弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2010年10月 9日
自衛隊という密室
著者:三宅勝久、出版社:高文研
日本の自衛隊は死者を出し続けている。死者数でもっとも深刻なのは自殺である。1994年から2008年までの15年間で、1162人もの隊員が自殺で命を落とした。一般公務員の自殺率の2倍にあたる。
暴力事件で懲戒処分された隊員は2007年度の一年間で80人をこす。
脱走や不正外出で処分された隊員は326人、病気で休職している隊員が500人。脱走・不正外出は脱柵(だっさく)という。2007年度の脱柵による処分は272人。ほとんど1日から1ヶ月内に見つかっているが、半年以上も行方が分からずに免職になった隊員も7人いる。
自衛隊法施行規則57条第6項に、「部下の隊員を虐待してはならない」と定めてある。
「死にたい奴は死ねばいい。なにがメンタルヘルスだ」
一佐の年収は1000万円以上、退職金は4000万円。そして納入業者に役員待遇で再就職する。防衛省との契約高15社に在籍しているOBは2006年4月、475人。三菱電機に98人、三菱重工62人、日立製作所59人、川崎重工49人。
2008年度の1年間で、防衛省と取引のある企業に再就職した制服幹部(一佐以上)は、80人。三菱電機が一番多い。
三菱重工と防衛省との年間契約高は2700億円。三菱重工ほど、兵器でもうけてきた会社はいない。
まさに死の商人なんですね。ちっとも、そこにメスが入らないのは不思議です。マスコミよ、しっかりして下さいな。
日本の自衛隊のいじめ体質は、軍隊のもつ本質でしょうね。かつてのアメリカ映画『フルメタル・ジャケット』を思い出しました。新兵訓練のしごきで、殺人マシーンに仕上げられる様子がまざまざと描かれていました。それに耐えられない、まともな神経の新兵は銃口を口にくわえて、ひっそりと自死してしまうのです。
それにしても、日本の軍需産業の実態、とりわけ防衛省幹部の天下りがまったく知らされていないのは由々しき問題です。ぜひぜひ、誰かバクロして下さい。そこにこそ壮大なムダづかいが隠されているはずです。
(2009年9月刊。1600円+税)
2010年9月30日
俺の後ろに立つな
著者 さいとう・たかお、 新潮社 出版
大学生のころ、私も『ゴルゴ13』を愛読していました。といっても、買っていたのではなく、寮内のまわし読みの恩恵にあずかっていたのです。白戸三平の「カムイ外伝」も夢中で読んでいました。最近は、とんとご無沙汰しているのですが、1968年に連載が始まってから、今日まで1回も休みなしで続いているというのです。
これはすごいですね。寅さん映画を上まわります。なぜ、そんなことが可能なのか? その秘訣は、分業を取り入れた「さいとう・プロダクション」にあります。この本は、その実情を語ってくれます。その発想、そして企画を40年にわたって実行し続ける力は偉大です。
著者は19歳のとき(昭和30年)、大阪でデビューした。ときあたかも、貸し本ブームの時代。そして、昭和32年に東京に進出。手塚治虫たちがトキワ荘に集まって活動していたころのこと。そして、分業化に早くも挑戦した。その一連の作業の流れは次のとおり。
まず、脚本担当は時代の潮流からテーマをすくい上げ、それに沿った資料をかき集め、そこから物語を紡ぎ出していく、それを俎上に脚本担当と構成担当が徹底的に検証し、脚本を完成させる。構成担当は、その脚本をどういうようなコマ割で展開し、演出するかを搾り出す。それが出来上がると、いよいよ絵を描くのだが、作画担当も、それぞれに人物担当、背景担当と役割が決まっている。スタッフそれぞれが得意なパートを分担するわけだから、それぞれの才能を十分に生かした力強い作品が望めることになる。すべてが共同作業となるため、それなりのチームワークは欠かせないが、完成時には一人作業ではとうてい味わえない達成感がある。マンネリ化を引き起こさないよう、脚本は外注化する。
すごい発想ですよね。マンガを分業化し、チームで描くというのは・・・・。よほど中心にすわる人の力が大切なのではないでしょうか。
映画と劇画の違い。劇画のコマ割りは二重構造、つまり作品に二重の効果をもたらすという独自の特徴がある。劇画の場合、一つずつのコマ割りの前に、見開きごとの展開を考えなければならない。最後のコマに工夫を要する。次の見開きページに興味をもたせるために、つなぎのシーンで終わらせるといった仕掛けが必要なのである。
「007シリーズ」の映画を劇画化するとき、著者はそれを読んだことがなかった。原作に引きずられないためである。小説のボンド像が見えてしまうと、劇画として小さくまとまってしまう。そのことを恐れた。なーるほど、そうなんですか・・・・。
登場人物作りは大切。いくら面白い脚本ができてもキャラクターづくりに失敗すると、面白くなくなる。そして、主人公の名前が決め手。名前は、その性格に大きく影響する。「ゴルゴ13」のゴルゴとは、キリストが十字架にかけられたゴルゴダの丘。「13」は、キリスト最後の晩餐で13番目の席にいたユダヤにまつわる数字だ。そこからイメージをふくらませ、あのキャラクターは出来上がった。私も「小説」を書いていますが、ネーミングには苦労しています。名は体をあらわします。イメージは大切ですからね。
「ゴルゴ13」とは、できるだけ距離を置いて描くように気をつけた。そして、距離を置いていって、どんどん台詞を減らしていった。
なまじ知識のあるものを道具立てにした劇画は描かない。知識がある分、常識から逸脱した発想が浮かんでこなくなるから。ふむふむ、これって、とても逆説的なことですよね。でも、なんとなく分かりますね・・・・。
これだけ描いてきてもネタに困ったという覚えは一度たりともない。そもそも物語と言うのは、シェイクスピアが書き尽くしてしまっている。それだけに余計なことには手をださない。我々はパターン化されつくした物語にどう味付けし、枝葉をつけるのか、それだけ考えて作業を進めたら事足りる。つまりは、アレンジだ。
それは、音楽も一緒で、旋律のパターンに限りがあって、どれも似たり寄ったりなのだが、リズムをちょっと変えるだけで、不思議なほど、別物に聞こえる。物語も、このアレンジには際限なく、これからもたくさんの作品が誕生するはずだ。
「ゴルゴ13」は身近な出来事の延長線にあるのだが、舞台を国際化すると、スケール感が加わり、スリリングな物語に変身、読者は手に汗して、その成り行きに固唾を呑む。脚本担当と著者の仕事は、そのいかにも現実にありそうな話をアレンジすること、奇想天外なストーリーでありながら、現実にあっても不思議ではない話であることが作品にリアリティーを与える。
シェークスピアが出てくるところは、恐れいりましたという感じです。大変示唆に富む本でした。さすがは読ませる(見せる)プロです。
(2010年6月刊。1300円+税)
2010年9月29日
日本の教育格差
著者 橘木 俊詔、 岩波新書 出版
日本では高卒と大卒との間で、賃金格差が目立っている。しかし、日本は、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスそして韓国と比較すると、学歴間の賃金格差がもっとも小さい。日本が1.60であるのに対して、アメリカは2.78、イギリス2.60、韓国2.33、フランス1.92、ドイツ1.85なのである。このように、国際比較では、日本は学歴による格差が小さく、むしろ平等度の高い国家といえる。
へへーん、そうなんですか・・・・。ちょっと信じられませんでしたね。
上場企業の役員のうち、名門大学出身は50%弱であり、非名門大学出身者が過半数いる。上場企業の役員になる道は、非名門大学出身者にも、それなりに開かれている。たしかに、企業では、実力本位のはずです・・・・。
短大・大学進学率は、1960年から1975年までの15年間に、10%から40%まで急激に上昇した。そして、1975年ころに上昇率が止まる。ところが、1995年あたりから再び大学進学率は上昇し、現在は50%を少しこえた水準で落ち着いている。これは主として女子の短大・大学進学率の上昇が要因である。
18歳人口の半数以上が短大・大学に進学している国は、アメリカと日本くらいで、世界中にそんなに多くない。
国立大学の授業料は年に56万円。私立大学では、文系で70万円、医・歯で300万円ほど。そのため、親の経済状況が子どもの大学進学の決定に大きな影響を与えており、国公立と私立のどちらかに進学するかにも影響を及ぼしている。私のときは、年に1万
2000円の学費でした。寮費も同じです。
公立学校で子どもが学ぶことは悪いことではないというのが著者の考えです。人間社会の縮図を子どものころから体験することは、子どもの人間形成にとって貴重な体験となるからである。私自身は市立の小・中学校そして県立高校、国立大学というコースをたどっています。中学校は団塊世代でしたから、1学年13クラス、1クラス50人。傷害事件を起こして少年院へ送られた同級生が何人もいました。ツッパリグループは隣の中学校の生徒とのケンカが絶えませんでしたが、生徒数が多いこともあって、私自身は、いつものほほんと学校で生活していました。いじめもあっていたのでしょうが、一クラスに50人以上もいると、あまり気にせずに生きていけたのです。同質の生徒ばかりが集まるのは、勉強と成績維持のためにはいいかもしれませんが、人間の幅を狭くするのではないかという心配もあると思います。いかがでしょうか・・・・。
日本は公教育費支出がOECD諸国のなかで最低。それは、日本では教育は私的財とみなす考え方が支配的だから。つまり、教育の利益を受けるのは教育を受ける個人だという考え方が根強い。大学などの高等教育段階において、日本の公的教育支出は
4689ドル。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスでは9000ドルをこえているのに、日本は、その半分程度でしかない。
家計への直撃度は、日本の大学は5ヶ国中で一番高い。日本は突出して家庭に教育費負担を強いている国である。ヨーロッパでは多くの国で授業料は無償であり、大学に国が多額の支出をしている。日本は大学の授業料が高いうえに、奨学金制度もきわめて貧弱である。日本の奨学金は7000億円。アメリカでは、なんと13兆円である。しかも日本の奨学金制度は無利子から有利子となり、総額も減少するなど、財政難から後退し続けている。私も月3000円の奨学金をもらっていて、弁護士になって数年して返済を終えました。
思い切って少人数学級にして、学力の高い子も低い子も、今以上に指導の行き届いた教育を受けさせる。そのことが、それぞれの学力を高めることになる。
そうなんです。コンクリートより人なんですよね。人間への投資を高めてこそ、日本という資源の乏しい国が浮揚することのできる唯一の道だと私も確信します。大変示唆に富んだ、いい本でした。
司法修習生に給与が支払われていた制度が廃止され、貸与制になろうとしています。日弁連は給与制の廃止を止めさせようと頑張っています。人間を大切にするためには、まずはお金が必要です。ゼネコンのためにしかならないような空港や新幹線、ムダの典型である戦車やヘリ空母などをつくるのを止めたら、すぐに実現できることなんです。ぜひぜひ、流れを人間本位に変えましょうよ・・・・。
(2010年7月刊。800円+税)
ネコヤナギの木が根元から腐れ、倒れ掛かって残念ですが掘り起こして片付けました。幹を切ると、空洞になっていて、たくさんのアリが棲みついていました。ノコギリを手にしていると、怒ったアリが腕に噛みついてきて、痛い思いをしてしまいました。棲みかを襲われてアリが怒るのも無理はないのですが、こればかりは仕方ありません。数日後、アリ軍団はどこかへ姿を消してしまいました。
いま、庭にはピンクの芙蓉の花、そして淡いクリーム色のリコリスの花が咲いています。芙蓉のほうは、酔芙蓉も咲き始めました。朝のうち真白で、午後から酔ったように赤くなっていく花です。
リコリスはヒガンバナ科です、今年は猛暑が続いて万寿社下の赤い花は咲き遅れているようです。稲刈りも間近となりました。
2010年9月24日
キンドルの衝撃
著者:石川幸憲、出版社:毎日新聞社
キンドルは今、アメリカで大ヒット商品になっている。2009年に200万台を売り切ったという。
アマゾンは売り上げ実績を公表していないが、2010年には350万台と予想されている。キンドル関連の売上は14億ドル、アマゾンの総売上の4%になる。
キンドルのモノクロ画面は紙と同じ反射型の表示なので、目に優しく、直射日光や暗い室内でも見やすい。一度表示されると電力を必要としない。LCD(液晶画面)に比べて電力消費が10分の1ですむ。キンドルは1週間の充電で2週間つかえる。
キンドルは359ドルだったのを259ドルまで値下げした(2万6千円)。
1000万人のアメリカ人が既にキンドルを持っているか、買おうと思っているという。
アマゾンは、急成長したが、一時は6ドル以下にまで暴落したことがある。しかし、今では株価は134ドル、時価総額は581億ドルになる世界的企業となった。従業員も2万人をこえる。
私は、本はやっぱり紙に印刷されたものを読みたい派です。この難点は、書庫が必要となることですが、それも楽しみでもあるのです。子どもたちがいなくなった子ども部屋を書庫につくり変えましたが、そこにジャンルごとに本を並べて、ときどき手にとってみるのは悦楽のひとときです。
キンドル経由の新聞購読者の半分は、今まで新聞を購読したことのない人たちで、4分の1が紙の新聞をキャンセルしてキンドルに乗りかえ、残る4分の1は紙とキンドル版の両方を購読している。つまり、キンドルのおかげで新聞の購読者層は拡大しているのだ。
したがって、紙がペーパーレスかという二者択一ではなく、紙もペーパーレスもともに共存する時代がしばらく続くと考えることが現実的である。
私は断固として紙の新聞をよみたいと思っています。テレビを見ない私にとって、毎朝、郵便受けに入っている新聞を手にとって、その一面の大見出しによって、世間の動向を実感することができるのです。そんな私でも、いずれキンドルも利用することになるのでしょうか・・・。でも、そのとき年間500冊も読めるのか心配になります。
(2010年2月刊。1500円+税)
2010年9月23日
誰かが行かねば、道はできない
著者:木村大作・金澤 誠、出版社:キネマ旬報社
私は映画大好き人間です。月に1本はみたいと思いますが、実際には3ヶ月に1本くらいなので、残念です。私の同期の大阪の弁護士(坂和章平弁護士)は、月に2本から3本は映画をみて、その感想文を何十冊もの本にまとめています。私は、そこまではしたくありません。別に映画評論家になろうという気はないのです。みたい映画だけをみて、素直に感動したいということなんです。
この本は、『劔岳、点の記』という映画をみて感動したので、その監督についても少し知りたくなって読んだのでした。いやはや、芸術家というのは、大変な人種なんですね。弁護士にも変わりものは多いのですが、それに何倍も輪をかけています。
木村さんの本職はキャメラマン。木村さんの考える撮影とは、決してファインダーをのぞいて映像をとることだけではない。木村さんは、よく、一番大事なのはセッティングなんだという。俳優がカメラの前に立って芝居をするとき、もっともいい状態を、その場にセッティングすることさえできれば、キャメラマンは本番で素直に撮ればいい。そのセッティングをするために、木村さんは、あらゆることを口に出す。ロケ地の選定、キャメラアングルと撮影の狙いに即した美術セットの建て込み、俳優が画的に映える衣裳の見たて、さらにはもっとも効率的な予算の使い方に至るまで、映画づくりのすべてに自分のエネルギーを投入する。
黒澤明監督は、建物の影を地面に墨汁で描き出した。そうやって影を濃くすると、曇りのときでも晴れに見える。写ったものは、影が出ていれば晴れというイメージが見るほうにインプットされているから、晴れて見える。あとは、ライティングの工夫をすればよい。
若いときには自分から何かをやっていかないと、のし上がれない。監督の言うままに、「はい、分かりました。アップですか」と撮っていたのでは、そのキャメラマン独自の価値観が見えてこない。
現場は生きているんだから、言葉じゃ、どうしようもない。まずやってみせること。それと、曲げずに貫き通すこと。
自然を撮るときには、あきらめたら負け。自分の勘を頼りに、忍耐力をもって、あとは神が我々の望む自然を恵んでくれることをひたすら待つしかない。
黒澤明監督は、何かを表現しようと思ったら、その10倍描けばいい。そうすると、観客は、伝えたいことを認識してくれる。
高倉健の革ジャンは70万円のもの。衣裳は本人が決める。背広の色はチャコールグレイ。ジャンパーはバラクーダ社のものと決まっている。
すごい人がいるものですね。感嘆するばかりです。人間としての情熱を感じました。
(2009年6月刊。2400円+税)
2010年9月 2日
防衛融解
著者 半田 滋、 旬報社 出版
自衛隊ウォッチャーの第一人者が自衛隊の現状、そしてアメリカ軍の果たしている実際の役割を事実に即して具体的にリポートしていて、大変、目を開かせられる本です。一人でも多くの人に読んでもらいたいと思いました。
太平洋戦争後もアメリカ軍による占領状態を保障し、基地の地代のために働く2万5000人の基地従業員(日本人)の給料負担はもちろん、アメリカ軍が公用だけでなく私用で使った水道光熱費まで、全額、日本人の税金で負担する。これが日米安保条約である。
たとえば、首都・東京にある横田基地にアメリカ軍の将官がアメリカから飛来する。このとき、日本政府は、許可していないし(アメリカ軍は許可をもらう必要がない)、その将官が誰かも知るすべがない。アメリカ軍は、日本政府の許可なく、どんな航空機でも横田基地に離着陸させることができる。このように首都のど真ん中に主権の及ばないアメリカ軍基地があり、アメリカ軍の管理する空域(日本の飛行機は逆にアメリカ軍の許可なしには飛べない)の広がる日本は、まともな国だろうか。
そうですよね。これでは、日本が独立国家だなんて恥ずかしくて、とても言えません。これからもずっと今のままにしていいなんて私は思いません。あなたはどうですか・・・・?
5兆円もの軍事費がなかなか削減されません。陸上自衛隊においては、活動経費が削られてしまったため、富士山のふもとにある演習場まで移動するのに高速道路が使えず、一般道路を走ります。そこで、トイレ休憩にはドライブインを使うしかありません。ジュースやガムを隊員が購入して、トイレを使わせてもらっています。
ところが、陸上、海上、航空の三自衛隊は目玉となる大型兵器の購入は認められている。海上自衛隊は、1200億円もするヘリ空母の建造が認められた。陸上自衛隊は新型戦車16両、157億円が認められた。航空自衛隊は、ミサイル防衛(MD)システムである。MDシステムには終わりがない。すでに8500億円を投じたが、今後もアメリカへ次々にお金を支払わなければいけない。なぜか? 著者は、自衛隊が高額な武器を買い続ける理由の一つに、高級自衛官の退職後の天下り先の確保をあげています。ええっ、これって、ほとんど汚職そのものではないでしょうか・・・・。国民を守るためというより、高級制服幹部たちの「老後」の生活を守るために莫大な私たちの税金がつぎ込まれるなんて、許せませんよ。
防衛費の配分比率は、陸海空で1,5対1対1に事実上、固定化されている。金額でいうと、陸が1兆7000億円、海が1兆1000億円、空も1兆1000億円。これって、おかしいですよね。こんなところで固定比率があるなんて、ありえないでしょう。軍事費って、本当に利権の対象でしかないことがよく分かります。ところが、表向きは国民を守るためにはどうしても必要だというのです。騙されてはいけませんよね・・・・。
普天間基地問題についての著者の指摘にも目を見開かされました。
アメリカにとって沖縄は、中国に対抗する最前線基地なのである。沖縄の基地建設は、受注をめぐる地元企業同士の争いだけでなく、本土の巨大企業対、沖縄の地元企業との戦いでもある。そして普天間基地の移設については、アメリカのゼネコン(ベクテル社)そして沖縄最大のゼネコン(國場組)がからんでいる。辺野古地区への移設案を検討するときには、沖縄の建設業者が受注できる工法が求められていた。
なーんだ、住民の意思とか利便性という前に、建築会社の意向のほうが優先しているのですね・・・・。なんということでしょうか。
日本の安全にはアメリカの駐留が不可欠というのは、神話であって、現実の話ではない。日本は1999年に周辺事態法を制定した。この法律によると、台湾や朝鮮半島が有事になったときには、それに参戦したアメリカ軍が日本の飛行場や港湾など、戦争に必要な日本の施設をつかうことを認めている。つまり、周辺有事になれば、アメリカ軍は日本中の自衛隊や民間の施設を自由に使えるのである。
海兵隊が着上陸侵攻作戦をしたのは1950年9月の朝鮮戦争における仁川上陸作戦が最後である。それは今からもう60年も前のこと。今や、強襲掲陸艦に乗り込み、海岸から上陸して敵地に切り込む着上陸侵攻の戦争形態自体が起こりえない。海兵隊は存在そのものが問われる危機的状況に陥っている。緊急展開なら、アメリカ本土にある第一、第二海兵遠征軍のほうが沖縄の第三海兵遠征軍より早く敵地に進出できる。見た目の距離と実際の移動時間は比例しない。
沖縄にいる第三海兵遠征軍の価値は、唯一、海外に展開していることに尽きる。これを「抑止力」と呼ぶのは、ほめすぎ以外の何ものでもない。
うひゃあ、そ、そうなんですか・・・・。
アメリカ軍海兵隊がグアムに移転する経費の半額を日本政府つまり私たち日本人の税金で負担する。既に2009年度に346億円、2010年度に468億円が支払われた。日本は、グアムに2320億円もかけて、アメリカ将兵のための住宅を建設する。大佐級だと一棟で6300万円という超高級住宅である。日本に住んだこともないアメリカ兵の家族のために、なぜ日本政府が住宅を提供する必要があるのか。いやはや、日本政府って、とんだ巨額のムダづかいをしています。これが例の「事業仕分け」の対象にならないなんて、いったいどういうことでしょうか。プンプンプン。
ところが、逆に、自衛隊がアメリカに行って、演習場を借りて訓練すると、使用料を支払わなければならない。数十億円にもなる。
日本にあるアメリカ軍の駐留経費の7割も日本政府が負担する。物見遊山でドライブするアメリカ兵の高速道路料金も日本が負担する。
ああ、なんということでしょう。これが日米安保条約だなんて・・・・。許せません。腹の立つことばかりですが、目をそらすわけには行きません。あなたも、ぜひ読んでみて下さい。
(2010年7月刊。1500円+税)
2010年8月31日
激変の時代のコンビニ・フランチャイズ
著者 植田 忠義、 花伝社 出版
コンビニそしてフランチャイズについて、いま「日本でフランチャイズの実情に一番詳しい人」が書いた、とても分かりやすい本です。190頁ほどのハンディーな本ですし、1500円という手頃な価格の本ですので、関心のある人は、ぜひとも買って読んでみてください。
フランチャイズというとコンビニと思われるが、実態はそうではない。1000社をこえる本部のうち、コンビニは40社ほど。加盟店は20万をこえるが、コンビニは、そのうち5万ほどでしかない。あらゆる業種にある。フランチャイズ産業全体の売上高の37%をコンビニが占めている。フランチャイズ本部の圧倒的多数は中小企業である。資本金10億円以上、様式公開という本部は、ほんのわずか。フランチャイズ関連で働く労働者は200万人をこえる。
コンビニ利用者は毎日2500万人をこえ、フランチャイズ店は、深夜の客数はきわめて少なく、割高の人件費、売れ残り、水道光熱費など、経営面で採算があっていない。一日の来客者数が600人以上、都心の店には一日に3000~5000人の客が入っているところがある。
深夜も店に入るオーナーの平均的な一日の生活は、午後4時に起床。一人で軽く麺類を食べ、店に行く準備をする。午後8時には店に入り、翌日の午後10時まで店で仕事をする。それから自宅に帰り、寝るのは昼ころ。まともな食事も睡眠も取れない。家族との対話もない。いやあ、これって本当に大変ですよね。これが何年も続いたら、健康をこわしてしまうんじゃないでしょうか・・・・。
昨日までの労働者が、いきなりフランチャイズ、コンビニをやるのは問題がある。経営者になる、事業を経営するというのがどういうことなのか知識がない。事業経営は、働いて資本投下しても赤字になりうることを理解していない。
それでも、この本は、コンビニ業界には将来性があるという立場で貫かれています。決して必要悪という消極的な立場ではありません。もっとも、24時間営業には消極的です。私も、その点は大賛成です。
自立心の強い事業経営者志向の強い人には、コンビニは向いていない、ということも、はっきり書かれています。コンビニオーナーは、まさしく現代の奴隷という見方もあるのです。
コンビニ店によっては「24時間営業」ではなく、「午前0時閉店」を本部に認めさせたところ、独自の仕入れを本部に黙認させた店もあるということです。
そして、過大な廃業違約金を是正させた裁判例も紹介されてます。
また、コンビニ契約の更新を本部に承諾させた店もあるとのことです。
日本にはコンビニの数があまりにも多過ぎる気がします。フランスに行ったとき、小さなスーパーが日曜日に昼までの営業となっていて、午後2時過ぎに行ったときには閉まっていて、牛乳を買えなかったことを思い出しました。それでも、そんな不便は我慢できるものです。それにしても、今の24時間営業はムダだと私は思いますが、いかがでしょうか・・・・?
いい本です。ぜひ、読んでみて下さい。
(2010年7月刊。1500円+税)
泊まったホテルはリヨンの旧市街のなかにありました。旧市街には6階建てくらいの石造りの建物が並んでいて、通りは狭い石畳となっています。
カフェーとレストランがあちこちにありますが、少し広い通りは、両側のレストランが歩道にまでテーブルを並べています。観光客が多いせいか、ここは夕方6時過ぎからテーブルがどんどん埋まっていきます。7時ころには、相当の客が座って食事しています、ざっと見渡すと300人以上はいるのではないでしょうか。夜8時といっても、まだ昼間の明るさです。
広い通路が完全に埋まってしまいました。虫も蚊もハエもいなくて、暑くもなく、快適に食事ができます。
2010年8月27日
属国
著者 ガバン・マコーマック、 凱風社 出版
米国の抱擁とアジアでの孤立。こんなサブタイトルのついた本です。オーストラリアの大学教授の書いた日本論です。
日本はアメリカの属国なのか? のっけから、挑戦的な問いかけがなされています。とんでもない。そうキッパリと答えたいところです。しかしながら、そう答えたいのはやまやまなれど、たくさんの事実がそれを憚らせます。
日本経済は確実に下降し続けている。一人あたりのGDPは2006年には、OECD中の18位という、ぱっとしない地位にいる。持てる者と持たざる者、勝者と敗者の格差は拡大した。先進国の中で日本より深刻な貧困問題を抱えているのはアメリカだけである。
生活保護の受給家庭は100万世帯にのぼるが、生活保護を受ける資格があるのに行政から拒否されているケースは、さらに多い。安定した仕事は激減し、労働者の3人に1人は、ディケンズやマルクスが描写したような資本主義初期の暗黒時代に労働者が終験した貧困や搾取とあまり変わらない状態にある。
国民健康保険の保険料が支払えずに実質的に無保険状態になっているひとが1000万人もいる。社会の高齢化が加速し、少子化と相まって国力は衰退化しつつある。東アジアでも、世界でも日本の存在感は薄くなった。
小泉、安倍両政権の特徴は対米依存と責任回避である。日米関係の核心にあるのは、冷戦期を通してアメリカが日本を教化した結果としての対米従属構造だが、小泉と安倍という二人の首相の「改革」は、これまで長年継続してきた対米依存の半独立国家・日本の従属をさらに深め強化した結果、日本は質的に「属国」といってもいい状態にまで変容した。日本独自の「価値観・伝統・行動様式」を追求するどころか、そうした日本的価値を投げ捨ててアメリカの指示に従い、積極的にアメリカの戦争とネオリベラリズム型市場開放に奔走した。
世界中でアメリカの覇権とネオリベラリズムの信用度が急落しているなか、小泉、安倍両政権は献身的にブッシュのグローバル体制を支えた。後藤田正晴元官房長官は亡くなる前年(2003年)、日本はアメリカの属国になってしまったと発言した。
日本占領期のマッカーサー元帥は憲法や行政機構にまで細かい指示を出した。それから60年にたっても、ブッシュ政権の高官は、今もって小泉や安倍を配下のように見ている。それにしても、日本が、憲法を改定しろとか、日本の基本法を改めろというような、内政干渉もはなはだしいアメリカ高官を「親日家」としてありがたがり、ちやほやするのは、一体どういうわけなのか。
そのような自立心の放擲こそ、属国的思考の何ものでもない。
日本に公務員が多すぎるとはいえない。人口1000人あたりの公務員数は、イギリス73人、アメリカ80人、フランス96人であるのに対して、日本はわずか35人にすぎない。
福祉予算のほうも、OECDのなかで、もっとも少ない国に入っている。郵政民営化、なかでも簡保の民営化ほど、アメリカが日本に執拗かつ熱心に迫った施策はない。日本政府が運営する120兆ドルの保険ビジネスは、アメリカの保険ビジネスに次いで、世界第二位の規模であり、カナダのGDPに匹敵する。そこで、アメリカの保険業界は日本市場への参入を要望し、アメリカ政府の日本政府への要求となった。
北朝鮮は110万人の軍隊を擁している。この数字だけからみると、超大国レベルである。しかし、多くの部隊が生きるために狩猟や農業に時間を費やし、装備の多くは1950年代のものだ。燃料不足は深刻で、パイロットは毎年、数時間しか飛行訓練ができない。
小泉元首相は、北朝鮮への恐怖をあおることで利益をあおった張本人である。
日本の原子力発電への依存度は発電量でも消費電力量でも、フランスと肩を並べて世界で一位、二位を争う。そして、日本は既に45トンに及ぶプルトニウムを貯蔵する世界有数のプルトニウム超大国だ。これは世界の民間貯蔵量230トンの5分の1であり、長崎型核弾頭に換算すると5000発に相当する。日本は「兵器転用可能なプルトニウムの世界最大の保有国なのである。
イランや北朝鮮が同じことをしたら、絶対に阻止しなければならない、ということになるだろう。これって、おかしくないか・・・・?
日本の国とは、どんな国であるかを改めて考えさせられる大切な本です。慣らされてしまうと、大事なことが見えなくなるものなんですよね・・・・。
(2008年8月刊。2500円+税)
2010年8月25日
人材の複雑方程式
著者 守島 基博、日経プレミアシリーズ 出版
日本の企業における人材育成のあり方について問いかけている本です。
いま、企業のなかで職場が衰退し、そのなかで職場が果たしてきた基本機能が弱体化しはじめているのではないか。これまで、日本企業、とりわけ製造業の強みは、すりあわせの機能にあった。そして、このすりあわせを可能にしてきたのは職場集団の存在であった。それがしっかりしてきたからこそ、このすりあわせ能が培われ、維持されてきた。
職場は、少なくともこれまでは、メンバーがお互いに見える距離で働いていたために、そのなかにライバルを見つけるのは容易だった。職場は、協働の場であると同時に、競争の場でもあった。また、育成の場であると同時に評価・選別の場でもあった。能力のある人材は、職場のなかで評価され、チャレンジのある仕事を与えられてテストされ、勝敗が決まって、選別されていった。こうした丁寧な評価を可能にしたのも職場であった。
こうした職場の機能が、今、ゆらいでいる。しかし、職場こそ、日本企業のきわめて重要な財産なのである。職場の働きが、日本企業の強みをつくってきた。
ところが、今では、組織全体や職場が、これまでのような同質性の高い人たちの集まりではなく、もっと多様な意識と価値観や生き方を背負ってきた人たちの集まりになってしまった。多様性の高い集団のもたらす帰結のひとつは、深層での考え方や意識の違いによる不満の多様化である。
日本の組織は、過去20年間、人のつながりとしての側面を失ってきた。逆に、仕事をする場所であるという本来の機能が強くなった。いま、組織は、多様化と脱コミュニティ化が同時にすすむ場面となっている。
コンプライアンス、つまり法令遵守、そして、内部統制が重視されている。そのなかでは、従業員を信頼しない経営者が増えている。企業が、コンプライアンスの名の下に、働く人を信用しない施策を導入したとき、従業員は経営者の長期的意図を信頼せず、その仕組みのなかで期待されたとおりの短期利益志向型の行動をとる可能性が高い。つまり、従業員はルールに従うこと自体を目的をし、自律的に考えることをやめてしまう。
リーダーシップは、本来のリーダーになりたいという意欲に依存する部分が大きい。能力や資質がどんなに備わっていても、リーダーになりたくない人は、リーダーには向かない。
職場が変容し、共同体としての人と人のつながりがなくなることで、メンバー間のコミュニケーションが少なくなった。
現在、日本の企業がとりいれている成果主義には、導入プロセスに問題があるだけでなく、もっと構造的な欠陥があり、そのために多くの企業で成果主義は働く人から反発されている。人材育成、それも選抜された人材だけに限定されない人材育成が重要なのである。働く人の「夢」を維持するためにこそ人材育成は重要なのである。
多くの人にとって、自分の能力を高めて成果を出し、それが評価されることがやる気につながる。人材育成は、単に能力を高めるための施策としてだけではなく、働く人の「夢」の源泉となる経営機能なのである。
変化する日本の職場の現実をふまえて、人材育成のあり方を考えた貴重な指摘だと思いました。
(2010年5月刊。850円+税)
ボーヌからワイン街道を行く観光タクシーに乗りました。前日、観光案内所で予約しておいたのです、幸いにも私たちだけで、他に客はいません。運転手兼ガイドの女性が、ブドウ畑についていろいろ解説してくれます。英語は分かりませんので、フランス語でお願いしました。よく晴れた青空の下、緑滴る広大なブドウ畑のなか、車を走らせます。本当に気持ちのいいものです。ポマール、ヴォルネー、ムルソー、シャッサーニュ・モンラッシェというワインの銘柄としても有名な村々を通っていきます。バカンス中なのか、ほとんど人の気配はありません。たまにブドウ畑でトラクターのよな機械が動いているのを見かけるくらいです。サントネー村でカーブ(ワインを寝かせている地下の穴蔵)に入り、出てきたところで、赤と白のワイン3種類ずつを試飲させてもらいます。違いが分かるというのではありませんが、飲み比べると、たしかに値段の高いほうが、舌あたりも良くて美味しく感じられます。
コート・ド・ボーヌのワイン街道をたっぷり堪能できました。
2010年8月21日
野球部員、演劇の舞台に立つ!
著者 竹島 由美子、 高文研 出版
福岡県南部、八女の茶畑の真ん中にある高校の演劇部のお話です。この高校は、今年も甲子園に出場したほど野球の強い高校でもあります。その野球部員が演劇部の助っ人に参上し、自らを鍛えていくという感動的な内容です。実は、なんだろうな、この本、何が書いてあるのかなと、失礼ながら、まったく期待することなく読みはじめたのです。ところが、なんとなんと、素晴らしい。のっけから心を揺さぶられるようなエピソードがあり、盛り上がりを見せます。わずか230頁ほどの本ですし、写真もふんだんにありますので、1時間ほどで車中一気に読み終え、猛暑のなか一服以上の清涼感に浸ることができました。
演劇の脚本を書いている著者の筆力にもたいしたものですが、紹介されている高校生の作文が出色の出来映えなのです。一読を強くお勧めします。この本を読むと、今どきの若者なんて無気力な奴ばかりで、つまらん。などと切り捨てる気持ちにはとてもなりません。
ことのはじまりは、元気のない演劇部の状況に悩む顧問と野球部監督の何気ない会話。
彼らの、あの背筋を伸ばした身体や大きな胸をしたからだが舞台に立ったら、どんなに愉快かしら・・・・。
いいですね。彼らに違った世界を触れさせることが必要じゃないかと思っていたところです。でも、台詞を覚えたり、演技をしたりは無理ですよ。違う分野になると、とたんに小心者になりますからね・・・・。
そして、本番。みていた観客から、こんな声が上がった。
もしかして、本物の野球部員じゃないの?
まさか・・・・!
野球しか知らず、本を読んだこともなかった部員が演じたあと次のように書いた。
演劇をしていくうちに知らない言葉を調べ、知る楽しさを覚えた。新しい言葉を知ることは、ある種の快感だった。知らない言葉を調べることは、知らない自分を見つけることにつながると思う。もっと言葉を知りたいと思っていたとき、本という知らない言葉がいっぱい書いてあるものと出会った。
なんと初々しい発見でしょう。まさに、未来は青年のもの、青年の果てしない可能性が掘り起こされたのです。そして、なんと、あの谷川俊太郎の前で、自作の詩を朗読する生徒まで登場します。その詩の言葉の豊かさに私は圧倒されました。ここでは、出だしの4行だけ紹介します。
私が神様だったころ、世界はただ明るかった
人も道も物も、ただ私のためにあった
ある日突然、神様の私に刃向かう者が現れた
私は神なのに、私は神なのに・・・・
野球部員が舞台に登場する。鍛えられた身体と、その動きが魅力的だ。だらしないことをファッションだと言い訳しながら自分を磨くことを放棄した多くの若者に、若さ本来の美しさを改めて思い出させる。舞台上で鍛えられた身体が鋭角的な機敏さで動くたびに、それだけで会場を圧倒する。
情報誌に連載したものを一つにまとめて本にしたというものなので、各章の結末がやや尻切れトンボの感はありますが、それはともかくとして、読んで心の震える本でした。この本を贈呈してくれた敬愛する畏友・宇都宮英人弁護士に心から感謝します。
(2010年5月刊。1600円+税)