弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2019年4月18日
日米安保体制史
(霧山昴)
著者 吉次 公介 、 出版 岩波新書
辺野古の埋立を安倍政権が今なお強引にすすめていることに怒りと大いなる疑問を感じています。いったい、主権者たる日本国民(この場合は、直接の当事者である沖縄県民)の明確な意思に反して行政がすすめられてよいものでしょうか・・・。
県民投票で7割の埋立反対の意思表示を踏みにじっていいという根拠は何なのでしょうか。それほど、日本はアメリカに奉仕しなければいけないことになっているのですか。アメリカは日本を守るつもりなんてないと本人(アメリカ政府当局)が何度も明言しているのに、漠然とイザとなったらアメリカは日本を守ってくれるはずだという幻想に多くの日本人が今なおしがみついているようにしか見えないのはどうしたことでしょう・・・。
日米安保条約があるから日本の平和は守られているなんて、単なる幻想でしかないと私は考えています。この本は、日米安保条約とそれにもとづく安保体制の変遷を明らかにしています。
かつて沖縄には1000発以上の核兵器が配置されていた。1950年代に、アメリカ軍にとって沖縄は海兵隊と核兵器の拠点だった。
アメリカによるベトナム侵略戦争のときには、B52戦略爆撃機が嘉手納基地から直接ベトナムへ出撃していった。毎月350回も出撃した。
ところが、その後、アメリカの核戦略が変わり、地上配備型核兵器から、潜水艦搭載型核兵器へ重心が移り、沖縄から核兵器を撤去した。しかし、いったん有事の際には核兵器を自由に持ち込めるように佐藤首相とニクソン大統領は「沖縄核密約」をかわした。にもかかわらず、佐藤首相は表向きは核抜き返還をアメリカから勝ちとったなどと宣伝し、ノーベル平和賞まで受賞するに至った。日本の首相は今のアベと同じく昔からとんでもない大嘘つきだったのです。
日本に駐留しているアメリカ軍は日本政府から至れり尽くせりの厚遇を受けている。高速道路だって無料ですよね。その典型が悪名高い「思いやり予算」です。当初は、一時的なものだと説明され、年に62億円でした。しかし、恒常的なものとなり、今では年間5000億円ものアメリカ軍駐留経費を負担しています。
日本って、本当にお金持ち国家なんですね。これだけのお金を大学生や司法修習生の奨学金にまわしたら、日本の将来も前途洋々たるものになると思いますよ・・・。
いま、アベ首相はアメリカに追従するだけで、韓国や中国とますます冷たい関係にあります。北朝鮮ともろくに話し合いもしていないため、拉致問題の関係も遠のくばかりです。
著者は、アメリカ軍の権益と日本の対米協力の拡大を追求するだけの安保体制のあり方は考え直す必要があると提言しています。まったく同感です。
辺野古の埋立をどんなに強引にしたって普天間基地がなくなることなんてない、このことを私たちはきちんと認識すべきです。そして、そろそろ安保条約そのものをなくすべきではないでしょうか・・・。
(2018年10月刊。860円+税)
2019年4月 9日
東大闘争って何だったの?
(霧山昴)
著者 神水 理一郎 、 出版 しらぬひの会出版部
今から50年も前に東大で起きた騒動について真実を明らかにしようとして書かれた冊子です。わずか36頁の冊子ですが、貴重な現場写真が何枚も紹介されていて、東大全共闘に味方する立場で書かれた本が、いかに事実に反するものであるかが証明されています。
東大全共闘の暴力(蛮行)を擁護する人は、共産党直属の「あかつき部隊」に敗北したと喧伝(けんでん)しています。しかし、衝突現場を写した写真には「短いカシ棒を持ったあかつき部隊」のようなものはどこにも見あたりません。ヘルメットをかぶっていても手には何も持たない学生が必死に身を寄せあって全共闘の角材から身を守ろうとしている様子がそこにあります。
駒場寮食堂内での代議員大会での採択状況をうつした写真もあります。寮食堂内は500人ほどの代議員で埋め尽くされています。このとき舛添要一も立候補し、あえなく最下位で落選しました。舛添は無原則スト解除派だったので、学生の支持を得られなかったのです。
この代議員大会を全共闘の暴力から守るため、駒場の教官が素手で座りこみ、手を広げて全共闘を阻止している感動的な写真があります。
駒場寮の屋上での代議員大会の写真もあります。代議員はノーヘル、周囲の防衛隊員はヘルメット姿です。
私のクラスにいた全共闘の強固なシンパは当時、「東大解体」に共鳴していたはずなのに、東大教授になりました。同じく、日本革命を志向していたはずの全共闘シンパは、日本を代表する鉄鋼メーカーの社長になりました。いずれも、おそらく「若気の至り」とか、「若いときの誤ち」だと「総括」しているのでしょう。
でも、全共闘が学内で傍若無人に暴力をふるっていたことを真摯に反省しているとは思えないのが残念です。と言いつつ、かつて全共闘支持で動いていた人のなかにも、今なお真面目に社会のことを考え、少しでも人々が暮らしやすい平和な社会にしたいと思って活動している人が少なくないことも、今では私も承知しています。
そんなほろ苦い思い出のつまった冊子でもあります。
(2019年4月刊。1000円+税)
桜の花が満開となり、わが家のチューリップも全開です。今年は早々にアイリスの花が咲いて、ジャーマンアイリスもつぼみが出来つつあります。アスパラガスを2日か3日おきに2本、3本と摘んで、春の香りを楽しんでいます。2月に植えたジャガイモも少しずつ伸びはじめました。ウグイスもすっかり歌が上手くなって、澄んだ音色を響かせてくれます。今年は、わが家から直線距離で100メートルほど先に巣をつくったカササギのつがいが庭にもよくやってきてくれます。
先日は、夜道をひょいとイタチが横切りました。花粉症はだいたいおさまりましたが、椎間板ヘルニアに悩まされています。華麗なる加齢現象のようです。
2019年4月 5日
候補者たちの闘争
(霧山昴)
著者 井戸 まさえ 、 出版 岩波書店
今の日本で、政治家になりたいと言う人が一定数いるという現実があるのが、私にはちょっと理解しがたいところです。
トップがアベシンゾーのようなペラペラと意味の乏しいコトバをまき散らす人物なので、それなら自分だってやれると思うのでしょうか・・・。何らかの政策と信念を実現すべく政治家になりたいというヒトばかりであってほしいものです。
小池百合子の希望の党で候補者となれたのは、政治家としての資質や地道な活動というよりも「勝てるか否か」だった。
現在の日本で、女性政治家が立身出世するロールモデルの一つは、たとえば極端な右傾化をし、背伸びして男性並みの発言をすること。たとえば、女性への偏見・差別の問題について、男性擁護の発言をする。女性が女性差別などないと発言すると、それだけで重宝がられるので、さらに過激化する。
男性では発言しにくい慰安婦問題で、ネトウヨの主張にそった内容で女性が発言することで重宝がられる。
杉田水脈は、そのような「立身出世コース」に乗っている。稲田朋美もまた、それによって身の丈にあわない役職に抜擢され、失速した。杉田水脈は日本維新の会で衆議院議員に初当選し、その後、次世代の党、日本のこころと政党を移りながら、根拠のないネトウヨ的発言を繰り返し、名を売り、仲間を増やしていった。
選挙に出られるのならば、どの党でもいいという人は少なくない。自民党でも、民主党でも、希望の党でも、立憲民主党でも、選挙に出られたら、どれでもいいという人は意外に多い。
人を裏切るのは平気。ウソをつくのに何のためらいもない。これが出来ないような人は、この世界では生きのびることが出来ない。
いやはや、政治の世界とは、かくもおぞましいところなのですか・・・。
そうすると、なおさら小選挙区制の弊害は大きいということになります。中選挙区制だと、何人かの議員のなかには少しはまともな人もまぎれ込める可能性があるからです。一選挙区に1人だと、権力に弱いかお金のある、おかしな人しか議員にはなれないでしょう。
そして、高額の供託金と没収制度も、出たい人より出したい人を出せなくしています。
日本の選挙の現状を内側から、つまり候補者の側から、かなりあからさまに暴露している面白い本です。
(2018年12月刊。1700円+税)
2019年3月28日
老いた家 衰えぬ街
(霧山昴)
著者 野澤 千絵 、 出版 講談社現代新書
全国の空き家予備軍率ランキングは、九州でいうと1位が北九州市門司区、2位は別府市、3位が薩摩川内市だそうです。
空き家については、所有者自身、対応したくても対応の難しいケースが非常に多く、所有者だけを責めるのは酷なケースが多い。その事情は、所有者が高齢で資金的に困窮している、判断を下すのが困難、相続人同士で意見がまとまらない、何代も相続登記していないので所有者である相続人が多数になって身動きがとれないなど、さまざまだ。
戸建ての4戸に1戸がすでに「空き家予備軍」になっている。
空き家をもっていると、コストがいろいろかかる。同じく、分譲マンションで空き住戸となると、戸建てに比べて、保有コストの負担が重い。
相続放棄しても、相続しなかったはずの空き家についての財産管理責任がある(民法940条)。つまり、空き家を放置していて、ちょっとした強風で屋根瓦が吹き飛んで通行人をケガさせたとき、賠償責任が問われることがあるのです。
地方自治体に空き家を寄付して責任を逃れようと思っても、自治体は政策として明確な使用目的がなければ不動産の寄付を受けつけることはしない。
埼玉県内では、空き家の庭にシュロが植えられていることが多い。それは、1960年から70年代にかけての南国ブームのなかで、各家庭でシュロを植えることが流行していたから。そして、空き家になった庭にシュロだけが相変わらずぐんぐん成長しているということ。
分譲マンションにも所有者不明問題は蔓延しはじめている。
相続放棄の受理件数が増えて、2016年には20万件近くになっている。1085年には4万6千件だったので、30年間で4倍になった。
相続人がいない財産は最終的には国庫に帰属することになっている。したがって、国庫に帰属した相続財産は2014年に434億円、2015年に421億円。ところが、不動産のまま国庫に帰属したのは、2014年に32件、2015年に37件しかない。
つまり、きわめて例外的な場合を除いて、実務上、国が不動産のまま引き受けることはほとんどない。
この本で、著者は「住まいの終活」を提唱しています。確かに住居についても、どうするのか、あらかじめ考えておくべき時代に既になっているように思います。
実務的に大変勉強になる本でした。
(2018年12月刊。840円+税)
2019年3月27日
メルカリ
(霧山昴)
著者 奥平 和行 、 出版 日経BP社
私はネットショッピングはしませんし、する気もないのですが、私の依頼者にはネットショッピングを担当する人が3人います(正確には、うち2人は疲れてやめました)。ですから、ネットショッピングの苦労は話としては聞いているのです。
スマートフォンを使って個人が物品を売買するフリマアプリの市場を、わずか5年で築き、かつて「ベンチャー不毛の地」とさえ呼ばれた日本で、企業価値の評価額が10億ドル(1100億円)を上回るというユニコーン企業。それがメルカリだ。
この本は、メルカリがスタートするまでの苦難の歴史を紹介しています。初日は、わずか400しかダウンロードされなかったとのこと、信じられません。ところが、1年後には500万になったのです。これまた信じられない数字です。
そして、その背景には何億円もの大金を投資してテレビ・コマーシャルを展開していて、その成果だというのです。となると、ベンチャー企業に先行投資してくれるスポンサー探しがとても大切だということになりますよね・・・。
2015年6月に1700万のダウンロードだったのが、1年後に3300万、さらに翌年には5500万。そして2018年6月の新規上場の直前には7100万になった。日本国民の半分以上が使ったアプリだということ。
メルカリの月間利用者は2014年8月ころに80万人だったのが、2018年2月ころは1030万人となった。流通総額も80億円から930億円に増えた。
メルカリは、売り手から販売価額の10%を手数料として徴集している。2018年3月までの9ヶ月間の連結売上高は261億円だった。
メルカリは、買い手ではなく売り手をつかんだ。たとえば、気に入ったドレスを購入して結婚式やパーティーで着て、終わった直後に売却する。すると、購入したときとあまり違わない価格で処分できる。必要なのは、クリーニング代と送料だけ。レンタルするよりも安い。そこで、若い女性は、再販を前提として、きれいに使い、購入したときのタグを捨てずにとっておく。
これまでのアプリは、販売と購入の双方に焦点をあてていたが、メルカリは販売に焦点をしぼった。メルカリの本質は売るアプリなのだ。
なーるほど、世の中はそうなっているのか・・・、そう思いました。
(2018年11月刊。1600円+税)
2019年3月24日
独楽の科学
(霧山昴)
著者 山崎 詩郎 、 出版 講談社ブルーバックス
世界コマ大戦なるものがあるそうですね。初めて知りました。
形もサイズも重さも、さまざまなコマが紹介されています。
そう言えば、地球だって大きなコマなんですよね・・・。
地球は半径6400キロメートル、重さは6×10の24乗キログラムという巨大なコマ。日本に美しい四季があるのは、回転軸が変わらないコマの性質による。我々は、まさに巨大なコマの上で一生を過ごしている。
通常、コマは1秒間に30回転ほどの高速回転をしている。
全日本製造業コマ大戦のルールは、直径は2センチ以下で、高さは6センチ以下。これだけ。サイズの制限があるだけで、材質や重さ、形状はすべて自由。
そして、コマは片手の指で回します。勝負は、コマが倒れたら負け、コマが土俵の外に出たら負け。ただし、相手が存在するけんかゴマ。倒れにくいコマ、土俵のなかで倒れずに回り続けるコマが勝つ。
高すぎるコマは、重心が高くて回転が遅く、すぐに倒れてしまう。
低すぎるコマは回転の勢いが得られず、相手のコマに止められて倒れてしまう。
高さ1センチ以下のコマが生き残りやすい。
人間の手の動きの早さには限界があるので、太すぎる軸は高速で回せない。少し太いと感じるほどの5~7ミリの軸が良い。
軽量型コマには、決定的な弱点がある。常に相手のコマの回転方向の逆をとらないと勝てない。
逆回転するコマは、同じ回転速度になる。
軽量型コマが勝つ理由は、低速回転時の安定性による最後の粘りにある。より軽量で、かつ、より低重心である必要がある。
生卵をまわしても、中身が動くので重心が不安定なため、うまく回転しない。ゆで卵は、思いっきり高速で回転させると、自ら縦に立ち上がる。
回転によるジャイロ効果を利用したジャイロコンパスの発明によって、方角を正しく知ることができるようになった。小型化されたジャイロセンサーが、ケータイやドローンに搭載されている。
大きな世界の銀河系から、小さな世界のスピンまで、世の中には回転しているものや、回転に関係するもので、みちあふれている。すなわち、世界はコマからできていると言っても過言ではない。
私も小学生のころは、よくケンカゴマをしていました。ひょいと放りなげて、相手のコマの上に乗せるのです。どちらが長く回転するのかを競うゲームです。
面白いコマの世界を少しだけのぞいてみた気分に浸りました。
(2018年11月刊。1000円+税)
2019年3月13日
まなざしが出会う場所へ
(霧山昴)
著者 渋谷 敦志 、 出版 新泉社
一瞬、目をそむけたくなる写真があります。でも、現実から逃げるわけにはいきません。この一瞬にも、世界中に戦争が絶え間なく、飢えで死んでいく子どもたち、病気にかかっても十分な治療をうけられずに亡くなる人々がいます。そして、なんと多いことか・・・。
いま、日本の首相は国会も含めて、あちこちで、ウソを高言して、はばかりません。あたかも世界と日本の平和を守るために安保法制法がすぐにも必要だと言っていましたが、安保法が成立しても悪いほうに事態が動いているだけではありませんか。トランプに押しつけられたアメリカの高額兵器の爆買いなんて、とんでもありません。そのうえトランプがノーベル平和賞をもらえるようアベ首相が推薦しただなんて、まさに白昼に悪夢を見ている思いです。
著者は高校2年生、17歳のとき写真家になると決意したとのこと。それから26年たっています。本当に写真家になってしまったのです。その苦難の歩みを撮った写真とともに紹介している本です。
著者は大学生のとき、ブラジルに留学し、サンパウロにある日系の法律事務所に研修生として入った。そして、30日間のブラジル縦断の旅に出た。日本に戻ったあと、今度はアメリカはサンフランシスコでソーシャルワークの仕事をはじめる。
日本に帰ってからは大阪の釜ヶ崎に入りこんだ。1泊600円の個室。3畳1間に布団一枚。掛け布団はじめっとして重く、かぶるのをためらうほど黄ばんでいる。
大学を出て、国境なき医師団の随行カメラマンとしてアフリカに渡る。
外は10分も歩くと息苦しくなる暑さで、水をいくら飲んでも小便が出ない。
アンゴラ難民。極度にタンパク質が不足すると、お腹が膨らみ、手足が腫れる。外から入る栄養がないので、体が自分の体を食べて破壊している。ここまで重症化すると、「はいどうぞ」と食事を与えたら、助かるというより、逆に命とりになる。長時間の飢餓状態によって体内の消化機能は壊され、食事を受けつけない身体になっているから。免疫システムも十分に働いていないため、簡単に感染症を引き起こし、途端に重症化するリスクもかかえている。そして、もし治療がうまくいったとしても、なんらかの障害が残って成長の妨げになる可能性が高い。
写真家として食べていけるというのは至難のことだと思います。居酒屋でのアルバイトで食いつないでいたこともあるといいます。
それでも写真の訴求力というのは大きいですよね。想像力を大いに刺激します。こんな大切な仕事をすでに26年間もしてこられたことに、私は著者に対して心から敬意を表します。
買って読むべき本だと思います。ぜひあなたも手にとってみてください。世界各地の重たい現実の一端に触れることができます。
(2019年1月刊。2000円+税)
3月も半ばとなり、すっかり春めいてきました。わが家の庭に、例年どおり土筆が可愛い顔をのぞかせ、チューリップも咲きはじめて、300本のチューリップが咲きそろうのも間近となりました。2月に始まった花粉症はこのところ少し落ち着いていて、夜はぐっすり眠れます。ところが、なんと坐骨神経痛に悩まされています。右のお尻から膝下までピリピリ痛いのです。しばらくすると嘘のようにおさまるので助かりますが、脊柱管狭窄症ではないかと私を脅す人もいたり、要するに華麗なる加齢現象だと言う人がいて、年齢(とし)はとりたくないものです。
2019年3月 9日
珈琲の世界史
(霧山昴)
著者 旦部 幸博 、 出版 講談社現代新書
私は喫茶店でホットのカフェラテを飲みながら原稿を書くのを習慣の一つにしています。適度な騒音に囲まれながらの執筆のほうが集中して作業がはかどります。もっとも、隣でおばさんたちの面白い世間話だと気が散ってしまいますけれど・・・。
世の中にコーヒーって、こんなにたくさん種類があって、それぞれ歴史があったのですね・・・。
コーヒーは、コーヒーノキというアカネ科の植物の種子(コーヒー豆)からつくられる飲み物。コーヒーは全世界で1日に25億杯のまれている。水、お茶(1日に68億杯)に次ぐ世界3位の飲み物。1杯あたり、お茶は2グラムに対し、コーヒー豆は10グラム。フィンランドは1人1日3.3杯、アメリカは1.2杯。日本は1杯。
コーヒーノキは、アフリカ大陸原産の常緑樹木熱帯産なので寒さに弱い。
最大生産国のブラジルが世界の3分の1を占める。次いで、ベトナム、コロンビア、インドネシアと続く。アラビア種とロブスタ種、そしてリベリカ種の3種がコーヒーの3原種。アラビア種が世界の生産量の6~7割を占める。残る3~4割はロブスタ種。
17世紀後半のイギリスでは、人口50万人のロンドンに3000軒ものコーヒーハウスが立ち並んでいた。市民が政治談議をし、世間話をする交流の場だった。ところが、当時のコーヒーハウスは女子禁制だった。
フランスはイギリスより少し遅れて17世紀後半にカフェが始まり、18世紀はじめには、人口50万人のパリに300軒のカフェがあった。フランス革命直前の1788年には人口60万人のパリに1800軒のカフェがあった。フランス革命はカフェに始まったと言える。
アメリカの南北戦争のころ、北軍では兵士に戦地でコーヒーが支給された。南軍のほうはコーヒー不足のため、タンポポの代用コーヒーを飲んでいた。
戦争のときは、戦地での眠気防止や疲労感の軽減に役立つということで、前線の兵士にコーヒーが支給されていた。コーヒーの覚醒と興奮作用を軍が利用したわけである。香りや温かいものを飲むという行為が兵士にとって貴重な安らぎとなり、ストレス軽減につながった。戦争とコーヒーが結びついていたというのは悲しいことですね。
江戸時代、大田南畝(蜀山人)がオランダ人の船でコーヒーを飲んだことを書いています。そこでは「焦(こ)げくさくて、味わうに堪(たえ)ず」という感想を残しています。たしかに私にとっても、子どものころのビールと同じで、苦いばかりで、まずいと思ったものでした。
私の大学生のころ(1967年に大学にはいりましたので、50年前のことです)は、喫茶店に入ると、コーヒー1杯で最長5時間ほども話し込んでいました。それでも幸いにして追い立てを喰うことはありませんでした。おおらかな時代だったのです。
今度、スタバが高級コーヒーを売り出すとのこと。いくらでしょうか。また、原稿書きできる環境ではあるでしょうか・・・。コーヒーは今や、なくてはならない存在です。
(2017年10月刊。800円+税)
2019年3月 5日
自衛隊イラク日報
(霧山昴)
著者 志葉 玲(監修) 、 出版 柏書房
イラクに派遣された自衛隊員が生活の様子そして任務遂行状況を書きつづった「バグダッド日誌」と「バスラ日誌」を収録した本です。伏せ字がたくさんあり、もどかしい思いにも駆られますが、現地での自衛隊員のホンネもうかがえて、それなりに興味深い内容の日誌です。
陸上自衛隊は2004年1月から2006年7月まで、現地の復興支援を口実としてイラクに派遣されていました。この期間に陸上自衛隊官がのべ5万5600人、航空自衛隊官がのべ3600人派遣されました。陸自は主に学校や道路の修復、空自は陸自隊員や多国籍軍兵士(中心は米兵)、物資を空輸する活動を担いました。
この「日報」は、いったんはなかったことにされたものの、ついに2018年4月、防衛省は435日分のイラク日報を一部黒塗りして公開したのです。
全体として膨大な日報ですから、解説なしでは読みにくいものです。幸い、親切な解説がついていて、背景状況などがよく分かります。
「バスラ日誌」には、基地がロケット弾などで攻撃されている状況が何度も登場してきます。自衛隊員の死傷者が出なかったのは奇跡みたいな話です。
「ロケット弾3発、攻撃10回目。23発目」(2006年4月5日)
イラクから平和な本国に帰還した米兵が再びイラクの戦地に戻って来る心理も紹介されています。
イラクの壮絶な日々と帰還後のアメリカでの平穏な生活にギャップを感じ、また、その感覚を周囲の人間からあまり理解されないことから、せっかく生きて帰還したにもかかわらず、再びイラクでの任務につく米兵も多かった。
「自分が存在する価値を自分自身で確認でき、かつ、それを認めてくれる仲間たちがいる場所」
ヘリコプターは、気温があまりに高いと(たとえば52度以上)飛べなくなる。
イラクでは毎日のようにテロが起こり、爆弾や銃撃によって何人もの人が日々殺されている。
石油産出国であるのに、国民が石油を手に入れることもままならず、電気も1日数時間の供給しかなくて、子どもたちは安全できれいな水を飲むことも難しい状況に置かれている。
サマワの陸自イラク派遣部隊がサドル派など一部の勢力からは敵視されていたものの、他の有志連合諸国の軍に比べて高感度が高かった理由は、復興支援活動に専念し、「イラク人を殺さなかった」ことに尽きる。サマワは、イラクの他の地域に比べて治安が良く、リスクがきわめて低かった。
解説者は、もっとも重要な時期のイラク日報がまだ公開されていないこと、航空自衛隊の日報が3日分しか公開されていないことを厳しく指摘しています。
2004年10月、イラクの自衛隊野営地への攻撃は甚大な被害を出しかねないものだった。また、航空自衛隊は、その6割以上が米兵などを戦地へ運び、また銃器を輸送していた。つまり、日本は、米軍のパシリ役でしかなかった実態が隠されたままなのです。
それでも、2008年4月の名古屋高裁の判決は、航空自衛隊のイラクでの活動は憲法違反だと認定したのでした。すごい勇気ある判決です。
650頁もある部厚さにひるむ心をおさえつつ、ざっと読みで完読しました。
(2018年9月刊。1700円+税)
2019年2月28日
寒川セツルメント史
(霧山昴)
著者 寒川セツルメント史出版プロジェクト 、 出版 本の泉社
私は1967年(昭和42年)4月に大学に入ると同時に川崎セツルメントに入り、4年間近くセツルメント活動に没頭しました。セツルメントなんて言葉は聞いたこともありませんでしたが、なんとなく目新しいものを感じましたし、なにより新入生歓迎会に参加すると元気な女子大生がたくさん参加していて大いに心が惹かれました。同じころ、ダンスパーティーにも参加したことがありましたが、踊れませんし、歌えもしませんので、気遅れしてしまいました。セツルメントでは話し込めるというのも魅力でした。
セツルメントとは、イギリスで知識階級の人々が貧民街へ定住(セツル)し、労働者階級とともに生活改善をおこなった運動。施しではなく、自活する術を身につけられるように労働者教育を行った。
最近の映画『マルクス・エンゲルス』をDVDでみましたが、19世紀の産業革命によって労働者階級が誕生したものの、その貧困と窮乏が激しくなっていきました。そのころ、大学教授たちが労働者の住む町へ出かけて労働者や夫人に教育を与えていく活動を展開していったのが大学拡張運動(セツルメントハウス・ムーブメント)でした。セツルメント運動の父は、かのトインビーです。トインビーホールが学生たちによって各地につくられました。
イギリスのセツルメント運動はやがて欧米諸国に広まり、移民の多いアメリカでは数多くのセツルメントハウスがつくられ、医療・教育・芸術まで多様な活動がすすめられた。
寒川セツルメントについては、私も全セツ連大会で何度も名前を聞いていましたし、全セツ連書記局を支える有力なセツルでした。寒川セツルメントは、1954年、千葉大学医学部の社会医療研究会(社医研)から誕生したサークルです。
寒川セツルメントは1960年代、70年代には100人以上のセツラーをかかえる大サークルで、全セツ連に毎年、書記局員を送り出し、全セツ連を支えた。ところが、1980年代にはいってセツルメント運動は退潮して、全セツ連は消滅し、1987年に寒川セツルも全セツ連から脱退した。1989年に子ども会サークルに名称を変更し、今も存在している。
この本は、1954年に生まれ、1989年まで存在した寒川セツル35年の活動を振り返ったもので、大変貴重な戦後史になっています。これに匹敵するものとして『氷川下セツルメント史』(エイデル研究所)があります。残念ながら、私のいた川崎セツルメントは、私の『星よおまえは知っているね』(花伝社)と『清冽の炎』(花伝社)があるだけで、類書はありません。
『氷川下セツルメント史』には、70年代以降のセツルメントがどうなったのかの解明が課題としていますが、今回の『寒川セツルメント史』では、70年代以降もきちんと明らかにしています。
セツルメント活動は、うたごえ運動と結びついていました。「地底の歌」や「子供を守るように」など、よく歌をうたいました。合宿するときには総括文集とあわせて歌集を印刷してもっていったものです。地域の現実を見つめながら、私たちは自分を語りました。そして、社会変革と自分の生き方とのかかわりも考えました。それは決して、地域の人々を踏み台にするものではなく、地域の生活に触発されて問題意識をとぎすまされたということができます。そのなかで生まれた仲間意識はとても強く、心地よいものがありました。
貴重な資料を満載した400頁の本です。かつてセツルメント活動に関わった人も、そうでない人も、セツルメントって何だろうと疑問に感じている人にも、ぜひ読んでほしい本です。
(2018年12月刊。2500円+税)