弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2020年9月30日
ロレンスになれなかった男
(霧山昴)
著者 小倉 孝保 、 出版 角川書店
1970年にアラブに渡り、シリア、レバノン、エジプトで日本空手協会から派遣された指導員として空手の普及・指導につとめた岡本秀樹の生涯をたどった本です。
著者は毎日新聞社のカイロ特派員として岡本に出会い、2009年4月の岡本が67歳で病死するまで交流がありました。なので、その体験もふまえて岡本という表裏ある空手道の指導者の実像を描き出しています。
いま、中東・アフリカの空手人口は200万人を超えているそうですが、それは日本式というよりヨーロッパ式のスポーツ競技として普及しているとのこと。なるほど、と思いました。というのも、日本の空手は、いくつもの流派に分かれていて、柔道のような統一体がないとのことです。
岡本は、シリアやエジプトで秘密警察や治安部隊のメンバー相手に空手を指導し、その教え子たちを通じて治安機関に特殊なコネを築いていた。エジプトのサダトの護衛も教え子の一人だった。岡本は各地で政権幹部に近づき、貴重な一次情報を入手していた。
また、イラクではフセイン大統領の長男に取り入ろうとしたり、特別な立場を利用して密輸入して大もうけしたり、スーパーやカジノまで経営していた。しかし、結局、「恋敵」に足をひっぱられて事業に失敗し、「国外追放」寸前まで行った。そして、日本に戻ってきてからは別れた元妻に頼りつつ、生活保護を受けながらの闘病生活に入った。
岡本は日本の外交官や外務省からは徹底して嫌われていた。それでも、岡本はアラブ人からは慕われ、教え子からは信頼されていた。
最後に、岡本が生活保護を受ける生活をしていたのに、毎月3万円をカイロにある女子孤児院に寄付し続けていた事実を著者が知って驚いたことが紹介されています。
ロレンスに憧れた岡本は最後までアラブに失望することはなかった。騙され、陥れられても岡本はアラブを愛し、信じ、子どもたちを励まし続けた。
岡本はすべてを失いながらも、この地に200万人をこえる空手家を育てた。ロレンスになれなかった男は、ナイルの水となった。
小池百合子のカイロ大学卒業の怪(『女帝』)にも登場しますが、エジプトにとって日本の援助はきわめて大きかったことが、この本でも紹介されています。小池百合子と同じように岡本もその線で助かったことがあるようです。小池百合子も岡本も、アブドル・カーデル・ハーテム(2015年に97歳で死亡)というサダト大統領の右腕と言われた人物に面倒をみてもらっていたのでした。
こんな破天荒な生き方もあるんですね、思わず刮目(かつもく)してしまいました。
(2020年6月刊。2200円+税)
2020年9月29日
過労死しない働き方
(霧山昴)
著者 川人 博 、 出版 岩波ジュニア新書
過労死とは、仕事上の過労やストレスで病気になり、死亡すること。
過労・ストレスによる死亡・病気で労災申請は年に2000~3000件(うち死亡500件)で、増加傾向にある。国(労基署)が労災認定しているのは800件(うち死亡200件)。10年間の累積では、病気8000人(うち死亡2000人)。仕事に関連する自殺は年2000人を上回るとみられている。その過労死防止法が2014年6月に成立し、同年11月から施行されている。
うつ病を発病すると、正常に物事を判断する能力は減退する。
早朝5時に家を出て、6時すぎには現場で仕事をはじめる。仕事が終わるのは夜11時。自宅に深夜12時とか1時に帰り、数時間ねたら、午前5時に家を出るというサイクル。いやはや、とんだ非人間的な生活です。
そして電通の過労自死事件(高橋まつりさん)では、上司の暴言(パワハラ)もすさまじいものがあります。
「キミの残業時間20時間は、会社にとってムダ」
「会議中に眠そうな顔をするのは、管理ができていない」
「髪ボサボサ、目が充血したままで出勤するな」
「今の業務量で辛いというのは、キャパがなさすぎる」
「女子力がない」
うひゃあ、こんなこと言う上司の顔が見てみたいものです。人間の顔の仮面をかぶった鬼なのでは...。
パワハラは、仕事のことを叱るだけでなく、人格まで攻撃する。そして、フォローすることはなく、他人と比較して、長時間ネチネチと叱り続ける。
心身ともに健康だった若者が、仕事上の過労・ストレスから急激に健康を損ない、死亡している。
だけど、若者だけではないのです。中高年の過労死も増えています。急逝大動脈解離による心停止で49歳の働きざかりが突然死...。
いのちと健康を第一とする価値観こそ大切。
実は、この本が届いた日、うつ病で働けなくなった男性から借金の相談を受けました。仕事を辞めて、もう5年になるんです。このところ寝てばかりで、精神科にかかったら、自殺する心配があるので、入院をすすめられたとのこと。私は借金の心配より、生命と健康のほうが先決。入院して、じっくり生活を立て直すこと、借金は親や妻にまかせてしまうことを強くすすめ、この本の「いのちと健康が第一」というところを示しました。
この本は、できるだけ早く休むこと、そして辞める勇気を出すこと、家族に相談することを繰り返しすすめています。
命があれば、やり直すことができる。まったく、そのとおりです。借金なんて、実は、どうにかなるものなんです。それより大切なのは、自分の命と健康、そして家族の団らんです。
こんな本は中学、高校生向けに必要だという日本社会は、やっぱりおかしいですよね。とはいえ、大切な本です。たくさんの若い人に読んでほしいものです。
著者は労災、カローシで日本有数の弁護士です。贈呈うけました。いつもありがとうございます。
(2020年9月刊。800円+税)
2020年9月19日
よこどり
(霧山昴)
著者 小野 一起 、 出版 講談社
タイトルだけでは何のイメージも湧きませんが、サブタイトルは、小説メガバンク・人事抗争ですから、こちらは、ズバリそのものです。
この本を読むと、つくづく銀行とか証券会社なんかに入らなくて良かったと思います。
だって、人事派閥に巻き込まれたり、したくもない汚れ仕事をさせられたりするって、嫌じゃありませんか...。おっと、そんなことを言ったら、フツーにマジメに働いている多くの銀行員の皆さんには申し訳ありませんと、お詫びするしかありません。
でもでも、この本を読むと、銀行のトップにまでのし上がるには、単なる運だけでなく、ギラギラした出世欲、権力欲が必須なんだなと思わせるのです...。これって言い過ぎでしょうか。
主人公は、ある日、やり手の上司から、こう言われた。
「まず、キミの手柄は、すべて私の手柄にする。いいな」
「それから、私の失敗は、すべてキミのせいにする」
「ただ、心配する必要はない。キミも、キミの部下に同じようにやればいい。それが銀行だ」
うひゃあ、ギ、ギンコーって、そんなところだったんですか...、ちっとも知りませんでした。
「自己が担う責任の範囲で、リスクを慎重に取り除き、間違いなく仕事をこなすことが銀行員の基本だ。仕事に隙(スキ)をつくるな。辛いときは、仮面をかぶって組織を生き抜くんだ」
Yは、堅実な手腕とその時々の上司の意向を巧みに汲みとる配慮で、出世の階段を上ってきた。あまり野心のなさそうな振る舞いが、却ってYを高いポジションへと押し上げたのだ。
銀行の人事が、社長を頂点にきれいなピラミッド形を描く。50歳前後から徐々に、肩たたきが進み、グループ会長や取引先へと転出する。肩たたきにあった段階で、銀行内での出世競争は終わる。グループ会社や取引先での地位は、銀行内での最終ポストに連動する。いくらグループ会社や取引先で実績をあげても、最終ポストによって決まったコースが変化することはない。銀行での最終ポストが行った先の企業で逆転することもない。大切なのは、銀行内で、部長で終わったのか、執行役員で終わったのか、常務でおわったのか、という最終ポストの肩書だ。
あとは、銀行の看板を背負ったまま、おとなしく黙って日々を過ごすしか道はない。それが銀行の人事システムであり、秩序だ。
慇懃(いんぎん)な振る舞いは、取引先や行内で、腹の底を見せないために銀行員がよく使う技術の一つだ。ある種のつくりものの笑顔は、相手への不信感を伝える効果的なツールでもある。
銀行の広報担当者は、異動したら記者とのつきあいをやめるのが行内のルールだ。広報部時代の記者とのやりとりに使用するケータイは、銀行から貸与されている。担当が替われば、銀行に返す仕組みになっている。これまた、そうなんだ...と、ため息をもらします。
メガバンクが吸収合併したり、証券会社と合併したり、今や目まぐるしく変化している世の中です。本当に金もうけのことだけを考えて仕事していいのかという大切な問いが出てきませんが、それも寂しい限りだと思いました...。
(2020年4月刊。1600円+税)
2020年9月15日
私は真実が知りたい
(霧山昴)
著者 赤木 雅子・相澤 冬樹 、 出版 文芸春秋
涙なくしては読めない本でした。読む前から、そうなるだろうとは予感していたのですが、実際にそうなってしまいました。
佐川局長らの改ざん指示を忠実に実行し、その悪事に良心がとがめ、うつ病になって自死してしまった赤木俊夫さんの妻・雅子さんの手記を中心とした本です。
赤木さんの遺書を「週刊文春」に載せるまでの経緯、そしてその後の経緯を元NHKの記者である相澤さんも雅子さんの手記を補足するかたちで書いています。
それにしても、この本を読んで、もっとも腹が立つのは、改ざんを指示した財務省の上司たちが、そろいもそろって出世していっていることです。これでは官僚の世界は当面こそ「安泰」かもしれませんが、根本から腐敗して崩れ去るだけです。ちらっと官僚の目ざしたこともある身としても本当に残念でなりません。公務員の皆さん、ぜひ声をあげてください。
財務省近畿財務局の上席国有財産管理官だった赤木さん(当時54歳)が、国有地の値引き売却について公文書の改ざんをさせられ、1年あまり苦しんだあげくの自死だった。
本当にお気の毒だとしか言いようがありません。根っから真面目な公務員だったのですね...。
不当な値引き事件が発覚したのは2017年(平成29年)2月8日。赤木さんが自死したのは翌2018年3月7日。すべては安倍首相の国会答弁(2017年2月17日)に起因する。
「私や妻が関係しているということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきり申し上げておきたい。まったく関係ない」
安倍首相は「病気」を口実に総理大臣は辞めましたが、国会議員のほうは辞めていません。ぜひ今すぐ、辞めてほしいものです。
2018年3月2日、朝日新聞が公文書改ざんをスクープ報道し、3月7日に赤木さんが自死したあと、3月9日に佐川元局長が栄転していた国税庁長官を退官した。
そして、佐川元局長ら財務省の官僚たちについて、改ざん行為について刑事告発されていたのを、大阪地検特捜部は5月に不起訴にした。これについて、検察審査官は「不起訴不当」を議決したのに、大阪地検は不起訴処分を変えなかった。
2020年3月、赤木さんの妻・雅子さんは佐川元局長と国を相手に裁判を起こし、同時に「週刊文春」に赤木さんの遺書を全文公開した。この「週刊文春」は53万部が完売した。私も買って読みました。
2020年7月に赤木さんの妻・雅子さんは裁判の法廷で意見陳述した。
「私は真実が知りたい」
まったく、そのとおりです。でも、そこに至るまで、2年をかけて、ようやく夫の遺書を公表する決意ができたのです。それほど、社会の同調圧力は大きいものがあるのでした。
不謹慎かもしれませんが、この本で赤木さんの妻・雅子さんのたくましさに触れて、ついつい笑ってしまったことが二つあります。
その一つは、赤木さんと初対面でプロポーズされ、すぐに応じたら「女がすたる」と思って、少しはもったいつけなくっちゃ、と思ったというところです。そのとき赤木さん31歳、雅子さん23歳でした。
もう一つは、赤木さんは多趣味の人で、書道をふくめて、いろいろあった。ところが、雅子さんの趣味は、なんと夫の赤木さんだと、ノロけるのです。いやあ、これには、まいりました。トッちゃん(夫の俊夫さん)の好きなことにお付き合いする。これが雅子さんの趣味だと言うのです。恐れいります。ごちそうさまでした。
近畿財務局で働いたこともある中川勘太弁護士が財務局寄りの弁護士として批判的に紹介されています。本人の真意はともかくとして、苦しい状況だったのかな...と同情もしました。次に阪口徳雄弁護士が登場します。私も阪口弁護士とは少しだけ面識があります。
「あんた、一人でつらかったやろなあ」
77歳の阪口弁護士の言葉で、雅子さんは阪口弁護士に乗りかえたとのこと。正解でしたね。阪口弁護士なら、どこまでも正義を貫きます。そして、私もよく知る松丸正弁護士が加わり、さらに生越(おごし)照幸弁護士が入って、強力な代理人団が国相手の訴状を速やかに作成していくのです。
遺族が実名を明らかにして国に歯向かうことの大変さ、そして、官僚組織の自己保身の醜さ、いろいろ教えられることも多い本でした。
「悪いことをぬけぬけとやることのできる役人失格の職員」
このような赤木さんのつけたコメントに反して、そんな人たちが出世していく官僚の世界はおぞましいかぎりです。ぜひ、メスを入れて、本来の公僕の世界に立ち戻ってほしいと心から願います。
いま読まれるべき本として、強く一読をおすすめします。
(2020年7月刊。1500円+税)
2020年9月 5日
少年と犬
(霧山昴)
著者 馳 星周 、 出版 文芸春秋
著者のいつもの作品とは一味ちがっていて、ともかく最後までぐいぐい作中の世界にひきずり込まされ、読ませます。
タイトルからして、犬派の私を惹きつけますので、本屋で買い求めるや帰りの電車のなかで一気に読了しました。いつもなら途中でウトウトすることもあるのですげ、いつのまにか終着駅にいて驚いたのでした。
末尾の初出誌『オール読物』によると、最尾の「少年と犬」が実は真っ先に書かれたものだということです。人間のほうは6篇全部が異なるのですが、犬は同じですから、モノ言わぬ犬が主人公のようなものです。しかもこの犬はとても賢くて、人間のコトバも気持ちも全部お見通しで、迫りくる危険を察知(予知)する能力の持ち主です。小説とはいえ、犬の生態そして人間との深い関わりがよく描けています。
犬を取り巻く人間世界は総じて悲惨です。自己責任で社会から冷たく切り捨てられた家庭が次々に登場します。そこらあたりは、切ないというか、やるせない気分になってしまいます。
そして、この主人公の犬にはマイクロチップが埋められていて、それで素性が判明し、同時に、このストーリーの落ちが明かされるのでした。これ以上のネタバレは読者の読む楽しみを一つ奪ってしまいますので、やめておきます。
私も犬を飼いたい気持ちはありますが、年齢と旅行できなくなることを考え、あきらめています。犬派として、たっぷり犬を堪能できる小説でした。最新の直木賞受賞作品ですが、文句ありません。
(2020年8月刊。1600円+税)
2020年9月 4日
共感経営
(霧山昴)
著者 野中 郁次郎 ・ 勝見 明 、 出版 日本経済新聞出版
コールセンターの受注率が高くなるのは、オペレーターのスキルとは何の相関もなく、主な要因はオペレーターのその日の幸福度による。休憩中にオペレーター同士の雑談が活発なときは、コールセンターの集団全体の幸福度が高く、受注率も高い。そして休憩中に雑談がはずむのは業務中のスーパーバイザー(管理者)の適切なアドバイスや励ましの声かけにある。
なるほど、ですね。やっぱり、人間として大切にされているという実感があれば仕事もはかどるというわけなんですよね。
人間関係の本質は共感にある。外から相手を分析するのではなく、相手と向きあい、相手の立場に立って、相手の文脈の中に入り込んで共感すると、視点が「外から見る」から「内から見る」に切り変わり、それまで気づかなかったものごとの本質を直観できるようになる。そしてペアが出来上がると、二人称の世界となり、新しい発想が生まれる。
ニッサンの「ノート」eパワーは、ブレーキを踏まずに車を「止める」ことができる。回生ブレーキは、エンジンブレーキより3倍以上の制動力が生まれる。そのため、市街地だと、オートマティック車に比べて、ブレーキの踏み替え回数が7割も減る。eパワーは、ハイブリッドと呼ばず、eパワーという固有名詞のままを名乗った。モーター駆動の走り味に乗った人が感動してくれる。ええっ、どんな乗り心地なんでしょうか...。
バンダイのカプセルトイの「だんごむし」は、2018年8月から2019年5月までの10ヶ月間で100万個を売りあげた。実物のダンゴムシを10倍に拡大し、丸まる仕かけを組み込んで立体化した。
ポーラの薬用化粧品は、シワを改善する医薬部外品として承認されたものだそうです。人の皮膚にシワができるメカニズムを15年かかって解明したのでした。ポーラ化粧品は全国に4万5000人もの販売員がいるそうです。たいしたものです。
シワの部分には白血球の一種である好中球が多く集まっている。好中球からは、好中球エラスターゼという酵素が出る。そして、ニールワンというアミノ酸誘導体を合成した素材が抑制剤として有効なことを発見した。そして、ついにリンクルショットとして売り出した。
リンクルショットの開発チームには、やり抜く力、自制心、意欲、社会的知性、感謝の気持ち、楽観主義、好奇心の7項目すべてがあった。
共感による一体感から来るパワーを「同一力」と呼ぶ。人は相手に共感して一体感を抱くと、相手の目標が自己の目標と同一化し、達成に向かって強く動機づけられる、と同時に、自発的な自己統制が働く。同一力による自己統制であるから、誰も他人から統制されているとは思わない。誰もが高い当事者意義をもって実践知を発揮するようになり、それが未来創造を加速させる。このようにしてメンバー相互のあいだに強い統制力が働く集団は生産性も高くなる。
共感経営というのは初めて聞くコトバでしたが、書かれていることは、しごくもっともなことだと思いました。企業は株主のもうけだけをみていたらダメ。顧客も従業員も大切に扱うことで生きのびられる。このことを改めて教えられた本でもありました。
(2020年7月刊。1800円+税)
2020年8月25日
少女だった私に起きた、電車のなかでのすべてについて
(霧山昴)
著者 佐々木 くみ 、 出版 イースト・プレス
12歳の少女クミは、通学する山手線で6年間も痴漢被害にあい続けた。チカンはいれかわり立ちかわって続いた。
ところが、母親は、「あなたも悪いのよ。分かってる?」と、救いを求めた少女をはねつけた。教師も...。無理解な大人たちが少女の絶望を加速させる。
チカンというのは、カラオケ、テンプラ、そしてツナミと同じように国際的通用するコトバになっているとのこと。驚きました。
山手線というか、東京の電車内でのチカンは毎日、頻発しているようです。
ところが、100件のチカン摘発のうち、5件は冤罪の可能性があるという、チカン事件で無罪判決をかちとった弁護士の体験談もあります。満員電車を利用していますので、間違われる人も少なくないというわけです。
チカンにあった12歳の少女が自宅に戻って母親に報告したとき、母親はこう言った。
「あなたも悪いのよ。分かってる?だいたい、あなたは不用心なんだから...。......あなたの態度が男の人を無意識にでも惹きつけるのかもしれないわよ。これからは、もっと用心しなさい」
30歳になって母親に読んでもらったとき、母親は泣いた。母親は、スカートの上から一瞬、軽くなでるだけくらいと考えていたのだ...。
満員電車の中で、他の誰もが気がつかないなかで、痴漢は、9年間も、少女の胸を、背中やお尻を絶えず触り続けた。ところが、次の駅に到着すると、ぱっと何事もなかったように他の乗客にまぎれて降りていった。その顔を見ることはなかった。
母から怒られて、痴漢が自分を狙ったのは、自分のせいだと思った。こんな目にあわないように、自分が気をつけていなければならない。自分が悪いせいで被害にあっても、母からは怒られるだけだ...。
くみの通う学校は、とても保守的で、制服に関して厳しかった。ひざ下までの長いスカート、三つ折り靴下、こんな昔ながらの制服は、日本の痴漢にとって、別の時代から来た虚弱な天使に見えたことだろう...。
そして、くみは、力の乏しい、個性に欠けた外見の少女だった。きっとこの子なら、多少触ったところで、そんなに激しく抵抗もしないだろうと、多くの痴漢たちが思ったのだろう。
なるほど、この分析はあたっているように、私も思います。痴漢はきっとターゲットの少女をしぼっているはずです。
くみは、たくさんの痴漢にありながら、男性の外見から、どれが痴漢で、どれが痴漢ではないか、まったく見分けがつかなかった。痴漢の多くは、スーツにネクタイのサラリーマンだが、もっとカジュアルな服装をしている男性もいる。なかには、とてもおしゃれな人もいる。かっこいい人もいれば、普通の人もいる。10代くらいの若い人もいれば、老人もいる。30代から50代、一家の父親見える人たちもいる。親戚や友人に似ている人もいる。要するに、どんな人もいるのだ。
フランスで本になって話題になったものが、日本で刊行されたのです。残念ながら、一読に値する本だと思いました。
(2019年12月刊。1600円+税)
2020年8月14日
勤労青年の教養文化史
(霧山昴)
著者 福間 良明 、 出版 岩波新書
吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』が、今どきの若者にはまったく受けないというのです。「そんなに面白いとは思えなかった」といい、「共感できた」という反応は皆無だったとのこと。これはガーンと来るほど、ショックでした。
私の親は小売酒店を営んでいました。店の前に工業高校があり、たくさんの定時制の生徒が通学していて、そのなかに酒店でアルバイトをしている生徒がいました。本村(もとむら)さんという、いかにも真面目な生徒がいて、酒店は大いに助かっていたことを覚えています。
1960年代末ころ、定時制の生徒は全国に50万人ほどいた。ところが1970年代に入ると急速に減少し、1970年に37万人、1975年には24万人と半減してしまった。これは全日制高校への進学率の上昇が原因だ。
そして、定時制は、全日制に行けない人が行くところになってしまった。
私が川崎セツルメントのセツラーとして川崎市古市場で青年サークルに入って活動していたとき(1967年から69年ころ)、同じ町内に『人生手帖』の読者会である「緑の会」があり、私も、先輩セツラーに連れられてそれを一度のぞいたことがあります。
この本によると、『人生手帖』の最盛期は1955年ころで、8万部も売れていたとのこと。
『人生手帖』は1963年には、発行部数が3万部以下になっていたといいますから、私がのぞいたときには退潮期にあったというわけです。でも、狭い部屋にぎっしり地域の働く若者たちが集まっていて、熱気が伝わってきました。いかにも真面目に世の中のことを考えたいという雰囲気でした。
かつては格差にあえぐ状況が、ときに教養への憧れをかき立てていた。進学の望みが断たれても、読書を通して教養を身につけ、人格を高めなければならない。学歴取得や就職のための勉強ではなく、実利を超越した「真実」を模索したい。そうした価値観は、青年団や青年学級、定時制に集ったり、人生雑談を手にする「就職組」の青年たちに広く見られた。そのため、彼らは、日常の仕事には直結しない文学・哲学や時事問題などに関心を抱いた。
そうなんですね、青年の意識が時代の変遷とともに、こんなに変わるものなのか、つくづく思い知らされた新書でもありました。
(2020年4月刊。900円+税)
2020年8月10日
任侠シネマ
(霧山昴)
著者 今野 敏 、 出版 中央公論新社
ヤクザの世界をあまりに美化しすぎているとは思いつつ、高倉健の映画のイメージで、読みものとしては面白く読みすすめていきました。
世の中の諸悪の根源は竹中平蔵とか電通のような、人の不幸で金もうけをたくらむ連中が大手を振るっていて、マスコミが彼らを持ち上げ美化していることだと弁護士生活も46年になる私はつくづく思います。
この本でも、竹中平蔵のような人物が本当の黒幕として登場してきますが、彼らは決して自分の手を汚すことなく、濡れ手に粟のもうけだけをかっさらっていきます。そして、それをアベ首相が支え、マスコミが現代の成功者ともてはやすのです。ほとほと嫌になってしまいます。
この本は、映画館が倒産・閉館寸前になっているのを、なんとか立て直せないかというのが、メイン・テーマです。この本をこのコーナーで紹介したいと思ったのは二つあります。その一つは、映画館でみる映画の魅力。そして、二つ目は刑事司法の実際です。
「映画はな、いろいろなことを教えてくれるし、人生を豊かにしてくれるんだ」
「スクリーンに向かっているあいだは、現実を忘れさせてくれる」
「写真と写真のあいだに暗闇があり、目をつむっているのと同じだ。人間、目をつむっているときには夢を見ている。だから、映画は夢のメディアなんだ...」
昔のフィルムは、ニトロセルロースという材料で出来ていて、とても燃えやすかった。しかも、映写機のライトはものすごく熱を発したので、専門の技術がないと、フィルムが燃えてしまう。1950年代にアセチルセルロースのフィルムに変わった。でも、これは、すごく劣化するのが早かった。1990年代にポリエステル製に変わった。これは燃えにくく、安全。
今は、デジタルで上映する。データで配給されたものを入力してやり、ボタンをポンで上映可能だ。
誰も、自分が犯罪者にされたときのことを想像しない。だが、犯罪者とそうでない者を分ける垣根は普通に考えるよりも、ずいぶんと低い。言いかえると、人はいつ犯罪者になるか分からない。さらに、警察によって犯罪者されるのは、実際に犯罪者になるよりも、ずっと簡単だ。
身柄をとってしまえば、あとは人質司法と呼ばれる勾留、さらに勾留延長――くり返しだ。こんなことされたら、たいていの人は精神的に参って、嘘の自白をしてしまう。検察が何よりほしいのは、この自白なのだ。自白があれば、起訴にもちこめる。
裁判官は無罪か有罪かの判断など、しない。有罪を前提として、量刑のことしか考えないのだ。無罪かどうかなどを考えていては、いつまでたっても仕事は終わらない。
警察と暴力団の癒着の構造。今や、寿司の出前(配達)までも暴力団の事務所へは禁止されていることの問題点の指摘も登場し、詳しく解説されます。
軽く読めて、刑事司法の問題をもつかめる本になっています。
(2020年6月刊。1500円+税)
2020年7月23日
山岳捜査
(霧山昴)
著者 笹本 稜平 、 出版 小学館
先日、たまたまテレビを見ていたら、若いころ登山に熱中していたという老年の社長が、一緒に山に登った仲間が何人も山で死んでいったという話をしていました。
十分な準備をして、訓練もしっかりしていても、落石や雪崩にあって生命を落としたり、ほんのちょっとの慢心から転落したりして、大勢の若者たちが生命を失っています。
本人がその危険を承知で登山しているのですから、誰も責めるわけにはいきませんが、他からみていると、あたら生命をそんなに「粗末に」扱わなくてもいいのに...、と思ってしまいます。
私は冬なら、ぬくぬくとした布団で、ぐっすり眠っていたいです。
この本は、冬山で遭難している登山客の山岳遭難救助隊が主人公です。ご苦労さまとしか言いようがありません。
ヘリコプターを飛ばせたら簡単なんでしょうが、冬山の吹雪のなかではヘリコプターによる救出もできないのです。結局は地上をはって進むしかありません。でも、ホワイトアウト、周囲がまっ白になって何も見えなくなったら、どうしますか...。
この本には、たくさんの耳慣れない登山用語が出てきます。
セルフビレイ......自己確保。
プロテクション......墜落距離を短くし、墜落のショックをやわらげるために登攀者と確保者とのあいだにとる支点。
落ちることを恐れていては、大胆なムーブ(体重移動)を試みられない。壁を登るとき、体や気持ちが萎縮すれば、かえって危険を招きやすい。
ワカンをつけてもラッセルは腰くらいまであるが、下りは登りと比べてはるかに楽だ。
怖いのは、乱暴な動作で雪崩を引き起こすことだ。
テントが押し潰されたら耐寒性は低下する。そして、雪に埋没したら酸欠に陥る恐れがある。
テントには保温性と通性という二律背反する機能が要求される。あらゆる条件で、この二つの要素を満たす製品はない。
救難の現場では、心拍停止後、おおむね20分が蘇生可能な限界だと言われている。
山岳遭難救助隊は自らが遭難しないことを第一義として考え救助に向かっているという当然のことがよく理解できました。現場は遭難するのも当然という状況にあったりするわけですので、それはやむをえない発想だと実感しました。
殺人事件の謎解きのほうは、今ひとつピンと来ませんでしたが、山岳遭難救助隊の大変さのほうは、ひしひしと迫ってきて、よく分かりました。
(2020年1月刊。1700円+税)