弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2018年7月 6日

日報隠蔽

(霧山昴)
著者 布施 祐仁 ・ 三浦 英之 、 出版  集英社

アフリカの南スーダンへ自衛隊が国連PKOとして派遣されていたときの日報が実際には存在するのに廃棄されたとして防衛省が隠蔽していた事件をたどった本です。
この隠蔽が明るみになったことで、防衛省は、稲田朋美大臣、岡部俊哉陸幕長、黒江哲郎事務次官というトップ3人がそろって辞任せざるをえませんでした。前代未聞の不祥事です。
ことの深刻さは、単なる贈収賄事件の比ではありません。要するに、戦前の日本軍と同じ体質、国民に真実を知らせず、嘘をつき通そうとする体質が暴露されたという恐ろしい事件です。では、いったい自衛隊が南スーダンで直面していた事態とは、どんなものだったのか、それが今も日本国民に十分に知らされているとは思えません。
すなわち、南スーダンでは、武力抗争、石油資源をめぐる利権争いから内戦状態だったのです。すぐ近く(100メートルとか200メートルしかありません)まで、戦闘が続いていた。戦車や戦闘ヘリまで出動していて、4日間で300人もの戦死者が出るほど激烈なものだった。
それで、野営地にいた自衛隊の派遣部隊の隊長は、女性隊員もふくめた400人の隊員、全員に武器と弾薬を携行させ、各自あるいは部隊の判断で、正当防衛や緊急避難に該当する場合には撃てと命令したのでした。つまり、2014年1月の時点で、自衛隊は南スーダンで発砲する直前までいっていたのです。ところが、このような深刻な事実(状況)は、日本国民にまったく知らされませんでした。
むしろ現場に派遣された自衛隊の幹部は真相を隠蔽したくなかった。真相を伝えたくなかったのは、日本にいるトップの指導部です。国会(国民)対策上、真実が知られたら困るという「大本営発表」と同じように考えたわけです。
ところで、自衛隊員が本当に現地で発砲できただろうかという問いかけもなされています。発砲する相手は、どんな「敵」なのか、それは、14歳から17歳の少年兵、軍服も着てなくてTシャツにサンダル姿の少年兵たちがカラシニコフ銃を連射しながら襲ってくる、そんな状況を目の前にして日本の自衛隊員が銃の引き金を引けるか疑わしいという指摘です。私も、その通りだと思いました。ただでさえ、人を殺すというのはハードルが高いのに、ましてや相手が子どもたちだったら、引き金を引けるとは、とても思えません。でも、そうやってためらっていると、殺されてしまいます。
このようなジレンマに陥った自衛隊員が日本に帰ってから精神のバランスを失って自死に至るというのは、ある意味で正常な反応、必然ではないでしょうか・・・。
安倍首相は国会で次のように放言しています。
「南スーダンは、我々が今いるこの永田町と比べればはるかに危険な場所であって、危険な場所であるからこそ、自衛隊が任務を負って、武器も携行して現地でPKO活動を行っているところです」
南スーダンを日本の「永田町」と比べるなんて、とんでもありません。見識を疑います。
憲法に自衛隊を明記するという安倍首相の改憲論は、このような自衛隊の隠蔽体質を温存し奨励する危険があると私は思います。「日報隠滅」問題の本質を考えさせてくれる本です。
(2018年4月刊。1700円+税)

2018年6月30日

私が愛した映画たち

(霧山昴)
著者 吉永 小百合 、 出版  集英社新書

私は『キューポラのある街』以来のサユリストです。とりわけ、サユリさんが最近は反核・平和のために声をあげているので、ますます敬愛しています。
それに、趣味も私と同じなのです。それは水泳です。でも、サユリさんは私よりも一枚も二枚も上手です。なにしろ、クロールだけでなく、平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4種目をやり、しかも週に2,3日、1回2時間ほどかけるというのですから、完全に脱帽です。私は週1回、30分で1キロを自己流クロールで泳ぐだけです。
それにしても、泳ぐときゴーグルをつけているはずですが、その跡が私は両眼のまわりに丸く、はっきりとついていますが、サユリさんの美顔には、それが見当たりません。なぜでしょうか、私には大きな謎です・・・。
女優ですから、健康と体力維持にはかなり気をつかっていると書かれています。それでも体重は45キロしかないとのこと。信じられません。役づくりのために食事制限をしていたら、栄養失調になってしまったこともあるといいます。女優も大変なんですね・・・。
最新の『北の桜守』(私はみていません)の撮影中には、マシンのトレーニングに挑戦し、バーベルも上げて、体を鍛えて乗り切ったといいます。
プロ根性ですね。すごいです。腹筋100回、腕立て伏せ毎日30回、シャドーボクシング・・・。いやはや、すさまじい努力です。
『母べえ』も『母と暮らせば』も、いい映画でしたね。母親役はぴったりですが、現実には母親じゃないのですね。子どもについては自信がなかったと書かれています。親との葛藤が結婚問題など、いろいろあったようです。
山田洋次監督は、せりふの言葉はもちろん、せりふの言い方にも、とてもこだわる。そして、テクニックではなく、気持ちを大切にする。
早稲田大学に入ったときには、馬術部で馬に乗っていたとのこと。うらやましいです。
朝6時に家を出て、馬術部に行き、午前8時に撮影所に入り、夕方5時まで仕事をして、それから大学に行って授業を終わると夜の10時という生活を半年がんばりました。なんとも、すごい根性です。
『男はつらいよ、柴又慕情』に出演したころ、声が出ない状況だったというのも初めて知りました。声帯の異常ではなく、ストレスから脳が声を出せと指令しなくなっていたというのです。
女優としての苦労話をしっかり楽しめて、ますます私はサユリストになってしまいました。
(2018年2月刊。760円+税)

2018年6月29日

官僚たちのアベノミクス

(霧山昴)
著者 軽部 謙介 、 出版  岩波新書

私は、高校生のころ、なんとなく、漠然と、官僚って日本の将来を支えている有能・誠実な集団だと考えていました。今おもえば、まったくの幻想でしかありませんし、佐川や柳瀬、そして福田の哀れな答弁を見ていると、いやはや、トップ・エリートを自負する連中が、あんな無様(ぶざま)な姿をさらすようでは、日本も世も末だと涙がほとばしってしまいます。あの連中には、いったい誇りとか自尊心というものがないのでしょうか・・・。もちろん、かつてはあったに違いありません。では、いつ、どこで、どうやって捨ててしまったのでしょうか・・・。
だって、彼らの上に君臨するアベなんて「アホの王様」(裸の王様とは決して言いません)でしかないことは明々白々ではありませんか・・・。そんな政権を下支えしていて、本当に、これで「国を支えている」という気分に、いっときであっても、なれるものなんでしょうか・・・。
かつての大蔵省、今の財務省は、大変な権威のある官庁でした。それが今では、なんということもない、最低・最悪の官庁ですし、みっともない官僚集団でしかありません。バッカじゃないの、きみたち・・・って、言いたくなります(すみません。まじめな人がたくさん今もいると思いますが・・・)。あの福田次官のセクハラ発言は、品性ゼロ集団の代表としか言いようがありません。「オール優」どころか、「優」ゼロの私のひがみから率直に言わせてもらいました。
永田町の情報を集める能力にかけては財務省が霞が関でナンバーワン。主計局や主税局のメンバーは、日常的にいろいろの議員と接触し、情報を集めてくる。そして、財務省は、情報のつかい方も組織的だ。
なるほど、その点は、他の官庁にまさっているのですね・・・。
アベノミクスなるコトバは東京周辺では、今も生きているのかもしれません。なにしろ株価高で、億万長者が続出しているそうですから・・・。でもでも、福岡をはじめ、田舎には全然無縁です。それって、どこの国の話なんですか・・・、そう問いかけたいくらいです。
今や、アベ首相その人が「アベノミクスの効果」なんて口にしませんよね。そんなものです。まったくコトバの遊びでしかありませんでした。
読みたくないけれど、読まなくては・・・、と思って読んで、ますます腹立たしさと怒りを覚えた本でした。
(2018年4月刊。860円+税)

2018年6月28日

ルポ 地域再生

(霧山昴)
著者 志子田 徹 、 出版  イースト新書

地域活性化に必要な人材として、日本には、「よそ者、若者、バカ者」というコトバがある。しがらみにとらわれず、自分たちの気づかない、地域の宝や財宝を発見してくれるのは、よそ者や若者の視点だ。やる前から、あれこれ考えて無理だと決めつけず、バカ者になって、とにかく何でもエネルギッシュにやってみる人が必要だ。
この本では、福岡県大牟田市も取りあげられています。三池炭鉱のあった大牟田市は、かつて21万人に近かった人口が半分の11万人になった。「明治日本」の世界遺産申請は「上からの」運動だった。そして、そこには「負の遺産」もあった。三池争議があり、炭じん爆発事故(死者458人)があった。さらに、そのもっと前には、中国人・朝鮮人の強制連行・強制就労そして、捕虜(フィリピンでのバターン死の行進の被害者)は収容所での虐待(収容所の所長は戦後に戦犯として絞首刑)もありました。
スペイン北部の人口19万人のサン・セバスチャン市は世界の美食家たちをひきつけている。居酒屋「バル」のはしごをするのだ。
うむむ、これは私も行ってみたいです。でも、スペイン語は出来ません。フランス語なら、なんとか・・・、なんですけれど。
ここでは、1晩に5軒や6軒まわるのは当たり前のこと。好きな人なら10軒くらいはしごする。いやあ、いいですね、ぜひぜひ行ってみたいですね。ここに行った日本人の体験記を読んでみたいです。誰か紹介してください。
そのアイデアを提唱したシェフは、秘伝のレシピを互いに教えあうようにすすめた。これがあたったようです。やはり、自分だけ良かれではダメなのです。他の人が良くて、自分もいいという精神ですね・・・。このサン・セバスチャンは、1年間に宿泊客だけで100万人。三ツ星レストランもあるけれど、好きな店(バル)を食べ歩きできるのが何よりの魅力なのです。
スウェーデンには、8階建てのマンションが、すべて木で出来ているものがある。すでに6棟、200戸がつくられた。土台こそコンクリートだけど、それ以外は、みな木造。長崎のハウステンボスの「変なホテル」の2階建ても、九州産の木材によるもの。岡山県真庭市の3階建の市営住宅も木造だ。木材といっても集成材にすると、強度はすごいのですね。
熊本県小国(おぐに)町の「わいた地熱発電所」は、日本で初めての住民が主体となって造った発電所。
地域の活性化のためには、知恵と連帯の力を集めるべく、いろいろ工夫が必要だということのようです。
(2018年2月刊。861円+税)

2018年6月24日

小屋を燃す


(霧山昴)
著者 南木 佳士 、 出版  文芸春秋

信州の総合病院を定年退職した医師が、身辺雑記を淡々と描いています。
この本のタイトルである『小屋を燃す』の前に、『小屋を造る』というものもあります。いったい、この小屋って何の小屋だろうか、気になりますよね・・・。
歩く習慣を獲得できたうつ病患者は、明らかに再発率が低下する。脳には血流。
診察室で、基準値からはずれた検査値をおだやかに指摘すると、急に無口になり、「人間どうせ死ぬんだしな」とふてくされて部屋を出ていく。どうせ死にゆく身なのだという真理がほんとに身についている老人は、もっと明るい表情をしているものだが、こういう、50代、60代の男性(ほとんどが喫煙者。まれに女性)は、眼前の現実を直視せず、あらゆる事象を明らかに見ないまま、おのれを包む脆弱な殻を後生大事に守りつつ生きてきた印象を受ける。
小屋は、村の知人たちが寄り集って建てた。それは、手造りそのもの。寝泊りするためというより、酒盛りをするための場所を確保しようというものだった。完成したら、みんなが車座になって焼酎で乾杯した。
この小屋は、半分以上が廃材で作られていたから、築6年となった小屋の解体はあまりにも容易だった。小屋を解体したあと、みんなで焼酎を飲みはじめた。
なんということもない日々を、つい振り返ると、そこにたしかに人それぞれの生きざまがあるのだと実感させられる本です。
これって、いわゆる私小説なのでしょうか・・・。
(2018年3月刊。1500円+税)

2018年6月16日

受験で合格する方法100

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版  ポプラ社

あまりにも合理的な子育て法に圧倒されます。この本を読んで思うことは、自分でやれると思ったところを真似してやってみたらいいんじゃないか、ということです。無理して、みんなやろうとすると、息が切れてしまうかもしれません。
佐藤ママの包容力はたいしたものです。そこまでの自信がない人は、自分の身のたけにあったところで、やれることをやったらいいと思うのです。ですから私は、佐藤ママのやり方を全否定するかのような批判には組みしません。それぞれの置かれた条件で、やれるところをやったらいいのです。佐藤ママのやり方を批判するなんて、まったく意味がないと私は思います。
大学受験は、与えられた18年間をいかに効率よく使えるかという勝負。
私には、こんな発想はまったくありませんでした。びっくりしてしまいました。
基礎の問題は、もう解きたくない、つまらないと思えるくらいまでやって、それから過去問(カコモン)に移るのがいい。
そうなんですよね。なんといっても基礎学力をいかにしっかり身につけるのか、この点は本当に大切なことだと思います。
寝る時間をきちんと確保する。
これまた大切なことです。まともな睡眠時間をきちんと確保するのは、頭が正常に働くために不可欠です。ダラダラが一番いけません。
「宿題の丸つけは親がする」。うむむ、これは、さすが佐藤ママのコトバです。なかなかフツーの親には、こんなこと出来ませんよね。でも、たしかに言われてみれば、そうなのだと私も思います。
受験は、「余裕」をもてた者が勝つ。そのためには絶対に「やり残し」をつくらない。
なるほど、この点は、まったく同感です。ああ、あの分野が弱かったよな・・・、そんな思いを引きずって本番の試験会場にのぞんではいけません。私も体験を通じて、そう思います。
子どもに絵本を1万冊よんであげる。
いやあ、まいりましたね・・・。私も、自分が本を好きですし、子どもたちにもたくさんの絵本を読んでやったつもりですけれど、さすがに1万冊という目標というか課題設定までは考えませんでした。
先日、亡くなったかごさとしさんは川崎セツルメントの先輩でもありますが、カラスのパン屋さんシリーズや、「どろぼう学校」など、読んでるほうまで楽しくなる絵本を、私も子どもたちに声色を変えて一生けん命に読んでやっていました。楽しい思い出です。
歴史を学ぶときには、マンガで日本史も世界史も読んでおくといいというのも、私はやっていませんが、これはなるほどと思います。マンガを馬鹿にしてはいけません。手塚治虫のマンガは面白いというだけでなく、人間と歴史を考えさせてくれる哲学書でもあります。
親は「元気でウザいくらいがちょうどいい。親がいつも笑顔でいれば、子どもは安心して過ごすことができる。
子どもには、素直な感情を出せる環境が必要。そのためには、親は、いつもニコニコ笑顔が構えていることが大切。親は「家の壁紙」のような存在なのだ。
これが、この本で、もっとも肝心なところです。親が子どもの前で、いつもニコニコしている、これこそ容易に実行できることではありません。それを佐藤ママはやり切ったのです。子どもたちがインフルエンザにかかっても、佐藤ママにはうつらなかったのです。
私も、同じようにインフルエンザにかかって寝込んだ、ということは一度もありません。毎日、いつも、やりたいことがたくさんあって、寝てる場合じゃない、そんな気分で弁護士生活45年をやってきました。やるべき仕事があって、やりたいことがあるなんて、なんて幸せなんだろうと、感謝の日々を過ごしています。
子どものときには、なるべく失敗の経験はさせない。子どもに必要なのは自立ではなく、自活。自活とは、親が仕送りしなくても、自分で稼いて、食べていけること。
本当にそうなんですよね・・・。子育てがとっくに終わった私からすると、この本を読んで反省するしかないことだらけです。でも、子どもたちから切り捨てられてはいないのが、私にとっての救いです。
家庭が明るいこと、親が笑顔で子どもと接することができること、佐藤ママは本当に大切なことを指摘してくれています。
(2018年2月刊。1500円+税)

2018年6月15日

私はドミニク

(霧山昴)
著者 ドミニク・レギュイエ 、 出版  合同出版

国境なき医師団(MSF)という組織は知っていました(MSFはフランス語です)。でも、国境なき子どもたちという組織があるのは、この本を読んで初めて知りました。
ドミニク(著者)は、MSF日本の事務局長でした。10年つとめたあと、今の国境なき子どもたちを設立したのです。
ホームレスの人々が路上生活するに至った原因は、人道援助団体にとってはどうでもよいこと。病気、親類縁者との関係疎遠、社会からの疎外、失業など、路上生活に至った原因はさまざまだけど、その原因を苦境にある人々へ人道援助の手を差し伸べるかどうかの判断材料にすることがあってはならない。人道援助とは、人が人に示す連帯の証(あかし)であり、すべての人が平等であることの証なのだから。
ところが、ホームレスの人々に対して、
「身から出たサビで、あの状況にあるのだから・・・」
「自分で選んだことでしょう」
「本気になれば、路上生活から抜け出せるだろうに・・・」
と批判する人が少なくない。私も、遠くから批判しているだけではダメだと思います。
常に相手に向きあうこと、理解しようと努めること、人々をありのままに受け入れること、互いの違いを認めあうこと、自分の価値観だけで、相手を判断しないこと・・・、これが大切。
子どもにとって学校とは、学ぶ場である前に、仲間と一緒に過ごしながら、社会性、社交性を身につける場である。
ストリートチルドレンは道徳や法の規範からは外れているが、彼らは自立している。彼らに教えなければいけないのは、人に頼ってもいいという事実だ。他人を尊重すること。そして、何よりも自分自身を大切にすること。これこそ彼らが学ばなくてはならないこと。
子どもとは、両親や家族、教師を頼って生きる存在である。そして、自分というものを主張しながら大きくなっていく。思春期になれば、選択すること、理解しようとすること、許容と拒否、許し、そして忘れることを学んでいく。
わずかなひとときであっても、安心して過ごせる時間、尊重してくれる人と過ごす時間は、その一瞬一瞬が成功の証だ。
フィリピンのマニラ地区、カンボジア、タイ、ベトナム、東ティムール・・・、世界各地へ子どもたちの自立を援助して不屈にたたかう組織なのです。
世界各地の子どもたちの実情に目を大きく見開かさせる本(写真もたくさんあります)でした。ぜひ、手にとってごらんください。
(2017年11月刊。1500円+税)

2018年6月 7日

福島第一・廃炉の記録

(霧山昴)
著者 西澤 丞 、 出版  みすず書房

宇宙服を着ている人々が働いている場所がある。それが日本の一部だとは信じられないけれど、これこそ福島原発の廃炉への工程の現状です。
これからまだ何十年、いえ何百年も続くのかもしれません。なにしろ人間の手に負えるものではないのです。宇宙服を脱いでいる人々も見かけるようになっていますが、肝心の廃炉作業では生身の人間が近づくことは絶対にありえません。行っただけで人間が溶けてなくなる、とまでは言いませんが、明らかに寿命を縮めてしまうことは間違いありません。
 東京電力(東電)の協力の下で撮られた写真です。つまり、どれも決して隠し撮りではありません。でも、撮られるのをいやがる労働者がいて、怒鳴ったりされます。その心は、恐ろしさに満ちた場所にいることを家族に知られたくないということではないでしょうか。
でも、写真を撮られるといってもマスクしているのですから、素顔が見えるわけでもないのです・・・。
毎日、何千人もの人々が廃炉に向けて黙々と作業をすすめています。私はここで働く人々に対して、心より敬意を表します。と同時に、こんな原発は日本には絶対にいらないと改めて痛感します。
前にも書きましたが、福島第一原発のすぐ近くに東電の会長以下、取締役は家族と一緒に社宅をつくって住んでみたらどうですか。皆さん、その勇気がありますか。原発が安全で「アンダーコントロール」というのなら、それを自分と家族の身体で証明してもてください。いえ、無理強いするつもりは決してありません。それが出来ないのなら、正直に原発は怖いから、とても近くになんて住めないと正直に告白すべきだと思うのです。他人に危険を押しつけておいて、自分たちはぬくぬくのうのうとしているなんて、戦前の日本軍の高官と同じではないでしょうか・・・。
この一連の写真を見て、ついつい興奮して筆がすべりました。廃炉作業がすすんでいるとはいえ、まだまだ、ほんの序の口です。それを実感させる貴重な写真集でした。少し高価ですので、図書館で手にとって眺めてください。
(2018年3月刊。3200円+税)

2018年6月 1日

TOEIC亡国論

(霧山昴)
著者 猪浦 道夫 、 出版  集英社新書

かなりインパクトのある刺激的なタイトルのついた本ですが、読んでみると、ごくまっとうな英語教育論が展開されていて、大変参考になります。
私は英語はあきらめてフランス語一本でやっていますが、その理由の一つは英語の発音が私の耳にはあまりに聞きとれないことです。よほどフランス語のほうが聞きとりやすいのです。この本は英語が日本人に聞きとりにくい理由もちゃんと指摘していますので、私だけじゃないことを知って安心しました。
英語が聞きとれないという人は、文法や語法を知らない、単語力がない、会話の背景にある文化的バッググラウンドについての知識がない、それだけのこと。
日本に住んでいて、周囲が日本語で話している環境のなかで「日本語脳」を捨てて「英語脳」を獲得するなんて、まず不可能。
TOEICは、コツを覚えれば、誰でもある程度の点数がとれる。英語の本当の実力を測るには適当ではない。TOEICは、コツに習熟すると、実力以上のハイスコアがとれる。問題を解くのに複雑な思考を要求しないので、対策さえすれば、ある程度の点数はとれる。
TOEICは、年に何回も受けることができるので、お金のある人が有利。
海外では通用しないので、海外で何かしたい人にとってはムダな努力になってしまう。
TOEICは、作文能力をテストしていると言いながら、現実には、語彙(ごい)クイズ、語法クイズでしかならない。
TOEICは、日本人のためにつくられた試験。TOEICをつくったのは、通産省と経団連であり、英語ビジネスの既得権益を確保しようとしているだけのこと。
大学生に求められる英語能力とは、原書をきちんと読解する能力である。
日本人向けの英語力検定試験を早急に開発すべきだ。
ALTには資格が必要ない。ALTひとりに年間600万円もの予算がついている。英語が母国語だといっても、誰もが英語を教えられるわけではない。
語学の学習に必要なものは、お金と時間の二つ。語学の学習のための三種の神器は、良い辞書、良い参考書、良い教師だ。
いつまでも英語が身につかないという人は、英文を文法的に正確に書けず、語い力が不足しているのが根本的な原因だ。
発音はネイティブに習うより、音声学にもとづいた科学的な発音指導のできる日本人の先生から訓練を受けるのが非常に効果的。
大変よく分かりました。
(2018年3月刊。740円+税)

2018年5月31日

宿命

(霧山昴)
著者 原 雄一 、 出版  講談社

今から23年前(1995年)、警察庁長官が東京の高級マンションにある自宅から出勤しようとするところを狙撃され、瀕死の重傷を負いました。しかし、世界一優秀なはずの日本の警察は狙撃犯を逮捕・起訴して有罪に持ち込むことが出来ませんでした。そして、時効が成立して事件は迷宮入りとなったのです。
この本は、その捜査に従事していた幹部警察官が犯人を名指しして、真相を「解明」しています。読むと、なるほど、その人物が狙撃犯らしいと思わせるのに十分です。
では、なぜ狙撃犯は逮捕・起訴されなかったのか・・・。警察内部の公安と刑事との暗闇があり、公安優先の捜査が間違ってしまったのだと、刑事畑を歩んできた著者は繰り返し強調しています。
公安警察は、警察庁長官を狙撃して殺そうとするのはオウム真理教しかいないと盲信し(決めつけ)、オウムの信者だった警察官が犯人だと発表し、それが立証できなくなってからもオウム犯人説を記者発表したので、オウム真理教から名誉棄損で訴えられて敗訴している。
ここまで来ると、公安警察って、まともな神経をもっているのか疑わざるをえませんね・・・。
では、オウム真理教ではない一個人が20メートル離れたところから、人間の身体に3発もの命中弾を撃てるのか、誰が、どこで、そんな射撃の技能を身につけたというのか・・・。
日本人が、日本で、そんな技能を身につけるなんて、ほとんど不可能ですよね。ですから、犯人はアメリカへ頻繁に渡って射撃練習を繰り返していました。もちろん、高性能の銃もアメリカで購入しています。
歩いて移動する生身の人間に対し、射撃の素人が、21メートル離れた距離から3発の357マグナム弾を的確に撃ち込むのは不可能なこと。いかに高精度の拳銃を使おうとも、拳銃射撃はメンタルのコントロールがとても難しい。しかし、これを克服できなければ、正確に命中させることはできない。
「犯人はオウム真理教だ」(公安)、「犯人は中村泰だ」(刑事)などと罵りあって、結局、事件を解決できずに公訴時効を迎えてしまった警視庁。この捜査は迷走してしまったから、一般市民には滑稽なものとしか映らない。
警察庁長官という警察の親玉をやられて、その犯人をあげられなかったというのですから、日本の警察も「世界一」だとはもう言えないんじゃないでしょうか。
犯罪をなくすには市民連帯の力を強め、若者たちが明るく、未来をもって生きていける社会にしていくこと、これなしにはありえませんよね。それにしても、いまなお辞職しないアベ首相の見えすいたウソにはたまりませんね。ストレスがたまります。
(2018年3月刊。1600円+税)

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