弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2018年5月 8日
広告が憲法を殺す日
(霧山昴)
著者 本間 龍 ・ 南部 義典 、 出版 集英社新書
あの過労自殺に追い込んだ電通がテレビ業界を牛耳ったままというのは、なんとも歯がゆい限りです。7000人の社員をかかえる電通は日本のナンバーワン企業で、2位の博報堂をまったく寄せつけないようです。そして、この電通がアベ自民党を支えているのです。お金があれば、世の中をうまく操作していけることの見本が電通です。しかし、そのお金の出所は私たちの血と汗の結晶たる税金なのです。それを電通が思うままにあやつっているなんて、くやしい限りじゃありませんか・・・。
憲法改正が国家で発議されると国民投票にかけられます。民意を反映できるから国民投票ってスバラシイ!と感嘆したいところですが、この国民投票をもっと有効活用したのが、例のヒットラー・ナチスなのです。これでは、少々まじめに考えざるをえませんよね。投票所に行かないなんて、自分で、自分の首を絞めているようなものです。問題は、この国民投票に至るまでの過程です。アベ自民党は争点を徹底して隠し、国民のなかでまともな安保政策論議をさせませんでした。
国民投票制度については、巨大マスコミによるテレビ等の報道まで制限されたとしても、投票日の15日前までのCMは自由。投票日から14日間に禁止されているのは「国民投票運動のため」に行うCMだけで、「私は賛成します」といった自分の意思を主張するだけの、勧誘の要素をふくまないものは対象にならないのです。つまり、自由にできる。お金があれば、好きなだけCM放送できる。
では、一切禁止したらいいか、そうはいきません。言論・表現の自由が規制されますし、警察がのさばって社会が委縮してしまいます。
賛成と反対を平等・公平に放映させたらいいじゃないか。これも口で言うのは簡単ですが、誰がどうやって公平に運用できるでしょうか。全面賛成、一部賛成・反対、全部反対、いろいろバリエーションがあるのです。では、まったく規制しないでいいのか・・・、悩ましいところです。しかし、テレビ放送を電通が牛耳っている現実を知らないで、規制のあり方を語ることは許されません。
(2018年4月22日刊。720円+税)
2018年5月 5日
松本清張「隠蔽と暴露」の作家
(霧山昴)
著者 高橋 敏夫 、 出版 集英社新書
松本清張が死んだのは1992年8月なので、もう25年以上がたっている。しかし、その書いたものは今もそのまま通用している。何回となくテレビドラマ化されている文庫本がたくさん出ている。
松本清張は無類のカメラ好きで、旅行には何台化のカメラを携帯していた。そして、英会話ができて、海外では通訳なしで取材していた。さらに、考古学にも深い関心を寄せていて、日本古代史の知識は学者と対等に議論できるレベルだった。
清張の学歴は尋常高等小学校の卒業というだけ。ところが、そのあくなき勉強のおかげで、並の知識人は足元に近づけないほどのレベルに達したのです。やはり、勉強する人こそ強いと言えます。
そして、松本清張はプロレタリア文学仲間と交流していたことから、戦前、警察に検挙・勾留され、拷問も受けています。山村多喜二の虐殺のころです。そして、兵隊にとられ、衛生兵として朝鮮に送られました。
このように苦しい生活を過ごしたわけですが、父親は陽気で政治や歴史にやたら詳しく、母親は優しく、心配性だけど、へそくりして着物をつくってくれた。そのため、貧しいなかにも人間としての豊かな感性を失うことはなかったのですね。
ただ、上の学校に行けなかった清張は、「オレ、オマエ」でつきあえる友だちはいませんでした。それを大いに残念がっていたようです。私は、その点は大いに共感します。高校や大学で学ぶことの利点は、同じレベルの友人と出会い、世の中や社会のことを、心おきなく語りあえることです。それは、私にとっては、大学時代のセツルメントサークルのなかで得ることができました。これが私の原点であり、今も心の支えになっています。
松本清張の『黒地の絵』(1958年)は、朝鮮戦争まっさいちゅうの北九州で起きたアメリカ兵の集団脱走事件を素材にしています。全編、不気味な太鼓の音が鳴り響いています。黒人兵から妻を暴行された男が復讐するという暗い話です。一度よんだら忘れることができません。
そして、松本清張の得意分野のひとつが政財界を結んだ大々的な汚職事件です。小役人が追いつめられて自殺するというのは、モリトモ事件でも不幸なことに起きてしまいました。でも、下っ端はオドオド、ビクビクしているのに一番悪いやつが高笑いして、ぐっすり眠っているなんて、絶対におかしいです。清張は、そこに鋭く切り込んでいきます。
北九州にある松本清張記念館にまた行ってみたくなりました。まだ行ったことのない人は、ぜひとも行ってみてください。
(2018年1月刊。760円+税)
2018年5月 3日
みかづき
(霧山昴)
著者 森 絵都 、 出版 集英社
これは面白い本でした。本屋大賞2位、中央公論文芸賞受賞というのも素直に同感できます。教育とは何か、家族って、どういう存在なのか、よくよく考えられた人物描写とストーリーです。私は朝から電車のなかで読みはじめると、たちまち車内放送が耳に入らなくなり、裁判の合い間にも手放さず、帰りの車中でついに読了してしまいました。読了したとき、あまりの満足感に、深い溜め息のようなものを、思わずついてしまったほどです。
先日、娘二人を女子プロレスの選手として育てあげ、国際試合でチャンピオンになったというインド映画『ダンガル』を天神で観ましたが、そのときと同じ充実感、満ち足りた思いがあり、やっぱり人生って、こんな感動にたまには浸りたいよねと思ったものでした。
この本のメインストリームは学校教育ではなく、塾あるいは予備校です。あとでは津田沼戦争と呼ばれた予備校同士の熾烈な競争も下敷きにしています。が、出発点は、あくまで補習塾です。四谷大塚とか浜学園のような英才塾ではありません。
どんな子であれ、親がすべきことは一つ。人生は生きる価値があるっていうことを、自分の人生をもって教えるだけ。
塾の教師の役目は、その気になれば、いくらでも伸びていく子どもたちの火付け役になること。つまり、マッチ。頭をこすって、最後は自分が燃え尽きて灰になったとしても、縁あって出会った子どもたちのなかに意義ある炎を残すことが出来たら、それはすばらしく価値のある人生なのではないか・・・。
常に何かが欠けている三日月(クレセント)。教育も、それと同じ、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑚を積むのかもしれない。
勉強が苦手な子は、基本、集中力がない。はじめのうちは10分間も勉強したら、5分間は雑談して休ませ、さらに10分間の勉強をさせる。それに慣れたら、15分、20分間と集中の時間をのばしていく。
子どもを教えるとき、教える側が口を挟みすぎないこと。つきっきりで勉強をみていて、つい口を出してしまうと、子どもは、その場では分かったような気になっても、それでは基礎学力が身につかない。
国語も数学も英語も、子どもたちの挫折のもとをたどると文章力不足に行きつく傾向が目立つ。ゲームやメールは打てても、長い文章は書けないし、読めない。そんな子には、文章を組み立てる訓練に時間をさいてやるといい。そうなんです。英語を身につけるためにも、国語の文章力が基本なのです。
親と似た性格を嫌がる子ども、おとなしそうでいて、実は忍従しているふりをしているだけ、明るく快活だと思っていると、それは仮面をかぶっているだけの子ども・・・。
いろんな子どもがいて、親と対決し、議論し、乗りこえていこうといいます。そして、親と同じ道を歩んだり、親と正反対のまま進んでいったり・・・。
人生とは、かくも複雑・怪奇なものなのだ・・・。そんな思いに浸ることのできた半日でした。
(2017年4月刊。1850円+税)
2018年4月22日
ルポ・川崎
(霧山昴)
著者 磯部 淳 、 出版 サイゾー
私は大学生のころに川崎に住んでいました。セツルメントに入ってすぐ、川崎区桜本に住んでいた先輩セツラーの下宿に行きました。そこは、今でいうコリアン・タウンでした。いわゆる下町とも、ちょっと違った雰囲気だと感じました。そこで、セツルメントの学生集団(セツラーたち)が子ども会活動をしていたのです。とても、大変な活動だと分かって、勇気のない私は中部の労働者住宅街(幸区古市場)の若者サークルに入りました。
そして、弁護士になって川崎区にある法律事務所で活動するようになりました。しかし、弁護士としては、川崎区の地域問題というより、労働災害や労働運動にかかわることが多く、ほとんどコリアン・タウンに関わることはありませんでした。
いま、ヘイト・スピーチをすすめる差別主義者の集団は川崎区をターゲットにしています。彼らは諸民族が平和共存するのを許さないというのです。なんという愚かな言動でしょうか、信じられません。金子みすずの詩ではありませんが、みんな違って、みんないい、この精神に立たなければ世界と日本の平和はありえません。オレが一番という、トランプやアベ流の発想では戦争を招いてしまいます。「核」の時代に戦争だなんて、とんでもないことです。
この本は現代の川崎市川崎区の実情に足を踏み込んでレポートしています。
川崎区は、暴力団がいまもって深く根を張っている。性風俗の店と暴力団は、残念ながら、昔から切っても切れない関係にあります。
この川崎区にもアベノミクス効果は、まったく及んでいません。アベ首相の眼は、タワーマンションに住むような東京の超富裕層にしか向いていませんので、当然のことです。
暴力団予備軍が次々と再生産している現実があります。親が子どもをかまわない。放任された子どもは仲間とともに非行に走っていくのがあたりまえ・・・。寒々とした状況が明らかにされています。
私が40年前、川崎にいたころに既にあった、マンモス団地の河原町団地は今もあるようです。当然のことながら、その住人の高齢化はすすみ、デイケアの送迎車が目立ちます。
在日コリアンの集住地域だった川崎区桜本にもフィリピン人が転入してきている。仲間、家、仕事。この3点セットを求めて移動してきたのだ。今ではそれに加えて、南アメリカの人々もいる。
川崎区のひどい環境から抜け出すには、ヤクザになるか、職人になるか、はたまた警察に捕まるしかなかった。最近は、これにラッパーになるという選択肢が加わっている。
ヘイト・スピーチをしている人たちも、過去に差別されたり冷遇されたりして、自分を大切に扱われてこなかったという寂しい生育環境のもとで大人になったと思います。気の毒な人たちです。でも、かといって、他人まで、自分が味わったと同じ、みじめな境遇を味わせようなんて、心があまりにも狭すぎます。もっと大らかに、くったくなく、一度だけの人生を楽しみたいものです。川崎区の現実を断面として切り取った迫真のルポルタージュでした。
(2018年3月刊。1600円+税)
2018年4月20日
「北朝鮮の脅威」のカラクリ
(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 岩波ブックレット
アベ内閣が窮地におちいる状況になると、北朝鮮がミサイルを打ち上げ、Jアラートが発令され、アベ内閣は国民の目をそらして危機を切り抜ける。こんな構図が何回も繰り返されてきました。アベ内閣が北朝鮮へ内閣官房機密費から、いくらかまわしているのではないかという噂は絶えませんし、信じたくもなります。
いったい「北朝鮮の脅威」なるものは本当にあるのでしょうか。東京の地下鉄を10分間も停めるというのが、果たして何らかの対策になるものなのでしょうか。日本全国に50ケ所以上もある原子力発電所にミサイルが打ちこまれたらどうなりますか。それを喰いとめる手だては実際上なにもありませんが、それについてアベ政府が何か対策をとったという話はまったくありません。
2017年9月15日に北朝鮮が打ち上げたミサイルは高度750キロメートルの上空、すなわち人工衛星の周回する宇宙空間を飛んだ。このミサイルがもし日本に打ち込まれたとしたら、住民が両手で頭部を守って、しゃがみこむ訓練なんて、何の役にも立たない。
アベ政府のJアラート発令は、北朝鮮はアメリカを狙っていることが明白なのに、あたかも日本を攻撃しているかのように日本国民を勘違い、錯覚させてしまうものでしかない。
実は、北朝鮮は、これまで一度も日本を攻撃対象として、ミサイルを打ち上げたことはない。
北朝鮮の特殊部隊は、原発を攻撃すると想定するのは、空想的すぎると楽観的に考えられているが・・・。日本の原発にある圧力容器や使用済み可燃料プールに命中したら、甚大な被害が出るのは間違いない。この点の心配こそ先決ですよね。要するに50ケ所もの原発が存在するというのは、人質にとられているも同然なのです。
北朝鮮の軍隊は、ヒト・モノ・カネの点で国から優先的に配慮してもらっている。しかし、北朝鮮の国内は深刻な脅威に直面している。たとえば、燃料が不足して軍隊は訓練すらままならない状況にある。ただ、8万8千人もいる世界に例のない大規模な特殊部隊を持っていて、これが日本の原発や新幹線を狙ったら、どうなるのか、それがもっとも心配なこと。
アベ政治には一刻も早く退陣していただくほかありませんよね。わずか60頁あまりですが、内容はとても濃密です。これで520円とは申し訳ないほどです。
(201年3月刊。520円+税)
2018年4月18日
新・日本の階級社会
(霧山昴)
著者 橋本 健二 、 出版 講談社現代新書
現代日本の貧富の格差は拡大する一方ですが、著者は、もはや「格差」ではなく「階級」になっていると主張しています。
900万人もの人々が新しい下層階級(アンダークラス)に属しているといいます。
ひとり親世帯(その9割が母子世帯)の貧困率は50.8%。貧困率の上昇は、非正規労働者が増えたことによる部分が大きい。アンダークラスの男性は結婚して家族を構成するのがとても困難になっている。アンダークラスには、最終学校を中退した人が多い。資本家階級には、世襲的な性格がある。
資本家階級の人の身長がもっとも高く、アンダークラスはもっとも身長は低い。体重は、資本家階級がもっとも重く、アンダークラスがもっとも軽い。その差は7.1キロ。これって、アメリカでは、逆なんじゃないでしょうか。超肥満は貧困を意味し、スーパーリッチな人々はとてもスリムだと聞いています。お金をかけてダイエットし、スポーツジムで鍛えているのです。
排外主義の傾向が強いのは男性であって、女性ではない。自己責任論は、資本家階級と旧中間階級に肯定する人が多い。パートで働く主婦層は自己責任論を強く否定している。
アンダークラスの人々は、格差に対する不満と格差縮小の要求が平和への要求と結びつかず、むしろ排外主義に結びつきやすい。
自己責任論は、本来なら責任をとるべき政府を免責し、実際には責任のない人々に押しつけてしまう。「努力した人が報われる社会」というスローガンは、単に格差を正当化するためのイデオロギーになっている。
アンダークラスの人々が絶望感から排外主義に走り、また投票所に出向かないことによって、特権階級は金まみれの生活を謳歌しているというのが日本の現実ではないでしょうか。やはり、国民みんなが投票所に出向いて、日頃の生活実態にもとづいて、自分の要求を素直に反映して投票したら、この日本の恐らくもっとまともなものに変わると思います。投票率が5割ちょっと、というのではアベの専横独裁を許すことになり、私たちの生活はいつまでたっても良くなりません。
(2018年1月刊。900円+税)
2018年4月15日
健康格差
(霧山昴)
著者 NHKスペシャル取材班 、 出版 講談社現代新書
貧困家庭の子どもたちに肥満が増えている。
アメリカでは大人も子どもも、肥満しているということは貧困のあらわれです。食生活が十分でないことを意味しているからです。スリムな身体を維持するためにスポーツジムに通うようなことは、金銭的な余裕のない低所得層には不可能に等しいのです。
非正規雇用の人は正社員より糖尿病(網膜症)を悪化させる割合が1.5倍も高い。30代から40代の現役世代に糖尿病患者が増えている。歯周病の悪化がそれをもたらしている。
非正規雇用の人々は、炭水化物を多くとる食事に偏りがち。米、小麦、じゃがいもの3点セット。安くて、こってり味で、すぐに腹一杯になるものを好む。激安の牛丼は、その最たるもの。牛丼やラーメンを好む。逆に、野菜、魚、肉は高いので買えず、食べない。
50代の男性の5人に1人弱がひとり暮らし。30年前の3倍強に増えた。女性では、80歳以上の女性の4人に1人がひとり暮らし。30年前の9%が今では26%になっている。
肥満防止対策としては、先に野菜を食べ、10分おいて炭水化物をとること。ベジ・ファーストと呼ぶ。
カップラーメンには、1食あたり5グラムの食塩がふくまれている(大盛りサイズだと9グラム以上)。一食だけで、塩分のとりすぎになる。
健康対策で見落とされがちで、意外に有効なのは「歯磨き」。そうなんですよね。ですから私も、朝に3分間、夕に5分間、タニタの時計を目の前にして励行しています。
両親が生活に追われていて余裕のない世帯に低体重児が多い。
健康格差は、自己責任論では解決できない。日本では、健康格差は、雇用の問題が大きい。健康格差を放置すると医療費が増大し、国家支出が増えてしまう。その前に対策・予防すると、みんなが助かる。
自己責任論のマジックから一刻も早く脱却したいものです。
(2017年11月刊。780円+税)
2018年4月14日
黙殺
(霧山昴)
著者 畠山 理仁 、 出版 集英社
選挙権を得てから私は棄権したことがありません。投票所で入れたい人がいないときは、わざわざ「余事記載」をして無効票を投じます。私にとって、投票するのは権利であって、義務でもあります。最高裁の裁判官の国民審査にしても、ムダなことだと分かっていても、ご丁寧に全員に×印をつけています。
みんなが投票なんてムダなことだと思っていたら、この社会には民主主義はないし、専制君主による独裁を甘んじて受けいれるしかなくなります。権利に甘えてはいけません。
ところで、誰が候補者になっているのか、その人は何を訴えようとしているのか、きちんと考えずに投票している人が少なくないのも現実です(少なくとも、私はそう考えています)。
初めから当選しそうもない候補者をマスコミは「泡末候補」と呼び、その政策をまともに紹介することはありません。著者は、その「泡末候補」にながく密着取材してきた。フリーの記者です。「泡末候補」と呼んではいけない、あえて呼ぶなら「無頼系独立候補」と呼ぶことを提案しています。
いまの選挙制度はおかしいことだらけです。その最大は死票続出の「小選挙区制」です。「政治改革」の美名のもとに、あれよあれよというまに実現してしまいました。「アベ一強」という、おかしな政治がまがり通っているのも、この小選挙区制の結果です。
もう一つは戸別訪問の禁止です。欧米の選挙運動では、テレビのCMとあわせて戸別訪問を活発に展開していますが、当然のことです。ところが、日本では戸別訪問は買収供応の温存になるとか、まるで客観的根拠のない不合理な理由で全面禁止のままです。これは現職有利にもつながります。
この本では、さらに供託金制度も問題視しています。フランス、ドイツ、イタリア、アメリカには供託金制度そのものがありません。供託金制度のあるイギリスでも7万5千円、カナダとオーストラリアは9万円。韓国は高くて150万円。ところが日本では、衆・参議員は300万円、政令指定都市については240万円。
かつてはフランスにも供託金制度があった。ただし、4千円から2万円ほど。それでもフランスでは高すぎる、必要ないという声があがり、1995年に供託金制度は廃止された。日本で供託金制度が出来たのは1925年のこと。普通選挙の施行とあわせて、供託金制度がスタートした。
「無頼系独立候補」の素顔を知ることができる本でした。
(2017年11月刊。1600円+税)
2018年4月13日
職場を変える秘密のレシピ47
著者 アレクサンドラ・ブラックベリーほか 、 出版 日本労働弁護団
今や労働組合の存在感があまりに薄くて、連合と聞いても、有力な団体というイメージがありません。かつて、総評というと、医師会以上の力をもって社会を動かしていたと思うのですが、医師会も自民党の支持母体というだけで社会的に力がある団体とは思えません。
この本は、アメリカで労働運動に運動を取り戻すということで1979年に発足した「レイバー・ノーツ」が発行したものです。日本労働弁護団は、この本(英語版)をテキストとして2017年2月から月1回の読書会を開いてきたとのこと。なるほど、アメリカノ労働運動の実践をまとめた本ですが、日本でも大いに参考になるものだと読んで思いました。
「誰も会議に来てくれない」と嘆く前に、Eメールや掲示板での知らせでは不十分なので、個人的に会って一対一で勧誘する。そして、会議に来てくれたら、気持ちよく有意義な会議にする。事前にちゃんと準備しておき、参加してくれたことに敬意を示す。議題設定は参加したいと思うようなものにする。
組織化するためには、聴くのが8割、話すのが2割(多くとも3割にとどめる)とする。話すときに携帯電話はしまい、相手の目を見て話す。時間をかけて話を全部聴く。誘導せず共感する。
「私がリーダーです」と言ったり、リーダーに自ら名乗り出る人は、たいてい本当のリーダーではない。情報通になりたがったりするだけであったり、最後までやり通せないことが多い。仲間からあまり好かれていなかったりもする。本当のリーダーは、みんなが自分で行動するようにすることができる人。
仲間を増やすには、まず一つは勝利をあげる必要がある。それによって、懐疑的な人たちをその気にさせる。奥の手はいきなり出さず、小さく産んで育てていく。最初に大失敗してしまうと、キャンペーンは行き場を失い、打ち切るしかなくなる。
キャンペーンの勝利は、それまで築いてきたコミュニケーションのネットワークを通じた一対一の対話によって得られる。SNSもビラも新聞もいいけれど、一対一の面と向かった対話を何より優先させること。
アメリカのレイバー・ノーツの全国大会には2300人もの参加があり、日本からも多くの人が参加しているとのこと。なるほど、この本に書かれているような経験交流が全国規模でなされるのであれば、大きな意義があると思います。
憲法に定められた労働基本権がまったくないがしろにされているような日本の現状です。ストライキが死語になっている社会なんて絶対おかしいと私は思います。なんでも自己責任ですませてしまい、弱者をたたいて喜ぶ風情、流れは一刻も早く変えたいものです。とても実践的な、いい本です。大いに活用されることを心から願います。
(2018年1月刊。1389円+税)
2018年4月 7日
母の家がごみ屋敷
(霧山昴)
著者 工藤 哲 、 出版 毎日新聞出版
いま全国各地で問題になっているゴミ屋敷について、その現状と対策が具体的に紹介されていて大変勉強になりました。
ゴミ屋敷を生み出している当の本人やその家族には既に問題解決能力を喪っている人が多いようです。ですから、行政的に解体・撤去すれば終わりということではなく、そのケアも大切だということです。なるほど、そうだろうなと思いました。
セルフネグレクトは、自己放任。自分自身による世話の放棄・放任だ。この状態が続けば、室内(家屋内)にゴミや物がたまって不衛生になり、何かのはずみで引火して火災を起こして本人ないし周囲に迷惑をかける。また、本人の健康も悪化していく。
本人が認知症にかかっていたりして、自覚がなく、ときに開き直るので、行政もうかつに手出しができないことも多い。
たまっているゴミが歩道を占拠しているときには、道路交通法違反として逮捕した例もある。また廃棄物処理法違反で摘発した例は少なくない。自治体が行政代執行で撤去することもある。放置されたゴミの撤去費用として200~300万円かかることがある。
地方自治体では、このための条例を政令したり、専門部署を設けて対応しているところも少なくない。埼玉県所沢市では、「ゴミ出し支援制度」をもうけていて、利用者が10年間で500世帯超と、3倍に増えた。
この本を読んで驚いたのは、実は、20代、30代の若い人でもゴミ屋敷のようになってしまう人が増えているということです。何らかのきっかけで、無気力、ひきこもり状態になってしまった結果なのです。
モノはあふれているけれど、住む人はますます孤立しているというのが、現代の日本社会だということです。直視すべき日本社会の現実のひとつだと思いました。
(2018年2月刊。1400円+税)