弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2009年9月25日

市民輝く狛江(こまえ)へ

著者 矢野 ゆたか、 出版 新日本出版社

 東京都にある人口8万足らずの小さな市で13年間にわたって市長を務めている著者による体験レポートです。大変面白く、うんうんと共感しながら読み進めました。読み終わってさっぱりした爽快感があります。
市長としての気苦労は大変なものがあると思いますが、著者はかなりの楽天家のようです。表紙にある顔写真の屈託のない笑顔がとても素晴らしく惹きつけられます。
 この本を読んで感銘を受けたところは多いのですが、なかでも挨拶についてのこだわりというところはさすがだと思いました。
 政治家として言葉を大切にしてきた。言葉や活字にどれだけ自分の思いを込められるか、言論を通してどれだけ市民に伝えられるか、政治家はここで勝負すべきだと思っている。
 職員の書いた挨拶原稿を棒読みにするのでは市民と市政との溝は埋まらない。挨拶を大事にするため、担当課に下原稿を書いてもらう。これは、その事業の正しい実態をつかみ、職員の見方も念頭に置いて話すためだ。そのうえで自分の言葉に直し、話しやすい流れに書き換え、持ち時間に字数を合わせる。したがって、挨拶原稿は職員との合作で完成する。そして、前の晩に原稿内容を頭に入れ、当日は原稿なしで話す。
 すごいですね。たいしたものです。実は私もなるべくこの矢野方式を実践しています。原稿を書いたうえで、当日は目の前の聴衆の顔を見ながら、即興を交えて話すようにします。もちろん予定時間は厳守します。
 裁判員制度が始まりました。福岡の第一号裁判でも、弁護人は原稿を見ずに、メモを手にすることなく、裁判員に語りかけるように話していったそうです。簡単なようで、とても難しいことです。
 著者は、市長になる前、日本共産党公認の市会議員として6期目に入っていました。ところが、現職市長が突然、賭博で莫大な借金を作ったことを告白し、失踪してしまったのでした。バカラ賭博で40億円もの借金を抱えたというのです。そんな状況で、市民からの要請を受け、投票日の1ヶ月前に出馬表明して、ついに当選したのでした。
 大型公共事業を減らし、生活道路など中小零細業者ができるレベルの事業を増やしたため、市内業者の受注率は上がった。
 狛江は犯罪の発生件数が東京でも一番と言っていいほど少なくなっているそうです。市民による防犯パトロールの成果だということです。しかも、これが市の予算措置はなく、ボランティア活動として続いています。
 多数野党の横暴に抗しつつ初心と政策を貫いていった著者のたくましさには感嘆するばかりでした。同じ団塊世代ですが、私より少しだけ年長です。ぜひ、これからも元気にご活躍ください。
 連休中、久しぶりに近くの山に登りました。しばらくは森のなかを歩きます。薄暗く、ひんやりした空気のなかを歩いていきます。やがて、胸突き八丁の昇り口にさしかかります。急な崖を一気にのぼります。ツクツク法師が鳴いていました。この山はクマこそ出ませんが、イノシシはいます。急に遭遇しないことを願いながら、一歩一歩歩きます。久しぶりに登山靴をはいたので、踵がこすれて痛みがあります。ようやく尾根に出ました。珍しく誰にも会いません。尾根の両側は見晴らしがいいはずなのですが、夏草が高く生い茂っているため、外界を見下ろすことができません。向こうから中年の女性が一人でおりてきました。「絶景を先ほどまで一人占めしていました」とのこと。そうなんです。388メートルの頂上の少し先が、開けた草原になっていて、そこから360度、四方八方が眺められるのです。リュックをおろして、上半身裸になって汗を拭きます。裸のままおにぎりをほおばりました。山上の草原を吹き渡る風の爽快さがなんとも言えません。梅干しのたっぷりはいったおにぎりをかみしめ、紅茶で喉をしめらします。至福のひとときです。

(2009年6月刊。1500円+税)

2009年9月18日

リヤカーマン

著者 長瀬 忠志、 出版 学研

 すごい人がいるものです。リヤカーを引っ張って日本縦断。これなら、まだ私にもできるかもしれません。しかし、南アメリカ、中国、そしてアフリカとなると、もう私の想像を飛んで、とんで、飛び越えてしまいます。よくぞ生命を失わなかったものです。それでも、リヤカーを盗られて中断したことが一度あり、インドネシアでは2人組の強盗につけ狙われて断念したといいます。だけど、それ以外はみんなやりとおしたというのです。すごい、すごすぎます。
 日本人女性はすごいと思っていましたが、日本人男性にもすごい人がいたものです。
 なんのためにこんな苦難な道を歩いたのか、歩いているのか、絶えず自問自答していたといいます。しかし、それはやりきったときにその答えが出たことになるのでしょうね、きっと。人生一度だけ。世界をテクテクテクテク、4万キロ歩いた日本人男性がいたことは、日本人の記憶に永く留めておくに値することではないでしょうか。
 リヤカーを引きながら、1時間に歩ける距離は5キロ。1日に8時間歩くと40キロ進む。余裕を持って1日30キロ進む計画を立てる。
 南米のアタカマ砂漠は、なんと52度の暑さ。いや、これは熱さというしかない。1日に6リットルの水を飲む。朝から9時間歩いて、すすんだ距離が6キロ。サハラ砂漠のなかでも1日12キロ歩いたというのに……。しかし、その次の日は、1日10時間40分かけて3キロしか進めなかった。しかし、さらに進んで高山病にかかると、1日わずか1キロしかすすめなかった……。
 リヤカーに積んである荷物の重さは140キロ。リヤカー自体の重さを含めると、200キロになる。これを引きながら。高度4000メートルの峠を登る。うへーっ、そ、そんな、よくも登れましたね。それも頼りは自分の足だけなんですからね……。
 日本縦断リヤカーマンの初旅は、1975年のこと。6月26日に北海道猿払村を出発し。70日目の9月3日に鹿児島県の佐多岬にゴールインした。これが19歳のとき。うむむ。すごいですね。やっぱり、若さですよね。
 ところが、最後のプロフィールを見ると、すごい、すごい。なんと言ったって、世界中をよくも歩いています。
 オーストラリア100日間、アフリカ216日間、韓国11日間、スリランカ9日間、台湾140日間、アフリカ376日間、マレーシア11日間、南インド18日間、フィリピン11日間、モンゴル25日間、タイ15日間、中国・タクラマカン砂漠11日間、アフリカ・カラハリ砂漠14日間、南アメリカ266日間、アマゾン41日間、南米・アタカマ砂漠35日間。
 いったい、この人の職業は何なのでしょう。そして、家族はいるのでしょうか……。
 高校教師であり、奥さんがいて、子どもも2人いるというのです。奥さんもきっと偉い人ですよね。読むと、きっと元気の湧き出る本です。
 庭に秋の虫たちが朝から賑やかに鳴いています。芙蓉の花が心を浮き立たせるピンクの花を咲かせました。酔芙蓉も咲いています。朝は純白の花が、午後になると酔ったように赤みを帯び、ついに濃い赤色の花に変わるのは、いつ見ても面白いものです。
 朝がおもついに終わりかけました。最近、フランス語でびっしりの絵ハガキが届きます。パリで語学留学中の娘からです。手書きでさっと書いているため、読めない字もありますが、元気に毎日勉強居ている様子が伝わってきます。私も、またフランスに語学留学したくなりました。40代初めに40日間、南仏のエクサンプロヴァンスに行ったことを懐かしく思い出します。

 
(2008年1月刊。1200円+税)

2009年9月17日

日米同盟の正体

著者 孫崎 享、 出版 講談社現代新書

 外務省の国際情報局長、イラン大使そして、防衛大学校教授。こんな肩書きの人物が日本とアメリカの同盟関係について何を言いたいのかしばし耳を傾けてみましょう。ただし、いつものように断片的に引用しますから、著者の真意を正しく汲み取っているか、いささかの不安もあります。ぜひ本を手にとって読んでみて下さい。
 日本が軍事的役割を果たす「普通の国」にならなければ国際的評価は得られないと説く人がいる。しかし、国際的世論調査を見れば、その議論は正しくない。
 日本が軍事力を行使する国にならなければ国連の安全保障理事会の常任理事国として歓迎されないという議論は、必ずしも広い国際世論を反映したものではない。なるほど、そうですよね…。
自分たちと敵対する国を、できるだけ国際経済の一員にし、日本がその中で尊敬される位置を占めること。実は、これが極めて有効な日本を守る手段なのである。たとえば、北朝鮮を早期に国際社会の一員とするとともに、彼らが軍事的行動によって失うものを作っていくことが安全保障につながる。私も、この指摘にまったく同感です。
 抑止力は軍事に限らない。近隣諸国からの核攻撃に対する抑止は非軍事の分野にある。実のところ、近隣の核保有国が日本に核攻撃をしようとしたとき、確実な軍事的対抗措置はない。それより、日本を攻撃したら、生活ができなくなるという経済関係を築き、相手国の企業や労働者がこのことを自覚していると、日本を攻撃しようとする国家指導部を揺さぶり、抑止力を発揮するのである。これはアメリカの国防部も、実は、同じ見解である。
 いやあ、ホント、本当にそうですよね。
田母神発言の前にも、自衛隊幹部は敵基地攻撃を高言していたのですね。2007年2月15日付けの「隊友」紙に空爆長の論文が掲載されているそうです。
 しかし、著者は日本には敵基地攻撃能力はないと断言しています。日本の国防は日本だけで一本立ちできないシステムになっている。敵基地攻撃論は先制攻撃論であるが、先制攻撃によって相手国の9割程度の攻撃能力を破壊する必要がある。しかし、それは日本には実行不可能である。しかも、先制攻撃したあとの展開についてもまったく能力を持っていない日本が先制攻撃能力だけを持とうとするのは極めて危険なことである。要するに、ミサイル防衛なるものは、実のところ、有効に機能することを期待することはできない。日本は実質的に無力であることを自覚すべきである。
 アメリカはイラク戦争で泥沼に入っている。アメリカ兵の死者は2009年2月時点で、4245人となった。しかも、このほか4万5000人の除隊者を出している。また、帰国したアメリカ兵の20%が戦場でのストレスで精神障害を起こしている。
 イラク戦争にかけているアメリカの戦争負担は毎月120億ドル、死傷兵に対する補償金などを含めると、合計して3兆ドルもアメリカは負担している。とてつもない巨額の負担である。これがアメリカ経済を直撃している。
 日本とアメリカの関係を見直し、今こそ対等な立場にものにすべきだと確信しました。いえ、アメリカとケンカしろと言うんじゃありません。日本もヨーロッパなみに、アメリカと対等な独立国としての地位を確立するよう、交渉すべきだというだけです。これって過激な主張でしょうか…?

(2009年3月刊。760円+税)

2009年9月16日

医療崩壊を超えて

著者 田川 大介、 出版 ミネルヴァ書房

 西日本新聞が医療現場の状況をルポしていた記事をまとめた本です。日本もヨーロッパ並みに国民の医療費負担をゼロに早くするべきです。ところが、保険会社の強い圧力に負けて、なかなか国民皆保険が実現できないアメリカでは、金持ちは十分な医療を受けられるけれど、貧乏人は満足に医療を受けられないまま放置されている事態が進行しています。ひどいものです。そして日本がそれを後追いしています。高速道路の料金をタダにするとか1000円にするとか言う前に、やるべきことがあるでしょう。国民を大切にしない政治。保険会社、つまり営利のことしか考えない企業と政治家がのさばっているのが日本の実態でもあります。
 お金があって、力のある人にとって、政治なんて必要ないのですよね。政治は、お金のない、弱者の生活と権利のためにこそ必要なのです。今度の選挙で、医療や福祉が正面から争点とならなかったこと、マスコミがきちんと取り上げなかったことに、私は悲しみと怒りを覚えます。
 日本の医師は28万人足らず。弁護士は、その1割、2万7千人ほどでしょうか。日本の医師は、人口1000人あたり2人しかいない。OECD加盟国の平均は3人。先進国では最低レベル。日本の医師は足りないのですね
 医師国家試験の合格者の3分の1は女性である。
 政府は、全国に25万床ある医療療養病床を15万床に減らし、介護療養病床の13万床は全廃する方針を打ち出した。医療・介護を合わせると、2013年3月までに36万床から15万床へ激減する。うひょう。なんと冷たい、むごい政策でしょうか。老人は早く死ねと言わんばかりの政府の方針です。黙ってなんかいられません。
 医師不足は医局レベルではなく、大学病院自体が直面している。うむむ、なんだか信じられない事態ですよね。それで、日本医師会はよく黙っていますね。自民党政府の応援団として、発言力をなくしてしまったのでしょうか……悲しいことです。
 産科医は、2008年までの10年間で1割以上も減って、出産を休止した医療機関は全国で1000ヶ所以上。
 がん末期の患者の入るホスピス(緩和ケア病棟)に入ると、入院料が103万7800円。保険を使っても自己負担が101万1340円。うへーっ、これっておかしくありませんか。医療を保障するのが国の負担でしょう。やっぱり医療費はタダにすべきです。
 総選挙のとき、民主党は高速道路の利用料をタダにすると公約しました。しかし、それって1兆3千億円もかかることだそうです。そんなお金があるのなら、共産党の言うように老人と子どもの医療費こそ無料にすべきですよ。医療と福祉を粗末に扱う政治は、つまりは国民の生命と健康、そして権利を大切にしないということでもあります。

 月曜日(14日)日比谷公園のなかを歩きました。彼岸花の群生があり、燃え立つような紅い花を咲かせつつありました。曼珠沙華とも言いますが、地上から天に向かって打ち上げた花火のような勢いを感じさせる花です。秋の訪れを実感しました。
 公園では、ツクツク法師が最後の鳴き声を響かせていました。こちらは夏の終わりを感じさせます。
 タクシーに乗ると、中年の運転手さんから、ぜひ景気回復してほしいものですねと、しきりに話しかけられました。民主党への政権交代への期待と不安の混じった天の声と受け止めました。
 
(2009年6月刊。2000円+税)

2009年9月15日

正社員が没落する

著者 堤 未果、湯浅 誠、 出版 角川oneテーマ21

 わずか20年前、公務員はぱっとしない職業の代表格だった。今は特権階級の代表格のように言われ、急速に非正規化が進んでいる。地方公務員の3割は非正規の「官製ワーキング・プア」だ。周囲が地盤沈下することによって、相対的な地位が上がってしまい、それが「もらいすぎ」だと攻撃の対象となって「自分はそれに値する」という立証責任を負わされ、結果的には掘り崩されていく。
 65歳以上のアメリカ人の4分の3が一人暮らしで、次にいつ食事がとれるか分からない「飢餓人口」に属している。
 アメリカでは高校生の卒業率が低下し、平均51.8%、半数を割る都市が出ている。競争の導入が原因である。落ちこぼれゼロ法は、裏口徴兵策とも呼ばれている。助成金と引き替えに高校生の個人情報を軍に提供することが義務づけられている。
 チャータースクールは、自由で効率的という美名の下に容赦ない選別が進んでいき、教育格差を広げている。そして、チャータースクールは、教師の労働組合つぶしでもある。民営化は、既存の労働組合を解体してしまう。
 アメリカは日本よりも過酷な学歴社会である。
 アメリカの医療保険の掛け金は年々上昇している。平均して1万1500ドル。そのため、従業員に健康保険を提供する企業が減り続け、今では全企業の63%のみ。
貧困層と呼ばれるアメリカ国民は3650万人、医療保険を持たない国民は
4700万人(15.8%)。これは前年比で220万人(5%)増。新たに加わった無保険者のうち、半数以上が年収7万5000ドル(900万円)の人々。
 ところが、アメリカ国内上位500名のCEOの平均年収は1000万ドル(12億円)。一般の労働者の年収は364倍。ヘッジファンドマネージャーの平均年収は6億5000万ドル(750億円)。これはスーパーで働く労働者のもらう2万8000ドルの2万倍になる。
 アメリカで毎年100万人出る失業者のうち、長期失業者の44%はホワイトカラーだ。そこには教師も医者も含まれている。
 アメリカの医師が転落していった一番大きな原因は9.11以降に高騰した訴訟保険料である。医師の平均年収は年20万ドルに満たない。ところが18万ドルを訴訟保険に支払っていた医師もいた。医師をやめてなったのが保険の外交員。年収1万ドルの保険外交員が1300万人もいる。
 ところで、国民皆保険と言われる日本でも、それが崩れてきている。国民健康保険料の滞納率は21%。1年以上も滞納したときに発行される資格証は33万世帯がもらっている。この資格証では、窓口負担が10割になってしまうので、実質的に病院にはかかれなくなってしまう。日本でも国民皆保険制度が崩れつつある。
 アメリカの若い世代がワーキング・プアに転落するきっかけは、高い学費と学資ローンである。日本でも、衣食住と仲間を得られる最後の場所が若者にとっては自衛隊、高齢者にとっては刑務所になりつつある。
 日本とアメリカを比較しながら対談形式で書かれていますので、とても分かりやすく、考えさせられました。軽く読めて、読後感はずっしりと重たい本です。

(2009年5月刊。724円+税)

2009年9月 9日

社宅街

著者 社宅研究会、 出版 学芸出版社

 私自身は社宅に住んだという記憶はありません。でも、生まれたのは少し高台にある鳥塚社宅というところでした。そこが、三井の下級職員社宅だったのです。三井の社宅は階級による格差があって、それは見かけで分かります。炭鉱長屋は一目瞭然。下級職員社宅と幹部職員社宅では、塀から違います。
 徴兵されて中国大陸に渡り、終戦後しばらく中国で八路軍とともに行動していた叔父に、故郷の無事を知らせる手紙に社宅で撮った幼い私を含めた一家全員の写真が同封されていました。なつかしい写真です。
 小学校にあがる前後からは、炭鉱社宅に出入りしていました。父が脱サラして小売酒屋を始めたので、私も酒やビールを配達し、また集金していたのです。
 社宅に入ると、まさに子どもがうじゃうじゃといました。広場ではメンコ(パチ)が流行っていました。子どもたちは、ここ、あそこで異年齢を含めて群れをなして行動していましたから、かえっていじめは少なかったように思います。
 この本は、そんななつかしい社宅の実情を、日本全国駆け巡って明らかにしています。
 新居浜の山田社宅が登場します。ここには、兄一家が生活していましたので、私も、弁護士になりたての頃ですが、出かけたことがあります。今も、かなり残っているということです。福岡県内にたくさんあった炭鉱社宅も残しておけばよかったと思います。
 社宅は、日本の文化の一つだったと、たしかに思います。悲惨なことばかりではなく、相互助け合いの場でもありました。
社宅街とは、企業が所有する福利施設により構成された地域とする。たしかに、劇場もあったりしたのです。共同便所はともかく、大きな共同風呂がありました。今の生協のような売店がありました。炭鉱では売勘場(ばいかんば)と言います。そこでは、給料引きになる金券(きんけん)が通用していました。
 社宅には監視員がいて、閉鎖社会でもありましたが、労働運動の拠点、その単位にもなったのです。人々の交流は密でした。
 職員社宅と炭鉱長屋とは、画然とした区別がありました。差別と言ってよいでしょう。だから、鉱員も教育には熱心でした。教育にお金をかけて大学に行かせたら、よい社宅に住めるわけです。
 近代化日本を底辺で支えたのは、この社宅群だったのではないでしょうか。
 いい本です。画期的な労作だと思いました。
 コモはイタリア北部にある小さな都市です。コモ湖に面していますが、市内の中心部には、狭い路地が縦横に走っており、そこにブティックがあり、観光客がアイスクリームをなめなめ、そぞろ歩きしています。ですから、コモの街を楽しむためには、バスの走る大通りから、一歩、路地へはいりこむ必要があります。
 大勢の老若男女、そして子ども連れが路地をぞろぞろ歩いていますので、ちっとも危ないこともありません。もっとも、私のすぐ前を、若い警察官2人が歩いていきました。彼らは、やがてブティックのなかへ入っていきました。
 翌日は、早朝に出発する予定でしたから、6時に夕食をスタートさせようと思って適当なレストランを物色するのですが、時間が早すぎます。ようやくテーブルクロスをかけたりして、セッティングをはじめる状況です。仕方ありません。路地をふたまわりして、なんとか先客のいるレストランに入り込みました。広場に面した、というより、広場の一角にテーブルをならべたレストランです。大きな陽覆いがあります。そうなんです。夕方6時なんて、まだ日本では午後4時ごろの感覚です。広場を眺めながら、注文を取りに来てくれるのを待ちますが、おじさん一人でやっているため、なかなか注文取りに来てくれません。テーブルは次第に埋まってきました。メニュー表の前に立ち止まった人を見かけると、おじさんがにこやかに声をかけるのです。客の呼び込みが先決なのでした。
 ようやく注文しても、料理が運ばれるまで時間がたっぷりかかりました。私の方も急ぐ用事はありませんので、赤ワインを飲みながら広場を行きかう人々を眺めます。中高生のような思春期の青年の姿はなぜか見かけません。家族連れの子どもは小学生くらいまでです。思春期の若者たちが集う場所は、おそらく別なのでしょう。ですから、広場は静かな大人の雰囲気です。
 隣にすわった老夫婦は、注文を取りに来るのがあまりに遅いと思ったのか、途中で席を立って別のレストランへ移っていきました。
 犬を連れた人も多く、小さな犬を胸に抱きかかえた若い女性が、連れの女性と一緒にテーブルに座りました。犬がうるさく鳴いたり吠えたりすることもありません。
 ようやく料理が運ばれてきました。

(2009年5月刊。3000円+税)

2009年9月 8日

メディア激震

著者 古賀 純一郎、 出版 NTT出版

 長く共同通信にいて、今は大学教授をしている著者がメディアのあり方について警鐘を乱打している本です。
 マスコミが権力を監視する番犬に徹し、ジャーナリズムが円滑に機能することが民主主義にとって不可欠である。日本のため、世界のため、メディアが本来の任務を忘れずにいてほしい。そしてマスコミがその役割を十二分に果たしているかどうかを監視する番犬に今後はなりたい。
 著者は「あとがき」にこのように書いています。
 フランスのサルコジ大統領は2009年1月、新聞業界への支援策として7000万ユーロを支出することを表明した。18歳になったフランス国民に自分の読みたい新聞を1年間タダで宅配するというもの。該当者はフランス全土に80万人いる。この提案には、フランスのメディア業界がこぞって賛同した。
 日本でも新聞離れがいわれて久しい。若者の新聞購読率の低下は目を覆うばかり。ただし、ブログについては日本は世界一。ケータイでのメール送信は中高生などで日常化している。新聞ではなく、インターネットでのニュース閲覧に推移している。
 ネットの読者は既報記事に触手を動かさない。ネットで読まれているのは「詳報」のページである。
 2008年広告費の実績は、新聞が前年比12.5%減の8276億だったのに対して、ネット広告費は16.3%増の6983億円だった。ちなみに雑誌の広告費は4078億円である。ネット広告は急速にふくらんでいる。広告収入がこのようにネットへのシフトが著しいことから、日本テレビ、テレビ東京、テレビ朝日が軒並み赤字になっている。
 オーストラリア出身のメディア王、ルバート・マードックはイギリスの高級紙「タイムズ」を買収したあと、イギリス最強といわれていた労働組合を木っ端みじんにした。交渉に応じない組合員は全員解雇された。
 その結果、読者・視聴者不在で日本の政権におもねる姿勢で記事・番組が作られるようになった。
 いやあ、これって怖いことですね。先日(8月28日)、福岡で「表現の自由」をテーマとしたシンポジウムが開かれました。東大の高橋哲哉教授はNHKに絶望したと報告されていました。『女性戦犯法廷』について、自民党の圧力に屈したことを反省していないということです。ジャーナリストの原寿雄氏の、ジャーナリズム再生を訴える声に感動しました。マスコミ人には、あきらめることなく頑張ってほしいものです。

 コモに戻って駅から歩いてホテルに向かう途中に、遊覧船乗り場があり、人が群がっています。1時間で戻ってこれる遊覧船があることを窓口に確認してチケットを買いました。
 コモ湖遊覧船には、いくつものタイプがあるようです。なにしろコモ湖は広いのですから、それも当然でしょう。私の乗った遊覧船より大型の船もありましたし、もっと小さい船も出ていました。コモ湖の水面は静かです。岸辺には小さなホテルがいくつもあり、庭のテラスにテーブルが並べてありました。まだ食事の時間には早いので、気持よさそうにお茶を飲んでいる人を見かけるばかりです。
 ボートに乗って、のんびり魚釣りをしている男性、モーターボートに引っ張られながら水上スキーを楽しむ若者がいます。スキーの方は途中でこけてしまいましたが、なんとか這い上がってきました。
 いくつかの波止場で止まると、そのたびに乗客の一部が船を降り、また乗り込んできます。乗ったところに戻るという客だけではないようです。
 出発したときには曇り空だったのが、やがて薄日が射してきて、暑くなりました。風はそれほど強くありません。帽子が欲しいところです。甲板の戦闘の椅子に座って、移り変わる景色に見とれながら風に吹かれた1時間はあっという間に過ぎ、出発地点に戻りました。止まっているホテルは目の前にあります。

(2009年7月刊。2200円+税)

2009年9月 7日

山本周五郎、最後の日

著者 大河原 英與、 出版 マルジュ社

 山本周五郎は、直木賞はもとより、毎日出版文化賞、文芸春秋読者賞など、すべての受賞を辞退した。
 八百屋や魚屋が、野菜や魚が売れたからと言って、客以外の人間から褒美をもらういわれはない。それと同じじゃないか。
 うーん、ちょっと違う気がするんですけどね……。やっぱり文化って、野菜とか魚とは少し違うんじゃありませんかね。
 周五郎は、戦前のうち、戯曲、少女小説、童話、時代小説、現代小説、推理小説など、広いレパートリーを書いていた。年に平均30編もの長編や中編の作品を書きまくった。仕事が早いし、小説はうまかった。
 山本周五郎は、人が生きる喜びを書くと同時に、その苦しみ、はかなさ、むなしさを描きうる作家だった。周五郎は小説を書くために生まれ、小説を書き尽くせぬままに、その生涯を終えてしまった。
 周五郎にとって、原稿料は、出してくれる雑誌社・新聞社の、自分の仕事に対する信用状みたいなもの。自分はそれを決して裏切らない。だから相手にも、その誠意を要求する。考えているだけの報酬を出さない会社なら、いつでも縁を切る。
前借りの効用は、自分で自分をしばること。貸してくれた会社に対する義務間で自分自身をギリギリまで追い込む、それによって必ず良い作品ができあがる。
 周五郎は、作品は担当編集者との共同作業と考えていた。常に担当者にあらすじを話し、その応答を見ながら作品を作り上げていく。一見すると関係のないような会話でも、担当者の応答は周五郎の中では確実に作品の滋養となっていった。
 周五郎は、担当編集者にこれから書く作品のプロットを話し、それが面白いかつまらないか、担当者の率直な意見を聞こうとするのが常だった。もちろん、担当者としては、そんな小説はつまらないなどとは、口が裂けても言えない。周五郎が本当に面白くなりそうな話ぶりで語るので、つい釣り込まれるようにして「よろしくお願いします」と答えてしまう。
 周五郎は先刻承知のうえ、本当に担当者が興味を持って答えているかどうか、鋭い透視力を駆使して観察していた。
 自分の小説は、ジャーナリズムの条件にしたがって書くのではなく、自分の条件で仕事をする。
 山本周五郎の本は、司法修習生のとき、修習生仲間の庄司さん(現在、石巻市で弁護士)にすすめられて読みはじめ、たちまちトリコになって次々に読みふけりました。あの、なんとも言えない、しっとりした情感がたまりませんでした。心の渇きを大いに癒してくれる本でした。それは、藤沢周平と似ていますが、また少し違うのです。
 スイスに行ったとき、これまではスイス・パスといって、1週間通用するパスを事前に購入していました。初日のスイスの駅で、駅員さんに日付を記入してもらって、その日から1週間使えます。これは駅の窓口でそのつど並ぶ必要がありませんので、その都度、切符を求めて並ぶ必要がありませんので、時間を惜しみたい旅行客には欠かせないものになります。
 ところが、今回は最大1週間の旅行でしたので、手配してくれた旅行代理店が、気を利かせて3日間有効のフレキシーパスを用意していました。これは、連続して3日ではなく、たとえば1週間のうちの3日間だけ使えるというものです。
 スイスでは、フランスでも同じですが、日付の刻印をする機械はあるものの、必ず車掌が検札に来るとは限りません。ですから、検札にあわないと1日もうかることになります。あいにく今回、私は毎回車掌の検札を受けました。すると、ポストバスに乗る前に3日間のフレキシーパスを使い終わってしまったのです。さあ、どうしましょう。ディアヴォレッツァ展望台に行くときに、スイスパスの3日間を使ったわけでした。そこで、サンモリッツの駅に行き、追加料金を支払いたいと申し出たのです。ところが、窓口に座った若い女性は、大丈夫だ、このパスでまだ行けると太鼓判を押してくれました。そんなはずはありません。私が、つたない英語で(フランス語は使うなとその女性から申し渡されていました)繰り返すと、「じゃあ、明日また来てね」というのです。私も、彼女ではダメだと思って、出直すことにしました。
 翌朝、きのうの女性に再びあたったら困るなと思っていると、別の中年男性に当たりました。今度はフランス語でなんとか通じました。彼は、いろいろ調べたあげく、やはり追加料金が必要だということで、料金を提示してくれましたので、言われた金額を支払い、チケットを受け取りました。
 ポストバスに乗るときに1人スイスフランを支払う必要があると日本語で言われていましたが、駅の窓口で支払っていたおかげで、バスに乗るときには支払不要でした。
 フレキシーパスというのは、効率が良すぎて困ることがあるということです。やはり、少々のアソビは必要だと痛感したことでした。
 それにしても、駅員の対応にも質の違いがあるのですね。
 
(2009年6月刊。1800円+税)

2009年9月 1日

幻想の道州制

著者 加茂 利男・岡田 知弘 ほか、 出版 自治体研究社

 道州制の積極的導入によって九州経済は12%成長する。
 これは、九州財界のシンクタンクである九州経済調査協会のシミュレーションである。
 日本経団連の御手洗会長は、道州制の最大のメリットを次のように強調している。
 府県の廃止や国の出先機関の統廃合によって数兆円に及ぶ財源が浮き、これを国際空港・港湾・高速道路建設などの大規模プロジェクトの建設資金や、多国籍企業誘致の補助金にまわすことができる。
 ええーっ、これって、私たち国民にとって本当にメリットのあることでしょうか……?
 国家公務員のうち、6万6000人を地方に移管し、地方公務員3万2800人をリストラして民間に転出させ、総体として公務員を激減させる。そして、都道府県議会議員の数も半分ないし3分の1にまで減らす。
 道州制になると、一つの州は平均1000万人という巨大なものとなる。そこに「州民」という感覚が育つとは思えない。
そうですよね。九州はひとつというのは、単なる掛声みたいなものですから……。
 市町村合併によって役場がなくなった結果、その役場周辺の地域経済は一挙に衰退した。飲食店は閉店が相次ぎ、土木・建設業者も仕事がなくなり、次々に倒産していった。県庁がなくなることによって、より拡大した経済衰退が再現されるだろう。
 まことにそのとおりだと思います。
 道州制は、財界の古くからの悲願だった。実は、古く戦前の昭和2年(1927年)に最初の提案がなされている。地方自治が確立する前からのものだったとは知りませんでした。ただし、現在でも、東京をどうするか、中部を北陸と東海に二分するか、四国・中国はまとめるのか二分するか、まだ結論が出ていないところもある。
 平成の大合併の結果、1999年3月に3232市町村だったのが、2009年2月に1773市町村になった。町村だけで言うと、2562が998にまで減った。これをさらに、700~1000自治体にまで減らそうというのです。むちゃくちゃです。ところが、合併に反対すると守旧派みたいなレッテル貼りがされるのです。大きいことはいいことじゃないかというのです。でも、それは間違いだと思います。地方自治は身近だからこそ意味があるのです。
 知事会と違って、全国町村会は、道州制に強く反対していますが、私も同じ意見です。
 行政の距離が遠くなって、行政サービスが低下するというのが反対の理由です。
 国民健康保険、生活保護、福祉施設、保健所、児童相談所、教育、消費者行政、どれもこれも、地域密着型でこそ意味があるものばかりではありませんか。
 官僚バッシング(たたき)、公務員無用論、地方議員多すぎ論、私はいずれにも組みしません。前に紹介しましたが、北欧では福祉現場を担っているのは公務員です。身分保障がはっきりしているから、介護も医療も安心・安定しているのです。そこでは公務員が多すぎるという不満は出ていません。だって、自分の老後が安心できる体制が確立しているわけなんですから……。
 道州制論議のまやかしに乗せられないようにしましょう。
 わずか134頁の薄いブックレットですが、とても貴重な内容です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。

 
(2009年2月刊。1600円+税)

2009年8月31日

「羅生門」の誕生

著者 関口 安義、 出版 翰林書房

 日本の高校国語の教科書の全部に、芥川龍之介の小説『羅生門』が採用されているとのこと。すごいですね。まあ、それだけの内容のある小説ですよね。
 作品の完成度の高さ、文章表現の見事さ、ストーリーの奇抜さ、時代を見抜く洞察力、批評性が評価された結果であろう。なるほど、そうですよね。
 芥川龍之介は、1982年(明治25年)3月1日に生まれた。龍之介の養父は、なかなかの金満家であり、高額納税者名録にも名を連ねている。有能な金融マンであり、退職後の貯えも十分だった。
生母フクは龍之介を生んだ8ヶ月後に発狂したため、龍之介は母の実家に引き取られた。実際に養育したのは、フクの姉、芥川フキだった。
 龍之介は、1910年(明治43年)9月に第一高等学校(一高)に入学した。
 大逆事件が起こったのは、まさにこの明治43年5月25日のこと。大逆事件の判決は、翌年1月にあり、1週間後には幸徳秋水ら12人に対して死刑が執行された。さらに1週間後の2月1日、一高で開かれた弁論部主催の講演会において、徳富蘆花は「謀叛論」と題する講話をなした。蘆花は、このとき42歳。
 幸徳君は死んではいない。生きているのである。武蔵野の片隅に昼寝をむさぼる者をここに立たしめたではありませんか。圧政はダメである。自由を奪うのは生命を奪うのである。我々は生きなければならない。生きるために常に謀叛しなければならない。自己に対して、また、周囲に対して……。
 当時の一高生は、蘆花の演説を主体的に受け止めずにはいられなかった。「冬の時代」であったからである。龍之介も、蘆花の講演をきっと聞いていただろうと著者は推測しています。
 芥川龍之介は若い時から利己的で、「薄暗い諦念」を持った作家だと決めつけるのは、誤りである。
 龍之介の手紙によると、若き日には若き日なりの人間の持つ感情があった。そして、若き龍之介は、優秀で信頼できる多くの友人にめぐまれていた。ただし、龍之介は生母の愛を受けることはできなかった。そこで、女性への思いも屈折したところがあったようです。
 芥川龍之介は、自己の体験をストレートには決して表現しなかった。小説の本道は虚構にあるという堅い信念があった。いわゆる現実暴露の小説は無縁であり、やりきれない思いをひねりにひねって表現した。
 『羅生門』は、謀反を盛り込んだ小説である。『羅生門』を、はじめから自殺した作家の暗い陰鬱な作品だと考えてはならない。謀反の精神は、実は芥川龍之介を中学時代から魅了してやまないものであった。
 芥川龍之介は、決して時代や社会に無関心な青白きインテリ、か弱い芸術至上主義者ではなかった。若いときから、誠実に現実の問題を見つめ、それを作品世界に盛り込もうとした作家であった。よく読むと、『羅生門』には全編に熱気が漂っているのを感じ取れるはずである。
 うむむ、そう言われると、なんだかそんな気がしてきました……。
 龍之介の『羅生門』は、蘆花の『謀叛論』を媒介として、それまで秘めていたエネルギーが一気に爆発して成ったものなのである。
 むむむ、恐れ入りました。芥川龍之介の魅力がさらに深く掘り下げられていて、魅了されました。
 
(2009年5月刊。1800円+税)

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