弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2020年12月18日
叛乱の六〇年代
(霧山昴)
著者 長崎 浩 、 出版 論創社
安保闘争と全共闘運動というサブタイトルのついた本です。1937年生まれの著者は東大闘争に助手共闘として参加しています。共産主義者同盟(ブンド)の一員でした。
この本では、まず理論的な記述のところは、私にはさっぱり理解できませんでした。あまりに抽象的な議論なので、ついていけなかったのです。次に、島泰三の『安田講堂』(中公新書)の間違った記述と同じ間違いをしているところは、私には納得できませんでした。
1969年1月10日の秩父宮ラグビー場での大衆団交で「議長をつとめたのは、後の文部大臣、町村信孝だったという」と、この本に書かれていますが、このときは議長が1人いたというものではありません。当時の写真は何枚もありますが、学生側は代表団が大学当局と交渉していましたし、それを7千人もの東大生が見守っていたのです。「あの広大なラグビー場の観客席の片隅で」交渉が行われたのでは決してありません。ただし、「全共闘系の小さなデモ隊が集会粉砕を叫んで、ラグビー場の芝生を踏んで走り抜けた」というのは事実です。
また、全共闘を本郷の総合図書館で「完敗」させたのが「代々木の防衛部隊」(日本共産党系の暴力部隊)というのもまったく事実に反しています。島泰三も著者も、どうやら現場にいなかったようです。私をふくめた東大駒場の学生たち(民青もそうでない人も)が最前線にいて全共闘のゲバ部隊を撃退したのです。周囲に1500人ほどの東大生・院生・教職員がいて、その見守るなかの衝突でしたから、そう簡単に「外人部隊」は最前線に立てませんでした。もっとも外人部隊200人くらいはいたようで、私もそれは否定しませんが、宮崎学の『突破者』はあまりに自分たちの「あかつき戦闘隊」なるものをオーバーに語っています。自慢話は、例によって話半分に聞くべきなのです。
ところが、この本では学生大会で大いに議論していたことの実情を紹介し、その意義を認めていることについては、私もまったく同感します。東大駒場では学生大会ではなくて代議員大会ですが、九〇〇番教室に1000人をこえる代議員とそれを見守る学生が夜遅くまで延々と何時間も徹底的に議論していました。会場内でときに暴力がなかったわけではありませんが、基本は言論でたたかう場だったのです。
島泰三(動物学者としての本はすばらしいと私は思っています)の集計によると、全共闘支持派34%、民青支持28%、スト解除派39%というのが1968年の末の状況だと紹介されていますが、これは間違いではないような気がします。とはいっても、「スト解除派」とされている39%の大半はアンチ全共闘で、民青との連携やむなしだったと思います。だからこそ次々にストライキが終結し、授業再開に向かったのです。
要するに私が言いたいことは、東大闘争は全共闘の理不尽な暴力が横行したものの、基本的には学生大会での言論戦と採決、駒場では代議員大会と全学投票で事態は推移していったこと、そのなかで全共闘の理不尽な暴力は一掃されていったということです。
全共闘の「失敗」を認めない人の多くは、本書もそうですが、自分たちのやった理不尽な暴力についてまったく反省することなく、日本共産党の暴力部隊(外人部隊)によって闘争が圧殺されたとするのです。私は、それは恥ずべき間違いだと思います。暴力で東大を解体しようとする運動に未来があるはずもないのです。
批判するばかりの本をこのコーナーで紹介することは、これまでも、これからもありませんが、この本には東大生の多くが実は東大闘争に多かれ少なかれ関わっていたという事実が紹介されていて、その点はまったく同感なので、紹介することにしました、ただし、10年前に発刊された本です。
(2010年11月刊。2500円+税)
2020年12月17日
メーター検針員、テゲテゲ日記
(霧山昴)
著者 川島 徹 、 出版 フォレスト出版
『交通誘導員ヨレヨレ日記』は面白く読みました。そのシリーズ第3弾です。いつも大変面白く、身につまされながら読んでいます。なにしろ私と同じような世代の人たちの苦労話なのです。
電気メーター検針員というのがどんな職業なのか、この本を読んでようやく分かりました。
九州電力(九電)が電気メーターの所有者であるが、その取りつけは九電の下請けの委託業者が行う。そして、検針員は、九電から検針業務を請け負っている会社に雇用されている。この下請業者は九電の天下りが社長になり、社内叩き上げが社長になることはない。
検針員は1日に200~400件を検針する。1件40円、つまり1日1万円ほど。著者は月に10日間働いて、月収10万円の生活を長くしていた。
鹿児島市内の繁華街だと1日に2万円以上も稼げるが、農村地帯のところどころにしか人家がないようなところだと、1日8000円くらいにしかならない。そんなところでは検針料が5円だけ高く設定されているが、とても間尺にあわない。
検針先の家に犬がいるときには、ドッグフードを与えて手なづけるという奥の手も使う。なので、ドッグフードは、検針員の必須の七つ道具の一つ。
鹿児島では、ヘビが家の中に入ってくるのはよくあること...。
うひゃあ、し、知りませんでした。ネズミを狙って天井裏までのぼっていくのです。そうなんですか...。わが家の庭の木にヒヨドリが巣をつくったとき、ヘビがそのヒナたちを狙って木のぼりしているのを発見したときには、さすがに私も驚きましたが...。結局、ヒナはヘビに食べられてしまいました。可哀想でしたが、どうしょうもありませんでした。それ以来、ヒヨドリは巣をつくりません。教訓を生かしているようです。
検針の仕事をはじめて驚いたことのひとつが、独居老人の多さ。どの家にも寂しさがカビのように漂っている。だから、検針員の来訪を心待ちにしている人々がいる。そして、女性検針員にはセクハラの危険もある...。
犬が吠えるときには、ドッグフードで手なづけるか、それとも真正面から向きあい、目をにらむ。犬に背中を向けてはいけない。背筋に向かって襲いかかってくる。背中や尻も狙われやすい。まるで熊への対処法みたいですね...。
そして、今やスマートメーターの時代。検針員が不要になっていく...。
それで、著者は契約更新を会社から拒否されたのです。
(2020年7月刊。1300円+税)
11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが私の誕生日に届きました。大きな字で「合格」と書いてあり、大変うれしく思いました。自己採点では71点でしたが、3点も上回っていて74点をとっていました。合格基準は69点です。これで、次は口頭試問です。1月末に受験します。これまた難関です。なにしろ、5分前に渡されたテーマの一つを3分間自由スピーチしろというのです。いやはや、大変です。コロナ問題で旅行の自粛をどう考えるか、なんて出題されたとき、フランス語でなんと言うかを考える前に、日本語で3分間でまとめるなんて難しいことですよね...。ともかく、がんばります。
2020年12月16日
東大闘争の天王山
(霧山昴)
著者 河内 謙策 、 出版 花伝社
今から50年も前、1968年から1969年にかけて東大は大きく揺れ動きました。そのとき大学2年生だった私は、その渦中にどっぷり浸っていましたので、決して東大紛争なんて言いません。私にとっては、あくまで東大闘争です。激しいゲバルト衝突のほとんどを現場で学生として体験あるいは見聞しているものとして、いったい東大闘争とは何だったのか、疑問は尽きません。
750頁もの大作である本書は、東大法学部に、この人ありと言われていた著者が渾身の力をふりしぼって書きあげた力作です。単なる歴史的記述だけでなく、著者のコメントがところどころに入っていてますから、読解を深めることができます。
東大確認書がつくられた秩父宮ラグビー場での大衆団交の実現に至る過程が生々しく再現されているのが、本書の大きな特徴です。これには、当局側で動いていた福武直教授(故人)の詳細なメモをまとめた『東大紛争回顧録』が大きな手がかりとなっています。これによって、当局側のいろんな動きが今になっては手にとるように判明します。残念なことに、私は見たことがありません。
また、例の安田講堂攻防戦(1969年1月18~19日)が、実は全共闘と警察・機動隊そしてマスコミとのあいだで、事前に大きなシナリオが出来ていたという衝撃的な指摘がなされています。
安田講堂の周囲にテレビ局が桟敷をつくって、テレビカメラをもって構えていた。網をかぶせて、火焔瓶を投げられても大丈夫なようにしたうえで、「実況中継」した。NHKは、なんと11時間も放映した。これはTBSが9時間あまり放映したのを大きく上回っている。
全共闘も機動隊も、テレビカメラがまわっていることを明らかに意識して役者を演じていたわけです。
その前の秩父宮ラグビー場での大衆団交については、七学部代表団は、学外で長時間にわたって大衆団交をしていると、その間に学内を全共闘が封鎖してしまう危険があるとして反対した。このとき、加藤執行部は代表団のなかの有志(保守派。たとえば町村信孝)は学外での団交に自分たち3学部だけでも応じると言い出した。実は、加藤執行部の一員である大内力総長代行代理から法学部学生懇のリーダーに学外での団交をやろうと働きかけがあっていた。その結果、七学部代表団は分裂行動の危機にあった。加藤執行部は学生大衆の力を信用していなかったので、このような謀略まで、あえてしたのだろうという著者のコメントが付いています。
この本は、東大闘争に東大生の多くが実際に関わっていたことを数字で明らかにしています。私は、この点はもっと世間に広く知られていいことだと思います。
1月10日の秩父宮ラグビー場に東大生(学生・院生・教職員)が8千人(マスコミの記事では7千人)が集まりました。
1月6日、駒場に登校した学生は2500人と記録されている。全共闘の集会の参加者が80人だったのに対して、団交実現実行委員会(団実委)の集会には500人が参加。
1月8日、法学部の学生・共感討論集会の参加者230人、団実委に登録した法学部生260人。1月8日の駒場の学生登校数2800人。もちろん授業なんかやられていませんので、授業を受けにきたのではありません。
1月9日には、駒場の学生登校数は4200人。これは総学生数の6割です。1月9日、七学部代表団主催の総決起集会の参加者2500人うち法学部は250人。そして、法学部生で団実委登録メンバーは330人(泊まり込み120人)。すごい人数です。
11月22日に民青側も全共闘側も、それぞれ1万人をこえる学生を全国から東大に総結集した。この11.22を機に学生の全共闘離れが急速に進行した。全共闘が「東大解体、全学封鎖」を打ち出したことに対する東大生の反発があった。
雑誌『世界』の意識調査によると、アンチ全共闘は、1968年7月に32.3%、11月には51.5%、1969年1月には49.7%となった。
法学部の学生大会にも、たとえば12月4日(1968年)には開会の午後2時の時点で400人以上が参加した。このとき、全共闘の提案は87対323対34で否決されているから、444人が採決時にいたことが分かる。そして12月25日の法学部の学生大会は午後5時より始まって、午後9時の採決時には定員数300人の2.7倍、821人もいたのです。ここで無期限ストライキの解除が決まりました。このとき、431対333対37で可決された。
このように、東大闘争には多くの東大生が関わり、きちんと議論をして、ついに確認書を獲得し、一人の処分も出さず終結したのでした。
確認書の意義は大きい。だからこそ、政府・自民党は東大入試を中止したのだと著者は強調しています。まったく同感です。
この本は全国の大学図書館に寄贈されるとのことですが、全国の図書館にも購入して備えつけてほしい内容です。島泰三の『安田講堂』(中公新書)のような、事実に反する本ばかりが世に出まわるのが、私はもどかしくて仕方ありません。
(2020年12月刊。6000円+税)
2020年12月12日
ぼくは縄文大工
(霧山昴)
著者 雨宮 国広 、 出版 平凡社新書
太古の丸木舟で3万年前の航海を再現して、無事にたどり着いた話はニュースで知っていました。著者は、その丸木舟を石斧(せきふ)で掘り出してつくりあげたのです。
普通の大工と宮大工の経験を積んだうえで、縄文小屋の復元に取り組み、自らもその縄文小屋で生活するようになったのでした。そして、縄文時代の丸木舟をつくる話が舞い込み、苦労の末に完成させ、学者チームが黒潮に抗して台湾から日本を目ざして成功したのです。これは、歴史考証の手がかりにもなっています。
縄文時代の出土した部材にほぞがあるのが見つかった。ほぞとは、木材を組み合わせるために削った突起のこと。つまり、縄文小屋はほぞをつかって木材を組み合わせてつくられていた。釘がなくても家は建てられるのですね。
一番長持ちする木材は栗の木。
黒曜石は石斧には不向きで、天然のガラスで、とてもよく切れるナイフとして使える。猪や鹿の解体には抜群の切れ味。
縄文小屋づくりで一番大変なのは縄づくり。稲ワラはまだないので、自然に自生するカラムシやフジのツルから繊維を取り出す。いやあ、これは大変そうです。縄をなって2000メートルの長さにしたそうですが、それでも縄文小屋づくりの全部をまかなうことはできなかったのでした。
そして、丸太をどうやって切り出したか。石斧です。
打製石斧と磨製石斧がある。さらに、縦斧と横斧を使い分ける。
石斧は、生身の人間と同じように疲労を感じる道具だ。なので、壊れる前に休憩をとり、疲労をため込ませないことが必要。
いやはや、縄文式生活を実際にしている奇特な人が日本にはいるのですね。
表紙に、鹿皮を着て、石斧をもって快心の笑みを浮かべている著者の写真があります。ヒゲが伸ばし放題なのは、刈リコミバサミが縄文時代にはないからだそうです。いったい家族はどうしてるのだろうか...と、不思議に思ったことでした。
(2020年9月刊。860円+税)
2020年11月29日
団塊ボーイの東京
(霧山昴)
著者 矢野 寛治 、 出版 弦書房
団塊ボーイって誰のことだろうと思って本を手にとると、私とまったく同世代の人でした。
私も福岡から1967年に東京に行って生活をはじめました。決定的に違うのは、著者は朝夕2食付き(月1万円)の下宿生活をしていたのですが、私は寮費月1千円の6人部屋の寮生活をはじめたということです。1年生が5人で、1人だけ2年生でした。みんなで真面目に岩波新書の読書会をやったりしていました。そして、5月からは学生セツルメント活動に没入していましたので、語学のクラスでは垢抜けたシティボーイたちに気遅れはしましたが、寮では田舎者ばかりだし、セツラーは大学も学科もさまざまな人がいて、しかも生きのいい女子学生がわんさかいましたので、寂しいなんて感じるヒマもないほど、毎日忙しく身体を動かしていました。
東京が両手を広げて自分を待っていてくれている、と思っていた。すぐにガールフレンドができて、楽しい日々が展開するものと思っていた。
この点は、私もまったく同じでした。
世の中は甘くない。ただ、井の頭公園の池面の水を眺めているだけの日々だった。
ここが私と違うところです。
著者は実家から毎月3万円が送金されてきたとのこと。そして、その見返りに、毎週、実家に手紙を書いた。これが約束(条件)だった。そして、息子の異変を手紙で察知すると、大分から直ちに両親は上京してきた。
私には、それはありませんでした。東大闘争に突入して以降、親は息子のことを心配していたと思いますが、私が年に1回帰省するくらいで、親が上京してきたことは一度もありません。私が司法修習生のころ結婚するとき、その前に上京してきて、はとバスで東京遊覧したくらいです。
著者の親のおみやげは、いつも自然薯だったとのこと。大分の名物なのでしょうね。
著者は麻雀に入れこみ、かなり強いようです。それでも、ヤクザ者との麻雀ではまき上げられてしまっています。
東京で生活すると、とんでもない上流階級の身分の連中に身近に接することがある。
なるほど、それは私にもありました。なにしろ、大学に自家用車でやってくる学生がいたのです。それも大学入学祝いに買ってもらった...、なんていう学生がいたのです。私のほうは、寮にこもり切りで生活すると、最低月1万3千円で生活できることを実践的に証明していました。
著者はコピーライターとして活躍してこられたようですね。そう言えば、中洲次郎というペンネームには見覚えがあります。50年以上も前の東京での日々が描き出されていて、身につまされるところが多々ありました。挿絵がよくよく雰囲気をかもし出しています。
(2020年5月刊。1800円+税)
2020年11月27日
歴史戦と思想戦
(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版 集英社新書
いま、広く読まれるべき本だと思いました。残念ながら...。
読みはじめる前は、なんだか大ゲサなタイトルだな、と思っていました。ところが、サンケイ新聞は2014年から「歴史戦」と名付けた「戦い」をすすめてきたというのです。驚きました。
戦後70年たって、日本は本来の歴史を取り戻す「歴史戦」にうって出るべきだとサンケイ新聞編集委員が叫んでいるというのです。いったい日本の「本来の歴史」とは何を指しているのか...。
著者は、それは戦前の大日本帝国を指していて、そこに戻ろうということだと明快に指摘しています。つまり、とんでもない呼びかけなのです。
そして、「歴史戦」を呼びかけるとき、それは歴史研究の分野に日本対韓国の「戦い」という国家間の対立、すなわち政治を持ち込んでいるのです。
桜井よし子は、「主敵は中国、戦場はアメリカ」と本に書いている。つまり、日本の「敵」は中国と韓国だというのです。なんという偏狭さでしょうか、時代錯誤もいいところで、とても正気とは思えません。
ところで、この本には、サンケイ新聞社長だった鹿内(しかない)信隆が、戦前に日本陸軍の将校として、経理学校で慰安所の運営規則が教えられていたこと、つまり軍が慰安所の運営に関わっていたことをサンケイ出版の本で明らかにしていることを紹介しています。まさしく慰安婦は陸軍のよる性奴隷だったのです。
南京虐殺について、「歴史戦」を主張する人は、「人数の問題」にすり替える論法をつかって、虐殺自体がなかったとする。これは、「誤った二分法」と呼ばれる詭弁(きべん)論法のパターン。受け手を錯覚させる心理誘導のテクニックだ。要するに、ごく一部の人の「見てない」という体験をもとに、全体の大虐殺はなかったとしてしまうのです。その論法が不合理なことは明らかです。30万人でなく、たとえ3万人であっても、大虐殺であったことには変わりありません。
シンガポールでも日本軍は現地の市民を5万人も虐殺したとされています。ここでは「歴史戦」を主張する人たちは、虐殺が「なかった」とまでは言わず、言葉を濁してはぐらかすか、はじめから無視するだけ。あまりに無責任です。
「歴史戦」を主張する人にとって、勝ち負けを競う論争ゲームであって、将来の人々に対して何の知的成果ももたらさない。これでは困ります。きちんと祖父や父が何をしたのか子や孫に伝えるべきです。
自虐史観というときの「自」とは、大日本帝国の臣民としか考えられない。なーるほど、そういうことだったんですね。時代錯誤もはなはだしく、とてもついていけません。
著者は、この本の最後に「歴史戦」の人々に対して、戦前・戦中の「大日本帝国」の名誉を回復することではなく、戦後の「日本国」の名誉や国際的信用を高めるような方向への路線を転換し、基本的な戦略を練り直したらどうか、と熱く呼びかけています。まったくそのとおりです。というわけで、ご一読をおすすめします。
(2019年11月刊。920円+税)
2020年11月21日
ぼくは挑戦人
(霧山昴)
著者 ちゃん へん 、 出版 集英社
日本で生まれた育った在日コリアンの著者はジャグリングを用いた芸をするプロのパフォーマー。日本だけでなく、世界中をかけめぐって芸を披露しているとのこと。
在日コリアンということで、小学校から中学校まで教室で陰湿ないじめを受けていた。子どもって、親のヘイトスピーチを真に受け、行動にあらわすのですよね...。読んでて、辛くなりました。
ところが、母親が我が子がいじめにあっていることを知って小学校に乗り込んで、いじめっ子に向かって言った言葉が圧巻です。
「素敵な夢もってる子はな、いじめなんてせえへんのや。お前らのやってることは、ただの弱いもんいじめや。強さと自慢したかったら、ルールのある世界で勝負せえ」
そして、子どもである著者にはこう言ったのでした。
「朝鮮人とか母子家庭とかで今まで散々ナメられてきたけど、わしは絶対負けへんで。一緒にがんばろな」
そして、家に帰ったら、ひいばあちゃんもこう言って励ました。
「いじめられたくなかったら、他人(ひと)より努力せな、あかん。いつか自分が頑張られるもんに出会ったら、それを一生懸命がんばって一番になりなさい。一番になったら、いじめられるどころか、お前を守ってくれる人がたくさん集まってくるんや。だから、そういう人生を歩みなさい」
この言葉を著者は実践していったのでした。偉いです。
中学3年生のとき、アメリカに単身渡って、パフォーマー・コンテストでヨーヨーの演技をして優勝した。いやはや、すごいですね。
高校3年生のときには、夏休みだけで300万円を稼いだ。なんともはや...、すごい、すごーい。
大道芸W杯のヤジウマ人気投票1位という肩書をもらっていた。
休日は10時間、平日でも毎日7時間から8時間は練習。それくらいすると、身体が覚えてしまうのでしょうね...。
著者は恐る恐る韓国に行きました。うまくいったようです。そのあと、なんと北朝鮮にも入って、平壌にも行っている。公演も2回していて、なんと金正恩本人から話しかけられたとのこと。
なるほど、タイトルどおり挑戦人です。自分の人生を自分の努力で切り拓いている様子が生き生きと伝わってきて、たくさんの元気をもらいました。ぜひ、ユーチューブで芸をみてみましょう。
(2020年8月刊。1800円+税)
2020年11月18日
血族の王
(霧山昴)
著者 岩瀬 達哉 、 出版 新潮文庫
松下幸之助はやはり神様ではなかったというのが、私の読後感です。
幸之助の発想は、すべて、どうやったらもうかるか、だ。なので、目先の話ではない。長く、確実にもうけるには、どうしたらいいか。日本にとって、アメリカの意向に従うしかない。そうしたら経済援助も市場開放もしてくれて、みんながもうかる。そのなかで自分も多いにもうけさせてもらう。そんな考えだ。
幸之助の感性は鋭い。人情の特徴を敏感につかみとり、体験に根ざした言葉で訴えかける、それで販売店の心をつかんだ。そのために、コンピューターを一掃してしまった。
コンピューターに幸之助は偏見をもっていた。その点では遅れていた。
娘婿の松下正治は東大卒で、頭はいいが、物づくりの経験をしていないし、商売の苦労もしていない。人使いも下手。何か問題が発生すると、ただ、怒るだけで、しかも居たたまれないくらいに理詰めでやってしまうので、重役陣からも事業部長からも、いまひとつ信用がなかった。なーるほど、なんとなく分かりますね...。
幸之助の真骨頂は、粘りだった。いったん取り組んだ仕事は、結果が出るまでやめない。良い結果が出るまで続けるので、失敗がない。ふむふむ、これも分かります。
幸之助は、社員の待遇改善につとめた。35歳で自分の家がもてる従業員持ち家制度、死亡した従業員の妻子への遺族育英制度、定年延長したうえ退職金の増額...。また、企業年金として破格の支給率を保証する福祉年金制度...。これはこれはいいことですね。
幸之助は、いくらか出来が悪くても、金太郎飴のように自身に従順で、忠誠という点で変わらない部下をかわいがった。逆に、どんなに功績があっても。幸之助に断りなく独断専行する者を決して許さなかった。ワンマン経営者にありがちな誤まりですよね、これって...。
録画の点で、ベータ方式より、VHS方式のほうが録画時間が長くなるので、幸之助はVHS方式を選んだ。というのも、ベータ方式の1時間に対して、VHS方式は2時間が基本のうえに、4時間録画に向けて開発中だったから。アメリカではアメフトの試合が3時間以上になるので、VHS方式が好まれた。なーるほど、ですね。
社長が松下正治から57歳の山下俊彦になるとき、80歳の幸之助は抵抗した。
それは、幸之助の言いなりになる番頭たちを経営陣から外すことを意味するものでもあったからだ。幸之助は、自分に仕えた役員OBを集めて山下社長を辞めさせる会までつくった。うひゃあ、まさしく典型的な老害ですね...。
幸之助もまた、おそろしく凡人だった。幸之助は孫の松下正幸を社長にしたかった。しかし、山下俊彦は正幸を棚上げしてしまった。
幸之助には世田谷夫人と呼ばれる第二夫人がいた。それを清水一行が『秘密な事情』で明かした。幸之助は世田谷夫人とのあいだに4人の子をもうけ、成人すると、松下関係の会社で面倒みさせた。世田谷夫人は、幸之助より30歳も年下。幸之助は東京・神楽坂の一番人気の芸者(20歳前)を見初めて、大阪に連れていった。
子どものころ、ナショナルの家電製品は身のまわりにいくつもありましたし、テレビのコマーシャルにも身体がなじんでいました。立志伝そのものの幸之助の負の面もふくめて、あまりに人間臭い評伝となっています。
神様とか天才ともてはやすほどの人物だったのかという疑いが確固として強まり、私は「ますます尊敬」という心境には、とてもなれない本でした。
(2019年7月刊。630円+税)
日曜日、1年ぶりに仏検(準1級)を受けました。6月はコロナ禍のため中止になったのです。前の日はホテルに泊まり込んで過去問を復習し、当日も朝早く起きて万全の体調でのぞみました。
自己採点では120点満点で71点でした。6割が合格点ですので、きわどいところです。最近は毎朝、NHKフランス語応用編の2日分を必死で書きとりしています。すぐに忘れてしまい、いつもいつも新鮮な思いですが、なんとかフランス語力を少しでも落とさないようにがんばっています。
試験会場の大学に行くと、学生がサッカーの練習試合をしていました。また、各種の資格試験の受験生がたくさん構内にたむろしていましたが、対面授業はやられているのかなと心配になりました。
2020年11月 5日
政治部不信
(霧山昴)
著者 南 彰 、 出版 朝日新書
東京・大阪で10年あまり政治部記者をつとめ、新聞労連委員長として2年のあいだ活動してきた著者による、政治部記者のありようを問いただした新書です。著者は古巣の政治部に戻ったのですから、今後ますますの健闘を心より期待します。
菅首相は、自分の言葉で国民に向かって話すことがありませんが、それはもともと政治家として国民に訴えるものを自分のなかにもっていないからとしか思えません。つまり、菅首相が政治家になったのは、国民はひとしく幸せな毎日を過ごせる社会にしようとか、そんなことはてんで頭になく、ひたすら自分と周囲の者の安楽な生活のみを求めて政治家(家)というのを職業選択しただけなのではないでしょうか...。
そして菅首相にあるのは、敵か味方かという超古典的な二分論です。恐らく、それを前提として権謀術数をつかって政界を泳ぎ、生き抜いてきたのでしょう。そんな人が日本の首相になれただなんて、まさに日本の不幸です。これも小選挙区制の大いなる弊害の一つです。中選挙区とか比例代表制では菅首相の誕生はありえなかったでしょう。なぜなら、菅には国民に訴えるものが何もないからです。「自助、共助、公助」という「自助ファースト」というのは政治は不要だと宣言しているようなのです。そんな政治家は必要ありませんよ。
菅が首相になる前、官房長官のときに何と言っていたか...。
「ご指摘はまったく当たりません」
「何の問題もありません」
まさしく問答無用、一刀両断に切り捨ててしまい、質問に対してまともに答えることはありませんでした。議論せず、説得しようともしない政治家ほど恐ろしいものはありません。
前の安倍首相は平気で明らかな嘘を言ってのけました(原発災害はアンダーコントロールにある、とか...)。しかし、そこには嘘が嘘でないかを議論する余地が、まだほんの少しは残されていました。
ところが菅首相になると、「嘘」の前に、「何の問題もない」とウソぶいて議論しないのですから、よほどタチが悪いです。国会でまともな議論をしなかったら、どこで日本のこれからをどうやって決めていきますか...。私は不安でたまりません。
ボーイズクラブという言葉があるのですね。知りませんでした。
体育会系などで顕著にみられる男性同士の緊密な絆でお互いを認めあっている集団のこと。日本の閉鎖的な記者クラブもその一つでしょうね。
安倍前首相はマスコミの社長連中そして局長連中、さらにはヒラの記者たちとよく会食していたようです。例の官房機密費(月1億円をつかい放題...。領収書は不要)でしょうね。
そして、菅首相は、3社くらいずつ、オフレコのある「記者会見」を繰り返しているようです。
エセ「苦労人」の化けの皮がはがれないように手を折っているのでしょうね。こんなにセコいのは、やはり官房長官として仕えた安倍首相譲りなのでしょう。
日本の政治部記者よ、記者魂を呼びもどし、目を覚ませと叫びたいです。
(2020年9月刊。790円+税)
2020年10月27日
閉ざされた扉をこじ開ける
(霧山昴)
著者 稲葉 剛 、 出版 朝日新書
小田原市は、「生活保護受給者」ではなく、「生活保護利用者」と呼びかたを変えた。権利として生活保護制度を利用しているという意識の変化を促すためだ。
いやあ、これはいいことですね。
実は、小田原市には「SHAT」つまり「生活保護悪撲滅チーム」などと書いたそろいのジャンパーを生活保護担当職員が10年前から着ていたことが発覚して問題となったのでした。そのあとの対策の一つが、呼称の変更なのです。
先日(10月9日)の西日本新聞に星野圭弁護士(福岡第一法律事務所)が生活保護について解説した記事がのっていました。生活が苦しくなったら、権利として生活保護を利用するのをためらうことはありません。自己所有の自宅があっても、車をもっていても、家賃が高くても生活保護を受けられることは多いのです。あきらめずに誰かに相談しながら申請することです。このように星野弁護士は呼びかけています。なにも遠慮することなんかありません。
単身高齢者が新しく借家(部屋)を探すとき、大変な苦労させられる。というのは、貸主(大家さん)が借主の孤独死を恐れるから。緊急連絡先を告げ、定期的な安否確認するといっても、80代の単身者のアパート探しは難しい。そこに貧困ビジネスがつけ入る余地が生まれている。
アメリカでは若年ホームレスの4割がLGBTだという調査結果があるとのこと。日本では、そんな調査はやられていないので、不明だそうです。著者が過去25年間で3000人以上のホームレスにあたって、LGBTの人は数十人はいたとのことです。日本でも、当然いるはずですよね。
私は、この本を読むまで知りませんでしたが、日弁連は生活保護法の「保護」という名称は恩恵だと誤解されやすいので、権利性を明確にした「生活保障法」に名称変更を提言している(2019年2月)とのこと。うむむ、これはいいことですね。
あの安倍首相(当時)だって、国会で、「生活保護は国民の権利」だと明言したわけです。国民が権利行使を遠慮してはいけません。
軍事予算が5兆円を超えて、歯止めなく増大している一方で、福祉予算だけは「お金がない」という口実で削減されているのが今の日本の現実です。黙っていたら健康も生活も守れません。ぜひ、声かけあって、みんなで叫んでいきたいものです。
(2020年3月刊。790円+税)