弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2011年2月22日
その後の不自由
著者 上岡 陽江・大嶋 栄子、 医学書院 出版
大変勉強になり、また目を大きく開かせる本でした。
いい嫁をやりたい人ほど自分の子どもたちには我慢させて、夫の家族や親戚に尽くす。そのように真面目に嫁をやりすぎたら、突然、子どもが摂食障害になってしまったというケースは多い。
家族のなかで、自分の子は二の次になってくる。その子たちは、自分のことはずっと我慢し、たえず他人(ひと)のことを優先させるという形で育つ。ところが、高校、大学を出たあたりで段々、身動きがとれなくなってしまう。
薬物やアルコール依存症の女性は、原家族のなかに問題があった例が多い。父のアルコール依存症や暴力、両親の不和などのため、家庭内に緊張感がある。
家族のなかで、問題が大きかった人ほど、大人になってからも、しょっちゅう自分からトラブルのなかに入っていく。危ない男の人のところに行ってしまう。この人、いつも大変な目にあっているから、私が支えなきゃ、と思う。できたら、そのトラブルを自分がかかわる形で解決させたいと思うのだ。そのような人にとっては、日常が危険で、非日常が安全なのだ。攻撃と密着を愛情と勘違いして教えられてしまった人たちでもある。だから、ヤクザや暴走族のほうを安全と感じてしまう。
ニコイチの関係とは、相手と自分がぴったり重なりあって、二個で一つという関係のこと。このニコイチとDVは表裏一体の関係にある。相手と自分とのあいだに境界線がないときに暴力が出てくる。言葉じゃなくて、すぐに行動化するのは、言葉がつながっていない人たちだから。
相手が試すような行動をしているときに、「死ぬな!」と言ってやめさせようとするのは、ヒモの両端をお互いに引っ張りあっているようなものだ。ところが、身体の手当てをする行為によって、このパワーゲームから別のところへ行ける。自分の病気を受け入れると、回復とは回復しつづけることなんだということが分かってくる。回復するときに乗り越えるべきものがある。それは、変化することを受け入れられるかどうかということ。変化しつづけることが一番安定することなのだ。
ところが依存症の人は、変化したくない。不安だから、今日のままでいたいと願う。回復には長い時間がかかる。回復とは、どこかに到達することではなく、むしろ変化しながら、より安定した暮らしを維持すること。だから、一つの機関、一人の援助者がずっとその過程を伴走できるとは限らない。むしろ、そんなことはきわめてまれなこと。自分の出来る支援を精一杯して、次の援助者にバトンを渡せばいいのだ。
眠いとか、おしっこしたいとかいう生理的要求というのも、実は、その表現の仕方を教えられて初めて表出できることなのである。
専門職のなかには、グチを聞くことをひじょうにネガティブにとらえる人が多い。しかし、相談するというのは誰にとっても難しいことなのである。本人には、何が問題なのか分からなくなっている。グチを聞くのも、専門家の大きな役割なのではないか。心の痛みが静かな悲しみに変わるためには、数え切れないくらい同じ話を誰かに聞いてもらわないといけないのだ。
リストカットする(手首を切る)ような人には日常がない。普通の生活というのは、抽象的なものでしかない。だから、実際の普通ってこういうものだというように具体化することが大切。たとえば、料理や掃除が大事なのだ。
回復途上の男性が働いて給料をもらうと、なぜか車やオーディオなど、不釣合いなくらい高価なものに多額のお金をつぎ込んでしまう。それは誰かと楽しむための道具というより、自分ひとりで満足するためのもの。そこには、他人とつながっている感じが希薄である。これは「ただ遊ぶ」という体験の乏しさの裏返しではないか。
暴力に関していうと、被害者は加害者意識にみちて、加害者は被害者意識にみちていることがある。被害者は、「自分が相手に暴力をふるわせるようなことをしたのではないか」という罪悪感をもつ。そして、加害者は、「むしろ自分こそが被害者だ」という思いを抱いている。そして、意識だけでなく、実際に被害者が加害者であること、加害者が被害者であることもある。
重い暴力、激しい暴力にさらされた人ほど、被害体験だけでなく加害体験をもっていることがある。まわりから、「客観的」にみれば加害者とみなされている人たちは、自分たちこそ被害者だと思っていることが多い。
切迫した恐怖と焦燥感に転じる人を人間関係のテロリストという。人が集まって、なごやかに談笑する場面でマイナスの感情に支配され、その場をぶち壊すような発言をする。その現象を自爆テロと呼ぶ。その場をぶち壊すことには成功したが、自分自身も、その場に受けいれられるチャンスを失ってしまった。彼らは、いつも関係を壊そうとするエネルギーに満ちている。また、長く続けてきた関係を突然、切ろうとする。心からそれを望んではいないことが言葉ではなく伝わるか、次々と周りとトラブルと起こすし攻撃性を向けるので、次第にまわりから人がいなくなるし、援助者もそんな彼らから距離を置こうとする。すると、ますます人間関係のテロリストたちはいきり立つ。そして、自分たちに関心を向けてくれる人たちや手助けをしようとする人たちがようやく現れたのに、そこへ一気に「試し行為」のテロ攻撃を集中的に行う。
そんなとき、共感はするが、巻き込まれないという援助では、何もできない。一定の距離を置いたのでは、問題の核心に触れることができない。でも、これってなかなか難しいことですね。一人でしょいこまないようにするしかないのでしょうね。
セックス「依存症」の女性にとっては、セックスが快感というよりも、相手から一瞬でも必要とされる存在である自分を確認する行為なのである。その背景には、度重なる被害体験のなかでできあがってきた自己肯定感の低さがある。
小児ぜんそく、摂食障害、アルコール依存症という自分の体験にもとづくアドバイスなので、とても説得力があります。250頁、2100円の本ですが、価値ある一冊です。
(2010年9月刊。2000円+税)
2011年2月20日
白日夢、素行調査官2
著者 笹本 稜平、 光文社 出版
このコーナーでは久しぶりに紹介する警察小説です。潜入捜査員が自死を選ぶ場面から始まります。ええーっ、このあと、どんな展開になるのだろうという大いなる期待を込めて序幕が上がります。
警察という役所は、実は隠れた利権の巣密だ。うしろ暗いことをやっている連中は警察が握っている情報が気になるから、それが手に入るなら、いくらでも金を払う。マル暴(暴力団)からみの部署ともなれば、得意先の業界とは持ちつ持たれつだ。便宜を供与すれば見返りがある。暴対法が施行され、理屈から言えば広域暴力団は壊滅していいはずなのに、大半が今も立派に生き残っているのをみれば、その癒着のほどは想像がつく。なーるほど、そうなんですねー。警察の裏金づくりは、いつのまにか曖昧になってしまいました。マスコミが報道しなくなったのは、警察の裏金作りをスクープとして連載した北海道新聞が警察の仕返しに負けたからだという人がいます。きっとそうなんでしょうね・・・・。
パチンコ機やパチスロ機の検定を委託されている協会(保通協)は警察トップの天下りの受け皿で、前会長は元警察庁長官、元会長は前警視総監だ。そこがパチンコ業界の首根っこを押さえているわけだから、OB、現役を問わず、この役所の官僚たちが業界から甘い汁を吸っているのは間違いない。警察庁が指定したパチンコやパチスロの用のROMを扱う業者、プリペイドカードの業者も警察官僚の天下りの受け皿だ。たとえ正義感や使命感に燃えて入庁しても、その後の出世競争が人の性格を変えていく。それ以外のことが眼中にないほど集中しないと、あっという間にふるい落とされる。官僚としての職務より出世競争が優先する。それだけシビアな競争社会だ。いくつかある派閥のどこに属するかその選択を一つ誤れば、一生、冷え飯を食わされることになりかねない。
警察を取り締まる警察はないんだ。人事の監察といえども警察内部の一部署に過ぎない。自分たちこそ警察のなかの警察だと見得を切ったところで、警察機構の巨大なピラミッドのなかで発揮できる職権は高が知れている。そのことを思い知らされた。
こんなセリフが登場します。ふむふむ、恐ろしい現実ですね。
キャリア警察官の腐敗が追及すべき一つのテーマとなっている本でした。
(2010年10月刊。1700円+税)
2011年2月 6日
政治とカネ
著者 海部 俊樹、 新潮新書 出版
日本の政治がいかにカネまみれであるか、この本を読むと、その一端が首相にもなった当事者自身が吐露していて、嫌になってしまいます。
表向きはキレイゴトを言っていても、裏ではお金にモノを言わせて何事も進んでいたのが自民党の政治でした。そして、今、それを批判して誕生したはずの民主党の政治が、まったく同じ道を歩んでいます。その典型例が、月に1億円を自由気ままに使って、その使途をまったく明らかにしなくていい内閣官房機密費です。民主党はその廃止が公約だったと思うのですが、政権をとった今は月1億円をこれまでと同じように使って、その使途を公表しようとはしません。自民党政権とまるで同じです。そして、マスコミは、そのおこぼれにあずかっているからなのでしょうね。深く追求することもしません。月1億円を内閣官房長官の主宰で自由に使ってよくて、その使途も明らかにする必要がないというシステムは、どう考えても民主主義に反すると思います。
首相にもなった村山富市について、著者は許し難い人物だと厳しく批判しています。
村山富市は長いあいだ社会党の国対委員長をつとめていたが、約束は破る、八百長はする、本会議はめちゃくちゃにするといった許し難い人物であった。
そして、小沢一郎も厳しく批判します。物事がまとまりかけると、自分の存在価値が低くなるから、つぶす。つぶすためには、横車でもなんでもゴリゴリ押して、荒れるなら荒れるでよろしい。小沢一郎はそれを繰り返した。何かがちょっと育ってくるとゴツン、すこし芽が出はじめるとゴツンと叩いてしまう性癖がある。だから、「壊し屋」という異名がついた。
小沢一郎が幹事長で、著者が党首という新進党をつくったが、このとき、小沢一郎と腹の底から信頼しあう関係を築こうとは思わなかった。小沢一郎の問答無用なやり方、会議に出ない、密室政治、人を呼び出す傲慢さ、反対派への報復人事など・・・・。小沢一郎ほど、側近の出入りが激しい政治家はいない、小沢一郎は、誰にとっても心の通い道をつくれない相手である。
こんな政党に税金で助成金をだすなんて間違いだと思います。企業献金も禁止して、個人献金のみにすべきです。民主党政権は、この点でも公約違反です。
政党助成金の主要なつかい道は選挙公報です。大手PR会社である電通やら博報堂が私たちの税金でキレイゴトのPR作戦をして国民を欺いているようなものです。郵政改革を最大の焦点とした小泉選挙の負の遺産に今、私たちは苦しめられているように思うのです・・・・。
それにしても、著者の近影は痛々しさを感じました。政治家というのは、心労がひどい職業なんですね。まともな人にはとてもできない職業です。だから差別発言を繰り返す石原慎太郎がのさばる世界なんでしょうね。残念です。
(2010年12月刊。680円+税)
2011年2月 5日
伝える力
池上彰 PHPビジネス新書 2007年 840円
かつてNHKの記者や子供ニュースのキャスターを務め、現在はフリーのジャーナリストとして活躍する著者の2007年のエッセイ集。著者の近年の池上ブームといえるほどの大活躍により、改めて本書も脚光を浴び、ベストセラーランキングの上位に名を連ねている。
試しにいくつか目次を拾ってみる。
・深く理解していないと、わかりやすく説明できない
・まずは「自分が知らないことを知る」
・「よい聞き手」となるために
・「型を崩す」のは型があってこそ
・悪口は面と向かって言えるレベルで
・優れた文章を書き写す
・寝かせてから見直す
・アウトプットするには、インプットが必要
・思い立ったらすぐメモ
このように難しいことは何も書かれていない。ただただ人と人との関わり方を易しく易しく書き綴っている。これが「伝える力」の源泉なのだなあと感じる。
振り返って私も平素より「伝える」ことを生業とし、そのことに力を注いでいるつもりであるが、伝える内容の難しさを競うことに自ら陶酔しているところがあるな、とふと気付く。平易であることが大切であることを再認識させてくれる。
また本を読むのに時間がかかる私でさえ、この本を2時間で一気に読み通せた。このような一気に読み通させる迫力も、「伝える力」の本質に一面なのであろうな、と思った。
伝えること、それはその語義からも明らかなように、人が人に云うことである。伝える力を磨くことは、自分を磨くことであり、相手を尊重することであり、伝え、伝えられることの力は、そのような両者の健全で融和な関係の中で生み出されるものであるのであろうな、と考えた。
2011年1月26日
やめられない-ギャンブル地獄からの生還
著者 帚木 蓬生、 集英社 出版
やめられない病気は多い。アルコール、覚せい剤、シンナー、買い物、万引、露出症、セックス・・・・そしてタバコ。やめられない病気は数多いが、そのやめられない度合いの強さと本人の人生上の破滅だけでなく、周囲の人々をとことん苦しめる点において、やめられない病気の最悪のものは、ギャンブル依存である。学生なら勉強が手につかなくなり、社会人は仕事がそっちのけになる。家庭をもっても、不和と離婚。社会的な信用は失い、家族や親類から忌み嫌われ、軽蔑される。
いくつものギャンブル依存症の症例が紹介されています。私の依頼者にも少なからずいましたし、現にいます。パチンコ店の前を素通りできない人々がいるのです。
借金と嘘。これがギャンブル地獄であがいている人間の見まごうことない二大症状である。悪性腫瘍よりもタチが悪く、治癒しない限り進行し、自然治癒もないのが病的ギャンブリング。
借金の尻ぬぐいは、病気を進行させる厳然たるカラクリがある。チャラにしたつもり、リセットしたつもりというのは見せかけだけ。見えないところで病気はぐんと進行している。
著者のクリニックで初診した100人がギャンブルに平均して投入した金額は1300万円。うひゃあ、ちょっとした中古マンションが買えますね。ギャンブル開始年齢は20歳前後、受診時の平均年齢が39歳、19年間に1300万円がギャンブルで消えた計算になる。
受診までにギャンブルに使った最高額は1億600万円。借金をかかえたギャンブル依存症の患者に対しては、一番いいのは、放置すること。本人の借金は、あくまで本人が少しずつでも返済していく。この重しが、再びギャンブルへと足を踏みはずさないためのガードレールの役目をしてくれる。
病的ギャンブラーの頭のなかでは、寝ても覚めても、どんな巧妙な嘘をつけばいいかで占められている。思考がそこに集中するので、編み出された嘘は成功に出来ていて、なかなか見破れない。
借金と嘘。この二大症状のために骨の髄まで苦しむのが配偶者であり、親兄弟である。本人はケロリとしているのに対し、周りの者が、心労からことごとく病気になっていくのが、病的ギャンブリングの特徴である。
本人そして家族の錯覚は、この病気が本人の「意思」の力でどうにでもなると思っていること。この病気は「意思」とは無関係。ギャンブル地獄に落ちてしまっている病人には、もう「意思」はないと考えるべき。「意思」よりも強い脳の変化が、そうさせてしまっている。
年少時にギャンブルを始めればはじめるほど、病的ギャンブリングにうつ病が合併しやすく、自殺企図にまで至りやすい。
病的ギャンブリングに効く薬はない。病的ギャンブリングには、自然治癒もなく、進行性である。回復の方位はただ一つ。週1回以上の自助グループへの参加と、月1回の通院、受診である。
鬼よりもロボットよりも悪いのが病的ギャンブラーである。
人間性を回復したとき、人は自然に次の三つの言葉が言える。
ありがとう。お世話かけるね。ごめんね。
なーるほど、ですね。お互い、いつまでまっとうな人間でありたいものです。作家として高名な著者は、本業の精神科医としてギャンブル依存症の治療に積極的に関わっています。
私は少し前に、著者と個人的に話すことがありました。一年に一作ということで、その前の取材に何年かかけるということです。なるほど、よく出来ていると感心することばかりの本です。この本は、実践的な啓蒙書として読み通しました。
(2010年9月刊。1200円+税)
フランス語の試験が終わったあと、KBCシネマで『ハーモニー』という韓国映画を観ました。いやあ、本当に心が洗われるっていうのは、こんなことを言うのですね。澄み切った歌声がまさしくハモっていて、素晴らしい映画でした。心の震える2時間が、あっというまにたっていました。女子刑務所のなかで収容者たちが合唱団をつくっていき、ついには外部でも発表するまでの出来栄えになったという実話に基づく映画です。指揮役の大女優の貫録に心が打たれました。ぜひみて下さい。
2011年1月22日
日本の現場 ― 地方紙で読む
著者 高田 昌幸 ・ 清水 真、 旬報社 出版
全国紙が、どれもこれも似たりよったりの記事しか書かない状況で、地方紙のほうが読みごたえのある記事をかくことがあります。その典型が沖縄の地方紙です。普天間基地問題についての沖縄タイムズや琉球新報の紙面は、まったく本土の記事とつくり方が違います。物事の本質をつき、しかも大胆な紙面構成です。沖縄に行ったときに、ぜひ一度、手にとってみて下さい。こんなにも違うものか、きっと衝撃を受けられると思います。
共産党を除くオール与党の議会というのが全国どこでもあたりまえとなっています。それでは、議員と議会は何のためにあるのか。そこに目をつけたのが阿久根であり、名古屋、大阪でした。私は議会を無視する首長の独裁的なやり方は許せないと考えています。かといって、「オール与党」のぬるま湯にどっぷりつかって、質問もせず、ぬくぬくとして高給をもらっている議員に問題がないわけでは決してありません。先に『カウントダウン』という本を紹介しましたが、あの本も議会と議員の情けない実情を鋭く告発しています。福岡でいうと、先日の西日本新聞の特集記事でも少し問題としていましたが、今の県議会は本当に県民の役に立っているのか、私は大いに疑問を感じています。
北海道議会は、議員の質問はすべて「答弁調整」によって質問も答えもあらかじめ出来あがっている。それを全廃したのが鳥取県議会。シナリオのない、スリルとサスペンスの本会議。これが本当の議会のあり方でしょう。行政当局と議会とのあいだに緊張関係がなくなったら、例の阿久根市長のようなとんでもない人物が出現します。
陸上自衛隊の中央即応連隊は宇都宮駐屯地にあるのですね。下野新聞社がルポで報道しています。総勢700人の中即連隊員のうち3分の1が常時、待機している。海外派遣に備えて風土病などの予防のためワクチン9種類の予防接種をくり返す。
陸上自衛隊で最初に死ぬのは中央即応連隊員。だから覚悟しておくように。
中央即応集団は、合計4200人態勢である。これって怖い話ですよね・・・・。
静岡県内には「デカセギ」として、ブラジルから日本に逆移民してきている。5万人いる。その実情を静岡新聞社が追っています。差別と孤独。希望と閉塞感。2つの祖国・・・・。静岡県内の公立小中学校に在籍する外国籍の児童・生徒は4000人。うちブラジル国籍が2600人。言葉の壁は厚い。外国人犯罪も発生している。
びっしり記事のつまった622頁をざっと読みました。日本全国、各地でさまざまな深刻な問題をかかえていることを今さらながら知りました。もっと知るべき、知らされるべき現実だと思います。大新聞以上にテレビがあてにならない現状では、地方紙の健闘に大いに期待したいところです。
(2010年9月刊。2500円+税)
2011年1月21日
機密を開示せよ
機密を開示せよ
著者 西山 太吉、 岩波書店出版
1969年というと、私は大学3年生で東京にいました。東大闘争が3月に終わり、1年ぶりの授業が始まってまもなくのころです。そのころ、沖縄はまだアメリカの統治下にあり、日本に復帰する前でした。
アメリカは、日本に沖縄を返還するから、それまでに投資した資本は全部回収する。返還するとき、アメリカは1ドルだって支出はしない。基地については、移転・改良を含めて日本側で費用は負担する。そんな屈辱的な密約が結ばれたのです。当時の首相は、ノーベル平和賞をもらった佐藤栄作首相でした。こんなことを決めたアメリカ言いなりの首相に対して、日本の右翼が売国奴といわないのは不思議なことです。
アメリカは、このとき日本から7億ドルをもらえることになったほか、基地移転その他の費用として2億ドルも日本から得ることになった。そして、思いやり予算は1978年に62億円で始まったが、その後も存続して、今日なお2000億円台のまま、ずっと推移している。
これって、日本はアメリカの属国だっていうことなんじゃないのでしょうかね。こんなことをやっている国は、世界中で日本だけです。ひどい話です。それも、日本の安全をアメリカが「守って」くれている代償だというわけです。でも、アメリカに日本を守るつもりがないことは、何回となくアメリカ政府・軍部の高官自身が高言していますよね。本当に日本っておかしな、不思議な国ですよね…。
著者の長年の取り組みが、判決文によく反映されていると思いますので、2010年4月9日の東京地裁(杉原裁判長)の判決文の一部を紹介します。
「原告らが求めていたのは、本件各文書の内容を知ることではなく、これまで密約の存在を否定し続けていた我が国の政治あるいは外務省の姿勢の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現であったことが明らかである。
ところが外務大臣は、密約は存在せず、密約を記載した文書も存在しないという従来の姿勢を全く変えることなく、本件各文書について存否の確認に通常求められる作業をしないまま、本件処分をし、原告らの期待を裏切ったものである。このような、国民の知る権利をないがしろにする外務省の対応は不誠実なものと言わざるを得ず、これに対して原告らが感じたであろう失意、落胆、怒り等の感情が激しいものであったことは想像に難くない」
国は、この敗訴判決に拉訴しましたから確定はしていませんが、なるほど著者の主張するとおりですし、一審判決の認定(判断)したとおりだと私も思います。
国民に大事なことを知らせず、マスコミを使ってキャンペーンをして国民を誘導するという、戦前からの情報操作を止めさせなければならない。つくづくそう思わせる本でした。
それにしても、西山太吉氏の不屈のがんばりには頭が下がります。
(2010年10月刊。1500円+税)
2011年1月20日
世論の曲解
世論の曲解
著者 菅原 琢、 光文社新書 出版
メディアや政治評論家にだまされるな。この本のオビに書かれている言葉ですが、本当にそうですよね。でも、テレビの影響力って、怖いですね。小泉改革なんて、弱い者いじめの典型だと私は思うのですが、それを若者をはじめとする「弱者」が支持し、声援を送って投票所まで出かけたわけですから、世の中はほんとうに分かりませんね。
自民党をぶっ壊せと叫んだ小泉ほど近年の自民党に貢献した人物はいない。小泉は選挙で窮地に陥っていた自民党を一定期間、救った。小泉政権の方針・政策はとくに自民党が苦手としていた都市部住民、若年層と中年層から支持を集めた。自民党は農村の支持基盤を維持したまま、都市部での支持を厚くすることに成功した。これが「小泉効果」である。
2005年の総選挙で自民党は圧勝したが、それには若年層が大きく寄与している。このときテレビ報道が自民党への投票を促した。テレビが自民党のイメージを良化した。テレビは、限られた放送時間を郵政造反組と「刺客」との対決に焦点をあてた報道に消費し、野党を蚊帳(かや)の外に置いた。300選挙区のうち、わずか1割の33に過ぎない選挙区を過度に取りあげることにより、小泉政権による改革の続行か、守旧派による既得権益の温存か、という選挙の対立軸を設定した。恐らく、これが有権者の認識に影響を与えたのだろう・・・・。そうでしたね。これでころっと騙された人が多かったですね。
小泉は、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶことによって、既得権を擁護する古い自民党の立場を攻撃し、構造改革により小さな政府を目ざす路線を明確な形で導入した。これが新しい自民党路線である。しかし、小泉政権の終了とともに、古い自民党が勢いを取り戻し始める。
麻生太郎は、漢字を読めない。失言癖がひどく、他人(ひと)の注意を聞かない人物だというのは、もともとよく知られていた。リーダーとしてふさわしくないからこそ、小泉以前には麻生は首相候補とは見なされていなかった。うーん、そうだったんですよね。そんな人物でも首相になれるなんて、なんということでしょう・・・・。
小泉が成功したのは、世論が望むことと合致することを発言し、ある程度、その方向に自民党政権を引っぱっていったからである。
20代や30代の若年層は、おしなべて政治報道に接する頻度が低い。新聞の政治報道に関して、4人に1人のみ。40代、50代の42%、60代以上の62%に比べて圧倒的に低い。ネットでは、政治情勢に触れることは少ない。
2009年総選挙での自民党について、票の「行ったり来たり」とみるのは間違いである。自民党は、本来ならもっと負けていたところ、民主党が候補者を絞ったことによって助けられた。自民党が農村の10選挙区で「善戦」したように見えたのは、民主党が候補者を絞ったことによるものである。
私は日本の国政選挙の投票率が6割前後でしかないことにいつも歯ぎしりする思いです。北欧のように常時8割をこす投票率であってこそ、政治と生活が定着しますし、この日本が良い方向に進んでいくと確信しています。あなたまかせでは決して日本の政治は良い方向に変わりません。大変刺激的な本でした。一読をおすすめします。
(2009年12月刊。820円+税)
2011年1月19日
名作映画には「生きるヒント」がいっぱい
著者 坂和 章平、 河出書房新社 出版
テレビをみない私ですが、映画は大好きです。毎月一本はみたいのですが、なかなかそうもいきません。暗い映画館に座って、大きなスクリーンに広がる彼方の情景に胸をわくわくさせながら没入するのは、人生の生き甲斐を感じる一瞬です。先日みたのは『ロビン・フッド』でした。子どもたちが幼いころ、8ミリを上映していましたので懐かしくみました。すごい迫力がありましたよ。
小学生のころは、すぐ近くにあった映画館に引率され、授業の一環としてディズニーの自然の驚異シリーズをみたことを覚えています。嵐寛寿朗の鞍馬天狗のおじさんが修作を助けようと馬を走らせる場面では、場内が総立ちとなり、励ましの声をみんなでスクリーン目がけて投げかけていました。あのときの熱狂ぶりは今もしっかり記憶しています。同じような館内のどよめきは『男は辛いよ』を場末の小さな映画館で何度も体験しました。笑いと涙と、拍手で、場内が騒然とするシーンを何回も体験しました。一度、銀座にある上品な広い封切館で『男はつらいよ』をみたとき、館内がシーンと静まりかえっているので、この映画はこんな雰囲気でみるものじゃないな。そう思ったことでした。
このように映画大好きの私ですが、著者は、私のレベルをはるかに超えています。同期の大阪で活躍している弁護士なので、よくもこんなに映画をみるヒマがあるものだと冷ややかに眺めていました。なにしろ、みた映画が私なんかより何桁も違うのです。10年間に評論した映画が1500本というのですから、信じられません。頭が痛くなりそうです。
大学生のころまでは、三本立ての映画をみても平気でした。今では、一日に一本の映画をみたら十分ですし、一ヶ月に一本のペースで映画をみたら(みれませんが・・・・)十二分です。それなのに、年間150本だなんて、ちょっと映画のみ過ぎでしょうと言いたくなってしまいます。そして、著者は、その映画評論を25冊のシリーズ本にしています。私も贈呈していただいていますが、あまりの数の多さにいささか敬遠せざるをえません。
ところが、この本は著者のみた数多くの映画のなかから、なんと50本の名作映画を厳選して紹介したというのです。では、どんなものなのかな、ちょっと知りたくなって頁をめくり始めました。すると、なんとなんと、厳選された名作映画50本のなかに、私の好みの映画がいくつも入っているではありませんか。それじゃあ、少しは紹介しなくっちゃ。そう思って、この書評を書きはじめたのです。
ここに紹介されていないけれど、私の心に残る映画と言えば、韓国映画で言えば、パンソリの熱唱に感動した『西便・・・・を超えて』(正確なタイトルを忘れてしまって、申し訳ありません)と、タイ映画の伝統的な民族音楽(日本の琴に似た楽器でした)の競演を紹介したもの(これもタイトルを忘れてしまいました)です。中国映画では『芙蓉鎮』も心にのこる素晴らしい映像でした。日本映画では『おとうと』もとりあげてほしかったですね。それはともかくとして、私がみた映画で、この本もとりあげているもののタイトルをまず紹介しましょう。
『沈まぬ太陽』『フラガール』『母べえ』『シュリ』『ライフイズビューティフル』「」山の郵便配達』『王の男』『ブラザーフット』『あの子を探して』『ハート・ロッカー』『エディット・ピアフ、愛の讃歌』『たそがれ清兵衛』『生きる』『スタンドアップ』『ぜんぶのフィデルせい』『さらばわが愛・覇王別姫』『初恋のきた道』
50本のうち、なんと17本もありました。このなかで私にとって皆さんに一番おすすめしたいのは『初恋のきた道』です。チャン・イーモウのはじける笑顔にすっかり魅せられました。この映画は私の大学生のころの友人から、「ぜひみてね」と勧められたものですから、時間をやりくりしてみたのでした。いやあ、最高傑作でしたね。フランス語を勉強している私としては、エディット・ピアフのシャンソンも心に響くものがありました。「水に流して」という日本語のタイトルは、フランス語では、私は自分のこれまでの人生を後悔なんかしていないというものです。過去を水に流そうなんていう消極的なものではありません。この私も、過去をふり返って後悔したくなんかありません。
いい映画には、著者のいうように生きるうえでとても役に立つ、というか心の慈養になるものがたくさんたくさん詰まっています。映画大好き人間として、この本を推せんします。
日頃の本はあまり売れていないようですが、この本ばかりはたくさん売れることを私も祈っています。
(2010年12月刊。1400円+税)
2011年1月14日
ルポ生活保護
著者 本田良一 、中公新書 出版
いま日本は、生活保護の受給者数でみれば、1955年、56年と同じ状況にある。
1955年に192万人、1956年に177万人だった。それに対して、2010年は186万人とほぼ同じである。
保護費は国が4分の3を、残り4分の1を地元自治体が負担する。受給者を快く思っていない市民が少なくない。昼間から酒を飲んでいるとかパチンコ店に通っているという通報が福祉事務所へ寄せられる。しかし、地方自治体にとって、現実には生活保護は受給者の生活を支えるだけでなく、地域経済を下支えする「第四の基幹産業」になっている。
日本国憲法25条1項は次のように定めている。すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。忘れてはいけない大切な憲法の条項です。
母子世帯のうち、生活保護を受けている割合は13.3%。つまり、日本ではひとり親の
2世帯に1世帯以上が貧困状態にあるが、生活保護を受けているのは、8世帯のうち1世帯程度にすぎない。
子どもの学力は家庭や塾に負うところが大きくなっている。ところが、いま日本の家庭は、教育費負担があまりに大きい。大学に進学すると、1年で最低で100万円、多いと240万円かかる。4年間では、少なくとも400万円、多ければ1000万円かかってしまう。なぜこうなっているかというと、家庭に代わって政府が負担する部分が少なくないから。その結果、家庭の経済力の違いによって、子どもの教育機会が不均等となり、子どもの将来格差を生み、世代をこえて貧困が再生産されていく。
いまの生活保護制度は、丸裸になった人に、全部、着物を着せてあげるものになっている。住宅やローン、生命保険、金融資産などの、すべての資産を使い尽くさないと保護を受けられないという制度では、再挑戦の機会も意欲も奪ってしまう。そうなんですよね。弁護士として相談を受けていて、大いなる矛盾を感じることが多々あります。
貧困世帯の8割以上が生活保護を受けずに暮らしている。貧困を放置すると、社会が貧困者と、そうでない人に分裂して、破綻してしまう。絶望のあげく自殺が増え、また犯罪が増える。
国が負担する保護費は2009年度、2兆円をこえた。そのうち半分の1兆4千億円が医療扶助となっている。いま生活保護受給者が増えているのは、ほかの制度の矛盾をすべて生活保護が受け止めているから。貧困対策を進めていくうえで、セーフティーネットの拡充は、社会を維持するために必要な投資なのだという社会の合意が不可欠である。
先に(12月7日)釧路市の生活保護についての先進的な取り組み『希望を持って生きる』を紹介しましたが、この本にも、そのことが紹介されています。
日本社会が安全・安心に生活できるものであり続けるためにも貧困対策は大きな意味をもっていることをお互いに確認したいものです。とても分かりやすい新書です。先の本とあわせて一読をおすすめします。
(2010年8月刊。780円+税)