弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2011年1月26日
やめられない-ギャンブル地獄からの生還
著者 帚木 蓬生、 集英社 出版
やめられない病気は多い。アルコール、覚せい剤、シンナー、買い物、万引、露出症、セックス・・・・そしてタバコ。やめられない病気は数多いが、そのやめられない度合いの強さと本人の人生上の破滅だけでなく、周囲の人々をとことん苦しめる点において、やめられない病気の最悪のものは、ギャンブル依存である。学生なら勉強が手につかなくなり、社会人は仕事がそっちのけになる。家庭をもっても、不和と離婚。社会的な信用は失い、家族や親類から忌み嫌われ、軽蔑される。
いくつものギャンブル依存症の症例が紹介されています。私の依頼者にも少なからずいましたし、現にいます。パチンコ店の前を素通りできない人々がいるのです。
借金と嘘。これがギャンブル地獄であがいている人間の見まごうことない二大症状である。悪性腫瘍よりもタチが悪く、治癒しない限り進行し、自然治癒もないのが病的ギャンブリング。
借金の尻ぬぐいは、病気を進行させる厳然たるカラクリがある。チャラにしたつもり、リセットしたつもりというのは見せかけだけ。見えないところで病気はぐんと進行している。
著者のクリニックで初診した100人がギャンブルに平均して投入した金額は1300万円。うひゃあ、ちょっとした中古マンションが買えますね。ギャンブル開始年齢は20歳前後、受診時の平均年齢が39歳、19年間に1300万円がギャンブルで消えた計算になる。
受診までにギャンブルに使った最高額は1億600万円。借金をかかえたギャンブル依存症の患者に対しては、一番いいのは、放置すること。本人の借金は、あくまで本人が少しずつでも返済していく。この重しが、再びギャンブルへと足を踏みはずさないためのガードレールの役目をしてくれる。
病的ギャンブラーの頭のなかでは、寝ても覚めても、どんな巧妙な嘘をつけばいいかで占められている。思考がそこに集中するので、編み出された嘘は成功に出来ていて、なかなか見破れない。
借金と嘘。この二大症状のために骨の髄まで苦しむのが配偶者であり、親兄弟である。本人はケロリとしているのに対し、周りの者が、心労からことごとく病気になっていくのが、病的ギャンブリングの特徴である。
本人そして家族の錯覚は、この病気が本人の「意思」の力でどうにでもなると思っていること。この病気は「意思」とは無関係。ギャンブル地獄に落ちてしまっている病人には、もう「意思」はないと考えるべき。「意思」よりも強い脳の変化が、そうさせてしまっている。
年少時にギャンブルを始めればはじめるほど、病的ギャンブリングにうつ病が合併しやすく、自殺企図にまで至りやすい。
病的ギャンブリングに効く薬はない。病的ギャンブリングには、自然治癒もなく、進行性である。回復の方位はただ一つ。週1回以上の自助グループへの参加と、月1回の通院、受診である。
鬼よりもロボットよりも悪いのが病的ギャンブラーである。
人間性を回復したとき、人は自然に次の三つの言葉が言える。
ありがとう。お世話かけるね。ごめんね。
なーるほど、ですね。お互い、いつまでまっとうな人間でありたいものです。作家として高名な著者は、本業の精神科医としてギャンブル依存症の治療に積極的に関わっています。
私は少し前に、著者と個人的に話すことがありました。一年に一作ということで、その前の取材に何年かかけるということです。なるほど、よく出来ていると感心することばかりの本です。この本は、実践的な啓蒙書として読み通しました。
(2010年9月刊。1200円+税)
フランス語の試験が終わったあと、KBCシネマで『ハーモニー』という韓国映画を観ました。いやあ、本当に心が洗われるっていうのは、こんなことを言うのですね。澄み切った歌声がまさしくハモっていて、素晴らしい映画でした。心の震える2時間が、あっというまにたっていました。女子刑務所のなかで収容者たちが合唱団をつくっていき、ついには外部でも発表するまでの出来栄えになったという実話に基づく映画です。指揮役の大女優の貫録に心が打たれました。ぜひみて下さい。
2011年1月22日
日本の現場 ― 地方紙で読む
著者 高田 昌幸 ・ 清水 真、 旬報社 出版
全国紙が、どれもこれも似たりよったりの記事しか書かない状況で、地方紙のほうが読みごたえのある記事をかくことがあります。その典型が沖縄の地方紙です。普天間基地問題についての沖縄タイムズや琉球新報の紙面は、まったく本土の記事とつくり方が違います。物事の本質をつき、しかも大胆な紙面構成です。沖縄に行ったときに、ぜひ一度、手にとってみて下さい。こんなにも違うものか、きっと衝撃を受けられると思います。
共産党を除くオール与党の議会というのが全国どこでもあたりまえとなっています。それでは、議員と議会は何のためにあるのか。そこに目をつけたのが阿久根であり、名古屋、大阪でした。私は議会を無視する首長の独裁的なやり方は許せないと考えています。かといって、「オール与党」のぬるま湯にどっぷりつかって、質問もせず、ぬくぬくとして高給をもらっている議員に問題がないわけでは決してありません。先に『カウントダウン』という本を紹介しましたが、あの本も議会と議員の情けない実情を鋭く告発しています。福岡でいうと、先日の西日本新聞の特集記事でも少し問題としていましたが、今の県議会は本当に県民の役に立っているのか、私は大いに疑問を感じています。
北海道議会は、議員の質問はすべて「答弁調整」によって質問も答えもあらかじめ出来あがっている。それを全廃したのが鳥取県議会。シナリオのない、スリルとサスペンスの本会議。これが本当の議会のあり方でしょう。行政当局と議会とのあいだに緊張関係がなくなったら、例の阿久根市長のようなとんでもない人物が出現します。
陸上自衛隊の中央即応連隊は宇都宮駐屯地にあるのですね。下野新聞社がルポで報道しています。総勢700人の中即連隊員のうち3分の1が常時、待機している。海外派遣に備えて風土病などの予防のためワクチン9種類の予防接種をくり返す。
陸上自衛隊で最初に死ぬのは中央即応連隊員。だから覚悟しておくように。
中央即応集団は、合計4200人態勢である。これって怖い話ですよね・・・・。
静岡県内には「デカセギ」として、ブラジルから日本に逆移民してきている。5万人いる。その実情を静岡新聞社が追っています。差別と孤独。希望と閉塞感。2つの祖国・・・・。静岡県内の公立小中学校に在籍する外国籍の児童・生徒は4000人。うちブラジル国籍が2600人。言葉の壁は厚い。外国人犯罪も発生している。
びっしり記事のつまった622頁をざっと読みました。日本全国、各地でさまざまな深刻な問題をかかえていることを今さらながら知りました。もっと知るべき、知らされるべき現実だと思います。大新聞以上にテレビがあてにならない現状では、地方紙の健闘に大いに期待したいところです。
(2010年9月刊。2500円+税)
2011年1月21日
機密を開示せよ
機密を開示せよ
著者 西山 太吉、 岩波書店出版
1969年というと、私は大学3年生で東京にいました。東大闘争が3月に終わり、1年ぶりの授業が始まってまもなくのころです。そのころ、沖縄はまだアメリカの統治下にあり、日本に復帰する前でした。
アメリカは、日本に沖縄を返還するから、それまでに投資した資本は全部回収する。返還するとき、アメリカは1ドルだって支出はしない。基地については、移転・改良を含めて日本側で費用は負担する。そんな屈辱的な密約が結ばれたのです。当時の首相は、ノーベル平和賞をもらった佐藤栄作首相でした。こんなことを決めたアメリカ言いなりの首相に対して、日本の右翼が売国奴といわないのは不思議なことです。
アメリカは、このとき日本から7億ドルをもらえることになったほか、基地移転その他の費用として2億ドルも日本から得ることになった。そして、思いやり予算は1978年に62億円で始まったが、その後も存続して、今日なお2000億円台のまま、ずっと推移している。
これって、日本はアメリカの属国だっていうことなんじゃないのでしょうかね。こんなことをやっている国は、世界中で日本だけです。ひどい話です。それも、日本の安全をアメリカが「守って」くれている代償だというわけです。でも、アメリカに日本を守るつもりがないことは、何回となくアメリカ政府・軍部の高官自身が高言していますよね。本当に日本っておかしな、不思議な国ですよね…。
著者の長年の取り組みが、判決文によく反映されていると思いますので、2010年4月9日の東京地裁(杉原裁判長)の判決文の一部を紹介します。
「原告らが求めていたのは、本件各文書の内容を知ることではなく、これまで密約の存在を否定し続けていた我が国の政治あるいは外務省の姿勢の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現であったことが明らかである。
ところが外務大臣は、密約は存在せず、密約を記載した文書も存在しないという従来の姿勢を全く変えることなく、本件各文書について存否の確認に通常求められる作業をしないまま、本件処分をし、原告らの期待を裏切ったものである。このような、国民の知る権利をないがしろにする外務省の対応は不誠実なものと言わざるを得ず、これに対して原告らが感じたであろう失意、落胆、怒り等の感情が激しいものであったことは想像に難くない」
国は、この敗訴判決に拉訴しましたから確定はしていませんが、なるほど著者の主張するとおりですし、一審判決の認定(判断)したとおりだと私も思います。
国民に大事なことを知らせず、マスコミを使ってキャンペーンをして国民を誘導するという、戦前からの情報操作を止めさせなければならない。つくづくそう思わせる本でした。
それにしても、西山太吉氏の不屈のがんばりには頭が下がります。
(2010年10月刊。1500円+税)
2011年1月20日
世論の曲解
世論の曲解
著者 菅原 琢、 光文社新書 出版
メディアや政治評論家にだまされるな。この本のオビに書かれている言葉ですが、本当にそうですよね。でも、テレビの影響力って、怖いですね。小泉改革なんて、弱い者いじめの典型だと私は思うのですが、それを若者をはじめとする「弱者」が支持し、声援を送って投票所まで出かけたわけですから、世の中はほんとうに分かりませんね。
自民党をぶっ壊せと叫んだ小泉ほど近年の自民党に貢献した人物はいない。小泉は選挙で窮地に陥っていた自民党を一定期間、救った。小泉政権の方針・政策はとくに自民党が苦手としていた都市部住民、若年層と中年層から支持を集めた。自民党は農村の支持基盤を維持したまま、都市部での支持を厚くすることに成功した。これが「小泉効果」である。
2005年の総選挙で自民党は圧勝したが、それには若年層が大きく寄与している。このときテレビ報道が自民党への投票を促した。テレビが自民党のイメージを良化した。テレビは、限られた放送時間を郵政造反組と「刺客」との対決に焦点をあてた報道に消費し、野党を蚊帳(かや)の外に置いた。300選挙区のうち、わずか1割の33に過ぎない選挙区を過度に取りあげることにより、小泉政権による改革の続行か、守旧派による既得権益の温存か、という選挙の対立軸を設定した。恐らく、これが有権者の認識に影響を与えたのだろう・・・・。そうでしたね。これでころっと騙された人が多かったですね。
小泉は、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶことによって、既得権を擁護する古い自民党の立場を攻撃し、構造改革により小さな政府を目ざす路線を明確な形で導入した。これが新しい自民党路線である。しかし、小泉政権の終了とともに、古い自民党が勢いを取り戻し始める。
麻生太郎は、漢字を読めない。失言癖がひどく、他人(ひと)の注意を聞かない人物だというのは、もともとよく知られていた。リーダーとしてふさわしくないからこそ、小泉以前には麻生は首相候補とは見なされていなかった。うーん、そうだったんですよね。そんな人物でも首相になれるなんて、なんということでしょう・・・・。
小泉が成功したのは、世論が望むことと合致することを発言し、ある程度、その方向に自民党政権を引っぱっていったからである。
20代や30代の若年層は、おしなべて政治報道に接する頻度が低い。新聞の政治報道に関して、4人に1人のみ。40代、50代の42%、60代以上の62%に比べて圧倒的に低い。ネットでは、政治情勢に触れることは少ない。
2009年総選挙での自民党について、票の「行ったり来たり」とみるのは間違いである。自民党は、本来ならもっと負けていたところ、民主党が候補者を絞ったことによって助けられた。自民党が農村の10選挙区で「善戦」したように見えたのは、民主党が候補者を絞ったことによるものである。
私は日本の国政選挙の投票率が6割前後でしかないことにいつも歯ぎしりする思いです。北欧のように常時8割をこす投票率であってこそ、政治と生活が定着しますし、この日本が良い方向に進んでいくと確信しています。あなたまかせでは決して日本の政治は良い方向に変わりません。大変刺激的な本でした。一読をおすすめします。
(2009年12月刊。820円+税)
2011年1月19日
名作映画には「生きるヒント」がいっぱい
著者 坂和 章平、 河出書房新社 出版
テレビをみない私ですが、映画は大好きです。毎月一本はみたいのですが、なかなかそうもいきません。暗い映画館に座って、大きなスクリーンに広がる彼方の情景に胸をわくわくさせながら没入するのは、人生の生き甲斐を感じる一瞬です。先日みたのは『ロビン・フッド』でした。子どもたちが幼いころ、8ミリを上映していましたので懐かしくみました。すごい迫力がありましたよ。
小学生のころは、すぐ近くにあった映画館に引率され、授業の一環としてディズニーの自然の驚異シリーズをみたことを覚えています。嵐寛寿朗の鞍馬天狗のおじさんが修作を助けようと馬を走らせる場面では、場内が総立ちとなり、励ましの声をみんなでスクリーン目がけて投げかけていました。あのときの熱狂ぶりは今もしっかり記憶しています。同じような館内のどよめきは『男は辛いよ』を場末の小さな映画館で何度も体験しました。笑いと涙と、拍手で、場内が騒然とするシーンを何回も体験しました。一度、銀座にある上品な広い封切館で『男はつらいよ』をみたとき、館内がシーンと静まりかえっているので、この映画はこんな雰囲気でみるものじゃないな。そう思ったことでした。
このように映画大好きの私ですが、著者は、私のレベルをはるかに超えています。同期の大阪で活躍している弁護士なので、よくもこんなに映画をみるヒマがあるものだと冷ややかに眺めていました。なにしろ、みた映画が私なんかより何桁も違うのです。10年間に評論した映画が1500本というのですから、信じられません。頭が痛くなりそうです。
大学生のころまでは、三本立ての映画をみても平気でした。今では、一日に一本の映画をみたら十分ですし、一ヶ月に一本のペースで映画をみたら(みれませんが・・・・)十二分です。それなのに、年間150本だなんて、ちょっと映画のみ過ぎでしょうと言いたくなってしまいます。そして、著者は、その映画評論を25冊のシリーズ本にしています。私も贈呈していただいていますが、あまりの数の多さにいささか敬遠せざるをえません。
ところが、この本は著者のみた数多くの映画のなかから、なんと50本の名作映画を厳選して紹介したというのです。では、どんなものなのかな、ちょっと知りたくなって頁をめくり始めました。すると、なんとなんと、厳選された名作映画50本のなかに、私の好みの映画がいくつも入っているではありませんか。それじゃあ、少しは紹介しなくっちゃ。そう思って、この書評を書きはじめたのです。
ここに紹介されていないけれど、私の心に残る映画と言えば、韓国映画で言えば、パンソリの熱唱に感動した『西便・・・・を超えて』(正確なタイトルを忘れてしまって、申し訳ありません)と、タイ映画の伝統的な民族音楽(日本の琴に似た楽器でした)の競演を紹介したもの(これもタイトルを忘れてしまいました)です。中国映画では『芙蓉鎮』も心にのこる素晴らしい映像でした。日本映画では『おとうと』もとりあげてほしかったですね。それはともかくとして、私がみた映画で、この本もとりあげているもののタイトルをまず紹介しましょう。
『沈まぬ太陽』『フラガール』『母べえ』『シュリ』『ライフイズビューティフル』「」山の郵便配達』『王の男』『ブラザーフット』『あの子を探して』『ハート・ロッカー』『エディット・ピアフ、愛の讃歌』『たそがれ清兵衛』『生きる』『スタンドアップ』『ぜんぶのフィデルせい』『さらばわが愛・覇王別姫』『初恋のきた道』
50本のうち、なんと17本もありました。このなかで私にとって皆さんに一番おすすめしたいのは『初恋のきた道』です。チャン・イーモウのはじける笑顔にすっかり魅せられました。この映画は私の大学生のころの友人から、「ぜひみてね」と勧められたものですから、時間をやりくりしてみたのでした。いやあ、最高傑作でしたね。フランス語を勉強している私としては、エディット・ピアフのシャンソンも心に響くものがありました。「水に流して」という日本語のタイトルは、フランス語では、私は自分のこれまでの人生を後悔なんかしていないというものです。過去を水に流そうなんていう消極的なものではありません。この私も、過去をふり返って後悔したくなんかありません。
いい映画には、著者のいうように生きるうえでとても役に立つ、というか心の慈養になるものがたくさんたくさん詰まっています。映画大好き人間として、この本を推せんします。
日頃の本はあまり売れていないようですが、この本ばかりはたくさん売れることを私も祈っています。
(2010年12月刊。1400円+税)
2011年1月14日
ルポ生活保護
著者 本田良一 、中公新書 出版
いま日本は、生活保護の受給者数でみれば、1955年、56年と同じ状況にある。
1955年に192万人、1956年に177万人だった。それに対して、2010年は186万人とほぼ同じである。
保護費は国が4分の3を、残り4分の1を地元自治体が負担する。受給者を快く思っていない市民が少なくない。昼間から酒を飲んでいるとかパチンコ店に通っているという通報が福祉事務所へ寄せられる。しかし、地方自治体にとって、現実には生活保護は受給者の生活を支えるだけでなく、地域経済を下支えする「第四の基幹産業」になっている。
日本国憲法25条1項は次のように定めている。すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。忘れてはいけない大切な憲法の条項です。
母子世帯のうち、生活保護を受けている割合は13.3%。つまり、日本ではひとり親の
2世帯に1世帯以上が貧困状態にあるが、生活保護を受けているのは、8世帯のうち1世帯程度にすぎない。
子どもの学力は家庭や塾に負うところが大きくなっている。ところが、いま日本の家庭は、教育費負担があまりに大きい。大学に進学すると、1年で最低で100万円、多いと240万円かかる。4年間では、少なくとも400万円、多ければ1000万円かかってしまう。なぜこうなっているかというと、家庭に代わって政府が負担する部分が少なくないから。その結果、家庭の経済力の違いによって、子どもの教育機会が不均等となり、子どもの将来格差を生み、世代をこえて貧困が再生産されていく。
いまの生活保護制度は、丸裸になった人に、全部、着物を着せてあげるものになっている。住宅やローン、生命保険、金融資産などの、すべての資産を使い尽くさないと保護を受けられないという制度では、再挑戦の機会も意欲も奪ってしまう。そうなんですよね。弁護士として相談を受けていて、大いなる矛盾を感じることが多々あります。
貧困世帯の8割以上が生活保護を受けずに暮らしている。貧困を放置すると、社会が貧困者と、そうでない人に分裂して、破綻してしまう。絶望のあげく自殺が増え、また犯罪が増える。
国が負担する保護費は2009年度、2兆円をこえた。そのうち半分の1兆4千億円が医療扶助となっている。いま生活保護受給者が増えているのは、ほかの制度の矛盾をすべて生活保護が受け止めているから。貧困対策を進めていくうえで、セーフティーネットの拡充は、社会を維持するために必要な投資なのだという社会の合意が不可欠である。
先に(12月7日)釧路市の生活保護についての先進的な取り組み『希望を持って生きる』を紹介しましたが、この本にも、そのことが紹介されています。
日本社会が安全・安心に生活できるものであり続けるためにも貧困対策は大きな意味をもっていることをお互いに確認したいものです。とても分かりやすい新書です。先の本とあわせて一読をおすすめします。
(2010年8月刊。780円+税)
2011年1月12日
無縁社会
著者 NHK取材班 、 文芸春秋 出版
現代日本社会って、いつのまにか寒々としたものになってしまったんだなあと、つくづく実感させられる本でした。効率とお金万能、持てる者の強者論理が大手を振ってまかり通っていて、弱者を平然と切り捨てても見て見ぬふりをしてしまう社会の冷たさです。私なんて、涙がでるくらい情けない世の中になってしまったものだと思うのですが・・・・。
日本航空が業績回復のために乗務員など170人の解雇を決めました。これを多くの国民が平然と受けとめていますが、実は大変なことなんですよね。ちょっと業績が悪化した企業だったら簡単に労働者を解雇できるという悪しき先例をつくることになります。これって判例の積み重ねを全否定するような暴挙です。ちょっと待ってよ・・・・。明日は我が身なのかもしれませんよ。ともかく、他人は他人と簡単に割り切っていいものでは決してありません。
NHKスペシャルで「無縁社会」を放映したら大反響があったそうです。私はテレビを見ませんので、残念ながらその映像は見ていませんが、この本を読むと現代日本の病弊が赤裸々に浮きぼりになってきます。
行旅病人および行旅死亡人取扱法という法律があることを初めて知りました。行旅死亡人とは、警察でも自治体でも身元のつかめなかった無縁死のこと。住所、居所、もしくは氏名が知れず、かつ遺体の引き取り者なき死亡人は、行旅死亡人とみなす(法第1条第2項)と定められている。
通夜も告別式もない。遺体を火葬するだけで弔う「直葬」が広がっている。儀礼は行わない。自宅や入院先の病院などから直接遺体を火葬場に運んで茶毘に付す弔いのスタイル。これで費用が10~20万円台。東京都内で行われている葬儀のうち30%を直葬が閉めている。
特殊清掃業者とは、自治体の依頼で、家族に代わって遺品を整理する専門業者のこと。数年前に誕生し、今では30社あまり。いずれもインターネット上に自社のホームページをもって、大都市に事務所をかまえている。この業者は故人の部屋に入るときには、異臭が激しく部屋も汚れているため、オゾンを放出する特殊な装置を持ち込む。オゾンには強力な酸化作用があり、殺菌や脱臭、有機物の除去に役立つ。
富山県高岡市のお寺が引き取り手のない遺骨を引き受けているというのにも驚きました。
葛飾区にある都営団地には一人暮らしが団地の全世帯の3割になっている。うむむ、これって多いですよね。多すぎます。一人で生活したほうが気ままでいいと言っても、病気したらどうしますか・・・・。
一人暮らしの高齢者が高額な訪問販売の被害にあうことも多い。これは私も何回も事件として取り扱いました。どうやら、騙し易い人のリストがブラック業者に渡っているようです。
高齢者の単身化がすすみ、25年間に2倍になった。そして、50歳まで一度も結婚したことのない「生涯未婚」率も増えている。
結婚しない、できない大きな理由の一つが、非正規雇用が増えて、低賃金のうえに経済的に不安定なため不安から結婚できないということ。これって、まさに政治の責任で解決すべきものです。これを解決しなければ、少子化対策やっていますなんて言えませんよ。
子どもたちの住む東京など大都会へ呼び寄せられた高齢者の問題も目立ってきた。都会の生活になじめず、孤独を感じながら生活している高齢者が増えている。私の住む団地でも高齢化がすすみ、子どものいる東京や横浜へ転出するお年寄りが続出しています。果たして、周囲に同年輩の知人が一人もいなくて大丈夫やっていけるんだろうかと、いつも心配しています。
この番組を見た30代、40代の人々から大きな反響があったそうです。「俺も仕事がなくなったら無縁死だなあ」とつぶやく34歳の男性など、他人事とは思えないとういう人が圧倒的に多いのです。今ならまだ間にあうような気がします。もっと生活と仕事が安定するような社会環境を早急につくりあげるべきです。弱者、この場合は高齢者と若者にもっと光をあてて、真剣に打開策を考えるべきです。
読んでいくうちに身につまされ、背筋の凍る思いがする本ですが、それでも一読をおすすめします。
(2010年12月刊。1333円+税)
2011年1月 6日
NO LIMIT
著者 栗城 史多、 サンクチュアリ 出版
日本人初、エベレストの単独・無酸素登頂。そして世界初となるエベレスト登頂のインターネット生中継に挑戦。
私はテレビも見なければ、ネットサーフィンをすることもありませんので、著者のネット中継なるものを見たことはありません。でも、恐らく、あまりにも生々しくて、怖さを感じてしまうでしょうね・・・・。
小さな体で一人。ビデオカメラを片手に巨大な山に向かっていく。上がったり、下がったりをくり返しながら、少しずつ、少しずつ頂上を目ざす。
この本には、写真をバックとして、こんな詩のようなフレーズに満ち充ちています。それが心地よく胸に響いてくるのは、やはり山々の写真の素晴らしさが背後にあるからでしょう。
ヒマラヤでの行動には強い意志が不可欠だが、必要な力はそれだけじゃない気がする。
身長162センチ、体重60キロの小柄な登山家です。
22歳のとき、初めての海外旅行で、北米で一番高い山に一人で向かった。これが僕にとって人生初めての挑戦だった。不可能は自分がつくり出しているもの。可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくことに気がついた。
酸素は地上の3分の1。気温はマイナス40度近くにもなる苛酷な世界がそこにある。一歩を踏み出す勇気は、今、やりたいという自分の気持ちを信じることから生まれる。高い山の世界には、どんなに強いやる気でも、それを奪う寒さと酸素の薄さがある。身体が震えて、震えを止めるだけでも必死。持ち物はすべて、地上の3倍くらいの重さに感じる。なにもかもがすべてが苦痛で、すべてのものが遠くに感じる。
本当に大きなことを成し遂げるためには、自分のこだわりを捨てた方がいい。執着すると、大切なことが見えなくなる。見つけた夢はどこまでも追いたくなるものだが、それはまた危険なものでもある。山登りで一番危険なものは執着心だ。この執着をなくせるかどうかによって、登山の真価が問われる。だから山に入ってからは、絶対に登りたいという思いをなくす努力をする。登りきれば幸せなのは確実だが、頂上にいけるかどうかは、最後は山の神様が決めること。
山を登って帰ってくると、いつも思うことがある。それは地上の温かさだ。仲間がいて、温かいご飯が食べられて、そしてまた明日が迎えられる。その温かさのありがたみを再認識するために僕は山に登っているのかもしれない。
まだ28歳の若々しい登山家の生命力がびんびん伝わってきます。きっとエネルギーをもらえる本です。
(2010年11月刊。1400円+税)
2010年12月30日
ビジネスで一番、大切なこと
著者:ヤンミ・ムン、出版社:ダイヤモンド社
ビジネスの成功の要は、競争力にある。競争力とは、競合他社といかに差別化できるかである。ところが、その差が細かくなりすぎて、多くの消費者がいぶかしく思う段階に達すると、ある日突然、差別化は無意味になる。
無意味な差別化が進めば進むほど、嘲笑指数は上がっていく。
現代社会において、差別化は何を意味するのか考えさせられます。ともかく、同じような中味なのに、店にはいろんな形と色の容器がたくさん並んでいますよね。
ビジネスの世界では、いかなる戦略であれ、永遠を期待することはできない。
激動の中に放り込まれると、人間は安定を求める。生活が単調であふれていると、鈍感になる。慣れすぎると、何も見えなくなる。印象の欠落は、知覚の欠落につながる。
相反する二つのものが結びつくには、バランスがすべてだ。類似性は静止状態であり、違いは活動状態。両者が均衡状態をとりながら存在すれば、すべてはうまくいく。そのとき、人は安定を感じると同時に、刺激も感じる。何の混乱もない毎日が続きすぎると、無関心がひたひたと忍び寄ってくる。ひとは停滞を感じ、不安になる。そして、珍しい果物を渇望している自分に気がつく。
私たちが類似性に圧倒されているとき、判断力に再び火を灯すのは、小さな差ではなく、歴然とした大きな違いである。
差別化は手段ではない。考え方だ。姿勢であり、傾聴や観察、吸収、尊重から生まれる。
かなり難しい表現ではありますが、すごく大切なことが語られている本だと思いました。
(2010年10月刊。1500円+税)
2010年12月24日
日本人が知らない世界のすし
著者 福江 誠、 日経プレミアシリーズ 出版
この夏、フランスに出かけたときパリだけでなくリヨンそしてディジョンにまで回転寿司の店があるのを知って驚きました。寿司のヘルシーさをフランス人が好んでいるようです。
今、アメリカには1万をこえる日本食レストランがある。アメリカは日本を除く世界の日本食の3分の1を占める日本食先進国だ。オーストラリアのシドニーには、市内に1000件もの寿司店がある。フランスも同じく1000店の日本食レストランがあり、パリに700店ある。いま、全世界で寿司を食べることのできるレストランは5万店をこす。回転寿司の先進地は、アメリカではなく、イギリスのロンドンだ。日本の寿司屋ではニンニクは臭いがつくため避けられているが、海外ではそれが必須となっている。海外では、きつい酢の味わいは好まれず、押し寿司のような甘い酢加減の店が多い。
海外では、突飛で派手な外見が「目にも楽しい」と好まれている。日本人の感覚とは違って、シンプルに美しいものよりも、ゴテゴテと華やかに楽しいものが受けている。
フランスの寿司屋の経営は9割以上がベトナム系中国人。
海外で寿司店や日本食レストランを経営するうえでの心構えとして必要なのは、自分の哲学を持っていること。寿司の勉強は誰でも出来る。ただし、なぜその町で寿司を食べさせたいのかという根本が必要だ。店のコンセプトをはっきりさせないと長続きしない。
海外では寿司職人の方がニーズがある。給料も、板前より2倍もいい。カウンターでお客とやりとりしながら仕事をするので、チップもバカにならない。お客は寿司職人に名前を覚えてもらうのがうれしい。海外で寿司職人として成功する秘訣の一つは客の名前を覚えること。海外で生きていくには寿司の技術と知識だけでは足りない。現地の言葉と人々の考え方への理解がないと、店を経営するのは難しい。寿司職人として雇われるのなら、一定の語学があれば足りるが、経営者として人を使う立場になると、スタッフの考え方まで知っていた方がいい。
日本の現状は、回転寿司店が6000店舗で6000億円の市場。テイクアウト寿司店も同程度の市場をもつ。回転寿司専門店(立ち店をふくむ)と三分の一ずつ市場を分けあっている。
東京寿司アカデミーには、2ヶ月間で短期集中して学ぶコースと、1年かけて英語の接客技術や海外での店舗経営まで学べる寿司シェフコースがある。外国人も入学するが、その9割は韓国人である。いい魚を見分ける目利きの力と、包丁の扱いにはある程度の経験が必要だが、繰り返し練習すれば、誰でも必ず上達できる。
寿司はカウンター越しの対面商売という、「行為そのものを消費する」独特の日本文化だ。世界には、こうした食文化・習慣はないので、カウンター商売が非常に新鮮に映る。
世界のなかでの日本の寿司の置かれている状況がよく分かりました。カラー写真で、見た目も楽しいカラフルな巻き寿司がたくさん紹介されていて、つい手が出そうになります。20年ほど前、シカゴの高層ビルにアメリカのローファームを訪問したとき、昼食として出た寿司がびっくりするほど美味しかったことを思い出しました。ああ、寿司が食べたくなりました・・・・。
(2010年8月刊。850円+税)
先日のフランス語検定試験(準1級)の結果が届きました。自己採点とぴったり同じ76点で合格していました。基準点が65点で、合格率26%です。ペーパーテストはこれで6回ほど合格したことになります。問題は面接試験です。時事問題をフランス語で話せなくてはいけません。とても難しいのです。これまで2回しか合格できていません。1月下旬まで、集中的に勉強するつもりです。
チョコさんは長野にある「ちひろ美術館」に行かれたようですね。うらやましい限りです。私は東京の美術館には行ったことがありますが、まだ長野の方には行ったことがありません。ぜひ信州の高原にある美術館めぐりをゆっくりしたいものだと思います。
本年は単行本を560冊読みました。チョコさんのような励ましがあると、書きつづる勇気が湧いてきます。いつも、ありがとうございます。