弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2011年10月 8日

アイドル進化論

著者   太田 省一 、 出版   筑摩書房

 テレビをまったく見ない私にとって、アイドルというのは別世界の存在なのですが、それでも別世界で今何が起きているのかは気になりますので、こうやって本は読むわけです。グラドルという言葉があるのをはじめて知りました。グラビアアイドルのことです。今ではアイドルの中心勢力の一角として、すっかり定着した。うひゃあ、そうなんですか・・・。しかも、グラビアアイドルという呼び名は他人につけられて甘んじて引き受けるレッテルというよりは本人の意思による選択の証なのである。そうなのですね、知りませんでした。
 グラドルの台頭は、アイドルと名のつく存在が様々な分野に生まれる日本社会のアイドル化の最終段階を示している。
 山口百恵は、その自叙伝のなかで、『スタ誕』をみていて、ある日、そこに13歳の少女が登場した、私と同い年、そう思ったとたん、私にもできるかもしれないという気持ちが芽生ええはじめ、中学2年の夏休み、友人と何人かで応募のハガキを出した、と書いている。森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の「中三トリオ」の誕生である。
 ピンクレディーの4作目の「渚のシンドバット」(1977年)は、ついにミリオンヒットを達成した。この大ヒットを牽引したのは、当初はターゲットから外されていた子どもたちだった。子どもたちが振り付けを覚えて、こぞって踊り出すという光景が社会現象になった。作詞家(阿久悠)からすると、ある意味で、それは誤算だった。
ピンクレディーは、作り手の意図によって完璧にあやつられる存在。いわば、ピンクレディーという名ひとつの巨大娯楽プロジェクトになっていた。ファンの側が想像をめぐらせ、何かを読み込めるような余白はもはや存在しない。そのとき、ピンクレディーはアイドルではなくなった。
 バラドル、つまりバラエティー・アイドル。とんねるずは、お笑い芸人からアイドル歌手へと、その境界を乗り越えていった。バラドルはアイドル歌手から芸人へと、その境界を越えていく。
アイドルファンにとって、アイドルの「失敗」は、楽しみの一つである。アイドルが成功することも重要だが、むしろ、そこに至るまでの「過程」においてアイドルを応援し分析することの方がプライオリティーが高い。その意味で、「失敗」もまた楽しみなのである。
韓国人によると、日本ではアイドルはファンが一緒に育てていく存在だという指摘がなされています。なるほど、そういうことなのでしょうね。
 アイドルとは、社会が学校化し「若さ」が義務になってしまうような状況のなかで、「若さ」を権利として再発見させてくれる存在ではないか。うむむ、そんな見方も成り立つのでしょうか。
 アイドルとの関係の中で、ファンは義務化された「若さ」から解放され、自由な気分を取り戻す。そこには、大きな「快楽」がともなうだろう。日本人がアイドルによって「若さ」を反復しようとするときに欲しているのは、実はこの「快楽」なのではないか。それは、学校的な空間から「若さ」を解放し、別の可能性を求める心の声なのである。
 むむむ、なんだか分かったようで分からない解説というか指摘です。
(2011年11月刊。1700円+税)

2011年10月 7日

権力奪取とPR戦争

著者  大下 英治    、 出版  勉誠出版 

 電通や博報堂その他の広告代理店が裏から日本の政治を動かしている実情の一端が描かれています。でもよく考えてみると、そこで動いている莫大なお金の大半は政党助成金、つまり私たちの税金なのですよね。税金が広告代理店やPR会社にまわり、そこでつくられた虚構のイメージで日本の政治が左右されているなんて、知れば知るほど腹の立つ話ではありませんか・・・・。
 テレビは政治をショー化した。政治家たちが自分たちの姿をそっくりそのまま映してくれると思っていたテレビもまた、政治家の伝えたいことを伝えきらない。
 テレビ映りのいい条件は二つある。田舎者と、変わり者の二つだ。
 日本の政界でいえば、田舎者の代表は田中角栄。変わり者の代表は小泉純一郎だ。小泉純一郎は、巧みにも、短く的確なフレーズでメッセージを発して国民の心をつかみとった。言葉のもっている魅力といおうか、あやのものをうまくからませる。その言葉をメディアは使う。いわゆるサウンドバイトの手法こそ、小泉首相の真骨頂だった。さらには、、髪を振り乱す感じ、間合いのとり方は天才的としかいいようがない。まさに、テレビ業界でいう「絵になる」男だった。イメージ戦略の申し子というべき存在だった。うーん、そのおかげで日本の政治は狂ってしまったのではありませんか。
 支持率と高感度には違いがある。似ているようで、実は違う。実際に支持率を上げたいのなら、その前に数字にはあらわれない好感度を上げる必要がある。支持率は、その好感度についてくる。
 たとえば、政治家が「この国」というと、どこか距離を置いた印象を与える。「わたしたちの国」と言ったほうが共感を得られる。
 テレビの討論番組の出演者を誰にするかは、最重要の検討事項である。出演者を決めるとき、一番の決め手は、相手が誰かである。いかに相手の弱点を引き出せるか、相手の攻撃をうまくかわせるか。これには、相性の良し悪しもある。
 たとえば、民主党が菅直人のときには、自民党は竹中平蔵を出した。竹中は、自民党が擁するオールマイティの武器だった。温和な顔をしているが、政策に強く、弁も立つ。感情的になることもなく、きちんと話ができるため、誰を相手にしても負けない。
 アドバイスは番組に出演したあとも行った。ビデオを見せて注意を与えていく。
 電通は、別会社という形で民主党にも食い込んでいる。民主党は本来は博報堂であるが・・・・。代理店の色分けが、今ではそのまま政党の違いではなくなった。
 いい話し方とは、しばらくひとつところに目線を当てていたかと思うと、今度は右のほうへ視線をゆっくりと移して、その先の相手をしっかりと見つめて話し、今度は左のほうへ視線を移して話す。一点ばかり見つめてはなすのではなく、全体にも目をいきわたらせていることをアピールするようにして話すのが望ましい。ところが安倍首相の場合には、一点を見つめていたかと思うと、視線がさまよってしまい、自信なさそうに見えてしまうという欠点があった。
 首相の「ぶらさがり会見」は大きなリスクをはらんでいる。小泉以降の首相は、誰もが失言を連発して、足を引っぱられていった。「ぶらさがり」は、「失言」製造マシーンとなっていった。
 本当に政治って、恐ろしいですね。
(2011年8月刊。1600円+税)

2011年10月 5日

原発を終わらせる

著者   石橋 克彦 、 出版   岩波新書

 スロッシング現象というのをはじめて知りました。地震のとき、本震や余震によって、サプレッション・プール(水)が激しく揺れ動くことのようです。それによって、大量の蒸気を水の中まで誘導するためのダウンカマーの先端が水面から上に出てしまい、そこから蒸気が圧力抑制室上部に噴出して滞留し、その結果、格納容器の圧力が異常に高くなったのではないか。
 要するに、津波ではなく、地震そのものによって、配管破断が起きて原子炉の水素爆発が起きたということです。
炉心溶融(メルトダウン)とは、核燃料および炉内構造物が溶け落ちること。熔解デブリというそうです。
この熔解デブリは、今後、何年も冷やし続けなければならないが、問題は、それがまだ圧力容器内にあるのが格納容器内にどれだけ出ているのか、あるいは格納容器の底をすでに抜けているのかなどの状況が依然としてつかめていないこと。
 圧力の数値からみると、圧力容器に穴が空いていて炉心の放射性物質は格納容器内に出ている可能性が高い。格納容器自体も漏れているため、炉心は外界と直接つながっていて、現在も放射性物質を出し続けているのは間違いない。とても危険な状況が続いている。
 ここに今直面する最大の問題がありますよね。にもかかわらず、日本の首相がアメリカに行って国連総会の場で原発輸出はやめないと宣言するなど、まさに狂気の沙汰としか思えません。
 発電所全体ですでに10万トンもの汚染水がタービン建屋の地下にたまっている。年内にさらに10万トンもの汚染水が出る。事故後、少なくとも2回、高濃度の汚染水が海に流出している。事故プラントを廃炉にするには、最大15兆円かかる。
 格納容器が閉じ込め機能を失っている以上、放射性物質の確実な漏洩防止は望むべくもない。
 原発の経済性を評価するときには、事故による補償金のほか、廃炉にともなう費用も計算しなければならない。
 原発において、これまで過酷事故への対策は法的に義務化されておらず、電力会社や民間企業が自主的にやることが推奨されているのみ。
 福島第一原発で大規模な水蒸気爆発が起こらなかったのは偶然にすぎず、首都圏が強制避難地域になったとき、日本は破滅する。
 そうなんですよね。菅首相も「日本破滅」を一時は覚悟したようですね。
 一刻も早く、原発に頼らない日本につくりかえましょうよ。
(2011年8月25日刊。800円+税)

2011年10月 2日

三池炭鉱・「月の記憶」

著者  井上 佳子  、 出版  石風社   

炭鉱節で有名な福岡県大牟田市には与論島出身の子孫が今もたくさん住んでいます。
戦前、明治31年(1898年)に与論島が台風に襲われ、人々が島で生きていけなくなったため、長崎県口之津(島原半島)に移住していった。当時、口之津は日本最大の石炭積出港で、そこで働いていた。ところが、1910年、大牟田の三池港が開港、石炭は口之津港から積み出されなくなった。そこで、与論島の人々は、73人が口之津に残り、623人が与論島に帰り、428人が三池に移った。
与論の民のことをユンヌンチュという。タビンチュとは本土の人間のこと。
大牟田市の中心部、延命動物園のすぐ横に与論島出身者共同の納骨堂があり、「奥都城」(おくつき)と書かれている。これは日本の古語で「お墓」のこと。与論島には、日本古来の言葉が残っている。
与論島には、面積20平方キロメートル、周囲23キロメートルの小さな島だ。人口6000人。かつては観光地として栄え、年に15万人もの観光客がやって来た。しかし、今はブームも去り、年間7万人がマリンスポーツを目的にやってくるのみ。島民は漁業とさとうきび栽培を生業としている。
 与論島出身者は、大牟田市内の海岸に近い新港町社宅に住んだ。
1997年、三池炭鉱は閉山した。官営時代から124年間、三井の経営になって109年間の歴史に幕を下ろした。
三池炭鉱の歴史を支えた労働者集団の一翼としての与論島出身者の人々に焦点をあてた貴重な労作です。熊本放送がテレビで2009年2月に全国放送したものをもとにした本です。
(2011年7月刊。1800円+税)

2011年9月30日

学級崩壊

著者  吉益  敏文・山崎 隆夫 ほか  、 出版  高文研   

 現代日本社会において子どもたちは昔ほど大切にされていないんだな、そして、教師の奮闘努力がむなしく空回りさせられることも多い現実を知って、改めて愕然としました。
 授業が成り立たないのは中学校ではなく、小学校から。一人ひとりは明るく、優しく、一生懸命で、けなげなのに、クラスとなると、なぜか荒れてしまう。なぜ、子どもたちは荒れるのか?
 とにかく、今の子どもたちは忙しい。月曜から日曜まで、全部予定が入っていて、本当に忙しい。家に帰ってのんびりするとか、今日帰ったら何やろうかなどと、自分でやってみようと思ってやってみるといった経験が圧倒的に少ない。
 たとえば、5年生で荒れている中心にいる子は、中学受験のため毎日塾に行っている。そして、学校ももちろん教師も忙しい。
 学校で授業が6時間、家に帰ってからの時間は限られているのに、ほとんどゲームとテレビで費やされている。ゲームの3時間以上は20人のうち11人もいた。
 子どもは、失敗しながら育っていくものなのに、それが出来ない。子どもはゴチャゴチャになりたい、荒れたいと思っているのではないか。それを出せる唯一の場が学校なのではないか・・・・。
 教師にとって、まずは自分の身を大切にすること。自分が折れてしまうのが一番いけない。子どもにとって、先生が折れたり、辞めてしまうのは、一生の傷になってしまう。そういう傷だけは与えてはいけない。折れそうだったら、その前に逃げる。無理だけはしてはいけない。
 学級がゴチャゴチャしてしまうのは、ある意味で、子どもに選ばれたんだという気がする。子どもも、どこかで自分を取り戻したいという思いを持っていて、それを自分により近い気持ちを持っている人の前で表出している。
 止めてもらいたくて暴れてみたり、本人は自覚がないけれど、あれはヘルプを求めているサインではないか・・・・。
 この時代を「勝利者」として生き抜くための激しい進学競争に子どもたちが巻き込まれている。都市部を中心に多くの子どもが公立中学への受験を選択する。こうした「人生の成功」に対する圧力は、子ども世界の豊かな時間や仲間関係を奪い、子ども期の喪失は一層強まっていく。加えて、労働や他者との共有を大切にする価値が失われ、消費欲望の世界があおられる。
 子どもたちのストレスは激しい苛立ちとなって体内に蓄えられていく。それは、これまでの古い伝統をもつ学校秩序と対立しはじめる。12歳の少年少女にとって、やり場のない怒りの矛先をどこに向けているのか分からない。自分の苛立ちやムカツキの原因が何であるかも分からない。実在感のない浮遊するような感覚・自己喪失感、あるいは私とは何かを問う飢餓感が、そうした状況下で生まれ、現在も続いている。
 子どもたちの納得できない思いや苛立ちが教室の一場面で表出されると、それが他の子どもの抱えていた苛立ちや不全感・不安感と連動し、強化され攻撃性へと転化する。
 教師が反抗してくる子どもを抑えられなければ、学級は正義を失う。子どもたちは、注意したら聞いてくれるという関係性、それは教師の力に支えられながらだが、そのなかで安心して過ごすことが出来る。ところが、教室の中に、その関係性=正義が失われると、子ども同士で注視しなくなるし、相互批判が出来なくなる。
 子どもは、お互いに批判し合っていくという関係性のなかで学びが成立する。相互批判が出来なくなると、荒れの中心にいる子どもは自己中心性から抜け出せない。自分を客観視できないし、もうひとりの自分が育たない。
 相互批判がないと、子どもは自己中心性の固まりのまま、自分勝手な振る舞いを続けていくことになる。そうなると、周りの子どもたちは、どこにも頼るものがないから、自分の身を守るためにカプセルの中に入らざるをえない。おとなしい子どもほど、ますますカプセルの中にこもらざるをえなくなるという構造になっていく。
 崩壊してしまった関係を元に戻すときの一番の決め手は、ほめること、ほめ続けることである。そうなんですね。やっぱり、ほめて育てるのが一番なんですよね。
 日本の将来を背負う子どもたちを取り巻く恐ろしい現実、だけど目をそむけてはいけない事実が語られ、最後にちょっぴり希望の持てる本ではあります。一読をおすすめします。
(2011年6月刊。1400円+税)

2011年9月28日

朽ちていった命

著者   NHK取材班 、 出版   新潮文庫

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設JCOで起きた、とんでもない事故によって被爆した労働者のその後の死に至るまでの状況を詳しく明らかにした本です。
 放射能の恐ろしさが実感をもってよくよく伝わってきて、読んでいるだけでゾクゾクし、ついには鳥肌が立ってきました。
 この日、臨界事故が発生し、東海村付近の住民31万人に屋内退避が勧告された。
 村に「裸の原子炉」が突如として出現した。まったくコントロールがきかないうえ、放射能を閉じこめる防御装置もないというもの。19時間40分にわたって中性子線を出し続けようやく消滅した。
 被爆した労働者は溶解塔の代わりにステンレス製のバケツを使っていた。もちろん違反行為である。バケツだと洗浄が簡単で、作業時間が短縮できるというのが理由だった。
 放射能被曝の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる。全身のすべての臓器の検査値が刻々と悪化の一途をたどり、ダメージを受けていく。放射能によって染色体がばらばらに破壊されてしまう。染色体はすべての遺伝情報が集められた、いわば生命の設計図であるので、染色体がばらばら破壊されたということは今後新しい細胞は作られないということ。被曝した瞬間、人体は設計図を失ってしまったということ。
 うへーっ、これは恐ろしいことです・・・。
 皮膚の基底層の細胞の染色体の中性子線で破壊されてしまい、細胞分裂ができない。新しい細胞が生み出されることなく、古くなった皮膚がはがれ落ちていく。体を覆い、守っていた表皮が徐々になくなり、激痛が襲う。
 腸の粘膜は血液や皮膚とならんで、放射能の影響をもっとも受けやすい。
 腸の内部に粘膜がなくなると、消化も吸収もまったくできない。だから摂取した水分は下痢となって流れ出てしまう。
 被曝して1ヵ月後、皮膚がほとんどなくなり、大火傷したように、じゅくじゅくして赤黒く変色した。皮膚がはがれたところから出血し、体液が浸み出していた。全身が包帯とガーゼに包まれ、肉親もさわれるところがない。ガーゼを交換するたびに皮膚がむける。そして、まぶたが閉じなくなった。目からも出血した。爪もはがれ落ちた。
 出血を止める働きのある血小板を作ることができなくなっているため、腸の粘膜がはがれると、大出血を起こしてしまう可能性が高い。
 下血や皮膚からの体液と血液の浸み出しを合わせると体から失われる水分は1日10リットルに達した。
 心拍数は120前後。マラソンをしているときと同じくらいの負担が心臓にかかっていた。
 そして、被曝から83日で35歳の労働者は死に至った。遺体は解剖された。全身が大火傷したときのように真っ赤だった。皮膚の表面が全部失われ、血がにじんでいる。胃腸は動いていなかった。粘膜は消化管だけでなく、気管の粘膜までなかった。骨髄にあるはずの造血幹細胞も見あたらない。筋肉の細胞は繊維が失われ、細胞膜だけ残っていた。ところが心臓の筋肉だけは放射能に破壊されていなかった。
 放射能の恐ろしさは、人知の及ぶところではない。
 福島第一原発事故で、メルトダウンした核燃料棒が今どういう状態になっているのかも明らかでないのに、野田首相は産業界の圧力に負けて、国連で原発輸出は継続すると明言してしまいました。放射能の恐ろしさ、怖さを首相官邸にいると忘れてしまうようです。残念です。情けないです。
(2011年9月刊。438円+税)

2011年9月25日

スピーチの奥義

著者  寺澤 芳男  、 出版  光文社新書

 人前で話すのは、とても難しいものです。私も、今ではなんとか慣れましたが、一瞬、頭の中が真っ白になるという経験は何回もしました。焦りましたよ・・・・。
 この本は、その克服法が具体的に語られていて、とても参考になります。
 聞く人も、とても緊張している。このことを意識するだけで、自分自身の緊張は、かなり和らぐ。自分が聴衆の緊張をほぐさなければという気持ちになったらいい。相手を緊張させまい、自分が緊張している場合ではない。そう思うこと。これで結果として、うまく緊張をほぐすことができる。
 面白くなかったという経験をたくさんしているだけに、人々のスピーチに対する期待度はそれほど高くはない。存外おもしろい話を聞けると、ものすごくトクをした気分になる。
スピーチをする以上は話を聞いてもらわなければ意味はない。最初の一分で聴衆の耳目をひきつけられたら、8割方は成功。
聴衆の期待に応えなくては、というプレッシャーから解放されて、自分なりに一生懸命に話すことに集中しようと思うこと。
ウケを狙った作為的なスピーチは十中八九、失敗する。大切なのは、ウケようなどとあざといことを考えず、これを伝えたいんだという情熱に任せて、とにかく自信を持って、突っ走ること。そうすると、内容がそれほど面白くなくても、聴衆は、話し手の必死な姿に心を打たれる。
第一声はジョークにしたらいい。最初に一気に緊張をほぐす工夫が必要だ。ええーっ、そんなこと言われても、ジョークから話を切り出すなんて難しいことですよ・・・・。
自己紹介は、自慢話に聞こえないように配慮する必要がある。
はじめに型にはまった挨拶はいらない。挨拶抜きで、いきなり本題に入ったほうがいい。
私も、日頃そのことを心がけています。急にピンチヒッターを命じられまして・・・・とか、くどくどした弁解話なんて、誰も聞きたくなんかありません。
相手の頭の中に何を残すかを優先して考える。自分の口よりも、相手の耳を意識すること。
人間というのは、不思議なもので自ら弱点を堂々とさらけ出す人のことは逆に信用する。聴衆が話し手である自分に懐疑的もしくは否定的な目を向けているような集まりでは、そんな聴衆の気持ちをまずしっかり受け止めること。その気持ちを代弁しながら、そう思われるのも、ごもっともですと自分の弱点をさらけ出す。これが大切だ。
 なーるほど。でもこれって、なかなか出来ないことですけどね・・・・。
人間の集中力は、せいぜい15~20分。長く話すときは、聴衆の集中力の切れる15分を目処に話の切れ目をつくって、注意を喚起することが必要だ。
 聴衆が、もう少し聞きたいと思うところで話を終える。8割でスピーチをやめて、ちょうどいい。テーマは、2つ以内にしぼること。どんなに多くても3つに留めたい。
毎日を人生最後の日と思って努力すれば、いずれ望みはかなえられる。もし、今日が自分の人生の最後の日だったら、今日の予定をそのままこなすか?そのように自問自答すること。時間には限りがある。
他人の人生を歩むのはやめよう。他人のつくった固定観念の罠にとらわれないようにしよう。
 結論ファースト、これが鉄則だ。最初に1、2分のまくらがあって、すぐに今日はこういう話をすると肝心なメッセージを送っておく。結論を先延ばしにすると、聴衆の気持ちは離れていく。
話が難しければ、難しいほど、平易な言葉で分かりやすく話すことが重要になる。
 話すときには動き回ったほうがいい。そのほうが話に躍動感が出てくるし、頭の回転も良くなる。
とても実践的で、役に立つ内容でした。早速つかってみましょう。

(2011年5月刊。740円+税)

2011年9月22日

画文集、炭鉱に生きる

著者   山本 作兵衛 、 出版   講談社

 世界記憶遺産に日本で初めて登録された貴重な画文集です。画文集というコトバは聞き慣れませんが、要するに画(え)だけでなく、そばに説明の文章もついている本だということです。そして、それによって画(絵)の意味がより深く理解できるわけです。
 ユネスコの世界記憶遺産には、『アンネの日記』もふくまれているそうです。なるほど、すごいことだなと改めて思ったことでした。そこで、この新装版を改めて購入し、再読したというわけです。それにしても、よくよく当時の炭鉱(やま)の採炭状況、人々の生活の様子が活写、再現されています。
 山本作兵衛は明治25年(1892年)に筑豊で生まれた。早くも7歳のときから親の手伝いとして坑内に下がって働いた。以来50年以上も炭鉱で働いた。そして、60歳を過ぎてから、絵筆をとって描き始めた。9年間のうちに600点あまりの絵を描き、6冊の大学ノートに記録した。
 唐津下罪人(げざいにん)のスラ曳く姿、江戸の絵かきもかきゃきらぬ。
坑夫はすべて大納屋(おおなや)の支配を受けていた。
 坑夫もまた、いずれ劣らぬドマグレ者(常軌を逸した人間)ぞろいだった。
 炭鉱の風呂は役人用、職工用、坑夫用、特殊風呂と別れていた。役人用は4分の3坪、職工用は1坪、坑夫用も同じく1坪、特殊風呂は半坪。いずれも男女混浴だった。
男女混浴というのはなにも炭鉱だけではありません。私も小学校の低学年のころ、父の実家のある大川の農村地帯に夏休みに行くと、集落の共同風呂に入っていましたが、そこも男女混浴でした。今でも山の温泉の露天風呂で男女混浴のところがありますが、戦後までそれがあたりまえの地方は少なくなかったのです。
 坑夫は炭鉱から給料として現金ではなく切符が支給された。現金の握れない坑抗夫は、否応なく、切符の通用する炭鉱直営の売勘場(うりかんばと呼ぶ)が指定商店から買い物するしかない。そして、この売勘場(大牟田では、ばいかんばと呼んでいました)の品物は市価より高かった。それでも会社直営なので、文句は言えない。
筑豊でも米騒動が起きた。大正7年8月17日のこと。8月27日にはボタ山に700人の坑夫が集合して喊声をあげた。警察では鎮圧できず、直方にいた軍隊が出動して鎮圧した。その結果、手当が50%増額されたというから、たいしたものです。
 ところが、米騒動の嵐が静まった大正7年秋には未曾有の石炭景気となって、ぜいたくに流れる坑夫も出てきた。
朝は午前2時から3時には起きて入坑し、10時間も12時間も地底でモグラのように働いた。なんの因果か・・・。
 子どもたちも坑内に下がって働いていた。学校に行けない子どももたくさんいた。
 昭和6年12月の法令で禁止されるまで女性が坑内でも働いていた。
 日々にヤマ(炭鉱)の人間を脅かしつづけるのは、死の恐怖だった。ひとたび坑内に下がると時々刻々が死に神との戦いだった。いつ何時、落盤するか、ガス爆発するか、あるいは炭車が逸座するか、だれ一人として予測できる者はいなかった。だから、坑夫は信仰や迷信にすがりついた。そして、縁起をかついだ。何でもないことに死の災害を連想しては、すぐに仕事を休んでいた。
 実は、私も一度だけ炭鉱にもぐったことがあります。海底深い採炭現場にたどり着くまで1時間以上かかりました。真暗闇の坑道を人車に乗っておりていきます。途中で、マンベルトというのにも乗りました。要するにベルトコンベアーなのです。昇ったり平地を歩いたりして、現場に着くまでに既に一仕事をしたという気分です。頭上のカンテラの光だけが頼りで、周囲は闇のなかに静んでいます。それはそれは不気味です。トイレなんて、もちろんありません。その必要もないでしょう。なにしろ何も見えない漆黒の闇の世界にいるのですから・・・。
 山本作兵衛は、耳さえ悪くなかったら、きっと無産運動に飛び込んでいただろうと述懐しています。つまりは労働組合運動ですね。すごいことです。
 92歳まで長生きした山本作兵衛は芥川龍之介、古川英治、佐藤春夫と同い年。毛沢東より一つ年上だった。そんな同時代人がいるのですね。
 筑豊における炭鉱生活を知るうえでは必須の画文集です。
(2011年8月刊。1700円+税)

2011年9月15日

自衛隊のジレンマ

著者   前田 哲男 、 出版   現代書館

 いやあ知りませんでしたね。
 3.11のとき、航空自衛隊がモタモタしているうちに津波で戦闘機18機をふくめて28機が冠水して全滅していたというのです。この航空機の損害は、なんと2300億円です。ええーっ、嘘では、ご冗談でしょ、と言いたいです。近くの海上保安庁からは2機が離陸して観測任務についていたというのですから、1時間のうちに緊急発進できなかったはずはない。著者はこう指摘しています。まことにもっともです。こんな重要な失態は報道されず、震災での救助活動ばかりを報道したマスコミって、信用ありませんね。プンプンプン・・・。
 自衛隊の海外派遣任務というのは、すべてワシントン発の外圧に日本政府が従う構図によってつくられてきた。
 アメリカ高官から「旗を見せろ」とどやされてインド洋に海上自衛隊補給艦による無料ガソリンスタンドを開業(私たちの血税を惜しげもなくばらまきました)、次に「軍靴で踏みしめろ」と言われてイラク戦争に陸上自衛隊の土建会社を設立したという具合だ。いずれも、国民合意のもとで送り出されたものではない。
ただ、護憲派にも怠慢がある。九条を維持するなかで、どのようにして日本の安全を守るのか、それを正面から議論してこなかった。こうすれば日本国民の安全と安心を守れるという選択肢を示す努力を怠ってきた。
 なるほど、そうなんですよね。遅まきながら日弁連も今、政府の防衛計画大網をきちんと議論しようと呼びかける意見書を準備しているところです。
 紅海に近いジブチに自衛隊は海外恒久基地をもつことになった。そこには、交替要員や後方隊員までふくめると総勢1000人もの日本人がいる。「専守防衛」のはずの自衛隊がそこまでやっていいのか・・・?
 これは明らかに憲法からの逸脱ではないのでしょうか。そもそも、ソマリア沖の「海賊」取り締まりのために、海上保安庁ではなく自衛隊が出動するというのも疑問です。
 マラッカ沖の「海賊」対策のときには、JICAと海上保安庁が主役で、うまく対処できたという実績があるのです。ソマリア沖の海賊を逮捕して日本の裁判所で裁判しようとしても通訳の確保から難しいという問題があり、東京地裁では裁判が進行できずに困っている。そんな話を東京の弁護士がしていました。
 いま、日本の防衛費は年間5兆円。これは世界第4位。海上自衛隊は、今や空母まで持っている。「ひゅうが」は護衛鑑ということになっているが、外観上はヘリ空母にしか見えない。イギリスの『ミリタリー・バランス2011』には、空母1、巡洋鑑2、駆遂鑑30、フリゲート16、潜水艦18と記載されている。これが「世界の常識」である。
 日本の軍事費の伸びは中国の軍事費の伸びをはるかに上まわっていて、中国を批判する資格はない。
自衛隊は、自らのHPには英語で陸軍と明記している。
アメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」は横須賀港を母港にした。これは出力120万キロワットの原子炉が首都・東京のすぐ近くに浮かんでいることを意味している。
 アワワ・・・、恐ろしいことです。こんな既成事実が積み上げられてはいますが、それでもなお九条はしばりとして生きています。
核兵器は保有できない。長距離爆撃機は持てない。もっぱら攻撃を目的とする空母などの攻撃的兵器を持つこともできない。
 もし日本に九条がなく、自衛軍があったら、韓国と同じようにアメリカの下でベトナム侵略戦争に加担させられ、日本の青年が多く戦死していたであろうことも間違いない。
 日本の国を九条とともにどうやって守るか、アメリカとの対等な外交関係を回復するにはどうしたらよいか・・・。日本の自衛隊の現実を私たちはもっと知ったうえで大いに議論する必要があると思いました。
 一読に値する本としておすすめします。
(2011年7月刊。2000円+税)

2011年9月13日

泥のカネ

著者   森 功 、 出版   文芸春秋

 ゼネコンの談合は、裏金をつくり出し、総工事費の3%が政治家と暴力団に流れていきます。大型公共工事というのは、みんな私たちの血税ですから、いわば税金で暴力団を養っているようなものです。ここにメスを入れなければ、暴力団はいつまでたっても日本からなくならないと思います。
 市長や市議会議長、そして警察署長を先頭にデモ行進をし、暴力団事務所の前でこぶしを振り上げて唱和するだけでは決して暴力団をなくすことは出来ません。みんなそれを知っているのに、市民の前でポーズだけとってマスコミがもっともらしく報道するという構図が長く続いていますが、私にはどうにも解せません。
民主党の元代表である小沢一郎は、数いる実力派の国会議員のなかでも抜群の集金力を誇ってきた。その資産形成に対する熱の入れようは類を見ない。小沢一郎は政治資金管理団体「陸山会」をはじめ、政治団体を駆使し住宅用地やビル、マンションを買いあさってきた。普天間基地の移設候補地の近くにも土地を所有している。
 ところで、政治団体には法人格がない。そのため、政治団体が購入したといいながら、不動産の名義人は小沢一郎個人になっている。まるで政治資金による資産の形成だ。
 小沢一郎の所有報告書によれば、歳費などの収入をふくめて小沢一郎の個人的な資金の移動は1年を通して平均3000万円ほどでしかない。しかし、秘書用住宅敷地の購入には現金4億円が動いている。そして、銀行から4億円を借りてそれで土地を買ったかのように見せかけた。
 小沢一郎の秘書だった大久保は西松建設に対して、こう言った。
「おたくらが取った胆沢ダムは、小沢ダムなんだ。今後も協力してくれないと困るよ」
 小沢事務所による「天の声」に怯え、建設業者たちは、せっせとゼネコンマネーを小沢一郎に貢いでいた。
 鹿島建設東北支店と小沢事務所の両輪が東北談合組織の頂点に君臨し、公共工事を歪めてきた。
 田中角栄は建設族議員のドンであり、中央の大型公共工事の受注額の3%を製磁献金する「3%ルール」を確立した。
 2005年5月、水谷建設の本社事務所に見るからにヤクザが一人乗りこんできて、拳銃を2発、社員の足元と天井を目がけて発射した。ところが水谷建設は被害届を出さなかった。そのため、発砲そのものは不問に付された。水谷建設が発砲事件を伏せたのは、世間体を気にしたせいだけではない。裏社会との蜜月に慣れているからだ。建設業界とアングラ勢力との腐れ縁は、そう簡単には断ち切れない。
 建設業界では、談合担当者のことを「業務屋」と呼ぶ。談合組織には、運営委員会社という名称の中核メンバーがいる。大手の業務屋を筆頭に、ランク上位10社程度がそれにあたり、調整機能を果たす。
私も一度、この業務屋をしていたという人の経験談を聞いたことがあります。それはそれは苦しい話でした。メモを一切とらないでコソコソと談合をすすめていく。談合破りを許さない仕掛けもある。そして、いつも日陰の身として生活しているというのです。まったく非人間的な生活のようです。
  太田房江が大阪府知事選挙に立候補し、当選したときには、大阪中の業務屋が一堂に会して応援した。
 日本の政界では、建設業界の政治献金の多くが選挙に費やされ、ゼネコン業界そのものが集票マシーンとして機能してきた。ゼネコンの選挙応援は、まず「選挙人名簿」の作成から始まる。1社平均250票の集票力だ。ゼネコンの談合担当者は、正式な選挙応援要負ではなく、あくまで裏部隊だ。
政治家へ渡るのは、必ず成功報酬、つまりあと払いだ。先出しの話には危なくて乗れない。
ゼネコンは中古重機を海外で売って、設けた利益の大部分が裏金になる。たとえば1億円のブルドーザーの帳簿価格は4千万円。これを4千万円で売れたようにして、差額の5千万円ほどが宙に浮き、それが裏金になる。これを裏帳簿取引、B勘定という。
 小沢一郎という人は民主党の元代表でありながら、国会を通じて釈明するということをまったくしていません。これって国民をまったくバカにしていますよね。
(2011年6月刊。1500円+税)

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