弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2020年5月24日
リープ
(霧山昴)
著者 ハワード・ユー 、 出版 プレジデント社
優位性が揺るがないような、独自のポジショニングを追及しても、それは幻想にすぎない。どんな価値提案も、それにどれほど独自性があっても、脅かされないことはない。よいデザインや優れたアイデアも、それを企業秘密にしても、特許があっても、結局はまねされる。
こうした状況の下で、長期にわたって成功するための唯一の方法はリープ(跳躍)すること。先行企業は、それまでとは異なる知識分野に跳躍して、製品の製造やサービスの提供に関して、新たな知識を活用するか、創造しなければならない。そうした努力が行われなければ、後発企業が必ず追い付いてくる。
「模倣の国」と呼ばれたスイスでは、化学会社は自由に海外企業のまねができた。それどころか、模倣が推奨されていた。模倣は大成功し、チバは1900年にパリで開かれた万国博覧会で大賞を受賞している。
企業の経営者は、複雑で、変化する環境を相手にしている。数年前にうまくいったことが、永遠にうまくいくとは限らない。企業は、まだ時間があるうちにリープすればよい。
正しいシグナルに耳を傾けるためには、忍耐力と規律が必要だ。チャンスをつかむためには、必ずしも最初に動くのではなく、最初に正しく理解することが求められる。そのためには、勇気と決断力が必要だ。リープを成功させることとは、一見すると矛盾するこの二つの能力をマスターすることである。この待つための鍛錬と、飛び込むための決断力をバランスよく組み合わせることができれば、その見返りは大きい。
自らが置かれた状況を理解しようと頭を悩ませ続けられる能力こそが、知的なマシンの時代に人間がもち得る最大の強みだ。
大規模で複雑な企業の生活を脅かす最大のリスクは、内部の政治的な争いと、誰も率先して行動を起こさないこと。
企業の寿命は、1920年代には67年だった。今日ではわずか15年だ。アメリカの大企業のCEOの平均在籍期間も、この30年のあいだに短縮している。
いま、私たちは変化が加速している世界に生きている。
そうなんですよね...。でも、昨日と同じ今日があり、明日があると、ついつい思ってしまうのです。その点も大いに反省させられるビジネス書です。
(2019年12月刊。2200円+税)
2020年5月21日
大東建託の内幕
(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社
大東建託は1974年(昭和49年)に大東産業として多田勝美が創業し、以来、36年間にわたって企業オーナーとして君臨した。
多田会長の年収は2億5800万円(ストックオプション含む)。田園調布の高級住宅地の敷地500坪に地上2階建、地下1階、のべ床面積300坪という豪邸に住んでいる。
2010年の時点で、大東建託のアパートは全国に6万棟超。戸数は60万戸。2017年では累計で17万棟。管理戸数は100万戸超。実は、私の娘もそのアパートに住んでいます。年間の売上高は9548億円、経営利益739億円、従業員1万3000人、という巨大企業。
そして役員報酬は、常勤取締役10人の平均は1億2000万円。社外取締役7人の平均は1650万円(2017年3月期)。
ところが、従業員の自殺が相次いでいる。厳しいノルマに追い込まれるのだ。朝8時から深夜まで、毎日15時間以上の長時間の労働で疲れてしまう。
建築営業は「終日時間」という飛び込み営業をさせられる。大変な苦痛だ。そして夜8時半に支店で終礼をする。
ノルマには、「契約のノルマ」と「プロセスのノルマ」の二つがある。「契約のノルマ」は、毎月、アパート建築の契約をとれというもの。「プロセスのノルマ」には「八六四三」と称されるものがある。「立地審査」を月8本、「家賃審査」を月6本、「プラン提示」を月4本、「最終業績」を月3本とれというもの。
支店の数字を上げるため架空契約するのは、よくあること。「テンプラをあげる」という。親しいオーナーに頼んで、本当は建てる気がないのに、契約書だけつくってもらい、それを支店の成績として報告する。
埼玉県の中央支店では7人が解雇され、所沢支店では支店長以下14人がクビになった。
30年間の家賃保証というが、実は、これは試算であって、この金額を継続保証するものではないと、小さな文字で契約書には書かれている。10年たつと、この条項によって家賃を減額し、それに応じないと「一括借り上げ」を解消されてしまう。すると、たちまちアパート経営による利益なんかないどころか、大赤字をかかえてしまう。
なので、大東建託でアパートを建てることを考えているのなら、やめたほうがいい。
そうなんです。素人がアパート経営に手を出してうまくいくと考えるほうが甘すぎるのです。世の中、甘い話は怖い話でしかありません。
(2019年7月刊。1500円+税)
2020年5月20日
幸福の科学との訣別
(霧山昴)
著者 宏洋(ひろし) 、 出版 文芸春秋
幸福の科学の大川隆法の長男が父・隆法の実像を伝えています。まことに父と息子との関係は難しいものだという感想をもちました。
どうやら隆法一家は家庭的な落ち着きと親しみに貧しい雰囲気だったようです。
長男の著者は中学受験に失敗してから、隆法の後継者からドロップアウトしたとのこと。二男の裕太は麻布高校から東大法学部を卒業したのですが、離婚問題をおこしたので、一気に格下げされたとのこと。
今は、後継者として最有力なのは長女の咲也加。咲也加は2代目教祖を目ざしていて、名誉欲、権力欲、自己顕示欲の3つがとても強い。副理事長兼総裁室長。『娘から見た大川隆法』という本を書いている。咲也加は性格がきつく、内弁慶で、友達がいない。
著者は東大法学部に進んでほしいという父・隆法の期待を裏切り、青山学院大学法学部に進み、今は映画づくりにいそしんでいます。後継者候補からはずれたあとも、教団ナンバー3の理事長になったこともありました。3ヶ月でやめたあとは父親・教団のコネで、清水建設に入社しています。
著者は女優の清水富美加との結婚を父・隆法にすすめられ、断りました。清水富美加について、感情の浮き沈みが激しく、二面性がある人、幸福の科学の教義はほとんど読んでおらず、理解していない。しかし、非常にビジネスライクな人物なので、著者との結婚についても打算したのではないか...としています。
著者は大川隆法について、一度も神だと思ったことはないが、感謝の気持ちでいっぱいだとしつつ、自分にとっては、路傍の石の一つ、取るに足らないガラクタにすぎないと言い切っています。
大川隆法という人間は、自分だけよければいいという考えがすごく強い。自分の考えに異論をはさむ人間は徹底的に叩く。
大川隆法の妻・きょう子はずっと教団ナンバー2だった。きょう子本人は、自分のおかげで教団が大きくなったと主張しているが、組織が大きくなりすぎて、そのポジションをつとめることが能力的に難しくなり、隆法と夫婦ゲンカして教団から追い出された。
きょう子は、離婚するまで、警察に相談に行ったり、自宅保全の仮処分を申請したりしている。
隆法は妻きょう子とは実は離婚したくなかったのだと思う。
両親の離婚に際して5人の兄弟(姉妹)が集まり、「きょうだい会議」を開き、全員一致で父親につくことを決めた。稼いでいる父親につかないと、生活できなくなることが最大の理由だった。
きょう子はヒステリーがひどい人。これに対して、父・隆法の唯一良いところは、ブチ切れることがないこと。怒ったら、怒鳴りつけるのではなく、10分間も2時も、ネチネチ説教するタイプ。暴力は一切ふるわない。むしろ、母・きょう子は瞬間湯沸かし器みたいで、よくぶたれた。
幸福の科学の信者は、公称で1100万人というが、実数は1万3000人だと著者はみています。2019年の参議院選挙の得票は20万票だった。そして、信者の高齢化のため財政状況が悪化している。信者の平均年齢は65歳。これは64歳の大川隆法と同じということ。
2011年のお布施は300億円あった。このほか、本の売り上げや各種祈願の代金収入などがある。
大川隆法の話は、とにかく長い。聞いているうちに疲れてしまう。内容はたいしたことないけれど、何時間も聞かされると、「すり込み」効果があって、洗脳される。
著書は500冊をこえる。大川隆法の「霊言」は、台本もリハーサルもなく、全部アドリブで2時間は軽く話し続ける。
教団の信者は、自分の意思をもたず、自分では何も決めずに動くことができる。これがカルト宗教の一番の魅力だ。
教団から懲戒免職され、6265万円という巨額の損害賠償請求裁判の被告とされていることから、いくらか割引して受けとめるべきかもしれませんが、書いてあることのほとんどは、よく分かることばかりでした。あなたにも一読をおすすめします。
(2020年3月刊。1400円+税)
2020年5月15日
ふくしま原発・作業員日誌
(霧山昴)
著者 片山 夏子 、 出版 朝日新聞出版
東京新聞の記者が9年間にわたって福島第一原発の後始末処理にあたっている作業員に取材したものが一冊の本になっています。
作業員は大きなフィルターの付いた全面マスクをかぶらされるが、この全面マスクは毎回、返却し、アルコール消毒はされるものの、使い回しになるので、臭いがする。納豆、にんにく、アルコールなどの強烈な臭いがすると、気持ち悪くなるほど。うへっ、これは困りますよね...。
この全面マスクは慣れないうちは、かなり息苦しい。隙間から放射性物質が入ってくるのを恐れて、全面マスクをきつく締めすぎると、作業できないほど激しい頭痛に襲われる。緩くすると、外気でマスクが曇るだけでなく、放射性物質が入りこみ、内部被ばくする恐れがある。
防護服の素材はポリエチレンの不織布(ふしょくふ)で、放射性物質の付着は防ぐが、ほとんどの放射線を通してしまう。防護服といっても、完全に身を守ってくれるものではない。
原発の仕事の受任は複雑に入り組んでいる。
東電が、日立や東芝、大手ゼネコンなどの元請企業に仕事を発注し、元請企業の下に、第一次下請企業、さらに第二次下請企業と、いくつもの企業が重なる多重下請構造になっている。実際には、7次や8次下請までいるし、下請企業のあいただに、作業員を紹介して紹介料や仲介料をとる仲介業者が入っていることもあり、何次下請企業までぶら下がっているのか分からない場合もある。そして、なかには暴力団関係者がからんでいることがある。
下請企業同士で仕事のとりあいをすることもあり、そんなときには、元請や上の下請の幹部を接待することがある。
福島第一原発の復旧工事の現場では、作業員が次々に亡くなっている。ところが、病名が心筋梗塞だったり、急性白血病だったりして、会社は責任ないと逃げるばかり。
作業途中で汚染れを頭からかぶってしまい、バリカンで丸坊主にされたという人もいる。
3.11のときは菅首相でしたが、そのあとの野田佳彦首相は、12月16日、「事故そのものは収束に至った」と、無責任に断言した。これは、安倍首相の東京オリンピック向けの「アンダーコントロール」発言につながるわけです。
現場作業員は被ばく線の上限がある。3.11の事故前は15~20ミリシーベルトだったのが、事故後は30~50ミリシーベルトへ大幅に緩和された。そして、5年で100ミリシーベルトという国の制約もあった。ところが、これは、年度で「リセット」されるのだった。もちろん、生身の人間への影響が「リセット」されたからといいてゼロになるわけではない。
3.11事故によって、1号機から4号機まで、みな「炉心溶融」したことは今では間違いない事実だ。ところが、今なお東電も政府も公式にはこれを認めていない。東電は清水正孝社長(当時)が、「炉心溶融という言葉は使うな」と指示していた。原発事故の恐ろしさをそのまま伝えてしまうコトバなので、あくまで軽く見せかけようとしたのです。
また、高濃度汚染水も、「滞留水」なるコトバに置き換えられました。これまた、ひどい隠蔽工作です。
3.11事故のあと、東電の社員は次々に辞めていった。社員数3万9千人のうち、例年だと130人くらいの退職者が460人にのぼり、29歳以下が4割超だった。
現場の作業員は仕事をしてお金を稼ぎたいがために、線量を低くしようと工作する。すると、将来、病気になったとき、こんな低線量では病気との因果関係はないと会社から反論される恐れがある。
日当が2万5千円だったのが、1万3千円となり、残業手当がつかなくなった。そして危険手当として1日1万円出ていたのが4千円になった。食費も1日1500円出ていたのがゼロになった...。
現場作業員にガンが多発しているのでは...というレポートがありますが、なんと著者自身が喉頭ガンと診断されたとのこと。これには驚きました。のどのポリープから出血し、吐血したのです。
460頁にのぼる大作ですが、この9年間はあっというまのことです。そして、肝心の原子炉のデブリはまったく手つかずの状態なのです。いったいあと、何十年、何百年と続くのでしょうか...。それでも原発が必要だと言いはる人の気がしれません。
フクイチの事故は決して他人事(ひとごと)ではないのです。
ちなみに、私は映画『フクシマ50人』もみています。吉田所長以下の皆さんが必死でがんばったというのはまったく間違いないわけですが、原発そのものは人間の手にあまる存在だというのを、もう少し強調してほしかったというのが私の感想です。
よく出来た本です。一人でも多くの人に読んでもらいたいと思いました。
(2020年4月刊。1700円+税)
2020年5月14日
「大東建託」商法の研究
(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社
「サブリースでアパート経営」に気をつけろ、というサブタイトルのついた本です。大東建託だけはなく、大和ハウス、東建コーポレーションそしてレオパレスも取りあげられています。この本を読むと、素人がアパート経営に手を出すと、それこそ火傷(やけど)で重傷を負うことが多いと思わされます。
実は、私も大東建託を相手として契約解除を求めて交渉したことがあります。なにしろ70歳代後半の素人の男性が1億円をこす建築費を借金してアパート経営に乗り出そうというのですから、初めから無謀というしかありません。その男性はストレスのあまり病気になりました。そのこともあってなんとか契約解除にこぎつき、家族からは大変喜ばれました。
たとえば大東建託は次のように提案します。
木造アパートを1億3000万円でつくる。毎月90万円の家賃収入があるから、銀行への返済分60万円を差し引いても、手取り25万円になる。
大東建託が一括借り上げて家賃を支払ってくれると思って安心していると、入居者が減るなか、途中から家賃収入が減額される。文句を言うと、会社から「将来の収入を約束したものではない」と冷たく事務的な文面が返ってくる。そして、一括借り上げ契約が解除されてしまう...。
これでは、トホホ...ですよね。
圧倒的に巨大な企業と銀行が、ほとんど無防備の一市民に高額かつ高リスクの商品を売りつけ、資金を貸しつけて高い利益をあげる。その結果、家主がどんな目にあおうと知ったことではない。あとは野となれ、山となれ...だ。
ランドセット方式なるものもある。第三者所有の土地をあらたに購入して、そこにアパートを建て、大東建託が一括借り上げて、経営するというもの。
アパート建築の総工費8000万円。家賃保証があり、毎月10万円の利益(手残り)が出る。家賃保証があると言って安心させる。しかし、1億円の借金で、月の手残りが10万円ということは、利回りでみると1%。そんな事業は初めから無理。木造アパートは22年で減価償却が終わる。すると、それ以降はそれより格段に高い所得税を支払わなくてはならなくなり、収支がマイナスに転じる。
高齢の土地所有者の息子が協力を断ったときには、身内を養子縁組させてまで借金させようとする。あまりにも無茶苦茶だ。
大東建託が建てたマンションが欠陥マンションだった話も紹介されている。
そして、大東建託内での社員に対する壮絶な社員教育に名をかりた「いじめ」も発生する。契約締結を大東建託では「一筆啓上」と呼ぶ。また、大東建託では、新規客に対して嘘も方便として平気だったが、社内でもパワハラ、セクハラが横行していて、病気になった社員も多い。
基本給28万円のうち、営業手当が11万円。これが6ヵ月無契約だと6万円減り、さらに無実績10ヶ月になると、トータルで11万円減って、手取りは10万円ほどとなる。
ハローワークの求人広告はウソ、インチキだった。
この本を読んで、アパート経営を口実とした新手(あらて)の詐欺商法だと私はますます確信しました。
(2020年3月刊。1500円+税)
2020年5月10日
探偵の現場
(霧山昴)
著者 岡田 真弓 、 出版 角川新書
不倫の相談を受けたとき、私立探偵に頼みましたといって調査報告書なるものを示されることはしばしばです。
ちょっと前までは、それはひどいものでした。10万円単位ではなく、300万円も支払いましたといって馬鹿馬鹿しい作文しかない報告書を読ませられて腹の立つことが何度もありました。弁護士の着手金30万円を高いと言うような人が不倫調査のため私立探偵に支払った300万円は高いと考えていないようなので、この落差はいったい何なのだ...と怒ったということです。
でも、今では私立探偵の費用も、ネットが発達したこともあるのでしょうが、50万円以下のことがほとんどで、私からしてもリーズナブルだと思えますし、GPSなどを駆使して、証拠としてバッチリ使えそうなものが大半です。
探偵業界で売上ナンバーワンという会社の代表者をつとめる女性が探偵の現場を教えてくれる本として面白く読みました。
この本ではGPSをつかった調査が基本になっていること、スマホがいかに便利かということが紹介されています。スマホによる動画は、決定的に重要だというのは私もまったく同感です。ですから、バッテリーとメモリーの残量チェックが欠かせないというのも本当です。
この本では不倫調査の結果と、その後のアフターケアまで紹介されています。
不倫が発覚しても、7割は、夫婦関係を継続させていると書かれているのには、いささか驚きました。でも、たしかにそうかもしれないと弁護士生活を46年も続けて思うところはあります。
夫は不倫をしていると妻が疑っているケースでも、実は夫のほうは不能(インポ)で悩んでいるケースがあったり、夫はゲイだったり、話は必ずしも単純ではありません。
大会社の幹部社員はあまり不倫には走らないそうです。これも、これだけネット社会になると、そうかもしれないと思います。
それにしても、今はネット上のやりとりで、不倫していることがバレバレなのに、平気だということが少なくないのにも驚かされます。
いずれにしても、世の中が大きく変わろうとしていることを私立探偵の仕事を通じて教えてくれる新書になっています。
(2020年2月刊。880円+税)
2020年5月 8日
歴史としての日教組(下巻)
(霧山昴)
著者 広田 照幸 、 出版 名古屋大学出版会
日教組の実体をよく理解することができました。
まずは、1995年の日教組と文部省との「歴史的和解」です。
これは、村山内閣のとき、与謝野馨文部大臣が主導したものと言われています。その内実が、明らかにされていて、興味深い記述です。
1994年6月、自民党と社会党が新党さきがけとともに連立政権をつくり、総理大臣に社会党委員長だった村山富市が就任した。このころの自民党は、小沢一郎の率いる新生党―新進党への対抗上、左にウィングを伸ばすことで政党としての党勢回復を図ろうとしていた。自民党がもっともリベラルになっていた時期だった。それで憲法改正を棚上げにし、日教組を含めた労働組合との良好な関係づくりに熱心な状況になっていた。
そして、日教組のほうは、内部に救援資金問題をかかえていた。日教組はストライキを構えて闘った時代の負の遺産として、巨額の救援資金が組合財政を深刻に圧迫する事態となっていた。年間78億円の予算のうち3分の2近くを処分された組合員の給与補填に充てていた。これを解決するには各地の教育委員会との話し合いが必要だが、そこへ自民党と文部省が圧力をかけていた。日教組の組織力を弱めるため、自民党と支部省は「兵糧攻め」までしていた。
和解の糸口を切り出したのは村山首相その人だった。そして与謝野文部大臣は慎重にことを進めた。最終的に文部省と日教組で合意した文書は今も公開されていないようです。信じられません...。
次に、「400日抗争」です。実は、私は知りませんでした。1986年(昭和61年)8月から翌87年3月までの間、日教組主流派の内部で主導権争いがあり、大会が開かれず、人事も予算も決まらなかったのでした。この対立は、ストライキも辞さないという左派と協議優先の右派。労線問題で、結局あとの連合へ合流していくのか、それに反対するのか...、など。発端は、日教組の田中委員長が自民党候補の激励会に参加したことでした。
このころ、反主流派の共産党と、左派の一部であり、中核である社会主義協会系とが「共協連合」をつくっていると非難されていたが、この「共協連合」なるものには何の実体もなく、いわば幻の存在でしかなかった。
結局、この「400日抗争」は終結したが、一般組合員の関心には薄く、むしろ多くの組合員は、失望し、不満をかきたてた。結局、日教組の弱体化につながっていた。
民主党政権下で自民党が大きく右に揺れるなか、ネット上で荒唐無稽な「日教組けしからん」論が横行するようになった。かつて右翼の街宣車が大きなスピーカーで「民族の敵、日教祖を撲滅しましょう」なんて叫んでまわっていたのを思い出します。今では、それがネット上の叫びに変わっているわけです。さらに、国会審議のなかで、突然、脈絡なしに安倍首相が「日教組...」と叫んだりするという茶番まで加わります。
そんなアベ首相と「ネトウヨ」が目の敵にする日教組の実体を知ることのできる貴重な学術書です。下巻だけでも300頁、3800円もしますが、全国の図書館にせめて一冊は備えておいてほしい貴重な文献です。
(2020年2月刊。3800円+税)
2020年4月30日
我が家に来た脱走兵
(霧山昴)
著者 小山 帥人 、 出版 東方出版
50年前、私が大学生のころ、アメリカはベトナムに大量(最高時50万人)の兵隊を送り、ジャングルでベトナム解放民族戦線(ベトコン)と戦っていました。
アメリカのベトナム侵略戦争です。アメリカには共産主義が東南アジアに広まったら困るという「ドミノ理論」があるだけで、客観的には何の大義もありませんでした。要するに、アメリカの軍需産業がもうかる一方で、前途有為のアメリカ人青年が5万5千人も無駄に戦死させられたのです。そして、ベトナムでは何百万人もの罪なき人々が無残に殺されました。そんなベトナム戦争に疑問をもつアメリカ人青年がいて当然です。
ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、そんなアメリカ人青年がアメリカ軍から脱走してきたときの受け皿になっていました。この詳細は『となりに脱走兵がいた時代』(思想の科学社)で詳しく紹介されています。
この本は脱走兵の一人、19歳のキャルを3日間だけ京都の実家に迎えたNHK記者が、47年ぶりに再会したことを紹介しています。
キャルは北海道からソ連へレポ船で渡り、スウェーデンにたどり着きました。やがて結婚して子どもまでもうけたのですが、ついにアメリカに戻ったのでした。そして、麻薬中毒患者になったり、CIAに脱走当時のことを全部話したりしたのですが、今はホームレス支援の生活をしているのです。
脱走兵のなかにはCIAが送り込んだスパイもいました。これは、『となりに脱走兵がいた時代』にも紹介されています。
この本を読んで、見も知らないアメリカ人青年の脱走兵を受け入れた日本の家庭がたくさんあったことに改めて深く感動しました。ナチス・ドイツの支配するベルリンでもユダヤ人をかくまったドイツ市民が何百人もいたというのと同じことなのでしょうね...。やっぱり、いつの時代にも勇気ある人はいるものなんですよね。
著者がNHK記者だったこともあり、当時の映像が残っていて、それが毎日放送(テレビ)で2015年に放映されたとのことです。みてみたいです。
(2020年2月刊。1500円+税)
2020年4月19日
日本プラモデル、世界との激闘史
(霧山昴)
著者 西花池 湖南 、 出版 河出書房新社
日本のプラモデルは世界中から注目されているようですが、それでも日本の厚いファンで支えられているようです。そして、プラモデルに戦前の日本やドイツの戦車や戦艦などに日本人の人気があるのは、ドイツではまったく考えられないという指摘には、はっと驚かされました。
実は、私も中学生くらいまでは兵器モデルを愛好していましたし、雑誌『丸』を読んで軍事知識を仕入れていたのです。同世代の津留雅昭弁護士(故人)も私と同じようなことを言っていましたが、私より格段の軍事オタクでした。しかし、それも世間に反戦・平和を愛好する人々が増えてくると、軍事モデルは退潮していったようです。
プラモデルが発展したのは戦後のことです。初めはアメリカで盛んで、ここでも日本はアメリカの物真似からスタートしています。
現在、世界の模型の三大市場は、アメリカ、日本、中国だ。日本の模型市場は、ずっと日本の模型メーカーが支配していた。ところが、今では中国やロシア、そして東欧の模型メーカーの製品が押し寄せている。ただし、日本では、模型市場を日本の模型ファンが支えている。しかも、コアなファンが実に多い。
日本には、世界が呆れ、憧れもする部厚いオタク層が存在し、彼らのキャラクターへの愛が模型市場を隆盛させている。
「ロボット鉄人28号」は1960年に売り出され、累計で500万個も売れた。
静岡には、今なお老舗のプラモデルの会社が4社もある。
戦車のタミヤが「パンサー」や「ロンメル戦車」を売り出し、人気を集めた。そして「怪獣」キャラクターものが全盛となった。
1966年(昭和41年)の「サンダーバード」シリーズは、日本のプラモデル史上空前のメガヒットとなった。私が高校3年生のころのことです。テレビで私も「サンダーバード」はみていました。ところが、ブームが去ると、模型メーカーが次々に倒産していったのです。
1975年(昭和50年)には、スーパーカー・ブームが起きた。最盛期には、月に200万個も売れた。
「宇宙戦艦ヤマト」は1983年(昭和58年)までに、テレビアニメ3本、映画4本がつくられ、10年ほど人気は続いた。私も、長男が大好きだったので、これはよく覚えています。
コンピューターによるCAD/CAMの時代になる前は、優秀な金型(かながた)職人がプラモデル生産を支えていた。
このように日本でコアのファンがたくさんいるとしても、それはたいてい40歳以上の層であって、少年ファンを取り込めていない。今では、男子小学生で模型をつくったことがあるのは、わずか5%ほどでしかない。模型をつくる子はかつてのように多数派ではなく、「変わった趣味」扱いされるようになっている。いやあ、そ、そうなんですか。世の中、ずいぶん変わりましたよね...。
日本のプラモデルの変遷を知ることができましたし、なつかしく思い出しました。
(2019年12月刊。1600円+税)
2020年4月10日
未完の時代
(霧山昴)
著者 平田 勝 、 出版 花伝社
全学連の輝ける委員長だった著者は、共産党の要請を受け、辛じて籍だけあった東大文学部生として東大闘争に関わるようになったのでした。
著者は駒場寮のとき寮委員長にもなっていますが、その寮委員仲間には東大学長にもなった政治学者の佐々木毅がいました。
著者は東大闘争について、安田講堂攻防戦ばかりが世間のイメージとして定着しているが、この安田講堂攻防戦は、東大紛争の本筋と解決する道からは大きくズレた、一部の孤立した学生の動きであり、大学への権力の介入を許しただけの妄動だったとしています。私も、まったく同感です。
2日間にわたる安田講堂攻防戦は、一日中、テレビで実況中継として放映され、大変な高視聴率でしたが、それこそ政府・自民党の狙うところでした。
東大闘争は七学部代表団と加藤一郎総長代行らの東大当局とのあいだで確認書を取りかわして決着しましたが、その成果は大きいものがありました。政府・自民党は、確認書をしきりに攻撃したのですが、東大当局は今に至るまで、一応、確認書は守ってきています。
東大闘争のなかで、全共闘とそのシンパの学生は、しきりに「自己否定」と言っていました。民青系が民主的インテリゲンチャ論を展開すると、全共闘はせせら笑っていたのです。
でも、全共闘のメンバーもシンパ層も、東大生をやめたというのは私の知るかぎり何人もいませんでした。そして少なくない人たちが権力に取り込まれ、企業戦士になっていきました。
「自己否定」という言葉からは、自己のありように対する厳しい自己反省を含む倫理的ニュアンスがある。しかし、全共闘の実際の行動からすると、自己否定の論理とは、そうしたものとは全く違って、言葉には酔っていたが、自己の感情を絶対化し、自己否定や自己批判を、暴力をもって他人に押しつけるという、むしろ「自己肯定」の論理に立つものであった。自分の感情にだけ「誠実」であればそれでよいのか、このように問いかけた東大の教官がいたが、そのとおりだと思う。
この分析も、私の実感にぴったりあうものです。
私のクラスにいた全共闘のメンバーもシンパも、「自己否定」どころか、自分を絶対視しているとしか私には感じられませんでした。
そして、さらに大きな問題は暴力の問題です。全共闘のメンバーやシンパだった人は、自分たちがひどい暴力を振るっていたことをあまり語りませんし、反省の弁を聞くことがほとんどありません。しかし、当時、全共闘に対峙していた側の一員だった私にとって、全共闘の暴力は決して見過すことのできない重大問題です。
もし全共闘が暴力をともなわない単なる論理の問題であったのなら、自己の内部にあるエリート性の否定としての「自己否定」であり、精神運動として一定の意味はあったと思われる。しかし、現実には、全共闘の論理には暴力がともなっていた。全共闘は暴力の魔力に取りつかれていたと思う。本当に、そのとおりです。
東大闘争が収束したあとしばらくして連合赤軍の「総括」の名のもとの大量リンチ殺害事件が発覚しましたが、全共闘の「敵は殺せ」という暴力の論理の行きつく先だったと私は思います。
全共闘のメンバーが万一「革命」に成功して政権を握ったとしたら、スターリンの恐怖政治、毛沢東による文化大革命発動という恐るべき悲惨な事態が日本でも起きたことでしょう。
全共闘の暴力に対して、無抵抗主義、ガンジーのような非暴力で対処するというのは、非現実的だったと著者は主張していますが、私も同感です。全共闘の暴力に対して、民青も「クラ連」も、そして多くの一般学生もヘルメットをかぶり、ときにゲバ棒をもって対峙して、全共闘の暴力を克服して確認書を勝ちとり、授業再開にこぎつけたのでした。
全共闘のシンパ層は、授業が実際に再開されると、なだれをうって授業に出席しました。私は、それが悪いというのではありません。学生として授業に出るのは当然だからです。ですから、せめて暴力を振るっていたことだけは反省してほしかったのです。
全共闘の暴力に対抗して、多くの東大生が立ち上がりましたが、それだけでなく「外人部隊」の応援も受けています。それは事実ですし、必要だったと思います。宮崎学の本に出てくる「あかつき戦闘隊」も実際に存在しました(あまりに誇張されすぎていますが...)。
また、共産党が大量のゲバ棒、毛布、弁当をはじめとして、大金を投入したのも事実のようです。それは政府、自民党、財界側からも同じように資金が投下されていたこととあわせて考えるべきものだと思います。
著者は東大闘争の過程で共産党の宮本顕治書記長から直接、闘争指導を受けていたことも明らかにしています。これまた、すでに活字になっていることでもあります。
最後に、この本は、民青を舞台とする「新日和見主義事件」に触れています。共産党は、この事件の詳細を明らかにしていませんが、民青の発展を大きく阻害した残念な事件だったことは間違いありません。私も70年代の遅くない時期に民主連合政府が実現できると信じて活動していましたので、それがぐーんと遠のいてしまったわけです。ただ、学生セツルメントが1970年代に急速に低下し、やがて消滅していったことは、「新日和見主義」事件とはまったく関係がありません。やはり、学生の質・関心に大きな変化があったのです。
いま、アベ政権に代わる政権を目ざしているなかで、反省材料の一つになる本だと思いました。貴重な歴史証言の一つとして私は一気に読みあげました。著者の今後ますますのご健勝を祈念します。
(2020年4月刊。1800円+税)