弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2020年4月10日

未完の時代


(霧山昴)
著者 平田 勝 、 出版 花伝社

全学連の輝ける委員長だった著者は、共産党の要請を受け、辛じて籍だけあった東大文学部生として東大闘争に関わるようになったのでした。
著者は駒場寮のとき寮委員長にもなっていますが、その寮委員仲間には東大学長にもなった政治学者の佐々木毅がいました。
著者は東大闘争について、安田講堂攻防戦ばかりが世間のイメージとして定着しているが、この安田講堂攻防戦は、東大紛争の本筋と解決する道からは大きくズレた、一部の孤立した学生の動きであり、大学への権力の介入を許しただけの妄動だったとしています。私も、まったく同感です。
2日間にわたる安田講堂攻防戦は、一日中、テレビで実況中継として放映され、大変な高視聴率でしたが、それこそ政府・自民党の狙うところでした。
東大闘争は七学部代表団と加藤一郎総長代行らの東大当局とのあいだで確認書を取りかわして決着しましたが、その成果は大きいものがありました。政府・自民党は、確認書をしきりに攻撃したのですが、東大当局は今に至るまで、一応、確認書は守ってきています。
東大闘争のなかで、全共闘とそのシンパの学生は、しきりに「自己否定」と言っていました。民青系が民主的インテリゲンチャ論を展開すると、全共闘はせせら笑っていたのです。
でも、全共闘のメンバーもシンパ層も、東大生をやめたというのは私の知るかぎり何人もいませんでした。そして少なくない人たちが権力に取り込まれ、企業戦士になっていきました。
「自己否定」という言葉からは、自己のありように対する厳しい自己反省を含む倫理的ニュアンスがある。しかし、全共闘の実際の行動からすると、自己否定の論理とは、そうしたものとは全く違って、言葉には酔っていたが、自己の感情を絶対化し、自己否定や自己批判を、暴力をもって他人に押しつけるという、むしろ「自己肯定」の論理に立つものであった。自分の感情にだけ「誠実」であればそれでよいのか、このように問いかけた東大の教官がいたが、そのとおりだと思う。
この分析も、私の実感にぴったりあうものです。
私のクラスにいた全共闘のメンバーもシンパも、「自己否定」どころか、自分を絶対視しているとしか私には感じられませんでした。
そして、さらに大きな問題は暴力の問題です。全共闘のメンバーやシンパだった人は、自分たちがひどい暴力を振るっていたことをあまり語りませんし、反省の弁を聞くことがほとんどありません。しかし、当時、全共闘に対峙していた側の一員だった私にとって、全共闘の暴力は決して見過すことのできない重大問題です。
もし全共闘が暴力をともなわない単なる論理の問題であったのなら、自己の内部にあるエリート性の否定としての「自己否定」であり、精神運動として一定の意味はあったと思われる。しかし、現実には、全共闘の論理には暴力がともなっていた。全共闘は暴力の魔力に取りつかれていたと思う。本当に、そのとおりです。
東大闘争が収束したあとしばらくして連合赤軍の「総括」の名のもとの大量リンチ殺害事件が発覚しましたが、全共闘の「敵は殺せ」という暴力の論理の行きつく先だったと私は思います。
全共闘のメンバーが万一「革命」に成功して政権を握ったとしたら、スターリンの恐怖政治、毛沢東による文化大革命発動という恐るべき悲惨な事態が日本でも起きたことでしょう。
全共闘の暴力に対して、無抵抗主義、ガンジーのような非暴力で対処するというのは、非現実的だったと著者は主張していますが、私も同感です。全共闘の暴力に対して、民青も「クラ連」も、そして多くの一般学生もヘルメットをかぶり、ときにゲバ棒をもって対峙して、全共闘の暴力を克服して確認書を勝ちとり、授業再開にこぎつけたのでした。
全共闘のシンパ層は、授業が実際に再開されると、なだれをうって授業に出席しました。私は、それが悪いというのではありません。学生として授業に出るのは当然だからです。ですから、せめて暴力を振るっていたことだけは反省してほしかったのです。
全共闘の暴力に対抗して、多くの東大生が立ち上がりましたが、それだけでなく「外人部隊」の応援も受けています。それは事実ですし、必要だったと思います。宮崎学の本に出てくる「あかつき戦闘隊」も実際に存在しました(あまりに誇張されすぎていますが...)。
また、共産党が大量のゲバ棒、毛布、弁当をはじめとして、大金を投入したのも事実のようです。それは政府、自民党、財界側からも同じように資金が投下されていたこととあわせて考えるべきものだと思います。
著者は東大闘争の過程で共産党の宮本顕治書記長から直接、闘争指導を受けていたことも明らかにしています。これまた、すでに活字になっていることでもあります。
最後に、この本は、民青を舞台とする「新日和見主義事件」に触れています。共産党は、この事件の詳細を明らかにしていませんが、民青の発展を大きく阻害した残念な事件だったことは間違いありません。私も70年代の遅くない時期に民主連合政府が実現できると信じて活動していましたので、それがぐーんと遠のいてしまったわけです。ただ、学生セツルメントが1970年代に急速に低下し、やがて消滅していったことは、「新日和見主義」事件とはまったく関係がありません。やはり、学生の質・関心に大きな変化があったのです。
いま、アベ政権に代わる政権を目ざしているなかで、反省材料の一つになる本だと思いました。貴重な歴史証言の一つとして私は一気に読みあげました。著者の今後ますますのご健勝を祈念します。
(2020年4月刊。1800円+税)

2020年4月 9日

兵器を買わされる日本


(霧山昴)
著者 東京新聞社会部 、 出版 文春新書

読むほどに腹の立ってくる本です。コロナで大変な日本なのに(全世界がそうですが、それはともかくとして...)、医療崩壊を喰い止めるために医療費を増大させる必要があることは明白なのに、軍事予算を削って、医療・福祉にまわすという政策が出てきません。せいぜい一世帯にマスクを2個、郵便で送り届けますというピンボケ策です。
真相を隠し、責任転嫁を図って政権を維持することしか頭にないアベ首相をいただく日本国民は不幸です。最大の災難は、とんでもない首相から来ているとしか言いようがありません。
日本はアメリカから最新鋭のステルス戦闘機F35を105機購入する。すでに決まっている42機とあわせると147機。1機120億円として、105機で1兆2600億円。
安倍首相ほど、トランプ大統領にこびへつらうことに心血を注いできた指導者はおそらく世界中を探してもいないだろう。
これは、アメリカのワシントン・ポストの記事です。いやはや、とんでもない「愛国者」です...。
2019年度の防衛予算は5兆2574億円で、防衛費は5年連続で過去最大を更新し続けている。
今年(2020年度)も、コロナ・ウィルス対策で予算組み替えするかと思うと、何もせずに、同じように軍事優先、医療福祉の切り捨てのままでした。驚くべき冷酷さです。
増大する日本の防衛費にアメリカの関係者が群がっている。要するに、日本の軍事予算の増大は、日本を守るためというより、トランプ大統領を支えているアメリカの軍需産業のためなのです。本当に嫌になってしまいます。
日本はヘリ空母「いずも」をもっているが、実は、海上自衛隊は慢性的な人員不足。空母の運用には人員確保が難しい。現場はほしいと言っていないのに、トップダウンで空母化が押しつけられているだけ。
基地騒音公害で周辺住民に巨額の賠償金が支払われている。地位協定によるとアメリカも分担金を支払わなくてはいけないはずなのに、アメリカは分担金を払っていない。そして安倍政権はアメリカに対して支払えと請求してはいない。恥ずかしい限りです。
イージス・アショアは、安倍首相がトランプ大統領に買わされたもの。イージス・アショアは、日本の防衛のためではなく、アメリカ本土を守るためでしかない。ハワイとグアムのアメリカ軍基地を守るためのシステムだ。
いやはや、何ということでしょう...。日本を守るための軍事予算といいつつ、実は自分たちの政権を維持するため、そして日本の軍需産業のためというのです。やり方が汚ないですよね。ホントに腹がたちます。プンプンプン...。
(2019年12月刊。850円+税)

 今年は満開の桜をいつまでも眺めて楽しめます。出勤途中、横手にある小川の土手の桜並木を見ると、心がほっこりします。
 庭のチューリップは盛りをすぎ、白をベースとした黄色のアイリスの花が加わりました。シャガの白い花も咲きそろっています。ジャガイモが芽を出して、茎が伸びていて楽しみです。周囲の雑草をとってやります。 そしてアスパラガスがいつものところに毎日1本、2本と収穫できます。電子レンジで1分間、チンすると、春の味を楽しめます。
 コロナさえなければ、春らんまんを思う存分に楽しめるのですが...。

2020年4月 8日

歴史としての日教組(上)


(霧山昴)
著者 広田 照幸 、 出版 名古屋大学出版会

戦後日本の教育をダメにしたのは日教組だと右翼が言い、アベ首相も国会でそんな野次をたびたび飛ばしました。それほど日教組は戦後日本の教育界に影響力をもっていたのでしょうか...。この本は、日教組の実態を学術的に究明しようとした本格的な研究書です。上巻だけで300頁あります。
日教組くらい実像とかけ離れたイメージや言説がおびただしくつくられ、巷間に流布している組織は珍しい。妄想に満ちた一方的で過剰な読み込みがある。
そもそも日教組は単組の連合体組織なので、日教組中央の統制力は決して強くない。個々の組合員のレベルでは、多様な考え方の組合員がいるのは当然である。
1989年に反主流派の単組の大半が離脱したあとの日教組は、総評の解体後につくられた連合に加入し、それまでの対決型の運動方針から穏健な対話路線へと、運動のあり方の見直しを模索するようになった。
1995年には、いわゆる文部省と日教組との歴史的和解が成立した。
右翼や保守派は、日教組について、上から下まで徹底管理された、思想的にも一枚岩の組織像をつくりあげた。しかし、それは、日教組の実態から著しくかけ離れていた。
1950年代に共産党系が日教組執行部の多数派になった事実はない。
1989年の日教組分裂時まで、執行部三役は、すべて非共産党系であった。そして、中央委員のなかで共産党系とそのシンパの占める比率は3割だった。
日教組は、全逓や国労とは違って、共産党の影響力は大きくなかった。
1950年の地方公務員法は日教組が法人格を得る道をふさいだ。日教組などの全国的な連合組織は、労働組合法の保障する労働組合でも、地方公務員法が規定する職員団体でもない、任意団体になった。ところが、日教組は労働組合であると同時に職能団体であることを内外から期待された。
自民党と文部省が日教組攻撃の材料として「倫理網領」を論じるときに「日教組の方針を解説したもの」としている「解説」なるものは、日教組の情宣部が独断で作成したものにすぎず、いかなる日教組の機関が承認したものでもなかった。
日教組は共産党系の勢力の支配下にあったことは一度もない。日教組の主流派にとって共産党系の勢力は、連携のパートナーであり、同時にうっかりすると過激な方向に引きずられたり、内部をかき回されたりしまいかねない油断のならない相手でもあった。そして、日教組の主流派は、共産党系の勢力を敵視していたのでもない。また、日教組の主流派は、特定の政党の指導下にあったわけでもない。
たくさんの資料を分析して導き出された結論ですので、大いなる説得力があります。
(2020年2月刊。3800円+税)

2020年4月 7日

病気は社会が引き起こす


(霧山昴)
著者  木村 知 、 出版  角川新書

 今や全世界がコロナ・ウイルスの恐怖に震えています。この情勢にぴったりの本です。ですから、もちろんコロナ・ウイルスのことを論じた本ではありません。その前に起きたインフルエンザ大流行をきっかけに病気の原因と対策を考えてみたという本です。
 著者はカナダ生まれの外科医です。この本には、なるほど、なるほどと思うところが多々ありました。
カゼのクスリは、カゼを治す効力はもっていない。そもそも、自己防衛反応ともいえる発熱や咳を、解熱剤や鎮咳薬で無理に抑えこもうとするのが間違い。そんな薬はカゼに効かないばかりか、むしろ各成分による副作用のほうが、よほど心配だ。
医師はカゼを治すことはできない。カゼへの対処法は服薬ではなく、休息だ。熱、ノドの痛み、鼻汁、咳、痰といった不愉快なカゼの症状は、ウイルスを排除するための免疫反応の結果、つまり自分で自分を守るための自己防衛反応とも言える。発熱で体温を上げて、ウイルスの活動をおさえる、鼻づまりで、さらなる異物の侵入を防ぐ。鼻汁とくしゃみと咳で異物を体外に排除する。このような自浄作用である症状を薬でなくそうとすること自体がナンセンスなのだ。カゼのときくらい、ゆっくり休める社会に日本も変わっていくべきときではないか...。
インフルエンザかどうかではなく、体調不良のときには、自分自身の安静のためにも、周囲への感染拡大を防ぐ意味でも、何をおいてもまず休む。これが大切だ。職場や学校は、そのように休むべき人を積極的に休ませるという体制を早急につくりあげなければならない。なるほど、これが一番大切なことですよね。発想を切り換える必要がありますね。
アメリカには日本のような国民皆保険制度はない。アメリカの保険未加入者は2810万人で、全国民の9%に近い。しかも保険に加入していても、保険会社が保険金の支払いを拒否する事例が少なくない。病気になっても十分な医療が受けられなかったり、高額な医療費のため家屋を手放さざるをえなくなるなど、医療をめぐる格差問題は深刻だ。
マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』(2007年)は、アメリカの医療制度がいかに金持ち優遇のシステムなのかを白日のもとにさらけ出している内容で、見ているとゾクゾク寒気がしてきました。日本はアメリカのようになってはいけないのです。
日本の生活保護制度の運用における最大の問題点は、微々たる不正受給問題よりも、本来なら受給して然るべき境遇の人が支給されないまま放置されていること。生活保護費が高いのではなく、年金や最低賃金が低すぎるのだ。
本書で指摘されていることは、しごくあたりまえのことだと思いますが、そのあたりまえのことが残念ながら見過ごされていると思いました。
(2019年12月刊。840円+税)

2020年3月25日

マトリ


(霧山昴)
著者 瀬戸 晴海 、 出版 新潮新書

ひところは刑事の国選弁護人になると、覚せい剤事犯が大半でした。その後、激減したのですが、近ごろ、再び覚せい剤事犯が少しずつ増えています。
マトリとは厚労省の麻薬取締官のことです。
マトリには300人の麻薬取締官がいる。その半数以上が薬剤師。
1980年ころは、毎年2万人以上が覚せい剤で検挙されていた。このころは、覚せい剤のほかは大麻やコカインなど5種類ほど。私も大麻事案は扱いましたが、コカインはありません。
ところが、今では、危険ドラッグや向精神薬など40種類をこえる。そして、最近は、検挙者数こそ年間1万人台だが、事態はより深刻化している。
覚せい剤は、2016年に押収されたのは1.5トンで最高だったが、2019年にも1トンをこえた。想像以上に海外から覚せい剤が持ち込まれていると考えられている。
麻薬産業は世界規模のビジネスとして確立している。アメリカ、カナダ、ベトナム、セルビアなど多国籍のメンバーが薬物密輸にからんでいる。
日本では薬物事件の80%は覚せい剤だが、これは世界的には珍しいことだ。
そもそも覚せい剤は、日本で初めて合成された有機化合物だ。
覚せい剤は、末端価額が1グラム6~7万円。これは東南アジアの相場の5~10倍。密輸入価格は1キロ1000万円だったのが、500~700万円に下がった。輸入価格が下がれば、暴力団のもうけは大きくなる。
検挙者は年間1万人だが、実際の使用者20万人はいるとみられている。
覚せい剤の製造には一定の技術が必要で、つくるとき特有の臭いが発生するため日本で密造するのはリスクが大きすぎる。そこで、日本の暴力団はすべて海外に依存している。そして、日本に運び込むため、事情を知らない女性が使われることも多い。
1963年ころの日本には、大小5000をこえる暴力団組織があり、構成員は18万人以上だった。それが2018年末には暴力団員は1万5600万人、準構成員1万4900人と激減している。
最近はインターネットを使った売買が多い。また、大麻を自宅で栽培している若者も目立つ。
マトリが活躍する必要なんかない社会を目ざしたいものなんですが...。
(2020年2月刊。820円+税)

2020年3月24日

地域から創る民主主義


(霧山昴)
著者 宮下 和裕 、 出版 自治体研究社

いまは「危機とも転換ともなりうる、せめぎあいの新しい時代」だと、この本にこう書かれていますが、まったく同感です。
臆面もなく嘘をつき通し、証拠はすべて「処分」して国民の目にふれないようにして、追及されたら平然と開き直るアベ政治がまかりとおっています。少なくない国民は怒っていますが、「多く」の国民は、またかと呆れ、怒りを表明することがありません。でも、いつまでもこんな状態が続くほど日本国民はバカではないと私は確信しています。今は、政治の大転換の直前にあると自分によくよく言い聞かせているのです...。
著者は、日本国憲法がなぜ70年も続いたのかを改めて考えています。
憲法制定時の主要な政治勢力、GHQも日本政府も、そして共産党も、誰も憲法がこんなに70年も存続するとは思っていなかった。憲法制定にかかわったGHQ、マッカーサーや日本政府、政権担当者によって、早くもその制定直後に見捨てられた日本国憲法なのに、なぜ70年も改正されることなく続き、成文憲法としては世界で最長命の憲法となったのか...。
それは、憲法自身が、人類の、世界の到達点を示すものであり、日本国民とアジアの民衆の願いに合致していたから...。
まったく、そのとおりです。歴代の自公政権によってキズだらけにされてはいますが、今なお9条ふくめ、しっかり生きていると言うことができます。私たちの毎日の暮らしと平和をギリギリのところで守ってくれているのが、今の日本国憲法です。
1968年6月に、アメリカ軍のファントム戦闘機が九大構内に墜落したとき、著者は九大の全学自治会副委員長(あとで学友会中央執行委員長)でした。つまり、九大ジェット機墜落事故に関する抗議行動の先頭に立っていたのです。
2019年6月には、九大でかつては反目しあっていた学生運動各派が思想の違いをこえて統一集会をもったことも紹介されています。「暴力」の問題は簡単にタナあげすることは出来ませんが、考え方の違いはわきに置いて、今のアベ政治は許さないという点で一致した集会として成功したようです。といっても、みんな70歳をこえています。今の若い人たちに、この成果をどうやって伝承するかが私たちの切迫した課題となっていると思います。
大牟田出身の著者は自治体問題を扱う団体の専従事務局長として長く活躍してきました。この3年間の論稿をまとめて本にしたものですが、これで6冊目とのこと。地方自治と日本の民主主義の発展のために今後ひき続き活躍されんことを心から願っています。
(2020年3月刊。2000円+税)

2020年3月19日

トヨトミの逆襲


(霧山昴)
著者 梶山 三郎 、 出版  小学館

トヨタ自動車の経営トップについて「99%実話」という噂のある本だというので読んでみました。著者は現役の経済記者とのことで、覆面作家と称しています。
前著『トヨトミの野望』も読んで、このコーナーでも紹介したように思います。ともかく、日本を代表する超巨大企業の経営トップのドロドロとした世渡りの実態がほとほと嫌になるくらい暴露されています。そのすべては、トヨタが巨大企業でありながら、創業者一族の独占する「一私企業」であるかのように運営されていることに起因しているようです。
トヨタの社長は、トヨタに関する報道はくまなく精査させ、論調にまじったわずかなトゲ(棘)も見逃すなと指示した。
その記事の出元には広報セクションが折衝し、ときに昵懇(じっこん)の間柄である大手広告代理店を使い、広告を引き上げる(とりやめる)か、あるいは逆に出す広告を増やす。こんなアメとムチでメディアを飼いならす。
トヨタの社員が目に見えて横柄になったのは、2000年代の後半。トヨタ一族の社長が就任してからのこと。
「どこがトヨタにとってうれしいのか」と、トヨタの社員は上から目線で問いかける。トヨタにどんな利益をもたらしてくれるのかと迫る言い方に、傲慢さと驕りが言葉の裏から透けて見える。
社長の覚えがいいことを利用して無駄づかいを繰り返す「お小姓」、私情をまじえて人事権を振るう「側用人」。こういう人間が社長にまとわりついている限り、トヨタという組織は「君側の奸臣」をかかえたまま。無害な人間だが、長いついあいだからというだけでそばに置いている社長秘書も、まったくの能力不足...。
トヨタの創業者社長は、自分に従順な人間は徹底的に重用するが、意見があわなかったり、批判的な人間は許さない。その結果、社長のまわりには、「お友だち」しか残らない。役員のあらかたは粛清がすんでいる。
トヨタの人事部は自分たちに危害が及ぶから、必死になって社長の意向を忖度(そんたく)して、気に食わない人間を社外に放り出す。そんな上司に嫌気がさしたのか、トヨタの人事部では、この1年で中堅社員が10人以上も辞めていった。
ニッサンの内部抗争もひどいものでした(です)が、トヨタのほうも、同じように根本的な問題を経営トップはかかえているようです。
あくまで私企業の話ですから、だからどうだということではありません。ただ、私は弁護士になれて良かったなと胸をなでおろしてしまいました。こんなドロドロとした抗争の世界にいたら、ストレスが強すぎて病気になってしまいますよね...。
アベ首相のまわりも同じことなのでしょうね。そんなことはしてはいけないと諫言(かんげん)できる人がまったくいないのですよね、きっと。まあ、アベ内閣は一刻も早く総辞職してもらったほうが「美しい国ニッポン」のためになると思いますが...。
実在の組織や人物とは関係ないフィクションということですので、私が「99%実話」という噂をもとにトヨタをあてはめてみたのも、私は、このように読んでみましたというだけのことです。
(2020年1月刊。1700円+税)

2020年3月13日

汚れた桜


(霧山昴)
著者 毎日新聞・桜を見る会・取材班 、 出版 毎日新聞出版

いつまで「桜」やってるんだよという声を聞かないわけではありません。でも、「桜」は簡単に見過せるようなシロモノではありません。いま深刻な問題となっているコロナ・ウィルス感染にしても、政府がどこまで真相を国民に公表しているのか、その施策はどうやって決まったのか、隠されたらいけないことは明らかです。いや、そんなの必要ないといったら、それは民主主義ではありません。独裁政治でしかなく、それでは日本は滅びてしまいます。
「桜を見る会」で問題となっているのは、安倍首相が公費を使って選挙民を買収していたのではないかという公職選挙法違反に該当するか否かの問題です。イエスなら、安倍首相は、かつての田中角栄首相のように逮捕され、直ちに失職することになり、またそうしなければなりません。
この本は毎日新聞の取材チームの一連の行動をまとめたもの。取材班は、まるで「脱法内閣」ではないかと思ったという。それも、うべなるかな...。そう思わせるに十分な内容になっています。
不思議なことに、安倍首相について公選法違反の疑いが濃厚なのに、捜査当局が動き出している気配はありません。それどころか、安倍内閣は検察庁のトップに自分の息のかかった人物をすえるべく、従来の法律と法解釈を無理矢理にねじ曲げようとしているのです。
「桜を見る会」の前夜祭のホテル・ニューオータニの1人会費5000円というのは、明らかにうさんくさい。超一流のホテルでのパーティーが1人5000円で出来るはずもないし、安倍首相の後援会主催なのに、安倍首相が政治資金規正法にもとづく届出(報告)をしていないというのも
違法行為であることは間違いない。こんなことはホテルの経理内容を司法当局が強制捜査すれば、すぐに判明することだと思いますが、司法当局は安倍首相の前に立ちすくんでしまっています。
そして、共産党の国会議員が資料要求したら、なんと1時間後に、招待者名簿はシュレッダーにかけてしまったので存在しないと内閣府は答弁した。高性能の大型シュレッダーにかけたというが、電子データは残っているはずなのに、それも同時に消去してしまったという。ありえないことを平気で答弁する高級官僚たちの顔を見ていると、怒りよりも哀れみを感じてしまう。
また、招待者枠のなかに、「私人」であるはずの「昭恵夫人枠」があることを内閣官房は国会答弁で認めた。「私人」である首相夫人が公費(税金)をつかって開催される「桜を見る会」に自分の好みの人たちを招待できるなんて、政治の私物化という以外に言いようがない。
悪質マルチ商法のジャパンライフの山口会長を安倍首相が「桜を見る会」に招待し、山口会長は安倍首相と一緒の写真を会員に示していたことも明らかになった。すると、安倍首相は山口会長について「個人的関係は一切ない」と答弁したが、実は安倍首相の父、安倍晋太郎外務大臣と山口会長はニューヨーク訪問をしていて、このとき安倍首相も秘書官として同行していた。
ジャパン・ライフに投資した人、つまり大金をだましとられた人たちは山口会長が安倍首相とも親密な関係にあることを示されて安心していたのだから、安倍首相の責任が重大であることは明らかだ。
この本は、昨年11月8日の田村智子議員(日本共産党)の質問を発端とする「桜を見る会」にまつわる安倍首相の公選法違反事件の真相を手際よくまとめたものとして、いま全国民必読のものだと思います。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2020年2月刊。1200円+税)

2020年3月 6日

イージス・アショアの争点


(霧山昴)
著者 荻野 晃也・前田 哲男ほか 、 出版  緑風出版

イージス・アショアって、そもそも何なの...、どうしてそんな高価なものを秋田と山口・萩の二ヶ所に置くの...、それって本当に日本を守るために必要なものなの...、誰から攻撃されるっていうの...。そんな疑問に多面的に答えた本です。
秋田市と山口県の萩市・阿武町の2ヶ所にイージス・アショア基地を設置するという話は2017年に突如として降って湧いた。安倍首相の選挙区は山口県、菅官房長官は秋田県出身。これって本当に偶然のことだろうか...。
イージス戦闘システムは、その本質は強力な攻撃兵器である。
海上にイージス艦を8隻も浮かべておきながら、地上配備型のイージス・アショアを秋田と山口の2ヶ所に置くという。
防衛省は、1990年代後半まで、日本に向けて発射された北朝鮮の弾道ミサイルに対して海上のイージス艦が対処し、次にパトリオットミサイルPAC・3が対応する二段構えで、「万全の構え」をとっていると説明してきた。だったら、さらに地上型は不要のはずなのに...。
2017年8月、日本政府はトランプ政権の要請にこたえてイージス・アショアの導入を決めて発表した。このときは1基800億円とされた。ところが、12月の閣議決定の時点では1基1000億円と修正され、さらに翌18年7月に1基1340億円と再修正された。
なぜ、秋田と山口の萩なのか...。
実はアメリカ軍の軍事拠点であるグアムとハワイを防衛するためであることが地図の上で明らかになった。秋田と山口は、アメリカ本土を北朝鮮のミサイル攻撃から防衛するための人身御供(ひとみごくう)なのだ。
そうすると、北朝鮮からも中国・ロシアからも攻撃目標(標的)にされる危険がある。標的にならなくても、イージス基地から迎撃ミサイルを発射したとき、爆炎が周辺に及び、またブースター(補助推進ロケット)が周辺に落下する。
そして、イージス・アショアからは強力な電磁波がふりまかれる、電磁波は人間の生殖への悪影響を及ぼす心配がある。生殖だけでなく、人間の脳にも悪い影響を与えることも最近心配されている。さらに、発ガン性も心配されはじめた。
結局、イージス・アショアを日本の地上に2基も設置すると、8429億円の費用がかかると見込まれている。どんどんふくらんでいる。
アベ政治は、こんなアメリカと軍事産業だけを利する、不要不急の軍事には惜しみなくお金をつぎこむ一方、コロナ新型ウィルスにはわずかなお金しかつぎこもうとしません。まさしく本末転倒の政治です。もう、そろそろやめましょうよ...、こんなデタラメ政治は。
(2019年11月刊。2000円+税)

2020年3月 5日

天皇と戸籍


(霧山昴)
著者 遠藤 正敬 、 出版  筑摩書房

戸籍があるのは、日本だけ。日本と似た戸籍制度が続いてきた韓国は2008年に廃止した。中国と台湾は今では居住登録の意味が強く、日本とはかなり異なる。
中国では7世紀の唐の時代に体系的な戸籍制度が整備され、日本でも唐にならって7世紀後半から全国統一の戸籍を実施した。つまり、日本の戸籍制度は、いくらかの変遷を重ねながらも、今日まで1300年以上にわたって存続してきた。
皇族には、氏がない。元皇族には、離婚したときに復帰すべき氏がない。
天皇家の人々には氏も姓もない。なぜなのか・・・。
天皇・皇族に対して陛下とか殿下といった敬称、また最上級の敬語は、それを義務づける法的根拠はない。
なので、私は「天皇陛下」とは決して言いません。天皇夫妻と言います。そして、必要な時にはフツーの敬語表現は使います。私と何の縁もない、見知らぬ人たちだからです。
日本の戸籍は、天皇からみた「臣民簿」であることを歴史的な本質としている。
「公地公民」というのは、豪族が全国に割拠して治めていた土地と領民は、すべて天皇の所有物であるという考え方にもとづくもの。
戸籍は、あくまで「下々(しもじも)」を登録するものであって、「上御一人(かみごいちにん)」たる天皇を別格とすることを法制の上で明示するうえで、格別の役割を担った。
戸籍は「臣民簿」という国家的意義をもつもので、「一君万民」という形での国民統合が、戸籍という装置を介して具現化された。
古代日本国家において、「氏(ウジ)」と「姓(カバネ)」は天皇からの「賜(たまわ)りもの」だった。だから、その「御威光」にあずかろうとして、氏姓を捏造(ねつぞう)する豪族が絶えなかった。
天皇家は他の王家との区別を示すための「姓」をもつ必要がなかった。日本では、天皇家は「万世一系」であって、単一の王家が続いてきたことになっていて、これに競合するような他の王家は存在しない。日本は中国から「易姓(えきせい)革命」の考えは受け入れなかった。
天皇家は、すべての氏族に対して超然としてそびえたつ存在でなければならなかった。臣民の称する氏や姓は、それぞれの家の標識であり、いわば「私」の表徴である。それらすべての氏姓(家)をたばねる唯一無二の「宗室」として天皇家は「公」を表徴するものであるからこそ、氏姓を必要としないのだ。
明治以来、一般の日本国民は満20歳が成年とされてきた(今は18歳)。ところが、天皇・皇太子・皇子孫の成年は満18歳とされている(皇室典範22条)。
天皇も皇族も住民票をもっていない。
一般国民の本籍地を千代田区千代田一番、すなわち皇居におくことが認められている。1975年の時点で235人いた(今は公表されていない)。
三笠宮寛仁(ともひと)は、戸籍がないのに住民税を支払わされることに公開の場で不満をもらした。「われわれは、ある意味で無国籍者なんだ」とも発言している。
皇族が結婚するについては戦前は天皇の許可を必要としたが、今でも「皇室会議」の承認として残っている。
大正天皇の皇統譜には、生母が「権典侍(ごんてんじ)柳原愛子」であることが明記されている。
天皇家の人々は、「一般国民」としての権利をもたない「非一般国民」であり、いわば観念的な「日本国民」として理解するのが妥当だ。
天皇と皇族の置かれている法的地位(立場)を正確に理解することのできる本です。大変勉強になりました。
(2019年11月刊。1600円+税)

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