弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2021年1月21日
「人新世の『資本論』」
(霧山昴)
著者 斎藤 幸平 、 出版 集英社新書
まだ33歳という若さの哲学者です。ドイツの大学で哲学を学び、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞したというのですから、タダモノではありません。
「人新世」(ひとしんせい)とは、聞きなれないコトバです。人間の活動の痕跡が、地球の表面を覆い尽くした世代という意味。つまり、人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、地質学的にみて、地球は新たな年代に突入したことを意味している。ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンが名付けた。
マルクスの『資本論』を参照しながら論述されていくのも珍しいところです。
地球の気候変動には、日本人も大きな責任がある。日本は、二酸化炭素(CO2)の排出量が世界で5番目に多いから。日本を含む排出量上位5ヶ国だけで、世界全体の60%の二酸化炭素を排出している。
「人災」に、私たち日本人は間違いなく加担している。このことに私たち日本人は自覚していないように思われます。コロナ禍でも生活習慣を変えようとしないのは、いいことだとほめられるものでは決してありません。
資本主義は、現在の株主や経営者の意見を反映させるが、今はまだ存在しない将来の世代の声を無視することで、負担を未来に転換する。つまり、将来を犠牲にして、現在の世代は繁栄できる。そして、その代償として、将来世代は自らが排出していない二酸化炭素の影響に苦しむことになる。
こうした資本家の態度について、マルクスは「大洪水よ、私が亡き後に来たれ」と皮肉った。今だけ、自分だけ良ければ子孫がどうなろうと知ったこっちゃない。これがいまの自民・公明政権ですよね。ひどいです。
チリはアボカドを生産している。輸出用。「森のバター」と呼ばれるアボカドの栽培には、多量の水を必要とする。そして、土壌の養分を食い尽くすため、一度アボカドを生産すると、ほかの種類の果物などの栽培は困難になってしまう。つまり、チリは自分たちの生活用水や食料生産を犠牲にして海外への輸出向けにアボカドを栽培している。
裕福な生活様式によって二酸化炭素を多く排出しているのは、先進国の富裕層だ。下から50%の人々は、全体のわずか10%しか二酸化炭素を排出していない。私たち自身が、当事者として、帝国的生活様式を根本的に変えなければ、気候危機に立ち向かうことは不可能だ。
グローバルな公正さという観点でいえば、資本主義はまったく機能しない。役立たずな代物である。今のところ私たち日本人の生活は安泰に見える。だが、この先、このままの生活を続けたら、グローバルな環境危機はさらに悪化するだろう。そのとき、トップ1%の超富裕層にしか今のような生活は保障されないのだから...。現在の「にせの資本主義」こそが、実は資本主義の真の姿なのだ。うむむ、そうなんですよね、やっぱり...。
脱成長の主要目的は、GDPを減らすことではない。また、石炭火力発電所を建設しているなら、「脱成長」ではない。経済成長していなくても、経済格差が拡大しているなら、「脱成長」でもない。
マルクスにとっての「コミュニズム」とは、ソ連のような一党独裁と国営化の体制を指すものではなかった。マルクスにとっての「コミュニズム」とは、生産者たちが生産手段を「コモン」として、共同で管理・運営する社会のことだった。
うひゃあ、そうだとするとイメージがまるで違ってきますよね...。
マルクスは大きく誤解されている。この誤解を解かなければいけない。資本主義がもたらす近代化が最終的には人類の解放をもたらすと楽観的にマルクスは楽観的に考えていた。マルクスは、資本と環境の関係を深く鋭く分析していた。そして、マルクスは脱成長へ向かっていた。
拡張を続ける経済活動が地球環境を破壊しつくそうとしている今、私たち自身の手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わりを迎える。資本主義ではない社会システムを求めることが、気候危機の時代には重要なコミュニズムこそが、「人新世」の時代に選択すべき未来なのだ。コミュニズムといっても。さまざまなものがある、晩年のマルクスの到達点と同じように、脱成長型のコミュニズムを目ざす。
加速主義は、世界の貧困を救うため、さらなる成長を求め、そのため、化石燃料などをほかのエネルギー源で代替することを目ざす。だけど、皮肉にも、その結果、地球からの掠奪を強化し、より深刻な生態学的帝国主義を招くことになってしまう。
原子力を民主的に管理するのは無理。
気候危機は真にグローバルな危機閉鎖的な技術を乗りこえて、GAFAのような大企業に支配されないような別の道、解放的技術が必要だ。
95%の私たちにとって、資本主義が発達すればするほど、私たちは貧しくなるのではないか...。ピケティと晩期マルクスの立場は、かつてないほどに近づいている。
深夜のコンビニやファミレスをすべて開けておく必要はどこにもない。年中無休もやめればいい。必要のないものを作るのをやめれば、社会全体の総労働時間は大幅に削減できる。
画一的な分業はやめる。利益よりも、やりがいや助け合いを優先させる。
いま高給マーケティング、広告、コンサルティングそして金融業や保険業などは、重要そうに見えても、実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない。「使用価値」をほとんど生み出さないような労働が高給のため、そちらに人が集まっている現状がある。その反対に、社会の再生産にとって必須なエッセンシャルワークが低賃金で恒常的な人手不足になっている。このエッセンシャルワークがきちんと評価される社会へ移行すべきだ。
まったく同感です。このことは、コロナ禍のもとで、ますます明らかになります。とても大切な問題提起がなされています。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2020年11月刊。1020円+税)
2021年1月20日
連帯の時代
(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
コロナ渦のもと、なんだか気分がうつうつしていると、この本を読んだら元気になります。これはホントです。読んだ私が言うのですから間違いありません。まず、表紙の写真がいいです。いろんな人種の手がそっと優しく重ねられています。あったかさを感じます。
今の日本には「無気力」が蔓延している。自己責任と自粛を押しつけられ、分断され孤立させられ、何をしてもムダ、どうせ世の中には変わらないとあきらめがち。でも、著者は言います。いや、違う。あきらめていない人々によって、世界は確実に変わっている、と。
アメリカで起きた連邦議会占拠はひどいものでした。トランプが暴動(クーデター)をあおったことは明らかです。なんとか収拾したあと、今ではトランプ弾劾がはじまり、トランプの支持率は激減しているようです。トランプが前回より得票を大きく伸ばしたのに落選したのは、それ以上にアメリカの良識ある人々が投票所に足を運んでバイデンに投票したからです。
アメリカで出来たことが日本でできないはずはありません。野党がまとまればいいのです。連合が労働組合とは思えない横やりをいれていますが、そんな邪魔をぜひ克服して、日本も政権交代で民主主義を回復したいものです。
コロナ渦で起きたイタリアの話が、トップバッターです。政府の方針に反してまで村独自でコロナ対策を断行し、村民の生命と健康を守ったのでした。いつまでたってもスガ政権はPCR検査をまともにせず、医療機関への手当も不十分なままです。Go to トラベルだとかオリンピックとか、企業優先ばかりで庶民切り捨てですから、地方自治体が反逆して、ちっとも不思議ではありません。イタリア人は、組織の決定を待たず、個人が自ら判断する。そうなんですよね、日本人は、そこが弱いと思います。おカミ、政府が何とかしてくれるだろうなんで思っていても、アベもスガも何にもしてくれませんよ...。
次はドイツの話です。日本のスガ首相は、まともに国民に話しかけることがありません。きっと自分のコトバで話すことができないのです。官僚の作文を読みあげるだけの頭しか持っていないようです。日本の首相は残念ながら、それでつとまるみたいですね...。それもこれも低投票率と小選挙区制の「おかげ」です。
メルケル首相の国会でのスピーチを日本文で読みましたが、すばらしいです。心がこもっています。スガ首相の冷淡きわまりないコトバとはまるで違います。
著者はチェコにも行っています。なにしろ東大生のころジプシー調査探検隊の隊長として東欧をかけめぐったという語学の達人でもあります。
チェコ革命前夜、チェコの人々が自由を求めて30万人も集まり、一つの歌をうたったというのです。コロナ渦の下で、人々は集まれませんが、それでもネットで行動することはできるわけです。
歴史を変えるキーワードは人々の連帯。アメリカ・ファーストなど、孤高時代は、もう過去のもの。日本人の私たちは中村哲医師に続こう。力強い呼びかけです。ぜひ、あなたも読んで、元気を取り戻して、高らかに声をあげましょう。
(2020年11月刊。1700円+税)
日曜日に孫たちと一緒にジャガイモを庭に植えつけました。春ジャガです。初めてです。タマネギが4本ほど生き残っていますので、そのそばに植えてみました。孫たちと遊びながらでしたので、少し「三蜜」状態になりました。間引きが必要かもしれません。いつもの可愛らしいジョウビタキが様子を見にきてくれました。
2021年1月19日
安倍政権の終焉と新自由主義政治
(霧山昴)
著者 渡辺 治 、 出版 旬報社
コロナ渦に対するアベ・スガ政権の無策・右往左往ぶりはひどい、ひど過ぎます。今の日本で起きているのは、アベ・スガによる人災だという人が多いわけですが、全く同感です。これだけ被害が拡大しているので、国会はずっと閉会したままで、まともに議論していない。そして、記者会見は再答問を許さず、次の予定があるからと言って打ち切る。国民の生命・健康より大切な予定って何なのか・・・。そして、高齢者の医療費の窓口負担を引き上げる一方で、軍事予算のほうはイージス・先制攻撃のためのミサイルなど、膨大なお金をつかい放題。保健所の機能を強化すべきときに医療機関の削減は予定どおりにすすめる。本当にスガ政権のやっていることは狂っているとしか言いようがありません。この本は、そんな 場当たり主義のアベ・スガ政権は新自由主義政治の必然だということを明らかにしています。緊急出版というのですが。まさに時宜にかなった本です。
アベ内閣は福祉・医療予算を削減すべく、全国424病院を削減の対象とした。不要不急の病床はいらないとしたのだ。つまり、アベ新自由主義改革で、感染症治療の要を担うべき高度急性期・急性期病床、公立・公的病院を大幅削減の対象としていた。そこを新型コロナが襲った。
感染症病床不足はなぜ起こったのか・・・。それは、感染症パンデミックは起こらないと勝手に想定したから。あまり使われないような病床はなるべく減らしたいということ。感染症病床は、いざというときにすぐ使えるようにするため、常に空けておかねばねばならなかった。それが削減されていった。1998年に、感染症病床をもつ病院は1998年には全国に410病院、病床は9060あったのが、2019年には、1785病床へと、2割ほどに激減してしまっていた。同じく保健所の削減も一気にすすめられた。
内閣人事局が各省庁の幹部人事を掌握し、決定権限が首相官邸に集中した反面で、アベ政権をめぐる汚職が格段に増えている。
毎月1億円ものお金(内閣官房機密費)を好き勝手に使える身分でありながらこれでもまだまだ足りずにワイロをもらっているのですね・・・。許せません。コロナ渦の拡大は、デジタル化の遅れがもたらしたと政府はいうけれど、そんなことはありません。たしかに給付手続きのなかでデジタル化しておけばもっとはやかったという面が全然なかったとは思いませんが、PCR検査の遅れは、デジタル化とは関係ありません。医療・福祉現場での無理な人減らしこそがコロナ渦の拡大の重要な要因の一つです。
アベ政権について、著者は無能どころか、国民にとってきわめて有害な政権だったと総括しています。まったく、そのとおりです。そして、アベ政治を承継したスガ政権は、その有害さをますます拡大させています。だったら、野党が力を合わせて政権交代を実現するしかありません。そのためには、5割前後の投票率ではダメです。アメリカでトランプ前大統領を交代させた力は、8割ほどの高い投票率です。アメリカ人にやれて日本人にやれないはずはありません。いま投票所に足を運ばなかったら、自滅するしかありません。元気の出る小冊子です。160頁、1200円。ぜひ、あなたも手に取ってお読み下さい。
(2020年1月刊。1200円+税)
2021年1月14日
マンション管理員オロオロ日記
(霧山昴)
著者 南野 苑生 、 出版 三五館シンシャ
マンションの管理員を13年もやっている人の体験記です。面白く読みました、というのには、あまりに辛い話のオンパレードでもありました。最後に著者の生年を見て、団塊の世代、私と同年齢だったことを知ったのでした。
管理員が高齢者ばかりなのは、第一に賃金が安いこと。月収17万円。手取りにすると月に15万円。夫婦あわせても21万円。ただし、家賃は不要で、ガス代を除いて電気・水道代は管理組合負担なのでタダ。第二に、住民との対話に気苦労が大きくて、とても若者向けの仕事ではない。
マンション管理員は、日常的にクレーム対応する。まずは黙って相手の言い分に耳を傾ける。してはならないのは、安易な判断にもとづく明言。すべては管理組合が決めること。
マンション管理組合の活動をフォローするのが管理会社であり、その最前線にいるのがフロントマン。マンション管理員にとっては、フロントマンが直属の上司となる。
管理組合の理事長が独裁化し、私物化しはじめ、フロントマンがそれに結託していると、迎合しないマンション管理員は敵視され、いびり出されることになる。その結果、マンション管理員がコロコロ変わるというマンションも少なくはない。
マンションにおけるトラブルのトップは騒音問題。マンションの3大トラブルは、一に無断駐車、二にペット、三に生活騒音。
分譲マンションに逆ギレモンスターのタネは尽きない。いやはや、これは大変です。
防犯カメラは、マンションの管理組合の経費節減のため、ダミーであることも多い。
本書は、タイトルからしてマンション入居者の関心を大いに集めているようで、たちまち増刷(5刷)されています。いろいろ世間を知ることのできる本です。
(2020年10月刊。1300円+税)
2021年1月 5日
社会保障切り捨て日本への処方せん
(霧山昴)
著者 本田 宏 、 出版 自治体研究所
36年間、外科医として働き、還暦を迎えて医師を引退したあとは全国を駆けめぐって講演活動にいそしんでいます。私も先日、著者のライブ講演に接しましたので、本書を購入しました。
コロナ禍の下、日本の医療崩壊が現実のものとなっていると著者は警鐘を乱打しています。まったくそのとおりです。
コロナ禍にあいながらも、日本の政府は、既定方針どおり病院の再編・統合をすすめています。つまり、病院や診療所を減らすのです。保健所も減らします。私の町にあった保健所も本年4月になくなりました。
そして、医師を養成する医学部の学生定員も減らします。
日本は感染症専門医が不足している。必要な人数の半分しかいない。
日本の医療費が「40兆円を突破」と報道されているが、そのうち国や地方自治体が負担するのは4割以下。16兆円だけ。残るは、事業主と患者負担の保険料でまかなわれている。40兆円の全部が公費すなわち税金によっているのではない。
著者は、東京オリンピックだとかリニア新幹線なんて、不要不急のものを実行するのにお金を使ってはいけないと強調しています。まったく同感です。
そんなものにお金をムダづかいするのではなくて、医療崩壊を食いとめるのにお金は有効に投入するべきだと本心から思います。
(2020年7月刊。1100円+税)
2020年12月27日
邦人奪還
(霧山昴)
著者 伊藤 祐靖 、 出版 新潮社
自衛隊の特殊部隊が尖閣諸島の魚釣(うおつり)島に上陸し、日の丸の旗を中国国旗に入れ替えた中国の特殊部隊(5人)を撃退した話をマクラとして、本番は、北朝鮮でクーデターが勃発したとき、その混乱に乗じて日本人の拉致被害者6人と強引に日本に連れて帰る作戦が語られています。
著者は海上自衛隊の特別警備隊の創設にも関わった特殊部隊出身者ですので、作戦の軍事的展開については詳細をきわめています。
日の出前に空が明るくなる薄明には、3つの段階がある。一番早いのが天文(てんもん)薄明(はくめい)で、日の出のおおむね1時間半前、5等星が見えなくなる明るさのころをいう。次が、航海薄明で、日の出のおおむね1時間前、空を海の区別がつき、水平線が見えてくる。外洋に出る船乗りにとって、この時間帯は特別だ。前は、いくつかの星の高さ(水平線から星までの角度)を測り、自分の位置を割り出していた。これができるのは、星と水平線が同時に見える航海薄明の時間帯だけだ。三つめが市民薄明。日の出のおおむね30分前で野外作業をするのに支障がない明るさだ。
まともな特殊部隊員になるには、正規の隊員になってから5年はかかる。23歳で挑戦し、2年間の教育期間を終えて、25歳で特殊部隊員になっても、本当の働き盛りは30歳から40歳。
そのあとに問題がある。陸上自衛隊なら、最高の技術とたぐいまれな経験と理想的な肉体をもった人間として重用されるだろう。しかし、海上自衛隊では、それがない。海の特警隊出身者は、いろんな意味で役立たずだ。特殊部隊での知識・技術・経験を生かす場所が他にはまったくない。
魚釣島には野生化したヤギが数千頭もいて、それを捕まえたら、食料には困らない。また、水を確保するための井戸を掘らなければいけない。
中国の特殊部隊員(5人)を日本の特殊部隊員(3人)が、こてんぱんにやっつけたという話です。この本では、双方の特殊部隊員はお互いに殺しあわないように自制しているのですが、そんな理性的な対応が防衛省・自衛隊のトップが出来るとは、とても思えません。
続いて、北朝鮮で軍部がクーデターを起こして大混乱が発生しているなかに日本の自衛隊の特殊部隊が派遣され、無事に拉致被害者を日本に連れ帰ったというのも、想定が日本に甘すぎ、北朝鮮軍の戦闘能力を馬鹿にしている気がしてなりませんでした。日本の特殊部隊員は、モヌークとブラックホークに乗っていた自衛隊員21人がやられてしまった...。この本では、日本側は合計31人の死者を出しています。
ところで、なぜ日本の自衛隊の特殊部隊が北朝鮮に殴り込みしたのか、アメリカ軍はどうしたのか...という疑問があります。
ちなみに、アメリカの軍人は将軍から一兵卒まで、日本に入国し、出国するのはまったく別ルートをつかいます。日本の入国管理局を通らずに自由に入出国していますし、それを日本に教えませんので、コロナ禍対策も尻抜けです。
アメリカ軍が史上最強である理由は2つある。圧倒的な軍事予算と組織力。レベルの高くない人間10人で、ちゃんと10の力を発揮する組織をつくる能力。これでアメリカは世界の人々に君臨している。
こんな本が売れて読まれるということは、日本が戦争する国に近づいているということですよね。大いに心配になります。
(2020年7月刊。1600円+税)
2020年12月22日
この国の「公共」はどこへゆく
(霧山昴)
著者 寺脇 研、前川 喜平、吉原 毅 、 出版 花伝社
原発反対の声をあげたユニークな城南信用金庫の吉原毅理事長(当時)は、文科省の事務次官だった前川喜平氏と麻布学園の中学・高校の同級生。ともにラグビー部でがんばった仲だという。そして、寺脇氏は前川氏の3年先輩で、文科省の先輩・後輩の関係。
寺脇氏は、前川氏を入省当時から、いずれ文科省トップの事務次官になると見込んでいたという。
たしかに官僚の世界ではそれがあると思います。私の司法修習同期同クラスのO氏も司法修習生のときから、いずれ検事総長になると周囲からみられていました。本当にそのとおりになりました。頭が良いだけではダメで、腰の低さも必要です。柔軟に対応できる人がトップにのぼりつめます。もちろん、運も必要です。
市場にまかせておいたら何が起きるか...。お金持ちだけが安全地帯をつくって、そこに逃げ込む。その外側では、パンデミックで倒れる人がどんどん出てくる。新自由主義の行きつく先は、地獄の沙汰も金次第ということ。命もお金で買える。お金のない奴は死ねという話。だけどパンデミックは地球規模で広がっていくのだから、安全地帯にいるはずのお金持ちだって、いずれは生きていけなくなる。
人間の価値観の根っこの部分には、経験してきた学校生活、そのときの仲間や教員によってつくられている。なので、学校は、たとえ授業がなくても、子どもたちがたむろしているだけで学べることはある。
ふむふむ、これは私の経験に照らしてもそう言えます。私は市立の小学校と中学校、そして県立の普通(男女共学)高校の卒業ですが、それこそ種々雑多な庶民層の子どもたちと混じりあっていました。今は、それが良かったと本心から思っています。
超有名校である麻布学園では、親はエリート、金持ち層で、ほとんど似たような階層の子弟とのこと。それはそれで居心地がいいとは思いますが、異質な人々との出会いを経験できないというハンディもあるわけです。
安倍首相が2020年2月27日に全国一斉休校を要請した。法律上の根拠のない「要請」に全国の学校が応じてしまった。政治権力が無理やり学校を閉じた。
とにかく権力を握っている人の言うことを聞いていたらいい、聞かないとまずいことになる。そんな風潮が強まっているのが心配だ。本当に、私も心配です。
城南信用金庫は、年功序列を復活させた。抜擢(ばってき)人事はしない。一度や二度のミスでも厳しい降格人事はしない。なるほど、これも一つの考え方です。
前川氏は中学校で人権について話をしたとき、あえて自由を強調し、「きみたちは自由だ」と話した。自分で考えて行動するということは人に騙されないことでもある。大人の言うことを鵜呑みにしない。親や教師の言うことであっても、ただ、そのままには信じるな。なーるほど...、ですね。
「公共」とは何か、深くつっこんだ話が盛りだくさんで勉強になりました。出版社(花伝社)の平田勝社長より贈呈を受け、一気に読みあげました。ありがとうございます。
(2020年12月刊。1700円+税)
2020年12月18日
叛乱の六〇年代
(霧山昴)
著者 長崎 浩 、 出版 論創社
安保闘争と全共闘運動というサブタイトルのついた本です。1937年生まれの著者は東大闘争に助手共闘として参加しています。共産主義者同盟(ブンド)の一員でした。
この本では、まず理論的な記述のところは、私にはさっぱり理解できませんでした。あまりに抽象的な議論なので、ついていけなかったのです。次に、島泰三の『安田講堂』(中公新書)の間違った記述と同じ間違いをしているところは、私には納得できませんでした。
1969年1月10日の秩父宮ラグビー場での大衆団交で「議長をつとめたのは、後の文部大臣、町村信孝だったという」と、この本に書かれていますが、このときは議長が1人いたというものではありません。当時の写真は何枚もありますが、学生側は代表団が大学当局と交渉していましたし、それを7千人もの東大生が見守っていたのです。「あの広大なラグビー場の観客席の片隅で」交渉が行われたのでは決してありません。ただし、「全共闘系の小さなデモ隊が集会粉砕を叫んで、ラグビー場の芝生を踏んで走り抜けた」というのは事実です。
また、全共闘を本郷の総合図書館で「完敗」させたのが「代々木の防衛部隊」(日本共産党系の暴力部隊)というのもまったく事実に反しています。島泰三も著者も、どうやら現場にいなかったようです。私をふくめた東大駒場の学生たち(民青もそうでない人も)が最前線にいて全共闘のゲバ部隊を撃退したのです。周囲に1500人ほどの東大生・院生・教職員がいて、その見守るなかの衝突でしたから、そう簡単に「外人部隊」は最前線に立てませんでした。もっとも外人部隊200人くらいはいたようで、私もそれは否定しませんが、宮崎学の『突破者』はあまりに自分たちの「あかつき戦闘隊」なるものをオーバーに語っています。自慢話は、例によって話半分に聞くべきなのです。
ところが、この本では学生大会で大いに議論していたことの実情を紹介し、その意義を認めていることについては、私もまったく同感します。東大駒場では学生大会ではなくて代議員大会ですが、九〇〇番教室に1000人をこえる代議員とそれを見守る学生が夜遅くまで延々と何時間も徹底的に議論していました。会場内でときに暴力がなかったわけではありませんが、基本は言論でたたかう場だったのです。
島泰三(動物学者としての本はすばらしいと私は思っています)の集計によると、全共闘支持派34%、民青支持28%、スト解除派39%というのが1968年の末の状況だと紹介されていますが、これは間違いではないような気がします。とはいっても、「スト解除派」とされている39%の大半はアンチ全共闘で、民青との連携やむなしだったと思います。だからこそ次々にストライキが終結し、授業再開に向かったのです。
要するに私が言いたいことは、東大闘争は全共闘の理不尽な暴力が横行したものの、基本的には学生大会での言論戦と採決、駒場では代議員大会と全学投票で事態は推移していったこと、そのなかで全共闘の理不尽な暴力は一掃されていったということです。
全共闘の「失敗」を認めない人の多くは、本書もそうですが、自分たちのやった理不尽な暴力についてまったく反省することなく、日本共産党の暴力部隊(外人部隊)によって闘争が圧殺されたとするのです。私は、それは恥ずべき間違いだと思います。暴力で東大を解体しようとする運動に未来があるはずもないのです。
批判するばかりの本をこのコーナーで紹介することは、これまでも、これからもありませんが、この本には東大生の多くが実は東大闘争に多かれ少なかれ関わっていたという事実が紹介されていて、その点はまったく同感なので、紹介することにしました、ただし、10年前に発刊された本です。
(2010年11月刊。2500円+税)
2020年12月17日
メーター検針員、テゲテゲ日記
(霧山昴)
著者 川島 徹 、 出版 フォレスト出版
『交通誘導員ヨレヨレ日記』は面白く読みました。そのシリーズ第3弾です。いつも大変面白く、身につまされながら読んでいます。なにしろ私と同じような世代の人たちの苦労話なのです。
電気メーター検針員というのがどんな職業なのか、この本を読んでようやく分かりました。
九州電力(九電)が電気メーターの所有者であるが、その取りつけは九電の下請けの委託業者が行う。そして、検針員は、九電から検針業務を請け負っている会社に雇用されている。この下請業者は九電の天下りが社長になり、社内叩き上げが社長になることはない。
検針員は1日に200~400件を検針する。1件40円、つまり1日1万円ほど。著者は月に10日間働いて、月収10万円の生活を長くしていた。
鹿児島市内の繁華街だと1日に2万円以上も稼げるが、農村地帯のところどころにしか人家がないようなところだと、1日8000円くらいにしかならない。そんなところでは検針料が5円だけ高く設定されているが、とても間尺にあわない。
検針先の家に犬がいるときには、ドッグフードを与えて手なづけるという奥の手も使う。なので、ドッグフードは、検針員の必須の七つ道具の一つ。
鹿児島では、ヘビが家の中に入ってくるのはよくあること...。
うひゃあ、し、知りませんでした。ネズミを狙って天井裏までのぼっていくのです。そうなんですか...。わが家の庭の木にヒヨドリが巣をつくったとき、ヘビがそのヒナたちを狙って木のぼりしているのを発見したときには、さすがに私も驚きましたが...。結局、ヒナはヘビに食べられてしまいました。可哀想でしたが、どうしょうもありませんでした。それ以来、ヒヨドリは巣をつくりません。教訓を生かしているようです。
検針の仕事をはじめて驚いたことのひとつが、独居老人の多さ。どの家にも寂しさがカビのように漂っている。だから、検針員の来訪を心待ちにしている人々がいる。そして、女性検針員にはセクハラの危険もある...。
犬が吠えるときには、ドッグフードで手なづけるか、それとも真正面から向きあい、目をにらむ。犬に背中を向けてはいけない。背筋に向かって襲いかかってくる。背中や尻も狙われやすい。まるで熊への対処法みたいですね...。
そして、今やスマートメーターの時代。検針員が不要になっていく...。
それで、著者は契約更新を会社から拒否されたのです。
(2020年7月刊。1300円+税)
11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが私の誕生日に届きました。大きな字で「合格」と書いてあり、大変うれしく思いました。自己採点では71点でしたが、3点も上回っていて74点をとっていました。合格基準は69点です。これで、次は口頭試問です。1月末に受験します。これまた難関です。なにしろ、5分前に渡されたテーマの一つを3分間自由スピーチしろというのです。いやはや、大変です。コロナ問題で旅行の自粛をどう考えるか、なんて出題されたとき、フランス語でなんと言うかを考える前に、日本語で3分間でまとめるなんて難しいことですよね...。ともかく、がんばります。
2020年12月16日
東大闘争の天王山
(霧山昴)
著者 河内 謙策 、 出版 花伝社
今から50年も前、1968年から1969年にかけて東大は大きく揺れ動きました。そのとき大学2年生だった私は、その渦中にどっぷり浸っていましたので、決して東大紛争なんて言いません。私にとっては、あくまで東大闘争です。激しいゲバルト衝突のほとんどを現場で学生として体験あるいは見聞しているものとして、いったい東大闘争とは何だったのか、疑問は尽きません。
750頁もの大作である本書は、東大法学部に、この人ありと言われていた著者が渾身の力をふりしぼって書きあげた力作です。単なる歴史的記述だけでなく、著者のコメントがところどころに入っていてますから、読解を深めることができます。
東大確認書がつくられた秩父宮ラグビー場での大衆団交の実現に至る過程が生々しく再現されているのが、本書の大きな特徴です。これには、当局側で動いていた福武直教授(故人)の詳細なメモをまとめた『東大紛争回顧録』が大きな手がかりとなっています。これによって、当局側のいろんな動きが今になっては手にとるように判明します。残念なことに、私は見たことがありません。
また、例の安田講堂攻防戦(1969年1月18~19日)が、実は全共闘と警察・機動隊そしてマスコミとのあいだで、事前に大きなシナリオが出来ていたという衝撃的な指摘がなされています。
安田講堂の周囲にテレビ局が桟敷をつくって、テレビカメラをもって構えていた。網をかぶせて、火焔瓶を投げられても大丈夫なようにしたうえで、「実況中継」した。NHKは、なんと11時間も放映した。これはTBSが9時間あまり放映したのを大きく上回っている。
全共闘も機動隊も、テレビカメラがまわっていることを明らかに意識して役者を演じていたわけです。
その前の秩父宮ラグビー場での大衆団交については、七学部代表団は、学外で長時間にわたって大衆団交をしていると、その間に学内を全共闘が封鎖してしまう危険があるとして反対した。このとき、加藤執行部は代表団のなかの有志(保守派。たとえば町村信孝)は学外での団交に自分たち3学部だけでも応じると言い出した。実は、加藤執行部の一員である大内力総長代行代理から法学部学生懇のリーダーに学外での団交をやろうと働きかけがあっていた。その結果、七学部代表団は分裂行動の危機にあった。加藤執行部は学生大衆の力を信用していなかったので、このような謀略まで、あえてしたのだろうという著者のコメントが付いています。
この本は、東大闘争に東大生の多くが実際に関わっていたことを数字で明らかにしています。私は、この点はもっと世間に広く知られていいことだと思います。
1月10日の秩父宮ラグビー場に東大生(学生・院生・教職員)が8千人(マスコミの記事では7千人)が集まりました。
1月6日、駒場に登校した学生は2500人と記録されている。全共闘の集会の参加者が80人だったのに対して、団交実現実行委員会(団実委)の集会には500人が参加。
1月8日、法学部の学生・共感討論集会の参加者230人、団実委に登録した法学部生260人。1月8日の駒場の学生登校数2800人。もちろん授業なんかやられていませんので、授業を受けにきたのではありません。
1月9日には、駒場の学生登校数は4200人。これは総学生数の6割です。1月9日、七学部代表団主催の総決起集会の参加者2500人うち法学部は250人。そして、法学部生で団実委登録メンバーは330人(泊まり込み120人)。すごい人数です。
11月22日に民青側も全共闘側も、それぞれ1万人をこえる学生を全国から東大に総結集した。この11.22を機に学生の全共闘離れが急速に進行した。全共闘が「東大解体、全学封鎖」を打ち出したことに対する東大生の反発があった。
雑誌『世界』の意識調査によると、アンチ全共闘は、1968年7月に32.3%、11月には51.5%、1969年1月には49.7%となった。
法学部の学生大会にも、たとえば12月4日(1968年)には開会の午後2時の時点で400人以上が参加した。このとき、全共闘の提案は87対323対34で否決されているから、444人が採決時にいたことが分かる。そして12月25日の法学部の学生大会は午後5時より始まって、午後9時の採決時には定員数300人の2.7倍、821人もいたのです。ここで無期限ストライキの解除が決まりました。このとき、431対333対37で可決された。
このように、東大闘争には多くの東大生が関わり、きちんと議論をして、ついに確認書を獲得し、一人の処分も出さず終結したのでした。
確認書の意義は大きい。だからこそ、政府・自民党は東大入試を中止したのだと著者は強調しています。まったく同感です。
この本は全国の大学図書館に寄贈されるとのことですが、全国の図書館にも購入して備えつけてほしい内容です。島泰三の『安田講堂』(中公新書)のような、事実に反する本ばかりが世に出まわるのが、私はもどかしくて仕方ありません。
(2020年12月刊。6000円+税)