弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2017年10月12日

貧困と地域

(霧山昴)
著者 白波瀬 達也 、 出版  中公新書

昔は釜ヶ崎と呼ばれていましたが、今ではあいりん地区と呼ばれている地域の状況を歴史的変遷を追って分析した本です。
この地域に、今では外国人旅行客向けのホテルが続々と立地しているなんて信じられません。新今宮駅付近は外国人旅行客であふれ、簡易宿泊所の稼働率は上がっている。
中国人の経営するカラオケ居酒屋も100店ほどあり、若い中国人女性が接客している。
では、旧来の住民はどうしているか、どうなっているか・・・。
西成(にしなり)区における一人暮らし高齢者は1995年に43%、2000年に50%、2005年に60%、2010年に66%となっている。近年は、元日雇労働者たちの高齢化だけでなく、他地域から生活に困窮した中高年男性が新たに流入したこともあいまって、あいりん地区を含む西成区は著しい高齢社会となっている。2014年10月、高齢者は4万5千人、高齢化率は38%となっている(あいりん地区だけなら40%)。
あいりん地区の女性は1975年に30%いたのが、2010年には15%と半減している。
あいりん地区に暮らす単身男性は、長期にわたって親族との関係を絶っている場合が少なくない。互いの過去に踏み込まないという不文律が存在する。自分たちの過去を隠匿しようとする。
あいりん地区では、生活保護を受給するようになって10%が開始後5年以内に死亡している。孤立死が増え、無縁仏となるケースが増えている。そこで、慰霊祭がおこなわれている。
今日、あいりん地区に暮らす人々の大半は、地縁・血縁・社縁が希薄な単身の中高年男性である。
取り組みが進んだため、大阪市の野宿者は、1998年の8700人をピークに、2015年には1500人となった。ただ、そのとき、同時に公園からの締め出しも進んでいる。
あいりん地区に自ら入りこんでした調査も踏まえていますので、実践的ですし、説得力のあるレポートになっています。「釜ヶ崎」の昔と今、そんなタイトルにしてほしかったです。あまりに一般的すぎるタイトルです。
(2017年2月刊。800円+税)

2017年10月11日

日本のタクシー産業

(霧山昴)
著者 太田 和博・青木 亮・後藤 孝夫 、 出版  慶應義塾大学出版会

私も毎日のように利用しているタクシーについての総合的な研究書です。
タクシーの利用者が減っていること、タクシー運転手の減少はその低賃金が原因であること、65歳以上の運転手が増えていて、事故もそれに伴って増えていることなどを知ることができました。
私の知っているタクシー運転手の多くは月収(手取り)10万円台であり、20万円をこえる人は多くありません。その変則勤務は苛酷なものだと思うのですが、それに見合うだけの給料にはなっていません。
タクシー会社は果たしてもうけているのか、全国展開している会社はもうかっているのか、自動車事故に備えて任意保険には加入しているのか、事故処理はどうなっているのか、いろいろ知りたいことが生まれてきます。
タクシー利用者数は、1990年度の32億2300万人から、2009年度は19億4800万人へと4割も減っている。1987年度の33億4200万人がピーク。営業収入も1991年度の2兆7570億円をピークに減少しており、2013年度は1兆7357億円と4割減になっている。個人タクシーは4万7077台から3万6962台へ2割以上も減っている。
タクシー業界には小規模事業者が多い。車両数10両までの事業者が1万1001社(70.3%)、30両までの事業者が2540社(16.2%)で、86.5%という圧倒的多数が車両数30両までの事業者で占められている。84.6%が資本金1000万円までの事業者である。
過去には、ハンカチタクシー、書籍タクシー、共済組合タクシー、赤帽タクシーというものが存在した。私は知らないことです。
東京のタクシーについてみると、輸送人員はピーク時の1987年に4億4500万人だったのが、2014年には2億8300万人とピーク時の3分の2にまで減少している。そして、運送収入はピーク時の2007年の4770億円から2014年位3870億円と2割ほど減った。
東京では流し営業が90%と、圧倒的に多い。
戦前の1983年に8000台のタクシーがいたのが、空襲に焼け出されて、1944年には4700台になっていた。
タクシー運転手に女性は少なく、2.5%でしかない。タクシー運転手の高齢化は著しい。60歳以上が3分の2を占め、全体の4割は65歳以上となっている。
タクシー運転手の賃金水準は低く、月に24万円、年収にして310万円。これは、全産業の平均年収548万円と比べて、238万円も低い。
単純オール歩合制のタクシー会社が増えている。
タクシーでは労働時間が長いことを見逃してはならない。
かつてのタクシー業界は失業した人の受け皿として機能していた。今では、そうなってはいない。何でも規制緩和だなんて、とんでもないことです。
タクシー料金の決め方についても触れられています。
タクシーの社会経済的な実態を明るみに出した画期的な本だと思いました。タクシー業界に関心をもっている人には一読をおすすめします。
(2017年7月刊。4000円+税)

2017年10月 2日

老人一年生

(霧山昴)
著者 副島 隆彦 、 出版  幻冬社新書

私たち団塊の世代が古稀の世代に突入しつつあるなかで、身体のあちこちが悲鳴をあげている人が目立ちます。私も、ほんのちょっとしたことで先日来、膝が痛くてたまりません。
この本は、私たちより少し年齢(とし)下の著者が老人とは何かを端的に表現していて、なるほど、そうだよねと深く大きくうなずいてしまいました。
老人とは何か。それは、痛いということ。老人は痛いのだ。
としをとると、あちこち体が痛くなる。老人になるとは、体があちこち順番に痛くなることなのだ。誰もが老人痛になる。それが運命だ。老人病は治らない。体のどこが悪くなるかは、その人の運命だ。その運命を運命として引き受けるしかない。自分の体を医師に丸投げせずに、病気と向き合いながら、その時その時、自分自身で対処していくしかない。
著者はビールを飲むのをやめて焼酎党になったとのこと。私も同じです。ビールはもう5年以上も前に飲むのを止めました。今も、焼酎の水割りを飲みながら書いています。20度の焼酎を10倍以上に水がわりに薄めて飲んでいるのです。もちろん冬は、お湯割りです。
著者は鍼灸師に月に2回通っているとのことです。子どもが身近にいたら、私も鍼灸をしてもらいます。ツボに温灸をすえるのも気持ちのよいものです。すっきり、しゃきっとした効果があります。そして、膝の痛みには全身マッサージをしてもらいます。血行を良くするのです。昔、膝にヒアルロサンの注射を打ってもらったことがありますが、注射は怖いので、1回だけでやめました。
虫歯はありませんが、一本だけ差し歯にしています。目は白内障の徴候があると診断されています。耳は聞こえにくくなりました。
著者の薬嫌いは徹底していて、高血圧なのに血圧を下げる薬を飲んでいないそうです。私も基本的に薬は飲みません。皮膚科の軟こうはすぐに塗りますし、目薬もよく目にさしますが、飲む薬はほとんど飲みません。
老人になるとは、どういうことなのかを同世代の人々に分かりやすく説明した本でした。
(2017年5月刊。760円+税)

2017年10月 1日

あの会社は、こうして潰れた

(霧山昴)
著者 藤森 徹 、 出版  日経プレミアムシリーズ

日本の中小企業がどんどん倒産・閉鎖しています。弁護士の業界でも苦戦している人が多いのは、これまで弁護士にとっての主要な取引先だった中小零細企業や商店が半減してしまったことにもよる。私はそう考えています。
ゲームセンターは苦戦している。ゲームセンターの市場規模は2007年がピークで6780億円あったのが、2015年には4050円と、4割減だ。これは、ネットを使ったオンライン・ソーシャルゲームの影響だ。2015年には、ゲームセンターの2、4倍、9630億円にまで拡大している。
消費者の呉服離れが続いている。呉服の購入額は、この10年間で半減した。
建設業界やサービス業界では、人手不足が想定以上に深刻になっている。
財テクが恐ろしい理由は・・・。もうかったら、人には絶対に言わない。ましてや、損をしたら、絶対に外部には言わない。
100年以上も続く老舗企業には3つの特徴がある。
①事業継承(社長交代)の重要性
②取引先との良好な関係
③番頭の存在
会社にも寿命があるように、つぶれる会社には、何かしら理由があったということのようです。
(2017年5月刊。850円+税)

2017年9月30日

倍賞千恵子の現場

(霧山昴)
著者 倍賞 千恵子 、 出版  PHP新書

「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」、「家族」「故郷」・・・みんな、すごくいい映画でした。倍賞千恵子が出てくると、何かしらほっとして安心してしまうのです。不思議な女優さんです。美人だと思いますが、決して絶世の美女ではない、なんとなく声かけやすい美女です。
渥美清っていう役者は、山田洋次監督の書いた台本をもうひとひねりしていたのですね。そして、それを山田監督が取り入れて、台本を修正する。それが号外として登場するのだそうです。
渥美清は衣装に着換えるとき、いつもと同じ担当者と軽口をたたきながらしていた。それが、寅さんになるときに必要な儀式だった。なるほど、ですね。ただ衣装を着たらいいというものではないのです。やはり、寅さんそのものになり切っていくための儀式があったのでした。
渥美清は、自分の私生活を最後まで語らなかった。代官山に家族とは別のマンションを構えていたが、それも知る人ぞ知る私生活の秘密だった。
精神をいつも鉛筆の先のように尖らせておく。だから一人でいたいんだよ。
「役者は役名でよばれるうちが花だよ」
渥美清が著者に言った言葉です。著者が周囲から「さくらさん」と呼ばれることをうとましく思っていると語ったときの反応でした。
渥美清は、余計なことをせず、必要なときに必要なことだけをする。そんな人間だった。「男はつらいよ」第一作は1969年に第一作でした。そのとき渥美清は41歳、著者は26歳でした。それ以来、26年間にわたって、兄と妹を一緒に演じたのです。すごいですね。
そして、渥美清は今から20年も前の1996年8月4日に、68歳で亡くなりました。最終作(1995年)の「寅次郎の花」では、おいちゃんの家の居間で横になっています。きっと体がきつかったのでしょう・・・。
著者は山田洋次監督について、一生懸命なあまり、すごくせっかちになったり、非常識だったり、ちぐはぐだったりすると評しています。そこが面白いとも言うのです。
山田監督は、自分の意図したイメージのほうへ強引に芝居をもっていくのではなく、役者のもっているいろいろな引き出しを開けて、「台本とは、ここの部分で合わなかったから、今度は違う引き出しを開けてみよう」と台本を手直ししたり、場合によっては、カメラの位置を変えたりする。
やっぱり映画は、お金を払って、映画館で見なくては・・・。照明がずっと落ちたあと、目の前いっぱいに広がる映像。劇場空間を満たす音。そして客席から一斉にわき起こる笑い声、すすり泣き。
本当にそうなんです。子どものころよくみていた西部劇の初めに出てくる大草原、そこにあらわれるヒーローのガンマン・・・。格好よかったですね、しびれましたね。いい本でした。渥美清の雄姿をまた映画でみたいものです。
(2017年7月刊。920円+税)

2017年9月27日

他人をバカにしたがる男たち

(霧山昴)
著者 河合 薫 、 出版  日経プレミア新書

自戒をこめて謹んで読んだ新書です。
日本企業に「ジジイの壁」は不滅だ。ジジイは肩書きや属性で人を見る。自分より上なのか、下なのか、で判断する。
自分の知っていることがすべてと信じ込んでいるので、どこの馬の骨か分からない人をバカにする。相手への敬意もへったくれもない。
ジジイとは、自分の保身のためだけを考えている人のこと。組織内で権力をもち、その権力を組織のためではなく、自分のために使う。会社のため、キミのためというウソを自分のためにつき、自己の正当化に長けている。
だから、50代でもジジイではない男性はいるし、女性や若い人の中にもジジイはいる。
社内的に残念な人ほど、社外では偉そうにふるまう。それは自尊心を守るため。
日本のサラリーマン社会は、見て見ないふり症候群の輩(やから)であふれている。人を見下したり、バカにしたり、攻撃する行為の裏側には、他者から評価されたい、認められたいという自己愛が存在している。
次の3つの条件を満たす人が会社では出世する。一に、失敗もしないけれど、成功もしない。二に、よく動くけど、勝手には動かない。三は、下には意見するけど、上には意見しない。
イギリスでの調査によると、階層の最下段にいる公務員は、トップにいる人々と比べて死亡率が4倍も高い。トップが長生きするのは、彼らは裁量権をもっているから。責任感や几帳面さはマイナスに作用する。
日本では管理職の自殺率が5年で7割も増加した。管理職の自殺率は1980年から2005年の25年内で271%も増えた。
かつての日本企業の強みは、従業員が私は会社から大切にされていると思える関係性があったことによる。ところが、それが薄れている。多くの企業が危機に直面しているのは、成果主義とか人件費切り捨て策で非正規ばかりに頼ってしまう企業体質からなのだと思います。
それにしても、つい昔の自慢話をしてしまうというのは要注意なんですよね。本人としては自分の経験を教訓として伝えたいという気持ちがあるのですが・・・。難しいところです。
(2017年8月刊。850円+税)

2017年9月24日

日本再生は生産性向上しかない


(霧山昴)
著者 デービッド・アトキンソン 、 出版  飛鳥新社

著者の提言には思わず首を傾けてしまうものが多々あります。たとえば、日本にはヨーロッパの大富豪が泊まるような超高級ホテルがない。1泊なんと500万円とか600万円という部屋をもつホテルがないのを著者は問題にしているのです。ええっ、これ以上、日本を超格差社会にしようというのかいな・・・、そう思ってしまいました。
またカジノ主体のIRについても、著者は積極的に導入せよと断言しています。カジノとパチンコを比べるのは、懐石料理の店と牛丼の立喰い店を比較するようなもので、サービスも客層も全然ちがうのだから、比較すること自体が間違いだとします。
著者は、海外のチョー大金持ちをもっと日本に来させるようにすべきだ、それが日本の観光立国につながるというのです。本当でしょうか・・・。日本国内に沖縄の米軍基地のような治外法権の地域をつくるだけのような気がしてなりません。
著者の指摘に納得できない内容ばかりなら、このコーナーで私は紹介しません。実は、なるほど、そうだよね、という点がいくつもあるので、こうやって紹介したいのです。
著者の会社は、文化財保護に関わっていますが、そこで大切なことは、安定的な技術の伝承だというのです。そのときの修理も大事だけど、30年後、50年後の修理も大事なので、ベテラン職員は頼もしいけれど、長く見てくれる若い職人が来てくれると、それもうれしいと言います。なるほど、そういうことなんですね・・・。
日本に来た外国人が日本食をみな好むとは限らないという指摘も、なるほどと思いました。日本人だって、いつも和食を食べているわけではありません。
和食は、みな同じような味だし、満腹できないというのです。
高級な寿司店で、マグロとサーモンだけをひたすら食べている外国人の例も紹介されています。日本人の私からすると信じられない話ですが、そこはやはり食習慣の違いなのでしょうね。
著者は、日本人の心の狭さが目立っているとも指摘しています。これって、ヘイトスピーチの横行に端的にあらわれていますよね。経済状況が悪くなると、心が貧しく、狭くなるのでしょう。これも、例の「アベノミクス」なるものの「成果」(結果)です。貧すれば、鈍す、なのです。
日本は、かつては笑顔の国だったのに、今では、すっかり「暗い印象の国」になってしまったという指摘には、私も正直いって、ドキリとしてしまいました。
日本人は、「日本はすべてにおいて世界のトップ」という思い込みがあるため、日本に欠けているところがあることを認めようとしない。実績を伴っていない、現実認識が欠けている。
これは本当に耳の痛い指摘です。日本が世界で一番だなんて、ネトウヨの世界でしょうね。やはり、謙虚に反省すべきです。どこかの国の首相のようね、うわべだけのポーズではなくて・・・。
(2017年6月刊。1296円+税)

2017年9月23日

商売は地域とともに

(霧山昴)
著者 NPO法人神田学会 、 出版  東京堂出版

神田百年企業の足跡、というサブタイトルのついた本です。
私は神田の古本屋街を年に何回かは歩いています。送られてくる古書のカタログも楽しみの一つです。
そんな神田には創業100年をこす社会や商店がいくつもあるというのです。どんな会社なのか、100年も生き残れる秘訣は何なのか、それを知りたくて読んでみました。
冒頭に、世界最古企業ベスト10が紹介されていて、あっと驚きます。なんとなんと、ベスト10のうち7社までが日本の起業であり、トップからベスト6位まで全部が日本の企業なのです。これって、信じられますか・・・。トップ(1位)は、あの社寺建築の奈良の金鋼組です。2、3、4位は、旅館なのです。2位は山梨の西山温泉慶雲館。ギネスが認定する世界最古の旅館だそうです。3位は兵庫県城崎温泉の「古まん」という旅館、4位は、石川県粟津温泉の法師旅館です。す、すごいですね。そんな古い、古い、伝統ある旅館が連綿と生き続けているとは・・・。
ものづくりの企業が日本には多いから老舗企業が多いとのこと。サービスを売る商業組織では、中世にまでさかのぼるのはまず存在しない。
神田は、日本橋に次いで老舗が多い。創業100年をこえる老舗が神田には170軒もある。もっとも古いのは慶長元年(1596年)創業の酒店、豊島屋本店。白酒の製造販売で有名なこの店は関ヶ原の戦い(1600年)より前の創業なのです。つまりは、江戸時代より前からということになります。そして、宇津救命丸も慶長2年(1597年)です。はじめは、下野(しもつけ)の国でしたが、江戸に出てきて、神田の地に根をおろしました。
現在の神田は「住むまち」ではなくなりつつある。その象徴が浴場の減少。今は3店のみ。理容室、美容室、クリーニング店も神田から少なくなりつつある。
神田っ子の特徴は、見栄とやせ我慢。なるほど、江戸っ子ですね・・・。
神田に中華料理店が多いのは、中国から日本へやって来た留学生が多かったことによる。明治37年には日本への留学生は1000人をこえ、明治後期には5万人もの留学生が日本にいた。
揚子江菜館の五目涼拌麺(ごもくひやしそば)が写真つきで紹介されています。ぜひ食べてみたいです。ぬきすし総本店の笹巻鮨は美味しそうですね。いちど食べてみましょう。
神田の古書街には160軒以上の古書店があり、世界最大。そこで売られている本は1千万冊だといいます。
ちなみに、私の東京の定宿の一つは山の上ホテルです。すぐ近くのイタリアン・レストランが美味しくて、最近の行きつけの店です。
神田の歴史の一端を知ることが出来ました。
(2017年5月刊。2800円+税)

2017年9月20日

象徴天皇制の成立

(霧山昴)
著者 茶谷 誠一 、 出版  NHKブックス

今の天皇は象徴天皇制をまさしく慎み深く実践していると思いますが、昭和天皇は戦前の延長線上の考えを最後まで捨て切れなかったようです。
昭和天皇は首相や大臣から内奏(ないそう)と称する政治報告を受け、感想と称して自分の考えを述べ、政治への影響力を保持しようとしていたのでした。驚くべき事実です。
昭和天皇は、「立憲君主」としての自覚のもと、安全保障問題と治安問題に対して関心を示し続け、積極的な姿勢をとっていく。昭和天皇の安保と治安への関心は、反共主義(対ソ脅威論)にもとづく政治信条に由来していた。
昭和天皇は、象徴天皇を実質的な国家元首として認識していたようだ。
昭和天皇は、憲法施行後も、首相や外相などの主要閣僚に対して必要に応じて政務報告を求めた。内奏は、大臣から相談を受ける権利にあたる。天皇からの指摘を受けて再考を迫られることがあった。激励する権利、警告を発する権利をも行使していた。
戦前・戦後の国家指導者層のなかには、天皇制の存続(皇統の維持)と昭和天皇の戦争責任問題を切り離し、前者を後者に優先させる者たちもいた。東久邇宮、高松宮、三笠宮らの皇族や重臣の近衛も天皇制の存続を最優先事項とし、場合によっては昭和天皇を退位させて戦争責任を一身に負ってもらい、皇統の維持をはかるという案を考慮していた。
これに対して昭和天皇は、幼い息子を天皇にしたときに摂政となるべき弟たちを信用できず、退位は出来ないと考えていた。
昭和天皇はアメリカ軍によって日本の安全保障を確保するというのが持論だった。その結果、在沖米軍による日本防衛という形式を考慮し、その意見をGHQ最高司令官のマッカーサーではなく、GHQ外交局長のシーボルトに伝えていた。
そして、天皇の「沖縄メッセージ」は、アメリカの意思決定に影響を与えた。
昭和天皇は、日本国内での共産党の言動にも敏感に反応していた。昭和天皇は、野坂参三の巧妙な宣伝街に不気味さを感じ、潜在的な脅威として警戒心を募らせていた。
昭和天皇と明仁天皇との間には、国民との接し方において違いがある。
昭和天皇は、戦前からの伝統にしたがい「上から」の仁慈の施しという側面が強い。明仁天皇は、国民とのより「対等」な視線での思いやりの施しがにじみ出ている。
昭和天皇は、国家の繁栄が前面に出てくるのに対し、明仁天皇は、国民の幸福を語る。真の意味での象徴天皇制の歴史は、まだ30年ほどでしかない。
今の天皇の生前退位をめぐって、象徴天皇とは何かを日本人はもっと大いに議論すべきだと思います。その点、この本は考えるべき手がかりをたくさん与えてくれます。一読してみて下さい。
(2017年5月刊。1600円+税)

2017年9月18日

「男はつらいよ」を旅する

(霧山昴)
著者 川本 三郎 、 出版  新潮選書

1969年(昭和44年)夏、私が大学3年生のときにスタートした映画です。その年の1月に、東大安田講堂「攻防戦」があり、3月から授業が再開されました。
私の記憶では、東大の五月祭のとき、25番大教室でみたと思うのです。少なくとも翌年の五月祭です。大教室が学生の笑い声で揺れ、心の震える思いがしました。大学紛争(私たちは闘争と呼んでいました)で荒さんだ学内で、久しぶりに学生の笑いがはじけたのです。泣き笑いのある、ホロリとさせる人情話でもあります。
当初の観客は50万人。第8作(1971年)で100万人をこえ、第10作では200万人突破というのですから、そのすごさに声も出ません。
1年に、夏と正月に、律気に繰り返された寅さん映画の大半を私はみています(残念なことに全部ではありません)。
寅さん映画を「なまぬるい」と評する映画評論家がいるそうですが、私には理解できません。といっても、同世代の女性にも、「私はみないわ」と断言する人がいて驚きました。好きなら好きで、はっきりしてよ、私はどっちつかずのストーリーなんて見てられないのよ、というんです。なーるほどね。でも、その、うじうじしているところがまたいいんですけど・・・、と反論しようとして、思いとどまりました。
葛飾柴又には、最近行ってませんが、私も2回か3回は行ったことがあります。いかにも東京の下町風情だと思ったのですが、この本によると、柴又は決して下町ではなく、市中から遠く離れた「近所田舎」なのだそうです。つまり、郊外の行楽地なのです。下町ではないんですね・・・。
おいちゃんの店は、39作までは「とらや」、そのあと「くるまや」に変わっているとのこと。気がつきませんでした。現地に行くと、そっくりの草だんごを売っている店がありますよね。
さくらが博さんとアパートを出て、一戸建ての家に住むようになった家は、平成3年(1991年)、鉄道開通のときに撤去されて今はないそうです。
私は、弁護士になってまだ10年にもなっていないころ、NHKの朝の番組に出演し、おばちゃん(三崎千恵子)と話したことがあります。生放送(全国放送)でしたから緊張もしましたが、いい経験でした。
この本は、寅さん映画で登場している全国各地を著者が取材してまわってレポートしたものです。映画が撮影された当時にはあった線路や駅、そして商店街がなくなっていることが次々に伝えられ、物悲しくなってきます。
JR各社は金もうけ本位で、金持ち向けの七つ星とかナンタラには力を入れて、田舎のローカル線をどんどん廃線にしていきました。公共交通機関としての使命を投げ捨ててしまっていることに怒りを感じます。国労つぶしの負の遺産です。
先日の大雨で被害にあった日田市の小鹿田(おんだ)焼の里までロケ地だったなんて知りませんでした。第43作、「寅次郎の休日」です。後藤久美子が出ていて、宮崎美子も出演している映画なので、みているはずなのですが・・・。
寅さん映画48作の全作品に出演している女優がいるというのを初めて知りました。谷よしのという脇役専門の女優です(2006年に死去)。商人宿に寅が泊まって、「いらっしゃい」とお茶を運んでくる女中役です。「邪魔にならない。目立たない。まるで風景のように歩いたり、たたずんだりできる人」、というのは山田洋次監督のほめ言葉です。60年以上の女優生活で1000本の映画に出たというのですから、想像を絶します。
著者は、寅さんシリーズが長続きした理由のひとつに出演者の顔ぶれが固定していたことをあげています。おなじみの俳優が出演して、観客に、そこに家族がいるような安心感を与えた。この点は、私も、まったく同感です。そして、山田監督があきさせないマンネリズムから脱却し続けたという点に頭が下がります。
女優ナンバーワンは、なんといってもリリーさん(浅丘ルリ子)です。
「幸せにしてやる?大きなお世話だ。女が幸せになるには、男の力を借りなきゃいけないとでも思っているのかい?」
胸のすくタンカです。浅丘ルリ子は、これで女を上げた。
「寅さんロケ地ガイド」という本(DVDマガジン)があるそうですね。まだまだ日本全国には、行ったことのない、行ってみたいところがたくさんありますよね。それを知ることのできる本でもありました。いい本をありがとうございました。
(2017年5月刊。1400円+税)

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