弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2020年6月13日

「薔薇はシュラバで生まれる」


(霧山昴)
著者 笹生 那実 、 出版 イースト・プレス

1970年代の少女漫画の制作現場の実況レポート・マンガです。よく描けています。
スマホなんてもちろんありませんから、固定(黒)電話と口コミでアシスタントを確保します。アシスタントになるのは、マンガ家を志望する中学生や高校生たちです。みんな若いので、マンガ家だって20歳そこそこ、なので3日間徹夜なんて平気です。若い女性たちがカンヅメになって1週間、お風呂にも入らない生活を送るというのですから、その壮絶さはたとえようもありません。途中の差し入れはケーキでなく、おにぎりが歓迎されました。それくらい時間に追われた生活だったのです。
スマホもあり、作業環境も整備されている現在は、毎日シャワーを浴びて、寝る前の1時間は洗顔とスキンケア、睡眠も7時間とれるのが当然だということ。それにアシスタントは在宅でも十分可能。
まあ、それがあたりまえなのですが、1970年代の少女マンガ高揚期は、そんな余裕なんかなく、みな必死だったというわけです。
ただし、それだけに、1970年代のアシスタントは尊敬する作家のすぐそばにいて、その悩みや愚痴も聞きながら製作過程を身近でのぞけるという醍醐味もあったわけです。
著者は20代から30代のころ、いくつかの作品をいくつもの雑誌にのせていたのですが、やがて引退したのでした。
そもそもは、小学6年生で美内すずえのマンガに出会って大ファンになって、中学生になってからは毎月欠かさず、ファンレターを出し続けた。中学3年生のときに自作のマンガを投稿して、佳作と銀賞を受賞した。そして、中学3年生の終わる春休みにあこがれの美内すずえに出会った。高校3年生で、マンガ家としてデビューした。
ところが、アシスタント生活に追われ、自分の作品をなかなか手がけることができずに時がたっていた...。なんだか、それもよく分かる気がします。
私は少女マンガは、ほとんど読んでいません。同郷・同世代の萩尾望都はかなり読みましたが...。
このマンガを読むと、「シュラバで生まれる」という意味が、画像としてよくよく伝わってきます。ちょっと体験したくない「修羅場」です。
漫画家の笹生那実として、32年ぶりの仕事だったとのことですが、そこに描かれている若々しい、はつらつとした女性陣に圧倒され、うらやましさでいっぱいでした。面白いマンガです。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2020年4月刊。1091円+税)

2020年6月10日

住民主権の都市計画


(霧山昴)
著者 岩見 良太郎・波多野 憲男ほか 、 出版 自治体研究社

弁護士5年目くらいから10年間ほど区画整理をめぐる住民訴訟にずっと関わってきました。区画整理というから、はじめのころは何か道路を拡幅し、住宅地を前より住みやすくするための技術的な手法というイメージがありました。ところが、実は、とても政治的に運用されている行政手法だということを理解するようになりました。
そして、この本によると、世間には、もう区画整理の時代は終わったという人もいるようです。現実に、たんに換地操作によって、局部的な土地の入れ替えにすぎない事例もあるようです。
以前は、区画整理に反対ないし異議申立する住民運動がしきりに全国で起こりました。
「自分たちは、住むために土地をもっているんだ。売るために土地をもっているんじゃない」
住み続ける住民にとっては、区画整理で資産価値が上がったからといって、小住宅地にも負担を負わせるのには無理がある。庭を削ったり、住宅まで削ったりして「宅地利用の増進」は考えられない。そして、区画整理後には広い道路に面するようになったからといって、利用価値を損なう強い減歩は無茶であり、理不尽だ。なので、ノー減歩、ノー清算を住民の多くは望んだ(望んでいる)。
ところが、今や高齢化がすすむなどから住み続けるのが難しい状況が生まれている。やがて処分の時代がやって来る。
区画整理が実施されたあとの宅地は、ミニ開発地よりは、相対的には高く路線化評価される。
区画整理の認可状況は、1972年度に350地区1万3千ヘクタールをピークとして、その後2003年度からは100地区を下まわり、また、2017年度には、住民と「市」とは、お互いに助けあうこともなる。
区画整理をめぐる単語(キーワード)として、8コ。再開発、まちづくり、道路、清算金、駅宅地、探地減歩、住民運動くり出す、これをテキスト・マイニングをして解析する。すると、初期には、都市計画の技術知に関わる傾向があった。1995年あたりを境にして、「実践知」に変化してきている。住民の公共観は確実に「技工」から「実践」へ変遷しているように思われる。あとは、再び「協働」志向について国民的公論が交わされるような出来事が起こるのを待つしかない。よく分かりませんが、区画整理の手法も位置づけも変化しているようです。
区画整理の歴史をふまえた研究書の貴重な一冊だと受けとめました。
(2019年10月刊。1600円+税)

 町のあちこちにアガパンサスの花が咲きはじめました。わが家の庭にも咲いています。小さな青い花火のようで、まさに夏到来となりました。
 日曜日に孫と一緒にサツマイモの苗を植えつけました。この秋が楽しみです。鳴門金時などです。
 さらにチューリップを植えていた一区画を掘り起こして夏の花を植える準備をしたら、腰と左肘が痛くなり、いつものマッサージにかけ込んで、身体をほぐしてもらいました。こんなときは残念ながら身体の老化ぶりを実感させられます。

2020年6月 9日

「森友事件」の真相


(霧山昴)
著者 渡辺 國男 、 出版 日本機関紙出版センター

モリ・カケそしてサクラときて、またモリ(森法相)とカケ麻雀(黒川)があり、安倍首相をめぐる黒い霧があまりに多くて何が何だか覚えきれなくなっています。
「森友事件」とは不動産鑑定価格9億5600万円もの国有地が学校法人森友学園にタダ同然で払い下げられた、前代未聞の事件である。
なぜ、この土地が国有地になったかというと、大阪空港に近く、航空機が着陸する飛行ルートの真下にあたるため騒音公害がひどく、国が買収して住民が退去していったから。
豊中市が土地の半分を14億円で国から購入して、中央公園として整備されている。なので、問題の土地も14億円での売買もありうるのに、なぜか1億3400万円で買い戻しという特約つきで売買された。
なにかおかしいと思って調査を始めた人がいた。木村真市議(無所属)だ。
塚本幼稚園では、園児たちが「教育勅語」を暗誦する。そして「愛国行進曲」やら「軍艦マーチ」などの軍歌まで唱和させていた。そして、運動会では、園児たちが、「安倍首相ガンバレ、安保法制国会通過よかったです」と唱えた。
この動画は私もみましたが、腰を抜かしそうになりました。こんな時代錯誤の偏向教育が今どきの日本の幼稚園であっているなんて信じられませんでした。親たちはどうして黙っていたのでしょうか、不思議です。
そして、森友学園の籠池泰典理事長の正体が明らかになった。日本会議の有力メンバーだった。
2015年9月5日、安倍昭恵夫人は、「名誉校長を引き受けました」と記念講演で語った。はじめ「安倍晋三記念小学校」とされていたのを、首相になったので、「瑞穂(みずほ)の國記念小学院」として、安倍首相の昭恵夫人が名誉校長に就任した。
ところが、森友学園は小学校の設置基準を満たしていなかった。それを「クリア」したのは大阪の維新の会の力だった。安倍晋三と松井一郎とは「愛国」教育で意気投合する仲なので、便宜が図られたようです。
鑑定価格が9億5600万円だったのを1億3400万円で売却したのは、地中のごみ撤去費用に8億1900万円かかるという「理由」だった。いったい、8億円もかかる「ゴミ」の撤去とは何なのか...。
結論から言うと、そんなものはなかったのです。要するに、「首相案件」として特別扱いされたのでした。この渦中にいた昭恵夫人の秘書をつとめていた谷恵子氏は沈黙を守った報償としてイタリア大使館へご栄転してしまいます。他方、近畿財務局でつじつまあわせをさせられた赤木氏は悩んだあげくの自死に至ります。 まさしく「天国と地獄」の世界です。
さらに籠池夫妻は逮捕され、泰典氏は長い勾留生活を余儀なくされて現在、刑事裁判の被告人席に立たされています。でも、被告席には、もう一人、昭恵夫人とそのバックにいる安倍晋三首相本人が不可欠です。そこまで追い詰めたいものだと本書を読んで改めて思ったことでした。
ともかく、目まぐるしい世の中ではありますが、軽々しく忘却してはいけない事件であることには間違いありません。
(2020年3月刊。1400円+税)

2020年6月 5日

国会をみよう


(霧山昴)
著者 上西 充子 、 出版 集英社

国会中継というのは、一般的にちっとも面白くありません。とくに時間的に多い与党質問とそれに対する安倍首相の答弁なんて、見るだけ時間のムダという気がしてきます。だって、ちっとも目新しい話は出て来ず、ひたすら安倍首相お得意の自画自賛のオンパレードなのですから、聞いているほうが気恥ずかしくなってくるだけですので...。
ところが、野党の質問に対する安倍首相や菅官房長官の答弁には、ときに面白いものがあります。もちろん、いつも木に棒をつぐような素っ気ない答弁の連続ではあるのですが、いかにも答えていない、話をそらしていることが見え見えだったり、ときとして答弁不能に陥って立ち往生し、沈黙の時間が続いたりするからです。
そこで、国会中継の、そんな面白い場面をそのまま街頭で再演してみたらどうか...。
思うだけならだれでもできますが、著者たちは、それを本当に実演したのです。すごいことです。本書では、その経過と苦労話が語られています。
国会パブリックビューイングの街頭上映は、夕方から始める。あたりが暗くならないと映像が見えにくいから。1時間ほどの街頭上映で、集まった人に「柿の種」を途中で配り、それをつまみながら参加してもらう。
著者は論点ずらしの答弁を「ご飯論法」と名づけたことでも有名です。福岡在住の紙谷高雪氏(先日の福岡市長選に立候補しました)と流行語大賞を共同受賞しています。「ご飯論法」とは...。
Q、朝ごはんは食べなかったんですか?
A、ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)。
要するに、話をそらしてごまかす答弁です。
スクリーンの横に腕章をつけた弁護士が立っていると、かえって道行く人の足を遠ざけてしまうという指摘があり、ハッとしました。そんなこともあるんですね...。
音はむやみに大きくしない。スクリーンの前で落ち着いて聞いていられる音量に調節する。スクリーンの横に主催者は立っていない。
5分間立ちどまって見てくれることを目ざす。5分間立ちどまった人は、10分、15分と見てくれることが多い。そんな人にはうしろから近づいて説明したり、リーフレットを手渡す。
与党が強行採決しようとして、野党が抵抗する場面は、むしろ嫌悪感を招かれてしまうので、街頭での上映は適しない。
渋谷のスクランブル交差点で上映したときには、あまりに通行人が多すぎて、立ちどまって見るのは難しかった。
切り貼り編集はせず、そのままの「やりとり」を上映する。これで印象操作だという批判はかわせる。
「野党は反対ばかりしている」
「野党はだらしがない」
「野党はパフォーマンスばかりしている」
よく言われるが、それは実際の国会審議を見ていない人が言っているもの、あるいは実際の国会審議に目を向けさせないために、あえて誤って印象を与えようとしているもの。
私は、まったくそのとおりだと思います。今の政府・与党がひどすぎるのを、「どっちもどっち」などと言って、政府・与党をカバーしようという論法でしかありません。
いまの安倍政権は、6月17日までの国会の会期を延長しないことにあらわれているとおり、問題が表明化しないよう、国会そのものをできるだけ回避し、批判の材料を与えないようにしている。予備費として10兆円を計上して、それを国会で審議しないなんて、とんでもないことです。
この上映は著しく通行の妨げとなるようなものではないので、デモ行進と車道を歩くのと違って、道路使用許可をとる必要がないので、許可はとっていない。なーるほど、ですね。
みんなが、もっと国会審議をみてほしいという願いから、地道に上映活動を続けている著者たちに心からエールを送りたいと思います。
私たち国民は、もっと怒らなくてはいけないし、それを投票所に足を運ぶことを含めて、行動で示さないといけないと強く思います。
(2020年2月刊。1600円+税)

2020年6月 4日

ゴーン・ショック


(霧山昴)
著者 朝日新聞取材班 、 出版 幻冬舎

カルロス・ゴーンとはいったい何者だったのか。日産(ニッサン)という自動車会社はどんな会社なのか、取材班が綿密な調査を遂げて明らかにしています。
ニッサンはトヨタと違って、モノづくりで突出したものはなく、またカンバン方式という独特のトヨタ生産方式もない会社だ。
少し前までニッサンは塩路一郎という労組委員長に会社全体が牛耳られていた。ニッサンの入社式で塩路は社長の次に挨拶し、社長をボロくそにけなした。塩路は恐怖によってニッサン労組そして会社を統治・支配した。カルロス・ゴーンも同じ手法をつかった。
カルロス・ゴーンは、1954年にアマゾンの奥地の町で生まれた。その父親は通貨偽造・神父殺害で逮捕されたらしい。
ゴーンは6歳のとき、父親から離れ、母・姉とともに母の生国のレバノンに移り住んだ。レバノンでフランス式の教育を受け、17歳で単身パリに渡った。そして、エリート養成のグランゼコルの一つに入学した。ここでは成績優秀で、卒業後、ミシュランに入社した。そして、ブラジルに派遣され現地の会社の再建に成功。その次は、アメリカでも、見事に会社を再建させた。そのあとミシュランからルノーに移った。
ゴーンがニッサンのCOOに就任したのは1999年6月のこと。
コスト・カッターの異名をとるゴーンの絶頂期は2006年ころまでのこと。倒産寸前だったニッサンが、ウソのように業績が好転し、2006年3月期決算まで、6期連続で過去最高益を更新した。
ところが、やがてゴーンの周辺から経営幹部たちが一人、二人と距離を置くようになった。
ゴーンが良かったのは2006年ころまでで、その後は、明らかに変な人事が増えていった。ゴーンのご機嫌とりの人間が重用されるようになり、かつて熱狂的に崇拝していた「神」への信仰が揺らぐのは意外に早かった。
2008年9月、リーマン・ブラザーズが破綻した。このとき、ゴーンも巨額の損失を出したようです。ニッサンの売上高は前年比で2兆円以上も減り、純損益は9年ぶりに赤字転落した。
2015年、ゴーンはリタ夫人と離婚し、翌16年に今のキャロル夫人と再婚した。この結婚披露宴がベルサイユ宮殿で開かれ、その費用をニッサンの負担にしたのです。
ゴーンの生活は非常に派手になり、「家庭中心、自分の財産中心」となった。
ゴーンは東京に来るのは1ヶ月のうち、せいぜい1週間ほどで、来日しても仕事を2日したら、あとはキャロル夫人と一緒に遊んでいた。
そして、ゴーンを脅かすような部下は放逐し、帝国の拡大を目ざした。
ゴーンはルノー本社の社長も兼ねていたが、ルノーはフランス政府が出資している会社でもある。そして、ゴーンは、フランスの若き大統領のマクロンと折りあいがもともと悪く、年収20億円のゴーンの強欲さをマクロンは苦々しく思っていた。
当初のゴーンの逮捕容疑は8年間の合計91億円もの巨額の報酬を有価証券報告書に記載せずに隠していたという金融商品取引法違反。そして、続いて、ニッサンのお金を私的に流用したという特別背任罪。こちらも50億円とか、信じられないほど巨額だ。
ゴーンが逮捕される前、2018年春ころから、ゴーンの不正についてニッサンの社内調査が始まっていて、10月にニッサン幹部と検察(特捜部)が協議を始め、やがて司法取引の合意が成立して、重要書類を検察が取得し、11月19日にゴーン逮捕に至ったという経過のようです。ニッサンの西川(さいかわ)社長はゴーン寄りと見られていたため、ゴーン逮捕の1ヶ月前に知らされました。
ゴーンが釈放されたあと、日本をプライベート・ジェット機で脱出したことが今ではルートをふくめて明らかになっていますが、そんな逃亡を助けるプロがいることも初めて知りました。
独裁者は永遠でないことを痛感しますが、その追放までの長い期間の犠牲者が受けた苦難をしのぶ必要もあると思いながら、読みすすめました。ニッサンの製造現場に働く人々、そしてニッサン車を販売し、保守点検・整備する人たちのことを考えたら、何十億円もの巨額のお金をマネーゲームにつぎ込み、その損を会社に埋めあわせさせようとするというのは許せないと思ったことでした(ゴーンさん、本当に無実なのですか...)。
400頁をこえる長編力作なので、私も勢いをつけて一日で読了しました。
(2020年5月刊。1800円+税)

2020年6月 2日

サル化する世界


(霧山昴)
著者 内田 樹 、 出版 文芸春秋

思想家であり武道家である著者が日本社会を鋭く切りつけています。
著者は団塊世代の最後の世代です(1950年生まれ)。東大仏文を卒業しています。フランス文学を専攻するというより、フランス語に書かれているものなら、何でも対象としていたとのこと。おおらかな時代だったようです。カミュも研究対象でした。今、コロナ・ウィルスのおかげで、カミュの『ベスト』が注目されています。私にはやはり『異邦人』です。
私は、弁護士になって以来、ずっとフランス語を勉強しています。ちっともうまく話せませんが、私には、フランス語を通して、世界へ門戸を開いておきたいという強い願望があります。それが、毎日毎朝、フランス語の書きとりにいそしむ根拠です。
安倍晋三は、日本の過去20年間の政治文化の劣化の「果実」だ。彼を見て、私たちは深く反省すべき。彼を生み出し、表舞台に押し上げたのは、私たちだ。彼を支持する人が今も4割もいる。そんな支持する人たちに「キミたちも、いろいろ辛いんだよね」と語りかけなければいけない。
彼らの言い分をきちんと聞き、自由な論議の場で、彼らの欲求を部分的にでも受け入れ、部分的にでも実現していく。そうしないと、これまでも今も安倍晋三やら維新を支持している市民たちの支持は得られない。非常に辛いことだし、うっとうしい。でも、これをやるしかない。「あんたら、頭おかしいよ」、なんて言っても何も始まらない。
アメリカ合衆国憲法は、そもそも常備軍の存在を認めていない。うひゃあ、ちっとも知りませんでした...。常備軍は、必ず為政者に従い、抵抗権をふるう市民に敵対することをアメリカ市民は経験的知っていたからだ。このように常備軍をもたないことを規定した憲法をもちながら、アメリカは世界最大の軍事力を誇っている。
フランスは、戦勝国として終戦を迎えてしまったため、敗戦を総括する義務を免除された代わりに、もっと始末におえないトラウマをかかえこんだ。
イタリアは、文化的には戦勝国であり、1945年7月に日本に宣戦布告したフランスはド・ゴールというカリスマがいたが、イタリアには、カリスマがいなかった。
 凡庸(ぼんよう)な知性においては、常識や思い込みが論理の飛躍を妨害する。例外的知者の例外的である所以(ゆえん)はその跳躍力にある。
 本当に大切なのは、「心と直感」ではなく、「心と直感にしたがう勇気」なのだ。そのとおりです。この「勇気」こそが、最後に求められるものなのです。
 成熟するとは、変化すること。3日前とは別人になること。
 いつもながらの鋭い指摘に出会うと、胸の奥深くまで短刀を突き刺されて、ハッとする気分を味わうことができます。
(2020年3月刊。1500円+税)

 ジャガイモを掘りあげたあと、今度はサツマイモを植えようと思い、いったん深く掘り起こして、コンポストに入れていた枯れ葉や生ゴミを埋めました。クワとシャベルを使っての久しぶりの力仕事なので、腰が痛くなりました。今は午後7時まで明るいので、7時にやめて風呂場に直行しました。
 庭のアスパラガスは、そろそろ終わりのようです。カンナの黄色い花が咲いて夏の訪れを実感しました。

2020年5月31日

興行師列伝


(霧山昴)
著者 笹山 敬輔 、 出版 新潮新書

「仏の嘘を方便といい、軍人の嘘を戦術といい、興行師の嘘を商いという」
これは松竹の創業者(大谷竹次郎)の言葉。なるほど、そういうことなんですか...。
興行の真髄は大衆の欲望を充たすことにあるから、興行師は、そのために巨額のおカネを動かし、複雑な人脈を操る。実体のないものをかたちにするという点で、興行の世界は、裏も表も、嘘が誠で、誠が嘘の世界だ...。
興行師は過大なリスクを背負い、ときに「悪役」をも引き受けなければならない。
これはハイリスク・ローリターンなのが現実で、決して割のよい商売とは言えない。それでも興行の魔力に一度ハマってしまうと、抜け出すことができなくなる。いったい何が興行へ駆り立てるのか...。
興行師には、あくどいところもあり、強欲なところもあるが、その反面、よほどのお人好し、この商売の好きな馬鹿でなければつとまらない、可哀想なところもある。
最近は、うさんくさいイメージのともなう興行師とは言わず、プロデューサーとかマネージャーと呼ぶ。
江戸時代から明治初期にかけての芝居小屋は、暗い、汚い、臭い、だった。だが、多くの観客が、その環境の中で芝居を楽しんでいた。観客は暗い空間で芝居を見ていた。色鮮やかな衣装は、暗くても分かりやすくするためだった。
興行の世界がきれいごとですむはずがない。ヤクザから身を守るためにヤクザを使うのは興行界の常識。松竹が勢力を拡大するのに、裏の世界と無関係ということはありえなかった。
松竹の創業者である大竹は1年を通して興行を行い、損益を1ヶ月単位ではなく、通年で計算した。これは、興行を博打(ばくち)から経営にしたということ。
吉本興業の会長だった林正之助は兵庫県警によると「山口組準構成員」とされていた。そして、吉本興業の『百五年史』には、正之助と山口組三代目、田岡一雄との交流が明記されている。
ヤクザと興行の関係は吉本に限らない。松竹や東宝にも結びつきはある。しかし、吉本とヤクザの関係は距離が近すぎたと言える。
永田ラッパで有名な永田雅一(まさいち)がヤクザ出身だということを初めて知りました。
永田は京都の千本組(せんぼんぐみ)に出入りしていたヤクザだった。永田は、親分子分の仁義を守り、思想信条よりも義理人情を重んじた。それでも、いざとなれば大胆に裏切る。永田は学歴がなく、インテリでもなかった。ヤクザから権力の中枢へ駆け上がった。永田は、いざというときには義理人情よりも野心を優先させる。それくらいでなければ大人物にはなれない。
永田雅一の復帰第一作の映画である『君よ憤怒の河を渡れ』は中国で8億人がみたという大ヒット作品。中国で文化大革命が終了した直後に、中国全土で大人気だったということです。私もテレビでみましたが、ええっ、こんな映画が...、と思いました。
宝塚大劇場(4000人収容)は小林一三による。小林が東宝を発展させた。
長谷川一夫がカミソリで左頬を斬られた事件が起きたのは昭和12年(1937年)11月12日。この事件の黒幕は永田雅一だった。長谷川一夫は死ぬまで、この事件のことを語らなかった。
戦前・戦後の日本の興行界の歩みを知ることのできる面白い新書でした。
(2020年1月刊。820円+税)

2020年5月28日

神さまとぼく、山下俊彦伝


(霧山昴)
著者 梅沢 正邦 、 出版 東洋経済新報社

松下電器産業といえば、子どものころテレビのコマーシャルで、「明るいナショナル、......なんでもナショナル」という軽快なソングを耳にタコができるほど聞かされ、親しみのもてる会社ナンバーワンでした。テレビだって洗濯機だって冷蔵庫だって、みんなナショナル製だといって不思議ではなく、その高い性能にすっかり安心して生活していました。
日曜日の朝、起きてくると、パンの焼けたいい香りが家中に広がって幸せな気分に浸ることができました。自動パン焼き器は我が家も購入しましたが、あれは本当にクリーンヒット製品でしたね。月に5万台も売れたとのこと。1987年ころのことです。
ところが、今やパナソニックという名前に変わって、かつての松下電器の威光(栄光)は、みるかげもありません。本当に残念です。永遠に続くかと思われた大企業の繁栄が、わずか20年ほど、ガタガタと崩れ去っていくのをこの目で見て、驚くばかりです。
そういえば、かつて三井鉱山といえば、天下の三井の中枢企業でしたが、今は存在しません。日本コークスと社名を変更し、日本製鉄が買収した、単なる弱小の一私企業でしかありません。銀行にしろ、三井銀行という名のものは今ではありません...。世の中、変わりました。
日本のエレクトロニクス産業の生産高がピークだったのは2000年で、26兆円だった。それが、2018年には半分以下の11.6兆円に転落している。ピーク時に1兆円をこえていた薄型テレビは、2018年に494億円になってしまった。ケータイ電話は2002年に1.4兆円だった生産額が17分の1の822億円にまで縮んでいる。ちなみに、韓国のサムスン電子は23兆円の売上高。
松下電器は、強大な「家電王国」だった。そして、「家電王国」から総合エレクトロニクス企業への脱皮・飛躍に失敗してしまった。
山下俊彦が松下電器の社長になったのは1977年(昭和52年)のこと。私がUターンで首都圏から福岡に戻っていた年のことです。私は28歳でした。
山下俊彦は、取締役会の序列は26人いるうち、下から2番目。工業高校を卒業して学閥もなく、松下家とは縁もゆかりもない。松下電器に入社して、いったん退社して再入社している。冷機(エアコン)事業部長から社長に抜擢されたとき、57歳。誰にとっても意外な人事だった。「山下跳び」とか「22人跳び」と呼ばれて世間の注目を集めた。
山下に決定的になかったのは、権力欲求。自己顕示欲も出世欲もなかった。
なぜ、山下俊彦が社長になれたのか、そして9年も社長を続けられたのか、また、その後、パナソニックが急速にダメな会社になっていったのか...。この本は山下俊彦社長誕生の経緯、そして在任中のこと、退陣後を追跡していて、読みごたえがありました。ゴールデンウィーク中に読んだ本のなかでもピカイチです。
要するに、いくら大きな会社であっても、昨日までの実績にあぐらをかいているだけでは、足元をすくわれてしまい、明日はないということです。
山下俊彦を見出したのは松下幸之助ではありません。でも、先の見えない危機感が面識のない、工業高校出身の事業部長を社長に大抜擢したのです。
そして、山下社長の体制でビデオは大当たりしました。1980年ころのことです。
山下俊彦は社内報に「奢(おご)り」を戒めるメッセージを社員宛に書いた。
「ほろびゆくものの最大の原因は奢り。過去の栄光におぼれ、新しいもの、あるいは困難なものに挑戦する気迫を失ったため。強さは、そのまま弱さに転化する。企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。いちどの守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」
山下社長退陣のあと、パナソニックは、残念ながら活力を失ってしまったようだ。
山下俊彦は努力の達人だ。その一つは、「忘れる」努力。
私も自慢じゃありませんが、「忘れる」ことにかけては、他人にひけをとりません。今となっては、認知症になって、すべてを忘れてしまうことになりはしないかと心配してしますが...。
長い弁護士生活のなかで、私もたくさん嫌な思いをさせられましたが、幸いにも読書習慣のおかげで、さっと忘れることができ、ストレスをためることがほとんどありません。この書評を書いているのも、私のストレス解消法のひとつなのです。読んだ本で感銘を受けたら、文字にして、それで安心して忘れることができます。人間にとって忘れられるというのは病気にならないためにも、大切な資質の一つだと実感しています。
山下俊彦は9年間の社長で、売り上げを3兆4241億円、営業利益1467億円とした。それぞれ2.6倍に伸ばしている。
松下幸之助は山下俊彦を直接は知らなかった。幸之助は「ツキ」が大事だと考えていた。そして、幸之助は山下にこう言った。
「キミはツイとる。ツイとるヤツを、ワシは見つけたんや」
社長になる前、事業部長の山下は定時退社を実践していた。机の上に余分な書類は一切置かない。引き出しのなかにもハンコが1個あるだけ。
部下が山下にあげる報告書は1枚が原則。指示が求められると、その場で即答する。保留するときも、自ら期限を切った。
リーダーの役割は、早い決断だ。ダメだったら、やり直せばいいだけのこと。
山下は、仕事とは主体的にするものだと考えた。自ら意欲をもち、自ら計画を立て、さまざまに工夫し、前進し、目標を達成する。それが仕事だ。
社長になった山下は午前8時少し前に出社する。午前9時までは誰も入れない。午前9時から30分刻みで予定を入れていく。それ以下はあっても、延びることは絶対ない。それで、飛び込みのアポが入ってきても、まかなってしまう。
山下の考えは、自己責任の原則のなかに人間の主体性が生かされるというもの。
山下は欲がない、ウソがない、虚飾がない、人に対して分け隔てがない。
山下は若い社員にこう問いかけた。
「みなさん、毎日が楽しいですか」
「みなさん、仕事は面白い?」
山下はノイローゼにならないため逃げ方の道具の一つとして健全な趣味をもつことが大切だと強調した。山下には読書のほか、登山はあった。そのため、早朝4時に起きてジョギングした。
山下の松下電器は、ビデオVHSが大当たりした。年間生産10万台が月間14万台となり、累計200万台となった。
日本が世界の半導体産業のなかトップを占め「天下」をとっていたのは、わずか6年間だけだった。アメリカに再逆転され、韓国・中国に追い抜かされた。
松下家を守り育てるなんていう発想があったら企業は伸びるはずもありませんよね...。と書いたとたんに、トヨタ自動車を思い出してしまいました。トヨタでは豊田家が依然として重用されているようですね。これまた信じられません。ニッサンもカルロス・ゴーン逮捕以降、パッとしませんが...。もっと会社は従業員を大切にしないといけませんよね。
この本の著者も、「あとがき」で、非正規雇用が日本で4割になっているが、本当にそれでいいのか、人間がただのコストであってよいのかと問いかけています。
もちろん、その答えは断じて「否!」です。
500頁近い大作です。コロナ禍の連休中に所内の大整理のあと必死に読み上げました。
(2020年3月刊。1800円+税)

2020年5月24日

リープ


(霧山昴)
著者 ハワード・ユー 、 出版  プレジデント社

優位性が揺るがないような、独自のポジショニングを追及しても、それは幻想にすぎない。どんな価値提案も、それにどれほど独自性があっても、脅かされないことはない。よいデザインや優れたアイデアも、それを企業秘密にしても、特許があっても、結局はまねされる。
こうした状況の下で、長期にわたって成功するための唯一の方法はリープ(跳躍)すること。先行企業は、それまでとは異なる知識分野に跳躍して、製品の製造やサービスの提供に関して、新たな知識を活用するか、創造しなければならない。そうした努力が行われなければ、後発企業が必ず追い付いてくる。
「模倣の国」と呼ばれたスイスでは、化学会社は自由に海外企業のまねができた。それどころか、模倣が推奨されていた。模倣は大成功し、チバは1900年にパリで開かれた万国博覧会で大賞を受賞している。
企業の経営者は、複雑で、変化する環境を相手にしている。数年前にうまくいったことが、永遠にうまくいくとは限らない。企業は、まだ時間があるうちにリープすればよい。
正しいシグナルに耳を傾けるためには、忍耐力と規律が必要だ。チャンスをつかむためには、必ずしも最初に動くのではなく、最初に正しく理解することが求められる。そのためには、勇気と決断力が必要だ。リープを成功させることとは、一見すると矛盾するこの二つの能力をマスターすることである。この待つための鍛錬と、飛び込むための決断力をバランスよく組み合わせることができれば、その見返りは大きい。
自らが置かれた状況を理解しようと頭を悩ませ続けられる能力こそが、知的なマシンの時代に人間がもち得る最大の強みだ。
大規模で複雑な企業の生活を脅かす最大のリスクは、内部の政治的な争いと、誰も率先して行動を起こさないこと。
企業の寿命は、1920年代には67年だった。今日ではわずか15年だ。アメリカの大企業のCEOの平均在籍期間も、この30年のあいだに短縮している。
いま、私たちは変化が加速している世界に生きている。
そうなんですよね...。でも、昨日と同じ今日があり、明日があると、ついつい思ってしまうのです。その点も大いに反省させられるビジネス書です。
(2019年12月刊。2200円+税)

2020年5月21日

大東建託の内幕


(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社

大東建託は1974年(昭和49年)に大東産業として多田勝美が創業し、以来、36年間にわたって企業オーナーとして君臨した。
多田会長の年収は2億5800万円(ストックオプション含む)。田園調布の高級住宅地の敷地500坪に地上2階建、地下1階、のべ床面積300坪という豪邸に住んでいる。
2010年の時点で、大東建託のアパートは全国に6万棟超。戸数は60万戸。2017年では累計で17万棟。管理戸数は100万戸超。実は、私の娘もそのアパートに住んでいます。年間の売上高は9548億円、経営利益739億円、従業員1万3000人、という巨大企業。
そして役員報酬は、常勤取締役10人の平均は1億2000万円。社外取締役7人の平均は1650万円(2017年3月期)。
ところが、従業員の自殺が相次いでいる。厳しいノルマに追い込まれるのだ。朝8時から深夜まで、毎日15時間以上の長時間の労働で疲れてしまう。
建築営業は「終日時間」という飛び込み営業をさせられる。大変な苦痛だ。そして夜8時半に支店で終礼をする。
ノルマには、「契約のノルマ」と「プロセスのノルマ」の二つがある。「契約のノルマ」は、毎月、アパート建築の契約をとれというもの。「プロセスのノルマ」には「八六四三」と称されるものがある。「立地審査」を月8本、「家賃審査」を月6本、「プラン提示」を月4本、「最終業績」を月3本とれというもの。
支店の数字を上げるため架空契約するのは、よくあること。「テンプラをあげる」という。親しいオーナーに頼んで、本当は建てる気がないのに、契約書だけつくってもらい、それを支店の成績として報告する。
埼玉県の中央支店では7人が解雇され、所沢支店では支店長以下14人がクビになった。
30年間の家賃保証というが、実は、これは試算であって、この金額を継続保証するものではないと、小さな文字で契約書には書かれている。10年たつと、この条項によって家賃を減額し、それに応じないと「一括借り上げ」を解消されてしまう。すると、たちまちアパート経営による利益なんかないどころか、大赤字をかかえてしまう。
なので、大東建託でアパートを建てることを考えているのなら、やめたほうがいい。
そうなんです。素人がアパート経営に手を出してうまくいくと考えるほうが甘すぎるのです。世の中、甘い話は怖い話でしかありません。
(2019年7月刊。1500円+税)

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