げるばかり。
作業途中で汚染れを頭からかぶってしまい、バリカンで丸坊主にされたという人もいる。
3.11のときは菅首相でしたが、そのあとの野田佳彦首相は、12月16日、「事故そのものは収束に至った」と、無責任に断言した。これは、安倍首相の東京オリンピック向けの「アンダーコントロール」発言につながるわけです。
現場作業員は被ばく線の上限がある。3.11の事故前は15~20ミリシーベルトだったのが、事故後は30~50ミリシーベルトへ大幅に緩和された。そして、5年で100ミリシーベルトという国の制約もあった。ところが、これは、年度で「リセット」されるのだった。もちろん、生身の人間への影響が「リセット」されたからといいてゼロになるわけではない。
3.11事故によって、1号機から4号機まで、みな「炉心溶融」したことは今では間違いない事実だ。ところが、今なお東電も政府も公式にはこれを認めていない。東電は清水正孝社長(当時)が、「炉心溶融という言葉は使うな」と指示していた。原発事故の恐ろしさをそのまま伝えてしまうコトバなので、あくまで軽く見せかけようとしたのです。
また、高濃度汚染水も、「滞留水」なるコトバに置き換えられました。これまた、ひどい隠蔽工作です。
3.11事故のあと、東電の社員は次々に辞めていった。社員数3万9千人のうち、例年だと130人くらいの退職者が460人にのぼり、29歳以下が4割超だった。
現場の作業員は仕事をしてお金を稼ぎたいがために、線量を低くしようと工作する。すると、将来、病気になったとき、こんな低線量では病気との因果関係はないと会社から反論される恐れがある。
日当が2万5千円だったのが、1万3千円となり、残業手当がつかなくなった。そして危険手当として1日1万円出ていたのが4千円になった。食費も1日1500円出ていたのがゼロになった...。
現場作業員にガンが多発しているのでは...というレポートがありますが、なんと著者自身が喉頭ガンと診断されたとのこと。これには驚きました。のどのポリープから出血し、吐血したのです。
460頁にのぼる大作ですが、この9年間はあっというまのことです。そして、肝心の原子炉のデブリはまったく手つかずの状態なのです。いったいあと、何十年、何百年と続くのでしょうか...。それでも原発が必要だと言いはる人の気がしれません。
フクイチの事故は決して他人事(ひとごと)ではないのです。
ちなみに、私は映画『フクシマ50人』もみています。吉田所長以下の皆さんが必死でがんばったというのはまったく間違いないわけですが、原発そのものは人間の手にあまる存在だというのを、もう少し強調してほしかったというのが私の感想です。
よく出来た本です。一人でも多くの人に読んでもらいたいと思いました。
(2020年4月刊。1700円+税)
2020年5月14日
「大東建託」商法の研究
(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社
「サブリースでアパート経営」に気をつけろ、というサブタイトルのついた本です。大東建託だけはなく、大和ハウス、東建コーポレーションそしてレオパレスも取りあげられています。この本を読むと、素人がアパート経営に手を出すと、それこそ火傷(やけど)で重傷を負うことが多いと思わされます。
実は、私も大東建託を相手として契約解除を求めて交渉したことがあります。なにしろ70歳代後半の素人の男性が1億円をこす建築費を借金してアパート経営に乗り出そうというのですから、初めから無謀というしかありません。その男性はストレスのあまり病気になりました。そのこともあってなんとか契約解除にこぎつき、家族からは大変喜ばれました。
たとえば大東建託は次のように提案します。
木造アパートを1億3000万円でつくる。毎月90万円の家賃収入があるから、銀行への返済分60万円を差し引いても、手取り25万円になる。
大東建託が一括借り上げて家賃を支払ってくれると思って安心していると、入居者が減るなか、途中から家賃収入が減額される。文句を言うと、会社から「将来の収入を約束したものではない」と冷たく事務的な文面が返ってくる。そして、一括借り上げ契約が解除されてしまう...。
これでは、トホホ...ですよね。
圧倒的に巨大な企業と銀行が、ほとんど無防備の一市民に高額かつ高リスクの商品を売りつけ、資金を貸しつけて高い利益をあげる。その結果、家主がどんな目にあおうと知ったことではない。あとは野となれ、山となれ...だ。
ランドセット方式なるものもある。第三者所有の土地をあらたに購入して、そこにアパートを建て、大東建託が一括借り上げて、経営するというもの。
アパート建築の総工費8000万円。家賃保証があり、毎月10万円の利益(手残り)が出る。家賃保証があると言って安心させる。しかし、1億円の借金で、月の手残りが10万円ということは、利回りでみると1%。そんな事業は初めから無理。木造アパートは22年で減価償却が終わる。すると、それ以降はそれより格段に高い所得税を支払わなくてはならなくなり、収支がマイナスに転じる。
高齢の土地所有者の息子が協力を断ったときには、身内を養子縁組させてまで借金させようとする。あまりにも無茶苦茶だ。
大東建託が建てたマンションが欠陥マンションだった話も紹介されている。
そして、大東建託内での社員に対する壮絶な社員教育に名をかりた「いじめ」も発生する。契約締結を大東建託では「一筆啓上」と呼ぶ。また、大東建託では、新規客に対して嘘も方便として平気だったが、社内でもパワハラ、セクハラが横行していて、病気になった社員も多い。
基本給28万円のうち、営業手当が11万円。これが6ヵ月無契約だと6万円減り、さらに無実績10ヶ月になると、トータルで11万円減って、手取りは10万円ほどとなる。
ハローワークの求人広告はウソ、インチキだった。
この本を読んで、アパート経営を口実とした新手(あらて)の詐欺商法だと私はますます確信しました。
(2020年3月刊。1500円+税)