弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2009年11月15日

すし屋の常識・非常識

著者 重金 敦之、 出版 朝日新書

 私は、自慢話ではありませんが、いわゆる回転寿司の店には一度も入ったことがありません。それは私にとって、マックやケンタの店に入ったことがないのと同じことです。つまり、お仕着せの店というか、人工着色、人工味付けのものは食べたくないということに尽きます。
 京都に、タケノコの専門料亭があるそうです。刺身、焼き物など、タケノコ尽くしだそうです。といっても、刺身がまったくの「ナマモノ」かというとそうではなく、ちゃんと湯がいてあるそうです。そうですよね。その料亭の女将によると、どんなに朝早く掘り起こしたタケノコでも、生のままだとちっとも美味しくないというのです。やっぱり、少しだけでも人の手が加わって美味しくなるのです。
 ノドグロ(アカムツ)も寿司ダネになっているそうです。残念ながら私はまだ食べたことはありません。少し脂身が強すぎて、やはり干物にしたくらいがちょうどいいということでした。負け惜しみになりますが、私も一度くらいは食べてから、そんな解説をしてみたいものです。
 築地市場でのミナミマグロの値段は、過去5年より4~5割も高くなっている。マグロは、江戸時代には下品な食べ物だった。さつまいも、カボチャと並んで大変に下品なもので、ちょっとした町人は、食べるのを恥ずかしいと思っていた。うへーっ、そ、そんな馬鹿な、と思わず言ってしまいました。
 私は、寿司を手づかみで食べることはありません。通はハシを使わないと聞いてはいますが、なんでもハシをつかって食べるのを常としている私は、当然のようにハシを使います。なにしろ、スパゲッティだってハシがあればハシで食べるんです…。
 寿司屋にハシ置きのないところがあります。手づかみで食べてくれというわけです。でも、なかなか手づかみでというわけにはいきませんよね。とくに女性だったら、なおさらのことではないでしょうか。
 こんな寿司店の本を読むと、すぐにでも寿司をつまんで食べたくなってしまいます。
 
(2009年2月刊。760円+税)

2009年11月13日

日本でいちばん大切にしたい会社

著者 坂本 光司、 出版 あさ出版

 景気の悪い会社の経営者がする5つのいいわけは、次のとおりである。
①景気や政策が悪い
②業種・業態が悪い
③規模が小さい
④ロケーションが悪い
⑤大企業・大型店が悪い
 そして、社員やその家族、下請け企業や顧客などの幸福に対する思いが総じて弱く、低い。
 会社に所属している社員と、その社員を一生懸命に支えている家族を幸せにすること。これが、社会の公器である会社が果たすべき第一の使命である。お客様を感動させるような商品をつくったり、サービスを提供したりしなければいけない当の社員が、自分の所属する会社に対する不平や不満・不信の気持ちに満ち満ちているようでは、ニコニコ顔でサービスを提供することはできない。なーるほど、ですね。トヨタ、ニッサン、そしてキャノンで働く社員はどうでしょうか……。偽装請負、派遣の社員を含めると、どうなんですか。社員は不満だらけ、不安にみちみちていることでしょう。
 お客様がいなければ創ればいい。創ることが、会社の本当の使命なのだ。
 経営で一番大切なのは継続である。会社を継続させること。これが、企業の社会的使命である。会社にも寿命があるのですね。天下の三井も、今や見る影もありません。目先の利得ばかりを追って来たからではないでしょうか。
 粉の飛ばないチョーク(ダストレスチョーク)をつくる日本理科化学工業(川崎市)は、従業員50人のうち7割が障がい者である。しかし、この会社は次々に面白い新商品を生み出し、経営的にも十分な採算がとれている。
 ここでは、創意工夫を繰り返していきながら、知的障がい者を採用し続け、それが50年になる。採用基準は、自分の身の回りのことができること、返事ができること、一生懸命に仕事をし、周りに迷惑をかけないこと。
 こんな会社があるなんて、ちっとも知りませんでした。このような会社は大切です。みんなで守り育てたいものですよね。
 長野県に創業(1958年)以来48年間、連続して増収増益という記録を持つ会社がある。寒天をつくる会社で、国内市場の80%、世界でも15%のシェアを占めている。寒天メーカーの世界的トップ企業である。そして、48年間、社員を雇い、社員の給料とボーナスを上げ続けてきたことを誇りにしている。この会社は、無理な成長を追わず、敵をつくらないということをモットーとしている。
 いろんな会社があり、それぞれに工夫しているわけですが、その基本はどこも人間を大切にしているということです。
 そこで働く従業員をまず大切にするから、すべては出発するのですね。とてもいい本でした。日本経団連という大企業本位の金権政治をすすめる総本山の元締めであるキャノンやトヨタ、そしてニッサンの経営者にぜひ読ませたいものです。自分たちの金もうけと株主本位だけでは、会社と日本の将来はないのですよ。
 
(2009年10月刊。1400円+税)

2009年11月12日

同和と銀行

著者 森 功、 出版 講談社

 同和問題を食い物にする解同(部落解放同盟)と暴力団、そして、それとまったく癒着した銀行のみにくい姿が赤裸々に暴露されている本です。そのすさまじいばかりのおぞましさに身震いしてしまいます。
 この本に登場する主要人物は、部落解放同盟大阪府連合会飛鳥支部長であり、三菱東京UFJ銀行の課長です。
 解同飛鳥支部の小西邦彦支部長は、暴力団三代目山口組金田組の構成員でもありました。
「小西枠は5億。小西案件はいっさい3階の役員室に持ち込んだらあかん」
小西との取引について、三菱UFJ銀行では、支店の決裁ですべて終わらせ、本店に取引案件を持ち込むような真似をするな。このように指示されていた。
 同和対策事業特別措置法が1969年に施行されて以降、2002年に法が失効するまで、15兆円もの事業費がつぎこまれた。ゼネコンにとって莫大な利権である。だから、同和団体の実力者に取り入ろうと懸命になった。
 小西邦彦は、税務当局にも強かった。それには、国税当局と部落解放同盟の間には「7項目の確立事項」があった。密約である。この密約では、同和事業については、課税対象としないと明記されている。この密約を取り交わした大阪国税局長は、のちに大蔵事務次官にまでのぼりつめた高木文雄である。
 いやはや、同和事業でどんなにインチキがなされても、税務署は一切手を出さないという密約があっただなんて、法治国家日本の看板が泣きますね。しかも、その人が大蔵省トップに上り詰めていたなんて、どうなってんでしょうね。日本の官僚システムは……。
 さらに小西邦彦は、警察とも癒着していました。東淀川警察署では、幹部が着任すると小西に必ず挨拶に来ていたし、小西が歓送迎会を開いた。去っていく前任者のポケットに「封筒」を突っ込む。小西は警察官の再就職の面倒もよく見ていた。
 小西は、西條秀樹の結婚披露宴の主賓として招かれていた。芸能界にも顔が広かったのですね。山口組の田岡組長もそうでしたよね。
 暴力追放とか差別をなくそうという掛け声がうわべだけだということが良く分かる本でした。
 秋も深まりました。熊野古道では全山が紅葉していました。遠くの山にイーデス・ハンソン氏の居宅を眺めました。かなりの高さにあるので、日常生活には不便かなと余計な心配をしてしまいました。それはともかく、我が家の庭のスモークツリーの紅葉も見事なものです。鮮やかな赤色です。緋色というのでしょうか。
 隣のエンゼルストランペットの黄色の花とよく似合っています。
 球根の植え替えをすすめていますが、水仙がどんどん伸びています。
 
(200年月刊。円+税)

2009年11月11日

絞首刑


著者 青木 理、 出版 講談社

 いまの日本には、悪いことをした奴はみんな死刑にしろと声高に叫ぶ人がいて、それに反対するのに勇気がいります。なんだか怖い社会風潮です。でも、死刑がどうやって執行されているのか、死刑囚の処遇がどうなっているのか、まったく知らないまま(知らされないまま)死刑肯定論が強まっている気がしてなりません。EU加盟国になるための条件の一つが、死刑を廃止していることだということを、日本人はきちんと認識して、受け止めるべきではないかと思うのです。ともかく、死刑制度が犯罪予防にならないことは古今東西の事実が証明しているのですから……。
 刑場の隣の小部屋には、壁に複数のボタンが横一列に並んでいる。5センチ四方の枠に囲まれた赤いボタンだ。古い拘置所の刑場なら5つ、新しい拘置所の刑場なら3つ。このボタンのうちどれか1つが、死刑囚の立たされる1メートル四方の床を開閉する油圧装置に連絡されている。その装置に誰のボタンがつながっているのかは分からない。だが、誰か一人のボタンは間違いなくつながっている。
 ボタンから少し離れた位置の壁には、金庫のダイヤルのようなものがある。どのボタンを油圧装置に連結するかは、そのダイヤルによって決められる。事前にベテランの刑務官がセットしておく。しかし、ボタンの前に立つ若い刑務官たちは、ダイヤルが導き出した結果を永久に知らされることはない。
 執行にかかわる刑務官の選択は、拘置所長が「それなりの配慮」をする。当日が誕生日に当たる者や、妻が出産を控えている者、近親者が重い病を患っていたり、親族の喪中である者などを除外して、最終的に10人のメンバーを慎重に選び出す。
数メートルもの落下による重力と自分自身の体重。そのすべてが首に集中する。通常の首つり自殺でも折れることのある甲状軟骨や舌骨は瞬間的に砕け、首を支える筋肉が切れ、7つの頸部脊椎が離断する。同時に、脳と身体の神経をつなぐ頸椎も断裂する。だから、おそらく瞬時に意識を失うはず。だが、真実は誰にもわからない。
 死刑囚が落下して、最終的に心臓が停止するまでの平均時間は13~15分間。
 2006年12月25日、クリスマスのこの日に、日本全国3か所の刑場で合計4人の死刑が一斉に執行された。長勢甚遠法務大臣の命令によって、東京2人、大阪1人、広島1人。東京の2人は、77歳と75歳だった。75歳の死刑囚は、自力歩行すらできない車椅子の障害者であり、敬虔なクリスチャンとなっていた。
この背景について、著者は次のように解説しています。死刑判決が急増し、2006年には21人に死刑判決が確定していた。そこで、確定死刑囚は12月段階で98人に達していて、法務省幹部は何としても100人を超えないようにしたいという打算が働いていた。その後、結局100人は超えたのですが……。
確定死刑囚との面会は法務省の通達などによって厳しい制約があり、親族など一部の例外を除くと、原則としてほとんど不可能だ。
2007年までの10年間に死刑執行された死刑囚をみてみると、判決確定から執行まで平均8年。ところが。2008年の1年間で執行された15人のうち、12人は4年未満だった。このうち2人は2年未満だった。
死刑執行を命令したのは、鳩山邦夫法務大臣が13人で最多、長勢甚遠法相が10人で2番目。
2007年の確定死刑囚は107人。死刑執行は2008年に15人で最多だった。
死刑囚の処遇と、判決の執行について、考えさせられる本でした。
 
(2009年7月刊。1600円+税)

2009年10月31日

今日を生きる


著者 大平 光代、 出版 中央公論新社

 『だからあなたも生きぬいて』の著者による、久しぶりの本です。
 著者が大阪市助役に就任したことは知っていましたが、この本を読むと、助役として活動中に、部課長連の強い抵抗にあってかなり苦労されたようです。周りは敵だらけ、とまで書かれています。そして、めでたく先輩弁護士と結婚して出産。ところが、ダウン症の赤ちゃんでした。その子育ての苦心が紹介されていますが、なるほど、なるほどと感心しながら読みすすめました。その工夫がすごくて、参考になります。何事にも前向きな姿勢が共感を呼びます。
 人生には、いろんな選択肢、いろんな時期がある。
 子どもには見返りを求めない。
授乳するとき、赤ちゃんが飲んだミルクの量をノートにつけるのは、精神衛生上、よくない。親が何としても飲まさなアカンという心理状況になると、赤ちゃんはそれを敏感に感じていやがる。それに気づいて、記録をとるのはやめた。
子どもにはいろいろ経験させて、親は手を出さずに見守ることが大切。根気のいる仕事だし、時間もかかる。しかし、幼いころの経験が足りないと、引きこもりになってしまう。
 赤ちゃんは言葉が分からない。でも、どんなときでも赤ちゃんに話しかけ、言葉で説明する。そして、その言葉どおりに実行する。いやあ、これって、ホント、大切なことです。
 そして、たまには赤ちゃんを甘えさせることも大切なこと。大人が寄り添って喜怒哀楽をちゃんと表出させる。これは、子ども時代に欠かせない大切なこと。うんうん、思わず頭を上下に振ってしまいました。
 大平弁護士が赤ちゃんとともにお元気な様子に、安心しました。いい本です。元気が湧いてきます。
 
(2009年7月刊。1300円+税)

2009年10月27日

自民党幹事長室の30年

著者 奥島 貞雄、 出版 中央公論新社

 自民党本部の奥深いところで30年もの間働いていた人による本です。やや物足りない感もあります。つまり、もっと赤裸々にしてほしかったということです。それでも、それなりに有力政治家たちの実情が紹介されています。
 なかでも、いま再び政権党の幹事長として君臨している小沢一郎に対して、容赦ない酷評が加えられています。まずは、そこから紹介しましょう。
 ワーストワンの幹事長には、ためらうことなく小沢一郎の名前をあげる。ベストは、田中角栄である。小沢一郎が自民党の幹事長になったのは、47歳のとき。田中角栄と同じ年齢だった。
 小沢一郎はもともとしゃべるのが得意ではなかった。せいぜい、雑誌という媒体が似合っていた。ゲラの段階で手直しできるからだ。
 小沢一郎は、自民党幹事長でありながら、どうにも我慢ならない行動が目についた。昼時になると、決まって自派の若手代議士を5~6人ほどと一緒に幹事長室の奥の個室で食事をとりながら懇談していた。幹事長室に議員を引きずりこんで、自分のシンパ拡大工作に励んだ政治家はほかにいない。
 小沢は通産省の官僚を接待した二日酔いのため、年に一度の自民党全国幹事長会議をすっぽかしてしまった。それでも、夕方からの総理との会議には出席していた。このように小沢一郎のウラオモテの極端な落差の大きさは、許容限度を超えるものがあった。
 世の中を、なめるんじゃないぞ。
これは、そのときの著者の小沢一郎への怒りの言葉です。
 小沢一郎は、東京都知事選で自民党から候補を立てながらも、自身は告示のあと外遊に出かけていた。うむむ、なんということ……。
 小沢一郎は、苦労らしきものをしていない。
 田中を見限った小沢は、やがて金丸信や竹下も裏切る。
 小沢一郎は、自民党の幹事長としては不適任な人材だった。
 いやあ、ここまで悪口かかれるかと思うほどです。小沢一郎に、いかに人徳がないかを示しているのでしょうね。
 自民党内のお金の流れなど、もっともっと知りたいことはあり、もどかしくなってしまうのですが、自民党政治家の正体を知る手掛かりにはなる本だと思いました。

 島原半島の雲仙に行ってきました。帰りに少し足をのばして、原城跡へまわってみました。初めてです。国道からせまい道を入っていくのですが、くねくねと曲った道でした。だんだん高くなっていきますが、西側は畑になっています。奥まった高台が本丸跡ということです。海に面した絶壁です。海からの上陸は難しかったことでしょう。遠くに天草の島々が見えました。ここに3万人もの人々が立てこもり、80日ほどの籠城戦をもちこたえ、ついに全員虐殺されたかと思うと感無量でした。
 赤い可愛いコスモスの花が、本丸跡への道路脇に咲いていました。
 
(2002年12月刊。2200円+税)

2009年10月18日

武士猿

著者 今野 敏、 出版 集英社

 ブサーザールと読みます。この著者は警察小説の書き手だと思っていました。なんと、空手のこともかけるのですね。たいしたものですね。すごいな、すごいぞと感心しながら、夢中で読みふけり、時の経つのを忘れてしまいました。いやあ、身体の鍛錬というのは、毎日欠かさず、日常不断にやるものなんだと、つくづく思ったことでした。沖縄空手の偉大さを少しは味わうことができたと思います。
 カラテつまり空手は、その前には唐手と書いていたのですね。戦前のことではありますが、剣道とは違って、本土では江戸時代からあっていたわけではないようです。
大学生のころ、私の身近で流行していたのは少林寺拳法でした。その集団演武を入学式のときに見たような気がします。すごくカッコいいと思いましたが、運動神経に自信のない私は手を出しませんでした。
 明治維新の後、琉球王族の一員でもあった本部(もとぶ)家の三男坊だった朝基は、兄に勝つために琉球伝統の「手」(ティー)の修業を始めた。実戦で強くなるため、夜の路上に出て他流試合を重ねた。すごいですね、本当のことなのでしょうか……。
 沖縄武士(ウチナープサー)という言葉を初めて知りました。九州男児に匹敵する言葉なのでしょうかね。著者自身が空手の有段者とのことですから、空手のすごさが文字になってよく描かれています。読んでいる私まで、なんの技もないのに、肩に力が入ってしまいます。
 うへーっ、すごーい、こんな攻め方、かわし方があるのか、などと想像をたくましくしながら、もどかしい思いとともに頁をめくっていきました。正味90分で読み切りましたが、価値ある1時間半でした。ヤンヤヤンヤ。拍手を送ります。
 
(2009年5月刊。1600円+税)

2009年10月15日

10年後、あなたは病気になると、家を失う

著者 津田 光夫・馬場 淳 ほか、 出版 日本経済新聞出版社

 いま、日本は、病気にかかるリスクの高い人を、国民健康保険という一つの保険に集めている。当然、保険料は高くなり、払いたくても払えない人たちを増やすことにつながる。
 国保の保険料(保険税)の滞納が1年以上も続くと悪質滞納者とみなされ、保険証が取り上げられて、代わりに資格証明書が発行される。資格証明書では、窓口でいったん全額を支払わなければいけない。あとでその7割が返還されるはずだが、実際には滞納分に充当されるので、お金は戻ってこない。つまり、資格があるというだけで、事実上は無保険を意味している。このような無保険世帯が34万世帯もある。このように、国民皆保険は崩壊しつつある。
 民医連の調査によると、国保の保険証が取り上げられて、医者にかかれないうちに亡くなった人が、05~06年に29人、07年に31人、08年も31人いる。
 そして、医療機関に多額の未収金が発生している。3270病院の累積未収金は、1年間で219億円、3年間で426億円になっている。
 国保財政が赤字になったのは、国庫からの拠出金が減少しているため。
 そもそも、社会保障制度にはすべての国民に対して、負担の如何にかかわらず国が面倒をみるという基本概念がある。
 生活習慣病という呼び方には、自己責任と共通する意味がある。本人の生活習慣が悪いために慢性疾患になった、という意味が込められている。
 うへーっ、ちっとも知りませんでしたよ……。
 医療・介護・年金の分野で、国は自らの責任を後景に追いやり、代わって国民の自助と共助を強調している。それは、戦前への逆戻りである。そうなんですね……。
 アメリカの民間医療保険は、生命保険会社や損害保険会社が運営する営利目的の保険である。アメリカのように公的医療保険が不十分だと、企業負担が増大する。日本の医療・福祉制度は絶対にアメリカのマネをしてはいけない。著者は、このように強調しています。やはり、アメリカではなく、イギリスを含めたヨーロッパ型を日本は目ざすべきだと痛感させられました。
 日経新聞を私も毎日読んでいますが、そこから出ている本だとは思えない、とてもまともで、道理のある本です。
(2009年4月刊。1700円+税)

2009年10月14日

小沢一郎、虚飾の支配者

著者 松田 賢弥、 出版 講談社

 ついに政権交代が実現しました。政権が変わることによって、すべてがたちまちバラ色に変わるなんて、まったく思いません。でも、長く続いた自民党政治を、一刻も早く終わらせたいとは、大学生のころから、つまり40年間、ずっと思い続けてきました。それがようやく実現して、感無量です。
 アメリカでは一足早く、チェンジつまり変革を叫んだオバマ政権が誕生しました。どうせ同じアメリカ帝国主義じゃないか、そんな冷めた見方もあります。だけど、オバマ大統領は核廃絶を真剣に呼びかけているじゃないですか。環境問題についても、前のブッシュとは比べものにならないほどの真面目な取り組みをすすめています。イラクから撤退するという方針も評価できます。ただし、なぜ今もってアフガニスタンにこだわるのか、その点はさっぱり理解できません……。
 いいものはいいと、高く、きちんと評価する。それは、オバマ政権であれ、今度の民主党政権であれ、必要なことだと思います。無用なダム建設をやめる。後期高齢者医療制度を見直す。子ども手当を支給する。いろいろ、いいことを打ち出しています。私は、大歓迎です。教育予算を増やして、高校だけではなく、大学まで授業料も無料とし、学生には生活費も補助するというように、日本は人材(人間)育成にもっとお金をかけるべきです。ダム建設よりも、よっぽど有効なお金の使い方だと思います。
 それにしても、気になるのが、「ダーティ小沢」です。この本は、次のように叫んでいます。
政権交代の前にはすべてが許されるのか。政権交代という看板を掲げていれば、ゼネコンから巨額なカネをもらい、その金も化けた政治資金で10億円にのぼる不動産を買い集めたことに一片の釈明もしなくていいのか。
 小沢は、「やましいことは一点もない」という。果たして、本当なのか……。
 小沢にとって、権力とはカネだ。小沢にとって、政治とは自身のあくなき権力欲を満たすためのものではないのか……。
 民主党の幹事長という要職を占める小沢一郎は、今こそ国民の前で自らの疑惑について語る必要があると思います。秘書に責任をなすりつけてはいけませんよ。
 西松建設の裏金の総額は、20億円をこえる。うち、国内分が10億円、海外分が10億円。国内分は、全国の支店が下請業者から工事費を還流させたり、架空経費を計上したりする手口を使っていた。
 ところが、小沢は次のように開き直っている。
 「ゼネコンから選挙の応援を受けたり、資金提供を受けてなぜ悪いのか。応援してもらうのは、あたりまえでしょう」
 小沢一郎の政治団体は、政治資金パーティを開いて、4年間で4億円近くも集めた。ところが、そのパーティ券は、どこの誰が買ったか明らかにされていない。これではまったくのザル法ですよね。
 小沢は、陸山会の政治資金によって、1994年から都内にマンションを買い始めた。今や、10億円を超える。すべて小沢一郎名義である。
 虚飾に覆われた小沢の支配者の仮面は、いつか剥がれおちる日が来るだろう。小沢一郎の仮面が剥がれたとき、民主党も政権を手放すことになるのか、それは今のところ予測がつきません。脱ダム、脱公共工事をすすめていったら、脱小沢一郎になってしまいます。それを小沢一郎が許すのかどうか。そのせめぎあいが当分つづくのではないでしょうか。
 民主党の暗黒面、自民党と同じ利権体質の政治家が生き延びるのか、ぜひとも注目していきましょう。

 連休中に、青空の下、モズの甲高い鳴き声を聞きながら、庭にチューリップの球根をせっせと植えつけていきました。畳1枚半ほどのスペースに、200個の球根を植え付けました。スコップで一個一個掘るので、ついに親指の付け根のところに豆ができて、つぶれてしまいました。
 いま、庭には黄色いリコリス、そして同じく黄色のエンゼルストランペットが咲いています。地面の足もとにはピンクかかった白いゼフィランサスの可憐な花もあちこちで咲いています。
 空を見上げるとピンクの芙蓉もまだまだ咲いていて、そのそばを赤とんぼが悠々と飛んでいました。稲刈りも間近です。秋も深まりました。
 
(2009年7月刊。1500円+税)

2009年10月 9日

1968(上)

著者 小熊 英二、 出版 新曜社

 1968年というのは、私が初めて東京で過ごすようになって大学生活の2年目でした。安田講堂を突然占拠した学生を排除するために、起動隊が導入されたのが6月のこと。それから長いストライキ闘争が始まりました。翌69年3月まで授業はなくこの年4月に東大は新入生を迎えることができませんでした。
 この68年4月から69年3月までの1年間の学生たちの動きを、体験をもとにして丹念に追って小説としたのが『清冽の炎』1~5巻(花伝社)です。残念ながら反響がなく、ほとんど売れませんでした。この本は、その『清冽の炎』も何回となく引用しながら、東大闘争とはなんだったのかを論じています。
 しかし、いやはや、さすがは学者です。上巻だけで1090頁もあります。東大闘争の部分だけでも300頁もあります。そして、引用できるあらゆる活字資料にあたったようです。とくにすごいのは、当時の週刊誌にまであたって、引用していることです。
 東大全共闘とセクトの関係について、私はセクトの影響力というか支配力は、著者の指摘よりは強かったように見ています。
 各セクトの勢力は拮抗状態で、一つのセクトが東大全共闘を支配することはできなかった。東大では支配的セクトがなく、ノンセクト活動家も発言力を持つ柔軟な運動が可能となった。
 ここでいう柔軟な運動というのは何なのでしょうか。私には思いつきません。全共闘は全学バリケードストライキを一貫して狙っていました。そして、東大解体をスローガンとして叫んでいたのです。
 ノンセクト活動家が中核に位置したことは、セクト嫌いの学生を、東大全共闘に引きつける効果をもたらした。
 たしかに、こう言える面はあったかと思います。東大解体、帝国主義大学解体、自己否定しろという叫びを聞いて、胸に手をあてて考えた東大生がいたことはたしかです。でも、東大をやめて行った人は、ほとんどありませんでした。私の知る限り、たった一人だけです。彼は、中退して工場労働者として働きはじめ、組合活動をしていました。やがてバレて経歴詐称として解雇されたので、裁判闘争に持ち込みました。彼はタカ派の自民党代議士の息子でした。いま、彼は一体どうしているのでしょうか……。
 東大闘争では、運動の副産物であった「主体性の確立」が目的化したのと似て、「自己の生き方を問う」ことが主題として浮上してくるという特異な展開をとげていった。
 「自己否定」とは、エリートによる、エリートのためのスローガンであった。東大全共闘が占拠した安田講堂は、大学側が電気・水道・ガスを供給し、東大の代表電話にかけたら、安田講堂内の全共闘メンバーを呼び出せた。大学当局の保護下での占拠なのは明白だった。
 東大全共闘の闘争は、彼らが避難した日本の「大学の自治」の通念に守られていたからこそ可能だった。
 日大闘争が終わったとき、日大への絶望感から、1万人の中退者が出たのに対して、東大闘争で東大を中退した学生は少数だった。
 宮崎学の『突破者』は、私も面白く読みましたが、図書館前で激突したのが宮崎学の指揮する「あかつき戦闘隊」、著者のいう「共産党の行動隊」というのは、いささか事実に反しています。そこには駒場から駆けつけた大勢の学生が主力だったのです。もちろん民青ばかりではありません。全共闘による占拠に反対する声はかなり強く、身体を張ってでも阻止しようという学生は少なくありませんでした。これは、よく考えてみれば当たり前のことではないでしょうか。
 何の手続きも踏まずに一方的に暴力的に図書館などの建物を占拠して、出入りを禁止しようという動きがあるのに怒って、それを阻止しようと考える学生は多かったのです。もちろん、あとで聞いて知りましたが、宮崎学の「あかつき戦闘隊」も背後に控え、ときに前面に出てきていたのかもしれません。しかし、東大全共闘対「共産党の行動隊」という図式で描かれてしまうと、その場に居合わせた多くの駒場の学生は、ええっと驚き、のけぞってしまうと思います。
 ただ、東大全共闘が一般学生から指示を失いつつも、3割台で一貫していたという点は、たしかにそうだというのが私の実感でもあります。というのは、69年3月になって、ようやく授業再開しようというときに、まったく新手の全共闘のデモ隊が来るのに驚き、かつ、呆れた覚えがあるからです。でも、本格的に授業が始まると、直ちに平静になり、民青やクラ連だけでなく、全共闘の学生までみんな授業に出て、半年間の遅れを取り戻そうとしていました。もちろん私も、ご多分にもれません。
 ともあれ、1968年に何があったのか、そこでは何が問われていたのかを知るためには、必須、不可欠の本だと言わなければなりません。私も大いに勉強になりました。
 
(2009年7月刊。6800円+税)

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