弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2021年3月21日

十の輪をくぐる


(霧山昴)
著者 辻堂 ゆめ 、 出版 小学館

「十の輪」って一体なんだろうと思っていると、二つの五輪、つまりオリンピックが二つ、1964年の東京オリンピックと2020年7月に予定されていた東京オリンピックのことでした。
1964年の東京オリンピックのとき、私は高校1年生で、10月にありましたが、テレビで見ていたという記憶はまったくありません。この本を読んで、大松(だいまつ)監督の指導による「東洋の魔女」チームがバレーボールで優勝したというのを思い出したくらいでした。
そして、2020年の東京オリンピックは2021年にコロナ禍のため順延になっていますが、コロナ禍が収束せず、ワクチンの手配も遅れているなかで、やれるはずもありません。そのうえ、森ナントカの女性蔑視発言は、オリンピック精神を遵守するつもりはまったくなく、ひたすら金もうけの機会をしかとらえていないハゲタカ利権集団によって貴重な税金がムダづかいされている姿をさらけ出してしまいました。医療・福祉で働く人々を置き去りにして、ゼネコンなどのためにオリンピック優先なんて、間違ってますよ。
ところで、この本は、福岡県大牟田市そして荒尾市が基本の舞台となっているのです。これには驚きました。主人公の一家が今すんでいるのは東京なんですが、認知症になった母親は荒尾出身で、その夫は三川鉱大爆発で亡くなったというのです。そのころ主人公は2歳で、新港(しんこう)町の炭鉱社宅に住んでいました。その前の三池大争議の話もエピソード的に出てきます。
大牟田・荒尾の方言も紹介されています。「きつか」(きつい)です。秋田は「こわい」、大阪は「しんどい」、そして、東京は「えらい」。
主人公の男性と娘はバレーボールに打ち込みます。男性は、妻とは大学生のとき、バレーボールを通じて知りあったのでした。そして、母親の猛特訓を受けてバレーボールにうち込んだのですが、一流選手になれる才能はないと見切ってスポーツ関連の会社に就職し、今では、年下の上司からパソコンの使えない無能な部下として、うとましく思われる存在になっています。ああ、なるほど、それってあるよね...、そんな展開です。
主人公の母親は、荒尾市郊外の農家の娘として、中学校を卒業すると、集団就職で名古屋の紡績工場につとめます。1956年(昭和31年)3月に荒尾駅から学生服姿の少年少女たちがSL列車に乗り込んだというのは、事実そのとおりだったと思います。私が大学生になった1967年ころも東京には東北地方からの集団就職の若者たちがたくさん来ていました。
主人公の母親は緑ヶ丘社宅が校区内になる荒尾第三中学校に通っていたという設定です。大牟田の中学校は私の通っていた延命中学校のように地名をつけていましたが、荒尾はナンバーで読んでいました(今も)。そして、お見合いの着物は大牟田の松屋デパートで買うのです。このデパートも破産して、今は広大な空き地のままになっています。
結婚相手の男性は、あとで酒乱のDV夫だという本性があらわれるのですが、明治小学校、白光(はっこう)中学校、「大牟田で一番優秀な三池高校」を卒業して、熊本大学工学部に進学したとなっています。なぜか、大学は中退して三井鉱山に就職し、晴れて職員になったものの、坑内で機械調査係員として働いているうちに三川鉱大災害で亡くなったという展開です。
私は、この「大牟田で一番優秀な三池高校」の出身です。私の同学年は東大に4人進学し、その前年も、あとの年も2人ずつ東大に入学しました。今では、志願者が定員より少ないという状況で、卒業生としては残念です。いろいろ原因はあると思いますが、反日教組の拠点高校になったのもその原因の一つではないでしょうか...。お隣の伝習館高校(柳川市)は、「叛逆」教師がいて裁判を抱えるほどもめていましたが、今では我が三池高校よりはるかに「優秀な」高校になっているのが現実です。
「羊のように従順な生徒たち」ばかりでは、発展性がないというのは、日頃たくさんの裁判官集団をみて、つくづく実感しているところです。
認知症で手の焼ける母親と主人公との葛藤が、掘り起こされていく過程は、実に読みごたえがあります。そこがメインテーマなのですが、そのネタばらしはやめておきます。
大牟田・荒尾に関心のある方も、ない方も、ぜひ、ご一読ください。
著者は東大出身の29歳の作家といいます。まったく脱帽するしかありません。
(2020年12月刊。税込1870円)

2021年3月19日

住むこと、生きること、追い出すこと


(霧山昴)
著者 市川 英恵 、 出版 クリエイツかもがわ

フランスでは冬の寒い時期には明渡の執行は法律で禁止されているそうです。ホームレスの人々が冬の路上で相次いで凍死したことから、それを防止するために法律が制定されたのでした。
日本でも、もっと住居の確保に力を入れるべきだと思います。少し前に、バスのベンチで寝ていたホームレスの女性が「目障り」だとして男性から殺害されたという事件が起きました。これもヘイトスピーチと同じように、現代日本から寛容の精神が薄れていることを象徴する事件だと思います。
この本は、借上復興住宅から居住している人々が追い出されようとしている現実について、そんなことを自治体がしていいのかと鋭く問題提起しています。
借上復興住宅とは、阪神・淡路大震災によって多くの住宅が全半壊し、復興住宅(公営住宅)の需要が高まったことを受け、被災自治体が直接建設し所有する住宅に加えて、URなど民間オーナーの所有する住宅を一棟または戸別に借り上げ、被災者に復興住宅として提供したもの。
神戸市は3805戸(107団地)を供給した。そして、この借上期間(20年間)の満了によって、居住者に対して、自治体が明け渡しを迫っている。今なお入居している人のほとんどは、年金暮らしか生活保護受給者。つまり、被災して自力再建が困難となった人たち。
ところが、20年たったから自治体の全部が居住者に明渡を求めているかというと、そうではない。宝塚市や伊丹市は、URと協議して全戸で入居を継続できるようにした。神戸市と兵庫県は80歳以上とか3つの条件を設定して条件に当てはまらない人だけに退去・明渡を求めている。ところが、西宮市は、無条件に全員退去を求める。このように自治体によって、対応が大きく異なった。恐らく首長の姿勢が反映しているのだろう。やはり首長がどっちを向いているかって大切なんですよね。大阪の維新の知事と市長のように、コロナ対策そっちのけで制度いじりばかりしているようでは本当に困ります。
住居や居住環境は福祉の基礎であり、安全性や構造だけでなく、住み続けることやコミュニティの維持も重要。
そうなんですよね。若いうちの引っ越しは苦もないことですが、年齢(とし)をとってからの転居は慎重に考えるべきです。住み慣れた我が家こそ心の安まるところ...、というのは真実だと、72歳になった私も実感として思います。
最近、フレイルというカタカナ語をよく見かけます。日本語に訳すと、「虚弱」という意味。これには、病気がちだとか、肉体的なものだけでなく、精神的なつよさも含まれるようです。身体的フレイルが3つのリスクを高める。うつも身体的フレイルのリスクを高める。
わずか90頁足らずの小冊子ですが、社会が敬うべき存在である団塊世代とその前の年金生活者の切実さを反映した貴重な冊子です。
(2019年1月刊。1200円+税)

2021年3月18日

どこまでやるか、町内会


(霧山昴)
著者 紙屋 高雪 、 出版 ポプラ新書

町内会長をつとめた体験にもとづく提言がなされていますので、とても説得力があります。著者は町内会はあったほうがいいというのが基本スタンスです。そして、ぜひ町内会活動を一度は経験してみてくださいと呼びかけています。生活の質が向上し、ひょっとしたら本業に役立つ新しいヒントが得られるかもしれないというのです。
町内会は、もともと任意加入であり、ボランティア。この原点にもどって、やりたい人がやりたいこと、できることをやるという、その程度の事業量に思い切って減らす。
まあ、口で言うほど実際にはなかなか大変だとは思いますが...。
分譲マンションには管理組合がある。これは区分所有法で義務づけられている組合で、強制加入団体。なので、マンションにある自治会が親睦団体であり、任意加入であるのとは、まったく違う。
管理組合は、資産としてのマンションの管理を目的としている。資産価値の管理のために管理組合は存在するものなので、自治会や町内会とは目的が違う。
ごみの収集は市町村の義務であって、町内会に入るかどうかはまったく任意。
行政から町内会への依頼は、年間1000件ほどもある。こりゃあ大変です。町内会は、行政からの依頼でない仕事もたくさんあります。
東京・中野区や横浜市では防犯灯のLED化にともない町内会の負担をなくし、自治体の負担だけにしている。
私の住む団地でも町内会に入らない人が増えて、入らない人の家の前にある街灯をはずしてしまうという話が出たことがありました。
「市政だより」などの行政の広報紙の配布も、今では町内会ではなく、行政がシルバー人材センターなどの業者を使って配布するところが多いようです。
行政区長は、公務員。なので、大宰府では行政区長に対して、年に70~230万円を支払っていたとのこと。しかし、福岡市は2004年に廃止している。
町内会の会計の私物化や横領というのも、実際によく聞きます。弁護士として相談に乗ったことが何回もあります。
私の住む団地も、ご多聞にもれず高齢化がすすみ、まず子ども会がなくなり、夏のラジオ体操や団地の夏祭り(盆踊り)がなくなりました。そして町内会が市の連合体から脱退しました。さらに老人会まで世話役の引退によって消滅してしまいました。
葬儀のときには昔は茶碗まで町内会でそろえて全員で対応していましたが、それもなくなり、今やゴミ出し当番が残っているだけになりました。それも、冬の朝、寒いのにいつまでやれるのかしら...、という心配な状況になっています。
町内会に悩む人向けの実務的な手引書になっている本です。
(2017年3月刊。800円+税)

 日曜日の午後、久しぶりに庭に出ました。いま、たくさんのチューリップが咲いています。まだ全開ではありません。朝、起きて雨戸を開けると、朝露にぬれて、トンガリ帽子のような花弁のチューリップに出会います。陽が昇って暖かくなると花弁は開いていきます。不思議なことに蜂はチューリップの花弁には入っていきません。蜜が少ないのでしょうか...。
 庭に出て雑草を抜いて、掘った穴に埋めていると、いつものジョウビタキがやってきました。ホントに1メートルほどしか離れていないところに止まって、「何してんの?」という感じなのです。とても可愛らしい、黄色と白のツートンカラーの小鳥です。もうすぐ北国に帰っていくと思います。
 2月に植えつけたジャガイモの芽が少しずつ伸びています。5月にはきっと美味しい新ジャガを賞味できることでしょう。楽しみです。
 というわけで、春はいいのですが、実は花粉症の季節でもあり、目が痛がゆく、鼻水すすってばかりです。何事も、いいことばかりではありません。

2021年3月10日

デジタル化する新興国


(霧山昴)
著者 伊東 亜聖 、 出版 中公新書

相変わらずガラケーですし、1日に1回も使えばいいほうの私ですが、さすがにメール(FB)は読んでいます。といっても、送信するのは秘書の仕事です。とてもあんなに速くは送信できません。ブラインドタッチなんて、考えただけでもうんざりです。私なんかにできるはずがありません。IT化には、うしろからボチボチついていくしかありません。
かつて多くの新興国が、固定電話を経ずに携帯電話に移行したように、いま銀行口座をとびこえてモバイル決済の利用が広がっている。
デジタル経済は巨大な価値を生み出した。2019年の夏時点(コロナ禍より前)で、世界企業価値乱金付上位10社のうち7社がIT企業。GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)にマイクロソフトを加えたアメリカ企業5社と、中国のアリババとテンセントの2社。コロナ禍のなかで、巨大IT企業への資金の集中の傾向はさらに強まっている。
ネットワーク端末は、2003年に5億台だったのが2010年に世界人口より多い125億台となり、2020年には500億台に達すると予測された。世界のインターネットユーザーは、7年間に16.6億人も増えている。このうち9割近い14.7億人はOECD諸国ではない。
中国は2010年に、日本の経済規模をこえて世界第2位の経済大国となった。このことは、世界経済に大きな構造変動をもたらした。
アフリカでは、銀行口座はもたないけれど、ケータイをもつ人々が通信会社の口座内にお金を預ける形で、モバイル・マネーが広がっている。
インドのデジタル化の中心を担うのは、生体人証のIDの発行と決済プラットフォームの構築。2019年12月時点で12億5千万人が登録ずみで、成人の95%がアダールIDを保有している。貧困層への補助金の直接給付の必要性、つまり中抜きされず、確実に補助金を本人に届けるためのものになっている。
アメリカの雇用のうち5割近く(47%)の人が、今後10年から20年のうちに自動化されるリスクがあるというレポートが発表され、注目された。これに対して、自動化されるリスクの高い職種は全体の9%にとどまるという報告もある。
また、技術革新によって、職が自動化される一方、新たにつくり出される職種や部門もある。たとえば、コンテンツをつくり出すクリエイターとしての能力。また、「ラスト・ワンマイル人材」も必要。
プラットフォーム企業は中立公正な立場に立つ存在ではなく、あくまでも市場競争を戦うプレイヤーである。
デジタル化の進展は、選挙活動にも影響している。トランプ陣営は、FBが保有する膨大な個人データを活用して、激戦州におけるトランプへの投票を「説得可能」な有権者1350万人を特定した。そのうえで、個々人の性格や信条に応じた宣伝をして、トランプへの投票を説得しようとした。
このように、過去には考えられなかった精度の個人情報を用いた介入が今では実行可能になっている。いやはや、本当に恐ろしい時代・世の中になってしまいました。だから私は、マイナンバーなんて嫌なのです。私がどんな存在であるのか、私以上に誰かが知っているなんて、想像しただけでも寒気がします。とは言いつつ、ネット社会には適応しないと生きていけないというのも現実です。困ってしまいます。
(2020年10月刊。820円+税)

2021年3月 9日

白い土地


(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社

あの3.11福島第一原発の事故から10年がたちました。もちろん、原発復旧工事は今も続いています。100年も200年もかかる仕事なのに、大変残念なことに多くの日本人が忘れてしまったかのようです。先日も大きな地震がありましたが、原発の怖さを多くのマスコミはスルーしていました。心配です。
その健忘症は裁判所のなかにもひろがっていて、ときに原発の危険性を自覚した裁判官がいるものの、大多数の裁判官は政府に育従するばかりで、決して自分の頭で考えようとはしません。目先の仕事に埋没してしまっているのです。
「白地」(しろじ)とは、帰還困難区域の中でも、特定復興再生拠点区域以外のエリアを指す。白地図に落とし込んだとき、そこには避難指示解除の予定日や感染の開始日が何も記されていない。つまり、「白地」とは、将来的にも住民の居住の見通しがまったく立っていない310平方キロメートルのエリアのこと。
福島県相馬市は全国有数の「馬の町」。ここは夏のはじめに開かれる祭礼「相馬野馬追(のまおい)」の町として名高い。市内で飼育されている馬は216頭。農耕用ではなく、「野馬追」のための馬であり、一般家庭で飼育されている。
福島県立相馬農業高校には馬術部がある。馬術は人ではなく、馬が戦う競技。馬術は減点競技。馬が障害のバーを一つ落とすと減点4。2度も障害を跳ぶのを止めると「失権」してしまう。
全国大会に相馬農業高校も出場した。首都圏の有名私立高校の馬術部員の多くは、英語科で、「夢は外交官」という高校生たち...。ここでは相馬農業高校は上位入賞はかなわなかった。
著者は朝日新聞の現役記者なのに、2017年秋から、なんと浪江町で新聞配達を始めた。浪江町で、たった一人で新聞配達している青年(34歳)とともに...。
浪江町は帰還した住民を490人と公表していたが、おそらく「虚偽」。そして、新聞を購読しているのは百数十人。実際には昼間だけ町内の畑や役所で働き、夜や週末には近隣市の「自宅」に帰ってしまう人々が少なくないのだ。
著者は新聞配達を半年間も続けた。それから、朝日新聞の全国面で15回にわたって「新聞舗の春」として連載した。すごいですね。とてもマネできません。浪江町長だった馬場有氏の取材の話もすごいです。
馬場町長は、ガンの闘病中で、自分の死が間近だと悟っていて、著者の取材に応じた。
東京電力(東電)は、原発事故によって避難を強いられた近隣の10市町村に一律2000万円の見舞金を贈った。しかし、浪江町は受け取りを拒否した。馬場町長は、人口2万1000人の浪江町では町民1人あたり1000円弱にしかならない。「一律」は「公平」ではない。
馬場町長は、自民党公認の県議として当選を重ねた「自民党」の政治家。
その馬場町長は、東電に対して紛争解決センターに慰謝料の見直しを求めて自治体が住民の代理人となって申立した。町民2万1千人の7割にあたる1万5千人が申立人になった。そして、紛争解決センターは、1人につき月10万円に5万円をプラスする和解案を提示したが、東電が拒否した。そこで、ADRは打ち切られ、町民109人が東電相手に裁判にふみきった。
馬場町長は、69歳で、現職町長のまま亡くなった。
3.11が決して終わった話ではないこと、「アンダーコントロール」なんて大嘘だということを実感させてくれる秀逸なルポタージュです。
(2020年10月刊。1800円+税)

2021年3月 6日

やとのいえ


(霧山昴)
著者 八尾 慶次 、 出版 偕成社

多摩ニュータウンをモデルとして、大都市近郊のひなびた農村地帯が都市化の波にさらされて変貌していく様子を美事な風景画で再現しています。
「やとのいえ」という「やと」は、なだらかな丘と谷があるなかで、浅い谷のことをいいます。
もちろん人々は農業を営んでいました。家は草(茅)ぶきです。村の人がみんなで共同作業します。燃料になる炭も自分たちでつくります。人々は農閑期に大きな目籠(めかご)をつくり、大八車(だいはちぐるま)に乗せて町まで売りに行きます。
大八車は私も見たことはありません。リヤカーなら身近にありましたが...。どうやら大八車のほうが車輪が大きいようです。どちらも二輪車ですよね、きっと...。
戦争中も、遠くの町が空襲にあって赤い空が燃えているのを遠くに眺めるだけですみました。いえ、兵隊にとられて戦場に行った若者はいたのです。戦後、平和になって、村祭りがにぎやかにおこなわれ、子どもたちも歓声をあげていました。
戦後は、ベビーブームとなり、若者も子どももたくさんいて村には活気がありました。
十六羅漢さんのある家に花嫁さんが迎えられました。お祝いに集まった人々は、みな黒紋付きです。一瞬、お葬式なのかと錯覚してしまいました。
ところが、1967年(昭和42年)ころから開発の波が押し寄せてきます。村人に札束攻勢がかけられました。遠くの丘にブルドーザーが入って、たちまち丘陵地帯がなだらかな平地となっていきます。開発途中で遺跡の発掘調査もありましたが、それがすむと、たちまちブルドーザー、ショベルカー、そしてダンプカーが走りまわるのです。
ついに1981年(昭和56年)ころには、大きな広い通りに面して巨大なアパート群が次々につくられていきます。もう、かつてここが緑あふれる田園地帯だったことを偲ばせるものは何ひとつありません。いえ、十六羅漢だけは幸い残されました。
ともかくすばらしい。こまやかな描写の絵に人々の昔、そして現在の生活が見事によみがえっていて、驚嘆してしまいました。都市化の波によって失われたものが大きいことを改めて痛感させられます。
(2020年8月刊。1800円+税)

2021年3月 4日

砂戦争


(霧山昴)
著者 石 弘之 、 出版 角川新書

全世界で高層ビルが次々に建てられていくなかで、コンクリートの原料となる砂が世界的に不足しはじめて、争奪戦が始まっていて、闇ビジネスが横行しているとのこと。ええっ、なんということでしょうか、信じられません。だって、世界中に大砂漠があちこちにあるじゃありませんか...。ところが、この本によると砂漠の砂はコンクリートの原料として使えないというのです。これはビックリ、です。どうして、でしょうか...。
砂漠の砂は、コンクリートの骨材として使えない。セメントに混ぜるには細かすぎるうえに、角がないために砂同士がからみあうことができない。そのため、セメントに混ぜても、コンクリートの強度が得られない。そのうえ、砂漠の砂には塩分含有量が多すぎる。海砂と同じように、アルカリ骨材反応を起こして建造物の強度や安全性が脅かされる。砂漠に植物が育ちにくいのは、水の不足だけでなく、塩分が多いため。
ドバイのような中東の湾岸諸国は、建設ラッシュが続いているけれど、ビル建築用の砂は、すべて海外からの輸入に頼っている。砂漠の国々が砂を海外から輸入する。このパラドックスは冗談でもなんでもない。いやはや、なんということでしょうか...。
世界の構想ビルのうち、300メートルをこえる超高層ビルは世界で178本もあるが、そのうち中国が88本を占めている。いやはや、これはすごいことですよね。世界中の超高層ビルの半数ほどが中国所有だったなんて...。
中国は年間25億トン近いコンクリートを消費している。そして巨大ビルの建設ラッシュによって、砂の需要は増え続けている。
ドバイの人口における自国民の割合は、白人が8%、外国人が9割以上を占める。
インドでは砂マフィアが暗躍している。砂マフィアは、インドの犯罪組織のなかでも、とくに強大。反対するジャーナリストやNGOの活動家、ときには取り締まる役人や警察官に対しても暴力をふるい、殺害もいとわない。インドでは、2020年までに48人のジャーナリストが殺害されたが、そのうちの44人は砂にからんでいる。
シンガポールは、政界最大の砂輸入国。そして周辺のインドネシア、カンボジア、マレーシアはシンガポールへの砂の輸出を禁止した。
ベトナムの砂埋蔵量は23億立方メートルで、あと十数年で枯渇してしまう。
再生プラスチックを道路舗装の砂の代替品として実用化されつつある。コンクリート中の天然砂の10%をプラスチック屑(くず)に置き換えると、年間8億トンの節約になる。
超高層ビルの4割が中国にある、その中国は年に25億トンものコンクリートを消費している。アメリカが20世紀の100年間に使ったコンクリートの総量は45億なので、中国の2年分でしかない。
世界中で巨大ビルの建設ラッシュが続くなかで、砂の需要は増え続けている。
地震国・日本で超高層ビルに居住して生活しようという人の気持ちが分かりません。少し前に川崎で超高層マンションの地下が水害にあって、エレベーターが止まり、水がストップしてトイレが使えないという事態がありました。どんなに近代的な設備にしたところで、電気と水道が止まらないという保障はまったくないのは明らかだと思うのですが...。
砂もいずれ枯渇するということ、すでに争奪戦が始まっていることを初めて知りました。
(2020年11月刊。900円+税)

2021年2月19日

県警VS暴力団


(霧山昴)
著者 藪 正孝 、 出版 文春新書

日本全国の暴力団員は最盛時に18万人いたのが、今は2万8千人になったとのこと。これには警察の取り締まりの成果も大きいと思いますが、それだけでもないようです。たとえば、暴走族は今ではほとんど見かけません。成人式での暴力的騒動も、すっかり影をひそめてしまいました。
北九州の暴力団「工藤会」とたたかってきた警察官による体験をふまえた暴力団取締の現場の話です。
工藤会が襲ったクラブ「ぼおるど」は、弁護士会の懇親会のあとの二次会の会場として、私も何回も行ったことがあります。
「ぼおるど」が襲われたのは平成15年8月18日(日)の夜9時すぎ。手榴弾が投げ込まれ、店の女性12人が重軽傷を負った。前年の4月には、営業中に糞尿をばらまくという威力業務妨害事件も起きていた。その店長も殺人未遂事件の被害者になった。「ぼおるど」は暴力団員の出入りを禁止する店であり、経営者は暴力追放に立ち上がった市民団体の代表をつとめていた(と思います)。
投げられた手榴弾はアメリカ軍の攻撃型手榴弾であり、たまたま不完全爆発したことで死者が出なかったけれど、完全爆発していたら何人か確実に死んだのは間違いない。うひゃあ、恐ろしい...。
「警察は命までとらないが、工藤会は命をとる」
これは怖いですね。実際、工藤会は漁協元組合長などフツーの市民を殺しています。暴力団担当の元刑事まで狙っていますから、やりたい放題でした。北九州は、ひところいわば無法地帯だったのです。
「ぼおるど」は、営業を再開したものの、実弾入りの脅迫状が送られるなどがあり、事件の翌月には休業し、ついに廃業に追い込まれてしまった。「逆らう者は許さない」という工藤会の目的は達成されてしまった。なんということでしょう。残念でなりません。これでひっこんでいたら日本の警察は顔がありません。
北九州市議会の議長宅、そして北九州県議会議員宅に拳銃弾が撃ち込まれる事件が相次いだ(平成16年1月から5月)。
工藤会が土木・建設業者からとっていたみかじめ料は、建築1%、土木2%、解体5%。
これは大きいですよね。大型公共工事は、全国どこでも暴力団と政治家がトータルで3~5%をまき上げていると言われています。ただし、昔からの「伝統」的な処理なので、警察が証拠をつかんで立件するのは難しいようで、これまた本当に残念です。
工藤会は平成10年に内部通達を出し、傘下の組員が警察と接触することを固く禁止した。違反したら破門・絶縁するというものだった。
暴力団を抜け出して、正業につくことを可能にする社会環境づくりも日本は遅れているように思います。どうなんでしょうか...。体験をふまえているだけに、とても説得力がありました。
(2020年5月刊。850円+税)

2021年2月16日

民主主義のつくり方


(霧山昴)
著者 宇野 重規 、 出版 筑摩選書

大変失礼ながら、学術会議の任命拒否問題があるまで、東大教授である著者を知りませんでした。略歴によると、私が大学に入った年(1967年)の生年なのです。私も、すっかり年齢(とし)をとってしまったというわけです。申し訳ありません。
著者は東大で法学博士を取得し、政治思想史、政治哲学を専攻していますから、古今東西の政治思想家が次々に登場し、論評が加えられるさまは、小気味がいい感じです。
さて、問題は日本に本当の民主主義はあるのか、育つのか、です。著者はその点、希望を捨ててはいけないという考えです。
現代日本社会においても、民主主義の「種子」(タネ)は少しずつ根を下ろしつつある。もちろん、その「種子」が今後も順調に発育をとげ、さらに相互につながって一つの「森」を形成するようになるかどうかは、予断を許さない。
未来とは、本質的に理解不能なもの。安易に未来を予測できるとする言説や理論のほうが危うい。未来とは、人間にとって本質的に他者なのだ。
現代のように「未来を見通せない時代」だからこそ、すべての個人が自らの信じるところに従って「実験」を行う権利があるというプラグマティズムの教えに希望がある。
みんながあきらめてしまって投票所に足を運ばなかったら、「種子」が「森」になるはずもありません...。ぜひぜひ、投票率を6割といわず、8割にまで上げたいものです。
この本は、民主主義への不信が募(つの)る現代にあって、あえて民主主義を擁護するために書かれている。自分たちの力で、自分たちの社会を変えていくことが、民主主義の本質のはず。誰かが何をやってくれることを期待しているのは、自らの運命を誰かに委ねてしまっていることを意味する。
近代政治思想史は、自己の熱い壁の内にこもった個人が、他者に依存することを何よりも恐れながら、それでも何とか共存をはかるための論理を模索してきた歴史であった。
習慣とは、定着・安定と修正・変化の両側面をともなった媒体である。
習慣は、まったく変化しないわけではなく、長い目でみれば、習慣は、つねに変化し、けっして同じ状態にとどまるものではない。社会に安定性をもたらし、社会の再生産を可能にするのは習慣である。
現代日本の各地で、新たな「民主主義の習慣」が生みだされていることに著者は注目しています。そして、その担い手は、地域社会に根ざした存在であること、若い世代に注目すべき新たな動きが生じているというのです。そんな新たな変革の「余地」は「ローカル」な場所に生まれ、存在しているという著者の指摘が生かされ、現実のものとなり、大きくなっていくことを私も大いに期待したいと思います。
難しい話なのですが、意外にも分かりやすい口調の本でしたので、スラスラと読むことができました。こんなすばらしい能力をもった学者を理由も示さずに学術会議のメンバーに任命拒否するなんて、スガ首相の罪悪はあまりにも大きいと改めて実感しました。
(2020年12月刊。1500円+税)

2021年2月10日

ロッキード疑獄


(霧山昴)
著者 春名 幹男 、 出版 KADOKAWA

ロッキード疑獄で田中角栄が逮捕されたのは1976年7月27日、私は弁護士になって2年目で、ちょうど、その日は東京地裁に行っていました。連行された場面を目撃したわけではありませんが、東京地裁と東京地検あたりに大勢の人だかりがしていて、マスコミ陣で一杯でした。田中角栄を逮捕し連行した東京地検特捜部の松田昇検事は、横浜修習のときの指導検事でした。それほどキレる検察官とは思っていませんでした(私に人を見る目がなかったということです、はい)。このあと、順調に出世されました。
なぜ、田中角栄が逮捕されたのかをアメリカと日本の関係からアプローチしている興味深い本です。600頁近い大作ですが、刑事裁判の法廷の前後、とても車中では足りずに喫茶店にしけこんで必死で一日のうちに読了しました。
田中角栄は受託収賄罪と外為法違反で起訴され、懲役4年の実刑判決を受けた。最高裁に上告中に75歳で死亡した。一貫して完全否認し通し、裁判は17年間かかった。
アメリカで、ロッキード社が保管していた秘密文書は5万2千頁。
アメリカは日本より書類がよく保存されているようですね。アメリカの弁護士は文書開示が有力な裁判戦術として駆使しているようです。日本では、すぐにシュレッダーにかけられ、それを誰もとがめることがありません。肝心の真相がヤミに葬り去られるというのは、残念ながら日常茶飯事です。
そして、この5万2千頁の資料のうち、東京地検特捜部が入手したのは、全体の5%ほどの2860頁のみ。これには驚きました。まあ、それでも、日本の検察は、なんとか大切な書類を入手していたわけです。
著者は、田中角栄の無罪を主張しているわけではなく、ロッキード事件の本当の主役は、日米安保関係の根幹に巣くう人脈であり、彼らこそが「巨悪」として糾弾しなければならないのだと強調しています。うむむ、なるほど、そうだったのか...と思いました。
田中角栄の金脈疑惑は、アメリカでウォーターゲート事件が問題になっていたころのこと。結局、ニクソン大統領は辞任することになったが、その4か月後に田中角栄も首相を辞任した。1974年11月のこと。私は、この年の4月に弁護士になりました。
田中角栄は政治家としての完全復活をなすべく動き出していたところに、ロッキード事件が勃発した。
ロッキード事件は、ニクソンが大統領を辞任したあとに発覚して大問題になったのだから、「ニクソンの陰謀」で事件が大きくなったというのではないことは明らか。
ロッキード事件では、田中角栄のお抱え運転手が自殺したが、アメリカでもロッキード社の財務担当副社長が、猟銃の銃口をこめかみに当て、引き金をひいて壮絶な自殺をとげている。
ロッキード社は「不正なカネの支払い」ではなく、キックバック(割戻金)だと嘘をついた。
アメリカ政府(国務省)内部では、田中角栄の名前が入った文書を日本政府(東京地検特捜部)に引き渡していいものか、真剣に議論した。キッシンジャーは開示積極派だった。
ピーナツもビーンズも、100個で1億円もする。なので、田中角栄に入ったのは5億円。
キッシンジャー(今も97歳で、死なずに健在のようです)は、「密使外交」の名手だった。キッシンジャーは、田中角栄について侮っていた。首相にはなれないだろうと、タカを括っていた。また、首相になったとしても官僚主導で大したことはできないと予測していた。もちろん、その予測は外れたわけです。
キッシンジャーは、田中角栄と話すたびに好感度を下げていった。
キッシンジャーは、田中角栄がすすめた「日中国交正常化」を「裏切り」だと怒った。日本側は、そんなことを夢にも考えていなかった。アメリカは、ホンネのところで、日本と中国の国交正常化に反対だった。日中国交正常化を先送りにしてほしかったけれど、アメリカの意向がマスコミにもらされたりして大きな話題になれば、アメリカにとって、かえって不利になるので黙っていた。
ニクソンとキッシンジャーは、田中角栄による日中国交正常化にいらだち、いろいろ言うようになった。しかし、日本側は、アメリカの強い不満をまったく理解していなかった。
ニクソンは、田中角栄について、「非常に生意気で、強硬だ」と言った。さらに、「日中に関していえば、日本は良き同盟国ではない」とまで言った。
ニクソンは、田中角栄と一緒にゴルフするはずだったのを、理由もなく止めた。
また、「日本は、経済大国ながら、軍事的かつ政治的には「ピグミーとして裸で立っている」とも言った。田中角栄は、ニクソンから「ピグミー」などと侮辱されたことに反発すらしなかった。これじゃあ、まったく日本はアメリカの植民地そのものです。
戦後の日本外交で、日本側が「ノー」と言って自主外交を貫いた側はきわめて少ない。吉田茂以来のこと。
田中角栄が首相を辞めたとき、キッシンジャーは喜んだ。
キッシンジャーは、中曽根についても、美化しなかった。「あいつは畜生だ。日本を軍国主義化する」と、評価するどころか、警戒していた。
ロッキード事件の本当の主役は児玉誉士夫、ダグラス・グラマン事件では岸信介。岸信介は、アメリカのCIAから潤沢の資金をもらっていたが、1987年に90歳で亡くなった。
岸信介に関する情報は、情報公開のすすんでいるアメリカのなかでも、今なおまったく資料が公表されていない。
当時のニクソン大統領とキッシンジャーは田中角栄のことが嫌いで、日中国交回復をアメリカの了解なしですすめたことから田中角栄には怒っていて、許せないと考えていた。
アメリカの戦略に「ノー」と言った田中角栄をアメリカは嫌うようになっていた。
要するに、自分の頭で考え、アメリカの言いなりにならないようなら、首をすげかえさせられるわけなんですね...。鳩山由紀夫元首相もそうでした。
キシンジャーは、田中角栄が検察から逮捕されてもかまわないと考えて、秘密文書を日本側に提供した。これは、間違いない。
ロッキード疑獄の謎が今一枚だけ晴れた気分です。児玉誉士夫や岸信介のような「黒幕」たち(その後継者たち)は、今ものさばっているのがくやしい限りです。その主要な原因の一つに低投票率があると思います。みんなもっと政治に関心をもち、不正について怒りの声を上げるべきではないでしょうか。
(2021年1月刊。2400円+税)

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