弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2010年7月23日

1968年(下)

著者:小熊英二、出版社:新曜社

 下巻だけで1000頁もある大部な本です。いやはや、なんとも大変な労作です。上巻は私も大学生のころに少しばかり関わっていました東大闘争のことが触れられていましたので一気に読了しましたが、下巻はベ平連とか連合赤軍事件など、ちょっと遠い存在でしたので、さすがに読了するのに時間がかかりました。
 1968年10月の新宿駅騒動は学生だけでなく、多くの青年労働者が加わった。
 当時の東京には、地方からやってきた青壮年男性が突出して多く、娯楽のない彼らは闘争現場に見物に出かけ、ときには腹いせに警官や機動隊に対して投石までした。
 娯楽の乏しい大都会でのハプニングに飛び込んでいった労働者群がいたということです。これは、私自身の実感でもあります。学生セツルメント運動として、青年サークルを組織するという活動をしていましたが、テレビのほか娯楽のない青年労働者が町のあちこちにごろごろしていました。ですから、河川敷でソフトボール試合をしたり、町内会館を借りてフォークダンスなどをすると、若者たちが集まってきました。オールナイト・スケートや早朝ボーリングも流行していました。
 10月21日の群衆に、ただ騒動を見物にきたヤジ馬が多かったことは明らかだった。新宿事件の群衆は、一過性の破壊行為を行っただけで、そこからは何も生まれなかった。
 1969年9月、京都大学の全共闘による時計塔の封鎖は機動隊が導入されて解除された。このとき籠城していた学生は、わずか8人だった。
 奥田京大総長(当時)の証言によると、機動隊の導入はセクト主導の京大全共闘の依頼だった。
 わずか8人しかいないなら、京大の民青に頼めば簡単に排除できた。しかし、全共闘が民青の行動隊に排除されるのは絶対に承服できない。だけど警察ならやむをえないと大学に要望してきたからだ。時計台にはセクト名を大書した旗や横断幕が掲げられ、我がセクトが国家権力と勇敢に闘ったというアピールがなされた。こんな内情バクロ話を聞かされると嫌になりますよね。
 全共闘運動の内実は、日大全共闘を除いて、ひどいものだった。大学のバリケードは、あまりに空虚な退屈におおわれていた。
 社会に出て徹底してやれると思うのは幻想であるから、大学の中では徹底してやるという。大学が特殊な逃げ場に使われている。結局、彼らは企業にとりこまれるだろう・・・。
 1969年の全共闘運動は、参加した学生の主観的なメンタリティの真剣さはともかく、若い学生が就職前の祝祭として楽しむ流行に堕していた側面がなかったとはいえない。
 元全共闘運動に参加していた人のうち、運動から離れた主因の1位は内ゲバであり、2位は連合赤軍事件だった。連合赤軍事件については、あまりにも悲惨かつ陰惨な事件なので、私のようにまったく無縁な人間にとっても、あまり直視したくはない事件です。ただ、この本を読むと、この連合赤軍事件が、思想性に起因するものなんかじゃないし、総括するにも価しない事件だと当事者の一人が語っていることに、少しだけ救われた気がしました。
 赤軍派にオルグされた学生が当時の心境を次のように語ったというのを知って、びっくり仰天しました。
 東大の入試が中止された。政府の危機である。だから、政府の危機を政治の危機に。このスローガンに共鳴した。革命の現実性はある。少数者革命は可能かもしれない。
 うへーっ、東大入試の中止が政府の危機だなんて、当時、私は考えたこともありませんでした。むしろ、権力は余裕をもっていて東大をぶっつぶし、もっと管理しやすい大学をつくろうとしていると思っていました。
 いまや作家として名高い北方謙三は、私より一つだけ年長であり、中大全共闘の活動家でした。北方は、よそのセクトに捕まって、すぐに自己批判してしまいました。そのときの屈辱の傷がずっと尾を引いて、その後は圧力や恐怖に屈せずに闘う男たちを描くハードボイルド小説を書き続けているという著者の指摘には、なるほど、そういうことかと思い至りました。
 赤軍派は出発点から内ゲバやリンチと不可分だった。そして、公安警察は、赤軍派の事情を詳細に知っていた。1969年11月5日、大菩薩峠に集まった赤軍派53人は、  100人の公安と288人の機動隊員によって全員が逮捕された。このとき、「福ちゃん壮」には、公安刑事が内偵していただけでなく、スクープを狙った読売新聞の記者まで泊まりこんでいた。なんということでしょう。テレビで再現現場を観たことがありますが、ここまでくると悲惨というより、喜劇ですね。
 森恒夫は、赤軍派がブントと内ゲバしたときに逃亡して、大阪の町工場で板金工として働いていた。それを見つけ出して復帰させたが、森自身は自分が逃走した負い目から過激な闘争方針を出すようになった。
 森は、人から強く言われると迎合する。信念のなさ、困難を避けようとする小心者の森が赤軍派の最高指導者になったのは、他のすべての幹部が去ったためだった。
 赤軍派のいう「処刑」は、「首相官邸占拠」や「世界同時革命」などと同じく大言壮語の一種で、本気で殺す気などなかったと思われる。だが、永田洋子や坂口は森の言葉を本気で受けとってしまった。大言壮語のわりには実行はいいかげんな関西ブント気質を受けつぐ赤軍派と、生真面目な革命左派の気質の相違が、悲劇を生んだ。
 森の大言壮語に革命左派が煽られて処刑を行った。だが処刑後は、森は革命左派に劣等感をもち、理論的な優位だけでは革命左派を吸収合併できないと考えるようになり、処刑や「せん滅戦」を部下に叱咤するようになった。いわば、両派は互いに煽りあうようにして悪循環に入っていった。
 森と永田は、自分の身を守るため、逃亡や反抗の恐れがあるとみなした人間を、口実をつけて「総括」していったのではないか。
 連合赤軍事件の遺体の発掘は、前日に予行演習が行われ、一度掘って死体を確認し、その後をもとどおりにしておいた。記者席まで設定されているところで、死体が掘り出された。ここでも、警察のショーが演じられていたのですね。これもまた、おぞましいことです。そうやって警察は国民を誘導していたのです。
この警察の演出は、見事に成功した。リンチ死の報道は新左翼に大打撃を与えた。
 いえ、新左翼だけではないでしょうね。左翼全般に対して、格別の思想をもっていると、こんなところに帰着することになるんだぞ、ということで、スターリンのテロルを連想させる効果もあったように私は思います。これで社会の雰囲気がぐっと変わりました。
 この事件を機に運動に失望し、手を引いた若者は少なくなかった。
 連合赤軍事件の原因は何だったのかとか、無理に総括しようとしても、ろくな結論なんか出てこない。何も出てこないという当事者の意見に著者は賛成しています。
 なるほど、そうなのかなと私も思います。
 理想とか倫理とか正義を動機としてリンチ殺人事件があったわけではないことを著者は強調していますが、恐らくそのとおりだと私も思います。それにしても、今にも強い影響の残る重大な社会的事件でした。
 1968年から69年に起きた社会現象を振り返って考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれる本だと私は思いました。
(2009年8月刊。6800円+税)

2010年7月15日

諫早湾、調整池の真実

著者:高橋徹・堤弘昭・羽生洋三、出版社:かもがわ出版

 1997年4月、諫早湾の奥にある3550ヘクタールの海面が有明海から切り離された。これは、東京の山手線内側の半分以上の面積にあたる。堤防閉め切り後、湾口部の内外では潮流速が大幅に遅くなり、1998年以降は秋期の赤潮が大規模化しはじめ、  2000年には広汎なケイソウ赤潮によってノリの大規模な色落ちが発生した。その被害額は、単年度の市場価格だけで200億円に達した。
 潮流速が遅くなった海底では、それまで沖合に流れていた細かい粒子の有機物をふくむ泥が沈澱し、それを分解するバクテリアが酸素を消費することで貧酸素水塊が発生するようになった。その頻度と範囲が年々拡大している。そして、高級貝のタイラギ漁は壊滅状態となった。
 有明海の干満差は国内最大の6メートルにも達するため、数キロにわたって潮が引く、大規模な干潟が各所にできる。諫早干潟も、その一つで、2900ヘクタールという国内最大の面積を誇った。ここには、シギやチドリなど、渡り鳥の飛来数がとりわけ多い場所として、全国的に有名であった。
 有明海では、毎年10月から3月にかけて、沿岸のいたるところでノリの養殖漁業が盛んとなる。その生産量は40億枚で、全国の養殖ノリの4割を占める。有明海はノリ養殖漁業の発祥の地でもある。
 水温の高い有明海でとれる養殖ノリは柔らかく、香りが強く、高級ノリとしてのブランドをもっている。ところが、赤潮が秋に発生すると、このノリ養殖漁業を直撃する。本来、黒紫色の濃さを競うべき養殖ノリが色を失い無惨な姿となる。これは、増殖した植物プランクトンと、海水中の栄養塩(無機態のチッソとリン)をめぐる競争に、養殖ノリが負けてしまった結果である。
 有明海は、1日の潮汐によって海面が5~6メートルも変動し、そのことによって速い潮流が発生するため、海水がよく攪拌される海であった。
 日本の食糧自給率は4割いかになっていますから、それを解消するため、農業を保護、育成する必要があるというのは大いに共鳴します。しかし、それだったら、今の大々的な減反政策は、まっ先に見直されるべきでしょう。なにはともあれ、農家がいそいそとお米づくりに没頭できるようにするべきでしょう。
 ですから、諫早湾を干拓する前に、国は今やるべきことがあるのです。
 公共事業は、どこでもゼネコンと、それにたかる利権構造が問題となります。今回の諫早湾埋立にしても、ゼネコン側からの反対なのではないかと思われる節が多々あります。
 もちろん、土木工事も大切です。でも、それが、私たちの日常生活をより苦しくしてしまうのであれば、思い切って中止するというのも、一つの決断ではないでしょうか・・・。
(2010年7月刊。1600円+税)

2010年7月13日

クレジットカウンセリングの新潮流

著者:大森泰人・伊藤眞一・永尾廣久ほか、出版社:金融財政事情研究会

 本年6月、改正貸金業法が完全施行され、これまでのような野放図な貸し方が規制されました。それでも多重債務者はいます。しかも、たくさんの人が困っているはずです。
 そこで、クレジットカウンセリングの出番です。ところが、なぜか、総合的な体系書が見あたりません。1998年以降、10年以上も空白になっています。本書はその意味で待望の新刊です。うれしいことに、福岡から二人の著者が出ています。永尾廣久弁護士(福岡県弁護士会)と行岡みち子さん(グリーンコープ生協ふくおか顧問)です。9人の著者は、行政官、学者、弁護士、NPO法人理事長、生協幹部、金融界関係者、市長と多彩な顔ぶれです。それぞれに経験をふまえてクレジットカウンセリングを論じ、自分の実践と体験を紹介しています。
 たとえば、テレビで大々的に広告・宣伝してパラリーガルを活用した大規模でシステマティックな債務整理については、債務者の実情に即した親身な対応が行われにくいとして懐疑的です。
 最近の相談者の実情は、貧困の問題に端を発するケースが増え、福祉的な観点からの生活再生が重大なテーマとなっている。
 国や自治体による助成、法曹界など関係諸機関との連携の重要性も強調されています。金融機関が多重債務問題に主体的に関与する必要性にも言及されています。
 永尾弁護士のクレジットカウンセリング論の特徴は、全国各地にあるクレジット・サラ金被害者の会のすすめている相談および生活立て直し活動を具体的に紹介しているところにあります。
 裁判所は、破産手続について、教育的要素など期待してもらっても困るという態度です。迅速・公正な処理さえしていれば足りるのであって、そこに教育的見地をいれる必要はないというわけです。だったら、裁判所に欠けている面を誰かがカバーする必要があることは自明でしょう。それを被害者の会が補っているのです。
 グリーンコープ生協ふくおかは、なぜか多重債務問題に取り組んでいるユニークな生協です。組合員に家計破綻した人が少なくなく発生したことが契機になっているようです。組合員の相談に乗り、弁護士を紹介し、生活再生貸付事業を展開しています。
 宮城県に栗原市というところがあるそうです。残念ながら、行ったことはありません。いいところのようです。岩手県・秋田県との県境にある山のなかの市です。そこの市長さんが、自殺防止対策について寄稿しています。なんと自殺率が県下最悪だっというのです。
 クレジット・サラ金の被害を本当に根絶したいと考えている人には絶好の手引書です。日本って、まだまだカウンセリングが根付いていませんよね。でも、必要な手法です。あなたに一読を強くおすすめします。
(2010年6月刊。3600円+税)

 6月に受けたフランス語検定試験(一級)の結果を知らせるハガキが届きました。もちろん不合格なのですが、なんと自己採点では63点だったのに、現実には51点でした。この12点の差はフランス語の書きとりと作文について私の自己評価がいかに甘かったかを意味します。大いに反省させられました。自己に厳しくとはいかないものですね。
 ちなみに合格点は85点ですから、34点も不足していました(150点満点)。

2010年7月11日

主婦パート、最大の非正規雇用

著者 本田 一成、 集英社新書 出版 
 
  経済界がもうけ本位で安上がりにすべく主婦パートを安易に「活用」しているのが日本の将来を危うくしていると実感させられる本です。
企業が主婦パートにつけ込むことに血道をあげているうちに、旧来の忍従してきた主婦パートは様変わりし、企業経営にとって危険な存在になりうる。その結果、「生産性」は上がらず、多くのものを失う。安上がりだったはずなのに、かえって高くついてしまう。
 企業が無我夢中でパート化を進め、うまくいっていると誤解しているうちに、人材の育成がおざなりになってしまった。
 かつては正直で働き者だった主婦パートが、不満をためながら同じ職場、同じ仕事を続けているうちに、横暴な「ボス」になっていく。そして、新人や気に入らないパートをいじめたりするようになる。しかも、「ボス」が数人いると派閥ができて、目もあてられない。なぜ「ボス」パートが誕生するのか。それは、「人材開発」が有名無実になっているから。
 今や多くの企業が、この「ボス」パートの問題をかかえている。
 「かご抜け」をやっている主婦パートがいる。「かご抜け」とは、レジで代金を支払わずに、かごにいれた商品を店外に持ち出すこと。レジ担当者が、レジに並んだ知人や友人の買い物かごに入っている商品の一部を巧妙に精算せず通過させることもある。
この「かご抜け」のような露骨な反抗ではなく、実は、もっと厄介なのが「静かな抵抗」なのである。不満だらけで、いやいや働く主婦パートは、ビジネスチャンスの種を見つけても、わざと拾わず、黙ってやり過ごしてしまう。
 自分の労働が正当に評価されないと、深刻な病理現象がいろいろ発生するというわけですね。
いま、主婦パートの主流は、家計の足しにするために働くという家計補助型から、生活を維持するために働く生活維持型に変化している。主婦はこの大黒柱となっている。
主婦パートにかかる負担が強まった結果、2人目は産まないという方向性が強まっている。少子化防止のはずが、主婦パートは子どもを一人にしてしまう少子化の推進力になっている。
家庭で夫からのDVの脅威にさらされている主婦パートが実に多い。DVがおきている主婦パート世帯の子ども虐待への連鎖反応も心配である。
このように、主婦パートに光をあてて実情を分析している貴重な新書です。

 
(2010年1月刊。700円+税)

2010年7月10日

官僚村、生活白書

著者:横田久美子、出版社:新潮社

 選挙のたびに官僚バッシングがあるのは、おかしなことだと思います。しかも、政権与党が官僚制(システム)を叩いて人気向上の材料にしようというのですから、信じられません。
 いかなる政権であろうとも、それなりの官僚システムなしに国を動かせるはずはありません。高級官僚の天下り、「渡り」で何億円もの退職金を、わずか数年間で次々に手にするなどの病理現象はたしかにあり、改善すべき点があることは間違いありません。しかし、官僚システム抜きの行政など、ありえないことは明々白々ではないでしょうか。その意味では、マスコミも官僚叩きにおもしろがって大々的に加担している点で同罪だと思います。
 この本は、官僚「村」の実情をそれなりに取材して報告しています。
 官僚批判すれば、確実に支持率と票が取れる。民主党の支持率が着実に落ちていくなか、官僚機構の改革に着手すれば、支持率の上昇が見込めると目論んでいる。
 これまでの日本では、政治家と官僚とのもたれあいは必然の出来事だった。官僚にとっては省益や局益に直結する法案を政治家に通してもらうことこそが命題であり、その家庭で癒着が生まれ、政治家は、政策的に官僚の掌で転がされてきた。
 敗戦直後の華族制度の廃止と財閥解体はあったものの、エスタブリッシュメント層は戦後も変容しながら存在し続けている。
 皇后・妃殿下の実家である正田家や川嶋家は「新華族」とも呼べる存在である。財界には、味の素の鈴木家、ブリヂストンの石橋家、ソニーの盛田家などが名門の家系として君臨する。金融界には、三井・三菱の宇佐美家がある。
 政界には、こうした財界や新華族とつながった名門一族がごろごろしている。鳩山家、福田家などがそうだ。
 官僚たちの世界でも、2世3世が幅をきかせているようです。
 OBと現役の外交官夫人で構成される「かすみがせき婦人会」は50年以上の歴史を誇り、会員数も500人をこえる。すごい世界ですが、こんなところにはすみたくありませんね。生まれがモノを言うなんて、今どき、とんでもない世界ですよ・・・。
 キャリア官僚の初任給は18万1,200円。45歳で課長になって、年収1200万円。局長になったら年収1800万円。次官級ポストの審議官になったら2300万円。次官(1年間)の退職金は7~8000万円。もちろん、最後は高額ですが、途中までは哀れなほど低いのです。あまり低いと、どこかで埋め合わせ行動(収賄)に走る危険があります。やはり、激務であれば、それなりの高給優遇は不可欠ではないでしょうか。
 それにしても、阿久根市(鹿児島県)はひどすぎます。「ブログ市長」として一時はもてはやしたマスコミ、そして、今も公務員たたきの尻馬に乗っている人の責任は重大です。そこにあるのは、民主政治ではなく、「独裁」そのものです。悲しくなります。
(2010年6月刊。1300円+税)
 今朝の新聞にドイツが軍事費を1兆円削減するという記事がのっていました。私も5兆円もある日本の軍事費をせめて1兆円減らして福祉予算にまわしたら、相当のことができるのではないかと思うのですが、自民党も民主党もそんなことはひと言も言いません。
 軍事費の使い方には、かなりのデタラメがあるのは、先日、天皇とまで呼ばれていた実力次官が汚職で摘発されたことからも明らかだと思います。だって、戦車も選管も競争相手のいないような商品ですから、「随意」契約みたいなものです。ともかく、巨額の商品です。しかも、軍需産業と防衛省のトップは天下りをふくめてツーカーの仲なのですから、歯止めのあろうはずがありません。これは戦前の軍部と軍需メーカーでも同じことでした。
 線ky歩の時こそ、こんなところにもマスコミはメスを入れてほしいと思うのですが……。
 マスコミのトップも例の内閣機密費のおこぼれをもらっていると週刊誌が描いていました。期待する方が無理なのでしょうが、でも私は期待したいです。

2010年7月 9日

憚りながら

著者 後藤 忠政 、宝島社 出版 
 
著者は山口組のなかでも武闘派で鳴らした後藤組の元組長です。今は引退しているとのこと。 この本を読むと、日本っていう国は暴力団があらゆる分野に根付いていることをつくづく実感させられます。本当に残念というか、悲しい現実です。そして、ヤクザの生き方の「正当性」をたたえる(自画自賛する)ところは、政治家や財界人の現実(その無責任さ、あまりの利己主義、金もうけに目がくらんでいる)をふまえると、ついそうなんだよねと、うなずかざるをえません。
 たとえば、日本経団連の前会長の御手洗氏を著者は強烈に批判していますが、私もまったくそのとおりだと思います。
 御手洗だかオテアライだか知らんけど、あんな人物でも経団連会長ができたんだから、層が薄いというか、底が知れているな。経団連会長といえば日本のトップだ。昔は「財界総理」だなんて呼ばれてたんだよ。それが自分のダチ公に散々、儲けさせといて、そいつが脱税でパクられたら、知らぬ存ぜぬだものな。
 この御手洗氏も“チンピラ”だ。法に触れなきゃ、何やってもいいのかよって話だ。別にキャノンの会長まで辞めろとは言わんよ。それは 株主が決めればいいんだから。けど、少なくとも経団連の会長だけは辞めんといかんかったんじゃないのか。経団連って、日本の財界を代表する、そのトップなんだから、これは道義の問題だ。こんなことを、ヤクザやってた者から意見されるな、という話だ。こんな人間が経団連の会長をやってたんだから、日本の経済がグダグダになるのもしょうがないわ。
いやはや、胸のすくほど痛快な指摘です。アメリカで少しはまともな合理主義精神を身につけて帰ってきたかと思うと、拝金主義の体現者として労働者の使い捨てだけをすすめるという情けない人物でしたね。
著者の出身は富士宮市ですから、創価学会とも密接な関わりを持っていました。山崎正友弁護士(故人)や藤井富太郎元公明党最高顧問と組んで暗躍した状況が語られています。
自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、たいした人物じゃないってことだ。他人様から、とうていほめられるような人物じゃないから、自分で自分をほめる本をせっせとつくっては、業界の信者に買わせてる。ああいう見苦しい生き方もないもんだ。
こうやってバッサリ切り捨てています。
 著者はサラ金の武富士ともつきあいがありました。その株式上場を助けてやったというのです。ところが、そのお礼に武富士は「鼻くそ」みたいなカネを持ってきただけで、あとは知らんぷりだった。それで「ふざけんな」という話になった。
 いやはや、なんということでしょう。武富士は上場できて1000億円以上も儲けたというのです。このほか、株式市場でも暗躍し、大儲けをしたようです。さらには佐藤道夫参議院議員(元高検の検事長でした)の当選に力を貸し、本人からえらく感謝されたという話もあります。これって本当なんでしょうかね・・・・。
 政界、経済界、芸能界あらゆるところに「日本最強」の暴力団の親分として顔がきいていたことがよくよく分かり、つくづく嫌になってしまいます。
 そして、東京銀座で毎晩のように飲み歩いていたというのです。もっとも、そのおかげで肝炎となり肝臓癌となります。ところが、アメリカで最新式の肝移植を受けて著者は生き延びるのでした。なんともはや、すごい生命力の人物です。そして、暴力団を辞めて、得度したのでした。これまた、すごい転身です。決断力があります。
 まあ、言ってみればヤクザ賛美のような本なのですが、社会批判がかなりまともで、同感できるところが多々あるところが悔しい気すらしてしまいました。久留米の富永孝太朗弁護士に面白い本があると勧められて読んだ本です。ありがとうございました。
 
(2010年6月刊。1429円+税)
 法人税を減税しても、大企業は海外に投資してしまうので、日本の経済回復にはつながらないと指摘する人が多いですね。ということは、消費税10%で日本経済はますます冷え込むでしょう。が、法人減税も日本の国を強くすることはないということです。
 それにしても、消費税とあわせて沖縄の普天間基地の問題、日米合意は守られるべきものなのかというのも重要な争点だったはずですが、民主党と自民党の政策が一致したためか、マスコミはほとんど取り上げません。本当にそんなことでいいのでしょうか。民・自以外にも政党はありますよね。マスコミは政策選択の可能性を奪ってはいけないと思います。

2010年7月 2日

日米核密約、歴史と真実

著者:不破哲三、出版社:新日本出版社

 核兵器のない世界は私たち誰しもが願うところだと思います。オバマ大統領がプラハ演説のなかでそのことを高らかに宣言したことは、この分野での具体的前進に期待を持たせるものでした。そして、この6月に、ニューヨークで開かれたNPT(核不拡散条約)の再検討会議は、それを前進させることで一致をみました。素晴らしいことです。ただし、私たちは他人事(ひとごと)のように手を叩き、腕を組んで模様眺めをしていてはいけないと思います。
 日本政府は「非核三原則」(核兵器をつくらず、持たず、持ちこませず)を守ってきたと言っています。おかげで佐藤栄作首相はノーベル平和賞を受賞したのでした。ところが、実は、佐藤首相はアメリカとのあいだで核に関して、日本に持ち込むことを認める密約を交わしていたというのです。それが核密約の問題です。問題は、これが単なる過去の話ではないということです。
 アメリカは、今でも(オバマ政権においても)、依然として先制核攻撃戦略を基本としている。そのため、アメリカは「重大な緊急事態」が起きたときには、核兵器をふたたび沖縄に持ち込む必要がある。日本は、そのとき、直ちに承諾する。これが核密約の中味である。沖縄にあるアメリカ軍基地に、今は核兵器はない。しかし、何かあったら、アメリカが核弾頭を持ち込む。すると、直ちに核攻撃基地として活用できる機能をもった基地として整備され維持されている。
 いやはや恐ろしい内容です。
 アメリカ政府は、事前協議の制度はつくるけれども、肝心なことは、日本政府と相談しないですむ、これまでどおり、アメリカが勝手にやれる、この道を見つけ出すことが、安保条約改定交渉(1958年10月)の一番の核心だった。
 そして、日本政府は、それを受け入れた。しかし、日本政府は万一それが明るみに出たときに言い逃れができるように、この秘密の合意文書に「討論記録」という名前をつかった。しかし、どんなタイトルをつけようと、それは国家間の法的拘束力をもつ合意文書なのだから、まさに条約にあたるものなのである。
 日本政府は表向きでは事前協議なしに核兵器の持ち込みはありえないと言いつつ、実は、こっそり事前協議を事実上、空洞化させる取り決めをアメリカと結んでいたわけです。
 この核密約について、アメリカ政府は、「密約」の秘密性を維持する必要はなくなったと考えて、機密指定を解除して「核密約」の内容を公表している。そこで、日本共産党の調査団がアメリカの公文書館の膨大な書類のなかから、この「核密約」そのものを探り宛てることが出来た。
 しかし、日本政府は、核密約なんて存在しないと今も言い張っている。
 そして、現在の民主党政権も自民党政権と同じく核密約を廃棄するつもりはないと明言している。
 こんなインチキはありません。許せないことです。
 アメリカ軍のある提督は、「1950年代の早い時期から核兵器は通常、日本の港湾に寄港している空母の艦上に積載されてきた」と発言した。
 核密約の問題は、決して過去の歴史問題ではない。アメリカは、今は艦船や航空機に日常の体制としては核兵器を持たせない体制をとっているというが、核戦略を放棄したわけではない。現在も、核戦略を強固に堅持しており、その発動を必要とする事態が生まれたら、アメリカの艦船や飛行機は核兵器を積んで行動することになる。
 そのとき、核兵器を積んだ艦船や飛行機が日本に自由に出入りできる仕組みが、この秘密協定によって今なお存在し、その意味で、被爆国である日本が現在も核戦争の出撃拠点となっているのであり、ことは重大である。
 この本を読んで、なにより腹が立ったのは、日本政府は表向きは「非核三原則」を口にするものの、実は、日本を守る「核」がなくなったら困る、だからアメリカには核兵器は積んでいてほしい、おろさないでくれと頼んでいるという事実です。ひどい話です。許せません。
 沖縄の普天間基地の「県外移設」が、いつのまにか「県内移設」で収拾されようとしています。しかし、そもそも、このような核密約をふくめて、日本政府はあまりにもアメリカ言いなり過ぎます。弱腰だというのではありません。まるで主体性がないのです。こんなことでは世界から笑いものにされるだけではないでしょうか。
(2010年6月刊。1300円+税)
 日曜日、雨が上がりましたので、午後から庭に出て少しだけ手入れをしました。いま、ぐんぐんとヒマワリが伸びています。朝顔のツルも塀にそって上へ上へと伸びあがっているので、楽しみです。
 近くのレストランの店主さんからいただいたキューリの苗が、みごとにキューリを実らせてくれました。早速、3本もいで、水洗いして、マヨネーズを少しかけて丸かじりしました。とても新鮮な味です。産地直送、完全無農薬、もぎたての野菜は本当においしいですよ。

2010年7月 1日

イラクで航空自衛隊は何をしていていたか

著者:「イラク派兵差止訴訟」原告・弁護団有志、出版社:せせらぎ出版

 名古屋高等裁判所(青山邦夫裁判長)は2008年4月17日、「現在、イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は、政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」という判決を下しました。この判決は確定しています。
 そして、原告側弁護団はイラク復興支援の名目で派遣された航空自衛隊の空輸実情報告文書の開示を求めたのでした。ところが、肝心の部分は真っ黒に塗りつぶされていて、内容を知ることが出来ませんでした。
 政権交代によって民主党政権が誕生したあとの2009年9月24日、すべての記録が開示されました。この本はその開示された文書を集約し分析して紹介しています。
 陸上自衛隊がイラク(サマーワ)から撤退したのは2006年7月19日。この撤退のあと、航空自衛隊の輸送は1.4倍に増えた。その前が346回なのに対して、撤退後は475回となっている。
 撤退前には、陸上自衛隊が6割を占めていたが、撤退後はアメリカ軍が6割を占めている。軍属やオーストラリア軍その他の軍人をふくめると8割になる。全期間の合計は3万人をこえる。逆に「国連」関係者の輸送は1割以下でしかない。
 アメリカ軍兵士は武装していた。イラク航空隊の空輸活動は、主としてアメリカ軍の指揮・調整のもとで、アメリカの戦略と軍事作戦に深くコミットして行われた。アメリカ軍にとって危険な陸路で兵員を輸送する必要がないという大きなメリットがあった。
 日本の航空自衛隊は、「他国による武力行使と一体化した行動」を行い、「自らも武力行使を行ったと評価を受けざるを得ない」のである。
 つまり、日本はアメリカのイラク侵略戦争に加担したのです。このことを多くの日本人は真剣に考え、自覚すべきだと思います。
 わずか60頁ほどの薄いパンフレットですが、ぎっしり中味の濃いものです。おかげで首・肩・背すじがこってしまいました。お疲れさまです。
 今度の参院選で沖縄の普天間基地の移転問題が大きな焦点となっていないようなのは、とても残念です。鳩山前首相の迷走ぶりは菅首相に交代したからといって解消したわけではありません。
 沖縄の海兵隊が日本の平和維持のために抑止力になっているというのは果たして本当なのか、また日米安保条約はまだ今のまま保持してよいのか、選挙の争点にして問われるべきではないでしょうか・・・。
(2010年5月刊。600円+税)

2010年6月30日

比例削減・国会改革

著者:自由法曹団、出版社:学習の友社

 いま、衆議院議員の比例定数を80議席も削減しようという動きがあります。
 国会議員なんて、ろくでもない者がムダ飯くってるだけだから減らして当然だ、という声もありますが、決してそんな問題ではない、と、この本は強調しています。
 小選挙区・比例代表並立制となったのは1994年のこと。それまでは、中選挙区制でしたので、少数政党も3番目とか5番目に当選することが出来ていました。
 既に1996年10月から5回の総選挙が実施されている。政権交代が実現した2009年8月30日の総選挙で308議席を獲得して圧倒的な第一党となった民主党の得票率は、実は5割を越えておらず。42.4%(比例)でしかない。
 「4割の得票で6割をこえる議席」が実現した。これは、小選挙区制によるもの。ただし、小選挙区制だから政権交代が可能になったというわけではない。
 日本が完全比例代表制をとっていたとしたら、民主党204議席、自民党128議席、公明党55議席、共産党34議席、社民党21議席、みんなの党も同じく21議席、国民新党8議席。つまり、自公の議席数(合計83議席)は、民主党の単独議席数に及ばず、政権交代は不可避だった。
 そして、比例定数を80削減すると、どうなるか。
 民主党は308から274議席に減るけれど、議席占有率は64%から68%に増える。自民党は119が94議席に減り、議席占有率も25%から23%へ少し減る。
 ところが、第三党以下は致命的な打撃を受ける。あわせて6党の議席は46から25に大きく減り、議席占有率も10%から6%に下がる。共産党は9が4議席に半減し、社民党はゼロになる。
 いま、小選挙区制の本場といわれるイギリスでも見直しの動きが強まっている。この流れに逆行するのが、「比例定数80削減」なのである。
 なーるほど、そうですよね。「少数」意見といっても、国民のなかの声としては大きいものがあったり、実は「多数」だということもあるものですからね。
 80議席を削減して年に54億円の経費削減となる。しかし、その前に、政党助成金 320億円が問題である。なるほど、なるほど、まったくそのとおりです。政党の活動が国家丸がかえというのは本当におかしい話だと思います。
 それに、アメリカ軍への思いやり予算(年2000億円)もムダづかいです。こっちこそ、バッサリ削るべきでしょう。5兆円もある軍事予算をまずは20%削減すると1兆円も浮くのですよ。民主党政権はそこに手をつけないのでしょうか。事業仕分けはごまかしがありすぎます。
 日本の国会議員が諸外国に比べて決して多いとは言えないことも数字で証明されています。
 イギリスは、人口は日本の半分なのに下院は646議席。
 スウェーデンの人口は日本の14分の1なのに、国会議員は349人もいる。
 今のように価値観が多様化しているなかで、少数意見を次々にバッサリ切り捨てていったら、国民の声なき声が反映されなくなり、あとは暴動を待つのみという危うい国になってしまうのを心配します。
 80頁もない薄っぺらなパンフレットですが、大事なことを問題提起していると思いました。
(2010年4月刊。600円)
 ちょこさん、名前を間違えてごめんなさい。庭の花、また近くアップします。赤・黄・白のグラジオラスア、アジサイ、そして黄色いヘメロカリスが咲いています。ノウゼンカズラそしてアサガオも咲いて、目を楽しませてくれます。

2010年6月26日

タケ子 Ⅱ

 著者 稲光 宏子、 新日本出版社 出版 
 
私が弁護士になる前のことです。1973年(昭和48年)6月、私は司法修習生でした。大阪で参議院の補欠選挙があり、自供対決の一騎打ちで共産党の女医さん(50歳)が自民党の資本家(製薬会社の社長)候補を打ち負かしたのです。しかも、劇的な逆転勝利でした。
これを知って、ずっとずっと長く続き、不敗と思われていた自民党政権も変えることができるんだとまだ20歳代だった若き私の熱い血が騒ぎました。あれから40年たち、自民党政権が本格的に退場し、民主党政権の迷走ぶりはともかくとして、日本の政治だって国民が選挙によって変えることができるという確信を持てたことは大変すばらしいことだと考えています。
それはともかくとして、この本は40年も前に自共対決で共産党がなぜ自民党に勝てたのか、勝った女医さんとはどんな人だったのか、等身大で明らかにしています。とても読みごたえのある本で、青森への出張の帰りの機内で私は一心に読み耽りました。
ドクタータケ子は大阪の下町(姫島)で地元の人々に支えられて診察所を開設します。まだ20代でした。ともかく、昼となく夜となく診察し、その合い間には自転車で患者宅へ往診に出かけていくのです。そして、大水害が起きると、小船に乗って被災者のなかの患者を診てまわります。いやはや、その行動力や、馬力のすさまじさに圧倒されてしまいます。若いって、やっぱり素晴らしいですね。還暦を過ぎて、つくづくそう思います。
そして、推されて市会議員に立候補します。地元の圧倒的な支持をもとに、たちまち当選。32歳の市会議員が誕生しました。医者と「二足のわらじを履く」生活が始まったのでした。
市会議員になってからも、市民とともに要求実現の運動にとりくみます。旧来の政治家のように、「オレに、私にまかせておきなさい」というのではありません。これだったら、財界本位の自民党候補者にたしかに一騎うちで勝てたんだろうなと納得できました。
読んで元気と勇気の湧いてくる本です。若返ります。少なくとも気分だけは……。 
(2010年4月刊。1800円+税)

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